お薦め映画 FAVORITE MOVIES(5)

 「12人の怒れる男」1997/11/5

「民主主義の素晴らしさ」への限りない賛歌

もし、たった1人でも

頑張る陪審員がいなかったら…


 1957年、アメリカ。シドニー・ルメット監督。スラムに住む18歳の少年が、「父親をナイフで刺し殺した」として第1級殺人罪で死刑に問われる。無作為に選ばれた12人の陪審員たちが、殺人事件に対する評決を下すまでを描いた法廷劇(密室劇)だ。

 はじめはたった1人の陪審員だけが「無罪」を主張していた。それが、議論を重ねるに従って少しずつ「無罪」が増えていく。「有罪に決まっているじゃないか。早く終わらせて帰ろうぜ」。そんな空気が議論を重ねるうちに少しずつ変わっていく。「疑問があるから話し合いたいんだ」。そんな主張が少しずつ受け入れられていく過程が息詰まるタッチで描かれる。

 ドラマは、裁判所でのすべての審理を終えたところから始まる。見知らぬ者同士の12人の陪審員は、株の仲買人、会社社長、建築家、広告会社社員、時計職人、高校のフットボール・コーチなどと職業はさまざまだ。移民もいれば、スラム出身者もいるという具合に階層も幅広い。夕方からの野球のナイター見物を楽しみにしている男もいる。「義務だからここの場にいるが、陪審なんて早く切り上げて帰宅したい」。多くの陪審員はそう思っている。

 評決は全員一致でなければならない。有罪の評決が出れば、少年は電気いすで死刑になることが決まっている。1回目の投票では、ただ1人の陪審員(ヘンリー・フォンダ)だけが「無罪」を主張した。圧倒的多数の11人は「有罪」だった。「無罪の証拠はなかった。目撃者もいる。事実は動かせない」というのが「有罪」の理由だ。これに対し、ヘンリー・フォンダは訴える。「6日間の証言を聞いて、あまりにも明確なので奇妙にさえ感じた。弁護士は十分な反対尋問を行っていない。手抜きをしている。目撃者は1人の女性だけ。あとは物音を聞いた老人と状況証拠だ。この2人の証言が間違っているとすれば?」

 陪審員たちの空気は、明らかにヘンリー・フォンダに冷たかった。なぜ1人だけ、みんなと違うことを言うんだ…。どこにでもいるんだ、そういう奴って…。しかし彼は言う。「人の命を5分で決めてもし間違っていたら? 1時間話そう。ナイターには十分間に合う」

 そして、議論が始まる。「非常に珍しい型」とされた凶器のナイフは、どこにでもあるナイフだったことが分かった。再投票で10対2になった。「無罪」評決に転じた老人が言う。「有罪に確信がないだけで、この方は1人で闘ってこられた。大変な勇気だ。だからこそ彼の賭けに応じたくなった。有罪だとしても、もっと話を聞きたい」。うんざりした表情ながらも、陪審員たちの議論は続けられることになった。

 同じアパートに住む老人と、目撃者とされる女性の証言にはあいまいな点が多いことが、白熱した議論と検証を通じて少しずつ分かってくる。8対4、6対6、3対9…、投票を重ねるに従って「無罪」の評決が増えていく。「なぜ無罪に変えた」「疑いの余地がある。不明確な点も多いし」。裁判所での事件審理自体に疑問を感じる陪審員が出てくる。

 「あの不良が。連中は平気でうそをつく。真実なんてどうでもいいんだ。大した理由がなくても奴らは人を殺す。気にするような人種じゃない。奴らは根っからのクズなんだ」。議論に興奮したのか、少年やスラム住民へのあからさまな中傷を夢中でしゃべった陪審員は、自分の心の中に強くある差別感情と偏見を自ら告白する結果になった。ほかの陪審員たちは絶句して無言で彼を非難する。「偏見抜きで物事を考えるのは難しい。偏見は真実を見る目を曇らせる。事実は私も分からないし知る人はいない。だが、われわれは疑問を感じている。そこが重要な点だ。確信もなく人の命は裁けない」

 最後まで「有罪」を主張し続けた男は、息子と喧嘩別れしてもう2年間も会っていないことで苦しんでいた。自分の息子と被告の少年を心の中でだぶらせて、だから「有罪だ」とかたくなに繰り返していたのだった。男は泣きながら「無罪だ」と言って机に突っ伏した。

 少年に対する評決はついに「無罪」で一致した。12人の陪審員は裁判所の建物を出て、それぞれの家へと帰って行く。もう二度と会うこともないかもしれない。しかし、1人の少年が死刑になるかどうかを真剣に討議した体験は忘れることがないだろう。そうして「疑わしきは無罪」との評決に達したのだ。

 自分自身が納得できる意見を持つことの大切さと、納得いくまで議論し尽くすことの素晴しさ。そんな当たり前のことを描いた作品である。だが、当たり前のことが当たり前のこととして実践されることが少ないからこそ、この作品の訴えに熱い感動を覚えるのだ。もしもあの時、あの場にたった1人でも「無罪」を主張する陪審員がいなかったら…。そして、陪審員の多くが先入観や思い込み、偏見、いい加減な気持ちで評決を出し、人の命を左右してしまっているとしたら…。陪審制度の持つ危うさについても鋭い問題提起をしている。

 40年も前の映画なのに少しも古臭さを感じさせない。たぶん、シドニー・ルメット監督は「民主主義」に対して限りない信頼と期待を寄せているのだろう。そう、この映画は間違いなく監督による「民主主義」賛歌なのである。(モノクロ作品、95分)

2000/6/30 加筆修正


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