お薦め映画

FAVORITE MOVIES

第2部◆かなりおすすめっ!優秀作品

by totoropen (OOKA Minami)


■最終更新 2001/11/22

恋人たちの予感ユー・ガット・メール(ハル)

トゥルーマン・ショーエネミー・オブ・アメリカブルベイカー

ロッキー・ホラー・ショー鉄塔武蔵野線

リメンバー・ミーNEW! (2001/11/21)

GONEW! (2001/11/22)


●「恋人たちの予感」

 主演はメグ・ライアン、ビリー・クリスタル。「男女の友情は成立するか」をテーマにした映画だ。この作品を僕に紹介してくれた女性は「この映画が言いたかったことは『男女の友情は成立しない』ということではなくて、『本来の恋愛のあるべき姿』だったのではないかと思います」と述べていたが、見終わって僕も同じように思った。ずっと親友という関係を続けてきたハリーとサリーの気持ちの揺れが率直に語られていて、なかなか切なくなるストーリーである。ラストシーンでは笑いながらも思わずほろりとさせられてしまう。ロブ・ライナー監督。1989年、アメリカ。1時間36分。(1998年9月15日)


●「ユー・ガット・メール」

 Eメールを小道具に使った恋愛映画だ。ノーラ・エフロン監督。主演はメグ・ライアン、トム・ハンクス。ニューヨークで小さな絵本の専門書店を経営するキャスリーン(メグ・ライアン)は、インターネットを通じてジョー・フォックス(トム・ハンクス)と知り合い、毎日のようにEメールを交換している。知的でユーモアがあって優しくて…と、メールを通じてお互い次第に引かれ合っていくのだが、二人とも相手の素性を全く知らない。ところが、実は二人はお互いのことをよく知っていた。キャスリーンの経営する小さな書店の目の前に進出してきた大手書店チェーン経営者の息子が、ジョーだったのだ。キャスリーンは「本を金儲けの道具にしか見ていない」とジョーを毛嫌いする。ジョーもそんな彼女を苦手な奴だと避けていた。そうとは知らずにEメール交換を続ける二人。

 最初に相手の正体に気付いたのはジョーの方だった。最初は「あんな女!」と突き放して返信メールも出さなかったのだが、子どもの本に対するキャスリーンの愛情あふれる姿勢や知識を垣間見て、次第にネット上の姿と実像とが一致してくるようになるのだった。大資本の力で小規模書店を追い詰めている張本人でありながら、彼女をEメールで励ますジョー。一方、キャスリーンは、Eメールの相手が大切な自分の店をつぶしにかかっているジョーだとはつゆ知らずに、心を開いてメール上で全幅の信頼を置くのである。結局、キャスリーンの書店は経営不振から閉店に追い込まれてしまう。そして…。

 とまあ、こんなお話なのだが、単なる恋愛映画ではなかった。大資本の書店チェーンと小規模書店のシビアな戦いぶりを通じて、アメリカの書店事情、マスコミ事情、子どもと本との関係のようなものまで分かって興味深い。もちろん恋愛映画としてもよくできていて、少しずつ二人の心が近付いていき、観客を切ない気持ちにさせる演技なんか、さすがはメグ・ライアンとトム・ハンクスのコンビだなあと感心するばかりだ。

 ついでに書いておくと、キャスリーンの愛機はMacintoshのパワーブックで、ジョーが使っていたパソコンはIBMのシンクパッドだった。メールを書きながら、文章表現に悩んでう〜んと唸ったりする仕草は、みんな同じなんだなあと笑える。そして忘れてはいけないのが、ジョーの愛犬のゴールデンレトリバーで、こいつがとてもかわいい(^^)。ジョーがキーボードに向かっている時にはいつもちょこんと隣に座っているし、ジョーとキャスリーンが抱き合ってキスするシーンでは、キャスリーンに対抗するかのようにジョーに懸命に飛びついてご主人様の気を引こうとするのだ。ちなみに、メールが到着している時に「You've Got Mail」とパソコンから音声付きのメッセージが伝えられるのが、カッコいい。メールの到着を音声で知らせる「You've Got Mail」のメッセージは、大手プロバイダー「AOL」の専用ソフト。この映画は「AOL」と提携してつくられた作品だという。そう考えると、確かにプロバイダーの宣伝映画と言えなくもない。1998年、アメリカ。(1999年4月16日)


●「(ハル)」

 森田芳光監督。盛岡と東京にそれぞれ住む男女が、パソコン通信のメール交換を通じて交流を深めていくというラブストーリーだ。見ていてとっても切ない気持ちになってくる。ハッピーエンドで終わるのだけど、最後の方のシーンで流されるメール交換の場面ではなぜだか涙が出てきてしまった。(ハル)と(ほし)がやり取りする何十通ものメールの積み重ねには、お互いの存在の大きさが示されている。そのメールの内容を画面で読ませるために、映像のかなりの部分を字幕のようなものが占めるわけだが、約2時間を見ていてもちっとも飽きてこない。さすがは「家族ゲーム」の森田監督の脚本だなあと思った。ラストシーンがとても印象的だ。「『はじめまして』(^_^)」かあ…。なるほどね…。とにかく、とても前向きな映画です。出演は深津絵里、内野聖陽、戸田菜穂。1995年、東宝。1時間58分。(1998年10月31日)


●「トゥルーマン・ショー」

 生まれたときから一挙手一投足を隠しカメラで追われ、しかもその映像が「本物のドラマ」として全世界に生中継でテレビ放送されている男性の物語である。自分以外は妻も母親も、もちろん友人から会社の同僚、近所の住人に至るまで全員が役者で、さらに住んでいる街全体が巨大セットなのだ。何から何までトゥルーマンの生活すべてを、世界中の人が24時間楽しみにのぞき見している不気味さ…。荒唐無稽なストーリーのようでいて、見ているうちに次第に現実味を帯びてくるところが、この映画の脚本と演出の見事さだ。「そんなテレビドラマを制作する方も、見る方もどうかしている」と言ってしまえばそれまでなのだが、しかしそれがただの架空の世界で済みそうにないのがまた怖い。ワイドショーで他人の生活をのぞき見している現実のわれわれの社会だって、実はこの映画の世界と大差ないからだ。

 そしてトゥルーマンはある日ふと、自分の日常に疑問を抱く。「何かおかしい。これは作られた世界ではないのか?」と。ほころび始めた脚本を維持するために、舞台裏では膨大な数の役者とスタッフが右往左往する。トゥルーマンは真実の世界を求めて外に出ていこうともがき始めるのだが、そんな様子まで一部始終をテレビは世界中に放送し続け、人々は「娯楽の一貫」として彼の姿を固唾を飲んで見つめ続けるのだった。……。すべてが終わって連続放送1万日を超えるドラマ「トゥルーマン・ショー」が終了すると、何と人々はまた次の面白い番組を求めて、何事もなかったようにチャンネルを変えるのだ。う〜ん。

 映画館の中はちょっと変わった空気に支配されていた。普通は映画本編の上映が終わってスタッフ・ロール(エンディング字幕)が流れ出すと、観客の大半はバラバラと席を立って帰り始めるというのに、だれも席を立とうとしないのだ。「横浜シネマリン」という映画館で見たのだが、とっぽい兄ちゃんも、ヤンキー風カップルも、コギャルも学生もサラリーマンも、延々と流れ続けるエンディング字幕をみんな押し黙って見ているのだった。これまで何百回も映画館で映画を見たが、こんな情景を目にするのは初めての経験だ。結局、字幕が半分くらい流れるまでだれも席を立たなかった…。ジム・キャリー主演。ピーター・ウィアー監督。1998年、アメリカ。1時間43分。(1998年12月17日)


●「エネミー・オブ・アメリカ」

 日本で通信傍受法案(盗聴法案)を推進する人たちの発想と動きを見ているかのような、まさに時代を予見した映画だった。「アメリカ版盗聴法」を制定する動きに反対する下院議員が暗殺され、偶然にも殺害シーンを録画したビデオテープを入手してしまった一人の弁護士が、米政府情報機関に追い詰められていく物語である。

 発信機、盗聴機、監視カメラ、衛星カメラなどのあらゆるハイテク技術を動員して、政府の情報機関は総力を挙げて弁護士の生活と行動を徹底的に把握・監視する。トンネルやコンビニ、高速道路に設置された監視カメラまでもが、政府の思うがままに操られて、個人情報は余すことなく把握されるのだった。国家が全力を挙げれば何でもできることを示す。「国の安全を守るため」なんて単なる建て前、言い訳であることがよく分かる。実に恐ろしい戦慄すべき内容の作品だ。しかも見事なエンターテインメントに仕上がっていて、手に汗握るスリリングなシーンの連続。息つく暇もないくらいドキドキの内容で面白い。お薦め映画だ。ウィル・スミス主演。トニー・スコット監督。1998年、アメリカ。2時間12分。(1999年7月8日)


●「ブルベイカー」

 暴力と賄賂がはびこり腐敗しきった劣悪な環境の刑務所に、一人の男が受刑者として収容されてくる。実は刑務所改革を断行するために赴任してきた新任の所長だったのだ。しかし、地域社会とも癒着する刑務所の改革は困難を極める。正義の旗を掲げて孤軍奮闘する新任所長は、失意のもとに所長を解任されるのだが…。この手の作品が僕は大好きなのだった。

 う〜ん、それにしても主演で所長役のロバート・レッドフォードは、男から見てもシブくてカッコいい。役柄がカッコいいとゆーのもあるけれど。あんなふうな生き方ができればいいなと思う。スチュアート・ローゼンバーグ監督。1980年、アメリカ。(1999年9月25日)


●「ロッキー・ホラー・ショー」

 学生時代に深夜の映画館で見たのが最初だが、何回見ても面白い映画だ。1975年の英国作品。ビデオも出ているけれども、しかしこの映画はやっぱり、深夜興行で大勢の観客と一緒になって一体感を楽しみながら見た方が、断然気分が乗ると思う。熱心なファンは映画館で映像に合わせて踊り、スクリーンに向かってコメを投げつけるといった楽しみ方をするのである。「観客参加型カルトムービー」の大傑作だ。

 タイトルから想像するとSF怪奇映画なのかと思うだろうけど、違うんだなこれが。「エロチック・コメディー・ミュージカル」なのだ。舞台は、トランスセクシャル星からやって来たイカレた科学者が、人造人間を作っている不気味な古い城。そこにダサダサのカップルが迷い込んで、しっちゃかめっちゃかの「禁断の体験」を繰り広げるというお話である。ノリのいい音楽とアップテンポの狂気のストーリー展開がさえ渡る。ティム・カリー、スーザン・サランドン主演。ジム・シャーマン監督。1時間40分。(1999年8月30日)


●「鉄塔武蔵野線」

 小学生の仲良し二人組が夏休みに、高圧送電線を束ねる「鉄塔」を順番にたどって行く。その先にある「1号鉄塔」には何があるのだろうと、さまざまな障害物を乗り越えて冒険を試みる物語だ。

 畑や田んぼや寺や公園や川を突き抜けてどこまでも伸びる送電線と、ぐんと高くそびえ立つ鉄塔の織り成す風景はとても懐かしさを感じるし、子どもたちのささやかな冒険に「ああ、子どものころの夏休みってこんな冒険があったよなあ」とも思う。ついつい引き込まれて最後まで楽しんでしまう。物語的には、アメリカ映画の「スタンド・バイ・ミー」に通じるものがあるだろう。年齢の異なる子どもたちがけんかをしたり励まし合ったりしながら、大人にしてみればどうでもいいとしか思えないような目標に向かって歩いて行くという部分は共通するテーマである。

 風景的には「となりのトトロ」の狭山丘陵を思い出した。田畑や民家を縫って送電線と鉄塔がずっと続く風景は「トトロの世界」そのものだ。実際にこの映画は、東京の保谷市から埼玉の日高市、狭山市などに続く実在の「鉄塔武蔵野線」の沿線がロケ地になっている。伊藤淳史、内山真人主演。銀林みのる原作。長尾直樹監督。1997年、「鉄塔武蔵野線」製作委員会。1時間55分。(1999年9月23日)


●「リメンバー・ミー」

 ピュアな感動と切ない気持ちが満ちあふれてきて泣けてしまう恋愛映画だ。実際にラストの場面では涙いっぱいになってしまった。1979年に生きる女子大生と2000年に生きる男子学生が主人公。2人はアマチュア無線機を通じて、時空を超えた不思議な交信をすることになる。未来の世界に住む男子学生といろんなことを語り合って心を通わしていくうちに、女子大生は恋人が自分の親友と結ばれることを知ってしまう。しかも、それは彼の両親だというのだ。未来は変えられないのか。そして…。

 舞台は軍事独裁政権に反対するための学生運動が盛り上がっている1979年のソウル。壊れた無線機をもらって自宅に持ち帰った女子大生ソウン(キム・ハヌル)は、皆既月食の夜に突然、男の声を受信した。同じ大学の学生だというイン(ユ・ジテ)だった。しかし話がまるでかみ合わない。ちぐはぐな話を続けるうちに、彼が生きているのは2000年だということが分かる。民主化デモ、夜間通行禁止令、大学の時計塔竣工式の延期、釜山の戒厳令、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領射殺による軍事独裁政権の崩壊…。歴史的事実を次々に予言するインの言葉に、ソウンは21年の時空を超えて交信していることを信じるしかなくなるのだった。あこがれの先輩トンヒ(パク・ヨンウ)からデートに誘われてうきうき気分のソウンだったが、インと不思議な会話を重ねるうちに、知らなければよかった事実を知ってしまう。デモでけがをして入院している恋人のトンヒが、同じ病院に入院していた自分の親友のソンミ(キム・ミンジュ)と結ばれて、しかもそのカップルがインの両親だというのだ。無線の向こう側で無邪気に自分の両親のロマンスを知りたがるインとは対照的に、呆然となってしまうソンミ。一方、インは田舎の実家で両親の昔のアルバムを見て、ソウンの親友が母親で、ソウンの愛しているトンヒが自分の父親であることに気付く。「もし、彼女が親父を選んでいたら、愛を貫いたら、俺はどうなる」…。インを慕う女友達のヒョンジ(ハ・ジウォン)は、懸命にその考えを否定しようとするのだった…。

 この後の展開は、切なくてまじで泣かされる。作品全体に流れる音楽も情緒豊かでいい味を出しているのだが、特に最後の方でバッハの「G線上のアリア」が流されるシーンは切なくてたまらない。心が締め付けられるようで何とも言えない気持ちになった。原題は「同感」。日本語的にはどちらかと言えば「共感」という意味になるのだろうか。時空を超えたコミュニケーションをテーマにしている点では、岩井俊二監督の「Love Letter」と作品に流れている空気が少し似ているかもしれないなあと思った。軍事独裁政権下の抑圧された時代と、激動の21年を経て民主的で豊かな生活を謳歌している現代の韓国社会とを、うまく対比して描かれているのも面白い。2000年、韓国作品。キム・ジョングォン監督。1時間51分。(2001年11月20日)

 ◆ちなみにこの作品を日本を舞台にした物語に置き換えてリメークした「日本版」が、2001年11月末にロードショー公開されるという(山川直人監督、吹石一恵、斎藤工ほか)。オリジナル版がよかっただけに、見て見たいような、見たくないような…。(2001年11月20日)


●「GO」

 全座席がわずか48席で、スクリーンも小さなミニシアターで観たのだが、しかし映画が始まるとそんなことは全然気にならないほど画面に釘付けになってしまった。それほど主人公とストーリーに引き込まれたのだった。面白かった。

 一言で説明するなら、在日韓国人少年の「恋愛と悩みと成長」を描いた青春娯楽ドラマだ。でも、この手のテーマを扱った作品にありがちな湿っぽさや暗さはほとんどない。中学までは民族学校に通い、日本の普通高校へ入学した高校3年生の杉原が主人公。国籍や民族や差別や将来のことやアイデンティティについて、そして自分とは何かということを試行錯誤し、日本人の女の子と恋愛することで、自分の存在についてさらに考えざるを得なくなるというストーリーなのだが、テンポよくスピード感あふれる展開と魅力ある登場人物の演技によって、観客は「一人の人間」としての少年の生き方に共感し、夢中になって応援してしまうのだろう。そう、この作品が訴えたいことはまさにそこにある。国籍とか民族とか差別とか偏見とかをとっ払って、一人の人間として笑い、怒り、泣き、言いたいことを言い、やりたいことをして、そして人を好きになる…、そういうことが何よりも大切なんじゃないかということだ。在日1世や在日2世の時代には、こういう発想をするのはなかなか難しかったに違いない。どうしても、政治思想やイデオロギーの枠組みの中でしか物事を考えられないからだ。そのへんは、現代を生きる「コリアン・ジャパニーズ」と呼ばれる在日3世など若い世代との、感性の決定的な違いなんだろうなあと思った。

 映画の冒頭画面にも出てきた言葉で、杉原が親友の正一(ジョンイル)から借りた「ロミオとジュリエット」の本の一節に、こんな台詞がある。「名前ってなに? バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」(小田嶋雄志訳)。つまり「あなたはあなた」なのである。杉原の恋人の桜井はそのことに気付いて、半年かかってようやく「何者であろうとなかろうと、杉原が好き」という結論にたどり着くのだろう。これは映画の観客や原作の読者たち「みんな」に向けられたメッセージだ。杉原を演じる窪塚洋介が魅力的な表情で画面を縦横無尽に駆け回り、主人公への共感性をものすごく高めていると思う。桜井役の柴咲コウもハマリ役。杉原の両親を演じた山崎努と大竹しのぶの存在が、この作品の奥行きをさらに広げている。金城一紀原作。行定勲監督。2001年、東映、GO製作委員会。2時間2分。(2001年11月21日)


ご意見・ご感想は ookaminami@yahoo.co.jp へどうぞ

お薦め映画のメニューへ戻る

フロントページへ戻る

[NEW][EVA][トトロ][カレカノ][身辺雑記][セカンド][リンク][作者][BBS]