お薦め映画 FAVORITE MOVIES(2)

 「転校生」1998/2/14

男と女が突然入れ替わってしまった!

尾道を舞台にした切ない純愛物語


 1982年、日本テレビ放送網、ATG(日本アート・シアター・ギルド)。大林宣彦監督(原作・山中恒「おれがあいつで あいつがおれで」、脚本・剣持亘)。

 中学生の男の子・斉藤一夫(尾美としのり)と一夫のクラスに転校して来た女の子・斉藤一美(小林聡美)のお互いの心と体が、ふとしたきっかけでそっくり入れ替わってしまった。そこから巻き起こる騒動の数々を、広島県尾道市を舞台に描く。2人の揺れる心とお互いを思いやる気持ちに、思わず胸がキュンとなる切ない純愛ラブストーリーだ。大林監督の「尾道三部作」と言われている作品の第一作だが、紛れもなくこれがこの監督の最高傑作の映画である。

 瀬戸内の尾道水道の景色が白黒の8ミリフィルムで流れる冒頭シーンが、まず印象的だ。8ミリマニアの斉藤一夫が自分の部屋で映写しているという設定なのだが、この白黒の映像は寺の境内で2人の体が入れ替わるところまで延々と続き、それからおもむろにカラー映像に切り替わる。プロローグから本編スタートへの見事な場面転換になっている。

 ある日、一夫のクラスに一美が転校して来た。名前が一文字違いの2人は幼なじみだった。学校から帰る途中の寺の境内で、一夫がけった空き缶に驚いた一美が石段から落ちそうになる。それを助けようとした一夫は、一美と一緒に高い石段から下まで転げ落ちてしまった。どうやらこれが、2人の体が入れ替わる「原因」となったようだった。目が覚めると、一夫と一美の心と体はそっくり入れ替わっていた。仕方なく2人はお互いの家と家族、友達を取り替えて暮らし始めるのだが、女になった一夫は乱暴な口調と態度になり、男になった一美はなよなよした言葉遣いと仕草でオカマみたいに振る舞ってしまうのだった。

 それよりも何よりも、これまで「あったもの」がなくなり、「なかったもの」があるようになったのだから、2人には戸惑うことばかりだ。だが、新しい環境を受け入れるのが早かったのは、女になった一夫(小林聡美)の方だった。男になった一美(尾美としのり)はなかなか適応できない。しかも、「本当の一夫の家」は、父親の仕事の関係で間もなく横浜に引っ越すことになってしまったのだから、大変なことになってしまった。

 それにしても、男と女が入れ替わってからの小林聡美の演技、表情の生き生きしていることと言ったらもう最高である。元気いっぱいで伸び伸びした小林の持ち味が、いかんなく発揮されているといった感じだ。ものすごく魅力的な表情である。対照的なのが尾美としのりで、めそめそした情けない「ふにゃふにゃの腰抜け男」を徹底的に大げさに演じ切っている。

 当然、「オカマの一夫」は悪友たちのからかい、いじめの対象になる。そこには、一夫が一美といつも一緒にいて、べたべたしていることへの悪友たちの嫉妬心もあるのだが…。心細くて寂しくて仕方がない一美に、女になった一夫は何かと優しい心遣いを見せる。母親の手作りの焼きおにぎりを食べさせてやろうと持って行ってやったり、海に投げ込まれて溺れそうになった一美を助けたり。悪友たちに寄ってたかって「解剖」されて学校を休んでしまった一美のために、悪友をやっつけたりもするのだ。一美(ホンモノの方)が転校前の学校で好きだったヒロシとデートするはめになった一夫(入れ替わって今は一美)は、一美がヒロシに気に入られるようにと考えて、一生懸命におしとやかな一美を演じようとするのだが、結局は乱暴な男らしい態度でデートをぶち壊してしまう。

 最初のうちは「こんなことになったのは一夫に出会ったからだ」などと恨み事を言うばかりだった一美だが、そんな一夫の「本当の優しさ、男らしさ」が次第に分かってくるのだった。でも一夫の家の引っ越しで、もうすぐ2人は遠く別々の町に住むことになる。元の一夫と一美にはもう二度と戻れないのだろうか。言いようのない不安と絶望から「家出する」と言い放って走り去る一美を追いかける一夫。2人は最終便のフェリーに乗り込んで瀬戸内の海を渡る。なかなかドキドキさせられるシーンだ。瀬戸内に沈む夕日が美しい。そこに流れる「G線上のアリア」が切なく胸に迫ってくる。

 無断外泊を終えて尾道に帰って来た2人は、すべての始まりとなったあの寺の境内にいた。神様のいたずらか、あの時と同じ出来事がまた起きた。滑って空き缶をけってしまった一夫に驚いて一美が階段から落ちそうになり、一夫がそれを助けようとして2人一緒にまた石段から転げ落ちてしまったのだ。目が覚めると2人の体は元に戻っていた。泣きながら一夫に抱きつく一美。「私、一夫ちゃん大好き。この世の中のだれよりも一夫ちゃんが好き」「俺だって一美が大好きだ」。一夫の立ち小便を幸せそうな顔で見守る一美。ちょっと恥ずかしいけれども感動的な見せ場である。そして2人は、それぞれの本当の自分の家に帰って行くのだった。画面はそこから再び、冒頭と同じ白黒映像に戻る。

 一夫の家の引っ越し当日がやってきた。去って行くトラックに乗り込んだ一夫に、一美が手を振って走りながら何度も叫ぶ。「さよなら私」。8ミリカメラを回して一美を撮りながら一夫も何度も叫び返す。「さよなら俺」。だんだんと小さくなっていく一美の姿に、再び一夫の言葉がかぶさる。「さよなら俺」…。

 なんて素敵なラストシーンなんだろう。挿入曲として使われているクラシック音楽が効果的だ。さらに忘れてならないのが、上品な一美の家庭と、大らかな一夫の家庭の豪華脇役陣。一美の母親役の入江若葉、父親役の宍戸錠、一夫の母親役の樹木希林、父親役の佐藤允、といったベテラン勢が作品を大いに支えて盛り上げている。(カラー作品、一部モノクロ、112分)

2000/6/30 加筆修正


●「転校生」の音楽について(2001/5/3)

 映画「転校生」で使われている挿入曲はすべてクラシック音楽だが、これが実に見事で印象的な効果を作品に与えている。どれも一度は聞いたことがあると思われるメロディーラインで、だからこそ余計に、これらの音楽は素晴しい映像とともに、観る者の心に深く刻み込まれることになるのだろう。

 これについて、大林宣彦監督は「『転校生』の映画では意識的にクラシック音楽を使っている」と述べている。「転校生」は低予算で作られた映画で、音楽予算は全くなかったのだという。なるほど低予算というのは、作品内容やエンディングで流れるスタッフロールを見ていれば何となく分かるような気がする。安っぽいというのでは決してない。手作りというか、映画や尾道を愛する大勢の人たちの熱意と協力によって作られたことが分かるという意味であり、お金をかけずに「熱い思い」を使っていることが伝わってくるのだ。

 そんなわけで大林監督は、映画「転校生」のためのオリジナル曲を自前で発注するだけの予算がないのならば、いっそのこと全部「選曲」でいこうと、ダビングの時に思い立ったそうだ。いろんな音楽に手を出すときりがないから「家庭名曲全集」のような種類のレコードの、たった1枚の中に収められている名曲を全部使った。基本的にはこの1枚のレコードでまかなったため、音楽予算はわずか数万円。ちなみに「アンダンテ・カンタービレ」だけは、版権の問題があって弦楽四重奏で録り直したという。

 「その中に僕が少年時代に尾道で聴いて好きだった曲は、全部網羅されていた。演奏もアレンジも非常に素敵だったし、これでいこうということにしたんです」「懐かしい音楽を全部入れることによって、映画の日常性を過剰にしようとしたんです」──。大林監督は選曲の意図をそう説明している。映像だけでなく音楽の面でも、大林監督にとって映画「転校生」は尾道を強烈に意識した作品だった。

(参考資料:「A MOVIE・大林宣彦」芳賀書店)


<映画「転校生」の挿入曲>

●「アンダンテ・カンタービレ」チャイコフスキー(演奏:ジョー・クァルテット)●「トロイメライ」シューマン●「天国と地獄 序曲」オッフェンバッハ●「タイスの瞑想曲」マスネー●「G線上のアリア」バッハ●「尾道さんさ」作詞・村田さち子、作曲・寺内タケシ(演奏・寺内タケシとブルージーンズ)


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