身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)

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2018年

3月22日(金曜日) 利き酒3種

 大学の先生と大船で飲んだ。大衆居酒屋と和酒BARと台湾家庭料理店の3軒をはしご。2軒目の和酒BARでは「利き酒3種」として、「飲みやすくすっきりした味わいの日本酒」をリクエスト。お店の人が選んでくれたのは、「田中六五」(福岡県糸島)、「紀土」(和歌山県海南市)、「風の森」(奈良県御所市)の3つ=写真。僕の口には「田中六五」が合ってるように思えた。


3月21日(木曜日) 桜の開花も

 春分の日の横浜の最高気温は21度。横浜や東京都心ではソメイヨシノの開花が確認された。来週末には満開を迎えることになりそう。暖かいのは大歓迎だけど風が強いのが困る。大量に花粉が飛び散るからだ。せっかくの春の陽気と桜の季節到来も、すべて花粉がぶち壊しにするのが恨めしい。


3月20日(水曜日) 有権者の無関心招く安倍政治

 知事選や政令市長選などの統一地方選が始まる。民主主義の基礎となる地方自治。そのかじ取り役を選ぶ大事な「権利行使の機会」のはずだが、沖縄の知事選や県民投票で何度も示された地元有権者の明確な意思を、当然のように無視し愚弄し足蹴にするこの国の政府(安倍政権)の非道な振る舞いを繰り返し見せつけられると、憤りを通り越して諦めと無力感しか残らない。

 こうした権力の横暴が、多くの市民の政治的無関心と無気力と民主主義の疲弊を招く。投票率も下がる一方だけど、それこそが安倍自民党の狙いなのだろう。主権者たる日本国民は馬鹿にされ舐められている。コケにされているのは沖縄県民だけじゃない。


3月19日(火曜日) みっともない、潔くない

 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長が退任の意向を表明。しかしすぐに辞めるわけではなく、任期満了となる6月までは会長を続けるのだという。フランス捜査当局による身柄拘束を恐れて海外出張もできず、国際オリンピック委員会(IOC)からは圧力をかけられながら、あと3カ月も会長職にとどまるとは。もしかしてこのまま6月の退任まで、竹田会長は国際会議を欠席し続けるのだろうか。

 見苦しいし、みっともないし、潔くない。スポーツマンシップからほど遠い。この期に及んで、それでもなお「不正なことはしていない。潔白を証明していく」と言うのなら、定年規定を変更してまで続投する気で満々だったJOC会長をなぜ退くのか。支離滅裂。なんとも中途半端で煮え切らない身の処し方だ。カッコ悪い。


3月18日(月曜日) 予想外の裁判長

 午後から東京地裁。公立小学校教諭の免職処分取り消し訴訟の弁論を傍聴取材。裁判長が原告側の反対準備書面を、しっかり読み込んで質問していたのが予想外でびっくりした。準備書面が提出されてからまだ数日しか経っていないにもかかわらず、あれだけ細かく間違いや疑問点を指摘して、しかも本質を突いた質問を被告側にするなんて、ちゃんと読んでいなければできないと思われるからだ。さらっとなぞって読み流す裁判官が少なくないのに。少なからず見方が変わった。

◇◇

 JOCの竹田恒和会長が退任の意向表明へ。五輪招致を巡る不正疑惑(贈賄容疑)で「潔白との姿勢には変わりない」というのであれば、退任する必要はないのでは。退任するなら真っ黒なのを認めたことになるわけで、だったらカネで不正に招致した東京五輪なんてもう返上するしかないじゃん。

 そもそも東京五輪はさほど盛り上がっていないし、福島原発事故の廃炉作業はにっちもさっちもいかず、収束までにこれから何十年かかるかも分からない状況で、オリンピックどころではないはずなんだけど。


3月15日(金曜日) 実態は「事実上の労働者」

 コンビニの店主(オーナー)は確かに労働組合法の定める労働者には当たらないかもしれないが、経営者としての裁量権はほとんどないし、本部との契約も「奴隷契約」に近いので、実態は「事実上の労働者」と言っていいのではないか。都立高校の校長が東京都教育委員会に支配・管理・統制されて、裁量権がほとんどないのと同じ構図だ。

 実際に現役の都立高校の校長は、自分たちの立場を自嘲的に「われわれはコンビニの店長のような存在だ」と言って揶揄している。都教委は都合のいい時には「校長は学校の最高責任者」と持ち上げて責任を押し付けるが、現実は学校現場の校長に裁量権はほとんど認められていない。都教委事務局の指揮命令下に置かれているからだ。コンビニの店長(店主)も都立高校の校長も、実態は独立した経営者や最高責任者からはほど遠い立場にいる。

コンビニ店主の団交権認めず、「労働者に当たらず」中労委(時事)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000090-jij-bus_all


3月14日(木曜日) マスク

 あまりにも大量の花粉が飛散しているように感じるので、ふだんは滅多に使うことのないマスクを止むを得ず着用した。室外を長い時間歩くと、鼻炎薬を飲んでいても調子が悪くなるのに、マスクを着けたらほとんど問題なく過ごせた。効果てきめん。息を吐くとメガネが曇るし息苦しいし邪魔で鬱陶しいし、本当はできればマスクなんかしたくないのだけど、背に腹は代えられない。外に出ないのが一番いいのだが、そういうわけにもいかないものなあ。


3月13日(水曜日) 論理的に原発は不要だ

 原子力発電はどこからどう考えても経済効率が悪すぎる。企業経営者でありながら、そんなことも分からないほど経団連の中西宏明会長(日立製作所会長)は頭が悪いのか。「原子力エネルギーは遠い将来を含めて必要だ。感情的に反対する人と議論しても意味がない」と主張する中西会長こそ感情的で、非論理的としか言いようがない。

 ひとたび原発事故が起きれば被害は甚大で、大惨事の影響は広域にそして未来にまで果てしなく広がる。しかも炉心が溶融すれば、核燃料の取り出しには気が遠くなるほどの莫大な費用と人手がかかる。通常の原発の廃炉作業でさえ長い年月と巨費が必要になるというのに。そもそも原発を稼働すればするほど、大量に溜まっていく核廃棄物の処理はいったいどうするつもりなのか。これほど経済効率の悪い原発を続けるなんて、論理的に考えてあり得ない。


3月12日(火曜日) なし崩し独裁政権の悪夢

 自民党の二階俊博幹事長が、安倍首相の党総裁4選について「十分あり得る」と言及。権力はどんなものでも長く続くと必ず腐敗し癒着する。そんな歴史・経験・教訓から、あらかじめ「任期」が設定されているのではないのか。それをなし崩しに一度ならず二度までも任期延長を重ねるなんて。これぞ独裁そのもの。しかも安倍首相が「余人をもって代え難い」であるとは、タチの悪い冗談としか思えない。

 ゾンビのように甦った第二次安倍政権の発足以降、まさに悪夢が繰り返し続く。これまでどれほど立憲主義と議会制民主主義と基本的人権を愚弄し無視し破壊し、国政を私物化してきたことか。ほかにまともな人材はいないのか。度し難い安倍自民党。

二階自民幹事長、安倍首相の4選は十分ありうる(NHK)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190312/k10011845071000.html


3月11日(月曜日) 原発問題こそもっと伝えよ

 東日本大震災から8年。NHKをはじめテレビ各局が震災特集を放送するのはいいが、番組の半分以上の時間は原発事故に割くべきだろう。深刻な被害は甚大で影響は計り知れず、今この瞬間も福島原発からは大量の放射線物質が垂れ流され続けているばかりか、収束のめどすら立っていない。そもそも人災である原発事故さえなければ、多くの資金と人手がほかの震災復興に使えたのだから。

 なぜ原発事故が起きたのか、なぜ防げなかったのか、福島原発の現状はどうなっているのか、今後の廃炉までの工程はどうなるのか、故郷を追われた人たちの生活はどうなるのか、東京電力と政府の責任は、東電の被災者への補償はどうなっているのか、ほかの原子力発電所をどうするのか、核廃棄物の処理はどうするのか。そういったことこそ時間をかけて、もっとていねいに繰り返し伝え続けなければならない。それこそが公共放送の責任であるはずだ。


3月10日(日曜日) 有権者を愚弄

 ニヤニヤ、ニタニタ、ヘラヘラ。通常答弁でも、野党議員を揶揄した答弁でも、自身の発言を謝罪撤回する答弁でも、常に不誠実極まりないふざけた態度の横畠裕介・内閣法制局長官。長官辞任はもちろん、信用失墜行為で懲戒免職されるべき事案だ。麻生太郎財務相の態度にそっくりで不愉快極まりない。

◇◇

 大阪維新の政治家はまるでストーカーのようだ。「都構想」なんて住民投票で否決されて、もう何回もダメ出しされているのに、それでもなお自分たちの主張が通るまでしつこく選挙を繰り返す。しかも今度は大阪府知事と大阪市長がそろって辞職し、知事と市長が入れ替わって出馬する前代未聞のダブル選だという。有権者を愚弄し税金を無駄遣いして選挙を繰り返す彼らの「粘着性」は、異常としか言いようがない。これをストーカーと言わずして、ほかになんと表現すればいいのだろう。大阪ダブル選の「ネーミング」を考えるとしたら「維新ストーカー選挙」と命名するしかない。


3月9日(土曜日) 盛岡冷麺

 近所の百貨店で開催中の東北物産展で食べた「ぴょんぴょん舎」の盛岡冷麺=写真。ずっと食べたかった念願の盛岡冷麺を、やっと味わうことができた。値段は少々高いけど、ほどよくコシのある冷麺とさっぱりした酸味のスープが美味しかった。


3月8日(金曜日) 出稿の数で記者を「評価」?

 新聞記者の世界でも、営業マンの売上成績競争のようなことがまかり通っている、と信頼する先輩記者から聞いて一瞬耳を疑った。ある全国紙の総局デスクが、管轄地域内の支局や通信部などのすべての記者を対象に、出稿原稿の数を棒グラフにして一斉メールし、それを「評価」の対象にしていたという。つまり書いた原稿の本数で記者の優劣が決められるというのだ。

 それだと、簡単なお知らせ原稿や行政などの発表原稿をたくさん書いてさえいれば、上司から高く「評価」されることになる。逆に言えば、時間をかけて丹念に事実を掘り起こす取材や潜行取材を続けていると、おのずと出稿本数は減るから「評価」されないことになる。人事異動で次の配属先にも影響する。

 そうなれば、あえて面倒で困難な取材に取り組むのはやめて、記者クラブに居座り、簡単で気楽な原稿をたくさん書いてお茶を濁そうと考える「サラリーマン記者」が増えるかもしれない。そんな理不尽な職場を奨励し、記者として本末転倒の姿勢を部下に求めるデスクがいるなんて信じがたいが、教えてくれた先輩記者によると本当の話だという。

 もちろん、お知らせ原稿を一切書かないとか、発表原稿をないがしろにして、特ダネを狙うだけというのも困る。組織だからバランスが大事なのは言うまでもないが、記者は営業マンや広報マンではない。隠れている事実を掘り起こし、特ダネを拾って問題提起して批判し、権力を監視することこそ最も重要な記者の職務のはずだ。原稿の本数だけ過度に重視されて、原稿の内容や取材姿勢が軽んじられるようでは士気は下がるばかりだろう。記者の仕事は営業マンの売上成績競争とは相容れない。医師や教師の世界にも通じることだと思う。

 まあ、この話が特定デスクだけの度し難い発想で終わって、ほかの職場に波及するようなことがなければいいのだけど。それにしても、記者の風上にも置けないとんでもないデスクがいたものだ。言葉を失う。


3月7日(木曜日) 超富裕層の離れ業

 保釈された日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告の「変装」について、弘中惇一郎弁護士「ふんぞり返って高級車に乗り込むより、一労働者のような格好でよかったかも」(報ステ)。ただの一介の労働者がこれだけの敏腕刑事弁護士を何人も雇って、10億円もの保釈金を用意するなんて、そんなことできるわけないじゃん。いったいどれだけ莫大な資産があるのやら。「人質司法」に風穴をあけたのも、超富裕層のゴーン被告だからこそできた離れ業。


3月6日(水曜日) 花粉症ピーク

 きのう花粉を大量に吸い込んだからなのか、鼻が詰まって熟睡できないし、目はショボショボして痒いし、くしゃみも頻発する。規定の用量の鼻炎薬を飲んでいるのに効き目が弱い。しかも寝不足と薬の影響で眠くてたまらん。ほとんど何もする気が起きない。最悪だ。花粉症のピークが一刻も早く過ぎ去ってくれるのを、ただひたすら願うばかりだ。


3月5日(火曜日) ここぞという時に

 きのう3月4日付「身辺雑記」の続き。学校現場に「日の丸・君が代」を強制した東京都教育委員会の「10・23通達」を巡る裁判で、思想・良心の自由を侵害するとして、2006年9月に画期的な違憲判決を言い渡した東京地裁の難波孝一裁判長。憲法と良心に従って裁判官の務めをしっかり果たした、この「難波判決」について、定年退官したある元裁判官が「自分はこういう生き方ができなかった。じっとこらえて、ここぞという時に裁判官の権限を行使したのだろう。感服した」と語っていたのを思い出す。

 場外乱闘もいいけど、しかし裁判官としての本来の戦う場所、あるべき裁判官の姿勢を示して職務を果たす舞台は、法廷にこそあるはずだ。裁判の審理と判決の言い渡しでこそ、その絶大な権限を十分に行使して、憲法の番人としての威力を発揮してもらいたいと切望する。

◇◇

 電車内で「クシュン」とくしゃみをしたら、2人おいて隣に座っていた女性が「クシュン」、さらに一つ向こう側の座席からも「クシュン」と次々にくしゃみが聞こえてきた。くしゃみも連鎖するのだろうか。「おお、お前も花粉症か」という謎の安心感とともに、なぜか不思議な連帯感が車内に広がっていった。そんなわけで、花粉症のピークとなった今日は花粉が大量に飛散。いやマジでまいりました(涙)。


3月4日(月曜日) 「主戦場」はそこじゃない

 東京高裁のツイート裁判官も東京新聞の記者も、戦う場所・舞台・土俵を間違えている(勘違いしている)という点で同じだと思う。ツイートで挑発したり、首相官邸の官房長官会見でしつこく食い下がったりしても別に構わないとは思うが、でも「本当にそこがあなたの『主戦場』なのですか」ということは問うておきたい。

 「ツイートを理由に処分されるのは表現の自由の侵害」との「ツイート裁判官」の主張は、一般論としてはその通りで正しい。国会の訴追委員会から本人が意見を聴かれ、訴追されて弾劾裁判で罷免されるほどの事案だとは思わないし、個人としてツイートして発信するのは自由だと思う。

 だが、受け取る側は必ずしも一般市民の個人的発信だとは受け止めない。ツイートしている本人が裁判官であるのは自明であり、ツイートされた内容は裁判官の発信だと理解する。安倍首相や麻生財務相の言動がすべて注視され、個人的言動と受け取られることがないのと同じだ。憲法で身分が保障されている裁判官は、法廷の場で絶大な権力を行使する立場にある。影響力がある公人の言動は、それだけに十二分な慎重さと配慮が求められる。

 だからと言って、罷免されるような事案だとは思わないのは先に述べた通りだが、ツイート裁判官に全面的に共感できるような事案でもない。本人はツイートで最高裁や国家や社会を挑発しているつもりなのかもしれないが、しかし本来の戦う場所・舞台・土俵はそこではないはず。本業の裁判(判決)でこそ、裁判官としての威力を十分に発揮すべきではないのか。裁判官にはそれだけの絶大な権限が与えられているのだから。憲法と法律と良心に基づいた判決をここぞという時にしっかりと言い渡すことこそが、その職(立場)にいる者の最大の務めのはずだ。

 首相官邸の記者会見で簡潔な質問ができず、長々と持論を展開し続ける東京新聞の記者も同じだ。記者会見で質問するのは記者として当然の行為だし、質問を制限・制約されたり、回答を拒まれたり排除されたりすることは断じて許されることでないのは言うまでもない2月21日付「身辺雑記」の「記者の後ろには」参照)が、記者の「主戦場」は記者会見の場なんかではないはずだ。

 記者会見とは相手を糾弾したり吊るし上げたりする場ではなく、相手に語らせて多くの言質を引き出すことにこそ意味がある。そもそも記者の本務は記者会見場の外にこそある。会見場の外で取材して多くの事実を積み重ねて伝えて問題提起すること、それこそが記者の果たすべき役割だろう。何回も言うが、記者会見は「主戦場」ではない。記者会見が最大の活躍の場だと考えているとすれば、それは大いなる勘違いである。

【関連記事】2019年3月5日付「身辺雑記」(「ここぞという時に」)


3月1日(金曜日) 新元号

 「新元号の発表まで1カ月」としてメディア(NHKを筆頭に)は新元号を予想し、「平成」と決まるまでの過程や秘密保持の経緯などを、さも一大事のように取り上げている。しかしそこには、昔と比べて最近は元号が使われなくなっていることや、西暦換算などが煩雑で不便なことや、そもそも元号は必要なのかといった観点がほとんどない。

 公的文書に元号記載を強要される是非などに触れることもなく、元号が市民生活の中心に存在しているかのような前提での伝え方は疑問だ。お上から「ありがたいもの」をいただくのだと言わんばかりの伝え方には、なおさら違和感がある。

 「時代の区切りの一つ」として元号を決めること自体を否定するつもりはない。だが、時の権力者が密室で一方的に決めたものを、下々の者に対して大仰に指し示し、時間を支配する象徴として「これを使え」と命じるかのような雰囲気には、どうしても不快感と気持ち悪さが募る。


2月28日(木曜日) 真っ昼間から

 大学の先生に誘われて、新丸子の有名な大衆食堂へ。超人気店なので午後2時過ぎに出かけた。雨も降っているから余裕で入れるだろうと予想するも、まさかの臨時休業の張り紙が。マジか。仕方なく路線変更して、午後3時からやっている大船の大衆居酒屋へ向かう。真っ昼間から午後7時過ぎまで4時間ほど飲み食いした。


2月27日(水曜日) 目の痒みも

 花粉症がいよいよ本格化し始めた模様。昨日あたりから目の痒みの症状が現れてきた。さらに夜になると鼻詰まりの症状も出て、布団に入っても安眠できない。鼻炎薬の分量を増やして(つまりは本来の用量を服用して)対抗するしかなさそうだ(涙)。


2月25日(月曜日) 何を伝えるか伝えないか

 「辺野古の埋め立て反対7割超」「知事選の得票を上回る」という民主主義の根幹に関わる沖縄県民投票のニュースを、1面トップで大きく伝える朝日、毎日、東京の3紙に対し、1面の中段で地味にこじんまりと目立たないように伝える読売新聞。読者(主権者である国民)に伝えるべきものは何なのか、判断材料として何を伝えるべきなのかは明確なのに(いずれも東京本社最終版)。

 そしてNHKは「沖縄県民投票『反対』が有権者の4分の1超」「沖縄辺野古沖埋め立て、県民投票『反対』有権者の4分の1超」などと伝えている。ニュース原稿もテロップも「有権者の4分の1超」の表現で一貫していて、辺野古の埋め立て反対が有効投票数の7割を超えたこと、知事選での玉城知事の得票を大きく上回ったことには、一言も触れようとしない。

 あまりにも異様なNHKニュース。あまりにも不自然で不公正で意図的だ。確かに事実そのものは間違ってはいないかもしれないけど、ニュースの本質や背景や意味を正確に誠実に伝えているとは思えない。25日の夜のニュースで申し訳程度に「7割」という数字をちらっと流したが、辺野古移設反対の意思表示(とその広がり)をでき得る限り矮小化したい、隠蔽したい、と思わせる伝え方にしか見えない。

 何を伝えるか、伝えないか。どのニュースを大きく扱うか、大きく扱わないか。ニュースをどのように伝えるのか。それによってジャーナリズムとしての姿勢は明確になる。だれのために何を伝えているのか。権力者のための広報・宣伝なのか、それとも権力者を監視し、主権者に判断材料を提供する報道なのか。わざわざお金を払って読む(視聴する)に値する紙面や番組か否か、は明らかだ。


2月24日(日曜日) 政治家の言葉と心

 天皇陛下御在位30年記念式典。日本国憲法や沖縄と天皇との関係に触れ、語り口にも心がこもっていた(ように聞こえた)大島理森衆院議長の祝辞。一方、いつものように型通りで無味乾燥な言葉を連ねて、早口で原稿を棒読みするだけの安倍晋三首相。もちろん憲法にも沖縄にも触れることなどあるはずもない。両者の違いは際立っていた。

 大島衆院議長の演説はいつもうまいなあと思う。政治家は言葉が大事、言葉が命だと言われるが、言葉からは心が透けて見える。安倍首相(の言葉)には決定的に心が欠如している。絶望的なまでに品格も教養も理念も見えてこない。今さら言うまでもないことだけど。

 そして、「象徴としての天皇像を模索してきた」天皇陛下の挨拶をぶち壊し、台無しにした安倍晋三の「天皇陛下、万歳」の発声と万歳三唱。呆れて絶句するしかない。その心中やいかに。

◇◇

 沖縄県民投票で、名護市辺野古の埋め立てに反対する票が7割を超えた。昨年9月の沖縄知事選で玉城デニー知事が獲得した最多得票を、今回の反対票が大きく上回ったのがポイントだ。米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設をめぐって、辺野古の埋め立てを拒む沖縄の民意がさらに大きく広がったことになる。

 「沖縄に寄り添う」などと心にもない口先だけの言葉を垂れ流しながら、圧倒的多数の沖縄県民の声に全く耳を貸そうとせず、民意をずっと踏みにじってきた安倍政権。明確な反対の声を突き付けられてもなお、「辺野古の埋め立てしか選択肢はない」と強弁し、沖縄を再び「捨て石」にするつもりなのか。それとも反省して考えを変えるのか。改めて姿勢が問われる。


2月22日(金曜日) 蛍光灯を交換

 リビングの蛍光灯がとうとうダメになった。点灯してから30分ほどすると勝手に消える。蛍光管が黒ずんでいるし、そのうち点いたり消えたりし始めるのも時間の問題だろう。というわけで、ついでに寝室の怪しくなりつつある蛍光灯も交換することにして、家電量販店で新しい蛍光灯を2セット購入。ああ、またもや余計な出費が……。


2月21日(木曜日) 記者の後ろには

 首相官邸による記者の質問制限問題について、東京新聞が2月20日付の紙面で検証記事を掲載した。この中で東京新聞は官邸側とのやりとりを紹介。東京新聞側が「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」と主張すると、官邸側からは「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員。貴社は民間企業であり、会見に出る記者は貴社内の人事で定められている」との反論があった、と伝えた。権力者の驚くべき勘違いと無知蒙昧に心底呆れて、言葉を失う。

 記者の後ろには多くの読者や視聴者がいる。記者の取材活動は、記者個人の興味本位や自己満足で行っているのではなく、主権者たる国民の「知る権利」に応えて奉仕するためのものだ。そうした取材の成果は、主権者が権利を行使する際の重要な判断材料となる。だからこそ記者は「国民の代表」として質問し取材する。

 権力が腐敗していないか、憲法と法律に基づいて権力を行使しているか、税金は適切に納税者のために使われているか、権力による人権侵害などの暴走はないか。常に権力を監視して、主権者たる国民に知らせるのが記者の最も重要な仕事だと言っていい。民主主義の根幹を支えるジャーナリズムには公益性がある。

 まともな政治家(権力者)は、記者の仕事とジャーナリズムの果たす役割を認識している。自分たち政治家は監視される側で、記者は権力を監視し伝える側であること、記者の後ろには多くの読者や視聴者がいることも理解している。公益性のあるメディアを「民間企業」「私企業」などと切り捨てるなんてあり得ない。まともな政治家なら、そんな乱暴な言動は恥ずかしくてしない。

 ところが安倍政権の面々は違う。権力者は監視される立場にあり、主権者たる国民に説明責任を果たさなければならないという自覚がどこにもない。傲慢不遜というだけではない。常識が通じないのだ。そもそも安倍政権には、教養や知識が決定的に欠如していることが改めて明確になった。自民党政権だけでなく歴代政権の中でも最低最悪。度し難い非常識さ。こんなひどい政権はいまだかつて見たことも聞いたこともない。まさに「悪夢の政権」である。

【関連記事】2019年3月4日付「身辺雑記」(「『主戦場』はそこじゃない」)


2月20日(水曜日) 暖かいのはうれしいけど

 横浜の最高気温は19度。厳しい寒さが一転し、少しずつ春が近づきつつある。それだけに花粉の飛散量もじわじわと、しかし着実に増えつつあるのを実感する。マジで勘弁してほしいなあ。暖かいのはうれしいけど。


2月19日(火曜日) そろそろ花粉症が

 そろそろ花粉症の症状が現れ始めた。鼻がムズムズしてくしゃみを連発。今のところ目はまだ大丈夫だけど、そのうち目も痒くなってくるはずだ。鼻炎薬は現在1日おきに、容量の半分の1カプセルを飲む程度。できることなら薬は飲まずに済ませたい。頭がぼーっとして眠くなるので、服用せずに済むのであれば、それに超したことはない。でもそうも言っていられなくなるのだろうな。憂鬱な季節の到来だ。


2月18日(月曜日) もったいない

 今年度の後期講義には、追試験の受験申し込みがなかった。意外だった。レポートもリアクションペーパー(授業の際に毎回集める応答用紙)もきちんと提出し、いずれの内容も悪くなかったのに、なぜか定期試験を受けなかった学生がいたからだ。風邪かインフルエンザで体調を崩したのかなと想像していたのだけど、普通に受験さえしていれば(あるいは追試を受ければ)、少なくとも単位が不認定になることはたぶんないはず。それだけにもったいないなあと思う。


2月15日(金曜日) 寝転がってテレビを

 寝転がってテレビを見るために、ソファーベッドを買おうと家具雑貨量販店に出かけた。だけどよく考えると、小型でもそんなものを置くほどうちのリビングは広くないよなあ。それじゃあビーズソファ(ビーズクッション)だったら大丈夫かなと思案するも、それだと今度は小さすぎる。座り心地も大して良くないので役に立たなさそうだ。そんなわけで折り畳めるマットに決めた。軽くて小さいのでそのまま持ち帰れるし、何より値段が安いのがよかった。ロングシートクッション(長座布団)よりも、ごろ寝をするには快適かも。


2月14日(木曜日) うんこはトイレに

 居間に置かれたでっかいうんこを寝室に移動させたら、それで問題解決になるわけがない。トイレに運んで流さなければ問題は終わらない。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の問題も同じことだ。名護市辺野古の美しい海を埋め立てて飛行場を新設するのではなく、そもそも沖縄県外に米軍基地を移さなければ解決にはならない。国外か、せめて本土に移すのが筋というものだろう。沖縄県民投票が告示されたが、辺野古埋め立ての賛否を問われて「どちらでもない」なんて選択はあり得ない。

 「辺野古の住民には申し訳ないが、一日も早く普天間基地を除去してほしい」(NHKニュース)という宜野湾市民の反応もひどすぎる。これこそが、まさに安倍政権が目論む「沖縄県民の分断」そのものではないか。あまりにも残酷な現実に悲しくなる。安倍政治の無惨で無慈悲で非道な沖縄への仕打ち。これが「美しい国」とやらの姿なのか。


2月13日(水曜日) 飲み会

 大学の先生と午後4時から大船の大衆居酒屋へ。答案採点と成績評価とシラバス執筆が終わったということで軽く打ち上げ。サクサクの衣とふっくら熱々のアジフライやエビチリが絶品だ。ビールや焼酎のお湯割りに合う。1時間半ほど舌鼓を打ってから、すぐ近くの洒落た感じの和酒バーへ移動。こちらの店は手作り3種のお通しが文句なしの味わい。脂がたっぷり乗った肉厚のヒラメの刺身やサバの炙りなど、魚料理がどれもとても美味しい。日本酒にすごく合う。5時間ほど歓談した。


2月12日(火曜日) 安倍政権こそ悪夢

 安倍政権が6年間も続いている悪夢……。権力を私物化し、公文書を改竄し隠蔽し廃棄し、公の場で平然と嘘をついてごまかし、はぐらかし、開き直って恫喝し、憲法を蹂躙して、民主主義と議会政治と積み重ねてきたこの国の外交もすべて破壊し尽くす。そんな前代未聞の異常で異様な安倍政権が6年間も続いている、それこそが悪夢だ……。

 「(12年前の亥年に)悪夢のような民主党政権が誕生した」と自民党大会で声を張り上げる安倍首相に驚き呆れ、安倍首相こそが最大の悪夢じゃん、と悲嘆するこの国の納税者(主権者)は少なくないはずだ。


2月11日(月曜日) 成績評価

 成績評価(単位認定)の作業が完了した。できることならばなるべく「不可」にはしたくないと思う。しかし、定期試験の答案は一定の水準に達していないばかりか、レポートも提出せず、さらに平常点(毎回の授業の際に回収する応答用紙の記述内容)も基準以下のレベルだと、フォローのしようがない。

 なんとか切り上げ可能なケースは「C評価(可)」に底上げして救済したけど、それにも限界がある。加点する材料がなければさすがに無理だ。「レポートさえ出していたら救済できたのに」「せめて応答用紙をきちんと書いていれば」という学生が何人かいたのは残念だった。毎年とても悩まされる。文句なしに優秀な学生や逆に完全に論外の学生だったら、全く何も迷わないんだけど。


2月9日(土曜日) 定期試験の採点終了

 定期試験の採点がすべて終わった。試験問題は一問で論述式。ポイントとなるキーワードが答案の中できちんと触れられているか、問われている論点に過不足なく言及しているか、論理的に分かりやすく説明し論じているか、といったところが評価の要点になる。

 普通に講義を聴いてさえいればさほど難しい問題ではないのだが、逆に言えばちゃんと聴いていないとうまく答えられないかもしれない。まあ、それはほかの講義でも同じことで、当たり前の話だとは思うけど。さて、あとは履修者名簿に採点結果を転記して、レポートとリアクションペーパー(毎回の授業の際に回収する応答用紙)の評価を加味し、成績評価(単位認定)をする作業が残る。慎重にしなければ。


2月8日(金曜日) やはり商売は人柄

 駅近くのコンビニに、今月末で閉店するとの張り紙が出ていた。アルバイト学生の接客はいずれも何も問題なかったが、中年男性の店長がものすごく感じが悪かったので、ああやっぱりと思った。当然の結果のような気がする。開店して2年ほどの間、ずっと客が少なかった。さもありなん。どんな商売でも、成否を左右するのは人柄なんだな。


2月7日(木曜日) 大人なのに

 「大人」として子どもに対応し接することができない、そんな大人がいるんだなあ、学校でも家庭でも。噛んで含めるように分かりやすく、繰り返し説明すればいいだけなのに。子どもと同じレベルで怒ったり威嚇したり無視したりして突き放すのと、子どもの目線で向き合って寄り添うのとは全く違う。自分は大人で、相手は子どもなのだから。

 大人であり教育のプロのはずなのに、どうしてそういう基本的なことが分からないのだろう。取材を通して最近、つくづくそう感じたことがある。子どもみたいな大人が増えているのかもしれない。そう言えば政権トップに居座っているのも、そんな人たちばかりでしたね。


2月6日(水曜日) ポイントカードまた増えた

 またポイントカードが1枚増えてしまった。久しぶりに東京・神保町の東京堂書店で本を買ったら「ポイントカードを作りますか」と勧められた。Tポイントカードと違って東京堂の専用カードなので、裁判所の令状なしに捜査機関に個人情報を提供することなどまずあり得ないだろうから、カードを作ってもらうのは全く問題ないのだが、カードフォルダーがさらにかさばるのが困る。あっちこっちでカードを勧められるので増える一方だ。

◇◇

 午後から都内で弁護士を取材。夕方から教育関係の訴訟の弁護団会議に顔を出す。延々と3時間も続いたので疲労困憊。でも帰りの電車はかなり空いていて助かった。通常なら超満員のはずなのに空いていたのは、もしかしてインフルエンザが原因なのでは。感染して自宅で寝込んでいる人が多いからではないかと推測しているのだけど。


2月5日(火曜日) 自動翻訳

 日本語版のシラバスをすべて書き終えて、英語版はとりあえず自動翻訳にかけてみた。大学側は自動翻訳でもいいと言うのだけど、この自動翻訳がなかなか曲者で信用ならない。英語が得意とは言えない僕がざっと見ただけでも、原文と全然違う意味に訳されていると思える個所が結構あるからだ。手直しできるところはそれなりに修正してみるけど、なんだかなあ。


2月4日(月曜日) シラバス執筆

 昨日から大学のシラバスを執筆している。今年(来年度の授業)から、日本語のほかに英語でもシラバスを書かなければならない。さらに執筆項目も増えたので、これまでと比べて格段に負担が重くなった。文部科学省の通達によるものらしいが、現場を知らない教育行政の役人がまったく余計なことばかり押し付けてくる。しかもシラバス入力のシステムも大幅に変更されて、煩雑になったので四苦八苦だ。試験の採点と成績評価もあるし、取材だってあるのに。参ったなあ。

 無駄で無意味な仕事を増やして教員を疲弊させて、授業や教材研究や児童・生徒・学生との対話といった、本来やるべき仕事の時間が奪われている残念な状況は、小学校・中学校・高校のすべてに共通する。これまで比較的自由だった大学にもその波が、いよいよ押し寄せつつあるということだろうなとつくづく思う。


2月1日(金曜日) 事なかれ主義の怠慢がすべて

 千葉県野田市で小学4年女児が父親に虐待されて死亡した事件では、学校のアンケートに書いた内容を父親に見せた市教委のいい加減で、その場しのぎで、事なかれ主義の犯罪的対応が問題視されている。「配慮が足りない」といった言葉ではとても納得などできない。「ひみつをまもる」はずの大人たちに秘密を暴露され、裏切られたと悟った小4女児の絶望感は想像に余りある。

 致命的な無責任さであり背信行為だが、同じことは問題を把握しながら一度も家庭訪問しなかったという柏児童相談所と、転校先の学校にも言える。

 「児童相談所の職員はみんな一生懸命やっている」「圧倒的に人手が足りない」とよく言われる。確かに人手不足なのは全くその通りだと思うし、限られた人数で一生懸命に取り組んでいる児相の職員は大勢いるだろう。しかしおざなりで事なかれ主義の対応をしている職員も実際には少なからず存在する。そこから目を背けてはいけない。現に今回の対応は無責任さ極まりない大失態であり、不作為そのものの職務怠慢ではないか。

 今回だけではない。昨年3月に東京都目黒区で虐待死した5歳女児も、香川県から転居した目黒区で悲惨な結末を迎えることになった。同じように大人の怠慢で救える命が救えなかった事件が、これまでにいったいどれだけあったことか。

 転居先との連携、関係機関の連携、横のつながり、職員や教職員同士の意思疎通をしっかりするのはもちろんだが、児童相談所と教育委員会事務局と学校がまず認識すべきなのは、「自分たちは子どもの命を預かっている」「虐待死させられるかもしれない命を救えるのは自分たちしかいない」という自覚と職業意識である。理不尽な親に毅然と対応するのは当然の話だ。そうした覚悟がなく事なかれ主義の対応をするような職員は、今の仕事を続ける資格はない。即刻退職すべきだ。

 厚生労働省や総務省など霞が関でまかり通っているデタラメな統計調査や、公文書のふざけた取り扱いや隠蔽もまったく同じだ。公僕としての自覚と職業意識と矜持と倫理観の欠如が、すべての根本的原因であると言っていい。


1月31日(木曜日) 授業少しは役に立ったかな

 後期の講義に対する学生の意見や感想の中で、最も印象深かった言葉の一つ。「今まで自分はネットの情報に感化されて、リベラルな意見や考えに耳を傾けようとしていませんでした。しかしこの授業を受講したことで、新たな視点で物事を見られるようにわずかですがなれたと思っています。理由もなくメディアを毛嫌いしていましたが、その重要性に気がつくことができました」──。ほかにも心に残る感想はたくさんあったけど、僕の授業が意識改革や視野を広げることに少しでも役立てたのならうれしい。


1月30日(水曜日) 試験の補助監督

 後期の定期試験。履修登録(受講生)が100人を超えると、試験の補助監督としてアルバイトの大学院生が1人あるいは2人配当される。きょうの補助監督の院生は優秀で、こちらが指示する前からテキパキと働いてくれる。安心して任せることができてとても助かった。

 補助監督には当たりとハズレがあって、ハズレだと遅刻して来るし、指示されないと動かず、指示されても動かない、要領も悪いときて、役に立たないばかりか不快指数だけが上昇することになる。ほかの先生たちの話だと、注意すると逆ギレする最悪のケースもあるらしい。幸いなことに、僕はそこまで酷い経験はないけど。

◇◇

 安倍首相が衆院本会議で答弁した「今なお自衛隊に対する言われなき批判や反対運動」とやらがあってもなくても、自衛隊の存在を憲法にわざわざ明記する理由にはならない。憲法に明記する必要性とは何の関係もない。憲法に明記してもしなくても自衛隊に対する批判はあるだろうし、批判は当然あっていい。この国では思想良心の自由、表現の自由が保障されているのだから。

 それとも安倍首相は「自衛隊の存在を憲法に明記」したらその時点から、自衛隊に対する一切の批判は許さないとでも言うつもりなのだろうか。安倍首相のことだから、そういうことも目論んでいそうだけど。だとすれば思想統制された戦前の日本に逆戻りする、時代錯誤の危険な発想としか思えない。

 そもそも自衛隊法があってきちんと機能しているのだから、わざわざ自衛隊の存在を憲法に明記する必要はない。自衛隊に対する批判があることが、自衛隊の存在を憲法に明記する理由には全くならない。

 「自衛隊の存在を憲法上、明確に位置づけることが必要」「命を賭して任務を遂行する隊員諸君の正当性を明文化し明確化する」と言うのなら、警察官も消防署員も海上保安官もみんな憲法に明記するのか。何のために。だれのために。憲法は国の理想を描くものではなく、国家権力の暴走を制約し縛るための最高法規ですよ。


1月29日(火曜日) 橋本治さん死去

 作家の橋本治さんが死去。70歳。学生時代、橋本治さんのご自宅にお邪魔して取材させていただいたことがある。大学生の僕にも気さくに応対してくださって、淡々とした語り口で理路整然と話されていたのを思い出す。ご冥福をお祈りします。「背中のいちょうが泣いている」

「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが…」(毎日=共同)

https://mainichi.jp/articles/20190129/k00/00m/040/153000c

◇◇

 長年続けてきた国の統計調査自体がデタラメで、それを検証するために第三者に委ねたはずのヒアリングが、これまた身内のお手盛り隠蔽調査。さらにそこを追及されても虚偽説明だらけ。すぐにバレるような稚拙な嘘で塗り固めたデタラメ国家ニッポン。あの公文書もこの調査もすべてデタラメで嘘ばかり。平然と捏造し改竄し躊躇なく廃棄までする。

 そもそも政権トップの安倍首相その人が大嘘つきだもんなあ。官僚も政治家も右にならえ。安倍自民党の政治家は、よくもまあ恥ずかしげもなく「道徳」なんて言葉を口にするもんだ。しかもそれを教育現場に押し付けてくる。あいた口がふさがらない。「美しい国」とやらが聞いてあきれる。


1月28日(月曜日) 論外のドラマ

 日テレのドラマ「イノセンス/冤罪弁護士」。あえてこれまで触れていませんでしたが、とりあえず第1話は見ました。第2話の冒頭10分を見て、もう限界だと感じてチャンネルを変えました。

 事件そのものは今村核弁護士の担当案件をなぞっていましたが、女性弁護士の言動があまりにも馬鹿すぎてイライラするし、さらに刑事弁護士に対する所属法律事務所の扱い(対応)が酷すぎる。まるで今村弁護士の所属事務所を愚弄するかのような描き方が不快です。今村弁護士ご本人も違和感を覚えておられるようですが。

 第1話の冒頭に実在の現役弁護士が登場してコメントするシーンも、フィクションとノンフィクションを混同させる手法で、ものすごく気持ち悪さを感じました。いくらフィクションのエンタメ作品とはいえ、ちょっと論外のドラマだと思いました。

※(ツイッターのフォワーさんからいただいたメッセージに対する返信ツイートに、加筆修正)


1月27日(日曜日) そこまで大ニュースなの?

 「ジャニーズのアイドルグループ『嵐』が2020年末に活動休止」って、ニュース番組の途中でわざわざ速報のテロップを流したり、定時ニュースのトップ項目で扱ったりするような話なのか。もちろん話題性はあるのだろうから、伝えること自体は全く何も悪くないと思うが、その大仰な伝え方には違和感が拭えない。


1月26日(土曜日) 手に汗握る大激戦

 文字通りハラハラ、ドキドキしながら全豪オープンテニスの中継放送を見ていたが、大坂なおみが全米に続いて優勝できて本当によかった。ブレークされたりミスが続いたり逆転されたり、そうして心が折れそうになっても見事に立ち直っての勝利。見てる方も心臓に悪いよね。でも手に汗握るいい試合だった。おめでとう。

 表彰式でのスピーチは、挨拶には不慣れで不得意な大坂なおみに比べて、ベテランで苦労人のペトラ・クビトバの圧勝だったのがご愛敬。それもまたよし。ボランティアの子どもたち(球拾いのボールギッズ)への感謝もしっかり示していたし。迫力の大激戦を繰り広げた両選手に拍手。


1月25日(金曜日) 「民意を明確にさせない」県民投票

 米軍普天間飛行場の辺野古移設の賛否を問う県民投票について、選択肢を「賛成」「反対」の2択から、「どちらでもない」を加えた3択にすることで沖縄県議会の与野党が合意したという。県民投票実施を拒んでいる5市への配慮だとのことだが、とんでもないゴリ押し・詭弁・強弁・茶番に付き合わされることになったものだ。

 AかBかを選んで判断するための投票に、わざわざCを選択させる意味が分からない。移設の賛否をズバリ問うための県民投票なのに、選択肢を増やすことで焦点は確実にぼやける。それが保守系議員や市長の狙いなのだろう。世論調査の回答項目によって数字が変動するのと同じだ。

 「どちらでもない」という選択肢だけでなく、「どうでもいい」とか「関心がない」とか「分からない」といった選択肢も加えれば満足なのか。そうすれば安倍政権にとって、さらに都合のいい結果が得られると彼らが考えているのは間違いない。主権者の意思を明確にさせない県民投票。なんと滑稽なことか。

 「2択ではダメだ。民意が反映されない」という主張はまさに難癖そのもの。県民投票実施に対する不当で悪質な言いがかり(妨害行為)としか思えないのだが、それでもこうした嫌がらせをはねのけて、沖縄県民には毅然と粛々と民意を示してほしいと願う。少なくとも「どちらでもない」などという選択はあり得ないと思う。


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