身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


1999年11月1日〜11月30日

●深夜急行バスに初めて乗る●綱渡り再びスタート●関西へ出張取材●同時並行●最大の山場は乗り越える●削られた部分が少し復活●フリーランスの可能性♪●「祝ってはいけない」●「身辺雑記」の方向は…?●「葬られた作文」和解が成立●「身辺雑記」の今後について●「記者のお友達」について●編集者の苦悩?●取材経費の計算●「取材される側」について●冤罪事件●「私は立たない」●「日独裁判官物語」を見る●HPを小幅改造●灰谷健次郎をナマで見る●天ぷら屋で職人の極意に接する●取材予定を入れすぎた●まだまだあるぞ警察の犯罪●適度な忙しさが好き?●NHKの受信料は払いません●「隼までとどけ…」を読む●「ファーストインパクト」を公開●憲法順守は公務員の義務でしょ?●●●ほか


11月1日(月曜日) 深夜急行バスに初めて乗る

 基本的に元号は使わないのだが、きょうは平成11年11月1日。京急上大岡駅で記念の硬券入場券を売っていた。絵はがき付きで、1が5つ並んできれいなので1枚買う。ああ、ミーハーだなあ。

 夕方から、東京・四谷の出版社で「月刊司法改革」の編集会議。延々5時間近くも続く。終わってから、近くの中華料理屋でうまい中華のコースを食べさせてもらったのはいいけど、疲れた〜。午前零時半を過ぎて、山手線の品川止まりの終電に乗る。もう横浜までの電車はない。品川でカプセルホテルにでも泊まるしかないかなーとぼんやり考えていたら、なんと品川にはシティーホテルしかないのだった…。う〜ん…。しまった…。京浜東北線の蒲田止まりの終電に乗ればよかった、あそこならカプセルホテルでもサウナでも何でもあったのに、などと思っても後の祭り。すると、首都高速とベイブリッジを通って上大岡を経由し、金沢文庫まで行く深夜急行バスを発見する。おおっ。ものすごく料金が高いけど、これに乗ることにした。車内はサラリーマンの男性ばかりが十数人。みんな死んだように眠りこけている。僕も寝ようかなあと思うものの、深夜急行バスに乗るのは初めての体験なもんで、ついついベイブリッジからの夜景なんかに見とれてしまう(笑)。大黒埠頭のらせん状の道路を上って行くと、右手に横浜湾岸の高層ビル群が浮かび上がってくる。深夜の首都高速は車がほとんど走っていない。うとうとしつつも何となく車窓の風景が気になって眠れないのだった。午前1時過ぎに品川駅前を出発して、午前2時に上大岡に到着する。駅前からうだうだ歩いて午前2時半に帰宅。ん〜、眠い。


11月2日(火曜日) 綱渡り再びスタート

 銀行に預けっ放しにしている定期預金の金利があまりにも低いので、取り引き銀行で預け替えの相談をする。すると担当者は、抵当証券や外貨預金といった金利は高いけれども、リスクが高い金融商品をいくつも紹介してくるのだった。おいおい、それってどれも危険だという説明を取材先で受けたものばかりじゃないか。適当に相槌を打ちながら、定期の期間を延ばすだけの安全策で逃げておこうと心の中で決める。

 横浜市内で情報公開に取り組んでいる弁護士さんを取材。市民運動と司法について簡単なレクチャーを受ける。とても参考になる要領を得た説明だった。取材すべき人々を何人か紹介していただく。関内でかなり遅い昼食。インド料理を食べて本屋に寄ってから、東京・四谷の出版社まで取材資料を借りに行く。ケーキとお茶をご馳走になってちょっと一休み。その足で、東京・水道橋の「週刊金曜日」の編集部へ。甲山(かぶとやま)事件報道の検証特集をやるから手伝ってほしいと急に依頼されたのだ。来週号の「週刊金曜日」の特集の中の2ページほどを担当することになったのだが、夕方から延々と4時間もアポ取りの電話をかけまくる。その甲斐あって、会って取材に応じてくれるキーマンになりそうな人を何人か確保することができた。そんなわけで、あすから3日間ほど関西へ出張取材に行く。う〜ん、それにしても困った…。このほかにも、取材と原稿執筆がいくつも重なっているのだ。締め切りも見事に3つも重なっていたりする。いったいどうなるのか自分でも全く分からないけど、できる限り努力をしながら何とか綱渡りをするしかない。食事する暇もないままアポ取り電話を終えたら遅い夕食に誘われて、編集部近くの居酒屋でうまい料理をご馳走になった。カレイの煮つけ、なすの味噌あえ、おでん…。ん〜どれも絶品の味付けだ。そして冷えたビールをぐいっと飲むと生き返るなあ。シアワセ〜。京浜東北線の終電で磯子まで。タクシーに乗って、午前1時半帰宅。


11月3日(水曜日) 関西へ出張取材

 1時間半ほど仮眠してから新幹線ひかりに飛び乗って大阪へ。そのまま大阪市内で新聞記者を取材する。話を聞き終わると同時にすぐさま電車で三ノ宮へ向かう。放送局の記者ら2人を取材。再び大阪に引き返して、深夜零時前に適当に見つけたホテルにチェックインする。テンションが高いから眠くならないだけで、実際には体は疲れきっている。すぐにベッドに倒れこんで寝てしまう。爆睡。

11月4日(木曜日) 別件原稿

 午前中は報道各社に電話をかけまくる。同時並行して追加のアポ取り取材も進める。午後から大阪市内で新聞記者を取材。きょうの取材はここまで。夕方早めにホテルに帰って、しばらくぼ〜っとテレビや漫画などを見る。2時間ほど仮眠してから別件の原稿を書き始める。字数調整などをごちゃごちゃやっていると、何だかんだで朝方までかかってしまった。まずいな〜。睡眠時間が…。

11月5日(金曜日) のぞみの最終で帰宅

 2時間ほど眠る。朝食を取ってチェックアウト。喫茶店から電話取材。午後から神戸へ行って放送局と新聞社の幹部を取材。会える人にはこれで全部に会ったことになる。まあ、急に頼まれた無理な取材としてはここまでが限界だな。事件報道や取材の在り方を真剣に考えている人もいれば、そうでもない人もいるとゆーことなのだろう。ん〜それにしても…。発言内容は正しいことを言っているとは思うけれども、他者への配慮がないとゆーか、押し付けがましいとゆーか、そういう人とはお友達にはなりたくないなあ。できればかかわりを持ちたくないなあ。取材を通じてそんなことを感じてしまった今日この頃(謎)。ところで先日、ある先輩記者が「マスコミの在り方についてあれこれ考えるのはもう嫌になった。自分は自分として追いかけたいテーマが別にあるので、そちらに力をそそぎたい」と話してくれたことがあるが、その気持ちは分かる気がする。僕も自分のテーマに沿ったルポルタージュ取材に専念したい。そちらの方にこそ、なるべく多くの時間を使いたいと思う。

 せっかく大阪に来ているので、学生時代から友達の新聞記者に電話して呼び出す。限られた時間しかないが、大阪駅前の高層ビル内で中華料理を食べながら飲んで話す。久しぶりに熱くマスコミ論を語る友人の姿を見られて懐かしい気持ちになった。新幹線のぞみの最終列車に飛び乗って、午前零時半に帰宅。

(11月3日付から11月5日付まで、まとめて更新)


11月6日(土曜日) 同時並行

 東京・町田で「月刊司法改革」のためのインタビュー。2時間もあれば終わるだろうと思っていたら、予定を3倍もオーバーして6時間も話し込んでしまった。にもかかわらず内容的には少し不安が残っていたりするなあ。う〜む…。まあ、実際にきょうの取材を原稿にするのは来週になってからだから、今のところは深く考えるのはやめておこう。とりあえずは、関西取材の原稿を大急ぎでまとめるのが急務である。同時並行で複数の取材や執筆などその他いろいろをやっていて、しかも締め切りがいくつも重なっているので、頭を素早く切り替えて対応するのが大変だ。きっと何か大事なことを忘れているに違いない。あすが「綱渡り」の最大の山場だな。


11月7日(日曜日) 終日執筆

 昼まで爆睡していると、編集者の電話で叩き起こされた。さも原稿を書いているようなふりはできず。寝起きであることは声の調子からたぶんバレバレだろうな。だって朝方に寝たんだもん。許してくれよ。ああ、風邪をひいたのか頭が痛いな〜。続いて別の編集者からは、昨晩に送信した原稿の問い合わせ電話。行数調整のために少し追加の文章を書いて送信する。そんなわけで、終日執筆。夜のトーク番組のゲストに伊達公子が出ていた。やっぱカッコいい。


11月8日(月曜日) 最大の山場は乗り越える

 朝の「おじゃる丸」の放送が始まる少し前に何とか原稿が書き上がる。編集部と連絡を取り合って少々手直ししたり、追加の文章を書き加えたりして無事に作業終了。ふう…。とりあえず最大の山場は乗り越えたと言えるだろう。おお、これで残りの原稿はあと一本かあ。だがしか〜し。これがまた難題なんだなあ。しかもそいつが終わったら、次は講演のレジュメ作りもあるじゃん…。そう言えば毎月更新を目指すと言いながら、めちゃ忙しくて「新・大岡みなみのコラム風速計/ネット版」を全然更新していなかった。新作を書かなければと思ってはいたんだけど、それどころではなくてせいぜい「身辺雑記」を更新するのが精いっぱいだったのだ。ん〜、今月末にまとめて二本をアップするかも。あ、いただいたメールへの返事もたまっている。掲示板もほったらかしだ。ごめんなさい…。

 友人に「時間の使い方が下手だよね」と指摘された。その通りだと自分でも思う。「仕事にしても手を抜くところは抜かないと」とも言われた。そうかもしれない。でもなあ、取材したり原稿を書いたりしていると、どんなものであっても思い入れというものが生まれてきて、それなりについつい力を込めてしまうのだ。仕事の出来不出来は別にして。不器用と言うか真面目すぎると言うか、まあ要するに要領が悪いのだろう。緩急自在にできなければ、やっていけないのは分かっているんだけどねー。


11月9日(火曜日) 削られた部分が少し復活

 甲山事件報道の検証特集の僕が担当した部分の初校ゲラ(試し刷り)が上がってきた。きのう出稿した段階では誌面スペースの関係で、オリジナル原稿をかなり削られてしまっていたのだが、初校ゲラになってからたった十行だけど復活する。テレビ報道に触れた個所だ。う〜ん、この部分が復活したからまあいっかなあ。やっぱり出稿した限りは、原稿はなるべくなら削られない方がうれしい。それに微妙な言い回しや表現なんかも実は気を使って書いているので尊重してほしいし、細かいことになるけど句読点や改行の位置にも意味があるので、その辺もわかってほしいなあと思っている。もちろん、デスクの手が入って生き生きしてくる場合もいっぱいあるのだけど。原稿の内容は、警察と一体化する記者たちと事件報道についての考察だ。ミニルポもどきの2ページ弱の短い記事である。今週金曜日に発売予定の「週刊金曜日」に掲載される予定なので、よろしければ読んでみてください。

 昼過ぎまで爆睡。いくら眠ってもまだまだ眠い。疲れが蓄積しているからかなあ。たまっていたメールへの返事をいくつか書いて送信した。資料整理などをして、原稿を書き始める。


11月10日(水曜日) フリーランスの可能性♪

 新聞記者時代の元同僚が、一般では手に入れにくいジャーナリズム関係の雑誌や市民集会の案内などを送ってきてくれた。その中の一冊に、新聞社を辞めてフリーランスのジャーナリストになって6カ月の女性記者のエッセイが載っていて、そのページには「◯◯ちゃん(僕の愛称)とどこか似ていますねえ」と書かれた友人のメモが挟まれていた。エッセイは、こんな趣旨の言葉で締めくくられていた。「自分なりにこだわりを持つテーマに従って、道草や回り道をしながら、新聞記者時代には見落としていた発見をつないで広げて練り上げたい。フリーランスの可能性は意外に豊かなんじゃないか」。少し疲れ気味で不安にもなっていた僕にとっては、元気になる薬をもらったような気がする。これから歩いていく方向を、落ち着いて眺めてみるように促してくれているみたいだ。ちょっと立ち止まって深呼吸してから、ゆっくりと周囲を見回してみよう。忙しくて僕からはほとんど連絡も取っていないのに、いつも気遣ってくれてありがとう。

 契約しているプロバイダーのAP(アクセスポイント)が近く変わるので、テレホーダイの登録電話番号を変更するためにNTTへ行く。手続きの際に市内電話の昼間割引を勧められる。月々200円の基本料金を払えば、市内通話に限って3分10円が5分10円になるという制度だという。そんな割引があるなんて知らなかった。昼間でも自宅で調べものをしたり、問い合わせ電話をしたりすることはそこそこあるので、基本料金分くらいはすぐに回収できそうだ。なかなか使えそうなので加入手続きをした。


11月11日(木曜日) 乗り切ったあ〜

 ああ〜、やっと「月刊司法改革」の原稿が終わったあ。取材先への確認作業も無事に済ませて編集部に送稿したぞっ。原稿内容について電話でやり取りしていると、財テク誌の初校ゲラがファクスで送られてくる。そっちも大急ぎで目を通してOKを出す。ふう。そんなわけで、何だかんだ言いながら結局は「綱渡りウイーク」を乗り切ってしまった。ん〜、なぜか不思議につじつまは合うものなんだなー。あとは、あしたの講演レジュメをちょこちょこっと書いて、主催者にファクスで送っておけば一段落じゃ。やれやれ。う〜んと、何かやり残したことがあるような…?

 きょうは「1」が6つ並ぶ日なので、またまた京急上大岡駅で記念の硬券入場券を買った。さすがにもう、こういうことはやらないだろうと思う。あ、でもまたやりそうな気もするか。2000年1月1日とか。そう言えば、郵便局では来年の年賀はがきが売り出されているし、コンビニでは年賀状の印刷予約が始まっているし、テレビではクリスマスのCMが流れ出している…。時間が過ぎるのが早すぎるよ〜。何よりも、また年賀状を書かなければならない季節がくるとゆーのが憂鬱である。あれはまじで面倒くさいのだ(爆)。


11月12日(金曜日) 「祝ってはいけない」

 「買ってはいけない」ではないけど、ある市民集会で「祝ってはいけない」と書かれたリーフレットをもらった。天皇在位10年式典のことである。政府は「国民こぞって祝うため」に「日の丸掲揚」を役所や学校、会社、家庭に求めているが、この「国民こぞって」という形による「お祝いの強制」に反対する、という趣旨が書かれたリーフレットだった。分かりやすくてうまいキャッチコピーだなと思った。そんなわけで(何がそんなわけなのか不明だが)、夕方から横浜・藤棚の高校教育会館で開かれた、天皇記念式典を笑い飛ばす集会にゲストとして招かれる。ルポ「校長たちの苦悩と葛藤」の取材を通じて思ったことなどをテーマに話をした。僕のほかには「グリーンピース・ジャパン」の人がゲストで呼ばれていて、東海村の臨界事故についての調査結果を報告。さらにバンドグループが、演奏や小咄で日の丸・君が代などを茶化して集会を盛り上げた。こういう形で天皇記念式典の日を過ごすのも、精神的にはよいかもしれない。取材のヒントになる材料もいっぱいもらった。講演に呼ばれても、こちらから吐き出すだけでなくて、僕の方も何かしら得るものがあると気持ちが充足する。一方的に放出するだけだと疲れてしまうもんなあ。集会が終わってから野毛で、高校の先生たちとすしをつまみながら飲む。午前零時帰宅。

 いろいろ振り返る ここ数週間、取材や原稿の締め切りがいくつも重なったので、ものすごいスリルを味わった。とにかく、期日までに仕上げて出稿するのが大前提だから毎日が切迫感の連続で、ちょっとばかり暇な時間ができても心からリラックスできない。日ごろはテキトーにいい加減に過ごしている僕も、さすがにのほほ〜んとはしていられなくなった。まじで焦りまくり…。こんなの初めての経験だよ…。あ、単に今まで、集中して仕事をしていなかっただけの話か。この程度の忙しさは世間では当たり前なのかもしれないけど、みんな本当にこういう生活を普通にこなしているのだろうか。僕が要領悪いだけで、慣れればどうってことないのかな。新聞記者をやっている方がよっぽど気楽で暇だと思うな。確かに嫌なことはいっぱいあって、やりたい仕事はできないかもしれないけど、サラリーマンだから生活は安定しているからなー。ん〜、新聞社で長らく内勤記者をやっていて、リハビリなしで(笑)いきなり取材ばかりの毎日に復帰したから戸惑っているのかも…。

 「身辺雑記」の方向は…? で、ここまで緊迫してくるとホームページの更新なんかもうどーでもよくなって、と言うかそれどころではなくなる。それでも更新する習慣だけは残っていて、「身辺雑記」は日常生活をただ記録するだけになってしまったのだが、そこでふと疑問が生じた。僕の「身辺雑記」を見に来てくれる人たちは、そもそもこのページに何を期待してくれているのだろう。もともとは、僕という一人の記者の日常生活や考えなどの断片を紹介していこうと思って始めたわけだけど、そんな日常生活みたいなものよりも、社会批評やメディア批評みたいなものを読みたい人の方が多いのかなあ。「僕の考え方を記す」という意味では、時々そういうものも書いているが、文字通り「身辺雑記」なんだから何でもありでいいのだろうか。ちょっと思案中だったりする。


11月13日(土曜日) 「葬られた作文」和解が成立

 上大岡のスピード写真店で現像と焼き増しをわずか23分で済ませて、夕方からその写真を、東京・四谷の出版社に持参する。「月刊司法改革」に載せるための写真である。どうして今の今まで現像もしないで放ったらかしにしていたんだという突っ込みは、すべて却下(自爆)。編集部で初校ゲラを見たら20行以上もオーバーしている。ページを増やすことも可能だが、そうすると大幅に書き足さなければならないという。今からその作業はつらいなあ。とゆーことで、写真を少し小さくして、あとは細かく文章表現を削って押し込む方向で奮闘する。担当編集者にも力技を発揮してもらって、何とか校了した。内容は、東京・町田の作文開示訴訟を続けてきた前田功さん、千恵子さん夫妻へのロングインタビューだ。自分で言うのも何だけど、なかなか感動的なインタビュー記事に仕上がっていると思う。担当編集者もほめてくれた。来月5日には全国発売されるので、見かけたら読んでみてください。12月号です。

 実はきのう、学校・市教委側が前田さんに謝罪するという形で、無事に和解が成立したのだ。実質的には前田さん側の全面勝訴である。和解文書は事前に入手していたし、その意味するところは前田さんから詳しく説明を受けていたけれど、やっぱり正式に和解が成立したと聞くと感慨深いものがある。とてもいい内容の和解が成立して本当によかったと思う。しかし、矛盾だらけの教育現場を変えていこうとする前田さんたちの闘いは、これで終わったわけではない。実はここからスタートするのだ。僕にもできる限りの協力ができればと思う。それにしても、先週号の「週刊金曜日」に「葬られた作文」の記事を書いておいて、ちょうどいいタイミングだったなと、ほっとする。

 「身辺雑記」の今後について きのうの「身辺雑記」で、このページの内容の方向性について思案していると書いたら、何人もの方から「記者生活も社会批評も日常生活のエピソードも、いろいろ盛り込まれている今の形が読んでいて面白い」という内容のメールをいただいた。あと、掲示板への書き込みもいただいた。一人の記者の生活の一端が垣間見られる、という形の文章を楽しんでもらえているようだ。そういった感じで気楽に毎日の雑記を書いていけたらいいかなあと、漠然と考えていたので、今のままでいいんだなあと少し安心できた。それから、九州の若手新聞記者からいただいたメールには「仕事をする上で刺激になる」という感想が書かれていた。同業者からのメールで、そんなふうに言ってもらえるのは何よりもうれしい。

 しかもこの若手記者は、新聞社や記者像に対して矛盾や葛藤を感じていながらも、自分なりの問題意識を持って取材活動をしようとしている気持ちを書いてきてくれたのだが、ほかの記者の意欲的な姿勢を見ると、同じ記者としてこちらも、じわじわと気持ちが高揚してくる。「ああ、僕も頑張らなければ」とやる気がわいてくるのだ。僕の方こそ刺激を受けさせてもらって感謝します。リンクはしていないけど、この若手記者みたいな姿勢で仕事に取り組んでいる新聞記者やカメラマンのホームページがいくつかあって、いつも拝見させてもらって僕も刺激を受けている。頑張っている人や、尊敬できる生き方を見せてもらうと、見ている側の気持ちも高ぶってくるものなんだなあ。「パワーのおすそ分けにあずかる」という言い方をしてもいいかもしれない。そんなわけで、「身辺雑記」はマイペースで書いていこうと思った。


11月14日(日曜日) 「記者のお友達」について

 少し前になるが元同僚記者の家に遊びに行った時に、「新聞社内の友達」について話題になった。記者として尊敬できない人と本当の友達になれるだろうか、あるいはまともに相手ができるか、というのである。基本的には「そういう人とは表面的な会話はするけれども、本当の友達にはなれないし、ならない」という点で一致した。「僕は会社に友達がいないんだよね」が元同僚の口癖だが、それは裏を返せば暗に「友達になりたいような人は社内にはいません」ということを実は厳しく語っていたのだろう。ただ、僕は元同僚よりはもう少しだけ許容量がある。記者として本来やるべき仕事をこれまでにはしていなくても、志や意欲や問題意識があったり、人格的に尊敬できる人(思いやりがあって無神経ではない人)であったりすれば、友達になれる。

 なぜそこまで「記者という仕事」にこだわるのかと言えば、僕たちが現に記者であり、記者という仕事に真剣に取り組もうと努力しているからだ。記者としての本来の仕事をしていない人や、またはしようとしない人たちと、まともな話はできないし、したくない。ジャーナリズムは「仲良しクラブ」ではない。僕たち記者には「言いたくても言えない弱い立場の人に代わって書く」という仕事ができるはずだ。だったら記者は、責任を持ってそういう仕事をしなければならないと思う。そのためにこそ「公共性」だとか「報道の自由」などというエラソーな錦の御旗を仰々しく振りかざしているのだから。新聞記者になりたくてもなれない人たちは大勢いる。たまたま、僕たちは幸運にも新聞記者というポジションに座っているわけで(僕は辞めて社外で書いているが)、それならば記者としての「本来の」職責を果たさなければ、あるいは少なくとも職責を果たす努力をしなければ申し訳が立たないと思うのだ。このことは記者に限らず、医者や教師や法律家や役人や編集者や料理人など、どの職業についても言えるだろう。

 記者(ほかの職業であっても同じ)として本来やるべき仕事をしていないのに、評論家みたいに傍観者的な物言いをする人に接すると、とても腹立たしく悲しい気持ちになる。努力もしないで、壁にぶつかったとか会社が嫌になったなどと言われてもまるで説得力はないし、残念ながら僕の心には全然響いてこない。そもそもそれって、記者という仕事に真剣に取り組んでいる人たちに対して失礼だろう。厳しい見方かもしれないけれど、でもそういう言動をして平気でいられる人には不愉快な感情しか抱けないのだ。

 「相手が記者だとどうしてそんなに厳しいんだ、ちょっと厳しすぎるよ」と言われたことがある。う〜ん、その通りだね。相手が記者でなかったら、たぶんもっと見方が違ってくるのだろうと思う。でも残念ながら僕たちは記者なのだ。だからこそ、記者として不愉快な仕事ぶりや生き方を見せられると許せなくなる。断っておくが相手の人格を否定しているわけではない。「記者」を名乗っていながら「記者」としての本来の仕事をしない、そういう生き方が許せないのだ、きっと。

 僕は新聞社を辞めたけど、決して本心では辞めたくて辞めたわけではない。「記者」という仕事をずっと続けていくために、辞めざるを得なかったから辞めたのだ。そして新聞社を辞める際に、僕は精神的にとても傷ついた。それは管理職の態度とかそういうものよりも、むしろ同僚記者たちの対応の仕方にあった。「援護射撃」もあったが、僕にしてみればその援護射撃はとても違和感があった。「友達」だと言うにしては、とても無神経な「援護射撃」であるように感じた。このことは最も信頼する元同僚記者の一人にしか話したことはないが、この記者もあの時、僕と同じような違和感を感じたそうだ。具体的なことは書きたくないからここには書かないが、つまり、大好きな新聞記者を辞めなくてはならない僕の気持ちなんか、全然分かってないじゃないかということである。そんなことを言っても、あの人たちにはたぶん理解できないだろうけれど…。

 忙しいこともあって、僕の方から元同僚たちに連絡することは、何人かの例外を除いて最近はほとんどない。そうすると、なぜ近況報告くらい寄越さないのだと言ってくる人がいる。それって何か変だよなあ。僕の方の都合や事情を考慮しないで「なぜ」と決め付けられても困ってしまうし、心配ならそちらから電話なり何なりしてきてくれればいいではないかと思うのだけど。「ホームページに簡単な近況報告はしているつもりだ」と返答すると、そんなものは近況報告にはならない、傲慢だと言う。どっちが…。もう相手をするのもアホらしくて嫌になっちゃうよなあ。ホームページに書いていることは、あくまでも生活雑感の一つだが、相手の状況を思いやる気持ちが本当にあるのなら、それだって情報収集の手段なんだからページを見て判断すればいいだろう。しかし僕としてはもう、その手の人たちにはかかわりたくないなあ、というのが実は本音だったりする。とても無神経で人の神経を逆なでするような人たちだとしか思えないからだ。だからそういう人には、わざと「ホームページに近況は書いてあるよ」などと言ってみたりする。僕の心の中にある「記者のお友達」基準からは大きく外れているんだよなあ。


11月15日(月曜日) 編集者の苦悩?

 そうかそうか、初めから期待なんかしていなければ、がっかりしたり不愉快になったりしないで済むのか…。あるいは「あきらめの気持ち」で接するとか。あんまり前向きとは言えない姿勢かもしれないけど、そのような考え方もあるのですね(謎)。う〜ん…。

 夕方から東京駅前の八重洲ブックセンターの喫茶店で、女性編集者と打ち合わせ会議。頼まれていた翻訳原稿の下読み結果を報告して、意見や感想を述べる。研究者の文章はひどく分かりにくい。一般の人にも分かるような単語や表現を使って表現しようと努力する姿勢が、決定的に欠けているからだろう。しかも、現場に足を運ばずに机の前に座って書いているだけなので、実態がどうなっているのか、疑問点や問題点や矛盾点が読んでいると次々に浮かんでくるのだ。僕がデスクか編集者だったら、再取材をお願いして書き直してもらうんだけどなあ。でも、いずれにしてももう時間がないそうで、表現の手直しをするのが精いっぱいらしい。とまあそんな議論を2時間もしてから、お腹が空いたので近くの居酒屋で焼き鳥やかき鍋などを食べながら生ビールを飲む。かき鍋は大ハズレだったけど、ライスセットは当たりだった。編集者の苦悩と元新聞記者の苦悩などを、お互いにこぼしながら飲むのもなかなかよいかもしれないね〜(笑)。午前1時過ぎに帰宅。


11月16日(火曜日) 取材経費の計算

 このところの取材でかかった経費の計算をまとめてやる。きのうから二日がかりである。この作業が面倒なんだよなあ。事務処理能力が要求されるし。いやホントにまじで大変だ。でもそうも言ってはいられない。だってこのお金は、言ってみれば編集部に代わって僕が立て替えてあるのだから、きっちり計算して返してもらわなければならないのだ。何しろ動けば動いた分だけ確実にお金はかかるので、これまでの分は結構な額になっている。それだけたくさん取材しているわけで、本来ならば褒められてもいいはずだと思うんだけど、資本の論理から言えばそうはならない。「余計な出費はなるべく抑えるべし」となるのである。おいおい…。それじゃあ、本当にいい仕事はできないということを分かってほしいんだけどな。

 急に寒くなった。木枯らし1号が吹いたというし、いよいよ冬がやってくるのかあ…。寒いのは苦手なんだけどなー。暑いのも苦手だけど(笑)。昼過ぎに友人からの電話で起きる。ついでのように電話取材を少ししてから、自宅でうだうだやっていると、ひっきりなしに電話やファクスが入る。原稿依頼だとか、取材依頼だとか。うとうとすると呼び出し音が響き渡るので、おちおち昼寝もできない。原稿の締め切りと一緒で電話も集中するものなのかな。夜中に友人がやって来てノートパソコンを借りていく。個人情報を秘匿するために一応、メールソフトフォルダをフロッピーにそっくり移して、ノートの方に呼び込んであった受送信メールを引き上げる。自宅近くのファミレスで、めちゃくちゃ遅すぎる夕食を食べながら友人と雑談。午前3時帰宅。


11月17日(水曜日) 「取材される側」について

 自分が取材される側に回った数少ない実体験から考えてみて、書かれた記事内容と自分の思いとの間に「微妙なズレ」を感じたことが何回かある。事実関係に間違いはないけれども、何となくしっくりこない感じがする、もう少しほかに書き方があるんじゃないかという漠とした思いがある、とゆーやつだ。このことは、僕が書いた記事に対しても同じことが言えるだろう。取材された側からすれば「こういう部分だけを取り上げられるのは不本意だ」とか「描かれ方が納得いかない」と思うことは、たぶんたくさんあるに違いない。実際、取材した人から「事実関係は間違っていないし、確かにそのようなことを話したが違和感を感じる」と不快感を示されたことが、これまでに2回ほどある。直接言われなかっただけで、僕の記事に対してそのようなズレを感じた取材協力者は、きっとこれまでにも大勢いたんだろうなあ。そう考えると、何とも言いようのない気持ちになってとても落ち込む。

 記者をやっていれば、単純ミスを含めて「事実そのものが間違っている」(実際には間違っていないこともある)と抗議された経験はだれにでもあると思う。しかしそうではなくて、事実は間違っていないけれどもニュアンス的に違和感を感じられてしまうような場合、どう対応すればいいのだろうか。友人や先輩記者らに聞いてみたら「そんなのこれまでに何回言われたか分からないよ。それに仕方がないよ。記事の受け止め方はそれぞれ違うんだし、記者の切り口によって、聞いた話のどの部分が大事かという切り取り方も違ってくるのだから」というようなことを言われた。そうだよなあ…。取材に応じてくれた本人が大事だと思って話した部分と、取材している記者が大事だとか面白いと思った部分とは、必ずしも一致するとは限らない。そもそも限られたスペースの中で表現するのだから、取材相手の言いたいことをすべて書くわけにいかないのは、ある意味では仕方がないことかもしれない。でもそれは、あくまでも取材する側、表現する側の言い分に過ぎないんだけどね。

 だからこそ取材して表現するという行為には、取材相手との強い信頼関係が必要になってくるのだろう。「この人にならば安心して話せる」といった人間関係だ。しかしそれでも、書かれた記事に対して違和感を感じさせてしまうことはたくさんあるに違いない。僕が書かれる側になった場合を想像してみると、どんなに信頼している記者が僕のことを取材して書いてくれたとしても、本当に心から満足できる記事にはたぶんならないだろうし、やっぱり自分自身で書かなくては、微妙な気持ちみたいなものは表現されないだろうと思う。取材を受けることの怖さがそこにある。そういう危うさを覚悟していったん取材を受け入れたら、あとはもうその記者に任せるだけだ(検閲できる状況にあるなら別だが)。取材して表現する側は、その辺のことをよくよく考えて仕事をしなければならない。しんどくてやっかいな職業だなあとつくづく思う。

 あ〜、また忙しくなりそうな予感がする…。取材しなければならない話がいくつも集中し始めていて、原稿の締め切りが再び重なるのではないだろうか、という不安を感じるのだ。ちょっと時間に余裕ができたなあと思うと、ぐた〜っとなってしまうのがまずいのかもしれないな。そういう時にこそ、懸案になっているテーマをこつこつと取材しておかなければならないというのに、怠けてしまうから後でしっぺ返しを食らうことになる。ん〜、分かっているんだけど…。そんなわけで、きょうは少しだけ取材の下準備をする。


11月18日(木曜日) 冤罪事件

 夕方から東京・中野へ。痴漢に間違われた冤罪事件の報告集会に顔を出す。もちろん言うまでもないが、痴漢やセクハラは言語道断の破廉恥事件で許し難い犯罪だ。被害者の女性が勇気を振り絞って声を上げなければ、図々しい犯罪者は罰せられることがない。けれども、破廉恥事件にも「思い込み」による人間違いは存在する。いい加減な記憶と憶測だけで、痴漢行為に無関係な人を根拠なく犯人視してしまうことも起きているのだった。そして人間違いを冤罪事件にしてしまうのが、警察の「思い込み」捜査である。容疑者とされたNさんの話を聞いていて、思い込みによるでっち上げの怖さが今さらながらよく分かった。他人事ではないかもしれない。

 ところで、Nさんの話の中で興味深かったのが、代用監獄(警察署の留置所)に拘留されていた時のエピソードだった。拘留された容疑者は、全員が「番号」で呼ばれることになっているのだが、その警察署で留置所を担当している警察官十数人のうち、2〜3人ほどの警察官は絶対に番号で呼ばないで、一貫して「◯◯さん」と呼んでくれたというのである。さらに、家族の写真などの私物は就寝時間になると回収されてしまうのが規則だが、中には「後でこっそり持ってきてやるから」と言って持ってきてくれる警察官が何人かいたという。不安で孤独になっている容疑者にとって家族の写真の存在は大きい。そこのところの気持ちが想像できる警察官なのだろう。人間を人間として扱う姿勢。考えてみれば当たり前のことかもしれないが、しかし警察組織の中では勇気のいる行動だと思う。人間らしさを見失わず、行動としてちゃんと実践している警察官もいるんだなあと、妙なところで感心してしまった。

 中野にあるアジア料理の店で、Nさんや弁護士や支援者らと、ベトナムの生春巻きや国籍不明(僕がよく知らないだけ)のサラダや餃子などを食べながら、生ビールを飲む。午前1時帰宅。


11月19日(金曜日) 「私は立たない」

 日の丸・君が代が強制される現場を取材する。詳細はここでは内緒だが、教育行政はこういう手の込んだいやらしい「強制」をするのだなあと、ただただ呆れるばかりだ。それと「国歌斉唱しますのでご起立ください」と言われて、平然と起立して歌う先生たちの感覚というか感性にも呆れた。理解できないなあ…。しかも子どもたちにまで歌わせて…。何の疑問も感じないのかなあ…。

 たまたま、ある小学校の先生に、茨木のり子さんの最新の詩集を見せてもらった。この詩人の名前は前から知っていたけれど、作品をちゃんと見るのは初めてだ。彼女の作品は、中学校の国語の教科書(文部省検定済み=笑)にも取り上げられているという。その中に、こんな一編があった。

それぞれの土から/陽炎のように/ふっと匂い立った旋律がある/愛されてひとびとに/永くうたいつがれてきた民謡がある/なぜ国歌など/ものものしくうたう必要がありましょう/おおかたは侵略の血でよごれ/腹黒の過去を隠しもちながら/口を拭って起立して/直立不動でうたわなければならないか/聞かなければならないか/私は立たない/坐っています(「ひなぶりの唄」より前半部分を引用)=「ひな」の字は該当する漢字が入力できないので平仮名で表記=

僕はどちらかと言えば詩は苦手だけど、彼女の作品はなるほどなあと思いながら読めた。そしてこれと併せて、有名なもう一編の作品を、ぜひとも「御用組合」幹部の先生や教育行政の先生たちに読んでもらいたいと思った。感想をぜひ聞いてみたいものである。

もはや/できあいの思想には寄りかかりたくない/もはや/できあいの宗教には寄りかかりたくない/もはや/できあいの学問には寄りかかりたくない/もはや/いかなる権威にも寄りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/寄りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ(「寄りかからず」より引用)=「寄」の字は原文ではすべてニンベンに奇=


11月20日(土曜日) 「日独裁判官物語」を見る

 風邪気味なこともあって、アポ取り電話をしたほかは自宅でごろごろする。きょうは「教育、環境、人権」の3つのジャンルの市民集会から誘われていたのだが、きれいに全部不参加にした。怠け者の本領発揮である。しかしそもそも、3つの集会は少しずつ時間が重なっていて、昼過ぎから夜まで全部に参加したらへろへろになるなあと思っていたのだ。おまけに場所は横浜、東京、埼玉とみんなばらばら。すべてパスしたのは正しい選択だったかもしれない。

 「筑紫哲也のニュース23」でも紹介されて、あちこちで評判になっている記録映画「日独裁判官物語」のオリジナルビデオ(限定非売品)を、法律雑誌の編集長が貸してくれたので見る。「日本とドイツの裁判官の姿を比較することで、日本の司法がいかに異様であるかを浮かび上がらせる内容だ。

 ドイツの裁判官の日常生活はとても自由で、社会活動や政治活動を理由に懲罰にかけられることはない。裁判官の市民的自由や言論の自由が徹底して保障されている。だからこそドイツの裁判所は、市民の人間としての尊厳を守ることができるのだろう。国家権力による基本的人権の侵害をチェックするのが、ドイツの裁判所の重要な任務であり原点なのだ。これに対して、日本の裁判官は自由に発言しない。しかも、行政や立法が驚くような内容の判決を書かないことに気を配る。任地や給料で差別されるほか、裁判長になれないなど人事上の不利益を受けるからだ。多くの日本の裁判官は最高裁からにらまれないために、なるべく目立たないように仕事することに懸命なのだ。言うべきことを言わないで、自己保身に走る情けないサラリーマンと似ている。行政や立法をチェックするという司法本来の機能は、だからほとんど期待できない。市民の方を向いていない日本の司法の実態には絶望的な気持ちにさせられる。裁判官の生活が不自由だからこういうことになるのだろう。「司法と国民との間に作られた壁」を壊すのは、結局は有権者である国民の責任なんだよなあ、と思い知らされる映像だ。映画作品としての評価はいまいちだけど、日本テレビ系列の「ドキュメント」シリーズ(日曜深夜枠)っぽい作りで、ドキュメンタリー番組としてなら僕は面白いと思った。カラー作品、60分。全国各地で自主上映中。


11月21日(日曜日) HPを小幅改造

 ホームページにいろいろと手を加えてみた。放ったらかしだった「セカンドインパクト」を少し改造。「新・コラム風速計/ネット版」の新作は残念ながらまだ書いていないけれど、「ルポルタージュ」のページに下部階層を設けて再構成し、新しい記事をいくつかアップした。このほか「インタビュー/司法改革」のページを新設した。「サードインパクト」にも少しだけ手を加えた。詳しくは「更新情報のページ」(「What's new?」)に。そんなわけで、パソコンで遊んだり掃除をしたりという感じのだらだらした一日を過ごす(爆)。


11月22日(月曜日) 灰谷健次郎をナマで見る

 東京都内で教職員組合を取材。街をぶらぶら歩いていたら、某出版社の近くまで来ていることに気付いたので、電話を入れてから編集部に立ち寄る。来年春に予定している集中連載企画の内容や、締め切り日などを打ち合わせ。神保町にある学生向けの安い食堂に入って早めの夕食。学生時代には、本屋さんに寄ったついでにここでよくご飯を食べていたからとても懐かしい。久しぶりに食べた生姜焼きの味は、学生時代と少しも変わっていなかった。その足で小田急線に乗って成城学園駅へ。友人に誘われて灰谷健次郎さんの講演会を聞きに行く。疲れていたからなのか前半は完全に居眠り。子どもたちの詩を朗読する後半は面白かったので起きていた。ってことは前半は面白くなかったとゆーことなのか。そんないい加減な態度で聴いていたというのに、居酒屋での懇親会で「灰谷さんのファンです。作品の中では『少女の器』が特に大好きなんです」などと口走ってミーハーぶりを発揮する。たぶん灰谷さんはそんな失礼なファンの発言なんて、聞いた後からすぐに忘れてしまっているだろう。初めてナマで見た灰谷さんはとても小さかった。真っ黒に日焼けしていて、その辺にいるホームレスのおっちゃんと見分けが付かないような風貌だった。ほとんど話ができなかったのが残念だ。それにしても、きょうのカキ鍋も今ひとつイケてなかったなー。だしがまずいのは決定的だな。だがしか〜し、日本酒がやけに飲みやすくてうまかったのだ。日本酒が苦手な僕にしては珍しいことだと思う。でも、せっかく銘柄を聞いたのに忘れてしまったのは失敗。小田急線と南武線と東海道線と京急線を乗り継いで、終電に何とか間に合って上大岡にたどり着く。午前1時過ぎに帰宅。


11月23日(火曜日) 天ぷら屋で職人の極意に接する

 インターネット友達のIさんから電話があって、久しぶりに会う。茅場町の天ぷら屋に連れて行ってくれた。平日は証券マンたちでにぎわう世界の金融街も、さすがに祝日は閑散としている。店はビジネス街から脇に入った路地裏にあって、客が十人も入れば満員になってしまうような小さな造りだが、食通の間ではとても有名なのだという。カウンターに座って待っていると、店主が次々に揚げたてを出してくれる。エビ、カニ、キス、イカ、アナゴ、シイタケ、シシトウ、ナス…。熱々の天ぷらにほんの少し塩をつけてほおばると、素材のうまみが口いっぱいに広がる。すし屋のカウンターですしをつまんでいるような感じさえする。「天ぷらってこんなにうまいものだったんだ!」と驚かされるような仕事を、目の前で見せてもらいながら食べるというのもなかなかよい。衣が薄いから胃にもたれない。それでいて外側はパリッとしていて、中身はジューシーに仕上がっているのはただ者ではないと思う。コースの最後に出てきたのは「天ぷら茶漬け」(略して天茶=てんちゃ)。茶漬けに天ぷらを乗せて食べるなんて初めての経験だが、これが油っぽくも、くどくもなかった。う〜ん、恐れ入りました。こんな店に連れて来てくれるとは、さすがは食べ歩きが趣味だと言うだけあってIさんの食通ぶりは本物だ。

 仕事が一段落したところで店主に質問してみたところ、これまた職人らしい示唆に富む話が聞けた。「いつもいつも全力投球で仕事をしているわけじゃない。そんなことをしたら、死んでしまうよ。大半はちゃらんぽらん。一日のうちに、ここぞっていう時に全力を出す。ペース配分が大事なんだよ。だけど、ちゃらんぽらんであっても常に9割の力が出せるのがプロなんです。その一方でお客さんの前では、いつも一生懸命に仕事をしているように見せなければならない。いい加減な仕事をしているように感じたら、おいしく思えないでしょう」。う〜ん、なんて奥深い言葉なのだろう。これは、どの仕事についても言えるよなあ。手を抜いた時でも常に9割以上のレベルを維持しながら、ここぞという時に全力投球する。それだけの実力を持った上での力加減が必要なのだ。しかも、手を抜いているようには決して他人に見せない。そうでないと体が持たないもんね。原稿を書く時の極意とも見事に一致するよなあ。しかし、聞いているだけだと簡単そうだけど、これこそが実は難しいのだ。


11月24日(水曜日) 取材予定を入れすぎた

 3時間睡眠で取材に出かける。午前中は東京地裁に行った後、東京・麹町の某弁護士事務所に立ち寄る。午後から横浜に戻って、教職員組合2カ所へ顔を出す。夕方から情報公開運動をやっている市民グループの集まりに出席した。う〜ん、やはり一日に全部で5つも取材するというのは無理があるな。しかも眠くて眠くて仕方ない。そこそこの収穫は確かにあったと思うけど、何だか中途半端な感じがする。あ、それはちゃんと寝ていないからか。しっかり睡眠を取った上で、一日に2カ所くらいの取材を集中してやるのが仕事のペースとしてはベストかもしれない。ああ、眠い…。


11月25日(木曜日) まだまだあるぞ警察の犯罪

 神奈川県警の「犯罪」や組織防衛のためのウソやゴマカシはとどまるところを知らないが、それはほかの都道府県警察も一緒だ。だけど笑ってばかりいられないのは、自分たちが犯罪者になって悪の手本を示してくれるばかりか、罪のない市民を犯罪者としてでっち上げるところなんだよな〜。最近、いくつもそんな話を聞く機会があった。例えば、警視庁の現職警部補が仲良しの暴力団員と結託して(絶句)、無実の市民を覚醒剤所持事件の容疑者に仕立て上げた事件がある。市民の自宅マンションに暴力団員が押し入り、覚醒剤を無理やり持たせて都内の某警察署に連行し、あらかじめ待ち構えていた警部補がその市民を現行犯逮捕したというのだ。信じられないような不思議な事件だけど、裁判でこの市民は無罪を主張している。まだどこでも報道されていないが、いくつか新聞各社の記者も取材に動いているようだ。もちろん僕も取材中である。それにしても、こんなでたらめな事件は聞いたことがないよな。

 もう一つ聞いたのは、「神奈川県警の体質は昔も今も全然変わってないよ」という体験者の話である。その人は横浜市内で十数年前に、車のヘッドライトの一つが消えているとして交通検問で止められた。「整備不良車だ」と言われたが、そんなのは知らない間に突然ランプが消えていることだってあるのだから、ほとんど言いがかりのようなものだろう。ほかにもっと取り締まるべきものはあるはずだと、その人は主張した。所轄署の交通課長を名乗ったその警察官は明らかに酒の臭いをぷんぷんさせていた上に、免許証を取り上げて返さなかったという。翌日から3日連続で所轄署に足を運んで「免許証を返してほしい」と申し入れたが、いずれも課長は当直明けで不在だと追い返された。3日連続で当直なんてするわけがないから、うそをついているのは明らか。念のために検問された現場に行ってみたら、街路樹の囲いのところに自分の免許証が放置されているのが見つかったそうだ。酔っ払って検問し、言いがかりをつけて巻上げた免許証を返さずに放置する…。う〜ん、これって立派な犯罪行為だよなあ。

 昼前まで爆睡。きょうはず〜っと自宅から電話取材する。成果があったような、なかったような…。本屋でコミックスを6冊も買ってしまった。無駄遣いしたような、しなかったような…(爆)。


11月26日(金曜日) 適度な忙しさが好き?

 正直なところ、僕は家でうだうだしていているのが好きで、思い付いたようにどこかに遊びに出かけるのが好きで、テンションが高まってきた時に集中して取材するのが好きだ。…要するに怠け者なんだけど、だからと言って時間が有り余っていてすごく暇だったりしたら、それはそれでたぶんとても落ち着かないだろうと思う。「忙しくて大変だ」などといつも口では言っているし、確かに忙しすぎるのは困るけれども、実は適度に忙しくしているのが性分としては合っているのかもしれない。何人もの人に「忙しいというのは幸せなことだ」と言われた。きょうも、信頼する友人の記者に「今は忙しくしているのが蓄積になるから大事なんだ。依頼される仕事はすべて引き受けてこなしていくべきだ」と言われた。そうだよなあ。いくら忙しくても、結局やれば何とか無事にできてしまうわけだからなあ。ここ最近、忙しく動き回っていろんな取材を続けているけど、確かにネットワークがいっぱい広がったし、そのどれもが決して無駄にはなっていないと思う。うん、今のうちにできるだけ仕事の幅は広げて、いろんな人を取材しておこう。頑張っておけば後で振り返った時にきっと自分の力になっているはずだ。

 それはそうと最近、メールボックスを開くとやたらにダイレクトメールが送信されてくる。ものすご〜く迷惑で不愉快だ。邪魔なんだよ。無料ホームページサービスの提供を受けている関係で送られてくるのは、まあ五万歩くらい譲っていいとしよう。だけど、どこでどうやってメールアドレスを調べたのか知らないけど、何の関係もない会社から「ダイレクトメール用のアドレスはいかがですか」とか「出会い系サイトを無料体験しませんか」などといったメールが届くと、とてもうざったい。電子メールに限らず普通の郵便物でも、ダイレクトメールは不愉快である。読まずに無視して次々に捨てるのが一番の対策らしいが、本当に困ったものだ。


11月27日(土曜日) NHKの受信料は払いません

 NHKの集金人が受信料を集めにやって来た。集金係の人には何の恨みもないけど、僕はこれまでに、NHKの受信料を払ったことは一度もない。理由は簡単だ。放送法の基本である「公共放送の精神」に即した放送を、NHKはしていないと考えるからだ。一日の放送の最初と最後に流す「日の丸・君が代」が、そもそも一方的だと思うんだよね。別に「日の丸・君が代」が好きな人は好きでいいんだよ。日本の国を愛しているのはたぶんみんな一緒で、その愛し方が人それぞれに違うだけだもん。「日の丸・君が代」に執着するという愛し方(フェチズムですね)があってもいいし、あるいは「日の丸・君が代」は嫌いだけど、別のやり方で愛するという人がいても、もちろん全然オッケーだと思う。だけど公共放送機関であるNHKが、国民の中にさまざまな考え方や議論がある「日の丸・君が代」を放送し続けるのはなぜだろう。公共放送の在り方から考えても、あるいは「みなさまのNHK」という宣伝文句から考えても明らかに矛盾している。そもそも、NHKが流している毎日の放送番組は「国家行事」なのか。違うだろう。いったい何のために、あえて「日の丸・君が代」を放送する必要があるのだろうか。国民を立派な臣民として洗脳教育するのが目的なのだろうか。そうでないのなら、白紙状態に戻して政治的中立を守るべきだ。そんなわけで、納得できるまでNHKの受信料は払いません。「おじゃる丸」はいい作品だし、ほかにもいい番組は放送していると思うけどね。


11月28日(日曜日) 「隼までとどけ…」を読む

 東京・世田谷の片山隼(しゅん)君(当時8歳)がダンプカーにひき逃げされて亡くなったのは、2年前のこの日だった。取材がきっかけでご両親と知り合うことができたのだが、父親の片山徒有(ただあり)さんが送ってくださった著書「隼までとどけ 七通の手紙」(河出書房新社)を、ちょうど隼君が事故に遭った朝の登校時刻のころに読んだ。隼君の命日に何とか出版するため、徒有さんが仕事をやり繰りしながら執筆されたというこの本は、7人の方との往復書簡集という形で構成されている。手紙のやり取りで登場するのは、永六輔さん、紺野美紗子さん、河野義行さん、山下京子さん(神戸少年事件の被害少女の母親)のほか、TBSアナウンサーや毎日新聞記者ら。子どもへの父母の思いや、親子関係の在り方、報道の影響力などを考えさせてくれる内容だ。だけどそれよりも何よりも、父親(母親も)の隼君に対する今も変わらない深い愛情が文章の端々から強く伝わってくる。仲良し家族の様子や、隼君がいかに片山家の中でかけがえのない存在だったかが、自然と目に浮かんでくるような気になるのだった。隼君が生きていた証を示すためにできることをしたい、今も隼君は自分やみんなの心の中に生き続けている…、そんな熱い思いに支えられて徒有さんはこの本を作る仕事に取り組んだのだろう。「忘れない」「覚えている」ことの大切さと意味がぎっしり詰まっている。ここに書かれている文章を読んで掲載されている隼君の写真を見ていたら、家族とか子どもをつくるっていいなあと思えてきた。

 「ファーストインパクト」公開 こっそり運営していたホームページ「ファーストインパクト」を公開することにした。さらにもう一つの秘密のページがあるから、あえて隠すこともないかなと思ったので。それに実を言うとかなり前に「お薦め映画」のページからは、何気なく「ファースト」の中にある映画のページに飛べるようにしてあったのだ。気付いた人もいたみたいだけど。そんなわけで「サードインパクト」の表紙(フロントページ)からリンクしました。断っておくけど大した内容ではありません。気まぐれ更新の「裏・身辺雑記」とか、映画や本の寸評ページ、掲示板などがあるだけです…。よろしければどうぞ。


11月29日(月曜日) 官僚取材

 夕方まであちこちと電話を続ける。出かけようとしていたら、取材の申し込みをしていた法務省から電話。ほかの省庁は電話一本ですぐにキャリア官僚にも取材できたのだが、法務省の場合は「まず広報課に書面で取材申請してほしい」と言われて、先週末に申込書をファクス送信しておいたのだった。きょうは、なぜかあっけないほどキャリア官僚が電話口に出てくれて、直接会わなくても電話取材で事が足りてしまった。内容はともかく応対は親切で、どこかの市教委の課長の横柄さとは大違いだったなあ(謎爆)。夕方から横浜市内で、小中学校の先生たちの学習会に招かれて話をする。講演テーマは「日の丸・君が代を取材して」。信念と信条に従った生き方をしなければ、子どもたちに見透かされてしまうのではないだろうか、というようなことを具体例を示しながら話した。組合の在り方や存在理由みたいなものについて、ある意味で挑発的に問題提起した形になったけど、分かってもらえたかなあ…。懇親会で飲み屋を2軒はしごする。店から一歩外に出ると、思わずぶるっと震えて身が縮こまる寒さだ。タクシーで午前1時過ぎに帰宅。

 「ファーストインパクト」へのリンクをきのう紹介したら、早速大勢の方が見物にきてくださった。ありがとうございます。でもあまりのミーハーぶりとショウモナイ内容に、皆さんあきれてしまったのではないだろうか…。こっちとあっちとの落差も大きすぎたりして…。まあいっか。そーゆーやつなんだから仕方ないよな〜。


11月30日(火曜日) 憲法順守は公務員の義務でしょ?

 東京の日野市で小学校の先生たちの話を聞く。教育公務員(先生)は日本国憲法(と教育基本法)を守る義務があるのだが、それは先生だけが対象なのではなくて、教育委員会の指導主事や校長はもちろん、すべての公務員には日本国憲法の順守義務が課せられているはずだ。ということは、地方公務員法(地公法)よりも上位に位置しているはずの日本国憲法で保障されている「思想・信条の自由」を守るのは、すべての公務員の義務なのであって、それをないがしろにするような職務命令や処分を出すのは明らかな職務規律違反ということになるんだよな。うん、そういうことなのだ。そういう当たり前のことが、当たり前のように通用する社会でなければならないよなあと心から思う。それにしても遠いよ、日野は…。八王子から横浜線の終電に滑り込み、さらに京急の終電へと綱渡りで乗り継いで午前1時過ぎに帰宅。もう少しで危うく八王子で一泊するところだった。まあ、それでもよかったんだけど。

 現在発売中の「ホームページガイド/2000冬号」(ゴマブックス)で「セカンドインパクト」が小さく紹介されている。ずいぶん前に編集部から掲載許可の連絡をいただいていたのだが、きょう書店で実物を見た。この手の本に掲載されるのは、僕が把握している範囲ではこれで3冊目くらいになるのかな…。活字メディアで紹介されたホームページを見て、実際にどれほどの方がインターネットでアクセスしてくれるのかはあまり分からないけれども。もしも見かけたら手に取ってあげてください。

 「サードインパクト」のアクセスカウンターの動作が、きょうに入ってからおかしい。きのうの数値よりも逆に少なくなっていたりするのだ。で、アクセスカウンターを設置してもらっている会社に問い合わせたところ、サーバーの性能アップのために情報の書き換え作業をしているのだという。作業完了まで誤動作があるらしい。ん〜、もうすぐちょうど5万件になるというのに締まらない話だなあ。アクセスカウンターの数値は目安みたいなもので、そんなにこだわっていないとは言っても、一応の概数は見ているわけだから早く正常に戻ってほしい。


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