身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2000年2月1日〜2月29日

●横浜市職員の対応について●キーボードカバー●古本屋のクズ本の評価●百姓と漁師●子どもたちの素朴な質問●逃走●漫画が好きでどこが悪い●最後の授業●インタビューの基本姿勢●英語の吹き替え●「編集部の都合」●「使えるバッグ」の条件●貧乏暇なし?●勇気ある証言●小さな連載の集合体●プロバイダーの接続状況●布団乾燥器の威力●セカンドインパクト2万件●取材ノート●民主的な話し合い●問題の本質は「強制」にある●取材は楽しい●公共の場所なのに…●興味の対象●話を聞きたい人は大勢いるが…●相手の立場と記者の立場と●言論封殺●元気な高校生たち●思い切りの良さ●●●ほか


2月1日(火曜日) 横浜市職員の対応について

 横浜市教育長を取材。取材を申し込んでから1カ月以上も待たせた挙句に、市教委の担当職員は「15分しか時間が取れません」などと不愉快なことを言う。おいおい。しかも、教育長が(発言内容はともかくとして)それなりにまだ話そうとしているのに、途中で何回も「もう時間です」と言って職員が堂々と介入してくるのには絶句させられた。今までにいろんな取材をしてきたけど、珍しい対応だなあ。そういうことは少なくとも遠慮がちに言うものだろう。などと言いつつ結局は30分近く話を聞いた。それにしても取材に限らず、横浜市職員の市民に対する態度や姿勢は、国やほかの自治体職員と比べてもやはりかなり異様だ。昨年12月22日付の「身辺雑記」にも少し書いたけれども、他者と相対する場合の基本的な姿勢がおかしい人が多いように思う。これはほかの市民やジャーナリストたちも、同じような感想を述べているんだけどな…。

 キーボードカバー 上大岡のヨドバシカメラで、デスクトップパソコン用のキーボードカバーを購入する。ほこりがたまるのを防ぐためだ。今まで何も対策を取らなかったのが不思議なくらいである。だがしか〜し。何だかキーが打ちにくいなあ。キータッチの感触がとても重い。慣れればどうってことないのだろうか。しばらくは使ってみるつもりだが、どうしても耐えられそうになかったら外してしまおう。

 本がたまる… 貞本義行画集「DER MOND」普及版を買う。昨年発売された高額の画集はちょっと手が出せなかったが、普及版は3千円なので何とかなるかなという感じだ。「新世紀エヴァンゲリオン」を中心に、描き下ろしイラストやイメージボード、映画ポスター、CDジャケットなどが満載されていて、作品に登場するキャラクターたちの表情が独特の色使いとタッチで描かれている。巻末に作者本人の作品解説もあって、それなりにお買い得の一冊かもしれない。さらに鬼頭莫宏「なるたる」のコミックス第4巻がようやく発売になっていたので購入する。いつになったら読めるのかは分からないが…(涙)。そう言えば「十兵衛ちゃん/ラブリー眼帯の秘密」のコミックスも買ったままで、まだ読んでいない。そんなふうに本棚に積み上げられている文庫本や新書もいっぱいだ。どんどんたまっていく一方である…。

 古本屋のクズ本の評価 そんなわけで、保存の必要がまるでないゴミみたいなコミックスを古本屋に売り払った。クズ本を売るのは昨年10月に続いて今回が2回目だ。その時に売った古本屋とは別のところに最初持ち込んだら、何と15冊で780円という金額を出してきた。いくらなんでもそれはひどいと思ったので、「また来ます」と言って引き上げる。方向転換してやっぱり前回の古本屋に行ったら、そこが出してくれた金額は1200円だった。これは即決するしかない。同じクズ本でもこんなに評価が違うんだなあ〜。捨てるならリサイクルすべしである。しかしそもそも、そんな無駄遣いをしなければよかったのだ。


2月2日(水曜日) 百姓と漁師

 Aさんのところで3時間、Bさんのところで2時間半、Cさんのところで2時間、それぞれじっくり話を聞く。3カ所とも大収穫があった。その上でさらに種まきもちゃんとしてきた。夜遅くになってからの電話取材も好調で、こっちもまた手ごたえありだった。長時間連続で話をしたから疲れたけれど、充足感があるので心地よい疲れだ。精神的には充実している。

 収穫やら種まきやらと表現したが、記者の仕事というものは、畑を耕して種をまいて立派に実った作物を収穫する百姓のような作業と、海に出かけて魚を獲ってくる漁師のような作業との二つのやり方がある。前者は言ってみれば「農耕型」で、さまざまな分野や考え方の人たちと顔をつないで信頼関係を築いて、気軽に話や情報交換できるネットワークをつくるのがポイントになる。そうやって、しっかり育てた人間関係を生かしていろいろなネタを仕入れてくるのだ。つまり「この人なら信頼して話ができる。話をしてもいい」と相手に思ってもらえるかどうかということでもある。これに対して後者は「狩猟型」である。これはと思う場所や人に当たりを付けて単刀直入に話を聞いたり探りを入れたりするわけで、感性や直感や切り口や経験が大きくものを言う。どちらの手法も、記者としてはおろそかにできない基本的で地道な作業だ。結局のところは話や情報を提供してくれる人から、自分のことを記者としても人間としても信用してもらうことが一番大切なんだと思う。もちろんお互いの相性の問題もあるし、何より僕自身が相手のことを信頼したり好きになったりするのも重要なんだけどね。

【注】「百姓、漁師」という言葉は新聞などでは「差別語・不快用語」だとされているが、僕はこれらの職業に対する深い尊敬の念を込めて、あえてこうした表現を使った。


2月3日(木曜日) 原稿書き

 終日、原稿書き。これまでため込んだ資料や取材ノートをひっくり返していろいろと検討する。原稿を書く時にもテンションを上げないと、まるでやる気が出なかったりするんだけど…(以下略)。


2月4日(金曜日) とりあえず1本脱稿

 ふう。ようやく、中編ルポルタージュの原稿を一つ片付けた。どうやら取材をし過ぎたようで、取材ノートも複数冊にまたがって大混乱だ。う〜ん。適度な取材が大切かもしれない。目いっぱい広げたメモやら資料やらファクスやらが部屋中に散乱する。しかし、これからすぐに書いておかなければならない原稿がもうあと2つあって、それはどうにかなると思うんだけど、しかし今月末ごろから集中連載する予定のルポルタージュの取材がまだ半分も終わっていなかったりするし…。大丈夫なのかなあ…。そのほかにも、頼まれている雑誌取材があるんだよなー。何だか、すっごく不安だ。

 でもって、とりあえず原稿を書き終えた後始末で散乱した資料を片付けていると、本棚のすき間に突っ込んであったファクスの束を整理したくなってくる。結構な量がたまっている。市民集会の案内とか雑誌のゲラとか友達からのファクスレターとか、さらには忘年会のお知らせや新聞記者時代の勤務表までが出てきた。なかなか懐かしいものがあるので、半分ほどは紙袋に入れて保管することにして、残りは切り裂いて廃棄処分にする。それにしても、紙を大量に無駄遣いしているものだなあと、つくづく感じてしまう。


2月5日(土曜日) 子どもたちの素朴な質問

 愛媛県の小学校の先生から「新聞と新聞記者」についての質問をいただいていたのだが、ようやく返事のメールを書いて返信する。忙しくてなかなか返事が書けなかったのだけど、とりあえず原稿をきのう一つ片付けたので、今を逃したらしばらく時間がないと考えて、だあ〜っと書いた。「情報と生活」という学習で「新聞」について5年生が勉強しているそうで、子どもたちの率直で素朴な質問がぎっしり書かれていた。一つ一つに答えるのは結構大変だ。覚悟はしていたがそれなりに時間がかかってしまった。小学生の子どもたちにやさしく分かりやすく書くのはとても難しい。でもそれはそれで、自分にとっても「やさしく書く」という勉強になったかもしれない。それに「伝える」という職業に関心を持ってくれた子どもへのメッセージなんだから、社会還元みたいなものだろう。

 ちなみに、子どもたちからどんな質問が出されたのかというと、1)1日に何カ所ぐらい取材をするのか。2)1内容につき原稿は何枚ぐらい書くのか。3)1日の新聞を作るのに、どのくらいの時間かかるのか。4)同じ内容について取材する人は何人か。5)記事を載せる順番はどうやって決めるのか。6)新聞社には、どのくらいの人が働いているのか。7)原稿が間に合わないことはあるのか。8)採用されない原稿はあるのか。9)仕事は何時から何時までですか。10)休みはありますか。11)たいへんだなと感じたことはどんなことか。12)よかったと感じたことはどんなことか。13)記事を書くときに気をつけていることはどんなことか。…といった内容だった。これ全部にやさしく分かりやすく的確に答えるのって、一見すると簡単なように見えるけれど、実際にはなかなか難しいと思うよ。きちんと答えられたかどうか自信はないが、でもせっかくだから何らかの形で「回答集」をホームページにアップしようかなあ…。あ、もちろん暇になったらね。

 市民集会で話を聞く。もちろん話は玉石混交なんだけど、これはという取材のヒントが見つかった。エピソードの一つとして連載の中で使えればいいのだが、取材できるかどうかはこれからの交渉次第だろう。相手の事情とかもあるし。集会の後、高校の先生に誘われて近くの居酒屋に飲みに行く。お腹が空いていたのでビールを飲みながら、おでんや肉じゃが、おにぎりなどをむさぼり食う。


2月6日(日曜日) 爆睡

 昨夜から頭とのどが痛くて鼻水が出る。結構ハードスケジュールが続いているから、ひょっとして風邪がぶりかえしのたかも…。それはやばいと感じたので、暖かくして夕方まで爆睡したら、少しは楽になったような気がする。現像&プリントに出していた写真を、夕方から受け取りに行く。ルポに使う写真だ。

 逃走 万引きの逃走現場というのをたまたま目撃した。港南台の本屋に寄ったら、出入り口の外で男性二人がつかみ合ってもめている。そのうち男性の一人が車に乗り込んで、もう一人の男性がドアを押さえたままの状態で車が走り出した。そこのところは遠くから見ていたので詳しくは分からないが、ドアを押さえていた男性が「警察を呼んでください」と大声で何回も繰り返し叫ぶのははっきり聞こえた。近くにいたあんちゃんが携帯で110番通報する。えらいぞ、あんちゃん。責任感と正義感のある行動だ。走り出した車を少しだけ追ってみたが、ずっと先に行ったみたいで見えなくなった。う〜ん、そのまま車を走らせたとしたら、ドアの外の男性は大怪我をするぞ。しばらくしてパトカーが到着。通報したあんちゃんは冷静にしっかりと状況を説明していた。そうこうするうちに、万引きをとがめられて逃走したらしいことが判明する。運転していた男性は車を放置して逃げたという。取り押さえようとした男性の安否は不明である。ささいな事件だけど、見てみぬふりをする人ばかりではないっつーことだ。


2月7日(月曜日) 漫画が好きでどこが悪い

 小田急線の海老名駅で、すぐ隣に立っていた女子高校生2人組の会話が聞こえてきた。反対側のホームで真剣な顔をして本に見入っている同級生の女の子を評して話しているらしい。「あれ、ヤマダじゃん。真剣に読んでいるの絶対に漫画だよね」「うん、絶対にそうだよ」「何であんなに左肩が傾いているのかな」「かばんの中に漫画がいっぱい入っているんじゃない」「エヴァンゲリオンの人形が入っていたりして」「うん、たぶん入っているよね」「あの髪の毛、おかっぱ?」「ヤマダカットって言うんだよ」「名前が付いているんだ」…。再現するとこんな感じで、聞いていてとてもおかしかった。でもさあ、そのヤマダと呼ばれていた子は綾波レイに少し雰囲気が似ていて理知的で、少なくとも評論していた2人組よりはるかにかわいい女の子だったぞ(笑)。それに、彼女が読んでいたのは漫画だとは限らないじゃん。そもそも漫画が大好きでどこが悪いんだっつーの。まあ、どーでもいい話なんだけどさ、電車で移動しているといろいろと面白い場面に出くわすとゆーことである。

 最後の授業 「自分で考えることの大切さ」を授業で訴えて、市教委に処分された八王子市の中学校の先生から4時間ほど話を聞かせてもらう。この先生は、僕が3年半前に書いたルポ「教育の曲がり角」を読んでくれていたそうで、しかも主人公の少女に応援の手紙まで書いて送ってくれたのだという。さらに別のルポ「校長たちの苦悩と葛藤」も読んでくれていた。う〜ん、これって記者みょうりに尽きるなあ。感激だあ。「先生の授業が聞けて本当によかった」と教師が子どもたちに言ってもらえるのとたぶん一緒だろう。卒業していく3年生に向けて行ったこの先生の最後の授業は、そういう授業だった。それなのにどうして処分されなければならないのか、少なくとも僕にはさっぱり理解できない。この件はもっと取材を重ねた上で、近くルポルタージュにまとめる予定だ。


2月8日(火曜日) 漫画雑誌の発売日について

 僕がいつも必ず読んでいる漫画雑誌は、ビッグコミックスピリッツ、オリジナル、スペリオールの3誌である。これらの雑誌の発売日と原稿を書く集中力とは、実は密接な関係があったりする。出たらすぐに読まないと気が済まないので、原稿書きなどで忙しい時にさみだれ式に発売されると気が散って仕方ないのだ。ちなみにこの3誌は、スピリッツが毎週月曜日、スペリオールは毎月1日と15日、オリジナルは毎月5日と20日にそれぞれ発売される。今月は3日前にオリジナルが出て、きのうの月曜日にはスピリッツが出たので、次のスペリオールが出る15日までの1週間以上は少なくとも漫画雑誌に仕事を邪魔(?)されることはないというわけだ。結構じっくりと時間をかけて読むタイプの上に、雑誌の場合は誘惑に負けて必ず読んでしまうんだよなあ。単行本やビデオは我慢できるんだけどね。おっと、またまたどーでもいい話だった…。

 関内駅前のヤマギワソフトでファクス用紙を買う。このところ、なくなるのがやたらに早い。3本で千円ちょっとの値段である。市販価格の半額以下なのでとても助かる。午後から電話をかけまくって、問い合わせや事前取材やアポ取りなどをした。おまけに、いろいろなところから電話やファクスが次々に入ってくる。そんなわけだから、数えてみたらきょうは全部で20本以上は電話で応答したことになる。疲れた。


2月9日(水曜日) インタビューの基本姿勢

 きょうの朝日新聞夕刊のインタビュー記事で、全くその通りだなと感じる記述があった。「私が納得できるか。感動するか。まず自分が驚かなければ、人に驚きを伝えることはできないということでしょうか。まず私に興味や好奇心があって、それが満たされた時に初めて人に伝えることができるのだと思います」「読者ではなく自分が知りたいことを調べて書く」…。

 NHKベテランアナウンサーに、インタビューの心得について聞いている記事だ。とても納得できるので、取材している記者の質問とアナウンサーの答えの部分とをまとめて引用してみたけど、人から話を聞いてそれを「伝える」という作業で一番大切なのは、こういうことなのだと思う。人から話を聞く時には、自分自身のためにまず聞くわけで、そうでないとそれを人様に「伝える」などという大それたことはできない。人から話を聞き出すのは、テクニックとかノウハウではないのである。僕もそんなことを感じながら記者の仕事をしてきたので、とっても共感できた。

 そして「知ってるつもりや、分かったつもりにならないこと。いい話を聞くことができた、うれしいなという気持ちをなくさないためには、よい意味でのアマチュアリズム、いつも素人のような心を持ち続けること。それがプロではないか」という部分も、心の迷いが取れたような気分になった。十年以上も記者の仕事をしてきて、僕はいつも新人記者のように「よく分からないので、いろいろと教えてください」というスタンスで話を聞いてきたのだけど、果たしていつまでもそんな初心者みたいな態度で取材していてもいいのかなと、実のところ不安や迷いの気持ちが少なからずあったのだ。でも、この記事を読んで「ああ、それで全然いいんだ」と安心させられた。中堅になってもベテランになっても「少年のような好奇心と素直さ」こそが大事なんだ。

 英語の吹き替え 書かなければならない原稿から、まるで逃避するかのようではあるけど、3時間もかけて「となりのトトロ」と「新世紀エヴァンゲリオン」のビデオの英語版を見た。主題歌から台詞まで、すべてアメリカ人による完全吹き替えである。「となりのトトロ」は、最初のうちはサツキとメイの声がなじめなかったので、話や画面全体にまで違和感を感じたが、物語の中盤以降はそれも消えて、それなりに話に没頭することができた。きっとあの違和感は、日本語の微妙な言い回しや言葉遣いの柔らかさが、アメリカ人特有の大げさな発音や表現によって壊されていると、日本人である僕の心が少なからず感じたからだろう。台詞をしゃべっているのが正真正銘のアメリカ人なのに、画面いっぱいに広がっているのが日本的な風景描写だからなあ。そこに何となく、文化的ギャップを感じ取ったのかもしれない。でも、ばあちゃんやお父さんは、そのものずばりの声だったので次第に物語に引き込まれていったように思う。「エヴァンゲリオン」の英語吹き替え版は最後まで違和感が残った。日本語のオリジナル版に出演しているのが、みんなそろって個性ある声優ばかりだからだろうな。シンジもミサトもゲンドウも冬月先生もかなりイメージとずれているし、声のトーンや口調のようなものがオリジナルとはまるで違う。声の持つ力は大きい。


2月10日(木曜日) 「編集部の都合」

 来週発売の「週刊金曜日」に載る予定だった中編ルポは、編集部の都合で延期されて、来月初めに掲載されることになった。そんなまた、突然に…。来月予定している集中連載(全3回)の前に持ってきて、合わせて全4回にするという。テーマとしては同じだから一緒の連載にしてもいいけどさあ、3週間も掲載が遅れたら、何のために早く原稿を書いたのか分からなくなるじゃん。記事掲載のタイミングというものもあるし。集中連載の日程は知った上で掲載日を決めたんじゃないのか、まったく…。でももう決まったことだとゆーのだから仕方ないっつーか、今さらどうしようもないじゃん。取材先の何人かには掲載告知をしてあるんだっつーの。訂正の連絡を入れなければならんぞ。面倒くさいなあ〜。

 八王子で取材。ん〜、八王子はめちゃ遠いなあ。そもそもJR横浜線はとろとろ走って時間がかかりすぎるよ。しかも帰って来るのがこれまた大変である。東神奈川なんて中途半端な駅が終点なのはなぜなんだ。どーにかしてください。


2月11日(金曜日) 「使えるバッグ」の条件

 世間は3連休だけど、群馬・新前橋まで取材に行く。主婦向け雑誌のお仕事である。編集者とカメラマンと一緒に、東京駅から新幹線に乗る。指定席を確保しておいたからよかったけど、自由席ならまず座れなかっただろうという混雑ぶりだ。前橋は思っていたほど寒くはなかった。むしろ暖かいとさえ感じたのは、天気がよくて風が止まっているからだろう。帰りは夕方。編集者が買ってくれた高崎名物「だるま弁当」を新幹線の中で食べる。上大岡で少し大きめのショルダーバッグを物色するが、いいものがない。この前からいろいろと探しているのだが、なかなか「これは」というものが見つからなくて困っている。「使えるバッグ」の条件は、1)適当な大きさや容量があって、2)軽くて、3)ポケットが内外にいくつも付いていて、4)デザインがよくて、5)値段がほどほどであることだ。取材ノートや手帳や筆記具や資料を入れてどこにでも持って出かけるから、どれも欠かしたくない重要なポイントなのだが、なかなかすべての条件がそろわないんだよなあ。実は先日、横浜駅ビルのかばん屋でそこそこ条件がそろったブツがあったのだ。しかしそこの店長が商品説明そっちのけで、自分や息子の学歴自慢や説教を延々と始めたのに辟易してしまい、しかも値段が3万円近くもするので、買わなかったことがあったんだけどね…。


2月12日(土曜日) 貧乏暇なし?

 「月刊司法改革」のインタビュー原稿を書き上げる。取材相手による下読みチェックも無事に終了したので、担当編集者のアドレスに早速メールで送信する。今回は前回のように書き直すことにはならないだろうと思う。電話取材やアポ取りもやったぞ。あすもまた取材予定が入っているし、この3日間ずっと働き通しじゃん。なんて働き者なんだろうか。あ、「貧乏暇なし」をそのままやっているだけか(爆)。いやいや、要領の悪い怠け者のツケが単に回ってきているだけだという説もあるが、今さらそのことを吟味してみても意味はなかろう。メールの返事などをいくつか書いて出す。

 【訂正】え〜っと、きのうの「身辺雑記」で、だるま弁当を「前橋名物」と書いてしまったが、あれは「高崎名物」の誤りだった。群馬県出身の方からご指摘を受けた。「高崎市の少林山達磨寺に由来する弁当」なのだそうだ。ん〜、そう言えば弁当の包み紙には製造元として「高崎弁当」と表示してあったなあ。弁当を買ったのもよく考えてみたら高崎駅だったような気がする(汗)。とゆーわけで、訂正します。ご指摘ありがとうございました。


2月13日(日曜日) 寂しい駅前

 主婦向け雑誌のお仕事で、編集者とカメラマンと一緒に神奈川県の大和市内で取材。相鉄線の某駅で待ち合わせたのだが、横浜駅から間違えて湘南台行きに乗ってしまった。中途半端な駅で途中下車したから急行には追い抜かれるし、その後の接続は悪いしで、遅刻してしまう。単純な路線のようにみえる相鉄線だけど、意外に分かりにくくて不便なことを身をもって体験した。焦って変な駅で降りたのが敗因だったのだろうけど。で、横浜からわずか数十分のところだというのに、到着した某駅前には見事なほど何もない。客がだれもいないパチスロ店とそば屋とピンクサロンしかないのだ。あまりにも寂しくて物悲しい風景に、とてつもない田舎街みたいだなあと驚かされる。一昨日に行った新前橋の方が、ずっとにぎやかだったよな〜。


2月14日(月曜日) 勇気ある証言

 とある場所で正規採用ではない公立学校の音楽の先生から、学校現場や教育行政のおかしさについて話を聞かせてもらった。正規採用ではないから身分は不安定で、思っていることや感じたことを、自由に話すことができない立場にいる。不用意なことを発言してそれが管理職や教育委員会にばれたら次の職場の保証は一切ない。そのこと自体がとてもおかしいのだけど、しかしその先生は職を失う恐怖と闘いながら、記者である僕に具体的な体験を話してくれた。子どもや教育に対するあふれるばかりの愛着や熱い思いは、話を聞いていれば痛いほど伝わってくる。子どもたちに音楽の楽しさを教えることを、生きがいのように感じている先生なのだ。下手をすれば大好きな教師の職を失うことになるかもしれない。それでも何回かの説得を経て、「学校のおかしな現状を何とかしなければ」という思いから取材に応じてくれたのである。「勇気を振り絞ってここに来て話をしているんです」。先生はそう言ってくれた。話を聞きながら、理不尽な教育行政や管理職の姿勢にふつふつと怒りが沸き起こってくるばかりだった。この先生の勇気ある証言と信頼にこたえるのが、記者としての責任だと心に誓った。


2月15日(火曜日) 小さな連載の集合体

 出しておくべき原稿はとりあえずみんな書いて、ゲラのチェックも終わったので、来月掲載される予定の「日の丸・君が代」集中連載に時間を注入できる状態になった。で、ついつい新聞の感覚で考えてしまうのだが、雑誌のルポルタージュ記事というのは、新聞の連載記事の集合体みたいなものだなあと思う。新聞に載っている小さな連載の積み重ねが、雑誌のルポ1回分になっているわけだ。そして、そうした各回のルポがさらに集まって、全体のシリーズを構成していることになる。つーことは、雑誌連載の1回分は新聞連載の5回分くらいの分量があるから、雑誌の4回連載というのは新聞で言えば20回連載を書くと考えればいいのだろう。雑誌にルポを書くようになって、各回の構成や項目建てを検討する時には、そんなイメージを頭に思い浮かべるようにしている。


2月16日(水曜日) プロバイダーの接続状況

 昨年暮れあたりから、契約しているプロバイダーの接続状況が急激に悪化している。テレホーダイの時間帯が始まる午後11時を回るとずっと話し中になって、午前1時ごろまでインターネットにつながらない状態がしばしばあったのだが、ここ最近はこのひどい状況に拍車がかかってきた。週末ではなくて平日だというのに、午前2時ごろまで混雑が続く日が出てきたのだ。うまくいけば2〜3回のリダイヤルですぐに接続できる時もあるけれども、しかし何回かけてもつながらない状態が延々と続くと、本当にイライラさせられる。ホームページの更新をするだけならまだいいんだけど、原稿やデータなどを編集者と急いで送受信しなければならない時は、まじで困ってしまう。時間のロスによるマイナスは、あまりにも大きいんだよなあ。プロバイダーに善処を申し入れて、それでもらちが明かなければ何らかの対策を取ろうかなあと思い始めた。


2月17日(木曜日) 布団乾燥器の威力

 「強い冬型の寒気に覆われている」だとか「厳しい真冬の寒さ」だとかと言われてはいても、日中の横浜はそれなりに暖かかったりする。ちょっと走ったりすると汗をかいたりして。だがしか〜し。いったん太陽が沈んでしまうと、気温は一気に下がる。この寒暖の差は激しいものがあって、特に朝方まで起きている時は震え上がってしまうのだ。外は氷点下近くにまで下がるから、エアコンだけでは部屋が暖まらない。電気カーペットはもちろん全開にするが、最大のポイントは何を隠そう布団乾燥器なのだ。元同僚記者に薦められて2年前に買ったこの布団乾燥器は、単に布団を乾かすだけの代物ではない。寝る前に稼働させれば寝床はぽっかぽかになるし、しかも部屋全体も同時に暖めてくれる優れものである。実は布団乾燥器は暖房機具だったのだ。もうこれなしには冬は越せません、というくらいわが家では重宝している。

 接続状況 契約しているプロバイダーに「テレホタイムは混雑してインターネットに接続できないので何とかしてほしい」と申し入れたら、早速回答をいただいた。アクセスポイント(AP)の移設によって、混雑しているところが出ているらしい。「回線の増設をNTTと調整しているので、今しばらくお待ちください」とのことだった。誠意ある内容だったので少し様子を見ようと思う。

 セカンドインパクト2万件 「セカンドインパクト」のアクセス件数が2万件を超えた。地味なページなのに少しずつカウントを増やしていたんだね〜。しみじみ。ご訪問いただいた皆様に感謝である。そんなわけで、近く2回に分けて更新作業をする予定だ。玄人受けするサイトかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします。


2月18日(金曜日) 取材ノート

 ここのところ僕の取材ノートには、貴重な証言がたくさん書き込まれていく。どれもこれも「取り扱い注意」であるものばかりだから、責任は重大でとても緊張する。どの人も僕という人間を信頼して取材に応じてくれるわけで、こうした協力者を記者は徹底して守らなければならない。どこのだれから話を聞いたなんてことは、親兄弟や恋人や親友や上司にも、決して明かさないのが記者の基本倫理だ。いわゆる「ニュースソースの秘匿(取材源を守る)」とゆーやつである。証言者や情報提供者の存在は、取材記者しか知らない秘密事項なのである。そういう意味で取材ノートは、ひょっとすると記者にとっては命よりも大切なものなのかもしれない。せっかく聞いた話がいっぱいメモしてあるので、無くなったりすると原稿が書けなくて困る、と言うだけの存在では決してないのだ。

 6年くらい前に、帰宅してショルダーバッグを開けたら、入れたはずの取材ノートが見当たらなくて青くなったことがあった。新聞社の遊軍席で仕事をしてから引き上げたので、すぐに会社に電話して机の上を探してもらったが見当たらない。もしかしたらと思って隣の席に座っていた同僚記者の自宅に電話をしてみると、その記者がうっかり自分のバッグに入れて持ち帰っていたことが分かった。緊張の糸が一気に緩んでいくのが実感できた。取材ノートが一瞬でも行方不明になったのは、後にも先にもこれ一回だけだ。それにしても見つかるまでの1時間ほどは、本当に気が気ではなかったな。そのノートにはたまたま重要なメモは書かれていなかったから、もしも無くなってもさほどダメージはなかったかもしれないだろうけど、基本的には無くしたり他人に見られたりすると、とても困ってしまうものだと考えていい。取材ノートは記者の魂なのだ。


2月19日(土曜日) 民主的な話し合い

 東京・文京区で「日の丸・君が代」強制反対ホットラインの開設集会を取材する。学者や市民や教師らの話をいろいろ聞いたが、その中で特に印象深かったのが、埼玉県立所沢高校の男子生徒の発言だった。「本気で強制に反対などと言っている生徒なんかいない。生徒は自主的に動いているというよりは、教師に操られて動かされているんです。無理やり熱くさせられている気がします」と彼は心情を吐露した。そして続けた。「教師たちは、無関心な生徒を汚いものを見るような目で、軽蔑したような目で見るんですよ。本当に心が広くて寛容なら、そういう生徒の存在も認めればいいはずだ。そんな教師たちは校長先生の言い分をまるで聞こうとしない。敵対心をむき出しにして話し合いにもならない」。

 自由な校風にあこがれて所沢高校に入学したというこの男子高校生の訴えは、民主的な議論や話し合いだとか、民主的な運動の在り方というものに対して、鋭い問いかけをしていると思う。そして同時に、教師と生徒との関係についても、貴重な問題提起をしていると思うのだ。「日の丸・君が代」の強制に反対するのならば、他者に対する不当な強制や押し付け(内心の自由、思想・信条の自由に対する侵害)についても、同じように心を配るべきだろう。髪型やスカートの長さなどについて、教師の多くは一方的に特定の考えを押し付けて、生徒の「内心の自由」を侵してこなかっただろうか。そこのところをきちんと認識しておかないと説得力がないし、いくら主張しても幅広い支持は得られないだろう。ルポ「教育の曲がり角」に書いた少女の話と通じるものがあると感じた。

 高校の先生宅で飲み会があるからと誘われていたので、集会の取材を終えてから新宿まで出て、小田急に乗って藤沢へ向かう。新築の超豪華マンションだ。手作りの海苔巻きや野菜炒めなどをご馳走になって、ビールや日本酒を飲む。口当たりのよいおいしい日本酒だったので、日本酒が苦手な僕にも飲めた。教育論議に花が咲く。所沢高校の生徒の話をしたら、みなさん関心を持ってくれる。生徒とどう向き合うか、いかに日ごろからコミュニケーションを持つかなどと、しばし議論が続いた。午前零時過ぎに帰宅。


2月20日(日曜日) 問題の本質は「強制」にある

 東京地方は雪になるという話だったが、小雨が降った程度の一日なのでほっとする。雨と違って雪は降った後が大変だからなあ。2カ月近くも洗車をしていない愛車は、ほこりだらけで真っ白になっていたけど(汗)、小雨のおかげで少しきれいになった気がする。洗車しなくてよかった。…っておいおい、それは違うだろー。いくら何でも、もうそろそろ洗ってあげなければ。

 午後から「日の丸・君が代」関係の取材をする。ある集会の2次会の席で、きのうの「身辺雑記」で書いた所沢高校の生徒の発言を紹介してみたが、いま一つの反応だった。高校生の訴えの趣旨や純粋な思いを理解しようとするよりも、学校の状況や政治情勢といった方向に関心が向いてしまうのはとても寂しく残念に思った。「日の丸・君が代」の本質はやはり「強制」や「押し付け」にあるし、それは内心の自由を侵すことにほかならない。この「強制」ということについて深く考えない人は、「日の丸・君が代」の反対・賛成・無関心に関係なく、他者への思いや想像力が欠如しているのではないかと僕は疑う。そして強制の日常化は「上から言われたことに無批判に従う人間をつくること」にもつながるだろう。自分の頭で考えて判断して行動することを許さないわけだから。「日の丸・君が代」の果たしてきた歴史的意味や、これから果たそうとしていることの問題の本質は、だからこそ「強制」や「押し付け」にあるのだ。所沢高校の生徒が訴えていたのはそういうことなんだけど、なかなか分かってくれない人もいるんだなあ…。これは民主主義の在り方を考える上で、とっても大事なことだと思うんだけどね。


2月21日(月曜日) 取材は楽しい

 「取材って本当に楽しいよね」。僕の最も信頼している新聞記者の友人の一人が先日、久しぶりに会った時にしみじみとそう話していた。社会性があってレベルの高い記事を、いくつも書いている記者の発言なので説得力がある。しかしそれにしても本当に取材は楽しい。もちろん、しんどくて大変なこともたくさんある。けれども会いたい人に会って、自分が知りたいことや疑問に思っていることを直接質問して確かめることができるんだから(確かめられなくても、少なくともおかしな言い訳は聞ける)、こんなに充実感があって満足できる作業はそうそうはない。おまけにそれを人様にお伝えすることができるのだ。素晴らしくやりがいのある仕事だよなあ。

 早朝に愛車で家を出て川崎市北部へ向かうが、幹線道路が大渋滞していたために予定時間に間に合わず、取材は空振りに終わる。ああ、ほとんど寝ていないのに…。教職員組合に立ち寄って雑談をしてから、自宅に戻って2時間ほど仮眠。夕方から議員さんと焼き鳥屋で飲みながら話を聞く。塩加減も焼き具合も程よくて、とってもうまい焼き鳥だった。馬刺しもなかなかの味だ。そう言えば、きのうも居酒屋でおいしい焼き鳥を食べた。

 「セカンドインパクト」を更新。「インタビュー/司法改革」のページに、薬害エイズ問題について発言を続けている川田龍平さんの話を掲載した。さらに今週中には、新しいコンテンツを追加更新する予定だ。月刊誌の「ニフティ・スーパーインターネット」に昨年連載したコラム記事を、「コラム/インターネット論」としてまとめて掲載する。連載は中途半端な形で終わったが、書いておきたいことをそこそこは書いたつもりだし、「読みたい」と言ってくださる方もいるようなので公開することにした。


2月22日(火曜日) 公共の場所なのに…

 ファミレスに入ったら、十メートルほど離れた席で4人の男女が大声で話をしていた。50歳代後半くらいの男と、30歳代〜40歳代くらいの女が3人。男は小中学校の教頭ふうで、女たちはヒラ教員みたいな感じだった。何の根拠もないけど。で、その教頭ふうの男はでかい声で、東南アジア旅行の話を延々と続けているのである。貧乏な国だから女性はみんな売春をしているとか、商社員がそういう国に行くと必ずその手の店でいかがわしいサービスを受けるのだとか、日本人の海外駐在員はメイドや門番の常駐する屋敷に住めるから仕事以外は何もしなくていいのだとか、物価は日本の十分の一だから何でも買えるんだとか…。もう言いたい放題。「女性蔑視や事実関係を無視した差別的な決め付け方はもちろん論外だけど、もしも東南アジアのどこかの国の人が店の中にいてこの話を耳にしたら、絶対に怒り出すか悲しい気持ちになるだろうなあ」。そう思ってとても不愉快に感じていると、今度はホテトルや街娼などといった日本の女性売春の話を、具体的に説明し始めた。横浜市内のどこそこの街角で声をかけてくる女がいるとか、どこそこのマンションやホテルに行くと、こんなサービスをやっているとか…。微に入り細に入り解説するのである。

 おいおい、いい加減にしろって。そんな話を公共の場所で、しかも店中に聞こえるような声でするなよ。馬鹿じゃないか。でももっと驚かされたのは、同席して男の話を聞いている女たちの態度だった。ただ黙って聞いているだけではなくて、うなずきながら合いの手を入れたり、自分なりの感想を言ったりして感心しながら聞いているのだ。男の大声や内容をたしなめようなどという気配はまるでない。う〜ん、女性性を完全に無視したこの男の自慢話は、実は自分たちに向けられているのと同じなんだということが、分かっていないんだろうなあ。ここまで素直なまでに差別意識を丸出しにした言動を聞かされても不愉快に思わないなんて、それにしても信じられない。この人たちが教師でないことを願うばかりだが、しかし家庭では無自覚に親をやっているんだろうな。


2月23日(水曜日) 興味の対象

 他人の話を聞いた時にどこが重要で面白いと感じるかは、本当に人によって違うんだなあと、改めて思った。ある集会に一緒に参加していた知人の女性に、その中の特定人物の発言について感想を聞いてみたのだが、興味を持った部分が僕と彼女とではまるで別ものだったのだ。問題意識や考え方は2人ともかなり近いものがあると思っていたけれど、そういうことはあまり関係ないんだなあ。僕が記者として取材する視点で見ていて、彼女は市民運動の視点で見ているという立場の違いは当然だけどあるだろう。僕が「あっ、この話はもっと深く掘り下げて取材してみたい」と直感するものがあっても、記者ではない人たちにしてみたら(その時点では)どうってことないとしか感じていない、というのはよくある話だ。記者が意識して関心を寄せる部分と、そうじゃない人が見ている部分とはかなり違うのである。もっとも一口に記者と言っても、それぞれの記者によって違うことは違うんだけど。そういう意味で言えば、記者が関心を示すようなポイントを押さえた上で話をしてくれる人は、ツボを外すことがないのでとても助かる。もちろんそんな取材相手ばかりではないのは、言うまでもない。


2月24日(木曜日) 話を聞きたい人は大勢いるが…

 このところ連載取材の関係でいろいろな情報を得るために、これまで築いてきた取材ネットワークを駆使して電話をかけまくっている。親しい人からの紹介の紹介という形で電話する場合もある。それにしても、取材できる時間や時間帯というのは限られているんだよなあ。世間一般で言うところの勤務時間帯だと役所関係以外には電話しにくいので、昼休みとか夕方以降にかけることになる。さらに勤務先はまずいので自宅に電話しなければならないような時は、どうしてもという場合や親しい人でなければ、せいぜい夜の十時くらいまでが限界だろう(記者の自宅は大抵は何時でも構わないんだけどね)。ましてや初対面の人なら、あまりに遅い時間にかけると家族から怒られたり機嫌を損ねられたりすることになりかねないから注意が必要だ。そうなると接触できる時間というのは必然的に限られてくるのだが、僕としてはぜひとも話を聞かせてほしいと思っている人は大勢いるのに、なかなか全部にコンタクトが取れなくてとても困ってしまう。おまけに話したい人は次から次へと出てきたりするから、取材メモに書かれた「電話したい人のリスト」は一向に減らないのだった。

 これは直接取材で会いに行く場合も同じである。役所なら勤務時間帯に堂々と行けばいいのだが、個人的に会う場合やこっそり会ってもらう場合は、勤務時間帯を外すことになる。そうすると、これまたなかなかスケジュール調整が辛いものになるのだ。原稿の締め切りの関係から前後させられれば予定を入れ替えたりもするが、タイムリミットいっぱいだと残念ながら選んで会うしかなくなるのである。「ああ、もったいないなあ」と思いながら。

 追加コメント 2月22日付の「身辺雑記」について、女性読者の方から「男性と女性に上下関係があると、上司の機嫌を損ねないように女性は笑顔で応じるしかない」という感想メールをいただきました。おっしゃる通りだと思います。そのことは僕も十分に理解しているつもりです。だからそのファミレスで僕は、不愉快な思いをしながらも、実は気を付けて女性の言葉や表情を観察していたのです。一応は記者のはしくれですから、その人たちが「強いられて媚びている」のか、あるいは「まじで応対している」のかの違いくらいは、それなりに判断できるだろうと考えて「身辺雑記」に書くことにしました。もちろん、人間の内面までは必ずしも分からないと指摘されればその通りなので、絶対の自信があるわけではありませんが…。しかし、感想メールをくださった女性がご指摘くださった趣旨は、まったくその通りで、現代日本社会における男女の関係が対等では決してないことから言えば、十分考えられることではあります。そういう観点からの文章を念のために書き加えておくべきだったかもしれません。というわけで、この文章を追加コメントとして掲載することでご理解いただければと思います。貴重なご指摘をいただき、ありがとうございました。


2月25日(金曜日) くたくた

 主婦向け雑誌の原稿を書いて、電話取材をして、午後から横浜市内で議員と弁護士に取材して、夕方からは都内で市民集会を取材。う〜ん、めちゃ疲れた。東京駅から東海道線で帰ろうとしたら全線不通になっている。京浜東北線で人身事故があった影響だそうで、まったくえらい迷惑な話だ。仕方がないから横須賀線に回ると、振り替え輸送だから当然のことながら超満員である。おまけに金曜日の夜遅くの時間だし…。朝の通勤ラッシュ以上の混みようで人があふれ返っている。もっとも朝のラッシュなんて、もうここ何年も経験していないけど。くたくたじゃ。午前零時半に帰宅。

 「セカンドインパクト」に新しいコンテンツ「コラム/インターネット論」を追加更新しました。月刊誌「ニフティ・スーパーインターネット」に昨年連載したコラム記事を一挙掲載しました。


2月26日(土曜日) 相手の立場と記者の立場と

 当事者が書いてほしくないと考えることでも、記者としては書かなければならないことがある。できることならば納得してもらった上で書きたいと思うし、だからこそ可能な限り取材意図や執筆姿勢などを説明する努力をしているが、必ずしも納得してもらえるというわけではない。それでも書かなければならないことはあるのだ。相手の立場を考えた上で、けれどもどうしても書きたい(多くの人に伝えたい)と考えるのは、そのエピソードの社会的意味や公益性が限りなく高いと判断するからだ。「こんなにおかしなことが起きている」という事実が、もしもこのまま自分が書かなければ、表に出ないまま葬り去られてしまうことになる…。個人的に「知っている」だけで、その事実を「伝えない」という選択はできない…。そんな思いだ。もちろん何でも書くわけではなく、相手の事情を熟慮して判断するのだが、納得してもらえないまま書く時にはとても悩む。辛いけれどもそういう決断をすることにした。


2月27日(日曜日) 言論封殺

 「日の丸・君が代」の強制に反対する街頭演説を横浜市内で取材した。会場の桜木町駅前には右翼の街宣車十数台が結集。百人以上と思われる右翼の人々が押し寄せて、主催者側の市民グループを取り囲んだ。壁際に追い詰められた市民グループは、機動隊や制服警察官に幾重にも守られるような形になった。

 日の丸の大きな旗が何本も翻る。「お前らは日本人じゃない。日本から出て行け」などの野次と怒号が飛び交う。機動隊の守備線を突破して隙あれば襲いかかろうとする。さらに街宣車からは大音量の君が代と軍歌が絶え間なく流され続けている。市民グループが話し出そうとすると、たちまち怒声とサイレン音にかき消されてしまう。とても演説などできる状態ではない。市民グループは右翼と機動隊の包囲網から一歩も動くこともできず、発言も行動も完全に封じ込められて立ちすくむ状態が1時間半近くも続いた。道行く人たちは何事かと立ち止まって、見物の人垣が膨れ上がっていった

 異様な光景だった。これまでにいろんな集会やデモの取材をしたが、こんなのは初めてだった。正直なところ取材者という立場で見ていても怖かった。発言の機会がいとも簡単に奪われるという現実が目の前に繰り広げられている。何らかの意見を訴えたり疑問を呈したりすることが力によって封じられて、一切許されないとはこういうことを言うのだろう。この異様な光景を見て、通りがかった人たちは何をどう感じたのだろうか。日の丸・君が代に賛成とか反対とかいった主義主張を超えて、これは自分たち自身にも降りかかってくる問題でもあると思うのだが…。市民グループは予定していた街頭演説をわずか3分ほどしかできず、危険なのでデモ行進は断念した。それでも食ってかかる右翼の集団に取り囲まれて、なかなかその場から動けなかったが、制服警察官に周囲を守られて関係者は電車に乗り込んで帰途についた。


2月28日(月曜日) 元気な高校生たち

 元気いっぱいの高校生たちとたくさん話をした。いろいろと深く考えている高校生もいるし、そこそこ考えている高校生もいる。学園生活を目いっぱい楽しんでいる高校生がいて、漫画が大好きな高校生もいた。教室や生徒会室の雑然としたたたずまい、落書きや張り紙の一つ一つが輝いているように、僕には見えた。「ああ、高校生時代に戻れたらいいなあ」と懐かしく思うとともに、たぶん毎日が楽しくて仕方ないだろう彼女や彼らを、心からうらやましく感じた数時間だった。やっぱり一番面白い時だもんなあ。

 う〜ん、きょうは愛車で朝早くから動き回った。少なくとも百キロは走ったと思われるので、さすがに少々バテ気味だ。それにしても、このところ休みなく熱心に取材を続けているよな。われながら関心する。まあ、連載企画の原稿を書き終えるまでは、しばらくこんな状態が続くのだろう。あと2週間くらいかな。軽い気持ちで楽しみながら疾走しようと思う。きょう会って話した元気な高校生たちから、パワーを少し分けてもらったような気もするしね〜。


2月29日(火曜日) 思い切りの良さ

 朝から電話での確認取材に追われる。会議や打ち合わせなどで取材相手が席を外していたりして、夜までなかなか捕まらない人もいる。一日ずっとそんなことで時間を取られてしまった。まだまだ取材したいことはたくさんあるのだが、取材というのは続けていけばきりがない。でも「ここまで」という区切りを付けないと、いつまでたっても原稿が書けないわけだから、適当なところで切り上げる思い切りの良さが要求される。これがなかなか難しいのだ。そうは言っても、そろそろ連載2回目の原稿執筆に取りかからなければ、締め切りに間に合わなくなってしまうんだよなあ。


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