身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2001年11月1日〜11月30日

●移動時間●材料集め●正しい右翼の在り方●原稿との格闘●やっぱり「チャイナ・シンドローム」●「GO」シリーズ●シングルCD●冗談じゃない●「理念や志」こそ●眉村卓「幻影の構成」を読む●当たらぬも八卦?●東京ディズニーシー●吉◯家の牛丼●カレーとラーメン●学習●「ガッコの先生」●流れ星●韓国映画「リメンバー・ミー」●映画「GO」を観る●「金髪先生」第5回公判●ピアノ演奏●「悪文」の意味●やっぱり時計は必要●3冊まとめて●ウイルスメール●「エヴァ」第7巻●●●ほか


11月1日(木曜日) 移動時間

 午後一番で東京・有楽町へ。労働問題に詳しい弁護士から裁判の実態などの話を聞く。時間がないので大急ぎで昼食。秋サケの辛子マヨネーズ&バターのムニエルを食べる。値段からすれば、まあそこそこの味といったところかな。新宿から京王線に飛び乗って多摩市内へ。久しぶりの京王線だったんだけど、準特急なんていうのが走っていることに気付いてびっくりした。電車の種類と路線そのものがシンプルで、単純明快なのが京王のいいところだったんだけどなあ。市役所ほかで取材して、夕方から八王子市内の市民学習会に顔を出す。ミス◯ードーナツで買ったハムタマゴパイとグラタンパイが、予想外にうまかった。それにしてもきょうは移動に時間が取られたために、一つ一つの取材がかなりキツキツで、地理的設定に無理があったかもしれないと少し反省。もっともその分、電車の中で本がたくさん読めたんだけど…。午前零時帰宅。


11月2日(金曜日) 材料集め

 午前中は電話取材。午後から東京・笹塚へ。「指導力不足教員」の関係で、都教委や弁護士、市民グループなどの話を聞く。ず〜っと立ち通しだったのでさすがに疲れた。夕方、近くの喫茶店で市民グループの人たちとお茶を飲みながら、教育談義と言うか雑談をしながらしばし息をつく。やや長めの教育ルポの取材はこれでほぼ終了。ようやく材料がそろった。何とかぎりぎり原稿の締め切りに間に合うかなといったところだ。全部の材料が集まらないと書けない性分なんだよなあ。横浜に戻って「日の丸・君が代」関係の市民集会に顔を出そうと思っていたが、とても時間内に行けそうにないのでやめにして、渋谷で醤油ラーメンを食べてから帰宅。


11月3〜4日(土〜日曜日) 正しい右翼の在り方

 終日、取材のまとめと原稿執筆。米国のアフガニスタン攻撃に抗議し、日本の戦争協力に反対するデモを企画した都内の主婦から電話をもらう。日本国憲法を無視してどこまでも米国に追従しようとしている日本政府に対して、この主婦は「どうして日本の右翼は率先して反対の声を上げないのかしら。米国の報復戦争の応援をさせられて、日本はまるで米国の属国みたいじゃないの。正しい右翼の在り方として、右翼こそしっかりと自衛隊派兵に反対しなくちゃならないと思うわ」などと強調していた。なるほど。真の「愛国者」なら米国の言いなりにならないで一線を画し、無謀で無益な戦争協力に断固反対してもいいはずだよなあ。米国追従の小泉内閣の姿勢をおかしいと思っているのは、自衛隊幹部や自民党の国会議員にも大勢いるそうだしね。決して国民の総意なんかではない。


11月5〜6日(月〜火曜日) 原稿との格闘

 5日いっぱいと6日の午前まで、「指導力不足教員」のルポ原稿の執筆で四苦八苦。思い描いていたように、なかなかうまくまとめられず苦戦する。…っていつものことなんだけど。おまけに、文字にならない取材はたくさんしているというのに、いざ原稿にする段階になって資料やノートをひっくり返すと、あれも足りないこれも足りないというふうに中途半端な取材を思い知らされて、時間がかかってしまう。書くのが仕事なんだから、いつも簡単にすらすらと文章を書いていると思われがちだが、実は全然そんなことはない。新聞記者時代からそうなんだけど、少し長めのまとまった原稿を書く時にはいつも冷や汗をかきながら、う〜ん、う〜んと唸りながら原稿用紙(パソコン画面)をにらんでいるのだ。ドラえもんがいたら、まじで「すらすら万年筆」みたいなものを出してほしいよ。

 やっぱり「チャイナ・シンドローム」 何とか原稿を書き上げて、編集部に送信も終わってから遅い昼食を食べながら、何気なくぼ〜っとテレビ(しかもなぜだかテレビ東京)を見ていたら、映画「チャイナ・シンドローム」が始まった。「お薦め映画」のページでも紹介しているが、僕が一番大好きな映画作品である。放送されたのは吹き替え版だったが、やっぱり最初から最後まで見てしまう。そしてやっぱり、この映画は最後の10分間にすべてが集約されているなあと改めて思う。とにかくもう何回見ても、ジェーン・フォンダの演じる女性キャスターが最後の最後にマイクを握り締めて、原子力発電所の職員に迫るシーンには、言いようのない気持ちの高揚と感動で体が震えて、涙がじわっとわいてくるのだ。久しぶりに見たけど興奮した〜。エネルギーがみなぎってくるという感じだ。原稿を書き上げて気分的にハイになっていたこともあって、余計にやる気を起こさせてくれたのかもしれないな。

 「金髪先生」第4回公判 とはいうものの、そんなわけで原稿執筆に思ったよりも時間がかかったので、6日の取材予定はキャンセル。「金髪先生」の第4回公判(小池洋吉裁判長)が千葉地裁であったのだが、どう考えても間に合いそうもないので行くのを止めた。この公判は公安事件扱いだから、開廷時刻の30分前までに並んで傍聴券を確保しなければ傍聴できないのだ。普通の裁判だったら遅れて行っても途中入廷できるんだけどね。でもって、傍聴した関係者に電話取材したところ、この日は教頭と女性教員の証人尋問で、これといって特筆するような証言はなかったという。裁判長は相変わらず、弁護側の尋問の最中に割り込んでくる振る舞いをやめなかったそうだ。やれやれ…。


11月7日(水曜日) 「GO」シリーズ

 テレビ東京のアニメ「ヒカルの碁」を見て、それから愛車の中でたまたまTBSラジオの番組で「郷ひろみ」のトークを聴き、そして日本テレビの政治パロディードラマ「レッツ・ゴー!永田町」で笑うという具合に、きょうは「GO」シリーズでまとまった。アニメとドラマは毎週この日に放送しているわけだけど、ラジオの「郷ひろみ」は偶然にしては出来すぎだよなあ。

 それにしても、石橋貴明主演の「レッツ・ゴー!永田町」は、ここまでやるかといった感じで、徹底的に永田町の国会議員をパロっていて楽しめる。登場人物の名前もそっくりにもじっているし、首相から閣僚まで実物の雰囲気によく似た俳優をキャスティングしていて、メーキャップや口調もそれらしく似せているので、ドラマ自体が痛烈な風刺や皮肉になっているのだ。政治家のドタバタぶりをコケにしまくっているのが面白い。暇つぶしに見始めたんだけど、このところ毎回、大笑いしながらハマって見ているのだった。


11月8日(木曜日) シングルCD

 早起きして朝から東京地裁八王子支部へ。玉石混交のいろんな裁判を傍聴取材する。午前中は取材継続中の知り合いの裁判だったから、報告集会も含めてそれなりに面白かったが、午後は傷害事件やら離婚訴訟やらといった退屈な法廷が目白押しで、もう眠くて眠くてたまらない。訴訟指揮をウオッチングするのが目的なので仕方なく見ていたのだが、やっぱり社会性のある内容でないと、裁判官の本質はなかなか見えにくいんじゃないか。夕方から八王子市内で市民グループの学習会に顔を出す。その前にちょっと時間があったので、京王八王子の駅ビルのタワーレコードでシングルCDを購入。ところでシングルCDってさあ、いつの間にかディスクの大きさが変わっていたんだねえ。普通のアルバムサイズにすべて統一されていて、しかもシングルコーナーという分類さえ完全になくなっているんだもんなあ。しばし売り場で戸惑ってしまう。で、買ったのは、キタキマユの「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」と、荻野目洋子の「LOVE」の2枚。「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」はフジテレビ系で放送されたドラマ「カバチタレ!」の主題歌なんだけど、1980年に岡崎友紀が歌ってヒットしたポップスというのが懐かしい。アップテンポのメロディーを淡々と歌っているところがとってもイケてる。「LOVE」はナット・キング・コールのスタンダードナンバーを、荻野目洋子がカバーした新作。たまたま耳に入ってきたラジオ番組でこの曲がかかって、曲も歌い方も素敵だなあと思ったので探していたのだ。さすが荻野目ちゃんは、歌唱力が抜群だよなあと改めて感じる。


11月9日(金曜日) 冗談じゃない

 ゲラのチェックや確認をしてから、愛車で出かける。市立図書館で調べもの。雨が降っていて視界が悪いし滑りやすいので、ゆっくり慎重に安全運転だ。図書館の近くの定食屋で、サケのバター包み焼きを食べる。付け合わせのエノキはうまかったけど、サケ自体の味は大したことなかった。ん〜、期待外れ。

 ところでルポの原稿なんだけど、担当編集者もデスクも通って誌面の形に組み上がったゲラの段階で、校閲だか何だかよく知らないが意見を出してきた。一段落まるごとを別の場所に移してはどうかと言うのだ。…絶句した。まじで耳を疑う。ちゃんと僕の原稿を読んで言ってるのか。そんなことをしたら文章の流れがめちゃくちゃになるし、話がつながらなくなってしまうではないか。こっちは全体構成と文章の流れやリズムを考えて、表現や言い回しを含めて推敲を重ねて書いているのだ。段落の場所をまるごと入れ替える必要があるような、そんないい加減な原稿を書いているつもりはない。もちろん納得できる指摘ならありがたく参考にさせてもらうが、これはまともな読解力に基づいた意見とはとても思えない。よくもそこまで不遜で身の程知らずのことが言えるよな。あ〜、だんだんムカムカしてきた。冗談じゃない。絶対却下だ。


11月10日(土曜日) 「理念や志」こそ

 午後から東京・水道橋の新聞労連で会議。いつも夕方からやるので、きょうもてっきり夕方からだと思い込んでいた。で、手帳を見たら「午後2時から」と書いてあるではないか…。まさにその午後2時5分前だった。慌ててすっ飛んで行って2時間遅れで到着。それから延々と午後7時まで会議は続いたのだが、きょうの会議は中身が濃くて充実していたので、それほど苦痛ではなかった。記者にとって、取材のテクニックやノウハウをこと細かにシステム的に教わるのも確かに大事だろうけれど、それよりも、まずもって重要なのは「何のために取材するのか、何のために記者になったのか」という理念や志といった部分を理解することだろう。これは記者の姿勢や生き方にかかわってくる本質的な問題だ。そこのところがいい加減だったら、いくらテクニックやノウハウを知っていても、肝心の記事が空疎で無目的で本末転倒なものにしかならないんじゃないか。…とまあ、そういうことがこの日の議論の中心になったので、僕としてはとても興味深く会議に参加できたのだった。

 一人一人の記者が自分で考えることをしないで、情報収集だけをする「データマン」になってしまい、デスクや部長が判断して指示を出すような、そんな紙面や記事が面白いわけがない。現場にいる記者が「何のために自分はこの取材をするのか」「何のために自分は記者をやっているのか」と考え、いろんなことを悩みながら記事を書くからこそ、読者の心に届く文章になるはずなんだけど、残念ながら現実は必ずしもそうじゃないのが問題なんだよなあ。

 終わってから、事務局メンバーと近くのアジア料理店へ。タラのはらわたと一緒に和えたイカの塩辛を韓国海苔で巻いて食べると、これがめっちゃ生ビールに合う。くーっ、うまい。でも僕は炊きたての白いご飯が欲しくなった。これだけでご飯がいくらでも食べられそうな感じだ(食べなかったけど)。そのほか、ふかふかの水餃子やチヂミ、焼き豚、焼そば、チャーハンもうまかった。お腹いっぱいですごく幸せ〜な気分。午後11時帰宅。


11月11日(日曜日) 眉村卓「幻影の構成」を読む

 眉村卓のSF長編小説「幻影の構成」を読み終える。いや〜、文句なしに面白かった。舞台は近未来の高度文明社会。「イミジェックス」と呼ばれる情報管理システムによって、すべての秩序が保たれ支配されている未来都市で、市民は一見すると何一つ不自由のない安定した平和な生活を送っている。個人に向けて途切れることのない情報が流され続ける「イミジェックス」を、幼少のころから半ば強制的に聞かされることで、市民社会に必要な情報やルール、さらには労働内容から交友関係、趣味や嗜好、消費生活まで、人々は言わば生き方のすべてを管理・支配されているのだった。しかし未来都市の市民は、むしろ「イミジェックス」の情報なしには生きていけない。自分で考えて判断できない状態に置かれているのだが、だれもそういうことに疑問や不信感を抱かないのだ。さらにこの情報管理システムは、支配層と被支配層との完全な分離にも成功していた。ところがある日、一般市民の一人の男、ラグ・サートが「イミジェックス」の洗脳機構に生まれたすき間に接したことから、疑問や矛盾を感じるようになって事態は大きく変化していく…。

 知らず知らずのうちに刷り込まれた大量の情報によって、無意識のうちに行動や考え方を一つの方向に誘導されてしまっている怖さは、現代社会にも同じように存在する。意識しているかしていないかの違いはあるにせよ、情報は絶え間なく流され続けている。しかし誘導システムが生活のすべてに関して完璧に行われて、指示されるがままの生活を「疑問なしに送ること」がもしもできれば、こんなに楽なことはないだろう。自分の頭で考えて判断して選択して、試行錯誤する必要がないのだから。決められたことをその通りに実行していれば、失敗したり困ったりすることはないのだ。「洗脳でもされない限り、そんな生活が楽でいいなんて思う人はいないよ」とは必ずしも言い切れないのではないか。会社や学校の中を見渡してみればいい。思考停止してしまって、決められたことをその通りに実行しているだけという人たちは、いくらでもいるだろう。未来の情報管理社会を描いているようでいて、実は作者は、現代社会の人々の生き方に対して厳しい批判を加えるとともに警鐘を鳴らしているのだ。この作品の刊行が1966年7月ということに驚く。


11月12日(月曜日) 当たらぬも八卦?

 短いルポ原稿を書いて、さあ出かけるかなと思っていたら、ルポ原稿の再校ゲラが送られてきたのでチェックする。ほとんど直す部分はなし。あすの正午まで情勢に大きな変化がなければそのまま校了してもらう。夕方から東京・四谷の編集部で単行本の編集会議。終わってから編集長と和風スナックへ。ここのオカミさんは占星術の研究をかれこれ20年近くやっているといい、4人連れの女性客から生年月日を聞いてあれこれ運勢を説明している。そのうちなぜか、僕の運勢も見てくれるということになった。何を根拠に占っているのかよく分からないんだけどなあと思いつつ、それによると、1)今年から来年の節分までは運勢が弱っているので健康に気を付けること、2)今年知り合った女性とはうまくいかない、3)仕事の面でも今年は最低の運勢だから判断ミスが多い…などと言う。ええ〜っ。かなりボロボロに言うよなあ。だけど、今年は初めての単著の単行本も出したし、雑誌「世界」でもデビューさせてもらったりしたんだけどなあ。あんまり当たっていないと思うのですが。まあ、せっかくの忠告だから健康には気を付けたいと思います。

 終電を降りて、大きなホテルの敷地を突っ切って近道を歩いていたら、子猫がみゃーみゃー鳴きながらすり寄ってきた。お腹を空かせているのかずっと付いてくる。仕方ないのでコンビニで買ったばかりのおにぎりを少しだけ千切って、落としてやった。だがしか〜し。子猫はくんくんと臭いだけかいで、まずそうな仕草をしてどこかに行ってしまった。何だよ、だったらそんなふうに物欲しげに付いてくるな。猫なんだから人に媚びるなよなっ。あ、でも猫だからこそ身勝手に立ち去ってしまったとも言えるかも。シソとワカメのおにぎり、そんなにまずくはなかったぞ。午前2時帰宅。


11月13日(火曜日) 寒さ対策

 寝坊してしまったので取材に出かける予定を中止して、電話でたらたら話をしたり取材のまとめをしたりする。何となく労働意欲がわいてこないぞ。う〜む、困ったものだ。夜遅くなってから冷たい小雨が降り始めた。実を言うと、うちはもう早々とエアコンのお世話になっている。温度設定をやや低めにするものの、付けっ放しで寝てしまうので朝起きたらノドがカラカラだ。これって身体にも経済的にもあんまりよくないよなあ。これから寒くなるので、ますます手放せなくなるだろう。さらに寒さに対する備えでは、実に頼もしい「布団乾燥器」という最終兵器も控えているのだった。


11月14日(水曜日) 東京ディズニーシー

 友人と千葉・舞浜にある東京ディズニーシーへ行く。何だかやたらにお金がかかるだけで、子どもだましのちゃちい施設だなあという印象が残った。っつーよりも、子どもだましにもなっていないんじゃないかとさえ思える。だって実際に周囲の子どもたちの表情や反応を見ていると、驚きや歓声などのリアクションがまるでないんだから。例えば、アラビアンナイトの世界を船に乗ってめぐるアトラクションなんて、子どもたちはまるで無反応だった。もちろん大人たちも。しかしまあそれでも、ディズニーの世界が大好きでそうした文化にどっぷり心からはまっている人には、それなりに楽しめるのかもしれない。それでふと思ったんだけど、もしもあのアラビアンナイトの世界が「となりのトトロ」のキャラクターで作られていたら、きっと子どもたちも大人たちも大受けしただろうなあ。もちろん「ナウシカ」だとか「ラピュタ」みたいな、そのほかの宮崎駿ワールドでもいいのだけれども、親近感や夢やロマンという面から言って絶対にアラビアンナイトなんかの比ではないと思う。ネコバスに乗ってトトロの森をめぐったり、パズーたちと一緒にトロッコで廃坑や渓谷を逃げ回ったり、オームの背中に乗って腐海の深部を探検したり…。考えるだけで楽しそうでわくわくしてくるではないか。東京の三鷹にできたジブリ美術館は、ディズニーほど大がかりな施設ではないらしいから、残念ながらそこまでは期待できないだろうな。でも、そのうちぜひ行ってみたい。

 そんなわけでイマイチのディズニーシーだったが、2つだけ面白いアトラクションがあった。荒れ狂う嵐を消滅させるために気象観測ラボで立ち向かう「ストームライダー」と、魔人のコントを交えた映像ショーの「マジックランプシアター」だ。ストームライダーはラボの飛行状況に応じて座席(劇場全体)が揺れ動き、臨場感も迫力も満点。マジックランプシアターは特殊偏光メガネをかけることで、3Dの立体画像がリアルに展開する。どちらもあまりにも時間が短すぎるのが残念だったけど、これは大人も子どもも文句なしに楽しめるだろう。ただしこれだけのために高額入場料を払って、しかも延々と行列に並ぶというのは、絶対に割が合わないよな。


11月15日(木曜日) 吉◯家の牛丼

 千葉県内で狂牛病の牛が見つかって以来、気の小さい僕は大好きな焼き肉や牛丼を食べていない。気休めかもしれないが、まあ気分の問題として食べるのを躊躇していたのだ。もっぱら豚肉や鳥肉や魚介類を食べるようにしている。だがしか〜し。とうとう吉◯家の牛丼(正確には牛皿にけんちん汁が付いた定食)を食べた。「牧草だけで飼育された豪州産の安全な牛肉を使っている」とテレビCMで強調していることもあるし、もう既に加工食品として摂取してしまった可能性もあるんだし…などと考えたら、まあいいかと思ったのだ。政府の役人連中やでたらめな農水大臣よりは、少なくとも吉◯家のCMの方がまだ信用できそうだという判断もあった。あれほどまでに都合よく前言をくるくると変えるような大臣を、信用なんかできるかっつーの。そんなわけで久しぶりに口にする吉◯家の牛肉は、お腹が空いていたからかもしれないが、なかなかよく煮込んであってうまかった。やっぱり庶民の味だ。しかし後でよく考えたら牛丼は大幅に値下げされているから、牛丼の並とけんちん汁をそれぞれ単品で注文した方が安上がりだったんだよなあ。う〜む、失敗した。いやいや、きょうの「身辺雑記」のテーマはそーゆー問題じゃないんだけど(汗)。


11月16日(金曜日) カレーとラーメン

 東京・新宿で弁護士に裁判状況などを取材。中身の濃い話が聞けた。紀伊国屋書店に寄ってから、書店ビル地下にあるお気に入りのカレー屋へ。野菜たっぷりでボリュームもあって、やっぱりここのは絶品だ。夕方から近くで開かれた教育市民集会に顔を出す。こちらの頭を刺激してくれるような話題が出たのはほんの少しだけで、主催者に怒られるかもしれないけど、残念ながらほとんど予定調和的な内容で退屈だった。漫画専門書店で面白い作品はないかとしばし物色してから、熊本とんこつの桂花ラーメンに入る。じっくり煮込んだ太肉に新鮮なしゃきしゃきキャベツ、そして歯応えがあってもっちりした食感の独特の麺。う〜ん、ここのラーメンはいつ食べてもうまい。なぜか横浜店より新宿店の方がおいしいと感じるんだよなあ。金曜日のせいか電車はめちゃ混み。午前零時帰宅。

 2カ月ぶりに「セカンドインパクト」を更新。「論説・解説・評論」のページに「『日の丸・君が代』実施率アップの背景」をアップしました。雑誌「世界」に書いた解説記事です。


11月17日(土曜日) 学習

 午後6時を過ぎてから市立図書館に行ったら閉まっていた。平日は午後8時半までやっているのだが、土曜日と日曜日は午後5時で閉館だったのだ。そう言えばきょうは土曜日だったんじゃん。…ってかなり間抜けだと思う。仕方がないから本屋さんをいくつか物色して、活字中毒の症状をしばし抑えた。それにしても何回も図書館に通ってるんだから、いい加減に学習しろよなっ(>自分)。

 きのう発売の「週刊金曜日」に、「つくられる『指導力不足』教員」〜「偏向授業」と決め付けた東京都教委の「いじめ」〜と題するルポ記事を書きました。同誌2001年6月1日号に発表した「『偏向授業』と決め付け」の続編にあたる記事です。校長と教育委員会から「指導力不足教員」だと言いがかりを付けられ、事実上の不利益処分をされそうになっている多摩市の中学校の先生のケースを通して、不透明な「指導力不足教員」の判定問題を検証しました。ちなみに10月1日付「身辺雑記」は、今回の原稿の関連記事みたいなものです。よろしければ、そちらも併せてお読みください。


11月18日(日曜日) 「ガッコの先生」

 毎週楽しみに見ているテレビドラマの一つに、TBS系の日曜劇場「ガッコの先生」がある。小学校や進学塾を舞台にした一つ一つのエピソードが面白いし、脚本や演出もしっかりしていて、出演陣も生き生きと熱演していて、かなりオススメの番組だ。きょうの放送では、いじめ首謀者の男子生徒を殴った仙太郎(堂本剛)が、臨時PTA総会で教師免職決議をされる、という展開だった。仙太郎の担任する5年3組の子どもたちが「先生を辞めさせないで」と署名活動を始め、結果としては全校生徒の3分の2の署名を集めて事無きを得る。1時間番組ということもあって単純化されているところはあるけれど、なかなか感動的なストーリーになっている。

 きのう紹介した「つくられる『指導力不足』教員」の記事内容と偶然にもダブってくるのだが、ドラマを見ながら、事実と違う情報が一人歩きして無責任に広がっていくことの怖さを痛感した。そしてもしも校長・教頭や教育委員会が仙太郎と敵対関係にあったならば、たぶん確実に「問題教師」のレッテルを張られて教壇から追放されてしまうだろうなと思った。現実の学校では、管理職ににらまれた教師は担任を外されるなどして子どもたちと引き離され、並行していろんなうわさが地域に流され、一部の保護者が騒いで管理職がそれに同調する…そんなことが実際に起きているからだ。というわけできょうの放送は、たまたま取材していたテーマにハマっていたので、特に感慨深く見てしまった。毎回、学校や周辺のさまざまな問題が柔らかく浮き彫りにされつつも、それでいて気楽に楽しめるドラマなんだよなあ。「金八先生」のような大げさな演技や説教くさい台詞がなく、あっさりさわやかで自然なところがいい。


11月19日(月曜日) 流れ星

 午前2時半から午前3時半ごろまでの1時間に、うまくすれば約8千個の流れ星が目にできるとの触れ込みだった獅子座流星群は、空一面に薄い雲がかかっていて、横浜では残念ながら星のかけらさえ見ることができなかった。一応その時間には外に出ていたんだけどなあ。でも日本は広いから、ばっちり見たという方が各地に大勢いらっしゃることだろう。うらやましい限りです。

 午後から取材のまとめを地道に真面目に続ける。こういう時のパソコンはまさに必需品だ。必要なデータ類を打ち込んでおけば、後で原稿にする時に自由に引っ張ってこれる。もちろん加筆や削除、段落の入れ替えなどの推敲作業が容易にできるので、原稿を書く時にも不可欠なんだけど。てゆーか、パソコンがなくては文章が全く書けない身体になってしまった…(まじ)。漢字も忘れてるし…。夕方から、修理に出していた靴を受け取りに愛車で新横浜へ。ついでにユニクロで安売りしていたシャツとセーターを購入。書店にも寄ってコミックスを4冊買う。帰宅が遅くなりそうなので、愛車からPHSで電話取材。1時間近く話し込んでしまう。外は寒いが、車の中は暖かいから大丈夫だ。


11月20日(火曜日) 韓国映画「リメンバー・ミー」

 東京・新宿の「シネマスクエアとうきゅう」で、韓国映画「リメンバー・ミー」を観た。ピュアな感動と切ない気持ちが満ちあふれてきて泣けてしまう恋愛映画だ。実際にラストの場面では涙いっぱいになってしまった。1979年に生きる女子大生と2000年に生きる男子学生が主人公。2人はアマチュア無線機を通じて、時空を超えた不思議な交信をすることになる。未来の世界に住む男子学生といろんなことを語り合って心を通わしていくうちに、女子大生は恋人が自分の親友と結ばれることを知ってしまう。しかも、それは彼の両親だというのだ。未来は変えられないのか。そして…。

 舞台は軍事独裁政権に反対するための学生運動が盛り上がっている1979年のソウル。壊れた無線機をもらって自宅に持ち帰った女子大生ソウン(キム・ハヌル)は、皆既月食の夜に突然、男の声を受信した。同じ大学の学生だというイン(ユ・ジテ)だった。しかし話がまるでかみ合わない。ちぐはぐな話を続けるうちに、彼が生きているのは2000年だということが分かる。民主化デモ、夜間通行禁止令、大学の時計塔竣工式の延期、釜山の戒厳令、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領射殺による軍事独裁政権の崩壊…。歴史的事実を次々に予言するインの言葉に、ソウンは21年の時空を超えて交信していることを信じるしかなくなるのだった。あこがれの先輩トンヒ(パク・ヨンウ)からデートに誘われてうきうき気分のソウンだったが、インと不思議な会話を重ねるうちに、知らなければよかった事実を知ってしまう。デモでけがをして入院している恋人のトンヒが、同じ病院に入院していた自分の親友のソンミ(キム・ミンジュ)と結ばれて、しかもそのカップルがインの両親だというのだ。無線の向こう側で無邪気に自分の両親のロマンスを知りたがるインとは対照的に、呆然となってしまうソンミ。一方、インは田舎の実家で両親の昔のアルバムを見て、ソウンの親友が母親で、ソウンの愛しているトンヒが自分の父親であることに気付く。「もし、彼女が親父を選んでいたら、愛を貫いたら、俺はどうなる」…。インを慕う女友達のヒョンジ(ハ・ジウォン)は、懸命にその考えを否定しようとするのだった…。

 この後の展開は、切なくてまじで泣かされる。作品全体に流れる音楽も情緒豊かでいい味を出しているのだが、特に最後の方でバッハの「G線上のアリア」が流されるシーンは切なくてたまらない。心が締め付けられるようで何とも言えない気持ちになった。原題は「同感」。日本語的にはどちらかと言えば「共感」という意味になるのだろうか。時空を超えたコミュニケーションをテーマにしている点では、岩井俊二監督の「Love Letter」と作品に流れている空気が少し似ているかもしれないなあと思った。軍事独裁政権下の抑圧された時代と、激動の21年を経て民主的で豊かな生活を謳歌している現代の韓国社会とを、うまく対比して描かれているのも面白い。ちなみにこの作品を日本を舞台にした物語に置き換えてリメークした「日本版」が、今月末に公開されるという(山川直人監督、吹石一恵、斎藤工ほか)。オリジナル版がよかっただけに、見て見たいような、見たくないような…。

 「シネマスクエアとうきゅう」は座席はふかふかで、間隔もゆったりしている。とてもいい映画館だ。夕食は沖縄食堂で、ゴーヤーチャンプルー定食を食べる。そんなにおいしいというものではないけれども、たまにはゴーヤーの苦さと沖縄ハムの味わいもよい。


11月21日(水曜日) 映画「GO」を観る

 午後から東京地裁で取材。夕方、四谷の出版社に写真持参。ちょこちょこっと単行本の打ち合わせなどしてから新宿へ。東映パラス3で映画「GO」を観る。全座席がわずか48席しかないミニシアターでの上映だった。整理券配布による入場制限をしていて、残り最後の2枚というぎりぎりのところでチケット購入。当然ながらスクリーンもとても小さいのだが、しかし映画が始まるとそんなことは全然気にならないほど画面に釘付けになってしまった。それほど主人公とストーリーに引き込まれたのだった。面白かった。

 一言で説明するなら、在日韓国人少年の「恋愛と悩みと成長」を描いた青春娯楽ドラマだ。でも、この手のテーマを扱った作品にありがちな湿っぽさや暗さはほとんどない。中学までは民族学校に通い、日本の普通高校へ入学した高校3年生の杉原が主人公。国籍や民族や差別や将来のことやアイデンティティについて、そして自分とは何かということを試行錯誤し、日本人の女の子と恋愛することで、自分の存在についてさらに考えざるを得なくなるというストーリーなのだが、テンポよくスピード感あふれる展開と魅力ある登場人物の演技によって、観客は「一人の人間」としての少年の生き方に共感し、夢中になって応援してしまうのだろう。そう、この作品が訴えたいことはまさにそこにある。国籍とか民族とか差別とか偏見とかをとっ払って、一人の人間として笑い、怒り、泣き、言いたいことを言い、やりたいことをして、そして人を好きになる…、そういうことが何よりも大切なんじゃないかということだ。在日1世や在日2世の時代には、こういう発想をするのはなかなか難しかったに違いない。どうしても、政治思想やイデオロギーの枠組みの中でしか物事を考えられないからだ。そのへんは、現代を生きる「コリアン・ジャパニーズ」と呼ばれる在日3世など若い世代との、感性の決定的な違いなんだろうなあと思った。

 映画の冒頭画面にも出てきた言葉で、杉原が親友の正一(ジョンイル)から借りた「ロミオとジュリエット」の本の一節に、こんな台詞がある。「名前ってなに? バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」(小田嶋雄志訳)。つまり「あなたはあなた」なのである。杉原の恋人の桜井はそのことに気付いて、半年かかってようやく「何者であろうとなかろうと、杉原が好き」という結論にたどり着くのだろう。これは映画の観客や原作の読者たち「みんな」に向けられたメッセージだ。杉原を演じる窪塚洋介が魅力的な表情で画面を縦横無尽に駆け回り、主人公への共感性をものすごく高めていると思う。桜井役の柴咲コウもハマリ役。杉原の両親を演じた山崎努と大竹しのぶの存在が、この作品の奥行きをさらに広げている。


11月22日(木曜日) 「金髪先生」第5回公判

 千葉地裁で「金髪先生」の第5回公判(小池洋吉裁判長)を取材する。この日は、被害者とされる校長に診断書を書いた元校医の老医師と、市教委の学校教育課長(「金髪先生」が勤務していた中学校の元校長)の2人が検察側証人として出廷した。医師は「来院した校長は『車に押され、手の平で車を支えながら後ろに転倒した』と私に説明した」と述べ、先の第2回公判で「(金髪先生が)急発信させて車をぶつけてきた」などと語った校長の証言と食い違いをみせた。続いて証言した学校教育課長は、いかに「金髪先生」が市教委や校長の指導・命令に従わず、子どもたちに「不適切な指導」をする問題教員だったかについて、延々と1時間以上にわたって述べ立てた。そのうえで「教員になったのがそもそも間違いだった。反省の色も見られないし、もう二度と現場に置いてはいけない。情状酌量の余地はないと思っている」と断定した。もうぼろくそに言いたい放題の証言だった。しかしよく考えればこれは、市教委や校長と「金髪先生」が決定的に対立していて、それだけ市教委や校長が「金髪先生」に不快感や悪意を抱いていたことの証明にほかならない。つまり何が何でも教育現場から追放したいと思っていたことがうかがわれるわけで、この証言は今回の「事件」がつくられた背景にあるものを如実に語っているとも思えるのだが…。

 相変わらず一方的な訴訟指揮をする裁判長は、検察側質問に対する弁護側の異議を却下するなどの采配をしていたが、しかしこの日はそんなものが霞んでしまう驚くべき強権ぶりを見せつけた。午後4時1分。裁判長は大声を張り上げて突然こう言った。「後ろから3列目中央。私の正面。退廷しなさい。今すぐ執行しなさい」。傍聴者の女性は法廷警備員に引きずり出されていった。そしてその理由が何ともすごかった。「裁判長をずっと見つめて、せせら笑っている。審理が進められませんっ」──。絶句。大声で笑うとか、声を出して審理妨害をしたとかいうのなら、退廷命令も止むを得ないだろう。しかし裁判長の顔をにらみつけようが、じっと見つめようが、あるいは微笑もうが、せせら笑おうが、そんなことで退廷させられてはたまったものではない。そもそも「せせら笑う」という表現は何だ。その判断の根拠は何なのだ。裁判長がそう思っただけではないか。傍聴者は法廷で能面のような無表情でいなければならないとでもいうのか。物理的行為によって審理妨害しない限り、傍聴者には憲法で保障されている内心の自由があるはずだ。声を出さずに泣いたり笑ったり驚いたりすることの、どこが審理妨害になるというのだろう。退廷させられた女性はもちろん声を出して笑ったりはしていなかった。そして閉廷が宣言された後、さきほどの退廷命令の理由を問いかける別の傍聴者に、裁判長はまたもや退廷命令を出すのだった。憲法と法律の番人であるはずの裁判官が、このような信じ難い憲法違反の命令を平然と執行することに驚きと怒りを禁じ得ない。小池洋吉という裁判官に対し、一市民として強く抗議の意を表明するとともに、ジャーナリストとしての責任において、この事実をあらゆる形で報道していくことをここに宣言する。

 法廷取材を終えてから、近くの市民センターで教員や市民グループの報告集会を取材。弁護士の話なども聞く。場所を変えて千葉駅前の居酒屋の懇親会にも顔を出させてもらった。裁判所で会った横浜の中学校の先生と横浜まで一緒の電車。この先生にはこれまでもいろいろとお世話になっていて、この日は久しぶりの再会だ。横浜駅前のすし屋で1時間ほど飲みながら雑談。午前1時半帰宅。


11月23日(金曜日) ビデオに漫画に昼寝

 昼過ぎまで爆睡。留守中に放送されたアニメやドラマなど、録画しておいたまっているビデオをまとめて見て、買うだけ買って積んどく状態になっていたコミックスも何冊か読んで、たっぷり昼寝をして…なんてことをうだうだやっていると、あっという間に時間が経ってしまう。つーわけで、完全休養日である。


11月24日(土曜日) ピアノ演奏

 夕方から東京・六本木へ。高校で同級生だった女性デザイナーとその友人の女性スタイリストと一緒に、同じく同級生で新進気鋭のピアニストのソロ演奏を聴いた。六本木の真ん中にあるお洒落なライブスペース&パブで、軽く飲みながらピアノの生演奏に耳を傾けるというのもたまにはよい。東京芸大を卒業してピアニストになったのは知っていたが、社会人になってから全く会ってなかったのでとても懐かしい。顔を見るのは実に◯◯年ぶりだ。作曲も手がけていて、きょうのライブは今春リリースしたソロアルバムからいくつかの曲を披露するという趣向である。しっとりと繊細で落ち着いた演奏をするかと思えば、次には激しく力強いメロディーを奏でるといった具合で、変幻自在な音色で会場を魅了した。

 ライブ開始からすぐのところで、一部の迷惑客のために演奏が一時中断するハプニングが起きたが、逆にそれがこの日の演奏会をより味のあるものにした。演奏の最中に大声で話して笑い続ける中年オヤジと女性の客に怒って、ピアニストが奥に引っ込んでしまったのだ。ヒンシュク客は丁重に追い出された。再び登場したピアニストが「大人なんだから怒ってはいけないと思って我慢していたが、誇りを持って怒らなければならない時もある」と述べると、会場から共感と連帯の暖かい拍手がわいた。これで演奏者と観客との距離はぐっと縮まって、かえってよかったんじゃないかと思った。それにしても迷惑な客だ。ピアノ演奏を楽しむための場なんだから、騒ぎたければよそに行けばいいのに。たぶん、場違いな場所で場違いな行動をしていることが理解できないばかりか、雰囲気をぶち壊すことによる影響なんて想像できないかわいそうな人なのだろう。

 ライブが終わってから、しばし歓談して旧交を温める。でもファンにサインする合間の短い時間だったので、今度ゆっくり話をする時間をつくってもらおう。同級生のデザイナーにセッティングなどを依頼する。恵比寿まで車で送ってもらって、午前零時半帰宅。


11月25日(日曜日) 更新情報

 「セカンドインパクト」を更新。「論説・解説・評論」のページに「テロが起きない世の中を」をアップしました。「米国の軍事報復(アフガニスタンへの空爆)」と「日本の参戦」に対し、「週刊金曜日」編集部からコメントを依頼されて書いた文章です。


11月26日(月曜日) 「悪文」の意味

 午後から東京地裁の裁判をいくつか取材。そのうちの爆発物取締法違反事件はいわゆる「警備法廷」だったが、傍聴は抽選ではなく先着順なので少し拍子抜けした。そうはいってもやっぱり「警備法廷」は物々しい雰囲気で、金属探知機で厳重なボディーチェックを受けてから入廷する。だけど、いったん入廷したらさほどうるさく言われず、裁判長も居丈高ではないし、途中退席にも寛容で、法廷警備員も威圧的ではなくてやさしかった。千葉地裁の「あの人」の法廷指揮は、やはり特別に異常なのかもしれないと思う。しかしこうしていくつもの裁判を比較して観察していると、個々の裁判官によって、法廷の雰囲気も内容も進行も全然違うということがよく分かる。当たり外れの差はとてつもなく大きい。

 民事、刑事を回っているうちに次の取材の約束の時間が迫ってきたので途中退席して、大急ぎで裁判所の前からタクシーに乗って四谷へ。旧知の弁護士から訴訟状況について1時間ほど話を聞く。とても分かりやすい説明だ。夕方からお茶の水。「人権と報道・連絡会」の定例会に久しぶりに顔を出した。この日のテーマは「個人情報保護法」。この法律の問題点は今さら言うまでもないが、解説役の弁護士の言葉で、「官僚の作る法律の文章は難しくて、何が書いてあるか、何が問題か、ちんぷんかんぷんだ。国会議員も弁護士も全部はたぶん読んでいないだろう。それが最近の法律だ。だから反対運動も起こりにくいのではないか」という部分が特に印象に残った。法曹関係者とエンジニアの書く文章は、悪文の典型だとよく言われるが、官僚の作る法律の文章が分かりにくく書いてあるのは、後から何とでも解釈できるようにという意図が多分に含まれているのだろう。簡潔明瞭な文章であれば、文意も理念も目的もすっきりしているから余計な雑音が入り込む余地などない。法律は小説や詩歌じゃないのだから、本来は分かりやすく簡潔明瞭でなければならないのに、わざと分かりにくく書くなんて相当な知恵者である。事務処理能力の高さでは折り紙付きの優秀な人材ばかりだと思われるので、まじで悪文しか書けないなどということはあるまい。さすがは日本の官僚は違うよ。つーか、公僕のくせに有権者である国民をナメきってるよな。全くもって大した民主主義国家だよなあ。

 ほとんど店が閉まった秋葉原で書籍などを買って、九州あっさりラーメンを食べて、ゲーム店で散財した。午前零時帰宅。


11月27日(火曜日) やっぱり時計は必要

 外出時に腕時計を身に着けない僕は、いつも携帯電話を時計代わりに使っている。だから、毎日のように遅刻しそうになって出かける僕としては、携帯の液晶画面に表示される時刻を見ながら駅まで走って行くのが、恥ずかしながら日課のようになっている。だがしか〜し。きょうは携帯を持たずに家を出てしまった。ところが、そんな日に限って余裕を持って家を出たもんだから、新宿駅に着くまで一回も携帯で時間を確認する機会はなかった。だけどまあ、携帯はなくても何とかなるもんだね。家に帰るまでなくても不便も不安も感じなかったもの。そこへいくとさすがに時計は、約束の時間を確認したり、取材の残り時間を気にしたりしなければならないから必需品だ。駅の構内や公共施設ではなくても困らないが、そうでない場所にいる時は時計がないと不便でたまらない。きのうの「警備法廷」では入廷時に携帯電話の電源を切るように言われたので、開廷中は時間確認をするのに、傍聴席から振り返って後ろの大時計をいちいち見なければならなかった。そんなわけで仕方がないので、新宿に到着してからさく◯やのウォッチ館で安売りしていた小さな懐中時計を買った(腕時計は嫌いなのだ)。アナログ式で日付も表示されて、夜の時間帯には月と星の絵が盤面に現れる。2千円という値段の割にはなかなかオシャレである。

 そんなことをしていたら余計な時間を食ってしまって、結局約束の時間に少し遅れて某法律事務所へ(何のために時計を買ったのかこれじゃあ本末転倒だっつーの=汗)。弁護士からいろいろとレクチャーを受ける。そこの事務所には別の顔見知りの弁護士もいて、たまたま会ったので挨拶したら顔は覚えてくれていたが、名前は覚えてくれていなかった。その人が担当している事件の記事を書いたこともあるのにな…。結構ショックだった。

 外はかなり寒くなっていたので、ジーンズ◯イトで薄手のカジュアルコートを購入。タワーレコードにも立ち寄って、シングルCDを買う。KinKi Kidsの「Hey!みんな元気かい?」と、hitomiの「I am」の2枚だ。「Hey!」は東芝日曜劇場「ガッコの先生」の主題歌。リズム感とメロディーがなかなかよい。初回プレス盤には、ドラマ挿入歌である堂本剛のソロ「見上げてごらん夜の星を」が入っている。2週間くらい前に放送された同番組のメーキング特番で、堂本剛がクラスの子どもたちの前でギターを弾きながら「見上げてごらん…」を独唱する場面は感動的だった。「I am」はよみうりテレビ系のアニメ「犬夜叉」のオープニングテーマ。番組そのものはちらっとしか見たことがないが、この曲のメロディーラインとhitomiの声が好きなので買った。


11月28日(水曜日) 3冊まとめて

 仕事がらみで読んだものは除いて、真剣に読んでマジで面白かった本は、基本的にこの「身辺雑記」に感想を記録するようにしているのだが、ここ1週間ほどの間に読んだ3冊の本について、例外としてまとめて紹介する。わざわざ書くほどのこともないと思っていた本なんだけど、いずれもいろんな意味で興味深かったもので、一気にアップしておくことにした。

 まず、大倉らいた「坂物語り」(角川スニーカー文庫)。表紙と本文イラストにひかれて買ったのだが、やはりよかったのはイラストだけだった。文字通り漫画みたいな小説。小学生の時の初恋の少年と再会するために、女子高生が思い出の「蛍の坂道」を探し求めるという内容だ。第1章の甘酸っぱい小学生の時のエピソードだけならよかったんだけど、その後に続く話には無理がありすぎる。少年と行った思い出の地が北なのか南なのかさえ不明というのがそもそも理解できないし、廃線になる最後の日の列車に乗って2人は出かけたのだから、親か鉄道会社か鉄道ファンに聞けばすぐに分かるはずだろう。なのにそういう説明が一切ないままに物語が進行するのでは、話の展開が幼稚すぎて付いていけない。この調子でシリーズが何冊も続くそうだけど、ちょっとひどいんじゃないか。編集担当者は筆者に何の助言もしてあげないのかな。って、こんなに長く書くつもりはなかったのに、あんまりな内容についつい…。

 2冊目は、庵野秀明の対談集「フタリシバイ」(徳間書店)。アニメ・映画の世界に生きる庵野監督が、劇団「第三舞台」の鴻上尚史や劇団「夢の遊民社」の野田秀樹など、主に演劇人ら10人と語り合うといった内容だ。それまでの様式やら形だとかを壊そうとしたことや、庵野監督が演劇(芝居)に興味を持ち始めたということはよく分かったが、それ以上でもそれ以下でもないなあという印象だけが残った。これなら、4年前に大泉実成と竹熊健太郎が編集した全2冊構成の「庵野秀明/スキゾ&パラノ/エヴァンゲリオン」(太田出版)の方が、本人へのロングインタビューと制作スタッフの座談会をもとにしていて、よほど庵野秀明という人物の背景や成り立ちが深く理解できるのではないかと思う。声優の林原めぐみとの対談は「仲良しモード全開」といった感じで面白かった。

 3冊目は、松本侑子の「美しい雲の国」(集英社文庫)。出雲で暮らす10歳の少女・美雲(みくも)が、東京から遊びに来た少年と思い出深い夏休みを過ごし、20年後にその楽しかった日々をなぜか夢に見て思い出すのだが…という小説だ。「性暴力と女性性」について鋭くも繊細な表現力で描いた彼女の「植物性恋愛」を読んだことのあるファンとしては、あまりの雰囲気の違いにかなり戸惑いながら読み始めたのだが、しかし読み進めるうちに、少女の恋や性に対する興味や目覚めが何気にしっかり描かれ、子どもから大人へと成長していくぎこちなさや切なさもていねいに表現されていることが分かってくる。少女時代の文章が何となく拙い文体で書かれているのは、少女の目で見て感じた情景が少女の自然な言葉として記されているからなんだなと、最後の方になってようやく理解できた。猫をモチーフにした大野隆司の版画が。本文中にいくつも掲載されている。う〜ん、そうか。この作品は小説というよりはむしろ宮沢賢治の童話みたいなものなのかもしれない。子どものころを思い出してもらうために書かれた「大人にやさしい童話」なのだ。


11月29日(木曜日) ウイルスメール

 今週の火曜日(27日)あたりから、ウイルスメールが猛威をふるっている。タイトルには「Re:」と書かれてあるだけで、メール本文に意味不明の記号などが並んでいて、ウイルス付きの添付ファイルが送られてくるというものだ。アドレス帳から勝手にアドレスを拾って、ウイルス付きのメールをあちこちにばらまくなどの破壊活動をするのだそうである。深刻な被害に遭うのは、閲覧ソフトのインターネットエクスプローラ(IE)や、メールソフトのアウトルックエクスプレスを使っている人たちだという。これまでもウイルスメールで被害に遭ったり他者に迷惑をかけたりしたのは、大体この2つを使っている人であることが多いと聞いている。

 もちろん、ウイルスメールを開発して送信する行為が最も迷惑なのは言うまでもないんだけど、要するにアウトルックエクスプレスには、システム的に重大な欠陥があるということだろう。にもかかわらずそういうものが平然と流通しているのは謎だ。しかもそんな欠陥商品を、多くの人たちが文句も言わずに使っているところに問題があると思うんだけど。いつも同じような騒ぎが繰り返されているのに、漫然と使い続ける感覚は不思議だ。

 ちなみにMacintosh派の僕は、当然のことながら閲覧ソフトはネットスケープナビゲーター(ネスケ)を常用し、メールソフトはユードラプロを使っているので、ウイルスメールによる混乱とはまるで無縁だ。うちにも火曜日から木曜日までの3日間に、この手のメールが全部で60通ほども届いたが、うざったいだけで深刻な被害は被っていない。まあ、いつも送られてくるいかがわしい宣伝などの迷惑メールが増えたようなものかな。ただしその数が飛躍的に多いので、邪魔なメールを削除する作業が面倒臭くなったというのは事実だから、被害と言えばこれも被害のうちかもしれない。


11月30日(金曜日) 「エヴァ」第7巻

 東京・麹町で弁護士取材。その後、新宿の本屋に立ち寄ってから東京地裁へ。夕方まで傍聴取材をして正門を出たところで、「中国人の従軍慰安婦」裁判を支える市民グループが、横断幕を持ってチラシを配っているのに出くわす。立ち話をしているうちに、近くの喫茶店で裁判の経緯などを詳しく聞くことになった。代表の人に名刺を出したら、いくつも記事を読んで僕の名前を知っていてくれたので、かなりうれしかったりする。再び新宿に戻って、別の本屋で漫画などを物色。「エヴァンゲリオン」のコミックス第7巻が出ていたので買ってしまう。実は別バージョンの特別版を予約しているからここで買う必要はないのだが、そっちは来月中旬発売のうえに表紙イラストが異なるときているので、ファンとしてはついつい通常版も買ってしまったのだ。中身そのものはどっちも同じなんだけど…。まあ、いっか。そのほか、探していたコミックスを掘り出したので一緒に購入。午後9時過ぎから新宿駅東口で、ネット友達のT氏と待ち合わせて久しぶりに飲む。たぶんボーナスや給料が出た後の金曜日だからなのだろう。どこも人でいっぱいだ。それでも何とか場末の居酒屋に潜り込むことに成功し、最近の社会情勢などについて情報交換を重ねつつ雑談する。いや、そんな大層なもんじゃない(笑)。帰りの電車は朝のラッシュよりひどい混雑で、まさにぎゅうぎゅう詰め。悲鳴が上がっていた。午前1時帰宅。


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