身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2001年7月1日〜7月31日

●夏野菜を食べる●掲載誌と礼状●「紹介記事一覧」を新設●沖縄米兵と刑事手続き●「外圧」で少しやる気が…●国労の姿はあすの…●ゴキブリとの格闘●横須賀で●記者の憲法観●夏の食事事情●村山由佳「おいしい…」シリーズ3●「皇国教科書」の採択●同録テープ●同級生●郵便物●参院選と時代の空気●勉強仲間●捨てたものじゃない●本の取り寄せ●公権力による「被害者」●「一人前物語」とは●教育委員が教科書を選ぶ不思議●不採択にはなったけど●「金髪先生」初公判●笑止千万●空しい参院選●ひたすら電話●高校放送部の検証ビデオ●●●ほか


7月1日(日曜日) 夏野菜を食べる

 朝、起きた瞬間から暑い一日を予感させる淀んだ空気。部屋の中は冷房を入れて5分もすれば過ごしやすくなるのだが、玄関のドアを開けて一歩外に踏み出すと、もわ〜っと暑苦しい空気が体を包むのだった。午後から相模原の高校教諭宅へ。恒例の「夏野菜を食べる会」シリーズにお邪魔する。それに先立って、近くの家庭菜園で栽培している野菜の収穫作業を手伝う。それなりの大きさに育ったジャガイモ、ナス、キュウリ、ピーマンなどを掘り起こしたりもぎ取ったりする。それにしても、この暑さは…。おまけに虫には刺されるし、イガイガの付いた葉っぱに触ったらかゆくなるし…。「ペンの代わりに鍬を持つのもいいよ」と言われたが、土いじりは向いていないのかも(笑)。アスパラガスやナスや黒胡麻クリームなどを、そば粉のクレープで包んで食べるのは実にうまい。最後は冷やし素麺と手作りのマンゴープリンをご馳走になった。この暑さの中に冷えた素麺というのは絶品だ。しかもいくらでもズルズルっと食べられる。こんな見事な食文化を生み出した古の日本人は、まさに天才としか言いようがない。いつものことながら、本当にご馳走様でした。健康的な食事だったなあ。「コンビニ弁当はいい加減に止めないとね」との指摘を受けたのだが…。う〜ん。


7月2日(月曜日) 掲載誌と礼状

 東京・四谷の出版社で郵便物を受け取る。ついでに出稿予定の書評原稿に付ける写真を撮影。ちょうど今月号の雑誌が刷り上がってきたばかりで、取材協力者への掲載誌の発送作業はこれからだという。「せっかくだから取材協力者への手紙を書いていけば。同封するよ」と言われたので、こちらもついでにちゃちゃっと書いて、人数分コピーして渡す。そう言えば最近は、取材協力者へ掲載誌を郵送するのも編集者にお任せすることが多かったし、手紙を書いて同封するなんてこともすっかり省略していたなあ。新人記者の時は一人一人に簡単な礼状を書いて、発送作業も全部自分でやっていたんだけど。新聞社勤務の時とは環境や体制そのものが違うから分業は仕方ないが、礼状については別便で送るなど再考してもいいかもしれない。ん〜、それはまあ、ケースバイケースかな。夕方から水道橋の新聞労連本部で会議。2時間ほど議論して秋の企画の内容詳細を煮つめる。終わってから近くの居酒屋で雑談。午前1時帰宅。


7月3日(火曜日) 「紹介記事一覧」を新設

 「大岡みなみの単行本」の関連ページとして、「日の丸がある風景/紹介記事一覧」のページを新設しました。各紙誌などで紹介された記事一覧です。新聞・雑誌・インターネットの書評・ラジオ放送など、確認した範囲のものを集めてみました。見落としなどがあったらごめんなさい。ぜひご指摘ください。まあ、こういう読まれ方や紹介のされ方をしている、という参考の意味と宣伝を兼ねてアップしました。


7月4日(水曜日) 沖縄米兵と刑事手続き

 沖縄県北谷(ちゃたん)町の女性暴行事件で、容疑者である米兵の「起訴前の身柄引き渡し」が問題になっている。放火や強姦など繰り返される米兵の犯罪は許し難いし、占領軍意識丸出しの日米地位協定や米軍基地そのものの存在こそが、重大な問題であることは言うまでもない。そうした「犠牲」を沖縄の人たちが長く強いられてきたことにも怒りを覚える。しかしだからと言って、米兵の身柄引き渡しを前提とした発想には強い違和感を感じてしまう。日本の刑事手続きのおかしさを肯定することにつながるからだ。繰り返される米兵の犯罪や日米地位協定や米軍基地の問題と、「起訴前の身柄引き渡し」の問題とは分けて考えなければならない。

 私たちはまず、日本の刑事司法の手続きには大変な問題がある、ということをきちんと認識すべきだ。日本では捜査当局が容疑者を逮捕したら、その時点で当然のように容疑者は犯人として扱われてしまう。そして自白するまで延々と拘束され、弁護士との接見も厳しく制限されて、早朝から深夜まで「お前が犯人に違いない」と責めたてられる。いわゆる「人質司法」だ。そもそも逃亡や証拠隠滅の恐れがなければ身柄拘束の必要はないはずなのに、捜査当局は身柄拘束に異常なほどこだわる。そのような自白偏重捜査で、どれだけの人が冤罪に泣いたかは歴史が証明している。容疑者・被疑者はイコール犯人ではない。

 現段階では米兵はあくまでも「容疑者」だ。にもかかわらず、日本のマスコミは米兵を「犯人」だと決め付けている。そして日本の刑事手続きや捜査手法の問題点は放置したまま、米側が「起訴前の身柄引き渡し」に応じないことだけを強調するのだ。「起訴前の身柄引き渡し」の先にある日本の刑事手続きの現状がおかしいなんてことは、これっぽっちも思わないようだ。捜査当局の手法や手続きを信じて疑わないのだろう。もっともこれは今回の沖縄の事件だけに限らず、ほかの事件報道でも同じだけど。

 長期にわたって身柄拘束したうえで、弁護士の立ち会いも認めずに自白を迫るなど、そうした人権を無視した日本の刑事手続きに米側は不信の念を抱いて、起訴前の身柄引き渡しに慎重になっている側面もあるのだろう。任意での取り調べは連日のように行われていて、米兵本人も任意出頭を拒否していないのだから、明確な証拠が得られたのならば書類送検して、さっさと起訴すればいいと思うのだが。それでも米側が身柄引き渡しに応じないというのであれば、その時点で怒りを爆発させればいい。言うまでもなく、問題の本質は日米地位協定や米軍基地の存在にあるが、それと刑事手続きの問題とは分けて考えるべきだ。

 「犯人の人権を考えるのなら沖縄の人権も考えてほしい」と地元女性がテレビのインタビューに答えていた。気持ちはとてもよく分かるけど、日本が法治国家である限りは、この米兵は「犯人ではなくて容疑者」なのだ。こういう映像を平然と流す放送局の感覚を疑う。ん〜、だけど、もともと放送局が容疑者イコール犯人だと決め付けて報道しているのだからこれも当然か。

 「となりのトトロのページ」に、「絵コンテ全集」と「トトロの年齢」などの情報を追加更新しました。


7月5日(木曜日) 「外圧」で少しやる気が…

 暑さのせいなのか、労働意欲がまるでわいてこないので、このところだらだら過ごしている。まあ休暇みたいなものだと考えて、爆睡したり漫画を読んだり、でもってこういう機会もそんなにはないだろうということで、ホームページのメンテナンスや更新作業などをちょこちょこしていた。だがしか〜し。そんなだらけた生活を神様はしっかり見ていたに違いない(ホントか)。興味深そうな原稿や仕事の依頼が次々にやってきて、ちょっとやる気にさせてくれたのだった。実を言うと、取材の準備やら頼まれている講演のレジュメ作りだとか、短い原稿の執筆など、やらなければならないことはそれなりにあったのに、いまいち気分が乗らない状態だったのだ。でも「外圧」(?)のお陰で、少しエンジンがかかったような感じがする。気合いを入れ直してお仕事に取りかかろう(と思う)。

 「セカンドインパクト」に合計3本の記事を掲載しました。「ルポルタージュ」のページに、「逮捕・懲戒免職された『金髪先生』の無念」の記事を追加更新。さらに「インタビュー&記事/司法改革」のページには、「クローズアップ裁判/形骸化する拘置理由開示公判」のリポートと「本棚/ざこ検マルチョウ(書評)」の記事を追加更新。「クローズアップ裁判」は「金髪先生」の事件を司法の観点から検証した記事です。


7月6日(金曜日) 国労の姿はあすの…

 横浜で教職員組合の定期大会を傍聴取材する。それにしても眠くて仕方ない。議論が思いっきり低調なこともあるし、僕自身が睡眠不足であるのも原因だ。昨年の大会では、質疑の最中に自席で期末試験の採点や居眠りをしていた代議員が大勢いたのに、不思議なことに今年はみんな真面目に聴いている(一人だけ読書に励んでいる人がいたが)。なぜだ。去年の方がまだはるかに面白かったと思うんだけどな。最も印象に残ったのは、来賓で挨拶した国労(国鉄労働組合)関係者の訴えだった。「国鉄がJRになって何が変わったか、駅やホームから職員の姿が消えてしまったことです」と切々と訴えるのである。抽象的で当たり障りのない挨拶や発言が続くなかで、唯一心に響いてくる言葉だった。国労とJRの姿は、何年か先の教職員組合の姿でもある可能性が高いと思うのだが、そのことを何人の教職員組合員が認識しているのかなあと、ふと思った。

 ゴキブリとの格闘 きのうの深夜、仕事部屋(パソコン部屋)にでっかいゴキブリが出現。カサカサ…という音に敏感に反応してじっと様子をうかがっていたら、しばらくして黒い物体が真っ白な壁を動き回るのを現認してしまった。飛び上がらんばかりの驚きといったら、簡単には言葉では言い尽くせないものがある。ついに出たか…。恐怖と戦慄…。そうなるともう仕事どころではない。途中まで書き上げていた原稿を気もそぞろで片付けつつ、気持ちや全神経はすっかりゴキブリに向いている。しかし…。広告チラシを束ねて渾身の狙いを定めたはずの一撃をかわして、敵は何処かに姿を隠してしまったのだった。この間の格闘時間は約3時間…。そんなわけで、きょうはマツモ◯キヨシで安売りしていた「ゴキブリゾロゾロ」(組み立て式のゴキブリ捕獲器である)を購入。仕事部屋や台所やリビングなど、いたるところに2セット分を投入してセッティングした。平穏で平和な生活を必ずわが手に取り戻すぞ〜。


7月7日(土曜日) 横須賀で

 午後から横須賀へ。めちゃくちゃ蒸し暑い。駅まで歩くだけでも汗がだくだく、駅のホームで電車を待っているとさらに汗がだらだら出る。無所属市民派の議員さんに頼まれて、後援会の年次総会で話をする。「日の丸がある風景」をテーマにとの依頼だ。教育現場の息の詰まるような状況を説明したうえで、「日の丸・君が代」の強制の怖さは人々に思考停止させてしまうことで、だからこそ一人一人の生き方が問われることになる、というようなことを話した。実際のところ、憲法や教育基本法を無視した教育現場への締め付けときたら、なかなかすさまじいものがあるので、どうしても救いのないような重い話になってしまう。それが「事実」であり「実態」なんだから仕方ないのだが、しかしもう少し明るくて展望のあるような内容を話した方がよかったのかなあ。展望のない時代だから余計に、「一人一人の姿勢や方向が大事なんだ」ということを改めて考えてもらいたいと思って、あえて重たい材料を並べて話したんだけどな。話がリアル過ぎるのも善し悪しなのかもしれない。

 コイズミ首相の地元である横須賀は、意外にも街全体がコイズミ一色に染まっているというわけではなかったし、米軍横須賀基地を抱えているにもかかわらず、沖縄米兵の女性暴行事件に対する怒りで打ち震えているなんてふうでもなかった。「コイズミ自民党」の大きなポスターにしても、むしろ横浜の街なかの方が多く張られているいくらいだ。どっちも市民生活に直接関係あるわけでもないしね。ユニクロで買い物。シャツとチノパンを購入。

 そう言えば、沖縄の女性暴行事件で日本の警察に逮捕された米兵は、逮捕からたったの半日で送検された。逮捕状が出てから4日間の任意の事情聴取で、必要な詰めの捜査を終えたのがスピード送検の理由だという。だったら起訴前の身柄拘束(逮捕)にあれほどこだわる必要なんてなかったじゃん。そもそも身柄拘束なんてものは米兵であっても日本人の容疑者であっても、正当な理由もなく任意の事情聴取に応じなかったり、逃亡や証拠隠滅の恐れがあったりした時に限って執行すればいいんじゃないのかなー。日本の第一線の警察官は本当は優秀なんだからさあ、必ずしも身柄拘束なんてことをしなくても、きちんとした捜査はできるはずなんだよね。


7月8日(日曜日) 記者の憲法観

 琉球大学の高嶋伸欣教授に、秋に開く新聞労連の記者研修会の講師をお願いしたら、二つ返事で快く引き受けていただけた。いわゆる「教科書問題」について研究・発言を続けてきた高嶋さんが、このタイミングで若手&中堅記者に話をするのは大いに意義があるだろうと考えて、事務局会議で企画を出したら通ったのだが、とにかく高嶋さんの話は分かりやすくて面白いし説得力がある。こんな時代だからこそ、後輩記者にぜひ聞いてもらいたいと思ったのだ。高嶋さんも新聞記者には言いたいことがたくさんあるそうで、これまでの教科書をめぐる経過やそれに対するメディアの姿勢を話すとともに、記者の憲法観についても触れたいとのことだった。う〜ん、まさに以心伝心だなあ。そうそう、眠そうな顔をしているだろう新聞記者たちに、そういうことをびしっと言ってやってください。憲法の理念が社会の中できちんと生かされていない具体的事例を拾い集めるのは、ジャーナリズムの大切な仕事の一つなのだから。記者はどういう姿勢で何を伝えるべきなのか、そんな基本的なことを考えてもらうのが記者研修会の役割・本質だと思うのだ。


7月9日(月曜日) 打ち合わせ

 午後から東京・大塚の出版社で特集原稿の打ち合わせ。原稿の打ち合わせそのものよりも、出版&編集者事情など裏話の方が興味深い内容で面白かった(おいおい)。四谷の出版社に寄ってから、新宿で女性編集者と裁判官をテーマにした単行本企画の打ち合わせ。取材の進め方やまとめ方など2時間ほど意見を交わすうちに、ぼんやりと全体像が見えてきた。喫茶店から近くの居酒屋に場所を移して夕食。暑くて食欲があまりないということもあって、ナムル風のサラダや、ピーマンやアスパラガスの串焼きなど野菜中心に注文したが、値段の割になかなかいける味だった。住宅事情や宮崎アニメの話で盛り上がる。午前1時半帰宅。


7月10日(火曜日) 夏の食事事情

 こんなに暑いとダルくて食欲がわいてこない。小中学生のころなんか、ギラギラと太陽が照りつけるそんな暑い夏こそが一番大好きな季節だったというのに、オトナになると好みがすっかり変わってしまうんだなあ。とゆーわけで最近は、冷やし素麺だとか、ざる中華、ざる蕎麦、冷やし中華みたいな、冷たい麺類ものばかりをコンビニで買ってきて食べている。特に冷やし素麺とざる中華は値段が安いうえに味もそこそこ満足できるので、なかなかのお薦めなのである。わざわざ麺を茹でたり冷やしたりという作業を、まったくしなくてよいのが助かる(それくらいの手間はかけろよ)。まあそれだけでは栄養補給にならないので、ポテトサラダなんかを一緒に食べるのだが、この組み合わせだと食欲はそれなりに刺激されて食べる気になるのだ。しかし、もう少しバリエーションを広げるように工夫しないと、このパターンもそのうち飽きてくるよなあ。


7月11日(水曜日) 村山由佳「おいしい…」シリーズ3

 予備取材のために電話をあちこちにかけるが、あまり成果が得られない。「これは…!」というエピソードを手にするには、もう少し時間と労力を費やす必要がありそうだ。電話取材の対象範囲を広げるとともに、過去の資料をひっくり返して読み直してみよう。

 夏と言えば、村山由佳の「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズである。毎年この時期になると文庫版が発売されるのだ。そんなわけで、同シリーズ3冊目「彼女の朝」を読み終える。勝利(ショーリ)とかれんの初々しくて爽やかでのんびりした恋愛物語は、読んでいて文句なしに安心できる。このシリーズのほかの村山作品は、どれもがほとんど辛くて悲しく切ない結末を迎えてしまうので、余計にこの「おいしい…」には「一服の清涼剤」的な印象が強く感じられるのだろう。勝利とかれんのカップルの関係を知らずに、2人の間に割り込もうとする同級生や同僚たちの存在がストーリー展開にいい味を出しているし、特にかれんはしゃべり方や仕草が目に浮かんでくるようで人物描写がうまい。文章による映像化に成功している、と言ってもいいんじゃないだろうか。集英社文庫。


7月12日(木曜日) 「皇国教科書」の採択

 サンケイグループの「新しい歴史教科書」が来春から4年間、栃木県南部の公立中学校で使われることになりそうだという。東京でも八王子や杉並などでそういう動きがあるそうだ。実際に現場で教科書を使って教える教員の意見を無視して、さらに日本国憲法や教育基本法の理念も無視して、教育行政が一方的にどの教科書を使うのかを決定する。それが今年の新しい採択の手法だ。採択の基準として「この国とこの国の歴史を愛する内容か」といったものを掲げる地域もあるという。このような恣意的基準が、サンケイグループの「新しい歴史教科書・公民教科書」の採択を目指しているのは明らかで、その結果がこれから次々に出てくるわけだ。

 この「新しい歴史教科書・公民教科書」は「天皇を中心にした神の国」という思想で一貫して書かれている。神話と歴史的事実を混同した記述を延々と続けるところから、戦時中の特攻隊を美化し、昭和天皇を崇め奉る人物コラムを見開きで載せるところまで、皇国史観の姿勢が徹底している。まるで戦前の国定教科書みたいだと指摘する人もいる。そうした記述や姿勢は、歴史教科書だけでなく公民教科書にも共通する。例えば住民投票で住民の声を政治に反映させることに否定的なコラムを載せるなど、この教科書の執筆者が主権在民や住民運動を好ましく思っていないことが、はっきり分かる内容になっている。そのうえで「大国日本」を誇示する表現が散見されるのだ。その姿勢は見事なほどに徹底している。

 「天皇陛下と日本国家に命を捧げてくれ」──。そんなメッセージが伝わってくるのが、サンケイグループの「新しい歴史教科書・公民教科書」だ。まともな感覚があれば、こんな教科書を使うなんて考えられないと思うのだが、しかしどうやら世の中はまともじゃない方向に確実に動き出しているようだ。

 電話で確認取材などしてから文章をちゃちゃっと書き上げて、編集部へ短い原稿2本を送信。駅前の書店で、かなり高額な本(店員に調べてもらったら3000円以上もするよ…泣)を注文。図書館で閉館時間まで調べもの。きょうの横浜も暑いことは暑いのだが、一日中ずっと強い風が吹いているので気分的にはかなり救われる。夜になるとさらに涼しく感じるので助かるなあ。そう言えば、関東甲信地方はきのう早々と梅雨明け宣言をしたんだけど、ひょっとして今年はカラ梅雨だったのかな。関西や中部は大雨の日もあったらしいが、首都圏ではたくさん雨が降ったという印象がない。水不足は大丈夫なのだろうか。ちょっと心配だ。


7月13日(金曜日) 同録テープ

 あまりに暑いので、自宅にいる時はずっとエアコンをフル稼働させている。来月の電気料金の請求書が怖いなあ。外に出れば、信号やバス亭で立っているだけで汗がじっとり…。アイスコーヒー、アイスレモンティー、麦茶、水、イタリアンジェラートなど、冷たいものならもう何でもひたすら飲み食いを続ける。外出先で食べるものにしても、きのうは冷やし中華できょうは冷麺。ああ。

 FMのBSデジタルで先月オンエアされたインタビュー番組の同録テープを、担当者が送ってきてくれた。テーマ音楽とともに番組はなかなかカッコよく始まる。続いて女性アナウンサーが、番組タイトルと僕の紹介を流暢に話し始める。そこまではいいんだけど、それに対してぼそぼそと暗い声で応答する自分の言葉を聞いていたら、もう恥ずかしいやらカッコ悪いやらで、思わず3分そこそこでテープを止めてしまった。内容としてはもちろん間違ったことは話していないはずなんだけど、こんな調子でぼそぼそ語る自分の声がこの後に57分も続いていると想像するだけで、まじで顔から火が出るように感じる。自己嫌悪…。どれくらいの人が聴いたのかは分からないが、こーゆーのが放送されたのか。穴があったら入りたいとはこのことだなと実感した。う〜む。冷や汗たらり。さすがにこの瞬間だけは部屋が涼しかったぞ。アナウンス教室とか話し方講座みたいなところで、少しは勉強した方がいいかもしれない。


7月14日(土曜日) 同級生

 東京・原宿で、高校時代の男女7人の友達と久しぶりの飲み会。生徒会や学園祭実行委員会で一緒に動き回った仲間たちだ。場所が原宿の店だというから、どんなにお子さま向けでチャラチャラしたところかと心配していたら、意外にもかなり落ち着いた雰囲気の居酒屋で料理もそこそこうまい。飲み食いしながら昔話や近況報告で盛り上がる。◯◯年ぶりに会う同級生や後輩もいたけど、みんな高校生の時とほとんど変わっていない。とても中学生のお母さんだとは思えなかったりするのもいる。う〜ん、びっくり…。しかしそうは言っても、それぞれ同じように確実に年齢を重ねてきたんだよなあ。こればかりは紛れもない事実で、いつまでも学生気分が抜けないというのも考えものだなと、ほんの少し反省。


7月15日(日曜日) 郵便物

 うちには毎日のように結構たくさんの郵便物が届けられる。市民運動のニュースレター、取材依頼の手紙や資料、各種案内状、個人的な私信など。このほかに請求書やら振込通知書、宣伝文書なども加わってくるから、ちょっと油断して放置しておくと机の上が郵便物であふれかえってしまう。必要なものは定期的にきちんと整理・分類して保存し、不必要と判断したものはどんどん捨てていかないと、収拾が付かなくなってしまうのだ。そんなわけで、3カ月分ほど積み重ねてあった郵便物を整理。必要なものは段ボール箱にまとめて保管し、宛名が書かれた封筒といらない郵便物の中身は切り裂いて、二重にしたごみ袋に入れる。郵便物の処分というのはそれなりに気を使うものなんだよなあ。


7月16日(月曜日) 参院選と時代の空気

 参院選の舌戦がたけなわだそうだが、各地では相変わらずのコイズミ人気で盛り上がっているとか。コイズミ首相の行く先々で大勢のオバサンたちが、タレントの追っかけみたいにして集まってくるのはまあご愛敬だとしても、空港や街頭演説会場などでたくさんの人々が「日の丸」の小旗を振ってコイズミ首相を出迎える光景というのは、いったい何なんだろう。ほかの政党の党首ではまず考えられない景色だ。なぜ「日の丸」なんだろう、だれが用意するのだろう、どういう意味があるのだろう、笑顔で小旗を振っている人たちはどんな心理状態なのだろう…。興味は尽きない。

 「改革」イメージもいいけど、何をどう改革するのか、だれのための改革なのか、が問われるのが当たり前だと思うのだが、コイズミ首相に歓声を上げている人たちはそういうことをちゃんと分かっているのかなあ。テレビのインタビューに「痛みの中身は分からないけれどコイズミさんに付いていきます」と答えた人がいたけど、冗談みたいな答えに驚いてしまった。だれがどんなひどい目に遭うか分からないのに付いていくだなんて、それって盲従・盲信・主体性の放棄だよなあ。そんな空気や風潮を不気味に感じる。

 不気味ということで言えば、在京すべてのキー局など全国40局以上の民放が、社民党のテレビコマーシャルを放送拒否しているのが、どうしても理解できない。「本当に怖いことは最初、人気者の顔をしてやってくる」のナレーションで始まり、モノクロとカラー映像をミックスしたちょっと怖いCMだ。この内容が「他(小泉内閣)への誹謗や中傷にあたる」とされているというのだけれど、そんなCMはほかの政党や企業だって流しているじゃん。なぜ社民党だけがだめなのだろう。それに「ファシズム全般」のことを指しているという解釈だって十分に成り立つ。1回だけこのCMを見たことがあるが、少なくとも僕はそういう感想を持った。まさに時代の空気を的確に表現した本質を突いた映像だから、危なくて流せないということなのだろうか。「本当に怖いことは最初、自主規制の顔をしてやってくる」とも言える。


7月17日(火曜日) 勉強仲間

 関係資料をひっくり返しながら、あちこちに電話で予備取材。これから書く原稿の全体像が、ぼんやりイメージできるようになってきた。実際に個別の事例を取材してみないと分からないけど、何とかなりそうな感じだ。

 駅前の書店で本を注文。夕方から東京・新宿へ。学生時代の仲間5人で久しぶりに集まって飲む。マスコミを目指して毎週日曜日に自主ゼミ(という名前の飲み会?)を開いていた仲間たちだ。お互いにしょっちゅう議論を交した間柄で気心は知れているし、同じマスコミ関係者だから仕事の苦労や喜びも分かり合っているし、会社は違っても利害関係はまるでないので、くつろいで話ができて居心地がいい。昔話や近況報告など爆笑しながら飲み食いする。始発電車で午前6時半帰宅。さすがに眠い。へろへろだ。学生じゃないんだからさあ。


7月18日(水曜日) 捨てたものじゃない

 きのうとは別のテーマについて電話でリサーチ。ざっと予備取材して感触をつかむ。仕事が立て込んできたので、あとは取材の日程調整をやり繰りするのがポイントだ。

 サンケイグループの「新しい歴史教科書」が栃木県南部の公立中学校で使われることになりそうだったが、少し情勢が変わってきたようだ。栃木県下都賀(しもつが)採択地区の採択協議会が、一方的にサンケイ教科書を採用する方針を決めたのに対し、採択地区を構成する2市8町の教育委員会が次々に、全会一致でこの協議会決定を否決し始めたという。「内容に問題がある」などと議論が集中して、それぞれの教育委員会が全会一致でサンケイ教科書の採択反対を確認したとのニュースに、日本もまだまだ捨てたものじゃないなと心強く思った。ネズミが集団暴走するかのような社会の姿を目のあたりにするにつけ、どうしようもない絶望感みたいなものを実は抱きつつあったのだけど、どうしてなかなか、良識の部分がきちんと機能し始めたじゃないかと安心する。僕もぼんやり、のんべんだらりとしている場合じゃない。取材すべきことをきちんと取材して、しつこく記事にしていかなければと自分に気合いを入れた。


7月19日(木曜日) 本の取り寄せ

 午前中から地道に電話取材。まあ、そこそこの成果はあったと言えるかも。注文していた本が入荷されたとのことで、書店で受け取る。取り寄せるのに2週間くらいかかるとの話だったのに、わずか5日で入荷とは早かったじゃん。そうだよなあ、取り寄せるのにそんな2週間もかかっていたら、売れるものも売れなくなっちゃうんじゃないかと心配になる。どうしても欲しい本や必要な本でなければ、店頭にないなら面倒くさいからいいやってことになるもんな。いつも書店の棚に置いてあればいいけど、ベストセラーでもなければ品切れ状態になっている本は多いだろうから、そうするとどうしても注文・取り寄せってことになる。読みたいと思った時に入手したいというのが人情なので、せめて5日以内に入荷するような流通体制を確立してほしい。それにしても分厚いこともあって、取り寄せてもらった本はまじで高額だ。現金で払うのは辛いのでカードを使った。結局は支払いが先延ばしになるだけなんだけどね…。

 調べものをするために中央図書館へ。わざわざ行ったのはいいんだけど、必要な図書類はどれもこれも出払っていてすべて空振り。う〜ん、まるで役に立たないなあ。きょうの横浜は曇り空。おかげで厳しい暑さも少しは和らいだ感じ…って、そんなわけねえっつーの。曇っていても相変わらず蒸し暑くて気持ち悪い一日だ。例年に比べて各地の気温はかなり高いみたいだし、梅雨明けも例年より何日も早いときて、やっぱり異常気象なのだろう。地球温暖化の影響も確実に受けているんじゃないか。


7月20日(金曜日) 続・本の取り寄せ

 書店に注文していた別のもう一つの本が入荷した、との連絡が入る。今度の本は注文してから3日目の入荷だ。な〜んだ、やろうと思ったら迅速な書籍流通ができるんじゃないか。と言うよりも、注文を受けた書店員の「入荷されるまで2週間くらいかかります」との言葉が、そもそも不適切で不親切だったのだろう。「早ければ3日で入荷されますが、場合によったら2週間くらいかかることもあります」と説明すれば、客は安心できるし購買意欲が萎えたりもしない。店頭にない本を注文しようとして、最初から「入荷まで2週間かかる」なんて言われたら、ほかの書店を探してみようとか、そこまでして買わなくてもいいや…なんて気持ちになるって。そんなんじゃ、まるで注文するなって言ってるようなものだよなあ。きのうも書いたけど、どうしても読みたい本ならいざ知らず、そうでなければ、読みたい時にすぐに手に入らないのなら買わないという人は、それなりに多いと思うんだよなあ。


7月21日(土曜日) 公権力による「被害者」

 まさに灼熱地獄のようだ。ずっと室内にこもっていようという誘惑に、どれほど駆られたことか。わが家から一歩でも外に出るのがマジでためらわれるのだが、えいやっと気合いを入れて、エアコンを止めてから思いきってドアを開ける。もわ〜っ。ああ…。体がとろとろにとろけてしまいそうだ。

 東京・早稲田で開かれた市民グループの学習会に顔を出す。取材ではなくて自分自身の勉強のために出席した。テーマは「被害者問題」について。弁護士の五十嵐二葉さんに話を聞く。五十嵐弁護士の話のポイントは主に2つあった。1つ目は、日本で「被害者」と言うと「民衆と民衆との対立・犯罪」という構図だけで考えられがちだが、そこには「国家や公権力による被害者」という視点がすっかり抜け落ちているということ。公害や水害訴訟、森永ひ素ミルク事件、薬害エイズ、原発事故、従軍慰安婦、731部隊など、国家犯罪による被害者(国民)はきちんと救済されているのかとの批判だ。それこそ「被害者の人権」がクローズアップされるべきだよなあと思う。2つ目は、日本では刑事訴訟法によって検察官が「公訴権」一手に握っているが、外国では被害者自身が刑事手続きに参加する法的権利(私訴原告制度)を留保しているのが一般的だということ。公訴権は検察官だけに認められているのが普通だと思い込んでいたので、意外や意外という感じだ。「被害者の権利」を国家がすべて握っているのは日本特有の制度だと知って、目から鱗が落ちる思いがした。

 このところ「犯罪被害者」に注目が集まって「加害者だけが守られて被害者は守られていない」という主張が大手を振っているが、五十嵐弁護士はそういう対置がそもそもおかしいと指摘した。加害者は「被害者に対して守られている」のではなく、あくまでも「国家権力の行きすぎに対して守られている」というのだ。だれが、だれに対して守られているかという視点があやふやだから、「加害者の人権だけが…」とか「被害者の人権だけが…」などというピントのぼけた議論になってしまうのだろう。というわけで、暑さの中を思いきって出かけただけの意味はあって勉強になった。


7月22日(日曜日) 「一人前物語」とは

 NHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で主人公の新人看護婦が、自分が「一人前」になったと感じたのはどんな時かと、周囲の人たちに聞いて回るという場面があった。その場面はかなり前のことで、主人公はきのうの放送で晴れて「一人前」だと婦長から太鼓判を押されたんだけど、周囲の人たちの「一人前」のエピソードはそれぞれなかなか感慨深かった。「看護した患者が退院してから挨拶に来てくれた時」とか「ツアー添乗員の仕事を一人で任されて客が全員無事に帰国した時」など、ドラマの上での話だとしてもみんなはっきりと意識して覚えているものなんだなあと驚く。

 それじゃあ自分自身は、一体どういう時に「一人前」になったと感じたのだろうと考えてみたのだが、いくら考えても「これだ」というものが思い浮かんでこない。「原稿がデスクに一字一句手直しされず掲載された時」だとか、あるいは「独自取材の原稿が社会面トップを飾った時」だなんて世間受けするような話があればいいのだが、確かにそういう瞬間というのはあるけど、でもだからと言ってその時に自分が「一人前」になったと感じたわけではないんだよなあ。そもそも冷静に振り返ってみたら、デスクが原稿に手を入れるなんてことは日常茶飯事で、しかも手を入れられたことでせっかくの原稿が台なしにされたことは数え切れない(これは僕に限らず記者ならみんな体験していることだろう)。

 まあ、記者というのは現場での取材を通じていろんな人から教わりながら成長していく職業なので、たぶんいつの間にか知らず知らずのうちにそれなりに、仕事の要領やポイントみたいなものを覚えていったのだろう。しかし、この仕事はどこまで行っても知らないことばかりで際限なく勉強が続くから、いつまでたっても死ぬまでずっと「一人前ではない」のかもしれない。そうか、だから「一人前」になったと感じたエピソードが思い浮かばないんだなあ。


7月23日(月曜日) 打ち合わせなど

 あちこちに電話取材。それなりに成果あり。夕方から東京・四谷の出版社で、裁判官関係の単行本をまとめるための編集会議&打ち合わせ。協力スタッフの皆さんと話し合った結果、大まかな基本方針やコンセプトなどが決まる。8月中に仕込みや事前の準備取材をして、その後の2カ月間で集中取材するという方向が固まった。内容はとても興味深くて面白そうだけど、来月から結構大変な作業が続くことになりそうだ。編集部のみんなと居酒屋で雑談。編集長のおごりだ。野菜類を中心にここぞとばかりに栄養補給をする(おいおい)。それにしてもめちゃくちゃ暑い。ただ暑いだけでなくて、じっとり蒸し暑くて気持ち悪い。日本の夏ってこんなに蒸し蒸しと息苦しかったかな。午前1時半帰宅。


7月24日(火曜日) 教育委員が教科書を選ぶ不思議

 先週から断続的に取り組んでいる「思想・良心の自由」関係の取材は一時中断して、教科書採択の問題を集中取材する。サンケイグループの「新しい歴史教科書・公民教科書」の採択をめぐって、きょうとあすが正念場だと言われている東京・杉並区へ。大勢の市民が区役所を「人間の鎖」で取り囲んで、「サンケイ教科書」の採択反対をアピールするというので出かけたのだが、区役所に着いてびっくりした。ざっと400人から500人もの市民が、続々と区役所前に集まって来ているのだ。主催者の地域の母親や元大学教授らも驚いていた。「あの教科書だけは子どもたちに使わせたくない」というやむにやまれぬ思いが、たぶんこうした予想を上回るパワーに集約されたのだろうと関係者は分析する。

 それにしても暑い。きょうの東京は7月としては過去最高の気温を記録。演説やメッセージを立って聞いているだけで汗がしたたり落ちるので、何度もハンカチで顔をぬぐわなければならない。高齢者も結構多いように見受けられ、炎天下のなかのアピールや抗議行動の最中に倒れる人が出やしないかと心配したが、幸いにもそういう不測の事態にはならなかった。みんな元気だよなあ。「あの教科書」に対する怒りがエネルギーになっているのかもしれない。

 午後3時から杉並区教育委員会が公開で開かれる。5人の教育委員がきょうとあすの2日間で、小中学校で使う全教科の教科書を採択するのだ。5人の教育委員の議論を傍聴取材していて、そもそも教育委員が一方的に教科書を決めてしまう「採択制度」そのものがおかしいと痛感した。教育現場の実態も知らないで、思いつきのような発言が目立つからだ。現場で教える教員たちの声や教室の子どもたちの実情が、どれほど生かされているのかは疑問だ。一緒に傍聴していた友人の新聞記者も同意見だった。

 この日は小学校の全教科の教科書について採択が決定されたのだが、その議論を聴いているだけでも教育委員の「いい加減さ」はひしひしと伝わってきた。このまま現場の声を無視するような形で教育委員会の権限が増大していくならば、学校はますます空虚な空間になってしまうんじゃないだろうか。しかも、恣意的に選任された教育委員が教育内容に口出しするようになってきたら…。杉並区長は今春、国家主義的な主張をする教育委員を複数選任した。だから余計に同区で「教科書」がどうなるか注目されている。


7月25日(水曜日) 不採択にはなったけど

 朝から東京・杉並へ。きのうに引き続いて、杉並区教育委員会の教科書採択の審議などを取材する。しかしきのうと違ってこの日は取材記者が殺到したため、あふれ返った記者傍聴席から追い出されてしまう。他社の記者数人とともにドアに耳をくっつけて、漏れ聞こえてくる審議の様子に耳を傾けた。2時間以上もそうやって立ち続けるのは結構しんどい。ただでさえ蒸し暑いのに、隣の男性記者が体をくっつけてくるのは暑苦しくて気持ち悪い限りだが、そんなことは言ってられない。教育委員の発言を聞き漏らすまいと耳をそば立て、懸命に取材メモを取るだけだ。こんな肉体的に苦痛な取材をするのは何年振りかな。審議結果は、歴史も公民もともにサンケイグループの教科書は不採択。なかなか際どい審議内容だったけれど、それでも5人のうちの2人の教育委員が、沖縄戦や日の丸や自衛隊などの教科書記述に対し、しっかりした歴史認識と問題意識に基づいて発言したことに驚いた。

 審議終了とともにすぐさま、別室で区教委事務局側による共同記者会見。サンケイや朝日の記者らとともに、僕は教育長の基本姿勢や採択制度の在り方などを質問した。記事に生かせるような適切な回答が得られた。それにしてもそれぞれの記者の質問は、各社の体質や紙面内容を見事なほどに反映していて興味深い。なるほどなあと思わず感心してしまう。

 昼過ぎにスコールのような大雨が降ったので、街の中は打ち水をした後のように涼しくなっていて少し気持ちいい。次の取材までの時間をどうやってつぶそうかなと歩いていると、区内の母親グループと出くわしてファミレスに誘われる。店内に入ると教育委員の一人とばったり。無事に審議が終了したので、ほっとした様子で友人たちとお茶を飲んでいる。記者傍聴席から僕が追い出されたのを覚えていて、しきりに気の毒がってくれた。

 夕方から区役所近くで、市民グループ主催の教科書採択の報告集会。「あんな教科書が使われなくてよかった」「市民や親の地道な活動の成果が実った」「民主主義の勝利だ」などと万歳ムードの声があふれ返る中で、「問題なのは次の4年後の採択で、これですべてが終わったわけじゃない」と今後の取り組みが大切だと戒める発言もあった。たぶんこの次には記述内容はともかく、体裁についてはもっと読みやすく分かりやすいものを用意してくるだろう。歴史を学ぶ意味は何か、教科書で教えるとはどういうことか、学校と子どもと地域の関係はどうあるべきか、などといったことがまさに問われているのだと思う。懇親会にも顔を出す。午前1時半帰宅。


7月26日(木曜日) 終日原稿執筆

 昨晩は夜中に帰宅。死ぬほど眠かったけど体がべたべたで気持ち悪いので、とりあえずシャワーを浴びてそのままベッドへ倒れ込んだ。メールを開いたらメーリングリストなどを含めて50件も受信があったが、とてもチェックする気力は起きない。ホームページの更新もせずに爆睡。昼近くまで寝てしまった。そんなわけで「身辺雑記」は2日分をまとめて更新しました。きょうは終日原稿執筆。夕方から写真の現像を出しに外出したが、黒っぽい雨雲が出ていることもあって若干涼しい。きのうまでの酷暑とは大違いだ。


7月27日(金曜日) 「金髪先生」初公判

 きょうが締め切りの原稿を書いていたのだが、限られた短い行数の中に盛り込むべき話があまりに多くて四苦八苦。最後の詰め(行数調整)がうまくいかないまま、自宅を出るはめになってしまう。う〜ん、困った。編集者に無理を言って出稿時間を少し延ばしてもらう。いやはや面目ない。ごめんなさい。そんなわけで、「金髪先生」の初公判のために千葉地裁へ。だがしか〜し。勾留理由開示公判の時と同じく、傍聴席がわずかに18席しかない法廷で審理が始まったのだ。結果として抽選に漏れた傍聴希望者が多数あぶれることになってしまった。地元記者に割り振られた傍聴席にしても6席だけしかないので、記者クラブ加盟社でくじ引きをして、くじに外れた記者は一般傍聴席に座るため抽選に並ぶことになったのだという。そんな馬鹿なことがあるかよ。記者クラブ加盟社にしか傍聴席を割り当てないことも問題なんだけど、それはひとまず置いておいて、記者席が十分に確保できないということがまずおかしい。そして何といってもそのことによって、一般の傍聴希望者にしわ寄せがくることになるというのは最大の不手際だろう。

 検察側と被告側の主張が真っ向から対立していて、しかも公安事件で、おまけに合議(複数の裁判官=通常は3人=が担当する裁判のこと)だというのに、こんな18席しかないような狭い法廷を使うこと自体がそもそも異常だ。さらに、廊下から法廷を見る「のぞき窓」がわざわざガムテープで封鎖されていた。法廷の様子をなるべく見せたくない、聞かせたくない、知らせたくないとでも考えているのだろうか。日本では公開裁判が原則ではないのか。信じられない話だ。千葉地裁の対応は「開かれた司法」にまさに逆行するものだと思うが、こうした異常さに何の抗議もしない地元記者たちの姿勢にも、首を傾げざるを得ない。いずれにせよ法廷運営の方法には疑問があるので、千葉地裁総務課に対して取材を申し込んだ。週明けにも正式回答をするとのことなので楽しみにしている。

 とまあ、裁判以前のところで紛糾してしまっているのが、いかにも「金髪先生」の事件らしい。僕はと言うと、電車の接続が悪くて抽選にすら間に合わなかったのだが(くじ運が悪いので間に合っていても外れた可能性が高い)、親切な関係者が傍聴券を譲ってくれたので法廷に入れた。どうもありがとうございました。初公判の内容は、検察側の起訴状朗読や冒頭陳述だとか、被告人である「金髪先生」側の求釈明や意見陳述などのお決まりのメニューがこなされたのだが、この中で「金髪先生」は検察側主張に真っ向から反論して、「車の前から移動するようにいくら警告をしても、校長は動こうとせず自分から車にぶつかって転んだ」などと述べた。


7月28日(土曜日) 笑止千万

 サンケイグループの「新しい歴史教科書・公民教科書」が全国各地で次々に不採択となっていることに対して、国家主義や皇国史観が大好きな人たちはかなり苛立っているようだ。この人たちは前からめちゃくちゃな物言いをしていたが、ここにきてさらに支離滅裂な論理を展開して「世論」を批判しているという。「サンケイ教科書」を作った「新しい歴史教科書をつくる会」は「公正な教科書採択を求める緊急声明」なるものを発表して、不採択を求める世論を「政治的な圧力」だとか「異常な妨害行動」だとか「組織的で執拗な妨害工作」などと決め付け、さらに「サンケイ教科書」に批判的な論調については「一部のマスコミの採択妨害を煽るような報道」などと八つ当たりして、教科書採択への「不当介入」を批判している。このほか、サンケイ新聞や国会議員グループ、地方の草の根右翼と言われる人たちも、同じような批判を繰り返しているのだ。う〜ん、なんだかなあ。よく言うよって感じだよなあ。一面や社会面のトップ扱いで、特定教科書の宣伝まがいの記事を連日のように書いているのはどこの新聞なんだろうねえ。それに「政治的圧力」や「組織的で執拗な工作」や「不当介入」を、議会や教育委員会に向けて延々と繰り返してきたのは一体どこのだれだったのだ。ご都合主義も極まれりとは、まさにこういうことだろう。さすがに「この教科書は子どもに使わせられない」と市民も教育委員も気付いたので、採択にノーを突き付ける声が全国に広がったのだ。それを指して「妨害行動」や「不当介入」とは、いくらなんでもひどいんじゃないか。しかも言うに事欠いて「公正な教科書採択を求める」だなんて、笑止千万としか言いようがない


7月29日(日曜日) 空しい参院選

 取材のまとめをして原稿執筆。書くことがたくさんあるのに、短い行数に収めなければならないのは至難の業だ。で、どうせ行ってもあまり意味のない結果になるのは分かっているんだけど、でも参加しておかなければ悔いが残るだろうとゆーわけで、投票時間のぎりぎりになって参院選の投票に出かける。すぐ目の前に学校があるというのに、選挙区の関係から歩いて十分ほどの投票場に行かなければならないのが面倒くさい。会場に着くと横浜市議補選の投票もあった。そんなのまるで念頭になかったぞ。

 これまでは「この候補者に入れても死票になるから、よりましなこっちに投票するかな」などと政治的判断を加味して決めていたのだが、今回は純粋に自分の信念だけに従って投票した。そうは言っても市議補選の方はどれもろくな候補者しかいないから、冗談抜きで「よりましな候補」に投じるしかないのが悲しい。今回の選挙では、同窓会やゼミの教授などから「よろしく頼む」というはがきを何通も受け取った。面識どころか名前すら知らないような候補者をよろしくと言われてもなあ。一人だけ知っている人がいたけど、どうしてこの人がこの政党から…と首を傾げるところから出ていたので、投票のしようがなかった。


7月30日(月曜日) ひたすら電話

 しょうもない開票番組を朝方まで見て寝不足だというのに、取材があるので真面目に早起きする。女性編集者と東京・蒲田の弁護士事務所へ。今後の取材の展望が見えてきた。そんなわけで、気分よく近くの和食屋で魚ベースのランチを食べる。鮪と生海苔のユッケ丼にサバの塩焼きが付いてくるのを僕は選んだのだが、ボリュームもあってなかなかうまかった。午後から四谷の出版社へ。ひたすら電話をかけまくる。予備取材・仕込み取材・確認取材のほかにアポ取りや問い合わせなど、延々と4時間近く電話をかけ続けるのだった。アポ取りがそのまま電話取材になってしまったりもするし、さらに取材先から回答の電話が入ったりもするので、取材ノートとペンは片時も手放せない。電話とはいえ真剣勝負だから、相手の話を聞き漏らすまいと常に神経を集中する。友達と気楽な感じで雑談するのとはわけが違うのだ。で、それなりの成果があったのはいいんだけど、さすがに4時間近くも電話しているとくたくたになる。夕方からお茶の水と秋葉原へ。探していた2冊の本を確保。

 それにしてもきょうの東京はまたまた猛暑がぶり返して、じっとり汗をかいてしまった。先週の金曜日からきのうの日曜日までは、それまでの暑さがうそのように涼しくて、おまけにさわやかなそよ風まで吹いて実に過ごしやすかったんだけどなあ。秋の初めのころのような素晴らしい気候だったのだ。当サイトの「このホームページと作者について」というページに「初夏から盛夏にかけての季節が一番好きだ」なんて書いているけれど、こうなってくるとあれは撤回だよな。暑いのはいやじゃ〜。今週の首都圏はさらに暑くなるという。あ〜あ。


7月31日(火曜日) 高校放送部の検証ビデオ

 夕方から東京・水道橋の新聞労連本部で会議。秋の記者研修会の事前準備を兼ねて、長野県の高校放送部の生徒が作ったビデオを事務局スタッフで見る。松本サリン事件報道を取材した地元テレビ局の現場記者を、放送部の生徒たちが訪ね歩いてインタビューしたドキュメンタリー作品だ。何の根拠もないのに警察情報をうのみにして、結果的に河野義行さんを犯人に仕立て上げる報道に手を貸してしまった記者たちは、それぞれ言葉を選びながら、苦しそうな表情で反省したり言い訳がましいことを言ったりと、さまざまな反応を見せる。それでも相手が高校生だからなのか、率直にそして真摯に答えようとしているのが印象的だった。けれどもだからこそ、テレビ局という組織の一員なので「仕方がなかった」などと正当化するのでは、何の問題解決にもならない。記者個人の姿勢や資質や感覚が、結局のところ問われることになるのだ。常に問題意識を持ちながら取材に臨む姿勢こそが、一人一人の記者に求められているということを今さらながら考えさせられる。ジャーナリズム精神にあふれるなかなかの力作だ。見終わって大いに議論が盛り上がった。記者研修会でもこのビデオを流す予定なので、若手記者たちの間で活発な議論が展開されることが期待される。

 3時間の会議の後、近くの居酒屋で雑談。冷えた生ビールがうまい。時計を見ると午前零時を回っているではないか…。途中駅で電車がなくなったので、久しぶりに深夜高速バスに乗って帰る。泥酔したオヤジが窓を開けて騒いでいる。みんな迷惑そうな顔をしているのだが、相手が泥酔客なので対処のしようがない。せっかくの車内冷房が逃げてしまうので大ヒンシュクなんだけど、疲れていることもあって静観するだけだ。泥酔オヤジは迷惑だから深夜バスになんか乗らないで、駅のベンチで朝までずうっと寝ていなさいっつーの。午前2時半帰宅。

 いただいたメールがいくつも滞留しています。とっても忙しかったんです。たぶんこれからもっと忙しくなると思います。書けるものにはなるべく順次返信していくつもりですが、すべてについて必ずしも返信できないかもしれません。出そうと思っていて忘れていることもあります。いい加減なやつなので、大きな心で見守ってくださるとうれしいです。以上、言い訳でした。


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