身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2001年9月1日〜9月30日

●余裕なし●尊敬できる校長●真剣勝負●俵萌子さん●たっぷり休養●押し付けない●「金髪先生」第2回公判●眼鏡修理●トトロとDVD●やっぱり…トンデモ裁判長?●連続テロ●しばしお待ちを●どさくさ●ルポ記事の宣伝●つじつま●削れない●削った●納得●気分は戦争●2カ月ぶりの更新●名誉ある地位●虚偽情報の流布●海自の米空母護衛●瞬発力?●A少年の無実●村山由佳「青のフェルマータ」を読む●合わない靴●眉村卓「閉ざされた時間割」を読む●カエルの子はカエル●表現と差別●●●ほか


9月1日(土曜日) 余裕なし

 午後から、東京・水道橋の新聞労連で5時間ほど会議。午後8時過ぎから、取材で中野区へ。午後11時近くになってようやく取材終了。終電で横浜へ戻る。土曜日なので車内は比較的空いている。座れてよかった。電車の中では取材で必要な本や資料を読むか、ひたすら眠るだけだ。午前1時帰宅。…疲れた。以上。

 業務連絡。週末には藤沢の友人宅へ遊びに行こうと思っていたんだけど、しばらく無理そうです。ごめんなさい。あ〜、でもこんなところ読んでないか。


9月2日(日曜日) 尊敬できる校長

 午後から取材で都内へ。元都立高校の校長先生に話を聞く。確固たる問題意識と常識を持っていて、しかも言うべきことをはっきりと口にする。姿勢が一貫していて筋の通った気骨のある人だ。久しぶりに尊敬できる校長先生に出会うことができた。最近は、言っていることとやっていることが全然違っていたり、口では立派でカッコいいことを言っていても実践が伴っていなかったり、あるいは言動に一貫性がなくても平然としていられるような人たちが、いたるところに生息していてうんざりさせられるのだけど、このところ取材でお目にかかる人たちには心から感銘する人が多くて、そういう人に会って直接話が聞けるのは本当にうれしくてたまらない。疲れがすーっと消えていくようだ。

 夕方から、日比谷野外音楽堂(野音)へ。昼過ぎからやっているイベント集会「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!」に顔を出す。知り合いのマスコミ関係者や弁護士らも何人か来ている。で、ちらりとのぞいてみた感想。内容は大事なことを言っているし正しいと思うんだけど、なぜか参加者にうさんくさい人が目立つんだよね。例えば、舞台でディスカッションをしているというのに、人の話を聞かないで大声でべらべら延々と世間話を続けているオヤジがいる。うるさいなあと思って振り返ったら、テレビのワイドショーによく出てきてコメントしているマスコミ関係者だった。まあこれはほんの一例だが、ほかにも傍若無人で独善的な行動をする「いい大人」がそこかしこにいて、こんなのと連帯なんてしたくないなあと思わせてしまうのは残念だ。しつこく同じ野次を飛ばし続けるとか、党派性を全面展開するとか、全共闘世代の旧態依然たる行動様式もどうにかならないものかと思う。世間にアピールするための広範な市民運動なんだろうからさあ。「仲間内だけで通じる行動パターン」を続けていてはダメなんじゃないのかな。広がるものも広がらなくなってしまうと思う。市民運動の課題だろう。


9月3日(月曜日) 真剣勝負

 朝から東京・杉並区へ。午前中は区長と、午後は教育長とそれぞれ単独会見する。途中、正午過ぎから区長の定例会見があって、区側から誘われたのでのぞいてみた。住民基本台帳ネットワークシステム問題に関し、区が独自にプライバシー条例を設けるというのが会見趣旨だった。取り組みそのものはいいと思うけど、結局のところほかの自治体とネットワークを結んでしまえば、情報は否応なく筒抜けになってしまうのだから、背景にある国民総背番号制そのものを廃止させない限り、プライバシーと基本的人権の侵害は食い止められない。そういうことを広くアピールしていかなければならないのだろうなあ、などと頭の隅で考えつつも実は眠くて眠くて仕方なかった…。僕として本来の取材目的は二つの単独会見だ。まさに「真剣勝負」である。で、前半の「真剣勝負」が終わった後の共同会見は、言ってみれば「おまけ」のようなものなので、昼食後ということもあって一気に睡魔が襲ってきたらしい。眠気を追い払うので必死だった。午後の教育長の単独会見では、もちろん再び気合いを入れて臨んだ。区長も教育長もはっきりものを言う人なので、話の内容の是非はともかくとても助かる。

 新宿に寄る用事があったついでに、歌舞伎町の雑居ビル火災の現場をちょっとだけ見に行った。1階部分を青いテントに覆われたビルの周囲は、数人の警察官が警備していて、立ち止まって見上げる通行人や見物人たちがひしめいている。テレビ局のクルーも民放3社がスタンバイしていた。ビルはとても小さい。こんなところに客が44人も入っていたことに驚かされる。実際、一人通るだけで精いっぱいの階段と狭いエレベーターしかないような雑居ビルは、歌舞伎町の風俗店に限らずいたるところに存在している。どう考えても逃げようのない構造なのが一目瞭然のビルって、どこにでもあるんだよなあ。そんな危ないビルに入る時には、用事が済んだらなるべく早く退散するように心がけている。だけど大惨事にならなければ、たぶんこれからも改善されることはないだろうな。


9月4日(火曜日) 俵萌子さん

 午後から東京・中野へ。評論家の俵萌子さんを取材。趣味の陶芸から表現活動まで精力的に活躍していて、それだけでなく生活そのものも目いっぱい楽しんでいる人だ。テレビ出演や講演などをいくつもこなしているだけあって、話は分かりやすくて面白い。元新聞記者だから文章がうまいのは当然と言えば当然だが、さらに話もうまいというのはなかなか真似できないよなあと感心する。本題の教育行政についてはもちろんのこと、そのほかいろいろと示唆に富む話をうかがうことができた。楽しい3時間だった。

 俵さんは昨年末からインターネットを始めたそうで、早速ネットにアクセスして、ご自分のホームページをうれしそうに見せてくれる。群馬の赤城山で開いている美術館や陶芸教室の情報や、著作紹介、コラムなど盛りだくさんの内容だ。画像や音声もたくさん使われている。僕のページも見たいとおっしゃるので、ヤフーで検索して呼び出すと、しきりに感心して興味を示して見入っている。う〜ん、まさか俵さんの自宅で、ホームページの「見せっこ」をすることになるとは思いもしなかったな。帰り際に、最新刊のエッセイ集をくださるというので献本サインをお願いすると、ミーハーだわねえと笑われてしまったが、わざわざ落款まで押してくれた。「こうして赤い印を押すことで全体の感じが引き締まるでしょう」。なるほど。絵画的な視点で眺めると、確かにバランスが取れている。

 昼を食べ損ねていたので、少し早めの時間だけど新宿で昼食を兼ねた夕食にする。東口を歩いていてたまたま見つけたトルコ料理店に入った。雰囲気としてはインド料理店に似ている。あぶり肉と野菜とライス、トルコパンを食べたが、値段と味とボリュームを総合的に判断すると、残念ながらちょっと期待外れ。これだったら、インド料理の方がはるかにうまいと思う。


9月5日(水曜日) たっぷり休養

 久しぶりにた〜っぷり眠って、おいしいものを腹一杯食べたら、気力や体力などパワーが体中にみなぎってきた。う〜む、やっぱり休養を取るというのは大事なことだ。きょうは取材電話の類も一切かけていないしなあ。難しいことはほとんど考えなかった。


9月6日(木曜日) 押し付けない

 午後から東京。中野区の教育委員に会って2時間ほど話を聞く。すぐさま横浜へ取って返し、髪の毛をカットして、夕方から「日の丸・君が代」問題を考える市民グループの学習会に顔を出す。テーマは、市民運動の今後について。なぜ反対するのか、「強制」に反対するのか、「日の丸・君が代」そのものに反対するのか、などについて活発に議論された。まあ、いろんな考え方や立場や方法論があって構わないわけで、それを一律のやり方しか認めないということにでもなれば、それこそ「押し付けてくる側」や「みんなを同じ方向に向けさせて自由を奪う側」と何ら変わらない道を選択することになるだけだ。そもそもそんなふうに「多様な姿勢・考え方」を拒否するような発想を続けていては、共感の輪は決して広がらないだろう。…というようなことは、僕はもうすでに何回もこの「身辺雑記」で書いてきたし、講演などでも話している。「日の丸がある風景」の本のあとがきや、岩波ブックレットの序文でも指摘しているから、もう今さらという感じでもあるのだが、多様な立場を尊重しながらどのように訴えるかを考えるのはとても大切だ。退屈することはなかった。それに少なくともきょうの参加者には、自分の方法論が絶対だなどと他人に強要するような人はいなかったから、安心して話し合いを聞いていられた。終了後、近くの居酒屋で参加者の皆さんと雑談。サンマ寿司が売り切れだったのが残念。どんな味なのかぜひ食べてみたかったなあ。午前零時帰宅。


9月7日(金曜日) 「金髪先生」第2回公判

 午前中は千葉県教委に顔を出す。午後は千葉地裁へ。校長に車をぶつけてけがをさせたとして、傷害罪に問われた「金髪先生」の第2回公判(小池洋吉裁判長)を傍聴取材。さすがに今回は弁護人らの強い要望を受けて、同地裁で最大の法廷で審理が開かれた。傍聴席が54席ある。ところが、裁判長は「特別の配慮と期日調整などによってこの大きな法廷を使わせてやっているんだ」みたいな言い訳を、審理の中でくどくどと延々と述べるのだった。笑わせるよなあ。まさに「失笑」である。そんなこと、わざわざ言わなくてもいいのに。そもそも裁判は広く公開するのが原則なんだから、傍聴希望者が多ければなるべくそれに沿った対応をするのは、裁判所として当たり前のことだろう。

 裁判長の居丈高で権威主義的な態度(訴訟指揮)は、今回一段と磨きがかかってきたように思えた。検察側の証人として校長が登場したのだが、証人尋問の校長の受け答えがあまりにとぼけていたことに傍聴者の一部から笑い声が起きた。すると裁判長は「いやしくも国民の付託を受けた裁判で笑い声を発するとは…」と怒りをあらわにして、「次からは退廷を命じます」と宣言。さらに閉廷してから一部の傍聴者が「金髪先生」に「頑張って」と声をかけると、なんと「その者は次回の入廷を禁じる」ときたのだ。う〜ん、ただそれだけのことで、そこまで威圧的に言う裁判官なんて、幸いにもこれまでお目にかかったことがなかったなあ。びっくりした。もちろん法廷での私語を注意するのは裁判官の権限だけど、それほどとんでもない暴言や妨害をしたわけでもないのに。

 いや、今回の審理で驚いたのはそんなことより、校長に対する証人尋問の中で、僕が「金髪先生」の元同僚教諭を取材した時の様子や、「金髪先生」が教研集会で「週刊金曜日」を配布していた行為が延々と取り上げられたことだ。しかもいずれも事実や個々の認識部分が微妙にねじ曲げられて、それが「金髪先生」の人格攻撃に使われているのである。本件である「傷害」(車がぶつかってけがを負わせたとされること)には関係ないのだが、「問題教師」の背景説明を展開するために、見事な「ストーリー」が作られていくわけだ。そしてそんな「ストーリー」作りに協力する人が少なからずいるんだなあと、今さらながら人間不信を感じてしまった。それにしても、四街道市教委や関係者はたぶん、よほど「週刊金曜日」のルポ記事が頭にきたんだなあ。記事内容そのものはすべて事実の積み重ねで書かれていて、文句の言いようがないものだから、こういう形で意図的な「ストーリー」に組み込むのかと、感心さえする。


9月8日(土曜日) 眼鏡修理

 眼鏡の部品が壊れたので、修理してもらいに行く。愛用している製品はとてもかけ心地がよいのだが、鼻で支える部分がしばしば壊れるのが難点だ。僕の使い方が荒っぽいとか乱暴に取り扱っているとか、決してそういうことが原因ではない。「使い方が悪いわけではありません。該当部分がオールプラスチック製になっているからどうしても弱いんですよ」と、お店の人も申し訳なさそうに説明する。別の部品に取り替えることも検討したいという。かけ心地だけでなくてデザインも気に入っているので、本当は部品の交換なんかしたくないんだけどな。だけどしょっちゅう壊れるようでは、それも仕方ないか。とりあえず、きょうは純正部品にしてもらった。

 東急ハンズで文房具を買ってから、近くの漫画専門書店でコミックスを衝動買いする。やぶうち優などの少女漫画系とSF系などを計5冊。しかし、せっかく買ってもいつになったら読めるのかは不明だ。しくしく…。などと言いつつ、原稿を放ったらかしにして、いつの間にかちゃっかり読んでたりして(殴)。


9月9日(日曜日) 台風接近

 短い原稿を1本書いて送信したほか、取材のまとめや原稿執筆の準備など。大型の台風が近付いているせいか、湿度が高くてじめじめしている。雨は降ったりやんだりを繰り返していて、思い出したように通り雨みたいなものが降るのだけど、雨がぴたっと止まってしばらくすると、秋の虫が騒ぎ出すのだった。台風は強い雨と風を伴って、あすの午後には関東地方に接近するらしい。


9月10日(月曜日) トトロとDVD

 「千と千尋の神隠し」が大ヒットしているのに歩調を合わせて、そして「となりのトトロ」のDVDが発売されることもあって、スタジオジブリ・フェアが各地で開かれている。あちこちのデパートや大型書店には特設会場が設けられ、たくさんの書籍や関連商品が並んでいる。ストラップでも買おうかなと軽い気持ちで立ち寄ったら、またまたいろんなグッズを衝動買いしてしまった。う〜ん、まるで懲りない奴だなあ。まあそれはいいんだけど、熟慮に熟慮を重ねたうえで、ついに「となりのトトロ」のDVDを予約してしまった。日本語版と英語版のビデオを持っているのにもかかわらず、しかも、そもそも僕はDVDプレイヤーを持っていないのに…。これはどういうことかというと、近い将来にDVDプレイヤーを購入する方針を固めたことを意味する。高画質のソフトを持っていたらどうしても見たくなるもんなあ。それに安いものなら、ちゃんとしたメーカーの製品が2万円くらいで買えるからなあ。いやしかし、だけど問題なのはDVDの世界にどっぷりはまってしまって、あのソフトもこのソフトも欲しいと、余計な出費がどんどんかさんでいくことだ。最も心配されるのはそこだろう。自制心が試されるといっても、あまり自信はないんだけど(お〜い)。DVDプレイヤーを買わずに、トトロのソフトだけを持っているという選択も、まだ残されてはいるのだが…(う〜む)。


9月11日(火曜日) やっぱり…トンデモ裁判長?

 9月7日付の「身辺雑記」で、傷害罪に問われた「金髪先生」の第2回公判を千葉地裁(小池洋吉裁判長)で傍聴した話を書いたところ、ある弁護士さんから、この公判を担当している裁判長についてメールをいただいた。この裁判官は前任地でも「官僚的な感性と独善的な姿勢」によって、弁護人や被告人をうんざりさせていたという。有罪判決を言い渡す時にもっともらしく説教を垂れ、必ず故事やことわざを引用して得意満面で演説する。無罪を確信する被告側の心情を逆撫でしながら、それで感銘を与えたつもりになっている人らしい。つまり、相手の気持ちを推し量ろうとする想像力が、決定的に欠如しているのだろう。「異動になった時には大いに喜んだのですが、今は千葉にいるのですか、お気の毒に…」と書かれていた。なるほどねー。やっぱり最初に感じた通り、いわゆる「困った裁判官」だったんだなあ。道理で第2回公判が終わったのにいまだに接見禁止は解かれないし、保釈請求も認められないわけだ。

 前回の台風と同じようにゆっくり進んできた台風15号は、午前中に神奈川県鎌倉市付近に上陸し、午後には都心を通過して北上していった。横浜は朝方までは比較的静かだったが、NHKテレビの朝ドラ「ちゅらさん」が終わったあたりから暴風雨が吹き荒れ始めた。看板なんかが飛んできて窓ガラスを突き破ったりしたら嫌だなあなどと心配して、家の中にいてもちょっと怖い。しかしそれも午後になるとすっかり落ち着いて、まだまだ夏気分のセミたちが、ここぞとばかりにやかましく鳴き始めた。セミにとっては最後の生を精いっぱい謳歌しているのだろう。そう思うと、少し寂しい気分になる。「やかましい」なんて言うとかわいそうかも。

 連続テロ 米国ニューヨークの世界貿易センタービルに、航空機2機が突っ込んで炎上。まるでハリウッド映画の一場面を見ているような、すさまじい衝撃的な映像だ。その後、ツインタワーのビルは2棟とも崩壊してしまった。さらにワシントンの国防総省(ペンタゴン)にも航空機が突入して炎上し、続いて連邦議会や国務省の近くでも爆発事件が起きているとの情報も飛び込んできて、ほとんどパニックアクション映画さながら。「ダイ・ハード」や「ランボー」どころではない事態に、テレビニュースの画面に釘付け状態である。こんなんじゃあ、原稿がまったく手に付かないよ(そーゆー問題か)。当然のことながら、米国大統領は「テロ行為を絶対に許さない」と怒り心頭のコメントを出しているが、ものごとには必ず反対側の立場や主張というものがあるので、そのまま額面通りに受け取るわけにはいかない。もちろんテロ行為を肯定しているわけではない。


9月12日(水曜日) しばしお待ちを

 終日原稿執筆。ところでいただいているメールなんだけど、簡単な内容や急ぎのものには返事を出したりしているのだが、じっくり考えて書かなければならないのは、保留でたまったままになっている。しばしお待ちください。そう言えば「セカンドインパクト」もしばらく更新していないんだよなあ。アップすべきルポルタージュや記事データはたくさんあるので、そのうちきちんと更新するつもりだ。「サードインパクト」にしても「身辺雑記」だけしか更新していないし、「ファーストインパクト」や「裏版雑記」もしばらく放ったらかしである。こちらもネタはあるので、まとめて何とかしたいと思っている。見捨てないで、気長に広い心で見守ってください(大汗)。

 なお、ホームページ上に書いてある内容について、メールで質問してくる方が何人もいますが、ちゃんと読んでもらえれば分かるはずのことに対してまで答えている時間的余裕がありません。申し訳ないですが、そういうメールへの返信は勘弁させていただきます。とくに「となりのトトロ」の英語版ビデオがあるのか、とのご質問については、トトロのページ「資料/関連書籍&映像&音楽」のコーナーに詳しい情報やデータがありますので、そちらをご参照ください。しかし、こういう質問を僕にされる方というのは、そもそもトトロのページを見ているはずなんだけどなあ…。

 どさくさ 米国の連続テロ事件を受けて案の定、日本政府の閣僚などの間から、有事法制や自衛隊が米軍と行動をともにできるための立法推進などを求める声が出ている。こういうのを「どさくさに紛れて」とか「便乗」などと言うのである。しかしこんなことを認めたら、わざわざ日本も一緒にテロに巻き込んでくださいと宣言するようなものだろう。これこそ国益を損なう売国奴的な発想だ。テロ行為という手段は認められるものではないが、自爆した彼らにしてみればそれなりの主張と思想に基づいた確信的な行動として、まさに命をかけてビルに突っ込んだのである。その意味では、だれかさんたちが大好きな特攻隊と一緒だ。そんなものを相手に軍事力で対抗しようとしてみても、どうにも防げるものではない。テロ行為を「卑劣で許し難い暴挙である」などと非難するのならば、そもそも敵対する相手をつくらないように、テロが出現しないような政策や外交関係を築くことこそが、この国の平和と安全を守るための最も確実で安価な姿勢ではないかと思う。有事法制や自衛隊の強化など軍事面の補強をいくら図っても、テロ行為の前にはまるで意味がないことは、今回の米国のテロ事件で学習できたはずだろう。特攻精神に涙を流したり英霊にまつり上げたりするのは個人の勝手だけど、少なくとも善良な国民を戦争やテロの惨禍に巻き込まないでもらいたい。テロに対する米国の報復を支持するだなんて言語道断だ。冗談じゃない。


9月13日(木曜日) ルポ記事の宣伝

 きのう発売(一部地域ではきょう発売)された「法学セミナー」の10月号に、僕の書いたルポが掲載されている。第2特集「『日の丸・君が代』と学校現場」の中の「『例外を許さない』重圧の中で」という記事だ。これは、法セミと同じ出版社が出している「こころの科学」7月号(第98号)の特別企画「教師のこころ/学校現場のストレスを考える」に書いた「『日の丸・君が代』と教師たち〜強まる管理と重圧の中で」の続編にあたるルポで、構成の関係から一部内容がダブるのだけど、息苦しさを増す教育現場とその周辺の実態を生々しく報告できたと思う。さらに、まとめるのに結構時間がかかった「教員に対する懲戒処分者数の一覧表」も収録し、単行本に使った写真も何枚か転載している。僕は現場の声をフォローするのが担当だったのだが、このほか裁判や憲法の側面からの論考なども多数掲載されているので、よろしかったらぜひご一読を。

 締め切り直前の原稿にてこずっている。台風が過ぎ去って蒸し暑いから、余計になかなかうまくまとまらなくて、イライラしているのかもしれない(←そんなのはただの言い訳だっつーの)。取材の成果はそこそこよかったんだけど…。きょうは徹夜だな。


9月14日(金曜日) つじつま

 朝からお腹の調子がよくないというのに、その一方で、なぜか原稿の方はうまく流れてくれなくて引っかかってしまう。う〜ん、これはどうしたことだ(下品な比較でスミマセン)。この調子じゃあ締め切りに間に合わないよ。…と不安に感じていたところに、担当編集者から電話が。米国連続テロ事件の関係から、記事掲載号が後ろに1週間ずれるので、締め切りを延長しますと言うではないか。な〜んて素晴らしいんだろう。編集者の一言一言が、まるで神様の声のように聞こえる。事件のあった日に、ほとんど徹夜でテレビの前に釘付けになっていたあの時間は、これでちゃんと取り戻されてつじつまが合うことになるわけである。世の中うまくできているもんだなあ。でもって、原稿の方も全体の構成を見直してみたら、何とかうまく文章が流れてくれそうな感じになってきた。せっかく3日間だけでも締め切りが延長されて時間の余裕ができたのだから、取材内容をじっくり吟味して原稿を書かなければ。


9月15日(土曜日) 削れない

 終日、原稿執筆。う〜ん、う〜ん、規定の行数の中に原稿が収まりきらないよ。書くべきことがたくさんあって、使わないで捨てるのはあまりにも惜しいものがあふれかえっている。でも、行数は限られているわけで。取材し過ぎたということはないんだろうけど、そうは言っても、全部を書くわけにはいかないんだよなあ。どこかで削らなければならないのだ。う〜ん、困った。


9月16日(日曜日) 削った

 涙を飲んで削りに削ったので、原稿は何とか規定の行数に収まりそうだ。ようやく「王手」と言えそうな段階に到達した。あと数時間もあれば脱稿できるだろう。う〜む、それにしても今回はかなり苦戦したなあ。…って、書き上げてからしばらくしたら、そんなことはすっかり忘れてしまい、充実感と達成感しか残らないんだけどね。まあ、気楽な性格をしてると言えばこれほどお気楽なこともないと思うのだが、原稿と格闘している最中はやっぱり四苦八苦して大変なのだ。でもって、これでちょっと息つぎができるかなと思っていたら、短い原稿の依頼が次々と…。もちろん仕事があるのは大変ありがたいことなんだけど、なんとなくワンコそばみたいだよなあ(おいおい)。自転車操業ってやつですか。


9月17日(月曜日) 納得

 やや長めのルポの原稿は無事に書き上げて、午前中には編集部へ送信した。だがしか〜し。どうも何かがすっきりしない。数時間ほど仮眠してから送信済みの原稿を読み直してみたら、やはり最後の締めの部分が尻切れとんぼになっているような気がする。書くべき内容があふれ返っていたのを、削りに削ってどうにか押し込んだのだが、それでも最後は無理やり詰め込んだので、うまくオチていないのだった。釈然としない感じが心の中に残っていたのは、自分でも納得できていないことに本能的に気付いていたからだろう。これではまずいと思って、大急ぎで修正の手を入れる。前半部分を改めてかなり削ったうえで、最後のシーンをいくぶん補強した。まあ規定の行数としてはこれが限界かも。与えられた範囲では最善を尽くせたかなと考え、差し替え原稿として編集部に再送信する。ようやくすっきりしたという感じだ。あすの午前中まで少し余裕があるので、たまっていた雑用を片付けなければ。

 気分は戦争 米国のテロ事件では、いよいよもって「報復だ」「戦争だ」「愛国心だ」「志願兵になる」と、みんなが一丸となって突き進むような風潮が強まっているみたいだけど、まさにこれこそファシズムだなあと心配する。「こんなに大勢が殺されて、ひどい目に合わせられたんだから、何らかの行動(仕返し)をするのは当然」というわけで、もうそれしか考えられないような雰囲気なのだ。つまり思考停止状態に陥っているのだろう。おまけに米国政府は戦争のための予算を数兆円も計上して、連邦議会もこれを認めたという。そんなに戦争がしたいのかな。何かというと武力行使に出るのが米国の悪いところだけど、解決に向けて外交努力をしているようにはとても見えない。もともとミサイル構想やスターウォーズ計画など、戦争がしたくてたまらなかったところに事件があったので、うまいこと乗っかったようにさえ思える。

 でも、もう少しだけ冷静に考えてもいいんじゃないか。たくさんの罪のない人たちが犠牲になったのは事実だし、とても気の毒なことだ。それはだれも否定できない。しかしその原因や背景や容疑者の特定など、じっくり時間をかけて調べて考えることはたくさんあるはずだろう。それに、これほどまで悲惨なテロ行為をされなければならないほど、どうして米国という国は憎まれているのだろうかということについても、みんなでもう少し考えるべきではないか。もっと想像力を働かせていいのではないか。相手に報復(仕返し)するだけでは、たぶん根本的な解決にはならないだろうから。結論を急ぐことはない。


9月18日(火曜日) 2カ月ぶりの更新

 お待たせいたしました。長らく放ったらかしにしてすみません。2カ月ぶりに「セカンドインパクト」を更新しました。とりあえず「ルポルタージュ」のページに「だれのため『広域合併』〜さいたま市」の記事を掲載し、「インタビュー&記事/司法改革」のページに書評2本をアップしました。書評は荻野富士夫の「思想検事」と、本多勝一の「『裁判官』という情(ナサケ)ない職業」の2冊です。さらに「裏・雑記」にも、久しぶりに2日分の記事をアップしました。まあ、これはどーでもいいのですが、隠れ読者(?)のために一応ね。

 というわけで、ホームページの更新作業をやってから、たまっていたメールやメーリングリスト(ML)への返事を書いて、資料の整理もやって…と、やることはいくらでもあるから時間はたちまち過ぎていく。結局は徹夜になってしまった。少し仮眠。頼まれている原稿を書くための下調べ、編集者と電話での打ち合わせなどをしてから、夕方から東京・四谷の編集部へ。共同編集で出す予定の単行本の編集会議。充実した議論が午後10時半まで続いた。それからスタッフ全員で飲みに出かけたので電車がなくなってしまい、深夜急行バスで帰る羽目に。仕方ないか。午前2時半帰宅。


9月19日(水曜日) 名誉ある地位

 よくもまあここまで堂々と詭弁を弄するよなあ、コイズミ首相という人はほとんど詐欺師のような人だなあと、記者会見を聞いていて思った。テロ事件に対する米国の軍事行動への支援策の中で、医療・輸送・補給などの後方支援のための措置として、自衛隊の派遣を発表したのだが、コイズミ首相はそこでわざわざ日本国憲法の前文を持ち出して、「憲法前文にある通り、国際社会において名誉ある地位を占めたい」などと語ったのである。

 ちょっと待ってほしい。憲法前文は「日本国民は…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたい、それを受けて「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と述べているのだ。つまり憲法は、世界の人々の良心に最終的には全幅の信頼を置くことで、武力による紛争解決を否定している。理想主義そのものだけど、徹底した性善説に立つことで平和を守るというのが日本国憲法の基本理念だ。そんな理想主義を貫くことによって、日本という国は国際社会で名誉と尊敬を得ようじゃないかと宣言しているわけである。それなのに、コイズミ首相のような持ち出し方をして「国際社会において名誉ある地位を占めたい」などと語るのは、とんでもない詭弁で詐欺的行為だと思う。後方支援としては「武器・弾薬の提供」も検討するそうだが、これこそ「武力行使との一体化」じゃん。絶句。


9月20日(木曜日) 虚偽情報の流布

 米国の連続テロ事件に関係して、ある有名な団体のメーリングリスト(ML)に、こんな「情報メール」が流されてきた。「CNNは1991年の映像を使用してテロ攻撃の『祝福』を宣伝していた。クウェートの侵略を祝っていたパレスチナ人達の映像だ」というのだ。つまりCNNは映像操作をしていた、というのである。さらにそのメールを別のところに転載・送信する人物も登場する有様で、この「驚くべき情報」はどんどん独り歩きしていくのだった。しかしこれに対して、CNNは「今年の9月11日に東エルサレムでロイターの取材チームが撮影したものであって、このような無責任かつ事実無根な情報を発信する行為に深い憤りを感じる」との声明を発表したという。もちろんメディアが間違った情報を意図的に流すことは考えられるが、CNN側が各国のメディアに対して公式声明を出したことで、MLなどネット上に流された「情報メール」は事実無根のでたらめだった、と判断してほぼ間違いはないだろう。

 そのメールは英文からの翻訳で、冒頭から「映像操作である」とはっきり断定していた。もちろん主語としては、もとの英文の筆者がそのように「断言」したのであって、翻訳者が「断言」しているわけではない。しかし事実確認をしないでそのままネット(ML)に流しているという意味では、最初に情報発信した翻訳者も「虚偽情報の流布」に加担していると言える。喜び勇んであちこちに転送した人物も同罪だ。こんな無責任なことはない。いわゆる「チェーンメール」的な側面もある。情報の取り扱いというのは、だからこそ慎重にならなければならないという教訓だろう。記者は事実確認の訓練だけは嫌というほど受けているが、それでも自戒を込めてそう思う。自分で見たり聞いたり調べたりしたものならいざ知らず、そうでないものを他人に伝える場合は、きちんと裏付けを取って事実確認するのが最低限のルールだ。これは報道関係者に限ったことではない。だれもが気軽に情報発信できる時代なんだから。


9月21日(金曜日) 海自の米空母護衛

 米空母キティホークが米海軍横須賀基地を出港し、海上自衛隊の護衛艦などが「護衛」した。これに対するコイズミ首相のお言葉が奮っている。「マスコミはすぐそうやって意図的に曲解する。護衛なんかじゃない、警戒監視活動だ。何も問題ない」と語気を強めるのだった。はあ〜。またそんな詭弁を弄するのか。だから詐欺師みたいだっつーの。だれがどう見たって、これは自衛隊による米空母の護衛そのものじゃん。憲法が禁じる「集団的自衛権の行使」に抵触する恐れがあることから、これまで禁じ手とされてきたことを、いとも簡単に破ってしまった。日本は法治国家のはずなのに、こうやって法律の条文がどんどん拡大解釈され、憲法はないがしろにされてしまい、さらには超法規的措置とか言って「戦争ができる国」へと突っ走っていくのだろうか。まさにファシズムの道へまっしぐらというものだろう。だけど、このような法律を無視したでたらめなやり方だとか、米軍への「武器・弾薬の提供」だとか、あるいは自衛隊が米軍基地や国会などを警備できるようにする自衛隊法改正については、自民党の中にだって反対の声はたくさんあるということは心にとどめておきたいと思う。つまりそれだけ、コイズミ内閣は突出して「戦争」への道を駆け出しているのだ。森首相の時は単なる「お馬鹿な暴言や妄言」といったレベルだったのが、コイズミ首相になってからは「実効性のある行動」にグレードアップしているのが恐ろしい。「ああ、またか」の内容が笑えないから。

 午後から冷たい小雨が降り続く。いつの間にか季節はすっかり秋になってしまったようだ。涼しいと言うよりは肌寒いくらいで、半袖で外出したのは失敗だった。市立図書館で調べもの。コピーをたくさん取った。


9月22日(土曜日) 瞬発力?

 なまじっか原稿の締め切りが先の方にあると、僕の場合はだらだらして執筆意欲がわいてこないらしい。あと数時間のうちにとか、きょう中にとか、そういう時間とのせめぎ合いのある方が緊張感が漂っていて、かえって瞬発力が発揮できるのかもしれない。新聞社の日常はそんなことの繰り返しだったが、いまだにその習慣が残っているのかな。だからいつも締め切りぎりぎりまで、直前まで追い込まれないとパワー全開にならないのだろうか。…って、ひょっとしたらそれは集中力の問題ではないのか。う〜ん。何となく言い訳メッセージっぽいな。実は言い訳そのものだったりして(汗)。


9月23日(日曜日) 秋の青空

 雲一つなく晴れ渡った秋の青空が広がる。木漏れ日がカーテンにちらちら映る様子が、何となくさわやかな感じだ。どうしてこんな気持ちのよい日に…と思いつつ仕事部屋へ。雑誌「世界」から頼まれている短い原稿を書く。細かい事実関係などを確認するのに少し手間取ったが、無事に仕上げて編集者に送信した。


9月24日(月曜日) A少年の無実

 都内に出たついでに都立戸山高校へ。在校生から文化祭の展示を見てほしいと誘われていたので、昼過ぎにのぞいてみたのだが既に片付けに入っていた。せっかく足を運んだのに空振りである。土曜日から3日間と聞いていたんだけど、最終日は午前中で終了か。きのう顔を出すべきだったんだな。残念。

 その足で永田町の星陵会館へ向かう。神戸事件(酒鬼薔薇事件)で犯人とされたA少年の無実を訴える市民集会に顔を出す。「犯行声明文と少年の筆跡が一致した」などと偽って、A少年に自白を強要した警察と検察による不正を告発(付審判請求)している後藤昌次郎弁護士が講演し、事件の真相究明を訴えた。ほかにも、元日弁連会長の土屋公献さん、東大・フェリス女学院大名誉教授の弓削達さんら、そうそうたる人たちが趣旨に賛同して顔をそろえている。同志社大教授の浅野健一さんのお元気そうな姿も、久しぶりに目にした。資料を読んで関係者から話を聞いていると確かに、法の適正手続きに大きな問題があるだけでなく、警察や検察の捜査にはいくつもの疑問が浮かび上がってくる。さらに「冤罪と戦争は国家による最大の犯罪である」として、連続テロ事件に対する米国の一方的な姿勢と日本政府の対応についても、法曹関係者らから次々に批判の声が集中した。なるほど、それも確かにもっともな主張だ。

 終了後、新橋のピザハウスで懇親会。後藤昌次郎・土屋公献の両弁護士には別件で後ほど、ゆっくり話を聞かせていただく約束を取り付けた。そうこうするうちにオジジとオヤジたちは、カラオケマイクを片手に軍歌を延々と歌い始めるのだった。いったい右だか左だかよく分からない集団だな。貸し切りの店内に大音響がこだまする。お開きと同時に女子大生とOLとともに退散して、銀座の喫茶店で酔い覚ましをする。午前零時半帰宅。


9月25日(火曜日) 村山由佳「青のフェルマータ」を読む

 村山由佳の「青のフェルマータ」を読み終える。不仲だった両親の心を不用意な言葉で傷つけ、自分自身の心も傷いたことで言葉を失った里緒が、オーストラリアのイルカや研究所職員そして周囲の人々とのふれあいを通じて、愛の大きさや「伝えることの難しさと大切さ」に気付く物語だ。「言葉(声)を失う」という形で無意識のうちに自身に「罰」を課した里緒だったが、言葉は人の心を傷つけることがあると同時に、傷を癒す手伝いもできることを理解していく。登場人物はだれもがどこかしら「心の傷」を抱えていて、それは「だれか」に心を開くことで解放されるのだ。そしてそうしただれしもの心の内に秘められた傷は、しかしそれぞれ「その人」を形成する重要な「個性」になっているのだった。オーストラリアの海、風、珊瑚の色、イルカの声色、里緒の奏でるチェロの音色が、行間から鮮やかに伝わってくる。フェルマータは、音符や休止符を「伸ばす」ことを示す記号で、楽譜の中に書き込まれた無数のフェルマータ記号は、好きなように自由な演奏ができる可能性が、無限にあることを示す。最後まで読んでその意味が見えてきた。


9月26日(水曜日) 電話の一日

 事実確認とか仕込みとかアポ取りとか打ち合わせなど、一日中、電話。こっちからかけて受話器を置いたら、別の相手からかかってきたりの繰り返しで、ほとんど身動きできない状態が続く。もっともどれも神経を使うような内容ではなかったので、さほど疲労感はない。その代わり、達成感や充実感といったものもまるでない。都内に出かける予定があったのだけどキャンセルした。


9月27日(木曜日) 合わない靴

 来年から使われる教科書の写真を撮らせてもらうため、横浜市教委へ。教育委員控室で撮影。「これは記事に添えるちなみ写真で、横浜市教委のことを書くわけではないんです」と説明したら、担当者は心からほっとした様子だった。市役所ロビーから携帯で取材先に確認の電話。友人の記者と市庁舎内で雑談。

 足に合わない靴を買ってしまった。大失敗した。いつも履いているリーガルの靴を修理に出して、同じのを新調しようとしたらサイズ切れ。たまには目先を変えるのもいいかと思って別の種類の靴を買ったら、しばらく歩いていると足が痛くなってきた。いつもの靴があまりにも足にフィットして軽くて履き心地がよいから、余計にそのギャップがこたえる。自由に歩き回れないし、靴が合わないと体全体がものすごく疲れるんだよなあ。せっかく高いお金を出して買ったけど、この靴はだめだ。いろいろ探した末にようやく見つけた定番に、やっぱりこだわるしかない。あ〜あ、それにしても実にもったいないことをしたな。


9月28日(金曜日) 眉村卓「閉ざされた時間割」を読む

 眉村卓のSF「閉ざされた時間割」を読み終える。書名と同じタイトルの「閉ざされた時間割」と「まぼろしのペンフレンド」の2作品を収録した文庫本。とても懐かしい気持ちになった。学研の学習雑誌「中学◯年コース」に掲載されていた「ねらわれた学園」もやはり眉村卓のSF小説で、熱心に読んでいた読者の一人だったからだ。何者かによって学校や町が侵略され乗っ取られていこうとする危機の中で、主人公の中学生が事実を解明するために活躍するというのは、この人のSFに共通しているパターンである。ハラハラドキドキさせられて、しかも文句なしに楽しめる。ある意味では中学生による冒険と謎解きと成長の物語とも言えるのだが、この作家の真髄は実はそれだけではない。眉村卓のSFの根底には、「みんなの意思を統一して思いのままに操ろうとすること」への嫌悪感が強烈に流れている。管理され命令されて、そして主体性を失って指示されるがままに行動することへの警告である。別の言い方をすれば「全体主義」「ファシズム」への警鐘が、作品の中で常に鳴らされている。これこそがこの小説家の最大の特徴だ。

 そうした哲学は「ねらわれた学園」でも貫かれていたし、本書収録作品でもその姿勢は変わっていない。「決められた枠の中で(あるいは自分で決めた枠の中で)、学校や社会を生きているのが本当に自由なのか」と、眉村は「閉ざされた時間割」でもやはり鋭く問いかけている。輝かしい未来と可能性が広がっているはずの中学生に向けて、自分の頭で考えて自由に行動してみろよ、という作家からの最大限のメッセージなのだろう。中学生向けを意識して書かれた作品だから、もちろん若い世代にエールを送っているのだけど、このメッセージは世代に関係なく考えさせる大切なものを含んでいる。懐かしさを感じるかつての読者と、現役中学生あたりが読むだけでは惜しいんじゃないかと思う。ちなみに「まぼろしのペンフレンド」は、NHK教育テレビで今年1月にドラマ化されたらしい。見ていないけど。侵略者側だったアンドロイドの女の子と主人公が最後に心を通わすことができたのに、もう二度と会うことはできないという結末が、何とも言えない切なさを募らせて余韻を残す。


9月29日(土曜日) カエルの子はカエル

 午後から湘南の元同僚記者のところへ遊びに出かける。国道1号に出るまではずっと渋滞していたが、その後は国道1号も新湘南バイパスもうそのように車がスムーズに流れて、夕方になってようやく現地に到着した。近くの支局の記者もやってきて近況報告に花が咲く。ハンペンのチーズ挟み・ブロッコリー・ウズラの卵のフライや、鍋料理などをご馳走になる。車で来たので、最初にビールとワインを文字通りなめるくらいにして、あとはずっとウーロン茶だったが、料理がうまいので飲めなくても気にならない。午前1時過ぎまでお邪魔する。ありがとうございました。

 ところでS記者の息子H君(5歳)は、さすがに記者の子どもだけあって言うことが面白い。米政府によってテロ事件の容疑者とされているビンラディン氏のことを話す時に、彼はきちんと「ビンラディン氏」と「氏」を付けるのである。う〜ん、これはすごい。そして鍋料理に入っている豚肉をじっと見て、「牛肉じゃないかどうかお母さんに聞いてくる」と言って確認に行くのだった。狂牛病を心配しての行動なんだけど、よくそんなことまで知っているなあと感心させられる。豚肉と牛肉の違いが見分けられないのは、まだまだ幼児らしいところでご愛敬だが、それでもちゃんと意味は分かっているらしい。「カエルの子はカエル」の典型だな。

 それにしても、牛肉への警戒感は一般家庭にもかなり浸透しているようだ。脳や目や脊髄など神経系のほか内臓は危険で、牛乳や肉そのものは安全らしいということは分かっていても、日本の役所のあまりのでたらめさが念頭にあるから、そうなると疑わしいものは口にしないという行動で自衛するしかないのだろう。大好きな焼き肉だけど、確かに今はちょっと怖くて食べたくないよな。薬害エイズでの厚生省の非人間的な対応は衝撃的だったし、狂牛病に対する農水省の消費者を無視した姿勢を見ていれば、役所を信用しろと言うのが無理というものである。職務怠慢なんてものじゃない。まさに「不作為の作為」そのものだ。欧州から極めて重大な警告や教訓がいくつも流されていたというのに。もしも取り返しがつかないことになっていたとしたら、すべての責任は、知っていて然るべき対応をしなかった農水省にあると言っていい。


9月30日(日曜日) 表現と差別

 新宿・歌舞伎町のロフト・プラスワンで、表現と差別の問題をめぐるシンポジウムがあったので顔を出す。

 差別され、弱い立場にいるとされているマイノリティーの人たちが、虐げられたり不利益を被ったりしている状況を打開していくのは重要だし当然のことだと思うが、しかしだからと言って、弱い立場にいるとされている人たちが常に正義なのかというと決してそんなことはない。一方的で感情的で理不尽な言動をし、事実をねじ曲げることだってたくさんあるだろう。またさらに言えば、弱い立場にいるとされている人たちがみんな同じ考えなのかといえば、これもまた決してそうではない。いろんな考え方や立場や方法論を持っている。だから、ある一つの表現が差別だとして抗議する「マイノリティーの人たち」がいたとして、その人たちが抗議することはもちろん自由なんだけど、でも、ただそれだけでその表現が差別であると断定されて糾弾されるというのは、あまりにも非民主的で非論理的で非建設的である。

 そもそも、その表現が「差別」なのかどうかがまず冷静に議論されなければならない。抗議に来た人たちが「マイノリティーの人たち」の全体の意見を代表しているとは限らないといったことも、きちんと理解しておかなければならない。そうでなければ問題の本質を見誤ることになるだろう。差別につながるような問題があって、それに抗議があった場合に大切なのは、マイノリティーとされている人たち・差別されている人たち・弱い立場にいるとされている人たちの意見が、きちんと代弁されているかどうかということだ。それは「事実を確かめる」という作業そのものでもある。

 前後関係や文脈から考えて本当に差別なのか、あるいは差別だと感じさせるものなのか、そしてだれがそう感じてだれがそう感じないのか…。そういうことをきちんと議論せずに、闇雲に「差別だ」と騒ぎ立てて、それに対してごめんなさいと言うだけでは、何の解決にもならないし広範な支持も得られまい。むしろただの言葉狩りにしかならないだろう。そんなものは、民主主義や人権尊重の理念とはまるで無縁の発想だ。差別されたとか足を踏まれたなどと抗議している側が、一方的な価値観を押し付けて逆に足を蹴り上げる側に回っているというのでは、救いようがない。

 とまあ、そんなわけで午前1時半帰宅。結構強い雨が降る中、駅から歩いて帰ったら、靴下がびしょびしょになってしまった。


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