身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2002年11月1日〜11月30日

●おでん●揺らぐ憲法と教育基本法●明け方まで!●焼き肉屋で●摩天楼●取材対応●ジャーナリズムの使命について●柊あおい「銀色のハーモニー」●ニュースレター●小さな「うそ」●フィルター掃除●落ち葉のじゅうたん●装備の点検●「国民の声を聞く」公聴会●●●ほか


11月1日(金曜日) おでん

 めっきり寒くなってきた。きょうは小雨も降って一段と肌寒いので、しっかりエアコンの暖房運転を稼働させる。コンビニに寄ったついでに、ついついカウンターでおでんを買ってしまった。白滝、ダイコン、ソーセージ巻き…。あったかくて体が暖まって、しかもジューシーでおいしい。やっぱり寒い季節はおでんだよなあ(コンビニの回し者ではありません)。鍋もいいけどね。


11月2日(土曜日) 資料整理

 前にも書いたかもしれないけど、仕事柄、資料の整理にはいつも本当に頭を悩ます。いろんな団体やグループや個人から、機関紙やお知らせやニュースリリーが数多く送られてくるが、ちょっと放置しておくとどんどんたまってしまう。定期的に届く会報はまとめて整理しているつもりなのに、それだって少し手を抜くと収拾がつかなくなってしまうのだ。とにかくすべてに目を通して、いったん不要と判断したら即座に捨てる作業をこまめに繰り返さないと、物があふれるばかりだ。スペースは限られているのだから。


11月3日(日曜日) 揺らぐ憲法と教育基本法

 日本国憲法が公布されて56年。最近、時代に合わない憲法が社会をおかしくしているといった議論が、大手を振ってまかり通っている。けれども本当は、憲法の基本理念や精神がきちんと社会に生かされていないことこそが、最大の問題なのだけど。憲法の理念に反するようなことが平然と行われている現実を無視して、憲法改正を唱えるのは本末転倒だろう。それでは「目の上のたんこぶ」の存在である憲法を、葬り去ろうとしているとしか考えられない。改変されようとしている教育基本法も、憲法とまるっきり同じ状況に置かれている。教育基本法を改変しようとする人たちは、教育基本法の理念や精神が教育現場に生かされていない現実を無視して、時代に合わない基本法こそが今の教育をおかしくしているというのだ。日本の民主主義が足元からひっくり返されようとしている。


11月5日(火曜日) 明け方まで!

 ああ、また明け方までチャットをやってしまった…。仲良しの4人組が珍しく初めて全員揃って、とっても楽しかったからそれはそれでいいんだけど。その後3時間かけて、最近1年間に書いた原稿の整理をして出版社に送信。まだまだ手を加えて書き直さなければならないが、単行本にまとめるための準備作業だ。4時間ほど寝てから、別の出版社の編集者と電話で打ち合わせと雑談など。原稿の締め切りを3日ほど延ばしてもらった。ラッキー。


11月6日(水曜日) 取材のまとめ

 終日、資料やノートの整理など、取材のまとめ。


11月7日(木曜日) 焼き肉屋で

 取材のアポ取り電話などをしてから、教職員組合の書記局で機関紙編集の手伝い。夜までかかる。終わってから先生たちと焼き肉屋へ。キムチとカルビが、めちゃうまい店だ。で、ついつい北朝鮮と朝鮮総連に関する話題になって、そう言えばこの店は南北どっち系の店なんだと気付いたが時すでに遅し。もちろん何をどうしゃべっても構わないんだけど、いろんな立場や思いの人がいるわけだからTPOはわきまえた方がいいに決まっている。在日のおばちゃんは終始にこやかで穏やかな表情だった(ように見えた)。国家体制を批判するようなことは口にしたが、民族を冒涜するようなことは口にしていないからまあいいか。外はものすごい寒さ。ジャケットだけだったので体の芯からぶるっときた。


11月8日(金曜日) 摩天楼

 寝不足のまま、新宿の都庁へ。久しぶりに見る副都心の摩天楼はやっぱり壮観だなあ。取材を終えて外に出ると、暗闇に明りをともしてそびえる高層ビル群がとてもきれいだ。高層ビルの夜景って実は大好きなのだ。その足で高円寺へ。教員処分を考える市民集会を取材。会場の半分しか埋まっていないのが寂しい。


11月9〜11日(土〜月曜日) 執筆

 終日、原稿執筆。あとは電話で補足取材と確認取材。そんなわけでなんとか書き上げたけど、あまりにも短い行数の中に盛り込むべき内容が多すぎて、構成と行数調整にえらく四苦八苦した。せっかく取材したものをずいぶん捨ててしまって、実にもったいない。


11月12日(火曜日) 確認

 確認の電話取材で一日が終わる。まあ、自分自身が納得できるだけの裏付け取材を十分しておかないと、不安で落ち着かない状態が続くだけだし、後で何かあった時に後悔することになるから、面倒くさいけどとことんやっておくに越したことはない。


11月13日(水曜日) 編集

 午前中は電話取材とか、写真の現像出しと発送などの雑用をこなして、午後からは教職員組合の書記局で機関紙編集のお手伝い。先週よりももっと時間がかかった。めっちゃ疲れてもうへろへろだ。1カ月に1回くらいなら編集作業をするのも気分転換になるからいいけど、2回以上はちょっと勘弁してほしいな。


11月14日(木曜日) 取材対応

 「データを調べて折り返し電話する」と約束しておきながら、一向に連絡はよこさず、こちらから電話してもいつも不在。仕方がないから折り返し電話するように伝言しても、それに対してもなしのつぶて。居留守でも使ってんのかあ。という、とんでもない取材先に当たってしまった。しかしこれで何もためらうことなく、徹底的に手厳しい記事が書けるというわけだ。いや、もともとそういう厳しい原稿にはなっていたんだけど、当初はきちんと取材対応していたので、多少はためらう気持ちがないこともなかった。でもこんな不誠実でふざけた対応をするのなら、遠慮は一切いらないな。そんなわけで、取材対応・広報体制は記者心理を大きく左右するというお話でした(あくまでも一般論です=笑)。


11月15日(金曜日) 点検

 都内に出かける。帰宅してから、夜中までゲラのチェック。意外に筆者直しの赤字を入れる部分が多かった。1行の字詰めが1文字分増えていた関係からか、加筆していいスペースが発生している。あれだけ苦労して削りに削って書いたのに…。削った部分を復活させるのはやめて、結びの文章を新たに書き加えることにした。


11月16日(土曜日) 爆睡

 完全休養日。夕方まで爆睡する。


11月18日(月曜日) ジャーナリズムの使命について

 拉致被害者・曽我ひとみさんが北朝鮮に残してきた夫と2人の娘に対するインタビュー記事を、先週発売の「週刊金曜日」が掲載した。この記事については賛否両論があり、拉致被害者の家族や支援者らは記事そのものに激しく反発しているという。

 この件について、大岡みなみはどんな見解を持っているのか、教えてほしいとの質問が本欄の読者からあった。あえてここで書くつもりはなかったのだが、問われたので書き記しておくことにする。念のためにあらかじめ断っておきたいのは、たまたま僕は「週刊金曜日」にルポなどを書く機会が多いが、同社の社員でも何でもないし、同誌の編集方針や姿勢に必ずしも全面的に賛成しているわけでもない、ということだ。そのことを理解したうえで、一人の報道関係者の意見として、以下の見解を読んでいただければと思う。

 この件は、ジャーナリズムの在り方が問われる問題である。インタビューの対象が、なぜ「曽我さんの家族」なのかという素朴な疑問は残るが、しかし、北朝鮮に残された拉致被害者の家族が今、どういう気持ちで暮らしているのか知りたいというのは、ジャーナリズムとしては当然の欲求だろう。いや、責任であり義務であり使命でもある。多くの市民も知りたいと考えているはずだ。ジャーナリズムは「知る権利」にこたえる責任がある。

 曽我さんら5人の拉致被害者は、いったん北朝鮮に戻ることをせず日本にとどまるという「国家的選択」をした。5人にそういう選択をさせた日本政府は、北朝鮮に残された家族に対し、5人の日本滞在の経緯と安否を何らかの形で説明・報告し、安心させる責任があるはずだろう。今回のインタビュー記事によって、少なくとも北朝鮮の家族には何も伝わっていないことが検証された。北朝鮮の政治体制を疑うことなく信じて生きてきた家族が、北朝鮮当局の言うがままに発言するのは当然だろう。けれども、妻や母親に早く会いたいという思いや安否を心配する心情は決して偽ることなどできないし、おそらく率直な感情の吐露のはずだ。そういう「事実」を伝えることで、背景にあるものを検証して問題提起してみせることこそ、ジャーナリズムの責任であると思う。そういう意味で今回のインタビュー記事は、間違いでも無駄でもなかったと考える。

 曽我さんが、記事を読んで泣いたと伝えられるが、北朝鮮に残してきた家族の気持ちを思いやれば、それはあまりにも当然の反応だろう。「お母さんに会いたい」という娘や夫の気持ちと、家族がとにかく元気でいるという事実を、曽我さんはインタビュー記事を通じて1カ月ぶりにようやく把握したのだから。「曽我さんが怒っている」と伝えられているのが事実だとしたならば、それは記事に対してというよりは、家族が引き裂かれた状態にある「事実」のやりきれなさに対して怒っている(苦悩している)、ということなのではないだろうか。「10日ほど日本に行ってくると家族に伝えて北朝鮮を出発した」と曽我さん自身が、記事を読んだ翌日に記者会見で答えている。そのまま戻って来ない母親を心配する家族。その言葉を読んで号泣する曽我さんの心情は、察するに余りある。

 拉致被害者の家族や関係者が、インタビュー記事を掲載した「週刊金曜日」を指して、「どこの国の雑誌なんだ」「出すぎた真似をするな」「余計なおせっかいをするな」などと発言しているのを聞いて、とても嫌な気持ちになった。拉致事件という北朝鮮の犯罪行為はもちろん許せないが、しかしだからと言って世論を一つの方向に誘導する情報操作のような手法は、北朝鮮の国家体制と同じようなうさん臭さを感じるからだ。北朝鮮の国家体制を激しく批判する人たちが、北朝鮮と同じように「国家意識」という錦の御旗を振りかざして、言論統制を図ろうとしているように思えてならない。

 そもそもジャーナリズムに国籍や国益や国家意識といったものを求めることこそが、とんでもない思い違いである。戦前・戦中にメディアが無批判に国威高揚や戦争推進に協力したのは、国家意識という一つのモノサシにすべてのメディアが染め上げられたのが原因だった。これからだって戦争になったらたぶん、国家意思に反する言動をするのは非国民であり、反国家的行為だとされるだろう。しかしそういう圧倒的な風潮にあるからといって異論を唱えないのでは、ジャーナリズムは存在価値がなくなってしまう。どんな状況であっても、正しいと思える事実があればひるまずに異論を示して問題提起を続けることこそ、ジャーナリズムの使命だと考える。


11月19日(火曜日) 寒暖の差

 昼間はそこそこ暖かいんだけど、日が落ちると急激に冷え込んでくるのがたまらない。そんなきょうこのごろだ。暑いのも寒いのも苦手な軟弱者なんだっつーの。そんなわけで、夕方以降は一気に電力消費量が増加してしまう大岡みなみ家であった(恥)。


11月20日(水曜日) 柊あおい「銀色のハーモニー」

 せっかく「夜更かしチャット」や「朝までチャット」を自主規制したというのに、明け方まで漫画に没入してしまう。ついつい読みふけったのは、柊あおいの「銀色のハーモニー」(集英社文庫、全4巻のうちの既刊2巻)。中学2年生の切ない思いと夢と友達関係を、ゆったりと温かく描いた名作だ。「星の瞳のシルエット」もななかな読ませたけど、「銀色」はさらに筆力アップしたように思える。特に印象的なのは、空の色や街の景色に対する主人公の透き通るような思いだ。日が暮れた後の、青と紫を水に溶かして広げたみたいな空。夕暮れ時の、光に溶けていくようなオレンジ色の街。そんな感性が分かり合える相手にひかれる気持ちを、作者はていねいに描いて見せる。なんだか懐かしくほろ苦いような気持ちにさせられてしまう。「猫の恩返し」の描き下ろし原作漫画は、残念ながらちょっといただけなかったけど、十年前に発表されたこの「銀色」を読んだことで、もうどうでもよくなった感じである。第1巻の巻末に掲載されている水沢めぐみの解説も、作者の純粋な人となりがとてもよく分かるいい文章だった。


11月21日(木曜日) ニュースレター

 仕事柄、うちにはいろんなグループや団体から、資料やニュースレターが送られてくることは前にも書いた。ちょっと油断するとすぐにたまってしまって、整理に困るという話である。そんなニュースレター類が十通ほど未読のままだったので、一気に目を通した。すぐに片付くと思っていたのが甘かった。軽く1時間半以上かかってしまったのだ。1通あたりに目を通す時間を約十分としても、単純計算して全部を読み終わるのに100分。かなり分量のある冊子が多いから、じっくり読んでいたらとても一通に十分なんていう時間では足りない。大半の記事は斜め読みするのだが、それでも気が付くと相当な時間が経っている。郵便物が届く度に地道に読んでいればいいんだよね。何事もためると後が大変なのだ。スクラップにしても事務作業にしても雑用にしても。


11月22日(金曜日) 誤植

 編集部から送られてきた見本誌を見たら、僕の書いた記事に誤植が1カ所あった…。ゲラの筆者校正の段階で赤字を出しておいたのに、ちゃんと直ってなかった〜(涙)。コンパクトに見開きでまとめたルポなので、講演の資料にちょうどいいなあと考えていたんだけど。そのままコピーして配ると、ちょっとカッコ悪いかも…。


11月23日(土曜日) 風邪気味

 何となく風邪気味っぽくて、のどと頭が痛いので、予定していた取材はキャンセルして自宅で爆睡。行っても行かなくてもどっちでもいいような講演会だったから、まあいっか…。いや、ほんとは聞きたかったという気持ちも正直言って少しあったんだけど。


11月25日(月曜日) 小さな「うそ」

 ちょっとしたいたずら心で小さな「うそ」をついただけなのに、後になって気まずい思いをすることって、本当にあるんだなあ。もちろん僕が「うそ」をついたわけではないのだけれども、そんな出来事が身近なところで起きていろいろ考えさせられた。

 本当は男性だが女性であるとして、インターネットのチャットに長い期間ずっと参加し、悩んだ末に事実を明かした人がいた。参加者は一様に少なからずショックを受けたけれども、だからと言って別に追い出したりはせずに、そのままその人を受け入れていく方向にある。しかし、わだかまりは残っている。しばらく尾を引くことになるのだろうなあと考えると、かなり憂鬱(ゆううつ)だ。

 チャットでは、性別や年齢なんてあまり意味がないと僕は思っているし、実際に確認しようがないのだから、相手の言うことを信じて会話するしかない。むしろ、どんな会話をするかといった「発言の内容」そのものが重要だと思う。しかしそうは言っても、話をするうちに相手はどんな「人間」なんだろうということに興味がわいてくるのもまた事実だ。僕自身は性別や年齢に「それほど」こだわらないけれども、でも中にはそういう部分にこだわりを感じる人もいる。それはそれで仕方がないことだろう。また僕は「ささいなうそ」だと思うけれども、中には「うそ」をずっとついていたという部分にこだわりを感じる人もいる。「ささいではない」と感じる気持ちがあってもそれは仕方ないと思う。

 みんなが楽しそうな会話を交わしているのを見て、仲間に入りやすいようにとの思いから、その人はほんのちょっとした思いつきで小さな「うそ」をついたつもりだったのだろう。その場限りだったら男でも女でもどっちでもよかったはずだが、ところが何日も会話を繰り返して、あまりにも仲がよくなりすぎて感情移入してしまったために、そのまま「うそ」をついたまま立ち去ることができなくなってしまった。引くに引けなくなってしまったがゆえに、悩んで本当のことを打ち明けたというわけだ。「ボタンのかけ違い」というほかに、適当な言葉が浮かんでこない。でもきっと、時間が解決してくれると信じている。


11月26日(火曜日) フィルター掃除

 ほとんど徹夜状態で、教育基本法の「見直し」について聞くために、午前中からあっちこっちに仕込み取材の電話をかけまくる。さすがに仮眠しないとやってられないので少し昼寝。きのうの冷たい雨と打って変わり、きょうは青空が広がって日中は暖かいと思っていたら、午後から曇ってきてまた雨が降り出した。

 そう言えばきのう、ものすごく久しぶりにエアコンのフィルターを掃除した。どうも暖房の効きが悪いなあと思っていたのだが、それもそのはず大量のホコリが目いっぱい詰まっていた。掃除した後の暖房力アップときたらそれはもう大変なもので、それまでの効き目の悪さがうそのようだ。電気料金も無駄に払っていたことになるし、フィルターの掃除はこまめにきちんとしなければと反省。


11月27日(水曜日) 落ち葉のじゅうたん

 自宅から駅に向かう途中の細い小道が、赤や黄色や茶色の落ち葉でいっぱいに覆われていた。まるでたくさんの枯れ葉を敷き詰めたじゅうたんのようで、ちょっと感動的な風景だった。

 午前中から仕込みの電話取材をせっせとこなす。教職員組合の中央幹部が突然会ってくれることになって、午後から都内にすっ飛んで行く。帰りに神保町で書店を数軒はしご。横浜に戻ってからヨド◯シカメラで、一昨日発売されたばかりの「クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」のDVDを購入。前からこれ欲しかったんだよなあ。内容は、テレビ放映された時に「身辺雑記」でも書いたように、涙なしには語れない文句なしの感動の名作である。でもいつ見られるかは不明だ。見る時間がない…。


11月28日(木曜日) 寒いのはこれから

 資料に目を通したり仕込みの電話取材をしたりという一日。きょうは天気がよくて、日中はかなり暖かい。木枯らしが吹いて寒いってのは勘弁してほしいなあ。これから冬本番なんだけど。それにしても眠くて眠くてたまらんぞ。なんだか子どもみたいじゃん。


11月29日(金曜日) 装備の点検

 取材で撮影した写真を現像したら、すべてのコマの粒子がえらく荒れていたので、フィルムの有効期限を確かめると2年前の日付になっていた。これじゃあ粒子も荒れるよなあ。というか、よくそんなフィルムで今までちゃんと撮影できていたもんだと、むしろそっちに感心した。記者であっても写真撮影はもちろん自分でする。新聞社にいた時からそれは変わらない。よほどの大きな事件や連載企画などの場合は写真部のカメラマンが写真を撮ってくれるが、そうでない通常の取材では、書くのが専門の記者もカメラを構えるのが当たり前なのだ。それに、いつどんな時に何が起きるかわからないので、カメラを常時携帯するのは記者の基本中の基本だ。

 そんなわけで、カメラのフィルムをすべて新しいものと総入れ替えして、ついでに電池も全部交換した。もちろん僕は記事を書くのが専門だから、写真はどうしてもおまけ的になってしまうし、普通はバッグにコンパクトカメラを一つ入れるだけだが、あすの取材は久しぶりにフル装備で出かけるので、すべての器材の電池と写真を新品と入れ替えた。ちなみにフル装備の場合は、コンパクトカメラのほかに一眼レフカメラ、一眼レフのストロボ、テープレコーダーを一緒に持っていく。以上で必要な単3電池は全部で12本。フィルムは4本常備。あー、大変な出費だ。おまけに重いし。


11月30日(土曜日) 「国民の声を聞く」公聴会

 仮眠2時間状態で、東京・有明の東京ビッグサイトへ。中央教育審議会が全国五カ所で予定している「一日中央教育審議会」(公聴会)の取材。この日の東京会場が初日だ。教育基本法の「見直し」に向けて中教審がまとめた「中間報告」に対し、「幅広い国民の意見をうかがう」ために開かれた公聴会だが、会場の内外はものものしい警備体制が敷かれ、ボディーチェックと荷物検査まであって、会場は緊張した空気に包まれた。

 文部科学大臣と中教審会長のあいさつに続いて始まった意見発表は、まるで時代が六十年くらい逆戻りしたかのような、国家主義的思想にあふれた主張が延々と続いた。代表的な意見は、こんな感じだった。▼「教育基本法の『平和への希求』の理念が、反戦平和運動の破壊や混乱を招いた。愛国心がタブー視されている現状は不愉快だ。伝統文化・国家の歴史を否定する教育は子どもの健全な成長を阻む。家庭教育の重要性を認識し、家庭の秩序を復活させなければならない」(主婦)▼「授業態度や姿勢、茶髪、言葉について子どもを指導しているが、根本にあるべき日本人としての感性や美意識が欠如している。文化伝統の体現者として日本人のアイデンティティーを示す国民教育が必要だ。滅私奉公の精神や国家に尽くす使命を教えなければならない」(高校教員)

 十人の意見発表者のうち六人がこのような調子で、「家庭の教育力の回復」「日本人としての自覚」「国と郷土を愛する心」など、中教審の「中間報告」に盛り込まれた項目を積極的に後押しする主張を繰り広げた。教育基本法の「見直し」に反対したり、少なくとも疑問を投げかけたりする立場から意見表明したのは二人だけだった。「見直し」に異議を唱えた意見は次の通り。▼「教育基本法の実現こそ計られるべきで、変える必要は全くない。愛国心を強要するなど、教育内容への行政の関与こそ戒められなければならない問題だ。国のために死ぬのが当然と教えて、自分の頭で考えない人間を大量につくった戦前の学校教育を反省し、理想実現のために制定されたのが教育基本法ではなかったのか」(高校教員)▼「教育改革は必要だが、国家や中央政府の統制で、全員が右へならえしなければならないような改革はおかしい。自由で多様な教育こそが、主体的で創造的な市民をつくることになる。『教育を受ける権利』よりも『教育をつくる権利』と言った方がいい」(自営業)

 「公聴会なんて『国民から意見を聞きました』というアリバイ作りにすぎない」という批判があるが、公正に意見発表者を選んだとはとても考えられない状況で、アリバイにもなっていないとしか思えない。むしろ、傍聴者から「国民は完全に馬鹿にされてるんじゃないか」といった感想が出るほどの公聴会だった。とっても怖くて嫌な時代になったなあ…。


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