身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2005年5月1日〜5月31日

●花粉症終結か?●メールより電話●憲法は国への命令●取材不足●アピールの工夫を●「お笑い裁判の歩き方」●「つくる会」の会見●「MAJOR(メジャー)」●続「つくる会」の会見●生徒による授業評価●私語●映画「スウィングガールズ」●アニメ「MAJOR」最終回●飲酒運転は殺人の故意犯だ●都人事委の公開口頭審理●腰痛再発●感想いろいろ●考えるきっかけに●不起立で停職処分●停職教師の「生きた授業」●旧態依然●●●ほか


5月1日(日曜日) 花粉症終結か?

 ようやく花粉症も一段落といった感じになってきた。まだくしゃみや鼻水は完全に治まっていないので、ティッシュは手放せないのだが、ひところのような「労働意欲の著しい低下」(苦笑)はなんとか回避できている。鼻炎の薬も2日に1錠ほどを飲む程度だ。各方面からご心配やお見舞いの言葉をいただき、本当にありがとうございます。間もなく「終結勝利宣言」を出します(笑)。


5月2日(月曜日) メールより電話

 このところ電話代の請求書を見るのが怖い。取材で長距離電話をかけまくっているので、請求額がかなり高額になっているのだ。などと言いつつ、きょうも広島、福岡、熊本へ電話取材。もちろん必要があれば現場に行くし、直接会って話をした方がいいに決まっているけど、すべての現場に出向くわけにはいかないから、何はともあれまずは電話である。とりあえずスムーズに話が聞けた。

 ちなみに記者の中には、メールのやり取りだけで取材を完結させる人や、電話よりメール取材の方がいいという人がいるというのだが、これって僕にはちょっと信じられないんだよなあ。電話取材とメール取材を比較するなら、僕は電話取材の方が断然安心できるし納得できる。まず、メールだと相手の言葉に対してこちらからすぐに反応できない。先方とのやり取りで直接突っ込めるのはやはり電話だろう。それに、対面していないと当然のことながら顔は見えないが、電話であれば相手の息遣いなどから「言葉の表情」が少しは読み取れる。あともう一つ、メールだと本人が応答しているかどうか確認しにくい。よく知っている人なら別だが、初めての人が相手だと本当に本人だろうかという不安が残る。そんなわけで、取材に電話は不可欠な存在なのだ。


5月3日(火曜日) 憲法は国への命令

 テレビの憲法特集で立花隆氏が、「憲法は国家権力から国民への命令でなく、国民から国家権力に対する命令だ」と指摘していたのは、今さらながらなるほどと合点がいった。「あれをやれ」「これをやってはいけない」と制約を課すのは、国家権力の側ではない。主権者(国民)が国家権力(政府)を縛るのが憲法なのだ。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重など、どれも放っておいたら権力者にいいようにされてしまう危険性のある理念や原則を、主権者たる国民が「これを守ってわれわれの代理人として国を統治せよ」と政府に命令する。それをまとめたものが憲法である。

 だからこそ、国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負う(第九九条)。ところが現実は、主権者に命令されている側が、憲法尊重擁護の義務をないがしろにする言動を取りながら、憲法や法律に定められた「制約」をひっくり返そうとしている事態が展開されている(ようにしか見えない)。「主権者に命令され行動を縛られている」という認識が、たぶん彼らには決定的に欠如しているのだろう。

 そう考えると自民党の改憲案のように、「家庭を大切にしろ」とか「日本の国や文化を愛する心を持て」などといった条文を、わざわざ憲法に書き込もうとするのは本末転倒・余計なお世話と言わざるを得ない。そんなものは一人ひとりの国民が個人の責任で自由に考えればいいことであり、主権者が権力側の行動を縛るための憲法に書き込む話ではないだろう。このような心の内面を規定するような条文を憲法で定めようなどと考えている人たちは、そもそも「主権者はだれなのか」をまるで理解していない。思い上がりと勘違いを、みずから公言しているのと同じだ。お里が知れる。


5月4日(水曜日) 取材不足

 ファクスで送られてきたゲラをチェック。それと並行してコラム原稿を3本執筆する。しかしこのうち1本については、ちょっと取材不足だった。さらに詳しく話を聞かなければ、このままの材料だけでは書けないことが判明した。あすは休日だけど電話取材しなければならない。想定外の事態だよ。まいったな。


5月5日(木曜日) ひたすら待機

 たぶん連休中ということもあって、取材相手がなかなかつかまらず四苦八苦する。周辺の人々は簡単にキャッチできるのに、今すぐ必要としている人物はずっと不在。早朝から深夜まで何回電話しても、留守電のテープが応答メッセージを繰り返すのみだ。「連休中に出稿してほしい」と要請されて不安は感じていたのだけど、予想していた中で最悪のパターンとなった。ひたすら待機するのも記者の仕事のうちとは言え、無駄に一日がつぶれてしまった。


5月6日(金曜日) ようやく出稿

 午前中になんとか別の人から話を聞いて、必要とする資料をファクスで急送してもらい、大慌てで原稿の続きを書き上げる。これでようやく特集ページのコラム3本がそろった。昼過ぎに編集部に送信。夕方に送られてきたゲラをチェック。字詰めが違っていて数行分アンダーになっていたので加筆修正。どっと疲れた。


5月7日(土曜日) アピールの工夫を

 午後から東京・代々木公園へ。「教育基本法の改悪反対」を訴える市民グループの全国集会を取材する。きのうから降り続いていた雨も午前中にすっかり上がり、午後からは太陽が顔を出して汗ばむ陽気に。NHK放送センターに隣接する広場には、各地の教職員組合や市民団体のメンバーら主催者発表で約5500人が集まった。全国紙の記者やテレビカメラはほとんど見かけなかった。

 集会は決意表明的なものを参加者同士で確認するといった感じで進む。いわば「闘っている人たち」の「お祭り」みたいなものだとは思うけど、これでは一般市民へのアピールにはなっていないよなあ。そんな違和感は続いて行われたデモ・パレードでも同じように感じた。デモ・パレードのコースは公園通りから渋谷駅前を経由して宮下公園まで。太鼓に合わせた「ラッセ、ラッセ、ラッセラ」という掛け声と、「教育基本法の改悪は許さない」「子どもの声を聞いてほしい」「子どもはお国のためにあるんじゃない」「日の丸・君が代を強制するな」などのフレーズを耳にして、沿道の若者に果たしてどれだけのものが伝わったのかなあと思った。

 たぶんなんのことだかさっぱり分からない若者が、ほとんどだったんじゃないか。車道の隊列から離れて沿道をゆっくり歩き、時々立ち止まって若者の反応に耳を傾けていると、「なにあれ?」「日の丸のどこがダメなのよ?」といったつぶやきも聞こえてきた。あれでは普通の人にはわけが分からないし、意味不明で何も伝わらないだろう。圧倒的多数は無関心か、「ヘンナヒトタチ」を珍しそうに眺めていただけだろうなと思うけど。

 そもそも道端を歩いている人に対して、しかも教育基本法とは何かも知らない人に向かって、ほんの数秒ほどで「なぜ、どうして、どのように」といった背景や問題点を説明することなんてできるわけがない。分かりやすくて短い言葉で、ストレートに心に響くようなコピーを工夫すべきだろう。この日たぶん唯一、意味するところがはっきり伝わったんじゃないかと思えたのは、「教え子を戦場には送らない」というフレーズだった。使い古されたメッセージでありながら、かえって分かりやすくて新鮮に聞こえた。


5月9日(月曜日) 「お笑い裁判の歩き方」

 夕方から東京・下北沢へ。北沢タウンホールで、大川興業の大川豊×阿蘇山大噴火のトークライブ「お笑い裁判の歩き方」を見る。『裁判官Who's Who/首都圏編』を出している関係から、出版社の御招待で出かけたのだが、市民集会のイベントか何かかなと考えていたら、本格的なトークショーで入場料はなんと2500円。立派なホールに観客はぎっしり300人。これはすごい。ワイドショーをにぎわせた事件の裁判をネタに笑い飛ばすといった内容で、まさに一大お笑いトークイベントだった。「裁判所はギャグの劇場だからみなさんも見に行ったら?」と客を爆笑させながら、真面目な話もちらちらと織りまぜるところは感心させられる。ほとんど笑いっぱなしだったんだけど、ただどの事件もすべてギャグで片付けて、ネタと事実がごっちゃになっている(例えば刑事被告人の証言や検察側主張が不正確で、聞き手に予断や誤った認識を与えてしまう恐れがある)トークはかなり危なっかしいなあとも感じた。

 トークショーが終わってから編集長や編集者らと居酒屋へ。あっという間に終電近くに。いやーな予感がしていたら、横浜駅から先の電車が終わってしまった。どうせ始発まで数時間だし、タクシーで帰るより安上がりだろうと考えて漫画&ネットカフェに入る。5時間で980円。安い。ウインドウズのパソコン操作の練習にもなったし、読みたかったコミックスを結構何冊も読んだので、十二分以上にモトは取れたんじゃないかと思う。しかし、読み終わらなかったコミックスの続きが気になって気になって(汗)。


5月10日(火曜日) 「つくる会」の会見

 そんなわけで今朝は朝帰りだったので、2時間ほど仮眠。眠くて仕方ない。午後から東京・有楽町の外国人記者クラブ(日本外国特派員協会)へ。「新しい歴史教科書をつくる会」会長の八木秀次氏(高崎経済大助教授)と同副会長の藤岡信勝氏(拓殖大教授)の記者会見を取材する。会場には内外の記者が約100人。テレビカメラは9台。3分の2以上はアジア系の記者だろうと思われた。

 記者会見の意図について八木氏は、「海外メディアからの取材要請が多かった。自分たちの教科書の近現代史の部分について英訳したので披露したい」と説明。続いて「つくる会」教科書について、「日本の教育界はマルクス主義に影響されているが、つくる会は階級闘争の歴史観から離れた教科書をつくりたいと考えた。日本国と日本人の自画像、先祖の活躍などを追体験できる物語を子どもたちに提供して、自信と責任を持たせるのが自分たちの教科書だ。自分たちの活動は日本国民のかなり多くに支持されている」などと自賛して持論を展開した。また藤岡氏は、「どこの国にも固有の歴史がある。過去の歴史を全面的に肯定するとか、戦争を美化する立場では書いていない。その証拠に、つくる会の教科書の中では戦争の悲惨さを特別に説明している」などと説明。さらに、「戦争中も明治憲法(大日本帝国憲法)が停止されたことは一度もなく、政府の正統性はずっと継続しているので、日本にはヒトラーのような独裁者も全体主義も存在しなかった」と大日本帝国憲法を賛美する独自の歴史観と政治認識を披露。南京虐殺については、「中国国民党の兵士は15000人くらいが戦闘行為で死んだかもしれないが、中国の一般市民に対する大虐殺や殺害事件はほとんど考えられない」と断言して胸を張った。予想通りの「演説」だったし、両氏の考え方がどういうものであるかはもちろん知っているが、こうした独自の理論を生で聞くのはやはりなかなか興味深い。

 欧米系の記者からは、日本の教科書検定制度や教科書採択の仕組み、あるいは歴史教科書をめぐる問題の背景について、ほとんど理解していないとしか思えないピント外れな質問が続出する一方で、日本人やアジア系の記者からは、本質を突いた質問がいくつか出された。「つくる会前副会長の高橋史朗氏が埼玉県教育委員に就任したことについて、(教科書採択の公正さが保てないとして)市民から反対の声が起きている。扶桑社教科書の監修者名簿には高橋氏の名前があった。つくる会と扶桑社は一体不可分ではないのか。扶桑社は検定申請図書(白表紙本)を流出させて、文部科学省から3回にわたって指導されるルール違反を繰り返しているが」との質問に対し、藤岡氏が「もう時間がない。ほかの多くの記者の関心事ではないので個別に…」と応じると、記者席から「ぜひ答えて下さい」「逃げないで下さいよ」などと回答を促す声が次々に上がる一幕もあった。この質問について藤岡氏は、「高橋氏は本人の意思でつくる会の副会長を昨秋に辞任している。監修者も辞任している。教科書の執筆者であることは教育委員になることを何ら妨げるものではない。つくる会と扶桑社が一体であるというのは事実として間違っている。検定申請したのは扶桑社という会社。つくる会の個々人が執筆している。つくる会は執筆者ではない」と弁明したが、いくら何でもこれはかなり苦しい説明だろう。社会常識で通用する理屈とはかなりかけ離れている。

 最後に中国人の若手記者が、自分自身の周囲の人々の戦争体験を紹介しながら、「つくる会の教科書は日本の戦争被害を強調して、植民地に幸せをもたらしたことを強調する書き方をしている。加害者の立場を反省していないように思えるが、歴史から教訓を学んでいないことを心配する」と質問した。とても穏やかな口調だった。これに対して藤岡氏は、「質問で出された戦争中の話が事実かどうか、ここで確定することはできないし議論もしない。町村外相は戦争を美化する教科書は一冊もないと話している」などと語って胸を張ったが、これでは中国人記者の質問をはぐらかしただけで、誠実に説明したとはとても言えない。中国人記者は納得できないという表情を見せたが、多くの記者がたぶん同じように感じただろう。会見後、中国人記者の周りには何人もの記者が集まってきた。


5月12日(木曜日) 「MAJOR(メジャー)」

 夕方から都内の弁護士事務所へ。「日の丸・君が代」で処分された都立高校教員の裁判を応援する会の設立準備会議の2回目。会をどういう位置付けとするのか、だれに向かって何をどのように呼び掛けるかで議論百出。午後十時過ぎまで延々と続く。きちんと話し合う必要があることだから仕方ないけど、予想していた以上に長時間の会議となった。「呼びかけ人の顔ぶれを見ただけで結論が見えるようでは、世論喚起のウイングは広がらない。保守的な立場の人たちにも共感を得られるような意外性のある人選をした方がいいと思う」といった意見を述べさせてもらった。こういうのって、記者の立場でどこまでかかわるべきか、微妙な線引きはなかなか難しいものがある。

 漫画&ネットカフェへ。月曜日の深夜に読んだ漫画の続きが読みたくて我慢できなくなったので、料金の安いナイトパックで入場。ノンストップで一気に18巻から38巻まで読んでいたら、すっかり朝になっていた。だが、この漫画は53巻まで出ていて現在も連載中なので、まだまだ読み続けなければならないのだ。で、読んでいるのは何かと言うと満田拓也の「MAJOR(メジャー)」。NHK教育テレビでアニメ版が放送されているのは、この「身辺雑記」でも何回か簡単に触れたことがある(来週で第1部最終回だけど)。完全にはまっちゃったなあ(笑)。


5月13日(金曜日) 続「つくる会」の会見

 3日前の5月10日付の「身辺雑記」で、「新しい歴史教科書をつくる会」の幹部2人が記者会見した模様を紹介したが、この会見を翌日のサンケイ新聞が記事にしたのを見た。「つくる会、英訳で教科書説明」「外国特派員協会で会見」という4段の見出しには笑った。さすがサンケイは視点が違う。「英訳で教科書説明」が大見出しになるなんて、サンケイ以外ではあり得ない。

 しかも記事本文がこれまた笑える。慰安婦の強制連行を否定したり、「日本の教育界ではマルクス主義が力を持っている」と力説してみせたり…。そんな「つくる会」に都合のいいことは長々と記事にしながら、埼玉県教育委員に就任した前副会長の高橋史朗氏が扶桑社教科書の監修者だったことや、つくる会と扶桑社(フジサンケイグループ)は一体不可分ではないのかという記者の質問だとか、「つくる会の教科書は日本の戦争被害を強調し、植民地に幸せをもたらしたと強調する書き方をしている」と中国人記者から指摘されたことについては、記事で一切触れないという徹底ぶりなのだ。こういう記事を平然と掲載するのって、まさに「一体化そのもの」だと思うんだけど。

 「身辺雑記」では僕自身のメモ的な意味合いもあって、とりあえず、きわめて客観的に記者会見でのやり取りを描写してみた。まあ普通に「つくる会」の人たちの主張や対応を読めば、なんてご都合主義で「独自の理論」を展開するんだ、ということは容易に伝わるだろうと思った。もちろん「身辺雑記」だから、客観的事実の後に僕のコメントは差し挟んだけど。いずれにしても「笑える会見」であることは確かだ。サンケイの記事がそれを証明してくれた。

 短い原稿を書いて出稿。写真付き。「つくる会」の記者会見について、まさに「肝心なポイント部分」をコンパクトにまとめた。どこがニュースになるかと言えば、一般的にはサンケイが伝えなかった部分だと思うんだけどなあ(苦笑)。


5月14日(土曜日) 生徒による授業評価

 午後から横浜市内。神奈川県立高校の先生有志による自主的な研究会にお誘いをいただいて、一回目の会合に参加させてもらった。取材などで顔見知りの先生が大半なこともあって、和気あいあいといった感じ。アットホームな雰囲気だ。

 この日のテーマは「生徒による授業評価」。僕が教えている大学などでも一部試行導入されているが、高校でも「授業内容について生徒に評価させる」という動きが各地で進んでいる。「授業改善に役立てる」のが目的とされ、それ自体は理にかなっている取り組みだろう。だが、教員の人事評価に利用される危険性はないのか、生徒のプライバシーや個人情報は守られるのか、集計作業など教員への過重負担にならないか、といった問題点も指摘されている。学校現場での教員同士のつながりが薄れている現状や、現場よりも教育委員会の方を向く校長と教員との関係、生徒を授業や授業評価に参加させる重要性など、いくつもの課題が複雑に絡んでいることが、この日の議論を通して見えてきた。

 終了後、参加者全員で居酒屋へ。なかなか興味深い内容で面白い勉強会だった。しかも楽しい。ここでは書けないようなオフレコ情報や裏話、取材のヒントなどもたくさん聞けたし。次回は7月の予定。ぜひまたこの次も参加させて下さい。


5月15日(日曜日) 出費いろいろ

 行きつけの横浜市内のメガネ屋さんで目の検査。新しいレンズを注文する。特殊な加工を施したレンズなので、とんでもない高額出費になった。10%オフになるカードを作ったが、それでも四捨五入したら十万円になる(あくまでも四捨五入だけど)。見やすいレンズのためだから仕方ないとは言え、貧乏記者は泣きそうだよ。

 その後、行きつけの市内の靴屋さんへ。修理に出していた靴を受け取る。自分の足にぴたっとはまって、しかもすごく軽くて履きやすいので、ずっとここの同じ靴を愛用している。ちょっと値段は高めなんだけど、靴底がすり減ったり痛んだりしてボロボロになっても、新規購入するのと比べて2分の1〜3分の1ほどの修理代で、新品同様に修理してくれるのが助かる。お気に入りの靴が新品同様に甦るのだったら安いものだ。

 【おことわり】 都合により、5月12日付〜5月15日付の「身辺雑記」をまとめてアップしました。


5月18日(水曜日) レジュメ

 明日が本年度最初の授業日なので授業準備。ちなみに前期は総合講座をいくつか細切れで担当している。昨年度のレジュメの改訂版を作成。レジュメと一緒に配る資料を新しい記事に差し替えるために、レジュメの方もあれこれ手直しをしていたら、思ったよりも時間がかかってしまった。


5月19日(木曜日) 私語

 午後から大学。本年度最初の授業日だ。総合講座「現代社会の課題」。僕の担当テーマは「教育はどうなっているのか」。今週と来週の2回に分けて、「日の丸・君が代」や教育基本法、愛国心、教科書問題などを切り口にしながら、教育への「管理と強制」について考えるといった内容である。授業前にレジュメや資料を印刷しなければならないので、早めに学校に行って履修者名簿を見ると4限クラスは約150人も登録している。5限クラスは約30人だった。

 参ったなあと思っていたら案の定、教室が騒がしくて何回注意しても私語がうるさい。受講生の数が多いとやりにくいんだよなあ。3回目に「真面目に講義を聴こうと思っている学生の権利を侵害するな!」と一喝したらかなり静かになった。小学生じゃないんだからさあ、1回注意されたら自制しろよ。周囲への想像力が欠如しているとしか言いようがない。それでも半分以上の学生には授業で伝えたかった内容がきちんと伝わったみたいで、感想レポートを書かせたところ、この日のテーマに対して自分の意見がしっかりと展開されていたので安心した。もう一つの5限クラスは、最初から静かで真面目な授業態度。やっぱり受講者数によって教室の雰囲気は大きく左右されるということを、あらためて実感する。


5月20日(金曜日) 映画「スウィングガールズ」

 映画「スウィングガールズ」をDVDで観る。東北の田舎の無気力な女子高生たちが、夏休みの補習授業をサボる口実に始めた吹奏楽の練習をきっかけにして、ジャズと楽器演奏の魅力にハマっていくというストーリーだ。監督は「ウォーターボーイズ」の矢口史靖なので、話の展開も同作品と同じようなパターンをたどるが、楽しそうな演奏風景についつい引き込まれていく。楽器入手のためのバイトや練習場所探しなど、不自然に思えるようなシーンもあったけど、誇張した演技が満載されたギャグ作品だと考えれば、それはそれでありかもしれない。物語を楽しんでいるうちに、自分もジャズや吹奏楽をやってみたいという気になってくる。

 ちょうど5月17日深夜にTBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組「バース・デイ」で、「小学生スウィングガールズ!熱血先生と生徒の涙の卒業演奏会」(前後編の前編)を見た。指導する熱血先生と児童の関係がていねいに描かれ、事実の重みをしっかり伝えているだけあって、作り物の映画より「小学生スウィングガールズ」の方が興味深かった。しかし、映画で女子高生を演じる役者たちも実際に長期の猛特訓をしたそうで、映画の中で演奏されているジャズナンバーはすべて出演者本人によるものだという。これがなかなか上手でカッコいい。ラストの音楽祭のシーンの演奏は感動的。これはこれで「リアリティーのあるフィクション作品」と言えるかもしれない。ちなみにお薦めだった曲は、「A列車で行こう」「メイク・ハー・マイン」「イン・ザ・ムード」「ムーンライト・セレナーデ」「シング・シング・シング」でした。


5月21日(土曜日) アニメ「MAJOR」最終回

 NHK教育テレビのアニメ「MAJOR(メジャー)」最終回。原作に忠実でありながら、オリジナルの場面も加えた演出はなかなか見事で、余韻と切なさを残すとてもいい最終回だった。「ヒカルの碁」と同じくらいの良作アニメだと思う。とりあえず第1部は終わりとしながら、今秋からの第2部(があるとすれば)にもつながるように、きれいに締められたコンテは素晴らしい。ぜひとも第2部をスタートさせてほしいなあ。ちなみに来週からは再放送。


5月22日(日曜日) 飲酒運転は殺人の故意犯だ

 宮城県多賀城市の国道交差点で、横断歩道を渡っていた高校1年生の列に飲酒して居眠り運転していた男の車が突っ込み、生徒3人が死亡、運転手と同乗者を含めて22人が重軽傷を負ったという。飲酒運転に対する罰則が強化され、これだけ危険性が指摘されているのに、それでもまだ平然と飲酒運転する大馬鹿者があとを絶たないのは理解できない。普通に運転していて事故を起こしてしまうのは、運が悪ければだれにでもあり得ることだろうが、酒を飲んで運転するのは「運が悪かった」などというレベルの問題じゃない。まぎれもなく完全に殺人の故意犯(未必の故意)だ。結果が分かっているのに、あえて行為に及んだのだから悪質きわまりない。被害者には何の落ち度もないのだ。飲酒・酒気帯び運転で他人の命を奪った者は、殺人犯として例外なくすべて無期懲役でいい。事故を起こさなくても、飲酒・酒気帯び運転した者は即座に免許取り消し、さらに運転免許を終生交付しないように法律を改正すべきだ。

 ついでにもう一つ。飲酒運転するのが分かっていて酒を飲ませたり、飲酒運転を知っていてその車に同乗したりする人間も同罪であることを周知徹底すべきだろう。殺人の幇助・教唆・共謀共同正犯だよ。車を運転することが分かっていながら、堂々と酒を飲ます飲食店がそもそも多すぎる。スナックなどの店の前に客が車を止めているのに、平気で酒を飲ますとはどういう神経なんだ。そういう店は一目瞭然であることが多いのに、どうして警察は取り締まらないんだ。飲酒運転による被害は、「うっかりミス」や「たまたま運が悪かった」ことが原因で起きるのではない。被害を少しでも減らすためにすべき対策はいくらでもある。


5月23日(月曜日) 都人事委の公開口頭審理

 午後から新宿の都庁。国歌斉唱の際に起立しないことを理由に、200人以上の都立高校教員らが大量処分された件で、処分取り消しを審査請求した東京都人事委員会の第1回公開口頭審理を傍聴取材する。審査請求した教員5人が意見陳述した。審査請求から1年以上が経ってようやく審理が始まったというのがそもそも異常な展開だが、実はこの日の審理対象は請求者を13グループに分割したうちの最初の第1グループにすぎない。これでは一体いつになればすべての審理が終結するのか気が遠くなるような話で、そういう意味でも異様な審理進行と言わざるを得ない。

 今回の審理を担当した審査委員は元副知事。傍聴席からの拍手や野次を一切とがめ立てしなかったが、こういう訴訟指揮はこれまでの公開口頭審理ではなかった。その点に限れば強権的ではなくソフトタッチだったが、しかし証拠提出された書面の扱いなど肝心なことについては、明らかに処分者(都教委)側に立った采配をしていた。そう考えると、公正公平でまともな審査はまず期待できない。結果は最初から決まっているのだろう。人事委員会審理が茶番なのは過去の事例から明白で、人事委員会制度そのものにどれほどの意味があるのか、疑問視する声が多方面から上がっている。

 夕方から都庁記者クラブで記者会見。終了後、都庁裏手の地区センターで開かれた報告集会にも顔を出す。眠くて途中から居眠りしていたけど。バケツの水をひっくり返したような土砂降りの雨(夕立ち)。都立高校の元教員氏に誘われて近くの居酒屋へ。店を出たころには小雨になっていた。午前零時すぎ帰宅。


5月24日(火曜日) 腰痛再発

 約3カ月半ぶりに腰痛が再発した(泣)。前回みたいに動けないというほどではないけど、ふとしたはずみで腰にくるのがなんとも言えず恐ろしい。日曜日の夜に突然発症。きのうはどうしても外せない取材があったので無理して外出したが、きょうはおとなしく自宅静養&爆睡。テレビやDVDを見て過ごす。パソコンの前に不自然な姿勢で長く座っているのがよくないのかも。


5月25日(水曜日) 感想いろいろ

 「日の丸・君が代」と教育現場について話した先週の授業について、学生たちに書かせた感想や意見を抜粋してまとめる。圧倒的多数の学生は都教委の姿勢に対して「強制はおかしい」などと率直な疑問の声を書いているが、中には「国旗・国歌が嫌ならよその国に引っ越せばいい」といった乱暴な意見を書いてくる学生も。「日の丸・君が代」の是非について論じたのではなく、「思想・良心の自由」と「みんなを同じ方向に向けて従わせる意味」について考えてもらう授業だったんだけどなあ。残念ながらその辺が理解できていない学生も若干いるわけだが、そういう感想も含めてまんべんなくピックアップしていく。さまざまな考え方があることを共有し、さらに問題点を整理させる資料として配る予定だ。A5判で2ページに収めるつもりが倍の4ページに。まあしょうがないか。しかも人数が多いのでえらく時間がかかってしまった。

 【おことわり】 都合により、5月22日付〜5月25日付の「身辺雑記」をまとめてアップしました。


5月26日(木曜日) 考えるきっかけに

 午後から授業。都教委の「日の丸・君が代」強制の実態を紹介した前回の補足説明をしてから、さらに都教委に批判的な教員を「指導力不足教員」や「不適格教員」などの名目で排除し、授業内容にまで介入を始めている状況を説明。その上で、教育基本法を見直して「愛国心」や「日本人のアイデンティティー」などを強調しようとする国家主義的な動きに話を広げた。「教育を一つの価値基準で管理統制しようとする流れ」や「国家が教育内容に介入しようとしている動き」があることを示して、そういう社会を考えるきっかけになるような材料を提供したつもりなんだけど、前後編わずか2回の授業に話を詰め込み過ぎたかな。しかも1年生対象なのでどこまで僕の話が伝わるか不安もあったのだが、それまで考えたこともなかった事実を知って結構みんなショックだったようで、レポートをざっと読む限りではいい刺激になったみたいだ。問題はこのあと、全部で150人以上から提出されたレポートを読んで、採点評価しなければならないということである。憂鬱だ。

 都教委定例会が午前中に開かれ、今春の入学式で国歌斉唱の際に起立やピアノ伴奏をしなかった教員に対する処分が決定されたようだ。不起立が都立高校8人と公立中学校1人、ピアノ伴奏拒否が都立高校1人。処分対象者は計10人。処分発令はあすの夕方ということなので懲戒処分の内容はまだ不明だが、かなり重い処分が出るとの見方がある。あちこちに電話して情報収集。


5月27日(金曜日) 不起立で停職処分

 午後から東京・飯田橋。日中韓の学者や市民団体が作った中学生用の「共通歴史教材」の出版記者会見。時間がないので写真だけ撮影して十分ほどで会場を出る。タクシーに飛び乗って、水道橋の東京都教職員研修センター分館へ。今春の入学式の国歌斉唱の際に起立や伴奏をしなかった教員への都教委処分発令を取材。

 分館前では十数人の都教委職員が物々しく警備。駆け付けた支援の教員や市民グループとにらみ合うような格好で対峙している。処分が重なった中学校教員の一人には、予想通り1カ月の停職処分が出た。停職は戒告そして減給の次に重い処分だが、一連の都教委による「日の丸・君が代」処分で停職は初めて。「起立しない」というだけで停職処分になるなんて、どう考えてもまともじゃない。しかしさらに異常だったのは、生徒や保護者に「内心の自由」について「斉唱も起立も各自で判断してください」などと説明した教員に対し、注意や指導などの「処分」が出されたことだ。憲法で保障されている当たり前の権利を説明したことが、どうしてとがめ立てされるのか理解に苦しむ。

 先月末の福岡地裁の判決では、国歌斉唱の際に起立しなかった北九州市の教員4人の減給処分について、「社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を逸脱している」として市教委の処分取り消しを命じたが、都教委にとって地裁判決など眼中にないのだろう。都教委の「暴走」はとどまるところを知らないようだ。処分された教員らが緊急記者会見をするというので、予定していた別件取材をキャンセルして、一緒に都庁記者クラブへ。午前零時前帰宅。


5月28日(土曜日) カット

 3カ月ぶりに髪の毛をカット。すっきりした。


5月29〜30日(日〜月曜日) 執筆

 短信原稿と1ページの解説原稿を執筆して送信。ファクスで返送されてきたゲラのチェック。電話取材など。


5月31日(火曜日) 停職教師の「生きた授業」

 朝から東京・立川へ。国歌斉唱の際に起立しなかったとして、東京都教育委員会から初の停職処分を受けた市立中学校の家庭科の先生が、自主的に始めた正門前の「登校」を取材。「間違っていると思う命令には従えません」と主張する先生は、自分への処分と行動の意味を生徒たちに知ってもらいたいとの思いで、これから停職期間の1カ月間ずっと正門に毎日登校する。本当は授業に出たいがそれは許されない。朝から放課後まで正門前に立ち続けることで、自分の生き方を「生の教材」として生徒に見せるというのだ。「先生どうして学校の中に入れないの?」と疑問を持った生徒たちと、正門前で早速話し込む姿が見られた。まさに生きた授業が展開されている。幸いにも校長は好意的なので、今のところトラブルや嫌がらせは起きていない。これから梅雨に入るので悪天候が心配だ。

 旧態依然 夕方から都内の弁護士事務所。「日の丸・君が代」で処分された都立高校教員の裁判を応援する会の設立準備会議の3回目。都教委の「日の丸・君が代」強制の異常さを、広く世論に訴えかけるのがこの会の目的だというのなら、これまでみたいな旧態依然とした市民運動のパターンじゃダメだと思うんだけどなあ。そもそも都教委が都立高校に対してやっている強制の「事実そのもの」を、世間一般の人たちは知らない。「みんな知っていて関心を持っている」なんて思っているのは当事者の学校の先生だけだ。その現実を自覚した上で、「まずとにかく事実を知ってもらう」ということから始めることが重要だろう。これまで何回もしつこく書いてきたことだけど、仲間うちで「都教委はケシカラン! 俺たちは正しい! 都教委は世論に包囲されている!」などと何百回も叫んだところで、何も変化は起きないし、そんなものは自己満足の自作自演ショーにしか過ぎない。

 事実を知れば多くの人は、「そんなひどい強制が行われていたなんて知らなかった。いくら何でも都教委はおかしい」とまともに反応する。それはこの前、大学で学生たちに書いてもらった授業の感想レポートで実証済みだ。ほとんどの学生は都立高校に対して都教委がやっている「日の丸・君が代」強制の実態を知らなかった。しかし授業を通して「事実」を知ると、相当数の学生は「都教委はおかしいんじゃないか」といったリアクションを返してくる。無関心層を耕すそういう作業こそ、幅広い世論を喚起するためには最も必要なことなのだ。…というようなことを資料を配って説明したが、残念ながら市民運動系の人たちの反応はイマイチだった。

 もともと関心のある人や仲間うちで、いくら集会を開いたり気勢を上げたりしても運動は広がらないんだってば。冒頭で記念講演をやって、現場からの決意表明をして、支援者が次々とメッセージを述べて…。そんなパターン化されたつまらない集会に、普通の市民がわざわざ足を運ぶわけがない。いくら呼びかけのビラを配ったって、やって来るのは仲間うちとその周辺だけだろう。「圧倒的多数の人たちは事実そのものすら知らなくて無関心」──。そこからスタートするには、「運動」をやっている人たちの根本的な意識改革が必要なんだろうなと思う。無理かもしれないけどね(汗)。

 会議終了後、何人かと近くの餃子屋さんへ。とんこつラーメンと生ビールも注文。のどがカラカラだったこともあって、くぅーっうまいっ。餃子もラーメンもうまかった。午前1時過ぎ帰宅。


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