身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2008年10月1日〜10月31日

●後期授業スタート●橋下知事は法律家失格●早く解散総選挙をやれ●三浦和義さん自殺と日本政府の責任●出稿1●ピント●出稿2●読みやすい文章●推定無罪の原則●あきれた本屋の店員●国際的役割よりまず総選挙だ●打ち合わせ●ユーウツな気分●「教職入門テキスト」●●●ほか


10月1日(水曜日) 後期授業スタート

 午後から授業。きょうから後期(秋学期)スタート。初回なのでガイダンスとして、これからの講義の狙いや組み立てなどをざっと説明する。反応は上々で、大半の学生が興味を深めてくれたみたいだ。私語もほとんどなかった。この調子で最後まで真面目に聴いてくれたらうれしいんだけどなあ。


10月2日(木曜日) 橋下知事は法律家失格

 久々に「明るいニュース」が新聞やテレビで報道されていた。大阪府の橋下徹知事(弁護士)に対して、テレビ番組での発言が名誉毀損にあたるとして賠償を命じる判決が広島地裁で言い渡されたのだ。光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審をめぐって、橋下弁護士がテレビ番組で被告人の元少年の弁護団を批判し、弁護士会に懲戒請求するよう視聴者に呼びかけた。大量の懲戒請求が殺到したことで、業務を妨害され名誉毀損を受けたとして、被告人の弁護士4人が損害賠償を求めていた。判決は、弁護士の職務や使命を理解していないと橋下氏の行為を批判し、橋下氏の発言は弁護士の評価を著しく低下させる名誉毀損にあたると認定した。あまりにも当然すぎる真っ当な判断だと思う。たぶん、高裁でも最高裁でも同じ判断になるだろう。憲法・法律や刑事弁護の理念すらまともに理解していない橋下氏のような人物が、どうして弁護士を名乗っているのか前から疑問に感じていたが、橋下氏はこれを機会に思いきって法曹資格を返上されるのがよいのではないかと思う。

 全国学力調査の結果公表などをめぐって、橋下知事は大阪府教育委員会や市町村教委にさまざまな圧力をかけている。政治から独立した立場の教育委員会に政治家が介入することの危険性を、橋下知事はどこまで認識しているのだろうか。そもそも教育委員会の独立が法律で定められているのはなぜなのか、その歴史的背景や理念を理解しているのだろうか。今回の賠償命令の判決と重ね合わせて、橋下氏はやはり法律家失格だと言わざるを得ない。

【おことわり】9月25日付から10月2日付までの「身辺雑記」をまとめて更新しました。


10月8日(水曜日) 授業

 午後から授業。記者の仕事の流れやジャーナリズムの役割を説明する。政治家の問題発言を伝えることの意味についても言及。授業終了後に提出してもらった出席カードに、「マスコミが政治家の発言の一部を取り上げるのはおかしいと思っていたが、きょうの話を聞いて、選挙で選ばれた政治家の問題発言を有権者に伝えるのは重要だと思った」と感想を書いた学生が何人かいた。話をした甲斐があった。ちゃんと理解してくれてほっとした。


10月9日(木曜日) 早く解散総選挙をやれ

 解散総選挙がどんどん先送りされる雰囲気になっている。政府自民党の政治家や一部メディアの論調も、経済危機を理由にして「選挙なんかやってる場合じゃない」と声高に唱え始めたが、しかしそれってちょっとおかしいんじゃないか。だったら世界経済が思わしくない状態が続いたならば、いつまでもずっと「選挙などやってる場合ではない」ということになるのか。どれだけ経済危機であったとしても、米大統領選挙は粛々と行われ米国民の審判が下されるだろう。選挙こそ民主主義の基本であって、権力の正統性を示すことになるからだ。金融不安を理由に選挙をしないなんて、民主主義の否定としか言いようがない。本末転倒もはなはだしい。首相はさっさと衆院を解散して国民に信を問うべきだ。


10月11日(土曜日) 三浦和義さん自殺と日本政府の責任

 いわゆる「疑惑の銃弾」(ロス疑惑)事件で、今年2月に米国の警察に逮捕された三浦和義さんが、移送先のロサンゼルス市警本部の留置場で首を吊って自殺した。容疑者の身体の安全を保障すべき責務を全うできなかったロス市警の責任は重大だ。しかしそれよりもっと問題なのは日本政府の態度だろう。そもそも三浦さんは日本の最高裁で無罪が確定している。同じ罪で2回裁くことができない「一事不再理」の原則に反する今回の逮捕について、日本政府は米国政府に対して強く抗議するべきだった。自国民の生命と財産を守るのは政府の最大の責任だ。自国民の身体保護の義務を怠って、自国民のが外国の司法機関によって不当に拘束されるという事態を放置するようでは、国民の政府への信頼は揺らぐだけではないか。ロス市警の一方的な理屈に振り回された三浦さんは、結果として日米政府によって殺されたと言っても過言ではない。自国民保護に対する日本政府の姿勢に疑問を感じる。


10月14日(火曜日) 出稿1

 約1万字(400字詰め原稿用紙25枚)の原稿をようやく書き終えた。昼過ぎに編集部に送信。締め切りはとうの昔に過ぎているというのに、取材内容がうまく整理できなくて、しっくりする着地点もなかなか見つからず。取材すればするほど混迷の度合いが深まって四苦八苦した。まあなんとか納得できる原稿になったから出稿したのだが、こんなに苦労したのは久々だ。


10月15日(水曜日) ピント

 書きかけの原稿を途中で中断。午後から授業。記者という職業のあり方について、いくつか具体的な事例をもとに説明した。学生の7割〜8割はそれなりに授業内容を理解しているみたいだが、授業終了後に集めた出席カードを見ていると、全くピントのずれた感想を書いている学生が一部にいる。話をまともに聞いているとはとても思えない。困ったものだ。試験は暗記もの(=穴埋め)ではなくて論述式だから(初回にきちんと告知してある)、まず間違いなく満足な答案は書けないと思うんだけどなあ。私語は別にして居眠りするのは本人の自己責任なので放置するけど、そういうのに限って「なぜ単位がもらえないのか」と文句を言ってくるんだよなあ。来週の授業冒頭で、やんわりと忠告しておくか。

 それと、話を聞きながらメモする習慣のない学生が結構いるみたいだ。なんでもかんでも板書してもらうのが当たり前で、それを書き写すのがノートをとることだと思い込んでいるらしい。ほかの先生に聞いてみたら、時代はそういうことになっているのだという。ちょっと信じられない。これも来週フォローしておこうかな。


10月16日(木曜日) 出稿2

 約3300字(400字詰め原稿用紙8枚)の原稿を書き終えて、早朝に編集部に送信。2日前にようやく書き上げた原稿の影響で、こちらも同じく締め切りを大幅に過ぎてしまった。大変なご迷惑をおかけして本当にすみません(ぺこぺこ)。


10月20日(月曜日) 読みやすい文章

 先日出稿した原稿について、編集長から「すごく分かりやすくて読みやすい原稿だった。こんなにスラスラ読める原稿なのに、どうしてこれほど時間がかかったんだ」と言われた。締め切りを大幅に超過して迷惑をかけたのは申し訳ない思いでいっぱいだが、編集長のその言葉はものすごくうれしい一言だったりする。大変な思いをして書いた原稿かどうかというそんな舞台裏のことなど、読者には全く分からないのは当然のこと。「こんなにスラスラ読める原稿なんだから、いとも簡単にちょちょいと書いたに違いない」と思われるのは、ある意味で記者(作家、執筆者)冥利に尽きるというものだ。最大級の褒め言葉かもしれない。そんなふうに思ってもらえるほど、分かりやすくて読みやすい文章(記事)が書けていたということだろう。水面下でじたばたともがき苦しんでいる格好はみじんも想像させず、水面上の優雅で美しい白鳥の姿がすべてだと思ってもらえたとすれば、それはそれで大成功ということである。よかったよかった。でも何の苦労もなく、いつでもどこでも本当にスラスラと文章が書けたらいいなあ。


10月22日(水曜日) 推定無罪の原則

 午後から授業。「被疑者の人権と被害者の人権」がテーマ。容疑者の逮捕から裁判までの流れを図解し、推定無罪の原則(疑わしきは被告人の利益に)を説明しながら、事件報道の問題点について解説する。反応は上々で講義内容は十分理解してくれたようだ。というか期待していた以上に伝わったみたいで、授業終了後に集めた出席カードには、なかなか興味深い意見や感想がたくさん書かれていた。そのまま読んで終わりにするのではもったいないので、ほんの一部だけだが、参考までにいくつか紹介しておきたい。

◆「自分も含めて、ニュースで容疑者が連行される様子が流されれば、その人を犯人だと思ってしまうことが当たり前のようになっている。報道側は、<◯◯の疑いがある>などと表記に気をつけたつもりでいるが、受け手の側にもこういった認識がある以上、いっそのこと<容疑者イコール犯人ではない>という解説を毎回付けてもいいのではないかと思った」

◆「橋下大阪府知事の発言(光市母子殺害事件の弁護団批判)に対して、反発するどころか共感したと思われる国民心理に危機感を覚えた。被害者の悲惨さに注目するあまりに、被告人(弁護士)を敵視したことは極めて重大な問題だと感じた。被告人は被害者と同じく、私たちと同じ市民の一人であるという冷静な視点が欠けていたと思う」

◆「自分もインターネットでさまざまな事件に関する書き込みを見かけるが、容疑者の人権を全否定するようなものがとても多い。中にはプライベートな写真まで載せてしまっていることもあり、冤罪だった場合のことを考えると怖くなる」

◆「裁判員制度の準備が進められているが、裁判員の対象となる市民の多くはメディアからの情報をそのまま受け入れ、容疑者・被告人イコール犯人だと考えている。こうした状況を改善しない限り、公正な裁判は行われない可能性がある。メディアは容疑者・被告人と被害者の両方の観点から報道すべきだし、市民もメディアリテラシーを学ぶべきだ」

◆「被害者と被疑者の人権が対等に守られなければならないのであれば、被疑者の顔写真を当たり前のように掲載することも問題だと思う。まだ被疑者の段階で顔写真や氏名を公表することが、だれのためになるのかとても疑問だ。被疑者として顔写真が公表されることで、私たちに冷静な判断力を奪ってしまうのではないだろうか」

 とまあこんな感じで、心強い限りだ。とてもうれしくなった。しかしその一方で、いつものことながら、ピントのずれた感想を出席カードに書いてきたのも数人いた。

◆「容疑者の連行写真を載せないのは納得できない。容疑者はそんなところに文句を言えるような立場ではなく、少しでも被害者が安心できるようにすべきである。連行される姿を見たくないと被害者が言うなら報道せず、世間へ見せしめとしてほしいと言うなら報道するのがベストだ」──。

 ううーん、困ったもんだ。いろんな意見があってもいいけど、議論するにしても、議論の前提となる基本的な知識や認識が間違っている(欠落している)のでは話にならない。その点についてはあれほど懇切丁寧に説明したのに…。全く話を聞いてないのか、それとも都合の悪い話は聞こうとしないのか。残念ながらこれはもう仕方ないとあきらめるしかないのかな。とりあえず、来週の授業冒頭でもう一度だけ簡単にフォローしておこう。


10月23日(木曜日) あきれた本屋の店員

 八重洲ブックセンター(横浜)の店員の不勉強ぶりには、ほとほとあきれてしまった。書籍や雑誌を客に提供する商売をしていながら、本に対する知識や愛情がまったくないのではないか、と疑わざるを得ない。そんな光景にひんぱんに遭遇するからだ。

 以前にたまたま見かけたのは、客の一人が近くにいた店員に「◯◯っていう単行本はどこにありますか」と尋ねた場面だった。その店員は即答できず店内を右往左往した挙げ句に、カウンター内の検索システムを操作し始めた。ところが、その単行本は店員の目の前に平積みされていたのである。自分の店で扱っている本をすべて把握するのは大変だとしても、平積みされている売れ筋の本も把握できていないというのはひどすぎないか。あまりの馬鹿馬鹿しさに、しばし呆然とその店員の無意味な行動を見守るしかなかった。

 僕自身は今週になって2回も驚くべき経験をした。その1。大手新聞社から創刊されたばかりのある月刊誌が店内に見つからなかったので、カウンターで店員にどこにあるのか尋ねて、なかったら注文したいと告げた。すると店員は最初、「そういう雑誌は聞いたことがない」と応じたのだ。そんなはずはないと食い下がると、検索システムでようやく見つけた店員は「お取り寄せになります」と答えてから、「注文したら取り消しはできませんがいいですね。お取り寄せに3週間はかかります。版元になければキャンセルになります」と畳み込むように伝えるのだった。おいおい、売る気はあるのかよ。これじゃあ、店内に並べてある本だけ売れたらいい、店内にない本は買わなくてもいい、と言ってるみたいではないか。

 ちなみに、ジュンク堂書店(新宿)では、店内にない本は近隣のグループ店鋪(池袋)からその日のうちに取り寄せてくれて、しかも中身を確認して気に入らなかったら、注文を取り消してもいいとまで言ってくれる。ジュンク堂書店の店員には、客に本を提供する姿勢や本に対しての深い愛を感じる。八重洲ブックセンターの店員の対応とはえらい違いだ。

 その2。カウンターの前に、コミックスの売れ行きベスト10を並べたコーナーがある。探していた本が10位だったのだが、そこだけ1冊もなかったので、カウンターの店員(その1とは別の人)に「これって売り切れなんでしょうか」と尋ねた。すると、その店員はほかの店員と一緒になって店内をしばし右往左往した後、平積みされていた本を取り上げて、「これでしょうか」とのたまった。おい、それは1位の本だよ。「いえ、そうじゃなくて」ともう一度説明したら、「ただいま品切れでございます」だとさ。ううーん、いったい何を考えてるんだか…。目の前の書棚で扱ってる商品を把握していないばかりか、客の話も聞いてないって…。コンビニのアルバイトでも、店内で扱ってる商品の知識はもう少ししっかり持っているんじゃないかな。あまりにお粗末過ぎる。


10月26日(日曜日) 国際的役割よりまず総選挙だ

 麻生首相が、アジア欧州会議(ASEM)首脳会合の終了後の記者会見で、「国内的な政局より、国際的な役割を優先する必要性の大きさを感じた」と述べたという。それは確かにごもっともなお考えだと思うが、しかしまずは何はともあれ、国の最高権力にしっかりと正統性を持たせるべきだろう。そのためには、一刻も早く解散総選挙をして民意を問うべきだ。国際的な役割を果たすのも、金融危機へ対応するのも重要だが、とりあえず権力の正統性を確認してもらわなければ、納得して政治をお任せしようという気分にはなれない。総選挙もせずに政権が3代もチェンジするなんて、そもそも民主国家としてまともじゃない。自民党が勝つにしても負けるにしても、とにかく民意を問うべきである。話はそれからだ。


10月27日(月曜日) 打ち合わせ

 午後から東京・日本橋の出版社で単行本の打ち合わせ。原稿の締め切りが半年ほど延びる。手いっぱいで収拾がつかない状態だったので助かった。あと、よその雑誌に書いた関連記事をいくつか、単行本に収録しようということになった。そのぶん執筆が少し楽になるので、これも大助かりだ。3時間ほど編集者とあれこれ話をしているうちに、なんとなく全体のアウトラインが見えてきた。どうにか執筆できそうな感じになってきた(たぶん)。


10月28日(火曜日) 打ち合わせ2

 午前中から東京・銀座の法律事務所。弁護士や編集者と単行本の打ち合わせ。きのうの本とはまた別の企画で、こっちは前から話が進んでいながら途中で作業が中断していた共著ものだ。いよいよ原稿を完成させなければならなくなってきた。何とかします(汗)。それにしても一昨日も昨日もあんまり寝ていない上に、朝から東京に出てきたので眠くて仕方ない。銀座の料理屋でランチサービスの焼き魚定食を食べる。手抜きとしか言いようのない不味さだった。注文して3分で出てきた魚はもちろん論外で、ご飯もぱさぱさ。なんだこりゃ。近くには築地本願寺や電通築地ビル(旧電通本社)もある一等地なのに、いくら昼のメニューだからってこんな料理を出していて大丈夫なのか。まあ二度と来ることはないからいいけど、別の店に入ればよかったなあ。横浜の図書館で調べもの。あすの授業の準備(資料プリント作成)。


10月29日(水曜日) ユーウツな気分

 疲れて爆睡していたためか、無意識のうちに目覚まし時計を止めていたようで、記者仲間の知り合いからかかってきた電話で起こされる。目覚ましのセット時刻から2時間も過ぎていた。その電話がなければ、さらにそのままもうしばらく寝ていただろう。うわっ、やばい。しかしおかげで、ぎりぎりのところで助かった。

 大慌てでシャワーを浴びて家を飛び出し、午後から授業。きょうのテーマは「整理部記者」。新聞編集の中核である整理部記者の仕事と問題点について説明する。的確な見出しを付けて紙面のレイアウトをする整理部記者の最大の仕事は、ニュースの価値判断をすることだ。取材現場の記者と同等かむしろそれ以上に、整理部記者の問題意識と感性が紙面の質を大きく左右することになる。見出しやレイアウトによって、読者に与える印象や影響が全く違ったものになることは、学生たちも理解してくれたようだ。

 きょうは私語と遅刻が目立ったので、ちょっと厳しく叱ったら、予想はしていたけど教室の空気が若干悪くなった。でもなあ、真面目に授業に参加しているほかの学生にとって、私語や遅刻(しかも始まって30分も1時間もして堂々と入ってくる)はものすごく迷惑なんだよね。授業に集中できなくなるから。だから注意せざるを得ないのだが、しかしどんな場面でも同じだと思うのだが、怒ったり叱ったりするとロクなことにならないんだよなあ。怒らない方がお互いにとっていいに決まってる。憂鬱な気分になった。朝から何も食べてなかったから、こちらにいつも以上に余裕がなかったのかもしれないなと、あとで気がついてさらに少々落ち込んだ。


10月31日(金曜日) 「教職入門テキスト」

 白梅学園大学子ども学部准教授の増田修治先生(元埼玉県朝霞市立小学校教諭)から、新著「先生のしごと/書き込み式教職入門生徒指導用テキスト(小学校編)」(ルック)を送っていただいた。教育実習を終えた大学4年生や新人教師などに向けて、「学級で起きるトラブルにどのように対応すればいいか」といった課題をアドバイスする演習テキストだが、いわゆるハウツーものではないところが、いかにも増田先生の書かれた本らしい。

 本書には増田先生自身の経験や、新人教師らを集めて続けている教育実践研究会で若手が報告したレポートをもとに、現場の悩みや実践が生き生きと描かれている。「子どもたちのいじめに直面してどう克服するか」「学級崩壊からどう脱却するか」などの具体的なテーマがいくつも掲載されているが、もちろん「正しい答え」などというものがあるわけではない。それぞれの現場で、教師自身がさまざまな観点から議論・整理して考える、そのためのきっかけやヒントとなるテキストになっている。

 一人一人の子どもの自尊心をくすぐりながら心を開かせて、やる気を引き出し、同時に多種多様な親にも対応しなければならない教師の苦労は大変だ。しかし、あくまでも「子どもの気持ち」に寄り添って、状況に応じた細やかで適切な指導をすると、学級集団全体にも子どもたちにも、そしてさらには親にも、目を見張るような変化が生まれてくる。本書にはそんな具体的な教育実践の事例が満載されている。良心的な教師たちの現場での取り組みの一端に触れることで、保護者をはじめとして一般市民が、教育のあリ方を考える材料にもなり得る一冊だ。


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