身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2009年6月1日〜6月30日

●「セカンド」更新●編集会議●先輩記者を偲ぶ会●映画「消されたヘッドライン」●卒業生から校長への寄せ書き●越境ジャーナリストの会●打ち合わせ●ICUで土肥さんが特別講義●いまだに鼻炎薬●納得授業●「身辺雑記」に追記●被害者証言の信用性●原稿執筆●野菜たっぷりスープ●続・被害者証言の信用性●●●ほか


6月1日(月曜日) 「セカンド」更新

 「セカンドインパクト」を半年ぶりに更新。わざわざ「更新しました」などとアナウンスするほどのものでもないのだが、「冤罪・裁判・裁判員制度」のページに、3本の記事項目(見出しと初出のみ)を掲載したほか、ほかのページにもちょこちょこと文章や体裁など手直しを施す。


6月4日(木曜日) 編集会議

 午後から都内で「冤罪ファイル」の編集会議。メインスタッフの今井恭平さんは、女児が殺害された「足利事件」で無期懲役が確定し服役中の菅家利和さんが、再審請求によるDNA不一致の再鑑定結果を受けて間もなく釈放されるとの一報が入ったため、千葉刑務所へ向かって欠席。編集会議ではかなり厳しい出版状況を踏まえ、今後の編集方針や雑誌のあり方をめぐって、6時間にわたって意見が交わされる。執筆陣の強化は不可欠だろう。疲れた。


6月7日(日曜日) 先輩記者を偲ぶ会

 午後から埼玉・浦和。昨年亡くなった先輩記者の一周忌ということで、有志が企画した偲ぶ会に誘われて顔を出す。参加者はマスコミ関係者よりも、市民団体のメンバーや冤罪事件の関係者といった人たちの方が圧倒的に多かった。これからも毎年こういう会を開くにあたって、どのような内容の集まりにするかについて意見交換した。故人を偲びながらメディアの現状やジャーナリズムのあり方について議論し、問題点を共有できるような集まりになるかなと思って、僕としては参加してみたのだが、どうやらそういう感じにはなりそうにないなあ。まああまり期待はしていなかったけど。

 映画「消されたヘッドライン」 浦和からの帰り道に安売り金券ショップでチケットを購入し、日比谷のスカラ座で「消されたヘッドライン」を観る。だだっ広い大きな劇場に観客は5〜6人しかいなかった。貸し切り状態を満喫する。映画の内容は、新聞社と政界と巨大軍事企業を舞台にしたサスペンス作品。ワシントンで起きた2件の射殺事件と下院議員の女性スタッフの謎の死をめぐる取材を通じ、軍事企業の闇に迫る新聞記者の姿を描く。てっきり社会派作品だとばかり思って観ていたら、最後の最後できわめて個人的なスキャンダルネタに矮小化されてしまったのが残念だった。えええーっ、おいおいそりゃないだろ…って感じ。しかしまあ、真実に迫ろうと命がけで裏付け取材を重ねる記者の情熱と、経営重視のためには面白おかしくどぎついゴシップネタを優先させようとする新聞社幹部の姿勢はリアルに描かれていたし、ウェブ(ブログ)の記事と活字の新聞に掲載される記事とは本質的な部分で違うんだというスタッフのメッセージは、かなりストレートに伝わってきた。ベテラン記者の取材姿勢を目の当たりにした新人女性記者が、記者活動の基本と新聞の役割を実感し成長していく展開は、報道の仕事に携わるすべてのメディア関係者へのエールとも言えるだろう。


6月9日(火曜日) 卒業生から校長への寄せ書き

 午後から都内。教育現場に国旗掲揚・国歌斉唱を強制し、職員会議での挙手・採決を禁止した東京都教育委員会の通達や通知を批判したために、定年退職後の非常勤教員に採用されなかった都立三鷹高校の元校長の土肥信雄さんと久しぶりに会う。不採用による損害賠償を都に求めて提訴した経緯について話を聞いた。教員生活最後の卒業式後、土肥さんは3年生の全クラスの卒業生たちと保護者から、それぞれ寄せ書きが満載された色紙を贈られたという。

 十数枚もの色紙の束を見せてもらった。「校長先生ありがとう」「都教委に負けるな」といった感謝と激励のメッセージが、文字通りぎっしり書かれていた。こんなものを生徒たちからもらえる校長なんて、日本全国を探してもそうそういないだろう。校長の名前さえ知らない生徒や保護者がざらだというのに、信頼され愛されている証と言ってもいい。生徒全員の名前と顔を覚えて、自分から生徒に毎日声をかけている土肥さんならではのプレゼントだ。「これまで僕がやってきた教育実践へのご褒美だと思う。うれしくて涙が出たよ」。まともな教員や校長がこの色紙を目の当たりにしたら、激しく嫉妬を覚えて心からうらやましく感じるに違いない。裁判の結果がどうなるかは別にして、教育者としての成果というモノサシで考えれば、これはどこからどう見ても都教委の完敗だろう。

 校長が卒業生の一人一人にメッセージを書いた色紙を贈った、という話はかつて取材したことがある。それはそれでかなり感動したのを思い出したが、その逆に卒業生一人一人から校長にメッセージを贈るというのは初めてだ。いいものを見せてもらった。

 夕方から都心の弁護士事務所へ。検察審査会の改革について詳しく話を聞かせてもらう。的確で要点を押さえた簡潔な説明に、目からウロコが落ちるようで納得することばかりだった。


6月10日(水曜日) 越境ジャーナリストの会

 午後から東京・新宿。元朝日新聞記者の村上義雄さんに誘っていただいて、「越境ジャーナリストの会」(仮称)の発足会に顔を出す。新聞・テレビ・雑誌というメディア媒体の種類や会社の枠を越えて、志のあるジャーナリストが集まろうとの趣旨だという。平日の昼間だというのに、民放やNHKのディレクター、新聞記者、雑誌編集者、フリージャーナリストら20人ほどが喫茶店に顔をそろえた。新聞労連の新旧委員長も参加。それぞれいい仕事をして一線で活躍している人が多い。3分の1くらいは旧知で、久しぶりにこの場で顔を合わせたなあという感じだった。村上さんが「あやしいジャーナリストは不思議にみんなどこかでつながっている」と笑いを誘ったが、そうかもしれないなと思った。ジャーナリズムの行く末や現在の問題点について早速、熱い議論が交わされた。どの話も具体的で面白い。すごく刺激になる。将来的には外に向けて発信することも視野に入れて、とりあえず月に1回くらい集まる方向で検討するという。今後に期待できそうだ。


6月11日(木曜日) 打ち合わせ

 午後から横浜市内。夕方、神奈川県立高校の教育研究所へ。高校での道徳教育の問題点について、原稿依頼と打ち合わせ。


6月12日(金曜日) ICUで土肥さんが特別講義

 朝から東京・武蔵境のICU(国際基督教大学)へ。都立三鷹高校の元校長・土肥信雄さん(6月9日付「身辺雑記」参照)の特別授業を聴きに行く。教養学部の大西直樹教授(アメリカ文学)が、一般教養講座「アメリカ学概論」の時間を使ってこの日の講義を企画した。東京都教育委員会の教員管理と言論弾圧の実態を説明しながら、言論の自由と基本的人権の大切さ、教育のあり方について、土肥さんはユーモアたっぷりに話を進めた。なかなか面白い語り口だったこともあって、学生たちは熱心に耳を傾けていたし、質問もたくさん出た。ICUのキャンパスは広大で自然環境にも恵まれた環境にある。自由でのんびりした感じが漂う大学だった。

◇◇

 それにしても、楽しそうに授業をしている土肥さんの姿を見て、本当だったら定年退職後の今春からは非常勤教員に採用されて、都立高校の教壇に立っているはずなのになあと改めて残念に感じた。僕はこの日、初めて土肥さんの授業をナマで拝見したのだが、「授業大好き」とおっしゃるだけあってとても面白かった。こういう感じの授業なら、生徒たちも退屈しないだろう。教員の中には、政治的に偉そうなことを言っていても、肝心の授業が下手な人が結構いる。今回のような授業を見るだけでも、土肥さんの言葉には説得力が感じられると思った。

 一つだけ気になったことがあった。それは授業終了後の懇談会の場面だ。最後の方で、某A紙の支局記者が学生たちに混じって質問していたが、あれにはとても違和感を感じた。記者はあくまでも第三者の立場で、学生たちと土肥さんとのやり取りの流れを見守るべきで、あのような場面で取材者が口を差し挟むのはルール違反だと思う。ひとこと質問するくらいならまだ許容範囲だとしても、某A紙の記者はその後も延々と政治的な質問を繰り返していた。そういう質問をしたいなら懇談会終了後に、土肥さんに対して個別にぶつければいいだろう。あの場にいたほかの記者からも、同様に疑問に感じるという声を聞いた。某A紙の記者には猛省を促したい。


6月14日(日曜日) いまだに鼻炎薬

 花粉症の季節は終わったはずなのに、いまだに鼻炎の薬を少し飲んでいる。薬を飲まないと鼻のむずむずが止まらず、くしゃみを連発することになってしまう。もしかしたら今年はスギ花粉だけでなく、別の花粉にも反応しているのかもしれない。まいったなあ。


6月15日(月曜日) 納得授業

 午後から授業。「平和研究」の「戦争とマスコミ」を担当する。今年のこの講座は受講生が30人ほどと少ない。たぶん時間割の関係ではないかと思われる。こじんまりとしていて、すごく授業がやりやすかった。本来はこれくらいが適正人数なんだろう。学生の反応や表情が手に取るように分かる。ジャーナリズムは何のために存在しているのか、「国益」だとか「愛国心」といったあいまいな言葉で、国家権力が国民を同じ方向に向けさせる危険性、などについて話をしたが、熱心にメモを取る学生も多く、みんな真面目に授業に参加してくれた。コメントシートに書かれた授業の感想を読んだところ、伝えたかったことはしっかり理解してもらえたようだし、「いい授業でした」と書いてくれた学生が何人もいた。時間配分や内容は過不足なく、珍しく自分でも納得できる授業ができたように思える。いつもこんな感じで授業できればいいんだけど。


6月16日(火曜日) 「身辺雑記」に追記

 6月12日付「身辺雑記」の「ICUで土肥さんが特別講義」に追記しました。1段落目の文末の白ビシ以降が、新しく追加した文章です。


6月17日(水曜日) 被害者証言の信用性

 午後から東京・霞が関。弁護士会館で、日弁連の「全国冤罪事件弁護団連絡協議会」の集会を取材。電車内で携帯電話をかけていた女性に注意した男性が、この女性から腹いせに「痴漢をされた」と言われ逮捕・勾留された「沖田事件」をテーマに、被害者証言と被告人供述の信用性の判断基準が議論された。この事件で嫌疑不十分で不起訴となった男性は、女性と東京都(警視庁)と国(検察庁)に賠償請求を求めて提訴。最高裁は東京都と国に対する請求は棄却したが、女性に対する賠償請求については原判決を破棄して、東京高裁に差し戻す判決を言い渡した。

 ウソの被害者証言がなされた場合について、心理学の見地から奈良女子大学の浜田寿美男教授は、「自称被害者の女性の証言は想像の産物としか思えない。無実を主張する被告人供述との間で水掛け論になると言われるが、間違った証言やウソの証言のチェックは可能だ」と分析した。また「沖田事件」の弁護団は、「羞恥心を乗り越えて被害を申告しているのだから被害者の証言は真実だ、などと裁判官は判決で言うが、そういうところから発想してもらっては困る」と述べて、女性の証言と客観的事実との矛盾を指摘。「裁判所に言い逃れさせない努力が弁護団には必要だ」と締めくくった。

 夕方から新橋。今春の異動で地方勤務から東京本社に戻ってきた某A紙の先輩記者と、久しぶりに会って飲む。焼き鳥料理店と居酒屋をはしご。ずっと死刑制度や人権問題に取り組んでいる筋の通った記者の一人だ。東京本社の職場環境が昔と比べて様変わりしたことへの驚きや愚痴から始まって、記者の仕事のあり方と楽しさなどについて、いろいろ話を聞かせてもらった。先輩記者の話はためになる。楽しかった。


6月22日(月曜日) そこそこの出来

 午後から授業。「平和研究」の「戦争とマスコミ」の続き。記者クラブ制度の功罪両面についての説明を中心に、情報統制・情報捜査の危険性について話をする。きょうは先週の授業ほどビシッとは決まらなくて、そこそこの出来だったかな。まあ毎回そんなに完璧な授業ができるわけでもなく、熱意を込めてできるだけ分かりやすく説明するしかない。学生がメモを取りながら真剣に聴いてくれていたので、とりあえずほっとした。


6月23〜24日(火〜水曜日) 原稿執筆

 電話であっちこっちに確認取材をするほかは、ひたすら原稿の執筆作業。やや長めの教育ルポ。最初の書き出しをどうするか、どのエピソードを持ってくるか、というのがポイントだ。そこさえ決まれば、あとはすんなりと文章が流れていくはずなんだけど。


6月25日(木曜日) 野菜たっぷりスープ

 最後の追い込みで原稿を書き上げる。怒濤のラストスパートでなんとか滑り込みセーフ。編集部に原稿と写真をメール送信する。大急ぎでシャワーを浴びて、都内の都立高校の先生宅へ。教育問題のパンフレット(ブックレット)を作成するので、企画・編集会議に参加してほしいと声がかかった。ビーフと野菜たっぷりのスープなど、手作りの夕食をいただきながら、あれやこれやと2時間半ほど議論した。ディスカッションの内容はさておき、スープとサラダがとても美味しかった。睡眠不足なのでものすごく眠い。電車の中で爆睡。あやうく寝過ごしてしまうところだった。午前1時帰宅。


6月28日(日曜日) 続・被害者証言の信用性

 6月17日付の「身辺雑記」に書いた「被害者証言の信用性」の記事について、女性の方からご意見のメールをいただいた。「痴漢被害者の圧倒的多数は、痴漢の恐怖と被害者証言の信用性を問われる恐怖があるので耐え忍んでいる。これはジェンダーの問題であり、日本社会で女性の言葉の信用性は低い。ウソの証言をするごく少数の女性のために、被害者証言の信用性を問われて、痴漢や性暴力を訴えづらくなってしまうのはおかしい」という趣旨の内容だった。いろいろな意味で参考になる貴重なご指摘だと思うので、これに対する僕の返信メールを紹介する。

◇◇

 「メールありがとうございました。痴漢は重大な人権侵害であり、言うまでもなく悪質な犯罪行為として、厳正に対処すべきだと私も考えています。しかし罰せられるべきなのは、あくまでも真犯人であって、無実の冤罪被害者が証拠もなしに拘束され、自由を奪われていいはずがありません。そこで重要なのが『事実とは何か』ということになるでしょう。

 『間違った証言やウソの証言』をきちんとチェックし、証言内容の真偽を確認した上で、客観的な物的証拠を確保することこそが、捜査当局の責務であり、弁護人の仕事だと思います。この作業が入念に行われていれば、そもそも裁判で被告人は有罪にはならないはずですし、逆に、この作業が入念に行われていなければ、誤った事実に基づいて、無実の被告人が有罪判決を受けてしまうことにもなりかねません。

 もしも、誤って逮捕された被告人が『無罪』となるとか、誤って逮捕された被告人が『誤って有罪』にされることになれば、貴重な時間を無駄に浪費させられたという点で、それは被告人も被害者も、どちらにとっても不幸と言わざるを得ないでしょう。

 痴漢の被害者が、精いっぱいの勇気を振り絞って、声を上げる大変さは、少なからず理解しているつもりです。恐怖を乗り越えて、大変なエネルギーを必要とすることも分かります。ただ、悪意を背景に、あるいは逆恨みや愉快犯などの理由で、意図的に相手を罪に陥れるための虚偽の証言をする、といったケースは例外だと思いますが、『勘違い』や『誤認』によって犯人ではない別人を、犯人としてしまうことはあり得るのではないでしょうか。

 そういう可能性を排除して、無実の容疑者(被告人)を有罪にしないために、『間違った証言やウソの証言』をきちんとチェックし、証言内容の真偽を確認した上で、客観的な物的証拠を確保することが求められると考えます。

 ホームページに掲載した『身辺雑記』の記事は、日弁連での集会を取材した際に、以上のような観点から議論されたことを短く報告したものです。ご理解いただければ幸いです。貴重なご意見・ご感想をいただいて感謝いたします。池添徳明(大岡みなみ)」

◇◇

 ◆この記事の続報(関連記事)7月3日付の「身辺雑記」に掲載しました。


6月29日(月曜日) ため込み注意

 たまっていたメールの返事を書きまくって次々に送信する。長文から短文まであれこれ。プライベートから仕事に関するもの、事務連絡、サイト掲載記事への問い合わせなどなど。ため込むと何かと大変だよね、メールに限らずどんなものであっても。


ご意見・ご感想などは<こちら>まで

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