身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2010年4月1日〜4月30日

●下手な鉄砲も…●「名張毒ブドウ酒」再審で差し戻し●的確な指摘●授業準備●初めての文章講座●打てば響く●一気呵成●文章の勉強●裁判員裁判と報道規制●学生の反応に安堵●作文添削●シャッターチャンス●朝日新聞の「悪文」女性記者●長い文章は苦手らしい●普天間は日本国民全体の問題だ●●●ほか


4月1日(木曜日) 下手な鉄砲も…

 昨日、一昨日と、1日に20本くらい電話をかけている。すぐにつながって取材に応じてくれる人もいれば、留守がちでなかなかつかまらなかったり、ようやくつかまっても空振りだったりといろいろだが、こればっかりは的を絞って電話をしていてもギャンブル的な要素は否めない。それでも何件かは大当たりの話が聞けることがあるので、「下手な鉄砲も数を撃ちゃ当たる」という言葉はやはり正しいことを言っているのだ。話が弾んで思わぬところで信頼関係が築けることもある。何ごともまずはやってみないと始まらない。


4月3日(土曜日) 出稿

 朝から電話で事実関係の確認作業をして、書き上げた原稿3本を編集部に送信する。さらに、大量に撮影した写真を整理し、エトキ(写真説明)をつけて計18枚を送信。あともう1本の長い原稿が残っている。とにかく大急ぎで書かなければ(汗)。


4月6日(火曜日) 「名張毒ブドウ酒」再審で差し戻し

 「名張毒ブドウ酒事件」の再審請求で、混入されたとされる農薬の成分が異なる可能性がある(成分分析の審理が不十分である)として、最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻す決定をした。7回目の再審請求に対して、2005年4月に名古屋高裁が初めて再審開始を認める決定をし、2006年12月に名古屋高裁の別の裁判長(門野博裁判長)が再審開始を取り消す決定をしたが、今回はこれを再び最高裁が取り消した。再審への道が大きく開かれたことになる。

 そのこと自体はいい判断だと思うが、しかし「凶器である混入農薬が異なる可能性」だと指摘するのなら、最高裁自身の判断で「再審開始決定」をすればいいではないか。どうしてわざわざ、差し戻しなどと回りくどいことをする必要があるのか。そんな悠長なことをしている場合か。理解に苦しむ脳天気さとしか言いようがない。

 殺人罪などで死刑が確定している奥西勝死刑囚は、84歳の高齢になる。一審の無罪から二審で逆転死刑判決。無実を訴えながらも、死刑執行の恐怖におびえて50年近く獄中生活を強いられてきた。再審決定を取り消した名古屋高裁の門野博裁判長(東京高裁に異動し今年2月に定年退官)にしてもそうだが、裁判所(裁判官)の明らかなサボタージュと不作為によって、これまで多くの冤罪被害者の救済が阻まれてきた事実に対し、最高裁はいったいどんな説明をするつもりなのだろう。奥西死刑囚についても同様である。迅速で公正な審理をして、一刻も早く正義の実現を図るべきだ。

 ちなみに、再審決定を取り消した門野博裁判長については、雑誌「冤罪ファイル」の連載「裁判官の品格」シリーズの1回目(第1号=2008年3月号)で取り上げた。


4月7日(水曜日) 脱稿して出稿

 長めの原稿をようやく書き上げた。編集部に送信。ほかにもあれこれと雑用がたくさんたまっている気がするが、とりあえず、今週末から始まる授業の準備をしなければ。


4月8日(木曜日) 的確な指摘

 出稿した原稿のうちの一つについて、編集部から校正ゲラが送られてきた。タイプミスしたまま出稿してしまった部分について、きちんと指摘してくれていて大いに助かる。誤字脱字や誤変換のほかに、法律用語の誤記も1カ所しっかりチェックされていた。とても重要な部分である。的確な指摘に感謝。


4月9日(金曜日) 授業準備

 あすから始まる新年度の授業準備。新しく僕が担当する「文章を書く」という講義は、これまでやったことのない講座なので、少しどきどきワクワクしている。何ごとも初めてチャレンジしたり経験したりするのは、緊張感があるし期待感もふくらむものだ。好奇心が刺激されて気分がぐっと高揚する。もちろん不安もかなり感じてはいるけれど。とりあえず、やってみるしかない。


4月10日(土曜日) 初めての文章講座

 午後から授業。「文章を書く」講座の1回目。入学したばかりの1年生が対象なので、さすがに遅刻してくる学生はほとんどいないし、私語も全くないというとても恵まれた環境(笑)で授業をすることができた。しかも履修者制限をかけてくれているのも助かる。1コマ目の受講生は約30人で、2コマ目は約15人だった。これくらいの人数だと学生とコミュニケーションがとれる。一人一人に質問したり声をかけたりしながら授業を進めることができた。そもそも大教室で200人とか300人もいたら、コミュニケーションどころか、学生の作文をきちんと読むなんてとても無理だもんなあ。

 初回のきょうは、学生のモチベーションを高めるような話をしてから、授業中に時間を決めて作文を書いてもらった。ざっと読んでみたところ、みんな結構ちゃんと書けている。600字〜800字を約40分で書かせたのだが、ぴったり800字で、内容もしっかりしたものを書いた学生が何人もいた。やるなあ。感心する。今後がとても楽しみだ。残念ながら半分くらいしか書けない学生もいるけど、それはそれで、この講座は作文練習(トレーニング)が目的なのだから、少しずつ書けるようになってくれればいい。

 夕方から横浜・中華街。フリーランスの記者仲間に誘われて、その友人のライターや編集者ら6人と飲み会。「横のつながりを広げましょう」ということで誘ってくださったのだが、美味しい料理と楽しい会話で大いに盛り上がった。


4月12日(月曜日) 資料整理

 編集部から送られてきたゲラをチェック。あすの授業で使う資料の整理や準備など。


4月13日(火曜日) 打てば響く

 午後から授業。総合講座「仕事」の2週目。いわゆる「就職ガイダンス」や「キャリアアップ」のような科目とは無縁で、自立した市民として「仕事にどのように向き合うか」を考えてもらうのが目的の授業だ。毎回いろんな講師が交代で講義をする形式で、今週は僕の担当なので、新聞記者とは何のために存在し、だれのためにどんな姿勢で仕事をするべきか、といったことを知ってもらえるような話をする。それとともに、組織の中で個人の信念や志を大切にしながら仕事をする意味についても、少しばかり熱く語ってみた。

 自分でも珍しくうまく話ができたと思ったが、学生の反応が予想以上によかったのでうれしくなった。話をちゃんと聞いていて理解してくれたのはもちろん、共感するといった感想がとても多い。さらに自分自身の将来に想像をめぐらせた上で、「指針として受け止めた」「参考になる話だった」という学生が多かったのも心強かった。講義が終わってから質問しに来る学生も何人もいて、主体的に考える姿勢や問題意識が感じられる。打てば響くというのは、こういうことをいうのかなあとしみじみ実感した。


4月14日(水曜日) 一気呵成

 「文章を書く」講座は今年から初めて担当する科目なので、実はまだ各回の授業内容がまとまっていない。学生に配布するための資料も、全回分について準備できていなかったりする。ガイダンスが終わって今週からは本格的に始めるので、そろそろ各回の進行と内容をきちんと整理しておかなくてはならない。そんなわけで、宿題として書いてもらう作文のテーマや説明すべき項目を、一気呵成に書き上げた。作文のテーマ、説明項目、配布資料はそれぞれ連動するので、「ここは順番を入れ替えた方がいいかな」などと頭を悩ませたりして、パズルをやっているみたいだった。あと少し検討する個所が残ってはいるが、まあとりあえずなんとかなるかな。なんだか今週はずっとこんな感じの毎日になりそうだなあ。


4月15日(木曜日) 文章の勉強

 先輩記者たちが書いた文章の書き方に関する本を何冊か読み直して、参考になる説明などを改めてざっとチェック。学生に書かせた作文を読んで、指摘すべき個所などを整理。こういうのって僕自身にとっても、実は結構いい勉強になるんだよなあ(笑)。


4月16日(金曜日) 裁判員裁判と報道規制

 夕方から東京・表参道。新聞やテレビの取材記者グループの勉強会に参加する。この日のテーマは、裁判員裁判と事件報道に対する取材規制の問題。裁判員の守秘義務や証拠の目的外使用禁止条項をめぐって、記者会見や取材活動が(不当に)制限されるケースなどが報告される。推定無罪と事件報道との関係について、取材する側の姿勢や手法なども議論になった。実際に現場で取材している立場から、多様な意見や考え方が聞けるのは参考になるし刺激になる。終了後、近くの居酒屋で飲み会。外は冷たい雨。みぞれというか氷が降っていた。冷蔵庫の中にいるみたいな寒さだ。数日前は夏日のような暑さだったのに。終電ギリギリで帰宅。


4月17日(土曜日) 学生の反応に安堵

 昼過ぎから授業。午前中に大学へ行って、学生に配る資料を印刷する。1時間以上も早く登校して準備を始めたのに、始業時ぎりぎりまでかかってしまった。

 「文章を書く」講座の2回目。先週の授業中に書いてもらった作文の中から、なかなかうまく書けているものや、気になったものなどを6本ほど選んで配布。それぞれについて講評しながら、分かりやすい文章を書くためのヒントや視点などを助言する。技術的なことはもちろん必要なんだけど、それ以上に「何を伝えたいか」「何を書きたいか」が大切だということを繰り返し強調した。

 なんだか話が散漫だった気がして、あまりまとまってなかったかなあと、少し落ち込みつつ授業を終えたのだが、学生の反応は「面白かった」「分かりやすい説明だった」「突っ込みがとても参考になった。もっと突っ込んでください」という声ばかり。そうかこんな感じでよかったのかと、ちょっと意外だった。まあいずれにしても、次回以降もジタバタと試行錯誤しながら進めていこうと思う。夕方、先輩記者と駅前の喫茶店で2時間ほど雑談。


4月21日(水曜日) 作文添削

 宿題として学生に提出してもらった作文をざっと読む。一つ一つ細かく添削することはしないが、気になった点を講評の中でアドバイスするために、大まかに赤ペンを入れていく。それと同時に、わりとよく書けているのでみんなに読んでほしいものと、あまりよくない例の代表としてあれこれ指摘するものを、いくつかピックアップする。すべてを添削してプリントするのは不可能なので、絞り込まなければならないのだが、なんだかんだで結局は8本になってしまった。予想はしていたけど、こういう作業にやっぱり一日くらいはかかってしまうなあ。慣れたら半日ほどで終わるかな。

 与えられた作文のテーマそのものについて、そのままストレートに書いてしまう学生が結構いる。何のひねりもなく言葉の説明に終始しているだけで、主張も感動させるようなエピソードも何もないのだ。これではレポートのたぐいと変わらない。このままだと話にならないので、もっとテーマからイメージをふくらませて、自分にしか書けないオリジナルの文章を展開しようと、少しヒントになるようなメモを簡単にまとめて、次の授業で配ることにした。参考にしてくれればいいけど。


4月22日(木曜日) シャッターチャンス

 一眼レフのデジタルカメラが欲しいなあと前から思っていたのだが、このところかなり真剣に購入を考えている。現在使っているコンパクト型のデジカメでもそこそこの写真は撮れるものの、やはりシャッタースピードが遅いのは致命的だ。被写体にあまり動きがない場合は、切り口や構図を工夫することでそれ相応に評価される絵になっても、動きがあるとそうはいかない。「この瞬間を切り取りたい」というこちらの思いに、コンパクトカメラは即応してくれないのだ。これでは、報道写真としては残念ながら役に立たない。

 一眼レフのフィルムカメラで撮っていた時は、シャッターチャンスを逃す心配など全くなかった。まさに以心伝心で、自分の意思をカメラがそのまま写し取ってくれた。コンパクトデジカメはそこのところが実にちぐはぐで、思った通りの表情や仕草が撮れず、もどかしさを感じることが最近は多いのだ。ここぞという狙った瞬間にシャッターが下りないのは、かなり辛いものがある。

 自分で言うのもなんだが、写真の腕前はそれほど悪くはないと思う。新聞記者時代に先輩や写真部員から幾度となくほめられたし、フリーになってからも転載使用の申し込みをいただいたことは何回もある。あくまでも本業は記事執筆で、写真はオマケの仕事みたいなものかもしれないけれども、僕が撮影した写真が印刷されて誌面に掲載されているのだ。プロとしてはもういい加減に、コンパクトデジカメでお茶を濁すのは止めにしないと。少し無理をしてでも、ちゃんとした一眼レフのデジカメを買うべきかもしれない。


4月23日(金曜日) 朝日新聞の「悪文」女性記者

 朝日新聞のテレビ番組のページを担当している女性記者に、昨年から注目している。残念ながらいい意味で注目しているのではない。もちろん「女性」という部分に関心があるのでもない。この人の書く記事がどれもこれも、毎回あまりにもとんでもないものばかりなのだ。とにかく文章がひどい。分かりにくいし読みにくいだけでなく、読み手に誤解を与えるような文章なのが特徴だ。

 何を言っているのか分からない、どれが主語だか分からない、会話で使うような言葉を無造作に混在させる、「テン」の打ち方がおかしいから意味不明になる、体言止めを連発する、話があっちこっちに飛ぶ……。挙げていけば切りがない。短い行数で注目番組を紹介する「試写室」というミニ・コラムの中に、よくぞこれだけ悪文の要素を詰め込めるものだと感心する。きょうこそはまともな文章になっているかなと、少しドキドキしながら読み始めるのだが、なぜか「期待」を裏切られたことは一度もない。おかげで、「ひどい文章の事例」がたくさん集まっているのだけど。

 それにしても担当デスクや先輩記者は、注意や指導をしないのだろうか。このまま何のアドバイスもされずに放置されるのは、かわいそうな気もするし、いったいどんな記者に成長していくのだろうと心配になる。きょうも朝刊の「記者レビュー」という欄に、この人の署名記事が掲載されていた。相変わらず、助詞や接続詞の使い方がおかしくて、ところどころすごく分かりにくい文章が展開されていたが、きょうはそれだけではなかった。記事そのものに大きな疑問を感じるような致命的な内容だったのだ。

 記事はNHKのニュース担当のアナウンサーを取り上げ、「市民の気持ちに寄り添う姿勢」を評価していた。アナウンサーの「ほほえむ姿」や「きりっと上がった前髪」をほめるのは別に構わない。しかし、それがNHKニュースの「改革派」を「応援したい」という結論にどのようにつながるのか、さっぱり分からない。アナウンサーの「誠実そう」なたたずまいは結構だけど、視聴者にとって最も重要なのはニュースの中身ではないのか。そういう本質的な部分をすっ飛ばして、唐突に「(ニュースの)改革派」などと書いてもまるで意味不明だろう。上っ面だけを見て本質に触れない記事の典型ではないか。文章が下手どころの話ではない。ジャーナリストとしての批判的な視点が、かけらもないことに愕然とした。


4月24日(土曜日) 長い文章は苦手らしい

 昼過ぎから授業。きょうも午前中に登校。学生に提出してもらった宿題の作文の中から、今回は8本を選んで印刷した。文章も内容もとてもよく書けている作文や、あれこれ指摘や助言したいと思う作文が多いので、ピックアップするのに苦労する。友達が書いた作文を実際に読みながら講評を聞くのは、自分とは違う視点や考え方も学べるなど、結構いい勉強になるはずだ。学生の反応もいいのでなるべく続けたい。宿題の作文は1200字を書いてもらったが、長くて大変だと感じている学生が多いようだ。短い字数で伝えたいことを的確に表現するのは、長く書くよりも本当は難しいんだけどなあ。でも、あまり書き慣れていない学生にとっては苦痛なのかもしれない。とりあえず様子を見るために、次回の宿題は1000字で書いてもらうことにした。


4月28日(水曜日) 普天間は日本国民全体の問題だ

 「しっかりやります」「一生懸命やっています」「任せてください」「私が責任を持って判断します」といった言葉を繰り返しながら、実際には何をやっているのかさっぱり分からない。ふらふらと右往左往して迷走しているだけにしか見えない。そんな鳩山首相にがっかりしている国民は多いと思う。これといった明確な方針を示さず、政権の中で指導力を発揮する姿が全くと言っていいほど見えてこないからだ。どの政策についてもそうなのだが、その際たるものが米軍普天間飛行場の移設問題だろう。もしかしたら、ウルトラC級の決定的な解決策があって、水面下で秘密裏にこっそりと交渉が続いているのかと想像してみたりもしたが、この期に及んでどこにもそんなものはないようだ。

 本当に期待外れにもほどがある、このがっかり感はどういうことなんだ、と鳩山首相には不信感を抱かざるを得ない。そうした鳩山首相に対するマイナスの評価を大前提とした上で、しかし、米軍普天間飛行場の移設問題は鳩山政権だけに責任をすべて押し付けてしまっていいのだろうか、とあえてここで指摘したい。

 沖縄の読谷村で開かれた県民大会に約9万人が集まり、米軍普天間飛行場の沖縄県内移設に反対する声が改めて示されたのは、これまでの沖縄の実情を考えれば当然だと思う。在日米軍基地が沖縄に集中し、負担や犠牲を一方的に強いられ続けてきたのだから、沖縄県民の心情は察するに余りある。だが、これに先んじて鹿児島の徳之島で開かれた基地移設反対の大規模集会は、沖縄への思いがどこにも感じられなかったという点で違和感が強く残った。地元の人たちの気持ちは分かるが、「長寿、子宝の島に米軍基地はいらない」というのは沖縄も同じだろう。では、どうするのか。

 普天間飛行場を沖縄県外へ移設するのであるなら、どこかが引き受けなければならない。沖縄だけに負担を押し付けておいて、うちは知らないというので話が通らないだろう。しかし、米軍基地を受け入れるのが嫌なのは、たぶん日本国内のどこもみんな同じに違いない。そうなれば国外へという話になるが、その場合は日米安保条約の是非や日米関係そのものに重大な影響が生じる可能性がある。当然のことだが、すべての結果は日本国民全員で引き受ける覚悟が必要なのは言うまでもない。そもそも米軍基地の移設は日本国民全員で考えるべき問題なのにもかかわらず、そういった議論が日本全体として真剣になされていないのがおかしいのだ。いかにも頼りなくて煮え切らない鳩山首相の姿勢には心からがっかりするが、決してそれだけに原因がある話ではない。うちは嫌だ、うちは知らないと言って、沖縄だけに負担を強いる結果に終わらせてはいけない。


4月30日(金曜日) 短くすっきり

 3カ月ぶりに髪の毛をカット。短くしてすっきりした。食料品をあれこれ買い込む。お腹が空いていた割には、あまり無駄なものを買い込まなかったのはよしとしたい。


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