身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2010年7月1日〜7月31日

●NHKは大相撲中継の中止を●クラス格差●「ザ・コーヴ」全国公開●大相撲中継の中止は中途半端だ●投票依頼●留学生の日本語能力●参院選の民主党惨敗は仕方ない●鬱陶しい「アジェンダ」●解放感●異様?異常な暑さ●「ドキュメンタリー単純化の功罪」●思い切って方向転換●採点と成績評価●記者仲間の議論●パソコンセンター●●●ほか


7月1日(木曜日) NHKは大相撲中継の中止を

 大相撲の名古屋場所開催が決まって(6月29日付「身辺雑記」参照)、本格的な準備が始まったそうだが、賭博問題を検証している特別調査委員会(伊藤滋座長=早大特命教授)は、謹慎が決まった力士や親方の名古屋入りを正式に認めたという。既にこれらの力士や親方らは、現地の宿舎で朝稽古などにいつも通りに参加しているのだとか。そんな「謹慎」処分があるのか。初めて聞いたよ。日本相撲協会に対する特別調査委員会の「勧告」とやらは、やっぱり出来レースで茶番そのもののインチキだった。甘いだの骨抜きだのといった次元の話ではなく、最初から名古屋場所を開催するという結論があって、「勧告」はそのために工夫されたアリバイ作りに過ぎなかった、と考えるのが妥当だろう。ここまで露骨で強引な地ならしを、なり振り構わず「ぐるみ」で押し進めるとは、腐り切った相撲界の体質を露呈したとしか言いようがない。驚き呆れる。

 NHKはこんな連中の画策する名古屋場所なんか中継放送する必要はない。暴力団や野球賭博に関与した人物を公共の電波に乗せないのは当然のことで、大相撲の中継中止は社会常識に合致する判断だろう。しかも昨年の名古屋場所では、親方が便宜を図った特別席で暴力団幹部が観戦し、服役中の最高幹部にNHKの中継映像を通して幹部らの姿を見せたことが問題になった。そんな反社会的な行為がまかり通っていながら、NHKが大相撲を中継する理由などない。このような状態にもかかわらず中継すれば、むしろNHKの公共放送を担う姿勢そのものが疑われかねないだろう。

 「大相撲中継を楽しみにしている国民が大勢いる」「寝たきりの高齢者にとって大相撲を見るのが生き甲斐」などとNHKに大相撲中継を求める声がある。しかしそれは本末転倒の理屈だろう。楽しみにしている人がいるからといって、何を放送してもいいことにはならない。反社会的勢力に汚染された団体の興業行為を無批判に垂れ流すのを容認すれば、それこそ「反社会的勢力に屈する」ことになりかねない。日本相撲協会が公益法人としてまともな団体になった時点で、NHKは中継を再開すればいいのではないか。日本相撲協会に甘い顔を見せるべきではない。


7月3日(土曜日) クラス格差

 午後から授業。1年生を対象にした「文章を書く」講座は、同じ内容の講義を2時限続けてやっているのだが、受講生のやる気にこれほど違いがあるのかと今日は改めて認識させられた。この日の授業では、「想像力や発想力を総動員して、与えられたテーマをいかに広げて料理するかが、文章上達の大切なカギになる」ということを、黒板いっぱいに具体的な事例を書きながら説明した。同じことを話しているのに、一方のクラスはほとんど全員が熱心にメモを取りながら授業に参加しているのに対して、もう一つのクラスはメモを取っている学生はほとんどいないし、しかも居眠りしている学生が何人もいた。これは率直に言ってかなり落ち込む。この違いは何なんだろう。同じ教材を自作して、同じように解説して講評しているんだけどなあ。理由はさっぱり分からない。毎週書かせている作文を見ると、確かに前者のクラスは、文章表現力や構成力が着実に向上している学生が目立って多い気がする。

 「ザ・コーヴ」全国公開 授業が終わってから、横浜・伊勢佐木町の映画館「横浜ニューテアトル」へ。日本のイルカ漁を批判する映画「ザ・コーヴ」がきょうから全国で一斉公開された。右翼団体や保守系の市民団体が上映中止を求めて抗議活動や嫌がらせをしているとのことで、様子を見に出かけた。午前中から続いていたという混乱は、僕が到着した夕方にはもう落ち着いていて、神奈川県警の警察官とボランティアの弁護士ら数人が警備のために残っているほか、NHKの記者やカメラマンがいる程度だった。映画を見終わった観客や劇場スタッフ、弁護士に話を聞いて、支配人にあいさつだけして、とりあえず現場を後にした。これまで何回も書いているように、この映画の内容に僕は批判的な感想を持っているが、作品を上映する自由は保障されなければならないと考える(新・風速計「『ザ・コーヴ』上映中止に反対する」参照)。それが民主主義の基本であり、表現の自由を守ることであるからだ。


7月6日(火曜日) 大相撲中継の中止は中途半端だ

 NHKが大相撲中継の中止を発表した。名古屋場所の取り組みを生中継しない代わりに、夕方の6時台に20分間のダイジェストを放送するという。なんとも中途半端な決定だなあ。暴力団とズブズブの関係にある日本相撲協会と距離を置き、相撲の「興業」に対しても厳しく対応するのであるならば、ニュース番組のスポーツコーナーの枠内で結果だけを伝えればいいだろう。そもそも野球賭博だけでなく暴力団と相撲界との関係について、本質的な検証が何も終わっていない段階で、日本相撲協会が半ば強引とも言える形で名古屋場所を開催すること自体がおかしい。そのような興業をダイジェストの形であっても公共放送の電波でそのまま流すのは、ジャーナリズムのありようとして無責任ではないかと思う。

 きのう5日に放送されたNHKスペシャル「大相撲は変われるのか」にしても、検証番組とはほど遠い期待外れの内容だった。暴力団が巧みな手口で近付いてくるのはよく分かったが、あたかも「相撲関係者は暴力団の被害者だ」と言わんばかりの発言が目立った。問題なのは野球賭博だけじゃない。親方が便宜を図った特別席(維持員席)で暴力団幹部が観戦したことについては、まるでなかったかのように扱われていた。日本相撲協会の幹部は自分たちの立場を理解しているのか、なぜ大きな顔をして居座っていられるのか、特別調査委員会(伊藤滋座長=早大特命教授)なるものはどういう立場でどこまで調査するつもりなのか、といったことまで突っ込んでほしかったが、もちろんそんな突っ込みなどなく、ありきたりのコメントに終始していた。

 本気で検証番組を放送するなら、中継中止を決めた6日か翌日の7日にきっちりやって、そこで生中継中止の背景や今後の対応についてもしっかりと説明すべきだろう。検証番組も中継中止の中身も中途半端なら、中止を伝えるNHKニュースもなぜか中途半端だった。驚くほどあっさりした伝え方だったのだ。NHKはジャーナリズム精神をもっと発揮していい。


7月7日(水曜日) 投票依頼

 選挙になると投票依頼の郵便物(はがきやニュースレターなど)や電話が与野党いろんなところからくるが、今回の参院選はいつにも増してその数が多い。それだけどこも苦戦しているということなんだろう。それにしても、個人的な友人知人から投票依頼されるのならまだしも、取材を通じて知り合った人からその手の依頼が来るとはどういうことだろうか。こちらが報道記者であることを知っているにもかかわらず、それでもなお特定の政党や個人への投票依頼をしてくるとは、これまたずいぶんと馬鹿にしてくれたものだと思う。まあいずれにしても、どこの政党や個人や団体であろうとも、投票依頼のたぐいには全く左右されることはない。過去もこれからも「はいはい分かりました」と答えて聞き流すだけだ。しかしそれはともかく、心の底から投票したいと思わせてくれる政党も候補者もなくて本当に困っちゃったなあ。


7月10日(土曜日) 留学生の日本語能力

 午後から授業。学生の宿題に目を通していたら、やっぱり今回も徹夜になってしまう。めちゃくちゃ眠い。今週は2つのクラスのどちらも居眠りする学生はいなかった。熱心に質問してくる学生が何人もいるのは、相変わらずいつもと同じクラスだったけど。

 その中に中国人の留学生がいる。日本に来てまだ1年半で、日本語の勉強は来日してから始めたという。それを聞いて正直なところかなり驚いた。確かに日本語の作文表現や言葉遣いはいろいろとおかしなところがあるが、言わんとすることはそれなりに伝わる文章になっているし、テーマの切り取り方とか構成力はなかなかうまいからだ。聞いたり話したりするのはある程度できたとしても、外国語でエッセイが書けるというのはさらにハードルが高いのではないだろうか。この留学生も「聞いて話すのはスムーズにできるが書くのはかなり難しい」とこぼしていたが、それにしてもこんなに会話ができて、わずか1年半でここまで文章が書けるようになるとは大したものだと思う。日本人が1年半の勉強で、英語や中国語の作文をこれほど書けるだろうか。少なくとも僕には無理だなあ。中国人は日本人より外国語習得の才能があるのかもしれない。


7月11日(日曜日) 参院選の民主党惨敗は仕方ない

 参院選の投開票。民主党は50議席を大きく下回る惨敗を喫し、過半数を割り込む結果となった。自民党は改選議席で第1党に。こういう結果になるのはある程度は予想できていたけれども、菅首相のまさかの「消費税発言」とその後のブレまくりの言動から考えれば、仕方ない結末かもしれない。消費税率のアップは今すぐでなくても将来には必要になるとは思うし、菅首相もあくまでも「議論しよう」と提案したのだろうが、なんでわざわざそんなことを選挙前に言うかなあ……。そのタイミングはあまりにも唐突で理解に苦しむものだった。これに対して野党各党やメディアまでが、あたかも「今すぐ消費税率を上げようとしている」かのような論調で批判を続けたのは、民主党に相当なダメージとなったと思われる。しかし敗因は決してそれだけでなく、なによりも首相自身がまともな説明をせずに、しかも言を左右にしてふらついたのが致命的だった。

 まあ、いずれにしても消費税率の問題を意味不明のタイミングで持ち出したことが、そもそもまるっきり論外だったのだ。民主党政権がやることはほかにたくさんあるし、国民が民主党にやってほしいことはほかにたくさんあったのに、何を勘違いしたんだかなあ。消費税率について議論することは悪いとは思わないけど、ものごとにはタイミングや優先順位というものがあるだろう。民意が読めないKYにもほどがある。自業自得としか思えない。いろんな意味でがっかりだ。だからといって野党のどこにも期待できないのが、これまた不幸としか言いようがない。残念すぎる。

 それから選挙前からずっと疑問に思っていたことだが、「アジェンダ」って何なんだよ。どうして「課題」ではダメなんだ。訳が分からん。みんなちゃんと意味を理解して、この言葉を見たり聞いたりしているのだろうか。最近これほど不快に感じた言葉もない。こんな言葉遣いを平気でする人物や団体は信用しない。


7月13日(火曜日) 鬱陶しい「アジェンダ」

 参院選で大躍進したからだろうが、テレビをつけると「アジェンダ、アジェンダ」とやたらに連呼する声が聞こえてきて、鬱陶しいことこの上ない。役所の無駄遣いを厳しく追及する姿勢は理解できるが、この政党が掲げる「小さな政府」は米国共和党の主張にそっくりで、どうも安心できないんだよなあ。手厚い社会保障やきめ細かな福祉行政によって、社会的に弱い立場の人たちを国がフォローする体制とはかけ離れているとしか思えないからだ。日本国民はそんな政府を望んでいるのだろうか。なんでこんな政党に支持が集まるのかなあ。

 ちなみにもう一つ。「アジェンダ、アジェンダ」と無神経に連呼しているのは、TBSテレビの「ニュース23」だ。番組内のコーナー・タイトルが「アジェンダ」と名付けられているのだが、分かりやすい言葉で事実を正確に知らせるニュース番組で、よくこんなタイトルを付けたものだ。番組スタッフが視聴者に対して、そもそも何を伝えようとしているのか理解に苦しむ。


7月17日(土曜日) 解放感

 午後から授業。「文章を書く」講座の最終回。前期の計14回の授業を通して、受講生には13本の作文を書かせた。上達の度合いはそれぞれ個人差があるが、少なくとも初回に比べたら格段に進歩の跡が見られる。文章の基本的なルールを学ぶだけでなく、「自分にしか書けない文章を書く」ことの意味を少しは分かってくれたのではないかと思う。授業を終えて書いてもらった感想にも、そこのところを印象深くとらえている学生が多かった。とまあそれはともかく、来年度まで作文の添削をしなくていいと思うと、なんとも言えないほど解放された気分になる(苦笑)。なんやかんやで毎週の添削作業は結構プレッシャーになっていたのだ。夕方から、ほかの先生たちと大学近くのレストランで、軽く飲みながら来年度の打ち合わせなど。授業でぐったり疲れ切っていたし、外はものすごく蒸し暑かったので生ビールがうまい。


7月21日(水曜日) 異様?異常な暑さ

 朝やや遅い時間に起きて水道の蛇口をひねると、生温いお湯のような水が出てくる。「シャワー用の温水に温度設定したままだったか」と確認するが、間違いなく冷水に切り替えてある。外の気温がぐんぐん上昇してあまりに高いので、水道管を通ってくる水がお湯のようになっているのだ。都心や首都圏の最高気温は軒並み35度以上の猛暑日となった。群馬県館林市では今年最高気温の38・9度を観測したという。ここ数年の夏の暑さは異常だが、今年の夏は輪をかけてまともじゃないと思う。蒸し暑さに加えて息が苦しくなるような、もわっとした重い空気を強く感じる。夏が暑いのは当たり前なのだが、以前はこんな異様な暑さではなかったはずだ。ジリジリと焦がすような太陽が照りつけるにしても、すかっとさわやかな感じの暑さだった。どう考えても異常気象としか思えないな。

 そんなわけで、駅前のドラッグストアで特売していたのを見て、首に巻き付けるクールアイスベルトを買った。冷凍庫で冷却剤を冷やして、タオル地のカバーケースに入れて使うらしい。外出先で首にまくのはちょっと躊躇するが、部屋の中で使うには問題ない。これならエアコンを止めても涼しく過ごせそうだ。どうせなら快適な睡眠のためのクールまくらも買えばよかったなあ。


7月22日(木曜日) 「ドキュメンタリー単純化の功罪」

 7月20日付の「朝日新聞」夕刊の文化面に掲載された論評記事「米映画『ザ・コーヴ』で喚起された愛国心/ドキュメンタリー単純化の功罪」(石飛徳樹記者)は、ドキュメンタリーを取り巻く状況を明解に分析していて、全くその通りと全面的に共感できる秀逸な内容だった。イルカ漁を批判したこの映画を「反日的だ」として保守系の団体が上映反対を唱えていることに対し、「映画を見た日本人の多くがむしろナショナリズムをかき立てられている。保守系団体としては上映を推進した方が得策ではないか」と、この問題の本質を端的に言い当てている。

 映画「ザ・コーヴ」は、まるで未開人のコミュニティーにやって来る「インディ・ジョーンズ」や西部劇の構図そのものだ。ずばりそう指摘した上で石飛記者は、「ヒーローの側にいる観客には面白いだろうが、未開人とされた側は穏やかではいられない、西洋人による文化帝国主義のにおいがぷんぷんする」と厳しく批判する。和歌山県太地町の漁民たちと対話しようともせず、背景を探ろうともせず、一方的に相手を悪者と決めつけるこうした手法の映画が娯楽作品として面白がられるのは、善悪を明快にして、世界を単純化して感情に訴えるからだと分析するのである。

 マイケル・ムーア監督の作品もこれと同じで、一方の側から他方を糾弾して槍玉にあげる手法は、対象を単純化する「シンプル・ドキュメンタリー」そのものだ。銃規制に反対する人たちやブッシュ大統領、大企業などを徹底的に叩くこうした作品は、日本人にも好意的に評価された。これに対して「ザ・コーヴ」では、一方的に叩かれる対象が自分たち日本人になっただけではないかと、この記事は問題の核心を鋭く突くのだった。その通りの指摘だと思う。

 伝える側の人間にも主義主張や思想はある。どのような政治的立場であってももちろん構わない。しかし最初から結論ありきで取材して、一方的に決め付けて批判するといった手法は、信頼性と説得力を著しく損なうことになる。社会やものごとを白か黒か、善か悪か二分化してばっさりたたき斬るのは、分かりやすいけれどもとても危険だ。人間も世の中もそんなに単純ではない。それぞれに言い分や事情や歴史や背景があるはずだからだ。ドキュメンタリーとかルポルタージュとはどうあるべきなのか、そもそも報道や取材って何なのかということを、改めて考えさせられる。久しぶりにいい記事を読ませてもらって得した気分になった。


7月23日(金曜日) 思い切って方向転換

 取材先の事情などから思うように取材が進んでいない。というよりも完全に足踏み状態だ。原稿の締め切りとの関係もあるので、いつまでもずるずると引っ張るわけにはいかず、ある程度の見極めが必要になってきた。編集部と相談した上で、現在のネタはひとまずペンディングということにして、ここは思い切って方向転換することにした。ギリギリの段階での「転進」である。ほとんどゼロに近いところから取材を始めるので、間に合うかどうかもさることながら、内容がそれなりのレベルのものになるか、はっきり言ってかなり不安でいっぱいだったりする。う〜ん、困ったなあ。

 日本テレビ系で放送されたアニメ「となりのトトロ」を見る。何回目の放送だよという声もあるが、いい作品はやっぱり何回見てもいいものだ。きわめて単純なストーリーなのに、こんなにも面白くて楽しくてみんなを幸せな気持ちにさせてくれるなんて、ただものじゃない。しかし今のジブリにはもう、こういう作品を作る力量はないんだろうなあ。そう考えると残念で寂しくて仕方がない。


7月26日〜27日(月曜〜火曜日) 採点と成績評価

 総合講座「平和研究」の受講生が書いたレポートの束が、大学から送られてきた。しまったすっかり忘れていたよ。そう言えばこの時期にレポートが届くのだった。そんなわけで一気に読んで採点していく。授業をしっかり聴いていた学生のレポートは、さすがにとてもよく書けているものが多い。まあ当たり前のことだけど。

 文献だかネットの情報だかを、明らかに丸写ししただけのものも残念ながら散見された。読んでいて何が言いたいのかさっぱり分からない。たぶんレポートを提出した本人も、訳が分からないまま書き写した(コピペした)んだろうなあ。出典そのものがとにかくひどくて、内容も文章も意味不明のシロモノだというのに、吟味もせずにコピペしてくるから始末に負えないレポートになるのだ。というか、きちんと理解している学生だったら、そもそもそんなものを参考文献に取り上げたりしないか。

 レポートの採点が片付いたところで、「文章を書く」講座の成績評価に取りかかる。文章の練習(トレーニング)をする授業なんだから、単位認定さえすれば成績なんかどうでもいいじゃないかと思わなくもないんだけど、評価するのも教育の一部なのでそうもいかない。ともかく優劣は付けなければならない。厄介だなあ。授業で書いてもらった13本の作文と出席状況を加味して総合的に判断した。ほとんどは普通レベルのB評価(良)で、まあまあいい感じの文章を書くA評価(優)の学生と、文章はイマイチだし宿題は出さないし欠席も多いC評価(可)がそれぞれ数人といったところである。とても素晴らしい文章をいつも書いてくるS評価(秀)の学生は1人だけだった。

 いつもながら成績評価の作業は疲れる。間違いやミスは許されないので、緊張するし神経質にもなる。マークシートの採点簿に記入を終えて印鑑を押したら、ぐったりとなった。


7月28日(水曜日) 南風

 きょうも相変わらずギラギラと照りつける太陽が、じりじりと肌を焦がして気温を上昇させたが、やや強めの南風がずっと吹いていたためか、それほど蒸し暑さを感じさせない。もちろん暑いことは暑いのだけど、強い日射しに風がとても心地よかったりする。横浜は猛暑日ではなかった。阪神タイガースが好調。独走はまだちょっと早い気もするが(以下略)。


7月30日(金曜日) 記者仲間の議論

 午後から東京・神保町。ジャーナリズムについてあれこれ語り合うジャーナリスト仲間の集まりに顔を出す。久しぶりの参加だ。取材対象との距離感をどう取るべきか、目的が正しければどんな取材でも正当化してしまっていいのか、といったことを日ごろから思案していたので、そういう悩みや課題をもっと具体的に話し合っていきたいと提案する。記者というのは孤独な存在で、信念に基づいて事実を取材して主張を貫こうとすれば、あっちこっちから批判される。そんな覚悟が必要な職業なのだ。するとA新聞を今春に退職したばかりの元論説委員の先輩記者が、「自分も全く共感する。それぞれの経験を語って議論できればいいと思う」と即座に援護の論陣を張ってくれた。僕が新聞社にいた時から、アドバイスをいただいてお世話になった方だ。同じようなスタンスだったことが何よりうれしい。実力派の記者だけに心強い存在だなあと思った。終了後、近くの居酒屋チェーン店で飲み会。


7月31日(土曜日) パソコンセンター

 夏休み期間中だけど午後から大学へ。駅からキャンパスまで歩くだけで汗だくになる。学生の姿もまばらなパソコンセンターで、取材で使う基礎データを収集して大量にプリント。なんとか閉館時刻までに作業をすべて終えることができた。印刷しながらセンターの室内の様子を何気なく眺めていると、動画サイトに接続してパソコンでアニメを熱心に見ている学生がいた。画面にちらっと映ったワンシーンだけですぐに作品タイトルと内容が分かってしまった。先日の深夜に僕もテレビで見たアニメだったからだ(笑)。なんだよみんな、勉強しに来てるわけじゃないんだなあ。レポートを書くための準備作業とかでなく、私的な楽しみに利用している学生は意外と多いみたいだ。まあ別にそれでもいいと思うけど。


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