身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2011年10月1日〜10月31日

●冤罪にまた役立たずの弁護士●原発被災者の声●冷淡なマスコミ●悪いのは東電と原子力行政だ●恫喝する政治家の説明責任●久しぶりに号泣「あの花」●防犯センサーの過剰反応●何回見ても面白い「ダイ・ハード」●危ないプロの運転手●レジュメを手直し●履修者200人に●「ふしぎなメルモ」●祭り中止で露店商も打撃●高い放射線数値に恐怖●舐め切った九電やらせ報告●安全錯誤させる東電報告●「馬鹿な奴」くらい言うだろう●無駄に長い会議●現場でつかんだ事実こそ●再質問できない会見なんて●優れた編集者●さっぱりな学生に釘を刺す●橋下擁護の猪瀬発言に唖然●映画版「君に届け」●「記者が消えた街」●原発輸出を進める無責任●汚染処理水の飲用強要に嫌悪感●●●ほか


10月1日(土曜日) 冤罪にまた役立たずの弁護士

 午後から横浜市内。県立高校の先生たちが主宰する研究会に顔を出す。この日のテーマは、国歌斉唱時の教員の不起立と個人情報をめぐる裁判の横浜地裁判決について。判決で問題なのは、なんでも職務命令になってしまう東京都の学校と違って、神奈川の場合は職務命令の位置付けがかなりあいまいであるにもかかわらず、裁判官が東京都と同じような尺度で判断してしまっていること。もう一つは、個人情報保護審議会と審査会の判断を行政が無視した行為について、きちんと審理していないことだ。いくつも論点はあると思うが、審議会や審査会の存在を否定するに等しい判決を、裁判官が平然と言い渡したことこそが最大の問題だろう。終了後、近くの居酒屋で懇親会。

◇◇

 痴漢冤罪で逮捕された県立高校の男性教員から話を聞いた。下校途中の電車内で、居眠りをしてもたれかかってきた隣の女性を、肩とかばんで押し返したら、目を覚ました女性に腕をつかまれて痴漢の犯人として駅員に突き出されたというのだ。一刻も早く解放されたくて取り調べ初日に犯行を認めてしまい、駆け付けた当番弁護士に「裁判では勝てない。示談した方がいい」と勧められて相手とは示談が成立。男性は18日間の身柄拘束の末に不起訴となって釈放されたが、県教育委員会から自宅待機を命じられた状態が現在も続いているという。生徒にも保護者にも職場の同僚にも、何の説明もできないまま待機させられているそうだ。

 それにしても、またもや役に立たない弁護士の登場だ。一方的な言いがかりと突然の逮捕に動転して、やっていなくても取り調べに対して認めてしまうケースは、これまでも多々ある。理不尽な目に遭って追い込まれた被疑者に示談を勧めるとは、あまりに安易過ぎないか。そもそもそんな異常な状況下で交わされた示談は、公序良俗に反し著しく社会正義に反さないのか。示談の撤回も含めて、徹底的に争った方がいいと僕は思うけどなあ。


10月2日(日曜日) 原発被災者の声

 朝9時過ぎに横浜を出発して、編集長の運転する車で福島県いわき市へ。午後1時過ぎに到着。原発被災者や原発設置許可の取り消し訴訟に取り組んできた関係者らに話を聞く。初日は、原発20キロ圏内の警戒区域にある自宅を脱出し、いわき市内のアパートに避難している楢葉町の町会議員のお宅を訪ねた。

 「原発事故を想定して1年に1回やっていた避難訓練は何だったのか。安全神話なんてなかったし、原発のトラブル隠しが発覚した時から東電はデタラメでウソばっかりだった。原発立地の町でおかしいことをおかしいと言い続ける議員はわずかで、大変さと虚しさがあるが、原発が大好きな町長の原発再稼働を促すようなとんでもない発言を聞くと、言い続けることにやりがいを感じます」

 1000坪の敷地に建つ100坪以上ある自宅から、わずか12坪のアパートへ。米や野菜を育てて自給自足していた畑と自宅は今では、2メートル近くの雑草でぼうぼうの状態に。隣にだれが住んでいるかも分からず、自分で買ったことのない野菜を買うなど、これまで経験したことのないような生活に戸惑っているという。

 心配しているのは子どもたちの健康だ。チェルノブイリだと強制退去になるような放射線量を測定する場所が、原発周辺だけでなくほかにもたくさんあると訴える。「いわき市のこの部屋だって放射線量は結構高いんだよ。外に出るともっと高い」。自宅に常備する放射線測定装置を見せてもらうと、測定値は0・28マイクロシーベルト/時を指していた=写真。20秒ごとに計測結果を示す数値は、日によってさらに高くなることもあるそうだ。

 夕方、宿泊先のホテル近くの居酒屋で、編集長と酒を飲みながら食事。隣に座っていた地元の人と思われる男性2人の会話が、聞くともなしに耳に入ってくる。「地震や津波は仕方ないと思うよ。だけど原発事故が想定外だなんてふざけるんじゃない。原発はオレの生活を一変させちまった」。静かな口調ながらも怒気を含んで何回もそう繰り返す男性客。憤りが痛いほど伝わってきた。


10月3日(月曜日) 冷淡なマスコミ

 朝からいわき市内で、原発の危険性を訴えてきた楢葉町の住職に会って話を聞く。大震災当日の激しい上下の揺れに、これで原発が大丈夫なはずがないと思ったそうだ。翌日になって住民全員の避難を呼びかける町の防災無線を聞き、「ああやっぱり。これはもうダメだ」と着の身着のままで逃げ出した。寺の近くにある障害者施設の入所者や職員らとともに、大混乱する国道を命からがらでいわき市に向かったという。

 慌てて逃げ出したため、愛犬の「くま」をえさも水もないまま自宅に残した。9日後に一時帰宅した時に「くま」は衰弱し切っていたが生きていた。いわき市のアパートの裏の庭が使えるので、連れて戻って犬小屋を作った。今ではすっかり元気になって、訪問客にも人懐っこい姿で甘える=写真。

 「学生アパートみたいだ」とこぼす狭い室内には、原発に関する膨大な資料や書籍が積み上げられ足の踏み場もない。40年前から原発の危険性やおかしさに気付いて、公聴会の開催を求めるなどの住民運動を始めた住職は、「やらせ質問の原点ですよ。いま問題になっている原発シンポジウムのやらせ質問は、実はこの時から既にあったんです」と話す。原発は危険だと疑問を投げかける住民の声に対し、当時からマスコミの反応は冷淡ですげなかった。原発事故の責任は、政府と電力会社、御用学者、司法、そしてマスコミにあると訴える。今回の原発事故がそれを証明した格好だ。

 スリーマイル島の原発を1回とチェルノブイリの原発を2回、それぞれ視察した。今年秋にはチェルノブイリ原発事故から25年目の視察をする予定だったが、もう出かける必要がなくなってしまった。「福島だからまだこの程度の被害だが、もしこうした原発事故が浜岡や新潟で起きたら、放射線の拡散状況や被害の程度は計りしれないでしょう。原発を止めて抜本的な対策を取らなければ、また必ず大事故が起きる。マスコミはそこを伝えるべきです」

 午前中にもう一つ取材。原発の危険性を訴える訴訟を担当し、原発事故後は東電に対する損害賠償請求など、住民の声を取りまとめて助言を続けている地元の弁護士の話を聞く。子どもたちの疎開や教育、除染、廃炉、損害賠償など、地元が直面する現状と問題点を整理して解説してもらう。

 午後から郡山市へ移動。原発から5キロ圏内の双葉町から猪苗代町へ避難し、今月から郡山市内の賃貸マンションに移った歯科技工士に会う。住まいも仕事もすべてを失い、莫大な借金だけが残る生活の切実さと、行政の問題点について話を聞かせてもらった。

 午前0時前に横浜の自宅へ戻る。


10月4日(火曜日) 資料整理

 たまった新聞を読んで切り抜き。取材資料の整理。あすの授業の準備など。


10月5日(水曜日) 悪いのは東電と原子力行政だ

 午後から授業。後期の授業2回目だったが、前回よりも受講生の数が明らかに増えている。用意したレジュメも足りなくなったし、教卓のすぐ前の席まで教室は学生でぎっしりだし。どうなってるんだ。こんなに人数が多いと出席者を把握するのは大変だから、出欠チェックするのを止めようかなあ。

 学生から「原発に賛成なんですが、レポートや試験でそう書いたら不可ですか」と質問があった。「教員の考えや意見と違っていても全然構わないし、それで不可なんてあり得ない。ただし事実に基づいて書くこと、自分の主張の根拠を示して論理的に書くことが必要。どの講義でも同じだと思うよ」と答えた。

 「福島出身なので原発の話には敏感になります。原発は関東の人のためにあるのに、原発事故にみんな大騒ぎして、福島が悪者みたいに言われる」と学生から授業後の感想。福島は何も悪くない。悪いのはウソを並べて原発を推進してきた東電と原子力行政と政治家だ。伝えるべき事実を伝えないメディアの責任は大きい。

 原発の話をすると教室がシーンとなって、学生が真剣な表情を僕に向ける。もともと僕の講義は私語がほとんどないけど、輪をかけて静まり返る。それだけ原発事故とメディアの問題について関心があるのだろう。とてもいいことだと思う。自分の頭でしっかり考えて自分の意見を構築してほしい。


10月6日(木曜日) 恫喝する政治家の説明責任

 Performaを買ってから一貫してパソコンはMacを使っている。これからも愛用し続けるつもりだ。なんといっても断然カッコいいし使いやすいから。できれば価格を引き下げて、もっと手ごろにしてほしいけど。

◇◇

 政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴され、東京地裁で初公判に臨んだ民主党の小沢一郎・元代表。裁判の最中だから国会で説明しないというのも変な理屈だ。記者会見では言いたい放題だったのだから、言いたいことがあれば法廷外でも国会でもどこでもどんどん主張すればいい。もしも言ってることが正しいのなら、むしろその方が有利なんじゃないの? 

 それにしても一方的に都合のいいことしか説明せず、自身にとって不快な質問をする記者に対して、逆に質問を浴びせかけたり恫喝したりする態度は、どうにも好きになれない。政治家(公人)なんだから冷静に誠実に、しっかり説明する責任があると思うのだが。都合の悪い質問には答えずに話をそらし、さっさと退散するのは相変わらずだ。その点は筋が通っている。

 そもそも初公判の意見陳述で、「検察という国家権力が政治家・小沢一郎個人を標的にした」「検察・法務官僚が国民の主権を冒涜した」「検察当局は国家権力を乱用した」などと、一方的な検察批判を延々と繰り返すのは見当はずれだろう。検察は何回も不起訴にしたのに対し、強制起訴したのは国民の代表として選ばれた検察審査会なのだから、この罵倒はあまりにも意味不明過ぎる。批判するなら検察審査会を正面から批判すればいい。大仰な言い回しを重ねるだけの猿芝居にしか見えない。

◇◇

 「あの花」(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)のDVD第1巻を買ってしまった。安かったし埼玉新聞が出てくるので。悲しくて切なくて、見ていて涙が出てくる脚本と演出だ。最近見たアニメや映画やドラマの中で一番泣ける。さっきまでフジテレビで放送していた「あの花」一挙再放送の6話〜8話は、これまでで一番泣けた。3話とも。


10月7日(金曜日) 久しぶりに号泣「あの花」

 「あの花」(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)再放送の最終回。久しぶりにいっぱい泣いてしまった。ぼろぼろとずっと号泣しながら見る。ええ話やった。ありがとう、バイバイ、めんま。


10月8日(土曜日) 防犯センサーの過剰反応

 駅前の某通信会社のケータイショップに、夜間に前を通るとセンサーが反応して、照明が点灯する防犯システムがあるのだがすごく不快だ。近所の民家の一軒にも設置されている。敷地内に立ち入ったり玄関に近付いたりしてセンサーが反応するなら分かるけど、公道の真ん中を歩いていてもパッと灯りがともって、こうこうと照らし出されるとびっくりする。そもそも通行人を空き巣の犯人扱いしているようで、気分がよくない。こういう過剰反応は嫌悪感を与えて反感を買うだけで、むしろ逆効果だと思うけどなあ。少なくとも商売する上では、好感度が下がってマイナスだと思うよ。


10月9日(日曜日) 何回見ても面白い「ダイ・ハード」

 映画「ダイ・ハード」はどのシリーズも何回も見てるけど、何回見ても面白いよなあ。テレビ朝日の日曜洋画劇場で、連続4週にわたって全シリーズ放送の第1夜。やっぱり面白かった。傍若無人で無神経なテレビ記者のクズっぷりもイケてるし、淀川長治さんの初回放送時のOP解説も懐かしくて和む。EDの解説がなくて、「さよなら、さよなら、さよなら」の挨拶しかなかったのは残念だったけど。ハラハラドキドキ感がいっぱいで素直に楽しめる。

 「ダイ・ハード」に出てくるクズ記者のことを、今週の講義の中でちょこっと触れてみようかな。今夜の日曜洋画劇場を見た学生もたぶん少なからずいるだろう。典型的な最低レベルのマスコミの姿が、かなりステレオタイプに描かれているけど、反面教師として分かりやすい題材になりそうだ。


10月10日(月曜日) 危ないプロの運転手

 自宅近くのスクランブル交差点を、ミニバスがものすごい勢いで右折していった。車道は赤信号に変わった直後で、横断歩道の信号が青になった瞬間だ。僕を含めて歩行者が一歩を踏み出そうとしたところだったので、危ないなあと思って見るとミニバスの車体には「ドライビングスクール」の文字が。自動車教習所の無料送迎バスだったのだ。おいおいマジかよ。運転技術と免許の取得が最大の目的なのだろうが、正しい交通ルール・マナーと安全運転を教えるための学校じゃないのか。教習の指導教官だけでなく送迎バスの運転手さんだって、生徒にマナー違反の乱暴な運転をさせないために、日ごろから身をもって安全運転を示してもらわないと困る。

 この自動車学校の公式サイトのトップに「安全運転」という言葉は一言も出てこないが、少なくとも社長挨拶のページには、「正しい交通ルール・マナーを身に付けた安全な運転者を育てることを最高の目的とする」としっかり書かれているのだから。

 運転に関してはプロ中のプロのはずなのに、最近はタクシーにもひどい運転をする運転手が見受けられる。この間なんか、歩道と車道の境がない2車線の道路を歩いていたら、後ろから来たタクシーがわずか5センチほどの脇をすり抜けて行った。これまでの経験では、タクシーに限らずどんな車でも前方に歩行者がいれば徐行し、少なくとも1メートルかそれ以上のゆとりをもって、歩行者を避けて通過するのが普通だと信じていたので、これには衝撃と恐怖を覚えた。もしかしたら居眠り運転だったのかも。ケータイで通話しながら運転する人もいまだにいるから、その可能性もあるなあ。


10月11日(火曜日) レジュメを手直し

 授業準備など。シラバスで示した講義の項目を入れ替えて、内容の一部も手直しをすることにしたので、あすの授業で配るレジュメを作り直す。意外に時間がかかってしまった。


10月12日(水曜日) 履修者200人に

 午後から授業。NHKの朝のニュースが世論調査の結果を伝えていたが、野田首相が原発利用を続けることを表明した国連演説について、どう評価するかを聞いた質問内容と結果の伝え方があまりに恣意的だったので、まずその話から始めた。「質問の仕方によって世論調査の結果は変わることを知っておこう」「どのニュースをどのような順序で伝えるかに注目しよう。伝える側の問題意識と意図が分かるから」。そんな前振りをしてから本題に入った。

 きょうのテーマは「被疑者の人権と被害者の人権」。事件・事故報道の問題点を説明する。「逮捕された人は被疑者・容疑者であって犯人ではない」「報道には推定無罪の考えが不可欠」「法律と証拠に基づいて適正な手続きで取り調べや裁判を受ける権利がある」ことについて話した。しかしどれだけ分かりやすく説明しても、まるで理解できない学生が必ず何人かいるんだよなあ。毎年のように「悪いことをしたやつに人権など必要ない」「実名で呼び捨てにされても連行されるところをさらされても当然だ」といった感想を書いてくる。今年も同様だった。もちろん問題点をしっかり把握する学生が大半なんだけど。おまけにきょうは居眠りしてる学生が2割ほどいたし。前回は居眠りも私語もほとんどなかったんだけど。そんなにつまらない話だったのかと不安になる。

 履修登録が締め切られて履修者名簿が配られた。受講者数を見て愕然とする。200人。マジっすか。学期が始まる当初は120人ほどだったのに。道理で前の方の席までぎっしり詰まっているわけだ。教務課にお願いして、来週から大教室に変更してもらえることになった。新しくて使いやすい教室だ。よかったよかった。

 同僚の先生と駅前の居酒屋へ。生ビールが美味しい。牛肉の甘辛炒めや焼きそばなど、料理も予想外に絶品。しかも安い。この店に入ったのは2回目だが、リニューアルして店内が明るくなった。店員も料理人もすべて入れ替わったんじゃないか。お薦め居酒屋リストに入れてあげよう(笑)。


10月13日(木曜日) 「ふしぎなメルモ」

 チバテレビで「ふしぎなメルモ」のリニューアル版とやらを放送しているのを見た。映像は昔のオリジナルのまま流して、声だけが別ものになっている。だったら全部オリジナル版でいいじゃん。大好きだったアニメなので、改竄されたみたいに思えて悲しい。

 あす14日は朝8時半に横浜を出発して再び福島取材。朝が早いなあ。車は編集長が運転して下さるので助かるけど(汗)。


10月14日(金曜日) 祭り中止で露店商も打撃

 朝8時半過ぎに横浜を出発して、編集長と一緒に福島県いわき市へ。常磐自動車道を走って昼過ぎに到着。この日はまず、原発事故の影響で仕事が激減した露店商の夫婦に話を聞く。お祭りや縁日で屋台を出して商売する人たちも、震災で大きな打撃を受けた。

 神社のお祭りや盆踊り大会などが相次いで中止になり、いわき市では地域の行事が昨年と比べて3分の2に減った。たこ焼きやお好み焼きを屋台で売って生活する露店商の中には、売り上げが半分ほどになった業者もいる。原発事故以降の3月から7月の間は全く商売ができない状態が続いたという。地震や津波の影響もないことはないが、放射能汚染の影響がやはり大きい。保護者が敏感に反応して、子どもを外に出すようなイベントは開催されない。学校の運動会も体育館の中での開催だ。観光客も来なくなった。

 同じように地震や津波の被害を受けた宮城県や岩手県では、自治体が率先して復興イベントで人を集めて町を盛り上げようと動いたのに対して、福島県は人を集めるイベントは開こうとしない。原発事故の影響を心配して外に出るのを避けるので、人が集まらないからだという。「この状況の違いを比べてみて下さい」

 こうした露店商の商売や生活の実態を訴えて、露店商組合の有志が損害賠償を請求するために東京電力と交渉を始めた。被害を受けたのは、農協や漁協といった大きな組織に入っている業者だけではない。補償の対象外になっている業種の人がたくさんいる。「そのことを分かってほしい」と訴える。

 お祭りや縁日の雰囲気が大好きで、屋台で子どもたちの無邪気な顔を見るのが何よりの楽しみだという。「このくじ引きは本当に当たるのけ」「馬鹿言うんじゃねえって」。そんな会話を子どもたちと交わせなくなるのがたまらない。娘さんの通っているいわき市内の小学校では、地表から1メートルと1センチの地点と職員室内で放射線量を測定して、月曜から金曜まで毎日メールで知らせてくれるという=写真。「学校に行っても友達と自由に遊べない。子どもたちを見ていると、いつも何かにおびえて敏感になっているように感じます」と話していた。

 川俣町を経由して福島市内へ。夕方から、市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」で活動する主婦に会う。ネットワークの事務所には、ひっきりなしに問い合わせや打ち合わせの電話がかかってくる。そんな多忙な中の取材だった。行政が全くやろうとしない小中学校の校庭の放射線測定を、保護者グループが独自に実施し、測定された高い数値のデータをもとに除染や避難を働きかけるといった活動の様子を聞いた。

 この日の取材が終わったのは午後10時近く。ホテル近くの割烹居酒屋で酒を飲みながら遅い夕食を取る。隣に席にいた初老のおっさんが突然、「あんたら福島県の人間じゃないのか。よその人間が物見遊山で福島に来て、原発原発って大げさに騒ぐんじゃない」などと絡んできたので閉口した。見るからに酔っ払いなので適当にあしらって、さっさと退散したが気分が悪い。こちらが取材記者であることは知らずに、会話の中に出てきた「原発」という単語を耳にして反応したようだが、見ず知らずの他人の会話に勝手に割り込んでくるなよ。東電の下請け業者か関係者だろうか。不愉快だ。


10月15日(土曜日) 高い放射線数値に恐怖

 朝10時に福島市内のホテルを出発して、車で川俣町〜飯舘村〜浪江町へ向かった。川俣町を過ぎて飯舘村に入ったその瞬間、それまで0・12マイクロシーベルト/hとか0・23マイクロシーベルト/hといった小数点以下を示していた放射線測定器(日本製の簡易型放射線チェッカー)が、いきなり3・56マイクロシーベルト/h〜4・47マイクロシーベルト/hといった数値を示し始めた。飯舘村に入っただけでこんなに測定値が違うのかと驚く。10月2日に取材した楢葉町の町会議員が「避難先のいわき市内の自宅アパートでは室内でも0・28マイクロシーベルト/hもある」と語っていた(10月2日付「身辺雑記」参照)が、そんなのは全然かわいくて低い数値じゃないかと思えてしまう。東京都世田谷区弦巻の区道で高い放射線量が検出された、と大騒ぎになった3・35マイクロシーベルト/hを超える数値だ。飯舘村役場の前では5・05〜5・65マイクロシーベルト/hを示していた=写真。

 飯舘村は無気味なほど静まり返っていて人の姿が見当たらない。すれ違った車は一台だけ。田畑は放置されて荒れ果て、ビニールハウスもぼろぼろ。朽ち果てたような民家も目立つ。さらに車を走らせると測定値はどんどん上がり続けて、浪江町に入る手前の地点に差し掛かると、放射線測定器の数値は14・77マイクロシーベルト/hにはね上がった。それ以降もずっと13・54〜12・23マイクロシーベルト/hあたりを示し続ける=写真。10・00マイクロシーベルト/hを下回る気配がまるでないことに恐怖さえ感じる。こんな高い数値を目の当たりにしたのは初めての経験だ。大丈夫なんだろうかと不安になった。

 あっちこっちに「防犯カメラ作動中」「重点パトロール地域」などと書かれた看板が目立つ。空き巣を警戒してのことだろう。すると前方に防護服に身を包んだ警察官の姿が見えてきた。大型車両を横付けして国道を封鎖している。「この先は立ち入り禁止だからすぐに引き返せ」と大きく手を広げて制止された=写真。周辺の写真を撮ろうとすると、「写真撮影はメディアも含めてすべて認めていない」と言われてしまった。公道からもダメだという。軽く抗議したが、ここでトラブルを起こしても仕方がないのであきらめた。直前に車内から数枚撮影しておいてよかった。

 磐越自動車道の船引三春ICの手前のラーメン屋で昼食。刻んだネギがたっぷりと器を覆い尽くし、あとは縮れた麺とチャーシューとメンマだけ。澄んだスープは味がしっかりしていて、シンプルだけどすごく美味しい=写真。塩とチャーシューが決め手になっているような気がする。こういうラーメンは東京や横浜にはないんだよなあ。また食べに行きたくなる忘れられない味だった。

 高速を走って矢祭町へ。アユやヤマメなどの河川や湖沼の魚を扱う「内水面漁業協同組合」の代表者から話を聞く。福島県内の河川や湖沼に放射性物質がまき散らされて、高い数値のセシウムが測定された場所は禁漁になった。しかし放射性物質の数値が低く解禁となったところにも人は来ない。「ふくしま」と名前がつくだけで敬遠され魚も売れない。昨年の10分の1しか人が来ないので漁協は成り立たないのだという。

 除染した水はU字溝に排水されて川や海に流れ込むので、川や海の放射線レベルが下がることはない。職業として漁業に従事する海の漁師と違って、内水面はレジャーと見られることが多いが、ふるさとの川は地元の内水面漁協が守って維持している。県や国に面倒を見てもらわなければ存続できない、と危機感を募らせる。「崖っぷちどころか崖を転がっている状態だ。一刻も早く東電に補償してもらいたい」と強調した。


10月16日(日曜日) 舐め切った九電やらせ報告

 九州電力玄海原発のやらせメール問題で、第三者委員会が指摘した佐賀県知事側の関与を最終報告書に盛り込まなかったことについて、枝野経済産業相は「九電の感覚は理解不能だ」と批判。第三者委の委員長の郷原信郎弁護士も「率直に言って論外」などと痛烈に批判している。

 九電に限らず電力会社は国民を舐め切っている。原発事故後しばらく頭を垂れるフリをしていたのが、最近またまた増長し始めたのは、独占企業らしい彼らの本性そのもの。電力会社は地域に一つしかなくほかに選択の余地がないので、最終的にはうやむやになると高をくくっているのだろう。事実、カネとウソで塗り固めた強引な原発建設や事故の隠蔽・改竄工作などにしても、これまでやりたい放題だったわけで、これこそが電力会社と原発のデタラメさの本質だと言っていい。そんな腐り切った組織にこれほど危険な原発を委ねるなんて、ナントカに刃物としか言いようがない自殺行為だ。


10月17日(月曜日) 安全錯誤させる東電報告

 最近やっとデジタル一眼レフを使いこなせるようになってきた。説明書を何回読んでもダメだ。やっぱり実際に取材現場で失敗しながら何回も撮影しなければ。

◇◇

 「東京電力は、福島第一原発1〜3号機で再び炉心が損傷する確率は、約5千年に1回とする試算結果をまとめ、原子力安全・保安院に報告した」(読売)んだってさ。

 これは酷い。明日にも大地震が起きる可能性はあるのに、あたかも当分は安全だと錯誤させるかのような報告じゃないか。そもそもこの報告に何の意味があるんだ。馬鹿にしてるのか。電力会社は本当に国民を舐めてるとしか思えない。全く懲りない連中だなあ。激しい怒りが湧いてくる。


10月18日(火曜日) 授業準備

 授業の準備。レジュメや資料などを用意。資料整理など。


10月19日(水曜日) 「馬鹿な奴」くらい言うだろう

 何年ぶりかで産経新聞を買ってしまった。平野復興担当相の「逃げなかった馬鹿な奴いる」発言で、大はしゃぎ紙の面を作っていると聞いたので検証のために購入。1面・総合面・社会面で大展開していた。友人の死に際して「馬鹿な奴」くらいのことは言うだろうに、言葉尻をとらえて大々的に非難するような話だろうか。鉢呂経産相の「死の町」「放射能」発言に対する常軌を逸した報道を反省もせず、全く懲りない新聞社だ。ここぞとばかりに騒ぐ野党の面々も、ほかにやるべきことは山積しているはずだろう。もっと本質的な政策論争をしなよ。

 せっかく百円も出して産経新聞を買ったので、久しぶりにじっくり読んでみたが、ぶったまげる記事のオンパレードに噴いた。新聞というより機関紙だよなあ。もちろんそんなことは前からよく知ってることだけど、改めて仰天させられる。平野復興担当相の発言を懲りずに叩きまくる姿勢も、さもありなんだなあ。

◇◇

 午後から授業。きょうから大教室。広くてゆったりして使いやすい。学生にも好評。居眠りする学生もわずかだった。ピントのずれた感想を書いてくる学生が何人かいるのは相変わらずだけど、あまり気にしないことにしよう。

◇◇

 やっぱり「ブラタモリ」は面白いなあ。NHK総合テレビのブラタモリスペシャル「渋谷編・超拡大版」75分。今年3月末の放送を再編集したものだという。中学高校時代は渋谷で育ったようなものなので、なおさら渋谷の町の変貌が興味深かった。すり鉢状の谷底の地形にも納得。たっぷり堪能させてもらった。11月10日から第3シリーズが始まるそうで、そっちも期待している。


10月20日(木曜日) 無駄に長い会議

 午後から都内で「冤罪ファイル」の編集会議。延々と6時間も続いて無駄に長い。必要以上に会議をだらだら続けるような会社や組織は…。まあいっか。終了後、放射線測定器を物色しようと秋葉原に立ち寄る。先日の福島取材の際に、出版社が用意してくれた測定器の威力を目の当たりにしたので、僕も個人的に入手したくなったのだ。大手の某家電量販店では「ネット上では販売していますが店頭では扱っていません」。遅い時間だったため、残念ながら他店の様子はほとんど見ることができなかった。改めて出直そうと思う。


10月21日(金曜日) 現場でつかんだ事実こそ

 午後から都内。早稲田大学で、NHKのETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故2か月」(今年5月15日に放送)を取材・制作した七沢潔さん(NHK放送文化研究所主任研究員・ディレクター)の話を聞く。志のある学者と連携してどのようにアプローチしたのかといった報道実務のノウハウのほか、伝えるべき情報を伝えないメディアの責任や、「現場に入ってつかまえた事実を提示することこそがわれわれの使命ではないのか」という問題提起など、たくさんの示唆に富んだ話が聞けた。視聴者の反響と世論の支持によって、原発報道に対する局内の風向きや流れが少しずつ変わってきたそうで、やはりいい番組を作って共感を得ることが、何よりも大きな力になるのだと改めて思った。

◇◇

 きょう10月21日付の朝日新聞に掲載された意見広告「選ぶべき道は脱原発ではありません」には絶句した。広告主は公益財団法人・国家基本問題研究所。4段組みで、理事長の櫻井よしこ氏の上半身写真を大きく掲載し、「日本の原発技術は優秀だ」などと強調する。福島第一原発の事故からわずか7カ月だというのに、ここまで堂々と開き直って大声を張り上げることに唖然となる。原発推進派の巻き返しがいよいよ始まった。


10月22日(土曜日) 再質問できない会見なんて

 記者会見での質問で「一人一問」なんてあり得ないだろう。相手の答えに対してさらに突っ込んだ再質問をしてこそ、会見の意味があるわけで、再質問が全く許されず、一方的な答えを聞きっぱなしで終わってしまうことになれば、会見は都合のいいことだけを承る場に終わりかねない。疑問点があれば改めて問いただすのは、取材の基本動作だ。

 もちろん、まるで異なる質問をあれもこれもと一人の記者が続けるのは、共同の記者会見では確かにふさわしくないとは思う。記者会見であるにもかかわらずろくに質問もせず、自説を延々と並べ立てて演説するのも論外だろう。相手に存分に語らせて、言葉を引き出すのが取材なのだから。

 だが、最初の質問に関連して再質問することを、進行役の司会者が「ルール違反」として杓子定規に遮るのは、ものすごく違和感がある。そもそも「だれのために何のために質問するのか」を理解していないとしか考えられない対応だし、取材のイロハを踏まえていない進行だとしか思えない。質問への答えに関連して疑問点を問いただすのは、取材の基本中の基本だ。記者会見を宣伝や広報の場にしてはならない。


10月23日(日曜日) 花粉症の症状

 鼻がむずむずして、くしゃみが止まらない。これって季節外れの花粉症? もしかしてまさかの花粉症か。それともただの風邪気味かな。とりあえず鼻炎の薬を飲んで、とっとと寝る。

 【追記】一晩ぐっすり寝て起きたら、花粉症らしき症状は治まっていた。よかったよかった。鼻風邪だったか。


10月24日(月曜日) 打ち合わせ

 横浜市内。夕方から横浜駅前の小料理屋で、編集長と原稿の打ち合わせ。などと言いつつ打ち合わせは20〜30分ほどで、そのあとの3時間は盛り沢山の刺し身などを肴に、白ワインを飲みながら雑談三昧。仕上げに稲庭うどんを食べる。楽しくて美味しかった。

◇◇

 「横浜の新球団名が『横浜モバゲー・ベイスターズ』となることが決定的となった」(スポーツ報知)ってマジっすか。唖然呆然。それにしても酷いネーミングだ。正気かよ。露骨過ぎる商魂にもほどがある。と言うかファンが可哀相過ぎるだろ。とまあそんな感想しか浮かんでこないのですが…。


10月25日(火曜日) 優れた編集者

 ツイッターで漫画家さんがつぶやいていたコメントから。一人の漫画家さんは、<有能な編集さんだとやる気出るよね>と発言。そして別の漫画家さんは、<「褒め上手」「思い切ったことをやるように勧めてくれた人」「やる気を出させるのが上手い人」「合いの手上手な人」「映画や小説に詳しい人」「取材や資料の手配が迅速な人」がこれまで出会った優れた編集者さんです>。なるほど。全く同感。これは漫画家に限らず、小説家やライターなどすべての執筆者にとっても、いい編集者の条件だと言っていい。もちろん当然のことながらこの逆が、執筆者のやる気をなくさせるダメな編集者と言うことになるわけだけど、でもそういうダメな編集者はけっして少なくないのがミソなんだよなあ。残念ながら。


10月26日(水曜日) さっぱりな学生に釘を刺す

 午後から授業。かなり余裕をもって登校したので、レジュメや資料などの印刷も慌てることなく完了。でもって講義の方は相変わらず、しっかり聴いてきっちり理解している学生とさっぱりな学生とが明確に分かれている。私語は一喝すればその後は静まり返るから問題はないのだが、当たり前のように1時間以上も遅れてくる学生についてはどうしようもない。出席カードを配りながら、「感想や質問はすべて読ませてもらっている。見当外れのいい加減なコメントは、読めば講義を聴いていないことがすぐに分かる。自己責任だからそれでも構わないけど、しっかり聴いていないと期末試験の論文はたぶん書けないと思うよ」と釘を刺しておいた。効果てきめん。適当なコメントがぐっと減った。現金な連中だなあ(笑)。

 横須賀で親友と久しぶりに飲んだ。互いに記者としての価値観を共有するところが多いので、以心伝心でダイレクトに話が通じる。あれこれと愚痴をこぼしながらも、ジャーナリズムや新聞記者の仕事のこれからについて、青臭く語り合った。


10月27日(木曜日) 橋下擁護の猪瀬発言に唖然

 東京都副知事で作家の猪瀬直樹氏が、ツイッターで橋下大阪府知事を擁護したコメントには呆れた。傲慢な上に視点がずれているのでいつも呆れているが、いつにも増してこれはひどい。「最近、橋下府知事へのバッシングが増えてきた。日本独特のムラ的な平衡感覚が滲み出てきたが、出る杭である尖った男を潰してはいけない。出る杭を失った後で、その損失に気づいても遅い」というのがその発言だ。そもそも「出る杭」「尖った男」だなんて言葉で表現すること自体がおかしい。そんな立派なポジションではないだろうに。さらに「出る杭を失った後でその損失に気付いても遅い」にいたっては悪い冗談としか思えない。馬鹿も休み休み言ってほしい。

 大阪府知事の橋下徹氏は憲法や民主主義の理念を履き違えて、多数決がすべてだと公言してはばからず、さらには教育の政治的中立も根底から否定してきた。刑事弁護のイロハさえ知らない自称弁護士でもある。存在自体が反社会的だと言えるのが橋下府知事だ。独裁の必要性を是認し、選挙で選ばれたのだから何をやってもいい、などと堂々と主張する橋下氏のような人物には、心底から戦慄を覚える。まさにヒトラーの再来そのものではないか。

 唯我独尊の言動で知られている東京都知事の石原慎太郎氏でも、ここまでひどいことは言わなかった。まだ節度が感じられる。それだけに橋下氏の突出した異常さと異様さは際立っている。そういう人物を「出る杭である尖った男を潰してはいけない」などと擁護して支持する猪瀬直樹氏は、橋下氏と同類であることを改めて鮮明にしたと言える。前から同じ臭いは漂わせていたが、いよいよ周波数が同調してきたのだろう。お里が知れるとはこのことだ。

 猪瀬氏ほどまではひどくはないが、本日27日付の朝日新聞の教育面を読んで、作家の乙武洋匡氏にも似たような臭いを感じた。教育への政治介入の問題点に全く言及することなく、橋下府知事の教育政策について「面白い問題提起だと思う」「議論に巻き込む狙いだと感じる」などと肯定的に評価していたからだ。教育現場が抱える多くの課題は、もちろんしっかり議論されなければならないが、それに便乗するように政治介入を繰り返す橋下発言の背景や、歴史的経緯を考慮しないコメントには、底の浅さしか感じられない。


10月28日(金曜日) 映画版「君に届け」

 日本テレビ系の金曜ロードショーで映画「君に届け」を見た。アニメ版があまりにいい出来だったので一抹の不安があったが、映画版もなかなかよかった。爽子を演じた主演の多部未華子さんがかわいかったので、もうそれだけでもよしとしたいくらいだが、作品としても丁寧に作られていた。しかしそれゆえに残念だったのは、2時間の番組枠しかないので大幅にカットされていたことだ。CMのを考えると正味の放送時間は1時間半ほど。30分以上のシーンがカットされたことになる。テレビだから仕方ないけど、ぶちぶちに切り刻まれて話が飛びまくっていたのが惜しい。レンタルビデオ店でDVDを借りてちゃんと見てみよう。


10月29日(土曜日) 「記者が消えた街」

 きょう29日付の朝日新聞のオピニオン面に掲載された「記者が消えた街」は、興味深くて読みごたえのあるいい記事だった。「経営不振から地方紙が撤退した街で、公務員の不祥事や投票率低下などが起きている。記者の取材が絶えて住民が頼るべき存在を失ったからだ」。取材空白域の実態を調査した元米誌記者へのロングインタビュー。権力を監視する役割を担う存在がいなくなったことで、民主制度を揺るがす事態が進行している現状と損失に、警鐘を鳴らしている。記者としても一人の市民としても考えさせられる。教材としても使えると思った。講義で学生に資料配布するつもりだ。


10月30日(日曜日) 原発輸出を進める無責任

 日印外相会談で、インドとの原子力協定交渉の締結を進展させることで一致。さらに野田首相はベトナムの首相との会談で、原発2基の建設計画に技術協力することで合意する。野田政権は原発輸出の再開を着々と進めている。あれだけの深刻な原発事故を起こし、今もなお収束の目処さえ立っていないというのに。むしろだからこそ、「原発は現状では人類には制御が困難な存在です。日本の優秀な最先進技術でもコントロールできません。本当に申し訳ないですが、そんな危険な技術を貴国に輸出することはできません」と相手を説得すべきだろう。それこそが原発事故を起こした国の責任だと思うのだが、やってることはまるで正反対だ。経済よりはるかに大切な国家としての尊厳や気品や矜持にかかわる話ではないのか。


10月31日(月曜日) 汚染処理水の飲用強要に嫌悪感

 園田康博・内閣府政務官は、政府と東京電力の統合記者会見で、フリー記者数人による再三の要望に応じ、福島第一原発の5・6号機の建屋地下にたまっていた低濃度汚染水を浄化処理したとされる水を飲んだ。東電はこの処理水を発電所の敷地内に散水しているという。

 飲料用の水ではないものをなぜ飲まなければならないのか。まずそこに強烈な違和感がある。それにこの水が原発内で採取され処理された水であることは、いったいどうやって証明できるのか。しかもこれを飲んだからといって、安全性が確認されたことになるのかはなはだ疑問だ。にもかかわらず、記者会見の場で「安全なら飲んでみてはどうか」と再三にわたって迫ることにどんな意味があるというのだろう。小学生のいじめと変わらないじゃないか。傲慢不遜な態度に不快感と嫌悪感しか抱かない。

 そもそも記者会見は、相手を威嚇したり恫喝したり糾弾したりするような場ではない。取材対象に質問して発言を引き出すことで、先方の人柄や矛盾や問題点を浮き彫りにするのが最大の目的だ。記者会見に限らず取材活動とはそういうもので、相手をやり込めて論破するのは議論やケンカであって取材ではない。質問と糾弾の意味を取り違え、取材とディベートとの違いが理解できないレベルの低さには呆れてしまう。記者活動のイロハさえ知らない一部の自称フリー記者・自称フリージャーナリストの「取材ごっこ」は、記者全体の質にまで疑問を抱かせることになって迷惑なだけだ。


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