身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2011年4月1日〜4月30日

●念願の納豆が!●納豆に日常を感じる●東電は町会長も接待●取材ノートの「立証」●こどもでしょうか●きりぼし納豆●宮城県で震度6強の余震●初回の授業は混乱しそう●斉藤和義「ずっとウソだった」●藤波心ブログその2●納豆が店頭にたくさんある!●これがこの国の現実だ●もしも原発事故がなかったら●「何を今さら」のレベル7●脱原発宣言の城南信金にあっぱれ●今回ゲットしたのは十勝納豆だ●徹夜で作文添削●履修者制限で抽選●なぜか納豆の価格が高騰●それでも原発賛成が過半数●帰ってきた「おかめ納豆」●昼下がりの駐車場で●喫煙や放火も!●「ぴあ」7月で休刊に思う●徹夜明けなのに冴えてる講義●納豆イチオシは「なめ茸おろし」●夜中に見かけた怪しい男●便利さと不便さと●ずっしり重い大震災縮刷版●花粉・黄砂・放射能の三重苦●迷惑メールの誤認を避けるために●●●ほか


4月1日(金曜日) 念願の納豆が!

 やっと納豆が買えたっ(エイプリルフールのウソではなくて本当です!)。朝早くに並んだわけじゃなくて、夜の8時近くになってスーパーに行ったのに、まだたくさんあった。駅前の個人商店っぽい小規模の店なので、たまたま残っていたのかもしれない。横浜市西区にある聞いたことのないメーカーの納豆で、しかもかなり割高(通常価格と比べて1・5倍〜2倍くらい)だったけど、思わず3つも買ってしまった。「遺伝子組み替え大豆は使用しておりません」と書いてあるからまあいいか。あすの朝食は約3週間ぶりに納豆だ。マジでうれしい(感涙)。

 念のためにほかの大手スーパーや中規模スーパーなどをいくつか回ってみたが、いつものようにどこも朝のうちに完売したようで、納豆コーナーは空っぽだった。ちなみに大手や中規模の店では、あの有名な「おかめ納豆」が通常価格で売られているらしい。「お1人様1パックずつでお願いします」という制限はあるそうだが。まあとりあえず納豆が無事に手に入って、よかったよかった。

◇◇

【おことわり】今回の地震災害について、この「身辺雑記」ではこれまで「東北関東大地震」としてきましたが、政府が閣議で「東日本大震災」という名称を正式に決めたことから、今後は「東日本大震災」の名称に統一することにします。


4月2日(土曜日) 納豆に日常を感じる

 そういうわけで約3週間ぶりに、朝食に納豆を食べた。よくかきまぜてタレとからしを入れて、白いご飯の上にどばっと載せて、味付け海苔と一緒にほお張る。特段ものすごく美味しいというのではないけれど、それでもやっぱり味わい深い。ほっとする。これでようやく日常が戻ってきたという感じだ。

 それにしても、やっぱり高いよなあ。納豆といってもいろんな銘柄があって、販売される日によって価格はかなり変動するが、定番中の定番といっていい「おかめ納豆」は、普段なら3個パック(1個40グラム)が68円〜98円で売られている。だいたい88円あたりが多い。ほかのメーカーの銘柄にしても、高くて120円前後といったところか。これに対してきのう買ったものは、2個パック(1個40グラム)が138円で、1個(80グラム)だけのものが108円だった。さすがにちょっと高過ぎる。

 納豆が品薄になっている原因は、東日本大震災で製造工場がダメになっただけではなくて、材料不足や停電などの影響もある。そのほかに、納豆の容器が足りないこと、パックを包むフィルムやインクの供給が滞っていることも大きな打撃になって、なかなか元通りには出荷できないのだという。納豆を生産する工場だけの問題ではないんだなあ。それはとてもよく分かるが、生産を再開した「おかめ納豆」(タカノフーズ)にもできるだけ頑張ってもらって、少しでも早く安定した供給ができるように期待したい。

 ちなみにうちの近所のスーパーや駅前の大手スーパーで手に入りにくいのは、納豆のほかは、冷凍ご飯、菓子パン、ミネラルウォーターといったところだ。なかなか入荷しないし、入荷してもすぐに完売してしまう。商品はたくさん並んでいるが購入数が制限されているのは、ティッシュペーパー、トイレットペーパー、ペットボトル(2リットル)のお茶、牛乳など。カップ麺の不足はない。


4月3日(日曜日) 東電は町会長も接待

 新聞記者になって間もないころの僕の経験として、「東京電力の記者接待」(3月31日付「身辺雑記」参照)について書いたところ、千葉県内の大学の先生から、「東京電力は地域の世話役である町会長(自治会長)にも、似たような懐柔策を行っています」とのメールをいただいた。

 千葉県内のある市。ブロック別に組織されている町会長会の一つでは、研修旅行(と称する親睦旅行)の行き先が福島原子力発電所だったという。「どうして原発見学なのか」との質問に対して、事務局(市役所支所)は、「東電が旅行費用の一定割合を負担してくれるので、自己負担が少なくて済むからだ」と回答したそうだ。少なくとも2004年度から2006年度までは、福島原発が研修旅行先になっていたことが確認されている。「ほかの市町村でも同様のことが行われていたのではないかと推測されます。記者だけでなく、地域の世話役をも懐柔する作戦が行われていた例の一つです」とメールには記されていた。

 この市内や県内に原発はないし、原発建設が予定されているわけでもない。原発にほとんど縁のないほかの地域でも、町の世話役とされている人にしっかりアピールすることで、「原発は安全だ」と認識させて、原発への親近感を持たせようということらしい。少なくとも原発に対するアレルギーや恐怖感は、払拭させられると踏んでいるのだろう。したたかで露骨な世論操作である。

 莫大な広報予算が使われていることから、原発にそれだけ「うまみ」があるのは容易に想像できる。なぜこんなに危険なものを次々に作ろうとするのか、なぜここまで必死になって、しかもカネに糸目をつけずに強引に原発建設を進める必要があるのか。それ相応の利権があるということだろう。

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 月刊「都市問題」4月号(東京市政調査会)に、ルポ「がんじがらめの学校現場/『管理と統制』に沈黙する教師たち」を書きました。都立高校が舞台の中心です。関心がある方は、全国の書店や図書館などで手に取って読んでみて下さい。なおこの記事は、今月下旬以降には「日経テレコン21」(有料会員制)にコンテンツ提供されるとのことです。


4月4日(月曜日) 取材ノートの「立証」

 東京都教育委員会の強権的な管理体制を、現役校長時代から批判し続けている都立三鷹高校の元校長・土肥信雄さん(2009年7月23日付「身辺雑記」参照)から久しぶりに電話があった。都教委を相手に起こした行政訴訟の中で、都教委側が事実と異なる主張をしているので、反論するための裏付けが必要だという。

 問題となっているのは、土肥さんが5年前に都教委から事情聴取された日時と内容。僕は5年よりずっと以前から、土肥さんとは取材で何十回も会ったり電話で話したりしているのだが、5年前の事情聴取について覚えていないかというのだ。記憶にもしっかり残っているが、当時の取材ノートを見れば正確なメモがあるはずだ。確かめてみると、土肥さんと会った時間や場所のほか、事情聴取された内容について語った土肥さんの言葉が、すべて詳しくメモされていた。事情聴取が終わってほんの数時間後に土肥さんは僕と会っているのだから、聴取された日時を間違えるはずがないし、聴取の内容を本人が勘違いして話すことも考えにくい。

 都教委側の主張は、取材ノートの内容と完全に矛盾する。先方の証言のつじつまが合わないことが、これで立証できるという。さっそくこの事実をもとにして、担当弁護士は最後の陳述書を作成するということだった。力になれてよかった。裁判は次回の口頭弁論で本人尋問が行われ結審する予定。

 【取材内容の報道目的以外の使用に関する判断(メモ)】今回の情報提供と協力は、ほかの人から聞いた内容を第三者に伝えるのではなく、土肥さん本人が僕に話した内容を土肥さん本人に事実として伝えるということになる。よって、個人情報の流用や漏洩には当たらないし、記者としての守秘義務(情報源の秘匿)違反にも当たらないと考えられる。取材協力者に対する本人情報の提供(事実確認)なので、取材内容を報道目的以外に使用するといったケースには該当しないと判断した。

 ただし、取材ノートをコピーさせてもらえないかとの依頼については、申し訳ないが丁重にお断りさせていただいた。取材ノートや取材メモには、話を聞いた内容をそのまま記録しているだけではなく、取材記者の判断や考えなどが反映されている。記者が命がけで守るべき存在だと言ってもいい。それをそのままの形で第三者に提供してしまうと、報道の独立性が守れなくおそれがある。これらの記者としての職業倫理については、可能な限りていねいに説明して理解していただいた。

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 きょうも無事に納豆を確保することができた。前回と同じく駅前の小さなスーパーで購入。横浜市西区の有限会社が製造販売する2個パックの納豆だ。価格はかなり割高だけど、これしか手に入らないし味は悪くないからまあいいか。納豆界の頂点に君臨する「おかめ納豆」は、どこのスーパーでも相変わらず品薄の状態が続く。菓子パン売り場も商品がなくて閑散としている。その代わり、冷凍ご飯が大量に入荷されていた。価格もふだん通りだった。


4月5日(火曜日) こどもでしょうか

 「心配だね」っていうと「大丈夫」っていう。

「怖いよね」っていうと「不安を煽るな」っていう。

「安全かな」っていうと「ただちに影響はない」っていう。

「ひどいね」っていうと「こんな時に批判するな」っていう。

「逃げようか」っていうと「この非国民め」っていう。

そうして、あとでさみしくなって、

「どうしよう」っていうと「マスコミが悪い」っていう。

こどもでしょうか、いいえ、思考停止です。

◇◇

 駅前のいつものスーパーで、いつもの納豆2個入りパックを1つ確保する。もう当分の間はこのパターンでいいや。品薄になっている「おかめ納豆」は、しばらくは無理だな。あきらめた。

 しかしきょうは、別のスーパーでちょっと変わった納豆を見つけた。この店の納豆の棚はいつものように空っぽだったのだが、隅っこに2つだけ残っていたパックが目に入った。すぐ隣の棚に並んでいる豆腐とは明らかに違う。手に取ってみると、そこにはこう書かれていた。「茨城名産/味付きりぼし納豆/ごはんにお茶漬におつまみに」。な、なんだとーーっ。「きりぼし納豆」ってなんだ。こんなの初めて見たぞ。だがこれは確かに納豆だ。切り干し大根を細かく刻んで、超小粒の納豆と混ぜてある。売り場のポップには「大根のシャキシャキした触感と納豆の味わいをお楽しみ下さい」と書かれていた。珍しさに興味を引かれて、130グラムで198円と値段も手ごろだったので、ついつい買ってしまった。食べてみての感想はまた後日にでも。


4月6日(水曜日) きりぼし納豆

 きのう買った「茨城名産/味付きりぼし納豆」を朝食で食べた。ううーん、ちょっと微妙。確かに切り干し大根のシャキシャキした触感があるが、あまりにもその触感と存在が際立ち過ぎて、もはやこれは納豆とは言えないような気がする。しかも、しょっぺええ。お茶漬けには合うのかなあ。3口ほど食べたら、もういいやって感じになった。納豆を食べた気が全くしない。もちろん人それぞれの好みがあると思うけど、ごめん、僕の口には合わなかった。


4月7日(木曜日) 宮城県で震度6強の余震

 午後11時32分ごろ、宮城県で震度6強の揺れを観測。東日本大震災の余震と考えられるそうだ。横浜は震度2〜3くらいだったが、それでもぐわんぐわんという感じの気持ち悪い揺れ具合で、しかもかなり長く揺れ続けたので怖かった。どうも最近の地震は揺れ方が不気味なので心臓によくない。横浜はともかく、宮城県の沿岸には津波警報が発令された。東北の広範囲で停電するなどの被害が出ているという。

 やはり心配なのは原発だ。福島第一原発、第二原発はこの地震による異常は確認されていないというが、東北電力の東通原発(青森県東通村)と日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)は外部電源がダウンし、非常用発電機が起動して冷却機能を維持している状態。東北電力の女川原発(宮城県女川村)は外部電源3系統のうち2系統が停電で使えなくなったが、1系統は稼働しているという。いずれにしても綱渡りのようにしか思えない。津波警報は午前1時前に解除されたが、もしまた津波に襲われたら、もっと大きな揺れが来たら持ちこたえられるのだろうか。

 福島第一原発だけでも手に余る危機的状況だというのに、さらに制御不能に陥った原発を抱えることになったとしたら…。そんな想像をするだけでもぞっとする。東北地方にある原発だけでなく、ほかの地域の原発にしても、福島と同じような事故が起こる不安は払拭できない。「そんなことあり得ない」「想定外の出来事だ」という言い訳はもう通用しない。「十分にあり得る」ことを前提に対応してもらわないと困る。地震や津波に太刀打ちできない現状で、この国が原発を維持するのはどう考えても無理がある。


4月8日(金曜日) 初回の授業は混乱しそう

 僕が担当する今年度の授業は、あす9日が初日だ。前期の授業開始日を5月の連休明けにするなど10日〜1カ月ほど遅らせる大学もかなり(関東の大学の2割くらい)あるが、僕が勤務する大学は予定通り4月6日から始まっている。それは別にいいのだが、あすの授業初日の段階ではまだ履修者が確定しないので、現場で混乱が生じそうな気配があるのが心配だ。

 前期で僕が担当するのは1年生を対象にした文章講座で、同じような講座が今年度は14クラス設けられている(このうち僕は2クラスを担当)。添削指導などの演習を伴う授業なので、1クラスの定員は30人までに制限されている。ところが正式に履習の申し込みをする期限は来週の火曜までとなっていて、その時点で抽選をして正式な履修者が確定するというのだ。ということは、初回に授業を受けても2回目から来ない学生がいたり、逆に初回は授業を受けていなかったけれども2回目から出席する学生がいたりすることが考えられる。実際に昨年度は、僕のクラスだけでもそういう学生が10人ほどいた。

 これでは、1回目の授業で作文を書かせて、こちらがせっかく時間をかけて添削したとしても、履修の申し込みをしなかった学生の添削は無駄になってしまう。2回目の授業から参加する学生にとっては、1回目の作文を書いていないのだから、2回目の授業で行われる講評はあまり意味がないと感じるかもしれない。

 それに、受講する学生の多くは、たぶんシラバス(授業のテーマや概要を記した教員からのメッセージ)なんかいちいち読まない。出席しやすい時間のクラスを時間割の中から適当に選んでいるだろうから、初日の段階では希望者の極端に多いクラスと少ないクラスが、たまたま生じる可能性は高い。これも昨年度は実際にあったことで、調整がいろいろ大変だったようだ。

 間違いなく初日は混乱するだろうな。なんだかなあ。通常の講座ならいざ知らず、添削や演習を伴う授業では、履修者が確定してから授業をスタートさせるのが、学生にとっても教員にとっても本当は一番いいのだろうと思う。教務の側で事前に学生の希望を提出させて、希望者多数の場合は抽選してクラス分けを確定しておいてくれたら、1回目からスムーズに授業ができて助かるんだけど。しかしまあ仕方がないので、とりあえず初回のあすはガイダンスに毛の生えた程度の授業でお茶を濁すしかないか。

◇◇

 きのう7日の深夜に宮城で震度6強の余震があったすぐ後。アーチストの斉藤和義さんが、2010年に発表したヒット曲「ずっと好きだった」の歌詞を反原発の替え歌にして、ギターの弾き語りで「ずっとウソだった」と熱唱する動画をインターネットのサイトで見た。タイトルに「ずっとウソだった」とあるように、「原発の安全神話」なるものを吹聴してきた人たちのウソ八百ぶりを、強烈にそして徹底的にこき下ろす歌詞が並んでいる。ストレートで分かりやすいメッセージがとてもいい。

 「この国を歩けば原発が54基」「教科書もCMも言ってたよ安全です」「俺たちを騙して言い訳は想定外」「懐かしいあの空くすぐったい黒い雨」

 「ずっとウソだったんだぜやっぱバレてしまったな」「ほんとウソだったんだぜ原子力は安全です」「ずっとウソだったんだぜほうれん草食いてえなあ」「ほんとウソだったんだぜ気づいてたろうこの事態」「風に舞う放射能はもう止められない」「何人が被曝すれば気がついてくれるのこの国の政府」

 「この街を離れてうまい水見つけたかい」「教えてよやっぱいいやもうどこも逃げ場はない」

 「ずっとクソだったんだぜ東電も北電も中電も九電も」「もう夢ばかり見てないけど」「ずっとクソだったんだぜそれでも続ける気だ」「ほんとクソだったんだぜ何かがしたいこの気持ち」「ずっとウソだったんだぜほんとクソだったんだぜ」

http://www.veoh.com/watch/v20903929fEBfp4MB

 最初この動画は、Youtubeとニコニコ動画で公開されていたが、いずれも削除されてしまったという。しかしその後、ほかの動画投稿サイトに次々にアップされて、支持と共感は広がる一方だ。8日の夜には「ずっとウソだった」の曲を含めて、本人がライブ演奏する様子がユーストリームでも生中継された。

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 もう一つ、原発批判のメッセージを。3月26日付「身辺雑記」で、「本質を見極める力」と題して紹介したアイドルタレントの藤波心さん(13歳)のオフィシャルブログが、久しぶりに更新されている。もともとブログは頻繁に更新するほうではないということらしいけど。4月6日に更新された文章のタイトルは「3万年後の未来生物父娘」。前回のブログに対する反響やその後の雑感などが率直に綴られている。

http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10852297342.html

 藤波さんは、「私をヒーローか、ジャンヌダルクのように書いて頂いているニュースもあるみたいですが、私はそんな英雄の器ではありません」「記事を削除しろとか謝罪しろとか、色々ご意見の気持ちもわかりますが、今の段階では謝罪するつもりも削除するつもりもありません。ただ1年後3年後に、私自身この日記を振り返って読んで、あー、青かったな。恥ずかしいこと書いてるなーって思えば謝るかもしれません」と冷静に状況分析する。

 その上で藤波さんは、「私の日記を政治的発言だとか言う人もいますが、それは違います。もうこの問題は、消費税とか、右派とか左派とか、野党とか与党とか、そういうレベルの話ではなく、日本の未来、そして人類そのものの生き死にの問題です」「今こそ、生きるとは、本当の便利とは、幸せとは、をみんながみつめなおさないといけない時だとおもいます」と指摘する。相変わらず本質を突いた内容で、なかなか鋭い。


4月9日(土曜日) 納豆が店頭にたくさんある!

 午後から授業。僕が今年度に担当する講座はきょうが初日だ。午前中に登校し、学生に配るレジュメや資料を印刷して、昼過ぎから簡単な打ち合わせ会議。履修者数の調整で混乱が予想されたが、幸いなことに午後からの授業(3講時と4講時)は、どのクラスもほぼ適正人数(30人)前後でうまく収まった。ただ午前中のクラスは100人を超えるなど、かなりアンバランスになったという。必修科目のパソコン講座の時間割との関係で、午前中に受講希望者が集中したらしい。ということは午前のクラスから午後のクラスに流れてくる可能性があるので、きょうの受講生で固定されるとは限らないのか。できればこのまま変動しない方がいいなあ。授業を終えてからほかの先生たちと、大学近くのファミリーレストランで軽く懇親会。冷えた生ビールがのどに心地よい。

◇◇

 帰宅途中に近所のスーパーをいくつかのぞくと、なんと夜7時過ぎだというのに、納豆がたくさん売り場に並んでいるではないか。さすがに「おかめ納豆」(茨城)など関東の製品はなかったが、駅前の中堅のスーパーには熊本や仙台(!?)の納豆がいくつも残っている。なぜ被災地の仙台のものが…。そんな疑問はともかく、とにかく手に入る時点で納豆は確保しなければならない。僕は迷わず熊本の「お城納豆」を購入した。40グラム3個パックで128円だった。横浜市西区の会社が作っているいつもの納豆(40グラム2個パック138円)よりもずっと安い。

 大手のイトーヨーカドーにはうわさの「にゃっとう」(笑)がたくさん並んでいた。ネコのイラストが大きく描かれた納豆パックを目にした客は、全員が例外なく「なにこれ、にゃっとうってなんなの?」と驚きの声を上げ、興味深々といった表情で手に取って眺めている。しかし40グラム3個パックで148円の値段を見ると、みんな一様に「高いね」とつぶやいて商品棚に戻していた。確かに割高だよなあ。話のネタに買ってみようかとも思ったが、最初にのぞいた2つの店で既に購入していたので、消費期限を考えると食べ切れないと判断して今回は見送った。ちなみに「お城納豆」と同じ会社の製品だ。デザイン料の分だけ高いのかも。納豆の確保に四苦八苦しなくていい生活が、少しずつ戻りつつあるのはうれしい。


4月10日(日曜日) これがこの国の現実だ

 統一地方選の投開票日。神奈川県知事選、県議選、横浜市議選に一票を投じる。しかし投票したい人がだれもいないのに、しかも結果はほとんど決まっているも同然なのに、あえてわざわざ選挙権を行使することほど虚しいものはない。隣の東京都知事選の方がよほど関心はあるのだが、さりとて都知事選にしても投票したい人はだれ一人としていないし結果も既に決まったも同然という状況は、神奈川とまるっきり同じだ。そして案の定だが投票が締め切られた午後8時になると当時に、すぐさま石原慎太郎の当確が報じられた。そういう国なんだなあこの日本は。改めてがっかりする。

 だけどこれは今さらどうこう言うまでもなく、十二分に予想できていた結果なのだ。都民の大多数は石原慎太郎を支持しているという現実はしっかり認識しておく必要がある。どんなにひどい目に遭わされたとしても、原発事故のあの危機的状況と安全神話のウソを目の前に突き付けられても、それでもまだ原発推進を支持して原子力行政を信じる人たちが大多数だというのが現実であるのと同じように。「やっぱり都知事は石原さんよね」「その次はまあ東国原さんかな」という程度の人が大多数なのが現実なのだ。信じ難い冗談みたいな話ではあるが、これは紛れもない事実だ。残念ながら。

 あれだけだれの目にも明らかな分かりやすい形で、原発そのものと原子力産業の本質が露見したというのに、それでもまだなお、原発推進にもろ手を上げて賛成する人が(若い世代にも!)数多くいる現実に呆然となる。残念だけどこれが現実。

 原発に賛成する人たちの意見は、例えばこんな感じだ。斉藤和義の反原発ソング「ずっとウソだった」について、感想が書かれていたミクシィの日記から拾ってみた。「原発に反対するなら電気を使うな」「代替エネルギー案を考えてから批判しろよ」「原発に反対するなら代案を立てなさいって事。反対反対というだけなら誰でもできる」「原発でつくった電気に一切関与せず生きるのは不可能だろう」「原発の恩恵受けながら原発反対マジ格好悪い」「原発が悪いんじゃない。悪いのは地震と津波だろう」「危ないのは原発だろうが火力だろうが水力だろうが何だって一緒だ」「一方的に批判しかしないのは頭が悪いとしか思えないね」「いま福島原発で命懸けで作業してるたちの前で批判できるのか」「安全なところにいながら批判なんていくらでもできる」「反原発の人ってシーシェパードと同類だと思う。反対運動して自分に酔ってるだけのカスとしか言えない」「電気のある生活をしている以上は現在の原発がなくなったら日本の暮らしが傾くだろう」「反原発って言う前に電気を使うなっての」「現場の人はまだがんばってんだよ。自動車事故があったら車なんかクソだったんだぜって歌うのか」。圧倒的に若い世代が中心なのは間違いない。しかし残念ながらこれが現実だ。

 それでも石原慎太郎を支持し、原発を支持する人たちが多数存在する不思議さ。何かの宗教の信者なのかと疑ってしまう。この期に及んでどうして目が覚めないのか不思議でならない。謎だ。しかしもっと不思議なのは、石原批判者が多数派で、原発反対派が大多数だと思い込んでいる人たちだ。そう思いたい気持ちはよく分かる。だがそれは希望的観測であり事実ではない。それでは政府や東電の原発事故が起きた時の記者会見と変わらない。現実をきちんと認識しなければ、状況を変えることなどできないんじゃないか。いろんな意味で愕然として、がっかりして、絶望的な気持ちなることばかりだなあと、しみじみ思う震災から1カ月のきょうである。


4月11日(月曜日) もしも原発事故がなかったら

 東日本大震災から1カ月。午後2時46分には自宅でささやかに黙とうする。余震が来そうだなあと、なんとなくそんな予感がしていたら夕方にやっぱり来た。午後5時16分ごろ、横浜でもかなり強い横揺れを感じた。1カ月前の本震や先週7日の余震と同じくらいの強さで、今回もかなり長く揺れている。福島県と茨城県南部で震度6弱を観測。その後もきょうは何回も余震があった。

 これほど頻繁に大きな地震が起きているのだから、稼働している原発を止める方向の算段を始めればいいのに。福島第一原発の1号機〜3号機では外部電源が遮断されて、冷却のための注水が一時ストップしたという。1時間ほどで復旧したのでよかったが、電力会社各社の幹部や政府関係者は、東北以外の地域では大地震や津波などの災害が起きないと思っているのだろうか。影響の大きさも被害の深刻さにしても、原発の事故がほかの事故とまるで違うということは、福島原発で身に染みて分かったはずではないのか。大惨事になってからでは取り返しがつかないと思うのだが。

 大震災から1カ月で改めて思うのは、もしも原発事故がなければ復興の道筋はもっと希望が持てる形になるのに、ということだ。大地震と津波だけでも相当な大惨事だが、本来ならここにすべての持てる力を注ぎ込んで再建を図ればよかった。もちろん大変ではあるけれども、それくらいならどうとでもなるだけの経済力と技術力と人材が日本にはある。ところがそこに原発事故が加わったために、復興の資金や人が半減してしまうことになった。

 半減どころか、放射性物質の拡散によって原発周辺の被災地には立ち入りさえできない事態となり、農業や水産業は図りしれないダメージを受けている。しかも放射性物質の大量汚染はまだまだ続いていて、深刻な状況がいつになったら解決するのか、そもそも危機から脱することができるのかどうかさえも分からない。これから先の展望が見えてこない、希望の光が感じられないことほど辛いものはないだろう。天災だけでなく、人災が招いた被害の大きさが、被災地にずっしりと重くのしかかる。


4月12日(火曜日) 「何を今さら」のレベル7

 原子力安全・保安院と原子力安全委員会は福島第一原発の事故について、国際評価尺度(INES)の評価を、旧ソ連チェルノブイリ原発事故に匹敵する最悪の「レベル7」に引き上げた。「何を今さら、やっと認めたのかよ」というのが率直な感想で、驚くほどのニュースではない。水素爆発や水蒸気爆発が立て続けに起き、大量の放射性物質が外部に漏れ続けているのを見れば、それだけ深刻な状態であるのは早い段階で分かっていた。

 あえて希望するとすれば、「米スリーマイル島の事故とは全く違う」「チェルノブイリの事故ほどじゃない」などと希望的観測や楽観論をさんざん振りまいて、「不安を煽る無責任なことを言うな」とメディアを叩き、原発事故を過小評価することに必死になっていた御用学者、自称技術者、自称研究者、自称編集者といった人たちがどのような言い訳をするのか聞いてみたい気もするが、そんなことは今となってはどうでもいい。ただし、「事実でない楽観論をしたリ顔で振り回すのは二度としないでくれ、われわれの命に関わるのだから」ということだけは言っておきたい。

 むしろ政府が、今ごろになって原発事故の評価を最悪の「レベル7」に引き上げたことに言いしれぬ無気味さを感じる。最悪のレベルだと認めたというのは、もしかすると事態はよほど深刻な度合いを増しているということではないか、との疑念が払拭できない。もちろん杞憂であることを心から願っているが、残念ながらこれまではいつも、もうどうしようもないような状況になってから初めて、本当のことが伝えられるという歴史が繰り返されている。

 そうなってからでは遅い。だからこそ、国民がきちんと判断できるだけの正確な情報を、包み隠さず迅速に公開すべきなのだ。そして行政の責任者には、最悪の事態を前もって想定して最善の方針や施策を示すことが期待される。しかし情けないことに、どれもこれもあまりにも不十分過ぎて泣くに泣けない。忘れてはいけないのは今この瞬間も、大量の放射性物質が空に海に大地に放出され続けているという厳然たる事実だ。福島第一原発の事故は現在進行形で、しかも解決の糸口さえまだ見えていない。

◇◇

 資源エネルギー庁は、小学校高学年向け副教材DVD「ひらけ!エネルギーのとびら」の配布を中止したそうだ。ほかの冊子なども含め約3千万円をかけ約1万枚を作製。希望した小学校などに2月下旬からすでに約7500枚が配布済みだという。DVDは約50分。原子力発電所の仕組みなどをアニメと実際の映像で紹介。福島第一原発の職員が登場して施設内部を案内。終盤では「日本の原発は格納容器などに守られ、常に放射能も監視しているから安全だ」と強調している…んだってさ(朝日新聞夕刊)。

 最高の教材じゃないか。このまま見せれば、子どもたちも原発と原子力行政の本質がよく分かるだろうに。大金をかけて作ったのなら配布を続ければいいのに。しかしそれにしても、「原発は安全です」なんていう一方的な宣伝(しかもデタラメの大ウソの洗脳)をするために、3000万円もの税金を使ってこんなものを作っているんだなあ。今さらながら呆れるし憤りを感じる。


4月13日(水曜日) 脱原発宣言の城南信金にあっぱれ

 うちのマンションのすぐ前に生えている2本の桜は、よそとはいつもちょっとずれていて、ちょうど今が見ごろの満開だ。自宅から最寄り駅までの間には、桜の樹が固まって植えられているところが何カ所かあるが、小学校の隣や公園の前などはそろそろ葉桜になりかけているのもある。満開の桜は文句なしに見る者の心を和ませてくれるのだが、風に舞う花びらやピンクのじゅうたんが一面に広がる風景も悪くない。しかし世の中には不粋な地主がいるもので、駅に近付いたあたりの古い屋敷の桜は、いつの間にか残らず伐採されてしまった。いつもならそこの細い小道には桜吹雪が舞い、花びらが幾重にも敷き詰められ、なかなか幻想的な空間が出現するのだった。残念ながらそうした趣向に目を奪われることはもうない。ただの薄暗い小道があるだけだ。ああもったいない。

 【訂正】細い小道の桜の花びらのじゅうたんは、強風ですべて吹き飛ばされて消えてしまったので、屋敷の桜が残らず伐採されたわけではありませんでした。葉桜が何本も残っていました。たぶん来年はまた見られるはずです。訂正します。

◇◇

 城南信用金庫(本店・東京都品川区、営業地域は東京都内と神奈川県内で85店鋪)が、ホームページのトップに、「原発に頼らない安心できる社会へ」と掲げて「脱原発」宣言をしている。宣言をクリックすると、リンク先には次のようなことが書かれている。

 「東京電力福島第一原子力発電所の事故は、我が国の未来に重大な影響を与えています。今回の事故を通じて、原子力エネルギーは、私達に明るい未来を与えてくれるものではなく、一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っていること、さらに、残念ながらそれを管理する政府機関も企業体も、万全の体制をとっていなかったことが明確になりつつあります。」

 「こうした中で、私達は、原子力エネルギーに依存することはあまりにも危険性が大き過ぎるということを学びました。私達が地域金融機関として、今できることはささやかではありますが、省電力、省エネルギー、そして代替エネルギーの開発利用に少しでも貢献することではないかと考えます。」

 「そのため、今後、私達は以下のような省電力と省エネルギーのための様々な取り組みに努めるとともに、金融を通じて地域の皆様の省電力、省エネルギーのための設備投資を積極的に支援、推進してまいります。」

 このように述べた上で、「徹底した節電運動の実施」「断熱工事の施工」「ソーラーパネルの設置」「自家発電装置の導入」など、具体的な取り組みを10項目にまとめて示している。

 → http://www.jsbank.co.jp/

 金融機関がここまではっきりと「原子力エネルギーに依存することの危険性」を指摘し、「原発に頼らない」ことを正面から宣言するのはきわめて異例ではないか。企業や顧客との複雑な関係がいろいろあって、こういうことはなかなか言えるものではない。単なる省エネ宣言なんかとはわけが違う。金融機関として「原発に頼らない」と言うだけでも、相当な勇気と覚悟が必要だろう。肝っ玉の大きさと志の高さと心意気に心からあっぱれだ。「口座を開く」などと共感や支持の声が広がっているという。近くに支店があったら、僕も城南信金の口座を開設するんだけどなあ。


4月14日(木曜日) 今回ゲットしたのは十勝納豆だ

 風が強い日に外を歩き回ると、そして鼻炎薬を服用するタイミング(効き目の切れそうなころ合い)を間違えると、決まって夜中か明け方に花粉症が悪化する。鼻が詰まって目が覚めることもしばしばだ。そうなるとしばらく眠れなくなって翌日は寝不足になる。うう辛い。なんともこりゃ参ったなあ。勘弁しておくんなまし。

 きのう自宅近くのスーパーでゲットした納豆は、十勝産ゆきしずか大豆100%使用の「北海道十勝納豆」だ。このところずっと品揃えが悪くて、仕入れのルートがよほど弱いんだなあと心配していた近所のスーパーの店頭にも、ようやく納豆がそこそこ並ぶようになったが、そこで売られていたのがこれだ。北海道江別市の会社が製造している納豆で、40グラム3個パックで138円。このスーパーではほかに、栃木県産と山形県産の商品を入荷していた。全国各地から納豆がかき集められてくるのはちょっと面白い。


4月15日(金曜日) 徹夜で作文添削

 「文章を書く」講座を受講している学生の宿題の作文を、ひたすら読んで添削する。代表的なものだけピックアップして添削しようかなと考えていたが、1回目なので全員分に赤ペンを入れようかと考え直した。かなり時間をかけて懇切丁寧に添削し、一人ひとりにアドバイスのコメントも書き込む。学生にしてみれば、たぶんこれほどありがたいことはないんじゃないかと思うし、僕が受講生ならまず間違いなく泣いて喜ぶだろう。

 だれかに命令されてやるのではなく、自分で判断して決めたことだからいいのだが、実際にやってみるとその大変さに早くも後悔することになった。5人や10人くらいならいざ知らず、受講生の人数が50人ほどいるので、とにかくえらく時間がかかるのだ。目はチカチカしてくるし、花粉症の悪化でくしゃみは止まらないし、もう踏んだりけったりである。

 それでもなんとか全員の作文にコメントを書き終えた。まあ学生たちが真っ赤になって返却された作文を食い入るように見て、励みにしたり参考にしたりしてくれたら。そんな光景を想像すれば疲れも吹っ飛ぶかな。…って、実際はそんなきれいごとじゃ済まないんだよ。もうお昼にも近い時間だし、夕べから飲まず食わずで、結局は完全に徹夜じゃないか。ふらふらする。これからシャワーを浴びたら、すぐさま午後から授業だ(涙)。


4月16日(土曜日) 履修者制限で抽選

 とまあそんなわけで、完全徹夜のまま午後から授業。レジュメやら教材の資料やら、よく書けていて参考にしてもらいたい代表的な作文4本やらを、大急ぎで印刷してから教室へ。そうしたら、履修者の人数制限科目のため抽選した結果、3講時のクラスは前回の授業に出ていた学生の半数近くがいなくなって、今回が初めてという学生に入れ替わっていた。えええええーーーっ。基本的なことをまた最初から説明し直さなければならないじゃないか。さらに4講時のクラスは、前回の授業に出ていた学生の半数が入れ替わったばかりか、10人も受講生が増えていた。がびーーーん。ショック。

 あとで聞いたら、ほかの先生方のクラスでも、受講生の大幅な入れ替えや人数の変動があったという。うーん、それっておかしいよなあ。前回の授業に参加していた学生は、優先的にそのクラスを受講させればいいじゃないか。機械的に抽選してわざわざ落として、あえてシャッフルする意味が分からん。ちなみに本日の授業は2クラスともまずまずといった感じで、及第点以上の講義内容だったんじゃないかな、と大っぴらに自画自賛してみる。

 4講時の授業が終わると、前回の僕の授業に出ていたのに今回はいなかった女子学生が教室にやってきた。「先生の授業を受けたくて希望を出したのですが、抽選から漏れてしまったんです。ほかのクラスもダメでした」という。そして次の言葉を聞いて、思わず涙が出そうになるほどうれしく思った。「単位がもらえなくても構わないですから、先生の授業を受講してもいいですか」。こんなに意欲がある学生をどうして抽選なんかで振り落とすかなあ。むしろこういう学生にこそ、授業を受けてもらいたいよなあ。もちろん聴講するのは全然かまわないし、ぜひ授業に参加してもらいたいけど、単位が認定されないというのはかわいそうだろう。なんともならないのかと教務課に聞いてみたが、履修者制限数の上限いっぱいなので無理だという。うーん、理不尽だ。


4月17日(日曜日) なぜか納豆の価格が高騰

 近所のコンビニが先月末に突然、「改装のため」として店をたたんでしまった。大地震が発生してから商品が全く入らなくなって、商品棚が空っぽの状態が続いていたので、それが原因で経営が悪化して閉店するのかなと心配したが、どうも本当に改装してリニューアルオープンするらしい。しかしそれにしては、いつまで経っても改装工事が始まる気配がないなあ。コンビニが建っている交差点の周りは、信号機のライト以外の灯りはなく真っ暗で、ゴーストタウンか廃虚かといった感じの治安の悪さをかもし出している。もちろん実際には治安は全然悪くないんだけど。

 それはともかく、自宅からゆっくり歩いて5分ほど、ちょっと走れば3分のところにあるコンビニが使えないと意外と不便だ。10分ほど歩けば別のコンビニはあるけど、小腹が減ったので菓子かおにぎりでも買ってくるかという時や、夜中に突然コピーを取る必要が生じた時に、わざわざ往復20分もかけて別のコンビニまで行くのはためらわれる。本当にリニューアルオープンするのかなあ。このまま閉店になったりしないだろうなあ。せめていつごろ開店するのか、お知らせでも張り出してくれるとうれしい。

◇◇

 大震災以降は入手がかなり困難な状態が続いていた納豆だが、横浜では先週から、スーパーの店頭にふんだんに並ぶようになった。しかもきのういくつかのスーパーの納豆の売り場を見たら、「品薄のため納豆はお1人様1パックでお願いします」という張り紙が、どの店からもすべて消えていた。うずたかく山のように積まれた納豆は、これまでほとんど目にしたことがないようなパッケージがほとんどで、九州や北海道、愛知県のメーカーの製品が目立つ。神奈川県内の小さなメーカーのものもある。

 ところがここにきて、納豆の値段がかなり高騰しているのに気付いた。これまでも「大震災の前と比べて1・5倍〜2倍ほど割高」ではあったのだが、なぜかそれどころではない価格にはね上がっているのだ。大震災後に納豆が少し出回り始めて、「40グラム3個パック138円」という値段に高いなあと嘆いたのは記憶に新しいけれども、いくつかのスーパーでは同じ納豆がなんと「40グラム3個パック178円」で売られていた。ええっ、なんでまたそんなに高くなったんだろう…。

 原材料が国産大豆なのか、米国・カナダ産の大豆なのかの違いかなあ。だけど国産大豆を使った納豆も、つい最近までは「40グラム3個パックで138円」で販売されていたんだよなあ。わけが分からない。一方、あのうわさの「にゃっとう」は、なぜか「40グラム3個パック98円」に値下げされていた(横浜のイトーヨーカドー)。なんでこの商品だけ値下げなんだ。うーん、ますますもってわけが分からない。


4月18日(月曜日) それでも原発賛成が過半数

 朝日新聞の全国世論調査によると、原子力発電を「減らす方がよい」は30%、「やめるべきだ」は11%で、合計すると原発否定派は41%。これに対して「増やす方がよい」は5%、「現状程度にとどめる」は51%で、合計すると原発肯定派は56%だった。原発利用の賛否は「賛成」が50%で「反対」は32%。反対の層の中でも20%が「現状程度にとどめる」と答えたという。

 NHKの世論調査でも、「増やすべきだ」が7%、「現状を維持すべきだ」が42%、「減らすべきだ」が32%、「すべて廃止すべきだ」が12%で、原発肯定派が原発否定派を上回った。数字の違いは多少あるが、それでもやっぱり原発肯定派の優位は揺らいでいない。

 やっぱりなあ。これだけひどい目にあっていても、それでも原発を必要だと考える人が過半数を占めているんだ。そういう国なんだなあ。いまこの瞬間も高濃度の放射性物質が、空に海に大地に大量に垂れ流されているのに、そしてこれからも長期間にわたって垂れ流され続けるのは確定的なのに…。でもまあ必要だと心から思っているんだろうから仕方ないよな。

 たぶんもう一度、福島第一原発と同じような大惨事が起きても、原発は必要だと大真面目に答えるのだろう。首都圏が直下型大地震に襲われて、東海村の原発関連施設が壊滅的な打撃を受けても、東海地震が起きて、震源域の直上にある中部電力の浜岡原発(静岡県御前崎市)が手の施しようがない状態になっても、たぶんそれでもやっぱり「原発は必要だ」と念仏のように繰り返すに違いない。もはや近未来を描いた「SF映画」か、危険を訴える声に耳を貸さず修羅場に陥る「パニック映画」の世界だ。きっとそのころ日本列島は人はだれも住めないほどの放射能に覆われて、外国からは「汚染列島」と認定されていることだろう。

 なんともおめでたい人たちだ。あまりにも物わかりがよすぎて、これは「温厚」だとか「寛容」だとか「従順」といった域をはるかに超越してしまっている。もしかしたら「鈍い」なんていう言葉で表現すると、さすがにそれはまずいのだろうか。いい加減ちょっと呆れてしまって、ほかにうまい言葉が出てこない。


4月19日(火曜日) 帰ってきた「おかめ納豆」

 1回目の授業に出席しなかった学生に、前回の宿題をメールで送るように指示したら、ほぼ9割の学生から提出があった。「月曜の正午までに」と厳命した締め切り時間もおおむね守られた。なかなか感心じゃないか。ところが、本文が文字化けして全く読めないのが1通と、添付ファイルが開けないのが1通、名前も学籍番号も書いていないのが1通あった。すぐに再送信するようにと書いて返信したのだが、まる1日以上が経っても、うんともすんとも言ってこない。いったいどうなってるんだ。そもそもこの3人はいずれも、提出する際にアナウンスした注意事項に従っていないから、文字化けしたり、名無しになったりしているのだが。もしかして提出要項だけでなく、僕からの返信メールもろくに読んでいないということなんだろうか。うーん。困ったね。

◇◇

 本日の「納豆偵察隊が行く!」レポート(いつの間にそんなものが)。駅前の中堅スーパーの納豆コーナーには、長らく待ち焦がれていたあの「おかめ納豆」が山のように積まれていた。しかも、価格は50グラム3個パック98円。ほかの納豆もなぜか軒並み値下げされていて、北海道産や九州産などの多くの製品に128円の値段がつけられていた。2日前にあまりの高さに仰天した178円がウソみたいだ。なにはともあれ、通常通りの商品がふんだんに売り場に並べられて、しかも庶民の味方とも言える価格が戻ってきたのは喜ばしい。

 一方、大手のイトーヨーカドーをのぞいてみると、こちらにもたくさんの納豆がところ狭しと並んでいた。初めて目にした京都産の納豆もある。ただし、ほとんどの納豆は168円が中心で相変わらず高い。納豆に限って言えば、いつもなら駅前の中堅スーパーよりも、イトーヨーカドーの方が断然安いんだけどなあ。そんな中で、異色の存在と安さをキープして、ひときわ目を引いたのが、九州産のあの「にゃっとう」である。値段は変わらず40グラム3個パック98円のままなのだ。若いお姉さんが迷うことなく、さっと手を伸ばして「にゃっとう」をつかんでいったのが印象的だった。


4月20日(水曜日) 昼下がりの駐車場で

 自宅の仕事部屋の東側には駐車場が広がっている。そこに昼過ぎから5〜6人の中学生がたむろして、サッカーボールを蹴って遊び始めた。アスファルトの地面にドスッドスッと打ち付ける音が耳障りでうるさい。「いい加減にしないかこのクソガキどもめ」と内心かなりイライラしつつも、しばらく我慢して様子を見ていたら、そのうち、マンションの壁や周囲の金網、車のボンネットにもボンボンとボールをぶつけるようになった。

 駐車場だから当然のことながら車がたくさん並んでいる。よそさまの車がどうなろうと知ったことではないけど(本当はよくないけど)、部屋の窓ガラスにボールが当たって割れたりしたら大変なことになる。いつも、発情期の野良ネコがニャーゴニャーゴと鳴くだけで、そんなに怒らなくてもいいのにと思うほど怒鳴り散らしている階下の住人(たぶんじいさんとばあさん)は、なぜか沈黙したままで全く反応がない。まあ人間が相手だと、下手に注意すると逆恨みされたり逆切れされたりして、後々厄介なトラブルに発展しないとも限らないからなあ。さすがにネコと人間は違うか。

 トラブルは勘弁してほしいと思うのは僕も同じだ。仕方がないので、近くの中学校に電話した。応対したのは、たぶん教頭だと思われる年配の男性だった。「◯◯中学校の近所に住んでいる者なんですが、学校のすぐ裏に駐車場があって、そこで中学生が何人もずっとボール遊びをやっているんです。遊び場所ではないので、申し訳ないのですが注意していただけないでしょうか」。先生も大変だなあというのは、取材などを通じてよく分かっているつもりだし、下校後の生徒のことまで学校に連絡するのもどうかと思うし、本当ならわれわれ住民が直接注意すればいいことだろうとも思うので、きわめて丁寧な言葉遣いで丁重にお願いした。

 男の先生(たぶん教頭)は、「そうですかわかりました。ご連絡いただいてありがとうございます」と、こちらが恐縮するくらい何回も「ありがとうございます」と繰り返した。ああ、きっと毎日のように地域住民から、あれやこれやと苦情や要望がくるんだろうなあ、受け答えもさすが板についているなあ。電話応対から日ごろのご苦労がしのばれる。そして10分ほど。「お前らこんなところで何やってるんだ」と一喝されたクソガキども、いや、お子さまたちは、あっという間に駐車場から姿を消した。ようやく戻った静寂。さすがだ。やはり慣れているのだろうなあ。いやはや、お手数をおかけしました。迅速なご指導に深く感謝します。


4月21日(木曜日) 喫煙や放火も!

 きのうに引き続いて、きょうもまた放課後になると、近くの中学生たちが駐車場でボールを蹴って遊び始めた。おいおい、先生に厳しく注意されたんじゃないのか。まったく懲りないやつらだな。しかもきょうはサッカーボールを蹴るだけではなく、たばこを吸ったりゴミに火をつけたりということも始めた。まだ中1か中2くらいにしか見えないんだけどなあ。たばこや放火はまずいだろう。こんなふうに行動がエスカレートしていくことを最も心配していたのだが、案の定そういうことになったかという感じだ。何回も学校に連絡するなんてあまり気は進まないのだが、仕方ないので電話した。「きのう電話を差し上げた近所に住んでいる者です。きょうはたばこまで吸っているのですが、さすがにこれは問題が……」

 きょうの電話に応対したのは、たぶんベテランだと思われる女性の先生だった。「分かりました。すぐにそちらに向かいます。ありがとうございました」。ものの5分もしないうちに、男女の先生6人が現場にすっ飛んできた。窓からそっとのぞいて様子を観察すると(「家政婦は見た!」かよ)、こんこんと説教が続いている。あまりよく聞こえなかったが、「大変な問題になりかねないんだぞ。今回は許してやるけどもう絶対にこんなことをするんじゃない」みたいなことを諭していたのではないかと思われる。さすがに喫煙やゴミに火をつけるというのは犯罪行為で、一歩間違えたら大事件になりかねない。先生方もこれはまずいと考えたのだろう。

 中学生たちはうつむいたりボールを地面に落としたりして、あまり真剣に先生の説教を聞いているようには見えなかったが、さてどうなることやら。これで終わればいいけれど、さらにエスカレートしていくと、駐車場でボール遊びをするのは危ないとか、単にうるさいなどといった話では済まなくなる。できれば警察に通報するようなことは避けたいし、学校としてもそれを一番恐れているのではないだろうか。近隣では最も落ち着いた環境で、文教地区の中学校として評判のはずなんだけどなあ。先生方も大変だ。個人的にはとにかく、気が散って仕事に集中できないのが困る。


4月22日(金曜日) 「ぴあ」7月で休刊に思う

 情報誌「ぴあ」の首都圏版が7月で休刊になるという。インターネットで容易に情報取得できる時代だから、遅かれ早かれそうなるだろうなあとは思っていたが、やはり実際に休刊が決まると感慨深いものがある。都立高校生だった時にクラスの友達から初めて「ぴあ」を見せてもらって、こんなに便利な雑誌があるんだと驚いたのが懐かしい。誌面から目に入ってくる情報のすべてが、未知なる大人の世界そのものだったような気がする。そのころは「ぴあ」「シティーロード」「angle」の3つが、僕たち高校生の間では人気の雑誌だった。今でも残っているのは「ぴあ」だけだ。

 「ぴあ」は万人受けのする最もポピュラーな映画情報誌で、「シティーロード」はちょっと斜に構えた反骨精神のある映画情報批評誌、「angle」は街を歩いて楽しむための生活情報誌、といった感じでなんとなく住み分けができていたように思う。しかしいずれにしても、東京の街をちょっと背伸びして「探検」するには、この3つの雑誌はどれも欠かせない存在だったと言っていいだろう。

 学生時代に年間100本以上の映画を見ていた僕は、複数の辛口の批評家が新作映画を好き勝手に切りまくる「シティーロード」の「星取り表」のファンだったが、名画座の上映情報などは見やすい編集の「ぴあ」にもっぱら頼っていたし、欄外の「はみだしYouとPia」や「はみだし情報」も熱心に愛読していた。「ぴあ」の読者試写会には何回も招待してもらった。そのころ付き合っていた女の子とのデートでも、「ぴあ」はいつも重宝したなあ(遠い目)。

 たぶん僕と同じように、情報誌が生活の一部だった学生時代を懐かしく思い出しながら、「ぴあ」の休刊に一抹の寂しさを感じている人は少なくないはずだ。「angle」や「シティーロード」が休刊した時も切ない気持ちになったが、やはりその存在の圧倒的な大きさから、「ぴあ」の最後には格別のものがある。ともあれ、長い間お疲れさまでしたと感謝したい。

◇◇

 放課後になるとマンションの隣の駐車場にやって来て、ボール遊びや喫煙をしていた中学生たちは、きょうはだれ一人として姿を全く現さなかった。きのうの先生方の指導は効果があったんだね。そうだよなあ、6人もの先生がすっ飛んで来たんだものなあ、先生方もかなりの本気モードだったということなんだろうなあ。さすがだ。公立中学校の教師の真剣さを垣間見させてもらった感じだ。もしかしたらきょう学校で、子どもたちに改めて厳しく言い聞かせたのかもしれない。何はともあれ、よかったよかった。

◇◇

 「改装のため」に閉店していった近所のコンビニが、リニューアルオープンした。おお、あっという間に改装工事をやってのけたんだな。そう思って店に入ったが、変わったのは出入り口のドアが手動から自動になったのと、雑誌コーナーに「成人」の仕切りが目立つように設置されたことと、野菜の売り場が新たに設けられたことの3点くらいで、ほかにはこれといった変化は見受けられない。今さら自動ドアにするなんて、まさか店長は節電の流れに逆らう原発容認派なのか、などとしょうもない想像をしてしまったが、それはともかく、もしかして経営者が交代したのかな。


4月23日(土曜日) 徹夜明けなのに冴えてる講義

 学生に書かせた宿題の作文を添削していると、やっぱり予想通りの展開で徹夜になってしまった。一睡もしていないのに花粉症の薬を飲んで、朝食に納豆を食べたのは関係ないけど、ますます意識もうろうの頭で午後から授業だ。いつものように学生に配るレジュメだとか資料を印刷してから教室へ。添削した作文を返却し、まずは本日のワンポイント・レクチャー。

 「情景が浮かんでくるように具体的にリアルに、自分にしか書けないことを書くのが大事。同じ材料でもそれぞれの視点や切り口で料理は変わってくるから面白い。そのためには…」などと説明した上で、よく書けているいくつかの作文について具体的な講評をしていくと、学生の理解もさらに深まるんじゃないかと思う。半分くらいの学生は熱心にメモを取りながら話を聞いてくれている(みたいだ)。徹夜明けで頭はふらふらのはずなのに、なぜか講義は冴えまくっている(ように思える)。うむむ、今年の授業は完成度が高いなあ、なかなかの出来じゃないか、なんて自画自賛しちゃうぞ。

 受講生の名前がすぐに覚えられないのはちょっと不安。顔と名前が一致しないんだよなあ。しかしまだ始まって3回目だし、今回が初めてという学生もいるんだから仕方ないか。大学図書館で調べもの。帰路は強い風と雨に閉口する。傘は飛ばされそうになるし、書類やカバンはびしょ濡れだし、踏んだり蹴ったリだ。このところ土曜日はいつも雨だな。ついてない。


4月24日(日曜日) 納豆イチオシは「なめ茸おろし」

 うわさの「にゃっとう」をようやく食べた。ジェル状になっているかつお風味のとろみタレは、かき混ぜると全体に馴染んでなかなか美味しい。からしがないと物足りない納豆が結構あるが、この納豆はからしがなくても全く気にしないで食べられる。ただ、納豆の豆がちょっと固めなのは残念かなあ。でもこれはそれぞれ好みが違うだろうから、評価は分かれても構わないと思う。個人的にはふっくらと柔らかいのが好みなので。

 ちなみに僕がこれまでに食べた納豆の中では、十勝産ゆきしずか大豆を100%使用したという「北海道十勝納豆」が最も美味しいと思った。ふっくらと柔らかく仕上がっていて、コクのあるタレの味わいがなんとも絶妙だった。純粋に納豆そのもので評価するならば、秀逸な出来ではないかと思う。

 番外編としては、最近はあまり見かけないけど、大根おろしとなめたけがセットになった「なめ茸おろし納豆」が文句なしでダントツだ。イチオシのお薦め。納豆にこの組み合わせは最高だと思っている。60グラム1パックで105円と、少しばかり値段が高めだけど好きなんだよなあ。温かいご飯と味付け海苔があればもう何もいらない。次点は、甘酸っぱくてまろやかな味わいの「金のつぶ梅風味黒酢たれ納豆」。紀州梅と黒酢を使用しているという。さっぱりすっきりしていながらコクがあって美味しい。


4月25日(月曜日) 夜中に見かけた怪しい男

 夜中、と言っても午後10時半ごろだが、自宅近くでスーツ姿の不審な男を見かけた。一戸建て民家の郵便受けを手で探って歩いているのだ。僕が歩いていく前方から男はやって来た。最初は勤め先から帰って来たサラリーマンが、自分の家の郵便物を確認して、そのままドアを開けて帰宅するのかと思っていたら、そうではなかった。ドアは開けずに次の家まで歩いていって、そこでもまた同じことをしている。通り過ぎてから後ろを振り向いて、やっとこれはおかしいと気付いた。手に何かの束を持っているようには見えなかったので、チラシ配りでもなさそうだ。

 もしかして郵便物がなくなることがあるという噂は、ああいう人が抜き取っているからなのだろうか。自動販売機や公衆電話の釣り銭の取り忘れを、チェックして歩いているおじさんは新宿駅で見かけたことがあるけどなあ。明らかに怪しさいっぱいだけど、自宅までそれなりに離れているし、なんだか危なそうだしなどと考えて、見なかったことにした。また再び見かけることがあったら、その時は110番に通報することにしよう。


4月26日(火曜日) 便利さと不便さと

 最寄り駅のビルの中にある都市銀行と郵便貯金(ゆうちょ銀行)のATM(現金自動預け払い機)が、「節電対策のため」として使えなくなっていて不便で仕方ない。ゆうちょ銀行では、東京電力管内に設置している店舗外のATMのうち、東京23区以外のものはすべて取り扱い停止なのだという。郵便局などの店舗内に設置しているATMも営業時間は大幅に短縮されている。都市銀行は、一部の無人出張所(店舗外ATM)では営業が再開され、今月28日からはさらに営業再開の無人出張所が拡大されるというが、営業時間が大幅短縮されているのはゆうちょ銀行と同じだ。

 窓口が開いている時間帯や夕方の5時とか6時までに、用事を片付ければいいと言われればその通りなのだが、なかなかそういう時間帯には郵便局や銀行に行きにくいんだよなあ。ものすごく困るというほどではないけど、それでもATMが使えないとこんなに不便になるとは考えていなかった。

 「原子力発電所は速やかに停止して、できるだけ早い時期に脱原発による電力供給を始めるべきだ。そのためなら多少の不便を受け入れのは仕方ない。これまでとは違った生活スタイルに転換していく覚悟が必要だ」というのが、僕の基本的なスタンスだ。この考えはなんら変わらない。学生時代から一貫しているし、これからもたぶん変わることはない。しかし実際に具体的な現実に直面すると、今までの便利でラクチンだった生活スタイルを一つ一つ見直して変えていくのは、相当な覚悟と我慢と努力が求められるんだなあとしみじみ思う。自分自身の生き方そのものが問われることにもなるからだ。僕自身がいい加減で甘ったれた人間であることは、十分に自覚している。だからこそなおさら不安になる。

 たかがATMではある。けれどもそれはたくさんの便利やラクチンの中の、ほんの一つにしか過ぎない。エスカレーターにしろエレベーターにしろ自動販売機にしろ、自宅や勤務先や公共の場での冷暖房にしても同じことが言える。そういうありがたい存在がいくつもあって、それがいざ目の前からすべてなくなったらどうするか。不便で面倒くさくてしんどい生活に向き合って、受け入れる覚悟としっかり対応する準備をしておかなければと改めて思う。思うんだけど、頭では分かっていても考えると憂鬱になる。「今が便利でラクチンならそれでいいじゃん」と考えるもう一人の自分が、確実にどこかにいるからだ。自問自答。なんとも難しい。

◇◇

【追記】=4月27日

 郵便局に行って、店舗内のATMでお金を引き出してきた。すぐに別の銀行で支払いに消えたのだが(涙)。ある程度は我慢できる不便さと、なくなるとかなりきつい不便さがあるのだと思う。僕にとっては、たぶん冷暖房のストップが一番厳しそうだなあ。真夏のクーラのない生活に耐えられるかどうか、とても不安がある。今年の夏に向けて、今から心の準備をしておかなければ。

 4月27日付の朝日新聞の朝刊(東京本社)に掲載されていたのだが、天野祐吉さんの連載コラム「CM天気図」の「原発のない暮らし」を読んで、かなり勇気付けられた。

 「電力がこれまでの7割くらいしか作れないというのなら、いいじゃないか、それで暮らせる身の丈サイズの経済や生活の仕組みにすれば。別に耐乏生活をしようっていうんじゃない。もっと知恵のある生活をしようってことだ」。──全くその通りだと思う。


4月27日(水曜日) ずっしり重い大震災縮刷版

 読売新聞特別縮刷版「東日本大震災1カ月の記録」を買った。3月11日付から4月11日付までの紙面を、そのままカラー版でまとめた一冊だ。定価1400円(+税)と通常の縮刷版よりずっと安い上に、写真や図解などがカラーで掲載されているのがいい。手にするとずっしり重いのは、418ページという物理的な重さだけでなく、大震災と原発事故の深刻さを伝える記事の重みだと考えたい(たぶんね)。

 地震発生当日の号外や英字紙のデイリーヨミウリも収録。創刊したばかりの「読売KODOMO新聞」も、巻末にちゃっかり紛れ込ませているところは、さすが商売上手な読売さん抜かりがない。

 朝日新聞は切り抜きや紙面そのものも保管してあるが、読売の記事のいくつかは読んではいたものの、手元に切り抜きなどがなかったので、大震災報道を考える資料としてとても役に立つ。なかなかのオススメだ。朝日も作って売ればいいのに。ついでに毎日新聞や東京新聞も、同じような企画で出してくれないかなあ。でもこういうのはお金がかかるし編集のノウハウも必要だから、毎日や東京にはちょっと荷が重過ぎて無理か。

 【おことわり】きのう4月26日付「身辺雑記」の記事末尾に、「追記」を書き加えました。


4月28日(木曜日) 花粉・黄砂・放射能の三重苦

 このところ毎日のように強い風が吹き荒れて、まったくたまらんなあ。花粉、黄砂、放射能の三重苦だよ。踏んだり蹴ったりだ。でも最盛期に比べたら花粉症はかなり楽になった。鼻炎薬は1日1回の服用で大丈夫だし、きょうみたいに風が強くて晴れた日も、ずるずる、かゆかゆ、くしゅんくしゅん…(涙)というほどひどい症状ではない。いまいましい花粉の季節もあとわずか。もう少しの辛抱だ、頑張るぞっ!

 午後から横浜市内。横浜地裁で開かれた行政訴訟の傍聴取材に少し遅れて行ったら、わずか5分で終了して既に閉廷したという。ありゃりゃ。横浜弁護士会館の報告集会に顔を出す。関係者と近くの喫茶店でお茶を飲みながらあれこれ雑談。やはり話題は、どうしても福島第一原発と放射能のことになってしまうよなあ。有隣堂本店に寄ってから中央図書館へ。閉館まで資料をコピーする。

◇◇

 本日の「納豆偵察隊が行く!」(第2回)は驚愕のレポートである。イトーヨーカドーの納豆コーナーをのぞくと、そこはなんとあの「にゃっとう」の黄色いパッケージに占拠されていたのだ。売り場には山積みされた「にゃっとう」しかないのである。ほかのスーパーには、各社の納豆がいろいろ取り揃えられているというのに。いったいどういうことなんだ。わけがわからん。謎だ。


4月29日(金曜日) 迷惑メールの誤認を避けるために

 学生から「次の宿題のテーマは何か教えてほしい」など、このところメールで問い合わせがちょこちょこ送られてくる。宿題そのものも届いたりして、それは別に全然構わないのだが、タイトル部分が空白のメールが結構あるのは困る。用件はもちろん、学籍番号や名前、受講している講座名も全く書かれていない。ほかにもたくさんのメールが届くので、せめて何か分かるように書いてほしい。

 先週の授業で確認したら、宿題を送信したのに届いていないという学生が2人ほどいた。送信できなかったことが通知されるリターンメールは届いていないという。おかしいなあ。メール受信の際に自動的に分別してくれる「迷惑メールフォルダ」は、欠かさず一応チェックするようにしている。そこに紛れ込んでいたのを救出したケースが1件あった。もしかするとチェックし切れなくて、そのまま廃棄してしまったのだろうか。

 「迷惑フォルダ」に分類されるメールは、1日に150通ほど送られてくる。英文によるバイアグラの宣伝(苦笑)から、援助交際のお誘いやら、人妻の相手をして高額報酬を手にしませんか、熟女からメッセージが届いています、儲かるサイドビジネスの案内などなど、もうわけが分からないが(笑)、これはどれも明らかな迷惑メールで、たいていの場合は正しく自動分類されている。ただほんのごくたまに(1日に1通あるかないか)、迷惑メールではない大事なメールが、間違って分類されてしまうことがあるのだ。

 そのために自動分類をそのまま信用して任せっぱなしにするのではなく、メールソフトを立ち上げるたびに「迷惑フォルダ」のボックスを開いて、差出人アドレスとタイトル部分をざっと流し見する形で確認するようにしている。迷惑メールの多くは一見すれば宣伝と分かる。それ以外は、だいたい文字化けしていたり、全文が英文だったり、タイトル部分が空白だったりする。あるいは特定の差出人や、意味不明のアドレスから送られてくることがほとんどだ。

 そういうことなので、メールのタイトル部分には内容が分かるように、簡潔なタイトルを書いてもらえると助かる。わずか10数秒なんだけど、チェックするのって面倒くさいんだよね。


4月30日(土曜日) きょうは休講

 今週の授業は日程調整のためとのことで休講。どういうわけか寝坊して休講になってしまって焦る夢を見た。なんだかなあ。大学を卒業してからもうずいぶん経つのに、期末試験を受け忘れて(または出席日数が足りなくて)単位を落とし、卒業できない夢を何回か見たことを思い出した。まさしく悪夢だな。


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