身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2011年9月1日〜9月30日

●政治も社会も人間関係●再稼働方針をNHKはなぜ伝えない●台風とは無縁●露骨な宣伝番組●安易に「風評被害」と言うな●たばこ値上げを支持する●「個人的な思い」で片付けるな●倒錯した読売社説に驚愕●真摯な科学者の姿勢に共感●「死の町」発言は間違っていない●大はしゃぎのマスコミに呆れる●メディア全体が末期症状●原発不安の声を抹殺●この国のメディアは●裁判官には裁かれたくない●残念な「社説余滴」●意味不明の「Eテレ」●やめられない止まらない●フィクションに過ぎない「物語」●明治公園の反原発集会に6万人●まるで人ごとの東京新聞に違和感●台風接近で臨時休校●本性を現した野田首相●原発を売り込む野田首相の無神経●修習生の就職難を騒ぐな●「外圧」で部屋がすっきり●ニュースの背景や前後●加害の自覚も反省もない東電●イカちゃん2期スタート●深夜のドーナツ●後期授業まずまずの初日●脚本家と「早春スケッチブック」●原発への「怒り」がエネルギー●ほか


9月1日(木曜日) 政治も社会も人間関係

 「ザ・特集:菅首相」なぜコケたか/同じ「市民運動出身」辻元清美衆院議員が語る」(毎日)は、なかなか示唆に富む内容だ。辻元氏のインタビューを通じて、政治だけでなく広く社会の中での人との付き合い方まで、改めて考えさせられる記事になっている。

 「『まめさ』こそが権力維持の最大の装置やということ」

 「気が回らないんですよ。理念や考え方を重視するあまり、そこでつながっていればいいんだ、みたいなところはありますね」

 「統治とは考え方が違う人も守ること。やりたくないことでも妥協しつつ利害関係を調整することなんです」

 「立場の違う人たちとどう付き合うか。そこを訓練しておかないと、いざリーダーになった途端に立ち往生してしまう。菅さんもそこに悩み続けたと思うんです」

 なるほどなあ。指摘されているのは、気配りや面倒見のよさ、根回し、事前調整、くどいほどの説明、妥協と寛容と懐の深さ、などなど…。どれもいかにも日本的な昔ながらの政治手法かもしれないが、実は日常の人間関係のすべてについても当てはまる。

 こうした面倒くさいことを一つ一つうまくやらないと(できないと)、理念や方向性がいくら正しくても周囲がついてこないし、ものごとは前に進まないということなのだろう。最高権力者だからこそ、むしろそういう「人心掌握術」がよりいっそう必要になってくるのかもしれない。考えさせられる記事だ。

 「東電の報告を受けた菅さんが気にしていたのは、本当に情報は全部おれに来ているのか、都合がいい情報しか上がってきていないのではないか、ということだった。同時に最悪の事態を考えた。原子炉格納容器が爆発すれば東京がやられると。東京の人口すべてを避難させるすべはない。背筋に寒気を感じ、そのときに、地震が多く狭い土地で人がひしめき合うこの国では原発と共存するのは難しいと心底思ったと。浜岡原発停止もその流れで、一つ一つものすごく考え抜いて決断している」と辻元氏は振り返る。

 それゆえに、菅首相の退場は実にもったいないと思うが、しかし周囲を巻き込んでいくだけの力としたたかさがないとすれば、権力を維持することはもはや無理だったのだろう。残念ではあるけれども。政治は人間関係。人間社会って難しいなあとしみじみ思う。

→ http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2011/09/01/20110901ddm013010006000c.html

◇◇

 NHKのネットラジオ「らじる★らじる」の試行が始まった。ラジオ第1(R1)・ラジオ第2(R2)・FMの番組を、インターネットを通じて放送と同時に提供するサービスだ。電波状況から聴き取りにくい地域でも、ほとんどノイズのない鮮明な音声で聴取できる。実際の放送より数秒ほど遅れて聞えるため、時報や緊急地震速報、正午前の緊急警報システムの試験放送(1分間)などは無音になるが、これは民放のネットラジオ「ラジコ」(radiko)と同じで仕方ない。遅きに失した感もあるNHKだが、視聴者にとってはありがたいサービスだ。

→ http://www3.nhk.or.jp/netradio/


9月2日(金曜日) 再稼働方針をNHKはなぜ伝えない

 今年の夏は114年間で4番目の猛暑だったそうだ(気象庁まとめ)。そんな夏を日本人は原発なしで「余裕で」乗り切った。電力不足デマに騙されあたふたすることもなく冷静だった。これは誇っていい。福島原発の絶望的な状況は今も続いている。ほかの原発でもしも再び同様の事故が起きたら、もう日本に未来はない。可能な限り速やかに原発全面停止を。原発なんかなくても電力は十分に足りていることが、はっきりと証明されたのだから。

 台風が来てるって? 関東も大雨? そうなのか。横浜はきのうから雨なんか全く降っていないし、きょうも朝から晴れている。湿度は結構高くてじめっとしているけど。山間部ではなく、海岸沿いの平野部だからなのかなあ。

◇◇

 NHKのニュースウオッチ9は野田新内閣が発足したことを伝える項目で、復興・原発事故収束・財政については詳しく報じたが、原発再稼働の方針には一切触れなかった。どういうことだ。野田新首相はこの日の記者会見で、原発再稼働をはっきり明言した。しつこく追及して伝えるのが報道の責務じゃないか。

 野田新首相は、「安全性を確保し地元の理解を前提に再稼働させる」と述べたものの、新たな原発建設は「現実的には困難」とし、「寿命が来たものは更新せず廃炉にしていきたい」と表明したことから、原発建設推進派とまでは言えないかもしれない。しかしそれでも「原発依存を完全にゼロにするのは無理だ」との考えを示している。だからこそ原発再稼働の方針を明言したのだ。国民の命と健康にかかわるこういう重要なことを、公共放送であるNHKはなぜたっぷりと時間を割いて伝えないのか。

 ドジョウがどうしたとか、ナマズがなんたらなんてどうでもいいんだよ。NHKはドキュメンタリーはさすがだと賞賛される番組を作っているが、ストレートニュースはいつも本当に酷いな。視野はあまりに狭くて意図的で一方的。ドキュメンタリー班のジャーナリズム魂と、政治部など報道班の感性の鈍さとのあまりの落差に、いつもいつも驚き呆れるばかりだ。


9月3日(土曜日) 台風とは無縁

 きょうも朝から晴れてる横浜。午前中に一時的に5分ほどざーっと強い雨が降ったが、すぐに止んでまた日差しが照りつけてきた。そんな横浜は台風とは無縁のように見える。今のところ。ニュースの映像だと日本列島全体が大荒れのように見えるが、そんなことはないみたい。少なくとも首都圏に関して天気予報はハズレだ。

 セブンイレブンとイトーヨーカドーの売り場から、なぜか自社製のらっきょうが姿を消している。複数の店舗をのぞいてみたけど、売り場の棚が空っぽになっているだけでなく、商品表示された棚そのものがくなっているところもある。福神漬けはあるのにどうしたんだろう。ここのらっきょうは食べきりサイズで、1袋98円と値段も手頃だし美味しいので、ファンなんだけどなあ。


9月4日(日曜日) 露骨な宣伝番組

 テレ朝「サンデー・フロントライン」の今週の特集は「メザシの土光さん」(元経団連会長の土光敏夫)だったが、大絶賛するばかりなのは異常だと思った。「増税なき財政再建」「自ら率先」などとあまりに精神論的・道徳教育的で、国鉄や臨調には批判もあるはずだがそれらは一切無視。一方的な内容に驚く。

 確かに土光氏は評価される面もあるとは思うが、それにしてもこの特集の構成はちょっと酷いんじゃないかなあ。おまけに「メザシの土光さん」特集の最後は、テレビ朝日報道局デスクの著書の宣伝で締めくくり。ええーーっ。手前味噌にもほどがある。宣伝するにしてももう少し「うまいやり方」があるだろう。いろんな意味で露骨すぎる。一応これって報道ニュース番組じゃないのか。

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 発足したばかりの野田内閣の支持率は、読売の全国世論調査では65%、毎日が56%、朝日は53%、共同は62%だった。自民支持層から多くの支持を得ているのが特徴だ。

 野田内閣が民主支持層だけでなく、自民支持層からも高い支持を集めているのは、保守的姿勢にぐっとシフトした内閣だから。まだかろうじて民主カラーは残っているけど、自民党と大して変わりがなくなったら、民主党政権の意味はなくなる。

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 野田首相が「新規の原発建設は困難」と述べたことに、山口県知事が不快感を示したという(読売)。中国電力の上関原発(山口県上関町)の建設計画を、どうしても中止させたくないらしい。福島の絶望的な状況を見ながら、まだこんな感覚でいる救い難い馬鹿さ加減に呆れる。山口県民はよく平然としていられるな。むしろそのことに驚愕する。

 細野豪志環境相が、福島を放射性廃棄物の最終処分場にはしないと明言した(NHKニュースなど)。「福島の痛みを日本全体で分かち合う」との考えはもっともで誰も反対できないが、それは日本列島全体に汚染を拡散することになる。もう既に拡散してるから今さら問題ないということか。そうでないなら県民の理解を得て県内にとどめるべきだろう。


9月5日(月曜日) 安易に「風評被害」と言うな

 「風評被害」って嫌な言葉だよなあ。検査もせず出荷したり黙って流通させたりしているから、消費者は不安になり不信感を抱く。過剰防衛するのも当然の反応だ。きちんと検査して疑わしい食べ物は流通させないという当たり前のことを徹底すれば、風評被害なんて起こらない。

 やるべきことをやらずに、いい加減なことしかしないで、とりあえず「風評被害」という言葉さえ出しておけば免責され被害者にされる、という風潮はおかしい。本末転倒だ。しっかり検査し徹底した品質管理をして、その上で生産・供給している人たちに失礼だろう。安易に「風評被害」なんて言葉を使うべきでない。

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 たばこ値上げを支持する 「たばこは少なくとも1箱700円に」との小宮山洋子厚労相の提言を全面的に支持する。税収のためでも健康を守るためでも理由はなんでもいい。日本のたばこの販売価格は安過ぎる。安易に手軽に買える。だから吸いたい放題で喫煙が減らない。吸うのは自由だが他人に迷惑をかけるな。

 自宅以外の公共の場所(路上も含む)での喫煙は全面禁止すべきだ。喫煙者本人が健康を損なうのは各人の勝手。自己責任で自由に吸えばいい。しかし他者の権利や健康を侵害していいわけがない。もっともらしい理屈を並べて喫煙を正当化するような輩は、どんなに立派なことを言っていても信用できない。ちなみに個人的な見解としては、たばこは1箱1000円でもいいと思う。


9月6日(火曜日) 「個人的な思い」で片付けるな

 大学はまだ夏休み中だが、会議に出るため久しぶりにキャンパスに出かける。少し時間があったので図書館に立ち寄ると、前期で担当したクラスの学生にばったり出くわした。「まだ夏休みなのに図書館で勉強とは偉いな」「夏休み前に借りていた本を返しに来たんです」。確かに両手にたくさんの本を抱えている。「勉強熱心だなあ」「ゼミのレポートを書くのに必要だったんですよ」「それにしてもなかなか感心じゃないか」

 学生とそんな会話を交わしてから、エアコンの全く入っていない古い校舎の一室で、担当教授や講師の先生方と講義のあり方などの打ち合わせ。クラス編成や受講人数の少数化、希望者が抽選で受講できないことの不公平性、学内行事に対する教員の過重負担など、あれこれ切実な問題や要望を伝えて話し合ったが、結局のところはお金の問題に尽きることが鮮明にされただけだった。

 そうだろうなと半ば予想はしていたが、どの問題についても「予算が足りない」のを理由に、改善される見込みはほとんどなさそうだということだ。学生にとっても教員にとっても実に不幸な事態だと言わざるを得ない。伝えるべきことはだいたい伝えたので、それはよしとしたいが、徒労感に覆われつつ帰路についた。

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 これからの原子力政策について、鉢呂吉雄経産相が「原発の新規建設はしない。基本的に国内の原発はゼロになる」と明言した。マジかマジなのか。信じていいのか。本気だとしたら野田内閣を高く評価したい。ちなみに定期検査ですべての原発が止まる時こそ、原発なんてなくても問題ないとアピールする絶好の機会だ。

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 きのうの小宮山洋子厚労相のたばこ増税発言に対し、藤村修官房長官は「個人的な思い」との見解を示した(ロイター)。さらに安住淳財務相からも「全く念頭になかった。ご高説は承ったが所管は私だ」と牽制された(読売など)。がっかりだな。

 野田首相も安住財務相も愛煙家で有名だが、それが影響しているのではとの説もある。しかし嗜好品だからとか個人的な好き嫌いといったレベルの話ではなく、喫煙は他者の健康を脅かす「重大な権利侵害問題」としてとらえるべきだろう。増税の是非はともかく、公共の場所での喫煙は全面禁止してもらいたい。しつこいようだが繰り返し指摘しておく。厳しく取り締まって違反者には巨額の罰金を課す、というのも有効かもしれない。

 それにしてもこんな調子だと、鉢呂経産相の原発ゼロ発言に対しても、横やりが入りそうで心配になる。小宮山厚労相のように「個人的な思い」にされては、たまったもんじゃない。脱原発だけは閣内で揉めたり「個人の思い」で片付けたりしないで、一致団結してしっかりやってほしい。愛煙家の首相であったとしても、脱原発は断固実行を!

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 読売テレビの番組「たかじんのそこまで言って委員会」で中部大の武田邦彦教授が、岩手県一関市の放射線数値を示した上で「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」「今、東北で農作物を生産するのは間違い」などと発言。これに対して岩手県一関市長が抗議。武田教授は「取り消すつもりはない」と語った(毎日)。別に問題ないと思うけどなあ。これを規制したら何も言えなくなる。

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 菅直人・前首相が東京電力に出向き「撤退はあり得ない」と迫った話について、菅氏のブレーンでもある五十嵐敬喜・前内閣官房参与が裏話を証言。事前に東京電力が福島第一原発の撤退を打診しており、菅前首相の言動はそれに対する死守命令だったと説明。その上で「もし東京電力の撤退を許していたら東北は全滅していた」と述べた。→ http://npn.co.jp/article/detail/17858196/


9月7日(水曜日) 倒錯した読売社説に驚愕

 「原発の建設をやめた国から、原発を輸入する国があるとは思えない」と、きょう7日付の読売新聞の社説まるで原発輸出のためには国内の原発建設が必要だ、と言わんばかりの倒錯した論調に驚愕させられる。見出しに「展望なき『脱原発』と決別を」とあるように、終始一貫して原発推進の主張が延々と続く。この見出し自体にも絶句するが、何回読んでも狂気の沙汰としか思えない。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110906-OYT1T01165.htm

 読売の読者は、きょうの社説のような論調をベースにした原発推進記事を読まされ続けて、そして洗脳されていくのだろうか。震災後の原発事故の大惨事から半年になろうとしているが、今も続く大量の放射能漏れを目の当たりにしながら、それでも原発推進を声高に叫び続ける心境が理解できない。一種の宗教と信者のようなものなのか、巨額の利権が背後に潜んでいるのか、それとも引っ込みがつかなくなっているだけなのか。取り返しがつかない原発事故と、それによる放射能被害に直面しているというのに、さすがに読売の読者はそこまで馬鹿じゃないと信じたい。


9月8日(木曜日) 真摯な科学者の姿勢に共感

 夕方から横浜駅構内の喫茶店で、出版社の社長と原発被災者取材の打ち合わせ。全体の流れや日程などを相談する。本題は1時間ほどで無事に終了。その後は、最近の司法行政や司法改革の動向のほか、刑事裁判や冤罪事件を取り巻く状況などについて、分かりやすくレクチャーしていただいた。とても勉強になる。

 駅前の家庭割烹の店へ。おでんが実に絶品だった。言うまでもないことだが、コンビニのおでんとは味もボリュームもまるで比べものにならない。大根、たまご、牛筋など、どれも味のしみ込み具合がなんともたまらない。しかもこれが冷えた生ビールに合うんだよなあ。フキやタケノコの煮物も美味。ごちそうさまでした。

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 菅さんが東京電力本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と迫った対応について、「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と枝野幸男前官房長官が評価。東電の清水正孝社長(当時)の申し出については、「全面撤退のことだと政府側の全員が共有している」と証言した。(読売)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110907-OYT1T01246.htm

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 東京電力は衆議院委員会の要請に対し、福島第一原発の事故時の運転操作手順書をほとんど全て黒塗りにして提出した(TBS)。いったい誰のための提出で、誰のための黒塗りなのか。東電の言動は終始一貫して理解に苦しむことばかりだ。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4821157.html

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 「今、東北で農作物を生産するのは間違い」などと読売テレビの番組で発言し、岩手県一関市長から抗議されたのに対し、中部大学の武田邦彦教授からの返信。「日本国憲法が保証する学者としての学問の自由と、国民としての言論の自由のもとに発言している。科学的判断と正直な気持ちでそのまま言っている。事実ですから取り消しません」。真摯な姿勢に共感。全面的に支持する。

http://takedanet.com/2011/09/post_d44c.html

 武田教授の発言は科学的検証と事実に基づいたものと思われるので、山下俊一某のようなトンデモ博士の暴言とは全く異なる。両者は明確に区別されるべきだろう。学問の自由や言論の自由は、あくまでも(科学的)事実が大前提であるのは言うまでもない。


9月9日(金曜日) 「死の町」発言は間違っていない

 本当のことを言うと叩かれる風潮にうんざりする。現実を直視せず、希望的観測を振りまくことにどんな意味があるのか。「原発周辺市町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町でした」との鉢呂吉雄・経産相の発言に早速、メディアと自民党が噛み付く。菅前首相が「長期間居住が困難になる」と述べて非難された時と同じで、「死の町」の発言も何もおかしくない。事実なんだから。

 本質的なことから目をそらし、上っ面の言葉をあげつらい正義面するマスコミの「報道ごっこ」にイライラする。メディア側の一人として的外れなメディア批判には反論し、援護すべきことは援護してきたが、経産相叩きの酷さは我慢ならない。「死の町」の状態にあるのは事実だろう。そもそも「死の町」にしたのは誰なんだ。そこを徹底追及して、すべての原発を止める道筋を模索することこそが最優先課題ではないのか。

 朝日新聞社とテレビ朝日系放送局の共同世論調査に対し、放射性物質への不安から、福島県民の34%が「できれば移り住みたい」と答えたという。東電によって福島第一原発周辺が「死の町」状態にされたのは現実。もう住めないのはみんな分かっているし、移住したいのは本音だろう。鉢呂経産相の発言は間違っていない。

 経産相の「死の町」発言に対して、野党の皆さんが一斉に反発しているそうだ。「被災地の希望を打ち砕く暴言」(自民党の逢沢一郎国対委員長)、「被災者の心を踏みにじる発言だ」(公明党の斉藤鉄夫幹事長代行)。原発を推進してきたお前らが言うな。子どもたちが住めないような「死の町」にしたのは誰のせいなんだ。原発推進への反省もせず、自らの責任は棚に上げて「被災者の心を踏みにじる」とは笑わせる。噴飯ものの悪い冗談としか思えない。


9月10日(土曜日) 大はしゃぎのマスコミに呆れる

 今回の鉢呂経産相叩き報道は、菅首相に対する袋叩きと同根だと思うが、メディアの馬鹿さ加減にはほとほと愛想が尽きた。政治部記者や編集幹部は、残念ながら何の反省もしていないだろう。

 「ふざけるな」「くだらない」「あきれる」のは鉢呂経産相の発言でなく、こんなことで大騒ぎしてるマスコミと政界の方だ。程度が低すぎる。原発からは今も放射能が漏れ続け収束のめどさえ立っていないのに、再稼働や輸出の動きまである。その方がはるかに大問題じゃないのか。「死の町」の発言にしても「放射能」の発言にしても、おかしなところなど何もない。鉢呂経産相が辞める必要はまったくなかった。責められるべきなのは、原発周辺の町と人々の生活をメチャクチャにした電力会社と官僚と政治家だ。

 鉢呂発言に嬉々としているマスコミの中でも、朝刊の1面トップで大々的に報じる毎日と東京は異常だが、突出してはしゃいでいるのが毎日だった。「10人程度の記者が鉢呂氏を取り囲み、鉢呂氏はたまたま近くにいた毎日新聞記者に近寄り、防災服をすりつける仕草をした」(毎日)というが、この記事に署名はない。具体的な発言内容についての説明もない。つまり本来ならばその程度のどうでもいい記事なのだ。

 松本復興相の発言騒動の際に出遅れた(ことで上司から叱責された)毎日が、挽回しようと的外れの奮起をして、鉢呂経産相とのやり取りでここぞとばかりに大はしゃぎした、といった展開が目に浮かぶ。ほかのマスコミ各社も乗り遅れては大変と、いい加減な伝聞をもとに「伝言ゲーム」に参加したというのが一連の流れだろう。

 毎日「放射能をつけたぞ」、朝日「放射能をつけちゃうぞ」、読売「ほら放射能」、日経「放射能をつけてやろうか」、産経「放射能をうつしてやる」、NHK「放射性物質がうつった」。ここまで発言内容が各社バラバラであやふやなのも珍しく、なんとも解せないところだ。しかしこのチグハグさこそが、あいまいな伝聞でいかに適当に記事を書いているかを証明している。

 菅さんは曲がりなりにも最高権力者だったから自分の意思である程度まで粘れたが、鉢呂経産相は野田首相が守らなかったから辞任せざるを得なかったのだろう。野田首相は鉢呂氏を徹底して守るべきだった。原発に批判的だった鉢呂氏が、メディアと推進派に寄ってたかって排除されてしまった。何なんだろうこの国は。最優先課題はほったらかしにして、どうでもいいことに異常なほど熱心なメディアと政治家は、この国をどうしたいのだろうか。


9月11日(日曜日) メディア全体が末期症状

 菅首相や鉢呂経産相をめぐるマスコミの馬鹿騒ぎを見て、今月下旬から始まる大学のジャーナリズム論の講義内容を、手直ししようかなと真剣に考えている。これまで的外れなメディア批判には反論し、援護すべきことは援護してきたが、一連の「政治」報道はあまりに酷過ぎる。危機的状況だ。

 実にレベルの低いくだらない話だが、ジャーナリズムの根幹に関わる問題なので、現役記者の端くれである僕としては触れざるを得ない。スルーするようになったらその時は、メディアに完全に絶望して無関心になったということだろう。それにしても志と問題意識と理念があって、なおかつ力量もある記者がどれくらいいるだろうと考えると、絶望的な気持ちになる。それでも今のところゼロではないので、絶望してしまうのはまだ早いかなと思う。

 ただし断っておくが、政治部・経済部の記者や記者クラブをどうにかすれば解決するような問題だと僕は全く思っていない。フリーランスの記者・ライターを自称する人たちの中にも、口では立派なことを言うが取材対象との距離感がデタラメで、思い込みが激しく横柄な態度は取るし、記者会見なのに質問しないで持論をとうとうと展開する、職業倫理を理解しているのか疑わしい、といった手合いは残念ながら大勢いる。社員記者と社外記者の違いに関係なく、メディア全体が末期症状ではないかと不安を感じている。

 それはともかく今回の鉢呂経産相をめぐる馬鹿騒ぎは、大手マスコミの程度の低さを、改めて露呈する格好になってしまった。

 <岡部央・共同通信経済部長は「『死の町』発言で、原発事故対策を担う閣僚としての鉢呂経産相の資質に疑義が生じたことで、前夜の囲み取材での言動についても報道するべきだと判断した」としている>(中国新聞)。どうして「死の町」発言で経産相の資質に疑義が生じるのか、さっぱり分からない。事実を的確に表現した言葉じゃないか。「死の町」などと表現されたら、「死の町」にした張本人が困ると言わんばかりではないか。記者としての資質に疑義が生じたのは、岡部経済部長あんたの方だよ。

 経産省担当記者は政治部だけとは限らない。なるほど経済部も絡んでくるものなあ。それで経済部長が登場したのか。いずれにしても、政治部と経済部にはろくでもない記者が多い。取材対象との距離感がつかめない記者や、記者の特権や立場を勘違いする記者だ。僕自身の記者経験からずっと感じていたことだが、今回の件で改めて確信した。

 もう一つ、どうにも我慢ならない記事があった。9月10日付の朝日夕刊1面のコラム「素粒子」である。この欄は嫌いじゃなかったけど、鉢呂経産相の「死の町」発言を「貧弱な表現力」だと。どこが貧弱なんだろう。むしろ本質をズバリ突いた真実の描写そのものではないか。本質が見抜けない素粒子の知性と感性の驚くべき貧弱さには、がっかりさせられた。

 「放射能発言」にしても、この発言自体が各社バラバラの表現で伝えられ、事実関係も曖昧なまま報道されている。明らかに異常だろう。「事実」の確認さえろくにされていないものが「報道」と呼べるのか。裏付けや検証もせず、「言葉」を大切に扱わずに「寒いおふざけ」(素粒子の台詞)をしているのは、記者やデスクや編集責任者の側ではないのか。こんないい加減な「ニュース」を垂れ流すのがメディアの仕事なのか。こんなものを嬉々として伝えるのはおよそジャーナリズムとは無縁の作業だ。

 原発周辺の市町村が置かれた状況の真実を伝えた言葉や仕草を、根拠のない薄っぺらな「正義感」で袋叩きにして、事実関係の裏付けも取らずに曖昧な情報を一斉に垂れ流すなど、ジャーナリズムでも何でもない。一連の「報道」はおかしい。異様だ。メディアは自分で自分の首を絞めていることにいつ気付くのだろうか。現役記者の端くれとして何回でも指摘しておく。


9月12日(月曜日) 原発不安の声を抹殺

 日曜日の東京都内の反原発デモで12人が逮捕されたという。反原発・脱原発の動きが広がることに、いわゆる支配階層が相当な恐怖を感じ、危機感を抱いていることの証明ではないか。公安当局もいよいよ本気になりつつあるのかもしれない。フツーの市民が楽しく気楽に遊び心で参加するのは、これから難しくなっていくのだろうか。主権者の大切な権利であるデモを露骨に弾圧し、表現の自由をなり振り構わず制限してくることに、どれだけ多くの人が危機感や関心を持って声をあげられるか。まさに民主主義の根幹にかかわる問題だ。

 戦前も戦後も体制に楯突くような輩は、しっかりチェックされて弾圧される。露骨か巧妙かの違いはあるかもしれないが、それは今の時代でもどこの国でも変わらない。権力とはそういうものだ。しかしだからこそ、ジャーナリズムがしっかり権力を監視しなければならない「はず」なのだが…。

◇◇

 鉢呂経産相の「死の町」発言を「不謹慎だ」などと袋叩きにしたメディアと、アエラの「放射能がくる」の表紙を「無神経だ」「不安を煽る」と猛烈にバッシングした人々はそっくりだ。「被災者の気持ち」を持ち出して巧妙に論理をすり替え、原発事故を過小評価し、放射能による健康不安を矮小化させるための屁理屈を展開する点で共通している。

 鉢呂氏の「死の町」やアエラの「放射能がくる」を非難する人々は、「不安を口にするな」「希望だけを語れ」と言わんばかりで、現実を直視することを一切許さない。そうして、放射能をまき散らしたのは誰で死の町にしたのは誰なのか、という本質を語れなくさせてしまうのだ。原発への不安の声を抹殺する役割を、どちらもこれ以上ないほど見事に果たしているではないか。まるで戦時中の言論統制社会のようだ。


9月13日(火曜日) この国のメディアは

 朝日新聞が鉢呂経産相発言の「検証記事」を掲載した。報道各社の記者が取材現場にいたかどうかは分かったが、朝日自身の対応も含めて、紙面化までの経緯など肝心なところは不明。実に中途半端な内容だった。

 「死の町」の発言は問題ないだろうかとか、辞める必要はないんじゃないかといった議論は社内でされなかったのか、そう主張する記者や論説委員はいなかったのか。だれもブレーキをかけなかったのか。だとしたら、それはそれで危機的な状況だと思うが、そのあたりをもっと突っ込んで書いてほしかった。まあ、検証してみせただけマシだとは思うけど。

 しかし酷いのはこの日の朝日の社説だ。呆れてしばし言葉を失った。「政治への失望感を募らせる。いったいこの国の政治家たちは何をしているのか」「あまりに緊張感を欠いており辞任はやむを得ない」だと。緊張感を欠いているのはメディアの側だろう。「いったいこの国のメディアは何をしているのか」と書き直して再掲載したほうがいい。

 この社説のすぐ隣に、「鉢呂氏の発言、非難は的外れ」という読者の声が掲載されていた。バランスを取ろうとしたのか、それとも論説委員室の社説があまりに酷いので、「声」欄の担当記者があてつけで載せたのか。まあ、こういう投書を掲載しただけマシだと思うけど、それにしてもどうしてこの投書くらいの文章を論説委員が書けないのか。まったくもって理解に苦しむ。

◇◇

 東京電力がインターネットの自社サイトに、9月11日放送のTBS「震災報道スペシャル原発攻防180日間の真実」が原発事故を「人災」と結論づけたことについて、「甚だ遺憾だ」と抗議する文章を掲載した。「現場からの全面撤退を考えて国に伝えた事実はない」とも主張している。

 えっ…。原発事故が「人災」なのは火を見るよりも明らかだし、いち早く逃げ出そうとして、菅首相(当時)からどやし付けられたのは周知の事実じゃないか。よくもまあヌケヌケと。並外れた神経の図太さと面の皮の厚さに、空いた口が塞がらない。

http://www.tepco.co.jp/cc/kanren/11091301-j.html

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 途中で切れていた光ケーブルを、天井裏から通す再工事が完了。ようやくNTTの光回線が開通した。で、電気コンセントから光回線が利用できる「PLCアダプター」なるものを家電量販店で購入し、ルーターとパソコンにそれぞれ接続。12時間ぶりにネットとつながった。動画がなめらかに動いているような気がする。


9月14日(水曜日) 裁判官には裁かれたくない

 夕方から横浜市内。冤罪事件の弁護団会議に参加させてもらう。弁論の中心に据えて主張すべきことは何か、証人申請はだれにするかなど、3時間ほどの熱い議論に加わらせてもらった。終了後は暑気払い。弁護士や支援者と近くの居酒屋へ。

 「裁判官なんかに裁かれたくないよ。どんな判決を言い渡されるにしても、素人の裁判員の方がはるかにマシ」。力説する著名弁護士の言葉に全く同感。大した素養も度量も理念もないくせに、偉そうに人を「裁く」デタラメ裁判官の不遜さを法廷で目の当たりにすると、どうしてこんな奴に裁かれなければならないのかと感じることは多い。幸いにもこれまで当事者になったことはないが、刑事でも民事でも被告人席には絶対に座りたくないと思う。

 裁判官に自分の将来をゆだね、生殺与奪のすべての権限を与えざるを得ないなんて、想像するだけで体中に怒りが満ちあふれてくる気がする。理不尽な冤罪事件に巻き込まれ、さらに法廷でも理不尽な扱いを受けている当事者にしてみれば、その怒りはどれほどのものだろうか。想像するに余りある。


9月15日(木曜日) 残念な「社説余滴」

 鉢呂経産相の一連の発言をめぐる国会質疑のくだらなさに愕然。「被災者の心を踏みにじる」「配慮を欠く」って何なんだよ。被災者を踏みにじった張本人は電力会社と自民党だろうが。参院代表質問を聞いていて政治家の馬鹿さ加減にムカムカする。「国会論戦」(失笑)なるものの愚かさには呆れるばかりだ。時間の無駄としか思えない。

 きょうの朝日の「社説余滴」で大野博人・オピニオン編集長兼論説主幹代理が、「経産相の辞任騒ぎはグロテスクだと思う。政治がこんなことにエネルギーと時間を費やし、メディアが助長したように見える。社説は『辞任はやむを得ない』と指摘したが、辞任までの事態の進み方は異様だ。人々の心に残るのは政治とメディアへの不信感だけだ」と書いていた。

 全くその通りで同感だが、ならばせめて社説では両論併記すべきだった。今ごろになってこんなことをちょろっと書くなんて、論説委員室の中にはこういう意見もあるんですよ、ということを示す言い訳か、アリバイづくりのようにしか見えない。書いた本人にはそんなつもりはないとしても、非常に残念だ。

◇◇

 読売の記事「運動会に異変の秋…屋内で競技・外での昼食中止」を読んで、子どもたちにとってまともじゃない環境になっていることを改めて実感する。原発事故の影響で福島はもはや普通に生活できるような状態ではないのだから、無理しないで疎開・脱出すればいいのにと思ってしまう。もちろんそれぞれ事情はあるにしても。「学校側は対応に苦慮。保護者の意見が折り合わず、中止に追い込まれるケースも出ている」そうだ。影響は関東にも広がっている。事態は考えているよりも深刻だ。

◇◇

 ツイッターを眺めているといつも思うんだけど、皆さん発信元の素性などを確認した上でRTしないのかな。元ネタまで辿って確かめてから転載するのが当然だと思っていたが、どうやら何も考えずに即座に反応しているらしい。冗談やパロディーを真に受けて真剣に反応する人が多過ぎる。デマ情報に振り回され不用意に拡散するのはこの手の人たちだ。

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 京浜急行本線の上空を飛んだ今回の「くもじい」(空から日本を見てみよう)は、2時間スペシャルにしてはあっさりした内容だった。まったりして飛行版「ちい散歩」みたいだったのに、終わってしまうのは残念だ。それにしてもこの番組って、日本経済新聞系のテレビ東京だけあって、かなり企業紹介っぽいよなあ。


9月16日(金曜日) 意味不明の「Eテレ」

 「渋谷センター街」を「バスケットボールストリート」(通称バスケ通り)に改名するのって、「E電」や「Eテレ」と同じくらいセンスのない愚行だと思う。いくらNHKのお膝元だからって、こんな馬鹿馬鹿しい改名まで真似しなくていいのに。

 だいたい「Eテレ」なんて言葉を、みんなが理解して認識しているとはとても思えない。なんのことだか分からない人は実際に相当数いる。それくらい意味不明な言葉ではないか。どうして「教育テレビ」ではいけないのか。NHKはどうやら「Eテレ」が一般化していると思っているらしいが、大いなる勘違いだとしか言いようがない。度し難い愚かしさである。


9月17日(土曜日) やめられない止まらない

 近所のスーパーで、アイスのパックを安売りしていたので2箱購入。ついつい5本入り1箱を1日で全部食べてしまった…。そんなはずではなかったのに、時すでに遅し。やめられない止まらないって、かっぱえびせんか(汗)。

◇◇

 「八重山教科書問題をめぐる文部科学省の通知は事実上、竹富町教育委員会に採択教科書の変更を求めている。国による介入以外の何物でもない。諮問機関にすぎない採択地区協の判断を優先すべきだという根拠は何なのか。理解に苦しむ」琉球新報の社説が主張している。全く同感だ。全面的に支持する。

 そもそも、公民の教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版を選んで、石垣・竹富・与那国の3市町教委に答申した八重山採択地区協議会(玉津博克会長)の選定過程が、あまりにも意図的で恣意的で一方的だった。教育現場の声を無視したも同然の採択地区協の結果が、多くの教育委員から総スカンを食らったのは当然と言っていいだろう。にもかかわらず、文科省は育鵬社版の公民教科書をゴリ押ししようとしている。そんな国の姿勢に対して、沖縄で反発の声が広がっているのはさもありなんだ。


9月18日(日曜日) フィクションに過ぎない「物語」

 「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書は「読み物としての面白さ」が売りで、そうした「物語性」を評価する教育委員も一部にはいる。だがその一方で「歴史的事実を勝手に解釈して物語をつくっているだけ」といった批判をあっちこっちで耳にしてきた。つまり「つくる会」系の教科書は、NHKの大河ドラマのようなものでフィクションなのだ。フィクションに過ぎない物語を、歴史的事実として教えることにそもそも無理がある。

 NHKの大河ドラマに対して、「史実と違う」「勝手に話を作るな」などと批判するのは、お門違いで全くナンセンスだ。だって脚本家がイマジネーションを膨らませて創作した物語なんだから。ほかのテレビドラマでは、「これはフィクションです」というテロップが必ず入るのに、大河ドラマには一切登場しないから視聴者が勘違いして誤解が生じるのだ。大河ドラマにしても「つくる会」系の教科書にしても、「これはフィクションで実在の人物や事実とは異なります」と注釈を入れるべきだろう。

 本当はどんなにひどい教科書であっても、教える側の教員に力量と見識さえあれば、授業はなんとでもなるはずだ。しかし難点が2つある。教員に力量がない場合と、政治や教育行政が授業内容に介入・規制する場合だ。僕のこれまでの取材経験ではこのところ、与えられた教科書以外の別の副教材やプリント類の使用が認められない、といったケースが目立ち始めている。

 教育委員会からの通達や通知で、教科書以外の教材を使わないように指示されると、現場の教員はお手上げになってしまう。「つくる会」系の教科書しかなければ、「勝手に解釈した物語」を事実として生徒に教えざるを得ない。つまり「NHK大河ドラマは歴史的事実だ」という授業をさせられることになるのだ。学校はまるで戦前みたいになりつつある。取材を通じてそう感じる。

 一番怖いのは、現場の教員が問題意識もなく危機感も抱かず、授業の力量も磨こうとせずに、与えられた教科書「を」右から左にそのまま教えている現実かもしれない。教える側に教科書「で」教える力があれば、まだ救いがあるんだけどなあ。教育内容への政治介入を巧みにすり抜けながら、デタラメな教科書を逆手に取って、反面教師として教えることも不可能ではないからだ。しかしそれだけの力量と意識のある教員は、残念ながらどんどん減っている。


9月19日(月曜日) 明治公園の反原発集会に6万人

 午後から東京・明治公園で開かれた反原発集会(さようなら原発5万人集会)に出かける。会場に入りきらない人が千駄ヶ谷駅や周辺にもあふれ返っていたので、参加者5〜6万人(主催者発表は6万人)という数字は妥当な線ではないかと思う。明治公園の収容人員(キャパシティー)は3万人とされており、実際に会場内は立錐の余地もないほどの超満員だったからだ。千駄ヶ谷駅のホームに降りてから改札を出るまでだけで20分近くかかったし、そこから会場までも行列で埋め尽くされていた。

 集会参加者が警察発表で2万7000人というのは、現場にいた実感としても少な過ぎる。やはり5〜6万人はいたと思う。ただ、デモや集会に関して、フジサンケイグループが警察発表に基づいた伝え方に徹しているのはいつものことだとしても、フジテレビが参加者を「2万5000人以上」としているのは「以上」ということだから、姑息だけど間違いではない(失笑)。産経はなぜか参加者を「約6万人(主催者発表)」としていた。理由は謎だ。

 午後2時半過ぎに、3コースに分かれて明治公園を出発した反原発デモは、動員された団体や労組のメンバーが黙々と歩くだけの一団や、紋切り型のシュプレヒコールを続けるグループが目立つ一方で、お祭り騒ぎのように楽しみながら元気いっぱいにメッセージを発信する母親や子どもたちもいて、まさに玉石混交といった感じの行進だった。

 残念だったのは、道行く人がほとんどいないコースをかなりの距離歩かされていたこと。商店の多くもシャッターが閉まっていて、これではデモの効果がなくてもったいない。JR新宿駅南口の甲州街道に近づくと、ようやく大勢の人たちに注目を浴びていた。1時間以上も延々と続く隊列は圧巻だった。

 反原発デモにずっと同行取材していて思ったのは、ありきたりのシュプレヒコールの絶叫よりも、「ふるさとを返せ」「フクシマを返せ」「子どもたちを守ろう」など、生きた言葉の方が周囲に届くということだ。沿道には冷めた目で無視する人と、共感を示しているように見える人と両方いたが、反応は発信の仕方で大きく変わってくる。その辺は自覚して工夫した方がいい。

 そしてやっぱり改めて思ったのは、どうせデモをするなら人があふれ返っている繁華街のど真ん中でやるべきだろうってこと。新宿のアルタ前から靖国通りとか、渋谷の公園通りとか、銀座なら三越前のメインストリートなどを突っ切らないと。それでこそデモのアピール力が最大限に発揮される。だれもいない沿道で叫び続けても虚しいだけだ。

 明治公園の集会と反原発デモを取材してから、懲戒免職された都立高校教員の話を聞きに東京・立川へ。横浜に帰ってきたのは午前0時前だった。ああ疲れた。でも雨が降らなくてよかった。撮影したデモの写真は100枚以上。フィルムカメラだとこんなには撮らない。やはりデジカメならでは、だよなあ。

◇◇

 都立高校の教員の話は、校長と喧嘩した都立高校教員が懲戒免職後、傷害容疑で突然逮捕されたというものだ。喧嘩両成敗でない背景に疑問をなんら持たず、最初から示談を勧めて証人申請さえしない弁護活動の末、公判2回で有罪判決が言い渡された。聞けば聞くほど酷い弁護士だ。教員免許失効の規定や条文すら知らなかったという。事前に調べたりしないのか。明らかに弁護過誤だろう。

 誠意がない上に無能ときたら救いようがない。基本的な法律の条文を知らないのも論外だが、百歩譲って知らないのは仕方ないにしても、いったん事件を受任(担当)したら事前に調べて準備するのは当然だろう。それさえ怠っているなんて信じられない。

 こんな刑事弁護があり得るのかというお粗末さだ。もっと早く教えてくれたら、まともな弁護士を紹介したのに。控訴もせずに有罪が確定してしまったから、刑事事件はもうどうにもならない。人事委員会や行政訴訟の場で懲戒免職処分の取り消しを求めて本気で戦うなら、弁護士を即刻解任して新しく選任すべきだと助言した。


9月20日(火曜日) まるで人ごとの東京新聞に違和感

 鉢呂経産相の発言と辞任について、「多くのメディアが『批判スパイラル』一色に染まっていく状況を恐れる」と、きょうの東京新聞の社説。1面トップで経産相の発言を書き立てた自紙の報道には全く触れない姿勢に、どのツラ下げてと思う。まるで第三者のような書きっぷりがすごく不快で信用ならない。市民運動の世界ではやけに高く持ち上げられている東京新聞だけど、ちょろっと取材してパッパと書いて煽り立てる印象が強く、なんだかなあと違和感を抱いていた。きょうの社説を読んでやっぱりなと思った。

◇◇

 (ひとりごと)新聞記者ならみんな分かっている自明の話を得意げにタラタラ書き連ねたとしても、間違った内容でないからそれはそれでいいけど、言行不一致で事実をさらっとねじ曲げてもっともらしい文章に仕立てるのが得意なこの人が、ご大層なことを書いているのを見るとケッと思ってシラケてしまう。そんな僕はたぶん心の狭い不寛容な人間なんだろうな。(ひとりごと)


9月21日(水曜日) 台風接近で臨時休校

 大学から朝10時半過ぎに電話があった。「台風接近のため2講時以降は臨時休校になりました」とのこと。僕の講義は午後から。台風15号の首都圏直撃が予想され、ちょうど風雨が強くなりそうな時間帯だ。そんな中を出かけるのは嫌だなあと思っていたので、ちょっとうれしかったりして(汗)。でもまあ学生にとっても賢明な措置だと思う。

 きょうは後期の講義初日。ガイダンスの予定だった。原発報道や鉢呂経産相の発言をめぐるメディアの問題など、学生の興味を引きそうな話をしようと思っていたのだが、台風による休校で出ばなをくじかれた感じ(笑)。補講をするか1回分を端折るか、どうしようかなと思案中だ。学生の様子や反応などを考慮した上で、できるだけ補講をする方向で考えている。

 それにしても、遠方から授業に来る先生は可哀相だなあ。大学からの連絡が間に合わなかった同僚の先生の一人は、台風による臨時休校の措置を知らずに家を出て、暴風雨の中を大学までたどり着いたそうだ。「参っちゃったよ。これから多摩まで帰る」と電話をくれた。あまりに気の毒で「お気をつけて」と言うしかなかった。無事に帰宅されますようにと祈るばかりだ。

◇◇

 <本性を現した野田首相> 脱原発に積極的だった鉢呂経産相を切り捨てた野田首相がいよいよ本性を現した。「現在停止中の原発を来年夏までに再稼働していく」との考えを米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に語ったという。今夏に電力不足にならなかったので、再稼動しなくても来夏も乗り切ることができるのではないかとの指摘に対し、「そういうことはあり得ない」と述べたというが、その発言こそあり得ないよ。

 「再稼動できるものは再稼動していかないと、電力不足になった場合には日本経済の足を引っ張ることになる」と述べて、原発再稼働の姿勢を明確にした野田首相。原発がなければ電力不足になるとする根拠は何なのか。いったん事故が起きたら、広範囲に長期にわたって汚染を招く原発の実態を目の当たりにしながら、「日本経済の足を引っ張る」とは論理が倒錯していないか。そもそも再び原発に何かあったら、日本経済そのものが成り立たなくなる。それどころか日本の国土と国民の生命・財産は大きく損なわれ、もはや取り返しがつかないことになるだろう。

 NHKの台風情報が大切で必要なのは言うまでもないが、その合間に挟まれる格好の一般ニュースの中で、「停止中の原発を来年夏までに再稼働していく」という野田首相の発言が、さらっと伝えられるのを目にすると、思わず「ありゃりゃ」とつぶやいてしまう。これこそ大変な発言のはずなのに。経団連と連合(電力総連)の強い意思と、尋常ではない圧力を感じる。


9月22日(木曜日) 原発を売り込む野田首相の無神経

 野田首相の国連演説って、要するに「安全な原発を作るから買ってね」という売り込みに過ぎない。大変な原発事故を起こして汚染をまき散らし続けている現実を直視せず、原発の存在自体に対する反省や後悔の念が微塵も感じられないところが、この人の本質を現している。

 この瞬間にも放射性物質を大量に垂れ流し続けている福島の原発を、どうやって収束させるつもりなのか、大切な国土と大気と水をどのように元に戻すつもりなのか。その答えや方向性さえ見つかっていないのに、他国に汚染の元凶を売り付けようとは、いったいどんな神経なのか理解し難い。恥知らずにもほどがある。

◇◇

 原発停止に危機感を募らせる福井県議が、「我々にとっては死活問題」と県議会で主張。雇用や経済活性化のためには原発の再稼働が不可欠との考えを強調した(読売)。いやいや、原発を再稼働させることこそがすべての国民にとって死活問題だから。命と健康があってこその雇用や経済でしょう。勘違いもはなはだしい。その身勝手な勘違いが多くの人々を破滅に導くことを、自覚してほしいものだが、たぶん気付くことはないだろうな。


9月23日(金曜日) 修習生の就職難を騒ぐな

 「難関の司法試験に合格した司法修習生が、法律事務所に入れず就職難にあえいでいる」というが、そんなに大騒ぎするような問題だろうか。司法試験に合格したら必ず就職できる、必ず法曹になれなければおかしい、と決めつける感覚や発想こそおかしいのではないか。資格に過ぎないのだから淘汰も当然あり得る。合格さえすればだれでも弁護士になって安泰だなんて、それこそ問題だろう。


9月24日(土曜日) 「外圧」で部屋がすっきり

 リビングがすっきり片付いている。実に結構な状態だが、これはすべて「外圧」のおかげにほかならない。家電量販店で地デジ対応テレビを買って設置に来てもらったり、フレッツ光の回線を開通工事をしてもらったりするために、設置や作業する場所の周辺を片付ける必要があったからだ。

 部屋を片付けなければなどと漠然と考えているだけでは、たぶんいつまでたってもどうにもならなかったに違いない。何ごとも必要に迫られなければ、率先して動くことなんてなかなかないよなあ。原稿やレポートやレジュメの締め切りなども同様だ。もちろんマメで真面目な人たちも大勢いるとは思うけど、少なくとも僕は怠け者なので、外からの切羽詰まるような動機付けがないと、重い腰が上げられない。尻を叩かれて(尻に火がついて)から、ようやくどっこいしょと動き出すタイプなのである。


9月25日(日曜日) ニュースの背景や前後

 ロシアのプーチン首相が大統領に復帰し、メドベージェフ大統領が首相に就任するというニュースを見て、この入れ替わりにいったいどんな意味があるのか、不勉強のためよく分からなかった。まるでわけが分からないと言ってもいいくらいだが、連続3選を禁じる憲法の規定に基づいて、腹心のメドベージェフ氏に大統領ポストを託していたと知り、ようやく入れ替わり人事の理由が理解できた。なるほどそういうことなのか。制度の抜け穴を利用して、とりあえず大統領交代。傀儡政権。そして再び全権の掌握へ。ロシアは民主国家にはまだほど遠い。

 大相撲千秋楽。琴奨菊が把瑠都に敗れた一戦は、生中継とニュースの映像とでは印象がまるで違う。気がはやって琴奨菊がフライングした場面から見ていると、立ち会いの段階で完敗なんだなあと分かるが、ニュースだと取り組みしか放送しないので、接戦のように見えるのだ。前後の場面が大事だと痛感する。


9月26日(月曜日) 加害の自覚も反省もない東電

 中学時代の親友が、フェイスブック(FB)で僕のことを見つけてくれて、30年ぶりに連絡をくれた。懐かしいなあ。ぜひ時間をつくって会いたいものだ。FBおそるべし。まさに実名ならでは。存在感をちょっと見直した(笑)。

◇◇

 「東京電力には加害者であるという自覚があるのだろうか」と毎日新聞が24日付の社説で書いていたが、そんなものはこれっぽっちの毛ほどもないと断言していい。加害者としての自覚をしていたら、社員に平然と高額退職金など支給できるわけがないし、国会に黒塗りの操作手順書を平気で提出することもできるはずがなく、損害賠償請求書類に「補償請求は1回限り」なんて高飛車な記述もしないだろう。

 まったく東京電力というのは救い難い組織だ。自覚も反省もない集団としか言いようがない。こういう会社は簡単につぶしてはいけない。むしろ最後の最後までしっかりと罪を償わせなければならない。それこそが加害企業としての責任というものだ。

 ところで、放射性物質に汚染された校庭の土をはぎ取って、袋に詰めるなどの除染作業をしている作業員の皆さんは、マスクも何も付けていないみたいだが大丈夫なのだろうか。土埃など結構あると思うけど。「除染」といっても集めた土は汚染されたままだし、その後の処理も土のゆくえも心配だ。際限なく続く作業に終わりはまるで見えない。被害と影響の大きさは計り知れない。

◇◇

 <イカちゃん2期スタート> いよいよ、きょう深夜2時からテレビ東京系で、「侵略!?イカ娘」の第2期の放送が始まった。とにかくイカちゃんかわいい。全体の雰囲気にちょっと違和感もあるけれども、まずまずのスタートだ。今後に大いに期待しているでゲソ。1期OPの主題歌がCMで流れたのはうれしかったじゃなイカ! やっぱりだれが何と言っても1期の「侵略イカ娘ソング」が大好きでゲソ! 【参照】注目アニメ紹介「侵略!?イカ娘」癒やし系コメディー再び(毎日新聞まんたんウェブ)。


9月27日(火曜日) 深夜のドーナツ

 深夜に駅前のドーナツ屋の前を通りかかったら、ドーナツ6個のセットを300円で安売りしていたので、これはお得だとついつい後先も考えずに買ってしまった。そんなに甘いもの食えんだろう。しかも夜中だというのに。馬鹿すぎる自分自身に呆れる。


9月28日(水曜日) 後期授業まずまずの初日

 午後から授業。先週は台風のため臨時休校になったので、きょうが後期の初日となる。聞くところによると、台風接近の前日に大学付属の小中学校と高校では、早々と休校を決めていたらしい。的確な判断だ。間抜けなことに大学だけが、当日の朝に会議を開いて臨時休校を決めたのだとか。「おかげで電話連絡が間に合わなかった教員や学生は無駄に登校するはめになったんです」。暴風の中をずぶ濡れで出勤した先生が愚痴をこぼしていた。台風の首都圏直撃はあらかじめ分かっていたのに。困った大学だなあ。

 それはともかく、後期初日のきょうはガイダンス(イントロダクション)なので、「現代ジャーナリズム」の講義の目的と進め方などを説明する。施政方針演説みたいなものである。原発事故や鉢呂経産相の発言をめぐる報道について触れながら、「ジャーナリズムの役割と問題点を考える材料を提供していきたい」と述べた。

 反応はまずまず。授業が終わって学生に提出してもらったコメント用紙を見ると、「大震災以降、テレビや新聞のニュースに疑問を感じるようになった」「原発事故を境に報道に対する信頼感が大きく損なわれた」と書く学生が半数近くいた。なるほど。原発報道への疑問からメディアに関心を持った学生もかなりいそうだ。

 大きめの教室は学生でぎっしり。レジュメと資料がなくなりそうになった。おかしいなあ。多めに印刷したんだけどなあ。9割以上が出席している。他学部の学生も何人かいる。履修予定者数が増えたとしか思えないんだけど。

 【追記】学食で定食を頼んだら、味噌汁に半端なく野菜がたっぷり入っていた。大根、白菜、タマネギ、ニンジンがてんこ盛り。お椀がもっと大きければこれだけでおかずになるくらい。味も悪くない。そんな学食なのに、なぜかガラガラ。謎だ。たまたまなのか。


9月29日(木曜日) 脚本家と「早春スケッチブック」

 NHK総合のディープピープル「ドラマ脚本家」。26日の本放送と29日未明の再放送を2回も見てしまう。それくらい面白かった。人気脚本家である岡田惠和・中園ミホ・尾崎将也の鼎談が実に興味深い。仕事の進め方や原稿執筆で呻吟する際の打開策など、いちいちなるほどなあと感心する。中でも3人にいずれも影響を与えたのが山田太一の「早春スケッチブック」だった、というエピソードは秀逸で納得するばかりだ。山崎努の「ありきたりなことをいうな」「お前らは、骨の髄まで、ありきたりだ」とのセリフは確かに名言だったが、視聴率は悪かったという。視聴者を敵に回すことになってもこういう脚本が書ける、こういう脚本を書く脚本家がいるということの意味は大きい。だからこそこの3人をはじめ、多くの人が山田太一から強く影響を受けているのだろう。

 久しぶりに緊急地震速報のチャイムを聞いた。午後7時過ぎ、福島県いわき市で震度5強。横浜は全然揺れなかったけど、たまに大きめの地震があると不安になる。ちょうどNHKが「原子炉の周辺温度がすべて100度を下回った」などと、原発に関して楽観的なニュースを伝えている最中の緊急地震速報だった。神からの警告のようなものを感じてしまう。特に信仰があるわけじゃないけど。

 【おことわり】9月28日付の「身辺雑記」の文末に、追記を書きました。


9月30日(金曜日) 原発への「怒り」がエネルギー

 今夜のNHK「ニュースウオッチ9」は珍しく見ごたえのあるいい内容だった。「怒りがマグマのようにあってそれがエネルギーになっている」と語った俳優・西田敏行の言葉が実に印象的。力強さと説得力がある。原発にふるさと福島を奪われた悲しみの原点は、やはり「怒り」だよなあ。

 緊急時避難準備区域の解除って、要するに原発を再稼働するための布石じゃないか。原発事故の収束はほど遠く、事態収拾の目処さえ立たないし、避難準備区域の除染や安全性の確保もされていないのに。着々と既成事実を積み重ねようという魂胆が見え見えだが、それにしても露骨すぎるだろう。さすが野田内閣…。


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