身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2012年7月1日〜7月31日

●大飯原発再稼働●原発なんかどうでもいい小沢一派●熱いマグマと起爆剤●やっぱり紙媒体が好き●国会事故調「介入招いた張本人は東電」●度し難い大津市教委の不作為●終電まで抗議すればいいのに●大飯原発フル稼働で火力発電停止●「人類は衰退しました」●「逆転無罪の事実認定」●問われているのはメディアの姿勢と記者の意識●メディアの姿勢と記者の意識その2●メディアの姿勢と記者の意識その3●加害者情報を晒す人々の執着●何回目だトトロ●「みぞれ梨」やっと発見●いじめはなくならない(大事なのは逃げること)●「TARI TARI」●当事者が聴取会に出てくる異常●「反原発」に目的を絞れ●「白くまアイス」●深夜の「時かけ」●冷静に踏み込んで●行動がズレてる鳩山元首相●伸びしろはそれぞれ●微妙な「サマーレスキュー」●成績評価をめぐるあれこれ●野田内閣はオスプレイに命を捧げよ●度胸か厚顔無恥か産経新聞●産経の取材手法と報道姿勢●デモは簡潔明瞭がいいと思うよ●前期の成績評価を完了●車道封鎖はおかしい●五輪一色のテレビが鬱陶しい●本質的な議論●●●ほか


7月1日(日曜日) 大飯原発再稼働

 インターネット中継の視聴を通して原発抗議デモに参加するというのも、今の時代らしい方法だなと思う。もちろんそれはそれで有効だし、バーチャルな形での参加者は相当数いるはずだ。ただ、抗議の声をぶつける相手(政治家や官僚や財界人)は、目の前にいる群衆の姿と声しかキャッチしないからなあ。たぶん物理的に認識できる動きしか、彼らの目と耳には入らないだろう。そう考えれば、やはり圧倒的な人数で直接抗議すること(選挙権の行使も含む)が最も大きな力になると言える。

 一方的に仕切られてあれこれ指示されるような胡散臭いデモや集会は嫌だけど、そういうデモでなければとりあえず行ってみてはどうだろう。「参加」でなく「見物」「観察」「物見遊山」であっても全然構わないと思う。自分の目で見て体感してそれから、自分は何をどうしたいのかを判断すればいい。

◇◇

 大飯原発の再稼働強行や、オスプレイの沖縄・岩国への配備強行よりも、小沢のお国入り(離党へ向けて岩手県知事と会談)が重要項目なのか。ニュース感覚と価値判断の基準が理解できない。民放テレビ各局の夕方のトップニュースは小沢。テレビ朝日が項目の2番手ながら再稼働とオスプレイを手厚く報じたのが救いだった。

 民主化に向けて声を上げる香港市民のデモだけはきっちり伝えるNHK。いつもながら「みなさまのNHK」のニュース感覚は超越してる。さすがは公共放送たるNHKニュースだ(棒読み)。核廃棄物処理問題を取り上げた「NHKアーカイブス」や「キミたちの未来 僕たちの選択?時任三郎 世界エネルギーの旅」などの番組の問題意識と、温度差があり過ぎる。

 小沢問題など政局がらみのニュースを後回しにして、大飯原発再稼働とオスプレイ配備を冒頭で取り上げた午後7時のNHKニュース。珍しくまともなニュース判断だった。やればできるじゃないか。ウイークデーとは違って日曜日なので、当番デスクが健全な感性の人だったのかもしれない。

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 大飯原発を再稼働しても「電力供給はギリギリ」「停電の恐れは今後も続く」「まだまだ足りない」。そうやって全国の原発を次々に再稼働させていく筋書きは、誰の目にも明らかだ。そしてテレビ局は「停電になったらこんなに困る」と電力会社の思惑通りの番組を垂れ流す。フジテレビ、あんたのことだよ。

 フジテレビ「Mr.サンデー」の露骨な「停電怖い」キャンペーンには慄然とするばかりだ。あきれた。司会の宮根誠司氏は、あす午後の読売テレビ(日本テレビ)のワイドショー番組でも同じ調子なんだろうか。局は違えど、フジも日テレも原発容認(推進)の姿勢は大差ないからなあ。

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 大飯原発の現場職員は指示命令に従って作業を遂行するだけだから、関西電力本社と関電社長宅、野田首相公邸(官邸ではない)にデモした方が、再稼働を止めるには効果的なような気がするけど。しかし、いずれにしてもこの日午後9時に再起動してしまった大飯原発。本当にろくでもない国だ。


7月2日(月曜日) 原発なんかどうでもいい小沢一派

 民主党の小沢一郎氏ら衆参両院の議員50人が離党届を提出。実に馬鹿馬鹿しくて下らない話だ。しかし、笑って見過ごせないのが小沢氏の次の発言だ。小沢氏は新党の政策について「原発の問題も大きな国民の関心事」と述べた。えったったそれだけ? それしか言わないの? 原発について具体的には何も考えていないということか。野田首相が原発再稼働を決定した時もそうだったが、原発なんかどうでもいい(関心がない)という小沢グループの認識が改めてよく分かる。


7月3日(火曜日) 熱いマグマと起爆剤

 体調を崩して療養中だった大先輩の雑誌編集者から、「あなたにもらった書簡に衝撃を受けて大きな決断をした。特集記事を執筆して、雑誌を一冊作る決意をした」とのメッセージをいただいた。間もなく刷り上がって発行される段取りだという。今年1月に、教育関係のある大会について批判的に考察した分析をこの大先輩に送ったのだが、それっきりすっかり忘れていた。

 若輩者の雑文がきっかけで、病身にむち打って雑誌一冊を作り上げてしまった80歳になる老編集者の煮えたぎるような熱いマグマに、とにかく目を見張る。そして僕なんかの書いた雑感が、療養中だった老編集者の起爆剤になり、やる気と意欲を呼び覚まして大きく奮い起たせた事実に、何とも言えない面映さを感じる。

 学生時代から刺激を与えていただいたことへの恩返しが、ほんの少しでもできたのだろうか。とにかくお元気になられたのが何よりうれしい。若い記者たちに向けて、これからも熱くて刺激的な発信を、まだまだ続けて欲しいと心から願う。

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 きょう3日付の朝日新聞、オピニオン面のインタビュー「民主主義は暴走する」が実に興味深くて面白い。鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の暴走を題材に、竹原市長を一時支持した女性市議に「選ぶ側の責任」を聞く。「民意」を盾に、法律に定められた手続きを無視して暴走する市長の専制ぶりを検証することで、民主主義の危うさを考えさせる内容だ。

 法律を無視して暴走しても、それでもなお竹原市長支持を続ける住民が多数いたという事実こそが、気分や雰囲気によって政治が動く「多数決の危うさ」の本質なのだろう。「あの人が市長になったおかげで、議会も市民も政治に目覚めたと思います」と振り返る市議の言葉が重い。読み応えある記事だった。


7月4日(水曜日) やっぱり紙媒体が好き

 電子書籍の普及拡大が注目されている。アマゾンが日本向け電子書籍端末を年内に発売するほか、楽天も低価格の電子書籍専用端末を今月に発売する。あんな小さな画面でちまちまと本を読むなんて目が疲れるだろうし、そもそも読みにくそうに思えるのだが、電子端末での読書にすっかり慣れてしまった人たちにとっては、もはや電子書籍は手放せない存在らしい。

 小さな画面では読みにくいという人のために、文字は自由に拡大できるという。さらに、画面からはみ出した部分について、わざわざスクロールしなくても画面内に収まるように1行の長さが調整され、レイアウトが自動的に変更される機能もあるそうだ。

 でもなあ、文字データをただ単純に読むだけならそれでもいいかもしれないが、書籍というのは本文のレイアウトも込みで編集されていて、そういうところも無意識のうちに楽しみながら読むものだと考えると、本文レイアウトの変更には違和感があるんだよなあ。1行の長さとか、行間とか、活字の書体や大きさとか、ページの変わり目の流れだとか、小見出しの配置なんかも含めて、レイアウトや編集のこだわりみたいなものが、文字の大きさの変更によって崩されてしまうのはかなり寂しい気がする。

 書籍が「ブログ化」するのだと理解すれば、細かなレイアウトなど気にせず、電子データの内容だけを読み込めばいいのかもしれない。しかし、見開きの2ページにさっと目を走らせて見渡し、ひと目で全体像を把握してから次のページに移動するという作業は、電子版ではかなり難しいと言っていいだろう。新聞紙面やマンガも、レイアウトと一覧性に関しては紙媒体の方が断然見やすい。

 紙とインクの匂いが好きで、紙の手触りを感じながらページをめくって読むのが楽しい人にとっては、電子書籍は紙の書籍とは全く別ものだろうと思う。書籍の手触り感や重量感や表紙の装丁に愛おしさを感じ、書店で見て手に取って購入することが喜びだという人にとっても、電子書籍と紙の書籍は似て非なる存在ではないか。

 僕自身は、データだけを必要とする場合は電子版も利用するだろうが、基本的にはやはり紙の書籍を大事にし続けるだろう。もちろんこれは好みの問題であって、どっちがいいとか悪いというような話ではない。僕の著書にしても、これからは電子版でも流通することになるのだろうから。


7月5日(木曜日) 国会事故調「介入招いた張本人は東電」

 福島第一原発事故を検証してきた国会の事故調査委員会(国会事故調)の報告書が、とても重要な指摘をしている。「東電は、官邸の五階や過剰介入を責められる立場にはなく、むしろそうした事態を招いた張本人であると言わなければならない」「根本的な原因は、役所と手を握りながら役所に責任転嫁するといった黒幕のような経営の体質に求められる。民間企業として備えるべきガバナンスの基本が脆弱であったわけで、東電は、官邸の過剰介入の被害者ではなく、それを招き入れた張本人とも言える」。メディアはこの部分をもっときっちりと大きく伝えるべきだ。

 首相官邸による現場介入をメディアが恣意的にクローズアップして、例えば、「官邸による発電所の現場への直接的な介入が、現場対応の重要な時間をむだにするだけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大する結果となったと指摘」(NHK)、「情報不足に不信感を募らせた首相官邸が現場に過剰に介入したと指摘。重要な時間を無駄にしただけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大したと批判した」(時事)、「菅直人首相らが現場に直接指示を出したことも『現場対応の重要な時間を無駄にしただけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大させた』と断罪した」(産経)といったように、事故当時の菅首相の対応を一方的に非難する形で伝えるのでは、東電の企業体質や原発問題の本質は見えてこない。ニュースのどの部分をどう切り取るかで、事実の本質はいくらでも変質させられる。

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 上野動物園のパンダは、しっかり空気を読んで赤ちゃんを出産した。パンダは双子を出産することが多いが、産んだのは1頭だけ。尖閣諸島にちなんで「センセン、カクカク」と名付けようと、挑発発言をしていた石原都知事の夢は叶わなかった。あっぱれ、パンダのシンシン。もっとも、赤ちゃんパンダの命名は中国側の同意が必要だから、都知事の一存で勝手には決められないそうだが。


7月6日(金曜日) 度し難い大津市教委の不作為

 いじめで自殺した大津の中2男子生徒が、生前に自殺練習を強要されていたとされる問題に関して。大津市教育委員会と学校の対応が論外過ぎる。教育現場や教育関係者というのは、どうしてこうも事なかれ主義が横行し、隠蔽体質が徹底していて、不誠実で嘘つきなのが多いのだろう。いろんな取材でいつも感じるが、役所の体質そのものだ。実は企業も大差ないのだが、日ごろから生活指導や道徳うんぬんを日常的に口にする職場だけに、教育関係者の罪は大きい。暗澹たる気持ちにさせられる。

 自殺練習強要の事実を大津市教委は公表しなかった。理由について、「全校アンケートの回答はすべて伝聞情報で、直接見た生徒がおらず事実関係が確認できなかった」との市教委の説明に、なるほど確かにそれは一理あるかもしれないと最初は思った。裏付けが取れていない情報を不用意に公表するのは、むしろ無責任だからだ。

 ところが、市教委はそもそも加害者とされる同級生らに対し、真偽の確認そのものをしていなかったという。それを聞いて、大津市教委と学校現場は、自浄作用が全く期待できないとんでもない集団であると確信することになった。やるべき最低限の調査をやらないのは、まさに不作為による職務怠慢であって、サボタージュそのものとしか言いようがない。にもかかわらず「事実関係の確認ができなかった」とは、いったいどうすればそんなウソが平然とつけるのか。恥知らずにもほどがある。全国の教育関係者は他人事として片付けることなく、他山の石とすべきだろう。

 【追記】平気でウソをつくのが、教育現場の組織的体質の象徴のように感じる。現場の教員批判をすれば解決するような話ではもちろんないし、現場の教員が疲弊し(疲弊させられ)、もがき苦しみながら悪戦苦闘しているのに、報われない実態もそれなりに分かっているつもりだ。しかし、いじめなど学校での不祥事を取材して唖然とするのは、学校ぐるみで口をつぐみ、事実をねじ曲げてウソをついても平然としている教育関係者の姿だ。残念ながらそこには、現場の教員も、校長ら管理職も、教育行政も例外はない。心情を吐露し、背景や事実関係を説明してくれるような教員は、むしろ圧倒的に少数派だ。もっともこれは教育現場に限らない。平然とウソをついて事実をねじ曲げる人たちが多いのは、企業でもどこの世界でも変わらないとは思う。東京電力を見ればよく分かる。

 この問題の本質は、事実確認を一切していない(しようとしていない)ところにあると言っていい。背景や事実関係を確認しなければ、今後の対応も指導もできるわけがないのに、そんな基本的な作業すらしないのは、まさに職務放棄・職務怠慢としか言いようがない。聞き取り調査をしない理由を、市教委は「生徒や関係者の人権配慮のため」と説明しているようだが、人権に配慮しながら事実関係を調査・確認することはいくらでもできるはずだ。やる気がないだけで、何もしない(したくない)ことを正当化するための「言い訳」としか思えない。

 ちなみに、もうすぐ連載が終わってしまうが、朝日新聞の朝刊小説「沈黙の町で」(奥田英朗・作)が、中学生のいじめ自殺の問題をテーマにしていて興味深い。連載当初から注目して読んでいる。被害者の親の問題、加害者(とされる)側の親の問題、亡くなった本人や同級生ら生徒の問題、教員、警察、検察、弁護士、事件を伝えるメディアの問題などなど、いろいろと考えさせられる。単行本化されたらぜひ一読をお勧めしたい。(追記2012/07/08)


7月7日(土曜日) 終電まで抗議すればいいのに

 昨日は雨が降っていたし(ごめんなさい軟弱者なんです)、翌日の授業準備が終わっていなかったので、首相官邸前には行きませんでしたが自宅で仕事をしつつ、テレビニュースを見ながら心の中で現場に同調していました(本当です)。

 しかしデモの主催者(呼びかけている人たち)は、どうして午後8時ぴったりに自主的にデモを終わらせてしまうんだろう。首相官邸とすぐ隣の首相公邸を人波で幾重にも取り巻いて、終電までしつこく抗議を続けてもいいと思うけどなあ。

 先週6月29日の首相官邸デモの際にも、友人の週刊誌編集長と「えっ?終わっちゃうの?」とあっけにとられて顔を見合わせた。扇動者が現れていたずらに煽るとか、群衆が暴徒化するなどということは一切なかった。警察当局と主催者(呼びかけグループ)が一体化して、きれいにきっちり解散させられるパターンが繰り返されたら、違和感と不信感だけを募らせることになるだろう。「ガス抜き」「セレモニー」で終わってしまうのでは納得できない。

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 昨年からずっと念願だった期間限定発売の「ガリガリ君・梨味」を初めて食べた。美味っ!(笑)。評判を聞いて、昨夏はあちこち探し回ったのに結局入手できなかった。捲土重来を期した今年は、セブンイレブンでしっかりゲットできたのでうれしい。梨というかリンゴっぽいかな。けど美味しい。オススメ。

 甘過ぎず適度のあっさりした味と食感がいい。何といっても値段が62円と安いのが魅力。しかしどうして期間限定なんだろう。初めて食べてすっかり梨味のファンになってしまったので、あしたはストック分を買いに行かなくては。

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 大学で文章講座を担当しているXクラスは授業の反応はとてもいいのに、作文の出来は総じてややイマイチという感じ。もう一つのYクラスは、作文の出来はすこぶる優秀な学生が多いけど、授業の反応がどういうわけかイマイチ。どちらも学生はみんな素直なんだけど、なかなかうまくいかないものだ(しみじみ)。


7月8日(日曜日) 大飯原発フル稼働で火力発電停止

 再稼働が始まり間もなくフル稼働する大飯原発だが、その一方で関西電力は6基の石油火力発電を止めている。「発電コストがかかる」というのが関電の言い分だが、それなら電力供給力は十分な余裕があったということになる。余力はたっぷりで需給状況は安定しているのだ。「電力不足」の大宣伝は全くのウソで、原発再稼働は経済効率を優先し自社の利益拡大のための方便だったことになるではないか。消費者をなめ切った実にふざけた態度で許し難い。

 こうした事実を、「関電、節電奏功し当面は需給安定、節電要請から1週間」と日本経済新聞が伝えているが、火力発電停止の事実こそ、見出しと記事前文(リード)でしっかり伝えるべきではないか。もちろん本文にはきちんと書かれているのだが、せっかくの記事があまりにも中途半端で、もったいなさ過ぎる。

 というか視点がずれていて、力点の置きどころ(ニュースの価値判断基準)がそもそもおかしい。記事を書いた記者の原稿がもともとこの通りだったのか、それともデスクに書き直されたのか、いずれにしても出稿デスクと整理部(記事のレイアウトや見出しを決める部署)の段階で、ポイントを修正できたはずで、むしろ修正して紙面化すべきだった。もしかすると日経の編集方針では、こういう形の記事掲載が精いっぱいだったのかもしれないが。

(日経記事)→ http://www.nikkei.com/article/DGXNZO43473460X00C12A7LDA000/

 【おことわり】7月6日付「身辺雑記」の「度し難い大津市教委の不作為」の文末に、追記を掲載しました。


7月9日(月曜日) 「人類は衰退しました」

 先週から始まった深夜アニメ「人類は衰退しました」(tvk、tvs、MXテレビなどで放送)が面白い。地球は新人類の妖精さんに支配され、衰退した旧人類の人間は慎ましく生活している。シュールでブラックなのに、メインキャラ「わたし」(中原真衣)がかわいい。皮肉たっぷりで、僕はこういうの好きだなあ。

 「人類は衰退しました」は今期スタートのアニメの中で、間違いなくぶっちぎりで一番いい。笑えるブラックなファンタジー。第2話もよかった。好みや評価が分かれそうな作品だが、1話と2話を見た限り、僕は面白いと思った。星新一の小説っぽくもあるし。それにしても中原真衣は最初から最後までずーっとしゃべりっぱなしで頑張るなあ。この声でこの話と世界観が支えられている。

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 東京高裁裁判長だった原田國男さんが、新刊「逆転無罪の事実認定」(勁草書房)を献本してくださった。8年間で言い渡した20件の逆転無罪判決の事実認定について、本人が具体的に紹介する。有罪率99%の日本の刑事裁判のあり方を考える貴重な一冊だ。定価2800円と高額なので頂戴できて素直にうれしい。ありがとうございます。

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 オスプレイみたいに物騒な軍用ヘリの配備を、よく平然と受け入れられるな。死亡事故続出のヘリが住宅密集地の上空を飛行するなんて、自殺行為じゃないか。いったいどこを向いて仕事しているんだ日本政府は。防衛相が試乗して墜落すればいいのにと、つい考えてしまう。


7月10日(火曜日) 問われているのはメディアの姿勢

<問われているのはメディアの姿勢と記者の意識>

 「Journalism」7月号(朝日新聞出版)に掲載された朝日新聞の奥山俊宏記者による特別リポート「福島原発事故/発表と報道を検証する」を読んだ。丹念な検証姿勢には敬意の念を抱くし、「事実に基づかないマスメディア批判」との指摘は全く同感だが、疑問や違和感を覚える部分があったので、いくつか指摘したい。

 確かに奥山記者が指摘するように、外部からあるいは内部の上層部からの「情報統制」「情報制限」はなかったかもしれないが、記者やデスクの勝手な思い込みによる「自主規制」はなかったとは言い切れないのではないか。その点について言及がないのは違和感が残る。「自主規制」というよりもむしろ、問題意識や危機感の欠如や取材の浅さを背景にした記者自身の資質の問題、ろくでもない記事しか書かない(書けない)記者の存在が、原発事故を機に露呈してしまったように感じる。

 記者発表はそつなくこなせても、調査報道ができない記者があぶり出され、公になってしまった。そこに人々のマスメディア不信が重なったとも言える。

 これは、「正確に事実をつかみ、過大評価もせず、過小評価もせず、等身大に報じることに努力する」ことや「あやふやなことは書かない」こととは全く別問題だ。

 もう一つ指摘したいのは、「マスメディア不信」の本質についての認識だ。原発事故が起きた直後には、もちろん多くの日本のメディアは、「事故の真相を明らかにすることに力を注いだ」だろうし、「危機的状況にあることを伝えていた」だろう。「広告主へ配慮し、電力業界や政府から広告費を受け取っているからというような意識で、記事に手心を加えようなどと考える記者や編集者」もたぶんいなかっただろうと思う。

 しかし、マスメディアが多くの人々から不信感を抱かれ、問題視されている本質はそこではない。大震災による原発事故以前の報道のあり方が、マスメディアに対する批判と不信感を招いているのだ。「原発は絶対に安全で、われわれの生活と日本経済に必要不可欠な存在だ」といった一方的な言説を、原発事故以前からメディアがずっと垂れ流し続けてきたことが、人々のメディア不信の根底にはある。

 メディア不信の要因となるものは、原発事故以前だけではなく、事故以降も続いている。例えば最近でも、オウム真理教元信者・高橋克也容疑者の逮捕当日の報道には唖然とさせられた。逮捕された漫画喫茶の上空にヘリを飛ばして、延々とニュース映像を流し続ける一方で、原発再稼働の動きや大規模デモはスルーする対応のちぐはぐさは、その最たるものだと言っていい。国会記者会館のすぐ目の前で起きている大規模デモに、取材記者が気付かないはずがない。取材記者の手配が間に合わなかった、人員が足りなかった、多忙だった、連絡ミスだったなどの説明は、言い訳に過ぎないだろう。現場の記者やデスクが、「何を伝えるべきか」「どの出来事を重視して伝えるべきか」というニュースの価値判断ができないことが問題なのだ。

 「権力側の発表を批判することなく、鵜呑みにして、安全だと広報してきた」との上杉隆氏のマスメディア批判は、こうした現状に限っては当たっている。

 上杉隆氏が事実に基づかない批判や、いい加減な主張を繰り返しているのはその通りだと思う。奥山記者の指摘や検証姿勢に全く異論はないし、上杉氏の振りまくマスメディア批判がセンセーショナルなのは言うまでもない。けれども上杉氏に対する批判部分はともかく、奥山記者がこの論文で指摘している「事実に基づかないマスメディア批判」も、それに反論する奥山記者の分析も、僕にはどちらも「的外れな批判」のように思える。前提となる事実認識がずれているからだ。

 人々のマスメディア批判の中心は、テレビ番組を見た結果によるものだ。テレビ報道のいい加減さを(もちろんすべてのテレビ報道ではないがかなりの分量で)見せつけられたことによって、「大本営発表」「楽観視」などとマスメディアを批判する声が圧倒的に多くなってきている。

 インターネットなどでマスメディアを批判を展開する多くの人たちにとって、新聞はもはや眼中になく、相手にされなくなっている。新聞を購読している人や、新聞紙面をきちんと読んで(ニュースサイトではない)批判している人は残念ながら多くない。紙面をしっかりと確認した上でマスメディア批判をしている人は、実際にはわれわれが考えている以上に少ないのが現実である。

 さらに、彼らの多くは事実を確認せずにメディアを批判する。紙面を確認すればすぐに分かることなのに、「朝日新聞は一切書いていない」「東京新聞しか書かない」などと、事実に基づかないデマを、著名人も含めて大勢がリツイートして次々に拡散していく、といった事例は枚挙にいとまがない。彼らはせいぜいニュースサイトをつまみ食いする程度で、そもそも実際の新聞紙面など日ごろから見ていないのだ。

 まず、こうした事実を認識し自覚すべきだろう。新聞紙面や新聞記事を具体的に示して、「福島原発事故直後、現場の記者たちは悩みながらも事実に基づいてこれだけしっかり書いた」などと述べても、一部の学者やメディア研究者に対しては有効かもしれないが、市井の人々のマスメディア不信は収まらない。不信感の本質はそこにはないからだ。テレビと新聞紙面を分けずに論じても、また、新聞各紙を同列に並べて論じても、さらには原発事故以前と事故直後と現在とを一緒くたに論じても、議論はかみ合わない。

(池添徳明/ジャーナリスト、元神奈川新聞記者)


7月11日(水曜日) メディアの姿勢と記者の意識その2

 原発の危険性について、昨年3月以前から繰り返し報じられてきたのは事実です。過去の原発事故やトラブル隠しなども確かに報道されました。にもかかわらず、日本の原発は安全だとされてきたのは、それまでのメディアの報道があまりにも原発推進側に立脚していたからではないでしょうか。圧倒的な分量で、「原発は何重にも安全対策が講じられている」「事故は起きないので安全」「必要不可欠な電力源」との立場でニュースが流されてきたのは事実ではないでしょうか。だから大多数の国民は、原発の安全性に疑問を差し挟まなかったのではないでしょうか。

 原発の危険性や矛盾や問題点が報じられていないとは思いませんし、そうは言っていません。朝日新聞やかつての朝日ジャーナル、日曜深夜のNNNドキュメントなどが、以前から原発や核廃棄物の問題を伝えてきたのはよく知っています。でもそれらは細々と伝えるだけで、多くのメディアは原発の危険性を広く認知させるのに有効な形では伝えていないばかりか、原発は安全だと信じ(させ)る形の伝え方が圧倒的に多かったように思います。「絶対」という言葉を使っても使わないにしても、「何重にも安全対策がある」と言われれば、多くの読者や視聴者は「日本では致命的な原発事故は起きない」と判断してしまうのではないでしょうか。

 読売新聞は古くから原発推進の立場ですが、朝日新聞も一時期は「原発は安全確保した上で必要」との社論を展開し、そうした社論に沿うように記者を指導したほどです(朝日夕刊の「原発とメディア」)。テレビや地方紙も含めて、原発は安全で必要だと容認する記事やニュースが、否定的な記事やニュースと比べて、圧倒的な分量で流されたのは否定できないと思います。

 オウム真理教の高橋克也容疑者が逮捕された当日、原発再稼働に抗議して首相官邸前に1万人が集まったデモを、NHKをはじめ民放各局や東京新聞など大半のメディアは全く伝えませんでしたが、朝日が小さいながら記事にしたのは知っています。デモが「全く報じられていない」などとは思っていませんし、そんなことは言っていません。オウム逮捕はヘリまで出して生中継し、報道特番も組み、紙面でも大々的に報じているのに、首相官邸前に1万人が集まった再稼働への抗議デモを、多くのマスメディアがスルーする「ちぐはぐさ」「ニュース感覚の異様さ」を言っているのです。

 ニュースの価値判断がまともにできない記者やデスクがいるから、こうしたことが起きるのではありませんか。原発再稼働よりもオウムの方が重要だと位置付けている記者やデスク、ディレクターが多いからではないですか。僕が言いたいのは、だからメディアに批判が集中する事態になっているのではないだろうか、ということです。伝えるべきこと伝えなければならない大事なニュースは何か、という価値判断がおかしい記者(メディア)が多数派だ(全部ではありません)ということです。オウム真理教の元信者が逮捕された漫画喫茶から生中継を続けるよりも、原子力基本法改正や原子力規制委員会設置法の衆院審議や採決こそ生中継すべきだと僕は思います。もちろん基本法や設置法についても報じられていますし、「我が国の安全保障に資する」の文言が盛り込まれたことも一部では報じられていますが、きちんと伝えたメディアは少数です。

 3月15日前後の時間に限って言えば、危機的状況に陥っていた事実はそれなりに伝えられていたと思います。ですが、政府高官の「直ちに影響はない」の言葉が繰り返し流される中で(会見でのそうした発言を伝えることが重要なのはもちろんよく認識しています)、読者や視聴者がどれだけの危機意識や被曝の危険性に対する認識が共有できたかは疑問に感じます。NHKはきわめて「中立的」な伝え方だったと記憶していますが、水野解説委員が「メルトダウンの可能性」を指摘した瞬間は、事態の深刻さとNHKの解説委員がそこまで踏み込んでアナウンスしたことの両面から、背筋が凍るような衝撃を受けました。

 原発事故当初1週間に絞って検証する作業だけでも、大変なご苦労があったとお察しします。ただ、東電の記者会見の検証だと事故当初に絞って論じるのも有意義でしょうが、原発報道をめぐるメディア批判は事故当初だけを対象にしたものではないはずなので、やはり事故当初に絞って論じるのではどうしても無理があり、議論はかみ合わないように思います。

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 小沢新党は「国民の生活が第一」と名付けたからには、本気で原発再稼働を止めてくれるんだろうな。まさか「国民の生活には経済活動も含まれる。とりあえず原発を稼働させて段階的に減らしていく」なんてゴマカシはしないよね。

 「国民の生活が第一」。略称は「国一」(こくいち)だとしたら国道1号みたいだな。「R1」。ちょっとなまって「ココイチ」。所属議員の昼食会のメニューは必ずカレー。「小沢さんの生活が第一」「小沢さんの政治が第一」「権力闘争が第一」。あれこれ妄想できて楽しい党名だ。

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 「大人になったらいいことはいっぱいある。だからいじめなんかに負けず頑張って」とテレビ司会者。その通りだと思うし負けないでほしいが、しかし大人になってもいじめはある。職場でのセクハラ、パワハラ、リストラ、退職に追い込むための陰湿な村八分…。頑張るのもいいが逃げてもいいんだよ。

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 セブンイレブンに寄ったらガリガリ君の梨味だけ完売している。ソーダ味やほかのアイスはたくさん残っていた。さすが大人気の梨味。ストック分を買っておいて正解だった。もっとたくさん作ってどんどん売ればいいのに。商売っ気がない会社だなあ。


7月12日(木曜日) メディアの姿勢と記者の意識その3

 1)原発事故やトラブル隠しが明らかになったり、核廃棄物処理が問題視されたりした際のニュース報道で、安全性の不備が指摘され疑問視されるのは当たり前のことだと思います。事故を伝える中で、わざわざ安全性を強調することなどあり得ないでしょう。問題なのはそうした指摘や問題提起が継続されず、一過性に終わってしまったという点ではないでしょうか。

 2)世論調査は、どういうタイミングと文脈で実施するかが重要ですし、質問や回答の文言によって数字は大きく変動します。

 「7割の人が『大事故が起きるという不安を感じている』と答え、過半数が『手に負えない危険性がある』と答えた」といった世論調査の結果を基に、「多くの国民は以前から原発の危険性を十分に承知していたことを示している」とする意見がありますが、それはあまりに乱暴で納得できかねます。「原子力発電は、技術と管理次第で安全なものにできると思いますか。それとも、人の手には負えない危険性があると思いますか」とだけ聞かれたら、半数が「手に負えない危険性がある」との選択肢を選んだとしても不思議ではありません。

 本当に過半数が危機意識や強い不安を抱いているのであれば、原発に対してもっと強く広範なアクションがあってもおかしくないはずです。反原発や脱原発の動きにはほとんど結びついていない現実を見れば、大多数の国民は原発の安全性をさほど疑問視していなかった、あるいは事故など起こらないだろうと漠然と考えていたと、思わざるを得ません。残念ながら多くの国民は、原発の安全性にさほど関心がなかったと言ってもいいでしょう。これはメディアが十分に職責を果たしてこなかった結果ではないかと思います。

 3)福島原発事故後、「直ちに健康に影響が出ないレベルで放射能が収まっているかどうか」がニュースの焦点だったことは全く異論がありませんし、それをニュースで大きく取り上げて報じるのは僕も当然だと思います。そのことを非難などしていません。政府高官の「直ちに影響はない」といった言葉が繰り返し何回も流される中で、「読者や視聴者がどれだけの危機意識や被曝の危険性に対する認識を共有できたか疑問に感じる」と言っているのです。

 福島の低年齢児童の3割に甲状腺異常が見られるとの報告があるなど、「影響がない」と断言するのは性急すぎるのではないでしょうか。政府高官や専門家の「直ちに影響はない」との発言は、即死するレベルで被曝するとか、1999年に起きた東海村JCO臨界事故のような大量被曝でなければ、「直ちに健康に影響が出ないのだ」と言わんばかりで、またそのように受け取られても仕方のないものでした。「直ちに」は言葉のあやだとしてもあまりに不誠実で、こうした発言をマスメディアが無批判に流し続けたことが、人々のメディア不信に拍車をかけたのだと思います。

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 大津いじめ自殺に対するネット上の反応には、こうした少年絡みの事件の常だが心底気分が悪くなる。学校や教委の対応が論外なのは言うまでもないし、加害少年の行為が犯罪なのも異論はないが、実名も住所も顔写真も、何から何まで調べ上げて晒し上げる人々の執着にぞっとする。これもまたいじめだということに、彼ら彼女らは気付かないのだろうか。そして行き着く先が、該当学区や居住地域に対する差別と偏見を助長する書き込みの数々。いじめ加害者と同様に、この人たちもまた病んでいると言わざるを得ない。


7月13日(金曜日) 何回目だトトロ

 学生の書いた作文の添削作業をほったらかして、日本テレビ系で放送された「となりのトトロ」を真剣に見てしまった(おかげでまた徹夜したが)。何回見てもDVDもビデオも持ってるのに、それでもなぜだか放送されるとまた見てしまう。その度に発見があって心が温かくなる。トトロはそういうアニメなのだ。


7月14日(土曜日) 「みぞれ梨」やっと発見

 噂の果実飲料「みぞれ梨」(JTビバレッジ)をやっと発見。たばこ店や大手スーパーや学食など、あっちこっち探してもJTの自販機は見つからなかったのに、灯台下暗しで自宅最寄り駅の西口を出たすぐ前にあった。味は甘過ぎずさっぱりしていて、ほんのり梨の香りとクラッシュ果肉の食感も楽しめる。結構美味しい。350ml缶で120円。

 ちなみに今朝のNHKの首都圏ニュースによると、群馬県明和町でも地元特産の梨「豊水」を使ったジュースの販売が15日から始まるそうだ。そっちも機会があればぜひ飲んでみたいが、どうやら地元のコンビニやスーパーで限定販売のようだ。さすがに群馬までは行けないなあ。取材の予定もないし。残念。東京・銀座にある群馬県のアンテナショップでものぞいてみようかな。

◇◇

 学校や子どもの世界からいじめをなくすのは無理だと思う。だって大人の世界にも陰湿ないじめや村八分や迫害はあって、決してなくならないのだから。大事なのは、逃げることを厭(いと)わないこと、逃げるのは恥ずかしいなどと思わないこと、いつでも逃げられる場所をつくっておくことだ。

 いじめ廃絶、いじめ根絶なんて不可能なことを唱えるよりも、自ら命を絶つくらいなら逃げ出していいんだと、悩んでいる子どもに伝えてあげることの方が、1000倍は大切だ。いじめはなくなった方がもちろんいいに決まっているが、子どもの世界でも大人の世界でもなくなることはまずあり得ない。


7月15日(日曜日) 「TARI TARI」

 今期スタートした深夜アニメで、「人類は衰退しました」のほかにもう一つオススメなのが「TARI TARI」。所属していた声楽部から独立して、新たに合唱部を立ち上げようと奮闘する女子高生の物語。彼女を応援する親友やクラスメイトとの日常が、音楽の楽しさとともに湘南・江ノ島を舞台に描かれる。tvk、MXテレビ、チバテレビなどで放送。

 エンディングテーマの歌詞に「笑ったり泣いたり歌ってみたり」とあるように、また毎回のサブタイトルも、1話「飛び出したり誘ったり」、2話「集ったりあがいたり」、3話「振ったり出会ったり」となっているように、この「たり、たり」がメインタイトルの由来らしい。メインキャラクターの宮本来夏(こなつ)の声が、「ちはやふる」で綾瀬千早を演じた瀬戸麻沙美なのもいい。落ち着いたストーリー展開とていねいな背景画。見始めたら結構ハマってしまった。江ノ島の風景描写も魅力的。


7月16日(月曜日) 当事者が聴取会に出てくる異常

 仙台で開かれた政府のエネルギー政策意見聴取会で、東北電力幹部が原発推進の意見を述べたことに「やらせでは」と不満の声が上がり、会場は一時騒然となった。9人の発言者の1人だった(河北新報=共同)。仮に選考が公正だったとしても、電力会社関係者が聴取会で意見を述べようとする発想自体がおかしい。異常だ。

 「仮に選考が公正だったとしても…」というのはもちろん、百万歩くらい譲って公正だったとしてもという意味で、僕も明らかに不自然な人選だと思っている。これまでも教育基本法見直しの際の公聴会や、過去のさまざまな原発関連の公聴会で、発言者の人選の不公正さは目に余るものがあった。しかし人選よりももっと問題なのは、電力会社幹部が聴取会で発言しようとする感覚の異常さだ。

 そもそも当事者である電力会社の幹部や関連団体のメンバーが、「国民に意見を求める」ことが目的の意見聴取会のような場所に出てきて、平然と発言する(発言しようなどと発想する)こと自体がまともじゃない。彼らが意見を述べる場所や機会は別に山のようにあるのだから。電力会社としての見解や考えを述べるなとは言わないが、当事者がこういう場所で発言するのはおかしいだろう。恥知らずにのこのこ出てくる方もまともじゃないが、人選する方も感覚が狂っている。まったく懲りない連中だ。

◇◇

 きょうの代々木公園の「さようなら原発10万人集会」には僕も行くつもりだったが、睡眠不足だったし風邪っぽかったので今回はパスした。29日に日比谷で国会包囲デモがあるが、そっちはぜひ参加したい。

◇◇

 NHKの人たちはロンドン五輪と大河ドラマ平清盛の視聴率で頭がいっぱいなんです。脱原発集会が渋谷の放送センターの眼下で開かれていても、再稼働抗議のデモが国会記者会館の目の前で繰り広げられても、そこまで頭が回らないんです。文句を言っても無駄です。黙ってテレビを消して(チャンネルを変えて)あげましょう。


7月17日(火曜日) 「反原発」に目的を絞れ

 原発再稼働に抗議して首相官邸前に集まる人々と、代々木公園の「さようなら原発10万人集会」に集まった人々には微妙な違いを感じる。ポイントは労組・組織の旗や幟(のぼり)の有無と参加年齢層の違いだ。旗や幟を一方的に禁止するのはどうかとも思うが、しかし参加者や周りで見ている人の中には、労組・組織の旗や幟に違和感のある人、原発以外のことに触れると反発する人もいる。

 実際に、さっそくそういう部分を目にして「やっぱり日教組や組合の動員か」「オスプレイや憲法9条は原発と関係ないのに」「結局はサヨクのプロパガンダなのか」といった感想が出始めている。これまで団塊世代がやってきた「政治闘争」のような旧態依然なやり方だと、イデオロギーや政治思想を超えた共感の輪は広がらない(ような気がする)。もったいない。いろんな考えや価値観や政治的立場の違いは横に置いて、安保や憲法や教育問題や日の丸・君が代はいいから、とにかく「マジで原発を止めろよ」という目的だけに絞って共感の輪を広げるべきだ。

 ちなみに個人的には、原発もオスプレイも憲法9条も、それぞれまったく関係ない問題だとは思わないけどね。

◇◇

 エネルギー政策の意見聴取会で、政府は電力会社や関連会社の社員による意見表明を認めない方針を決めた(時事、読売など)。ってそんなの当たり前じゃないか。いまごろヌケヌケと対応が遅過ぎる。それはともかく、意見聴取会の人選や運営を担当しているという広告代理店の社名と責任者を公表して、しっかり責任を取らせるべきだ。公明正大さが疑われるようなことがあったのかどうか、それも含めた徹底的な追及が必要だ。公費を使って公聴会を開催しているのだから。セレモニーやアリバイ作りとして、いい加減な運営や進行をするのは許されないんだよ。

◇◇

 近所の大きな公園を突っ切って徒歩30分ほど、丘の上の某スーパーにたどり着くと、もうそれだけで汗だくだく。キンキンに冷えた店内が心地いい。すーっと汗が引いていくのは快感だが、湿ったシャツが肌にへばりついて気持ち悪い。関東甲信で梅雨明け。

 帰り道に買って食べたセンタンの「白くまアイス」が美味しい。シャリっとした微細氷と練乳の甘さが絶妙だ。パイン、ミカン、小豆甘納豆が入ってリッチ感も味わえる。ファミリーマートで値引きセールをしていてお得感アップ。

 「白くまアイス」はいろんな会社から販売されているようだ。僕がきょう食べたのは、大阪に本社がある小林一二(センタン)の製品だった。製造販売しているのは九州の会社が多く、鹿児島のセイカ食品の「南国白くま」が元祖らしい。

◇◇

 日本テレビで未明に放送された細田守監督のアニメ「時をかける少女」を見る。なんでこんな遅い時間に…と言いつつ、それでも最後までしっかり見たわけだが(汗)。深夜の「映画天国」放送枠なので仕方ない。それにしても何回見てもええアニメやなあ。毛色は違うが「となりのトトロ」と同じくらいの名作だ。エンディング・ロールをちゃんと放送しないのは残念だった。


7月18日(水曜日) 「反原発」に目的を絞れ・その2

 代々木公園で16日に開かれた「さようなら原発10万人集会」で落合恵子さんは、原発だけでなくオスプレイや米軍基地に言及して、「原発も基地もいらない」とスピーチした。個人的には同意見だが、こういう場所で言わなくてもいいことを口にしたと思う。もちろん日米安保も憲法も大事な問題だ。しかし、「原発を止めなくては」という一点で一致している人々の間に、わざわざ対立の火種になるようなことを持ち出してあえて言う必要はないし、言うべきではない。

 いろんな集会を取材すると、その集会の趣旨に直接関係のないこと(間接的には関係あると思うが)を延々と話し出す人たちが必ずいるが、あれと同じだ。本人は重要でためになることを訴えているつもりなのだろう。しかし参加者は、集会の趣旨以外の発言に必ずしも同調してくれる人ばかりではないし、そうした言動が反発や反感や違和感を招き、本来の目的から大きく外れて、団結が瓦解してしまうおそれもあり得る。そういうことが分からないのだろう。

 何でもかんでも詰め込んで、全部いっぺんに話そう、書こう、訴えようとしがちだけど、目的や趣旨に合うようにそれぞれの問題ごとに分けて、少しずつ一致できるところでやればいいのに。みんなが何でも一致できると思ったら大間違いだ。急いてはことを仕損じる。急がば回れ。緩やかな連帯を。今こそ一致できる点に絞って団結することが求められている。とにかく原発を止めることを最優先させなければ、取り返しがつかないことになってしまう。

◇◇

 オスプレイの配備に対する日本の政治家や官僚の対応は論外だ。どうして自国民の生命財産を第一に考えて行動しないのか、まったく理解できない。対米関係や防衛や経済問題もあるのだろうが、まずは何をさておいても、生命財産を守ることが最優先なのは当たり前じゃないか。あんな危険なものを配備することに同意して、われわれの国土の上空を飛ばすことを受け入れて、平然としていられるなんて狂っているとしか思えない。


7月19日(木曜日) 冷静に踏み込んで

 ここ数日の朝日新聞の反原発デモの分析記事はなかなか読み応えがある。18日付の文化面「毎週金曜官邸前の脱原発行動/整然と前例なき『革命』」「動かない行列/冷静に執拗に」。19日付オピニオン面「金曜の夜、官邸前で」は小熊英二と朝日記者のルポ。「政官財から無視される怒り/再稼働で臨界点に達した」。

 1面トップでデモや集会の記事をぶち上げて、写真を大々的に掲載することだけが報道じゃない。運動の主体に迎合して媚びれば部数は伸びるかもしれないが、それでは報道でなく広報になりかねない。大事なのはどこまで冷静に踏み込んで、起きている事象の意味を的確に分析し、今後を考えるための材料を読者にどれだけ提供するかだ。そういう意味で、このところの朝日の原発をめぐる特集記事を僕は評価する。

◇◇

 敷地内を活断層が走っている可能性があるとして、再調査を命じられているのに、平然と大飯原発4号機を再起動させた関西電力。住民をなめきってるとしか思えない。起動を認めた原子力安全・保安院も、同様に住民を馬鹿にしている。大飯3号機はそのままフル稼働中。再稼働を着々と進める野田亡国政権は、一日も早く崩壊させなければならない。


7月20日(金曜日) 行動がズレてる鳩山元首相

 官邸前の脱原発デモに鳩山元首相がノコノコとやってきて「再稼働反対」「野田首相は市民の声を聞け」などと訴えるって、どう考えてもおかしいだろう。だったらどうして野田首相が原発再稼働を決定した際に、民主党内で死に物狂いで議論して抵抗しなかったんだ。政争に原発を利用してるだけとしか思えない。とても本気には見えない。うさん臭いにもほどがある。

 鳩山元首相は自身が本来やるべきことを、やるべき時にやるべき場所で「やってない」のが致命的。再稼働決定のあの時に党内で闘わず、今ごろ官邸前デモにやってくる無神経さと説得力のなさ。何を考えてるのかさっぱり分からん(何も考えてないんだろうな)。過去の言動も支離滅裂だし。まさに失笑。


7月21日(土曜日) 伸びしろはそれぞれ

 午後から授業。文章講座の前期講議はなんとか無事に最終回。これまで15本の作文を学生に書かせて添削してきたが、指導の効果がすぐに現れる学生がいる一方、なかなか上手くならない学生もいるし、最後の1カ月でぐっと伸びた学生も何人かいた。中でもそれまでずっと鳴かず飛ばずだったのに最後の最後になって、びっくりするほど上手い作文を書いた学生には感嘆させられた。

 伸びしろの幅は人によって違うけど、成長する時期やタイミングも人それぞれなんだなあと改めて感じる。たぶんこのあと半年後か3年後か5年後に、突然思い出したように伸びる学生もいるに違いないと想像する。実力差はもちろんあるが、受講生の文章表現力は全員確実にアップしたのは間違いない。苦労した甲斐はあったと自己評価(自画自賛)してもいいだろう。

 前期の文章講座で最後に悩んだのは、各クラスから1人を選んで表彰する作業だ。ダントツに上手い作文を書いたのは、出席回数と課題未提出が原因で単位認定できない学生だった。成績評価の公平公正さから単位不可は覆せない。次点の学生を表彰するべきかどうか悩んだ末に、単位不可の学生を表彰対象とすることにした。

 授業が終わってから本人にその旨を説明した。「えっ、まじっすか」と単位不可がショックだったようだが、最後の作文が上手く書けたこと、表彰作文に選ばれたことを「前向きに受け止めます」と答えて教室を出て行った。ものの見方や考え方を身に付けて表現力をアップする方が、単位取得なんかよりもっと重要。授業で得たものは本人の自信になったはずだ(と思いたい)。


7月22日(日曜日) 微妙な「サマーレスキュー」

 TBS日曜劇場「サマーレスキュー」は面白いのか面白くないのか微妙。尾野真千子が演じる元看護婦や身勝手な登山客が、自分のことしか考えない言動を振りまいて見ていて鬱陶しい。脚本が極端に走り過ぎているように思う。安直で雑なストーリー展開も気になる。このまま見続けるのは辛くなってきた。向井理や時任三郎、小池栄子らが熱演しているだけにギャップが大きい。

◇◇

 【おことわり】7月11日付と12日付「身辺雑記」の「メディアの姿勢と記者の意識その2」「メディアの姿勢と記者の意識その3」の記述を一部修正しました。趣旨に変更はありません。


7月23日(月曜日) 成績評価をめぐるあれこれ

 7月21日付「身辺雑記」について補足。単位認定と優秀な作文を書いたこととは切り離して、この学生が書いた作品にご褒美をあげてもいいんじゃないかと判断しました。もちろん答えは一つではなくいろんな考え方があっていいし、意見は分かれるところだと思いますが、あれこれ考えて僕は今回のような選択をしました。いろいろと難しいです。

 ちなみに、ほとんどの学生の傾向としては、出席率がいいと成績(答案の出来)もよく、欠席が多い学生の成績は悪い。ただ文章講座は実習の授業ですから例外はあり得るし、どの段階で「文章の神様」が降臨して飛躍的に向上するかは本人次第でしょう。

◇◇

 文部科学省から各大学にやたらと通達がくるようで、成績評価やシラバスの書き方について教務課経由であれこれ言ってきます(どうでもいいと思うけど)。成績評価に対しては学生からもいろいろ言われます(僕らの時代には考えられなかったことですけど)。

 授業をほとんど欠席して、レポートも出さず、期末試験も受けなかった(!)ので不可にした学生から、成績評価質問制度に基づいて(最近はそういうのがある)、「どうして私が不可なのですか、納得できません」という質問を頂戴したことがあります。僕の方こそ聞きたいよ、「どうしてそんな質問をしてくるのか納得できません」って(苦笑)。

 また同じく期末試験を受けていない別の学生は、僕が本を出している出版社の編集部(複数)にまで電話をかけて、「どうして不可なんですか、単位を下さい」と言ってきたので閉口しました。「こんな電話がきたけど」と連絡をくれた編集者はみんな苦笑していましたが、関係ない人たちにめっちゃ迷惑かけてるじゃん。電話口で僕が編集者に平身低頭でした。そこまでする学生は、その情熱と努力をぜひ別のところで発揮してほしい。

 とまあそんな感じで、大学(小中高校も同じ)も管理や規制が多く、以前のように大らかではなくなっています。時代は僕らが学生のころと大きく変わっているのでした(苦笑)。

◇◇

 プロの文筆家でなく、文章を書き慣れていない全くの素人は、まず「自分は何を伝えたいか」「何を訴えようとしているのか」を自覚して、整理することが一番大事なんじゃないかと思います。学生に書かせてみると、最初のうちはそこが分かってないから上手く書けないんだなというのが、とてもよく分かります。文体のリズムやコツをつかむのは、その次あたりの段階かなあ。まず最初は、書きたいことは何かをしっかり見定めるところから始めてみましょう。


7月24日(火曜日) 野田内閣はオスプレイに命を捧げよ

 野田首相「安全確認できない限りオスプレイの飛行運用はさせない」。誰がそんなことを信じるんだ。よほどおめでたい奴しか真に受けないだろう。これっぽっちも安全確認なんてできていない原発を、平然と再稼働させた張本人がよく言うよ。「十分に安全確認できた」と言って、すぐに飛行を認めるのは目に見えている。

 野田内閣ご一行さまでオスプレイに乗って、ぜひ死ぬほど怖い目に遭ってほしい。オスプレイを政府専用機に指定するのも可。ただし民家や学校などがない山奥か海上ルートの飛行限定で。責任感の強い野田首相(棒読み)なら、政治生命だけでなく自らの命そのものをかけてやってくれることでしょう(笑)。

◇◇

 電撃移籍の会見をしたすぐ3時間後に、ヤンキースのユニフォームを着てマリナーズとの試合に出場するなんてびっくり。たぶんイチローならではということなんだろう。大リーグでは珍しくないことなのかな。おまけにしっかりヒットを打って盗塁もして、結果を出すのもさすがだ。いろいろ事情はあったのかもしれないと推察するが、さらなる活躍に期待する。


7月25日(水曜日) 度胸か厚顔無恥か産経新聞

 「職員の心ない仕打ちにも顔色ひとつ変えなかったであろう、自衛隊員の心情を思うと、やりきれない」(7月24日付産経抄)。事実無根の捏造記事(23日付産経新聞)を基にそんなことをもっともらしく語られても、こういう酷い与太記事を読まされる方こそ「やりきれない」のではなかろうか。まあ「産経新聞は日付以外は全部デマだってなんべん言えばわかるんですか」との声もあるほどだからな。別に今に始まったことじゃないか。

 ありもしない話をぶち上げた結果、一方的に批判された11区すべてから当然のことながら猛抗議され、おわび記事を小さく掲載する一方、インターネットではこんなコラム(産経抄)を堂々と載せ続ける度胸たるや。あるいは面の皮の厚さ。さすが産経だな。(7月26日午前6時現在も産経抄は削除されていない)

(コラム産経抄)→ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120724/plc12072403090004-n1.htm

(記事のおわび)→ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120725/plc12072513410014-n1.htm

◇◇

 電力不足の危機意識を煽って、節電、節電とやたらとニュースで取り上げる一方、電力会社は原発再稼働がさらに必要であるとアドバルーンを上げる。安全性が確認されていないものを動かそうとするこの国の異常さ。そもそも使用済み核燃料、核廃棄物の処理さえ満足にできないのに。

 詰まったトイレでうんこするなんて、普通の家庭ならあり得ない話だろう。糞尿があふれかえって大惨事になるのはだれでも想像できる。原発も同じ。

◇◇

 今夜放送された「探検バクモン」(NHK総合)の「鉄道模型博物館」は期待通りの面白さだった。車体の外観だけでなく動力も含めて、緻密で精巧な鉄道模型に感動。圧倒的な規模と迫力。いいなあ。見てるだけで楽しそう。ぜひ博物館に行きたいと思った。


7月26日(木曜日) 産経の取材手法と報道姿勢

 産経の記事の特徴は、一方的に決めつけた結論がまず最初にあって、それに合わせた都合のいい材料だけを無理やり用意するところにあります。週刊新潮でも同様の手法が取られていますが、これは公平な取材の姿勢とは言えません。違った見解や主張があってもちろんいいのですが、きちんと裏付けを取るとか確認するとかした上で、自分の考えに都合の悪い事実も踏まえて「検証」するのが、まともなジャーナリズムの基本姿勢だと思います。

 意見や主張の違いはともかくとして、産経の報道姿勢(報道と呼べるかどうかはさておき)は、こうした基本がまるでできていないのが最大の問題点です。坂本龍一さんに対する批判的な考えや意見があっても、別にそれはそれで構わないと思います。しかし事実をねじ曲げた上に、上っ面の言葉尻をとらえて揶揄するのは、真っ当な批判とは言えません。「反原発」の市民の大きなうねりを非難した産経抄(7月21日付)は、そういう意味でも論外の下品なコラムだと言っていいでしょう。

 「原発への恐怖心を利用して騒ぎを大きくしようと画策する左翼団体や金持ち文化人、それに選挙目当ての政治屋どもに踊らされている」と断言する産経抄。50年くらい前の政治感覚で社会を眺めているお粗末さにあきれるばかりです。原発と原子力行政に対する国民の不信感は、もはやそんな次元ではとらえられないはずなのは、火を見るより明らかな現実だというのに。「選挙目当ての政治屋」のくだりは、部分的には当たっているかもしれませんが。少なくとも論評に値するのはこの部分だけです。つまり99%は悪質なデマと偏見にまみれた文章だということです。たちの悪さと陰湿さは折り紙付きと言えます。

(21日付産経抄)→ http://sankei.jp.msn.com/life/news/120721/trd12072103130001-n1.htm


7月27日(金曜日) デモは簡潔明瞭がいいと思うよ

 首相官邸前の脱原発デモ(主催者は休みを宣言しているので非公式仕様)を取材。仕切り役がいない今回こそが、今後の展開を占う意味でも興味深いデモになると予想。もっと集まるかと思ったが、かなり少なかった。1万人くらいだろうか。やたら警備ががっちりしていて、参加者は国会記者会館側の歩道にしか集まれず、完全に分断され封じ込められている。細長く列が連なるだけで、官邸を包囲するような形にはなっていない。

 官邸前では1時間近く長々と演説が続いたが、何を言っているか分かるのは周辺の200人程度だけで、列の後尾には声が全く届かない。とにかく演説がだらだらと長過ぎる。シュプレヒコールも簡潔明瞭でなく、「再稼働反対」のほかに「子どもを守れ」「福島返せ」「疎開をさせろ」「原子力規制委員会の人事は原子力ムラそのものだから撤回しろ」などと多岐にわたっている上に、フレーズが無駄に長い。大半の参加者は呼応できずバラバラの状態だった。だれに向かって演説しているのか不鮮明で、やり方が下手だなあと、隣り合わせたカメラマンと思わず顔を見合わせてしまった。

 山本太郎氏が「このデモをガス抜きにしてはいけない」と演説していたが、残念ながらこれではガス抜きだけだなあ。コンパクトに演説をまとめたのは山本氏と福島瑞穂氏の2人だけだった。大事なことなので繰り返すが、入れ替わり立ち替わりで延々と続く演説が伝わるのは、列の先頭の200人ほどだけ。列の後ろではいつものように「再稼働反対」の合唱。デモンストレーション(示威行動)は、やはり簡潔明瞭でシンプルに限る。全員のシュプレヒコールに絞って、しつこく続けた方が断然いいと思うけどなあ。

◇◇

 【追記】警察の警備は「見事なまでに」参加者を分断し、細長い歩道に封じ込めていた。だからこそ、デモンストレーション(示威行動)は簡潔明瞭に主張を伝えることが大事で、それが相手に対して「圧力」になるし、参加者にとっては「団結・連帯」になる。先頭集団の200人ほどに向かってダラダラと演説するよりは、全員が声を合わせてしつこくシュプレヒコールする方が、官邸側にとっては恐怖と事態の深刻さを感じるのではないかと思う。

◇◇

 【反原発デモ1】首相官邸前の反原発デモ(非公式仕様)。物々しいバリケードで参加者は分断。警察の警備は「見事なまでに」参加者を歩道に封じ込めていた=7月27日午後6時半ごろ。

 【反原発デモ2】参加者は細長い歩道に「並ばされた」ような状態。列の後方では、いつものように「再稼働反対」の大合唱が続いた=7月27日午後6時過ぎ。

 【反原発デモ3】首相官邸前の交差点は完全封鎖。反原発デモ参加者は国会記者会館前の歩道に留め置かれた格好で、官邸側に歩道を渡ることさえ許されなかった=7月27日午後6時半ごろ。

◇◇

 横浜の福岡物産展で、博多だるま総本店の「すき焼きラーメン」を食べる。うまっ。すき焼き風に味付けされた牛肉やネギや温泉玉子が、意外に豚骨スープと細麺に合う。

 ラーメンは昼食。夕食は久しぶりに吉野家に入って、うな丼を注文した。脂がのっていて結構美味しい。以前よく食べに行った南千住の尾花のうな重に比べたら、全く話にならないのは言うまでもないけど(比べるなよ)、650円にしては上出来かもしれない。


7月28日(土曜日) 前期の成績評価を完了

 教務課から学生の期末レポートが届く。オムニバス形式の講義のレポート。担当する7人の教員が出したレポート課題の中から、学生が2つを選択して提出することになっている。今年は提出数がやや多い。一気に採点。文章講座の成績評価も提出書類に転記して、前期の仕事はすべて片付いた。


7月29日(日曜日) 車道封鎖はおかしい

 脱原発・国会包囲デモ。国会正門前の大通りの「ごく一部」は事実上、参加者によって解放された格好になったが、三宅坂から憲政記念館前、国会記者会館、首相官邸前などの車道はすべて封鎖状態だった。国会周辺の車道を完全に解放させて、抗議デモの人波で埋め尽くし民意を示す必要がある。車道封鎖はおかしい。

◇◇

 【国会包囲デモ1】この日も警察は、参加者を歩道に押し込めて車道に一切出さない警備体制を徹底した。車などほとんど通らないのに、こうした規制を続ける意味が分からない。歩道に沿って人があふれかえった。

 【国会包囲デモ2】警察の威信にかけて、何がなんでもデモ参加者を車道には出さないという強い意思は、この日の警備体制にも現れていた。

 【国会包囲デモ3】車道は絶対に解放しない、参加者を歩道に封じ込める、という警察の姿勢は、動員された機動隊員や警備車両の多さから見て取れる。

 【国会包囲デモ4】国会周辺の歩道には延々と人の波が連なっていた。憲政記念館から正門前の歩道には、キャンドルやペンライトを手に座り込んで「再稼働反対」と声を合わせる人たちが多数。親子連れや若者も多い。

 【国会包囲デモ5】国会正門前に詰めかけた参加者。終盤にはバリケードの柵を乗り越えた人々が車道にもあふれ出し、「再稼働反対」「原発止めろ」の大合唱が一帯に響き渡った。やはり示威行動は人数が大事だ。

◇◇

 フェイスブックのページを開いたら、「タイムライン」とやらに勝手に(強制的に)切り替わっていた。分かりにくいし使いにくそうだから、あえて移行せずに放置していたのに。なんだよ、この一方的な対応は。だからフェイスブックの株価が急落して赤字決算になるんだ(プンスカ=怒)。これって元には戻せないんだろうな…。不愉快だ。移行する気などかけらもなかったのに…。

◇◇

 【おことわり】7月27日付「身辺雑記」の「首相官邸前の脱原発デモ」の記事末尾に、追記と写真3枚を掲載しました。


7月30日(月曜日) 五輪一色のテレビが鬱陶しい

 近所に出現したひまわり畑=写真。駅前周辺をひまわりでいっぱいにする夏恒例の企画だとか。ちょっと壮観。和む。

◇◇

 テレビはオリンピックの話ばかりで退屈というか鬱陶しい。しかも同じ話題と映像を繰り返すばかり。ニュース枠までどこの局もこんな調子で、大丈夫なのかこの国は。

 30日夜のNHK「ニュースウオッチ9」は45分間の番組のうち、冒頭の30分をオリンピックの話題に充てた。NHKは一日中うんざりするほどオリンピック中継を流しているのに、ニュース枠でもまだやるのかとあきれてしまう。さらにその後もほかのスポーツについて触れていたから、NW9が社会・政治・国際ニュースをどれだけ扱ったか(扱わなかったか)は言わずもがなだ。ずいぶんとご立派な「公共放送」もあったもんだ。

 オリンピックについて、伝えるなとか放送するなと言いたいのではもちろんない。バランス感覚が大事だと言いたいのだ。ほかに重要で深刻な問題は何も起きていないのなら、オリンピックの話題を繰り返し流し続けてもいいと思うが、そんなことはないだろう。

 高価な放送機材や大勢のスタッフを現地に送って、莫大な予算を投入しているから、それに見合うだけの番組を流さなければならない。そんな強迫観念に駆られるのは分からないでもないが、だったら「公共放送」だとか「報道機関」などといった看板は降ろせばいい。それなら整合性も取れてすっきりする。立ち位置と責務を自覚しているかどうか。報道機関としての意識とニュースの価値判断が問われている。


7月31日(火曜日) 本質的な議論

 東京・三軒茶屋の昭和女子大で、地域とメディアについて考える集まりの勉強会に参加。編集記者でなく営業(ビジネス)の視点で考えるという発想が興味深い。東京新聞の読者応答室長と「官邸前の反原発デモ」報道について議論できたのが収穫だった。こういう議論がしたかった。これを呼び水に学生を交えた討論に広げ、さらに問題意識が深められたらよかったのだが、残念ながら時間切れになったのが惜しい。メディアの本質的な課題を考えるいい機会だったんだけどな。駅前の居酒屋で懇親会。終電で帰宅。


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