身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2012年8月1日〜8月31日

●映画「ヘルタースケルター」●Safari6.0 は改悪●予防拘禁的発想の判決●警察官の対応に温度差●映画館の残念な光景●1面トップで何を伝える●どの国を応援してもいいじゃないか●東電に原発は任せられない●自分の意思で掲げる「日の丸」は美しい●過剰な愛国心と敵意●五輪精神を冒涜する韓国選手●反面教師とすべき韓国社会●五輪一色のNHKは猛省を●自立した市民と「国家」●暑気払い●「おおかみこどもの雨と雪」●ネットは馬鹿発見装置●「復刻!東映まんがまつり」●「自称愛国者」の愚かさ●「授業評価」結果にひと安心●ろくでもないこの国の裁判●余力などないのに●猛暑でも電力は足りている●石原都知事は痴呆老人●核の地下埋設処分は無理●「原発ゼロ」自民党議員4%●いつまで温水●原発と安保●中教審の教員養成答申は本末転倒●「ハズレ」の裁判官●「ゾンビ」が集う大阪維新●●●ほか


8月1日(水曜日) 映画「ヘルタースケルター」

 TOHOシネマズで映画「ヘルタースケルター」を観た。乳首を惜しげもなく披露し、ポルノと見間違う際どいシーンを演じてみせた沢尻エリカ。だがエロチックな側面よりも、鬼気迫る痛々しさに圧倒される。全身整形の後遺症の恐怖に直面するトップモデル役にここまで一体化したならば、虚像と実像がない交ぜになって、精神的に不安定になったとしてもおかしくないだろうなと思う。

 沢尻エリカの個性を引き出すことには成功したように思えるが、映画作品全体としての完成度には疑問が残る。中盤から後半は冗長でやや退屈だった。コギャルたちの描写のリフレインはしつこく感じた。千円デーで観る分にはこんなものかなという印象。よくも悪くもエリカ様を堪能する映画だ。個人的には汚れ役じゃないエリカ様を見たい。


8月2日(木曜日) Safari6.0 は改悪

 SafariをアップデートしたらSafari6.0にバージョンアップされていて、表示されるサイトのフォントが明朝体に…。しかも「環境設定」から「表示」の項目が削られているのでフォントの変更ができない。唖然呆然となっていたら、同じように戸惑って困惑するマックユーザーの声がネット上に多数見られた。僕もこれはアップグレードでなく明らかな改悪だと思う。

 このほかにも改悪された個所がいくつもある。URLのアドレス欄とGoogle検索窓が一体化したのも使いにくい。重宝していた「構成ファイル一覧」もなくなっている。なんなんだろう。どうしてわざわざこんなに使いにくくするのか、全く意味が分からない。

 不具合などのプログラムを修正した通常のアップデートだと思ってインストールしたら、こんなことになってしまうなんて。おまけにいったんアップグレードしたらダウングレードはできず、取り返しがつかないというので多くのユーザーが困惑しているようだ。

 ちなみにフォントに関しては、スタイルシートの設定をすれば、使い慣れたフォントに変更できるとのことだ(面倒くさいけど)。

【このサイト参照】→ https://discussionsjapan.apple.com/thread/10112755?start=0&tstart=0

 「アップルは日本語版に対する愛が感じられない」との声も聞かれる。Safariはせっかくいい機能とデザインのブラウザなのに、もう少しユーザーに配慮してほしい。無粋で一方的で傲慢なやり方にはちょっとがっかりだ。


8月3日(金曜日) 予防拘禁的発想の判決

 「発達障害に対応できる受け皿が社会になく再犯の恐れがあるから、求刑以上の懲役を科して刑務所に長期収容することが社会秩序の維持になる」として、求刑以上の判決を言い渡した大阪地裁(河原俊也裁判長)の裁判員裁判。姉を刺殺したとして殺人の罪に問われた引きこもりの弟(42歳)に対し、懲役16年の求刑を上回る懲役20年を言い渡した。この判決の最大の問題は予防拘禁的発想だ。その点を社説で指摘していた北海道新聞(8月1日付)はさすがだと思った。裁判長が審理でどのような訴訟指揮をして、評議で裁判員にどういった説明をしたのか気になる。刑事裁判のあり方そのものが問われている。

 受け皿の有無は被告人本人の責任ではなく、社会の側が責任を果たすべき問題だろう。それなのに障害を理由に「社会秩序」の維持のためだとして、本人の刑事責任の範囲を超えて長期収容することが、果たして許されるのだろうか。何の疑いもなくそういうことを容認してしまう「市民感覚」に、むしろ恐ろしさを感じる。


8月4日(土曜日) 警察官の対応に温度差

 首相官邸前や国会周辺などの脱原発デモ警備は、必要以上に過剰で不当だと思うが、個々の警察官の対応に温度差があるのには驚かされる。命令口調で威圧的で暴力的な警察官は2割ほど。結構柔軟で参加者に優しく理解を示す警察官が目立つ。言葉遣いや態度が穏やかだというほかにも、規制に従わなくても多少のことは黙認するとか。これまでいろいろなデモを取材したことがあるが、警察権力は例外なく強固で一枚岩だった。意外な変化だ。

 警察権力が必ずしも一枚岩ではなくなってきている、デモ参加者に威圧的な警察官ばかりではなくなっているという現実は、なかなか興味深い現象だ。警備対象が脱原発デモだからなのか、それとも警察組織そのものが変化しているのか(統制が利かなくなりつつあるのか)詳しく分析する必要がある。


8月5日(日曜日) 映画館の残念な光景

 TOHOシネマズのチケットカウンターが、いつの間にか自動発券機になっていたのは、びっくりするよりもがっかりだった。笑顔のお姉さんがずらりと並んで、見やすい座席を優しく説明してくれるのはかなり好印象だったのに。合理化のためとはいえ残念だ。お姉さんの笑顔が料金の2割を占めていると信じていたのにな。

 もう一つ。がっかりするよりもがっくりしたこと。映画館で前の座席に座っていた30歳くらいのカップルのマナーの悪さには呆然とした。上映中ひそひそ話をする、2人とも交互に何回も席を立って外に出る(トイレだと思うがなぜそんなに頻繁に?)、座席前の鉄柵に足をかける、伸びをする、極め付けが、飲み物とポップコーンを食い散らかして片付けもせずに立ち去ったこと。絶句。上映中にケータイで通話を始めたりしなかっただけよかったかも。


8月6日(月曜日) 1面トップで何を伝える

 これまで踏ん張って(?)五輪記事を1面トップにしなかった日が何日もあった朝日が、土曜日の夕刊から日曜の朝刊、今朝の朝刊と1面トップに五輪を据えている。五輪記事を1面の肩で扱うのは一つの見識だと評価していたのに残念だ。特番でもニュース番組でも延々と五輪を流し続けているNHKと同レベルになってしまった。「これじゃあスポーツ新聞と変わらないじゃないか」などと揶揄されても仕方がないだろう。

 新聞の特性は、何が最も重要で伝えるべきニュースなのかを、一目で分かるようにビジュアル化し、紙面で一覧できるように読者に示すところにある。記事の大きさと配置と見出しの大きさは、新聞社(編集者)の編集姿勢を示すことでもあるのだ。五輪のニュースが大事で、大勢の人の関心が高いことはよく分かる。五輪が伝えるべきニュースであることにも全く異論はない。

 しかし、「伝えるべきニュース」は五輪だけではない。圧倒的に大量に流される五輪ニュースの陰に隠れて、埋もれてしまっている「伝えるべきニュース」がたくさんあることを、私たちは忘れてはならない。原発再稼働、原子力規制委の人事、原発事故告訴、着々と進む原発輸出、オスプレイ配備、死刑執行、消費税法案の行方、会期中の国会審議で何が議論されているのか(議論されていないのか)などなど、「伝えるべきこと」を大きく扱わない日本のメディアのありように、この国の民主主義の危うさを感じる。

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 都内の某女子大で、学生や教授と就活の話題になった時の会話。「新聞記者志望なんて最近はほとんどいません」「テレビ局は人気あるでしょう?」「いやいや全然」。マスコミ全体が不人気なんだなあと実感。僕の勤務校の学生もマスコミ希望は確かに少ない。業界関係者はこの現実をしっかり自覚すべきだろう。でもなぜか営業職は人気があるそうだ。「伝える側」に対する不信感というより、「伝える側」や「伝えること」そのものに興味がなくなっているのかもしれない。事態は深刻だな。

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 「採決前に衆院解散を確約しろ」(自民党の谷垣総裁)って順番がおかしいだろ。消費増税一体改革法案を採決するなら、国民に信を問うた結果を踏まえるのが筋じゃないのか。

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 隠そうとすればするほど疑惑と不信感が増大し、国民の怒りに拍車をかけてしまう東京電力のテレビ会議映像の公開。情報公開の意味と組織の危機対応の基本を、全く何も理解していないことだけが伝わってくる。倫理観や社会的責任が欠片もない組織に驚くばかりだ。どこかの教育委員会や学校も同じことをやっていたけど。


8月7日(火曜日) どの国を応援してもいいじゃないか

 「明石家さんまがフランスを応援していたのはけしからん」「さんまはなでしこに辛口だった」といった批判がネット掲示板には殺到しているとか。それはちょっと筋違いの反応だと思う。どこの国を応援するのも自由だし、フランスの猛攻になでしこが苦戦していたのは事実で、それを辛口で指摘するのも自由だと思うからだ。僕はなでしこを応援していたが、さんまの姿勢は支持する。五輪サッカー女子準決勝の日テレの中継放送後に、不必要な芸人(くりぃむしちゅーの上田晋也)が司会で登場し、余韻を台無しにされたという反応は当たっていると思うけど。日テレだけでなくほかの民放も同じだが、スポーツ中継にCMと芸人はいらないよ。

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 バレー女子は大接戦で中国を破って4強に入って、卓球女子団体は中国に敗れて銀メダルか。卓球は中国が圧倒的に強いのは仕方ないよなあ。しかし五輪の卓球でメダル獲得(しかも銀)というだけで十分に見事。愛ちゃんについて「卓球人生20年」とのアナの説明に思わず笑ってしまった。それにしても中国人女子選手は、どうしてみんなおっさんみたいなんだろうか。素朴な疑問。

 サッカー男子準決勝の逆転シーン。相手ボールになってるのに、日本選手(16番)はなんでゴール前をたらたら歩いていたんだろう。あれじゃあシュートを決められるのも当然だなあ…。このまま終わっちゃうのかな。などと考えていたら終了間際にさらに得点されて、日本は3─1でメキシコに敗退。最後まであきらめず食らい付く粘り腰のなでしこと、男子チームとの決定的な違いだ。

 エジプト戦と違ってメキシコは強かった。さもありなんの結果かなあ。3位決定戦では頑張ってぜひメダルを獲得してほしいが、こんな調子では難しいかも。バレー女子とサッカー男子の対照的な試合で、最後まであきらめないことの大切さ、集中力を切らさないことの大切さが改めてよく分かった。

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 国民の代表としての職務を果たさず、本末転倒の動きしかしない日本の国会議員に絶望的になる。だったらとっとと解散総選挙をしてくれよとも思うが、投票したい(投票すべき)と思えるだけの候補者も政党もない悲しさ。


8月8日(水曜日) 東電に原発は任せられない

 「海水注入『もったいない』東電本社廃炉恐れ」(時事)。メルトダウンの時点で言われていたことだよなあ。テレビ会議映像の公開で図らずも、海水注入を止めさせようと抵抗した東電本社の正体が証明されたということか。原発周辺住民や作業員の安全よりも、海水注入による原発廃炉の経済的損失をまず恐れる東電。こんな連中に、原発なんて危なっかしいものをゆだねられるわけがない。

(時事通信の記事)→ http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012080800852

 自己弁護・正当化するつもりで、ボカシや消音などあれこれと手を加えて一部公開した東電のテレビ会議映像だが、隠蔽工作しようと画策すればするほど、いろいろとボロが出てきて墓穴を掘る。それが悪者らしい古今東西の役回りだが、まさにそのまんま。どこまでいっても最低な組織だな。

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 「本の闇鍋状態…!紀伊國屋の思い切ったフェアが凄い」。これは面白そうな企画を考えたなあ。本の冒頭の文章(書き出し)だけを表紙カバーにして書棚に並べるなんて、前代未聞の試みだ。書き出しの3行というのは、文章を書く人なら例外なく悩んで工夫するところだもの。面白くないわけがない。紀伊國屋書店新宿本店2階で9月16日まで。ぜひのぞきに行ってみたい。

http://matome.naver.jp/odai/2134423642552309101

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 涼しくて心地よい浜風が吹いて過ごしやすい。湿度が低く空気がさらっとしているからかも。海から結構離れた丘の上にある自宅まで、潮の香りをわずかに感じる。そろそろ秋の気配が近付きつつあるのかな(きのう7日は立秋だったし)。でもあす9日は再び猛暑がぶり返すらしい。まだまだ暑い日が続きそうだ。


8月9日(木曜日) 自分の意思で掲げる「日の丸」は美しい

 いつか<そのうち< 近い将来<近いうち<来月<今月<来週<今週<明日<今日。時期を明確に示しているもの以外はどれも適当でいい加減だよ。うやむやで、なし崩しに先延ばしになることだってある。「普通」の「社会常識」だったらそんなもんでしょ。

 野田首相と自民党の谷垣総裁との会談で、衆院解散時期についての約束「近いうち」をめぐって、さまざまな解釈が永田町で繰り広げられているという。実に馬鹿馬鹿しい限り。くだらないことにひたすら精力を傾けるばかりで、本当にやるべきことは何もしない人たちだな。そんなだから社会全体に政治不信が(以下略)。

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 レスリング女子の吉田沙保里すごいなあ。五輪三連覇か。相手のほんの一瞬の隙をついて技を決める。この種目の緊張感も半端じゃない。見ていてハラハラするけど、1つのピリオドが2分だから見るのも耐えられる。浜口京子はかわいそう…残念だった。

 試合終了後に喜びを全身であらわし「日の丸」を掲げて会場内を歩く吉田選手。自分の意思で掲げる「日の丸」というのは本当に美しい、と心から思う。同じく自分の意思で耳を傾ける(歌う)「君が代」も。どこの国の旗も歌も、強制されたらその時点でアウトなのは変わらない。

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 サッカー女子決勝戦。ヒヤヒヤするシーンが続くけどすっごくいい試合。相手チームの選手に、お互いが尊敬の念を持って戦っているように見えるのが気持ちいい。それにしても、なでしこのシュートはどれも惜しかったなあ。後半に1点を返した時は思わず拍手してしまったが、あと一歩及ばず。神様は両サイドについていたみたいだ。見ごたえのある試合だった。日本は善戦したと思うぞ。日米両チームともお疲れさまでした。


8月10日(金曜日) 過剰な愛国心と敵意

 五輪サッカー男子の3位決定戦は見なくて正解だったみたいだ。途中でちらっと見たがなんだかなあという試合ぶりだった。録画中継も見ない(きっぱり)。準決勝での日本選手の気迫や集中力のなさが不快だったし、異様なまで敵意をむき出しにする韓国を相手にした試合を見るのも不快だから。

 過去の日本の侵略行為はもちろん反省すべきだし、歴史的事実をねじ曲げようとする日本の一部政治勢力の態度は間違っていると思う。しかし彼らと同じくらい韓国社会や中国政府の対日政策はおかしい。日本のネトウヨと同様に事実と歴史認識をねじ曲げ、過剰に愛国心や国粋主義を煽り、独善的な姿勢が目立つからだ。

 一方的に偏った情報に基づいて操られ、社会全体が一つの方向に突っ走り、ヒステリックに反応する。「わが国、わが民族こそが最も優れている」「あれもこれも、わが国が元祖で発祥だ」などと言い切って、それが不合理で不自然だと感じない傲慢不遜さ。全力で自己主張はするが、他者の言い分には全く耳を傾けようとしない。まるで戦前の日本社会を彷彿とする。他山の石として自省すべきだが、好きにはなれない。


8月11日(土曜日) 五輪精神を冒涜する韓国選手

 「発達障害への偏見ある」求刑超え判決を日弁連が批判。「刑務所での治療体制は不十分で、長期収容による改善は期待できない」などと指摘した(朝日)。しかしこういう指摘の仕方だと、「刑務所での治療体制が十分で、長期収容による改善が期待できる」なら問題ないみたいに聞こえてしまう。予防拘禁のおそれは?

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 気合いと気迫と必死さと真摯さがないと勝負には勝てない。サッカーに限らず、どんなスポーツでもどんな仕事でも、相手を上回るというのは大変なことだ。熱意のこもった気持ちいいプレーを見せてくれたなでしこと違って、五輪のサッカー男子には「よく頑張った」なんてとても思えないし、拍手する気にもなれないなあ。試合を見る気も応援する気も一気になくなってしまった。そして、敵意をむき出しにしてくる韓国が相手の3位決定戦。五輪サッカー男子はもう日本も韓国も話題にもしたくない。

 と思っていたら、とんでもないニュースが…。五輪サッカー男子の日韓戦の直後に、韓国選手が「竹島領有」を主張するメッセージをピッチ上で掲げていた。国際オリンピック委員会(IOC)は調査に乗り出す方針だという。IOC広報部長「政治と五輪を一緒にしないというのが原則。人々は政治的な意見を持てるが五輪中は違う」(毎日)。

 心配していた通りの愚劣な行為。全くどうしようもないな。非常識で恥知らずにもほどがある。平和の祭典である五輪の精神を冒涜しているし、相手のチームや選手への尊敬の念が皆無なのは度し難い。IOCは五輪憲章に基づいて厳正に処分すべきだ。

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 五輪バレーボール女子が3位決定戦で韓国をストレートで下し、28年ぶりの銅メダル獲得。おめでとう!


8月12日(日曜日) 反面教師とすべき韓国社会

 中国人の選手や観客はさすがに五輪会場で、尖閣諸島のプラカードを掲げたりしない。ロシア人も同様。時と場所、最低限の常識はわきまえている。韓国人選手とサポーター、彼らの愚劣な行為を擁護する韓国社会はやはり異常だ。事実をねじ曲げて一方的にナショナリズムを煽り立てる韓国メディアも。中国との決定的な違いは政府の意図的な対日政策にとどまらず、社会全体が雪崩を打って一色になっている点にあると思う。日本人も含めて世界の人々は反面教師とすべし。

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 「決して許されない韓国選手の五輪での行為」。スポーツ評論家の玉木正之氏が、「韓国サッカー選手の『愚行=五輪政治利用行為』を、日本政府とメディアは絶対に看過するな」と厳しく指摘している。→ http://news-log.jp/archives/3037

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 日航ジャンボ機墜落は入社の前年に起きた事故だ(1985年8月12日)。僕は北海道の礼文島を旅行中だった。宿泊先のユースホステルのテレビから「機影が消えた」と伝えるアナウンサーのうわずった声が聞こえてきて、ニュース速報の画面を食い入るように見つめていたのを鮮明に覚えている。人ごととは思えなかった。食堂にいた宿泊者はみんな静まり返ってテレビを注視していた。帰りは空路でなく海路と陸路にした。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。合掌。


8月13日(月曜日) 五輪一色のNHKは猛省を

 素晴らしいプレーや感動的な試合を見せてくれたロンドン五輪が閉幕。あきらめないことの大切さを改めて教えてくれた選手の皆さんに深く感謝したいが、NHKは報道機関としてのあり方を全局をあげて猛省し、ニュースの伝え方と番組編成について検証した方がいい。

 ロンドン五輪の話題にあまりに偏って、伝えるべきニュースをないがしろにした姿勢は、報道機関として致命的。それでは視聴者の支持と信頼は得られないだろう(既に視聴者から見放され始めている)。「公共放送」「報道機関」を名乗るのであれば、組織的に考え直すべきだ。ラストチャンスかもしれない。

 しつこいようだが、社会に大きな影響を及ぼし民主主義を支える放送のあり方を考える上で、重要な問題だと思うので繰り返し指摘しておきたい。せめてニュースは必要十分に伝えるべきだと思う。通常のニュースの時間を圧縮し、しかもニュース番組の枠でさらに3分の2以上も五輪の話題を伝えるというのは、どう考えても常軌を逸している。五輪一色に雪崩を打つ状況を危惧する。民放も似たような状況だが、曲がりなりにも「公共放送」の看板を掲げているだけにNHKの責任は重大だ。


8月14日(火曜日) 自立した市民と「国家」

 「天皇訪韓なら心から謝罪を〜韓国大統領」。なぜここまで対立を煽るようなことばかりするのかなあ。韓国大統領は政権末期になると例外なくこういう発言をする。韓国メディアも対立を煽る。日本の一部メディアも似たようなものだが。だれの利益にもならないと思うけど、たぶん何かしらの利益を得る人たちがいるのだろう。

 「相手にせず黙殺するのも賢明な選択の一つかと思います。挑発に乗らず対立を煽らないのも必要では」→(自民党の山本一太・参院議員のツイッターでの発言「天皇陛下の訪韓に関する韓国大統領の発言に関して、玄葉外相が明日も公式コメントを出さない方針だという噂が流れている。まさか、それは、あり得ないだろう!!」に対して、思わず返信してしまった。)

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 ソウルで韓国人の大学生や若者を取材したことがある。日本語を話す学生も、取材に同行して通訳してくれた韓国人も、ほぼ例外なく全員が「わが国」「わが国」と口にするので閉口した。そこまで日常的に個人が国家を背負って(意識して)生活しているのかなあと。教育とメディアの影響(刷り込み)は本当に怖いと、それ以来痛感している。

 一部の奇特な人たちを除いて、日本人の学生は「わが国」などという言葉はまず口にしない。授業で「わが国」について触れた時の学生の感想でも、「そんな単語は使いません」「その言葉は好きではありません」といった反応ばかりだった。

 個人が一人の市民として自立し国家と一体化しないというのは、成熟した社会の一つの要素なのではないかと思う。もちろん日本社会がそれほど成熟しているとはとても思えないが、市民社会を支える最低限の意識としては一般化しているのではないだろうか。

 徴兵制の存在も大きいのかもしれないが、それにしても韓国社会のナショナリズムの強烈さは特異ではないかと感じる。五輪選手の政治的行為と会場外での個人的主張との区別を、多くの韓国人(すべてではない)が理解できず、ごっちゃにしてしまっているのも、そうした韓国社会の象徴であるような気がする。

 ここで指摘している問題の本質は、「自立した市民」の一人として「国家」と一体化しないことを意識できているかどうか、ということだ。「国益」(国家益か国民益か)や「愛国心」(国家や政府に忠誠を誓うのか、郷土である「くに」に愛着を示すのか)という言葉も同じ問題をはらんでいる。多くの韓国人は(残念ながら日本人も少なからず)「くに」と「国家」「政府」が区別できていないように感じる。

 主語を「日本は」とするのと、「わが国は」とするのとでは、発言者の立ち位置は全く違ってくるだろう。意識的か無意識かの違いがあったにしても、前者は中立の立場で、後者は国家(政府)と一体化した立場での発言と理解される。価値中立性を保って思考できているか、あるいは一体化せずに発言できているかが問われることになる。ニュース報道の主語にも同じことが言える。

 「私たちの◯◯」でも「わが◯◯」であっても、日本語の「うちらの」に置き換えればさほど違いはないように思える。問題の本質は、そこに「国家」が絡んでくるかどうかだろう。国家と一体化せず自立しているかどうか、市民意識が問われているのだ。

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 「読売新聞記者が取材メモ誤送信、諭旨退職処分に」。デスクや同僚に送るはずのメモを、記者クラブの他社に一斉送信してしまったんだなあ。記者なら誰しもやってしまいそうなうっかりミスだけど(僕も含めて)、絶対にやってはいけない致命的なミス。取材源秘匿の根幹に関わるからだ。同情はするが…。

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 【おことわり】8月12日付「身辺雑記」の末尾に、追記を掲載しました。


8月15日(水曜日) 暑気払い

 横浜の夕方の空。まだまだ日中は暑いのだが、それでも時おり心地よい風がすっと駆け抜けていく。顔をあげて上を見ると、もうすぐそこにまで秋が近付いてきているのかな、と感じる風景が広がっていた=写真(午後5時過ぎ撮影)。

 東京・吉祥寺で、大学教授、弁護士、編集者らと暑気払いの飲み会。店内は落ち着いた雰囲気で、チェーン店の居酒屋なのに料理がどれもめっぽう美味しい。レンコンのきんぴら、長芋の浅漬け、黒豚の鉄板焼餃子など。メニューの写真が食欲をそそったので、夏だけどこの店の特製銅鍋を頼んだら、利尻昆布を浸した湯に、店員さんがさらに削った鰹節をさっと潜らせる。ダブルで出汁を取るこだわりに驚かされた。しかも学生コンパのような料金の安さ。店員の接客ぶりもとても丁寧。また行きたいと思わせてくれた。

◇◇

 香港の民間団体のメンバーが尖閣諸島の魚釣島に不法上陸。こういう目立ちたいだけのはねっかえりは、まともに相手にしない方がいい。かまうからさらに調子に乗ってエスカレートする。取り調べるだけ取り調べたらさっさと強制送還して、あとは毅然と黙殺するのが最も賢明な対応だろう。挑発に応じるのは愚の骨頂だ。


8月16日(木曜日) 「おおかみこどもの雨と雪」

 TOHOシネマズで「おおかみこどもの雨と雪」を観た。かわいらしくてたくましく、自立と共生を描いた子育てファンタジーだけど、切ない別離と成長の物語でもある。そこが細田守監督作品らしいと思った。

 花と雪のキャラが特に魅力的。ぶれずに必死になって2人のおおかみこどもを育てる花の姿に、母親の本当の強さというものを垣間見たような気がした。同級生の少年に正体を明かした雪が、これからどんな人生を歩いて行くのか気になって仕方ない。

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 きのう15日付の「身辺雑記」でも書いたが、尖閣諸島上陸はまともに相手にしないのが賢明。しかしやけに張り切っている勇ましい方々(自民党など保守派議員や元自衛官、ネトウヨ、一部メディアなどの皆さん)が、強硬路線をここぞとばかりに煽っている。中国や韓国にもこの手の方々が大勢いるようで、戦争とはこういうところから始まってしまうのだろうなと危惧する。

 もしも武力衝突にでもなったら、いったいどうするつもりなんだろう。取り返しのつかないことになってしまうのだが、戦争で痛い目にあった過去の経験を忘れてしまったのか。日本人はもちろん中国人も韓国人も、もっと冷静に想像力を働かせて考えてほしい。


8月17日(金曜日) ネットは馬鹿発見装置

 インターネットって本当に馬鹿発見装置だなあとしみじみ思う。ツイッターもフェイスブックもブログも。立ち止まって確認も吟味もせずに、思ったことを反射的にそのまま打ち込むという側面もあるのだろうけど。ワンクッション置くためのデスクや編集者の存在価値を改めて認識する。そんな今日このごろ。

 ちょっと調べれば分かることを調べもせずに、でたらめな話を前提にして書き込みが延々と続いているのを目にすると、なんだかなあと思ってしまう。例えばフェイスブックで、直接の友人や知人なら訂正してあげたりもたまにするが(それも嫌われそうで躊躇するが)、友達の友達の発言だと、見ず知らずの人間が勝手に闖入するのも無粋だし、それこそ逆に非難されそうなので、ため息をつくばかり(汗)。スルーして見なかったことにするのが、精神衛生的には一番いいのかもしれないけど。

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 ここ最近は「ガリガリ君(梨味)」からシフトして、「白くまアイス」(スティックタイプ)にハマって、1日1〜2本は必ず食べている。冷凍庫には白くまアイスが常備。食べないと禁断症状が…(笑)。フルーツ果肉よりも、さっぱりじわっと甘い練乳氷部分の方が好きかな。

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 3カ月半ぶりに髪の毛をカット。きょうも暑くてたまらない一日だったが、短めにカットしてもらってすっきりしたせいか、ほんの少し涼しく感じるようになった(気がする)。


8月18日(土曜日) 「復刻!東映まんがまつり」

 近くの家電量販店で「復刻!東映まんがまつり/1969年春」というDVDを見かけて、懐かしくて思わず買ってしまった。「長靴をはいた猫」「ひみつのアッコちゃん」「怪物くん」「チャコとケンちゃん」といったラインナップが3時間ほど収録されている。8ページの解説書のほかに縮小復刻パンフレットも封入。


8月19日(日曜日) 「自称愛国者」の愚かさ

 「国会議員ら150人、尖閣・魚釣島沖に到着」(読売)、「地方議員含む10人尖閣上陸」(NHK)。中国人ナショナリストの挑発に、まんまと乗っかって呼応する日本人ナショナリスト。子どもの喧嘩レベルに堕してしまっている。彼らの大好きな「国益」になんらプラスにならない、ということに気付かないのかな。

 魚釣島に不法上陸した中国人をいち早く強制送還した日本政府の対応は、冷静で妥当な判断(野田政権にしては珍しくまとも)だった。拘束を長引かせて日本が得することはどこにもないからだ。保守派の議員や「自称愛国者」が強硬論を声高に主張し、挑発に乗ってわざわざ対立を煽る言動を続けていることこそ、最大の危機であり問題を複雑に拡大させるだけでしかない。「自称愛国者」の思慮の欠けた感情的な行為ほど、無益なことはない。

 尖閣諸島は日本が実効支配しているのだから、不法上陸しようとやってくれば、その都度繰り返し何回でもつまみ出して、粛々と毅然と放り出せばいいだけだ。真正面からまともに相手をすればするほど、先方は調子に乗るだけなのは目に見えている。

 無意味に対立を煽って得するのは、愛国者を名乗っている頭の弱い一部政治家だけだろう。メディアの責任は大きい。日本はもちろん中国や韓国のメディアは、対立を煽るような無責任な報道は止めた方がいい。戦争をしたくないと考えるなら、メディアこそもっと冷静に対応すべきだ。

◇◇

 「尖閣諸島の魚釣島に上陸したのは茨城県取手市の小嶋吉浩市議、東京都荒川区の小坂英二区議ら」という速報が、なぜ東奥日報にと思ってクレジットを見たら共同の配信記事だった。青森に縁もゆかりもなさそうなのに力が入ってるなあ。東奥日報のウェブサイトは、共同記事を積極的に掲載することで有名なのだとか。


8月20日(月曜日) 「授業評価」結果にひと安心

 前期(春学期)の「学生による授業評価アンケート」の結果が簡易書留で送られてきた。授業についてはいずれも高評価だったので安心したが、「予習・復習をしてこの授業に臨みました」との学生自身の自己評価項目がやや低めなのが気になる(苦笑)。

 自由記入欄の学生のコメント。「楽しかったです」「文章を書く力が身についたと思う」「秋学期でも受講したいと思えるすばらしい授業でした」「履修して本当によかったです」など。うれしい書き込みばかりで、酷いコメントがなくてほっとした。ちなみに1年生対象の文章講座は前期のみの開講で、後期の「現代ジャーナリズム」は2年生以上が対象。


8月21日(火曜日) ろくでもないこの国の裁判

 きょうもまた、痴漢冤罪事件で無実の訴えが棄却された。判決を言い渡したのは東京高裁の小川正持裁判長。弁護人は秋山賢三弁護士。被告人は即刻上告の手続きを取った。東京地裁高裁の正門前では猛暑の中、狭山事件の石川一雄さんが無実を主張し、再審実現を訴えていた。この国の司法に正義はあるのか。

 「期待してたんだけどな。(東電OL事件の)ゴビンダさんの再審開始を決定した裁判長だから、間違いなく逆転無罪だと思ってたのに」。控訴棄却の判決後も未練たらたらの友人のディレクター。だから裁判官に期待し過ぎだって。「でも比較的まともだと思ってたんだよ」。甘いよ甘すぎる。日本の裁判官の大半はろくでもないんだってば。残念ながらそれがこの国の司法の現実だ(苦笑)。


8月22日(水曜日) 余力などないのに

 福島県沿岸で「アイナメから基準の250倍の放射性物質」「アイナメの基準超1匹は380倍」(NHK)。同じ海域の調査ではこれまで国の基準の18.8倍が最大だった。異様な数値じゃないか。→ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120821/k10014436181000.html

 原発事故の収束にこれから数十年を要し、気が遠くなるほどの莫大な資金と人手が必要だというのに、領土問題で揉めるだけの余力がこの国にあるとは到底思えない。そんな時期に挑発に乗る(自らも挑発する)「自称愛国者」の気が知れない。領土をめぐる愛国者(自称)の「勇ましい」言動は理解しがたいものがある。

 余力のない日本の現状を考えれば、オリンピックの東京誘致もあり得ない。借金だらけで家族に病人を抱えているのに、ごみを散らかして隣近所を挑発し、さらに豪華マンションを購入しようと考えている生活破綻者と、たいして変わらない発想のようにしか思えないけどなあ。


8月23日(木曜日) 猛暑でも電力は足りている

 「暑い暑い」「猛暑が続く」と伝えるテレビ。家庭や職場ではエアコンで暑さをしのぎ、工場では土日操業などしていない。それでも電力供給は足りている。原発がなくても電力不足にはなっていない。猛暑のニュースを伝えた直後に、その事実をしっかりアナウンスしろよ。

 世論調査をあれこれ繰り返しても、原発ゼロを求める民意が多数派を占めている事実は変わらない。「討論型世論調査」とやらでも、やればやるだけ原発ゼロを支持する声が増加している。昨年3月の福島の原発事故で、さすがにこの国の国民も目が覚めたのだ。なんとか言いくるめて、原発再稼働へ世論誘導できるだろうとの政財界の目論みは外れた。

◇◇

 「中国の外国人記者団体、安全確保求める声明、暴行相次ぎ」(毎日)。朝日新聞記者が警官に殴られ、ドイツのテレビクルーが拘束されるなど、外国人記者に対する中国当局の暴行や拘束が相次いでいるとしての声明。どれほど効果があるかあまり期待できないが、記者が団結して申し入れをすることは重要だ。

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 「社説」と「記者コラム」の区別さえつかない弁護士がいることを、ツイッターで知る。弁護士のレベル・力量の格差が歴然としていることがよく分かる。

 【追記】新聞社を代表して社論を展開する社説と、一介の記者が持論を執筆するコラムとは全く別物だと思います。事実を基にしなければ、まともな議論にはならないのではないかと考えます。些末なことではなく、象徴的な事例と考えたのであえて文字にしました。朝日新聞の渡辺雅昭記者の指摘(社説余滴「弁護士の『質』って何だろう」=本日付の朝刊)には、僕は一理あると思います。

 「能力はないが、営業力だけある年寄り」は淘汰されるのではないでしょうか。というか淘汰されるべきだし、淘汰されなければならないと思います。酷い弁護士に担当されると、その人の人生が台無しになってしまいますから。そのためにも、弁護士情報が共有される必要があると実感しています。自治組織である弁護士会が率先して、そういう事業を展開してくれるといいのですが。

 ちなみに「能力のある新人」で活躍されている方もいらっしゃいますよね。もちろんその逆の無能な新人も。どんな職業でも、それぞれの力量次第で何とかなる部分は大きいと思います。


8月24日(金曜日) 石原都知事は痴呆老人

 オリンピック東京招致のポスターを背景に、定例記者会見で尖閣諸島の測量計画と上陸をぶち上げて、周辺諸国を挑発しまくる石原都知事。いつも通り勇ましい自称愛国者ぶりだが、どう考えてもそれじゃあ五輪招致は無理だろう。痴呆老人としか思えない支離滅裂ぶり。あわれだなあ。いったい何がしたいのかさっぱり分からん。

 そもそも東京五輪なんて必要ないし、常識的に考えて日本は五輪招致どころではない。そんな余力はないだろう。石原都知事やマスコミ(特にテレビ局)が、必死になって東京五輪をアピールしているのは理解に苦しむ。石原都知事の振る舞いは墓穴を掘っているだけで、ほぼ間違いなく落選するとは思うけど、招致のために莫大な税金が投入されているのは許せない。


8月25日(土曜日) 核のゴミ地下埋設処分は無理

 「核のゴミ白紙に戻す覚悟で見直しを」(NHK)、「放射性廃棄物の処分計画見直しを…日本学術会議」(読売)。核廃棄物を地下に数万年以上埋める処分計画について、「地震や火山が活発な日本で安定した地下の地層を確認することは、現在の科学では限界があることを自覚すべきだ」と日本学術会議。

 至極当然な報告案だ。今までどうしてこういうまともな報告が出てこなかったのか、むしろ不思議なくらいだ。核廃棄物が処分できないなら、原発の稼働自体が困難ということになる。やはり原発は即刻廃炉にするしかない。


8月26日(日曜日) 「原発ゼロ」自民党議員4%

 朝日新聞のアンケートによると、「原発ゼロ」を支持する衆参両院の国会議員は、民主党40%、自民党はわずか4%にとどまったという。共産党と社民党は全員が「原発ゼロ」を支持した。この数字が選挙でどう判断されるか注目だ。


8月27日(月曜日) いつまで温水

 水道の蛇口をひねったら、冷水モードなのになまぬるい温水がどばーっと出る。この状態はいったいいつまで続くのだろう。もうそろそろ残暑も終わりかなと期待しているのだが、まだしばらくはこのままらしい。これから残暑見舞いを出すからまあいっか。


8月28日(火曜日) 原発と安保

 「原発ゼロ、簡単に言えぬ=野田首相『安保絡む』」(時事)。正直というより、身内を前につい本音が出たということだろう。野田内閣がこうした立場に立つならば、原発ゼロは絶対にない。自民党政権になったとしても同様。


8月29日(水曜日) 中教審の教員養成答申は本末転倒

 「教員免許『修士レベル以上に』中教審が資質向上策答」(朝日)。修士課程で学んだからといって教員の資質が必ずしも向上するとは思えないし、学生の経済的負担と、大学や教育実習の現場の負担がさらに増えるだけ。教育問題の本質的な解決には役立たないと思うけどなあ。

 「中教審、教員養成で修士課程履修を答申」「いじめや不登校など生徒指導上の課題が複雑化するなかで、教員には高度な専門知識と実践的な指導力が求められるとしている」(NHK)。教員が生徒に向き合う時間や精神的余裕が、決定的になくなっている現状こそ最大の問題なのに、さらに現場を忙しくさせてどうするというのだろう。本末転倒としか思えない。

 【おことわり】8月24日付から同29日付までの「身辺雑記」をまとめて更新しました。


8月30日(木曜日) 「ハズレ」の裁判官

 きょうもまた、とんでもない判決を目の当たりにしてしまった。判決を言い渡したのは横浜地裁民事7部の阿部正幸裁判長。弁護団長は岡田尚弁護士。痴漢冤罪事件で有罪になり懲戒免職された高校教諭が、教委に処分の取り消しを求めた裁判で原告の請求棄却。教え子や保護者から深く信頼されているにもかかわらず、原告側の立証事実を一顧だにしない。「まさかこんな判決が出されるなんて。勝訴声明しか用意してないよ…」。原告弁護団はしばし絶句した。日本の司法は度し難い。

 「日本の刑事裁判はかなり絶望的」と批判したのは、平野龍一・元東大総長だが、刑事も民事もろくでもない裁判官が大半だ。自白調書を鵜呑みにして有罪認定するだけ、行政や企業の主張を追認して市民の訴えを却下するだけ。その中にほんのわずかにまともな裁判官がいる。ほんのわずかな「当たり」の裁判官に巡りあえるか否かで、その人の人生が左右されてしまう。理不尽だ。

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 横浜・野毛の小料理屋で市立高校の先生方と飲む。オリジナルのキノコ入りの豆腐、刺身の盛り合わせ、さくさくふわふわのかき揚げなど、どの料理も抜群の美味しさ。鹿児島の薩摩焼酎との相性も申し分ない。そこですかさず振る舞われたのが、今が旬のサンマの塩焼き。これがまた脂がのって絶品だった。

 裁判の結果はトンデモ裁判官の不当なトンデモ判決だったが、みんな笑顔で盛り上がる。美味しい料理と酒に囲まれて幸せ。

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 刃物をしばらく使わず放置していると切れ味が悪くなるが、文章も同じだ。まともな原稿を久しぶりに書いたら、エンジンがかかるまで四苦八苦した。やる気になるまで(執筆意欲をかき立てるまで)と、頭の中で原稿の全体構成が整うまでにえらく時間を要してしまった。ピアノのレッスンを1日サボると、それまでのレベルを取り戻すのに3倍の3日間かかるというが、そういうのとも似ている気がする。反省。

 ツイッターやフェイスブックやブログで、しょうもない雑文を毎日のように書き散らかしても、文章のキレを維持することには何の役にも立たない。ちゃんとした原稿をコンスタントに出稿しないとダメだよなあと実感している(苦笑)。


8月31日(金曜日) 「ゾンビ」が集う大阪維新

 大阪維新の橋下市長のところに集まってくる連中は、どれもこれも揃いも揃ってゾンビみたいなのばっかりだな。開港博のイベント大赤字をうやむやに横浜市長を投げ出した中田宏、杉並区長から国政に鞍替えして落選した山田宏、お腹が痛くて首相の座を放り出した安倍晋三ときて、さらに顔を出したのが、宮崎県知事を辞めて都知事選で大コケした東国原英夫(そのまんま東)。まったくもって「類は友を呼ぶ」としか言いようがない。この言葉がこれほどぴったりくるのも珍しいんじゃないかとしみじみ思う。


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