身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2013年1月1日〜1月31日

●謹賀新年●「ねこタクシー」●反省●バブル再来か●ようやく印刷へ●朝日の連載記事は分かりにくい●一方的なNHKの五輪招致報道●シラバス仮登録●期待以上の反応●安易に表現規制するな●表現規制に違和感●さらに原発抗議の声を●ピント外れ●結局は体罰容認の橋下氏と義家氏●器の小さい政務官さま●教育委員会制度は必要●よこしまで歪んだ感性●押し付けがましさと独善性●過剰反応には断固反対●風邪でダウン●辛いけど出講●時間配分が難しい●実名報道はすべきだが●駆け込み退職を責められぬ●少人数学級より教員管理か●誇りある企業人は「戦士」じゃない●「国民の生命財産」と言うのなら●片付け●期末試験の出来●体罰はどんどん告訴・告発すべし●●●ほか


1月1日(火曜日) 謹賀新年

 あけましておめでとうございます。2013年も言いたいことを言って、書きたいことを書いて、毅然としつつものんべんだらりとやっていきます。今年もよろしくお願いします。

 今年は風向きの関係からか、横浜港に停泊中の船が一斉に汽笛を鳴らす音が聞こえてこない。午前0時になると同時に、いつもは横浜南部の自宅でも聞こえるんだけどな。寒いから外に出るのは億劫だし、まあいっか。

 【追記】どっさり届いた年賀状の束を前に、まだ書いていない自分の怠慢を恥じ大いに焦る。できるだけ早く通信面の版下作成と印刷を終えて、できれば一気に宛名の印刷も完了し、ひとこと添え書きして、早ければ2日、遅くても3日には投函したい(予定というか願望)。今年こそは年内に投函したいと、毎年のように年の初めに強く思うのだが、なかなかその野望は果たせない(汗)。

 それにしても多くの方が年始の文面で憂えているのは、総選挙の結果と改憲や軍備増強の動きへの不安だ。いただいた方々の顔を思い浮かべながら1枚ずつ目を通していくと、考え方や立場はそれぞれ違えども、これでいいのだろうかと感じているのを痛感する。

 元日付の朝刊が新聞受けに入りきらず、今年は珍しくビニール袋に入れてドアノブに下げられていた。別刷りと合わせてページ数は多いのだが、しかし内容はスカスカの缶詰記事ばかりで、面白い記事はあまりなかった。折り込みチラシの量がかなり多いのは、景気回復の兆候と考えていいのだろうか。

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 アニメ「蛍火の杜へ」をMXテレビで見た。「夏目友人帳」のアニメスタッフが、同じ原作者の作品を映画化。森に住む妖怪(とまでは言えない幽霊)の少年と人間の少女との出会いと別れを描く。切なくていい話だった。本編は40分ほどしかないので物足りなさも感じるが、そこがまた切なさを倍増させる。秀作だと思う。


1月2日(水曜日) 「ねこタクシー」

 映画「ねこタクシー」をtvk(テレビ神奈川)で見る。横浜が舞台。面白かった。猫を乗せたタクシーに運転手と乗客が癒されるだけの話かと思っていたが、家族関係や職場での人間関係、さらに動物と人間との関係まで考えさせる。なかなか深い内容だった。主演のカンニング竹山が名演。猫を飼いたくなるなあ。しかし部屋の本や書類の山を片付けるのが先決だろうと思うし、そもそも自分の世話も満足にできないので、猫を飼うのは躊躇している。


1月3日(木曜日) 反省

 年賀状はまだ準備作業も終わらず、投函できるような状態ではありません。反省しています。


1月4日(金曜日) バブル再来か

 日経平均の終値が1万688円と1年10カ月ぶりの高値水準を回復。株や証券や不動産を右から左に動かすだけで、あぶく銭がたんまり手に入る、実体の伴わないバブル経済の再来にならなければいいけど。バブルに浮かれているようにしか見えない。

 株価よりもっと心配すべきは原発問題だろう。原発を新増設するという安倍内閣の姿勢は信じ難いものがある。今も福島第一原発からは大量の放射能が漏れ出る状態が続いていて、すべての事態収拾にはこれから何十年もかかるというのに…。自民党の危機感のなさには言葉を失う。

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 ジブリアニメの「ハウルの動く城」は悪い映画じゃないと思うんだけど、いかんせん声の出演が酷すぎる。ハウル役の木村拓哉があまりに下手くそで萎えるんだよなあ。倍賞千恵子は素晴らしい女優だが、18歳の少女ソフィーを演じるにはかなり無理があって、ミスキャストと言わざるを得ない。とても残念なアニメだ。


1月5日(土曜日) ようやく印刷へ

 ようやく年賀状の通信面の版下作りを終えて、住所録の整理も完了した(遅すぎるよ)。これから怒濤の印刷に取りかかって、その後ひと言コメントを書き添えて、明日中には投函したい。ここまで引っ張ったのは久しぶりだ。深く反省している。ちなみにいつもは干支のイラストを載せているのだが、ヘビは大嫌いなので、今年に限っては干支にちなまないイラストにした。

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 TBSテレビ「新春ドラマ特別企画/ダブルフェイス・偽装警察編」が結構面白かった。邦画にしてはなかなかの出来だと思う(あまり安っぽく感じない)。やくざ組織の犬として警察に送り込まれたエリート警部の男(香川照之)と、警察のスパイとしてやくざ組織に長く潜入している組幹部の男(西島秀俊)。二重人格のような生き方を強いられ、切なくも物悲しい人生を送る対照的な2人。いずれも悲惨な最期を遂げるのが悲しい。

 さすがにハッピーエンドは無理だったか。2人とも平穏な生活を取り戻してほしいと願いつつも、世の中そんなに甘くないだろうと思いながら見ていたら、案の定やっぱりなという展開。香川照之があの結末になるのは仕方ないだろうなあ。詰めも甘かったし。西島秀俊の最期はかわいそうだった。


1月6日(日曜日) 朝日の連載記事は分かりにくい

 最近の朝日新聞のルポルタージュっぽい連載企画記事は、ものすごく分かりにくい書き方をしていると思う。読者の興味を引くエピソードや会話を冒頭に持ってきて、どれどれと読み進ませる手法はいいのだが、その冒頭部分がいかにも不自然で後の文章に続かず、何を言わんとしているのかつながらないのだ。全体の構成がおかしい。エピソードの順番を入れ替えたら分かりやすくなるのに、と思うことがよくある。

 例えば、きのう1月5日付の朝刊1面の連載「ビリオメディア/いじめ今も苦しい」は、冒頭の「つかみ」の部分が長過ぎる。しかも唐突にこの場面だけが延々と語られても意味不明なので、読者としては読み進める気が失せてしまうのだ。次のシーンの「出会いのきっかけは…」の部分を冒頭に持ってくれば、かなり分かりやすくなる。こういうことこそ先輩デスクが指摘したり、アドバイスをしたりすべきだろう。記者のセンスのなさも問題だが、担当デスクはもっとしっかり仕事をした方がいい。

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 NHKは年明けに始まって、きょうも昼から夜7時のニュースまで、東京五輪招致の話題を延々と取り上げていた。しかも一方的に招致賛美の方向で。街頭インタビューも、「東京で五輪が見たい」との声だけを紹介する徹底ぶりだ。東京の招致委員会は国内支持率を64%(前回56%)だと言うが、仮にこの数字に信憑性があったとしても、異論反論についてもしっかり紹介すべきだろう。伝え方があまりにも一方的すぎる。公共放送・報道機関として、公平公正さに欠けるにもほどがある。

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 前作のNHK大河ドラマとは大違いで、本日スタートの「八重の桜」はかなり面白かった。やはり幕末はドラマチックでよい。期待できそうだ。西田敏行の演技や仕草や台詞に、会津への並々ならぬ愛を感じた。「ならぬことはならぬものです」。原発推進や再稼動を主張する人たちは、この言葉をしっかり噛みしめるべきだな。

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 「福島県内の原発はすべて廃炉にすべき」との回答が75・4%を占め、脱原発を強く望む福島県民の意識が浮かび上がった、と県民意識調査の結果を伝える福島民報社。一方、同じ日に「原発重点区域の首長、再稼働容認が54%」としれっと伝える読売新聞。何なんだろう、この問題意識の違いと報道姿勢の差は。

 (民報)→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130106-00000016-fminpo-l07

 (読売)→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130105-00001211-yom-soci


1月7日(月曜日) 一方的なNHKの五輪招致報道

 きょうもまた、NHKは朝から晩までニュースのたびに東京五輪招致を大々的に伝えている。いい加減にしてほしい。詳細な開催計画を示した「立候補ファイル」をIOCに提出したというのは事実報道だからそれで構わないが、あまりにも一方的に招致推進の声だけを伝えるのは、公平公正な報道とはとても言えない(きのう6日付の「身辺雑記」参照)。

 IOC(国際オリンピック委員会)調査による東京五輪の地元支持率は47%。国内支持率の低さに焦る東京招致委は、都内の地下鉄の車内広告やテレビCMでの露出を増やし、著名人を使ったPR活動にも力を注いでいるという(毎日)。これまでの招致活動でも莫大な予算を散財し、これからもさらに浪費し続けるのか。この国のいったいどこにそんな経済的余裕があるのだろう。

 震災復興もまだまだで原発事故の収拾もほとんど手つかず。財政は大赤字で大幅増税しても足りない。どこに経済的人的な余力があるのかはなはだ疑問。「国を挙げて招致を目指す」だけの力を福島復興や原発処理に回すべきだ。安全確保を名目にした過剰警備も心配。メディアはそういう視点からも、東京五輪招致について伝えるべきだ。個人的には、2020年夏の五輪はイスラム圏で初というトルコのイスタンブール開催でいいじゃないかと思っている。

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 放射性物質の「手抜き除染作業」が問題になっているが、そもそも「除染」と言っても、こっちからあっちに放射性物質を移すだけの話で、放射能汚染がきれいさっぱりに除去されるわけじゃない。宇宙戦艦ヤマトに出てきたような「コスモクリーナー」は今の世の中には存在しない。漏れ続ける放射能は除去されない。

 事故を起こした原発からも次々と排出される汚染された水やガレキ。どんどん増え続ける膨大な量の汚染物質を、どこでどうやってだれが安全に保管し監視するのか。そしてその莫大な費用はどうするのか。原発から出る核廃棄物の処分も含めて、全く何も解決されていない。これこそが原子力発電と原発事故の恐ろしさだ。

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 安倍首相は君が代を斉唱した後、「仕事始めにしっかり君が代を斉唱する政党に政権が移り、まさに日本を取り戻す第一歩を踏みしめることができた」とあいさつ。「日本取り戻す第一歩」自公連立政権が本格始動(産経)。君が代を斉唱するのはそれぞれ個人の自由だが、いったい何を取り戻すつもりなんだ。

 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130107/plc13010711080003-n1.htm

 安倍政権は、外交や憲法改正については参院選まで鎧を隠し続けるだろうが、教育問題(歴史教科書の記述介入や学校現場への管理統制や思想教育)では、かなり強硬なことをしそうな予感がする。「教育改革」と言えば聞こえはいいが、その実体は国家による一方的な価値観注入という「思想管理」なんだけどな。


1月8日(火曜日) シラバス仮登録

 2013年度の講義のシラバスを仮登録した。システムが変わってなんだかすごく面倒くさい。教科書や参考書のISBNコードも調べて入力しなければならないし。シラバス作成の手引きと首っ引きでしばし格闘する。でも入力が終わって確認画面を見ると、図書館の蔵書システムとリンクしていて、確かに利便性は格段に増したと思う。

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 一方的なNHKの五輪招致賛美の報道に批判の声があったのどうかは不明だが、さすがにきょう8日の首都圏ニュースでは「こんな大変な時に五輪誘致は反対」といった街の声を流していた。夜9時のNHKの全国ニュースでは、地元支持率についてIOC調査の低い数字(47%)も伝えた。これまでNHKは、東京招致委が調べた64%という数字だけを伝えていた。少しは反省したのかな。

 一方、8日付の朝日の朝刊(東京本社版)は「東京五輪招致いばらの道」の見出し。震災の影響や原発事故への不安、国内支持率の低さなどの問題点を指摘するとともに、「イスラム圏で初の五輪」には強いインパクトがあり、欧州とアジアが交わるイスタンブールが有力との見方も伝えた。これこそ公平公正な報道だろう。NHKも少しは見習うべきだと思うよ。

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 NHK総合テレビ「NEWS WEB 24」に生出演して、東京五輪誘致の意義を懸命に訴える猪瀬直樹都知事。しゃべればしゃべるだけ胡散臭さが際立ち、「なぜ東京で五輪をやらなければならないのか」の説得力が薄くなっていく。猪瀬知事の言葉は詭弁ばかりで、そもそも東京で五輪を開催する大義名分がないからだ。

 NHKの番組(アナウンサー、ゲスト)にしては、頑張ってよく突っ込んで、猪瀬知事に食い下がったと思う。


1月9日(水曜日) 期待以上の反応

 今年最初の授業。「戦争と情報統制と『国益』」をテーマに、戦前・戦中から現代にいたるまで、メディアが国家権力によって情報統制・情報操作されてきた状況と背景を講義した。

 戦時体制下の大本営発表や報道検閲による管理統制だけでない。意図的な情報リークや世論誘導もあれば、スポンサーから広告の引き上げという形で圧力が加えられることもある。メディア自身が自主規制し、国家や政府と一体化して価値中立性を捨ててしまうこともある、といった話をした。学生の反応は期待以上だった。以下、学生たちの授業への感想から(一部抜粋)。

 1「『わが国』という書き方と『日本』という書き方で大きくニュアンスが変わってくるという話は、言われてみると確かにそうだなと思いました。(政府や軍部と一体化した)戦中の報道の反省を踏まえて、メディアも記者もきちんとした表現で伝えてほしいと思います」

 2「『国』という言葉には、いろいろな意味があることが分かった。『国のため』とは国民一人一人のためなのか、政府や国家の利益のためなのかなど、深いと思った。また、戦争がいけないという理由では、単に人が殺されるからだけでなく、国民のさまざまな自由を奪い、いったんそのような状況になったら、なかなか社会を立て直すことができないからだと分かった」

 3「きょうの話を聞いて、なぜ戦争をしてはいけないのかということを、今まで以上に深く考えられた気がします。今まではただ人が死ぬということだけに、焦点を当てていた部分が大きかったと思います。戦争によって脅かされる人々の生活、自由や人権というものを考えることができました」

 4「愛国心の強制はおかしな話だと感じた。愛国心は個人個人が自分の意思で持つものであり、国が強制しては愛国心とは呼べないと考えます」「愛国心というのは、国に従い、忠誠を誓うものではないと思いました。国家・政府の立場から見た愛国心は、本来の愛国心とは違っているように思います」

 5「憲法改正がどんなに重要な問題か、改めて気付いたような気がします。いま私たちが手にしている自由がなくなったら、私たちはかなりのストレスを負うでしょう。法律で保障された自由によって守られて生きてきた私たちが、今さらその法律を本当に変えるべきなのか、疑問に思いました」

 6「原発は安全だというCMがテレビでよく流れていたのを思い出した。あのころは私も、CMでやっているし、学校の先生も安全だと言っていたので、安全だと信じていた。思い出すと今でもぞっとする。あのころはメディアの情報を疑うことを知らなかったし、本当のことを言っていると思っていたので、あんなに簡単にメルトダウンが起こって人が住めなくなるとは思いもしなかった。その日からメディアを疑うようになったが、授業でタウンミーティングのやらせ質問の話を聞いて、疑ったものは自分で調べようと思った」

 7「ふだん何気なくウィキペディアを使うことが多いため、記載内容が改ざんされていることに驚いた。だれでも編集できることは知っていて、悪用されることがあると考えたこともあったが、まさか政府関係者が関わって、都合の悪い記述を削除したり改ざんしたりしているとは思わなかった」

 8「情報統制と情報操作の体質が、戦争中から変わっていないことに驚いた。私たちは政府によって操られ、政府によって考え方そのものを変えられているようにも思える。一人一人が情報を受け取る側として自律していかなければと感じた。少数意見が抹殺される社会の仕組みは変えていかなければと思う」


1月10日(木曜日) 確認作業

 ほとんど一日中、資料をチェックして弁護士に話を聞くなど、あれこれ事実確認の作業に追われる。昼寝もしたけど。上がってきた初校ゲラを見ると、行数が30行ほどアンダーだったので追加挿入原稿を書いて、ようやく筆者校正の赤字入れが終わった。なんだかぐったり疲れたぞ。これから仮眠しても3時間くらいしか眠れないなあ。


1月11日(金曜日) 安易に表現規制するな

 漫画雑誌「ヤングマガジン」発売延期、AKB48河西智美の写真「不愉快な感情を抱かせる」(スポニチ)。「上半身裸の河西さんの胸部を少年が手で隠している」(朝日)。「社内で検討した結果、読者に不快な感情を抱かせると判断した」(講談社広報室)。写真を見たが、不快とも不適切とも思わなかったけどなあ。

 男の子は女性のおっぱいが大好きだ。しかし性的対象というだけでなく、母性に対する愛着という側面もあると思う。僕は不適切な行為ではないと思うし、不適切で不快な表現でもないと思う。

 たぶん僕がAKB48の河西智美に全く関心がないから、ということもあるだろうが、もしこれが篠田麻里子だったら性的なものを感じたかもしれない(苦笑)。それはともかくとしても、それくらい、他者の表現をどう受け止めるかは人それぞれなのであって、表現内容にとやかく言うことこそ不適切なのではないかと考える。

 表現の自由を規制しようとする動きや圧力には、全力を挙げて抵抗すべきだと考える。表現の自由は、日本国憲法で保障されている最も重要な国民の基本権の一つだからだ。わいせつとは何か、いかがわしいとは何なのか、不適切とはどういうものか、いずれも極めて曖昧で、そういった曖昧な基準で恣意的に判断されて表現が規制されることを深く憂慮し危惧する。

 「河西さんの胸を手で隠しているのが少年だから児童ポルノではないか」と指摘されているが、「児童ポルノ」というのも判断基準が不透明で、だれがどういう立場で何を根拠に「児童ポルノ」だと認定するのか、全くもって曖昧過ぎるとしか言いようがない。

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 2020年夏のオリンピックの東京誘致について。多くの外国人は地震や原発事故の放射能を恐れているはず。もし五輪開催期間中に首都圏直下の巨大地震が起きたらどうするんだろう。あらかじめ防災の備えを万全にして信頼を高めると言っても、大混乱や死傷者続出の事態は避けられないと思うのだが。

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 「コクリコ坂から」の出生の秘密はベタな話だけど、あの時代を描くからこそベタではなくなる。いい感じにまとまっていて、つまらない作品が続いていたジブリにしては秀作だったと思う。劇場でも見たがテレビで再び見て、改めて切なくほんわかした気分になった。カルチェラタンの雰囲気も好き。学園理事長のモデルになった徳間康快氏(故人)が、いい人に描かれ過ぎだとは思うけど。

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 今夜からスタートした日テレの深夜アニメ「ちはやふる2」。2期もやっぱり面白かった。作画も演出も声優も、1期と同じクオリティーの高さを維持しているのはさすがだ。ラノベ原作の糞アニメとは大違いだと改めて思う。

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 橋下市長「体罰あり得る」「禁止はうわべのスローガン」(赤旗)。やっぱり橋下氏らしい言動だな。体罰自殺事件を都合のいいように拾い上げて、教師や公務員をバッシングする自身のパフォーマンスに、うまく使おうとしているように感じてしまう。

 → http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-11/2013011102_02_1.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=API


1月12日(土曜日) 表現規制に違和感

 「児童ポルノ」を大義名分に掲げ、処罰させよう、処罰範囲を広げよう、規制させようとしているとしか思えない一部法律家の発想そのものに、強い違和感を覚える。表現の自由を守るべきとか、表現規制に対して歯止めをかけなければといった視点が、どこにも見当たらないのは理解に苦しむ。

 そもそも表現物は、個人によって受け止め方や印象がさまざまであるのに、どうして「わいせつ」とか「児童ポルノ」などと一方的に決められて、規制されなければならないのか疑問だ。だれがどんな基準で判断し、規制するのかが極めて曖昧・不透明で、しかも恣意的。

 当局がいわゆる「わいせつ」と判断した表現物に対する取り締まりと、多くの表現者たちの抵抗の歴史を見れば、「わいせつ」を錦の御旗にした表現規制のおかしさは一目瞭然ではないか。あれもこれもどんどん規制して、表現の自由の範囲を狭めていく社会は息苦しいし気持ち悪い。

 問題なのは「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」の第二条3項2号。「他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」という「児童ポルノ」の定義は曖昧すぎる。表現規制はもっと慎重になるべきで、安易な規制(自主規制も含む)には断固反対する。


1月13日(日曜日) さらに原発抗議の声を

 あからさまに原発推進を掲げている(これまでも一貫して原発を推進してきた)自民党政権になったからこそ、首相官邸前での原発抗議行動は今後ますます、重要になってくるはずだ。むしろこれまで以上に声を上げるべきだろう。私たちの大切な大地と河川と海を汚染した張本人が官邸にいるのだから。


1月14日(月曜日) ピント外れ

 体罰容認の発言を続けてきた大阪の橋下市長が、自殺した生徒の遺族宅を訪問し、認識が甘かったことに気付いたという。パソコンの前だけでなく現場に出向き、生の声を直接聞いたことで考えが変わったのはいいが、その後で市教委に「校長全員を外部から採用したい」。そういうことじゃないだろうに。

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 成人の日の新聞社説ほど、ピントのずれたものはないんじゃないかと思う。抽象的で観念的で説教調で、しかも上から目線で的外れときたら、いったいだれに共感されるのかはなはだ疑問だ。全く心に響かない文章が並んでいる。というか、そもそも新成人の大半は新聞を読んでいないし、社説はもっと読んでいないだろうに。

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 東京都心や横浜で初雪。横浜南部でもいつの間にか、雨が雪に変わっていた。牡丹雪のような大粒の雪で、午前中から本格的な降り方が続く。夜になって止んだが、かなり積もっている。路面凍結など残雪の影響も心配だが、それよりも寒さがたまらない。エアコン全開だ。


1月15日(火曜日) 結局は体罰容認の橋下氏と義家氏

 スポーツでの体罰一掃を宣言した大阪市の橋下市長だが、生徒指導の現場での「手を上げる指導」については、「ルール化が必要」との姿勢を崩していない。「学校現場で他人に迷惑をかけるとかの時には、手を上げることも認めないといけないかもしれない」(毎日)。なんだ結局何も分かっていなかったのか。

 体罰は暴力そのものであって、暴力で教育や指導なんてきない、という当たり前のことが、橋下市長にはいまだに理解できていないらしい。それで法律家だと胸を張ること自体が、ちゃんちゃらおかしい。そんな人が教育現場や教育行政に土足で踏み込んで顔を突っ込もうとしても、問題は何も解決などできないし、いたずらに混乱を招くだけだろう。

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 ヤンキー先生こと義家弘介・文科政務官が大阪市役所を訪れ市教委を直接指導。「(体罰は)一定ある。目的は何なのかだ。体罰と暴力、あり得る体罰とそうじゃない体罰の線引きが必要」と部活動での体罰を定義づける考えを示した(毎日)。偉そうに学校や市教委を非難しながら、この人も結局は体罰を容認しているんじゃないか。橋下市長と同じだ。お里が知れる。

 ヤンキー先生が「あり得る体罰とそうじゃない体罰の線引きが必要」「強くなるために(体罰は)一定ある」と述べたとして、体罰を容認していると指摘する毎日や時事。一方、産経や読売は、「ヤンキー先生が体罰ではなく暴力だと怒った」などと上っ面だけを伝えている。同じように政務官が市教委に乗り込んだ事実を伝えるにしても、問題意識の有無や視点によって伝え方が全然違う。

◇◇

 大島渚監督が死去。80歳。学生時代に都内の「三百人劇場」で、大島渚全作品一挙上映をオールナイトで見た記憶が今も鮮明に残る。デビュー作の「愛と希望の街」(原題「鳩を売る少年」)は名作だと思うし、「日本の夜と霧」「アジアの曙」「絞死刑」など、斬新な切り口の問題作がどれも衝撃的だった。合掌。


1月16日(水曜日) 器の小さい政務官さま

 文部科学政務官の義家弘介氏が地元の神奈川県厚木市の成人式に出席した際、比例復活した民主党議員より後に紹介されたため、「民意を否定する話ではないか」などと同市に抗議したという(共同)。なんて小さい人間なんだろうと、改めて思う。みっともないというか情けないというか狭量というか。この人らしいと言えばそれまでだけど。馬鹿だね。

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 どうでもいい表現や言い回しなど妙にこだわって、原稿を無駄に(無意味に)直すばかりか、固有名詞や数字を間違って直し、筆者校正で間違いを指摘してもさらに間違える編集っていったいどういうことなんだろう。しかも筆者に無断で原稿に手を入れて校了するだなんて…。ちょっと信じられない。このまま印刷されるんだと思うと、怒りを通り越して、呆れてものが言えない。

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 近所の中学校の女子生徒20人ほどが、昼休みに大きなスコップを手に学校の周囲を雪かきしていた。日陰になっているのでなかなか雪解けしない場所だけど、おかげで通行に全く支障がない状態が維持されていた。嫌々という感じでなくて、みんなで笑いながら作業しているのがいい。先生の指導もあったのだろうけど、えらいなあ。ありがとう。


1月17日(木曜日) 教育委員会制度は必要

 いじめや自殺や体罰など学校で事件や不祥事が起きて、教育委員会や学校の隠蔽体質が問題になると、必ず出てくるのが「だから教育委員会は必要ないんだ」「教育委員会制度を見直せ」という意見だが、それはおかしい。教育委員会や学校に限らず、会社でも役所でも隠蔽体質は同じように存在する。これは組織のあり方の問題であって、制度とは全く別の話だ。

 戦前戦中に国家権力や政治や軍部が教育に介入し、一方的な価値観や思想を押し付けて、国民を洗脳し統制したことへの反省を踏まえ、教育の政治からの独立と民主教育の観点に立って導入されたのが、教育委員会制度だ。組織のあり方に問題があるからといって、制度そのものを否定するのは間違っている。

 これまで学校や教育委員会をあれこれ取材し、「子ども不在」としか言いようのない教育姿勢や隠蔽体質を嫌というほど目の当たりにしてきた。それだけにもちろん、学校や教育委員会の役所的体質や隠蔽体質は、徹底してたださなければならないと考えている。しかしそれと教育委員会制度の理念や存在価値とは話が違う。

◇◇

 大阪の橋下市長は、「体育科の入試をさせない」として教育委員会との対決姿勢を見せることで、体罰容認の発言を続けてきた自分の責任など、まるで一切ないかのように振る舞っている。ずるいというよりも卑劣極まりない。詭弁と論点すり替えが専門の橋下市長らしいパフォーマンスだ。


1月18日(金曜日) よこしまで歪んだ感性

 「児童が他人の性器を触る行為の『性器等』には乳首も含む」っておかしいだろう。どうして乳首が「性器等」なんだ。乳首を性器だとするその感覚・感性こそわいせつではないか。母性の象徴であるおっぱいを冒涜してるとしか思えない発想だ。子どもがおっぱいを触ることのどこがポルノや虐待なんだ。

 「ごく少数でも性欲を感じる人がいれば『性欲を興奮させ刺激するもの』に当てはまる」という大阪高裁の判例も理解できない。世の中にはいろんな趣味趣向や性癖の人がいる。靴下に興奮する人がいれば、相撲のふんどし姿に感じる人だっている。それらもみんなポルノなのか。そんなことはないだろう。

 女性の胸を男児が後ろから手で覆っている写真を、「児童ポルノ」「わいせつ」だと言う裁判官や弁護士や市民団体のほうこそ、いかがわしい気持ちに支配され、よこしまな感情に満ち満ちているのではないかと想像する。母性に対する愛着の表現との受け取り方だってある。受け止め方や印象は人それぞれだ。

 「AKB48河西智美写真集」発行元の講談社から警視庁が事情聴取するなんて、表現の自由に対する圧力だ。出版の自由に対する不当介入そのものではないか。この程度の表現でこんな乱暴な介入が許されるなんてどうかしている。憲法違反ではないかと思う。

 【追記】「性器、肛門又は乳首」と書けばいいのに、法律(「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」)は、わざわざ「性器等(性器、肛門又は乳首をいう)」といった書き方をして、乳首を性器のカテゴリーのように類型化している。そういう文言をあえて条文にすることが、立法者の歪んだ感性の発露のように思えてならない。


1月19日(土曜日) 押し付けがましさと独善性

 「児童の保護」を錦の御旗のように掲げて、「児童ポルノ」「児童虐待」を声高に糾弾する人たちには、押し付けがましさや独善性を感じてならない。児童の保護はもちろん大切だと考えているが、問題なのはその「児童の保護」「性欲を興奮させ又は刺激する」の中身だ。判断や基準があまりにも一方的で独善的で恣意的だと思えてならない。乳首と性器を同じ範疇にまとめて規定している法律や発想はおかしいと思う。

 おっぱいを手で隠している児童が「虐待されている」「陵辱されている」とは到底思えない。「児童を守る」というそのこと自体にもちろん異論はないが、あまりに過剰反応だと思う。乳首と性器を同列に並べて同じ範疇にまとめて規制し、声高に糾弾する人たちには僕は共感できない。押し付けがましさや独善性を感じる。残念ながら。

◇◇

 体罰で市立高校の生徒が自殺した問題で、体育科の入試中止を要請した橋下市長。受験生や保護者らから批判が殺到しているというが、橋下市長は「予算を執行しない」「有権者には選挙で落とす手段がある」。選挙で選ばれたら何をしてもいい、教育介入も当然という考えがそもそも決定的な勘違いだ。

◇◇

 県立高校の先生たちでつくる自主的な教育研究会に参加した後、いつものように横浜駅前の居酒屋でみなさんと飲み会。熱々の地獄鍋に体が温まったが、量がめちゃめちゃ多いので、これまたいつものようにかなり残ってしまう。もったいないなあ。でもお腹いっぱいでとても食べきれないよ。


1月20日(日曜日) 過剰反応には断固反対

 くどいようだが、大事なことなのでもう一度だけ。女性の胸を男児が後ろから手で覆っている写真を「児童ポルノ」「わいせつ」だと言う人たちこそ、いかがわしい感情に支配され、よこしまな心に満ちているのではないかと想像する。「母性に対する愛着の表現」といった受け取り方もあるわけで、受け止め方や印象は人それぞれだろう。そもそも曖昧で恣意的な概念や基準を基に、もっともらしく解釈し判断した裁判官の「作文」には疑念があるし、そういうものに依拠した主張(声高な糾弾)には全く共感できない。

 僕がこの問題にこだわるのは、表現の自由は最大限尊重されなければならないとの立場に立つからだ。加えて、もっともらしい錦の御旗を掲げて糾弾し制約しようとする人たちの言動には、疑念や不信感を抱いている。さまざまな解釈や受け止め方や考え方が生じる価値観や感性や表現の問題で、一方的な方向に決めつけて押し付けるような動きには、嫌悪感があるし全く共感できない。判断規定や概念が曖昧かつ恣意的な児童ポルノ法のような法律は、改正されるべきだと考える。言うまでもないことだが、「児童の保護」そのものを否定しているわけではもちろんない。

 そもそも男児(児童)が女性の胸を隠している今回の写真が、性欲を興奮させるとも児童ポルノであるとも思えない。主客が逆で、児童の胸や股間が他人の手で隠されている写真なら、児童を性的対象としたとか商品化したという批判には説得力があるだろう。微笑ましく感じるといった見方には無理があり、性的対象であるのが明白だからだ。「線引き」の問題だと思うが、過剰な反応や規制や不当な介入には徹底して断固反対する。規制が「厳しすぎる」のではなく「過剰反応」が問題なのであり、「曖昧な基準で恣意的に判断される」ことが最大の問題点だと考える。

 繰り返しになるが、おっぱいを手で隠している児童が「虐待されている」などとは思えない。「児童を守る」こと自体に異論はないが、一部の法律家や市民団体などの批判は過剰反応だ。法律に基づいて判例が蓄積されていく流れは一般論としては理解しているし、児童ポルノの裁判も同様だろうが、表現の自由をめぐっての裁判官の判断はそれ自体が明らかにおかしいと思う。乳首と性器を同列に並べて同じ範疇にまとめて規制し、声高に糾弾するような人たちに僕は共感できない。押し付けがましさや独善性を感じる。


1月21-22日(月-火曜日) 風邪でダウン

 ゾクゾクと寒気がして、だるくて体の節々が痛く、喉は痛いし咳が出るし頭痛もする。明らかに風邪を引いたようだ。どういうわけか昔から熱は出ない。気を付けていたんだけどなあ。どこで移されたんだろう。とにかく授業のレジュメだけ作ってから布団に潜り込んで、この2日間完全にダウン。かなり辛い。


1月23日(水曜日) 辛いけど出講

 強力な風邪薬を飲んだら悪寒だけは治まったが、体がだるくて喉が痛いのは変わらない。学校に行きたくないけど、きょうは本年度最後の講義なので休むわけにはいかない。ちゃちゃっと後期の講義を振り返って早めに切り上げる。大半の学生が「この講義を受講してよかったです」と書いてくれたので、少し元気になった。

 あすは横浜市内の県立高校で「法学入門」の授業を頼まれているんだけど、これも休むわけにはいかないんだよなあ。正直かなり辛いっす。さっさと寝て少しでも体を休ませよう。

◇◇

 見せしめのようにスケープゴートをつくりあげ、人々の批判を集中させて不平不満の矛先を転嫁するのは、橋下市長の常套手段だ。だが入試を中止させて教員を総入れ替えしたからといって、それで問題解決につながるわけがない。何の落ち度もない在校生や受験生に尻拭いを押し付けただけ。生徒の声に耳を傾ける気など最初からなかったのだろう。橋下式詭弁術の真骨頂だなあ。


1月24日(木曜日) 時間配分が難しい

 横浜市内の県立高校で、頼まれていた2・3年生対象の選択科目「法学入門」の授業をした。1時間目は「メディアと社会」をテーマに、伝えるべきことを伝えていないメディアの課題を指摘。2時間目は「事件報道と刑事裁判」をテーマに、冤罪がつくられる過程や日本の刑事司法の問題点を解説した。大学と違って高校は50分授業なのであっという間だ。時間配分が難しい。

 教室で話をしている時は比較的元気なんだけど、その前後は風邪の影響で全くのヘロヘロ状態。授業が終わったら速攻で帰宅する。体がだるい。食欲があるだけマシかもしれない。ところでマスクをしているとメガネが曇って困るんだけど、メガネ利用者は平気なんだろうか。まあそんなことはどうでもいいか。とっとと寝よう。


1月25日(金曜日) 実名報道はすべきだが

 人質犠牲者の実名は公表されるべきだと考えるが、毎日新聞社会部長だった小川一記者の「それが何よりの弔いになる」という理由説明には呆れた。だれもそんなことは求めていないし頼んでもいないだろう。思い上がりや思い違い、勘違いにもほどがある。自覚のない記者ほど始末に負えないものはない。

 「匿名のAさん」ではなく、実名を出して遺族が具体的な悲しみや憤りを訴えることで、何の落ち度もない犠牲者の理不尽さや無念さが社会に伝わる、と僕は考える。どれだけ伝わるかはもちろん分からないが、そう考えて取材してきた。匿名では「事実」の確認はできないし、安否情報も伝わらない。

 「弔いになる」とか「供養になる」といった言葉は、辛い取材をもっともらしく正当化する詭弁に過ぎず全く説得力がない。「思い上がりもいい加減にしろ」と反発されて当然だろう。そんなことを平然と口にするから、メディア批判の声が果てしなく広がるのだ。その自覚がなければメディア不信は払拭されない。

 それにしても今どき、実名報道の理由を「弔いになるから」などと、臆面もなく説明する記者がいることには心底驚かされた。「何のために伝えるのか」「報道の役割とは何か」「報道の使命とは何か」といったことをもう少しよく考えて、少なくとも多数に納得されるような理由を示してほしいと思う。

◇◇

 退職金減額前に教職員の駆け込み退職が相次いでいる問題で、下村博文文科相は「最後まで誇りを持って仕事を全うしてほしい。自己都合で早期に辞めるのは決して許されない」。生徒も担任の先生も、卒業式まで一緒にいたいに決まってるじゃないか。そもそも年度途中の施行がおかしいのに、何たる言い草だ。

 黒岩祐治神奈川県知事も「生徒を置き去りにして辞めてしまうのはやりきれない。生徒がかわいそうだ。そういう教師が出ていることは本当に残念でならない」。みんな葛藤や苦悩があるんだよ。教職員は老後の生活も気にせず、霞を食って生きていろとでも言いたいのか。あまりの能天気さに言葉を失う。

 国家公務員退職手当法の改正に合わせて、自治体職員の退職手当引き下げを要請した総務省と、それを丸飲みした自治体が、今回の異例で異常な事態を招いたのは明らかだろう。生活がかかっているのだから、早期退職を選択肢の一つとして検討するのは当たり前じゃないか。労働者としての生活感覚が普通にあれば、駆け込み退職を安易に非難することなどできないはずだ。

◇◇

 大学入試センター試験の国語の平均点が大幅に低下。中でも1問目、小林秀雄の随想の正答率が低かったという(朝日)。分かりにくくて文意が取りにくい随想なんて、それだけで致命的な悪文としか思えないのだが。国語力や読解力が問えるのか疑問だ。そんな文章を出題する側の適格性と感覚こそ疑問に思う。

◇◇

 最近で一番酷い風邪を引いてしまった。なるべく睡眠時間を確保するなどしているが、授業は休むわけにいかず無理もしたので、咳やのどの痛みが治まらずまだ少し辛い状況だ。でもだいぶ楽になってきた。きょうは一日全く予定がないので完全休養。もうしばらくはこんな感じかなあ。

 風邪を引いているので、寝ている時も起きていてもエアコンを付けっぱなし。汗をかいて咳き込んで喉が痛い、そんな体にキリンの「ソルティーライチ」が心地よい。ラベルには「熱中・脱水対策に水分と塩分補給」「渇いたからだに沖縄海塩ひとつまみ」とのうたい文句が書かれている。飲みやすくて美味しい。


1月26日(土曜日) 少人数学級より教員管理か

 文部科学省が、公立小中学校の全学年に少人数学級を導入する計画を断念した。小1と小2の「35人以下学級」を実現した民主党政権は、中3までの全学年に広げる計画を立てていたが、政権交代で白紙に戻った(朝日)。学力向上やいじめ対応を主張する自民党の意向だというが、少人数学級の方が生徒に目配りできて、学力向上でもいじめ問題でもむしろ指導しやすくなるはずだが。

 ところが自民党は「マネジメント強化のために主幹教諭を置く学校への手厚い加配(教員増加)」など、学校現場の管理強化と統制しか念頭にないらしい。現場の教職員たちをガチガチに締め上げることで、生徒の学力が向上したり、いじめがなくなったりするとはとても思えないけどなあ。自民党の「教育政策」や「教育改革」とやらは、いつもピントがずれまくっている。

◇◇

 フェイスブック友達3人と横浜市内のホテルで新年会の予定だったのだが、まだ風邪が抜けきっていないので欠席させてもらった。楽しみにしていたんだけどなあ。せっかくセッティングしていただいたのに申し訳ないです。美味しい料理を食べて大いに語って歌いたかったのにすごく残念だ。次回はぜひ。


1月27日(日曜日) 誇りある企業人は「戦士」じゃない

 アルジェリアの人質犠牲者を「企業戦士」と表現するテレビが気持ち悪い。「御国のために尊い命を捧げた英霊たち」といわんばかりの報道の仕方が、戦前の旧日本兵のまつりあげ方にダブって見えて、むしろ不気味だ。犠牲者はそれぞれ誇りを持って働いていたと思うが、企業人であって戦士なんかじゃない。もちろん戦死でもない。救い難い表現力のなさと無神経さに言葉を失う。


1月28日(月曜日) 「国民の生命財産」と言うのなら

 安倍首相は所信表明で「国民の生命・財産と領土・領海・領空を断固として守り抜いていく」と宣言するなら、「福島県民の生命・財産を奪って大地・水・大気を汚染し続けている原発事故」になぜ触れない。せめて原発の事故処理計画や、廃炉の段取りに関するビジョンくらい説明してくれよ。

 「32万人近くが住み慣れた故郷に戻れないまま、遅々として進んでいない東日本大震災からの復興の危機」とも述べていたが、そりゃ故郷が放射能汚染されてるから戻りたくても戻れないんだろ。そんなことも分からずに、それでもなお原子力発電に固執しているのか。いや分かって言ってるんだろうな。所信表明演説の内容が矛盾だらけで、突っ込みどころ満載すぎる。


1月29日(火曜日) 片付け

 たまりにたまった新聞の切り抜きスクラップの山を整理して、段ボール箱に詰める作業を数時間やったら、ほんの少しだけ仕事部屋がすっきりした。気分がいい。あすの期末試験が終わって成績評価を提出したら、このリズムと高揚感に乗って一気に書類の山を片付けよう(と思う、たぶんきっと)。


1月30日(水曜日) 期末試験の出来

 期末試験が終わった。珍しくその日のうちに一気に採点したのだが、答案の出来があまりよくないので落ち込む。昨年度までと比べたら、かなり易しくて書きやすい問題にしたんだけどなあ。授業そのものが悪かったのか、作問がよくなかったのか。授業の感想を見てると結構理解できているように思えたのだが…。

 同僚の先生と駅前の居酒屋で打ち上げ兼かなり遅い新年会。まだ完全に風邪が抜けていないのに、ちょっと食べ過ぎたかも。反省。しかしこの店の煮込み肉豆腐は「創業40年の伝統の味」というだけあって、いつ食べても美味しい。

◇◇

 原子力規制委員会がまとめた原子力災害対策指針の改定案なるものは、前提となる事実が根本的に間違っている。放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)が福島原発事故で役に立たなかったことから、住民避難の判断には使わず、参考情報として位置付ける(朝日)というのだが、「役に立たなかった」のではなく、そもそも「役に立てようとしなかった」のではないか。せっかくの予測データも、住民に公表せずに隠蔽したのではないのか。SPEEDIが「役に立たなかった」から住民避難の判断には使わず、参考情報として位置付ける、というのはどう考えてもおかしいと思う。


1月31日(木曜日) 体罰はどんどん告訴・告発すべし

 体罰(暴力)でけがをさせられた被害者や関係者は、臆することなく刑事告訴・告発すればいいと思うよ。犯罪行為なんだから。学校や団体が、教師や監督や自称指導者に対して甘い処分しかせず隠蔽しようとするなら、法律に基づいて責任を取らせればいい。いじめよりはるかに証拠が集めやすいはずだ。

◇◇

 「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度」ランキングで、日本は前年の22位から53位に急落。福島原発事故の開示情報に問題があることが理由だという。前年に22位という上位に日本がランキングされていたことが、そもそも驚きだな。急落も何も、日本の報道の自由度はもともとそんな大層なものではない。


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