身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2013年8月1日〜8月31日

●暑気払い●成績採点簿提出●現場の声●記者倫理と取材姿勢●劇場版「禁書目録」予約●県教委取材●期待外れだった「風立ちぬ」●まさにナチス国家そのもの●現場の困惑と意欲低下●安倍首相の厚顔無恥に驚く●フィルター掃除●教育行政の政治的中立●批判は当然「風立ちぬ」の喫煙表現●安倍首相の「国益」とは何だ●「はだしのゲン」閲覧制限●教育に土足で踏み込む政治●憲法の危機に対応を●読者への裏切り行為●教科書変更の責任すべて校長に●まず無駄遣いを止めろ●原発対応に全力を注げ●東京五輪どころじゃない●危険な国●頭の悪い自称愛国者●原稿執筆●加筆修正●残暑見舞い●●●ほか


8月1日(木曜日) 暑気払い

 毎日、共同、神奈川の各社の大先輩記者と横浜駅前の居酒屋で暑気払い。記者(経験者)同士ということもあって、同じ土俵で話ができるのはうれしい限りだ。僕の考えていることの裏付けや後押しになるような助言ももらえるし、違った視点からの示唆もいただけてとても勉強になる。ありがたい。


8月2日(金曜日) 成績採点簿提出

 前期の成績を採点簿に転記。間違いがないように何回も声に出して確認しながら、マークシートと手書きで記入し、最後にそれぞれの用紙に捺印する。教務課宛てのゆうパックをポストに投函して完了。毎度のことながら緊張する。ミスは許されないからなあ。

◇◇

 思わず何回もやってしまうYahoo!トップの「バルス」。今晩放送された「天空の城ラピュタ」にちなんで、滅びの呪文である「バルス」の表示バナーをクリックすると、トップ画面のすべてのコンテンツが崩れ去り雲散霧消してしまう仕組みだ。なかなか芸が細かいし凝っていて面白い。楽しい。マンションの広告まで崩れ落ちるのには、思わず笑ってしまった。


8月3日(土曜日) 現場の声

 3カ月ぶりに髪の毛をカット。あれこれ買い物をしてから横浜・関内へ。教科書採択への神奈川県教委の介入問題をめぐる緊急集会を取材する。現場の声がいろいろ聞けて勉強になった。部活や合宿や出張で教員がそろわず、現場が手薄になった夏休み突入直後の時期に、どさくさに紛れて一方的な圧力をかけてきた状況報告が生々しい。真摯に悩んでいる教員、県教委の理不尽な介入に心から怒っている教員、いい加減な職場もあることを自省する教員、実態とかけ離れた理念だけを教条主義的に唱える教員など、現場の声と言ってもさまざまだが、しかし県教委の介入に正当性がないことだけは間違いようのない事実だ。


8月4日(日曜日) 記者倫理と取材姿勢

 冤罪事件の被害者から、「某記者に取材で渡した裁判資料などを勝手にネットで公表された。事実関係も微妙に違っていたが、業界的には当たり前なのでしょうか」という相談メールをいただいた。いやいやそんなことは断じてない。決して「当たり前」なんかではない(はずだと信じたい)。僕自身の基本的な取材姿勢を説明しながら、自省も込めて次のように返信した。

◆◆

 取材協力者からいただいた資料や書類などを、ご本人の了解なく他者に渡すとか、ネットで勝手に公開するなどということは、常識的に考えられず、まずあり得ない話です。信義に反し、信頼関係を損なうだけでなく、記者としての職業倫理を疑う行為です。まともな記者は、そんなことはしないと思います。

 掲載前の原稿の扱いに関しては、基本的に外部の方にはお見せしません。これはあらゆる検閲や圧力を排除し、報道・言論・表現の自由と独立性を守るためで、ジャーナリズムの基本原則です。まともな記者であれば、相手が取材協力者であっても、掲載前のオリジナル原稿を見せることはありません。

 僕自身は新聞記者時代に、そういう教育を受けてきましたし、一貫してそのような姿勢で記者活動を続けてきました。取材協力者のみなさんにはこれまでも、「原稿をお見せすることはできません」と事前に説明して、こちらを信頼していただき、ご理解をいただいています。

 中には、いい加減な記者がいて、原稿を丸投げするような人もいるようですが、僕はそういうことはしませんし、きちんとした教育を受けている新聞社や放送局、出版社の記者のほとんどは、原稿やVTRを事前に見せるようなことはないと思います。

 ただ取材協力者の方の中には、それでも原稿の事実関係に不安を抱かれる方がいらっしゃるのは事実です。通常は原稿のすべてを丸投げして見せるようなことはしませんが、たとえば発言部分(カギカッコの中)をお渡しするか、あるいは原稿の一部を電話で読み上げて確認していただく、といったことはあります。

 インタビュー記事の場合は、全編がご本人の発言ですから、原稿の全てをお渡しして本人に確認していただくようにしています。

 いずれにしても、ご本人や関係者と取材記者との信頼関係はとても重要で、それがなければ取材も原稿も成り立たないと思います。実名かイニシャルか仮名か、写真を掲載するかしないかなどについても、相談の上、関係者の諸事情にも配慮し、慎重に原稿をまとめて掲載するのは、メディアの大原則だと考えます。

 繰り返しますが、取材協力者から提供を受けた資料を勝手にインターネットで公開するなど、論外ではないでしょうか。ちなみに僕が「◯◯」に執筆した△△事件の原稿は、当事者から「すべてお任せしますので自由に書いて下さい」と言われました。本人にも弁護士や関係者のどなたにも、事前に一切お見せしていません。

 以上、僕自身の取材執筆の際のスタンスも含めて、メディアに携わる者の取材姿勢や対応のあり方について、説明させていただきました。▲▲事件の原稿はこれから執筆しますが、関係者と相談した上で、不安に思われる個所については、何らかの方法で事前にご確認いただくようにできればと考えています。


8月5日(月曜日) 劇場版「禁書目録」予約

 【メモ】劇場版アニメ「とある魔術の禁書目録/エンデュミオンの奇蹟」(特装版)DVDを予約注文。28%オフで約2600円の割引。8月28日発売予定。


8月6日(火曜日) 県教委取材

 朝の9時半から、神奈川県教育委員会の8月定例教育委員会議を傍聴取材する。個人的にこの時間は早すぎて苦手だ。眠いし暑い。


8月7日(水曜日) 期待外れだった「風立ちぬ」

 TOHOシネマズでジブリアニメ「風立ちぬ」を観た。庵野秀明の演技が酷すぎて泣ける。似たような感じなのは「耳をすませば」で雫の父親を演じた立花隆だが、この場合はまだサブキャラなので許容範囲だった。しかしいくらなんでも、主人公役でこの素人演技はあんまりだ。

 主人公の妄想(夢の中の出来事)と現実のストーリーを混在させて進行する演出・脚本も、あまり上手いとは思わなかったし、物語としても面白いと思えなかった。あれこれ詰め込んで雑味が際立った気がする。眠くはならなかったが感動もなかったというのが、申し訳ないけど「風立ちぬ」を観た率直な感想だ。

 なんともビミョーで期待外れだったなあ。宮崎駿の息子の宮崎吾朗が監督をした「コクリコ坂から」の方が、「風立ちぬ」と比べたら何倍も好きだな。

◇◇

 これまでこの深刻な事実を東電も政府も認めようとせず、何らまともな対策を取ってこなかったことに戦慄を覚える。本当に呆れた国だ。心の底から情けなくなる。→「海に汚染水1日300トン、福島第一原発、国費で対策」。東電による汚染水対策は破綻しており、政府は国費を投入して対策に乗り出す方針を固めた(朝日)。


8月8日(木曜日) まさにナチス国家そのもの

 政府は内閣法制局長官に小松一郎・駐仏大使をあてる人事を決めた。安倍政権はいよいよ本格的に、ナチス国家への道を歩み始めたと言っていい。時の政権の恣意的な法解釈が可能となれば、法治国家としての信頼性まで失われてしまう。このニュースにはそういう重大な意味がある。

 今回の異例で異様な内閣法制局長官人事で危惧されるのは、「憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認」だけではない。これまで積み重ねてきた法解釈や法体系の一切が、時の政権によって容易に覆されてしまうことが最大の問題点だ。やりたい放題のフリーハンドの政府。まさにナチス国家そのものではないか。

◇◇

 しょっちゅう誤報されたら困るが、たまには緊急地震速報で緊張し、地震大国に生きている怖さを再確認して自覚するのも悪くないんじゃないかな。いい訓練になったと思えばいい。


8月9日(金曜日) 現場の困惑と意欲低下

 神奈川県立高校の教科書選定に対する県教委の介入問題は、実教出版の日本史教科書を選んだ28校すべてが希望を撤回したことで、事実上終わってしまった感が強い。1校でも2校でも希望を貫いていれば、まだなんとか抵抗しようがあると思うのだが…。もちろんこうした事態を招いた元凶が、県教委にあるのは言うまでもない。

 教える側の教員が最も使いやすく、それぞれの学校の実情に合っていると判断した教科書で授業をするのが、子どもたちにも教員にとっても最も合理的なのは当たり前だ。現場にいない人間が教科書や教材を一方的に押し付けたり、あれを使えとかこれは使うなと指示命令したりすることが、どれだけ現場を困惑させて意欲を低下させるか。だれが考えても分かる話だと思うのだが。

 それにしても県教委事務局や教育委員長の傲慢不遜で強引な姿勢には、疑問を感じる。取材していてもそう思うのだから、現場教員の不信感や憤懣やるかたない思いはなおさらだろう。一番の被害者は生徒たちだ。教育行政によって事実を隠蔽され、考える機会と判断材料を奪われるのだから。同情を禁じ得ない。


8月10日(土曜日) 安倍首相の厚顔無恥に驚く

 広島と長崎の平和式典に出席した安倍首相の厚顔無恥ぶりには驚く。核兵器の非人道性を訴える共同声明に政府が署名しなかったことや、原発輸出に突き進む姿勢を、長崎市長から非難されても馬耳東風。沖縄の戦没者追悼式に恥ずかし気もなく出かけた橋下某と同じ。どのツラ下げてと思う。信じられない面の皮の厚さだ。

 平和式典での安倍首相の挨拶の空虚さは、もちろん言うまでもない。あれでは何も言ってないのと同じだ。原発事故についても一切触れず。心に響く長崎市長のメッセージと対照的だった。こんな男が日本の首相だなんて。しかも偉そうに愛国心を語るとは。日本のいったい何をどこから「トレモロす」と言うのだろう。


8月11日(日曜日) フィルター掃除

 エアコンのフィルターを掃除したら、室温設定通りの効き具合で快適そのもの。生温い風しか出てこなかったのがウソのようだ。やはりフィルターはこまめに掃除しなければ。


8月12日(月曜日) 猛暑

 うだるような暑さがたまらないので、なるべく家の外には出ないことにする。


8月13日(火曜日) 教育行政の政治的中立

 高校教科書の選定をめぐって、神奈川県教委と元教員ら市民団体との質疑を取材する。実教出版の日本史教科書を希望していた県立高校各校に「再考せよ」と指示した県教委は、「職務権限として校長には再考を依頼しただけで、手続き上は何も問題ない」と説明。これに対し元教員側は「校長はプレッシャーを感じ脅しだと受け止めている。再考のお願いの範囲を超えた変更要請であり、県教委によるパワハラではないか」と反論した。確かに。

 「特定の立場を強いるのは、行政機関として政治的中立の立場を逸脱していないか」との指摘について県教委は、「政治的中立を侵したとは考えていない。行政の判断として職務の範囲内で校長にお答えいただいた」との説明を繰り返した。事実を記述した検定済みの教科書を強引に排除しようとする県教委の姿勢には、適正手続きの面からも政治的中立性から考えても、やはり疑問を感じる。行政機関としての立場を大きく踏み外しているように思う。


8月14日(水曜日) 批判は当然「風立ちぬ」の喫煙表現

 宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」。やたらと出てくる喫煙シーンにずっと違和感があったが、肺結核を患っている妻の隣で主人公が煙草を吸うところは、確かに最も疑問に思う場面だった。日本禁煙学会の「お願い」に同感だ。「当時はこうだった」のだとしても、ドキュメンタリーではないのだから、描き方はいくらでも工夫できるはずだと思うんだよなあ。禁煙学会はジブリにかなり気を使って優しい言い方をしているが、むしろもっと厳しく批判してもいいような気もする。

 作品自体が面白ければまだ許せる余地もあるのだが、いかんせんアニメ作品としてつまらないとしか思えなかったので(個人的感想です)、この表現の無神経さはどうにもこうにも受け入れがたい。

→「日本禁煙学会『風立ちぬ』喫煙場面に苦言『子どもに影響与える』」(スポニチ)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130814-00000101-spnannex-ent

◇◇

 「犯人はあの人」と言われたら警察は調べざるを得ない。防犯カメラに無実を証明する映像が残されていたからよかったものの、確認作業を怠ると取り返しのつかない冤罪事件になってしまう。いい加減な証言をした自称被害者の女が一番悪い。とんでもない話だ。

→「痴漢事件、また男性誤認逮捕、被害証言うのみ大阪府警」(時事)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130814-00000122-jij-soci


8月15日(木曜日) 安倍首相の「国益」とは何だ

 全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相がこれまで表明してきた不戦の誓いやアジアへの加害責任に触れなかった安倍晋三首相の言動は、ある意味で一貫している。自称愛国者のタカ派だから。しかし靖国神社に怖くて近づけないのは、いかにも小心者のシンゾーちゃんらしい。米国や財界にはへりくだるし。実は支離滅裂な男だったりする。そんな人物をこの国の首相にしたのは、有権者の責任であることを忘れてはいけない。

 そもそもこの男の言う「国益」とはいったい何なのだろう。周辺諸国とぎくしゃくして孤立することなのか。難くせをつけられるような不用意な言動をわざわざ振りまき、非難されるように誘発してぎすぎすした関係を続けることに、そもそもどんなメリットがあるのか。過去の失敗を真摯に反省して謝罪しても、「国の誇り」なるものを失うことにはならない。もっと長期的な視点から大きく考えることこそ政治家の責務のはずだろうに。

◇◇

 【今期放送中のアニメ短評】◎有頂天家族(MX)京都に住みたくなる。◎たまゆら〜もあぐれっしぶ(MX)ARIAテイストの丁寧な作り。◯Free(MX)京アニらしい作画。◯銀の匙(フジ)ついつい見入ってしまう。◎恋愛ラボ(TBS)テンポがよくて面白い。◯サーバントサービス(MX)まあまあかな。◎げんしけん二代目(MX)なぜか懐かしい。◎とある科学の超電磁砲S(MX)引き続き面白い。


8月16日(金曜日) 「はだしのゲン」閲覧制限

 「はだしのゲン」の漫画を閲覧制限する「閉架」措置とした松江市教育委員会。子どもたちに放射能の恐ろしさや残酷さ、人間の愚かさをリアルな形で伝えなくてどうする。教育長(教育行政の事務局トップ)が政治的中立を放棄すれば、こういうことになるという象徴的事例だ。教科書採択や「日の丸・君が代」の強制も本質的には同じこと。

 首長による教育長の任免が可能になると、首長が教育委員会を恣意的にコントロールできるようになり、政治が教育にストレートに入り込んでくる。影響を受けるのは学校現場だけでない。図書館も社会教育の一環だから教育委員会の管轄だ。図書館の自由も奪われかねない。首長に教育長の任免権を与えることの問題点はここにある。

◇◇

 「風立ちぬ」の過度の喫煙描写に意見し要望することと「はだしのゲン」を排除しようとすることとは、全く別の問題だろう。ごっちゃにするな。前者は描写について感想や要望を述べた批評であり、表現の自由を侵害しようというものではない。後者は反核表現を抹殺しようとする右翼。混同してはいけない。


8月17日(土曜日) 教育に土足で踏み込む政治

 「この教科書を授業で使いたい」と希望する高校教員の意見を無視し、教育委員会がすべてを決めるなんてそもそもあり得ない。専門性もなく、教えたこともなく、読んだこともない教育委員が、各教科何百冊もある教科書のどれがいいか、学校の実情に合う教科書はどれか、判断などできるわけがない。

 日ごろから生徒に向き合い、実際に教科書を使って教える教員には専門性が認められている。だからこそ、現場の教員がそれぞれの学校で同僚と話し合い、研究を重ねて、最も教えやすく生徒の実情に合う教科書を選定してきた。教育委員会も現場の判断を尊重してきた。その積み重ねを引っくり返す動きが、東京、大阪、神奈川で相次いでいる。

 事態は深刻だ。教育委員会が政治的中立を放棄し、首長や議員らの意思を反映する形で、教育現場や教育内容に政治介入する姿勢を強めている。東京、大阪、神奈川の動きは、安倍政権・自民党の掲げる「教育再生」の動きと重なる。

 安倍政権が目指しているのは、国家による教育の管理・統制だ。安倍政権は、行政から独立して組織されている教育委員会を骨抜きにし、事務局トップの教育長に権限を集中させ、首長に教育長の任免権を与えようとしている。教育に政治が土足で踏み込み、教科書に政治家の意思が反映されることになる。

 本来の機能を果たしていないことで、多方面から批判が集中している教育委員会だが、それでもかろうじて政治や行政から独立して組織され運営されてきた。教育が国家にコントロールされた戦前の苦い経験を反省したからだ。しかしその教育委員会制度を、安倍政権は根本から引っくり返そうというのだ。

 さらに安倍政権は、過去を反省する教科書を「自虐史観」と決めつけ、「誇りの持てる国家像」を記述しない教科書は認めないとする法律まで制定しようとしている。そんな法律ができたらリベラルな教科書は一掃されてしまう。多様な価値観は認められず、授業で使えるのは「国定教科書」だけになるだろう。

 なんとも恐ろしい話だ。冗談みたいだけど、残念ながら冗談ではない。まるで時計の針が逆回転して、百年近く昔に戻されてしまうようだ。過去の反省に立って多様な価値観を学び、事実に基づいて幅広い視野で考える、そんな戦後教育の積み重ねは根底から破壊されようとしている。教員を政府の管理統制の下に置いて、命令された通りに教えるロボットにでもしようというのだろうか。そうして国家のために命を捧げる「素直で従順」な子どもたちを育てろというのか。ぞっとする。


8月18日(日曜日) 憲法の危機に対応を

 ようやく村山さんが言ってくれたか。今さらという感もあるが全くその通り。残念だけど社民党に未来はない。党組織の存亡について思案し苦悶するよりも、憲法が危うい状況であることに危機感を持ってほしい。

→村山元首相「社民は先がない」解党し護憲勢力結集促す(朝日)

http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY201308180230.html


8月19日(月曜日) 読者への裏切り行為

 噂ではささやかれていたがやっぱり。「商品の発送で当選者の発表に代えさせていただきます」とのおことわりに、「当選者なんて本当にいるのかな」などと陰口も叩かれていたけど。それにしても酷い話だなあ。読者プレゼントの当選者が1人もいない景品も。架空の名前を当選者として表示したケースもあったという。他社もやってるんじゃないかと疑われかねない。

→「読者5名にプレゼント…ウソ、秋田書店を消費者庁処分へ」(朝日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130819-00000025-asahi-soci


8月20日(火曜日) 教科書変更の責任すべて校長に

 国旗掲揚・国歌斉唱について、「一部の自治体で強制の動きがある」と記述した実教出版の高校の日本史教科書に関し、使用を希望する神奈川県立高校28校の校長に県教委が再考を求めた結果、全校が希望を取り下げた。このため20日の県教委臨時会で、来年度から使用する高校の日本史教科書に同社は採択されなかった。

 教職員組合や市民団体が「不当な介入だ」「教育行政の中立性を侵す」などと批判していたが、県教委は「強制という記述は、県教委の考えや方針と相容れない部分がある。不採択になる可能性があるので、混乱を避けるために再考を依頼した。手続きに問題はない」と説明。教育委員はこの説明を全会一致で了承した。

 この日の審議で具志堅幸司委員長は、「校長への再考依頼は適切だった。強制的な再考依頼はしていない」「教科書選定の権限は校長にあり、最終的な採択権限は教委にある。異常事態は認められず採択を延期する必要はない」などと議論をまとめ、採択延期などを求める請願はいずれも不採択となった。

 採択後、具志堅幸司委員長は、「そのままでは採択されない可能性もあるとの話が、何人かの委員から出て、混乱が起きると困るということで事前に校長に再考を促した。委員会の不採択の動きを感じて事務局が動いたということだ。県教委は軸がブレない判断をした。いい判断だった」と話した。

 「実際には変更命令だと受け止めた校長もいるようだが」との質問に、具志堅委員長は「校長の責任で別の教科書を選んだので、強制という認識はない」と述べた。「教科担当教員の協議なしに変更した学校もあったと聞くが」との問いには「各校の問題なので関知していない」と答え、責任の所在は校長や学校にあるとした。「もしも校長が実教出版のまま変更しなかったらどうなっていたか」と聞くと、具志堅委員長は「きょうの教育委員会で議論されて不採択になった可能性があった」と断言した。

 この日の教科書採択を受けて開かれた市民集会では、「いかに校長が苦しめられて強制されているか、教育委員会のやり取りでよく分かった」「県教委が命じたのではなく、校長が主体的に教科書を変えたということにされて、責任はすべて校長に被せられることになった」などと校長に同情する声が相次いだ。

 教育委員会の意向に沿わない日本史教科書を希望するなと、校長に命令したのは県教委なのに、校長が自分の意思でやったと言い張る神奈川県教委。教育行政の中立性を放棄し、学校現場の教科書選定に介入するのも、教科書の内容に口を出すのも、事務局が教育委員を操るのも、すべてが異常で異様だ。


8月21日(水曜日) まず無駄遣いを止めろ

 年金や財政赤字の危機的状況を考えれば、消費増税も仕方ないかもしれないとは思うが、しかし高級官僚による予算の無駄遣い(天下り先への利益誘導や復興予算の流用)の事実を知ると、どう考えてもそのまま消費増税を認めるわけにはいかない。許しがたい背信行為だ。納税者をこれほど馬鹿にした話はない。まず無駄遣いを止めろ。話はそれからだ。手をつけるべき順序が逆だろう。


8月22日(木曜日) 原発対応に全力を注げ

 東電にはもう既に当事者能力などない。福島の原発事故現場から高濃度の汚染水が大量に流れ出ているなんて、はるか前から分かりきっていることなのに、その場しのぎの対応しかできず(しようともせず)、ずっとシラを切り通してきたのだから。こんな無責任でいい加減な無能企業が原発を抱え込んで、言うに事欠いてまだ再稼働を考えてるとは。ほかの電力会社も大差はない。酷い話だ。

 福島原発がもはや手に負えない状態なのは、だれの目にも明らかだ。ちょろっと汚染された水が漏れてるなんてレベルじゃない。なんだか大したこともなく維持できているように思い込まされているが、実際には人間が近づけない最悪の事態が今でも続いている。にもかかわらず原発輸出を必死に推進する安倍政権は、異様としか言いようがない。

 安倍政権は異常だ。憲法改正だとか安全保障だとか集団的自衛権だとか、そんなことよりも福島原発事故の収拾に全力を挙げて当たれよ。いま最優先とされるべき日本の安全保障は、原発事故の対応しかないだろう。まずは福島の原発事故をどうにかしろ。力の入れ方がおかしい。

◇◇

 きょうは昼過ぎから夕方まで20本以上電話かけて、取材でいろんな人の話をずーーっと聞いていたので、少し耳が痛くなった。電話勧誘のバイトとはわけが違うぞ。受け答えのマニュアルなんかないんだから(笑)。


8月23日(金曜日) 東京五輪どころじゃない

 東京五輪招致に向けた出陣式で気勢を上げる安倍首相。それどころじゃないだろうに。いまだに人間が近付くことすらできない福島原発事故現場。大量に漏れ続ける汚染水。どれほど危機的状況か分かっているのか。何回も繰り返して言うが、安倍政権は力の入れどころが根本的に間違っている。

 そもそも中国と決定的に対立して大喧嘩を続けていながら、アジア票やアフリカ票が獲得できるわけがないじゃないか。首脳会談もできないほど仲が悪い状態なのに、東京五輪誘致に賛成してくれなんて、そんな都合のいいことがあり得ないのは小学生でも分かる話だ。やってることがすべて支離滅裂すぎる。


8月24日(土曜日) 危険な国

 杜撰でいい加減で無能な確信犯の東京電力と、原発事故対策を全く何もしない安倍政権と。日本国民はこんな連中に危険極まりない原子力を任せていたわけだ。そしてこれからも委ねるのか。どれだけ「美しい国」なんだよ。むしろ「哀しい国」としか思えないのだが。

 原発事故や核事故の「経験値」は確実に上げているこの国だが、そこからほとんど何も学んでいないのが実に哀しくも恐ろしい。残念ながらそれがこの国の現実だ。


8月25日(日曜日) 頭の悪い自称愛国者

 安倍首相をはじめとする保守系タカ派の自称愛国者は、過去の歴史を直視して学習するという基本的作業が、全くできない人たちなのだとしみじみ思う。そういう意味では、決定的に頭が悪いとしか言いようがない。


8月26〜29日(月〜木曜日) 原稿執筆

 長めの原稿を2本執筆して出稿。もうしばらく何も書きたくないと言いたいところだけど、そうはいかないのが辛い。書かなければならないやっぱり長めの原稿が、さらに2本残っている。うーん。

 原稿を書く作業というのは、取材とは神経の使い方が全然違っていて、しかも集中力がものすごく必要になる。集中すると徹夜になることもしばしばなのだが、「2〜3日くらい徹夜するなんてまるで平気」という年齢ではなくなったのを実感するのが、これまたとても辛い。集中力を持続するのも難しくなってきた。


8月30日(金曜日) 加筆修正

 いったん原稿を出稿してから、追加取材でいい話が聞けた。ゲラが出てきて著者校正の段階で、加筆修正できるのなら挿入したい。もしダメだったら単行本に収録する際に入れればいいかなあ、などと思ってみたり。いずれにしても、もったいないから何らかの形で生かしたい。


8月31日(土曜日) 残暑見舞い

 残暑見舞いのはがきを、8月末のぎりぎりになって投函した。今年の夏は例年以上の混迷ぶり。取材や原稿執筆でスケジュール的に追い込まれて、残暑見舞いどころではないので放置していたのだが(もちろん暑中見舞いどころではない)、さすがにまずいと思って大急ぎで返事を書いた。

 そろそろ秋の気配が近付いてきたので、まずいなと思っていると猛暑がぶり返した。これなら今から残暑見舞いを出しても許されそうだと、ひそかにほくそ笑んでいたら、某弁護士から昨日、残暑見舞いのはがきが届いた。なんだ、こんな時期に出すのは僕だけじゃないんだ。さらに安心し心強く感じた(おい)。

◇◇

 「国会審議が東京五輪招致に影響しかねない」って本末転倒だろう。だれのためにどこを向いて何のために五輪招致しようというんだ。この国の政治家は気が狂ってるとしか思えない。主権者たる国民は腹の底から真剣に怒るべきだろう。というよりもむしろ、怒らなければならないと思う。→「汚染水漏れ審議、国会先送り、五輪招致への影響考慮」(朝日)


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