身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2014年9月1日〜9月30日

●「海猿」ならぬ「海ポチ」●報ステの岩路真樹記者を悼む●何もしないのは加担するのと同じだ●朝日の度量は読売や産経にはない●本気で朝日をつぶそうとしている●ささやかに追悼●ゴミ広告を掲載拒否するのは当然だ●深刻な汚染水のどこがコントロール●戦争と原発を推進する亡国政治家●「@NHK_PR」の罪深さ●政治家がネオナチと関わるなんて●朝日は萎縮するな●安倍首相の非常識●ささやかな日常を取り戻した津山さん●慰安婦問題の否定こそ事実の捏造●ジャーナリズムの役割●越谷オサム「ボーナス・トラック」●朝日叩きのその陰で●朝日つぶしに奔走する浅ましさ●スコットランドに沖縄が重なる●記者という仕事●静かに合掌●本質に触れない「バランス感覚」●レジュメ作成●バックアップ●週刊金曜日に記事2本執筆●思い込みと裏付け取材●火山列島で原発は無理●書店の自由と出版社の責任●朝日はなぜ「反撃」しないのか●なんて卑劣で情けない脅迫●●●ほか


9月1日(月曜日) 「海猿」ならぬ「海ポチ」

 本土から沖縄に移住した方から、辺野古沖の生々しい状況を教えていただいた。「法的根拠もなく立ち入り禁止の『臨時制限水域』が勝手に決められ、境界線のフロートに少しでも抗議船やカヌーが近付こうものなら、海上保安庁の高速ゴムボートが猛スピードで突進してきて、県民を有無を言わせず拘束。巡視船まで連れて行って『安全指導』を行って解放する。法的根拠がないので1時間ほどで解放せざるを得ない」のだという。

 海難救助で活躍する海上保安官の姿を描いた「海猿」。そのテレビや映画が好きだったという沖縄県民の方は、「とても残念です。『海ポチ』にされてしまって、彼らも本来の仕事でないことをやらされ、さぞ悔しいことでしょう」と訴える。「海猿」ならぬ「海ポチ」。沖縄県民を不当に弾圧する海上保安庁の現状を的確に言い当てた表現だ。哀れ「海ポチ」。

 いただいたメールは、「沖縄問題」は「本土の日本人の問題」であると結ばれていた。全く同感だ。「本土の日本人の身勝手と無関心こそが、沖縄の基地問題の解決を阻んでいる」との指摘にも深く共感する。米軍基地や辺野古の問題は「沖縄の問題」では断じてない。言うまでもなく「日本人全員の日本全体の問題」だ。無関心でいることは許されない。

◇◇

 差別と偏見を煽る人権侵害のヘイトスピーチと国民の基本権であるデモを一緒くたにするのは、さすがにまずいと悟って慌てて火消しに走ったか。だとしても「お上に意見するのは不逞の輩」とする自民党の発想は変わっていないはず。要警戒。

自民党「新たな規制、考えず」国会周辺デモ、火消し(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140901-00000106-mai-pol


9月2日(火曜日) 報ステの岩路真樹記者を悼む

 「この裁判官のこと知ってます?」「どんな裁判官?」とたびたび問い合わせの電話をくれて、取材先はもちろん、記者仲間の勉強会などでもしょっちゅう顔を会わせていた。毎年必ず面白い年賀状を届けてくれたし、横浜・野毛の中華料理屋で生ビールを飲みながら餃子を美味しそうにほおばる姿は、見ているだけでこちらの食欲も大いにかきたてられたものだ。

 なにより大変な子煩悩で、「父ちゃん父ちゃん」と慕ってくるかわいい盛りの娘さん2人をとても大切にしていた。それだけにあの岩路さんが、自ら死を選ぶなんてちょっと信じられない思いで、どうしてという思いだけが残る。ものすごく残念でショックだ。関係者の話などを総合すると、たぶんなにかしらの葛藤があったのだろう。残念ながら現時点では何もうかがい知ることはできない。

 テレビ朝日で報道ステーションの記者(ディレクター)として、原発問題や冤罪事件に果敢に切り込み、鋭く突っ込んだ取材を続けていた。49歳。最も信頼できる優秀な記者仲間の一人だった。ついこの前も報道ステーションの特集で、除染で生じた汚染がれきの不正処理問題を取材する岩路さんの姿を目にしたばかりだったのに…。しばらく連絡していなかったから電話しようと思っていた矢先の訃報に、呆然としている。なんともやりきれない。ご冥福を心よりお祈りします。合掌。

 【追記】不審死、変死、怪死、暗殺などと、無責任な憶測と陰謀論を振りまく発信があまりにも多すぎて愕然とする。そしてそれらは際限なく拡散されていく。いろんな事情や背景を何も知らずによく言うよ、と思わずにいられない。そのせいでご家族だけの密葬しかできなくなった事態に、友人の一人として怒りと悲しみを覚える。

◇◇

 きょう2日のNHK朝ドラ「花子とアン」。お上と異なる言動をすると国家権力に激しく弾圧されるばかりか、近所の人から「非国民!」「売国奴!」と罵られる。戦争をやめさせようと和平工作を試みる弁護士の宮本龍一が、憲兵隊に連行され近隣住民から罵倒される場面が、現代の日本と恐ろしいほどダブって見える。

 戦前に使われていた「非国民」や「売国奴」という言葉が、今では「反日」に変わっただけで、本質は何も変わっていないことを痛感する今日このごろ。特に安倍政権になってからは、政府自民党の方針に反する考えは「反日」のひと言で排除される空気があからさまだ。原発も沖縄も憲法も慰安婦も靖国も。

 ちなみに主人公の花子の立ち位置や史実とのブレであるとか、ちぐはぐなストーリー展開と人物描写に関しては、相変わらずいつも通りなので、今さら特に突っ込むことはしない。


9月3日(水曜日) 何もしないのは加担するのと同じだ

 きょう3日のNHK朝ドラ「花子とアン」から。「私は時代の波に平伏したりしない。世の中がどこへ向かおうと、言いたいことを言う、書きたいことを書くわ。あなたのように卑怯な生き方はしたくないの」。花子に向かって蓮子さまの言葉だ。よくぞ言ってくれた。なかでも最後のひと言が強烈だった。でもそのひと言こそが欲しかった台詞だった。

 「ラジオのおばさん」として子どもたちに優しく語りかけることで軍国主義を煽り、子どもたちを戦地に赴かせることの意味と影響力の大きさを、まるで自覚していない花子の無知と能天気さ。「私一人が抵抗したところで、世の中の流れを変えることなんかできない」「大きな波が迫ってきているの。私もすごく恐ろしい。でもその波に逆らったら、今の暮らしも何もかも失ってしまう」などと自己正当化の言葉を口にする花子に、「あなたのように卑怯な生き方はしたくない」と痛烈なパンチを加えた蓮子さまに拍手。

 ラジオから子どもたちに向かって話しかける立場の花子は、普通のおばさんとは全然違うのに。こうやって花子は何の問題意識もなく何も考えないまま、「子どもたちに夢を」などと詭弁を弄しながら戦争遂行に協力し、国威発揚に積極的になっていくのだろう。

 しかし大事なのは、「たとえ自分一人であっても、言うべきことは言う。書くべきことは書く。自分の持ち場や置かれた環境で、できることをする」ことだ。何もしないで流され黙って従うのは加担するのと変わらない。「仕方がない」といった理由をつけて何もしないのは言い訳に過ぎない。いじめや組織の不正に対して声を上げるか上げないかも同じだろう。つまりこれは生き方や誇りの問題なのだ。


9月4日(木曜日) 朝日の度量は読売や産経にはない

 慰安婦報道検証をめぐって、至極真っ当な紙面批評「池上彰の新聞ななめ読み」の掲載を拒んだ朝日の判断は、明らかに間違っていた。判断の誤りを認めて掲載したのは当然のことだが、そういう対応ができるのが朝日らしさだろう。朝日新聞の紙面や記事に文句を言いたいことはたくさんあるが、自社への厳しい紙面批判を掲載する寛容さや度量は、少なくとも読売や産経にはない。

 そして大勢の朝日記者が、会社の姿勢を公然と批判し忌憚なく発信できるのも朝日らしさと言っていい。社内で議論できる言論の自由が少なからずあるということなのだから。朝日叩きに余念がない(躍起になっている)読売や産経に、こうした社内言論や自由闊達な議論、紙面の寛容さといったものがあるとはとても思えない。

【池上彰さんコラム掲載拒否】朝日新聞記者アカウントのツイートまとめ

http://togetter.com/li/714702


9月5日(金曜日) 本気で朝日をつぶそうとしている

 慰安婦に関するデタラメ証言を、朝日がきちんと裏付けも取らずに記事にしたのは、取材の基本を怠った行為で明らかに誤りだった。速やかに事実関係を検証し誤報を取り消さなかったのも大きな問題だったと思う。しかし慰安婦が存在したのは動かしようのない事実であり、女性の尊厳を蹂躙した事実も決して消し去ることはできない。

 「虚偽証言」に基づく朝日の「誤報」一つを根拠に、慰安婦の存在そのものを否定しようとするのは、それこそ虚報・捏造・でっち上げそのもので、誤報よりもはるかにたちが悪い。読売や産経、文春や新潮などの右派メディアは、朝日を叩くことで事実そのものをねじ曲げようとしている。

◇◇

 右派メディアの異様としか思えない朝日叩きは、過去の負の歴史や反省をなかったことにしようとする極右政治家の言動と完全に一致する。彼らの政治スタンスそのものだ。安倍政権とべったりの緊密ぶりから、その意をくんで(あるいは共鳴し同調して)やっていると考えていいだろう。

 ここ最近の朝日叩きは、これまでの朝日叩きとは様相がまるで違う。常軌を逸していると言ってもいいほど熾烈を極めていて、必死さが伝わってくる。安倍政権とそれに連なる右派メディアは、たぶん本気で朝日新聞をつぶそうとしている。

 秘密保護法成立、解釈改憲による集団的自衛権容認、原発再稼働と海外輸出、NHK会長・経営委員人事への介入、教育制度改革、沖縄・辺野古沖の埋め立てといった極右政策を、安倍政権は着々と進めてきた。いよいよ本丸である憲法改正に着手し「日本を取り戻す」上で、影響力の大きい朝日が最も目障りな存在だと考えているのは間違いない。

 いつの時代でも独裁政権はメディアと教育を支配し管理・統制しようとする。安倍政権はそれを着実に進めている。過去の歴史を考えれば分かるように、これは実に危険な状況だ。極右政権と右派メディアから完全にロックオンされたこの現状を、朝日関係者はしっかり自覚した方がいい。

 足をすくわれないように慎重に振る舞うこと。当たり前のことだが、裏付け取材はしつこいくらい重ねること。一つのミスで記事全体、そればかりか紙面全体が否定されてしまう。その上で言うべきことを言い、書くべきことを書く姿勢を貫かなければならない。萎縮してはならない。もちろん朝日だけの問題ではない。

 なんだかんだ言っても朝日はメディアの代表格。憲法を擁護し、権力を監視し、事実を伝え、問題提起しようと努めている媒体の中で、人によって好き嫌いはあるにせよ、影響力が大きいのは事実だろう。だからこそ朝日が狙い撃ちされているのだ。牙城が崩されたら後はなし崩しになるのは目に見えている。規制や圧力や弾圧や自主規制や迎合も含めて。事態は深刻だ。

 最も大事なのは記事と紙面だ。徹底した事実取材に基づいて、極右政権の問題点を毅然とした姿勢で、ひるむことなく読者に示し続けることが何より重要だ。朝日新聞には、朝日らしさの肝の一つである「幅広い意見や見方」を紙面にしっかり掲載する度量の大きさも忘れないでほしい。読売や産経には決して真似ができないことなのだから。

◇◇

 朝日が批判・攻撃されていることは分かっているだろうが、先方(安倍政権と左派メディア)の本気度と事態の深刻さを理解していない人が、残念ながら朝日新聞社内には結構いるように思える(特に本社幹部)。理解していたら、池上コラムの掲載を見合わせるようなポカ(判断ミス)はしないはずだ。

 「ここぞとばかりに叩かれるのが自明だったのに」というだけではない。多様な言論による議論を積極的に擁護する立場だったはずの「朝日ジャーナリズム」の精神を、自ら否定してしまうことにつながる行為だからだ。愚かな社長や幹部のせいで「朝日の生命線」が崩れかけているとしたら、朝日が自滅するだけでは済まない。日本のジャーナリズム全体にとっての打撃も計り知れない。

 このままでは安倍極右政権のメディア支配・管理・統制が完結してしまうことになる。ジャーナリズム全体に対する危機意識がなさ過ぎる。「日本を代表する高級紙(クオリティペーパー)」「オピニオンリーダー」を自認しているのならば、右派の攻撃による深刻な状況をしっかり認識してもらわないと困る。


9月6日(土曜日) ささやかに追悼

 夕方から都内の法律事務所で冤罪関係の取材。終わってから近くの中華料理屋へ。亡くなった報道ステーションの岩路真樹ディレクターと親しかった弁護士と、岩路さんが好きだった餃子を注文し青島ビールを飲みながら、故人の思い出などを語り合ってささやかに追悼する。

 落雷による停電の影響で、京急川崎駅以北の京浜急行線が6日午後10時30分ごろから完全にストップ。乗っていた下り電車は鮫洲駅にずーっと停車したまま。鮫洲なんかで降ろされてもどうしようもないじゃん。仕方ないから車内で黙々と文庫本を読んで、じっと復旧を待つ。午前2時30分を回ってようやく電車が動き出し、横浜市内の自宅に着いたのは午前3時半だった(涙)。ついてねーな。とほほ。


9月7日(日曜日) ゴミ広告を掲載拒否するのは当然だ

 朝日新聞が週刊文春や週刊新潮の広告掲載を拒否したことは、全く何も問題などない。「言論の自由を標榜する社会の公器としてあるまじき行為」「新聞読者の知る機会を一方的に奪う」といった批判は全く的外れで、お門違いもはなはだしい。言いがかりでしかない。

 特定の新聞に雑誌広告が掲載されないからと言って、ほかの媒体広告や中吊り広告を目にする機会はいくらでもあるのだから、知る権利を奪うことには全くならないし、雑誌自体は広く販売されているのだから、出版表現の自由は確保されている。いったいどれだけ傲慢不遜な難癖をつけるのか、驚くよりも呆れるばかりだ。

 他者の名誉を毀損し人権侵害し下品で醜悪で反社会的な広告を掲載拒否するのは、掲載する側に当然与えられている権利だ。権利であるばかりか責任と言ってもいい。紙面の品位を守るために必要な編集権だろう。

 文春や新潮はこれまで、犯罪加害者だけでなく被害者の顔写真や実名も暴露し、プライバシーを堂々と侵害する雑誌広告を平然と出してきた。それらは言論・表現の自由とは何も関係ない。反社会的行為と言っていい。そんなゴミ広告を掲載すれば、掲載する側も共犯者になってしまう。人権侵害に加担するに等しい。

 そもそも公然と人権侵害する広告が、これまで紙面に掲載されていたことが問題だった。そんな広告を拒否するのは掲載側の権利だ。むしろ掲載しない責任と義務を果たすべきだった。そういう意味では、加害者や被害者の顔写真を載せた文春や新潮の広告を、これまで放置し掲載してきた朝日の責任は大きい。

 文春や新潮がどんな雑誌を作って売ろうが自由だが、彼らが「社会の公器」や「知る権利」といった言葉をもっともらしく振りかざし、人権侵害の広告掲載を他者に強要するのはお門違いもはなはだしい。まさに「お前が言うな」である。図々しいにもほどがある。やるなら自分たちだけで勝手にやれ。朝日叩きの広告についても同様だ。掲載拒否に抗議するなんておこがましい。

◇◇

 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」で、一つだけものすごく気になったことがある。冬月先生が「将棋は打てるか」とシンジに問う台詞だ。将棋は「指す」で、囲碁が「打つ」だろうに。冬月先生がそんな言い間違いをするなんてあり得ない。違和感が残るシーンだった。スタッフはだれも気付かなかったのか。


9月8日(月曜日) 深刻な汚染水のどこがコントロール

 福島第一原発の港湾内の汚染は深刻。原発事故に伴う深刻な海洋汚染が続いていることが浮き彫りに。汚染が港湾外にも広がっているのは必定だ。小渕優子経済産業相は福島第一原発の汚染水対策について「全体としてコントロールされている」と強調しているが、これのどこが「コントロールされている」のか。いったい何を根拠にそんなことを言ってるのか。

 あまりに深刻な現状を前にして能天気すぎる。親分の安倍晋三の認識や発想そのものだから、なるほど完璧に「閣内一致」しているのは確かだろうけど。それでもなお原発を再稼働させようと画策するなんて、安倍政権は正気の沙汰とは思えない。

海流出、さらに2兆ベクレル=ストロンチウムとセシウム、福島第1(時事)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140908-00000005-jij-soci


9月9日(火曜日) 戦争と原発を推進する亡国政治家

 読みごたえある良記事。必読。→「私は仮に日本が滅びるとすれば、それは戦争と原発事故しかないと思う。戦争と原発という一番危険な2つのことを推進しているのが安倍政権です。ヘタしたら国を滅ぼす。彼は亡国の政治家だと思います。歴史が判断しますよ」

注目の人・直撃インタビュー 福島原発告訴団の河合弘之弁護士(ゲンダイ)

http://nikkan-gendai.com/articles/view/news/153151/1


9月10日(水曜日) 「@NHK_PR」の罪深さ

 朝日新聞文化面の「@NHK『1号さん』退職して作家に/元広報局ツイッター担当」という記事を読んで、NHK広報局の公式アカウント「@NHK_PR」の胡散臭さと欺瞞性について、2013年2月19日付「身辺雑記」に書いた拙文を改めて思い出した。「番組内容(公共放送だから特に報道)と広報は不可分のはず。番組で伝えるべきことを伝えず、ネットで無責任に放言するのは誠実な態度ではない」といったことを書いた。

 1年半前のこの意見は今も全く変わらない。かえって強まったようにさえ思う。NHK籾井会長の「政府が右と言うことを左とは言えない」との発言をスルーしておきながら、「皆様の公共放送」などとNHKやNHKの番組をPRされても説得力はない。むしろ視聴者を欺く行為と言っていい。

 政権与党の宣伝機関と化しているのが今のNHKの実態だ。事実上の「国営放送」への信頼感と親しみやすさを、「@NHK_PR」はじわじわと刷り込ませる役割を果たしている。ソフトなイメージを売りにしている公式アカウントだけに、国策を浸透させる罪深さはなおさらだ。

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 原子力規制委員会ではなく、実態は原子力推進委(既定委)だからね。想定する地震の揺れも津波の高さも「妥当」。周辺火山の対策も「安全に影響する可能性は小さい」。再稼働の既定路線を追認するだけ。最初から結論ありきのアリバイづくりのためだけに、存在する機関なのだ。福島原発事故から何も学んでいないし、学ぼうともしないこの国の権力者とその追従者たち。

<川内原発>「新基準に適合」審査書を決定、規制委(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140910-00000035-mai-sctch


9月11日(木曜日) 政治家がネオナチと関わるなんて

 高市早苗や稲田朋美ら自民党の国会議員が、ネオナチ代表とツーショット写真撮影していた。ネットから広がり、共同や毎日、日刊スポーツ、朝日などが報じて、テレビ各局も伝え出したが、残念ながら日本国内では「ネオナチ」と政治家が関わっても、さほど批判されないのが現実だ。

 しかし欧米ではこんなことは絶対にあり得ないし許されない。関わっただけで政治生命が絶たれてしまう事態に直結する。世界に向けて安倍政権の「極右の本性」が露呈したことで、海外からの嫌悪や非難の声が、たぶんこれからじわじわと効いてくるだろう。

 それにしても、なんとも恥ずかしい政治家と国民であることか。こんな政治家を国会議員に選んで容認している日本社会の愚かさに、主権者の一人として情けなくなるし、ほとほと嫌気がさす。

 ちなみにネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」のホームページをのぞいてみたら、僕が新聞記者時代に書いた記事が勝手に掲載されていた。こちらとしては批判的に取り上げたつもりでも、先方は記事を「戦果」と受け止めているのか。どうやら書けば書くだけ調子に乗るらしい。なんとも複雑な気持ちだ。

極右代表と撮影、高市氏と稲田氏ら、欧州メディアが批判(毎日)

http://mainichi.jp/select/news/20140910k0000e010272000c.html

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 <朝日は萎縮するな> 朝日新聞社長が謝罪会見。朝日はこの際すっぱり率直に過ちを全部認めて謝罪すべきだったし、実際にそうしてよかったと思うよ。一部の誤りやミスによってその記事すべてが否定され、さらには紙面全体までも否定されてしまう怖さが、心あるメディア関係者には再認識されたのではないか。事実の積み重ねこそが何よりも大事。自戒を込めて改めてそう思う。

 ここぞとばかりにはしゃいで朝日やテレ朝を叩き、慰安婦も原発事故もなかったかのようにまくしたてるネトウヨ、自称保守、極右連中の醜悪さたるや。一部の誤報をもってすべてを否定する態度と発想には、鬼気迫るものがある。都合のいいことしか見ようとしない。ある意味で反面教師かもしれない。

 朝日の記者には、怯まず萎縮せず臆することなく、事実の積み重ねと裏付け取材を徹底して、批判精神と権力監視機能をこれまで以上に発揮してほしい。心より切望する。もちろん、ほかのメディアの記者たちにも。僕自身も取材記者の一人として覚悟を新たにしている。

【関連記事】

 *「朝日の度量は読売や産経にはない」(9月4日付)

 *「本気で朝日をつぶそうとしている」(9月5日付)

 *「ゴミ広告を掲載拒否するのは当然だ」(9月7日付)

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 【おことわり】きのう10日付「身辺雑記」のニュース項目の前後(順番)を入れ替えました。単なる編集上の都合で、他意はありません。


9月12日(金曜日) 安倍首相の非常識

 安倍首相「慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられた」(NHKニュース)。何を言ってるんだ。「慰安婦問題によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられた」の間違いだろう。極右の安倍晋三やネトウヨにとっての常識は、残念ながら国際社会では通用しない。

 そもそも安倍首相は、「個別の報道機関の報道内容の是非に関してコメントすべきではないと思うが」と言いつつ、個別の報道機関(朝日)の報道内容に対し、ものすごく踏み込んだ発言をしているではないか。政治家が。しかも内閣総理大臣が。まともな民主国家ではまずあり得ない、そんなとんでもないことを言っているという自覚が、本人にも周囲にもなく、そしてメディア側にも危機感がないのが何より恐ろしい。


9月13日(土曜日) ささやかな日常を取り戻した津山さん

 「三鷹バス痴漢冤罪事件」の逆転無罪判決(東京高裁の無罪判決について詳細は7月15日付「身辺雑記」参照)が7月30日に確定し、津山正義さんが事件前に勤務していた三鷹市立中学校に復職してから約1カ月半。東京・武蔵境で午後から開かれた報告集会に参加する。会場のホールは満席。津山さんの家族や友人のほか、弁護団、救援会、支援する会など、これまで裁判を支えてきた100人を超える人たちが詰めかけた。

 報告集会では2人の弁護人が、刑事裁判をめぐる現状についてコメント。池末彰郎弁護士は、勾留や保釈や身柄拘束の要件が非常に厳しい「人質司法」の実態を紹介。一方、主任の今村核弁護士は、裁判所が有罪を確認する場所になっている状況から、「供述証拠よりも物理的証拠を重視する裁判」へと、司法実務の流れが少しずつ変わりつつあるとして、その背景を解説した=写真。

 続いて、津山さんの友人や支援者らが次々とマイクを握り、逆転無罪確定と津山さんの職場復帰を喜んだ。僕もひとこと述べるように促されたので、次のように発言した。

 「支援者やご家族、弁護団のご苦労に比べたら微々たることしかしていませんが、ジャーナリストとして事実を記事にすることで、ほんの少しは役に立てたような気がします。一審の有罪判決があまりに酷過ぎたので、取材から帰宅してすぐその日の判決の問題点をツイッターで連続してつぶやいたら、まとめサイトへのアクセスが殺到し、先ほど支援する会の方が紹介して下さったように16万件以上の閲覧がありました。書いた本人が一番驚いたのですが、おかしな裁判や痴漢冤罪への怒りと関心が、若い層に広がったに希望を感じています」

 「津山さんはしたくもない辛い経験をして大変なご苦労をされましたが、ぜひこの経験を生かして、裁判官や捜査のあり方や人質司法の問題点などを、具体的に分かりやすく子どもたちに伝えてほしい。津山さんはそれができる貴重な存在だと思います」

◇◇

 最後に両親とともに登壇した津山さんは、これまでの辛い心情と復職後の希望に満ちた日々を振り返り、ゆっくりと噛みしめるように、再び教壇に立つことができた喜びを改めて言葉にした。

 「今度父親になる津山正義です(会場が笑いに包まれる=年内に出産予定)。一審判決を聞いた時は、こんなおかしな判決への怒りを通り越して、もう無理なんだなとあきらめのような気持ちになりました。でも両親の姿を見て、絶対に勝たなければならないと思いました。二審の裁判官もちゃんと判断してくれないかもと、怖くて怖くて仕方なかった。逆転無罪になってからも、検察が何かしてくるんじゃないかと思うと、(上告期限の)2週間が苦しくてたまりませんでした。無罪判決が確定してようやく安心できました」

 「その日のうちに復職が決まって、8月末に学校へ戻ってもう4週間が過ぎます。本当に学校は面白いです。生徒全員が分かってくれるように、生徒が自分の未来を信じられるようにと頑張っています。自分が本当に頑張りたいことを頑張れる、という幸せをかみしめています。痴漢冤罪で苦しむ人が一人でも少なくなるように支えていきます」

 その後の打ち上げの席で、津山さんの妻が語った言葉がとても印象に残った。「無罪が確定した翌日から正義君は学校に通っています。学校から帰ってくると愚痴を聞かされたりして、事件前の日常生活が戻ってきました。事件のことを忘れてはいけないのは分かっているけれど、こういう日常が何よりも大切で、ありがたくてうれしいとかみしめています」

 本当にその通りだと思った。ごく当たり前のささやかな日常の幸せを守ることこそが、人々の生活にとって何よりも大事にすべきもので重要なのだ。そういうものを根底からすべて破壊するのが冤罪事件であり、戦争でもあるのだろうと改めて痛感する。

◇◇

 終了後、近くの居酒屋で開かれた懇親会(打ち上げ)にも参加。続いて、自然食材・炭火串焼きの店で二次会。さらに津山さんや津山さんの友人らと一緒にカラオケ店へ。料理も美味しく、会話も楽しく、とても気持ちのいい集まりだった。終電には乗り遅れてしまったけど(汗)。


9月14日(日曜日) 慰安婦問題の否定こそ事実の捏造

 安倍首相がまた意図的に話をねじ曲げて、捏造と言っていい発言をしている。

 <<朝日新聞が従軍慰安婦問題をめぐる報道の一部を誤報と認め謝罪したことについて、「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められている。朝日新聞自体が、もっと努力していただく必要がある」と(NHKの番組で)述べ、海外も含め周知に努めるよう求めた>>というのだ。

慰安婦誤報、朝日は周知努力を=安倍首相(時事)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140914-00000018-jij-pol

 朝日の誤報は、「強制連行した」とする吉田虚偽証言についてであって、従軍慰安婦の存在や強制制、女性の尊厳を損ねた事実が消えてなくなったわけではない。安倍首相は朝日に対し、いったい何を海外に周知しろと求めているのだろうか。従軍慰安婦の存在を取り消すことなどあり得ない話だ。

 従軍慰安婦が存在した事実と、女性の尊厳をおとしめた事実を周知徹底せよというのか。だとしたらそれは日本政府の仕事だろう。最高権力者である首相が、こんな報道介入を堂々と公言すること自体が異常で非常識きわまりないが、そもそも安倍晋三が余計なことを言っても言わなくても、朝日は今後もしっかり慰安婦報道を続けると思うよ。そう信じている。


9月15日(月曜日) ジャーナリズムの役割

 【9月13日付「身辺雑記」を受けて追記=メモ】ささやかな日常の幸せを守ることこそが、人々の生活にとって何よりも大事。そういうものを根底からすべて破壊するのが冤罪事件であり、戦争でもある。ジャーナリズムの役割は人々の日常を守ること、日常を破壊する権力者の動きを監視することだと、改めて痛感する。


9月16日(火曜日) 越谷オサム「ボーナス・トラック」

 越谷オサムの「ボーナス・トラック」(創元推理文庫)を読み終える。ひき逃げ事故に遭遇したことで、死亡した男子大学生の幽霊と同居するはめになったハンバーガー店マネージャーの男性。一緒に寝起きして犯人探しに付き合うにつれて、離れがたい戦友のようになっていく2人の関係や周囲をユーモラスに描く。著者デビュー作で、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。

 あれこれ謎解きのようなことをしながら、ほのぼのとした気分でコミカルに笑わせて、最後のところで少し切ない気持ちにさせる、というのがこの作者の持ち味と言ってもいいかもしれない。そして最後まで読めば、どうしてこの作品のタイトルが「ボーナス・トラック」なのかがよく分かって、さらにしみじみと感慨深い。


9月17日(水曜日) 朝日叩きのその陰で

 朝日の慰安婦誤報を受けて早速、高校教科書の記述変更を求める動きが出ている。産経などが喜々として伝えているが、吉田証言が虚偽であっても慰安婦の存在が消えるわけではないし、「性の相手を強いられた」「軍が関与した」のは明白な事実だ。世界の常識ではこれを「強制」と言う。教科書の記述は間違っていないのだから、変更する必要などないだろう。歴史を歪曲しようとする極右政権と右派メディアの本性が、いよいよ露骨になってきた。

◇◇

 朝日の誤報騒動をめぐる報道で最も冷静なのは、西日本新聞や東京新聞などのブロック紙と地方紙だ。メディア各紙を眺めながらそう痛感する。読売・産経・文春・新潮などの右派メディアは、自身のブラックさは棚に上げてそれこそ結論ありきでバッシングしているだけだし、毎日にしても「誤ったイメージを国際社会に拡散させた」などとピントのずれた社説を書いている時点で疑問符が付く。

 西日本新聞が指摘するように、「原発、慰安婦をめぐる本質的な問題が置き去りにされる恐れ」をしっかり踏まえた上で、朝日の誤報問題を検証すべきだ。もちろん右派メディアにそんなことは到底期待できないが。

 事実を平然とねじ曲げようとする人たちや安倍極右政権につけこまれ、調査報道を主体とした権力監視ジャーナリズムと民主主義は、今まさに破壊されようとしている。

 朝日に対する総攻撃は異様だ。吉田虚偽証言の誤報だけを理由に、慰安婦すべてが捏造だとする主張こそ、事実をねじ曲げた「一大虚報」そのものなのに。読売・産経・文春・新潮など右派メディアを中心とした朝日叩きと、安倍極右政権による報道介入こそ、国際社会では嘲笑の的になっている。

朝日叩き、かすむ本質、政府の姿勢も検証不可欠(西日本新聞)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/113868

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 「冷却に水ではなく化学的に安定しているヘリウムガスを使う」。そっちの方が緊急対応できず、むしろアブナそうだが。そもそも「次世代型原子炉」って原発新増設が前提じゃないか。福島原発の処理や廃炉も手つかずで、そもそも手に負えない状態が続いているのに。この国の経産官僚と安倍極右政権は、本当に学習能力ゼロの馬鹿ばっかりなんだな。

 目先の経済的利益と利権しか頭になく、子どもたちの将来の環境や安全安心な社会について真剣に検討しているとは全く思えない。放射性廃棄物の処理問題を考えるだけでも、原発という選択肢はないはずだろうに。

次世代型原子炉、研究開発を再開へ、政府(読売)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00050009-yom-sci


9月18日(木曜日) 朝日つぶしに奔走する浅ましさ

 毎日新聞には本当にがっかりだ。毎日の紙面には、前から首を傾げることが少なからずあった(もちろんいい記事も結構ある)が、読売・産経の尻馬に乗って、これほどはしゃいで朝日を叩かなくてもいいのにと思う。「誤ったイメージを国際社会に拡散」(毎日社説)ってなんだよ。それで毎日の部数が伸びることなんて、どう転んだってあり得ないのに。冷静だった東京新聞は、今回の「朝日誤報」報道の件で少し見直した。

 真っ当な批判や建設的な論評は、健全な言論空間の維持と発展のために必要不可欠だと思うが、事実に即した「批判」と、悪意のこもった「罵倒」は似て非なるものだ。読売・産経・文春・新潮などの右派メディアの記事は、保守派の思想を一方的に宣伝するのが前提で、「朝日つぶし」を拡散し煽動するための「罵倒」や「罵詈雑言」であるのは明白だろう。

 朝日は「吉田虚偽証言」を誤報しただけであって、朝日の誤報に関係なく慰安婦が存在していたのは事実だ。河野談話にしても、何も間違ったことは述べていない。にもかかわらず、吉田虚偽証言の誤報だけを根拠に、慰安婦問題のすべてを捏造扱いする。朝日を叩くことによって、事実そのものをなかったことにしようとする。それこそまさに捏造・虚報・詭弁・すり替えだろう。

 読売はそれに加え、今回の朝日の誤報を絶好機として、朝日の購読者を奪い取ろうと必死になっている。原発推進や集団的自衛権容認など、政権与党べったりの社論をはじめ、数々の虚報を放ってきた自社のデタラメぶりは棚に置いてだ。なんとも卑劣で浅ましい。

 しかしこうやって、ウソでもデタラメでも、何百回、何千回と繰り返し発信されていくうちに、ウソやデタラメが信じられて、それらが本当のこととして認識され定着していくのだろう。悪貨が良貨を駆逐するさまは、残念ながら過去の歴史が証明している。だからこそ、面倒であっても何回でもしつこく「それは違う」と主張し続けて、「事実」を丁寧に伝えていく必要があるのだ。

◇◇

 慰安婦などの過去の過ち(負の遺産)を否定し、なかったことにしようとする人々は、戦前の日本と現在の日本を切り分けず、一つにつながったものと見ているから。東京裁判を否定し、靖国神社を崇拝する発想も同類だろうな。

朝日「誤報」で日本が「誤解」されたという誤解(冷泉彰彦=ニューズウィーク日本版)

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/09/post-677.php


9月19日(金曜日) スコットランドに沖縄が重なる

 スコットランドの英国からの分離独立を問う住民投票は、予想以上の反対多数で否決されたが、それでも45%の人が独立を支持した意味は大きい。経済格差や住民自治への不満が根強いことの証明であり、英国政府の対応が注目される。日本だって決して他人ごとではないはず。本土から差別され虐げられてきた沖縄の姿とダブって見えてくる。

 米軍基地の異常な偏在や日米地位協定のおかしさ、日本政府の不誠実な対応はもちろん、本土との格差を考えれば、沖縄の人たちが怒りを爆発させる事態もあり得ない話ではない。民意に反した辺野古沖の埋め立て強行と横暴な振る舞いも、怒りや不満の要因であるのは言うまでもない。

 スコットランド住民が突き付けた異議申し立ては、英国政府に大いに反省を迫った。沖縄もそれくらい強く主張しないと、日本政府は絶対に真剣に動こうとしないだろう。彼らは間違いなく沖縄のことを「捨て石」「植民地」としか考えていないのだから。そうでなければ、これほど理不尽な扱いができるはずがない。


9月20日(土曜日) 記者という仕事

 僕自身が記者だということもあるだろうけど、きょう20日付の朝日新聞朝刊の紙面で、最も共感し印象深かった記事は大久保真紀記者のコラムだった。自分自身の経験も踏まえて、1から10まで全く同感で納得できる。インターネット版の朝日デジタルでは会員以外は読めないかもしれないが、新聞記者であってもなくても、ぜひ多くの人に読んでほしい。

 どうして大変な時間と労力をかけて、無駄とも思えるような取材を積み重ねるのか。なぜあえてそれほど記者という仕事にこだわるのか。「この事実を伝えたい」「自分が伝えなければ」という思いがあるからだ。それが根底にあってこその記者稼業だ。

 そもそもまともな記者なら、出世や名誉や権力欲や金儲けなんてものは眼中にない(はず)。記者としての誇りと情熱と志があるのみ。知りたい、伝えたい、伝えなければという感情に支えられて、多くの記者はこの仕事を続けているはずだ。残念ながらそうでない記者は、職業選択を誤ったのではないかと強く思う。

ザ・コラム/記者の仕事、無償の功名主義こそ/大久保真紀(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11359335.html?ref=nmail_20140920mo&ref=pcviewpage


9月21日(日曜日) 静かに合掌

 都内にある岩路真樹記者(報道ステーション・ディレクター)の自宅に行ってきた。主のいない家の玄関に供えられた花の数は少なくなっていたが、とりあえずその前で静かに手を合わせ冥福を祈った。来月予定されているお別れの会では、たぶん大勢訪れるはずの人たちとともに故人を偲んで、盛大に見送ろうと思う。会いたいと思っていた人物には、残念ながら不在のため会えなかった。

【関連記事】9月2日付「身辺雑記」の「報ステの岩路真樹記者を悼む」参照。


9月22日(月曜日) 本質に触れない「バランス感覚」

 池上彰氏が週刊文春のコラムで、朝日叩きに血道を上げる新聞や雑誌を批判した。言っていることは間違っていないが、何を今さらという感じが払拭できない。そもそも問題の本質や肝心の問題点を指摘せず、もっともらしい「バランス感覚」を発揮した「つもり」なのが一番始末に負えない。NHKの「解説」にも似たような臭いがする。

 何回でも言うが、朝日が「吉田虚偽証言」など一部誤報を取り消したからと言って、慰安婦問題が消えてなくなったわけではない。にもかかわらず、慰安婦問題はすべて朝日新聞がでっち上げたことで、朝日が日本人の信用を失わせたと、読売・産経・文春・新潮といった右派メディアが繰り返し宣伝していることこそ、重大な虚報・捏造・でっちあげではないか。それこそ、安倍極右政権や右派メディアをはじめとする保守系右派連合の歴史修正主義者たちが、最大の共通目的とするところだろう。一連の異様な「朝日叩き」問題の本質は、まさにこの部分にある。

 言うまでもないことだが、朝日が事実確認や裏付け取材をきちんとせず、いい加減な記事を紙面化したまま、訂正や取り消しをグズグズと遅らせたのは重大な問題だ。その過ちや編集幹部の判断ミスを指摘した池上氏のコラム掲載を見合わせたことも含め、朝日新聞は十分過ぎるほど反省すべきだし、反省してもらわなければ困る。しかし一連の「朝日叩き」問題の本質は、一部の誤報をもとに慰安婦問題をすべてなかったことにしようとする動きと、これを機会に朝日や朝日に同調する報道と言論を叩き潰そうとする「異様さ」にある。

 ところが池上彰氏はそうした核心部分には触れようとせず、「朝日新聞だけが悪いのか」「罪を犯したことのない者がまず石を投げなさい」などと問題の本質から大きくズレた話を振る。その上で、ある新聞社の社内報で連載中止を通告された自身の経験をもとに、「社論と合わない原稿の掲載を断るのは朝日特有の問題ではない」として、「その新聞社の記者たちは石を投げることができない」と言うのだ。週刊誌の広告掲載拒否についても、同様の指摘をする(そこまで書くなら実名を挙げればいいのに)。

 どちらも一面では正しい指摘ではあるが、問題の本質は果たしてそこだろうか。歴史的事実をすべてなかったことにしようとする動き。そして、調査報道によって権力(安倍極右政権)を厳しく批判する報道や言論を、政府と右派メディアが一緒になって排除し潰そうとする異様さ。それこそが最大の問題だろう。まともで成熟した民主国家では、こんなことはあり得ない。

 過去の過ちを指摘し、政府与党を批判することで、仮にそれが日本の恥を海外に広めることになったとしても、事実であればきちんと伝えるのが報道機関の役目だ。政府や軍部が国策として戦争に邁進し戦意高揚を鼓舞しても、冷静に毅然と反対意見を述べ、戦争中でも「事実」を伝えるのが記者の責務だ。

 ジャーナリズムに「国籍」は本来ない。政府・軍部の方針と異なることや、都合の悪いことを伝えて「売国」などと言われるのであれば、事実を伝えるジャーナリズムは成り立たない。政府や右派メディアの「朝日叩き」は、まさに政府の方針と異なる報道や言論を潰そうとする動きそのものだ。池上氏は「言論報道機関の一員としてこんな用語(『売国』)を使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか」と指摘するのだが、そういったレベルの話ではないのではないだろうか。

 指摘そのものはおかしいとは思わないけれども、だったらもっと問題の核心に突っ込んでほしい。本質を指摘した上でのバランス感覚はもちろん大事だが、バランス感覚の方に重点を置きすぎているように思えてならない。何回でも繰り返すが問題の本質は、事実隠蔽を画策する政府と右派メディアの異様な結託ぶりにある。

池上彰氏「朝日新聞だけが悪いのか」文春コラムで同誌や他新聞にも苦言(J-CASTニュース)

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0922/jc_140922_2708790439.html


9月23日(火曜日) レジュメ作成

 頼まれている講演のレジュメを作成。さらに、そろそろ後期の授業が始まるので講義レジュメも作成。慰安婦問題などをめぐる「朝日叩き」の異常な状況を、どの段階でどういう形で盛り込めばいいのだろうかと、しばし思案する。


9月24日(水曜日) バックアップ

 容量がほぼ満杯になるほど、パソコンにたまっていた資料記事や画像などのデータを、新しい外付けのポータブル・ハードディスク(HD)にバックアップ。500GB以上あるので移行するのに5時間ほどかかった。さらにあれこれデータをコピー。ものすごく面倒くさいけど、きちんとやっておかないと後で手痛いダメージを食らって、大泣きすることになるからなあ。疲れた。


9月25日(木曜日) 週刊金曜日に記事2本執筆

 週刊金曜日の9月26日号(同日発売)に、「痴漢冤罪の被害者高校教師が受けたさらなる不利益/免職処分取り消し確定も、横浜市教委が半年以上放置」を執筆しました(見開き2ページ)。裁判で処分が取り消されても、確定判決が速やかに履行されなければ意味はありません。横浜市教育委員会の誠実な対応が望まれます。ぜひお読み下さい。

 同誌の同号にはもう一つ、「市民向け専門誌『冤罪File』休刊惜しむ声も多く」という短い記事も書きました(巻頭の金曜アンテナ欄)。「冤罪File」の休刊がメディアで公式に報じられるのは、これが初めてだと思います。こちらも、よろしければご笑覧下さい。


9月26日(金曜日) 思い込みと裏付け取材

 藤沢市の子どもと教育を考える市民団体に頼まれて、学習会で話をした。国民の自由と基本権を国家が管理統制し、教育と情報とメディアを着々と支配する安倍政権の本性について解説する。メディアの危機的状況を、僕自身の経験も踏まえて具体的に話したのが一番受けたようだ。金曜日の夜なのにそこそこ集まってくれて感謝。終わってから居酒屋で懇親会。生ビールが美味しかった。

◇◇

 学習会の質疑応答で、「朝日の誤報問題の最大の原因は?」という質問があった。僕の回答は「記者の思い込みと裏付け取材をきちんとしなかったこと」。一見すると説得力がありそうで、書きたいことや訴えたいことの根拠となるような話が聞けたと思っても、それをそのまま記事にするのではプロの記者ではない。

 iPS細胞の森口講師の与太話(読売)にしても、自称作曲家の佐村河内氏の嘘八百(NHK)にしても、慰安婦の吉田虚偽証言にしても、記者の思い込みと取材不足が原因だ。すべての取材の基本は、複数の情報源からしっかり裏付けを取ることに尽きる。これは記者だけの問題でなく、普通の市民も同じだと思う。「情報を鵜呑みにせず、とにかくまずは真偽を疑ってみて、疑問に感じたらできる限り確認し、自分でも調べることが大事だ。事実をしっかり確認した上で、皆さんもネットなどで大いに発信して下さい」とアドバイスした。

 もう一つ。「今の政治や社会に疑問を感じている自分たちにできることは?」との質問もいただいた。これについては、次のようなことを話した。

 「まずは身近なところ(家庭や地域や学校や職場など)で、身近な人たちに話をして伝えてみて下さい。それから、いい記事はうんと褒めて、新聞社や放送局や出版社に『よかった』という応援メッセージを積極的に伝えてほしい。そういう皆さんの声が、取材現場で萎縮することなく自主規制もせず権力におもねらずに頑張っている記者を、孤立させないことになる。さらに記者にやる気と勇気を与え、次の仕事にもつながっていくのです」

 「市民の皆さんは特に朝日に対して、こういう時だからこそ取材を徹底し、安倍政権の問題点や安倍内閣と極右団体との癒着を追及する記事を、ひるまず大きく掲載するように促してほしい。そういう声を、たくさん伝えていくべきです」

 メディア(記者)と市民は本来は対立し反目するような関係ではなく、一緒に手を取り合って民主主義を育てていく存在であるべきだと思う。そのためにも、事実に基づいた批判や叱咤激励を大いにお願いしたい。心からそう願っている。


9月27日(土曜日) 火山列島で原発は無理

 御岳山の噴火の映像に自然の力のすさまじさを痛感する。火山が噴火したら、とにかく逃げるだけで精いっぱいだろう。それは今回の御岳山の噴火が十分すぎるほど証明している。そうなれば原発の対応なんてもちろんできるはずもない。大惨事に輪をかける事態となって、収拾がつかなくなるのは火を見るより明らかだ。火山も多く地震が多発し津波の心配もあるこの日本列島で、原発を稼働させることはそもそも無理なのだと改めて強く思う。


9月28日(日曜日) 書店の自由と出版社の責任

 神保町の書泉グランデが、拝外主義を煽る嫌韓本のPRをツイッターで発信したことを批判され、該当ツイートを削除し自社サイトでお詫びした。書店は多様な思想・信条・趣味の出版物を販売するのが仕事だから、特定の本を売るなとは書店には言えない。

 他者の人権を否定し冒涜するような内容の出版物が「思想」と言えるかどうかは疑わしいが、それでも書店には販売の自由がある。特定の本をオススメする自由も書店にはある。ただし、「他者の人権を否定し冒涜する主張」や「事実に基づかない排外主義を煽る本」を公然とオススメするような書店なのだなと、広く認識されることの覚悟と責任を持つ必要はあるだろう。

 問題なのはそんな本を出版する発行元だ。表現の自由・出版の自由はもちろんあるが、他者の人権を否定・冒涜し、差別や偏見や排外主義を煽ることに加担する行為に対し、それ相応の責任は引き受けなければならない。毒入りや腐った食品を堂々と市場に流通させた食品会社が、社会的責任を問われるのと同じだ。読み手の人格や尊厳も貶め、精神汚染を深化させる行為であることを、出版社側も認識すべきだろう。出版人としての誇りと責任を自覚すべし。

◇◇

 かつての書泉グランデは、2階の社会問題関係のフロアがものすごく充実していて、掘り出し物の本がたくさんあったんだよなあ。ところが数年前に店内が様変わりし、社会問題や教育問題の本が2階の書棚から一掃されたのだった。書店員さんに聞いたら「売れないから」との答えが返ってきて愕然としたのを思い出す。

 ええーっ、そりゃないよ。あれだけいい本がたくさん並んで充実していた本屋さんだったのに。そんな切なさと悲しさでいっぱいになった。あれから書泉グランデは、僕の中で「がっかり書店」の一つとなった。最近は神保町に行っても、買うべき本がほとんどないから書泉グランデには立ち寄らないなあ。


9月29日(月曜日) 朝日はなぜ「反撃」しないのか

 朝日はやっぱり萎縮(もしくは自己規制)してるのかなあ。「慰安婦問題は朝日が作った」「朝日の捏造が日本の名誉を貶めた」などと、極右やネトウヨによって事実と反する嘘八百がまき散らされているのに、どうして毅然と紙面で反論しないのか。安倍内閣の閣僚の多くが、在特会やネオナチなど極右団体と深く関係していることもなぜか報じない。

 事実に基づく取材を積み重ねた上で、1面と社会面で連日のように大々的に展開すればいいのに。というよりも、そもそも権力を監視する報道機関の役割を果たすためには、むしろ今こそしっかり報じるべきだろう。海外メディアは安倍内閣の極右勢力との関係を異常だと捉えて、きちんと報じているのだけど。

 先進国のまともな民主国家では、政権与党の政治家が極右勢力とツーショット写真を撮ったりしたら完全にアウトだ。ましてや選挙を応援してもらうなんて、政治生命が絶たれても文句は言えないだろう。暴力団幹部と親しくするのと同じくらい、あり得ない話だと思うのだが。朝日は萎縮せずしっかり報道すべきだ。そうでないと、リベラル護憲派の読者層からも見放されてしまい、それこそ取り返しがつかなくなってしまうぞ。

◇◇

 小泉純一郎元首相は「想定外とはいつでも起こりうることだ」と指摘した上で、「地震、津波、噴火も各地で起こる。日本は原発をやっちゃいけない国だ」と訴えた。その通りだと思う。

「御嶽噴火は想定外、だから原発はダメだ」小泉元首相(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASG9Y5DRLG9YUTFK00R.html


9月30日(火曜日) なんて卑劣で情けない脅迫

 大阪の帝塚山学院大に今月、元朝日新聞記者の教授の退職を要求する脅迫文が届いた(朝日)。札幌の北星学園大には今年5月と7月に、元朝日記者の非常勤講師を辞めさせろとの脅迫文が届いたという(毎日)。警察が威力業務妨害容疑で調べているが、いずれも「辞めさせなければ天誅として学生を痛めつける」などと記されていたそうだ。なんとも卑劣極まりない自称愛国者がいたものだ。情けないにもほどがある。本物の右翼や愛国者は、こういう卑怯者に対して真剣に怒っていいと思うぞ。

 いよいよ戦前のような澱んだ殺伐とした社会になりつつある。安倍晋三の言う「美しい国、日本」とは、こういう荒んだ空気が充満した世の中のことを指しているのかと合点がいった。

 【追記】元朝日記者の大学教員の解雇を求める脅迫に対し、北星学園大学学長名の「大学としての対応」が実に素晴らしい。もちろんこれが当たり前の対応なんだけど、毅然としない腑抜けた大学があるだけに真っ当さが際立つ。

 ▼「学問の自由・思想信条の自由は教育機関において最も守られるべきものであり、侵害されることがあってはならない。したがって、あくまで本学のとるべき対応については、本学が主体的に判断する」▼「批判の矛先が本学に向かうことは著しく不合理である」▼「本学に対するあらゆる攻撃は大学の自治を侵害する卑劣な行為であり、毅然として対処する」。賛同と応援の拍手を送りたい。

→ 北星学園大学(http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20140930.pdf


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