●「公益性」はき違えた神戸新聞●下種の勘繰り●ツイッターの仕様変更に困惑●模擬投票は主権者教育にあらず●「中国脅威論はナンセンス」●世論調査の正確性●点字ブロックなぜホームの端に●あからさまな選挙対策●酷すぎる沖縄への仕打ち●忘年会のはしご●主権者教育と大学の責任●「選挙対策」に騙されるな●自画自賛の独善独裁●「安倍だと不安」●教育を食い物●時代錯誤もはなはだしい●産経記者を持ち上げる前に●橋下流の詭弁と威嚇●今年一番のびっくり話●主権者教育と教育現場の苦悩●衆議院議員会館●参議院議員会館●夫婦別姓の最高裁判断にコメント●政権迎合が公正中立な報道か●言論報道の自由の危機●歴史から学び未来に生かす●神対応●脱原発が世界の趨勢●「内なる差別意識」と紅白●●●ほか
村上春樹さんが高校在学中に図書室で借りた本の書名を、神戸新聞が本人の承諾をとらず報道。日本図書館協会は「図書館の自由に関する宣言に抵触する」「プライバシーの侵害となる」との見解を示した。
神戸新聞の小野秀明編集局次長は「報道は公益性が高いと判断した」。なんだその説明は。村上春樹さん本人の了解を得た上で記事にすればいい話ではないか。「公益性」の意味をはき違えた開き直りが酷すぎる。メディアに関わる人間として、恥ずかしく情けない限りだ。
→村上春樹さん貸出履歴報道、プライバシー侵害、図書館協(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHCZ5Q4PHCZUCVL02R.html
◇◇ 「民主主義は手間がかかるシステムです。他人と対話をして、異なる価値観も受け入れなければならない。相手を理解するには、知識も身につけなくてはならない。これに対して全体主義は、みんなと同じことをオウムのように繰り返しているから楽だし、仲間にもなりやすい。そのうち、自分たちとは異なるものを軽蔑するようになります。そして他者を抑圧することを罪とは思わなくなる」(全体主義の芽を摘む/強制収容から逃れたボリス・シリュルニクさん)。きょう最も心に残った言葉。
→(1日付の朝日朝刊・オピニオン面のインタビュー記事から)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12094409.html?ref=pcviewer
アニメ作品に対する偏見だけで済む問題ではないよね。そもそも吹奏楽やオーケストラなど音楽全般に関わっている人たちすべてを罵倒し貶める、極めて品性下劣で悪質な妄言だと思う。もっと別の言葉で分かりやすく端的に言うと「下種の勘繰り」。
だいたい「響け!ユーフォニアム」というアニメに児童ポルノの要素なんて皆無だよ。高校の吹奏楽部を舞台に、真剣に練習する生徒たちの成長を描いた良心的な素晴らしいアニメ作品だ。ろくに調べもせず確認や裏付けも取らず、思い込みと偏見に基づいて一方的な言説をまき散らす。自分自身が品性下劣な劣情を抱いているからといって、他者も同類だと決めつける態度は許し難い(激怒)。
→「響け!ユーフォニアム」は児童ポルノ?アニメ評論家・久美薫さんの発言が物議(ハフィントンポスト)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/12/02/hibike-euphonium_n_8695530.html
きのう2日から突然ツイッターの仕様が変更された。「旧バージョンの対象ブラウザー(Safari)で最大限快適にご利用いただくために、ユーザーはmobile.twitter.comにリダイレクトされます」。一方的に(強制的に)PC版サイトからモバイル版サイトに転送される仕様変更に困惑。これまでPC版で何の不便もなく快適に利用できていたのに。
ユーザーの利便性や快適な利用環境の向上に役立つとはとても思えない。むしろ逆だ。これでは利用者のツイッター離れがさらに進んでしまうのではないか。そんな余計な心配さえしてしまう。以前のようにPC版が使える仕様に戻してくれるよう切望する。
◇◇ 「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」などと平然と述べる公共放送(実態は国営放送)のトップが、政権与党の聴取を圧力と感じるはずもないよなあ。そもそも自覚すらないという時点で完全にアウトだけど。
→NHK会長「圧力ではない」クロ現問題の自民聴取巡り(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHD35KCFHD3UCVL01G.html
◇◇ 「戦争と情報統制・情報操作」「権力によるメディアへの介入・圧力」をテーマにした授業に対する学生の感想から、以下抜粋して10人ほど紹介する。今回の授業はこれまでになく(これまで以上に)学生の食いつきや反応がよくて、僕もちょっとびっくり。人ごとではなく自分自身の問題としてとらえてくれたみたいだ。とてもうれしい。ジャーナリズムの講義であるとともに、中身の濃い「主権者教育」にもなったと思う。
学生の反応がいいと話をする側もやる気が出て奮起するというものだ。今回はいつにも増して打てば響く感じだったので、学生の感想や意見をまとめてみた。今現在のこの国の危機的状況を理解し、主権者としてぜひ自分の頭でしっかり考えて行動してほしい。
◇◇
◆メディアによる権力の監視がないと情報操作などをされ、自分たちの自由が否定される戦争につながる。事実に基づいた、自由と人権を守る報道は重要だと思いました。しかし特定秘密保護法などにより、そのような報道をする環境がなくなりつつあることに危機感を覚える。(経営3年)
◆ジャーナリズムの存在価値・役割について知ることができ、考え方や見方がちょっと変わってきたと思う。いろんな角度から物事を見るのはすごく大事だと思う。そういう力を付けていきたいと思った授業でした。(経営2年)
◆きょうの授業で、今の日本の現状がとても危ういことになっていると知り驚愕した。特定秘密保護法などがメディアで取り上げられていても、そこまで意識して見ていなかったが、私たちの生活が脅かされる可能性があるということを知り、自分の普段の関心のなさを改善しようと思った。(経営3年)
◆特定秘密保護法の範囲や基準がとても曖昧で、これではメディアの報道の自由を縛ってしまうと思うし、メディアが情報収集するのを制限され、その結果、私たち国民に影響を及ぼして、権力者が得をする。なぜこんな法律ができてしまったのだろうと思いました。(経済2年)
◆議会を無視するのも相当なものだが、安倍内閣は憲法すら無視している。国民の声にもあまり耳を傾けていない。情報を操作して、国民の意見を歪めてさえいる。国会が国民よりも上だと誤認しているのだろうか。国会は国民のために尽くす存在であるというのに。(経済4年)
◆今回の授業で、情報統制・情報操作の怖さが分かった。特定秘密保護法や盗聴法など、権力が動きやすくなる法案が作られているような気がする。私たちはこれらの動きに対して真剣に考える必要があると思う。(経済2年)
◆安倍さんの憲法無視は許されることではない。憲法は最高法規であるのだから、しっかり守ってほしい。でないと何でも許されることになってしまう。最近はイスラム国によるテロが目立つが、安保法案が可決されてしまった今、日本が今後巻き込まれないかとても不安だ。(経営3年)
◆「わが国」という主語で報道する恐ろしさがよく分かった。政府など権力者と国民を同一化し、政府と異なる国民の考えをつぶしてしまう危険性がある。特定秘密保護法は国民のためではなく、権力者のいいように使われてしまうものだ。法律は権力者のためではなく国民のために使ってほしい。(経済2年)
◆「わが国」という言葉を意識してニュースを見ることで、記者やディレクターはどういうスタンス・姿勢で報道しているのかが分かった。戦争がもし始まってしまったら、今の生活が否定され、今ある普通の幸せというものがなくなってしまう。本当に戦争はしたくないと思った。(経済2年)
◆いま当たり前にあるさまざまな自由が、戦争が始まることによってすべて奪われてしまうということは、考えていなかった。そういう面も含めて、改めて戦争は起こらない方がいいと感じる。(経済3年)
◆NHKは信じるけどネットは信じないという人が、自分の周りには多いです。NHKもネットと同じで、話半分くらいで聞いた方がいいと思って見ています。(経営3年)
模擬投票なんて「投票ごっこ」に過ぎない。そんなことをいくらやっても「主権者教育」になんかならないのに。立憲主義の意味を理解し、主権者としてしっかり判断できる力を身につけることこそが本当の主権者教育だ。高校生の政治活動(政党活動とは違う)も積極的にやっていいと思うよ。意見表明こそ政治参加の第一歩なのだから。
政治的中立が問題にされることが多いが、特定政党に偏ってさえいなければ、いろんな立場や見方を紹介した上で、教師が教室で個人的な考えや意見を披露するのは決して悪いことではない。それが押しつけでなければ何も問題はない。むしろそれが判断材料の一つになる。
そもそも自分の意見も言えない(言わない)教師など、信用できるわけがないではないか。大事なのは考えるための材料や判断するための材料を、多様に適切に示すことだ。事実に基づいて問題の本質に鋭く切り込むことこそが本当の政治的中立である。問題提起にもならず、毒にも薬にもならない当たり障りのない話をするのは、政治的中立でもなんでもない。ただの無味乾燥なのっぺらぼうだ。
横浜市内で小林節・慶大名誉教授の話を聞いた。「安倍首相が言う中国・北朝鮮の脅威論はナンセンスだ。中国や北朝鮮が日本に攻めてくることなどない。攻めて来ても優秀な自衛隊の精鋭部隊と専守防衛で対抗できるから何も問題ない。安倍首相の言うことは大嘘だ」と述べて、根拠のない危機感を煽る安倍政権とその取り巻きを徹底批判。その上で「安倍首相は退陣させるしかない」と繰り返し断言した。意気軒昂で容赦ない舌鋒。全く同感。
「安倍首相が恐ろしいのは、人間は個性的であってはならないと言うところだ。まるで北朝鮮ではないか。全身で怒りを感じる。安倍と闘うための政治論議をして、多くの人たちを選挙に行かさなければならない。これはわれわれの権利を守るための闘争だ」。相当怒っているのがよく分かった。
メディアの世論調査の結果について疑問の声をよく聞く。例えば「どうして安倍政権の支持率はあんなに高いのか」などなど。要因の一つとして、かつての調査手法や対象との違いが調査結果に大きく影響しているのではないか。僕も新聞社で世論調査を担当したことがあるが、以前は住民基本台帳から無作為抽出した上で家庭訪問し、直接面会して調査していた。しかし現在は固定電話にランダムにかけて電話で調査する手法が主流だ。
後者だと、自宅に固定電話を持たず携帯電話しか使わない若い世代は世論調査の対象外となる。つまりいつも家にいて、テレビのワイドショーを見ているような主婦や高齢者が調査の中心ということだ。もちろんある程度の雰囲気や動向はつかめるかもしれないが、社会全体の意見を正しくつかめているかというと疑問が残る。
しかも政権与党の広報か宣伝のようなコメントと解説を毎日繰り返し見聞きして、一方的な情報を刷り込まれている階層の回答がどうなるかは、今さら言うまでもないだろう。日がな一日中ずっとテレビを見ている人が際立って多い地域(例えば大阪など)は、テレビの影響は格段に大きいだろうなと容易に想像できる(これは調査手法の問題とはまた別だが)。
ちなみに首長選挙などの際の開票速報が極めて正確なのは、投票所から出てきた人に直接取材する出口調査が充実しているからだ。固定電話や携帯電話の有無に関係なく、まんべんなく話が聞けることで調査の正確性は全然違ってくる。期日前投票にも配慮しなければならないが、投票行動は出口調査でかなり把握できる。
お金も人員も手間ひまも比較にならないほどかかるが、どうせやるなら電話による世論調査よりも直接家庭訪問する面会方式の方がいいんじゃないか、と思ったりもする。だけどオートロックのマンションの増加や生活時間帯の激変などで、面会方式の世論調査は今はもう難しいのかなあ。
駅の黄色い点字ブロックはなぜホームの端っこにあるのか。目の不自由な人はとても危ない状態を強いられているのではないか。そんな問いかけを友人からされて、それまで自分が全く無自覚だったことに気付かされた。以前は駅のホームでは白線と点字ブロックは別々にあったが、今ではその2つは一緒になっている。
電車が駅に近付くと、「危険ですから黄色い線までお下がり下さい」とアナウンスが流れる。そういう危ないところを目の不自由な人に歩かせている。駅の点字ブロックを、せめてもう少しホームの中央の位置に。警告の点字ブロック(点状)と誘導の点字ブロック(線状)が併設されていれば、安全性はさらに高まるだろう。転落や接触防止のホームドアが、すべての駅に設置されたら申し分ないのにとも思う。交通機関各社のより一層の尽力が望まれる。
◇◇ 子ども時代に学べなかったが今は学ぶ意欲のある高齢者や、日本語などを学びたい外国人に義務教育の機会を。川口自主夜間中学などボランティア運営の自主夜中は全国に約300カ所あるが、公立の夜中は8都府県に31校しかない。公立の夜間中学増設に期待したい。「教育の原点」とも言える学びの場を超党派で支える動きは貴重だ。
→夜間中学増やそう、文科省動く、7道県が新設検討(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHCV5QJLHCVUTIL03N.html
なんて露骨なんだろう。政府与党による大々的な公開買収ではないか。国民がここまでコケにされるとは。あからさまな態度に唖然呆然。いったいどういう国なんだ日本って。
→年金受給者の3割に3万円、参院選前後、1250万人に(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHD76SDPHD7ULFA032.html
◇◇ これまた露骨で、あまりにも見え透いた選挙対策。問題の本質から目をそらせるための利益誘導と言ってもいい。「ディズニーは夢や平和の象徴」と言うのなら、まず米軍基地をせめて半減させればいいのに。本末転倒ではないか。
→「沖縄・宜野湾にディズニー誘致を」政府が協力を約束(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHD861Z3HD8UTFK00S.html
「AERA」の記事から。「連日のように機動隊による強制排除が続く。こんな場所が日本のどこにあるだろうか」。翁長雄志沖縄県知事「日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか」。
酷すぎる。沖縄県民の意思は選挙で何回も示しているのに、その民意を国が完全無視するなんて、この国が民主国家・法治国家とはとても思えない。しかも暴力と暴言によって堂々と市民を足蹴にする警察官や海保隊員たち。そもそも彼らは公僕ではないのか。これでは軍事独裁国家と変わらないではないか。情けないというよりも戦慄を覚える。
→「ブタ1名確保」「お前は犯罪者」辺野古でエスカレートする機動隊らの言動(AERA)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151208-00000006-sasahi-soci
夕方から先輩記者3人と東京・八重洲の居酒屋で忘年会。終了後、四谷のスペイン料理店へ。出版社の忘年会に少し遅れて参加する。赤ワインにフルーツをミックスしたサングリアとチーズが美味しかった。赤ワインがこんなに美味しいと思ったのはこれが初めてだ。続いて荒木町のスナックへ繰り出す。気付くと既に終電がない時間だったが、京浜東北線が人身事故で遅れたため、奇跡的に横浜に無事帰還。
約2カ月ぶりに髪の毛をカット。やや短めにしてもらう。すっきりした。
夕方から東京・池袋。主権者教育や政治教育を考える市民集会に顔を出す。「今の社会がどうなっているのか、教科書からは全然見えない。教師はそれを授業でどのように伝えるか」。少なくとも模擬投票なんかいくらやっても今の社会の矛盾や問題点は何も伝わらないし、若者をただ投票に駆り出す役割を果たすだけだ。制約の多い高校に対し、自由に授業ができる大学教員の責任は大きい。
いったい何をやっているんだという話だよなあ、と強く感じる。もっと社会や政治について鋭く切り込んで深く掘り下げて、興味や関心や問題意識や疑問や怒りを引き出すような授業をしろということだ。もちろん事実に基づいて説明し、いろんな見方や考え方や立場を紹介して、判断材料をたっぷり示すのが大前提なのは言うまでもない。
軽減税率の自公合意も、年金受給者への臨時給付金にしても、すべて選挙対策の党利党略そのものだ。本当に国民本意の政策なら、そもそも消費税率の一律アップなどせず、富裕層が金を使う贅沢品の消費税率こそ大幅にアップした上で、拡大する一方の格差を是正し、低所得者層の負担を改善するべきだろう。姑息で露骨。安倍政権の目先の選挙対策に惑わされて騙されてはいけない。
自画自賛。唯我独尊。独りよがり。傲岸傲慢不遜。聞く耳持たずの馬耳東風。独善独裁で強権。虚偽虚言強弁詭弁の常習犯。無知無教養だが無自覚。自分と身内には優しく他人には厳しい。時代錯誤のエセ右翼…。とりあえずこんな感じかなあ。まだまだ言い足りないけど。
自分の言動の何がどのように批判されているのか、そしてそれがどれくらい歴代内閣と比べて異常で、立憲主義に反し、主権者を裏切る反社会的行為であるのか。そういうことを安倍首相と取り巻きは、微塵も理解していない(理解できない)のだろう。度し難い低能ぶりだ。この国の主権者たる国民にとって悲劇そのものだ(喜劇でもある)。早くなんとかしないと。
→<安倍首相>「批判に闘志わく」政権運営に自信(毎日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151214-00000098-mai-pol
今年の漢字は「安」に。2位は「爆」3位は「戦」。戦争と武器輸出(原発推進も)に向かって暴走する「安倍だと不安」ということか。個人的には2015年の漢字は「戦」が妥当だと思うけど。
◇◇ 三重県の通信制高校で就学支援金が不正に受給されていた問題は、通信制高校そのものが悪いのではなく、資本の論理を前面に押し出す株式会社が、学校運営に踏み込んできたところに諸悪の根源がある。教育や医療は志が最優先されるべき分野であって、金儲けが目的であってはならないはずだ。学校法人や医療法人の領域に、企業(株式会社)を受け入れてはいけない。
もっともらしい「規制緩和」という言葉ほど、教育や医療の世界においてうさん臭いものはない。利潤追求の道具にしていいものと悪いものは、厳しく峻別されるべきだ。企業の参入に道を開き、教育を食い物にすることを許した国の責任は重大だ。
◇◇ 過剰反応ではないのか。「強いコシ 色白太目 まるで妻」という読み札が悪いそうだが、どこが問題なのかさっぱり分からん。僕は「色白太め」も好きだけどなあ。そもそもそんなのは個人の趣味であって、どうでもいい話じゃん。しょうもない「苦情」をいちいち相手にするなよ。
→「うどんかるた」読み札の内容に苦情、香川県、販売延期(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHDH5H53HDHPLXB00X.html
夫婦別姓を認めない民法の規定について、最高裁大法廷が合憲とする初めての判断を示した(15人のうち5人の裁判官は違憲とする反対意見)。Yahoo!ニュースの書き込みを見ると、「当然の判断だ」「別姓を主張してる奴らは気持ち悪い」といった意見があふれているのに驚く。何も「すべての人が一律に夫婦別姓にしろ」なんてことを言ってるわけでなく、同姓でも別姓でも「それぞれが好きなように選択できれば」と訴えているだけなのにね。
「日本の伝統文化を守れ」「感情論だ」「家族関係が壊れる」とか、まるで見当外れなネットの反応に呆れるばかり。あほくさ。そもそも夫婦同姓でも崩壊してる家庭など山のようにあるじゃん。同姓だろうが別姓だろうが、幸せな家庭や良好な夫婦関係とは必ずしも結びつかないんじゃないの。
ちなみにNHKの世論調査では、20代から50代までは6割以上が夫婦別姓に賛成し、60代は賛否半々、70代は7割が別姓に反対しているという。ネットで必死に夫婦別姓反対の書き込みをしている連中って、もしかして70代的な感覚や感性の持ち主が多いということなのだろうか。時代錯誤もはなはだしいし、自分以外の他者の苦悩や葛藤、あるいはさまざまな立場や心情に対する「想像力のなさ」が本当に情けない。
◇◇ 年内の授業はきょう16日で最後。年末までまだ半月もあるから「はやっ」と感じるけど、でも来週まで講義があったらそれはそれできついよなあ。そういう意味では早めに終わってくれて大いに助かる。学生も教える側も大学職員の皆さんも、たぶんみんなが「ありがたい」と思っているはず。
プロテニス選手のクルム伊達公子さん。「結婚相手がたまたま外国人だったことで、いろんな姓のあり方を知り、選ぶことができました。結婚する2人が考え、同姓にしたければする、別姓を名乗りたければ名乗る。それが理想だと感じています」(朝日オピニオン面「耕論・夫婦同姓合憲、でも…」から)。
まったくその通りだと思う。それぞれ好きなように自由に選んで決めればいいだけの話だし、自由に選べるような社会であるべきではないのですか、という実にシンプルな話だと思うけどなあ。
→http://digital.asahi.com/articles/DA3S12120435.html?ref=nmail_20151217mo
◇◇ 坂元和夫・元日本弁護士連合会副会長。「私には裁判官への無答責がその職業意識を弛緩させ、誤判を生み出すように思えてならない。裁判官にも一般の公務員と同様、国の賠償責任を認めるべきだ」「誤判をした裁判官は再任されるべきではなく、最高裁判事に任命されてはならない」(朝日オピニオン面「私の視点・相次ぐ冤罪、裁判官の責任問うべきだ」から)。同感。
→http://digital.asahi.com/articles/DA3S12120437.html?ref=nmail_20151217mo
◇◇ 韓国大統領の名誉を毀損したとして起訴された産経新聞の前ソウル支局長に対し、韓国の裁判所が無罪判決を言い渡した。うわさや憶測をもとに裏付けも取らず悪意のある記事を書くのは産経の常だし、公権力批判の記事を書いた記者を韓国検察が起訴し、韓国外務省は裁判所に善処を求め(つまり司法への介入)、その要請文を韓国の裁判所が法廷で読み上げるのも論外。どっちも気持ち悪いとしか言いようがない。
公権力を批判する言論の自由が最大限尊重され、名誉毀損罪など成立するはずもないのは、民主主義国家ならば当然のことだが、そもそも権力批判する報道やメディアに対し、政権が堂々と圧力をかけて恥じないのは日韓共通ではないか。産経記者を不自然と思えるほど手放しで持ち上げる前に、安倍首相とその取り巻きと安倍信者は、まずそこを大いに恥じて猛省しろよ。
大阪市長を退任して政界から引退すると表明している橋下徹氏だが、公党である「おおさか維新の会」の法律政策顧問を務めるというのなら、私人でなく「公人扱い」ではないのか。そもそも首相や大臣や国会議員や首長など政治家を経験した者は、少なくとも「準公人」として扱われて然るべき存在だと思うのだが。橋下氏が「これからは私人だからな」などと自分に都合のいいことをまくし立てているのは、批判や非難や追及を避けるために、メディアを威嚇し威圧し牽制しているとしか思えない。なんと身勝手で厚かましいご都合主義の「権力者」「公人」なのだろう。最後まで卑劣でカッコ悪い男だ。そもそもマスコミがまともに相手をするから図に乗るんだよ。
橋下市長の退任会見で、媚びたように愛想笑いをして、厳しい質問や追及をしようとしない大阪の記者たちの姿に、心から情けない思いになる(ため息)。記者としての矜持はないのか。恥ずかしくないのか。
◇◇ 横浜市内の喫茶店で、夫婦同姓の規定を合憲だと判断した最高裁と最高裁裁判官について、新聞社系週刊誌の取材を受ける。あれこれ1時間ほど話をしながら、自分自身の考えを改めて整理できたような気がする。
大学時代の友人宅で忘年会。集まったのは芸術家や編集者や現役裁判官ら6人。ワインや手料理をご馳走になる。ギターの即興演奏もあって楽しかった。
ところで現役裁判官によると、夏の暑い時期はネクタイもワイシャツもなしで、ランニングシャツの上に黒い法服を着て法廷に出ることがあると聞いてびっくり。マジか。女性はブラジャーの上に法服を直接まとう判事もいるのだという。冗談でなく本当の話だそうだ。そうだったんだ、知らなかったなあ。ぶったまげた(笑)。今年一番びっくりした話かも。
午後から横浜・関内の開港記念会館。「主権者教育」を考える学習会に顔を出した。このところ18歳選挙権に関する集会をいくつも取材しているが、きょうの学習会は飛び抜けて内容が濃く充実していて実に面白かった。「政治的中立」をめぐるさまざまな圧力と高校現場の苦悩、生徒や地域の反応、育鵬社の教科書を使っている中学教師の不安を訴える声など、どれも話が具体的かつ切実でとても勉強になった。
集会が終わってから、近くの中華料理店で忘年会。どの料理もなかなか美味だった。帰宅して「下町ロケット」(TBS)の最終回を見る。これまで溜めに溜めてきた鬱憤や我慢が、ここに来て一気に爆発し次々に大逆転していく展開は、お約束とは言えやはり気分爽快。自分の仕事に夢と誇りを持ち、それが多くの人のためになって社会にも貢献する。そんな「人としてあるべき生き方」がきちんと示されていて気持ちがいい。
午後から衆議院第一議員会館。「多様な教育機会確保法案」をめぐって、「不登校・ひきこもりを考える当事者と親の会ネットワーク」が21日、同法案の国会上程に反対する要望書を、超党派のフリースクール等議員連盟・座長代理の笠浩史衆院議員(民主党)に提出。議員会館での質疑や当事者の訴えなどを取材する。不登校当事者や保護者の切々と訴える声は心に深く響く。終了後、首相官邸の裏手(溜池山王)の居酒屋で「親の会」の人たちと忘年会。
午後から参議院議員会館。超党派のフリースクール等議員連盟の合同総会を取材。きのうの座長代理の笠議員の言葉と、きょう新座長に選任された丹羽秀樹衆院議員(自民党)、事務局長の林久美子参院議員(民主党)、下村博文・前文科大臣らの発言が、それぞれかなりニュアンスが違う。それがますます各方面に憶測や疑念を呼び、困惑を招いているようだ。
取材を終えてから新宿へ。大学時代の友人4人で、学生時代から通い慣れたいつもの居酒屋で忘年会。「抜群に料理が美味しい店」というのとは少し(かなり)違うのだけど、相変わらず及第点の味だった。しかも安い。
「サンデー毎日」の1月3日・10日合併号(発売中)の巻末記事「夫婦別姓禁止『違憲に非ず』最高裁の時代感覚」に、僕のコメントが掲載されています。とても短くて20行ほどですが。政権与党の印象が悪くなるような判断は下しにくい最高裁判事について解説しました。
テレビ朝日「報道ステーション」の古館伊知郎キャスターが来年3月で降板する。同番組にはいろんな評価があるが、そもそも政府広報のようなニュースを流すことが、公正中立で偏向しない報道なのだろうか。むしろ政治権力に切り込まないことこそ偏向だろう。事実に基づいて政権与党・政治家を厳しく批判し、政治権力に都合の悪いことを伝えるのは報道の責務だ。
少なくとも報ステは、主権者たる国民に判断材料を提供してきた数少ない番組の一つだと言っていい。政権与党の意向に沿った情報を無批判に垂れ流し、伝えるべきことを伝えず本質に切り込まないNHKや日テレやフジテレビ(言うまでもないが読売新聞や産経新聞も)などのニュースこそ、公正でも中立でもなく、主権者の利益を大いに損なっている。
公正で中立な報道とは「取材手法」と「伝える姿勢」のことを言う。多様な立場や考え方や見解を可能な限り聞いて、さまざまな見方を紹介するとともに、しかしそこから浮かび上がってきた問題点や矛盾や疑問については、事実に基づいて忌憚なく伝える。権力批判もその一つ。ジャーナリズムの基本だ。
政府与党に批判的な報道機関や、安倍政権に都合の悪いことを伝える番組に対し、官邸サイドが執拗に圧力と干渉を続ける異様な現状に強い危機感を覚える。それに伴ってメディアの側もじわじわと萎縮して、そろそろと自主規制を始めたように感じる。だがまだまだもっと耐えられるはずだし、耐えるべきだろう。
ジャーナリズムの看板を掲げるのであれば、毅然とした姿勢を貫き、圧力や干渉に断固抵抗し続けなければならない。何のためにだれのためにジャーナリズムの仕事をやっているのかと、メディア関係者の一人一人に問いただしたい。
◇◇ 主権者一人一人が自分の意思を明確に示すことが、何よりも大事だと改めて強調しておきたい。投票行動はもちろん、テレビ視聴や新聞購読の態度も同様だろう。見るに耐えない番組や政府広報のような記事には「とんでもない」という声を、逆に、優れた番組や考えさせられた記事には「よかった」という声を、放送局や新聞社や出版社にしっかりと伝えてほしい。
さらに付け加えると、いいもの(本や雑誌や食べ物も)に対してはきちんと対価を払って購入することが、提供してくれた人たちへの支持と支援になる。そうした具体的なバックアップがなければ、次にはつながらないのだから。
政治権力を監視し政権を厳しく批判するのは、ジャーナリズムとして当然の職務・職責だ。そんな当たり前の報道姿勢を示すだけで、反日・売国・極左・偏向などと名指しで非難罵倒される社会は異常としか言いようがない。政府広報のようなニュースを垂れ流す方がよほど主権者たる国民への背信行為だろう。
「報道ステーション」「NEWS23」「クローズアップ現代」などといった、ごくごく当たり前の報道を続けている番組が目の敵にされ、激しくバッシングされる異常さ。政権与党から執拗な攻撃と圧力を受け、キャスターやコメンテーターの人事はもちろん、番組の存続すら危惧される状況に晒されている。この国の言論報道の自由と民主主義の未成熟さに危機感を覚える。
◇◇ 何度も言うようだが、大事なことなので繰り返しもう一度。主権者である国民一人一人が声を上げて、新聞やテレビなどのニュースをチェックし、権力監視の役割を果たしていないメディアを批判するとともに、それと同じくらい、職責を果たしているメディアを支えることも必要だ。読者や視聴者から寄せられる激励の声は、良心的な記者・編集者・ディレクター・プロデューサー・キャスターを大いに勇気づけるから。
◇◇ 【おことわり】一昨日の12月23日付「身辺雑記」が抜けていたので、追加掲載しました。「サンデー毎日」の巻末記事に僕のコメントが載っている、というアナウンス(お知らせ)です。
「伊藤雅俊名誉会長が私に言ったんです。『中国をかつて日本は戦場にした。そして、多くの人が亡くなったのも事実だ。3代100年恨まれることをした場所で、ビジネスができることをありがたいと思うんだ』と。商品や接客の品質をさらに高めていく。そのことが、中国の人々がイトーヨーカドーを通じて、日本を理解することにもなると思います」──。
過去の歴史から学んで建設的な未来に生かすとは、こういうことを言うのだろう。社会的に責任ある企業としての理念や姿勢に共感できる。心から尊敬する。
→反日デモ、裏切りと思わない、ヨーカ堂・三枝中国総代表(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHDM7WNNHDMULFA00V.html
年末ギリギリに税務署に滑り込んで、たまっていた3年分の確定申告の手続きを終えた。対応してくれた税務署職員が実に親切丁寧で分かりやすくて(それでも僕にはまだチンプンカンプンの部分があったけど)、間違った記入や計算ミスなどを優しくフォロー。計算のやり直しや書類修正もやってくれた。大感謝。次回もこの職員さんに当たったらいいなあ。心からそう思う「神対応」だった。
◇◇ 慰安婦問題の決着で日韓合意。「日本政府は責任を痛感。安倍首相は元慰安婦に対して心からおわびと反省の気持ちを表明する」という。大日本帝国を完全に否定し決別した立場と思考の政権・首相ならいざ知らず、戦前体制に異常なまでに執着し、あわよくば戦前の国家主義体制や歴史観を「蒸し返そう」と試みる安倍政権が、「子孫に謝罪させない」とか「不可逆的解決」などと言えば言うほど、無反省と傲慢不遜さしか伝わってこない。
そもそも本当に過去の失敗を反省し、「心からおわびと反省の気持ち」を抱いている政治家が、国家神道を信奉し国家主義の再現を期待する靖国神社に、懲りもせず繰り返し参拝などするはずがないではないか。歴史に向き合って謝罪を続けるのは恥でも何でもない。むしろ信頼と敬意につながる。先祖返りのような時代錯誤の愚行を続けるのは、著しく「国益」に反するだけだと思うよ。
朝日新聞の朝刊1面記事から。「世界の風力発電施設の発電能力は4億キロワット超。原発を初めて上回った。発電コスト大幅低下が普及を後押し。この傾向が続けば発電量でも原発を超える可能性がある」──。
これが世界の趨勢だ。原発は建設する際も維持管理にも廃炉の段階でも莫大なコストがかかり、さらに稼働すればするだけ放射性廃棄物が大量に排出され続け、その処理や保管の目途は全く立っていない。しかもいったん事故が起きれば、取り返しがつかない甚大な被害と深刻な影響が長期間に及ぶ。経済効率からも安全性からも危機管理からも、あり得ない発電手段だ。
今さら言うまでもない話だけど、これほどまでに分かりやすい理屈を、いまだに理解していないボンクラが多すぎる。どこかの国の内閣総理大臣を筆頭に。福島原発事故の教訓から何も学ばず、おまけにこんな危ういものを輸出までしようとするなんて、狂気の沙汰としか思えない。
→風力発電能力、原発を上回る、世界計、発電量は3分の1(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12140034.html?ref=pcviewer
そもそも今の時代に、紅組と白組で分けることに違和感があるよなあ。多様な生き方の選択が社会的に認知され始めたなか、疎外感を味わっている人も少なくないだろうに。3時間ほど前にNHK教育(Eテレ)放送の「日本賞」で、「内なる差別意識」を深く考察するオランダ局製作の番組「キミの心の『ブラック・ピーター』」(グランプリ作品)を流していただけに、改めてなんだかなあと感じるNHK紅白歌合戦。
しかも紅白の審査員の紹介段階から、どれもこれもNHKの番宣だらけじゃないか(紅白に限らずいつも思うんだけど、あさイチやスタジオパークなど、ほかのNHKの番組でも同様だよね)。
ちなみに、オランダの放送局が作った「キミの心の『ブラック・ピーター』」は、日本社会の今の状況にも見事に当てはまる秀逸な内容の番組だった。映像を見ながらそして見終わってからも、たくさんのことを考えさせられた。知って、気付いて、声を上げて、行動し、議論する。気が遠くなるような道のりかもしれないが、いつか人も社会も変わると思わせる、そんな心に響くドキュメンタリー作品だった。