身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2015年2月1日〜2月28日

●日本国民の安全を脅かす安倍政権●「お前の責任だ、安倍」●議論が成り立たない安倍首相●裁判員裁判の死刑判決破棄は妥当だ●試験採点に四苦八苦●退席・棄権してもいいじゃないか●成績評価作業が完了●今期テレビアニメ評●裁判員裁判の恐怖と絶望感●萎縮し自粛してる場合じゃない●「戦後以来の大破壊」●現場の裁量と判断●ものが言えなくなる社会●偲ぶ会●格差拡大は明らかなのに●「核のごみ」対策もできないのに●やっぱり安倍首相は異常だった●「2分の1成人式」の無自覚●「珍三くん」野放しでいいの?●虚構と妄想と捏造の総理大臣●文民統制の否定に等しい●「被告人になる可能性」の視点●首相の「捏造ヤジ」許されるのか●東電と安倍政権の厚顔無恥●安倍政権の異常さを伝えない異常●「任命責任がある」なら辞めろ●●●ほか


2月1日(日曜日) 日本国民の安全を脅かす安倍政権

 「安倍政権を批判するのはテロ支援と同じ。テロリストを利するだけだ」などといまだに主張する声が大きいが、安倍首相の無責任な言動が日本国民の安全を脅かしているのは事実。ならば、そうした事態を危惧し政権批判をするのは当然ではないか。邦人保護の名目で自衛隊派遣まで検討しているのだから。

 人道支援を言うなら、文字通り人道支援に徹するべきだ。にもかかわらず、安倍首相は国際情勢を見極めずに、国内外で不用意な言動を繰り返す。そうした安倍首相の言動は、日本国民の生命財産を危険にさらすことに直結する。テロリストの蛮行は卑劣で決して許されないが、同時に安倍政権の愚行も強く批判する。

 後藤健二さんや後藤さんの母親を非難し罵倒し揶揄するような連中が、「日本政府はよくやった。安倍政権を批判するな」と主張する。その安倍首相は、テロ組織が日本人を標的にする口実を与える言動を振りまき、邦人保護を名目にした自衛隊派遣を画策し公言する。人質事件を「政治利用」しようとしているのは、いったいだれなのか。一目瞭然だろう。

 安倍首相や菅官房長官は「あらゆるルート、チャンネルを通じて交渉している」と繰り返してきたが、そもそも「ルート」や「チャンネル」がないのに、どうするというのだ。「テロには屈しない」「テロリストを許さない」と、お題目のように同じフレーズを唱えるだけで、相手と交渉や取り引きする道を自ら断ってしまった日本政府に怒りを覚える。

 日本人の拘束を2カ月以上前から把握しながら事態を放置し、そればかりか外遊先の中東では「イスラム国」を挑発し、しかもイスラエル国旗の前で演説する安倍首相の無神経さ。「人道支援をしているだけだ」などといくら説明しても、何ら説得力を持たないだけでなく、日本人をターゲットにする「口実」を与えるだけではないか。安倍外交のデタラメさと無責任さを厳しく問いたい。

 あろうことか、日本人の人質事件を「政治利用」し、在外邦人救出を名目にした自衛隊派遣を可能とする法整備に意欲を示す安倍首相は、国会答弁やNHKの番組でもそう公言してはばからない。ますます日本人の生命と財産が危険にさらされることになる。安倍政権の危うい姿勢に戦慄するばかりだ。


2月2日(月曜日) 「お前の責任だ、安倍」

 日本人の人質事件で、連帯の言葉は「アイ・アム・ケンジ」から「アイム・ノット・アベ」へ。そして日曜日の首相官邸前では、さらに突っ込んで「お前の責任だ、安倍」というメッセージが英語で掲げられたそうだ。東京地裁で出くわした知人の話。知人がそのメッセージを掲げると、外国メディア記者の多くが強い関心を示したという。共感する。全面的に支持する。

◇◇

 中東訪問中の支援表明について、「テロリストの思いをいちいち忖度して気を配り、屈するようなことは決してあってはならない」と安倍首相が参院予算委で答弁。その時点で既に日本人の人質事件を把握していたのに? 誘拐事件を捜査する際に警察だって当然、犯人の動向や心理状態を考慮して動くだろうに。相手を無神経にただ刺激するだけで、交渉する気がそもそもなかったんだ。

 やっぱり安倍首相はとんでもない馬鹿だった。馬鹿なだけならいいけど、そんな馬鹿が最高権力者として君臨し、この国をあらぬ方向に持っていこうとしている。沈没して致命的なダメージを被るのは結局…。

◇◇

 きょうの東京地裁はいつも以上にものすごく厳重な警備で、警備員の数が半端じゃなかった。入館ゲート前に20人以上が整列して待ち構えているのには、さすがに驚いた。正面玄関には制服警察官も多数。ピリピリ感がひしひしと伝わってくる。オウム元幹部の井上嘉浩死刑囚が証人として出廷したからか。僕は別件取材。

◇◇

 <日本人の人質事件を機に、テレビ局から野党党首まで、政府批判を「自粛」する動きがある。こうした政府・安倍政権批判を自粛する「翼賛体制」に抗する声明に賛同を>という趣旨の呼びかけが回ってきた。テレビ番組のキャスター、コメンテーター、作家、映画監督、俳優、言論・表現に携わる人々すべてが対象で、今井一さん、想田和弘さん、報道ステーションで政権批判をした古賀茂明さんらが呼びかけ人。2月9日夕方に参議院議員会館内で記者会見するそうだ。若輩ながら賛同させていただいた。


2月3日(火曜日) 議論が成り立たない安倍首相

 参院予算委で、共産党の小池晃議員「日本人が拘束されていると知りながら、そういう(ISIL=イスラム国=と戦う周辺諸国に総額2億ドルの支援をするという)演説をすれば、2人に危険が及ぶかもしれない」「テロに屈するということと、慎重に言葉を選ぶということは違う」。実に的確で真っ当な切り込みだ。

 この質問に対し、安倍首相「テロリストに過度な気配りをする必要は全くないんだろうと」「小池さんの質問はまるでISILに対して批判してはならないような印象を受ける」。まるで見当外れの答えで質問をはぐらかす安倍首相。小池議員の質問は筋が通っていて何もおかしくないと思う。安倍首相とはまともに議論も会話もできない(コミュニケーションが成立しない)のだ、ということが改めてよく分かった。

◇◇

 こういう言い方は失礼かもしれないが、「女性自身」ってこんな記事も書いて掲載するんだ。少し認識を改めた。本来の雑誌ジャーナリズムのあるべき姿。

→「選挙直前に日本人人質事件が発覚すれば選挙に影響が。事件が表沙汰にならないよう外務省が口止めしていた」「政府による後藤さんの救出活動に問題はなかったのか」。

後藤健二さん:外務省が妻にしていた「総選挙12日前の口止め工作」(女性自身)

http://jisin.jp/news/2667/8244/


2月4日(水曜日) 裁判員裁判の死刑判決破棄は妥当だ

 裁判員裁判の死刑判決を破棄した2件の強盗殺人事件の高裁判決を、最高裁が支持し無期懲役が確定した。いくら「市民参加」をうたった裁判員裁判の判決であっても、誤りがあればただすのは当然だろう。そのための三審制なのだから。もちろん職業裁判官にも公平でも公正でもない者が多数いるが、それは無作為の抽選で選ばれる裁判員にしても同じだろう。

 「事件に真剣に向き合い一生懸命に考えて出した結論なのに、それを裁判官が否定するなんて納得いかない」などと裁判員が言うのは、思い上がりで傲慢不遜にもほどがある。無罪判決がひっくり返されて有罪になったのとは訳が違う。「有罪とすべき証拠が示されていないので無罪とした」という判断であれば、推定無罪は刑事裁判の大前提となる基本原則だから、それこそ最大限尊重されるべきだ。しかし今回の場合はそうではない。

 死刑判決が破棄され、無期懲役に減刑されたのにはそれ相応の理由がある。極刑にするか否かの判断については、より厳密に厳格に慎重に吟味し、過去の量刑との整合性や公平性も考慮する必要があるのは当然ではないか。死刑の判断を言い渡すには、これまで積み重ねてきた一定の判断基準に従わなければならない。そうでなければ法の下の平等に反するだろう。

 そもそも裁判員裁判は否認事件だけに限るべきだし、裁判員の役割は有罪が無罪か、事実認定だけに限定した方がいい。さらに言えば、特に極刑の可能性があるような重大事件については、多数決ではなく全員一致で判断すべきだ。死刑という極刑の「量刑判断」を市民に任せること自体が、大きな間違いだし無理がある。

 裁判員裁判を続けるのであれば、制度そのものをもう一度しっかり見直すべきだ。「市民感覚」を生かすというのなら、被告人本人が冤罪だとして無実を訴えている否認事件についてのみ、有罪か無罪かを判断するのが理にかなっている。そしてできれば刑事事件だけでなく、労働事件や行政訴訟にこそ、市民の声を反映させるべきだと思う。

→【関連記事】「裁判員裁判の恐怖と絶望感」(2015年2月10日付「身辺雑記」)

◇◇

 「イスラム国」対策として2億ドルの支援を表明した「エジプト演説」の表現について、きょうも国会で質された安倍首相。「日本人2人の命が危機的な状況にさらされていて、きちっとその部分にも配慮をした言葉を選ぶことが必要だったのではないか」(民主党の細野豪志政調会長)との質問に対し、きのうと同じようにこの日も安倍首相は、「私たちが選んだ言葉が不適切であったとは考えていない。多くの国が戦っている。彼らに対して明確にその戦いを支援していく」と答弁した。

 なんて傲慢不遜なんだろう。細野氏は至極当たり前のことを聞いただけだと思うのだが、安倍首相はどうして素直に「稚拙な表現で配慮が足りなかった」と答弁できないのだろう。やはり安倍首相とは、まともな議論や会話が成立しないようだ。

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 そもそも、われわれジャーナリストはなぜ取材をするのか。現場で記者が取材することが真実の発見につながるからだ。そこで何が起きているのかを見て聞いて知らせることが、考えるための判断材料を示すことになると信じているからだ。それは内戦や紛争地域での取材だけに限らない。

 沖縄の辺野古の現場だって、ある意味では「戦場」だ。デモの現場も、福島原発事故の周辺地域も同じだろう。そこに記者がいなければ伝えられない情報を、記事や映像として伝えるのがジャーナリズムの仕事なのだ。もちろん事前の情報収集や安全確保を十分に準備して、その上で取材するのが大前提なのは言うまでもないことだけど。

(Re:お答えします)危険地域で取材、安全どう確認?(朝日新聞4日付朝刊・第2社会面)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11584952.html?ref=pcviewer

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 <安倍首相の責任や政府の対応のまずさを指摘したのは「報道ステーション」「モーニングバード」(テレビ朝日系)くらい。それ以外のすべてのニュース番組は「人命尊重」を錦の御旗に掲げ、一切の安倍政権批判を封印した>。危機的状況だ。

後藤さん殺害でも安倍批判禁止のテレビ各局…対イスラム国戦争参加を煽る番組も!(LITERA/リテラ)

http://lite-ra.com/2015/02/post-834.html


2月6日(金曜日) 試験採点に四苦八苦

 定期試験の採点が大量でなかなか終わらず、成績評価提出の締め切りを目前に四苦八苦。ほとんど飲まず食わずで徹夜が続く(パンをかじったり、ちょこちょこ仮眠したりはしてるけど、疲労困憊でぐったり)。おまけに教務課から、追試験問題の作成依頼が速達で届いて、さらに仕事が増える始末である。とほほ。


2月7日(土曜日) 退席・棄権してもいいじゃないか

 参院で日本人人質事件の非難決議を採択した際に、山本太郎議員が本会議場から退席し棄権した行為に批判の声が殺到している。しかし山本議員はテロを肯定しているわけではない。事件の検証が不十分だとした上で、ヨルダンによる「イスラム国」への報復を無批判に容認することに疑義を示したのには一理ある。みんなが同じ方向に向かう中で、たった一人だけが別の意見を掲げてもいいではないか。一切の異論を許さず排除する空気こそ、何よりも恐ろしい。


2月8日(日曜日) 成績評価作業が完了

 ようやく定期試験のすべての答案採点が終わった。出席平常点とレポート提出点を加味して、200人分の成績評価作業が完了。でもって採点簿にマークシートと手書きで、成績を転記ミスのないように緊張しながら記入し、1枚ずつ印鑑を押して速攻でポストに投函。提出期限ギリギリで滑り込みセーフ(たぶん)。ああ疲れた。今年はなんでこんなに大変だったんだろう。訳が分からん。


2月9日(月曜日) 今期テレビアニメ評

 【恒例の今期テレビアニメ評】どの番組もざっと5話あたりまで放送されたところで、恒例の「今期テレビアニメ評」。論外の作品は取り上げていません。

 ◎「神様はじめました◎」(テレ東)土地神となった女子高生の活躍を描く同作品の第2期。大地丙太郎監督の見せ方が今期も安定して楽しい。

 ◎「SHIROBAKO」(MX)アニメ制作会社を舞台に駆け出しの奮闘を描く群像劇。2クール目に入ってからも引き続き面白い。話の緩急やエピソードの展開も秀逸。これまでハズレ回が1回もないのは特筆に値する。

 ◯「四月は君の嘘」(フジ)バイオリニストのヒロインが入院し物語はいよいよ佳境に。切ない人間関係の描写も含めて、2クール目に入ってテンポが良くなってきた。

 ◎「幸腹グラフィティ」(TBS)友達と食べる食事の美味しさは格別、というのが基本テーマらしい。生活グルメアニメにもなっている。独特のくどい演出で知られる「シャフト臭」が抑えられているので見やすい。

 ◎「ALDNOAH.ZERO」(MX)火星開拓民が統治する帝国と、地球人との戦いを描くSF作品の第2期。権力をめぐる人間ドラマの描写が興味深い。

 ◯「クロスアンジュ」(MX)あまり深く考えずに深夜アニメを見る分にはちょうどいい感じ。2クール目はさらに娯楽色がアップ。

 ◎「夜ノヤッターマン」(MX)立場と視点を変えて見ると善悪や正義が逆転する。ヤッターマンが築いたヤッターキングダムは人々を弾圧し、ドロンボーの末裔が圧政に立ち向かうという設定。何とも切ない空気感に加えて旧作の懐かしさも漂う。何はともあれドロンジョが健気でかわいい。

 ◎「純潔のマリア」(MX)中世ヨーロッパを舞台に、とにかく戦争や争いごとが大嫌いな魔女マリアの葛藤を描く。戦争を放置しむしろ推奨する教会や天界の方針と、ことごとく対立するマリアの行動が波紋を呼ぶ。斬新な意欲作。

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 安倍政権が躍起になっている農協「改革」は、TPPを推進実現するための農協「解体」であり、民主党にほんの少し尻尾を振った農協幹部への「鞭」や「見せしめ」としか思えない。「歯向かうものは容赦しない」という安倍首相の刃が向けられるのは、沖縄だけではない。狂人が運転する暴走列車は、もはやだれにも止められないのか。

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 【おことわり】2月6日付から9日付までの「身辺雑記」を、まとめて更新しました。


2月10日(火曜日) 裁判員裁判の恐怖と絶望感

 裁判員裁判の死刑判決が二審で破棄されて無期懲役となったケースで、3件目についても最高裁が上告を棄却して二審判決が確定することになった。このニュースに対し、「国民を馬鹿にしている」「3人殺しても死刑にならないのか」「何のための市民参加か」といった見当外れで無責任な書き込みが、インターネットにはあふれている。

 いい歳した社会人と思われる人々のそんな発言の数々を見ていると、心底暗澹たる気分になる。こういう人たちも裁判員に選ばれる可能性があるんだなあ、と考えればなおさらだ。そしてこういう人たちが嬉々として、法廷の一段高いところから死刑を言い渡すことがあり得るわけだ。想像するだけでぞっとする。

 もちろんとんでもない人間がいるのは、職業裁判官でも裁判員でも同じなのは言うまでもない。だからこそ裁判はとりあえず三審制になっていて、判断に誤りがあれば法律と証拠に基づいてきちんと正す仕組みになっている。「市民感覚を生かす」ことが目的とされる裁判員裁判も例外ではない。

 三審制の仕組みについてはもちろん、刑事裁判の基本原則や死刑の判断基準さえ理解していないばかりか、他人を裁くこと(しかも極刑を言い渡すこと)の重大さや畏れを自覚していないような連中が、世の中には信じられないほど大勢いることがよく分かった。そんな連中が裁判員席に座ることの恐怖と絶望感を、インターネットの書き込みを見て改めて実感する。職業裁判官も相当酷いけど、彼らに比べたら、まだいくらかマシなように思わせてしまうから不思議だ。

→【関連記事】「裁判員裁判の死刑判決破棄は妥当だ」(2015年2月4日付「身辺雑記」)


2月11日(水曜日) 委縮し自粛してる場合じゃない

 旧来の街宣右翼とは違うネトウヨ系の自称愛国者が登場して久しいが、予備軍も含めてじわじわと増えているようだ。たぶん自分自身が「国家」を背負った気分でいることに、この上ない「居心地のよさ」を感じているからに違いない。

 明らかに当人の大いなる勘違いなのだが、しかし当の本人は大まじめだ。決して最後まで守ってなどくれるわけもない「国家」という幻影・幻想に、全幅の信頼を置いて忠誠を誓っているので、国家(政府)の発する言葉を何の疑いもなく信じ込んで、ひたすら盲目的に従ってしまうのだろう。

 国家主義を鮮明に掲げる安倍政権が相手だと、彼らはなおさら信じてやまない。安倍政権もそこのところを上手にすくい上げて利用しているように思える。全体主義、ナチス、国家神道、靖国神社といったものと同様に、まさに「カルト宗教と信者」のような関係ではないかと思われる。

 信じ切っている限りにおいては、彼や彼女らネトウヨは満たされており、そして「愛国空間」はとても心地のいい居場所(空間)なのだろうなあと推察する。別の言い方をするならば、国家に身を委ね、国家への帰属意識を高めることでしか、自己確認できない人が増えているのかもしれない。

 そんな時代だからなおさら、事実を伝えて考える材料を提供する教育とメディアの責任は極めて重大なはずだが、ここ最近は残念ながらどちらも期待できない厳しい状況だ。外(国家権力)からの圧力・管理統制と、内からの自粛や自主規制ばかりが目立つ。

 外からの「圧力」について言えば、安倍政権は、教育とメディアの重要性や影響力をよく分かっているから、執拗かつ狡猾に教育現場とメディアに対して干渉し圧力をかけてくる。安倍首相の頭の悪さは有名だが、安倍氏はこういうことに関しては、どういうわけか恐ろしいほどの「才能」を発揮するから始末に負えない。メディアも教育現場も、萎縮や自粛や自主規制なんかしている場合ではないはずなのだが。


2月12日(木曜日) 「戦後以来の大破壊」

 安倍首相の施政方針演説。嘘と欺瞞にまみれた言葉を並べ立てただけだった。大声を張り上げて宣言した「戦後以来の大改革」なるものは、どれもこれも「戦後以来の大破壊」としか思えない。


2月13日(金曜日) 現場の裁量と判断

 生徒からのメールの相談に応じた都立高校の教師が、メールの返信内容を問題にされて懲戒免職処分になった事案について、昨年7月から取材を続けてこのほど記事にした(「週刊金曜日」1月30日号ほか)。ちょうど取材が佳境に差しかかった昨年末に、埼玉県教育委員会が、教師と生徒との間のメールやLINEなどの私的連絡を禁止する通知を出した。

 教師は生徒にどこまで関わるべきか、教科指導や教室での対応だけでいいのか、生活指導や家庭環境に対するフォローなど、どこまでタッチすべきなのか。貧困家庭の生徒や虐待を受けている生徒への援助は、教師の仕事の範疇ではないのか。親身になって相談に乗るのはいけないのか。機械的な基準を設け明確な一線を引くことができないだけに、なかなか難しい問題だ。

 教育行政が杓子定規に一方的な規範を定めて通達を出し、現場に従順な姿勢を求め、指示命令に違反した教職員を処分するのでは、そもそも教育そのものが成り立たないだろう。今以上に管理統制を強化すれば、現場の士気はさらに低下するだけだ。生徒との人間関係や信頼関係が培われることもない。

 現場の実態や事情を何も知らず、書類の上だけで考えている役人や政治家たちが、根拠も説明もなく一方的に管理を強化して指示命令し、統制を強めて締め付けてくることが、何よりも現場を萎縮・疲弊させてやる気を失わせる。百害あって一利無しだ。大事なのは現場の裁量と判断を重視し任せること。現場で悩んで考えて相談して議論することが必要だ。

 記者と取材対象との関係でも同じことが言える。人間関係や信頼関係を築くためには、踏み込んだ付き合いをして親しくなることが欠かせない。その一方で相手が政治家や役人といった権力者の場合は特に、緊張感を保たなければならない。そこには超えてはいけない一線がある。

 しかし明確な基準や明文化されたルールがあるわけではなく、その一線は、それぞれの記者が状況に応じて自分自身で考えて判断しなければならない。一線を踏み越えてしまったら相手と一体化し、取り込まれてしまうことにもなるし、緊張感を失えば冷静で第三者的な立場で記事は書けない。葛藤と模索が続く。

 というようなことをあれこれ思案しながら、教育現場の問題は今後も継続して取材し、しっかり考えて伝えていくつもりだ。

◇◇

 それはさておき、一昨日あたりから鼻がむずむずして、くしゃみを頻発するようになった。ああ、やっぱり花粉が飛び始めたんだ。またこの季節がやってきた。やれやれ(ため息)。


2月14日(土曜日) ものが言えなくなる社会

 きょうの取材で心に残った言葉から。その1。「東京都教育委員会は不服従教員のあぶり出しをしている。心の中をあぶり出し、意思表示し発言する教員を、職場から排除しようとする。まさに民主教育の破壊そのものだ」。

 その2。「今の勤務校は職員会議で自由にものが言える。自由に議論ができる。教員生活の最後を最も幸せな職場で終えられそうだ。都立高校を卒業した娘にそう言ったら、お母さんは甘い、最後にどんな人事異動が待ってるか分からないよと釘を刺された。それほど都教委に対する娘の不信感は強いんだなあと改めて感じた」。

 その3。「裁判官の心の中は空洞化している。だから何でも受け入れて飲み込むし、何を訴えかけても何も感じないのだろう。法廷では裁判官にも教育するつもりで陳述しなければ」。どれも深くて含蓄がある。考えさせられる言葉ばかりだった。

◇◇

 よくぞここまでしっかり書いた。あっぱれだ「女性自身」。「イスラム国」との独自のルートを持つジャーナリストの常岡浩介氏「プロデューサーとも話しましたが『でしたらお帰りになってください』と言われて、僕はそのまま帰りました」。

 さらに続けて常岡氏。「テレビの自主規制ぶりにはびっくりしました。『(人質を)助けられたかも』というひと言だけでも、政権批判につながるから許さない、という方向になっているのではないかと感じます」。これでは戦前と何も変わらないではないか。該当するテレビ局は「報道機関」の看板を下ろして「宣伝広報機関」を名乗るべきだ。そうすれば、少なくとも国民を欺く詐欺行為ではなくなるから。

イスラム国報道でテレビ局が出演者に「安倍政権批判しないで」(女性自身)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150212-00010004-jisin-soci


2月15日(日曜日) 偲ぶ会

 昨年8月に49歳で亡くなった岩路真樹さん(テレビ朝日映像)を偲ぶ会 in 横浜を、野毛の中華料理店でささやかに開く。10数人が集まって餃子を大量に平らげながら、にぎやかに騒いで故人を偲んだ。その後はいつものように近くの沖縄料理屋へ流れて、泡盛を飲んで管をまいた。


2月16日(月曜日) 格差拡大は明らかなのに

 富裕層の消費活動の活発化によって、GDPが押し上げられているという。2千万円の高級車が飛ぶように売れ、1億円を超える超高級マンションも瞬時に売り切れる。その一方で進学もできない貧困家庭の子どもたちや、わずかな所得で働く非正規雇用労働者が着実に増加している。格差が拡大しているのは明らかだ。

 そしてきょうもまた国会答弁で、あり得ない嘘とデタラメを振りまく詭弁を、平然と繰り返す安倍首相。「格差が許容できないほど拡大しているという意識変化は確認されていません。誰にでもチャンスがある。頑張れば報われるという社会の実現に向け、尽力してまいります」。到底そうは思えない現実しか見えてこない。

高級車と「軽」は販売好調「消費の二極化」の実態(TBS)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2420960.html


2月17日(火曜日) 「核のごみ」対策もできないのに

 日本学術会議が、原発から出る「高レベル放射性廃棄物」(核のごみ)を、原則50年間は地上で暫定的に保管する施設を設置すること、原発の再稼働や新増設の際は暫定保管施設の設置を前提とすること、などの提言をまとめた。つまり「核のごみ対策を原発再稼働の条件にせよ」ということ。至極もっともな提言だ。

 「トイレを作らずに家なんか建てるな」という実に当然の提言ではないか。原発を動かせば動かすだけ高レベル放射性廃棄物(核のごみ)が大量に排出され、そんな危険きわまりないものを1万年以上も保管し続けなければならないのだから。核のごみ対策もせずに原発を再稼働しようとする、あまりに無責任過ぎる政府と電力会社の姿勢を、科学者集団が厳しく戒めた格好だ。そもそも核のごみを1万年も保管し続ける能力なんて今の日本にはないし、地震大国の日本で安全に保管できる場所などない。

 これに対し、世耕弘成官房副長官は「原子力規制委員会が基準に適合すると認めれば政府は再稼働を進める」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返すばかり。「うんこの後始末もできないのに原発の再稼働なんかするんじゃない」と指摘されているのに、こんな的外れな答え方しかできないとは。安倍政権の面々は本当に馬鹿ばっかりだ。まったくどうしようもない。


2月18日(水曜日) 労働意欲が減退

 花粉症の鼻炎薬を飲むと眠くてたまらないし、労働意欲が著しく減退する。取材も空振りだった。今のところ三振ではなく、まだスリーアウト・チェンジにはなっていないけど。


2月19日(木曜日) やっぱり安倍首相は異常だった

 きょう19日の衆院予算委で、農水相の砂糖業界からの献金問題を追及する民主党議員に対し、首相席から「日教組!日教組!」と質問内容と全く関係のない、意味不明のヤジを執拗に飛ばし続けた安倍晋三。常軌を逸しているというか、もはや異様としか言いようがない。

 それだけではない。国会本会議の代表質問では野党の党首が質問している最中に、答弁原稿を声を出して練習するという光景も見られた。それも16日、17日と連日だ。答弁原稿に赤ペンを入れるのなら分かるが、本会議場の首相席で声に出して原稿を読む練習なんて普通はしないだろう。そんな安倍首相の尋常ではない振る舞いが、インターネットの世界だけでなく、大手メディアでもようやく話題になり始めた。

 だからずっと言ってるじゃないの、安倍首相は狂人なんだって。心身ともに異常で恐ろしく頭が弱い幼児みたいな男が、この国の最高権力者の総理大臣をやってるんだってば。そういう首相が過半数の国民に支持されているという現実にぞっとする。頭のおかしな正真正銘のネトウヨがこの国のトップに君臨し、すべての国民の命運を握っているという信じ難い状況。たちの悪い冗談だと言って笑っているだけではもう済まない。

◇◇

 何の配慮も気遣いもフォローもなく、「2分の1成人式」なるものを当たり前のように推進する教育行政も、そしてそれを疑問に感じることすらなく平然と実施する学校や教員も、およそ教育に携わる人間としての資質を疑う。教育者失格としか言いようがない。彼らの眼中には「健全で恵まれた家庭」しかないのだろう。

 学校にはいろんな家庭環境の子どもたちがいる。教育行政や政治家が言うところの「健全」で「恵まれた」家庭ばかりではない。そういう家庭環境の子どもたちへの想像力が決定的に欠けている。役人や政治家の貧困な発想は度し難い。現場の教員も教室でいったい何を見ているのだろう。学校で教科として教えようとしている「道徳」も根っこは全く同じだ。

「名前の由来」「昔の写真」必要か? 2分の1成人式(内田良・名古屋大学大学院准教授)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20150219-00043157/

 【追記】それぞれの家庭内で判断して「2分の1成人式」をやる分には、それはそれでもちろんいいと思う。これまでの10年間を振り返って、家族の絆を深めることにつながるのなら結構な話だろう。問題なのは、学校という公の場所で一律に、有無を言わさず、子どもたちのプライベートをさらけ出させてしまうことだ。その無自覚ぶりとデリカシーのなさに愕然とする。

 虐待されている児童や、親子の関係が上手くいっていない家庭や、あるいは養子や連れ子といったケースも、最近では決して珍しくないのだから。みんながみんな絵に描いたような、非の打ち所のない「文部科学省推奨モデル」のような家庭ばかりではない。そんなことすら想像できないのだとすれば、教育委員会も現場の教師も馬鹿ばっかりとしか言いようがない。(2015/02/20)


2月20日(金曜日) 「珍三くん」野放しでいいの?

 安倍晋三首相の常軌を逸した言動については、馬鹿だとか幼稚だとかのレベルを、はるかに超えた領域に入った気がする。明らかに精神に異常を来たしているとしか思えないので、自分の言動の異様さや影響の大きさに気付くことはないだろう。諌める(引きずり下ろす)人間が周囲にいないとすれば、この国の悲劇としか言いようがない。

 そんな「珍三くん」の支持率がどういうわけか50%以上の高さを維持しているのは、残念ながらその国の国民にふさわしい政治家しか存在しない、ということなのだろうか。それにしてももういい加減に、主権者たる国民はこの国のトップの異常さに気付いてもいい頃合いだと思うのだが…。このままでは、いくらなんでもあんまりだ。絶望的な悲惨な未来しか思い浮かばない。

 【おことわり】きのう2月19日付「身辺雑記」の「2分の1成人式」の文末に、追記を掲載しました。


2月21日(土曜日) 虚構と妄想と捏造の総理大臣

 とんでもない捏造陳述書が裁判所に提出されているのを発見。この後の裁判で証人が尋問された時に「実は」と暴露するのか、あるいは保身に走って迎合してしまうかによって、展開が大きく変わってくることになる。前者なら半沢直樹張りの「百倍返し」に。後者なら「やっぱり正義は勝てない」という結末に。はてさてどうなることやら。

 それにしても、どうしてこれほど事実と異なるデタラメな陳述書が…。圧力に屈して意に反する形で署名し提出せざるを得なかったにしても、あまりに酷いパワハラに震撼する。このままだと、この捏造文書が裁判記録として残ってしまうわけで、速やかに対処すべきだと個人的に(取材記者としても)強く思う。

 どの事件のどんな裁判なのかという説明が現時点では一切できないので、この文章を読んでいる人は何のこっちゃか全く分からないと思うけど、なるべく近いうちにきちんと記事にはするつもりなので。とりあえず、不得要領で意味不明の「予告編」ということでご理解下さい(ぺこり)。

◇◇

 国権の最高機関である国会の場で、ヤジでも答弁でも、事実に反するでっち上げ発言を堂々と繰り広げる総理大臣っていったい…。安倍首相が「日教組!日教組!」と意味不明のヤジを飛ばしたことについて、翌日の国会で説明した内容がこれまた事実に反する捏造だったという。

 国会の場で根拠のないデタラメのヤジを飛ばし、そのヤジの説明も虚構と妄想に基づくでっち上げだったとは。こんな人物がこの国の内閣総理大臣だなんて、信じ難いしあり得ないし恥ずかしい。情けなさ過ぎる。末期症状だろう。

安倍首相のヤジ説明、民主議員が撤回要求(JNN=TBS)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150221-00000051-jnn-pol


2月22日(日曜日) 文民統制の否定に等しい

 東京新聞が22日付の1面トップで報じた。きょう最も衝撃を受けたニュース。戦前の軍国主義の台頭を反省し、軍隊や軍人の暴走を制御するためにできた基本原則である文民統制(シビリアン・コントロール)を、否定するに等しい。

 制服組の自衛官よりも文官(背広組=官僚)が優位となっている現状を転換し、制服組(軍人)が主体となれば、文民(政治家)と制服組が一体化し、暴走に歯止めが利かなくなる恐れが高まる。文民統制(シビリアン・コントロール)の有名無実化につながりかねない。自衛隊OBや自民党タカ派政治家の思惑通りの状況が、着々と整えられつつある。安倍政権の暴走は止まらない。

「文官統制」廃止へ法案、制服組、立場対等に(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015022202000139.html


2月23日(月曜日) 「被告人になる可能性」の視点

 裁判官あるいは裁判員も、自分が「被害者になる可能性」を考えることはあっても、「自分が被告人席に立つ可能性」についてはまず考えようとしない。もしかしたら無実の罪で誤認逮捕されるかもしれないし、例えば交通事故などの不測の事態で加害者になることだってあり得る。決して他人事ではない。そんなほんのわずかな想像力があれば、「推定無罪」に徹した判断をおのずとするようになるのではないか。

 裁判官や裁判員だけでなく一般市民も、そして事件を取材し伝える僕自身を含めたメディアの人間も、「もしかしたら自分が被告人席に立つ可能性もあるかもしれない」といった視点と想像力を働かせて、事件やニュースに向き合うべきだと心から思う。「逮捕イコール犯人」ではないし、検察が有罪を立証できなければ、被告人は無罪とするのが刑事裁判の基本原則であるはずだ。しかしそれは実際の裁判で実践されなければ意味がない。

 「もしも自分が(冤罪で)被告人席に立たされることになったら」と考えれば、推定無罪の基本原則は、少なくとも今よりはもっと当たり前のように実践されるだろう。検察が不十分でいい加減な証拠しか示さず(示せず)、きちんと有罪の立証ができなければ、裁判官や裁判員は迷うことなく、ごく自然に無罪判決を言い渡すようになるのではないか。


2月24日(火曜日) 首相の「捏造ヤジ」許されるのか

 総理大臣が国会で答弁席から「日教組!日教組!」と意味不明のヤジを繰り返すこと自体が、そもそもあり得ないし異常としか言いようがないが、さらにそのヤジの内容を説明する答弁が事実無根の捏造デマだったなんて、これほどふざけた話があるだろうか。でっち上げの名誉毀損を国会の場で堂々と展開しながら、訂正や陳謝で済む話ではない。

 しかも安倍首相本人は、自分が答弁中にヤジられると激しい口調でヤジの主を非難し、「テレビをご覧の皆さん見て下さいよ」などと呼びかけて野党を批判している。その一方で自分自身は、質問内容と全く関係ない事実無根のヤジを平気で繰り返す。こんなデタラメな総理大臣がかつていただろうか。前代未聞だ。

 木材加工会社や砂糖業界から多額の献金(寄付)を受け取って辞任した西川公也農水相はもちろん論外だが、そんな人物を任命し擁護し続けた上に、国会で事実無根のヤジまで飛ばした安倍首相こそ真っ先に辞任すべきだ。昨秋の小渕優子経産相と松島みどり法相に続いて、辞任した閣僚はこれで3人目。その度に「任命したのは私で、任命責任は私にある」と繰り返す安倍首相。「任命責任は私にある」と陳謝してそれで終わりなんてあり得ない。主権者たる国民をなめ切っている。


2月25日(水曜日) 東電と安倍政権の厚顔無恥

 高濃度放射性物質の流出を10カ月以上前に把握しながら、対策も公表もしていなかった東京電力が論外で信用できない組織なのは言うまでもないが、世界中に向かって「福島原発はアンダーコントロール」などと嘘八百をまき散らした安倍首相と同じように、菅義偉官房長官も「状況はコントロールされている」と平然と述べたのだとさ。あまりの厚顔無恥ぶりに呆れ果てる。

 しかも東電が流出の事実を公表しなかったことについて、菅官房長官は「放置したわけではない。原因を調査して、ようやく判明したのですぐ対応した」などと臆面もなく説明する始末。驚くべき癒着ぶりだ。東電と安倍政権は見事に一心同体で、国民に目が全く向いていないことが改めて明白になった。「ああまたか」とか「やっぱりね」といった感想で済ますことなく、この怒りをしっかり持続させなければと思う。

福島汚染水流出、菅官房長官「法令濃度より低い数字」(毎日)

http://mainichi.jp/select/news/20150226k0000m010028000c.html

◇◇

 痛烈なパンチだな。しかし的を射ている。さすが日刊ゲンダイ。容赦ない(笑)。

→<安倍首相は昨年2月に国会で「ある夕刊紙は私を毎日『人間のくず』と報道している」と答弁。恐らく日刊ゲンダイ本紙を指したのだろうが、これもデマだ。本紙は安倍首相を「ボンクラ」「嘘つき」と評したことはあっても、創刊以来「人間のくず」と報じたことは一度もない。>

日教組ヤジは氷山の一角、安倍首相こそ「息吐く様に嘘つく」(ゲンダイ)

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157480/3


2月26日(木曜日) 安倍政権の異常さを伝えない異常

 国民をなめ切った安倍政権のあまりに酷い振る舞いの数々。1)国が率先して珊瑚を損傷し環境破壊する、2)沖縄県民の民意を無視し暴力を振るって弾圧を正当化する、3)閣僚が利権団体から寄付という利益供与を受けても開き直って首相自ら擁護する、4)違法性はないと言いつつなぜか閣僚が次々に辞任する、5)首相が国会で堂々と意味不明の捏造デマのヤジを飛ばす、6)福島原発の惨状にまともな対策も取らず平然と原発を再稼働しようとする、7)高濃度放射性物質が流出しても公表せず「状況はコントロールされている」と言い続ける。どれもこれも内閣総辞職に該当する案件ばかりだ。もちろんこのほかにももっとたくさんある。

 それでも平然としていられる安倍政権と、それを黙って見ているこの国の多くの有権者たち。異常としか言いようがないが、間違いなくメディアの責任は果てしなく大きい。安倍政権の広報機関のような一部テレビ局と公共放送と最大部数を誇る新聞が、伝えるべきことを伝えないから、どれだけ酷いことが行われているか判断できない(判断しようがない)のだ。

 この国のメディアの少なくとも半数は、残念ながら、果たすべき責務(職責)を全くと言っていいほど果たしていない。権力を監視してその結果を余すことなく有権者に伝えないメディアは、ジャーナリズムとしての責任を放棄したに等しい。それでは報道ではなく広報・宣伝だ。「伝えない」というのは国民に対する重大な裏切り行為である。

◇◇

 きょうの法廷取材で、印象に残った言葉から。「東京都教育委員会は学校現場とよく話し合って問題解決に努力すべきだと、最高裁はかつて補足意見を付けた。ところが都教委はこうした声に全く耳を傾けず、どんな裁判でも裁判所の判断が出るまで徹底して争う。そのことで現場の教員がどれほど疲弊し萎縮していることか。生徒のためにもよくない。都教委はあまりに理不尽で、権限の乱用が過ぎる。現場の教員の苦悩がどれほど大きいかを勘案して、裁判所はしっかり判断してほしい。裁判所は司法の役割を果たしてほしい」(行政訴訟の原告側弁論)

◇◇

 冤罪事件の弁護側主張から。「刑事裁判の原則は、いうまでもなく被告人が犯人であることに合理的な疑いを差し挟む余地のない程度にまで、立証がされなければ有罪とはできないという点にある。客観的事実との齟齬、矛盾がないかどうかを検討すれば、被告人が無罪であることは容易に明らかになるはずだ」(控訴趣意書)


2月27日(金曜日) 「任命責任がある」なら辞めろ

 西川公也農水相(辞任)に続いて、下村博文文部科学相、望月義夫環境相、上川陽子法相の違法献金問題が発覚。不正と疑惑だらけの安倍利権ドミノはとどまることを知らない。ところが衆院予算委員会で、「安倍政権はカネまみれ政権だ」との野党議員の追及に、安倍首相は「少し言葉には気をつけた方がいい」と反論。何を言ってるんだ開き直るなよ。カネまみれそのものじゃん。

 主権者たる国民を愚弄するにもほどがある。「任命責任がある」と馬鹿みたいに同じことを言うのならさっさと辞職しろ。責任を取るとは辞職するということだ。何回でも繰り返してしつこく書くけど、安倍政権は本当に史上最低の内閣だな。前代未聞の厚顔無恥内閣だ。異常というより異様。

◇◇

 東京・秋葉原の蕎麦屋で都立高校の先生たちと飲み会。さんざん飲み食いした後の締めで、大盛りの盛り蕎麦を2枚半も平らげる某先生の姿には驚嘆した。蕎麦をおかずに白飯を食べるという話にもびっくり。ラーメンにライスやチャーハンだとか、お好み焼きにライスは知ってるしよくあることだけど、蕎麦にライスとは初耳だ。世の中は広い(笑)。


2月28日(土曜日) 終電で

 東京・新宿三丁目で裁判員経験者や司法記者らと飲み会。居酒屋を2軒はしごしたけど、きょうは二丁目への繰り出し組には着いて行かず、ちゃんと終電で帰ってきたぞ(苦笑)。早朝まで(始発まで)飲むのはさすがにきつい。終電で帰れてよかった。


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