身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2015年8月1日〜8月31日

●東電幹部の強制起訴は当然だ●戦争に行きたくないじゃん●「誤解」でなく本音だろ●読売は安倍政権の宣伝広報紙●育鵬社の教科書は「公民」こそ問題●原爆投下から70年の日に●不誠実すぎる安倍首相●育鵬社の異常さなぜ指摘しない●長崎でも民の声が響く●福島から何も学んでいないのか●クーデター政権は許されない●日航機墜落30年目に合掌●「伝えること」と「橋渡し」●政府には謝罪を続ける責任がある●天皇陛下から安倍へ「痛烈な批判」●天皇陛下に尻拭いさせるな●反省も謝罪もしたくない安倍首相●残暑見舞い●滅茶苦茶じゃん●安倍政権の屋台骨を支える読売●書類を大量処分するも●なぜ歴史・公民だけ現場の声を無視●消火も避難もできない米軍基地●国会中継をぶった切ったNHK●NHK職員は発言し行動せよ●ますます酷くなるNHKニュース●学校なんか行かなくていい●目立ちたいだけストーカー橋下維新●細田守監督アニメ「バケモノの子」●戦争法案反対は日本の常識だ●複雑で微妙●●●ほか


8月1日(土曜日) 東電幹部の強制起訴は当然だ

 福島第一原発の事故をめぐり、東京第五検察審査会が、東京電力の勝俣恒久・元会長ら旧経営陣3人について、業務上過失致死傷罪で起訴すべきだとする議決(7月17日付)を公表した。東京地検は2度にわたって不起訴としていたが、検察審査会が2度目の起訴を議決したため、強制起訴されることになる。

 東電幹部の責任は明白だ。東京地検は「津波による事故は予見できなかった」として不起訴にしたが、そんな馬鹿な話があっていいはずがない。東日本大震災が起きる3年も前に、政府の研究機関や東電自身が大津波の可能性に言及し、さらに国会でも大津波発生の危険は指摘され、東電幹部はそうした事実を把握していたにもかかわらず、適切な対応を取ろうとしなかったのだから。

 「危険は予見できなかった」などという屁理屈が通用するわけがない。原発の安全確保よりも経営効率を優先し、大地震や津波対策の費用をケチってサボタージュした結果、重大事故を招いたのは明らかだ。原発事故は不作為による人災であり、東電幹部の起訴は当然である。

 検察審査会は、公権力(検察)の職務怠慢をただし、作為的・不適切な不起訴処分を是正して、市民の判断で強制的に起訴する制度だ。警察官や政治家、大企業幹部など、公的地位にある容疑者を検察が不起訴にした時こそ、市民が異議を唱える唯一の手段として、最大に威力を発揮する制度と言っていい。今回の検察審査会の判断は道理にかなっている。国民の意思そのものだ。


8月2日(日曜日) 戦争に行きたくないじゃん

 「だって戦争に行きたくないじゃん」というのは、人としてごく普通の考えに基づく。自分自身や身近な個人を国家よりも大切に思うのは、至極当たり前で当然の考え方だ。傲慢不遜で身勝手な国家主義がここまで蔓延したのは、安倍ネトウヨ政権の歪んだ歴史観や極端な愛国思想のせいだろう。

 安保関連法案(戦争法案)に反対する学生団体を、ツイッターで「自分中心で極端な利己的考えに基づく」などと非難した自民党の武藤貴也・衆院議員(36歳)=滋賀4区=のような典型的なネトウヨが、公の場に存在していること自体が非常に残念だ。


8月3日(月曜日) 「誤解」でなく本音だろ

 参院特別委に参考人として招致された礒崎陽輔首相補佐官「私の軽率な発言により審議に多大な迷惑をかけたことをおわび申し上げる」。「審議に迷惑をかけたこと」を陳謝するのか。法の支配と立憲主義を蹂躙した姿勢そのものを国民に謝罪しろよ。「大きな誤解を与えて大変申し訳なく思う」。「誤解」などではなく本音なのはみんな分かってるよ。

 首相補佐官の愚劣でみっともない言い訳。主権者たる国民を愚弄する安倍独裁政権の姿勢そのものと、安倍首相の任命責任こそが問われる。即刻更迭するだけでは済まない大問題だ。

 今回の磯崎首相補佐官の参考人質疑も、NHKは生中継しなかった。安倍首相が出席し答弁しなければ中継する意味はないと考えているのだろう。あるいは、見せたくない場面はなるべく生放送では見せない(生放送だと編集できないから)。秘密保護法や衆院特別委での安保関連法案(戦争法案)の強行採決と同様。NHKは公共放送としての役割を自ら放棄している。事実上の国営放送・政府の広報機関と言っていい。恥を知れ。


8月4日(火曜日) 読売は安倍政権の宣伝広報紙

 きょう4日付の読売の社説「安保法案審議、徴兵制導入は飛躍した議論だ」が酷い(いつも酷いけど)。礒崎陽輔首相補佐官の発言と安倍政権の主張を擁護した上で、「徴兵制導入はあり得ない、政権批判は的外れで論理飛躍で時代錯誤だ」と断言した。法的安定性が確保されなければ、内閣が好き勝手に憲法解釈変更できるようになるのは自明の理ではないか。徴兵制導入にしても同様だろう。

 読売の主張こそ的外れで論理が破綻している。安倍政権の意図や安保関連法案(戦争法案)の本質を隠し、国民の不安や疑念から目をそらそうとする狙いが明らかだ。読売新聞の姿勢は、安倍政権の宣伝広報紙そのものではないか。情けないにもほどがある。


8月5日(水曜日) 育鵬社の教科書は「公民」こそ問題

 「横浜市立中で1年生に陸自演習見学を募集」の記事が、ヤフーニュースにアップされている。予備自衛官の現職の社会科教諭が発案し、公立中学校の1年生に参加を募っているのが、この問題の本質だと言っていい。自衛隊の演習を見るのはもちろん個人の自由だが、私的な見学と公教育の場で募集するのとは意味がまるで違う。

 記事に対するネトウヨの反応がこれまた残念すぎる。実弾射撃演習を間近で見物することを、社会科見学や職業体験と同じだから何の問題もない、などと称するのは無理がある。そもそも「戦争の恐ろしさ」を伝え実感するのが目的ではなく、引率教諭の意図は自衛隊美化なのだから。

 戦争や戦闘行為に違和感を持たせないように中学1年生を誘導する、これぞまさに国防洗脳教育ではないか。安倍ネトウヨ独裁政権が戦争法案を強引に成立させようとしているのと、軌を一にした動きだ。

 横浜市による育鵬社の公民教科書の採択が、こうした動きを後押ししていると言える。育鵬社の教科書は「歴史」も問題だが、むしろ「公民」の方が悪質度は高い。安倍政権や国家主義を礼賛し、戦意高揚や憲法改正に誘導する露骨な記述にあふれている。「国家の下僕」のような臣民を育てる内容で一貫しているからだ。まるで産経や読売やNHKのニュースのごとく、安倍ネトウヨ独裁政権の宣伝広報誌同然の内容に言葉を失う。フジサンケイグループの育鵬社だから当然だが。

横浜市立中で1年生に陸自演習見学を募集、予備自衛官の教諭が発案(週刊金曜日)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150728-00010000-kinyobi-soci


8月6日(木曜日) 原爆投下から70年の日に

 原爆投下から70年の節目となる広島市の平和記念式典で、安倍首相のあいさつはいつも通り空疎でウソ臭く心に何も響かない内容だった。「改めて平和の尊さに思いを致しています」などと心にもないことを言うなら、憲法を蹂躙する安保関連法案(戦争法案)をまず撤回しろよ。「武力に依存しない安全保障の仕組み」「日本国憲法の平和主義が示す道筋」に信頼を寄せ、決意を新たにした広島市の松井一実市長の平和宣言や、夏の高校野球の選手宣誓で「8月6日の意味」に強い思いを込めた高校生(京都・鳥羽高校の梅谷成悟主将)と雲泥の差だ。

 平和記念式典の安倍首相あいさつに、「非核三原則を堅持」の文言がなかったことについて、菅官房長官「核兵器のない世界を目指す政府の考え方は全く揺るぎはない」。いつものように全く答えになってない。なぜ「非核三原則」の言葉がなかったのかを聞かれているのに。国会答弁でも記者会見でも、安倍政権の面々の説明はいつもこの調子だ。誠実に説明する気など最初からないし、説明できないからだろう。

◇◇

 戦後70年の安倍談話の策定について、有識者懇談会が報告書を提出。「日本は先の大戦への痛切な反省に基づき、全く異なる国に生まれ変わった」。安倍政権はその「生まれ変わった国」を、また再び戦前のような国に戻そうとしているのだが。国民主権と平和主義と人権尊重を大切にしてきたこの国を、憲法を改正し国家主義の独裁国家にしようとしている。それが安倍ネトウヨ独裁政権だ。そそんな安倍首相に、そもそも戦後70年の談話なんか出してもらう必要などない。安倍談話など要らない。

◇◇

 極右団体「公益財団法人・国家基本問題研究所」(櫻井よしこ理事長)が、8月6日付の朝日新聞に意見広告を出した。「戦争にしないための法案を『戦争法案』と言い換え、『次は徴兵制だ!』とありえないことを煽る煽る一部のマスコミ・野党・学者の主張」「一部野党や市民団体を名乗る安保法制反対勢力は、憲法違反とのレッテルさえ貼っています」──。おいおいマジかよ。

 唖然呆然。いやいやいや、一部などではなく圧倒的多数の国民と憲法学者は、戦争法案を疑問に感じているし憲法違反だと考えているから。そもそも「戦争にしないための法案」という表現が大ウソじゃん。失笑。

◇◇

 麻生太郎副総理兼財務相「自分の気持ちを言いたいんだったら、法案が通ってからにしてくれ」。自民党議員の数々の暴言(本音)も論外だが、これまたすごい本音が飛び出した。もはや末期症状だな。

不用意言動は控えよ、安保法制めぐり麻生副総理(時事)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201508/2015080600546&g=pol


8月7日(金曜日) 不誠実すぎる安倍首相

 広島の平和記念式典で非核三原則に言及しなかった理由を問われ、衆院予算委で答弁した安倍首相の答弁。「非核三原則は当然の前提。その姿勢に一切変化はない」。またもや全く答えになっていない。言及しなかった理由を聞かれているのに。さらに「長崎の式典ではこの文言は入っているものと承知している」。なんだその人ごとのような答えは。お前自身のあいさつだろ。

 不誠実・不真面目すぎるにもほどがある。日本の国是である非核三原則を、ここまでぞんざいに扱うとは。お前はいったいどこの国の内閣総理大臣なんだ(激怒)。

 同じく衆院予算委で、自衛隊の核兵器輸送について聞かれた安倍首相の答弁。「120%あり得ない。机上の空論だ」「私は総理大臣としてあり得ないと、こう言っているんだから間違いありませんよ」。勝手に憲法解釈を変えて答弁もくるくる変わり、平然とウソの説明を繰り返しているのに、そんな安倍首相が何をどう言い募っても全く信用できないし、まるで説得力がない。


8月8日(土曜日) 育鵬社の異常さなぜ指摘しない

 教科書採択をめぐる教育委員の質疑・やり取りを眺めて、(いつも)思うことだが、育鵬社の教科書(特に公民)の異常な「国家主義」的価値観と、安倍政権への露骨な傾斜・偏向姿勢について、まるで認識していないかのような教育委員の発言に驚かされる。育鵬社の教科書を一読すればすぐに分かるはずなのに、どうしてそこに触れないのか、あるいは問題視しないのか。不思議でならない。育鵬社を支持する教育委員はもちろん問題視などしないだろうが、少なくとも疑問を持つ教育委員は厳しく指摘していいはずなのに。

 そしてもう一つは、育鵬社がフジサンケイグループの会社であることだ。報道機関とは到底思えない産経新聞の事実をねじ曲げて伝える姿勢や、政権べったりの突出した極右姿勢を考えれば、そもそもそんなグループ会社から出している教科書を採択することなどあり得ないのに、教育委員からそうした指摘も一切ない。なんだかなあ、である。理解に苦しむ。

 つまり、そういうレベルの教育委員が、現場の教師や校長らの声を無視して、学校で使われる教科書を一方的に決定する現行の教科書採択の仕組み自体が、いかに異常であるかということだ。何を今さらと言われたらそれまでだが、改めてそう思う。

◇◇

 きょう8日付の朝日1面トップ。3面トップでも関連記事(太陽光ピーク時肩代わり/夏の電力需給/猛暑晴れて本領)を、大きく掲載している。やっぱり原発は必要ないと改めて本気で思う。すべての原発が止まっているのに電力は十分足りている現状で、なぜあえて原発を再稼働するのか全く分からない。どう考えても原発再稼働の必要はないではないか。愚の骨頂だ。そもそも即刻廃炉にすべきものを再稼動するなんてあり得ない。

猛暑でも電力安定/太陽光発電、導入量10倍/節電効果、需要十数%減(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11904886.html?ref=pcviewer


8月9日(日曜日) 長崎でも民の声が響く

 長崎原爆の日の平和宣言で田上富久・長崎市長。「国会では、国の安全保障の在り方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が今、揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます」(会場から大きな拍手)。

 式典で「平和への誓い」を読み上げた被爆者代表も、「憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません」(会場から大きな拍手)。

 長崎市長と被爆者代表の言葉には、聞く者の心を打つ重さと真摯さと「伝えなければ」という思いがあふれていた。無味乾燥で国会答弁みたいな安倍晋三のあいさつとは大違いだった。安倍政権と安保関連法案(戦争法案)を強引に成立させようとする動きに対する怒りと嫌悪感は、ものすごい勢いで世代を超えて確実に拡散している。間違いない。

 長崎平和宣言は、被爆者や学識経験者ら15人で構成する起草委員会で議論し、最終的に市長が決めたという。ごく当たり前の市民の思い(民意)を、正確かつ忠実に反映して書き上げられた平和宣言。これぞ民主主義のあるべき姿ではないか。どこかのネトウヨ独裁首相のあいさつや談話とは大違いだ。

安保法案への言及、起草委が議論し盛る、長崎平和宣言(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASH866QLCH86TIPE039.html

 沖縄でも広島でも、そして長崎でもまた。平和式典でこれほどヤジや怒号を浴びせられる総理大臣が、かつていただろうか。前代未聞の事態だと言っていい。それだけ安倍政権に対する国民の怒りと嫌悪が渦巻き、大きく広がっているということだ。安倍晋三は恥を知れ。そして多数の民の声に対し、謙虚に真摯に耳を傾けよ。

「長崎平和祈念式典でも安倍首相ヤジまみれ/しかしNHKはアナウンスを被せてやっぱり炎上」(NAVERまとめ)

http://matome.naver.jp/odai/2143908818873287901


8月10日(月曜日) 福島から何も学んでいないのか

 川内原発1号機(鹿児島)の再稼働について、菅官房長官「万が一、事故が起きた場合、国が先頭に立って原子力災害への迅速な対応や被災者への支援を行っていく」。おいおい万が一って、原発事故が起きたら取り返しがつかなくなることは、福島原発事故の大惨事で嫌というほど学んだはずだろうに。安倍自民党と原発利権関係者の頭の中には、おがくずしか詰まっていないのか。馬鹿なのか。

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 教科書採択を検証する「週刊金曜日」の特集記事(2015年6月5日号)。拙稿。雑誌掲載からかなりタイムラグがあるが、育鵬社の教科書が大阪市や横浜市など大都市で、次々に採択されている異常な状況から、ヤフーニュースに緊急アップすることを決めたという。

育鵬社教科書の影に首相グループ──安倍晋三氏の異常な執着(池添徳明)(週刊金曜日=Yahoo!ニュース)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150809-00010000-kinyobi-pol

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 鶴瓶「9条はいじったらあかんと思うんですよね」「やっぱり違う!っていうのは言い続けなあかんですよね」。これぞ責任ある大人の姿だ。まともなテレビ番組のあるべき姿でもある。言うべきことを言うべき時にきちんと言える、そんな覚悟と意識と責任のある自立した人間が、当たり前のように存在する(できる)社会でありますように。

<ついに鶴瓶が安保法制と安倍政権にNOを突きつけた!「お前なにをしとんねん!」「変な解釈絶対したらあかん」>(LITERA/リテラ)

http://lite-ra.com/2015/08/post-1369.html

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 真っ当な歴史観を基に敢然と反論する(反論できる)中居正広はカッコいい。拍手。一方、強者の論理を振りかざす松本人志と石原良純は傲慢で、カッコ悪いし情けないし恥ずかしい。

<中居正広が松本人志の「安保法制反対は平和ボケ」に敢然と反論!「日本人が70年間戦争で死んでない意味を考えるべき」>(LITERA/リテラ)

http://lite-ra.com/2015/08/post-1372.html


8月11日(火曜日) クーデター政権は許されない

 三権分立をないがしろにし、立憲主義を軽んじ、憲法を蹂躙して法の支配も無視し、挙げ句の果てに日本の「国是」である非核三原則まで足蹴にする。歴代首相が平和式典で必ず言及してきた非核三原則に触れないなんて。ここまでデタラメで狂った政権は見たことがない。もはや安倍晋三はこの国の総理大臣とは言えない。ネトウヨ独裁政権・クーデター政権といった批判の言葉を口にする以前の異様さだ。そして安保関連法案(戦争法案)と原発再稼働。断じて許すわけにはいかない。

 安保関連法案(戦争法案)が成立する前に、防衛省が法案成立を既定の前提とした内部資料を作成するとは。これでは戦前の軍部の独走・暴走と同じではないか。文民統制をないがしろにしたクーデターも同然。そもそも安倍内閣自体が、憲法を平然と無視するクーデター政権なんだけど。

 こうした防衛省統合幕僚監部の内部資料が流出するのは、政権内や防衛省(自衛隊)の中にも、疑問や不信の声が相当広がっているということだろう。安倍独裁政権は着実に崩壊しつつある。

「防衛省が安保成立前提に資料」共産追及、中谷氏が存在認める(共同)

http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015081101001819.html

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 川内原発1号機再稼働に反対する抗議集会を伝えるNHKニュース。「国会周辺では、プラカードやチラシを手にした市民グループおよそ150人が集まりました」。150人って、参加者が集まり始めた午後6時以前の状況を伝えても仕方ないだろう。午後6時半開始の緊急抗議なんだから。わずか150人しか抗議していない、ということを強調したいとしか思えない。悪意を感じる。

 夕方のニュースだけではない。石油輸入増加による電気料金上昇の懸念や、火力発電・天然ガスによる温暖化の不安を延々と伝えるNHKのニュースウオッチ9。太陽光発電の導入が増えていることについては一切触れようとしない。福島原発事故による被災者の声をほんの少し伝えたが、その後はひたすら「原発再稼働は欠かせない」などと政府方針を必死で宣伝するばかり。やはり事実上の政府広報・国営放送の域は超えなかった。


8月12日(水曜日) 日航機墜落30年目に合掌

 30年前のこの日。旅先の北海道・礼文島(れぶんとう)の宿(YH)の食堂で、「日本航空123便の機影が消えました」と伝えるテレビ画面を、食い入るように見つめていたのを思い出す。その場にいたほかの人たちも全員が押し黙って、緊迫したテレビの緊急特別番組に、釘付けになっていた光景が忘れられない。たぶんみんな他人事とは、とても思えなかったのだと思う。合掌。


8月13日(木曜日) 「伝えること」と「橋渡し」

 NHKクローズアップ現代「ヒバクシャの声が届かない/被爆70年「語りの場」で何が」(8月5日放送)には、考えさせられるものが多かった。「被爆者の思いが伝わらない」「語りたくても語る場が少なくなってきている」「政治的に中立でないと言われて話が遮られることがある」などの現状報告とともに、「伝え方そのものを工夫すべきではないか」といった問題提起もあり、反省すべき問題点が多角的に提示されていた。「伝える」という作業を日常的に繰り返している記者として、共通の課題があると思ったし、つながっている部分が多いと感じる内容だった。

 特に印象に残った場面の一つは、「原爆の悲惨さを分かってもらおうと一方的に話していたことに気がついた」と語る被爆者の男性の言葉だ。「押しつけがましい部分がある。それに気づいた。世代の違いの中で感性、感覚、思いもいろいろ違ってくるはず。そういう中で私たちはどう伝えていこうかっていう思いになった」

 同じことを同じように表現して伝えても、その場にいて話を聞いている人や文章を読んでいる人たちすべて全員が、みんな同じように感じて共感し、あるいは理解してくれるとは限らない。世代や時代や環境や立場によって、受け止め方や感じ方は違う。伝える側の口調や表情や文体や言葉遣いなどによって、受け取る側が「押しつけがましい」と感じることもある。伝え方は難しい。

 もう一つは、被爆体験はないが語り部として伝承活動をしている、という女性の取り組みだ。聞いた話をただそのまま忠実に語るのではなく、被爆者の体験や思いを聞いて自身が感じたことを話に盛り込むことで、身近に感じてもらえるのではないかと考えた、というのだ。「私が入ることによって橋渡しをする、そういう役割ができるのかな」と述べる。

 当事者や体験者本人が語ったり書いたりする言葉が、まず何よりも生々しく迫力があり、ストレートに心に迫って響いてくるのは言うまでもない。被爆者の体験談にしても、事件・事故の被害者や加害者の言葉にしても、本人が直に述べる言葉ほど重みがあるものはない。しかしそれとは別に、第三者が話を整理し直すことで、当事者よりも分かりやすく順序立てて伝えられるということもある。

 記者の場合はさらに、より多くの人たちから、立場が違う人も含めてさまざまな話を聞いて、裏付け取材も積み重ねて、問題点を掘り下げて分析するといった作業も加わる。そうした時間や手間のかかった作業のベースにあるのは、話をより分かりやすく整理して、表現や説明を工夫して伝えるということだ。難しいことを易しく理解しやすく練り直す。まさに「橋渡し」が記者の仕事だなと、改めて思う。授業(講義)も同じかもしれない。


8月14日(金曜日) 政府には謝罪を続ける責任がある

 だらだらとやたら長いばかりで、相変わらず薄っぺらな安倍晋三の戦後70年の首相談話だった。「痛切な反省と心からのお詫び」と述べてはいるが、いずれも「歴代内閣の立場を引き継ぐ」として引用しただけに過ぎない。安倍首相は自分自身の言葉では、過去の反省をほとんど何も語っていないではないか。

 談話では「いかなる武力の行使も、紛争解決の手段として二度と用いてはならない」「法の支配」「謙虚に」という言葉が何回も登場するが、どれもこれもこれまでの安倍首相の言動とは正反対のことばかり。矛盾だらけではないか。だったらどうして安保関連法案(戦争法案)なんか出してくる。武力行使が前提なのだから「戦争を未然に防ぐ法案」であるわけがない。

 そもそも安倍政権自身が憲法や立憲主義を堂々と無視し蹂躙しておいて、「法の支配」も何もないだろう。それにしても安倍首相は「法の支配」という言葉が好きだな。どこでもやたらとこの言葉を使う。本人は「法の支配」をないがしろにするばかりなのに。だれがどこからどう見ても支離滅裂ではないか。

 さらに談話は、「先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはいけない」とも述べるのだが、しかしこれは責任ある立場の政府の姿勢と、一般国民の歴史への向き合い方を、意図的に混同させる詐術的レトリックだ。政府には将来にわたって過去を反省し続ける責任と義務がある。戦争を知らない世代や子どもたちの話とは全く別だ。

 もちろん戦後生まれの国民が謝罪を続ける必要はない、と僕も思う。しかし歴史から学んで未来への教訓とする姿勢が、人間として大切なのは言うまでもない。大事なことなので繰り返し指摘しておくが、日本政府は、先方がもういいよと言ってくれるまで、何回でも謝罪して反省を続ける責任と義務がある。戦争と無縁の若い世代の一般国民と、対外的に責任を負う政府とでは全く立場が違う。

 会見直後の解説で、NHK(政治部の岩田明子記者)は戦後70年の安倍首相談話について、「侵略・植民地・痛切な反省・お詫びといった言葉をすべて使って、歴代内閣の立場を継承する姿勢を明確にした」「二度と戦争を繰り返さないという決意を正確に伝えようとした」「歴史認識をめぐる問題が何度も繰り返された議論に区切りをつけたいという思いが凝縮」などと大絶賛していたが、とんでもない。

 およそ1300字ほどの村山談話や小泉談話と比べて、3300字にも及ぶ安倍談話はやたらと長いだけで、中身は空疎で空虚そのものだ。しかもすべてが他人事ようなもの言い。そんなものをべた褒めするとは耳を疑う。こんな解説を延々と続けるとは、心底あきれてしまった。さすがは安倍政権の宣伝・広報機関というか、事実上の国営放送と揶揄されるだけあって、どうしようもないとしか言いようがない。

 【メモ】安倍談話発表の記者会見で質問した記者(司会が指名した記者)。共同、東京(以上幹事社)、産経、ブルームバーグ、ニコニコ動画、日テレ。幹事社はともかく、何だこの人選は。

◇◇

 会見後、さっそくNHKのニュースウオッチ9に出演した安倍首相。ホームグラウンドであるはずの「国営放送」のスタジオで、最初は目が虚ろで痛々しい感じの安倍首相だったが、安保法案(戦争法案)を語り始めると妄想全開に。しかも懲りずにまた砂川判決を持ち出して、嘘八百のデタラメ演説を延々とまくしたてる。安倍談話に書かれた言葉と矛盾だらけの話に、さすがのNHKキャスターも辛そうな表情だった(ように見えた)。

 原発再稼働についても、発電効率など事実に反するウソばかり垂れ流す。これほどまでに平然とデタラメを垂れ流す首相は、いまだかつて見たことがない(ため息)。スタジオに呼ぶなとは言わないけど、だったらキャスターはしっかり突っ込めよ。NW9でそんなことが無理なのは分かっているが一応指摘しておく。


8月15日(土曜日) 天皇陛下から安倍へ「痛烈な批判」

 全国戦没者追悼式で天皇陛下の「お言葉」に、「先の大戦に対する深い反省」という表現が初めて盛り込まれた。これまでとは明らかに違う異例の「お言葉」だった。一方、安倍首相は追悼式の式辞で、歴代首相が盛り込んできた「アジア諸国への加害責任」や「深い反省」について、今年も言及することはなかった。

 前日の首相談話やこの日の式辞の不誠実さとは、あまりにも対照的な天皇陛下の「お言葉」。安倍首相の異様な歴史観と政治姿勢に対し、天皇陛下からの痛烈な批判メッセージとなった。安倍ネトウヨ政権への強い不信感と静かなる怒りを感じる。客観的に見て安倍晋三のダメージは相当大きいと思うが、安倍本人にそれを自覚するだけの頭(知性や理性)があるかどうかは定かではない。

◇◇

 【安倍くんの作文講評】だらだらとやたらに長いだけの悪文。主語が不明確な上に観念的・抽象的な表現が多く、そもそもだれのために何を言いたいのか分かりにくい。歴史認識や内容も矛盾だらけでおかしい。800字から1000字程度でまとめるべき。自分自身の言葉で書くこと。30点(不可)。やり直し。

◇◇

 【ひとりごと】しれっと論点をそらして、詭弁を展開するバカウヨがうざい。ネトウヨの作文みたいな安倍談話にそっくりだ。ていねいに相手をした僕が悪かった。もう返信しない。


8月16日(日曜日) 天皇陛下に尻拭いさせるな

 英ガーディアン紙「第二次大戦について天皇陛下は安倍晋三よりも謝罪色を強く打ち出す」。BBCやインディペンデント紙も同様の報道をしている。ワシントン・ポストなど米紙も、安倍談話や安倍政権には批判的だ。

 過去の事実と真摯に向き合い、謝罪すべきは相手が納得するまで繰り返し謝罪してこそ、信頼され尊敬される存在や関係となる。過去の過ちを率直に認めるのは誇るべき態度だ。戦争に関わっていない一般国民ではなく、政府(政治家)が責任ある立場として、何回でも反省して繰り返し謝罪したっていいではないか。間違いを認めて謝るのは、恥ずかしいことでも何でもない。むしろ過ちを正当化するほうが恥ずべきことで、それこそ軽蔑される。

 本来なら総理大臣である安倍晋三が率先してやるべきことなのに、知性も品性も欠如した安倍はやろうとしない。だから、天皇陛下が信念に基づいて、ギリギリの形で「お言葉」にしたのだ。

 天皇陛下が安倍の尻拭いするような形になってしまっている。安倍晋三と取り巻き政治家、そして安倍談話を熱列支持するネトウヨ(自称愛国者)たちは、恥ずかしいと思わないのか。歴史からしっかり学んで、何が本当の「国益=国民益」なのかよく考えた方がいい。

「天皇陛下が安倍首相よりも謝罪」と欧米メディアが速報(NAVERまとめ)

http://matome.naver.jp/odai/2143961859278699301


8月17日(月曜日) 反省も謝罪もしたくない安倍首相

 「安倍談話と合わなくなりこっそり削除したのではないか、といった推測が広がっている」。村山談話や小泉談話を引き継ぎたくない安倍晋三の思いが、分かりやすく反映されている。だったら最初からはっきりと「反省もしていないし謝罪もしたくない」って表明しろよ。どこまでも器が小さくて姑息で、品性や知性のかけらもない連中だな。

外務省HPから「おわび」削除、首相談話からめた臆測も(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASH8K4HG1H8KUTFK005.html

◇◇

 自宅近くの町工場の駐車場で、生まれたばかりの野良の子猫たちが何匹も走り回っている。通りかかって見かけるたびに、かわいい仕草に萌え死にそうになる。お持ち帰りしたくなる衝動が抑えきれない(余裕がないから持ち帰らないけど)。しばし眺めているだけで幸せな気分になるなあ。


8月18日(火曜日) 残暑見舞い

 残暑見舞いのはがきを印刷して投函。年賀状と違って、例年通りいただいた暑中見舞いに返信するのみ。以下、今年の文面から。

 「まだまだ厳しい暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。連日の猛暑でも電力供給は問題なし。それなのに川内原発は再稼働されてしまいました。憲法違反の戦争法案も、米軍基地の沖縄辺野古移設も、納得いかないことばかりです」


8月19日(水曜日) 滅茶苦茶じゃん

 統合幕僚監部作成の安保関連法案(戦争法案)に関する内部文書について、参院特別委で切り込まれた中谷元・防衛相は、確か先週の国会質疑では「知らない」「分からない」などと答えていたはずなのに、実は自分自身が指示して文書を作成させていたことが判明。要するに先週の国会答弁はすべて嘘(あるいは演技)だったわけだ。しかも、法案が国会で可決成立する以前に法案について検討しないのは当然だ、と明言していたはずが、「検討」ではなく「研究」だと説明し始めた。こんないい加減な国会答弁がまかり通るだなんて、笑い話か冗談としか思えない。滅茶苦茶じゃん。

◇◇

 学生団体シールズの国会前の抗議デモを、「だって戦争に行きたくないじゃんという自分中心、極端な利己的考え」などと非難し誹謗中傷した自民党の武藤貴也衆院議員が、未公開株の購入をめぐる「金銭トラブル」で離党。「党に大変な迷惑をかけている」というのが理由なんだと。お前が一番利己的なんだよ、このボケが。とんでもない自称愛国者がいたものだ。離党でなく議員辞職すべきだろう。二度と公の舞台にのさばってくるな。安倍晋三の周辺にはこんなのばっかりだ。

 「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」と発言した大西英男衆院議員(自民党文化芸術懇話会では井上貴博衆院議員、長尾敬衆院議員も同様の問題発言。安倍首相の親友で自称作家の百田尚樹は「沖縄の2つの新聞社は絶対つぶさなあかん」と暴言)をはじめ、「法的安定性は関係ない」などと放言した礒崎陽輔首相補佐官など、もはや完全にタガの外れた状況で、安倍政権の周囲は「馬鹿の巣窟」といった様相を呈している。

 しかもいずれのケースも自民党本部から厳しいおとがめなど何もないし、もちろんだれ一人として謝罪も議員辞職もしていない(百田某は筆を折るべきだ)。

 「金銭トラブル」なるものについて武藤議員本人から事実関係の説明もなく、憲法で認められている抗議やデモ活動に対する不当な非難暴言への謝罪もないまま、離党だけで終わらせるなんてトカゲの尻尾切りと同じではないか。そんなもので済むような話ではないだろう。自民党本部・総裁・幹事長・派閥のボスらの責任も免れない。「極端な利己的考え」に基づいているのは安倍自民党だ。


8月20日(木曜日) 安倍政権の屋台骨を支える読売

 読売社説の見出しから抜粋。「安保法案審議/成立後に向けた検討は当然だ」(8月20日付)、「川内原発再稼働/電力安定供給へ重要な一歩だ」(8月12日付)、「安保法案審議/徴兵制導入は飛躍した議論だ」(8月4日付)、「集団的自衛権/法的安定性は確保されている」(7月31日付)、「安保法案参院へ/日本の平和確保に重要な前進」(7月17日付)。

 あまりに酷すぎる目を疑うような社説ばかりだが、しかしこれがまぎれもない読売新聞の一貫した論調だ。安倍政権にぴったり寄り添う読売の姿勢が鮮明で、実に分かりやすい。

 こんな読売新聞を毎日ずっと読み続け、そして学校では育鵬社の歴史・公民教科書で学ばされ、反復して国家主義を刷り込まれていけば、文句も言わず御国のために熱心に働く臣民が出来上がるのは自然な流れだ。国家にひたすら従属し、疑問や批判を頭に浮かべることなどないだろう。

 この国では、発行部数1000万部を誇る巨大新聞と事実上の国営放送NHKが、政府の広報・宣伝機関の役割を担っている。まさに洗脳そのものだ。権力を監視し批判する役割・責任をメディアが果たさない(果たせない)社会に、市民の自由と民主主義は存在し得ない。

 だからこそ安倍政権は一貫して、メディアと学校教育を管理統制しようと、執拗に攻撃・介入を繰り返してきた。安倍晋三に先を見通して戦略を組み立てるだけの知性や教養があるとはとても思えないが、たぶん生まれ持った独裁者としての本能なのだろう。そしてその先には、ジョージ・オーウェルの描く世界が待っている。


8月21日(金曜日) 書類を大量処分するも

 部屋にあふれている書類を大量に処分。そのまま無造作に捨てるわけにはいかないので、適当に破いて袋に詰めて、さらにレジ袋に入れてからゴミの収集に出す。手間ひまかかってものすごく面倒くさい。それでも段ボール箱3つ分くらいかなあ。大して減った気がしない。どうにかしなくては、とは思っているのだけど。


8月22日(土曜日) なぜ歴史・公民だけ現場の声を無視

 藤沢の湘南台中学校で開かれた湘南教職員組合の第65次教育研究集会に、共同研究者(助言者)として招かれ、午前中は日本語教育の分科会に参加する。昨年に続いて2回目。分科会では前回と同じように、「読む・聞く・話す」の授業は熱心だが、「書く」ことには力を入れていない現場の実態が浮き彫りになった。

 参加者の先生たちには、大学で学生に文章を教えている経験を踏まえ、全国的に学生の文章力の低下が危機的状況にあることを説明し、小中学校の段階でもう少し作文指導に時間を割いてほしいと強く要望する。思考を整理し自分の考えを文章にして正確に伝える力は、語彙を増やして表現力を高めるためにも、必要不可欠であることを力説した。

 研究発表では、中身の濃い討論もあった。クラスで子ども同士が自由に意見交換する中で、自分とは違う意見を知って考えが深まり、考えが変わる子どももいてみんなが生き生きしてくるという授業報告から、議論が発展して活発化した。教師はどこまで関わったり介入したりしていいのか(すべきなのか)、あまり口を出すと子どもが教師になびいてしまわないか、子どもたちを誘導することにはならないか、子どもによっては教師が介入することが必要な場合もあるがバランスが難しい、などのジレンマが吐露されのはとても興味深かった。まさに教育の永遠のテーマの一つだなあと感じた。白か黒かの答えがある話ではないだけになかなか奥が深い。

 「また育鵬社の教科書を4年間も使って教えなければならないのかと思うと…。日増しに悔しさと憂鬱が募る」(中学校社会科の教員)。「育鵬社の歴史・公民の教科書がどんなに使いにくいか、どこが問題なのか、何を教えなければならないのか。これからもみんなで一緒に考えて伝えていかなければ」(同)。午後から開かれた湘南教研の社会科学習会。現場からの切実な発言が身にしみる。

 藤沢市ではこの4年間、育鵬社の歴史・公民教科書を使ってきたが、もう一度使いたいという希望は現場の教員からはほとんどだれからも出なかった。国語や数学などほかの教科の教科書はすべて、現場の希望通り採択され、教育委員も採択の審議の中で「現場の先生がたの研究成果を尊重します」と述べている。地理や地図帳も同様だ。

 ところが歴史と公民だけは違った。現場の声や答申が一蹴され、一方的に育鵬社の教科書が採択されたのだった。何らかの政治的意思が強く働いている、としか考えられない。明らかに不自然で異様で異常な事態だ。

 国家主義を推進する安倍政権の宣伝冊子同然の教科書によって、政府に都合のいい国民を育て上げようと、教育が政治利用されてゆがめられていく。学校現場や子どもたちの思いが一顧だにされないのは由々しき状況だ。真実探求といった学問の基本姿勢も専門性も研究成果も、極右タカ派の復古主義者たちにとっては全く無価値なのだろう。政治による教育支配が当然という驚くべき態度が貫かれている。戦前とそっくり同じことがまた繰り返されつつある。

 教研終了後、夕方から藤沢駅前の居酒屋で教研の参加者と打ち上げ。午前中の分科会はエアコン完備の音楽室だったからよかったけど、社会科学習会の会場は蒸し風呂のような体育館だっただけに、よく冷えた生ビールの喉越しがたまらない。涼しい店内で食する味噌味のもつ鍋は最高に美味しかった。


8月24日(月曜日) 消火も避難もできない米軍基地

 相模原市の米軍相模総合補給廠の爆発火災は、周辺に住宅地が広がっているのに、補給廠に何がどれくらいどのように保管されているのか、日本側には(住民にも)一切不明というのがポイントだ。分からなければ消火活動や避難など対応のしようがない。治外法権の米側に拒まれれば、その後の検証も何もできない。

 放射性物質や危険物がなくて本当によかったよね(激怒)。沖縄の置かれている理不尽な状況は決して他人事なんかではない、ということを日本人はもっと自覚すべきだ。

 自称愛国者の安倍政権は、憲法違反の安保関連法案(戦争法案)よりも先に、明らかな不平等条約である日米地位協定をまず抜本的に見直せよ。そもそも戦争法案を推進すること自体が、自衛隊が完全に米軍の支配下に置かれ従属するのを容認するわけで、自主自立独立とはほど遠い話ではないか。とんでもない自称愛国者もあったものだ。

 安倍ネトウヨ独裁政権は、沖縄からも相模原からも何も学ぼうとしない。そして広島や長崎や福島からも。

◇◇

 相模原の米軍施設の爆発火災に続いて、川崎の日鉄住金鋼管で火災。中国の真似をしなくてもいいのに、と思ってしまう。死傷者がいなくて大惨事にならなかったのが不幸中の幸いだ。

◇◇

 ことあるごとにロシアのプーチン大統領との「信頼関係」を誇ってみせる安倍首相だが、メドベージェフ首相が北方領土の択捉島を訪問したことに対し、「日本国民の感情を傷つけるものだ。極めて遺憾だ」と批判。安倍首相の言う信頼関係や外交の成果は所詮その程度。薄っぺらさと底の浅い実体が露見した。安倍政権は外交もボロボロ。為替相場に頼るだけの「アベノリスク」も株価暴落と円急騰でボロボロ。そのうえ戦争法案なんて。


8月25日(火曜日) 国会中継をぶった切ったNHK

 NHKは国会中継(参院特別委)を途中でぶった切るのか。たぶん大相撲ならそのまま放送しただろう。唖然。予定の番組を変更して午後6時まで中継を延長しながら、どうせあと少しで終わるのになぜ最後まで中継しない。しかも「米軍の戦争犯罪に日本も加担することになる」という、安保関連法案(戦争法案)の核心を突いた質問を、山本太郎議員がしている最中に。

 安倍政権の広報宣伝機関だとか、事実上の国営放送といった批判以前に、そもそも公共放送のあり方として信じられない。公共放送の存在意義を、自ら否定するも同然の呆れた対応に改めて驚く。


8月26日(水曜日) NHK職員は発言し行動せよ

 きのう25日に行われた東京・渋谷のNHK放送センター包囲行動で、元NHKプロデューサー・ディレクターの永田浩三さんが、NHK職員に向けて切々と訴えかけた際の映像。安倍政権の広報宣伝機関または事実上の国営放送となってしまったNHKの現状を、心から憂えるOBからの涙ながらの訴えだが、果たしてNHK職員にどれほどの危機感と自覚があるだろうか。最近のNHKの放送姿勢を考えるとはなはだ疑問だ。

 もちろん頑張っている職員も少数ながらいるだろうし、まともな番組も少なからず放送されているのは知っている。しかし特集番組ではなく、リアルタイム放送のNHKニュースの惨状は目を覆うばかりで、伝えるべきことを意図的に伝えない。安倍政権の代弁や擁護をしているとしか思えない。世論誘導に大きく加担しているのが、NHKニュースと読売であることは明々白々と言っていい。

 ところが圧倒的多数の職員は黙して語らず。言うべきことを言わず何もしない。それでは現状を肯定しているのと同じだ。加担しているのと何も変わらないではないか。そうした姿勢が問われているのは、報道現場の職員だけではない。

 例えば、ツイッターで大人気の「NHK広報」のアカウントにしても、どうでもいいような冗談を飛ばし、ただ自局の番組をPRするだけ。「安保法案審議の国会中継をなぜしない」「NHKニュースの安倍談話の解説はおかしい」といった視聴者の声には、全くと言っていいほど向き合おうとしない。こうした姿勢や対応が籾井会長体制への加担・従属につながり、安倍政権の宣伝機関であることを肯定しているわけだが、そんな自覚や問題意識は彼らにはかけらもないのだろう。

 だれのために、何のために、何を取材してどう伝えるのか。いま一度、ジャーナリズムの原点、ジャーナリズムのあるべき姿に立ち返って、NHKの職員は自問自答してみるがいい。わずかでも良心が残っているのであれば、やるべきことは何かが自ずと見えてくるはずだ。

NHKは安倍さんと心中するな!永田浩三さんアピール(YouTube)

https://www.youtube.com/watch?v=TV5KQnaOLe0&feature=youtu.be


8月27日(木曜日) ますます酷くなるNHKニュース

 そう言えば「強行採決」という言葉もNHKは使わなかった。強行採決したのは明らかな事実なのに、「『強行』と言わない政党や立場もあるので、NHKは単に『採決』という言葉を使います」と僕の取材に答えたNHK。安倍晋三のヤジをあえて「自席発言」と表現する(言い換える)発想も、たぶん同じなんだろう。

 NHKはいったいだれのために、どんな立場で、どういう視点で何を伝えようとしていいるのか。実に分かりやすいと言えば、これほど分かりやすいこともない。ますます酷くなるNHKニュースの姿勢に言葉を失う。「呆れてものが言えない」とはこういうことなんだなあ。改めて実感。

参院安保委、首相の「自席発言」に民主が抗議(NHKニュース)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150826/k10010204631000.html

◇◇

 「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」と呼びかける鎌倉市図書館のツイートが、絶賛されて拡散を続けている。鎌倉市図書館の配慮あるあたたかいメッセージに、激しく同感・共感する。

 学校に行って命を落とすくらいなら、学校なんか行かなくていいと思う。「逃げちゃダメだ」なんてことはない。その方がいいと自分で判断したなら、むしろ逃げた方がいい。「逃げていいよ」と迎え入れるその場所が図書館とは、なんて素敵なメッセージだろう。素晴らしい居場所を提供してくれる鎌倉市図書館と司書さんたちに拍手。

(鎌倉市図書館のツイート)

https://twitter.com/kamakura_tosyok/status/636329967668695040?ref_src=twsrc%5Etfw


8月28日(金曜日) 目立ちたいだけストーカー橋下維新

 「維新、実質分裂状態」「分裂危機強まる」「分裂の危機深刻化」。そりゃまあ当然そうなるだろうなと思いながら、どれどれ関連記事はどうだろうと見てみたら、「大規模抗争を警戒」「分裂の可能性」「山口組が分裂へ抗争警戒」といった見出しが目に飛び込んでくる。維新でなくて山口組だった。まあどっちも似たようなものか(笑)。それにしても見事に、まるで狙ったかのような絶妙のタイミングではないか。出来過ぎだろ。

 維新の党は第2自民党として補完勢力を目指すのか、それとも、憲法違反の安保関連法案(戦争法案)に毅然と反対を唱えて野党の責任を果たすのか。安倍晋三首相のオトモダチの橋下徹市長が離党して大阪組が袂を分かつのなら、東京組は少なくとも自民党の補完勢力にはならない可能性は残されるかもしれないが、そもそも橋下は政治の世界からきっぱりと足を洗うのではなかったっけ。

 ウソ八百と詭弁だけは得意だから、橋下の言葉なんぞはなからだれも信じていないだろうけど、住民投票で負けて決着のついたはずの「大阪都構想」を、性懲りもなくまた選挙公約に掲げると言い出すくらいだから、たぶん彼らにとっては何でもアリなのだろう。自分たちが勝つまで繰り返し何回でも執拗に「都構想」を引っ張り出してくるとは、もはや完全にストーカーの域に達している。注目されて目立ちたいだけにしても気持ち悪すぎる。

「維新の党、党の体をなしていない」(毎日社説)

http://mainichi.jp/shimen/news/20150828ddm005070057000c.html?fm=mnm


8月29日(土曜日) 細田守監督アニメ「バケモノの子」

 細田守監督のアニメ「バケモノの子」を、ようやく遅ればせながらTOHOシネマズで観た。新しい家族のカタチや親子関係を、バケモノと人間の親子が不器用に紡いでいくさまが描かれる。意地っ張りな父子(師匠と弟子)がじたばた模索しながら絆を深めていく過程が、なかなか面白い物語だった。熊徹を演じる役所広司と九太(少年期)役の宮崎あおいは貫禄の名演技で、すんなり映像の世界に入り込むことができる。さすがだ。

 ただ、女子高生・楓というキャラクターの掘り下げ具合がいまいち物足りないように思えて、感情移入しにくかったのと、広瀬すず(楓)と大泉洋(多々良)の声がしっくりこなかったのが残念だった。円盤が発売されたらもう一度観てみたいと思う。


8月30日(日曜日) 戦争法案反対は日本の常識だ

 安保関連法案(戦争法案)に反対する国会前の大規模集会と抗議デモ。あいにくの雨だったが、主催者発表12万人(警察発表3万3千人)の市民が、国会議事堂の正門前や周辺を埋め尽くした。これだけの市民が集まって、安保関連法案(戦争法案)の廃案と安倍首相退陣を訴えたのは画期的なことだ。入れ代り立ち代りの参加者も少なくないから、延べ人数ではもっと多いはず。延べ35万人との説もある。いずれにしても、3万人という数字は少なすぎてあり得ない。

 国会正門前の車道は、群衆が歩道からあふれ出たため、この日ついに開放された。弁護団の話では、戦争法案反対集会で正門前の車道が開放されたのは、今回が初めてだという。歩道に押し込められていた群衆が車道にまであふれ出たのは、2012年6月に首相官邸前で行われた原発再稼働反対デモ以来ではないだろうか。

 同様の抗議集会やデもは全国各地で行われた。憲法違反の戦争法案に反対し、立憲主義を否定する安倍首相の辞任を求めて声を上げるのは、もはやこの国の常識でありスタンダードだ。安倍政権は間違いなく民意に反している。

 「立憲主義の否定は許されない」「専守防衛に徹し平和主義を大切にする」。これは間違いなく圧倒的多数の国民の思いだ。安保関連法案(戦争法案)の政府説明はおかしいと感じ、疑問や反対の意思を示すのは自然な反応だ。社会常識と言っていい。この国の民主主義そのものが問われている。

安保関連法案(戦争法案)に反対する国会前の大規模集会と抗議デモ。国会正門前の車道は、群衆が歩道からあふれ出たため開放された=写真。

国会の正門前を埋め尽くす群衆の写真を1面に大きく掲載した「赤旗」の特別号外が、午後4時半過ぎに配られ、参加者が次々に手に取って見入っていた=写真。共産党関係者によると、こういう形の号外発行は異例だという。

国会前の路上で、TBS報道特集のキャスター・金平茂紀さん(左)からインタビューを受ける、学生団体SEALDsの中心メンバー・奥田愛基さん=写真。


8月31日(月曜日) 複雑で微妙

 夕方から都内。不登校の子どもらが学校以外の「多様な教育の機会」を考える集会を取材。いろいろな立場や考えがあって、白か黒か明確にして一刀両断するような話でもないし、もちろん1か0かでばっさり割り切ることでもなく、なかなか複雑で微妙で難しい。


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