身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2016年2月1日〜2月29日

●「奴隷市民」を育てたいのか●映画「ブラック・スキャンダル」●集団ヒステリーとしか思えない●「政治的圧力」露骨な手法●採点終了●web入力●無意味に危機感を煽るNHK●危機感煽る茶番「政治ショー」●「能登の里人ものがたり」●だれが「公平性」を判断するのか●安倍首相の責任は●「不登校法案」の迷走●「今そこにある緊急事態」●丸川環境相は辞任すべきだ●結論が腰砕けの社説にがっかり●安倍独裁政権の末期症状●教育とメディアへの政治介入●自立した市民を育てるとは●恥ずかしいのはどっちだ●高校生の思想信条の自由を守れ●再び、恥ずかしいのはどっちだ●だれの何のための原子力規制委か●原発運転の資格のある組織ではない●思考停止してるのはどっちだ●それでも再稼動する厚顔無恥●バカウヨの相手はしない●沈黙は金じゃない●無能な組織は原発を動かすな●●●ほか


2月1日(月曜日) 「奴隷市民」を育てたいのか

 以前も何回か書いたけど、高校生が休日や放課後に校外でデモや集会などの政治活動をするのも、コンサートやコミケに出かけるのもすべて個人の自由だ。憲法で保障されている思想信条の自由だ。学校や教育委員会や文部科学省にとやかく言われる話ではない。

 ましてや届け出制や許可制なんてとんでもない。明らかに憲法違反ではないか。そもそも1969年に、旧文部省通知が高校生の政治活動を規制したこと自体がおかしいのだ。容認するしないの問題でない。個人の思想信条の自由、集会参加の自由を規制すること自体が間違っている。

 高校生のデモや集会への参加を規制するなんて、こんなふざけたことをしようとしながら、何が主権者教育だ。自立した市民・主権者であることを否定し、政権与党に都合のいい「臣民」や「奴隷」を育てようとしているとしか思えない。

高校生のデモや集会、学校への届け出制認める、文科省(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ1Y55J0J1YUTIL03P.html?iref=com_alist_6_03

◇◇

 TOHOシネマズで、実話を元にした米映画「ブラック・スキャンダル」を観た。密告者や裏切り者や邪魔者は容赦せず、冷酷無情に惨殺するアイルランド系ギャングのボス。幼なじみのFBI捜査官が、ズブズブの関係になって凶悪犯罪を見逃し続ける。戦慄シーンが延々2時間続く。新任の検察官と地元紙が事実を暴いて、関係者は軒並み逮捕されるのだが、米国って怖い国だなあと改めて思った。米国と比べたら日本は実に平和だ。

 ちなみにボスの犯罪を証言した犯罪者仲間たちには、「司法取り引き」によって意外なほど軽い刑罰が言い渡される。その事実にもまた暗澹たる気分にさせられた。主演のジョニー・デップの演技は鬼気迫るものがあり迫力満点だったが、正直なところ観終わって爽快感は全くない。


2月2日(火曜日) 集団ヒステリーとしか思えない

 ベッキー叩きに躍起になっている人たちって、集団ヒステリーとしか思えないんだけどなあ。自分と全く関係ない他人の恋愛話に、いったい何をどうしたらそんなに時間を費やしてまで必死になれるのだろう。しかもわざわざテレビ局に苦情電話までかけて集中攻撃するなんて。

 寄ってたかっていじめを楽しんでいるように見えるし、集団で相手の息の根を止めようとする激しい攻撃は常軌を逸している。怒るべき対象はもっとほかにあると思うけど。よほど暇なんですかね。息苦しい澱んだ空気が社会全体に広がっている。気持ち悪い。

◇◇

 4月から始まる「クローズアップ現代+(プラス)」で、降板する国谷裕子キャスターの後任として、NHKの女性アナウンサー7人が交代でキャスターを務めると同局が発表した。「政権を批判することもジャーナリズムの役割だが」と聞かれると、「国谷さんほどの知識も教養も足りないので勉強したい」「とても難しい質問。私まで回ってこないでと思っていた」と女性アナ。なんだよ、その中学生みたいな回答は。

 それは謙虚な態度とか謙遜とは違う。曲がりなりにも報道番組のキャスターの姿勢を問われているのに、プロのアナウンサーとしてそんな情けないことしか言えないのか。だとしたら、「私たち(の番組)は政権与党の幹部に鋭く切り込み政権批判するようなことはしませんし、その能力もありません」と視聴者に宣言したに等しいではないか。それで報道番組を担うキャスターだとは笑わせる。いや呆れる。

 「クロ現」はやはり解体されてしまうのか。改めてそんな現実を突きつけられた感じだ。安倍政権の広報宣伝機関(事実上の国営放送)としてのNHKの「報道」番組編成は、こうして粛々と進められるのだった(ため息)。

新「クロ現」、女性アナ7人がキャスター、国谷さん後任(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ225Q1HJ22UCVL017.html


2月3日(水曜日) 「政治的圧力」露骨な手法

 自民党総務会がNHKの予算案了承を再び見送った。着服問題などNHKの不祥事対応を理由にしているが、自民党が本当に批判したいのはそこではなく、番組内容や報道姿勢そのものだろう。総務会メンバーは「解説委員が無責任な評論家、コメンテーターのような発言をしている」と批判し、籾井氏が「偏った者もいる」と述べる場面もあったという。こうやって政治的圧力をかけて萎縮させ服従させるんだな、ということが実によく分かる。それにしても露骨だな。

 既にもう十二分なまでに政権与党の広報宣伝機関としての役割を果たしているNHKなのに、それでもいささかの逸脱も一切の政権批判も許さない。そんな強い姿勢を示して、脅しをかけ威嚇し続ける安倍自民党。以前の自民党ならまだいくぶんかの寛容さがあったし、もう少し賢いやり方で遠回しに圧力をかけただろう。しかし安倍政権はストレートだ。もはや何でもアリで、やりたい放題の安倍独裁政権らしい傍若無人さ。国民をなめきっているからこその態度だと言っていい。

NHK予算案の了承、自民また見送り、不祥事対応を批判(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ224GMXJ22UTFK00D.html?iref=comtop_6_03

◇◇

 甘利明氏の元秘書に、労働ビザの口利きも依頼していたと業者が証言した。ズブズブの関係どころか、べったり癒着しているということじゃないか。都市再生機構(UR)だけでなく、国土交通省や法務省など関係各省ともズブズブとは。際限なく広がる甘利氏の汚職事件は底なし沼の様相。

 それにしても「プライバシーに関わるので答えられない」とは、実にふざけた取材拒否の理由だな。最近こういう「プライバシー」を理由にした取材拒否が、役所で多いのがとても気になる。明らかに公益性に反していておかしいだろう。公僕である役人は説明責任を果たすためにも、取材に対して誠実に対応するべきだ。

甘利氏の元秘書に「労働ビザを口利き依頼」、業者証言(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ225HZ2J22UTIL02Z.html?iref=comtop_pickup_02

◇◇

 衆院予算委員会で、「憲法9条2項をこのままにしておくことこそが、立憲主義を空洞化するものだ」と稲田朋美・自民党政調会長が質問したのに対し、安倍首相は「違憲の疑いがある状態をなくすべきではないか」と答弁した。論理が逆立ちした本末転倒の茶番質疑に唖然。頭痛がする。安保法制(戦争法)や一票の格差も、こうした屁理屈で煙に巻くのか。

 権力を縛っているのが憲法だ。その憲法に基づいて法律を定め、政策を遂行するのが立憲主義だろう。違憲状態にしているものがあれば、是正し解消することこそが立憲主義ではないか。それなのに違憲状態の原因そのものは既成事実化して、憲法の方を変えるべきとは主客転倒もはなはだしい。立憲主義を無視し空洞化させているのは安倍政権だ。いい加減にしろ。


2月4日(木曜日) 採点終了

 定期試験の答案の採点終了。これにレポート課題やリアクションペーパーのポイントを加味して、最終的な成績を評価するのだが、その作業もようやく終わった。ああ疲れた。試験の成績だけで評価してもいいけど、しかしそれだと公平公正さに一抹の不安が残るので、別の評価基準も用意して、適正に評価できたと自分自身が十分に納得できるようにしている。

 だいたい9割は試験の成績通りの評価結果になる。しかし一方で加点することによって救済措置につながったり、その逆になったりするケースも若干ある。定期試験以外の要素を加える作業は手間ひまかかって面倒だが、学生にきちんと説明できるだけの材料をそろえた上での成績評価だと自信が持てる。


2月5日(金曜日) web入力

 成績評価の登録完了。今学期から成績評価(採点簿)の登録は、大学の公式サイトからのweb入力になった。誤記は許されないので、何回も確認するのはマークシート記入の時と変わらないが、履修者名簿に1枚ずつすべて押印する必要がないのは助かる。わざわざ書類をポストに投函する手間もなくなったし。

◇◇

 NHKが午後7時のニュースで、桜島の噴火をトップ項目として延々と25分近くも繰り返し伝えていた。火山噴火予知連絡会の専門家(石原和弘・京都大学名誉教授)が、「去年や一昨年の噴火と同じくらいの規模で、集落から離れているので大きな影響はない」と番組冒頭で述べているのに。その時点で「この話は5分でまとめて終わり」と判断していい話だと思うのだが。

 鹿児島では通常レベルの噴火だろう。むしろ、たまっていたマグマが久々に噴出したので、安心していいレベルの話ではないのか。必要以上に大騒ぎしている感じが否めない。無意味に危機感を煽って、NHKはいったい何がしたいのか。

 NHKがもっと時間を割いて伝えるべきニュースは、解説委員を誹謗中傷する籾井会長のデタラメ発言と、甘利前大臣の口利き汚職問題と、原発の深刻な状況と、憲法や立憲主義を冒涜し愚弄する安倍首相の暴言の数々じゃないかな。国営放送とは違う公共放送であって、報道機関だという自負があるのならば。


2月7日(日曜日) 危機感煽る茶番「政治ショー」

 北朝鮮の「ミサイル」発射のニュース。またまたNHKが煽る煽る。「長距離弾道ミサイル」なのか「人工衛星」なのか「ロケット」なのかについての分析や検証もなく。いずれにせよ安倍政権はこれを、軍事強化と憲法改正と安保法制の正当化に最大限利用し、自衛隊の存在を誇示しアピールする機会にしたのは間違いない。

 しかしこれだけ大騒ぎしたものの、実際には北朝鮮の「ミサイル」はほぼ正確に予告ルートを飛行し、周辺各国に何の被害もなかった。むしろその打ち上げ制御技術の向上にこそ注目すべきではないのか。巨額の税金と人員が無駄に使われ、迎撃態勢だとか破壊措置だとか国民の危機感をさんざん煽る茶番の政治宣伝ショーが、いつものように滞りなく演じられただけだった。

 北朝鮮の核実験や拉致問題については、もちろん全く容認も擁護もしないが、一連の「ミサイル」発射を伝えるメディアの報道の仕方は、どう考えてもおかしいと思う。政府の発表をそのまま垂れ流しているだけで、大本営発表を無批判に伝達しているのと何も変わらない。あまりにも一方的で一面的すぎる。

 NHKに限らずメディアはもっと冷静に伝えるべきだ。これでは国家総動員態勢に協力した戦前の二の舞になってしまう。危機意識を煽り立てる安倍政権に都合よく利用されて、軍備増強と国威発揚と戦意高揚にひた走る独裁体制に加担するだけではないか。国民を再び誤った方向に誘導するつもりなのか。とんでもなく危うい未来の姿しか想像できない。


2月9日(火曜日) 「能登の里人ものがたり」

 朝日新聞記者の藤井満さんから昨年末にご著書を頂戴した。「能登の里人ものがたり/世界農業遺産の里山里海から」(アットワークス)。朝日新聞石川版に連載された「能登の風」に大幅加筆し構成したものだ。愛媛の山村を訪ね歩いた前著「消える村 生き残るムラ/市町村合併にゆれる山村」(同社)と同様に、地方の市町村を丹念に歩いて記録し続ける藤井さんらしい筆致で、輪島の朝市での出会いや、土地に根付いた食文化の数々、能登の食を最大限に生かす輪島塗の歴史、地元の祭りや伝統行事などが紹介されていく。

 「食レポ」としても楽しく美味しく読めるが、国策である珠洲原発の計画を阻んだ蛸島漁協の反対運動、原発建設をめぐって住民の間に刻まれた亀裂と深い溝についての話も、個人的にはなかなか興味深かった。NHKの朝ドラのロケ地をたどるかのように赴任している藤井さん。「まれ」の次の現在の任地は「あさが来た」の和歌山なので、次回作のテーマはミカンや梅林や海の幸に関するルポだろうか。大いに期待したい。


2月10日(水曜日) だれが「公平性」を判断するのか

 高市早苗総務相が8日と9日の衆院予算委員会で、放送局が政治的に公平性に欠ける放送をしたと判断した場合には、電波停止を命じる可能性があると繰り返し答弁した。高市総務相をはじめ安倍政権の面々は、憲法が保障する表現の自由や言論報道の自由がいかに重要な存在であるか、国民主権を維持するために命がけで守られなければならないものであることを、全く理解していないことが改めて明らかになった。

 そもそもだれが「公平性に欠ける」と判断するのか。政権与党が判断するのであれば、政府に批判的なことを述べれば「公平性に欠ける」と一方的に断じられるということではないか。別の言い方をすれば、政府に都合のいい番組を放送し、政府に言われるがままの情報を垂れ流せば「公平である」と評価されることになる。

 「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と平然と述べたNHKの籾井勝人会長の思考パターンそのままではないか。それはもはや権力を監視するのが最大の職務である報道機関とは言えない。そういうのを「国営放送」「政府の広報宣伝機関」と言うのだ。まさにファシズム。独裁政権による大本営発表の再現そのものではないか。

 きょう10日の衆院予算委で、高市総務相の答弁についてどのように考えるかを問われた安倍晋三首相は、「それは総務相に聞いてくれ」と繰り返すのみで、ついに最後まで自分の見解をまともに説明することはなかった。一貫した典型的な詭弁と詐欺師的はぐらかし。自分が任命した大臣の言葉について説明もできない(しようとしない)とは。

 安倍首相が質問に対してまともに答えず、答弁をはぐらかすのは今に始まったことではないが、独裁政権の傲慢不遜さと醜悪さと驕りを見せつける国会審議だった。生放送で国会中継を見ていなければ、国民を馬鹿にしたこのデタラメさは実感できない。


2月12日(金曜日) 安倍首相の責任は

 育休を取得して子育てすると主張しながら、実は不倫していた自民党の宮崎謙介衆院議員が記者会見後、議員辞職願を衆院議長に提出した。ベッキーの不倫疑惑なんかとは比較にならないゲスの極みではないか。何の説得力も持たない育休や政界復帰への思いを会見で述べるなど度し難い。馬鹿じゃないか。こんな支離滅裂な男を2回も公認し、政界に送り出した自民党の責任は重すぎる。

 一方、丸川珠代環境相は、福島原発事故の除染基準値とする年間被ばく線量について「何の科学的根拠もなく時の環境相が決めた」との発言を会見で撤回した。国際機関の勧告や地元の要望を踏まえた事実関係も把握せずデタラメを放言し、衆院予算委でも間違いも認めず撤回もしなかった。なんとも偉そうな会見で有権者を愚弄する丸川氏は、明らかに大臣として不適格だ。安倍首相の任命責任が厳しく問われるべきだ。

 何を言っても何をやっても適当にはぐらかし、国会での追及にもまともに答えず、やりたい放題の安倍自民党の国会議員や大臣。その頂点に立つ安倍晋三首相は「任命責任は首相である私にある」と言いながら、責任は一切取らない。宮崎謙介議員も、丸川珠代環境相も、甘利明前大臣にしても、公認し任命したのは安倍自民党ではないか。せめて首相としての責任ぐらいしっかり取れよ。安倍政権のデタラメぶりが酷すぎる。

◇◇

 そもそも政府・与党が報道機関に介入し、報道内容に口出しすること自体が大問題。まともな民主主義国家ではあり得ない。安倍政権になってから、その異常さが際立つ。

特集ワイド:続報真相、海外メディア東京特派員らが語る、日本「報道の自由」の危機(毎日)

http://mainichi.jp/articles/20160212/dde/012/010/003000c


2月13日(土曜日) 「不登校法案」の迷走

 「フリースクールのあり方を議論する」ではなくて、「不登校の子どもたちの教育機会のあり方を議論する」であるべきだし、そもそもそうであったはずだと思うのだが。しかも「多様な教育機会」という概念や文言はいったいどこへいったんだ。記事の内容も視点も(この問題についての朝日の姿勢は一貫してずっとこんな調子だが)、国会での法案調整の動きも、完全に迷走している。

フリースクール、義務教育化見送り、議員立法の骨子発表(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ2D5RNXJ2DUTFK00T.html?iref=comtop_list_pol_n03


2月14日(日曜日) 「今そこにある緊急事態」

 有事や大規模災害などが発生した時に緊急事態を宣言し、内閣総理大臣等に一時的に権限付与する規定が憲法に必要だと主張する自民党。「『発生したとき』? 何を言っているのだろう。緊急事態なら、日本は5年前のあの日からずっと、そのまっただ中にいるではないか」──。そもそも前提がおかしくて支離滅裂で矛盾だらけの安倍政権の詭弁を、明確に指摘した秀逸なコラムだと思う。

日曜に想う、今そこにある「緊急事態」論説主幹・大野博人(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12209143.html?ref=nmail_20160214mo


2月15日(月曜日) 丸川環境相は辞任すべきだ

 福島原発事故の除染基準値の被ばく線量について「何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」「反放射能派」などと事実に反するデタラメを放言し、しかも「記憶がない」と言って、5日間も自分自身の発言内容すら認めず撤回もしなかった丸川珠代環境相が、「私の発言に間違いないと確認させていただいたので(会見で)発言を撤回した」と衆院予算委員会で答弁した。

 まるで他人ごとのようなこの言い方はいったい何なんだ。相変わらず高飛車で上から目線の態度。謝罪の言葉もなし。国務大臣としての暴言なのだから、国会の場できちんと発言を撤回し謝罪するべきだろう。どこまでも有権者を愚弄する姿勢に驚き呆れる。環境相としての資質は全くない。国会議員としても論外。辞任に値する。

 一方の安倍首相は、育児休暇詐欺で不倫がばれて辞職願を提出した衆院議員について、「党の総裁として申し訳ない」などと衆院予算委で陳謝したが、安倍首相が陳謝すべきなのはそこではないだろう。丸川大臣の暴言こそ環境相として致命的ではないか。任命責任が大きく問われる重大問題なのに言及も謝罪も解任もないのか。甘利明経済再生担当相の金銭授受・口利き問題に対しても同様だ。

 さらに放送法の「政治的中立性」をめぐる質疑では、憲法が掲げる表現の自由の意味すらまともに理解できていないのに、まるで放送局の陰謀によって自分自身が被害者にされているかのような妄想を延々と述べる安倍首相。そして、聞かれてもいない話を勝手に答弁し続ける高市早苗総務相。

 質問にまともに答えず、はぐらかし、話をすり替える。平然と嘘をつくし、誠実さの欠片もない。何なんだろう、国民の巨額の税金を無駄に使ったこの茶番劇は。それでいながら、言論の自由と民主主義が安倍政権の看板だと言い募る。こんな支離滅裂な政権は見たことがない。


2月16日(火曜日) 結論が腰砕けの社説にがっかり

 きょう16日付の朝日と毎日の社説。<丸川環境相、撤回しても残る「軽さ」>(朝日)、<丸川環境相、自覚と誠実さに欠ける>(毎日)。どちらも厳しい筆致で途中まで威勢がいいのに、結論部分が腰砕けなのが残念すぎる。「内閣としての姿勢が問われかねない」(朝日)、「政府への信頼をさらに失わせ解決を遠のかせてしまう」(毎日)とは、あまりにがっかりなまとめ方だ。

 特に朝日は終盤になって、横やりが入ったので少し手直ししましたみたいな感じで、急にトーンダウンした文章構成に強い違和感を覚える。せっかく厳しい姿勢で丸川環境相を追及していたのにもったいない。ここまで有権者を愚弄し環境相としての職を貶めた丸川氏に、国務大臣の資格などどこにもないのは明らかなのだから、「環境相として不適格だから辞任せよ」と明確に言い切ってほしかった。いやむしろ言い切るべきだと思う。それが権力を監視する新聞の役割だろう。

丸川環境相、撤回しても残る「軽さ」(朝日社説)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12210350.html?ref=nmail_20160216mo

丸川環境相、自覚と誠実さに欠ける(毎日社説)

http://mainichi.jp/articles/20160216/ddm/005/070/060000c?fm=mnm

◇◇

 滋賀県内の報道各社の責任者でつくる「十社会」が県議会に抗議文。報道機関は県政の広報宣伝機関ではないのだから、NHKが独自取材を基に自由に伝えるのは当然だ。とやかく言われる筋合いのものではないし、それに対する圧力は到底許されない。滋賀県内の報道機関が一致団結し、権力の不当な介入に対抗する姿勢を示したことを断然支持する。

NHK・滋賀県予算案事前報道、県議会に抗議文を提出、「滋賀県新聞通信放送十社会」(毎日)

http://mainichi.jp/articles/20160217/k00/00m/040/059000c


2月17日(水曜日) 原宿

 東京・原宿で開かれた「多様なき不登校法案」に反対する集会を取材。久々に降りた原宿駅前は洗練されていて、とても都会的でカッコいい空気が漂っていた(笑)。集会終了後、隠れ家的な居酒屋で懇親会にも参加する。終電ギリギリでなんとか帰宅。


2月18日(木曜日) 安倍独裁政権の末期症状

 何でもありの安倍自民党。止まることを知らない閣僚や国会議員の失言・放言・暴言の数々に、歯止めも抑制もまるで利かなくなっている。いずれも事実に基づかないデマや誹謗中傷や妄想の類を、平然と公の場で言い放つのが特徴だ。ついうっかりといった失言の域など、はるかに超えたものばかりと言っていい。すべてが本音と醜悪な人間性の発露そのものだろう。

 これまでなら既に政権が10個くらい軽く吹っ飛んでいる重大事案ばかりだと思うが、暴言の主は反省の様子も見せず開き直りさえする始末。安倍首相もまるで他人ごと。傲慢不遜な安倍独裁政権の姿勢そのものではないか。いよいよ末期症状に拍車がかかってきた。


2月19日(金曜日) 教育とメディアへの政治介入

 午前10時半から衆議院第2議員会館で、不登校の子どもたちの教育支援を考える「超党派フリースクール等議員連盟」の立法チーム会合を取材。冒頭部分のみの公開なのでいったん退席。会合終了後、事務局長の林久美子参院議員からブリーフィング(説明)を受ける。さらにその後、議員会館地下の食堂で関係者から法案をめぐる状況や背景について話を聞く。

◇◇

 夕方から横須賀市のヴェルクよこすかで、「安倍『教育改革』と国家統制/教育現場とメディアへの政治介入」をテーマに講演。地元教職員組合など市民団体の主催。会場はほぼ満員。安倍政権の教育現場やメディアへの圧力は常軌を逸していること、政府与党に都合のいい情報を垂れ流すのが「政治的中立」ではないこと、記者の最も重要な職責は権力監視であり、それが果たせないのは主権者である国民の知る権利侵害につながる、といった話をした。

 反応はまずまずだったのでほっと安心。事実上の国営放送になってしまっているNHKニュースの実態や、高市早苗総務相の電波停止発言など、タイムリーな話ができたのではないかと思う。会場からは、主権者教育や市民運動のあり方、経済格差と教育格差についての質問が出るなど、とても有意義な学習会だった。終了後、横須賀中央駅前の居酒屋で、呉東正彦弁護士ら主催スタッフの皆さんと懇親会。

◇◇

 【おことわり】2月17日付から2月19日付までの「身辺雑記」を、まとめて更新しました。


2月20日(土曜日) 自立した市民を育てるとは

 模擬投票などをして投票の仕方をいくら学んでも、ほとんど意味はない。それよりも主権者としての権利を行使するために、何をどのように考えて判断するべきか、正しく考え判断するための情報をどうやって取捨選択し、公権力にどう向き合うか、そういうことこそもっとしっかり学ぶべきだ。

 政治家や公務員が国民の納めた税金を正しく使っているか使っていないか、憲法や法律に従って適切に仕事をしているかしていないか、そういう事実を把握して判断し投票する意味を知ること、それこそが自立した市民(主権者)を育てる本当の「主権者教育」というものだろう。多くの学校現場やメディアは「主権者教育」を勘違いしていると思うよ。


2月21日(日曜日) 恥ずかしいのはどっちだ

 岐阜大学(森脇久隆学長)が卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示したことを、馳浩文部科学相が批判。「国立大として運営費交付金が投入されている」からと言って、それは政府与党の金ではない。国民の税金が交付されているだけの話だ。

 学生のためにどこからどれだけ大学の運営費が提供されていたとしても、大学自治や学問の自由が最大限尊重されるべきなのは言うまでもない。政府与党の権力者が、大学の運営にいちいち口を出すこと自体よほど恥ずかしい。

 安倍政権の閣僚たちには、安倍首相をはじめとして身のほどをわきまえない言動が目立ち過ぎる。国家・政府と国民(主権者)との関係や立憲主義の意味を理解していないからだろう。民主国家の政府を名乗りながら、本当に恥ずかしく情けない人たちだ。

岐阜大が国歌斉唱しない方針、馳文科相「恥ずかしい」(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ2P5GMFJ2PUTFK003.html?iref=comtop_6_02


2月22日(月曜日) 高校生の思想信条の自由を守れ

 高校生の校外での政治活動について、朝日の調査結果。「届け出は不要」とする6自治体(宮城、愛知、香川各県、大阪府、仙台市、堺市)の判断は至極当然だ。そんな当然の判断ができない自治体や教育関係者の方こそ、むしろおかしい。

 高校生が校外で政治活動をしてもあるいはしなくても、すべて個人の自由と責任で判断されるべき話だ。そもそも学校に届け出をさせるなんて、憲法で保障された思想信条の自由を侵害する行為だろう。個人的な思想信条に関する重大なプライバシーを、いちいち申告させられるなど、到底あり得ないし許されることではない。そんな無法がまかり通る学校を「おかしい」と思わないことの方がおかしい。

高校生の校外での政治活動、4府県2市「届け出不要」(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ2P5FTJJ2PUTIL00T.html


2月23日(火曜日) 再び、恥ずかしいのはどっちだ

 馳浩文科大臣が性懲りもなくまた、国歌斉唱しない方針を示した岐阜大学を批判したそうだ。前にも書いたが、政府与党の政治家が大学自治にいちいち口を挟んで、介入することの方がよほど恥ずかしい。

 そもそも国立大学だからといって、なぜ直立不動で国歌斉唱しなければならないのか。国立でも公立でも私立でも、そんなことは個人の自由と責任の範囲で考えて判断すればいい話ではないか。なぜ旗や歌への忠誠を強要されなければならないのか。強制しようとすること自体が恥ずかしい。

 納税者にも多様な考えや価値観がある。税金で運営されている、あるいは税金が投入されているからと言って、政府与党の価値観や国家観に、主権者たる国民をすべて従わせて強制しようとする発想こそ、民主国家として実に恥ずかしいことではないか。税金は政府与党の金ではないことを自覚すべきだ。

 国家(政府)の方針に黙って従う大学など、どこかの独裁国家ならいざ知らず、まともな民主国家ではあり得ない。学問の自由と大学自治を放棄するに等しい恥ずかしい話だし、そんな大学は先進民主国家には存在しない。

 念のために言っておくが、卒業式や入学式で国歌斉唱する学校はあっても、斉唱を強制するような国は先進国では日本だけだ。それこそ実に恥ずかしい話ではないか。

馳氏、岐阜大を改めて批判「国立大として恥ずかしい」(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ2R3CDYJ2RUTIL002.html?iref=comtop_6_05


2月24日(水曜日) だれの何のための原子力規制委か

 運転開始から40年を超える福井県の高浜原発1・2号機(関西電力)が、原子力規制委員会の新規制基準の審査に事実上合格した。原則40年の運転期間制限が「特例として」さらに20年延長することが可能になるという。なんだよ特例って。あらかじめ設定されていた耐用年数の限界を無視して、老朽化した原発の安全性が本当に保てるのか。いったい何のための、だれのための原子力規制委員会なのか。

 耐用年数に限界があるからこそ、原発の運転期間には40年という制限が設定されていたのではないのか。こんなデタラメが許されるのなら、もうなんでもありで原発の再稼働が推進されてしまうことが可能になるではないか。いったん事故が起きたら取り返しがつかない福島原発の恐怖体験を、わずか5年でもう忘れてしまったのか。原子力規制委と関西電力は馬鹿なのか。恥を知れ。

 運転期間制限の40年を超えた老朽化した原発は、例外なくすべて廃炉にすべきだ。存在自体が危険なものを、耐用年数を過ぎてさらに20年も延長させて再稼働するなんて自殺行為だろう。非常識極まりないし正気の沙汰とは思えない。

◇◇

 福島原発事故の際に「炉心溶融(メルトダウン)の判断根拠がない」などと嘘をついて、事故発生から2カ月も炉心溶融の事実を認めようとしなかった東京電力が、炉心溶融の判断基準となる社内マニュアルの存在を認めた。

 マニュアルの存在を知らなかった(把握していなかった)などというのはとても信じられない話だが、もし本当に知らなかったのならあまりにも無能で杜撰極まりないし、知っていたのに知らないふりをしていたとすれば許し難い隠蔽であり裏切り行為だ。いずれにしても原発運転を担う資格のある組織ではない。

 本来ならもっと迅速に適切な対応ができたはずなのに、事実を隠蔽し多くの住民を欺いた東京電力の罪は重い。これほど不誠実で無能な組織が原発を稼働するなんてあり得ないだろう。今さら言うまでもないことだが、原発を運転する資格がないのは東電だけではない。非科学的で不誠実な企業体質は、ほかの電力会社も同じだ。こんなにデタラメでいい加減な人たちに、危険な原発を任せるわけにはいかない。自殺行為だ。

→(東電プレスリリース)http://www.tepco.co.jp/cc/press/2016/1267653_7738.html


2月25日(木曜日) 思考停止してるのはどっちだ

 「日本国憲法は占領軍の押しつけだ」と主張する人たちこそ思考停止している。59年前の憲法調査会での議論を録音したテープを発掘し、その音声を伝える「報道ステーション」の特集。思考停止する保守系政治家や御用学者を、厳しく批判する憲法学者の木村草太氏(首都大学東京准教授)の指摘に納得。全く同感だ。被害妄想と怨念と戦前回帰の思いに凝り固まった戦争犯罪人の系譜が、今この時代に懲りずに亡霊の如く甦る愚かさよ。


2月26日(金曜日) それでも再稼働する厚顔無恥

 福井県の高浜原発4号機(関西電力)がきょう午後5時に再稼働した。関西電力と言えば、運転開始から40年を超える老朽化した高浜原発1・2号機を、さらに20年も運転延長できるように申請した超デタラメな電力会社ではないか。しかも4号機の再稼働直前の2月20日には原子炉建屋の隣の建物で、放射性物質を含む冷却水が漏れるトラブルも起こしている。それでも何ごともなかったかのように再稼働するいい加減さ。

 こんなデタラメで非科学的で不誠実な組織に、原発の運転を担う資格などあるわけがない。厚顔無恥にもほどがある。関西電力はすべての原発を速やかに廃炉にし、原発事業から撤退すべきだ。

◇◇

 芳林堂書店が自己破産。ついに、というかやっぱり。かつての池袋西口本店(2003年に閉店)や高田馬場の芳林堂は品揃えも充実していて、学生時代からお世話になった書店だけに残念。最近は横浜の関内駅前店もスカスカだったし…。ネット購入も便利だが、しかし書店で書棚を眺めて実際に手に取って、新しい本と出合う喜びは格別なんだけどなあ。


2月27日(土曜日) バカウヨの相手はしない

 日本語の読解力が全くないバカウヨに噛み付かれた。国歌斉唱しない方針を示した国立大学を文部科学大臣が批判したニュースへのコメントに対してだ。国歌斉唱を「強制する」国は先進国では日本だけ。にもかかわらず「米国では国旗に忠誠を誓っている」と言い張る。自分の意思で自主的に忠誠を誓うことと、強制されて忠誠を誓わさせられることの違いも分からないバカウヨ。しかも歌の話がいつの間にか旗の話にすり替わっている。しかしいずれにせよ「強制」の有無が問題の本質なのだけど。

 「バーネット事件連邦最高裁判決」も知らずに嘘八百を平然と並べ立てる、そんなバカウヨの相手はしない。事実をねじ曲げて、都合の悪いことは見ようともしない。自分の思い込みだけを一方的に書き散らかして何が楽しいのだろう。


2月28日(日曜日) 沈黙は金じゃない

 視点も内容も、なるほどなと思いながら面白く読んだ今朝の朝日新聞のコラム2本。どちらの記事にも、われわれは主権者として何も言わず何も行動しないままでいいのか、という疑問と問題提起が根底に流れている。安倍強権独裁政権下のこの国に生きるものとして、今こそ真剣に考えるべき指摘だ。沈黙はけっして金じゃない。しっかり考えて、したたかに行動すべき時だと改めて思う。

「日曜に想う/税の行方、ヒツジたちの沈黙」(特別編集委員・山中季広)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12232145.html?ref=nmail_20160228mo

「政治断簡/だまってトイレをつまらせろ」(政治部次長・高橋純子)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12232116.html?ref=nmail_20160228mo


2月29日(月曜日) 無能な組織は原発を動かすな

 高浜原発4号機(福井県)の原子炉が緊急停止。動かしてはいけない原発を動かしてはいけない無能な組織(関西電力)が動かす、という恐怖と欺瞞と愚劣さ。まともに制御すらできない危険な原発を、どうして安全に運転できるなどと断言できるのか。根拠のない自信ほど危ういものはない。しかも2月20日には、放射性物質を含む汚染水が漏れる事故も起こしているのに。身のほど知らずにもほどがある。

◇◇

 福島原発事故を巡り検察審査会から起訴議決された東京電力元会長ら3人が、検察官役に指定された弁護士によって強制起訴。原発事故の3年前に東電は、最大で15メートルを超える津波の可能性を試算していた。

 大津波の被害が予見できたのに予防策を講じなかったことで、原発大惨事が起きたのだから、不作為による作為なのは明らかではないか。殺人罪に相当する犯罪行為と言ってもいいのではないか。自然災害などでは断じてない。明白な人災だろう。

 事故の3年前に津波の試算があったことに対して、「報告を受けていないから知らなかった」「あくまで仮定の計算の話」「安全性は十分担保されていると思っていた」などと開き直る東電元会長らの無責任かつ不誠実な態度は許し難い。なんなんだこの他人ごとのような逃げ口上は。東電経営幹部の厚顔無恥な姿勢に改めて怒りが込み上がってくる。


ご意見・ご感想などは<こちら>まで

身辺雑記の総目次ページへ戻る

フロントページへ戻る

[NEW][EVA][カレカノ][トトロ][映画][セカンド][リンク][作者][BBS]