身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2016年3月1日〜3月31日

●TBSよどこへ行く●憲法を変える必要性が理解できない●今年も花粉症の季節到来●安倍は沖縄と日本国民のために働け●謎の言葉「ポンチ絵」●記者の役割と「伝えたい」思い●著者も出版社も無責任すぎる●高浜原発の運転差し止めは当然だ●原発再稼働しか頭にない無能首相●天皇陛下と安倍晋三の言葉の格差●原発事故を招いた安倍首相の大罪●安倍政権の本質と欺瞞性●「みんしゅ」と「みんしん」●憲法違反の校則は一切無効だ●「クロ現」最終回とNHK国営化●「怒りを覚える」のはこっちの方だ●安倍晋三とヒトラーはそっくりだ●琉球新報が怒りの社説●硬直した防衛大でいいのか●ナチスの手法そっくり●「メール免職裁判」控訴審で画期的判決●ネトウヨの作り方●調べもの●都教委の無法に加担する記者たち●報道関係者は自問自答を●●●ほか


3月1日(火曜日) TBSよどこへ行く

 TBSと「ひるおび」のスタッフはいったい何を考えているのだろう。いくらなんでもこれはないだろう。報道機関・情報番組に携わっているテレビマンとしての矜持はないのか。あるいは無知ゆえの人選だったのか。だとしたらメディアの人間として致命的ではないか。

 いずれにしても言葉を失うばかりの信じ難い話だ。愕然とする。NHKのニュース部門や討論番組はとっくに事実上の国営放送と化していて、最初から論外だから別に驚きもしないけど。TBSにはしっかり踏ん張ってほしいと切望する。

<『NEWS23』攻撃の呼びかけ人、ケント・ギルバートをTBS、NHKがコメンテーターに起用!安倍別働隊に屈服するテレビ局 >(LITERA/リテラ)

http://lite-ra.com/2016/03/post-2022.html

◇◇

 質問にまともに答えず、話をすり替えて聞かれてもいないことを一方的に話し、しかも同じことを繰り返し語り続ける。ご本人が既にもう立派なロボット答弁者ではないですか。

安倍首相「ロボット答弁者あったらいいなあ」(毎日)

http://mainichi.jp/articles/20160302/k00/00m/010/125000c


3月2日(水曜日) 憲法を変える必要性が理解できない

 【メモ】不登校の子どもの学びを支援し教育機会を確保する法案について、超党派議連は2日、衆議院第二議員会館で立法チームの会合を開いて条文案を検討した。4日午前に再び立法チームで検討した後、同日午後の議連の合同総会で最終条文案を示す予定。さらに各会派に持ち帰って議論し、全会派一致で国会提出し成立させることを目指しているが、依然として賛否両論が錯綜しており予断を許さない状況。

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 国民が平和で豊かで自由に暮らせるように保障している憲法を、どうしてわざわざ改悪しなければならないのか。全くさっぱり理解できない。権力を厳重に縛っている憲法が存在しても、その憲法を平然と蹂躙し無視する安倍政権。そんな連中が自分たちの好き勝手に権力を行使できる新憲法を作ったら、平和な暮らしと自由と人権は間違いなくすべて吹っ飛んでしまうだろう。それでいいのか。

 ただでさえ強権的で横暴で傲慢不遜な安倍政治が、ますます国民への管理統制の支配を強めるのは確実だ。憲法を遵守する義務が課されているのは権力者の側だというのが立憲主義なのに、憲法に従う義務があるのは国民だと主張するのが安倍自民党なのだから、根本的な発想がおかしいし、そもそも大前提となるものが完全に狂っている。本末転倒もはなはだしい。

 この国の主権者である日本国民は、そんな不自由でデタラメな息の詰まる社会を本当に望んでいるのだろうか。少なくとも僕は真っ平ごめんだ。断じて容認できない。


3月3日(木曜日) 今年も花粉症の季節到来

 とうとう今年も花粉症の症状が出てしまった。鼻水とくしゃみに加えて目の痒みというフルコースだ。昨日までは花粉症の症状がほとんど出ていなかったので、もしかしたらこのまま乗り切れるかもと期待していたのだが、やはりそんなに甘くはなかった。

 昨日に続いてきょうはぽかぽか陽気。4月上旬並みの暖かさだったから、ここにきて大量の花粉が飛び散って症状が出たのだろう。いつも服用している鼻炎薬を飲んだらなんとか落ち着いたけど、また憂鬱な季節が始まっちゃったよ(涙)。

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 今夜放送された「浦沢直樹の漫勉『萩尾望都』」(NHK教育)は面白かったなあ。目の表情や手の演技の作画に対し、徹底してこだわる漫画家の執念と職人魂に感動した。それらはすべて作者の思いを読者に伝えるための演出なんだ、ということを目の当たりにして、その真摯でストイックな姿勢に改めて感服する。それにしても浦沢直樹という漫画家は博識で、なおかついろんな漫画を読み込んでよく勉強している人だ。すごい。さすがだ。

 練り上げられたストーリーと細部にまでこだわる作画と。そのどちらが欠けても、読者を感動させて心に響く「名作」漫画は生まれないことがよく分かる。見ごたえのあるいい番組だった。

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 参議院予算委員会で安倍首相が「憲法には触れてはならないという思考停止に陥ることがあってはならない」と発言。安倍晋三首相の詭弁と嘘八百には本当に腹が立つ。何回も言うが思考停止しているのは安倍首相の方だろう。「押し付けられた憲法の改正は自民党の党是」などと、いつまでも戦前の亡霊に執着し続ける安倍首相の発想と主張こそ、思考停止そのものではないか。

 現行憲法は日本人自身が起案し日本国民の総意として制定したものだ。この憲法が存在するおかげで、この国の平和と自由と繁栄は維持されてきた。天皇もそのようにこれまで繰り返し述べているではないか。国会という公の場で、事実をねじ曲げて詭弁を弄するのもいい加減にしろと言いたい。


3月4日(金曜日) 不登校法案メモ

 【メモ】不登校の子どもを支援する法案を議論している超党派議連は4日、衆議院第二議員会館で合同総会を開いて、新座長試案に基づく条文案を公開した。旧案と相当異なる内容となった法案に対し、もっと時間をかけた説明や議論が必要ではないかとの意見が出た。当事者や保護者の中には、不登校対策的な法律よりもまず学校の現状改革をとの声も多い。全会派一致での国会提出は依然不透明な状況だ。

 超党派議連は8日開催予定の立法チーム会合で、当事者ら関係6団体からのヒアリングや議論をした上で、11日には再び議連の合同総会を開いてさらに法案内容を検討し、各党の手続きに入ることを目指したいとしている。新しい条文案によると、法案タイトルから「多様な」の文言がなくなったほか、「個別学習計画」に関する項目がすべて削除された。


3月5日(土曜日) 安倍は沖縄と日本国民のために働け

 きのう4日発売の「週刊金曜日」3月4日号に、「『多様な』消えるか不登校法案/新座長試案に当事者から不安の声も」を執筆。不登校の子どもたちを支援する法案を検討してきた超党派議連の議論が、いよいよ山場を迎えている状況と、新法案に対する不登校当事者らの思いや評価を1ページにまとめて報告しました。

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 沖縄の米軍普天間基地の移設計画を巡る裁判で国と沖縄県の和解が成立し、埋め立て工事が当面中断されるのはとりあえずよかったが、しかし選挙が終われば安倍政権は必ず工事を再開するだろう。なぜなら安倍政権が和解案の受け入れに転じたのは、強硬姿勢を取り繕う(カモフラージュする)ための選挙前のポーズに過ぎないからだ。和解の受け入れが選挙目当てなのは明白だ。

 「辺野古移設が唯一の選択肢」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返す安倍政権。憲法改正の主張と同様に、ここでもまた思考停止を続ける安倍首相にはうんざりだ。米軍基地の重荷を背負わされ続けてきた沖縄にとって、辺野古移設が「唯一の選択肢」のはずがない。それはすべての日本国民にとっても同じはずだろう。

 日本政府は、米国政府と米軍を説得するためにもっと真剣に働くべきだ。思考停止してはならないのは日本政府(安倍政権)自身ではないのか。安倍政権は米国のためでなく、沖縄県民と日本国民のためにあらゆる手段を使って動け。もっと頭を使え。


3月6日(日曜日) 謎の言葉「ポンチ絵」

 国会や文部科学省の取材で「ポンチ絵」なる言葉がごく普通に飛び交っていて、「漫画?落書き?ラフ絵?」などと戸惑っていたのだが、このまとめ記事を読んで、中央官庁では「ポンチ絵」という言葉が、概略図や図表などの添付資料を示す公式用語だったことがよく分かった。

 だけど官僚が書く「ポンチ絵」が必ずしも一般的に理解しやすい概略図になっているとは、少なくとも僕にはあまり思えないんだけどなあ。官僚や国会議員(や政治部記者)の世界では「分かりやすいもの」として流通しているのだろうか。あるいは僕が政治部系でなくどちらかというと社会部系の記者だから、こういう文化に馴染んでいないだけなのか。うーむ。

大学人に学ぶ、あなたの知らない「お役所的ポンチ絵」の妖しい世界(Togetterまとめ)

http://togetter.com/li/946064


3月7日(月曜日) 記者の役割と「伝えたい」思い

 目の前の被災者を「救う」とか「役に立つ」なんておこがましいことは、考えなくてもいいんじゃないかと僕は思います。というか少なくとも僕には、そんな大それたことはできないし考えることもできません。

 記者としての自分にできるのは、とりあえずまず取材して記録することであり、そして記事を書くことによって、考える材料と判断するための材料を読者に伝えることしかありません。そのための活力源となるのは、「この事実を伝えたい」との思いだけです。そうしたモチベーションがあるからこそ、僕は記事を書くことができます。

 もちろん大勢の記者の中には、ノルマをこなすように機械的に淡々と原稿を量産できる人もいるでしょう。しかし少なくとも僕は、自分に「伝えたい」「訴えたい」という強い思いがなければ、原稿を書くことはできません。わずか数行の文章であっても書き進めるのに四苦八苦します。自分の中に芽生えた「伝えたい」という思いを、一つ一つ記事にするしかないのではないでしょうか。

 警察官には警察官の役割が、消防士には消防士の役割が、医師や看護師には医師や看護師の役割があるのと同じように、記者には記者としての役割があるはずです。それぞれの持ち場で、それぞれのやり方で、それぞれが果たすべきことを果たすしかありませんし果たすべきです。記者に警察官や医師の代わりなんて勤まるはずがない。その逆にしてもまた同じですよね。記者は伝えるべきことを伝えて、考えてもらって、判断してもらう材料を届けることしかできないのです。

 自分は無力かどうかなんて今すぐには分からないし、そんなことを自問してもあまり意味はないと思います。無力だと思えば無力かもしれないし、役に立っていないと言われれば役に立っていないかもしれない。その逆かもしれない。判断するのは自分以外の人(読者)でしかないのですから。

 漠然と現場に行って漠然と取材するのも一つのやり方だと思いますが、自分なりの問題意識とテーマを抱いた上で、取材対象に切り込むことも必要なのではないかと考えます。災害や震災の現場だけでなく、どんな取材現場や取材対象であっても。あらかじめ立てた仮説を取材結果によって大いに修正し、現場で出会った人たちからたくさんのことを教えてもらって、それをまた読者に還元する。そして考える材料としてもらう。その繰り返しが記者の仕事だと思います。

【以上、後輩記者への返信メールから】


3月8日(火曜日) 著者も出版社も無責任すぎる

 これは酷い。無責任すぎる。米国人の弁護士ケント・ギルバート氏が、全くの事実無根の発言内容を神戸大学大学院教授の見解として、勝手に著書と雑誌とネットの記事サイトにも掲載していた。サイト上ではおわびと訂正を掲載したものの著書は回収せず、放置したままだという。

 <(ネットの記事サイトでは)著書でも誤っていることには触れず、初版の在庫約千部は処分したものの、配本済みの約1万9千部は回収しなかった。ギルバート氏は梶谷教授に謝罪していない。ギルバート氏「単純なミス。謝罪は出版社がしている」。>

 まるで他人ごとのような呆れ果てた態度に言葉を失う。不誠実にもほどがある。何はともあれ、まずは配本したすべての書籍を即刻回収し絶版にすべきだろう。「あり得ない発言」が掲載されたままの書籍がずっと残って、引用されたり孫引きされたりする危険性がある上に、しかもそれが未来にまで続くことの重大性を、いったいどれだけ認識しているのだろうか。出版社(PHP研究所)も著者のギルバート氏も、およそ言論や出版にかかわる資格はない。社会人としても論外の態度であり犯罪的だ。酷すぎる。

ケント・ギルバート氏著書で誤引用、ネット記事のみ訂正(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ3677M0J36UCVL00N.html


3月9日(水曜日) 高浜原発の運転差し止めは当然だ

 大津地裁(山本善彦裁判長)は福井県の高浜原発3、4号機(関西電力)について、運転を差し止める仮処分決定を出した。稼働中の原発の運転停止を命じる決定は初めてだ。放射性物質を含む冷却水は漏れるし、発電機のトラブルで原子炉は緊急停止するなど、まともに制御も管理もできない原発を稼働することにそもそも無理がある。

 しかも安全対策も事故対応も無為無策。おまけに関西電力は、耐用年数を超えて老朽化した高浜原発1、2号機の運転期間を、さらに延長しようとしている。安全性よりも利潤追求を優先するこんな非常識な企業に、住民の生命と健康と財産を預けられるはずがないだろう。

 今回の差し止め請求で特筆すべきは、福井県の高浜原発に隣接する滋賀県民が、「原発事故が起きたら琵琶湖が汚染され水が飲めなくなる」と訴えたことだ。これこそが原発再稼働の理不尽さと無責任さと非民主性を象徴している。目先の補助金に目がくらんだ原発立地自治体の了承だけで再稼働され、周辺住民が蚊帳の外に置かれていること自体が理不尽極まりない。だれがどう考えても到底あり得ない一方的な話だ。

 廃炉費用や重大事故のコストなど経済効率の観点からも、地震大国の日本では安全性確保に無理がある点を踏まえても、電力会社の不誠実な姿勢や隠蔽体質を実感しても、そして放射性廃棄物の処理問題が全く放置されたままであることを考えても、原発再稼働は愚行でしかない。非常識で無謀で無責任で自殺行為に等しい。

 今回の決定に対して菅義偉官房長官は、「原子力規制委員会が世界最高水準と言われる新規制基準に適合するという判断をしたものであり、政府としてはその判断を尊重して再稼働を進める方針に変わりはない」とコメントした。いったい何を根拠に、恥ずかし気もなく「世界最高水準」などと自画自賛できるのだろう。ザルで節穴でボンクラで、政府の言うがままに動く原子力「推進」委員会なのは周知の事実ではないか。みんなもう十分に分かってるよ。

 一方、小泉純一郎元首相は的を射た発言をしている。「この決定は当然だ。原発ゼロに切り替えるべきだ。やればできるんだから」。40年を超えた高浜原発1、2号機の再稼働を原子力規制委が認めたことについて「安全第一といいながら、収益第一になっている」。まったくその通りだ。

小泉元首相「この決定は当然だ」高浜原発差し止めで(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ3964MTJ39UTFK00S.html?iref=comtop_6_03

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 急遽記者会見をやるとの連絡が入ったので、朝から衆議院第二議員会館へ。だから朝の早い時間はマジで苦手なんだってば…。しかも突然。でもそんなのはお構いなしなのがこの仕事。自分の都合よりも相手の都合が優先。シャワーだけ浴びて朝食抜きで電車に飛び乗る。花粉症も辛いし、空腹もこたえるし、眠いし、打って変わった寒さも厳しい。帰路には冷たい雨が降り始める。へろへろ。


3月10日(木曜日) 原発再稼働しか頭にない無能首相

 また安倍首相が平然と嘘八百を並べ立てている。高浜原発の運転差し止めの仮処分決定について、記者会見での発言だ。「資源に乏しい日本では、エネルギー供給の安定性を確保するためには原子力発電は不可欠」──。原発を動かす原料もすべて輸入に頼っているではないか。火力、水力、自然エネルギー(再生可能エネルギー)による発電で十分ではないか。どうしても原発でなければならない理由は何なのか。そもそも原発が一つも動いていない状況でも、エネルギーは十分に安定して供給されていたではないか。

 さらに安倍首相の嘘八百は続く。「高い独立性を有する原子力規制委員会が、世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると判断した原発のみ、地元の理解を得ながら再稼働を進めるというのが政府の一貫した方針だ」──。政府の言いなりの御用機関である規制委が、恐ろしく緩い規制基準で判断しているのに。よく言うよ。どこが「世界で最も厳しいレベル」なのか。根拠もなく馬鹿の一つ覚えのように、同じことを延々と繰り返すだけではないか。

 許し難いのは「地元の理解を得ながら再稼働を進めるというのが政府の一貫した方針」といった全く事実に反する発言だ。「地元の理解」とは原発立地自治体の了承だけであって、周辺自治体の住民の声は一切無視しているではないか。原発の安全性よりも目先の利潤追求しか頭にない、無能首相のデタラメ発言には心底怒りを覚える。いい加減にしろ。


3月11日(金曜日) 天皇陛下と安倍晋三の言葉の格差

 相変わらず上っ面をなぞっただけで、全く心がこもっていない安倍首相の東日本大震災5年追悼式での式辞。原発事故の放射能汚染には一言も触れることなく、しかも「一歩ずつだが復興は確実に前進している」だと。ふざけるな。「福島はアンダーコントロール(制御)されている」などと、IOC総会で世界に向けて堂々とデタラメを発信した安倍首相らしい式辞だが、しかしよく恥ずかし気もなく「復興は確実に前進している」などと口に出せるものだ。いい加減にしろと言いたい。

 一方、天皇陛下の言葉は真摯で温かみがあって、聞く者の心に響く。原発事故にもきちんと触れた上で、「放射能汚染のため多くの人々が避難生活を余儀なくされた」と述べて、原発事故の重大性と深刻さにしっかり言及した。放射能汚染の「ほ」の字も出さない安倍首相の式辞とは雲泥の差だ。テレビ画面が映し出す安倍首相の挙措は、頭も育ちも悪そうな小学生みたいだった。

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 【メモ】「サンデー毎日」(毎日新聞社)が報じた「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」と題する記事内容は、真実で公益性もあると大阪地裁(小池明善裁判長)が認定。慰謝料550万円と謝罪記事の掲載を求めた稲田朋美・自民党政調会長の訴えを棄却した。

稲田朋美氏の請求棄却「在特会と蜜月」の週刊誌報道(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ2Y4FDHJ2YPTIL00P.html?iref=comtop_6_05

 【メモ】大阪地裁(小池明善裁判長)は「(自民党の稲田朋美政調会長の資金管理団体が)在特会の関係者から寄付を受けたことは真実」と指摘。「記事は事実を踏まえた評価で、違法性は認められない」と結論付けた。

サンデー毎日損害賠償、在特会関連記事で稲田氏の請求棄却(毎日)

http://mainichi.jp/articles/20160312/k00/00m/040/037000c


3月12日(土曜日) 原発事故を招いた安倍首相の大罪

 安倍首相は原発事故の5年前に国会で原発電源喪失の可能性を指摘されながら、「日本の原発では考えられない」と対策を拒否。そしてその後も安倍首相はさらに…。福島原発事故の本質と背景を的確に鋭く指摘する良記事。

 国会での質問にまともに答えようとせず、デタラメ答弁を繰り返し、嘘と詭弁と恫喝を続ける安倍首相の罪は果てしなく重い。そのなかでも特に、取り返しのつかない福島原発事故を招いた安倍首相の不作為の犯罪は万死に値する。

 以前から何回も指摘されている周知の事実ではあるが、大震災と原発事故から5年となる今この時期に、改めて安倍首相の犯罪性を振り返って確認するのは大いに意味がある。折に触れて何回でも繰り返し取り上げるべき話だろう。

<もう一度言う、福島原発事故の主犯は安倍晋三だ!第一次政権時に地震対策拒否、事故後もメディア恫喝で隠蔽…>(LITERA/リテラ)

http://lite-ra.com/2016/03/post-2055.html

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 3・11の福島原発事故の衝撃と後悔と反省から5年。ところが何ごともなかったかのように、メディアを選別して原発推進の広告掲載を復活する電力会社。原発と電力会社に対するあの日の怒りと恐怖と不信感は、日本人の心から消えてなくなったのか。日本人の多くはもうすっかり忘れてしまったと、電力会社と一部のメディアは考えているのだろうか。無責任と無反省と傲慢不遜と。

<復活した電力会社の原発広告に文化人や芸能人がまたぞろ登場して原発をPR!500万円の高額ギャラも>(LITERA/リテラ)

http://lite-ra.com/2016/03/post-2054.html


3月14日(月曜日) 安倍政権の本質と欺瞞性

 「これまでも選挙前には経済対策を中心に訴え、選挙後に集団的自衛権の行使容認や安全保障法制など肝いりの政策を一気に進める手法を繰り返してきた」「選挙で勝利すると、白紙委任を得たかのように一気に進めるやり方だ」(14日付朝日・総合面=2面=「時時刻刻・首相、改憲語らず、参院選控え一時抑制か、自民党大会」)。安倍政権の本質と欺瞞性を的確に指摘している。こういう記事をもっと継続してしつこく大きく掲載すべきだ。


3月15日(火曜日) 「みんしゅ」と「みんしん」

 「みんしゅとう」と「みんしんとう」。平仮名で一文字違いだから「みんしんとう」でもいいような気がしてきた。立憲民主党の方が民進党よりも理念をストレートに表していると感じていたが、投票時に長くて書きにくいかもしれないし。ちなみに僕が民主党(民進党)に必ずしも投じるというわけではない。政策と人柄と政治情勢を見て判断する。間違っても「日本国憲法を蹂躙し冒涜する候補者と政党」に投票しないことだけは確かだけど。


3月16日(水曜日) 憲法違反の校則は一切無効だ

 愛媛県のすべての県立高校が、生徒の政治活動の届け出を校則で義務化。こんな届け出をさせて18歳選挙権導入や主権者教育と矛盾しないと、愛媛県の教育関係者は考えているのだろうか。そのうち、だれに投票するかについても事前に届けを出せとでも言い出すつもりなのだろうか。

 愛媛県の教育関係者は、高校生が自分で考え判断し行動することの価値や意義や重要性を全く理解していない。思想信条や政治的活動の自由は憲法で保障された最も大切な基本的人権の一つだ。学校や教育委員会が口を挟むことが許される領域ではない。彼らの理屈でいけば、どの政党のどの候補者に投票するかも事前に届けよということになりかねない。

 明らかに憲法違反のこんな校則は一切無効だ。黙って従う必要はない。それこそ愛媛の県立高校の生徒が一致団結して抵抗し撤回運動を起こせばよい。まさにそうした行動こそが、自立した市民(主権者)としての政治参加の一歩につながるはずだ。それもまた届けを出せと言うかもしれないが。

 民主主義の国の憲法と基本的人権と市民権の意味や価値すら理解していない馬鹿な教師や校長や教育委員会とは、徹底的に闘えばいい。これはイデオロギーの問題ではなく、人としての尊厳の問題なのだから。

政治活動届け出を校則化、愛媛の全県立高、県教委が例示(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ3C3PWWJ3CUTIL00C.html?iref=comtop_list_nat_n01


3月17日(木曜日) 「クロ現」最終回とNHK国営化

 国谷裕子キャスターの「クローズアップ現代」が最終回。これでいよいよ、事実上の国営放送(安倍政権の広報宣伝機関)としてのNHKの存在に王手がかかった、と言っていい。ちなみに4月から始まる新番組「クロ現プラス」は、これまでの「クロ現」とは似ても似つかない全く別ものだ。

 新番組お披露目の発表会見で、記者から「政権を批判することもジャーナリズムの役割だが」と聞かれると、登板予定の7人のキャスターの中には「国谷さんほどの知識も教養も足りないので勉強したい……」「とても難しい質問。私まで回ってこないでと思っていた」などと返すNHKアナもいた(朝日)というのだから、NHKは国谷さんの後任には、度し難いラインナップをあえて揃えたのではないかと考えるしかない。

 しかしそんな姿勢や志で報道番組に臨むキャスターがあるだろうか。しかも曲がりなりにもプロの放送人のはずなのに。およそ報道番組というかジャーナリズムに携わる人間として、耳を疑うばかりの言葉だ。にわかには信じられない。そもそも余人をもって代え難い国谷キャスターを、わざわざ降板させること自体が理解に苦しむ対応なのだけど。

 NHKの報道部門はジャーナリズムの看板を捨て去り、もはやどうしようもない領域にまで踏み込みつつある。大事なことなので改めてもう一度だけ書いておく。「クロ現」の解体で、事実上の国営放送(安倍政権の広報宣伝機関)としてのNHKの地位確立に王手がかかった。


3月18日(金曜日) 「怒りを覚える」のはこっちの方だ

 「憤りを超えて怒りを覚える」「理解できない」のは、われわれの方だよ。なぜ一鉄道会社や電力会社の社長に、われわれ国民の生命と平和な暮らしが根底から破壊される危険性を委ねなければならないのか。福島原発事故現場のすぐ隣に自宅を建てて、5年間住んでから発言しろと言いたい。

怒る関経連「なぜ一地裁の裁判官が」高浜原発差し止め(朝日)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ3K514KJ3KPLFA00D.html

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 安倍晋三とヒトラーって、そっくりだと思うよ。言ってることもやってることも、やろうとしてることも。そして顔つきや立ち居振る舞いや精神性も。

 今夜の「報道ステーション」の古館伊知郎キャスターは、独のワイマール憲法とヒトラー独裁を絡めながら、自民党改憲草案の緊急事態条項の問題点や危うさに対し、これまで以上に果敢に斬り込んだ。気迫のこもったいい特集だったと思う。

 しかしただ一点、「日本ではヒトラーみたいなことにはならないと思いますが」の言葉だけは不満だ。安倍政権のままならなるよ。だってヒトラーに瓜二つだもん。たぶん番組を見た視聴者の多くはそう感じたはずだ。もちろん保険をかけて、あえてあの台詞を挟んだのだろうとは推察するけど。

 こういう番組を繰り返し何回もしつこく放送することこそが、主権者たる国民が今まさに知るべき情報を提供し、判断材料とすべき事実を分かりやすく提示するジャーナリズム本来の役割だ。改めてそう痛感する。


3月19日(土曜日) メモ

 【メモ】あんたがたどこさ/肥後さ/肥後どこさ/熊本さ/熊本どこさ/船場(せんば)さ/船場山には狸がおってさ/それを猟師が鉄砲で撃ってさ/煮てさ/焼いてさ/食ってさ/それを木の葉でちょいと隠せ(←「ブラタモリ」の「熊本城はやりすぎ城」なかなか面白かった)


3月20日(日曜日) メモ

 【メモ】超党派の議員連盟が、今国会での成立を目指している不登校の子ども支援を目的とする法案は現在、各会派に持ち帰り条文審査などを行っているが、民主・維新の新党結成で党内手続きに時間を要することなどから、議連の合同総会開催は4月になる模様。法案提出はその後に。


3月21日(月曜日) 琉球新報が怒りの社説

 「帝国書院の『現代社会』は『沖縄県内の経済が基地に依存している度合いはきわめて高い』と記述。事実誤認も甚だしい」「あまりに事実と懸け離れた記述だ。検定で合格すること自体にわかに信じ難く、憤りさえ覚える」──。

 ネットなどで流布される「沖縄は基地で飯を食っている」といった虚言が、教科書にも堂々と記載されていることに対し、具体的なデータを基に琉球新報が怒りの反論を展開している。教科書会社も執筆者も文部科学省の役人も猛省した上で、きちんと説明責任を果たすべきだ。

基地めぐる誤記述、教科書内容を即刻改めよ(3月19日付・琉球新報社説)

http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-241640.html


3月22日(火曜日) 硬直した防衛大でいいのか

 防衛大学校の卒業生の任官拒否が昨年と比べ倍増。2014年から同校は、任官拒否者の卒業式出席を認めていないという。卒業式くらい出させて仲間とともに過ごさせてやれよ。いかにも安倍政権らしい不寛容さだな。心が狭すぎる。

 しかも安保関連法について校内で議論はなく、学校側からの説明もなし。思考停止した組織の硬直性に違和感を覚えた、との卒業生の声ももっともだ。賛否は別にして自由闊達な議論や空気があってこそ、風通しのいい組織たり得るだろうに。

防衛大学校、民間挑戦の男子、安保法論じぬ硬直性に違和感(毎日)

http://mainichi.jp/articles/20160322/k00/00m/040/117000c


3月23日(水曜日) ナチスの手法そっくり

 政府は、共産党が現在も破壊活動防止法の調査対象団体だとする答弁書を閣議決定。今さらながらの内容をわざわざこの時期に出してくるところが作為的だ。野党共闘に焦りを強め、くさびを打ち込む意図が露骨すぎる。安倍政権がそれだけ必死だという証左でもあるのだが、しかしそれにしても認識や発想がそもそも時代錯誤としか言いようがない。しかもレッテル貼りによる共産党攻撃とは、ナチスの手法にそっくりではないか。

 安倍ヒトラーの本性露呈が止まらない。ほとんど底なし沼のようだ。だいたい民主主義国家でありながら今どき、公党へのこんな排斥監視や中傷行為がまかり通り、公然と許されていること自体が信じ難い。民主主義社会と立憲主義を破壊しようとする今の安倍自民党こそ、破防法の調査対象とされるべきではないのか。

政府答弁書「共産は破防法調査対象」閣議決定(毎日)

http://mainichi.jp/articles/20160323/k00/00m/010/077000c


3月24日(木曜日) 「メール免職裁判」控訴審で画期的判決

 女子生徒に「不適切なメール」を送ったとして、東京都教育委員会から懲戒免職処分とされた都立高校の男性教諭(34歳)が、処分の取り消しなどを求めた裁判の控訴審で、東京高裁(綿引万里子裁判長)は3月24日、「処分は裁量権を逸脱し濫用している」として処分を取り消した一審の東京地裁判決を支持し、都側の控訴を棄却した(処分背景や経緯は「週刊金曜日」2015年1月30日号、6月19日号、10月30日号などで詳報)。

 高裁判決は、複雑な家庭で精神的に逃げ場のない生活を送っていた女子生徒の求めに応じたメールだと認定。「『わいせつなメールの送信』とは異質とも言えるほど悪質なものであるとまでは言えない」とした上で、家庭環境に恵まれない生徒の窮状を見かねての支援目的だったことや、女子生徒が現在も男性教諭に感謝していることについて繰り返し触れるなど、一審判決の事実認定を大幅に変更した。

 男性教諭は、クラス担任の女子生徒に性的表現を含む「不適切なメール」845通を送信したとして、2014年7月14日付で懲戒免職処分とされた。教諭は、複雑な家庭環境で親から虐待されていた女子生徒の相談に乗り、高校生活を支えて励ますためのメールだったと一貫して主張。

 これに対し都教委は、女子生徒が親から虐待を受けていた事実を把握せず、女子生徒から話も聞かずに一方的に男性教諭の懲戒免職処分を決めた。しかも教諭が不利になるように、事実に反する校長陳述書を都教委人事部職員課の相賀直・管理主事が捏造し、校長から裁判所に提出させた。校長はその後、「都教委の指示で不本意ながら虚偽の陳述書に署名捺印した」として新たな陳述書を裁判所に提出したことが、審理の中で明らかにされている。

 判決は、男性教諭が女子生徒に送信したメールを詳細に検討。メールの大半は生徒からの問いかけに応じるもので、送信したメールの一部に性的な内容や恋愛感情を表現するものが含まれているが、多くは他愛のない会話や単なる挨拶、返事にとどまり、「わいせつなメールの送信」とまでは言えないと判断した。【速報短縮版】


3月25日(金曜日) ネトウヨの作り方

 「米国人の19歳の女の子」という設定のマイクロソフト社製の人工知能が、ネット上の会話を通じてあっという間に、虐殺や人種差別やヒトラーを肯定し礼賛する極右思想に染まっていった。今の社会に通底する実に深い話だ。考えさせられるなあ。無知ゆえの無批判な吸収力と刷り込みと感化と洗脳と。「ネトウヨはこうやっていとも簡単に作られていく」という過程がとてもよく分かる。

「Microsoftの人工知能は、なぜ虐殺や差別を支持するようになったのか」(BuzzFeed Japan)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160325-00010001-bfj-sci


3月26日(土曜日) 調べもの

 自宅のパソコンからはアクセスできない情報サービスに接続するために、大学のSCC(情報センター)で調べもの。春休みのキャンパスでしかも土曜日の夕方だから空いている。おかげで仕事がはかどるはかどる。


3月27日(日曜日) 都教委の無法に加担する記者たち

 女子生徒に不適切なメールを送ったとして、東京都教育委員会から懲戒免職処分とされた都立高校の男性教諭が、処分の取り消しを求めた裁判の控訴審判決3月24日付「身辺雑記」参照)と、それをめぐる報道について。

 都教委が流す一方的な広報をもとに、「変態教師」「わいせつ教師」であるかのような一方的な記事を垂れ流すことに、各紙の記者は何のためらいも疑念も良心の呵責も抱かないのだろうか。事実関係を確認すれば、複雑な家庭環境で親から虐待を受けていた女子生徒の求めに応じ、男性教諭がメールを返信した経緯が分かるはずなのに。

 しかも一審判決と違って、控訴審判決ではそういう背景にもていねいに触れて事実認定を大幅に変更しているのだから、判決文をきちんと読めば都教委の発表や主張がいかに一方的でおかしいか、容易に分かるはずなのに。

 にもかかわらず、各紙記事(読売、朝日)は「免職は量刑が重過ぎる」という判決の結論部分にしか触れようとしない。それだと、都教委が免職処分を発表した際や一審判決の時の報道と変わらないではないか。都教委が流す一方的な情報をもとに「変態教師」のレッテルを貼ったニュースを垂れ流したままではないか。

 この事件と裁判は、免職処分が不当に重過ぎることだけが問題にされているのではない。女子生徒が親から虐待を受けていた事実も把握せず、女子生徒から話も聞かず、メール内容の真偽や背景の確認もせず、そればかりか虚偽の校長陳述書まで作成して裁判所に提出し、権力を濫用して免職処分をでっち上げた「都教委の異常さ」が問われているのだ。

 これほどまでデタラメな教育行政の横暴や無法がまかり通ることによって、苦痛を受けて疲弊するのは学校現場の教師と生徒たちだろう。そんな状況をただすのがメディアの役割ではないのか。

 都教委の一方的な発表をそのまま垂れ流すだけの記事を連発し、控訴審の判決内容もろくに読まず理解もできないまま、事件の本質に全く触れようともしない。そのようないい加減な記事を書いていて、それでも権力を監視する報道記者と言えるのか。ジャーナリズムの一翼を担っていると胸を張れるのか。

 学校現場で起きている矛盾や、生徒の窮状に真摯に向き合おうとしている教師の姿をまともに見ようとしないばかりか、都教委の一方的な発表をもとに人権侵害と言っていい記事を平気で書く。しかも教育行政の「異常な振る舞い」をただす報道もしない。これでは権力監視といったレベル以前の話ではないか。むしろ都教委の犯罪的行為に記者が加担しているに等しいと言ってもいい。同業者として、情けなくて恥ずかしくて虚しくて涙が出そうになる。

 【追記】共同通信の記事は、メールの内容に踏み込んだ判決文をある程度咀嚼し、一審判決では触れられなかった部分を紹介する努力をしていた。恵まれない複雑な家庭環境で女子生徒が虐待を受けていた事実などについては全く触れていないが、しかしそれでも、「教員としての資質に疑問は抱くが」「保護者からの抗議で発覚」「判決は教諭の行為を『極めて不適切』と非難」などと、ピントがズレているばかりか誤解を招きかねない書き方をしている読売や朝日の記事とは少し違っていた。(2016/03/28)


3月28日(月曜日) 再び調べもの

 追加で調べなければならないことが出てきたため、再び春休み中の大学のSCC(情報センター)へ。土曜日と同じように空いているだろうと思っていたら、結構な数の学生が来ている。回線は混雑しているし、プリントアウトもバッティングするといった感じで閉口したが、今回は調査項目が少なかったので速やかに任務完了。

 【おことわり】3月27日付「身辺雑記」の記事末尾に「追記」を掲載しました。


3月30日(水曜日) 報道関係者は自問自答を

 ジャーナリズムは何のためにだれのために存在しているのか。自分はなぜ記者になったのか。テレビも新聞も出版もメディアに関わるすべての人間は、今こそ真摯に自問自答して実践すべきだ。報道は権力を監視するのが最大の役割であって、権力のための広報・宣伝媒体ではない。

テレビ報道、強まる同調圧力、金平キャスターが語るいま(朝日/オピニオン面)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ390GWWJ38UTIL06L.html?iref=comtop_6_01

◇◇

 事件の悪質性とは別に、冷静な判断が求められる。過去にさかのぼって処分することの是非、逮捕も起訴もされいない不透明な時点で処分することの妥当性、事件と学業とは切り離して考えるべきかどうかという教育問題としての課題、など。

「さかのぼって処分することは困難」少女誘拐「卒業取り消し」問題で揺れる千葉大(弁護士ドットコム)

https://www.bengo4.com/internet/n_4472/

◇◇

 元裁判官や現役裁判官の話が聞けて、ようやく記事にまとめられるだけの材料が集まりつつある。執筆の方向性もなんとか見えてきた。原稿の締め切りを延ばしてもらった甲斐があった。ほかにまだ電話待ち状態の取材対象が2人いるけど、とりあえずまあなんとかなりそう(かな)。


3月31日(木曜日) 原稿執筆

 追加の電話取材をしつつ終日原稿執筆。

◇◇

 古舘伊知郎キャスターの「報道ステーション」(テレビ朝日)出演最終回を見る。番組最後の約8分間の大演説で古舘氏は「圧力があって辞めさせられたのではない」と強調していたが、しかしそれでも「報道番組で自由な発言ができなくなりつつある」という言い方から、時代や社会の澱んだ空気に対する「うんざり感」はなんとなく伝わってきた(ように思う)。


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