●牛丼と文章●本末転倒●投票の判断基準●嫌な予感が的中●ジジイの戯言なのか●主権者として権利行使を●石田純一氏の見事な仕事●あからさまNHKの安倍厚遇●選挙後に放送しても遅いよ●テレビの責任●同じ切り捨てられる側なのに●「言葉の力の怖さ」●新聞の責任、テレビの責任●SP●人物を見極めること●沖縄や原発めぐる悪質デマ●前期の講義終了●とんでもない●「時かけカフェ」●ニュースの価値判断とは●成績評価確定●「弱者抹殺思想」蔓延の恐ろしさ●レイシスト放置その果てに●今期テレビアニメ評●明白なテロ行為●東電の厚かましさ●都教委とメディアの異常●障害者排除の危険思想こそ問題●●●ほか
吉野家の牛丼と文章はよく似ている。(牛丼→)早い、旨い、安い。(文章→)書くのが早い、上手い(内容が面白い、共感できる、納得できる、説得力がある)、分かりやすくて読みやすい。書くのが早ければ、確認し推敲する時間がそれだけ増える。上手さは内容や構成や視点や切り口。そしてそのために問われるのが、分かりやすくて読みやすい文章を書く表現力だ。
◇ 大学1年生を対象にした前回の文章講座で、そんな話をした。自分の考えや思いがきちんと読み手に届く文章を書く。カッコいい文章を書くための基本ではないかと思う。文章力を身につけるのは大変だけど、大きな武器(道具)になる。もちろん僕自身も努力している最中だが、学生諸君もぜひ頑張って磨いてほしい。
代表選手の本分は、それぞれの競技で全力を尽くし最大限に実力を発揮することだ。大きな声でそろって国歌斉唱することじゃないと思うけど。そんなことで選手を萎縮させてどうするんだ。
リオ五輪代表選手団の壮行会の来賓挨拶で、「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」などと述べた森喜朗・組織委員会会長。いったいどこまで時代錯誤で本末転倒の発想しかできないのだろう。そもそも愛国心やら国旗国歌やらは、他人に強要するようなものではない。強要されるものでもない。
→「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」森喜朗氏(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ735KMZJ73UTIL021.html
◇◇ 朝日新聞の「GLOBE(グローブ)」(毎月第1日曜日発行の本紙別刷り付録)を初めて面白いと思った。今号(7月3日号)の特集は「医者とカネ」。表紙はブラック・ジャックで、本文にもブラック・ジャックの漫画カットがふんだんに配置されていて編集センスもいい。医療(意欲のある医師)に対する記者の期待とエールが込められていると感じた。
参院選での僕の判断基準(争点)は、(1)憲法(安保法制・立憲主義も当然含まれる)、(2)原発、(3)国家権力による報道圧力・介入、の3つ。これらに対する姿勢を見れば候補者の生き方と人間性はほぼ分かる。だれのために、何のために政治はあるべきなのか、有権者自身の生き方・見識・教養も問われる選択だ。
先週、東京高裁の岡口基一裁判官が厳重注意されたことについて話を聞かせてほしいと、取材の電話をかけてきた週刊A誌の記者。嫌な予感はしてたんだよなあ。だって電話口で、「冤罪をつくったり行政や企業寄りの判決を出したりする裁判官が大勢いるなんて知りませんでした。素人なもので」なんて応答をするんだもの。
発売された今週号を立ち読みしたら案の定、人情話みたいなものに誌面の大半が割かれていて、他誌の記事をなぞった程度の低い酷い内容だった。「憲法を尊重せず当事者の声に真摯に耳を傾けない裁判官や、権力の意向に沿った一方的な判断を漫然としている裁判官こそ、むしろ『国民の信頼』を傷つけているのでは」といった視点・切り口は、どこにも生かされていなかった。やっぱりなあ。予想通りだったけど、それにしてもどうしようもない。
→【6月30日付「身辺雑記」に関連記事=「裁判官の本分って何だ」】
「若い記者の問題意識のなさや取材力の低さが酷すぎる」なんて思うのは、僕がジジイに近いおっさんになったからだろうか。経験の差を考慮もせずに、上から目線で「イマドキの若者は」などと批判しているだけなのかなあ。それともやはり若手記者の取材力はマジで危機的状況なのか(もちろん尊敬できる優秀な若手記者も少なからずいるし、どうしようもない自称ベテラン記者も大勢いるんだけど)。
次の日曜日の参院選で、大学1年生はもれなく選挙権が行使できる立場にある。そんな1年生を対象にした講義で、「最も影響を受けるのは君たちの世代だからこそ、自立した市民として、自分の頭でしっかり考えて判断して1票を投じてほしい。選挙権の行使は君たちに与えられた数少ない政治参加の権利なのだから」と力説した。もちろん具体的な政党名や候補者名を出したりはしないけど、何を大事にすべきなのかといった、ものの見方や考え方はこれまでの講義で示したつもりだ。
いったいどれだけの学生の心に響いたか(届いたか)は分からないが、それでも1人でも2人でも耳を傾けてくれる学生(や読者)がいる限り、できるだけ多くの判断材料を取材して届けて伝え続ける。それが僕の仕事であり、果たすべき役割だから。大学教員としても記者としても。
都知事選に出馬してもしなくても、俳優の石田純一氏は実にいい仕事をしたと思う。憲法や原発のあり方、メディア規制、(東京都教育委員会の)教育への締め付け、子育ての課題について、記者会見の場でしっかり問題提起し、さらに、強大になりすぎた政権与党に対する危機感と、野党統一候補の必要性にも言及して熱く語った石田純一氏は、それだけでとても大きな役割を果たした。そこら辺の政治家や自称実務家、自称評論家、自称政治記者よりも、石田氏はずっとこの国の政治と民主主義について深く考えている。
石田純一氏の真意や問題提起がきちんと有権者に伝えられないとしたら、それは伝えるメディアの側がどうしようもない、ということにほかならない。記者やディレクターやデスクやスタッフが馬鹿だから、どうでもいいことしか伝えられないのだ。間違いない。
◇◇ 「ニュースに政治を持ち込まない」というスタンスを貫くNHKは、さすが事実上の国営放送(政権の広報宣伝機関)だけのことはある。視聴者に判断材料をほとんど届けない。まともな選挙報道をしないNHKは、もはや報道機関でも公共放送でもなんでもない。落ちるところまで落ちたと断言してもいい。視聴者(主権者たる国民)はもっと怒るべきだ。
そんなNHKを筆頭にテレビ各局の選挙報道が腰砕け(腰抜け)状態だからこそ、きょうの石田純一氏の都知事選出馬をめぐる記者会見は、有権者が本来しっかり考えて判断すべき選挙(都知事選だけでなく特に参院選)の争点を過不足なく訴えていて、ものすごく意味があった。何回でも繰り返して言うが、石田氏は素晴らしい仕事をした。
→「NHKニュース7とニュースウォッチ9が参院選についてやらなすぎておそろしすぎる件」(NAVERまとめ)
http://matome.naver.jp/odai/2146790474574927301
NHK総合テレビ「党首は何を訴えたのか」(参院選特集・党首の選挙戦に密着)。露骨に安倍首相を手厚く紹介している。しかも嘘八百だらけ演説と野党共闘に対する罵倒の垂れ流し。まさか各党の議席数に応じて時間配分したのか。党首討論でも発言時間は各党平等だろう。参院選公示後に党首討論番組も流さなかったのに、投票前日の土壇場のこの時期に、こんなあからさまな放送をするなんて。唖然。もはやなりふり構わず何でもアリなんだなと思った。
◇◇ 報道弾圧の次は教育。軍事独裁体制が必ず管理統制して掌握しようとするのが、メディアと教育の2つであるのは古今東西どこでも変わらない。自民党と産経による教育現場への攻撃は以前からあったが、いよいよ公然と教員の「摘発」に着手。安倍政権になってから、戦前の日本社会とそっくりの道筋をまさに「教科書通り」にたどっている。
→戦前か!自民党がHPで「子供たちを戦場に送るな」という偏向教育を行う教員の通報を呼びかける密告フォーム(LITERA/リテラ)
http://lite-ra.com/2016/07/post-2401.html
池上彰の選挙特番(テレ東)は視点にブレがなくて斬り込み方や突っ込みが一番面白いけど、本当はこういう番組が選挙前(公示期間中)にどんどん流されるべきだったし、(各局で)放送されなければならなかった。選挙が終わってからの問題提起だと遅いんだよ。
メディアの役割は、有権者が投票という権利を行使するために、きちんと判断材料を集めて提示することなのだから。そもそも選挙が終わってからどれだけいい放送をしたとしても、それだと「アリバイづくりに過ぎない」と言われても反論できないだろう。
今回の参院選で安倍自民党が勝ったのは、主権者としてあまりにも情けない投票行動の結果だと思うが、メディアが選挙期間中にきちんと争点を伝えず、政権与党に対する検証報道をしなかったことは大きい。はっきり言って権力監視の機能と職責をほとんど果たしていなかった。特にテレビ、その中でもNHKの責任はものすごく重い。「不作為の作為」はむしろ犯罪的でさえある。
◇ TBSの質問にも池上彰の質問にも、中身のない無駄な話をべらべらしゃべり続ける安倍首相。そうやって限られたわずかな取材時間を食いつぶす。選挙期間中の街頭演説で憲法改正に触れないと斬り込まれても、のらりくらりとはぐらかす。争点隠しの選挙で国民から白紙委任を受けたという「結果」を残した安倍自民党。まさに詐欺師そのものではないか。
◇◇ いいニュースもあった。参院選と同じ日に行われた鹿児島県知事選で、川内原発の停止を公約に掲げた元テレビ朝日コメンテーターの三反園訓氏が、現職を破って初当選。原発再稼働の問題は地元と周辺住民にとって命に関わる重要課題なのだから、選挙の争点にならない方がおかしい。
→鹿児島知事に三反園氏、元テレ朝社員、川内原発停止公約(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7B63QTJ7BTLTB00K.html
◇ 沖縄選挙区で自民現職の島尻安伊子・沖縄北方担当相が落選し、自民党は沖縄の衆参選挙区で唯一の議席を失った。人間というのは自分自身や身内が身近なところで、とんでもなく酷い目に遭わされないと、本当の怒りや疑問は湧いてこないのかもしれない。沖縄の人たちはマジで怒っている。
→島尻・沖縄北方相が敗北、自民、沖縄の衆参議席ゼロに(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7B6500J7BTIPE02N.html?iref=comtop_8_03
◇ 福島選挙区では自民現職の岩城光英・法相が落選。沖縄に続いて福島でも現職閣僚が落選した。やはり徹底的に虐げられて酷い目に遭わされていると、本質が見えてくるのだろう。それは当然、強い疑問につながって憤りへと発展する。沖縄と福島の人たちが、これまでにどれだけ酷い差別と被害を被ってきたことか。ほかの地域の人たちにとっても、決して他人事ではないはずなのだが。
→岩城光英・法相、民進の増子輝彦氏に敗れる、福島(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ795D8HJ79UGTB017.html
投票する前に、安倍政権のもとで何が起きているのか、安倍政権が憲法改正で何をしようとしているのか、といった情報を知らないし、判断材料がきちんと伝えられていないのだから、10代20代の有権者の多くが自民党に一票を投じるのも無理はない。テレビ各局の大半は、ニュース番組はもちろんワイドショーなどの情報番組でも、安倍自民党の「争点隠し」に加担しただけでなく、むしろ安倍政権に都合のいい一方的な情報を垂れ流していたのだから。伝えるべきことを伝えないテレビの責任は万死に値する。
権力を監視し検証し批判するといった、まともな(民主主義の社会ではごくごく当たり前の)選挙報道をテレビでした(している)のは、テレビ朝日の「報道ステーション」「羽鳥慎一モーニングショー」と、TBSの「NEWS23」「報道特集」くらいしかない。多勢に無勢すぎる。
若い世代はテレビなんかほとんど見ない、とはいっても、しかし朝から晩まで目と耳から映像と音声で入ってくる圧倒的な情報量は半端じゃない。「情報の浸透度」は新聞や雑誌の比ではない。ネット情報だって同じだろう。テレビの影響力はいまだにとてつもなく大きい。
だからこそ安倍政権は一貫して、テレビに圧力をかけて恫喝し懐柔し支配することに異様な情熱を注いできた。その筆頭がNHKだった。NHKは晴れて安倍政権の広報宣伝機関としての地位を確立し、事実上の国営放送局としての立場を盤石にした。
「NHKのニュースは正しくて中立公正で信用できる」と圧倒的に多くの人が信じている。実際には安倍政権の意向を忖度し(推し量り)、政権に都合のいい情報を垂れ流しているのだが、残念ながら大勢の視聴者はそうは思っていない。主権者たる国民に伝えられるべき情報が伝えられていないのだから、多くの有権者が真っ当な判断ができなかったのはあまりにも当然の帰結だった。
沖縄や福島に対する理不尽な仕打ち・切り捨て・排除・いじめ同然の扱いを目の当たりにして、多くの有権者は自分たちはあんな風にはなりたくない、と考えて自民党に入れたのかもしれない。怒りを分かち合い共有するのではなく。でもそういう人たちも実は、同じように酷い目に遭う可能性は高いんだよ。決して「勝ち組」なんかではない。
米軍基地や原発が近くにあってもなくても、圧倒的多数の一般庶民は、税の負担や社会保障や子育てで、虐げられ搾取され切り捨てられる側であることは変わらない。安倍自民党は本気で憲法を改正し、国民の基本的人権を大幅に制限しようと考えているのだから。自分だけは「勝ち組」の側にいるといった勘違いに早く気付くべきだ。
◇◇ 「民進、共産、社民、生活の党と山本太郎となかまたちの野党4党の幹部らは11日、都知事選に野党の『統一候補』の擁立をめざし、水面下で最終調整を続けた」「民進など野党幹部と、鳥越、古賀両氏が協議を重ねた結果、野党の統一候補として鳥越氏を擁立することで最終調整しているという」。この体制でいけるのなら期待できそう。勝たないと意味がないからね。
→民進、鳥越氏擁立で最終調整、自民は分裂選挙、都知事選(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7C6K15J7CUTIL062.html?iref=comtop_8_01
「御国が勝てばすべての国民が幸せになれる。それから国のために尽くそうとペンを執り、言葉を選んだ。ポスターも描いた。何の疑いもなく一億一心の旗を振って、戦争に勝つことだけを考えて仕事をしてきた。だが8月15日。そのとき初めて気付いた」
「それまで、言葉には人を救う力があるものだと思ってばかりいて、言葉の力の持つ怖さの方に無自覚なまま、関わってきてしまったのではないかと。言葉の力は恐ろしい。子どものころから人の役に立ちたくて、人を救いたくてペンを握ってきたはずだったのに。そんなことも分からずに戦時中、言葉に関わってきてしまった」
<7月13日放送のNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」花山伊佐次(=「暮しの手帖」元編集長・花森安治)の台詞から>
伝えるべきことを伝えず政権に都合のいい情報を垂れ流し、事実をねじ曲げて冷笑し揶揄するだけのメディアは、戦前とまったく同じように、言葉で人々をとんでもない方向へ誤導している。「言葉の力の持つ怖さ」に無自覚なのだろうが、近い将来、その罪深さを大いに後悔することになるに違いない。安倍政権の広報・宣伝機関と化したNHKの政治記者やディレクターらを筆頭に。民放のワイドショーの司会者やコメンテーター連中も同罪だ。
<新聞が「正面から言いなさい」とお説教をすれば、権力者が「隠してごめんなさい。ちゃんと改憲について語ります」と言うわけではない。いくら批判しても、相手は反省もしなければ態度も変えない。>
<「えっ憲法改正のことって? そんな大事なことは新聞が大見出しで書かなきゃだめでしょ。全然知らなかった」。私の思いはこれに尽きる。普段は新聞を読まない人も、キオスクでびっくりして買ってしまうような1面を作ってほしい。それが、戦後初めて憲法が変わろうとしている時代の、大新聞の責任ではないだろうか。>
(朝日朝刊オピニオン面「わたしの紙面批評・参院選報道、首相に改憲の本音語らせよ」中島京子さん=作家)
◇◇ 「とりあえず伝えましたよ」といった「アリバイ作り」のような報道では意味がない。全く意味がないとは言わないけれども、ほとんど意味はない。本当に大事だと考え、何が何でも伝えなければならないと思うのであれば、目立つように大きく伝えるはずだろう。そうしないのは、本気で伝えようという意思がないということにほかならない。それは新聞紙面でも雑誌の誌面でもニュース番組でも同じことが言える。
東日本大震災が起きた年に、「首相官邸前の大規模デモをニュースで流さないのはどうして?」と知人のテレビディレクターに尋ねたことがある。そうすると、ほとんどだれも見ていないような午後3時や4時過ぎのローカルニュースで、こそっと短く放送したことを根拠に、勝ち誇ったような顔で「いやきちんと伝えていますよ」と反論された。
二の句が継げないとはまさにこういうことを言う。そこには真摯な反省も謙虚さも何もなく、あるのはただその場を取り繕うことだけ。間違っていても絶対に過ちを認めない、官僚のような態度しか見えてこなかった。そんな傲慢不遜な姿勢だからテレビは(新聞も)信用されなくなって、見られなく(読まれなく)なっているのだなと、心底がっかりした。
しかし残念ながら、そうした姿勢は一向に改善されないどころか、さらに増長しているように感じる。その結果、市民のマスメディア離れはよりいっそう顕著になっているようだ。読者や視聴者の声に「耳を傾けない」「伝えるべきことを伝えない」というのでは、安倍首相と大差ないではないか。自覚もなく志もなく誠実さもない記者やディレクターがあまりに多すぎる。しかも無能とくれば、救いようがない。
だからこそなおさら、朝日の「わたしの紙面批評」で中島京子さんが指摘した、「大事なことは新聞が大見出しで書かなきゃだめ、私の思いはこれに尽きる。普段は新聞を読まない人も、キオスクでびっくりして買ってしまうような1面を作ってほしい」との言葉が心に響く。「ジャーナリズムへの信頼」「言葉の力」を取り戻すためにも、報道に携わる人間は、原点に立ち返らなければならないと強く思う。
不登校法案(教育機会確保法案)の集会取材で早稲田大学・戸山キャンパスに出かけたら、目つきの鋭いダークスーツ姿のあやしい男女があちこちに立っていた。馳浩文部科学大臣のSPだった。
その馳大臣は同法案の推進集会の挨拶で、「この法案は9月以降の臨時国会で必ず成立する。先の通常国会では自民、民進、公明、維新の4党合意の上で国会に提出されたが、参議院で民進党が突然反対して継続の案件となった。これ以上話すとハレーションを起こすので言わないが、政局で法案が左右されたことは残念に思っている。不登校の子どもたちを人質に取るようなやり方は断じて許せない」と指摘した。
その上で、「最終的には法案に反対だった共産党や社民党の皆さんともコミュニケーションしながら積み上げてきている。反対している会派や政党が悪い奴らだとは思わないでほしい」と述べ、法案支持者が多数参加する会場の笑いを誘った。
さらに今後の動きについて馳大臣は、「次の臨時国会では法案成立の石を一段目から積み上げる作業をしなければいけない。法案は第13条がすべてなので、ここをきちんと対応するのが文科省としても必要なことだと考えている。肝となるのは第13条だ。わが国の法律で初めて、(不登校の子どもの)欠席を容認するような表現を取った。法案成立を念頭に入れながら、学習支援や経済的支援のありかたの検討に入っている。来年度の概算要求にもそれとなく検討している」と踏み込んで、これからの対応にも自信を見せた。
女性の候補者だからといって、女性や母親の立場に立って政治を考えているとは限らない。戦争や差別や排外主義に反対している人ばかりでもない。自民党の閣僚や国会議員を見れば一目瞭然ではないか。裁判官がみんな公正で賢者ばかりではないし、教師がみんな聖人君子で教え方が上手いとも言えないし、記者がみんな文章が上手いわけではないのと同じだ。
性別や印象だけで人物を判断するのは大間違いだ。「女性候補だから安心」などという頓珍漢な選択は、的外れの結果しか生まない。これまでどんな発言をしてきたか、前時代的な差別排外団体と交流はないか、立憲主義を理解し人権感覚は備わっているか、弱者に寄り添う姿勢は一貫しているか、カネに汚くはないか。そういったことをしっかり見極めないと。選挙ではなおさらしっかり見定めて投票しなければ。
「沖縄県民は米軍基地で働いて公務員並みの収入を得ている」「騒音補償など多額の恩恵がある」「基地反対運動では高額バイト代が出ている」といった悪質なデマ情報が、ネットなどで盛んに流されている。だから米軍基地の反対運動なんかするなということらしいが、米軍基地がそんなに素晴らしくて生活に潤いをもたらす存在だと思うのなら、本土で全部引き取ればいいじゃん。馬鹿じゃないの。
似たような感じの悪質デマ拡散は、沖縄だけでなく原発問題にしても同様。みんな本気で困っているし、実際にとんでもない実害や苦痛を被っているから、多くの人が反対しているんだよ。米軍基地や原発がそんなにうらやましければ、そう思う人たちの地元でどうぞすべてお引き取り下さい。だれも止めたりなんかしないから。
厄介な迷惑施設を一方的に押し付けておきながら、いざ地元住民が反対の声を上げると、「黙れ、この非国民が」と誹謗中傷の集中砲火を浴びせかける。自称愛国者たちの頭の中はどうなっているのだろう。気が狂っているとしか思えない。
前期(春学期)の講義が終わったあああ。なんという解放感。成績評価の判定もほぼ終わったぞ。まだ清書(公式サイトへの正式な報告アップ)はしてないけど。しかし成績評価はともかく、受講生の文章力はもれなく確実に向上した。少なくともそれは僕が太鼓判を押すから、受講生の皆さんは自信を持ってほしい。さて本業の記者家業に戻るか。後期(秋学期)の授業が始まるまでは、取材活動に専念する。
◇◇ 大橋巨泉といったら、やはり「11PM」と「クイズダービー」だなあ。それはともかく、今夜の報道ステーションで流された巨泉の「あんな戦争に日本を巻き込んでしまったのは、ジャーナリズムが大本営発表ばかりを流したからだ。何百万人という人の命と引き換えに手に入れた報道の自由、表現の自由(に対する圧力)を許してしまうような日本では怖い」という言葉がずしりと重い。テレビ司会者として長く活躍してきた大橋巨泉さんが死去。82歳。ご冥福をお祈りします。
参院選でも知事選でも沖縄の民意は明確に示されている。にもかかわらず「政府の決定だから黙って従え」「我慢しろ」「嫌なら日本から出て行け」と言って、移設工事に反対する市民を非難し罵倒する。非難し攻撃する相手が違うことになぜ気付かない。とんでもない「美しい国」だな。そこまで言うなら、沖縄の人たちを非難する「お前ら」の家のすぐ隣に移設してもらえばいいだろう。
移設工事に反対する住民らを強引に排除する機動隊員。「国を守るため」と言いながら、軍隊が国民に銃口を向けた戦前の時代と、安倍政権の「やり口」はほとんど何も変わっていない。
→<沖縄ヘリパッド>政府、移設工事を再開 現場は大混乱(毎日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160722-00000036-mai-soci
◇◇ とんでもないデタラメぶり。「もんじゅ」でまた杜撰な運営が発覚。そもそも日本原子力研究開発機構がまともに機能したことが、今までに一度でもあっただろうか。施設も欠陥だらけで運営主体も無能なのに、政府はそれでもまだ「動かすことが前提」だと言い張る。どう考えても廃炉しかないだろう。
→もんじゅ、機器点検2カ月放置、通知警報も見過ごす(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7Q41FFJ7QULBJ009.html?iref=comtop_8_05
午前中は東京・新宿の法律事務所で冤罪事件の弁護団会議。会議終了後、新宿三丁目の寿司屋でランチ。外国人観光客カップルが、ちらし寿司を注文して美味しそうに食べていた。
最近はあそこでもここでも、欧米系からアジア系やアフリカ系やイスラム系まで、大勢の外国人の観光客がごく普通にごく自然に歩いている。何の違和感もない。文字通り国際都市だな。そんな日本の国で「◯◯人は出て行け」「◯◯人は死ね」などと大声で叫び回るなんて、正気の沙汰ではなかろうに。自称愛国者の人たちは日本人として恥ずかしくないのかね。
午後から歌舞伎町の喫茶店で、アニメの作画監督とメルマガの打ち合わせ&雑談など。夕方から渋谷パルコ。「スタジオ地図」とコラボした「時をかける少女カフェ」でプリンを買って帰る。ちなみに「時かけカフェ」には入店待ちの客が20人ほど並んでいて、店頭に「3時間待ち」という掲示が出ていた。すごいなあ。カフェに入るために3時間も並ぶなんて、僕にはちょっと無理かな。
渋谷のマルキン本舗で味噌ラーメンを食べた。味噌の味そのものはかなり美味しかったけど、唐辛子の辛さが強すぎたのが残念だった。味噌の味わい深さだけで勝負してほしかったな。さすがにめっちゃ眠い。
1面トップの記事と「見出しが持つ力」をどう考えているのだろう、と思わざるを得ない最近の朝日新聞の紙面作りと報道姿勢には戸惑うばかり。がっかりさせられると言うよりも愕然とすることが多い。今、何を最も大きく伝えるべきか。ニュースの価値判断をするのはジャーナリズムの基本であり根幹だろう。しかも1面と社会面トップは新聞の姿勢が最も鮮明に表れる部分ではないか。そのことは朝日がだれよりも分かっているはずなのに。
スマホゲーム「ポケモンGO」の国内配信開始を、7月22日付夕刊だけでなく23日付朝刊でも1面トップに据えた朝日新聞は、どうかしている。ほかに伝えるべき大きなニュースがなくて、世の中が平和で、国家権力の理不尽な暴走も無法もないというのなら、ポケモンが1面や社会面のトップを飾ってもそれでいいだろう。しかし現実はそうではない。
むしろ憲法や立憲主義を無視した安倍政権の傍若無人ぶりは際立っている。尋常ではない。沖縄の住民に対する一方的な攻撃・暴力・弾圧が堂々とまかり通っているではないか。そんな時に「ポケモン」が1面トップとはあまりに能天気すぎないか。いやそんな言葉では足りない。ジャーナリズムの責任と役割を自ら完全に放棄しているとしか思えない。読者(主権者たる国民)に対する背信行為だ。もちろん、テレビのニュース番組が同様に酷すぎるのも言うまでもないが。
◇◇ 安倍自民党とその支持者たちは、何が何でも野党統一候補の鳥越俊太郎を都知事にさせたくないのだろう。大量のネガティブキャンペーンと誹謗中傷が垂れ流されている。週刊文春もあれほど根拠が薄弱・希薄でいい加減な一方的な記事をよく掲載したなと思うが、明らかに選挙妨害でも何でも書いたもの勝ち。嘘でもデタラメでも「スキャンダル」を鵜呑みにさせて、イメージダウンを誘発させられたらいいのだから。あまりにも露骨な人格攻撃だと思うが、もはやなりふりなど構っていられないということだ。
テレビの報道にしても問題の本質をほとんど伝えていないし、特にワイドショーなどの情報系番組は、むしろかなり偏った伝え方をしている。こんな酷い選挙戦は見たことがない。
24日付朝刊の都知事選の情勢分析は、読売は「小池百合子氏と増田寛也氏が競り合い、鳥越俊太郎氏が追う展開」。東京は「小池氏がリードし、鳥越氏が続き、増田氏が追っている」。どちらも小池氏がリードしている点では一致している。鳥越氏に対する誹謗中傷や攻撃の凄まじさと、小池氏の「自民党極右タカ派の正体を見せない戦略」が効いているようだ。
大学公式サイトのWeb採点簿システムにアクセスし、前期(春学期)講義の成績評価を登録確定する。ひと仕事を無事に終えて肩の荷が下りた感じだ。
相模原市の知的障害者施設で、入所者19人が刺殺され26人が重軽傷を負った殺人事件。一方的で独善的で身勝手な理屈から、障害者や外国人や弱者の切り捨て・排斥・抹殺を正当化する容疑者の男の考え方は、安倍政権や日本会議や在特会やネトウヨの思想と見事に共通する。インターネット上にはこのような「危険思想」に基づく主張が、当たり前のように大量に書き込まれている。現代の日本社会で(世界でも)こういう思想が公然と叫ばれ、広がっているのが恐ろしい。
◇◇ 都知事選でだれを選ぶかの判断基準は、「障害者や外国人や弱者の切り捨て・差別・排斥・抹殺を正当化する候補者かどうか」をモノサシにすればいいと思うよ。そうすれば少子高齢化対策も、教育福祉政策も、待機児童問題も、将来の姿がすべて見えてくる。原発や憲法をどうあるべきかについても同じ。どれもこれも自分自身に降りかかってくる問題なのだから。
午前中、横浜・関内。古巣の新聞社から依頼された取材の打ち合わせ。僕にとっては守備範囲外で未知の領域である「海洋」と「農業」という2分野を担当することに。大学は夏休みだから少し時間が割けそうなので、「宿題」のつもりで取り組むかな。何ごとも勉強だ。久しぶりに会った元同僚と地ビールの店でランチ。もちろん真っ昼間から飲んだりしてないけど。
◇◇ 小池百合子氏が都知事になったら、再び「政治とカネ」の問題が浮上するだけでなく、日本会議や在特会といったレイシスト(差別主義者)極右団体との深い関係も問われて、大混乱の末にまた都知事選になるだろう。いい加減に都民は目を覚ましなさいよ。
安倍ネトウヨ政権やその仲間たちが主張する排外思想を放置していると、相模原市の施設で起きた障害者大量虐殺のような事件がまたどこかで繰り返されるに違いない。この国がそんな恐ろしい絶望的な社会になってしまうのを危惧する。障害者や外国人や弱者を切り捨てて排除する、それが安倍首相の言う「美しい国」なのだろうか。そういえば相模原事件の容疑者も、同じようなフレーズを(英語で)発信していたが。
独善的な思考と言動、そして想像力の欠如。相模原の大量虐殺事件の容疑者と安倍ネトウヨ政権は根っこがそっくりだ。弱者や異質な存在や体制に異論を述べる人たちを、ためらうことなくばっさり切り捨てて排除し、しかもそれが当然だと思っている。最低だよ。
【今期テレビアニメ評】◎「甘々と稲妻」(MX)犬塚先生の一人娘つむぎちゃんの仕草や言動がかわいすぎる。あったか食卓ホームコメディの秀作。◎「ReLIFEリライフ」(MX)27歳のニートが「人生やり直し」の社会復帰プログラムで、見た目だけ若返って高校生に。興味津々の人間関係に注目。
◎「DAYSデイズ」(MX)ひたすら純粋で一生懸命な 柄本つくしの成長、サッカー部の仲間との絆や友情が見ていて気持ちいい。◎「orangeオレンジ」(MX)10年後の自分から届いた手紙がきっかけで、後悔しない生き方を試みる16歳の菜穂。今後どうなるのか目が離せない。
◯「この美術部には問題がある」(TBS)中学校の美術部が舞台のちょっとおかしなラブコメ。主人公の宇佐美みずきの反応がかわいい。◯「あまんちゅ!」(MX)同じ原作者の天野こずえの「ARIA」とはまるで異なるが、高校ダイビング部を舞台に独特の雰囲気と世界観が楽しめる。
【前期から継続放送分】◎「境界のRINNE」第2シリーズ(ETV)安定して面白い。さすがだ。◎「夏目友人帳」シリーズセレクション3期(テレ東)心が癒される良作。◯「Re:ゼロから始める異世界生活」(テレ東)放送開始当初に比べてパワーダウン&マンネリ化を感じるのが残念。
◇◇ 相模原の障害者虐殺事件が、偏った危険思想に基づく「テロ行為」なのは明らかだ。障害者を差別し排除し抹殺することを当然とする思想・言動・大量虐殺行為に対して、「決して許さない」「絶対に屈しない」といった声明もメッセージも出さない安倍晋三首相と安倍内閣には驚きを隠せない。
海外でテロ事件が起きた際には必ず、(木で鼻をくくったような)ありきたりでお決まりの「テロには屈しない」などの声明を出すくせに、それすら出さないというところに、安倍政権の本性を改めて垣間見た気がする。恥ずかしいし情けない呆れた「美しい国」。
◇◇ 週刊新潮編集部が「反権力を標ぼうしていた鳥越氏が刑事告訴とは呆れる」(毎日)などとコメント。呆れるのは週刊新潮編集部の詭弁と開き直りの方だ。反権力だろうが権力迎合だろうが、法治国家なのだから、不正や疑義があれば法律に基づいて対応するのは当然ではないか。反権力の立場だと被害に遭っても泣き寝入りしろとでも言うのか。とんでもない独善的な屁理屈だな。
東京電力が福島第一原発の廃炉費用など、政府に追加の資金支援を求めるという。つまり「原発はものすごく非効率的でコストが高い」と東電は認めたわけだ。しかし国が巨額の費用を負担するとは国民の税金を使うということ。東電は責任を国民に転嫁し負担を押し付けるのか。それでも東電は原発にこだわるのか。支離滅裂な上に厚顔無恥。図々しいにもほどがある。
→<東京電力>廃炉費用、国に支援要請へ、電力自由化理由に(毎日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160728-00000101-mai-bus_all
神奈川県立高校の教育研究所30周年記念行事で講演。都立高校の男性教諭が女子生徒とメールをしたとして懲戒免職された事件の経緯を話した。親から虐待されていた女子生徒から話を聞かず、事実関係や背景などの確認もせず一方的な処分をした上に、捏造した校長の陳述書を裁判所に提出する東京都教育委員会の異常さと、その都教委の発表をそのまま垂れ流し続けたマスコミ報道の異様さを説明した。
この事件の報道に限らない。裏付け取材をせず、問題の核心にも迫らず、背景も掘り下げず、権力監視の機能や職責を果たさない。そんなメディアが、憲法や立憲主義を平然と無視する今の政治状況をつくっていると言っても過言ではない。主権者として正しく判断できる視点と情報を鵜呑みにしない感性を育むことこそが、本当の意味での「主権者教育」だと思う。現場の先生方はぜひ本当の主権者教育をしていただきたい。そんなふうに訴えて講演を締めくくった。
相模原の障害者大量虐殺事件の容疑者の男について多くのメディアが、「精神病だから措置入院が必要だった」という文脈に話を矮小化しようとしているように見える。そうじゃないだろう。「障害者を社会から排除し抹殺するのは当然だ」と主張する、容疑者の差別主義・障害者排除の危険思想こそが問題ではないのか。そんな主張がこの社会に蔓延していることが何より危うい。
そもそも措置入院は例外中の例外の緊急手段であって、安易な措置入院や予防拘禁を認めるのは人権侵害を誘発する危険性が高い。「危険人物」に対するGPS装着義務の提案にしても同様だ。相模原大量虐殺の容疑者の予防拘禁を容認するのであれば、在特会や日本会議といった極右の差別排外主義団体のメンバーらも、もれなく措置入院させないとまずいということになる。
だが問題はそういうことではない。彼らのような危険思想が公然と声高に叫ばれている状況や背景を考え、そうした連中が増殖するこの社会のありようを議論し、誤った方向をただしていくことこそが、われわれにとって最重要課題なのだ。
◇◇ 午後8時の時報と同時に都知事選の当確が出るのはあらかじめ分かっていたことだけど、大河ドラマの最中に、NHKが早まって小池百合子氏当確のテロップを出してしまわないかと、ある意味ヒヤヒヤ&ドキドキしながら「真田丸」を見ていたのは僕だけではないんじゃないかな。
◇ 参院選についても都知事選でも同じことが言えるが、主権者が正しく一票を投じるための判断材料をメディアがきちんと提示しないのは、ジャーナリズムの職責放棄であり自殺行為だ。どうでもいいことや当たり障りのないこと、本質からズレたしょうもないことは大々的に取り上げる一方、本当の争点や問題の核心を明らかにせず、背景を掘り下げて問題提起しない「報道」は万死に値する。
事実かどうかの明確な根拠を示さずに私的な疑惑(醜聞)を書き飛ばすことと、公人としての政治姿勢や政治資金に関する公的な疑惑(政治とカネ)(差別排外主義の極右団体との関係)を追及することとは全く別次元の話だ。それを一緒くたにして同列に論じて報じるのは、ジャーナリズムとして伝えるべき方向を大きく見誤っている。少なくとも僕はそう思う。
◇ 東京都教育委員会を私物化し教育現場を管理・統制し疲弊させた石原慎太郎・元都知事の路線を、小池百合子氏は確実に踏襲するだろう。ガチガチに管理され多忙で心を失った教師から教わる子どもたちが最大の被害者だ。心身ともに病んで疲れ切った教師たちの姿を取材で数多く見ているが、東京の教育がこれからますます歪んだものになるのは間違いない。