身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2000年3月1日〜3月31日

●花粉症●文才●盗聴ですか?●「彼氏彼女の事情」第9巻を読む●渋谷名物が消える●会議3連発10時間は空しい●ちなみ写真●上司の顔色と裁判官●横浜集中郵便局●確定申告が無事終了〜!●ストックファイル●脱稿しての独り言●新幹線の自由席に座って大阪へ●司法改革審の公聴会を取材●関西のネット友達●記者の快感とか美学とか●校閲部員の思い込み●情報は必ず漏れる●さらに書くべき話●講演は宣伝活動?●サードへのアクセス6万件●呆れた元編集委員を反面教師に●どこまでが取材活動か●勘違いのこだわり●うさん臭い人権団体●やぶうち優の「水色時代」●松山で記者会見●京都取材●●●ほか


3月1日(水曜日) 花粉症

 いよいよ花粉症の季節なのだろうか。鼻がむずむずして、くしゃみを頻発するので、仕方なく市販の鼻炎薬を飲んだ。そしたら症状は緩和されるんだけど案の定、眠くてたまらない。労働意欲も着実にダウンしてきた。この忙しい時にとてもまずい事態だなあ。県立高校の卒業式を見に行った。ネクタイとスーツ着用でそれなりにキメて出かける。文部省ご推薦の完全な式典である。


3月2日(木曜日) 文才

 終日、原稿執筆。まとまった文章を書く時にはいつも思うことだけど、僕って文才がないんじゃないかな、おまけにアホなんじゃないかな、と絶望的にさえなる。四苦八苦して、書いては消して書いては消しての繰り返しで、そのうち頭が混乱してきて何をどう書けばいいのかと迷走し始めてしまうのである。まあ何だかんだと苦しみながら、結果オーライになるからいいようなものだけど、いつも心の中に「ひょっとしたら恐ろしくつまらない企画と使えない取材をしていて、このまま締め切りを過ぎても書けないのではないか」という恐怖感が沸き起こってくるのだ。あ〜あ、すらすら流れるように文章が書ける人がうらやましいよ。ドラえもんがいてくれたら「すらすら取材ペ〜ン!」とか言って、寝ている間に感動的な記事が書けてしまうペンを調達してもらうんだけどな(爆死)。

 そんなわけで、忙しくて「身辺雑記」を更新するのが精いっぱいです。いただいたメールはすべてチェックしていますが、なかなか返事が書けません。一段落したら返信します。ごめんなさい。


3月3日(金曜日) 盗聴ですか?

 今週になってから、自宅の電話にプチプチというような雑音が入るようになった。そう思っていたら、2日ほど前からは瞬間だけど音声が途中で途切れたりする。きのうなんか会話中にトーン発信音が入ってきた。相手も僕もダイヤル部分には触れていない。この前の日曜日に横浜の桜木町で、市民団体を襲撃した右翼を取材した後からどうもおかしい。まさか盗聴なのか。ある高校の先生と話していたら「盗聴を疑った方がいいよ」と言われた。「え〜、どうして僕なんかを盗聴するんですか」と聞いたら、「そりゃあ、日の丸や君が代のことをいっぱい取材しているからだよ」と言う。う〜ん、確かに右から左まで、思想・信条に関係なくいろんな人と交流しているのは認めるけれど。で、せっかくだから受話器に向かってわざと大声でこう言ってあげた。「司法改革の取材をしていて弁護士の知り合いも大勢いるから、もしも盗聴なんかばれたら大変なことになると思うけどなあ」。それを聞いて先生は苦笑した。「そんな、警察も公安調査庁も馬鹿だから、君が弁護士と話していることまではつかんでいないよ」。でもそれから、なぜか電話の雑音はピタリと止まった。なんだか、とても気持ちが悪い。終日、原稿執筆。とりあえず半分まで出稿。夕方から後半の取材を軽く始める。


3月4日(土曜日) 「彼氏彼女の事情」第9巻を読む

 図書館で調べもの。出稿用の写真を現像・焼き付けに出す。1時間ほどで上がってきた写真を見ると、そこそこの出来だったので安心する。写真の仕上がりを待っている間に書店に寄る。コミックス「彼氏彼女の事情」第9巻など、いろいろと書籍を購入。読む時間なんかないのが分かっていながら、何をやっているんだろうなどと思いながら、帰宅すると我慢できずについつい「カレカノ」をしっかり読んでしまう。第9巻は「文化祭編」なのだが、う〜ん、素晴らしいストーリー展開と人物描写だ。劇中劇と言える、主人公たちが文化祭で演じる芝居の物語はなかなか深いものがあって、それが本編の登場人物それぞれの背景と微妙にリンクしてくるところなんて、お見事としか言いようがない。やっぱり「カレカノ」はただものではない作品だ。資料整理や経費計算などの雑用をこなす。やばい、こんなことじゃあ、原稿が進まないよ…。


3月5日(日曜日) NTTに調べてもらう

 電話で話をしていると雑音が入るなど、今週の月曜日から通話状況がおかしかった(3月3日付「身辺雑記」)ので、NTTに連絡したらすぐに対応してくれた。きのうは局の回線を調べてくれて、きょうは工事の人が来て屋外配線などを検査してくれたが、いずれも異常は見つからないという。盗聴を疑うような機器も見当たらなかったそうだ。「ケーブルを替えたので、しばらく様子を見てください」と言われた。雑音と混線(?)の原因は不明のままだが、とりあえずそんな感じである。ご心配をおかけして恐縮です。


3月6日(月曜日) 渋谷名物が消える

 東京・渋谷の「五島プラネタリウム」が来年三月で閉館されるという。目黒に住んでいた中学生のころは、必ず毎月一回は通っていたので、何だかとても寂しい気がする。暗闇に浮かぶ星空を眺めながら星座にまつわる神話や宇宙の謎などを聞くのは、中学生の好奇心いっぱいの心を適当に刺激してくれて、なかなか楽しい時間だったのだ。話の内容はすっかり忘れてしまったけど…。「五島プラネタリウム」がある東急文化会館には、三省堂書店やロードショー封切館の「渋谷パンテオン」などの娯楽施設が入っているのだが、高校生になってからは「五島プラネタリウム」に代わって「東急名画座」のお世話になった。わずか数百円を出せば、名作中の名作と言える洋画が見られるので、高校生には大助かりだったのである。今ではロードショー館に変身しているが。う〜ん、それにしてもあのころの渋谷は道玄坂にしてもパルコにしても公園通りにしても、今とは違って、中学・高校生にとっては「オトナの街」という雰囲気があった。洗練されたおしゃれなイメージがあったんだよなあ。


3月7日(火曜日) 花粉症が最悪!

 天気がよくて気温も高い。本当に春のような陽気だ。だがそうなると、花粉症の症状が出てくる。きょうはマジでやばいくらいヘロヘロの状態だった。くしゃみは止まらない、鼻水は出る、目はかゆいといった感じでまさに三重苦である。ここ5日ほどは薬を飲まなくても平気だったが、我慢できずに薬を飲む。しかし電車の中ではもう最悪で、ティッシュが手放せない。関内で所用を済ませたころになると睡眠不足も加わり、もうすっかり労働意欲は萎えてしまって速攻で帰宅した。HP訪問者の方がメールで「この薬は眠くなりませんよ」と教えてくださった薬を買う。マレイン酸ナントカ…が入っていない薬は眠くならないのだという。薬剤師に「それでも別の成分が入っているので、全く眠くならないということはありません。個人差があるので様子を見てください」と言われる。いま飲んでいる薬が切れたら、とりあえず試してみよう。友人と東京・月島でもんじゃ焼きを食べる予定だったが、キャンセルする。


3月8日(水曜日) きょうも花粉症!

 中目黒で営団地下鉄の脱線事故。小学校〜高校まで住んでいた家の近くじゃん。今でもたまに利用する路線なので他人事ではない。テレビの報道特番をしばらく見てから、それとは全く関係ない取材に出かける。教育委員会と自民党の議員さんに話を聞いた。きょうも花粉症は全開で、特に目のかゆみはどーしよーもない。取材しながらも目はしょぼしょぼで、涙が出てくるよ。いい加減にこりゃもう限界だなあと感じてしまう。今年は花粉の飛散量が多いらしいから、やっぱさすがに耳鼻科に行った方がいいかなあ。大量に買い込んであるティッシュペーパーが、ものすごい勢いで消えていく。資源の無駄遣いはしたくないのだけど、とてもティッシュなしの生活なんて考えられない。背に腹は代えられないとはこのことだな。

 「週刊金曜日」の今週号(あさって10日発売)から、4回にわたって「日の丸・君が代」問題についての集中連載を書きます。揺れる教育現場からのリポートです。よろしければ読んでみてください(ぺこり)。


3月9日(木曜日) 会議3連発10時間は空しい

 麹町の編集プロダクションで打ち合わせというか会議のようなものに出てから、四谷の出版社で2つの会議。きょうは全部で10時間も会議に出ていたことになるじゃん。ああ、空しい時間の使い方だ。おまけに花粉症は相変わらずだから、鼻はむずむずして目はかゆいし、頭はぼ〜っとしてるし。夕方からは猛烈な眠さに襲われて話なんかほとんど聞いちゃいねーよ。おいおい。午前1時帰宅。


3月10日(金曜日) ちなみ写真

 連載の3回目に使う写真を撮らせてもらうために、神奈川県内の某公立学校に行く。「写真は本文とは関係ありません」というクレジット付きのイメージ画像だ。いわゆる「ちなみ写真」というやつである。「どうぞご自由に」という校長先生のご配慮により、音楽室でピアノや楽譜などを撮影させていただいた。その後、横浜市内で教職員組合の会議を傍聴させてもらって、本部書記局に戻って情勢分析などの話を聞く。取材が終わって、近くの焼き肉屋でビールを飲みながら雑談。きょうは薬を飲んでいないのに、なぜか花粉の症状は少し落ち着いている。もちろんティッシュは手放せないのだが、それでも昨日や一昨日に比べるとかなり楽だ。しかし相変わらず頭は重くてぼ〜っとして猛烈に眠い。そうか、薬を飲んでも飲まなくても、花粉症は頭が重くて眠いのだ。


3月11日(土曜日) 上司の顔色と裁判官

 東京・丸の内で「日本裁判官ネットワーク」のシンポジウムを取材する。最高裁の判例や人事政策に過剰反応し、上司の顔色ばかりをうかがう裁判官の姿は、実は日本社会のあちこちで見られる風景ではないのか。そんな問題提起もあったシンポだったし、そもそも裁判官がこんなふうに堂々と発言することは勇気のいることだとも思うけど、最高裁の不当かつ理不尽な人事政策に対して、もう少し正面から切り込んでもいいのではないかなあとシンポを聞きながら思った。そういう意味では物足りなく感じた。シンポの後の懇親会で、知り合いの大阪高裁の裁判官にシンポの感想を聞かれたのでそう答えたら、その裁判官は「ジャーナリストには物足りなかったかもしれないな」と話していた。でもそれはジャーナリストの感想というのではなく、一般市民の感想でもあるんだけどなあ。裁判官の姿勢や判決内容について「何だかおかしい」と感じている市民は、たくさんいるはずだ。例えば行政訴訟や労働問題や憲法判断が絡んでくる裁判などは、上級審になればなるほど市民側が負けてしまうところに「おかしさ」は象徴されているわけだし。もちろん、裁判官ネットワークに参加して発言を始めた裁判官の皆さんは、現状を変えようと考えて行動を起こしたのはよく分かっているけど。


3月12日(日曜日) 横浜集中郵便局

 久しぶりにたっぷり眠った。ほんの少し花粉症の症状も落ち着いたような気がする。やはり体調も影響するのかな。あす中に都内の編集部に届けなければならない写真があるので、地域の拠点局である港南郵便局に行く。しかし日曜日の夕方だったので、本日の集配便は終わってしまったそうだ。速達で出しても届くのは明後日になるという。それはまずい。どうにかならないのかと相談すると、当直の郵便局員が「横浜中央郵便局」に問い合わせてくれて、県内最大の「横浜集中郵便局」を紹介してくれる。そこならば「県内のすべての郵便物を二十四時間体制で集配しているので、あすには配達してくれる」というのだ。そんなわけで愛車を飛ばして、神奈川区にある横浜集中郵便局まで出しに行った。速達でなくて普通郵便で出しても、あすの午後には到着するそうだ。よかった〜。

 確定申告の締め切りが目前に迫ってきたが、なにぶん初めての経験なもので書類の書き方がよく分からない。とにかくやたらに記入欄が多い上に複雑なのだ。新聞社に勤めていた時はそんな細かいことは会社が全部やってくれたけど、それはそれは大変な作業なのだということだけはよく分かった。で、フリーランス仲間の記者に記入概要を説明してもらう。おかげで、ようやくぼんやりと要領がつかめてきた。それにしても、面倒くせえ〜。うんざりだ。


3月13日(月曜日) 確定申告の準備

 税務署に行く。確定申告の書類一式と、記入の手引きをもらってきた。「区役所の市民税課でも書類は配っている」と言うので、最初は区役所の窓口に行ったが、職員に簡単な質問をしても「分かりません」と繰り返すだけでまるで役に立たない。区役所で受け取った書類では不足だったので、結局は税務署に足を運んだのだった。こんなことなら初めから税務署に行けばよかった…。それはさておき昨晩はとりあえず、収支内訳などの計算をざっとしてみたが、あまりにも煩雑な作業なので、ぼーぜんとなった。しかし、これはやらなければならないものなのだと自分に言い聞かせて、必要な書類を集めたり電卓をたたいてみたりと、せこせこと作業する。こんなことをだらだらやっていたら原稿が書けないので、本日中にけりをつけなければと思う。まじで、そんなに暇ではないのだっ。


3月14日(火曜日) 確定申告が無事終了〜!

 確定申告の話の続き(そしてエピローグ)である。朝までかかって(途中で少し寝たけど=笑)すべての計算を終えて、控えの書類に下書きするところまでたどり着いた。分からない個所はフリーランス仲間の記者に教わったので、記入の手引きを参考にして書けるところまで書いた。夕方、税務署へ出向く。持参した書類の下書きを見て、税理士さんが間違っている部分を指摘してくれる。計算し直してくれた数字を提出用書類に記入していく。最後に、新聞社や出版社から送られてきた源泉徴収票を書類に張り付けて、約1時間ほどで作業は完了した。生まれて初めての確定申告は、こうして無事に終わった。ほっとする。で、収入以上に必要経費がかかっているので、源泉徴収分は戻ってくるという。ああ、よかった〜。苦労した甲斐があったというものだ。それにしても、交通費だとか、新聞・図書費だとかを項目ごとにまとめて、一つ一つ計算して書類に記入するのは本当に面倒だよなあ。もちろんみんなやっていることで単純な作業ではあるのだが、こういうのは苦手なのだ。


3月15日(水曜日) ストックファイル

 終日、原稿を書くために資料をひっくり返したり、探したり、電話したり…。花粉症はなぜか落ち着いている。とてもよく効くので飲むと眠くなる方の薬を飲んでいるのだが、薬に慣れてきたのかそれほど頭がぼ〜っとはならないのだ。

 それはさておき、いつでも「身辺雑記」に使えるネタというのを文章にして、いくつかストックしてあるのだけど(笑)、そのファイルを見たら「賞味期限」が切れているものが一つあった。せっかくだから以下に引用しておこうと思う。

 【連載の準備は、ぼんやりと先が見えてきたような感じがする。このところ目いっぱい取材網を広げてきたので、ある程度のレベル以上の材料は集まりそうだ。綱渡り気味で締め切りとの戦いであることには変わりないが、滑り込みセーフといったところで何とか落ち着きそうかな。】

 しかし、この文章はいつ書いたのだろうと考えた。先月の終わりごろにストックファイルのページに書き込んで、アップするのを忘れていたらしい。間抜けだ。しかし、滑り込みセーフなのは本当にその通りで、今は追い込みの最終段階なのだった。ちなみにストックファイルには、暇な時に頭に思い浮かんだどうでもいいような話とか、あまりにもその日の「身辺雑記」が長くなったので、これは別の日に回してアップすればいいやなどと判断して、取り置いたものとかが入れてある。そして後日、やたらに忙しい日や、新しく書くのが面倒な日などに、これらのストック原稿を引っ張り出してくるのである。そんなことをするのは滅多にないけど(決して言い訳ではありません=爆)。


3月16日(木曜日) 脱稿しての独り言

 やっと集中連載の最後の原稿を書き終えた。やっぱり全体の構成スケッチがきちんとできていなかったり、良質な材料がたっぷりそろっていなかったりすると、執筆段階で苦しむことになるんだなあということを改めて痛感する。そういう意味では、3回目の原稿が一番すんなり書けた。構成スケッチはいとも簡単に描けたし、しかも「これはっ!」と言う題材があり余るほどあって、あれもこれも残念ながら捨ててしまったくらいだったから、なるほどすらすら書けるはずだな。自分でも合点がいくというものだ。「納得できるだけの題材が収集できた」という実感が確実にあったからなあ。3回目は来週発売される号に掲載される。この原稿は編集長が激賞してくださったそうで、それだけに最終回(4回目)の原稿はもう少し頑張りたかったけど、きらきらと輝きを放つだけの材料が十二分に集められなかったのだから仕方あるまい。もちろん、一定のレベルには達していると思うが、それではヒットであってもホームランではない。まあ、毎回ホームランというのは無理かもしれない。

 さて、そんなわけで、あすの夕方の新幹線で大阪行きだ。あす一泊だけして、土曜日に司法制度改革審議会の公聴会を取材したらすぐに帰って来る予定である。ノートパソコンは持ち歩くのが面倒だから持って行くのはやめようと思っている(苦笑)。


3月17日(金曜日) 新幹線の自由席に座って大阪へ

 とゆーわけで、きょうの早朝に最終回の原稿を送信したので、昼過ぎまで熟睡した。シャワーを浴びてすっきりしてから、大阪行きの準備をする。準備と言っても、取材ノートだとかニコンの一眼レフカメラやフィルムなどをバッグに詰めるだけなのだが。あ〜、でも今回の取材には、ものすごく久しぶりにテレコを持参することにした。僕は取材ノートにひたすらメモを取るのが常で、基本的に取材にはテープレコーダーを使わない。録音に頼ると、その場の取材がいい加減になりそうな気がするからだ。しかしこのところハードスケジュールだったから、正確なメモを取ることにちょっぴり不安があったりする。公聴会取材の最中に居眠りでもしたら大変なので(汗)、特別体制である(爆)。それから、花粉症対策として忘れずにティッシュも多めに持って行かなければ。

 新幹線に乗る前に、東京・水道橋の「週刊金曜日」編集部に顔を出す。連載ルポの最終回に使う写真を渡してから、来週号のゲラをチェックする。それから大急ぎで東京・四谷の出版社へ。新幹線のチケットを受け取って、大阪取材の簡単な打ち合わせをする。編集長が「世間は3連休だから、下りの新幹線は混んでいるらしいよ」とのんびりした声で言う。ええ〜、それはやばいじゃん…。そんな大事なことはもっと早く教えてくださいよ〜。新幹線の終電まであと1時間少し。慌てて編集部を出て「みどりの窓口」に行くと、大阪行きの指定席はもう一つも残っていないという。そしたら後は自由席に賭けるしかないじゃん…。3時間も立っているのは嫌だ…。速攻で東京駅に向かう。予想通り新幹線ホームは長蛇の列だった。3本後の「ひかり」に狙いを定めて列に加わる。お目当ての列車を待つこと三十分。日ごろの行いがよいためか、締め切りを守って原稿を出したのを神様がちゃんと見ていてくださったのか(笑)、奇跡的に座れたぞ。だがしか〜し、その車両は喫煙車両だった。立ちこめる煙が目にしみる。背に腹は変えられないので、そのまま我慢して座っていた。午前零時前、爆睡している間に新大阪駅到着。


3月18日(土曜日) 司法改革審の公聴会を取材

 午前7時に起床。シャワーを浴びて、モーニングを食べてから、ホテルを出発。淀屋橋の大阪弁護士会館へ。司法制度改革審議会の第1回地方公聴会を取材する。中坊公平氏ら審議会委員の前で、市民や学生ら6人が公述人として意見を述べる。その一人、甲山(かぶとやま)事件の被告とされて無罪になった山田悦子さんは「検察側の主張を木っ端微塵に打ち砕いて、3度の無罪判決を引き出したのは、法の精神に支えられた市民の声と弁護団があったからこそ。冤罪(えんざい)をつくり出して止まない司法に、まず必要なのは陪審制だ」と訴えた。実体験に基づく主張には説得力がある。会場はしーんと静まりかえるばかりだった。しかし民事調停委員をやっているという別の公述人の初老の男性は、そんな山田さんの切実な訴えを目の前で聞きながらも「日本の裁判官は信頼できる。判決は裁判官に任せるのが一番だ。陪審制には賛成しかねる」と言い放つのだった。さすがの審議会委員からも「あなたの意見は最高裁の主張とまるで一緒ですね」と揶揄されていたのが笑えた。たぶんこの初老の男性には悪気はないと思う。「自分は司法の一角を支えているのだ」という自負心に支えられての善意による発言だろう。ただ想像力がまるっきり欠如しているのだ。

 昼前に登場した編集長に、うまいそばの昼食をご馳走になる。東京のそばと違ってそば粉が少し薄めなんだけど、僕としてはなかなか好みの味である。午前中の公聴会に対応する形で、午後からは司法制度改革を考える市民集会。さらに夕方から市民集会の懇親会。会場の片隅で山田悦子さんに少し話を聞いて会場を後にする。

 関西のネット友達 午後6時半に大阪駅でインターネット友達と待ち合わせ。宇田さん(フォトジャーナリスト)、大隈さん(在阪の新聞記者)、レイザルさん(イラストライター?=笑)の3人だ。大阪・天満の焼き肉屋で歓迎してくれる。在日の一家がやっている店だという。チヂミもプルコギもマッコリ(濁り酒)も石焼きビビンパも冷麺も、どの料理も恐ろしくうまいので驚かされる。前にソウルで飲み食いしたものよりうまいかもしれない。「泊まっていけば」と誘っていただいたので、お言葉に甘えて西宮の大隈邸へなだれ込む。午前3時過ぎまで、ジャーナリズムや取材や会社組織や◯◯の話(謎)などについて語り合う。やっぱり記者はどんなことについても大真面目に議論しなくっちゃね。ところで「思い込みの激しい」レイザル(大隈さん談)は一方的に、僕のことを「いつも紙袋を持ち歩いている太ったオタク」だと思い込んでいたそうだが、そりゃあんまりだ。僕は漫画ファンではあるけれど、紙袋は持ち歩かないし、太ってもいないし、オタクでもありまへん。会って一言「普通の人だったね」って、あんたね…(苦笑)。


3月19日(日曜日) 関西のノリ

 目が覚めると、既に宇田さんの姿は消えていた。海外取材の前に短期の写真展がきょうからあるそうだ。忙しいんだなあ。ゆったり起きてから、大隈さんとレイザルさんの3人で長々と雑談する。いかにも関西といったノリで延々とボケ&ツッコミが続き、大笑いさせてもらった。それはともかく、せっかくの休日をお邪魔してしまい、恐縮するばかりだ。新大阪駅から「のぞみ」に乗る。もちろん全席指定である。駅弁を食べたり漫画雑誌を読んだり爆睡したりなどと、新横浜駅まで充実した2時間半を過ごす。眠い。


3月20日(月曜日) 記者の快感とか美学とか

 自分が取材している対象をほかの記者が取材し始めたり、関心を示したりすると、僕はたちまちやる気がなくなる。取材意欲がなえてしまって、何だかもうどーでもよくなってしまうのだ。これって僕に限らず、記者という人種に共通する感情ではないだろうか。ほかの人が知らないものや関心を払わないものを、こっそりとたっぷりと取材しておいて何気なく「こんな話を知ってる?」と見せる。もちろん「どーだ知らなかっただろう」と自慢したい気持ちはあるんだけれども、それは心の中に隠しておくのだ。これこそがある意味では、記者の快感・醍醐味・美学だったりするんだよなあ。別の言い方をすれば、へそ曲がりなのかもしれない。みんなと一緒のことはしたくないという感覚である。でも、ワイドショーや事件報道などを見ていると、どの記者もみんな同じ取材をして同じ人に話を聞いて、同じことしか報じない。群れて取材して楽しいのかな。不思議だ。あの感性が僕にはよく分からないんだけどなー。


3月21日(火曜日) 校閲部員の思い込み

 校閲(校正)という部署の重要性は、だれよりもよく分かっているつもりだ。新聞記者をやっている時から、校閲部員の指摘によって印刷される前にミスが見つかり、助けられたことは数え切れないほどある。だがしか〜し。時として校閲部員の越権行為や思い込みに、うんざりさせられることもまた多かったりする。執筆者の意図や思いを理解しようともせず、勝手に表現や文章を直すのは越権行為だし、杓子定規に「用字・用語基準」などを基にして言葉を言い換えたりすると、とても不愉快な気持ちになるのだ。最近の例で言うと「男性教師」や「女性教師」という表現に、校閲部員から物言いをつけられたことがあった。わざわざ「男性」や「女性」と表現する必要があるのかと言うのである。8カ所ほどある性別を、ゲラの段階ですべて「トル」と指摘してきた。冗談はやめてほしい。男性と女性とでは経済力が違うし、発言の背景を考える上で重要な情報なのだ。しかもこの文章は多くを匿名で表現しているので、読者が登場人物をイメージできる数少ない描写なのである。筆者としてはちゃんと意味のある表現をしているのだから、浅薄なフェミニズム意識だか人権意識だかで、機械的に表現改変をしないでほしい。実に頭でっかちで、ものごとの本質を理解していない野蛮な行為だなあと思った。編集部には執筆意図を強くアピールして、オリジナルの原稿通りに戻してもらったのは言うまでもない。


3月22日(水曜日) 情報は必ず漏れる

 印刷したものを配ったり、公の場所で発言したりすることの意味や責任を、きちんと理解していない人や自覚していない人って多いんだなあと痛感する。印刷物を何百人とか何千人だとかに配れば、配ったその場所だけの話ではもう済まないことくらい、少し考えれば分かるものだと思うんだけどなあ。印刷物を受け取った人のところで、情報がストップなんてするわけがない。同じように集会などの公の場所で話した内容は、必ず何らかの形で外に漏れるものだ。仲間内の飲み会などとは違うのだから。いったん流れ出した情報は止められない。印刷物を配って、開かれた場所で発言するというのは、つまりそういうことなのだ。そんなことは覚悟した上での行動だと考えるのが、世間の常識というものだろう。

 そういうことも分からずに、言うに事欠いて「記事を書かないでほしい」だなんてお門違いもはなはだしいと思う。もちろん「特定の人しか知り得ない」「そのまま書いたら情報を漏らした人がばれてしまう」という場合には、記者として情報源を守る努力を精いっぱいするのは言うまでもない。表現にも最大限の工夫をしているつもりだ。しかし、ジャーナリストの立場としては「知らせる」ことに比重がかかるのは宿命なのである。このことに対する「原罪」について言い訳はしないし、批判は甘んじて受けたいと思う。

 あえてもう一つ付け加えるならば、自意識過剰な人が多いのにはあきれてしまう。「私があなたに資料を渡さなかったら、書けない話なんだから書くな」と言い出す人がいるのである。勘弁してほしいよなあ。情報は一カ所からだけ入ってくるわけではないのだ。勘違いしないでほしい。だったら最初から資料を配ったり、公の場所で発言したりしなければいいだろう。漏れて困るような話なら仲間内でしていればいい。繰り返しになるが、印刷物を配って公の場所で発言する時には、情報が拡散することの覚悟が必要なのだ。


3月23日(木曜日) さらに書くべき話

 「日の丸・君が代」集中連載の原稿を出し終えて「書くべきことはもうみんな書いたから燃焼し尽くしたかな〜」なんて思っていたら、実に興味深いエピソードが次々に情報として入ってくる。どれもこれも「絶対に広く社会に伝えなければ」とか「僕が書かなくてだれが書くというのだ」(笑)などと、まじで思ってしまうような話ばかりなのだ。裏付け取材や周辺取材をいくつもしなければならないので、おちおち休んでもいられないが、しかし休みを返上してでも広く伝えたい話なのである。それにしても取材や執筆がうまく回転していると、不思議なことに重要情報がどんどん入ってくるんだよなあ。宗教心はゼロの僕ではあるけれども、これはきっと神様が「あんたが書くんやで」と言って、書かせる状況を作ってくれているに違いない。まあそんなふうに考えれば、苦労も疲労も軽減されるというものだ。


3月24日(金曜日) 講演は宣伝活動?

 午前中は、横浜市内で6月下旬に予定されている講演の打ち合わせ。「インターネット社会の落とし穴」をテーマにした横浜市教委主催の3回連続講座で、そのうちの1コマを僕が受け持つらしい。パソコンスクールの先生が「プロバイダーの仕組みやウイルスの防御方法」などについて話して、消費者センターの相談員は「ネット上での取り引きと安全性」などについて話をするという。僕は「情報発信の自由と責任、怖さと楽しさ」などについて話すことになりそうだ。このほか「日の丸・君が代」について、とりあえず3カ所の市民集会やシンポジウムで話をしてほしいと頼まれている。執筆した記事の「宣伝活動」(?)にもなるので、取材に支障が出ない限り講演は積極的に引き受けたいと思う。午後からは学校取材。久しぶりに首都高速と第三京浜を愛車で突っ走った。きょうは終業式のところが多かったんだなあ。入学式に向けて、延々と職員会議で議論していた学校もあったらしい。

 「サード」へのアクセス6万件 「サードインパクト」へのアクセス件数が6万件を超えた。ご訪問くださったすべての皆様に感謝いたします。これからもよろしくお願いします。


3月25日(土曜日) 呆れた元編集委員を反面教師に

 東京・市ケ谷へ。学校新聞を指導している顧問教師や、PTA広報を作っているお母さんたちの集まりに誘われて参加した。主催者から「何か話して」と言われたので、新聞社を辞めた理由だとか、力を入れて取材している「日の丸・君が代」のことについて簡単に話をする。もちろんこの問題へのお母さん方の考え方はいろいろあるのだが、歴史認識もしっかりしていたし、やはり強制は嫌だと考えているなど、とても健全な反応が返ってきた。しかし愕然としたと言うか、聞いていて心底から呆れ果てたのは、参加していたある大新聞社の元編集委員の言い草だった。このお方は教育問題の編集委員を長いことしていて、今は大学で教えているのだそうで、この人の講演は1時間で何十万円もするのだという。

 まあ、そんなことはどうでもいい。僕が、取材を通しての感想として「日の丸・君が代の問題は、人間の生き方や信念が問われるとともに、どれだけ自由にものが言えるかという社会の民主主義の成熟度が問われていると思う」と述べているのに、この元編集委員は自分が文部省記者クラブで長年取材していたことを自慢して、それから、文部省と日教組が歴史的和解をしたなどというどうでもいい歴史の話を延々と演説するのだ。その挙句に、言うに事欠いて「時代が変わったのだから、日の丸・君が代の問題も頭を切り替えて議論しなければならない」などと力説するのだった。アホか…。ばっかじゃないか…。教育現場を直接歩いて、現場の悩みを聞いたことがあるのだろうか。そもそも今、日本全国でいったい何が起きているのかが分かっているのだろうかと思う。問題の本質を見極める目がまるでない。おまけに話は長いし中身はないし、何が言いたいのかよく分からない。あまりの「評論家」ぶりにうんざりしたが、もともとこの人は新聞記者というよりは「評論家」だったのだ。仮にも「新聞記者をやっていました」などと言うのなら、現場で何が起きているのか自分の目と耳で確認してから発言しろと言いたい。とても不愉快な気持ちになった。しかし日の丸・君が代の問題を語ることによって、この元編集委員はある意味で見事に、自分の生き方を浮き彫りにして見せてしまったのだった。

 一方、教師も教師だった。少なくとも「学校新聞」を指導していて、ジャーナリズムの意味を理解しているはずの人間が「校長には管理職の立場がある。こういうことは行政に言うべき話だ」などと言うのである。絶句するばかりだ。じゃあ、生徒が新聞を使って、この問題で言論・報道活動を始めた時にはどう対処するつもりなのだろうと思う。まあ、そもそも学校新聞に顧問教師が付いていて、生徒をあれこれ「指導」すること自体が「自主・独立・自由な言論活動」とは真っ向から矛盾するわけで、そうした顧問の存在そのものがおかしい。僕は自分が高校生の時からずっとそう考えている。そういう意味では、こうした「指導」に熱心な顧問教師の発言にいちいち目くじらを立てて反応するなんてこと自体が、よく考えたら馬鹿げた話かもしれない。う〜ん、まともなのは残念ながら、お母さんと子どもたちだけだったか。

 夕方から、東京・早稲田へ。「日の丸・君が代」の市民集会を取材する。卒業式の報告が全国からあった。話の内容は特に珍しいものはなかったが、参加者の多くが「週刊金曜日」に連載中のルポルタージュを読んでくれているのがうれしい。きょうの収穫は、会場に来ていた旧知のルポライターの頑張りぶりについて、じっくりと話が聞けたことだ。僕よりも年齢は少し下だがフリー歴ははるかに長くて、教育や子どもの問題について熱心に取材している人だ。前向きな姿勢と貪欲な好奇心を垣間見るのは、心地よい刺激になる。

 花粉症が最悪だ〜。鼻も目もむずがゆくて、くしゃみは出るし、鼻水は出るし、しばらくすると今度は鼻が詰まるときたもんだ。薬があんまり効かないのはどーしてなのだあ…。早稲田のアイヌ料理屋で夕食を食べながら飲む。残念だけど料理の味は僕の好みではない。早大の卒業式だったので、高田馬場駅や新宿駅はごった返している。山手線は通勤ラッシュ並み。午前1時過ぎ帰宅。


3月26日(日曜日) どこまでが取材活動か

 例えば、目の前で事件が起きているのを止めるべきなのかとか、通報くらいはするべきなのかとか。あるいは戦場カメラマンだったら、被災者の写真を撮る前に助けるべきだとか。記者が取材対象にどこまでかかわっていいのかというのは、なかなか難しい問題だ。記者は歴史の目撃者であり記録者なのだから、記録係に徹するべきだという考え方もあるだろうが、取材相手から完全に距離を置いてまるっきりノータッチで取材するなんてことは、そもそも不可能に近い。何らかの形で深くかかわるのは避けられないわけだし…。雑談や情報交換をするだけでも、取材対象に影響を与えていると言えなくはないもんなあ…。たかだか市民集会の取材にしても、署名活動くらいはしてもいいのか、集会の準備を手伝うのはいいか、会議で発言していいものか、などと考えることはある。取材ではなく市民として参加している時なら何も悩む必要はないけれども、記者として取材している時にはそんなことを考えてしまうのだ。

 ある市民集会を取材していた新聞記者が、まるで参加者の一人であるかのように積極的に発言していたことがあった。取材している立場のはずの記者がそこまで討論に加わってもいいものなのか。少なからず違和感を感じると同時に、その一方で発言したくなる気持ちもとてもよく分かった。記者は取材者であって運動家ではない。市民運動を応援したければ仕事とは切り離してプライベートな時間にやればいいことは分かっているが、じゃあ取材している時には目の前で起きていることを、ただ黙って見ているしかないのかというと、そんなことはないだろうとも思う。どこまでが記者活動で、どこからが記者活動の許容範囲を超えるのかは判断が難しい。


3月27日(月曜日) 勘違いのこだわり

 テレビのワイドショー番組で、客に水を出さないカレー屋を紹介していた。女性店主は「水は出しません。それが当店のルールですから。持ち込みも認めていません」と答えていた。味にこだわりがある店なのだそうだが、僕は絶対にこういう店には行かないと思うから、どうぞ勝手にやっててください、という感じである。でもいるんだよなあ、こういう勘違いのこだわりを客に強要する馬鹿な店主が。この人は「食事の時に水をとると胃酸の働きが弱まって消化によくないと、家庭で教えられて育ってきた」と言うのだけど、だからといってそれを客に強いることはないだろう。そもそも、食事の時に適度に水分をとるのは、むしろ消化の働きを助けることにもなるし、さらに血中濃度を低くする効用もあるのだ。ご飯を食べながら汁をすすり、食後にお茶を飲むという日本の食事パターンは、だから医学的にも理にかなっているのである。そんなことも理解できないで「こだわり」を押し付けるなんて噴飯ものだと思う。

 うちの近くにも、客に水を出さないのを売り物にしているラーメン屋がある。ただし汁まで全部飲んだら、一杯だけ水を出してくれるという。麺と汁にこだわりがあるのだろうが、これまたこだわりというものの意味を勘違いしている店主だ。客の都合や好みを一切配慮しないで、一方的な価値観を押し付けているだけだということに気付かないのである。塩分の取りすぎを気にしている客だっているだろうに、そういうことへの想像力が働かないのだ。少なくとも僕は絶対にこういう姿勢の店には入らない。ちなみにこのラーメン屋だけど、残念ながら店主がこだわるほど大した味ではない。何を偉そうにと思われるだけで、とてもカッコ悪い。


3月28日(火曜日) うさん臭い人権団体

 知り合いの大学講師と久しぶりに会って、横浜市内で酒を飲みながら情報交換する。「人権」や「差別撤廃」を掲げて活動している団体や活動家とされている人たちのうさん臭さについて、事例を挙げながら説明してくれた。う〜ん、なるほど。そのことについては僕も、取材や個人的体験を通してよく知っているぞ。あの人たちが日ごろ偉そうに言っていることと、実際にやっていることとの格差といったら、それはもうものすごい隔たりがある。具体的なことは今ここには書けないけれど、およそ「人権」とは対極にあることをやって恥じないのだ。そのことは指摘しておきたい。表面的な啓蒙活動だけを見ていればもちろん正しいことをやっていて、だれも異議を唱えることはできないだろう。しかしそれはあくまでも全体から見ればごくごく一部の表看板であって、それ以外はほとんどが詐欺行為同然だったりする。しかもわれわれの税金が使われていることを考えれば、本当は許し難い話なんだよなあ。なんだか奥歯に物が挟まったみたいな文章を書いていて、いつもの「身辺雑記」らしくないような気もするが…。まあ現段階ではこんな感じで。相当に嫌な目に遭ったという大学講師は、豊富な証拠をもとに何らかの形で世間にアピールするつもりだという。応援したいと思う。


3月29日(水曜日) やぶうち優の「水色時代」

 原稿も書かないで(…って、おいおい)、久しぶりにネットサーフィンを朝方までしまくった。これまで行ったことがないサイトを訪問するのは楽しいから、ついつい長時間の接続になってしまう。でもいいのだ、テレホーダイだから。いやホントはそーゆー問題ではなくて、インターネットなんかやっている時間があったら、仕事をするか早く寝るかにしろよっていう問題なんだけど(汗)。

 それはさておき、なぜ久しぶりにネットサーフィンをしたかというと、最近ちょっとハマっている漫画があるので、少しばかり関連サイトを見るために電脳横丁へお出かけしたのだった。で、そのマイブームは、やぶうち優の「水色時代」シリーズである。子どもから大人への境目にいる中学生・優子が主人公のドラマで、子ども時代の「白色」から青春時代の「青色」に染まる前の、「水色」の時を描いた思春期ダイアリーといった作品だ。小学館の「ちゃお」や「小学六年生」などの学習雑誌に連載されていて、テレビアニメにもなったという(僕は見ていないけれども)。絵もうまいしストーリーも安心して見ていられるし、もちろん「水色時代」シリーズは純然たる少女漫画だが、実はこういう純粋な作品世界って結構好きなんだよな〜。あんな時代もあったよなあって懐かしむ感覚なのかなあ。純粋という意味で言えば、学習雑誌系の「ドラえもん」などの良質な子ども漫画と共通するものがあるかもしれない。

 あす30日から、愛媛と京都に行くことになった。どちらも司法問題についての取材である。記者会見に出たりインタビューをしたりして、1泊か2泊して帰ってくる予定だ。強行軍だけど、N編集長が急に指示してきたから仕方ない。しかしこれは、放っておくと僕が仕事をしないでだらだら過ごすので、取材で忙しくさせておこうという親心かもしれないな。ん〜、ノートパソコンはどうしようかなあ。持って行きたい気もするが、旅行の荷物はなるべくシンプルにするのが信条なんだよなあ。


3月30日(木曜日) 松山で記者会見

 2時間くらい仮眠して羽田空港へ。朝食を食べる時間がなかったので空港のスタンドでオムライスを食べたが、ばか高いし、おまけにレトルトでまずい。わずか1時間20分ほどで愛媛県の松山空港に到着する。すぐさまタクシーに飛び乗って松山市内の愛媛弁護士会館へ直行する。滑り込みセーフだ。窃盗罪などで誤認逮捕・起訴されて1年以上も拘置されながら、判決直前に「本当の容疑者」がいることが分かり、釈放された男性(51歳)の記者会見に出る。あらかじめ幹事社に連絡して、記者クラブメンバーではないけれども参加できるように約束してあったので取材は可能なのだが、加盟各社の質問が終わってからなどと条件を付けられた。不愉快だし馬鹿馬鹿しい対応だとは思うが、まあ参加自体を拒否されたわけではないのでそれくらいは許容してやろう。

 被告男性は会見で記者の質問に答えて、警察での取り調べの様子や、現在の心境などを静かな口調でとつとつと語った。暴力的な取り調べはなかったが、刑事から「お前がやったんだろう」と強い口調で迫られたので自供してしまった、1年以上の拘置で体も弱ったし職も失った、しかし不況と自分の年齢から考えるとなかなか就職できないなどと訴えた。いわゆる「基本的な質問事項」のほかに、何のために聞いているのか疑問に思うような、どうでもいいような質問が延々と1時間以上も続くので辟易(へきえき)する。最後に僕が質問した。「警察の取り調べに問題があるのはもちろんだが、そういう警察の捜査を本来ならチェックするべき検察官の取り調べはどうだったのか、そのことについてはどう考えるか」。そのような趣旨の質問を男性と弁護士にした。検察捜査について質問したのは僕と朝日の記者だけだった。案の定、検察は警察調書をなぞるだけの捜査しかしなかったことが明らかになった。会見には30人ほどの記者が出ていたが、この点に対して問題意識や関心を持って記事にする記者は一体どれほどいるだろうか。

 会見が終わって、弁護士会の人権擁護委員会が終わるのを各社とともにロビーで待つ。M紙、Y紙、S紙の記者たちが大声で雑談しているのを聞くともなしに聞いていて、がっくりするとともに呆れ果ててしまった。いや、猛烈に腹が立った。記者の質問に男性がきちんと答えられず、ピント外れのような答え方を何回も繰り返したことに触れて、彼らは「あれじゃあ警察も困るよな、実は私がやりましたなんて言い出すかと思ったよ」とか「こんな会見では本人のためにも書かない方がいいくらいだ」「(松本サリン事件の)河野さんみたいにしっかり意見が言える人なら大きく扱える」などと言いたい放題なのだった。つまり、あれでは誤認逮捕されても不思議はないと言わんばかりなのだ。大勢の記者を前にして、普通の人がみんな理路整然と答えられると考えることがまずおかしい。それに屈強な刑事たちに「お前がやったろう」と迫られたら、自分の意に反してついつい自供してしまうことは十分に考えられるだろう。そういう心理状況を利用して、自供を導き出すのが警察の取り調べというもので、だからこそ当番弁護士の重要性が指摘されているのではないか。取り調べの様子についてあれだけ質問しておいて、そこから何を感じ取ったのだろうか。そう疑わざるを得ない。


3月31日(金曜日) 地元紙の扱い

 朝になって各紙の記事を見る。地元紙が、僕の質問趣旨をそのまま主見出しと前文でも大きく扱っていてとてもうれしくなった。社会面トップに「検察調べ印象にない/警察調書に沿う捜査疑問」というベタ黒に白抜きの大見出しである。それなりに影響を与えることができたじゃん。朝日は検察捜査について一問一答の中で触れていたが、そのほかの各紙はどこも、検察については1行も触れていなかった。でもまあ、それは予想通りだったな。松山地方検察庁に行く。検事正は「多忙」を理由に取材には応じなかった。

 京都取材 午後の便で大阪の伊丹へ。伊丹からバスで京都駅へ向かい、さらに地下鉄で京都・北山まで。司法制度改革審議会の第1回地方公聴会(大阪)で、公述人として発言した「裁判フォーラム」の大東美智子さんにインタビューする。「せっかく京都に来たのだから」と和菓子とお茶をご馳走してくださった。雑談の中で大東さんは、従姉妹の卒業した高校の第1期生であることが分かる。

 新幹線の最終で帰るのも面倒になったので、京都で一泊しようと考えて、いくつかのホテルに電話をかける。しかし月末の金曜日だからなのか、京都駅近くのホテルはどこも満室だ。一軒だけ空いているところが見つかったのでそこで一泊。ダブルの部屋だけどシングル料金で構わないとのことで、少しゆったりした気分になる。


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