身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2000年9月1日〜9月30日

●コマネズミみたい?●当事者の「訴える力」●展望デッキ●目いっぱい仕事●季節は秋●都の防災訓練と自衛隊●だれのための司法改革?●徴兵制導入のための布石?●最近のメールから●福岡取材●不愉快な訪問販売●涙腺●雷の集中攻撃●「サード」へのアクセス9万件●保管場所の確保●眼鏡店に行く●岩波ブックレットの宣伝〜♪●貧乏性?●初心●五輪雑感●処分教師●OCR●マニアック?●報道の自由●村山由佳「BAD KIDS」●お寒い現実●憲法の問題●説得と信頼●電話料金!●来春卒業する高校生へ●国勢調査●●●ほか


9月1日(金曜日) コマネズミみたい?

 昨晩のうちに脱稿するはずだった原稿が未完なので、懸命に執筆する。健闘したのだがそれでもまだ未完状態。ほぼ9割はできたんだけどなあ…。夕方から東京・池袋東口で、弁護士さんと打ち合わせ&取材を兼ねて面談。内容は秘密である(笑)。話が具体的だからなかなか勉強になった。午後11時に帰宅。「週刊金曜日」に来週掲載予定の短編ルポのゲラのチェックをしてから、未完だった原稿をようやく完成させる。疲れたぞー。なんだかコマネズミみたいに、ちょこまか動いているよなあ。いただいたメールの返事がいくつもたまっているが、忙しくてしばらく返事が書けません…。勘弁してちょ(汗)。


9月2日(土曜日) 当事者の「訴える力」

 羽田空港で福岡からの友達を出迎える。京急本線と羽田線との接続がうまくいかずに焦ったが、飛行機も少し遅れたみたいで、ちょうどいいタイミングで到着ロビーにたどり着く。午後から東京・国立へ。市民学習会で教育裁判関係者の講演を取材。事件などの当事者の「訴える力」というものを改めて感じた。記者というのは人々の体験や声を拾って、本人に代わって広く社会に伝えていくのが大きな仕事だけど、どうしても間接的に伝えているに過ぎないという弱さがある。やっぱり当事者の声に勝るものはないよなあと痛感したのだ。もちろん記者の仕事は当事者の声を代弁するだけではなくて、幅広く奥行きのある取材を重ね、独自の視点や切り口によって問題提起をするところに意味があったりするわけだから、記者の存在意義そのものが揺らぐわけではないが、当事者の「訴える力」や表現力の偉大さを、僕も少しでも吸収できればと思った。

 この日の話でもう一つ考えさせられたのは、悩んだり葛藤したりすることによって、人間は大きく成長するものなんだなあということだ。絶対的な自信と信念と確信を持って突き進むことも時と場合によっては大切だと思うが、そのような場合でも、揺れたり迷ったりして紆余曲折しながら進んでいい。成長するとはそういうことなのだろう。葛藤や迷いがない人って今いち信用できないよなあ。でも残念ながら世間には、悩み葛藤することを放棄してしまっているのではないか、としか考えられないような人が多いんだよね…。上からの命令を疑問も持たずそのまま遂行する組織人や、仲間内の言葉にしか耳を傾けず教条主義的な主張を繰り返す運動家とか。学習会が終わってから引き続き懇親会にも参加する。一次会は中華料理店で、二次会は喫茶店。午前零時前に帰宅。


9月3日(日曜日) 展望デッキ

 休日だというのに朝からファクスや宅配便が届く。眠い目をこすりながら応対する。午後から東京・下町の水辺にでも出かけようかなどと考えていたのだが、結局は夕方近くまで自宅でうだうだと過ごしてしまった。羽田まで友達を送って行く。初めて空港屋上の展望デッキに行ったけど敷地が広大なので、搭乗ゲートの位置も、どれがどの飛行機なのかもさっぱり分からない(涙)。識別できるのは尾翼に描かれた航空会社のマークだけだ。う〜ん。夕闇に照らされた機体や、悠然と夜空に飛び立って行く姿はとてもきれいだが、ここってなんだか寂しい気持ちになる場所だよなあ…。展望デッキに一人で来るのはもうやめよう。


9月4日(月曜日) 目いっぱい仕事

 朝から目いっぱいお仕事をする(苦笑)。確認取材の電話をいくつかかけてから、チェック済みのゲラをファクス。午後から東京・水道橋の出版社で「週刊金曜日」の取材打ち合わせ。それぞれ担当分野が違う編集者3グループと、息つく暇もなく次々に打ち合わせをこなす。さまざまな視点や問題意識を持った編集者と話をするのは、刺激になってとても勉強になる。初めて顔合わせした女性編集者の一人から、写真を撮らせてほしいと頼まれた。初めて会った人の顔を撮影するのが趣味だそうで、千人分の写真がたまったら個展を開くという。う〜む、林家ぺーみたいな趣味を持っている人って本当にいるんだなあ。個展にはぜひ招待してください(笑)。

 夕方から、四谷の出版社で「月刊司法改革」の編集会議。予定が押せ押せになってしまい、大幅に遅れて参加する。インタビュー企画の一つが延期に。楽しみにしていたのに残念だ(泣)。女性編集者がオランダ土産のチョコレートを持参。オランダでは合法化されているマリファナが入っているそうで、僕も2かけらほど食べさせてもらった。某大学教授はあまりろれつが回っていないみたいだったが、僕はしばらくすると頭が少し熱くなったような気がしただけだった。反応は人によってさまざまらしいが、それでも丸々全部を食べなければハイな状態にはならないようだ。

 会議終了後、編集部近くの韓国料理店へ。チヂミ(韓国風お好み焼き)、プルコギ(韓国風すき焼き)、煮込み、冷麺など、どれも絶妙な味だ。野菜もたっぷり摂取したぞ〜。さてとそろそろ帰ろうかなと思っていると、編集長に「いい感じの店があるから」と軽く飲みに誘われて、女性編集者と一緒に曙町のスナックへ。確かに落ち着いた雰囲気の静かな店だ。薄い水割を作ってもらって飲む。僕はめちゃ薄〜い水割をゆっくり飲むのが大好きなのだ。タクシーで午前3時帰宅。友達に電話する約束だったが、もう寝ているよなあと恐る恐るかける。それから結局、3時間以上も話し込んでしまったぞ(謎)。きのう夕方から涼しくなってきた。きょうは夕立ちが降ったこともあって、かなり過ごしやすい一日だったな。


9月5日(火曜日) 季節は秋

 朝からずっと雨がしとしとと降り続いている。過ごしやすいというよりは、少し肌寒いかもしれない。ようやく厳しい残暑も終わって、季節はもうすっかり秋に移ったんだな〜(しみじみ)。仕事に専念するのはあすからっつーことで、友達と電話で話をしたり、たまっている雑用を片付けたりする。

 メガネを鼻で支えるところが痛くなってきた。メガネが重い上にフレームの調整が合わないまま使っているので、余計に鼻に当たる部分が痛いようだ。近視が強くて乱視も入っているため、フレームが大きいほどレンズが分厚くなって重くなるのだ。なるべく早く小さいフレームに買い換えて軽量化を図らなければ。

 都の防災訓練と自衛隊 日曜日に行われた東京都の総合防災訓練について、やっぱり一言だけ書いておかなければ…。7100人の自衛隊員を動員した過去に例のない大がかりな防災訓練は、「防災に名を借りた軍事演習だ」という批判がある一方で、都民の多くは「災害救助に役立つので安心できるし期待している」と肯定・評価しているようだ。確かに大義名分は「災害救助訓練」なのだから、感謝こそされても批判されるなんて、当の自衛隊員にとっても心外だろうと思う。ほとんどの都民も、自衛隊の訓練参加にどうして批判の声があるのか理解できなくても不思議ではない。自衛隊の災害救助派遣はこれまでも広く受け入れられていて、実際問題として役に立っているからである。だがしか〜し。そんな表層部分に隠されているところにこそ物事の本質はあるんだよなあ。軍艦マーチが高らかに流され、陸海空の自衛隊を「三軍」と表現して、自衛隊員に対して「国を守る大事な機能と自覚して演習に励んで…」「外国からの侵犯に対しても、まず自らの力で自分を守る気概を…」などと呼びかける。そんな石原都知事のはしゃぎようをきちんと見て判断すれば、本当の目的が「災害救助訓練」にあるのか「軍事演習」にあるのか、おのずと分かるのではないだろうか。

 もしもこれらの石原発言はあくまでも言葉のあやの問題だと言うのなら、ではもう一つの事例を考えてみたい。迷彩服姿の自衛隊員は続々と都営地下鉄の車両に乗り込んで、都心を移動した。訓練会場に集合するための「部隊集結訓練」だそうだ。で、この日の防災訓練はマグニチュード7.2の直下型地震を想定したというのだが、しかしそんな大地震が発生したら、果たして都心の地下鉄はまともに機能するのだろうか。だとするならば、この集結訓練は「有事のための軍事演習」ではないのかという疑問がふつふつと沸き起こってくるんだよなあ。大義名分を掲げて善良な市民をだますのはたやすいことかもしれないけれども、民主社会では決して許されない卑劣な行為だ。ジャーナリズムはそこのところをどれだけ伝えているだろうか。自戒を込めて自問自答したい。


9月6日(水曜日) 違憲立法審査権の放棄 

 一昨年7月の参院選をめぐる定数訴訟の最高裁判決があったが、なかなか興味深くて噴飯ものの内容だった。一票の格差が最大では4.98倍にもなっているというのに、最高裁は「国会の立法裁量権の限界を超えるものとは言えない」として合憲だというのである。どう考えても違憲立法審査権の放棄ではないか。そもそも一票の重みに5倍近くもの格差があること自体が異常なのに「不平等とは言えない」とは、どういう感覚をしているのか理解に苦しむ。ちなみに今回の最高裁判決は、職業裁判官と検察官出身と学者出身と行政官出身の10人の裁判官が「合憲」として多数意見を述べ、弁護士出身と外交官出身の5人の裁判官が「違憲」とする反対意見を述べた。憲法判断という自分たちにしかできない大切な仕事を自ら放棄するなんて、職業裁判官はいったい何を考えているんだろう。こういう裁判官にこそ、有権者は「最高裁裁判官の国民審査」でノーを突きつけなくてはならない。

 午前中は青空が広がっていたのに、午後から暗雲が立ちこめて強い雨が降り続く。そしてまた夕方になったら晴れ間が…。う〜ん、よく分からない秋の天気だな。原稿執筆の準備をしながら、頼まれている原稿読みの仕事などをする。

 「セカンドインパクト」の「司法改革」のページに、19年前に大分で起きた「みどり荘事件」冤罪被害者・輿掛良一さんのインタビューなど3本の記事を追加更新しました。


9月7日(木曜日) だれのための司法改革?

 きのうから引き続いて自宅で原稿読みの仕事。司法修習の話なのだが、すらすら読める文章と引っかかってしまう文章とがあって、意外に時間がかかる。でも内容的にはなかなか面白くて勉強にもなるので、原稿を読んでいてもさほど苦痛ではない。夕方から東京・飯田橋で、民主法律家協会など主催の「司法改革市民会議」を取材する。「司法制度改革審議会は企業や行政のための司法改革をしようとしている」などと、学者や弁護士から厳しい指摘が相次いだ。ん〜、確かにそういう側面はあるよなあ。本質からかけ離れた本末転倒の改革案が目立つもんなあ。だれのための司法改革なのか疑問に感じることが多いよなあ。…などと議論を聞きながら思った。

 飯田橋駅前の古ぼけた定食屋で「若鶏のソテーの胡麻だれ風味」を食べる。初めて入った店だったのに、食べ始めるとおばちゃんがサービスで冷奴を出してくれた。なんてラッキーなんだと思っていたら、しばらくして今度はよく冷えたトマトも付けてくれた。野菜類が食べたいなあと思っていたので、ものすごくうれしい。後で友達に「よっぽど欠食児童みたいに見られたんだねー」と笑われたけど、ご馳走してもらえたんだから何でもいいや(笑)。まあ、おばちゃんには好感を持たれるタイプなのかもしれない。


9月8日(金曜日) 徴兵制導入のための布石?

 きょう発売の「週刊金曜日」に、中学校の部活動についての短いルポを書いた。八王子の市立中学校の吹奏楽部が、学校側の無理解で廃部の危機に直面する話である。生徒や親に対して異常な対応をする校長の言動は確かに突出しているが、学校の部活動が全国的に曲がり角にきていることを指摘した。子どもたちのボランティア活動にも触れるべきかどうか、出稿前に編集部と相談したのだが、紙数の関係から結局そのことには触れなかった。で、それに関連するのだが、政府・与党は来年の通常国会に、小・中・高校生にボランティア活動(奉仕活動)を義務付けるための関連法案を提出する方針だという。これを聞いて、やっぱりというよりも「本気でやる気なんだね」と絶句してしまった。部活動にしてもボランティア活動にしても、どちらも個人の意思でやるものではないのか。そもそも「ボランティア活動」を「義務」として強制するだなんて、ボランティアでも何でもないじゃん。そーゆーのは強制労働とか勤労奉仕だっつーの。まるで戦前の勤労動員や徴兵制みたいだよなあ〜。ああ、そうか、そういうものを導入するための布石なのか…。

 そう言えば新聞記者時代に、地元のライオンズクラブなどの団体が、新聞社に「こんなに奉仕活動を頑張っているので取り上げてほしい」と持ち込んでくるのを何回も経験したが、ボランティアや奉仕活動というのは人知れずこっそり地道にやるからこそ奉仕活動であって、それなのにどうして売名行為のように自己宣伝をするのかなあ…といつも強い違和感を感じていた。要するにこの国では、ボランティアや奉仕活動の意味するものが正確に理解されていないんだろうなあ。自分の意思でやって、相手からの見返りを期待しないでやるものをボランティアや奉仕活動と言うのだ。それなのにこれ見よがしに「善行や奉仕をしてやっているんだ」という意識でいるから、目立とうとするし評価や表彰をされたがるのだろう。その延長線上に「奉仕活動の義務化」があって、さらにその先に徴兵制が待ち構えているのかもしれない。

 「奉仕活動に参加するのは正しいことだ、だから全員参加することにしましょう」などと言われれば、なかなか正面から反対しにくい。でも一見すると正論であるかのように見えるけど、よく考えてみたら実はとても変なことなんだよね、奉仕活動を「強制」するってことは。そして、奉仕活動を宣伝・評価されたがることも…。


9月9日(土曜日) 最近のメールから

 ここ最近、いただいたメールから。自分では「これは!」と思って書いたつもりの内容にはさほど反応がなくて、意外な話題に対して反響があったりするのが「身辺雑記」の妙なところだ。で、眼鏡とトトロの目覚まし時計の雑文について、いくつか感想のメールをもらった。まず、眼鏡については「高圧縮のプラスチックレンズがよい」「高いけれども私も愛用している」などと紹介してくださった。僕も友達から薦められていて、やはり高圧縮のプラスチックレンズが最も軽量化できると聞いているので、なるべく早いうちに買い換えたいと思っている。中には近視手術を薦めて下さった方もいたのだけど、僕はコンタクトレンズも怖くて使えないくらいの意気地なしなので、それはちょっと無理だと思う…。あと、トトロの目覚まし時計については「いい買い物をしたと思いますよ。飾りじゃ困りますけどね」「私も持っています」などなど。お陰さまで、トトロのオルゴールで毎朝しっかり目覚めています(笑)。

 綱渡りのようなスケジュール進行で、締め切りと格闘中だ。とりあえず懸案の仕事の一つは片付いたけど、あと3本の原稿をまとめておかなければならない。ほかにも1本書かなければならないのがあるが、それは先送りしても大丈夫なんだよな。ん〜、間に合うのか…。だがしか〜し。何だかんだ言いつつも、いつも最終的にはつじつまが合ってしまうのが大岡流(?)なのだった。まあ、何とかなるだろう。つーか、何とかしなければならないのだ。


9月10日(日曜日) 原稿執筆

 終日、原稿執筆と電話取材。あすから福岡へ取材に出かける。あ〜、何とかなるのかなあ…。少しばかり心配だけど…。


9月11日(月曜日)〜13日(水曜日) 福岡取材

 【9月11日】 朝は晴れ渡っていたと思っていたら急に暗雲が立ちこめて激しい雨が降り出し、青空が見えてきたので安心していたら再び土砂降りの雨に…。晴れ間と豪雨とを繰り返す訳の分からない天気だ。夕方の便で羽田から福岡へ。だけどその前に、チェックした原稿を出版社へ郵送しなければならない。バケツの水をひっくり返したような雨の中を、近くの郵便局まで歩いて行く。荷物が多いのでびしょびしょじゃん…。だがしか〜し。上大岡に着いたころには雨が上がっている…。ふざけんな〜。最悪のタイミングで豪雨に立ち向かってしまったのだった。おまけに福岡行きの飛行機の揺れることと言ったら。延々と雲の中を突き進んで縦横にガタガタ揺れ続けるので、いつ墜落するかと気が気ではなかったぞ。3時間ほどしか寝ていないので爆睡しようと思っていたのに、ほとんど眠れない。夕食は福岡市内で台湾料理を食べる。ユバ巻きと海老のチリソースが絶品。よく冷えた生ビールがうまいっ。幸せ〜。

 【9月12日】 福岡「ゲルニカ事件」(2000年6月10日付「身辺雑記」参照)の関係者に話を聞く。午後から福岡市内の寺を訪れて、十二年前から保管されている「六年の旗・ゲルニカ」を見せてもらった。このインタビュー記事は来週発行の「週刊金曜日」に、「子どもたちと『日の丸・君が代』」特集として掲載される予定である。市心部の大濠公園周辺を散策。なかなか広くて静かで落ち着いた雰囲気の広場だ。夕食は広島風お好み焼き。これがまた冷えた生ビールによく合うんだよな〜。その後は友達と久しぶりにカラオケに行って、井上陽水や中島みゆきやパフィーなどを歌う(笑)。ホテルに戻って残りの原稿をまとめる。ああ、眠いし疲れた〜。

 だがしか〜し。持参したノートパソコンが昨晩から不調で、インターネットに接続できないのだ。やり方を変えて何回やってみても「認証できません」とか「ダイヤルトーンを検出しません」などと表示されるばかりなのだ。現地から原稿を送るのはあきらめて、横浜に戻って自宅から送信することにする。締め切りにはぎりぎり間に合うから、まあいっか。編集部も了解済みだ。

 【9月13日】 午後一番の福岡発の便で羽田へ。きのうの東海地区は大雨で大変だったらしいが、九州は台風や前線の影響はほとんどなかった。空路も沖縄方面へ向かう便以外に大きなトラブルはなかったようだ。ただし行きほどではなかったけれど、雲の中を突っ切って飛んでいるので機体はかなり揺れた。大急ぎで帰宅して、現地でまとめた原稿を自宅のパソコンから送信する。締め切り予定時刻より1時間ほど遅れたけど、まあこの程度は事情が事情だから許容範囲だろう(そうですよね、編集部のYRさん=苦笑)。郵便物やメールがたくさんたまっていて、げんなりするのはいつものことだ。そんなわけで3日間の「身辺雑記」をまとめて更新。


9月14日(木曜日) 不愉快な訪問販売

 午後7時近く。玄関のチャイムを鳴らす音がするので、ドアを開けないで応対すると「水道の検査試験に来ました」と言う。検査試験って何だ…。僕はセールスや訪問販売や布教のたぐいは一切相手にしないことにしている。だからドアを不用意に開けたりしないのだが、年に数回ある電気やガスや水道など法令で定められている点検だとしたら応じなければならないよなあ。要領を得ないままドアを開けたら、若い男が「日本◯◯センターの者ですが、水道浄化検査の試験に来ました。何回も伺ったのですがお留守でして…」などと説明を始める。何の検査で、何のために、どこがどんな目的で検査するのかを質問すると、もっともらしい説明を繰り返したが、結局は浄化装置の訪問販売であることが判明した。「水道、検査、試験」などの公的に思わせる言葉を散りばめて、しかも「何回も訪問した」などと人を恐縮させるような言葉を冒頭で提示する。なんて卑怯なんだ…。よく考えたら何回訪問されようが関係ないのだが、公的機関の検査であれば少なからず恐縮してしまう心理を巧みに突いている。実際は、消火器販売などと変わらない悪質で詐欺的な訪問販売の一種だったわけだ。丁重にお引き取りを願ったが、ものすご〜く後味が悪くて不愉快な気持ちになった。貴重な時間を取られた不快感ももちろんあるが、公共性を装った詐欺的言辞に何よりも怒りを覚えたのだろう。僕はこういう卑劣で卑怯なやり方が最も嫌いなのだ。でもまあ最初から「訪問販売だ」ときちんと名乗っていたら、ドアなんか開けもしないで追い返すっつーの。

 三谷幸喜脚本のTVドラマ「合い言葉は勇気」の最終回を見る。産廃処理場の建設に反対する村民とそれに加勢する偽者弁護士の物語で、役所広司、香取慎吾、津川雅彦らが好演。途中の回から見ていたけど、平和な生活を守るため懸命に処理業者と闘う役所広司が感動的でなかなか面白い。最終回のきょうは泣かせてくれた。

 来月までにと言われていたはずの原稿を、急に今月に(しかもあすまでに)出すようにとの電話があって、あわてて書く。ん〜、泣く子と編集者にはホンマに勝てまへんなあ(笑)。

 福岡からインターネットに接続できなかったのは、現地のアクセスポイントをプロバイダーが変更していたのが原因だった。3カ月前に福岡から接続した時は問題なかったので、その時の電話番号にアクセスしていたのだった。う〜む、それは盲点だったな…。


9月15日(金曜日) 涙腺

 終日、仕事の関係で必要な本と資料をず〜っと読み続ける。個人的にもきちんと読んでおきたいものだったのだが、とても切ない気持ちにさせる記述があって途中で涙が出てきてしまった。う〜ん、このところ涙腺が弱くなってきたのかなあ…。よく泣いてしまう。


9月16日(土曜日) 雷の集中攻撃

 台風17号が関東地方に近付いているからか、前線の影響か、大気の状態が不安定になっているのか、夕方からすっごい雨が降ったかと思うと、めちゃくちゃに雷が鳴り出した。窓の外でまばゆいばかりに光が炸裂すると、数秒後にはバリバリドッシャ〜ンとすごい音を出して落ちる。わが家にこそ落ちないものの、周辺に文字通りのべつまくなしに落雷するのだ。光ってからわずか1秒でビッシャ〜ンと音がしたのは、至近距離に落ちた証拠だろう。消してあるテレビのスイッチが勝手に入ったりもする。パソコンを使って原稿を書いているので、気が気ではない。慌てて書きかけの原稿を保存したら、その直後にものすごい音がして一斉に電気が消えた。家の周辺も軒並み消えている。おいおい、やっぱり停電かよ。ん〜、それにしても危ないところだった。データをこまめに保存するのは大切だと痛感するよなあ。幸いにも数分して停電は復旧したので仕事を再開する。早いところ仕上げなければならない原稿なんだ、邪魔しないでくれよ〜。パソコン本体が落雷によってやられることもあると聞いたことがあるけど、今回は無事でほっとする。そんなわけで弁当屋は天候不良を理由に、出前もしてくれなかったぜ…。

 「サード」へのアクセス9万件 「サードインパクト」へのアクセス件数が9万件を超えた。皆様のご訪問に感謝します。


9月17日(日曜日) 保管場所の確保

 ごみの埋め立て処分場がどんどん埋め立てられていって、あと数年でいっぱいになるというニュースをよく聞くが、それと全く同じ現象がわが家にも起きている。もっともこちらはごみの埋め立て場所ではなくて、取材資料の保管場所の確保で苦労しているのだ。取材先で入手したチラシやパンフや各種資料を、日時や項目ごとに適当なタイトルを付けた紙袋に分けて入れ、それを大きな紙袋にまとめるのだが、まだまだ余裕があるなどと思っていると、すぐに満杯になってしまう。ごみの埋め立て場所とまるで一緒である。そんなのどうせ使わないんだから捨てればいいじゃんと思われるかもしれないが、そう簡単に捨ててしまうわけにはいかないんだよなあ。捨ててしまった後になって、なぜか必ずその資料が必要になってきたりするのだ。他人にすればただのごみみたいなチラシであっても、記者にとっては宝物だったりするのである。


9月18日(月曜日) 眼鏡店に行く

 台風17号は東北方面に去って行ったので、横浜にはさわやかな秋の青空が広がった。とても過ごしやすい季節になったなあと実感する。新しい眼鏡を作るために、横浜ルミネの眼鏡店へ。検査してもらった結果、右目はあまり変わらないが左目の近視が進んでいたので、左の度を上げてもらうことにする。でもって、気になっていた眼鏡の重さを解消するために、レンズを高圧縮プラスチックに変更する方向で店員さんに相談する。価格はガラスレンズよりも2倍近くアップするが、軽さが全然違うので仕方ないだろう。それに合わせて、店員さんの助言を聞きながらフレームを選ぶ。なるべくレンズ部分が小さくてしかもセンスのいいものをと、ああでもないこうでもないと吟味。そこで店員さんが説明を始めた。「レンズを小さくするのだったら、ガラスレンズでも十分に軽くなりますよ。それにレンズの厚みはプラスチックレンズの方がガラスレンズよりもあるし、プラスチックは熱に弱くて扱いが面倒です…」などと、プラスチックレンズのマイナス面も踏まえた上で判断すべきだとアドバイスしてくれた。そうか、レンズの厚みはプラスチックの方がガラスよりもあるのか、それは嫌だなあ。そんなわけで結局、小さなフレームにガラスレンズを入れてもらうことにした。レンズはやっぱりメーカー特注になるので、出来上がりは1週間後だ。


9月19日(火曜日) 岩波ブックレットの宣伝〜♪

 岩波書店からブックレットの見本が送られてきた。なかなかカッコいい出来だ。岩波ブックレットNo.517の「日の丸・君が代と子どもたち」で、あす20日に発行される。共著だが、全体の半分を占めるルポと前文は僕が担当した。「今春の卒業式で、子どもたちは『日の丸・君が代』にどう向き合ったのか」を、子どもたちの視点から描いたつもりである。初版の発行部数はかなりあるので、全国の書店に万遍なく並ぶはずだ。よかったら、店頭で手に取って読んでみていただければ。以上、著作物の宣伝でした〜。


9月20日(水曜日) 貧乏性?

 取材や遊びなどの予定が先々まで入っていると、なぜだか安心する。何だかんだ文句を言ったり愚痴をこぼしたりしているが、実は忙しいのが好きなのかもしれない。ん〜、たぶんもともと貧乏性なのだろうなあ。そんなわけで、予定外の取材依頼が入った。来月も忙しくなりそうだ。だけど遊びの予定は外さないぞっ(笑)。別件の取材でアポ取りを繰り返し試みるが、何回かけ直してもなかなか電話がつながらない。おいおい、どーなってんだ…。季節はすっかり秋。かなり過ごしやすい。


9月21日(木曜日) 初心

 単独単行本の準備の関係で、新聞記者1年生時代以降に書いた連載記事をこのところ見直しているが、とても懐かしい気持ちに浸っている。取材にまつわる苦労や原稿を書く時の悩みなどが、つい最近のことのように浮かんでくる。意外にちゃんとした文章を書いているじゃん…なんてひそかに思ったりして。いやいやそんなことよりも、初心に戻っていい仕事をしなくちゃなあ、などと改めて感じるのだった。ん〜、なんて殊勝な心がけなんだろう(爆)。

 取材のアポ取りのために繰り返し連絡していた人物に、ようやく電話がつながった。相手の電話は携帯だったのだが、僕が番号非通知でかけていたから接続されなかったのだ。そのことが分かったので、非通知解除にしたらやっとつながった。かけてきた相手の番号が分からない電話には、一切応答しないという人もいるんだね。


9月22日(金曜日) 五輪雑感

 シドニー五輪を取材している友人の通信社記者が、現地からメールをくれた。メールのタイトルは「down under」。研究社の新英和中辞典によると、口語表現で「豪州(NZ)で」という意味だ。なかなかカッコいい言い回しだなあ。午前8時起床で午前4時就寝の毎日だというが、過酷な生活をそれなりに楽しんでいる様子が目に浮かぶ。「オージー(豪州人)たちは、懐疑心も抵抗も違和感もなく自国のハタを身につけています」と友人は現地の印象を書いてきてくれた。その一方で、日本には「五輪報道は感動を押し付けてくるから嫌いだ」「(日の丸や君が代など)嫌なものを目や耳にするから五輪報道は見ない」という人たちも大勢いる。いろんな考え方や感じ方があっていいし、考え方や感じ方の違いが許される社会が続くように切望するが、こうした「感覚のズレ」が生じてくる背景を考察することで、この国で起きている「悲喜劇の本質」がたぶん少しずつ見えてくるのではないか。そのへんのことを今後も考えていきたいと思う。

 午後から東京・水道橋の出版社で、特集企画の打ち合わせ。夕方から六本木へ。市民グループの勉強会に遅れて参加する。お腹の調子が良くないので速攻で帰宅。変なものでも食べたのかなあ。


9月23日(土曜日) 処分教師

 午後から東京・早稲田へ。寝坊したのでかなり遅れてから到着したけど、「日の丸・君が代」問題で教委から処分された教師たちの交流集会を取材する。集会の最後に、八王子の中学校の先生が「私たちは学校の教師なんだから、子どもたちのことを第一に考えなければならないと思います。会報にもそういう視点がほしい」と発言したのが印象的だった。この集会の中で、親しくしている小学校の先生が処分されるかもしれないことを知る。いろいろと目立つ先生ではあるし、確かに問題行動もあったかもしれないが、教委と地域ボスと保守系議員との連携に一部マスコミも加わり、いわゆる「特異な存在」を排除しようとするのは、背筋が寒くなるよなあ。集会が終わってから、近くのファミレスで数人の先生たちと飲んだり食べたり。別件の取材の取っ掛かりが得られた。

 OCR 夕方から、四谷の出版社へ。過去に書いた新聞連載記事をOCRというスキャナーで読み込む作業をさせてもらう。パソコンで原稿を書くようになる前は、原稿用紙に鉛筆で書いたりワープロで書いたりしていたので、テキストデータとして残っていないのだ。記事を見ながら一つ一つ打ち込み直すのは大変なので、文明の利器の力を借りることにしたのである。だがしか〜し。読み取る対象は新聞のコピーだし、文字は小さいし、見出しを記事が飛ばし読みするようなレイアウトに組まれているしで、読み込んだデータをざっと見たところ半分くらいが文字化けしている。結局は一つずつ修正していくための打ち込み作業に、相当な時間がかかりそうだなあ。うんざりする。午前1時半帰宅。


9月24日(日曜日) マニアック?

 僕のホームページの常連訪問者で記者志望の女性と、午後から銀座で待ち合わせて話をする。友人と会うために四国から東京へ来ているのだそうで、お土産までいただいた。気を遣ってもらって恐縮する。メールの印象とは少し違ってマニアックな面もある人だ。それなら少し時間があるからということで秋葉原を案内した。探し求めていたお目当ての商品を無事にゲットできたみたいだ。わざわざ「異界の地」まで連れて行った甲斐があってよかった(笑)。

 横浜ルミネの眼鏡店で、新しく作ってもらった眼鏡を受け取る。近視と乱視の度を少し調整したのでかなり見やすいし、レンズを小さくしたので軽くてかけやすい。視界や遠近感覚などは何となく違和感があるが、すぐに慣れるだろう。


9月25日(月曜日) 報道の自由

 アポ取りの電話などをいくつかこなして、夕方から東京・国立の一橋大で開かれた市民集会を取材する。国立2小の卒業式後の問題に関するシンポジウムだ。二百人も入ればいっぱいになる教室は立ち見だけでは済まず、廊下にまで人があふれている。しかし内容はと言うと、現場の先生の子どもたちを思いやる発言はとても説得力があって共感できたが、シンポジウムの進め方と発言内容は旧態依然としたアジテーション調でちょっと食傷気味だった。その中に、サンケイの捏造記事を批判する発言があったが、報道の自由と情報収集の自由を否定しかねない乱暴な指摘の仕方だと感じた。サンケイの記事はでたらめで幼稚で、人権侵害をしているのは確かに間違いない。しかし「記者倫理や取材姿勢の問題」と「報道の自由や情報入手の問題」とを混同して論じるのは、議論の立て方に無理があるし説得力に欠けるように思えるんだけどなあ。尊敬する先輩記者の発言だからこそ、あえて異議を唱えておきたい。終了後、卒業式でのリボン着用を理由に処分された先生たちと弁護団の打ち合わせに同席させてもらう。午前1時過ぎに帰宅。国立は遠い…。

 野菜サラダやお茶などを帰宅途中のコンビニで買う。レジに持って行ったら、消費税込みでちょうどぴったり千円だった。何だかうれしい気分になる。ささやかな喜びってやつなのかな。

 村山由佳「BAD KIDS」 村山由佳の小説「BAD KIDS」を読み終える。彼女の小説の中でたぶん、最も優れた作品ではないだろうか。少なくとも僕は、これまでに読んだ村山作品で最高に心を揺さぶられたように感じた。二十歳年上のカメラマンを愛する高校3年生の写真部長・都(みやこ)と、ラグビー部の同性のチームメイトをひそかに愛する高校3年生の隆之の物語。2人はそれぞれ好きな相手がいるのだが、都も隆之もともに恋愛や家族の問題で傷つき悩んでいることをだれよりも理解していて、だからこそお互いを大切に思えるのだった。セックスこそしないけれども、それを除けば人間として最も信頼できて愛を感じる存在なのだ。それぞれが抱える心の葛藤を互いに深く思いやろうとする姿が切なくも哀しい。肉欲が存在しないプラトニックな不思議な絆で結ばれている2人の高校生が、とても魅力的に描かれている。


9月26日(火曜日) お寒い現実

 午後から東京・霞が関の弁護士会館へ。日弁連刑事弁護センター主催の「目撃証言研究会」に顔を出させてもらう。愛媛の誤認逮捕事件を担当した国選弁護人と被告本人(無罪判決で釈放)が出席して、自白と目撃供述について議論された。警察はでたらめな自白調書をでっち上げ、検察官はその捏造調書に基づいて「詳細で具体的で合理的な自白だ」などと論告する。さらに、裁判官もずさんな捜査を追認するかのような判決を平気で言い渡す。「それが刑事司法のお寒い現実だ」と参加者の弁護士の一人が厳しく指摘した。

 夕方、東京・品川で旧友の新聞記者と待ち合わせて、居酒屋で久しぶりに飲む。埼玉県内の記者クラブで一緒だった記者で、先月に静岡勤務から東京社会部に戻って来たと連絡をもらったのだ。5〜6年ぶりくらいの再会である。「会社の中で出世したいだとか、政治家になりたいとか、いったい何のために記者になったのか、理解に苦しむような記者が増えているよなあ」ということで見解が一致して、ジャーナリズムの現状を大いに憂える。

 めちゃくちゃ眠いのに、帰りの京急の車内では座れない。吊革につかまったままでウトウトして何度もがくっときた。カッコ悪い。ようやく席が空いたので座って外を見たら上大岡駅だった。おいおい、降りる駅じゃん。そのまま眠りこけていたら乗り過ごしてしまうところだ。大ぼけである。午後11時半帰宅。


9月27日(水曜日) 憲法の問題

 東京・田町で、警察の交通取り締まりと刑事訴訟法に詳しい学者にいろいろと話を聞く。いかにでたらめな取り締まりと裁判が平然と行われていて、いかに警察官による証拠捏造や偽証が横行しているかについて、相当に熱の入った説明を受けた。う〜ん、面白そうだなあ。交通法規や警察の実態だけの問題ではなく、憲法や基本的人権や刑事訴訟法の問題でもあることがよく分かった。

 田町と関内で、岩波新書やコミックスなどをいろいろと購入。久しぶりにあだち充の新刊漫画なんかも買っちゃったよ(笑)。そう言えばきのうは、弁護士会館内の書店で「ネット・トラブルから身を守る本」(快適ネットライフのための法律相談)を買って、さらに新橋の書店では「おじゃる丸のまったり人生のススメ」(旧刊の方)を買ったのだった。おいおい、そんなに読めるのか…。まだ読んでいない本がたくさん積んであるとゆーのに…。

 OCR・2 ところでこの前、新聞記事をOCRで読み込む作業をしたという話を「身辺雑記」(9月23日付)で書いたら、何人かの方から「記事を切り張りしたら?」とか「絵や飾り文字などはマスキングを」とか「使用ソフトを厳選しては?」などと助言をいただいた。ありがとうございます。でもまあ、いずれにしても読み取り率は半分強くらいが関の山のようだ。これならやっぱり、自分で打ち込んでいった方が早いかもしれないよなあ(涙)。

 ブックレット それから、発売中の岩波ブックレットNo.517の「日の丸・君が代と子どもたち」について、多くの方が感想を送ってきてくれている。本当にありがとうございます。ホームページやメールで宣伝したけど、ネットをしない人も書店で見かけて読んでくれているみたいだ。特に前文の部分は好評で、共感のメッセージをいただけたのはうれしい限り。「問題が深刻化しているのが浮き彫りになった」「分かりやすくて読みやすい」「子どもたちの声が具体的で面白い」などの評価もいただいて、執筆者としては大きな励みになっている。めちゃうれしいっす。もしよろしければ、周囲にもぜひお薦めを〜。


9月28日(木曜日) 説得と信頼

 取材に応じるのをずっと渋っていたと言うか迷っていた内部告発者が、なぜか一転して快く取材に応じてくれる姿勢に…。近いうちに資料まで用意して会ってくれることになった。これまでと電話の雰囲気が違うんだもん。いやあ、よかったよかった。説得を続けてきた甲斐があったなあ(しみじみ)。夕方から横須賀で軍事関係の取材。こちらもある意味では、内部告発をしてくれる人と言っていいかもしれない。いろいろと参考になる話が聞けた。何回も会って話をしてお互いの信頼関係を築いていかなければ。

 上大岡に新しくできた尾道ラーメンの店に入る。ん〜、ちょっとコメントしたくもない内容なんだけど、あえて書こう。あまりにも味が単調でコクもパンチもないのだ。はっきり言ってまずい。どうして横浜って、こーゆーラーメン屋が多いのかなあ…。

 電話料金! 県外の市外局番へ電話するには断然、KDD回線を使って通話するに限る。NTT回線に比べたら半額近い料金なのだ。そんなわけで、最近では必ず電話番号の頭に「001」を付けて電話している。で、KDDの料金請求書が来た。今月は結構電話したからなあと、恐る恐る請求書を見たら2万5千円だった。「なあ〜んだ、4万円か5万円くらいになっているかと思っていたよ」などと安心したけど、しかしよく考えたらこれはかなりの金額ではないか。NTTに比べると安いというだけの話であって、決して安くはないだろう。しかも、このほかに通常通りのNTTの料金請求書はもちろん来ていて、そっちも約2万5千円。合計したら今月の電話代は5万円近くになるんだよなあ。う〜ん…。


9月29日(金曜日) 来春卒業する高校生へ

 岩波ブックレット(No.517)のルポで僕は、仲間とともに考えて行動する子どもたちの姿を描いた。「自分たちの卒業式」にこだわる中学生や高校生は、仲間たちと勉強会や討論会を開いて校長に向き合うのだが、ここに登場する生徒たちが語る言葉の主語は「僕たち」と複数形である。つまり卒業式は「卒業生みんなのもの」であって、だから「卒業生みんなの気持ち」に反するような形で「日の丸・君が代」が持ち込まれることに、生徒たちは違和感を覚えるし反発して抵抗もするのだ。もちろんベースには「自分自身の気持ち」があるのだけれども、同時にそれは「みんなの気持ち」でもある。だからこそ、子どもたちの考えや行動にはものすごく説得力があって共感できる。少なくとも僕は、子どもたちを取材していて納得できたし共感もした。

 ところが、最初から最後まで「僕は」と一人称で語り続け、しかも自分の主張だけを一方的に語り続ける高校生がいる。「日の丸・君が代」を押し付けてくる校長に抗議して、何回も話し合いを重ねてきたそうだが、僕のところに寄越すメールや電話でも一方的に語り続け、人の話にほとんど耳を傾けない様子から想像して、校長だけでなく教師や最も身近な同級生に対しても、たぶん同じように一方的な調子で接しているのだろう。「日の丸・君が代」が嫌いで反対するのは彼自身の思想・信条の問題だから、それはそれで何も問題はないと思う。一貫して「僕は」と一人称で語っても、だれも文句は言わない。だけど、こと卒業式ということになれば、彼だけの問題では済まないだろう。卒業式は「卒業生みんなのもの」なのだから、みんなの意思が大切になってくるはずだ。みんなの気持ちを尊重するためには、それ相応の働きかけや議論や手続きや運動というものが不可欠なのだ。それが民主主義というものである。

 卒業式での「日の丸・君が代」の強制に対する抗議の声は、そこからスタートして初めて成立すると言っていいだろう。こういうプロセスをすっ飛ばして、たった一人で校長に噛みついてみても説得力はないし共感も得られない。一方的に自分一人の主張をぶつけても、それでは「日の丸・君が代」を押し付けてくる側の行動パターンと何ら変わらない。横暴で非論理的で保身だけの校長に対抗できるのは、もしかしたら「みんなの声」に裏付けられた静かな抵抗だけかもしれない。もしそれで校長が「日の丸・君が代」を強行したとしても、卒業生の心には「みんなでともに考えて議論した」という体験と充足感がしっかり残るはずだ。ハタが揚がってウタが流されたらそれで終わりなのだろうか。結果がどうであろうと、そこに行き着くまでの過程で「少なくとも自分たちは何をしたか」ということこそが、実は最も大切なのではないかと僕は思う。


9月30日(土曜日) 国勢調査

 国勢調査の調査員がやって来た。たぶん近所の世話好きなおばさんなのだろう。留守がちのわが家に調査票を持って何度か足を運んでくれたらしいので、丁重に「ご苦労さまです」と応対した。調査票はマークシート方式で、氏名や性別や年齢や住居関係のほか、学歴だとか勤務先を記入するようになっている。国の施策に統計が必要なことはよく分かるよ。だけど、学歴や勤務先まで詳細に書かせる理由がよく分からないし納得できないんだよな〜。しかもそれを近所の人が回収して、記入内容を確認してから市区町村に提出するとはどういうことなんだろう。「プライバシー尊重」という感覚が総務庁にはないのだろうか。そんな個人情報をみんなよく平気で手渡しできるよなあ。無防備すぎるよ。「調査票の記入のしかた」という説明書で調査票を包み、上下2カ所をシールで封をして調査員に渡すこともできるというんだけど、シールが小さいのでどう考えても簡単に中がのぞけるのだ。う〜む。調査員のおばさんの立場もあるだろうから、調査票の回収には封をした上で協力するつもりだが、記入内容をどうしようかと考えているところだ。

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