身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2001年10月1日〜10月31日

●「指導力不足教員」といういじめ●眉村卓「ねじれた町」を読み終える●名刺とフレーム●グリーンピース●記者研修会●侵略戦争●元日弁連会長●ラッシュアワー●映画「科学者として〜笑顔と告発」●コミック文庫●若竹七海「クールキャンデー」●ずっこけ新聞社ドラマ●詰め込み取材●チャーシューのうまいラーメン●組織とごたごた●応援●「ラヂオの時間」と「みんなのいえ」を観る●レッテルへの弁明●拘置所医療と人権●「銀だこ」のたこ焼き●いつもの店●「金髪先生」第3回公判●無料サービス●教員の自由と人権●「星の瞳のシルエット」を読了●テロ対策法が成立●老医師の証言●●●ほか


10月1日(月曜日) 「指導力不足教員」といういじめ

 午後から横浜市内の喫茶店で、岩波書店の編集者と打ち合わせ。夕方から東京・立川へ。「指導力不足教員」だと事実に反する言いがかりを付けられて、事実上の処分をされそうになっている多摩市の中学校の先生の問題を考える集まりに顔を出す。学校関係者や市民が、対応策や今後の支援体制をどうすべきかを話し合う場だ。市教委と学校ぐるみの「排除・排斥運動」に、これでは「いじめ」そのものではないかということで参加者の意見は一致した。深くものごとを考えないで、みんなが一斉に同じ方向を向いて走り出すその異様な空気は、米テロ事件へのさまざまな反応と全く同じだ。事実を知らないままデマをうのみにして、スケープゴートにされた対象を寄ってたかって攻撃することで高揚するという構図である。子どもの世界でも大人の世界でも、ファシズムの土壌は変わらない。

 多摩の先生の授業姿勢や内容は、子どもたちや内外の専門家からも高く評価されている。それに対して「指導力不足教員」だなどと決め付けるのはどう考えても無理があり過ぎる。保守的な保護者を扇動して利用しながら、しつこく排除を画策する市教委や都教委の極めて政治的な動きには驚くばかりで、千葉の「金髪先生」への対応よりも、さらに適正手続きや常識を無視した恣意的・意図的なやり方だとしか言いようがない。当局の気に入らない教員を排除するためならば、なりふり構わないのだろう。そもそも「指導力不足教員」の基準は何なのか、だれがどうやって認定するのか、その認定に対する客観的判断がどのように担保されるのか…、不透明な部分があまりにも多いのがこの「指導力不足教員」の問題だ。

 横浜から立川は遠い。初めて南武線で行ってみたんだけど、横浜線に負けず劣らずローカルで恐ろしく単調な路線なのだ。しかも川崎と立川の間が1時間以上かかるから、そりゃもう疲れるだけである。中央線と山手線を使えば刺激があってそれなりに楽しいのだろうけど、もっと時間がかかるもんなあ。午前零時半帰宅。


10月2日(火曜日) 眉村卓「ねじれた町」を読み終える

 雲一つない秋の夜空に大きな満月。こうこうと明るく輝いていて実に見事だ。アポ取りや予備取材などの電話をかけ続ける一日。あんまり成果はなし。収穫の乏しい電話ほど空しいものはない。

 眉村卓の「ねじれた町」を読み終える。江戸時代の身分制の残滓が、日常生活の中でいまだに強い影響を持つ古い城下町Q市。この町では過去の秩序と身分差のために虐げられてきた人々の怨念が、時間や空間を超えた不思議なエネルギーを生み出す。「意思力」なるものによって生じる不思議な超能力で、町は大きくゆがんでしまうのだった。そこに引っ越してきた主人公の中学生が、歴史の呪縛から町を解放するために闘うSF小説である。昔ながらの身分や家柄といった封建的なものにこだわることの馬鹿馬鹿しさと、そして古い価値観や常識に引きずられ縛られ支配されることへの強烈な反発。「閉ざされた時間割」とはほんの少し切り口を変えながらも、眉村はやはり強烈なメッセージを伝えようとしている。過去に縛られない自由な生き方をすることで未来を築いていこう──、そんな思いが伝わってくる作品だ。


10月3日(水曜日) いろいろ

 午前中からインターネットに接続できない状態が続く。プロバイダーに問い合わせたらサーバーの認証システムに障害が発生したそうで、メールの送受信も一切できないので困る。アポ取りや予備取材などの電話かけは、きょうはとても好調。それなりに満足できる成果があった。夕方から東京・水道橋の新聞労連へ。記者研修会の準備作業と会議。実に非効率的な進行をしているので、無為に時間が過ぎていくんですけど…。お陰で終電の時間を過ぎてしまい、またもや深夜急行バスに乗るはめに。午前2時半帰宅。ネットに接続したら無事復旧している。メールが何十通もたまっていた。


10月4日(木曜日) 名刺とフレーム

 名刺の残りが少なくなってきたので200枚を追加注文する。だいたい5〜6カ月で200枚を使うので、計算上は1日に少なくとも1人以上は新しい人に会って名刺を渡したことになる。しかし名刺を渡さない場合もたくさんあるし、むしろ面識のある人に繰り返し会うことの方が多いんだけど。問題なのは初めて会った人を覚えきれず、顔と名前が必ずしも一致していないということだ。相手は僕のことを覚えているのに、こちらに記憶がなかったりするとものすごく困ってしまうんだよな〜。

 B2の大きさのフレーム(軽量額縁)を購入。宮崎駿監督作品の「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」の映画ポスターを入れて部屋に飾るためだ。ポスターを痛めずに保存するのにも役立つ。しかしフレームは結構値段が高いから、3つも買うわけにはいかないのが辛いところ。で、3枚のポスターを重ねて入れて、そのうちの「ラピュタ」を前面に出すことにした。飛行石の力でシータが舞い降りてくる構図と色彩が幻想的だ。「トトロ」はバス停にメイとトトロが並んで待っている絵柄で、サツキがいないので保留。フレームに入れたポスターを絵画感覚で部屋に置いておくのも風情がある。


10月5日(金曜日) グリーンピース

 毎度のことながら、ものすごく面倒くさくて時間がかかる取材経費の計算などの事務作業を、ただひたすら黙々とこなす。夕方から東京・西新宿へ。環境保護団体の「グリーンピース・ジャパン」の日本事務所が、代々木から西新宿へ移転したのを記念して、関係者向けのパーティーに招かれたので顔を出す。前の事務所は行ったことがないので分からないけど、それはもうとてつもなく汚くてオンボロだったらしい。今度のところは、小ぎれいな低層マンションのワンフロアを事務所に使っている。内装がとてもお洒落で、和風をアピールするために、16席ある専従事務局員のブースはすべてヒノキの机とスギの仕切り板で統一されているほか、窓にはブラインドの代りにすだれがセッティングされていて、なかなかカッコよいレイアウトだ。数年前に講演イベントの講師としてご一緒した女性や、取材でお世話になったカメラマンらと、新事務所で久しぶりに再会。相手から「あの時に…」と言われて初めて気が付いた。実は全然覚えていなかったのだ。みっともない。

 で、事務所は不思議な場所にある。高層ビルが立ち並ぶ青梅街道沿いを横道にそれたところに位置するのだが、路地の向かいには今にも崩れそうな年代物のアパートが建っていたりして、その一画だけタイムスリップした感じなのである。よく地上げされずに残っているなあと、感心するほどの風景が残っているのだった。かなり貴重な空間だと思う。一見の価値ありだ。


10月6日(土曜日)〜8日(月曜日) 記者研修会

 午後から東京・平河町の都市センターホテルで、新聞労連の記者研修会。ボランティアの事務局スタッフとして参加する。ジャーナリストの在り方や取材活動、メディア規制、報道被害、記者クラブといった問題についての講義や議論が、8日の夕方まで2泊3日の日程で続いた。考えさせられたり共感したり納得できずに反発したりと、話の内容は玉石混交のラインナップである。それはさておいて、初日は前夜に1時間しか寝ていなかったので、眠くて眠くて仕方なかった。しかもその日は目立つ司会席にいなければならなかったから、なかなか辛いものがあった。最終日の8日は夕方から、東京・水道橋の全逓会館へ。新聞労連の新聞研究部主催の「脱・記者クラブ宣言」を考えるシンポジウムに顔を出す。田中康夫・長野県知事や辻元清美・衆院議員(社民党)らが出席して、記者や記者クラブの在り方について厳しく批判。それに対して朝日新聞論説委員と毎日新聞政治部デスクが、記者クラブへの批判は認めつつ権力監視の拠点としての必要性を訴える。かなり面白い企画だった。

 侵略戦争 8日、とうとう戦争が始まった。ビンラディン氏が同時多発テロ事件の容疑者だという根拠もまともに示さず、しかも米国の言うことを聞かないで容疑者を匿っているという理由で、独立国であるアフガニスタンにミサイルをぶち込む。攻撃の映像を見ていると、米英による「侵略戦争」のようにしか見えないのだが。こんな一方的なことが許されるのだろうか、という素朴な疑問がどうしても払拭できない。「正義の戦い」って何だろう。

 執筆記事 5日発売の「週刊金曜日」10月5日号に「教育委員という仕事」のルポが掲載されています。何をやっているのか知られていないけれど重要な権限が与えられている教育委員について、その実態をルポしました。何が問題の本質なのかが見えてくるのではないかと思います。9日発売の雑誌「世界」11月号では「日の丸・君が代」の特集で解説記事を書いています。こちらはルポではありませんが、じわじわと強制が進んでいくこれまでの過程をコンパクトに説明しました。同時多発テロ以降の全体主義的傾向にリンクするのではないか、との視点も込めて書きました。


10月9日(火曜日) 元日弁連会長

 午後から東京・銀座へ。元日弁連会長の土屋公献弁護士にお会いする。面白くて興味深い話をいろいろと聞いたのだが、最後に土屋弁護士は「平和や人権が脅かされる事態には、日弁連は矢面に立って叫ぶべきだ。今回の同時多発テロでは米国が戦争を始めて、日本も兵力を出そうとしている。日弁連は真っ先に声明を出すべきなのに、最近は全然声を上げようとしない」と日弁連の現状を厳しく批判した。骨のある主張が印象深かった。戦争体験がある人たちはこういう問題にとても敏感だ。自民党の政治家にしても同じだ。この年代の人たちが、少なからず「戦争への道」にブレーキをかけてくれているように思えるのだが、こうした人生の先輩が世を去った後はどうなるのだろうと考え込まざるを得ない。団塊の世代のオヤジ連中はまるであてにならないし、僕たち以降の世代がしっかりしなければならないのだけど…。


10月10日(水曜日) ラッシュアワー

 朝の快速特急電車に乗ろうとしたら車内は超満員。押し込んでも押し込んでも、それでも駅のホームで待っていた人たちの相当数が乗れないほど混んでいる。別のドアから何とか潜り込んだ。やっとのことでドアが閉まったと思ったら、傘がドアに挟まれて約50センチも外に飛び出している。引いても抜けないし身動きもほとんどできない状態で、そのまま電車は走り出した。どうして車掌が気付かないのかが疑問だけど、これってかなり危ない状態だよなあ。何かに接触したら大変なことになるじゃないか。次の駅は反対側のドアが開くので傘はしばらく挟まったままだったが、2つ先の駅で無事奪還する。雨と混雑でダイヤは大幅に乱れて、電車は15分も遅れて駅に到着した。午前9時を回っているのにラッシュアワーが続いているとは…。しかしこんな電車で毎日通勤・通学するのは、精神的疲労とストレスが大きいだろうな。

 そんなわけで土砂降りの雨の中、午前中から都庁第2庁舎へ。教員人事をめぐる都教委と市民グループの話し合いに同席取材。その後、庁舎内で開かれた市民サイドの会議に参加。終わって関係者と都議らと昼食を食べながら雑談。夕方、横浜市内の弁護士事務所を取材。きょうは一日中、冷たい雨が叩き付けるように降り続いた。


10月11日(木曜日) 休養日

 寒くなってきたのに暖かくして寝なかったからか、体がだるい。風邪気味っぽい。そんなわけで、きょうはお休みモードである。だらだらと本などを読んで過ごしてしまった。


10月12日(金曜日) とんかつ

 アポ取りの電話をかけ続けるが、空振りが多い。う〜ん、困ったもんだ。写真現像を出して待っている間に、本屋でコミックスや文庫本を買い込む。筒井康隆の「時をかける少女」があったので、懐かしくなって思わず買ってしまった。ハルキ文庫で280円。そのほか、先週発売されたばかりの「彼氏彼女の事情」の12巻など。

 焼き肉が無性に食べたくなる。炭火にあぶられて、カルビの表面の色が変化し、肉汁がじゅわ〜っと出てくる瞬間の音や臭いはもちろんのこと、煙が立ち上るその場の風景など、どれをとっても食欲をかき立てるものばかりだ。だがしか〜し、時節柄、とんかつ屋に入るのだった。ロース味噌とんかつを注文。さくっとした衣に包まれた豚肉は口の中でとろけるようで、味噌ダレに合っていてこれはこれでうまい。炊きたてのご飯と味噌汁とキャベツの千切りも、とんかつとの相性は抜群である。おかわり自由の店なので、ご飯も味噌汁もキャベツも全部追加して、お腹いっぱいになった。牛肉に対するのは豚肉。中でも焼き肉に対抗できるのはとんかつだろう。


10月13日(土曜日) 映画「科学者として〜笑顔と告発」

 午後から新横浜へ。映画「科学者として〜笑顔と告発」の自主上映会に顔を出す。この作品は、新宿区戸山に建設された国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)で働く一人の研究者が、地域住民の反対運動に参加し内部告発を続けるさまを、密着取材して描いたドキュメンタリー映画だ。1999年、本田孝義監督。84分。

 予研(感染研)は日本最大の病原体実験施設で、ペストやHIVなどの細菌やウイルスを扱っている。排気や排水などを通じて、病原体が研究所の外へ日常的に排出されているのは半ば常識であり、そればかりか、もしも事故が起きれば近隣住民が感染の危険にさらされる事態になるのは、今さら指摘するまでもない。このような危険な施設が人口密集地に存在するのは、世界でも例がないという。そんな危険性を告発し続けるのが、予研(感染研)主任研究官の新井秀雄さんだ。職場で孤立させられ、人事や研究費などの面でも露骨な差別を受けて、それでも新井さんが職場にとどまって細菌研究をしながら、反対運動に加わり内部告発をするのは、一人の科学者としての良心と自分の信条に正直に従った結果である。予研(感染研)という施設の怖さと、にもかかわらず無防備でいい加減なこの施設を支える国と幹部たちの姿勢を知るとともに、それとは対照的に「逃げない生き方」を貫く新井さんに強い共感を覚える。

 上映後に、新井さんと本田監督のトークショーがあったのだが、司会者の絶妙な話の引き出し方が光る。会場から出された質問状をベースに、2人の考えや作品の背景が分かりやすく語られて全く退屈しなかった。主催者から招待されて参加させていただいたのだけど、こんなにも充実した自主上映会&市民集会は久しぶりだ。「科学はすべてを疑うこと。自分の在り方も含めて疑って、まずいところを直していく回路を持ち続けるのが科学者である。すべての人が科学者なのだ」「逃げるか闘うか、できれば前向きに生きていきたい」という新井さんの言葉が印象的だった。

 米の同時多発テロと報復では「細菌テロ」の危険性が叫ばれているが、都心のど真ん中にある予研(感染研)で爆発が起きたら、どんなに悲惨なことになるのだろうと考えるとぞっとする。細菌やウイルスが飛散して、取り返しのつかないような恐ろしいことになるだろうに、警備体制は何ら講じられていないそうだ。日本国内には同種のバイオ研究施設が500ほどあるらしいけど、どこにどういう施設がどのくらいあるのか、国も自治体もまるで把握していない。そもそも日本には、病原体をどうやって管理するかに関する法律がないのだという。エイズにしても狂牛病にしても、日本の役所(厚生労働省)は一体何をしているのだろうか。

 上映終了後、新井さんと本田監督を交えてお食事会。生活クラブ生協の関連施設の喫茶店ということもあって、煮物やひじきなど、実に健康的な夕食を食べる。お2人が帰ってから、主催者の市民グループの皆さんと喫茶店で雑談。司会をした高校の先生の「博物館概論」の話が面白かった。学芸員というのはプロデューサーだったんだということが、今さらながらよく分かった。


10月14日(日曜日) コミック文庫

 このところ読み進めているコミック文庫は、柴田昌弘「斎女伝説クラダルマ」、佐々木淳子「ダークグリーン」、柊あおい「星の瞳のシルエット」の3作品。きょうはそれぞれ、4巻、3巻、2巻まで読んだ。「クラダルマ」はカルト教団の陰謀と謎を探るTV番組制作会社メンバーの活躍を描いた伝奇アクション、「ダークグリーン」は人類を破滅に導く諸要因を暗示する悪夢「R-ドリーム」の世界を描き出したSF長編、「星の瞳のシルエット」は友情と恋愛の狭間で揺れる主人公の心と周辺を描いた学園ドラマ、である。しかし新書判に比べると、コミック文庫は本のサイズが小さいから絵も台詞もずっと読みにくい。絶版になった名作を復刻してくれるのはありがたいけど、やっぱり漫画は新書判の方がいいな。


10月15日(月曜日) 若竹七海「クールキャンデー」

 朝からアポ取りの電話をひたすらかけ続ける。席を外していたり会議中だったりでなかなかつかまらないが、そこそこの成果は得られた。ぴたっとはまる時にはうそみたいに次から次へと相手がつかまって、気持ちのよいほど取材日程が埋まっていくんだけど、いつもいつもそんなにうまくはいかない。ここで苦戦すると消耗するんだよなあ。夕方から四谷の出版社で単行本の編集会議。終わってから近くの居酒屋へ。喉がからからに渇いていたので、生ビールのうまいこと。くう〜っ。生春巻きがうまかった。午前1時半帰宅。

 若竹七海の「クールキャンデー」を読み終える。活字が大きく行間もすかすかなので、電車の中であっという間に読めてしまう。ストーカーに襲われて自殺を図り重体だった兄嫁が他界し、同じ時間にそのストーカーも事故死したことで、警察は動機が十分にある兄を殺人犯として疑う。妹の中学2年の渚は、兄の無実を証明してやると駆けずり回るが…という推理小説。最後の謎解きへの持って行き方がかなり唐突で強引だなあ。日本の刑事裁判に対する問題意識はしっかり持っていて、そういうところは何気なくきちんと書かれているんだけど、それにしてもラストの展開は不自然だ。しかしまあそれでも、最後1行の意表を突くどんでん返しには「ええ〜っ」と思わず驚かされる。同じ作者の「スクランブル」の方が、ずっときめが細かくて読みごたえがあった。


10月16日(火曜日) ずっこけ新聞社ドラマ

 都内で弁護士を取材。その足で、冤罪事件を専門に扱っている市民団体の事務所へ。歴史を感じさせる室内に圧倒される。帰宅するといくつかの取材先から電話がかかってきて、延々と午前零時近くまで話をする。昼間に話ができない人とは、夜遅くの時間に話をするしかないのだから仕方ない。その後は友人と私的な電話。

 きのうTBS系で放送されたテレビドラマ「こちら第三社会部」の録画を見た。なんじゃこりゃという番組だった。新聞社が舞台のドラマで2回目の放送なんだけど、話の展開にしても誘拐報道にまつわる設定にしても、どれもがものすごく無理があって、すべての登場人物の行動はおよそ考えられないほど説得力がないのだ。そもそも記者個人の携帯電話に誘拐犯人から電話がかかってきたら、その時点で記者の交友関係や行動範囲を徹底的に洗うのが当然だろうに、そこのところがまるっきり抜けているんだもんなあ。おまけに人物描写のディテールもでたらめで、どの記者も恐ろしく単純でアホすぎる。いくらなんでも、そんな振る舞いや言動はしないだろうというのばかり。マスコミを扱ったドラマはそれなりに関心があるのでなるべく見るようにしているのだが、こんなにひどいのは初めてだよ。あまりにも薄っぺらな脚本に驚かされた。がっかり。全編ギャグなんだと思えば…、う〜ん、それにしてもちょっとなあ。


10月17日(水曜日) 詰め込み取材

 午後から都庁舎28階の都教委へ。さらに都議会棟に回って都議と雑談などをする。新宿駅東口の紀伊国屋書店に行くが定休日。いつも食べている地下のカレー屋も同じく休みで大ショックである。気持ちはもうすっかりそこで食べる体制になっていたのに。こういう場合にはとにかく似たものを食べないと収まらない。仕方ないので近くのインド料理店に入って少し早い夕食。次の取材まで中途半端に時間が空いたので、ハンバーガーショップで文庫本を読んだり居眠りしたりして過ごす。午後9時から市ケ谷で弁護士に話を聞いて、午前零時半帰宅。取材を詰め込んだけど充実していたので心地よい疲れだ。何本か入っていた留守電を聞くとその中に珍しく母親からのメッセージ。「牛肉を食べないように気を付けなさい」って…。おいおい、そのためにわざわざ留守電に吹き込んだのかい。


10月18日(木曜日) チャーシューのうまいラーメン

 きのうから冷たい雨が降り続いている。涼しいというよりは、むしろ寒いくらいだ。午後から東京・目黒にある東京都教職員研修センターへ。想像していたよりも小じんまりした建物だった。千葉県の総合教育センターの方が規模としては大きい。取材が終わってから、目黒駅近くの喜多方ラーメンの店で味噌ラーメンを食べる。実はそれほど期待はしていなかったんだけど、意外にもスープがなかなかイケる。しかしそれよりも、チャーシューのうまいことといったら、これがもうかなりの絶品なのだ。エキスの抜け切ったカスのようなチャーシューでなく、かみしめると焼き豚のうま味が口いっぱいに広がって、こしのある麺と味噌スープにとてもよくマッチしているんだよなあ。「それなりにうまい味噌ラーメン」が、これで一気にグレードアップした。しかもチャーシューが3つも入っているではないか。満面の笑みである。味もそっ気もないチャーシューがラーメン屋には結構多いが、いい意味で期待を大きく裏切ってくれたって感じだ。久しぶりにおいしい一品が食べられて満足。


10月19日(金曜日) 組織とごたごた

 このところ、組織論というか運動論というか、一つの目的のために集まって何かをすることの難しさについて、いろんな話を聞く機会が多い。偶然か必然かは分からないが、なぜか取材が終わった後などに、政党や市民団体や労働組合や会社組織のごたごたに関する話を聞かされるのだけど、まあ結局のところは、コミュニケーションやそれぞれの人間性の問題に行き着くのだろうなあと思う。思想とか方向性といったものは実は必ずしも本質的な問題ではなくて、尊敬できるような生き方や一貫した言動をしているかどうかで、信頼関係や相互理解にはかなりの違いが生じてくる。どんなグループでも、メンバーに考え方や意見の違いはあって当たり前。子どもから大人まで、3人寄れば派閥ができるんだから。そこのところを乗り越えてまとまるかまとまらないかは、ひとえに人間性の部分で共感できるかどうか、にかかっているのではないかと思うのだ。個別にいろいろあって抽象的な言い方しかできないけど。

 「彼氏彼女の事情」のページに、原作単行本(コミックス)の第11巻・第12巻の雑感解説を追加更新しました。


10月20日(土曜日) 応援

 夕方から、東京・水道橋の新聞労連で会議。午後10時近くまで記者研修会の反省などを話し合う。その足で有楽町のドイツ居酒屋へ。ネット関係の某ML(メーリングリスト)のオフ会にかなり遅れて参加。有意義な議論は期待できそうになくて、時間の無駄になりそうだから出るのはよそうと思っていたんだけど、しかし主宰者の孤軍奮闘ぶりを少しでも応援しなければと考え直して1時間だけ顔を出す。まあそれが友情と言うものだろう。それにしても、ネットの世界でぐちぐちと「議論らしきもの」を熱心に続けている人たちを見ていると、あまりのでたらめさと不毛さに、人間不信や人間嫌いになってしまうよなあ(独り言)。午前1時半帰宅。


10月21日(日曜日) 「ラヂオの時間」と「みんなのいえ」を観る

 東京・飯田橋のギンレイホールで、三谷幸喜監督の「ラヂオの時間」と「みんなのいえ」の2本立て映画を観る。友達との待ち合わせには15分ほど遅れたけど、まだまだ上映開始までは余裕があるはずだと思っていたら、結構行列ができていた。

 「ラヂオの時間」は、主婦が初めて書いたラジオドラマのシナリオが、出演者やラジオ局の都合によってめちゃくちゃに書き換えられていって、そのつじつま合わせに生放送中のスタジオが大混乱するというドタバタコメディーだ。脚本家の立場で見れば、無責任で不誠実でデタラメそのもののディレクターやプロデューサーの姿勢は許し難いものがあるし、番組に対する情熱のなさには怒り心頭になるのだが、しかし見ているうちにそんな放送人としての矜持や主体性なんてものはもうどうでもよくなり、ただただどうやって事態の収拾を図ろうとするかに興味津々となってしまうのである。そして、オリジナル脚本はぼろぼろにされて超ダサダサのドラマに仕立て上げられて生放送されたというのに、その内容に感動して涙する聴取者が登場するに及ぶと、まあ結果オーライだからいいじゃんとか、どうせこの局の番組なんてその程度なんだから面白おかしくて楽しければいいかな、という気にもさせられるのだった。引退させられたはずの昔気質の音響効果マンが成り行きから引っ張り出されて、手作りの効果音を披露して感動を与えるところが味わい深い。次作の「みんなのいえ」の職人にも共通する監督のこだわりなのだろう。全編にドタバタギャグが炸裂する爆笑作だ。

 「みんなのいえ」は、若い夫婦が念願のマイホームを建てる話なのだが、設計を頼んだ若手デザイナーと昔気質の大工である棟梁が対立して、周囲を巻き込んでの大騒動になるというコメディーである。家を建てるに際してのうんちくを語りながらストーリーが展開するという点では、葬儀の手順を解説しながら話が進んでいく「お葬式」のパターンにどこか似ている。で、デザイナーも大工もお互いに、職人の仕事に対する誇りと自負を持っているから対立・反目するのだけど、この2人はともにこだわりのある仕事をする本物の職人であるからこそ、一緒に仕事をするうちに双方の実力を認め合うようになるのだった。いかにも予定調和的でありがちな展開ながら、しかしそこはベテラン出演陣の絶妙の演技と脚本によって、ついつい見入ってしまうのであった。


10月22日(月曜日) レッテルへの弁明

 午後から都教委へ。「指導力不足教員」のレッテルを張られそうになっている多摩市の中学教員が、都教委から「弁明」するように呼び出されたので、教員支援に集まった市民らの姿と合わせて取材する。市教委や校長らの主張は、どう考えても「言いがかり」のようにしか思えないんだけれど、それでもどうにかして教壇から排除したいらしい。「弁明」の機会を設けたなどと言うものの、それは教育行政にしてみればアリバイ作業みたいなものなのだろう。「弁明」終了後の報告会で担当弁護士も、「本気で教員の言い分を聞こうとする姿勢が都教委には感じられない」と解説していた。この問題については続報ルポを書く予定だ。夕食を食べながら関係者らと雑談。小田急百貨店のレストラン街で食べたマグロの漬け丼が意外にうまかった。海鮮丼屋でたまに食べる漬け丼はイマイチのところが多いが、ここのマグロは適度に漬け込んであってイケる。新宿は夕方からかなり強い雨が降り始めたが、横浜はそれほど強く降っていない。傘を持ってこなかったので助かった。


10月23日(火曜日) 拘置所医療と人権

 午後から霞が関の弁護士会館へ。拘置所での医療体制不備と不当な扱いについて、弁護団が国家賠償請求訴訟の会見をするというので顔を出す。弁護団によると、東京拘置所で未決勾留中だった被告男性(52歳)は今年4月に脳硬塞状態で倒れ、専門病院に転送されずに適切な処置なく30時間以上も放置された。男性は左脳の3分の2が壊死し、大学病院で緊急の開頭減圧手術を受けたために一命は取り留めたが、右半身まひや失語などの重度障害になった。さらに拘置所側は手術後、身動きできないで寝ている男性の左手に手錠をかけてベッドの鉄枠に固定。裁判所や弁護団からの要請を無視して丸1日以上もそのままの状態を続けた、という。男性は学生時代から反戦運動などの活動を続けていたといい、1999年7月に公安事件に絡む住居侵入容疑で逮捕され、容疑を否認し続けたために勾留が続いていた。弁護団は「被告人が病気になった時に適切な医療を受けさせるのは、判例でも認められていることであり、国際基準に照らしても日本の制度は遅れている。そのうえ瀕死の重症の被告が逃亡する恐れなどないのに手錠をかけて身柄拘束を続けるというのは、明らかに違法行為で拷問ではないか」などと訴えた。

 公安事件の被告や無罪を主張している被告に対しては、保釈や接見(面会)がなかなか認められないことは知っていたけれども、生命や健康の保証がここまで平然と脅かされる事実には、ただ愕然とするばかりだ。長期間にわたって身柄拘束が続けられたり、接見が許されなかったり、さらには拘置所内で病気になっても適切な治療が受けられなかったりということが許されるのならば、これはもう判決を待たずに事実上の刑罰を科しているようなものだろう。「お上に楯突く者に人権などない」という感覚に背筋がぞっとする。人権尊重に例外はないのだから。日本には民主主義や人権が本当に存在しているのだろうかと、今さらながら問わずにはいられない。

 「銀だこ」のたこ焼き 東京地裁で裁判傍聴してから、司法記者クラブに立ち寄って友人と雑談など。帰りに通りかかった新橋のカレー屋で「ベンガルカレー」なるものを食べてみたが、あんまりうまくなかった。ただ辛いだけである。値段が安かったから腹は立たないけど。で、口直しと言うのもあれだけど、自宅近くで「銀だこ」のたこ焼きを買って初めて食べる。これが意外にもメチャウマだったのだ。それほど期待しないでただ買ってみただけに、余計に感動も大きかった。外側はパリッとしているのに中はふんわり。まさにたこ焼きの王道を行っているではないか。某チェーン店の「◯たこ」なんか比較にならないじゃん。おまけに「◯たこ」より百円も安かったりするのだ。う〜む、これは見事にはまったかも。


10月24日(水曜日) いつもの店

 午前中は東京・有楽町で、弁護士から裁判の諸問題について話を聞く。午後は東京地裁、同高裁へ。刑事事件、国家賠償請求訴訟、行政訴訟など6つの法廷を傍聴取材。昼過ぎから夕方まで目いっぱい陰気な法廷にいると、さすがに精神的に疲れてくる。裁判官はこういうところでずっと審理を続けているわけで、あとは裁判所と官舎の間を往復するだけなのだろう。まさに「閉ざされた生活」を過ごしているんだよなあ。いったいどこで「社会生活」を営んでいるのだろうなどと考えると、こんな人たちに常識的で血の通った判断が本当にできるのかよって、思わず突っ込みたくなる。

 四谷の出版社に立ち寄って、時間調整を兼ねて電話取材などをしてから新宿へ。学生時代の友達5人で、3カ月ぶりに集まっていつもの居酒屋で飲む。このメンバーで一緒に飲む時は、学生時代からこれまでず〜っと、まずはここでと決めているいつもの居酒屋である。なぜだか分からないけれど、安くてうまくて居心地のよい店なのだ。ぜひとも未来永劫このままの姿で営業していてほしい。2軒目は横丁の中華料理屋。ここも安くてうまい。特に野菜たっぷりの中華丼が絶品だった。終電までに帰ろうと意見が一致したので、珍しく午前零時前に解散する。午前1時半帰宅。


10月25日(木曜日) 「金髪先生」第3回公判

 千葉地裁で金髪先生の第3回公判(小池洋吉裁判長)。午前中に横浜を出て成田エクスプレスで爆睡していたら、下車すべき千葉駅を通り越して四街道の手前まで乗り過ごしてしまう。やばやば。あたふたと上り電車に乗り換えて、何とか開廷時間に間に合った。

 今回は、前回に引き続いて校長の証人尋問と、さらに教頭の証人尋問にも少し入った。金髪先生の車の前に立ちふさがった校長は、クラクションや警告を受けたにもかかわらず、車の前から動こうとしなかったのだが、これについて弁護側は「危険な行為であるという認識はあったか」とただした。校長は「事情を聴くために車から降りてもらおうという気持ちでいっぱいだった」などと主張。すかさず裁判長がフォローの再質問をすると、校長は「危険であると多少は考えていた」と証言した。一般常識で考えれば、車の前からどくように警告を受けて危険を感じたのなら、すぐに車の前から離れるのが当たり前の行動パターンだろう。しかし校長はあえて車の前から動こうとしなかったわけで、どう考えても自ら危ない行為に及んでいるとしか思えないのだけどなあ。でもこの裁判長のことだから全く逆の発想をして、こんなにも危険なことを被告である金髪先生はやった、という方向に持っていくのではないか、という危惧を関係者は抱いているようだ。う〜む、そうなのか。だけど常識的に論理的に考えれば、到底そんな無理な展開には持っていきようがないと僕は思うんだけど、そういうジョーシキはひょっとしたらこの手の公安絡みの法廷では通用しないのかもしれない。

 それにしても、この裁判長の訴訟指揮には毎回まじで驚かされるよなあ。証人に対して弁護側が質問しているのを、しばしば裁判長がさえぎって自分で質問を始めるのだから。そんな強引な裁判官ってほとんど見たことがないぞ。普通は弁護側に質問したいだけ質問させて、それからさらに補充質問すべきことがあれば裁判官がフォローするという形を取るものだと、これまでずっとそう思っていたから余計にびっくりだ。何を考えているんだろうね。こういう裁判官っていうのは、いくら何でもさすがに珍しいんだろうな。


10月26日(金曜日) 無料サービス

 このところ、国道1号沿いの北海道ラーメンの店にちょくちょく食べに行くのだが、そのたびに餃子の無料券をくれるうえに、おしんこ付きのライスが無料サービスで付いてくる。つまりラーメンの料金だけで、ライスと餃子がタダで食べられるのだ。客を呼び込むための期間限定のキャンペーンかと思っていたら、翌月もそのまた次の月も餃子無料券をくれるではないか。これはかなりのサービスである。もちろんそうは言っても、肝心のラーメン自体がまずければ二度と再び食べに行ったりはしないわけで、ラーメンもそれなりにうまい。醤油ラーメンは大したことはないが、味噌ラーメンはコクがあってなかなか味わい深いんだよなあ。そして、いかにも安普請といった外観と違って、内装をちょっとした和風レストランっぽくオシャレな雰囲気にまとめてあるのも面白い。餃子が小さいのとライスの量が少ないのが残念ではあるものの、タダなんだからそれは仕方がないだろう。だがしか〜し。きょうもそこで夕食を食べたら、ライスのお替わりができることを知った。それにしても本当にこれで経営は大丈夫なのだろうか。う〜む、それが心配だ。


10月27日(土曜日) 教員の自由と人権

 夕方から東京・渋谷で、「指導力不足教員」のレッテルを張られそうになっている多摩市の中学教員の問題を考える集会。「教育をつかさどる教員の権利と教育現場の自由を守ろう」と都内の教員有志が主催し、子どもたちに本当のことを教えられなくなる状況に危機感を持つ教員のほか、一般市民も含めて約百人が集まった。一人の教員だけの問題ではないということが、少しずつだけど理解されてきているのだろう。それにしてもこんな時にこそ団結して当局と真正面から向き合うべきなのに、人権侵害され不当労働行為を受けている組合員を、教職員組合が組織としてきちんと守っていない現状には愕然とするしかない。分裂・分断されて組織がガタガタになっているから、抵抗勢力としての力が十分発揮できないのだろうが、まさに組合の存在意義にかかわってくる問題だ。「教え子を再び戦場に送らない」というスローガンは教職員組合の基本姿勢のはずで、これを実践するには一人一人の教員の自由と人権が保障されていなければならない。アジアで戦争が始まって、日本もそれに加担しようとしている今だからこそ、教職員組合にしっかりしてもらわなければと思う。

 土曜日の夜の渋谷はものすごい人混みで、新宿よりもずっと騒然としているんじゃないか。とにかく歩道は十代の若者で埋め尽くされていて、歩きにくいことこの上ない。ハチ公前の交差点なんて、深夜になっても人があふれ返っているもんなー。なんか、ものすごく落ち着きのない街になっちゃったよなあ。


10月28日(日曜日) 「星の瞳のシルエット」を読了

 柊あおい「星の瞳のシルエット」を読み終える。友情と恋愛の狭間で揺れる主人公の心と周辺を描いた学園ドラマだ。早く続きが読みたいと思いながら2週間。何とか時間をつくって残りの4〜6巻を一気に読んだ。進展しない香澄ちゃんと久住くんの関係にイライラ、ハラハラさせられ通しで、まさに少女漫画のセオリー通りの展開なんだけど、なぜか話に引き込まれてしまう。自分の気持ちよりも人の気持ちを考えてしまう香澄ちゃんが、あまりにもいじらしくて、かわいいからだろう。そこらへんは類似作品で言えば、人の気持ちに無神経で自覚も足りない「水色時代」の優子とは全然違うところだ。どちらかというと優子は、タイプとしては「星の瞳のシルエット」の真理子に似ているかもしれない。で、少し難を感じたのは、久住くんの親友である司は香澄ちゃんのことが好きだったはずなのに、いつの間にか香澄ちゃんの親友の沙樹のことも思っていたという設定になっている部分である。よ〜く考えたらそれまでの言動の数々と整合性が取れていないような気がするのだけど、しかしまあハッピーエンドだからいいか。ところで第4巻の巻末に収録されている番外編の「お稲荷さん大パニック」は、香澄と久住と司がそれぞれ人格分裂して2人ずつになり、すべてが丸く収まるというとってもスゴイ話なのだが、う〜ん、確かにこれはこれで八方うまくいくよなあと感心してしまった。ここまで描いてしまう柊あおいという人は、ただものではないよなー。というわけで久々に、読んだことのない人には何のこっちゃかよく分からないだろうと思われる、不親切な「漫画の読後雑感」でした。

 取材写真の現像を出しに行ったら、ラッキーカードのポイントが規定点数になったので「あったかブランケット」をもらう。フリース製で持ち運びに便利なバンド付き。とりあえず愛車の中にでも放り込んでおこうかな。そんでもって、現像を待っている間に駅前の書店へ。来年の手帳とカレンダーを購入。いつの間にかもうそんな季節なのだった。カレンダーは例年のように「となりのトトロ」シリーズである。今年のものはアニメからセル画を掲載していたが、来年はまた水彩画による名場面で構成されている。どっちかと言うと、僕は水彩画の方が情緒があって好きだなあ。


10月29日(月曜日) テロ対策法が成立

 テロ対策特別措置法が成立。これで自衛隊が「日の丸」を掲げて堂々と海外に出て行くわけなんだけど、こんなに重要な法律がこれほど簡単に決められてしまって本当にいいのか。自衛隊は米軍が使う燃料も輸送することになるのだが、これではどこのだれが見たって、日本も戦闘行為に加担していることになるだろう。アフガニスタンの兵士も民間人もまとめて殺している軍隊に、爆撃するための燃料を自衛隊が供給するわけなんだから、これはもう米軍と一緒に戦っているのと同じことだって。それで「難民支援や人道的貢献をするのだ」などと言っても、かなり無理があるんじゃないか。だいたいアフガニスタンのこれからの政権に北部同盟を加えるとか加えないとか、そんなふうによその国の国家像を米国があれこれ描いて見せること自体が、明らかな内政干渉だっつーの。ほとんど侵略者の発想そのものだよな。「爆撃でテロは決してなくならない」なんて当たり前のことを言うよりも前に、そもそも米国のアフガニスタン攻撃は侵略戦争だと思うんですけど。日本はそーゆーものに加担しようとしているんだっつーことを忘れてはならない。「こういう時代だから自衛隊を派遣するのも仕方ないんじゃないですか」などと言ってるような人たちは特にね。

 簡単なニュース原稿とコメント原稿の全部で3本を、ちゃちゃっと書いて編集部に送信。夕方、これまで使っていた携帯を解約。新規契約した会社の携帯としばらく並行して使っていたが、新しい番号を知らせるべきところにはすべて連絡も終わって、これで携帯の切り替えは無事完了である。


10月30日(火曜日) 老医師の証言

 午後から東京地裁へ。原爆被爆者に対する医療給付の認定申請を却下された男性が、厚生大臣を相手に処分取消を求めている訴訟を傍聴する。大法廷に入りきらないほど大勢の傍聴希望者が詰めかけて、3回に分けて入れ替えるという盛況ぶりだった。被爆者でもある老医師(八五歳)が原告側証人として出廷。被爆医療に長くかかわってきた臨床医の立場から証言するが、放射能の健康に及ぼす影響について、国側は「その見解は学会で認められているのか」ということにこだわるばかりで、見苦しいことこの上ない。「原爆を浴びた不幸だけでなく、多くの被爆者が放置されてきた不幸がある。日本の政治のゆがみだ。権力によって人間を選別しないでほしいというのが、私の遺言であります」──。証言の最後に老医師が声を振り絞って訴えたこの言葉を、被告である国はどのように受け止めたのだろうか。それまでうすら笑いを浮かべていた国側も、さすがにこの場面では神妙な面持ちで聞いていたように見えたのだが。

 夕方から東京・杉並へ。主婦や弁護士ら教育を考える市民グループの集まりに呼ばれて、和風料理屋で食事をしながら話をする。生臭い政治の話なんかも出たけど、それはすべてオフレコだ。野菜中心の料理や刺身がどれもうまかった。2軒目に連れて行かれた居酒屋は、何だかとてつもなく年期の入った「全共闘活動家の隠れ家」みたいなところで、すごい店が残っているなあと感心する。壁や天井にべたべた張ってあるチラシやポスター類が時代を感じさせるだけでなく、集まっている客もその手の雰囲気を漂わせている。さすがは中央線の沿線だ。厚手のジャケットを着ているというのに、外はとても寒い。午前1時帰宅。


10月31日(水曜日) 期待外れ

 昼まで爆睡。予定を変更して、取材のまとめなどの雑用に時間を割く。イトーヨー◯ドーで買い物。ここのお好み焼きは安くて値段の割にはそこそこうまい。で、それだけだとちょっと物足りなかったので九州ラーメンの店に入ったら、油たっぷりの「こってりとんこつ」だったのでがっかりした。これじゃあ、ぎとぎとスープの横浜ラーメンと何ら変わらないっつーの。白いスープであっさりした味の、いかにも九州ラーメンってやつを期待してたんだけどなあ。しかも餃子も油まみれでぐちゃぐちゃ。二度と行かない。


ご意見・ご感想は ookaminami@yahoo.co.jp へどうぞ

身辺雑記のメーンへ戻る

フロントページへ戻る

[NEW][EVA][カレカノ][トトロ][映画][セカンド][リンク][作者][BBS]