●飼うなら小型犬●戦場の「記念品」って●思考停止しない社会に●「あの球団」●連休明けの締め切り●ADSLは来月から●光学式マウスとマウスパッド●土曜日でも連絡できる弁護士●大幅加筆●名刺の記憶●給湯器のご機嫌●明け方まで?●初めての授業●りそな銀行●「セカンド」に記事追加●講師懇談会●2回目の授業●弁護士の使命●大人数相手●記者の励み●「姫ちゃんのリボン」読了●収穫なし●渋谷三昧●コーヒー豆の匂い●●●ほか
5月1日(木曜日) 飼うなら小型犬シベリアンハスキーと言えば、般若みたいでおっかない顔をした犬だというイメージが強烈だったが、テレビ朝日系のドラマ「動物のお医者さん」に出てくるハスキー犬を見ていると、表情も仕種もとてもかわいらしくて好印象を抱く。ちなみにドラマの中に出てくる(撮影で使っている)ハスキー犬は成犬ではなく、生後7カ月の幼犬だというから、それでかわいい感じがするのかもしれない。
最近は小型犬をよく見かけるようになった。特にミニチュアダックスはほんとにそこら中で見かける。顔つきも可愛いし賢いし愛嬌はあるし、何より小さくて家の中で簡単に飼えるところが、都会の住宅事情にマッチしているのだろう。この前は近くの郵便局でチワワを抱いてるおばさんを見た。僕はゴールデンレトリーバーなどの大型犬が好きなんだけど、とてもそんなのが飼えるような家には住んでいないので、飼うとするならミニチュアダックスだろうなあと思う。あるいは猫とか。もっとも今は自分の世話が精いっぱいで、そもそもペットなんか飼う余裕はないんだけど。
5月2日(金曜日) 戦場の「記念品」ってアンマンの国際空港で、毎日新聞の写真部記者の荷物が爆発して3人死傷したという。巻き添えを食って死傷した方たちは本当に気の毒だが、飛行中に爆発しなかったのは不幸中の幸いだった。機内で爆発していたら大惨事になっていただろう。
それにしても衝撃だったのは、同記者がイラクから「記念品」として持ち帰ろうとした武器が爆発したという話だ。それを聞いて、ベトナム戦争の米兵を思い出した。ゲリラ兵の死体から切り取った耳を、米兵は「記念品」として本国に持ち帰ったというのである。戦場であるよその国から「記念品」を持ち帰るという行為では、米兵も記者も変わらない気がする。
観光か物見遊山にでも行くような感覚だったから、そこに「記念品」という発想が生まれたのだろうか。爆撃で死傷した現地の人々を取材して感じるものがあったなら、たぶん「記念品」なんて感覚にはならなかったんじゃないかと思う。悲しみや憤りといった感情や許せない思いから、卑劣な武器を「証拠」として持ち帰ることはあるだろうし、それなら共感もできるけど、少なくとも僕には「記念品」という感覚は理解できない。
5月3日(土曜日) 思考停止しない社会に荒唐無稽な理論を展開し、矛盾だらけのデタラメを吹聴していたとしても、揺るぎない信念を曲げることは断じてないのが、宗教のコワイところだ。神聖不可侵の「教祖様」のおっしゃることは、何が何でも絶対に間違っていない。信者である構成メンバーは、そう頭から信じ込んでしまっているのだから。いったん信じ込んだら、もう自分の頭で考えて判断し行動することはない。「思考停止」してしまうのだ。
「白装束の集団」が大騒ぎになっているけど、そもそも宗教ってそういうものなんだよなあって今さらながら痛感する。オウム真理教だとかライフスペースなど、いわゆるカルト教団が特別なのではない。日本最大の某宗教団体だって同じではないかと思う。一人一人の信者はたぶん真面目で誠実な人も多いのだろうが、組織の決定や教祖様のご判断となれば、そこから先はもう自分の頭で考えることはしない。疑問や迷いもなくなってしまう。
これって、戦前の日本の国家体制とそっくりだよね。そして、北朝鮮の国家体制ともまるっきり同じだ。金正日総書記の言うことは絶対で、批判することは許されない。っていうか、そもそも疑問を感じることなんてあり得ない。これってまさに宗教そのもの。万世一系の天皇のために、すべてを捧げることを疑問に思わなかった社会と、うり二つと言っていいだろう。というよりも、北朝鮮の国家体制は戦前の天皇制をモデルにしているというのだから、うり二つなのも無理はない。
では、こういう「思考停止」の状態は、宗教や特定の国家体制のもとだけで生まれるのかというと、そうではないんだな。無責任な組織人の行動や言い訳にも同じパターンが見られる。「上から言われたことをやっただけです。自分の判断で勝手にしたのではありません」。だから自分は悪くない、どうして問題になるのか分からない。そう信じ込んでいるのだ。「上から死ねって言われたら死ぬのかよ」と突っ込みたくなるところだ。もちろん上から命じられたことに従っただけだといって、すべて免責されることはない。
戦前の「思考停止社会」を反省して、日本はゆっくり歩いてきたはずだ。「自分の頭で考え判断し行動する」ことを許さない国家体制に逆戻りしないため、個人が個人として尊重される社会であるために、日本国憲法は存在すると僕は考えている。「国民あってこそ国」という憲法の精神を否定し、「国家のための国民」にこだわる人たちの発想には、だから強く異義を唱えたい。
5月4日(日曜日) 「あの球団」「あの球団」のことをここで書きたいなあと思っているのだが、書くと負けそうな気がして躊躇(ちゅうちょ)している。快進撃を続けている「あの球団」のことだ。まあ、いつものように快調なのは初めのうちだけで、そのうち敗退を重ねてずるずるになって、最後は定位置の最下位というパターンが見えるから、書こうが書くまいが結果は同じといえば同じかもしれないけど、それでもやっぱり少しは期待しちゃったりして。そこがこのチームを応援している人間にとって、被虐趣味の真骨頂なのかもしれない。まあ、これだけ書いてしまえば、固有名詞を出さなくても書いたのと同じだな。
5月5〜6日(月〜火曜日) 連休明けの締め切り連休の明けに原稿の締め切りがあると、精神的にかなり楽そうに見えるが実はまるっきり逆なのだ。ずるずると連休の間も仕事を引きずってしまうので、かえって精神衛生上よろしくない。だったらさっさと連休前に書いてしまえばいいじゃないか、と思われるだろうが、それは健全で常識的な人の考えることである。怠け者の筆者はなかなか仕事に取りかかれず、結局は締め切りぎりぎりに書き上げるのだ(ちなみに、頭の中は常に執筆内容のことでフル回転している。決してただサボっているわけではない。念のために。これってかなり言い訳っぽいな)。
そんなわけで、終日原稿執筆とその準備など。初めて経験するパターンの原稿なので、ちょっと戸惑いつつもなんとか仕上げた。エンジンがかかるまでは時間がかかるが、書き始めるとそれなりに面白くて真剣になるんだよなあ。
5月7日(水曜日) ADSLは来月からめちゃくちゃ暑いじゃん。季節はすっかり夏って感じだ。学生時代は季節の中で夏が一番好きだったけど、今は春とか秋の方がいいし、冬だって嫌いじゃなくなった。寒いのは苦手だけど。そんなわけで、きょうは急な坂道を上るとすぐに汗だくになる。午後から教職員組合で新聞編集の手伝い。電車内は冷房が入っていて快適だったので、うちもエアコンの運転を冷房にした。文明の利器だ。
そう言えば、ブロードバンド(ADSL)回線をNTTに申し込んだのだが、希望している12Mのサービスに申し込みが集中していて器材が足りないという。切り替え工事は来月になるそうだ。電話連絡をくれた女性の営業担当は実に懇切丁寧で、1時間近くも接続システムや手続きについて分かりやすく説明してくれた。利用者一人一人にこんなに時間をかけて対応をしていたら大変だろう。僕としてはありがたいんだけど、かえって申し訳なく思ってしまった。
5月8日(木曜日) 雑用たまっていた雑用を精力的にこなす(そんな大層なものではないけど)。借りていた取材資料や写真などの返却準備をして、メールの返事や手紙を書いて、問い合わせの電話をかけて…なんてことをやっているうちに、時間は過ぎ去っていくのだった。
5月9日(金曜日) 光学式マウスとマウスパッドなかなか快適にeMacを使っているが、マウスだけがどうにも言うことを聞かなくて困っていた。これまで使ってきたのはボール式マウスで、初めて使うことになったのが光学式マウスである。光学式マウスはカッコいいけど、しばしばカーソルがあらぬ方向に飛んで行ってしまう。特定の場所を指し示したり、ドラッグ&ペーストしたりしていると、突然画面の左上や右下に勝手にカーソルが移動してしまうので、イライラは頂点に達していた。
何人か詳しい人に聞いてみたところ、マウスの接続は大丈夫か、周辺機器の誤動作はないか、などと考えられる点をいろいろ挙げてくれたが、最大の問題はマウスパッドにあることが判明した。乱反射する素材や、イラストや写真があしらわれているものは、光学式マウスにとって天敵なのだそうだ。ボール式マウスを使っていた時には、むしろデザイン性が豊かなマウスパッドがもてはやされていたのに…。そう、僕はイラスト入りのものを使っていたのだ。
で、遅ればせながら買ってきましたよ。味も素っ気もない無地のマウスパッドを。単色の無機質なだけの一枚だが、確かにマウスの誤作動はまるでなくなった。正確にマウスが動いてくれる。ただ一つだけ失敗したのは、約十センチ四方の小さいマウスパッドを買ったことだ。「小さめの面積で十分に快適操作できる」という宣伝文句にだまされた。やはり、マウスパッドは大きい方がスムーズに操作できる。大した値段じゃないから買い直そう。
5月10日(土曜日) 土曜日でも連絡できる弁護士土曜日に弁護士を捕まえるのって大変なんだよなあ。捕まえると言っても逮捕するわけじゃなくて、話を聞くっていう意味なんだけどね(笑)。前にある弁護士さんから取材のアポを取ろうとして、土曜日はどうですかと聞いたら「土日は休みに決まっているじゃないの(何を非常識なことを言ってるんだ)」みたいな答えが返ってきて驚かされたことがあった。もちろん弁護士が土日を休んではいけないなんてことはないし、平日に一生懸命に働いていればどこかで休まなければ体が持たないと思うけど、土日が「休みに決まっている」とは思わなかったので、そういうものなのかと認識を新たにしたのだった。もちろん曜日や暦に関係なく、必要があれば仕事をしている(事務所を開いている)弁護士さんもいて、いつでもどうぞという方だって何人もいる。そんなわけで、きょうは心当たりのある事務所に連絡を入れて、土曜日だけど何人かの弁護士さんからいろいろ参考になる話を聞かせていただいた。
5月11日(日曜日) 大幅加筆出稿済みの原稿に対して大幅加筆の要請があったので、大急ぎで書き加える。20字×50行で1000字分の追加。過去に取材したけど未使用の題材を引っ張ってきて、新たな項目を付け加えればいいだけだから、そんなに慌てることはない。ゼロから取材を始めて新しく書くということになるとある程度の時間が欲しいが、あらかじめ材料があって原稿をふくらませるのは、さほど大変ではない。要望通りの行数内にまとめるのには苦心するけど。
5月12日(月曜日) 名刺の記憶仕事柄、初対面の人から名刺をいただくことが多いのだが、後になって名刺を取り出して「名前と顔が一致しない」というケースが結構あったりする。長時間じっくり話をしたり何回か顔を合わせたりしていれば別だけど、会合で一度に大勢の人に会って、全員の名前と顔を覚えておくなんていうのは至難の技だ。人に会って話を聞くのが仕事じゃないかとは言うものの、やはりただ単に名刺交換しただけで忘れないなんて無理だよ。よほどの強烈な個性や出来事がなければ、なかなか記憶に残らないものかもしれない。会った場所や会合や用件など、キーワードみたいなものを名刺にメモしておくことがあって、そうするとなんとなく思い浮かぶことはある。それでも顔が思い出せない場合はあるわけで、メモも何もないと「だれだっけ、この人」となりかねないのだ。とても恥ずかしいが。うーん、ほかの人たちはどうしているんだろう。
5月13日(火曜日) 給湯器のご機嫌このところ給湯器の調子が悪い状態が続いていたので、ガス会社の人に点検に来てもらった。お湯が出たり出なかったりするほか、シャワーのお湯が途中で水になってしまう、といったトラブルが頻発するようになったのだ。今冬から不調ではあったのだが、それでもたまに機嫌が悪くなるという程度だった。ところが先月からしばしばつむじを曲げるので、ついに専門業者に助けを求めたというわけである。洗髪の最中にお湯が水になるというのは、真冬だとかなり悲惨な事態だ。これからは気温も上昇するので風呂場で震えたりしなくてもいいとは言うものの、それでもお湯が出なくなるのはものすごく困る。それで点検結果はと言うと、給湯システムを制御している基盤の機能がいかれているので、基盤部分をそっくり交換しなければならないとのことだった。作業料や部品代などを合わせると約2万5千円かかるという。げげっ。まあ、仕方ないよな…。部品を取り寄せてもらって、工事完了は明日になる。ああ。
5月14日(水曜日) 明け方まで?日ごろお世話になっている弁護士さんから、司法アクセスについて意見を聞きたいから、事務所に来てくれないかと頼まれた。「喜んで協力させていただきます」。そう答えたところで「夜の8時でもいいかな」と打診される。もちろん僕は構わないけど…。「夕方5時や6時になると閉まって、電話もつながらなくなる弁護士事務所がありますが」と質問してみる。すると「そんな早い時間に閉めたら仕事にならない。明け方まで開いてますよ」と笑われた。うーん、それはそれで問題かも。防犯対策は大丈夫なのか、仕事中毒ではないのかなど。熱心な弁護活動には敬意を表すが、ほどほどにしないと体を壊すのではと心配だ。いろんな人がいるものだなあ。
給湯器は無事に完全復活した。ホッと一安心だ。あすの授業のレジュメを作りながら、学生に配る教材を何にしようかと頭を悩ませる。教材資料はなくても構わないが、あった方が理解は深まるというのが、担当教官の助言である。僕の書いた記事の中から適当なものを1つ2つ選んで、コピーして配ればいいか。
5月15日(木曜日) 初めての授業大学で初めて授業をした。ゼミに招かれて話をしたことは何回かあるが、自分一人ですべてを仕切って教壇から学生に講議をするのは初めてである。授業は総合講座「現代社会の課題」という科目を複数の講師で受け持ち、そのうち2週分を僕が「日本の教育はどうなっているのか」と題して担当することになっている。きょうはその前編で、CクラスとDクラスで話をした。同じ話を続けて繰り返すというのも初めての経験だ。そんなのやったことないよ…。
おまけに4限のCクラスの受講生は3ケタもいて、もう一つの5限のDクラスの学生は2ケタしかいない。どちらも同じ大教室で講議するというのだ。うーん、なんだかやりにくいなあ…。
しょっぱなから失敗した。担当教員は授業が始まる前に総合受付センターに立ち寄って、各教室で使うマイクを受け取らなければならないのに、舞い上がっていた僕はそんなことはすっかり忘れて、マイクも持たずに教室に乗り込んだのだ。あれ、マイクがないじゃんかなどとしばし戸惑ってから、あたふたと事務に問い合わせたりして、約十分も無駄な時間を費やしてしまった。カッコワル。
授業はなんとか無事に終えることができた。最初の大人数のCクラスに比べて、次のDクラスの方が少し慣れたせいか落ち着いて話せたような気がする。少人数なので圧迫感が少なくて、冷静に授業ができたのかもしれない。しかしそれにしても、一番前の席に座っていながら友達とずっと私語をしたり、授業中なのに平気で携帯電話を使ったりという学生が、何人もいたのには閉口した。話には聞いていたけど、本当にいるんだなあ。
そんな話を講師控室に戻って年輩の先生にしたら、「そういうのはびしっと注意した方がいいですよ。最近の学生は素直だから注意すれば聞きますから」と助言をいただいた。そうか、注意した方がいいんだ。舞い上がっていた僕は、とても学生の態度を注意するどころではなかったのだ。堂々と机に突っ伏して居眠りしてる学生もいたけど、それは授業の邪魔にはならないし、自分の過去の経験や力量不足などを考えれば仕方ない。少なくともほかの受講生の迷惑になるようなことがあれば、次回からは注意しよう。
講演で話をするのと、こうやって授業で話をするのとでは、大変な違いがあるんだなあと痛感させられた。講演だと僕はお招きを受ける立場になる。「ぜひ話を聞かせてください」と集まった人たちを前にして、司会者から紹介されてお客さまとして話をする。話の最中に居眠りする人はいても、私語をしたり携帯電話をかけている人は見たことがない。しかし授業の場合は、学生の方がお客さまなのだ。「自分の意思で履修届を提出して、授業を受けようと思って教室にいるんだろう。だったら真面目に話を聞け」なんて正論は、たぶん通らない世界なんだよなあ。話を聞く姿勢が全然違うということがよく分かった。とっても疲れました。
5月16日(金曜日) 時間浪費きょうは、あっちで待たされ、こっちで待たされって感じで、時間を空しく浪費してしまったなあ。…と思っていたら、夜遅く入った混雑しているラーメン屋で、ほとんど待たされずラーメンにありつけた。大勢の客が注文の品を待っていたのだが、僕の注文が麺を茹でるタイミングに合っていたのか、先に頼んだ客とさほど変わらない時間に出てきたのだった。ほんの少しだけ得した気分。
5月17日(土曜日) りそな銀行りそな銀行などの持ち株会社・りそなホールディングスに対し、政府は公的資金注入を決めた。自己資本比率が低下した同社の事実上の国有化だ。預金は全額保護されるというから、少額ながらこの銀行に預金している僕としては、とりあえずは一安心である。前から経営危機がささやかれていたので、やっぱりなというのが率直な感想だが、旧埼玉銀行と旧協和銀行が合併して発足した旧あさひ銀行が、海外で不祥事を起こした旧大和銀行なんかと一緒になったのがそもそも間違いだった。背に腹は代えられなかったのかもしれないけど、ああこりゃだめだって素人でも感じたもんな。しかも「りそな銀行」だもんなあ。ネーミングも失敗だったね。そう言えば行員の質も、ものすごく悪かったし…。店鋪を大量閉鎖したどこかの大手スーパーもそうだったが、社員や店員がいい加減な応対や投げやりな態度を見せているところって、しばらくすると必ずと言っていいほど経営危機が表面化するんだよね。
5月20日(火曜日) 「セカンド」に記事追加「セカンドインパクト」を更新。「インタビュー&記事/司法改革」のページに記事を追加掲載しました。徹底研究「町田顕・最高裁長官」です。町田氏は青法協出身の初めての最高裁長官ですが、同氏が青法協を脱退した経緯やその後の姿勢については、評価が分かれるところです。町田長官が若手判事補だった当時、護憲を掲げる青法協は、保守系ジャーナリズムと政治家から「反体制の左傾団体」として激しい攻撃対象になっていました。憲法擁護は法律家としてはごく自然な考え方に過ぎないと思われますが、それはすさまじい排除と弾圧が行われたといいます。取材を通じて裁判官の置かれた不自由な立場に、ほんの少し触れることができたように思いました。「裁判官の生き方」というよりも、むしろ組織人としての身の振り方として、より興味深いものがあるかもしれません。
なお、町田長官本人からは「多忙のため」との理由で直接取材を断られましたが、参考文献と周辺取材の積み重ねにより、それなりに人物像と背景に迫れたのではないかと思います。
5月21日(水曜日) 講師懇談会夕方から、大学の講師懇談会に出席する。年に1回この時期に開かれているそうだ。いろんな科目の経験豊かな先生方が、学生たちの意欲を引き出すために、できる限り対話するように工夫したり努力したりしているという話は、初めて教壇に立ったドシロウトの僕にとって大変参考になった。ほかのみなさんも、それぞれ感じていることや模索していることは同じなのだ。そういうことが分かっただけでも勉強になる。せっかく準備して授業をするのなら、できるだけきちんと理解してほしいし、なるべく大勢の学生に意欲を持って聞いてほしい。そんなふうに思わない先生なんて、もちろんどこにもいないだろうから。
担当科目群ごとに開かれた会議の後は、ホテルの大広間に学部の講師全員が集まって、立食形式のパーティーに移行する。福祉や環境やスポーツ関係など、現場での仕事が本業という先生が意外に多いのが面白い。新しい出会いや交流があって有意義だった。年に1回などと言わず、できれば2〜3回は開催してほしいものだ。
5月22日(木曜日) 2回目の授業大学で総合講座「現代社会の課題」の授業。初めて教壇に立った前回に比べると、はるかにスムーズに話ができた(と思う)。私語は先週よりも少なかったし、授業中に携帯電話をかける学生もいなかった。マイクの調子が悪くて迷惑をかけたみたいだけど。特に5限の少人数のクラスなんて全く私語がなく、全員が真剣に話を聞いてくれた。それが当たり前と言えば当たり前なんだけど、とても授業しやすかったなあ。
授業の終わりに三十分ほどの時間を取ってレポートを書かせたのだが、みんな結構しっかりと書いてくれて一安心だ。「今まで考えたことがない問題の存在を知ることができた」という一言が添えられていると、話をしてよかったという気分にさせられる。授業が終わって、教職課程を選択してる学生から「教職の授業では触れられることのない話が聞けました」と声をかけられたのは、何よりもうれしかった。でもこの後、百数十人分のレポートを採点しなければならないんだよなあ。こればっかりは、ちょっと大変そうです。
5月23日(金曜日) 弁護士の使命東京・銀座の弁護士事務所で、弁護士や編集者と「弁護士のあるべき姿と今後」について意見交換する。「人権擁護と社会正義の実現」といった弁護士に求められる理念はすっぽり抜け落ちて、法律という知識だけ持った弁護士(法曹)の大量養成が進められているのではないか、というのが基本的な問題意識のスタートラインだ。企業や役所にとっては、小道具のように使いやすい法曹資格者さえたくさんいればいいのであって、弁護士法の第1条に明記されているような「使命」について考える法律家は、あまり重要ではないし必要でもないのだろう。確かに今の司法改革の論議には、そういう話はどこにもないもんなあ。
そんな話をしていたら3時間ほど経過。本にまとめて出版するらしい。午後11時近いというのに弁護士事務所の待ち合い室では、訴訟の打ち合わせのため依頼者が待っていた。「これからまだ打ち合わせをするのか」とびっくりする。こんな調子で深夜3時まで仕事をしながら、なんと朝の9時には事務所に来ているという。この弁護士はいったいいつ寝ているのだろう。久しぶりに終電で帰宅。しかも金曜日なので大混雑である。ラッシュはうんざりだ。
5月25日(日曜日) 大人数相手大学での前期の授業は、先週と今週の「現代社会の課題」の集中講議2回で終わり。後期からいよいよ毎週1回「現代ジャーナリズム」の講座を担当することになる。そういう意味では今回の2回の特別授業はいい経験(予行演習)になった。出席の取り方、教材プリントの配り方、マイクや黒板の使い方、学生の反応などなど…。やっぱり実際に自分でやってみて初めて分かることって多いんだなあと、今さらながらしみじみ実感した。それにしても百人もの大人数と数十人の少人数を相手にするのとでは、少人数に授業する方がはるかにやりやすいことが判明した。学生の表情がしっかり把握できて話が伝わりやすいからだ。だからきっと授業中の私語も少ないのだろう。そんなことを思っていたら、なんと後期の「現代ジャーナリズム」の講座は受講生が300人も登録しているのだという。専任の先生からそう聞いて、しばし絶句してしまった。うーん。大勢の学生が話を聞いてくれるのは決して悪いことではないけど、かなり授業がやりにくそうだなあ。教材資料のプリントを準備するだけでも大変だし、レポートの採点はさらにやっかいじゃん…。
5月26日(月曜日) 記者の励み先週発売された法律雑誌に書いた記事が、なかなか評判がいいみたいだ。裁判関係者からも「いい記事を書いてくれた。何回も読み返しました」などと手紙や電話で感謝された。そういうふうに言ってもらえるのが、記者として何よりもうれしいし励みになるなあ。こちらこそありがとうございます。
夕方、授業の出席評価などについて大学の教務の人と電話で話をしていると、つけっぱなしにしていたテレビニュースの画面に速報が流れた。岩手と宮城で震度6弱の揺れがあったという。かなり大きな地震だよなあ。地震などの災害は、最初の一報から時間が経つにつれて、被害が拡大していくことが多いから心配したけど、幸いなことにダメージはそれほどでもなかったようだ。
阪神大震災の時は号外を出すため、呼ばれて早朝の新聞社にすっ飛んで行った。自宅を出る時は数十人のけが人と伝えられていたのが、編集局に着いたころには数百人に膨れ上がり、あっという間に死傷者は数千人という情報に変化していったのを思い出す。地震は防ぎようがないから怖いよなあ。でも対策は講じられる。
5月27日(火曜日) 「姫ちゃんのリボン」読了ようやく最終巻まで発売されたので、水沢めぐみ「姫ちゃんのリボン」(集英社文庫)全6巻をすべて読み終えることができた。かなり前からコミックス版が出ているのだが、今年1月に読み始めたのが文庫版だったから、最終巻が出るのを心待ちにしていたのだった。いいお話だったなあというのが、とにかく率直な感想だ。元気いっぱいで、素直で、一直線で、優しくて、正義感にあふれていて…。そんな主人公の姫子の魅力がたっぷり描かれていて、そして姫子が自分自身を好きになっていくだけでなく、周囲の人の隠れたいいところを見つけていくというストーリー展開がいい。読者の中心である小中学生に向けられた、水沢めぐみからのメッセージのあたたかさが感じられる。ラストシーンと、その一つ前の回のエンディングがこれまた魅力的なのだ。そう言えば、姫子の「いけいけゴーゴーッ、じゃーんぷっ!」の名台詞って、テレビアニメ版の方ではどうなっていたのだろう。アニメ版は一度も見たことがないんだけど、機会があればぜひそっちも見てみたいなあ。
5月28日(水曜日) 収穫なし午後から東京高裁へ。刑事事件と民事事件のそれぞれの控訴審をのぞく。地裁から傍聴を続けている刑事の方は、弁護人が控訴趣意書を読むだけであっという間に結審する。相変わらずやる気のない弁護で、もう少し何とかやりようがあるだろうにと思う。あんまり記事にしたくない展開なんだよな。どうしよう。民事の方は何回か傍聴したことがある国賠訴訟なんだけど、原告代理人の「美声」と睡眠不足とで、ついつい眠気を誘われてしまったよ。うーん、あんまり収穫がなかったなあ。さて、どうしたものか…。
探している漫画の単行本を求めて、久しぶりに秋葉原へ。こちらも収穫なしだった。きょう発売されたコミックスは無事に入手したけど(謎)。横浜〜東京は久しぶりに晴れ間がのぞいたが、すぐに曇り空になって、なんだか中途半端な天気だ。
5月29日(木曜日) 渋谷三昧パリに本店があるという東京・渋谷のカフェでおしゃべりしてから、代々木公園をゆっくり散歩。若葉をいっぱいにつけた木が林立している空間は心が和む。噴水のある池の水が淀んで悪臭が漂っていたのだけは、ちょっと興ざめだったけど。表参道〜青山をぶらぶらと歩いてから、渋谷に戻って台湾料理屋で夕食。台湾料理屋なのにジャズが流れていたり、その日が誕生日の客に記念写真サービスをして、居合わせた見ず知らずの客全員で「ハッピーバースデー」を歌ったりと、かなりユニークな店だった。味は日本人好みでなかなかうまくて安い。きょうはたくさん歩いて運動になったなあ。
5月30日(金曜日) コーヒー豆の匂い近所にあるコーヒー会社の工場から、午後になるとコーヒー豆の濃い匂いが漂ってくる。「香り」とはちょっと違う。豆を煮詰めたような独特の匂いで、これを嗅ぐと東京の中学生時代を思い出す。横浜とは別のコーヒー会社の工場が中目黒にあって、体育の時間に校庭を走っていると、同じようなコーヒー豆の濃い匂いが、高台にある中学校のグラウンドまで風に乗ってやってくるのだ。頭の中がからっぽになるまで走らされて、息が苦しくなってきた時に嗅ぐあの匂いは、記憶に鮮明に残っていて決して忘れることはできない。それを横浜でも毎日嗅ぐとは…。なんだか懐かしい。
5月31日(土曜日) 雨午前中から土砂降りの激しい雨。台風4号(後に温帯低気圧に変化)の影響で、昼過ぎまで雨の強さは変わらない。こういう日は外には出たくない。どっちにしろあまり動きたくない気分だけど。