●運転中の通話はダメ!●「受け取り拒否」?●頑張ってパソコン●米大統領選の民主主義●右往左往●お見事!古舘インタビュー●四苦八苦●力作ぞろい●書記官の不当妨害●新千円札●風邪ニモマケズ●風邪ニハ…マケタ●神経質な裁判長だね●ロスタイム●映像メディア●本記原稿すべて送信●●●ほか
11月1日(月曜日) 運転中の通話はダメ!運転中の携帯電話使用に罰金を科す改正道路交通法が、きょうから施行された。これは遅きに失した対応で、もっと罰則を重くしてもいいくらいだろう。思い出すのは十年ほど前のこと。社有車を運転中に同僚記者と自動車電話で話をしていて、ふと気が付くと車がガードレールに接触しそうになっていた。通話にすっかり気を取られてしまい、運転が全然おろそかになっている自分に気付いてぞっとしたことがある。それほど電話は応答に集中してしまう。別の言い方をすれば、周囲に対する意識や注意力が散漫になるということだ。走っていたのは片側3車線の幹線道路。たまたまその時は近くに車が走っていなかっただけで、僕はとても運がよかった。
そんな電話の怖さを痛感した僕は、絶対に運転しながら通話はしない。車を路肩に寄せて話をする。ましてや運転中にメールを打つなんて論外だ。道に迷って地図を一べつしながら運転したことはあるけど、それも本当は危険きわまりないことだよなあ。最近は車を運転しないので、携帯電話をかけている運転手を見かけると、恐ろしさに震えて逃げまどう側にいる。ほんの一瞬のタイミングで、いつこっちに突っ込んでくるか分からないのだから、罰則の有無に関係なく運転中の通話はマジでやめてほしい。
11月2日(火曜日) 「受け取り拒否」?都立高校長の一人から記事掲載誌が「受け取り拒否」で戻ってきたと、編集部から連絡があった。取材に応じていただいて記事に登場してもらった場合には、どんな立場や思想の方であっても必ず掲載誌をお送りするようにしている。「こういう記事を書きました」と先方に伝えるのは、取材記者として当然の礼儀と責任だと思うので、新聞記者時代から一貫してそうしている。新聞社にいた時は自分で発送作業をしたり、編集総務に頼んで発送してもらったりしていた。フリーになって雑誌に書くようになってからは、もっぱら編集部を通して担当編集者に発送をお願いしているが、とにかくこれまでに、取材協力者から掲載誌が送り返されてきたことなど一度もない。びっくりして、校長さんに電話した。
僕が書いたのは、都立高校の創立記念行事と「日の丸・君が代」の生徒への強制問題について、1ページにまとめた解説・ルポで、記事は「週刊金曜日」に掲載された。
校長さんによると、別の週刊誌が同じテーマについて事実と違う記事を書いたので、発行元に対して抗議し、先方から送られてきた掲載誌の受け取りを拒否したという。一方、僕の書いた「週刊金曜日」の記事はなんら問題はなく、自分とは立場は異なるが事実関係を正確に書いていて不満は全くないが、先の某週刊誌に抗議して返送した経緯があったので、筋として同様に受け取るのをやめたとのことだった。「失礼なことになってしまい申し訳ない」と、校長さんは電話口で恐縮されていた。僕の書いた記事は独自に雑誌を入手して、発売直後に読んでくれたそうだ。
記者になってから、掲載紙誌が「受け取り拒否」されて戻ってきたのは初めての経験だった。もちろん、あり得ないような妄想や勝手な思い込みを一方的にふくらませて難癖をつけ、後ろから弾を飛ばしてくる「運動家」みたいな人はこれまでにも何人かはいた。しかし、先方と立場や思想は違っても、事実関係を無視するような記事を書くことはないし、今回もできる限り公正な取材活動に努めたつもりだったので、校長さんの言葉にはほっと安心させられた。主張に説得力を持たせるためにも、事実関係には気を使って書いた記事だったので、立場の異なる人の支持も得られてよかった。
11月3日(水曜日) 頑張ってパソコン文化の日。大学祭のため授業は休講。というか、休みに関係なくひたすら仕事である。大量のデータ整理と原稿のまとめを続けていて、ずっとパソコンを立ち上げっぱなしなんだけど、大丈夫なのかなあ。時々はシステムを終了させて、パソコン本体を休ませるようにしているのだが、一日中ほとんど稼働することもあって、かなりレスポンスが遅くなってきているような気がする。ここでダウンされるとものすごく困るので、なんとか頑張ってほしい。
11月4日(木曜日) 米大統領選の民主主義米大統領選でブッシュ氏の再選が決まった。ブッシュ氏の得票率は51%で、ケリー候補の得票率は48%だったという。イラクに大量の兵士を送り込み、まさに戦争を遂行している真っ最中の国の現職大統領に対し、半数近くの国民が「ノー」と言えるところが、この国のすごいところかもしれない。大統領選の争点は「イラク戦争と対テロ戦争」だった。全米で保守化が進んでいると言われているが、きちんと異論を唱える土壌が米国社会には存在している。
これが日本だったら「進め一億!火の玉だ!」とばかり、国民が一丸となって戦争に突き進みそうで怖い。戦時中にお上(政府・国家)の決めたことに国民が盾を突くなんて、もしもそんなことをすれば、日本だと間違いなく「非国民」扱いだろうな。なんだかんだ言っても、こういう健全な民主主義の精神がしっかり根付いているから、アメリカという国はなかなか侮れない。
11月6日(土曜日) 右往左往書き下ろし単行本の原稿を3つに分けたうち、とりあえず第1便を出稿した。作業量が膨大な上にいろいろ問題が発生して、あちこち手直しや確認をして右往左往している状態だ。おかげで進行スケジュールは大幅に遅れてしまっている。とにかくまた、データ整理と原稿のまとめ作業をひたすら続けるだけだ。ふう。
11月8日(月曜日) お見事!古舘インタビューテレビ朝日系の「報道ステーション」に石原慎太郎都知事が登場して、メインキャスターの古舘伊知郎が果敢に切り込んだ。超タカ派で国家主義者である石原都知事の「異様さ」や「怖さ」を、見事にテレビの前に引っ張り出したインタビューだと思った。石原都知事にただ言いたいように言わせるのでなく、突っ込むべきところは突っ込み、石原都知事のペースでは終わらせない。ある意味ギリギリの攻防は手に汗を握るといった感じで、なかなか「見せて」くれたのではないか。痛いところを散々かき回して、相手が怒り出す寸前で上手に持ち上げながら着地させたのは、さすがだなと感心させられた。面白かった。特にこの手の政治家はまずはこちらの土俵に引っ張り上げて、とんでもない考え方や発言を引き出し際立たせることが大事なわけで、そういう意味でこのインタビューは成功したのだろう。下手をすれば相手の宣伝番組で終わってしまうが、際どいところでそうはならなかったのは見事だ。勉強になった。
11月9日(火曜日) 四苦八苦ひたすらに粛々と、書き下ろし単行本のデータ整理と原稿のまとめ作業。いやほんとにもう、四苦八苦しながらも、ただただひたすらにって感じだ。
11月10日(水曜日) 力作ぞろい授業の日。きょうのテーマは「新聞社を去る記者たち」。意欲や志や問題意識を持った記者が、毎年たくさん会社を辞めていく現実を紹介することで、その背景には何があるのか、そして「記者のあるべき姿」や「ジャーナリズムのあるべき姿」とは何か、といったことを考えさせるのが目的だ。これは組織の中での個人の生き方にも通じる話で、もちろん新聞社に限った問題ではない。学生たちはそういうこともきちんと理解しくれたようで、授業後の感想リポートには、僕が伝えたかったことがしっかり反映されていた。
今回は授業の参考資料として、新聞記者時代に書いた連載企画などの記事を配布した。そのうちの一つで、新聞社ではボツにされて雑誌に掲載された「ルポ・教育の曲り角/ある少女の転校」は、学生たちにかなり評判がよかった。大人たちのウソくさい生き方や対応に対して、若者なりに真摯な疑問が刺激されたのかもしれない。なるべく参考資料をプリントして配るようにしよう。
授業終了前に、前回に課題を課しておいたリポートを集める。それぞれが関心を持った最近のニュースについて、任意の新聞3紙で記事の扱いなどを比較検討させる内容で、どれもなかなかの力作ぞろい。中でもとてもよく書けているリポートが5本ほどあった。新聞各紙を比較しながら読む作業を通して、各社の記者の姿勢や視点に大きな違いがあることに気付かせるのが、このリポートの最大の目的だが、まずは大成功だったようだ。
きょうから教室が変更に。受講者数の最終確定に伴う調整だとのこと。中くらいの広さの階段教室。見下ろされているようでちょっと戸惑ったけど、まあそのうち慣れるだろう。
【おことわり】多忙のため、11月6日・8日・9日・10日付の4日分の「身辺雑記」をまとめてアップしました。すみません。
午後から東京地裁と弁護士会館へ。きょうの地裁は警備ゲートにいつにも増して長蛇の列。ゲートが1カ所しかないから、中に入るまでものすごく時間がかかる。開廷に間に合わなくて迷惑している人も大勢いるはずだ。金属探知など警備が必要なのは認めるが、毎回こんな調子なのは分かっているのだから、ゲートの数や職員の配置を増やせばいいではないか。いい加減にしてほしい。
もう一つ不愉快なことがあった。法廷内を小窓を開けて見ていると、地裁民事十九部の男性書記官に規制を受けた。小窓から法廷内を見ていて規制されたのなんて初めてだ。小窓は一般傍聴者が法廷内部を自由に見るためのものだろう。ただの書記官が、いったい何の権限があって、どんな根拠に基づいてそんな規制をするのか。傍聴権の侵害であるばかりか不当な取材妨害だ。複数の弁護士もその行為はおかしいと話している。僕個人だけの問題ではないと考えるので、週明けにも正式に抗議して説明を求めようと思う。
四谷の出版社に寄って、あちこちに確認取材の電話をかけまくって、担当編集者と打ち合わせ。「原稿が大幅に遅れていて本当にすみません」と平身低頭するばかり。夕方から新橋の法律事務所へ。弁護士から2時間ほど話を聞く。後半はほとんどオフレコの内容ばかりだったが、むしろそっちの方が面白い。どれも記事として書けないことばかりじゃないかと思いつつ、そういう裏話が聞けるのがまた楽しかったりする。近くの居酒屋に飲みに誘われる。ほかの弁護士さんも加わり、深夜までオフレコ話に花が咲いた。
ブリのしゃぶしゃぶを初めて食べた。この店の新メニューだそうだが、こういう食べ方もあるんだなあと新鮮な驚き。刺身とはまたひと味違ってなかなかうまい。あと今秋初めて寄せ鍋を食べたが、これもダシが利いていてとても美味だ。やっぱり鍋はいいな。うーん、いかんな、すっかり労働意欲がなくなってしまう。
11月13日(土曜日) 新千円札新しい千円札を初めて手にした。コンビニでおつりにもらった中の1枚だ。遅ればせながらというか、発行されて2週間でようやく回ってきたという感じだ。これが新札なのかと野口英世をしげしげと見てしまったが、個人的には夏目漱石の方が好きだなあ。お札の顔の人物評価はともかくとして、新しい千円札はやたらテカテカしていて、デザインがくどいような気がする。基本的に何でもシンプルで上品なのが好みなのだが、だんだんしつこい図柄になりつつあるんじゃないだろうか。偽造防止のためには、紙幣のデザインが複雑化するのも仕方ないのだろうけど。樋口一葉の5千円札を手にするのはいつになることやら。しかしまあ、使いにくくて歓迎されない2千円札と違って、千円札や5千円札は必需品なので広く一般に流通するのは時間の問題だろう。
11月14日(日曜日) そろそろ冬短い原稿をちょこちょこっと2本書いて、あとは単行本のデータ整理と原稿のまとめ作業に専念。昨日あたりから急に寒くなってきたが、きょうはまたぐっと冷え込んできた。水道の水が冷たい。横浜の最高気温は14・5度。エアコンは暖房モードに切り替えて活躍中だ。まだ少し早い気もするが、寒いのだから仕方ない。
11月15日(月曜日) 風邪?朝から確認取材の電話をあっちこっちにかけ続ける。午後は単行本のデータ整理と原稿のまとめ作業。少し仮眠して起きたら、のどが痛くて体がだるい。やっばい…風邪をひいたかな。
11月16日(火曜日) 風邪ニモマケズ明らかに風邪。だがしかーし。夕方から取材の約束が入っているので、東京・市ヶ谷の法律事務所へ。キャンセルしようとも思ったのだが、会って話を聞いておきたい人だったので、まあ1時間くらいで話を切り上げてさっさと帰ろうと思って出かけた。そうしたら相手の弁護士さんがノリに乗って話すこと話すこと。結果的に3時間近く滞在することになった。ああ、もうフラフラだ。お腹空いたよ、寒いよ、咳も出るよという感じで、ぐったりして横浜に帰り着いたのは午後11時を回っていた。仕事がたまっているのに…。
11月17日(水曜日) 風邪ニハ…マケタのども痛いし咳も出る。体調は絶不調だけど、授業の日なので大学へ。きょうのテーマは「ネット社会の光と影」。インターネットによる情報発信力と匿名社会の無法さについて、ジャーナリズムの観点から話をする。あまり舌が滑らかに動いてくれないが、それでも授業中は緊張しているので、中身の濃い話を目いっぱい展開したつもり。学生も関心を持って聴いてくれたようだ。一人だけ爆睡しているのがいて、しかも途中で大きないびきが教室に響き渡ったので、みんな笑いをこらえるのに大変だったみたいだけど(自分のいびきに驚いて目覚めたのであえて注意しなかった)。
来週の授業で使う教室の視聴覚設備のテストをしてから、学食で豚汁を食べる。しかし風邪をひいているこういう時に限って、生温いんだよな。いつもは火傷するくらい熱々なのに。帰りのバスの中では頭も痛くなってきた。体もだるい。帰宅早々にダウン。もう何もやる気がしない。
11月18日(木曜日) ダウンエアコンの室内温度設定を最高にして、とにかく布団にくるまってひたすら爆睡する。…っていうか、完全にダウン。部屋を暖かくして体をゆっくり休ませるしかない。
11月19日(金曜日) 神経質な裁判長だね少し楽になってきたので、起き上がって、確認の電話取材をあちこちにかける。単行本のデータ整理と原稿のまとめ作業。時おり咳き込みながらの作業はさすがに辛い。
11月12日付の「身辺雑記」で書いた「東京地裁民事十九部の男性書記官による傍聴規制」について、地裁の報道担当に問い合わせをしておいたのだが、それに対しての回答があった。「裁判長の訴訟指揮によるものです。小窓を開閉すると気になって裁判に集中できないというのが理由です」とのことだった。ずいぶん神経質な人なんだなあ。でもまあ裁判長による訴訟指揮なら仕方ない。法廷管理権は裁判長にあるのだから。ただし、そんなことで審理に集中できないというのなら、そういう事実は事実としてきちんと活字にして公表しなければならない。裁判官の姿勢や訴訟指揮をまとめた単行本の改訂新版に、しっかりと書かせてもらおうと思う。裁判所からのネタ提供に感謝します。
11月20日(土曜日) ロスタイム風邪でダウンしたロスタイムのために、仕事の予定が5日間ほどずれ込んでいる。まだ体の方は本調子ではないが、前ほど辛くはなくなってきたので、ひたすらデータまとめ作業を続けなければ。
11月21日(日曜日) 風邪の原因分析風邪をひいた原因を分析してみた。1)布団も毛布もかけずにごろ寝して仮眠した。2)満員電車に乗って帰宅したのにうがいをしなかった。3)鼻毛を多めにカットした。うーん、どうやら最後の鼻毛が一番怪しいな(爆笑)。まあ冗談はさておいて、徹夜が続いていて睡眠不足で体力も低下していたところに、外からウイルスを持ち込んで、ごろ寝したのがまずかったのだろう。とりあえず部屋は常に暖かくしている。睡眠不足は…こればっかりはなあ。
11月23日(火曜日) 懸命作業ロスタイムによる遅れを取り戻すため、懸命に作業を続ける。まだ少し咳は出るけど、そんなことは言ってられない。日程的にかなり追い込まれているのだ。ご飯をちゃんと食べて、部屋は暖かくして、とにかく風邪がぶり返さないようにしなければ。もうこれ以上のロスタイムは出せないので、体調管理だけは気をつけている。
11月24日(水曜日) 映像メディア体調管理とか言っておきながら徹夜だよ(汗)。とにかく原稿のことで頭はいっぱいいっぱい。しかもぼーっとした状態だ。午後から授業。きょうのテーマは「映像メディア」なので、午前中は学生に見せるビデオのチェックと頭出し作業など大急ぎで準備する。昨年度は、黒澤明の「生きる」とハリウッド映画「チャイナ・シンドローム」とビデオプレスのドキュメンタリー「国労冬物語」の3本をダイジェストで見せたが、今回は「生きる」は割愛。モノクロ画像で画質が悪いのと時間的な問題による。
社会の矛盾や問題点をじっくり取材して伝えるのがジャーナリズムの役割で、テレビや映像メディアも例外ではなく、むしろ影響力は活字よりも大きかったりする。ところがテレビ局では視聴率が最優先され、深く掘り下げたドキュメンタリー番組はどんどん隅っこに追いやられている。僕もかつては力のこもったドキュメンタリー番組に大いに刺激されたが、残念ながら最近は見るべき番組がほとんどない。そんな映像の世界の実態を考えてもらうのが、きょうの授業のテーマだ。今年の教室は視聴覚設備がいいので、音も映像もとても鮮明。学生の反応は「国労冬物語」に人気が集中。居眠りしているようで、ちゃんと考えているので安心した。
【おことわり】風邪と多忙のため、11月17日付から24日付までの「身辺雑記」をまとめてアップしました。
11月25日(木曜日) 3分割の第2便出稿書き下ろし単行本の原稿を3つに分割したうちの第2便を出稿する。「どうしても年内に出版して書店に並べたい」というのが編集部の意向だ。もちろん僕も異存はないのだが、作業は予想外に時間がかかって遅れに遅れている。でも、とにかくもう何がなんでも押し込むしかない。お尻に火が着いて燃えている状態なのだ。
11月28日(日曜日) 3分割の第3便「その1」出稿3分割した原稿のうち、ついに最後の第3便の作業が終了…これで本記の作業はすべて終わったと言いたいところだが、実は第3便として出すべき原稿の半分しか出来上がっていないのだった。とりあえず第3便の「その1」として原稿を送信する。編集〜印刷〜配本の流れからすると、業界用語で言うところの「年末進行」なのでギリギリの日程なんだそうだ。やばっ…。だがしかし。僕だって僕だって、連日ほとんど徹夜状態で、そんでもって意識がもうろうとする中で頑張っているんだ(などと同情を求めてみたりする)。
11月29日(月曜日) 第3便「その2」作業終了第3便「その2」の作業終了。果てしなく長かった道程もあと少しでゴールだ。約束した出稿予定日は既にいっぱいいっぱいで、編集部には迷惑をかけているが、なんとかなりそう(かな?)。
11月30日(火曜日) 本記原稿すべて送信第3便「その3」の作業も終了。編集部に原稿送信。予想以上に時間がかかってしまったが、地道な作業もこれでおしまい。あとは序文やあとがきなど、ちょろちょろした細かい雑文を放り込めばいいだけである。精神的圧迫感からようやく解放される。しばし放心状態。ほっと一息と言いたいところだけど、たまっていた雑用を片付けたり明日の授業準備をしたりで、時間はあっという間に過ぎていくのだった。睡眠不足はまだまだ続く。
ちなみに、今年9月以降は原稿依頼のお話などをいくつもお断りした。緊急性の高い取材やどうしても断り切れないものは、何とか時間をやり繰りしてお受けしたが、相当ギリギリのラインの綱渡りだったな。僕自身も取材したいテーマがほかにもいくつかあったのだが、それも先延ばしにしている状態で、ストレスはかなりたまっていると思う。しかし、そうした判断は正しかった。自分のペースや処理能力の限界以上の仕事を引き受けていたら、確実にすべて破綻してしまい、大勢の人に迷惑をかける結果になっていただろう。限界ラインはきちんとわきまえていたわけだ。