身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2005年12月1日〜12月31日

●想像力の欠如●天の声?●不誠実な人々●教師の力量●被害者を叩く人たち●初めての時間配分ミス●もはや道草の自由はない●絶品バターサンド●社会の惨状●「鋼の錬金術師」●授業評価アンケート●座談会まとめ●真冬の寒さ●生徒への強制●理想と現実●忘年会●ゴム印●「セカンド」5カ月ぶり更新●風邪の頭で考えた●雑誌は禁帯出に●「釣りバカ日誌・15」●おごる平家は久しからず●自己陶酔●●●ほか


12月1日(木曜日) 想像力の欠如

 マンションやホテルの耐震設計データ偽造問題は、内部告発者の証言によって、安全や信頼性よりも利潤を優先させる企業姿勢が少しずつ明らかになってきた。とんでもないデタラメや隠ぺいを平然とやってのけ、公然と大ウソをついて平気でいられる関係者の感覚と神経は、常人にはなかなか理解し難いものがあるが、まあそれも含めて事件の構図は多くの人の予想通りだったとも言える。

 最大の問題は「想像力の欠如」だ。こういうことをやったらどういう事態になるだろう、どんな結果が待ち受けているだろう、顧客である住民はもちろん社会にどのような影響をおよぼすだろうか…などといったことを、普通は思い巡らすものではないのか。まともな人間はそこで怖くなって躊躇して思いとどまる。そんなことは百も承知で平然と実行し、「大変な事態が発生したらその時はその時だ」と高を括っていたのだとしたら、これはもう意図的な殺人と同じだろう。不正がばれないと思っていたのか、あるいはばれても何とかなると思っていたのか。だとしたら世間をなめ切っている。百人いれば1人くらいは「ささやかな良心」をまともに発揮する人がいる。そこまで考えることができなかったのは、やはり想像力が決定的に欠如していたとしか言いようがない。

 あっという間に今年も残り1カ月。カレンダーのページも1枚だけになってしまった。このところ時間の進み方が早いんじゃないかと感じるのは、歳を取ったからなのか。ちょっと寂しいぞ。やらなくてはならない雑用は山のようにあるんだけど、そもそも本当にやるべきことは何もやっていない気がする。この1年いったい僕は何をしたんだと振り返ってみると、大したことをほとんどしていないんだよなあ。あまりにも怠惰でいい加減な日常。愕然とする。


12月2日(金曜日) 天の声?

 原稿の締め切りが先に延びることになった。そうなると怠け者の僕のことだから、執筆を先延ばしするのは目に見えている。中だるみして緊張感が薄れてしまうのは確実だなあ。電話を切って20分ほどすると、別の出版社の編集者から電話がかかってきた。急ぎの原稿を書いてほしいという。ちょうどスケジュールに空白ができた期間でお願いしたいという注文だった。うーん、絶妙のタイミングだな。面倒だけど日程的には空いているのでお引き受けしたが、もしもこの2つの電話の順序が逆だったら、締め切りが重なる後者の原稿依頼は断っていただろう。ダラダラした生活に喝を入れるためには、面倒だなんてことを言わないで、もっと積極的に仕事をこなせという天の声かも(汗)。


12月3日(土曜日) 不誠実な人々

 午後から都内。総合病院の精神科医師を取材。お忙しいところ無理を言って時間を取っていただいたのだが、オフレコ話を含めて2時間近く興味深い話を聞かせてもらう。まだまだうかがいたいことはたくさんあったのだが、僕の方の都合があったのでとりあえずストップ。「自殺するのは几帳面で真面目で責任感がある人。そういう人が追い詰められて自殺しようとする。いい加減な人は自殺なんて考えもしない」という説明が印象に残った。「自殺するのは高等動物としてのあかし」であるという。例えば、耐震設計データ偽造問題で、ウソやデタラメを平然と繰り返している連中は、自殺などするわけがないということだ。彼らが不誠実で責任感のカケラもないのは、これまでの言葉と表情から一目瞭然だもんなあ。

 日比谷野外音楽堂へ。教育基本法と憲法の改悪に反対する市民集会をのぞく。寒波の影響でかなりの冷え込み。そのせいか、参加者はこれまでより少ない感じがする。それでも教職員組合の組合員ら2000人以上が集まった。会場の出入り口には公安警察と思われるマスクで顔を隠した集団が約80人。いかにも怪しげな格好で露骨にたむろしているのが、異様な雰囲気を醸し出している。参加者への威嚇効果を狙っているのだろう。集会内容は、関係者の団結と意思確認をするといういつものパターン。それはそれで必要なことなのかもしれないけれども、広く世論に訴えかけて共感を得ようという内容ではなかった。


12月4日(日曜日) 片付け

 仕事部屋をほんの少しだけど片付けた。ただでさえ狭い部屋に資料や書類がたまって、文字通り「足の踏み場がない」状態だったからだ。このまま放置しておくのは限界だった。取材資料のいくつかは分類して紙袋に詰めてリビングに移動。いらない郵便物や資料はどんどん破棄。おかげで足の踏み場くらいはどうにか確保できて、余裕のある床空間が5分の1ほど広がった(当社比)。たったそれだけでもかなりすっきりした感じになり、圧迫感が減るものだなと感心する。押し入れは満杯なので、新しい資料を収納するだけのスペースは今のところない。捨てるわけにもいかず、最近の資料は床に積み重ねておくしかないのだ。増える一方の資料を前に、どうしたものかと頭を抱えるばかりである。宝くじでも当たれば広い部屋に引っ越せるのになあ。


12月5日(月曜日) 教師の力量

 夕方から埼玉県内。小学校の新人先生を対象にした月1回の授業研究会に参加させてもらう。教師のちょっとした声掛けで、子どもたちのやる気を引き出した事例報告が面白かった。例えば、マラソン大会で子どもたちのモチベーションをどう高めるか。建て前の言葉をいくら言ってもダメ。「遊び心」のある言葉がきっかけで、子どもたちのプレッシャーは解き放たれ、頑張ろうという気持ちやクラスの一体感が生まれた。「授業に遊び心を入れる」のが大事だという。なるほど。このことは、最後に報告された国語の教材分析と授業とも関連していた。民話を扱った文芸作品を教材にして、情景描写から登場人物の思いを読み取る授業では、考えるきっかけとなるような優れた質問を繰り出すことで、子どもたちの思考と想像は歴史や哲学にまでふくらんだ。

 教師が結論や感想を言うのではなくて、子どもたちが自分の意見を持って表現するところまで到達するのが興味深い。「優れた教材の力が優れた授業をつくっていく。教材をよく読んで授業をすることで、子どもたちが育ち、教師の力量も高まっていく」というベテラン教師の解説に共感した。教育実習生がまとめたこの授業の指導案も、書かされて書いたものではなく、伝えたい思いが詰まっていることがよく分かる内容だった。この研究会は勉強になる。いつも心地よい刺激を受けて、しかも楽しい。

 終了後、ベテランM先生と女子大生2人と一緒に居酒屋へ。教員採用試験の合格を祝うとの名目で乾杯(笑)。話は教育論から大きく広がって「日本人のアイデンティティーがおかしくなっている」ところに到達。弱者を励まし支えて優しく大きく包み込むといった日本社会の「美意識」が、最近はすっかり消えてしまったことを憂える。「日の丸・君が代」なんかよりもずっと大切にすべき「日本人の美徳」だろう。国家を持ち上げる前にまず国民を大事にしてほしい。想像力が欠如している。社会全体が病んでいて「総崩れ状態になっている」とのM先生の分析に同感だ。午前2時前帰宅。


12月6日(火曜日) 被害者を叩く人たち

 耐震設計データが偽造された欠陥マンションの住民を、インターネットの掲示板で非難したり揶揄したりする人たちがいる。「確認しないで安いマンションを買ったのが悪い」「たかが数千万円で所有者ヅラして偉そうにするな」などと書き込むのだ。イラクの日本人人質事件の時のように、ここでもまた「自己責任」を持ち出すのか。あきれ返って絶句するしかない発想だ。そういえば石原慎太郎都知事も、そこまで露骨な言い方はではなかったが、「かわいそうだけど住民にも買った責任はある」とテレビで語っていた。

 安全と快適を信じて高額なマンションを買ったのに、震度5強の地震で崩壊するとされた欠陥住宅を売り付けられた住民は、どこからどう見ても被害者だろう。しかもこの問題は、構造計算した設計士と設計会社、建設会社、建築販売会社、コンサルタント会社がすべてグルになっている可能性が大きい。そればかりか、デタラメな検査機関に設計検査を任せて放置した行政の責任は免れない。非難されるべきは、人の命をおもちゃにして利潤追及しか頭にない建築業界の犯罪者と無責任な行政当局であって、住民たちでは断じてないはずだ。被害住民は同情されて支援の対象になりこそすれ、非難されたり揶揄されたりするいわれはどこにもない。

 社会的に厳しく追及すべき相手を非難せず、弱い立場の被害者に批判の矛先を向けるとは、いったいどういった精神構造をしているのだろうか。「正義漢ぶれ」などと言う気はさらさらないが、あまりにもお門違いの主張は理解に苦しむ。行政や大企業にもの申す人間は、徹底的に排除しないと気が済まないのだろうか。「申し訳なさそうな顔をして平身低頭するならば、助けてやらんでもないよ」といった「支配する側」に立った姿が垣間見える。そもそもこれは災害ではなく明らかな人災だ。欠陥マンションの住民だけでなく、日本に住むすべての人に関係する重大な問題でもある。にもかかわらず弱者を平然と叩く一方で、責任ある立場の人間を擁護する。想像力の欠如と歪んだ心の闇に慄然とするばかりだ。


12月7日(水曜日) 初めての時間配分ミス

 午後から授業。学生に配るレジュメを全面的に作り直したり、今週が提出期限の期末試験問題を作成したりしていると、徹夜になってしまったのでメチャメチャ眠い。きょうのテーマは「週刊誌とワイドショー」。「金髪先生事件」を題材に、一方的で意図的で悪意のあるニュースを垂れ流すメディアの問題を取り上げる。かなりスピードを上げて話を進めたせいか、予定よりも15分ほど早く話が終わってしまう。あれれ…。いつもは授業終了時間ギリギリになっても、まだまだ話し足りないくらいなのに。明らかに時間配分ミスだ。もっとていねいに説明すべきところを端折ったのが原因だな。でも流れからいって今さら後戻りはできないし。睡眠不足なのも影響したか。焦る頭をフル回転させて、次の時間とその次に話そうと思っていた内容の一部を、さっきまでの話に強引につなげて、なんとか格好をつけた。うーん、こんなはずではなかったのに。失敗したな。しかしまあ、次の授業の予告編になったからいいか。


12月8日(木曜日) もはや道草の自由はない

 子どもを狙った凶悪事件が続いている事態を受けて、学校や地域ではさまざまな自衛策が始まっているという。子どもに防犯ベルを持たせるのはもちろん、居場所や行動エリアを知らせるシステムを開発したり、スクールバスを導入したり、登下校の際に地域の大人たちの目で常に子どもたちを見守る態勢をつくったり…という具合だ。今はもう小中学生が、一人で登下校するような時代ではないということか。学校帰りに道草や寄り道をするとか、買い食いをするとか、ちょっとした冒険をするのが小学生のころは楽しかったんだけどなあ。しかしそんな自由で大らかな環境は、もはや子どもたちにはないということなのだろう。すべての行動を大人にしっかり把握される。頭のおかしな犯罪者から子どもを守るためには、仕方のない自衛策なのかもしれないけど、なんだかすごく寂しいね。


12月9日(金曜日) 絶品バターサンド

 駅前のスーパーで「諸国うまいもの市」をやっている。お目当ては北海道・六花亭の「マルセイバターサンド」だ。これがメチャうまいんだなあ。レーズンやバタークリームをクッキーで挟んだお菓子で、さくっとした感触の柔らかいクッキーが、レーズンやバターと渾然一体となって口の中でとろける。なんとも絶妙のバランスで贅沢な味わい。原材料にはラム酒、リキュール、ブランデーも入っている。うーん絶品だ。くどくなくて、べたっとした甘さが残らないのもいい。新聞折り込みのチラシで見た瞬間、これは美味しそうだと思った通りの期待を裏切らない品だった。


12月10日(土曜日) 社会の惨状

 京都の学習塾で講師が小学6年生を刺殺する事件が起きた。通学路も学校も自宅の中も安全ではなく、さらに塾でも命の危険にさらされるとなったら、子どもにとって安心できる場所はどこにもないということか。日本の社会はいよいよ殺伐としてきた。一方で大人の世界を見ると、マンションやホテルを設計建築する人たちの仕事ぶりはデタラメだし、役人や政治家の言動もメチャクチャで、社会的モラルや責任感もプライドもへったくれもないといった空気がまん延している。ばれるようなウソを平気でつくとか、詭弁を弄して堂々と開き直るとか、一般的に恥ずかしいと思われるような行為を恥ずかしいと感じないとか、それでいて自意識過剰ですぐにキレるとか。目を覆うばかりの惨状だ。やっぱりこれって「想像力」を働かすことができず、「思いとどまること」のできない人が増殖しているのが原因なのだろう。もはや「性善説」に従って、善意や良心に期待するのは無理なのだろうか。


12月12日(月曜日) 「鋼の錬金術師」

 午後から東京・新宿。漫画家の石坂啓さん、同じく漫画家で「鋼の錬金術師」の原作者の荒川弘さん、作曲家の大島ミチルさんの3人による座談会。原稿のまとめ役を依頼されたので同席する。漫画やテレビアニメや映画化で大ブレーク中の「鋼の錬金術師」(ハガレン)のストーリーを軸に、戦争と時代状況と表現活動などについて大いに語り合うという新年企画だった。石坂さんは息子の影響でハガレンにハマったそうで、大島さんはハガレンの音楽を担当。3人とも今回が初めての顔合わせだという。「自分が楽しいと思えるものを描くのが基本」と言いつつも、エンターテイメントだから受け手にきちっと楽しんでもらう作品を送り出すところが3人ともさすがだ。「いい漫画やいい脚本はテンポがよくて台詞にリズムがある」との言葉は至言だと思った。


12月13日(火曜日) ダウン

 風邪を引いたみたいで一日ダウン。やばいな、やることいっぱいあるのに…。スケジュールが崩壊する…(汗)。


12月14日(水曜日) 授業評価アンケート

 午後から授業。きょうのテーマは「言論と報道の自由」。取材活動を制約するさまざまな動きとして、テレビ朝日ダイオキシン報道についての最高裁判決、盗聴法、住民基本台帳ネットワーク、個人情報保護法、犯罪被害者の匿名発表、などの問題点と背景について説明する。「情報隠しと情報操作によってどんな影響が生じるか」「メディアは本来の責任を果たしているか」「メディアと市民の信頼関係が断絶していることの問題」の3点を指摘。なかなか食い付きはよかった。中でも「匿名発表」については、白黒はっきりと峻別するのは難しい問題であることを認識した上で、「メディアと市民の信頼関係が大事だと思う」という感想を書く学生が多かったのが印象的だった。時間内にかなり内容を詰め込んでしまったけど、伝えたかったことはしっかり伝わったみたいで安心した。

 「学生による授業評価アンケート」なるものを、僕の授業でも初めて実施する。このために授業時間が圧迫されたが、学部のすべての授業で実施する決まりだから仕方ない。「授業改善に役立てる」のが目的だそうだ。いつも授業の最後に出席確認を兼ねて書かせている「感想・質問レポート」を見れば、どのくらい授業を理解できているとか、どこが説明不足だったといったことは、だいたい分かるんだけどなあ。「授業評価アンケート」の記入事項は、教員自身は見ることができないことになっている(いい加減な回収をしている場合もあるらしいけど)。シビアな評価をする学生もいるんだろうな。説得力のある指摘は反省材料にしなければと思うが、遅刻してきて居眠りしている学生に評価されたくないよな、という気持ちは正直あったりする(苦笑)。


12月15〜16日(木〜金曜日) 座談会まとめ

 月曜日にやった「鋼の錬金術師」の座談会まとめ作業。取材ノートを見ながら、録音テープとデジタル音声データの二つを何回も巻き戻して聴き直す。会話の常だけど主語や前後の脈絡はデタラメなので、そのまま文章にするわけにはいかない。発言趣旨を尊重しつつ、文脈を斟酌しながら分かりやすく文章化するのが大変なのだ。さらに記事全体の行数も決まっているので、どの部分を使ってどのくらい短くまとめるかといった構成力も求められる。あんまり頭は使わないけど、ああ、面倒くさい。とにかく集中して作業に没頭する。16日の正午を目処に仕上げることになっていたが、短縮作業に手間取って同日午後3時過ぎに何とか出稿完了。ああ、疲れた。新聞記者出身だからとりあえず何でもこなせるし、こういうのは得意だけど、ぐったりだ。


12月17日(土曜日) 真冬の寒さ

 今週に入って一気に冷え込んできたが、きょうの横浜はもう真冬の寒さだ。空気が痛い。冷蔵庫の中にいるみたいに凍える。もちろん家の中はエアコン全開で、昼間は暖房運転フル稼働のおかげでぽかぽかなんだけど、深夜になると室温がぐぐっと下がってくる。強烈な寒気が日本列島を覆っているのが原因だという。日本海側は記録的な大雪だとか。首都圏は雪が降らないだけまだマシかも。エアコンの働きがイマイチなのでフィルターを掃除。掃除機でしっかりホコリを吸い取ったら、暖房効果が大幅にアップした。もっとこまめに掃除せんとあかんね。


12月19日(月曜日) 生徒への強制

 朝から新宿の都庁記者クラブ。東京都高等学校教職員組合の記者会見。卒業式や入学式での「日の丸・君が代」に関して、教育長が「生徒の多くが起立しない事態が起こった場合には、生徒を適正に指導する旨の通達を出す」と12月8日の都議会一般質問で答弁した問題を取り上げ、「生徒への強制を一層強めるものだ」と厳しく批判した。東京都教育委員会はどこまで暴走を続けるのか、いろんな意味で非常に興味深い観察対象だ。出版社に顔を出してから、霞が関の弁護士会館へ。教員裁判の報告集会をのぞく。


12月20日(火曜日) 想定内

 午後から埼玉・浦和へ。県庁の部署をいくつか回って取材。立ち寄る先々でお茶やコーヒーを次々に出してくれて、すごくサービスがいい。肝心の取材成果は…まあ予想通りというか想定内だったなあ。必要な取材はこれでほぼ終了したので、あとは原稿にまとめるだけだ。帰り道に郵便局で年賀はがきをようやく買った。年内投函は果たせるだろうか。ちょっと難しそうだと思う(汗)。


12月21日(水曜日) 理想と現実

 午後から授業。「組織内ジャーナリスト」と「組織外ジャーナリスト」のメリットとデメリットについて話す。まあどちらの立場であっても、何のために記者になって何のために取材活動を続けているのかを自覚し、記者としての志を高く持って仕事をすることが大事だ。ただし経済的な保障の点でどちらが恵まれているかは、火を見るよりも明らかだけど。意外にも学生たちは、「経済的に厳しくても自分のやりたいことが自由にできる立場の方がいい」という声が多かった。理想と熱意にあふれた若い世代だからこその意見だと思うが、なんだかとてもうれしかった。そういう熱い思いをずっと持ち続けることができる人間と、自分にいろんな言い訳をして妥協する人間と、大別すると世の中には2種類の人間がいる。どちらを選択するかは「生き方」の問題だ。現実をそれなりに見極めつつ、自分に嘘をつかず初志を貫くのが理想だと思うが、脆弱(ぜいじゃく)な理念の持ち主にはなかなか難しいことなのだろう。


12月22日(木曜日) 忘年会

 東京・新宿で出版社の忘年会。郷土料理の店でアンコウ鍋などに舌鼓を打つ。基本的には魚を中心にしたメニュー構成だった。おいしいだけでなくて、お腹いっぱいになる。2次会はパブ。来春には教育問題のルポの単行本を出すことが確定。さらにその後は1〜2年かけて司法問題の仕事をするという方向で、編集者たちがどんどん話を進めていた。おいおい。単行本はともかく、怠け者の僕にそんなにこなせるのか。時間の過ぎるのがやけに早くて、いつの間にか日付けが変わっていた。元住吉からタクシー。午前3時帰宅。


12月23日(金曜日) ゴム印

 名刺に追加の肩書きを2行ほど入れようと思って、駅ビルのハンコ屋さんでゴム印を頼んだ。話のネタにもなるし信用度もアップするので、必要に応じて大学講師の肩書きをスタンプするのもいいかなと思ったのだ。取材先などでいただく名刺に、本業のほかに大学などの「講師」の肩書きをプリントしている人が結構いるのも、そうした判断には影響している。ただしすべての名刺を刷り直すのは気恥ずかしいので、必要に応じて肩書きを追加できるようにゴム印にした。で、発注から出来上がりまで1週間かかると言われていたのに、なんと翌日には「できました」との電話連絡がきた。料金も半額近くにしてくれた。ハンコ屋さんの社長が大学にかかわりのある人だそうで、それで便宜を図ってくれたようだった。思わぬところで役得だったなあ。どこでどんなふうに人間関係がつながっているか分からないものだ。感謝です。早めに受け取れて助かった。


12月24日(土曜日) 「セカンド」5カ月ぶり更新

 長らくほったらかしにしていた「セカンドインパクト」を更新。「全然更新してないじゃないか」と怒られました。そうですね、まるで反論できません。ついつい忙しくて5カ月以上も放置していたことになります。前代未聞の更新放置の新記録(当社比)です。そんなわけで、「ルポルタージュ」のページに記事を追加しました。「『つくる会』歴史教科書を使ってみたら…」。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社の歴史教科書を使って、実際に授業をしている愛媛県の状況などを通して、教科書と「教師の力量」について考えてみたルポです。


12月26日(月曜日) 風邪の頭で考えた

 空腹状態で極寒の戸外を歩いたからだろうな、年末の忙しい時期にまた風邪を引いちゃったよ。咽と鼻にきた。咳はそれほどでもないが、花粉症のような鼻水の症状が辛い。ますます年賀状の年内投函の「野望」は遠ざかった。まあ、いずれにしても年賀状を作ろうという意欲が全然湧いてこないから、風邪を引かなくても事態は変わらないんだけど。

 それにしても街中や電車内で、咳やくしゃみをする時に口を押さえない馬鹿オヤジは、どうにかならないものかと思う。ウイルスをまき散らしているという自覚がないんだよな。社会常識がなさすぎる。エレベーターで降りる人を押し退けて乗り込んで来るのも、団塊の世代らしきオヤジ連中だったりする。このほかレストランなどで、「ぺちゃぺちゃ」「くちゃくちゃ」と音を立てて食べるオヤジも多い。周囲の客が食欲をなくすだろう。どれもこれもとんでもない迷惑行為だと思うが、最近そういうオヤジが目に付く。子どもの時に家庭でどんな育てられ方をしてきたんだろうと、思わずまじまじと顔を見てしまう。オバハン以上に悪質かも。こういう非常識な親に育てられて、非常識な子どもが拡大再生産されていくわけで、いよいよ日本も終わりだなあと愕然とする今日このごろだ。


12月27日(火曜日) 雑誌は禁帯出に

 午後から図書館で調べものなど。横浜市の中央図書館は、利用者に自由にコピーさせてくれるのでとても使いやすいが、雑誌類を館外に貸し出すのはいかがなものかと思う。きょうも見たかった雑誌の何号かは出払っていた。一般書籍を貸し出すのは普通だろうが、ジャーナルなものは館内で常時閲覧に供されなければならないと思う。閲覧者が圧倒的に多いからだ。雑誌や新聞や年鑑などは館内での閲覧のみにして、禁帯出扱いにするべきではないだろうか。


12月28日(水曜日) 「釣りバカ日誌・15」

 テレビで映画「釣りバカ日誌・15」を見た。ハマちゃんの勤める鈴木建設に、経営コンサルタント会社が人事政策改革を働きかける話を軸にして物語が展開されていく。コンサルタント会社を「他社を食い物にする寄生虫」として、徹底して批判的に描く姿勢が痛快だった。コンサルタント会社が「古い経営体質の打破」を掲げ、大規模リストラや人事評価システム導入を提案するのは、相手の会社やそこの社員のためなどではない。合理化で浮かせた資金をごっそり収奪するためだ。そんな「搾取の手法」は、耐震強度偽装事件で悪名を馳せたどこかの経営コンサルタントの姿勢そのままだよなあ。管理強化が進んで大らかさが失われた組織では、自由な発想のできる雰囲気はなくなって、社員の士気は低下するだけだろう。そもそもコンサルタント会社なんかに任せたりしないで、自社の経営くらい自分のところで責任を持ってやれよ。なんてことを考えながら見た。たわいもない娯楽映画を楽しもうと思って、軽いノリで見始めたんだけど、なかなか興味深い内容だった。


12月29日(木曜日) おごる平家は久しからず

 都立高校の現役校長Qさんと久しぶりに会って、話を聞かせてもらった。ますますおかしくなっている東京都の教育行政に対して、批判や不満が爆発すること3時間以上。「校長の責任と権限」などと言いつつ、憲法や法律を無視した無理難題を一方的に押し付けてくる東京都教育委員会の暴走ぶりは止まらない。その象徴が学校現場への「日の丸・君が代」の強制だ。しかし、教育内容にまで土足で踏み込んでくる石原都知事─米長教育委員─都教委幹部の「ファシズムライン」のやり方に、反発や怒りの感情を抱いている校長は決して少なくない。報復が怖いから表立って反対の態度を示さないだけで、都教委幹部の中にも対立・分裂の徴候は出ているという。抑圧と弾圧と強権の体制はいつか必ず崩壊する。それがいつかは分からないが、だけど兆しは確かにあるようだ。他県の教育委員会幹部も「東京都は突出してますから」とあきれ顔で語るほどだから、強権政治の破綻の日も遠くはないのかもしれない。ジャーナリズムの役割は、事実を基に広く考えてもらう材料を伝えることだ。それが記者の責任である。引き続き関心を持って取材したいと思う。


12月30日(金曜日) 自己陶酔

 東京・吉祥寺で忘年会。大学の研究者や弁護士らいつも集まるメンバー5人とゲストの区議会議員さん1人が参加。会場の鶏料理の専門店はすごくおしゃれな雰囲気で、メインの鍋も焼き鳥もなかなかの味だ。お店を選ぶG先生のセンスは毎回ハズレがない。飲みながら、「依頼人の利益にならない自己満足の弁論をする弁護士」が多すぎるのではないかという議論で盛り上がる。刑事事件だけでなく民事事件でもそうだけど、裁判官を説得しようと弁論を展開するのではなく、自分の意見だけをとうとうと述べる弁護士が多いよなあと前から思っていたのだが、弁護士と研究者の2人から賛同の声を得られて心強かった。

 自分の世界に入ってしまって主張に一切の妥協はなく、あれもこれも詰め込んでだらだらと長いから焦点が不鮮明で、さらに論理も飛躍して無理があるし、分かりにくいから説得力に欠ける。そして何よりも、裁判官に向かって語りかけ説得しようという姿勢が見えない…。そんな調子では勝てる裁判も勝てないだろう。むしろ裁判官にけんかを売るような人もいる。もちろんどんな弁論をしても心に響かない論外の裁判官も多いとは思うけど、味方にすべき裁判官や、味方になる可能性のある裁判官を敵に回してしまっては、期待する判決はどう考えても得られない。判決を書くのは裁判官なのだから。一生懸命で真摯な弁御活動をやっていることは分かるが、自己陶酔の弁論では相手(裁判官)を説得はできないし、共感も得られないんじゃないか。コミュニケーション能力の問題なんだろうなと思う。今回も楽しい飲み会だった。午前零時帰宅。


12月31日(土曜日) じたばた

 買い物や掃除や片付けなどは終わった。だがしか〜し。年賀状にまるで手を付けていない。今さらじたばたしても、どうにもならないよな。などと開き直っている大晦日であった(汗)。


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