●熱い思い●がんじがらめ●50巻まで読破●「スウィングガールズ」ライブ●ピントがずれてるNHK●不適格編集者の条件●梅雨入り●「ジオ広告」について●採点●議論●図書館●「電波系」●自衛隊駐屯地●鯨の立田揚げ●美味しんぼ●授業は舞台●仕事と問題意識●「セカンド」3カ月ぶり更新●一方的な指導ではダメ●「セカンド」に記事追加●教科書集会●暑いからアイス!●悪徳リフォーム業者●記者のフリーハンド●●●ほか
6月1日(水曜日) 熱い思い全国唯一の学校新聞を扱う専門誌「新聞と教育」の復刊第3号が届いた。盛り沢山の内容なのでまだざっと読んだだけだが、生徒自治とジャーナリズムを信頼する編集長の熱い思いが、どの記事からもストレートに伝わってくる。読みながら「記者の原点」に立ち返らせてもらえて、少なくとも僕にとってはものすごく刺激的な一冊だ。ちなみに僕もこの号にはコラムを書いている。近いうちに「セカンドインパクト」にアップするつもりだ。
夕方から大学へ。学部講師懇談会。これまでの会場は横浜駅前の高級ホテルだったのだが、今年は大学構内の会議室で開催された。いわゆる経費削減の一環ということらしい。まあ、もともと構内でやればいいわけなんだけど、会議後の立食パーティーは、ホテルと大会議室とでは気分的に落差を感じるのは事実だ。同じケチるのならほかにもっと節約したり、無駄な出費を抑えたりすべきところがあるとも思うが。教育設備や図書館などは節約なんかせずに、むしろもっとお金をかけて充実させた方がいい。
6月2日(木曜日) がんじがらめ午後から東京・霞が関の東京地裁。国歌斉唱時の起立などの義務不存在確認を求めている「日の丸・君が代」予防訴訟の証人尋問を傍聴取材。この日の証人は都教委の前指導企画課長。「日の丸・君が代」を義務付けた都教委通達(実施指針)について、式典内容や運営まで細かく指示し、生徒への国歌斉唱を「粘り強く継続して指導する」ことを教員に求めるなど、都教委の「日の丸・君が代」への異常な執着ぶりが証言から改めて明らかになった。その一方で証人は、教員に職務命令を出したのはあくまでも各校長の権限に基づく自主的な判断であると強調し、国旗国歌にかかわる部分を除けばそれぞれの学校に裁量があるなどと主張したが、裁判長からも「どこに独自性や創意工夫の余地があるのか分からない」と疑問の声が出された。教育行政の介入によって、各学校の教育内容ががんじがらめになっている実態は、裁判長にも伝わったのではないか。
弁護士会館で開かれた報告集会に顔を出す。横浜に戻ってメガネレンズの調整。特注レンズなので取り寄せまで時間がかかった。加工作業を待っている間にレポートの採点。全然終わらない。
6月3日(金曜日) 50巻まで読破漫画&ネットカフェ。満田拓也の「MAJOR(メジャー)」を一気に38巻から50巻まで読んだ。現在のところ53巻まで発売されているので、あと3巻で追い付くことになる。しかしやっぱり一番話が盛り上がって面白いのは、1巻から13巻までの小学生編(リトルリーグ編)だなあ。もちろんそれ以降も飽きさせずに読ませるのだが、かなり突拍子もない展開や似たようなエピソードが繰り返されたりするので、最初のころに比べると感動はやや低下気味だったりもする。しかしそれでもついつい読み進めてしまうのは、吾郎と幼馴染みの清水薫のやり取りが微笑ましいからだ。隠し味として十二分の効果を果たしていると思う。ちなみに純真な主人公が目標に向かって、全力でぶつかるパターンは結構好きだ。そういう意味では「ヒカルの碁」と通じるところがあるかもしれない。
6月4日(土曜日) 顧問奔走午後から神奈川県内の某県立高校へ。取材に協力してくれた先生の一人はたまたま吹奏楽部の顧問。映画「スウィングガールズ」は部員たちの間でも話題になったそうで、「ジャズをやるべ」と言い出した部員がいたという。やっぱりいたか。ちなみに映画に影響されて、吹奏楽部に入りたいと言ってくる生徒は残念ながら皆無。それにしても楽器の運搬や練習場所の確保など、吹奏楽部はいろいろと大変らしい。部員数が少なくても困るが、大所帯になるとそれはそれで悩みは尽きない。相当なスペースがないと、まとまって音を出すこともできないもんなあ。安くてご飯が美味しくて広い練習場所があるところ。顧問の先生は夏の合宿所探しに奔走していた。
6月6日(月曜日) 「スウィングガールズ」ライブ映画「スウィングガールズ」のコンサートDVDがあるというので買って観てみた。「スウィングガールズ・ファースト&ラストコンサート」。昨年末に2日間にわたって開かれたライブコンサートの模様のほか、自己紹介やバックステージの映像などをディスク2枚に収録。劇中と同じく出演者が楽しそうに演奏するシーンと音楽は、映画を観た後の「余興」としてそこそこ楽しめた。2600円程度(ヨド◯シカメラの税込み価格)だったら、まあいいかなというのが率直な感想だ。しかし全編がスウィングガールズたちの演奏だと思っていたらそうではなくて、本編ディスクの前半にプロの演奏が延々と入っていたのは余計だった。そんなものは別のDVDなりCDを買えばいい話で、映画で熱演したガールズたちの演奏を期待していたのだから。でもそうは言っても、レパートリー曲目(演奏できる持ちネタ)が限られていて、ガールズたちの演奏だけでコンサートをするのは無理なので、プロの演奏を交えるのは仕方ないのかもしれない(本編前半は観ないですっ飛ばしたけど)。
6月7日(火曜日) 立川2回目午後から東京・立川へ。停職処分を受けた市立中学校の先生の正門前「自主登校」を取材(2回目)。下校する生徒たちが先生の周りに次々と何人も寄って来る。もちろん中には黙って通り過ぎる生徒もいるけど。生徒たちの声をいくつか拾っていく。大人が思っている以上に考えているし、自分の意見をしっかり持っていて驚かされる。「石原都政批判」を堂々と展開する女子生徒がいたりして、なかなか刺激的で楽しい。それにしても立川は遠いなあ。
6月8日(水曜日) ピントがずれてるNHKサッカーW杯アジア最終予選で日本は北朝鮮を2対0で下し、ドイツ大会出場を決めた。この試合を伝えるNHKニュースの映像には大いに笑わせてもらった。会場のバンコクの国立競技場にはスポンサー企業の看板がいくつも並んでいるのだが、その中の「朝日新聞」の看板が画面から外れるようなカメラワークにNHKは徹していたのだ。ゴールの瞬間をはじめ、試合後のジーコ監督や川淵協会長のインタビューなど、とにかくどの場面でも「朝日新聞」のロゴが映り込まないアングルになるように、必死なのが見て取れたのはすごく滑稽だった。他局のニュース映像と比較して、あまりにも不自然だったので偶然とは考えにくい。例えばゴールの向こうに「朝日新聞」の看板が見えるのが、たぶん最もカッコいいカメラアングルだろうに、わざわざ逆の位置からの映像を流しているのを見ていると、意図的なものを感じざるを得なかった。
この日の試合を地上波で生中継したテレビ朝日は、朝日系列だから「朝日新聞」のロゴを画面にたくさん映し出すのはまあ当然かもしれない。しかし、テレビ朝日の生中継や報道ステーションだけでなく、ほかの民放局のニュース番組でも、普通に「朝日新聞」のロゴをバックにしたゴールシーンやインタビューが放送されていただけに、NHKの映像の不自然さは際立っていた。ちなみに「東芝」のロゴはずっと映し出されていた。そう言えば前にもこういうことがあったよなあ。ラグビーの試合をめぐって、NHKが審判の胸の「朝日新聞」ロゴなどに文句を付け、放送時間を変更しようとしたり画面に映り込まないようにしたり必死になったんだっけ。
両者の衝突は、「番組内容に政治の介入を許すのは当たり前」としてきたNHKのジャーナリズムとしての姿勢を、朝日新聞が紙面で批判したことに端を発しているわけだが、だからといって競技場の看板を画面から排除するだなんて、大人気ないと言うかみっともないよ。NHKは力の入れ方がおかしい。ピントがかなりずれているんじゃないか。で、いまだにこんな調子のNHKは、夏の全国高校野球(朝日新聞主催)の放送はどうするつもりなんだろう。
6月9日(木曜日) 不適格編集者の条件困った編集者。あるいは不適格編集者の条件。1)ニュースの価値判断ができない。2)自分の価値観やイデオロギーを押し付けてくる。3)筆者の取材意欲や執筆意欲をなくさせる。4)思い込みで判断して勝手に文章を改悪する。5)人の話を聞かない。…もちろんこのほかにも、自分のミスや誤りを絶対に認めないとか、頭が悪すぎるなど、いろいろあるだろうけど、上の5つは編集者として最悪だよな。どの項目も相互にリンクしているわけだが、いずれにしても「書き手の意欲を減退させる」ということでは共通していると思う。あ、これはあくまでも一般論ですから。だけど、もしも思い当たる節があるという方がいらっしゃる場合は、参考にしていただけると世界平和に役立つのではないかと存じます(笑)。
6月10日(金曜日) 梅雨入り関東甲信地方が梅雨入り。しとしとと雨が降り続くこの季節は風情というか趣があって、必ずしも嫌いではないのだが、傘を持ち歩かなければならないのが面倒臭いんだよなあ。授業のレジュメ作成や資料準備など。
「ジオ広告」について ここの「サードインパクト」のサイトは、ヤフー・ジオシティーズという無料ホームページサービスを利用して作成しているのだが、6月あたりから各ページの右上に縦長のバナー広告が表示されるようになった。本来の記事に覆いかぶさるような形で表示されるので、目障りで鬱陶しいことこの上ない。「広告表示は利用規約にある」と言われても、規約に合意した後になって一方的に都合のいいような規約変更をするのだから、フェアとは言えない。利用者の中にも不満や不信感を抱いている人はたぶん大勢いるだろうと思われる。何ら問題意識を持たず、ただ「規則だから守るべきだ」「規約に合意して利用しているはずだ」などともっともらしい理解を示して、言われるがままに従うのでは単なる奴隷と変わらないだろう。
とまあ、以上が「ジオ広告」についての僕の基本的立場と見解なのですが、読者の皆さんも、邪魔な上に美観を損ねるこうした広告に不快感をお持ちの方は多いのではないかと思われます。しかしそうは言っても「サードインパクト」は無料サービスを利用したサイトなので、とりあえずご容赦下さいますように伏してお願い申し上げます。バナー広告の右上にある「×」マークをクリックすると表示が消えますので、当サイトにアクセスした瞬間に速攻で広告を消去してやって下さい(笑)。なお「セカンドインパクト」には、こうした不愉快なバナー広告は一切表示されませんので、今後とも引き続き安心してご愛顧下さいませ。
6月11日(土曜日) 採点まだ採点が残っていた「現代社会の課題」のレポートを採点して成績評価をする。思わずコピーしたくなるような優れた内容のものから、どうにも評価のしようもない(人の話を全く聴いてないのかよと言いたくなる)ような低いレベルものまで、実力の差がびっくりするほど大きい。後者はピントも論点もずれているし、文章表現力にも問題があって、しかも独り善がりだったりする。だったらせめて授業にまじめに参加してくれればと思うのだが、残念ながらこういう学生は人の話を聴く姿勢もないようだ。困ったものだ。
6月12日(日曜日) 議論そんなわけで、成績評価(集計作業)にものすごく時間がかかってしまった。そのほか片付けなければならない雑用もあって、結局ほぼ徹夜みたいな状態で、朝から東京・高田馬場へ。某都立高校の保護者や卒業生・教員らの私的懇談会にお誘いを受けて、顔を出させてもらう。この学校は保護者も生徒も、それぞれが学校運営や行事などに自主的・積極的に取り組み、みんなが活発な議論に参加するのが伝統になっている。きょうの集まりはその「有志版」みたいなものだ。教育委員会や管理職の暴走によって、自由で大らかな都立高校の校風が壊されていく状況などについて議論が続くと、あっという間に2時間以上が経ってしまう。意見交換は民主主義の原点であることを痛感する。学校にも社会的なことにも無関心な親や生徒が増えて、こうした話し合いができる学校は少数派になっているだけに、とても興味深い集まりだと思った。
6月13日(月曜日) 平和研究午後から大学で授業。今週と来週は総合講座の「平和研究」。僕が担当するテーマは「報道」で、きょうは「戦争とマスコミ」と題して、ジャーナリズムの役割と国家・国益・愛国心・ナショナリズムとの関係について話をした。「権力の監視」がジャーナリズムの最大の使命であり、そこのところを怠ると戦前の「大本営発表」と同じことが繰り返され、それは「みんなを同じ方向に向けさせる社会」につながる…。そんな内容だ。「そもそも国益ってなんだ?」という部分の説明は、ちょっと分かりにくかったかもしれない。言葉足らずで板書もうまくできなかった気がする。失敗だなあ。だけど授業の感想を読むと、「平和研究の講義でなぜマスコミについて学ぶのか最初は不思議だったが、マスコミが戦争で果たす役割についてよく分かった」といった意見があって、うれしかった。
6月14日(火曜日) 図書館図書館で調べもの。このところ雑誌コーナーに、「購入を中止しました」という注意書きが増えている気がする。雑誌ごとに整理収納された棚が並ぶ一画があるのだが、誌名表示が外されて空っぽの棚が目立つのは寂しい限りだ。専門雑誌や専門書といったマイナーな出版物は、公共図書館がフォローしなければどうにもならない。こういう部分での予算削減は、自治体の知的文化水準と問題意識が確実に問われる。ケチればケチった分だけ、利用者の情報収集環境の悪化につながるのだから。
6月15日(水曜日) 「電波系」電車の中で「電波」をまき散らしている中年男性がいた。車内でケータイをかけまくっていたのではない。いわゆる「電波系」と呼ばれる種類の「頭のおかしな」人だ。意味不明で支離滅裂なことを大声で、何回も何回も延々としつこく周囲に話しかけ続けるのだった。小声でぶつぶつと一人でつぶやくのなら、さほど迷惑でないし気にもならない。そういうのはこれまでもたまに見かけることがある。しかし大声で、しかも身ぶり手ぶりを使って、周囲に能動的に迫ってくるのは初めて遭遇した。動物はたいてい個人領域(テリトリー)を侵されると、大変な不快感と苦痛を感じるものだが、きょうの「電波系」はまさにそれだった。「繰り返し」というのは拷問に近い不愉快さで、近くにいるだけでこっちの頭がおかしくなりそうになる。「頭のおかしな」人が事件を起こすと、責任問題や人権について議論になることがあるが、そのうち「電波」を飛ばす人のこうした言動にキレた人が事件を起こして、不幸な事態に発展する可能性だってあるんじゃないかと心配になった。
6月17日(金曜日) 自衛隊駐屯地午後から東京・立川へ。停職処分を受けた先生の正門前「自主登校」を取材(3回目)。学校取材が終わった夕方、せっかく立川まで来たので、近くにある自衛隊駐屯地や「ビラ配り逮捕事件」(東京地裁八王子支部で無罪判決、検察側が控訴)で有名になった自衛隊官舎を見て回る。「何かの資料に使えるかも」と軽い気持ちで、自衛隊駐屯地の正門を公道から写真撮影。すると制服姿の自衛官2人がすっ飛んで来て、「正門の写真撮影は困ります」と言う。「駐屯地の外の公道からでもダメなんですか?」と僕。「自衛隊の基地はすべて困ります。何の撮影ですか」と隊員氏。「近くまで来たので取材しておこうと思いまして」とそのままの説明をする。「取材の場合は広報担当に一声かけていただきたい」。威圧的な態度でも横柄な口調でもないし、今のところ自衛隊と喧嘩する理由もないので、「そうですか、じゃあ以後気を付けますね」と穏やかに対応したら、撮影画像には触れずすんなり解放してくれた。
ところがそれから約3分後。駐屯地を離れて住宅街を歩いていると、さっきとは別の自衛隊員2人が音もなく現れて、声をかけてきたのだった(忍者かよ=笑)。「写真撮影されていましたよね」と隊員氏。鬱陶しいなあと思いつつ、「先ほど別の方から基地の撮影について説明を受けましたよ。必要なら広報を通すんですよね。今後は気を付けるということで了解されていましたが」と返答する。「なんだよ横の連絡もついてないのかよ」と呆れるとともに、あっちこっちで監視しているんだなあと無気味さを覚えた。さらに隊員氏は「どういう取材なのか」とか「どこかに発表するのか」などと聞いてきたが、「近くに来たので寄ってみただけなんですけどね」と答えるしかない。だって本当なんだもん。ていうか、そもそもそんな質問は余計なお世話なのだが、まあことを荒立てる必要はないので、ありのままを説明してあげた。
しかしやけにピリピリしている割には、なぜか撮影したブツに言及してこないのが不思議なところだ。推察するに、たぶんこうやって規制をかけ続けることで、基地に近付く者に対して心理的プレッシャーを与えるのが目的なのだろう。米軍基地にカメラを向けると面倒なのは知っていたが、自衛隊もそうだとは意外だった。ちょっとドキドキしたぞ。もっともこれが米軍基地だったら、画像データを消去しろなんてことを言ってきたと思う。
夜、都内の弁護士事務所。裁判支援の会議に顔を出す。きょうも延々と3時間以上も議論が続いた。半分くらいは不毛な議論のような気がするのだけど、しかしそういう作業も民主主義の手続きとして必要なのかもしれない。終了後、数人で近くのラーメン屋へ。生ビールに餃子、チヂミ、海老チャーハン。午前1時半帰宅。
6月18日(土曜日) 鯨の立田揚げ夕方から東京・水道橋へ。雑誌編集者に紹介されて、新聞記者仲間と飲む。新聞社の経営安定と記者の志について、インターネットサイトと新聞社経営について、やるべき取材活動をしないで評論家然と振る舞っている自称記者(元記者)についてなどなど、興味深くて勉強になる話題でいっぱいだった。共感できる感性や問題意識をベースにして、いろいろ意見交換できるのは楽しい。鯨の立田揚げはうまかったなあ。肉汁としょっぱい味が絶妙にマッチ。衣もさくっとしていて肉も柔らかい。たぶんこれまで食べた鯨の中で、これが一番の味付けだと思う。
6月19日(日曜日) 美味しんぼ都内の編集者宅に泊めてもらって、夕方から駅前の焼き鳥屋へ。煙がもうもうと立ち込めて、地元客であふれ返っている店の雰囲気がいい。もちろんメニューは豊富で安くてうまい。中でもモツ煮込みの味はまろやかで絶品だった。2軒目に連れて行ってもらったのはワインバー。新宿のゴールデン街にあるような風情のこじんまりした店。冷やしトマトがやけにうまかった。口の中で広がるしょっぱさが尋常でなく感動的なのだ。お店のお姉さんに聞くと、フランスの塩を使っているとのことだった。やっぱりなあ。なんか昨晩から安くて美味しいものをたくさん味わっている。
終電に飛び乗ったのはいいけど、途中駅までしか行かないみたいなので、横浜の漫画喫茶へ。テレビのある席を確保。どうしても見逃したくない深夜番組を無事に見て、コミックス「メジャー」の51巻から最新刊54巻(発売されたばかり)までを読み終える。
6月20日(月曜日) 授業は舞台午後から授業。3時間ほど仮眠したはずなんだけど、マンションの同じ階の部屋でやっているリフォーム工事の音がうるさくて、何回も起こされたのですごく眠い。安眠妨害だよまったく。授業は総合講座の「平和研究」でテーマは「報道」。先週の続きだ。きょうは「情報操作とジャーナリズム」と題し、記者クラブ制度の功罪や問題点を通して、情報管理統制の怖さと記者の果たすべき役割について考えてもらった。権力にとって都合のいい情報を垂れ流さないように、大量に発表される情報をきちんと検証して、権力が正しく行使されているかどうかを監視する、そのためにジャーナリズムはどうあるべきなのか、そして市民が情報を見極める力を持つことの意味は…。そんなことを駆け足で説明した。
今回はそれなりにまとまった授業ができた気がした。ストンと心に響くような手ごたえも感じたのだが、そうしたら学生の授業感想に「とてもいい授業だと思った」と書かれているではないか。おおやったじゃん。素直にうれしい。授業って舞台なんだなあとしみじみ思う。その時々の体調や精神状態、教室の空気、聴き手の態度によって毎回出来不出来があるし、同じような内容の話をしても、空回りする時があればピタッとハマることもある。まさにその一回一回が勝負のライブ活動なのだ。そんなわけで、きょうの舞台はまあいい出来だった。たまには自画自賛してもいいだろう。
6月21日(火曜日) 仕事と問題意識きょうも午後から授業。総合講座の「仕事」シリーズ。週替わりの講師がリレー形式で、仕事のあり方や労働の意味などを働く側の立場から、さまざまな視点で語る授業だ。大学卒業後の進路を決める際の参考にしてもらうのが目的だそうで、最近はこういう講座を設けている大学が増えているらしい。僕は例によって、ジャーナリズムや記者の社会的役割と意味を説明しながら、会社組織と個人の関係についても言及。ロボットのような労働者(社畜)になるのではなく、「何のためにこの仕事をしているのか」と自問しながら働く問題意識が大切なんじゃないか、といった問いかけをした。記者の仕事についても組織と個人の関係についても、僕が伝えたかったことはかなりきちんと伝わったみたいで、学生たちの反応はよかった。4時限目の受講生は200人ほどいて最初はざわついていたが、勝手にどんどん話を進めていくうちに静かになったし、居眠りする学生もあまり目立たなかった。具体的で生々しいエピソードを語ったから受けたのかも。5時限目は20人ほどの少人数だったので、最初から静かで私語はほとんどなし。
それにしても2時限分(3時間)もぶっ通しで、ぺらぺらと話し続けるのは疲れる。熱く語ったこともあってぐったりだ。しかしまあ、話を聴いてくれた学生たちが社会人になって、会社や上司から納得できない不正な命令を受けた時に、良心に恥じることのない選択を1人でも2人でもしてくれたら…と期待している。そういう生き方ができる人間が増えれば、たぶんこの社会はもっと住みやすくなると信じるしかないんだよなあ。
6月22日(水曜日) 雑用たまりにたまっていた雑用処理に専念。資料の整理と検索、取材経費の計算。メールの返事や手紙などを書いて…。ようやく梅雨らしくなって、外は久々の雨模様なのでちょうどいいのだが、そんなこんなをやっているうちに日も暮れる。買ったばかりのDVDを見たり文庫本も読もうと思っていた「野望」は、残念ながらまたしてもしばしお預けとなるのだった。つんどく(積ん読)状態になっているものが、どんどん増えていくので嫌になる。
6月23日(木曜日) 「セカンド」3カ月ぶり更新「セカンドインパクト」を3カ月ぶりに更新。うわっ、かなりサボっちゃったなあ。反省反省。いや猛省です。そんなわけで頭をカキカキしながら、「ルポルタージュ」と「エッセイ」のページにそれぞれ記事を1本ずつ掲載しました。
ルポは「シリーズ/石原『日の丸』教育」の第10弾で、「それでも生徒は発言する/厳戒態勢の学校現場から」。「日の丸・君が代」の強制が進む都立高校からの現場報告です。
エッセイは「新聞と教育」(新聞教育研究所)から依頼されて執筆した文章で、「高校新聞はジャーナリズムだ、新聞部員はジャーナリストだ」。元新聞部員の先輩記者から、いまペンを握っている高校生へのささやかなエールです。「伝えたいことや伝えるべきことを、事実を積み重ねて問題提起する」というのは、新聞部員やプロの記者でなくても、「自立した市民」として大切な姿勢ではないか…。そんな思いを込めて書きました。
6月25日(土曜日) 一方的な指導ではダメ夕方から都内。某都立高校の保護者、卒業生、教員の有志グループの集まりに参加させてもらう。さまざまな議論があった中で、生徒と教師との関係についていい勉強になった。「最近の高校生は従順で主体性や問題意識に欠ける」と指摘されることが多いが、高校生の意欲や意識が劣化しているとばかりは言えないんじゃないかと僕も思う。教師は生徒を「一方的に指導」するのではなく、生徒の自主性や自由を最大限に認めつつ、必要に応じて適切にフォローする姿勢が大事なのだ。その中から自然と主体性や問題意識が養われていく。それこそが教師や学校の本来の役割だろう。むしろそうした教師と生徒の信頼関係や伝統や循環が破壊されることによって、従順で主体性や問題意識に欠ける生徒が増えていくのだ。そんなことを再確認させられた集会だった。一昨日の「身辺雑記」でも触れたが、「セカンドインパクト」の「エッセイ」のページにアップした「高校新聞はジャーナリズムだ、新聞部員はジャーナリストだ」という文章に書いたことと通じるところがある議論だった。終了後は参加者数人と、生ビールを飲みながら意見交換や雑談。
6月26日(日曜日) 「セカンド」に記事追加「セカンドインパクト」を更新。「論説・解説・評論」のページに記事を追加しました。「卒業式の主役はだれ?/生徒は意思を示した」という文章で、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の機関紙「ジャーナリスト」に書いたものです。「ルポルタージュ」のページにアップした「シリーズ/石原『日の丸』教育」の第10弾「それでも生徒は発言する/厳戒態勢の学校現場から」について、コンパクトに解説したといった感じの記事です。
6月27日(月曜日) 教科書集会夕方から横浜市内。「あぶない教科書NO!かながわ県民集会」に講師の一人として参加。「教科書ネット」とは別の平和・護憲運動系の市民グループの連合体が主催。教科書採択にあわせて4月に実行委員会を立ち上げたという。まず最初に、関西大学講師の上杉聡さんが「あぶない教科書はいらない」と題して講演。自己中心的な皇国史観で一貫した「つくる会」(扶桑社)の教科書の記述とその背景について、OHPを使った上杉さんの説明はとても分かりやすかった。続いて僕が、「つくる会」の教科書を使っている愛媛のルポや学校現場の状況について報告。「教師の側も力量を高めることが大事だが、最近は管理と監視が強化されて自由な授業ができなくなっている」といった実態を紹介する。僕はオマケなので頼まれた時間は15分ほど。本当なら90分くらいかけて話すべき内容を、15分でまとめるのは至難の技だ。
それにしても、かつて取材でお世話になった方やご無沙汰していた旧知の方が何人もいたこともあって、なかなか楽しい雰囲気の集会だった。僕自身も勉強になったし。終了後、実行委員会の方々と近くの居酒屋で打ち上げ懇親会。午前零時前に帰宅。
そういえば後で聞いたところによると、報告の中で「教え方が上手で生徒の信頼は厚く問題意識もある教師ならば、どんな教科書が採択されても逆手に取って授業できるはずだ」と指摘したのに対して、「そんなのできるわけないだろ」という声があったという。たぶん一部の現場教師だろうけど、そんな後ろ向きで志の低い姿勢で学校に出て来られたら生徒が迷惑しちゃうよなあ。そんなんじゃどんな教科書を使ったとしても、つまらなくてしょうもない授業しかできないと思う。「つくる会」の教科書に反対する、などという以前の問題だよなあと心配になった。まあそんな無気力で怠惰な教師は少数であってほしいと願うわけだけど、「関心・意欲・態度」といった評価項目は、子どもだけに向けられたものではない。そのへんは教師自身もしっかり自己採点してほしいものだ。
6月28日(火曜日) 暑いからアイス!暑くてたまらん。エアコン全開だ。それに加えて、このところ毎日のようにアイスを食べている。お気に入りは明治エッセルのスーパーカップ。あっさりした甘さと分量の多さがいい(値段も100円と安い)。アイスの王道であるバニラ味も美味しいのだけど、最近になって駅前スーパーで発見した抹茶味が、これまたなかなかイケルのだ。あっさり感がパワーアップ。口の中でアイスがすーっと溶けて、すっきりした甘さが抹茶の風味と一緒に広がる感じは新しい発見だったりする。同じスーパーカップのヨーグルト味もオススメだ。ついつい食べ過ぎて、一日一個という自分ルールを破ってしまいがちなんだけど。
西日本は水不足、日本海側は大雨、関東は梅雨を通り越して真夏の暑さ。梅雨はどこに行ってしまったのだろう。昨年から異常気象と天変地異が続いているなあ。季節の移り変わりがめちゃくちゃ。大丈夫なのか日本列島。
6月29日(水曜日) 悪徳リフォーム業者悪徳リフォーム詐欺グループの横行が問題になっているが、うちのマンションにもひところ、部屋のリフォームを勧める業者がしつこくやって来て、実に鬱陶しい思いをさせられた。例えばバスルームのシステム化や水道管の取り替えなどの工事をさせようと、月に3回も4回も各戸を飛び込みセールスして回るのだ。断わっても断わっても、入れ代わり立ち代わりといった感じでその手の業者が来るのは、たぶん関連グループが連係しながら地域で一斉にローラー作戦を展開しているのだろう。
ドア越しに「どちらさまですか」と聞いても、要領を得ない返答しかしないのが共通する特徴だ。名前も会社名もきちんと名乗らない。「セールスではなくて説明(点検)に伺いました」といったデタラメを平気で言う。「じゃあパンフレットを郵便受けに入れておいて」と言っても、そんなものが入っていたためしがない。連中の態度ときたらみんな実に押し付けがましく横柄だ。しかも大体ドアチャイムを鳴らすのは夜の8時とか9時といった非常識な時間が多い。もうそれだけで十分にうさん臭いし、不愉快になって契約する気になるわけがないのだけど、そういう営業的にどう考えても頭が悪いとしか思えないところまで、なぜか共通している。そんな連中の相手をまともにしている暇などないから、いちいちドアを開けたりはしない。ドア越しにせいぜい1〜2分も応対すればいい方だ。
そもそもまともな営業マンなら、ちゃんとした説明書を持っているだろうし、きちんと名乗って用件の説明もできるはず。うさん臭い業者は接客態度がどこか不自然だから、簡単にだまされるなんて考えられないはずなのだが、しかし現実には重大な被害が続出している。連中は一人暮らしのお年寄りや人を疑わない善良な人を狙って、言葉巧みにあるいは強引に入り込んでくるのだろう。しかも一度つかんだ獲物は決して離さず、繰り返し骨までしゃぶり尽くすという。全くとんでもない話だ。とにかく基本は「簡単にドアを開けない」「即断即決しない」という点に尽きる。
6月30日(木曜日) 記者のフリーハンド「記者は運動家ではない」といったことをこれまでも何回か書いたと思うが、だからこそ取材対象とはある程度の距離感を保ち、突き放した位置から、常にフリーハンドで記事を書かなければならないということを、今さらだが改めて強調しておきたい。別の言い方をすれば、記者はあくまでも観察者であり事実の報告者であって、当事者になってはいけないということだ。
もちろん書いた記事が結果として、市民運動の役に立ったり行政批判キャンペーンなどに利用されたりすることはある。しかしそれはあくまでも結果としての話であって、記者は市民運動のために取材活動をして記事を書いているのではない。もちろん同じように、行政や企業のために取材活動をしているのでもない。ジャーナリズムの公正・中立とはそういうことだ。だれにでも自由にものが言えて、どこからも独立した立場でいなければ、最初から結論が見えているような原稿しか書けないだろう。