身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2005年7月1日〜7月31日

●保護者の発言に期待●終電乗車の努力●都議選はチャンスだったのに●郵政法案が衆院で可決●「つくる会」教科書で討論会●「セカンド」に記事追加●延々会議●感動の切れ味●塩焼き●つくる会の歴史・公民教科書採択●都立中高一貫校の教科書問題●靖国神社「遊就館」見学ツアー●村山由佳「海を抱く/BAD KIDS」●立場の違い●「内心の自由」侵す研修●大田尭さんの講演に感動●震度5強●保護者組織と学校●スープカレー●都庁デモ●iPod shuffle 買ったけど●iPod shuffle 稼働●●●ほか


7月1日(金曜日) 保護者の発言に期待

 今夏の教科書採択をめぐる教科書展示会の様子を取材。横浜市の展示会場の一つである中央図書館は立地もよく、展示場所も分かりやすいところにあるが、やはり来場者はとても少ない。また、各社の教科書に対する市民の感想や意見について、横浜市では特にこれといって意見集約はしていないという。確かにさまざまな意見が寄せられたとしても、それをどのように生かすかは難しいところだろうが、よそでは感想用紙や意見箱を常備するなど、積極的に市民の意見を求めようとする自治体もある。教育委員会の姿勢によって、民意の扱いや対応にはかなりのばらつきがあるようだ。

 夕方から都内へ。某都立高校の保護者有志が企画した自主学習会の一回目に顔を出す。卒業式などでの「日の丸・君が代」の強制や教員処分をきっかけにして、保護者や生徒自身の問題としてとらえようとする動きが出ているが、「教員だけでなく親や生徒も積極的に発言すべきではないか」と有志が呼びかけて実現した。同様の会合は都立高校保護者の間に広まる様子を見せている。

 興味深かったやり取りがいくつかあった。母親の一人は、「先生方は生徒に伝える努力をしているのか」と指摘。これに対して教員は、「言葉尻を取られて非難されないように、何をどのように伝えればいいか悩んでいる」と訴えた。また、別の母親は「先生が率直に語ってくれる言葉はきちんと生徒に届いていると思う」、父親は「教師はまず事実を生徒に伝えることが大事ではないか」と発言。女子生徒の一人は「中国の反日デモについて議論が白熱して、授業を一時間以上使ってディスカッションしたことがあった。ふだんは関心がなくても、議論の場があればみんな考える。事実を知って考えることが大切だ」と述べた。

 学校や教職員を取り巻く問題について、生徒や保護者にきちんと伝えようとしてこなかったのは、まさに教員の側の怠慢だろう。そういうことの積み重ねが、現在の学校現場への管理強化や不信感につながっているという側面も見逃せない。あまりにもひどい東京都教育委員会の「暴走」をきかっけに、保護者サイドから親や生徒と教員との関係を見直そうという気運がようやく出てきたわけで、ぜひほかの都立高校や公立学校にも、こうした自由な議論ができる場が広がってほしいと思う。

 学習会終了後、教員ら数人と近くの居酒屋へ。生ビールのジョッキがあまりにも小さくて、「これってグラスじゃないの?」と不評だったが、酒のつまみはそこそこの味で一応合格点だった。


7月2日(土曜日) 終電乗車の努力

 本来乗るべき終電を逃した影響で漫画喫茶へ。コミックスに没頭する。最近こういう展開が多いなあ。途中駅止まりの電車に乗ることになっても、始発までの数時間を漫画喫茶でつぶせば、すぐに始発の時間だからいいやなどと、安易な発想をしてしまいがちだ。しかしちゃんと終電に乗る努力をしないと、現実にはその後の予定がガタガタになってしまう。深く反省している。


7月4日(月曜日) 都議選はチャンスだったのに

 きのう投開票があった都議選は、自民党が議席を減らし、民主党がほぼ倍増で第2党に躍進するという結果に終わったものの、投票率は過去2番目の低さだった。マスコミ各社や評論家は「何が争点だったのかよく分からない選挙だった」などと批評しているが、果たして本当に争点が不鮮明な選挙だったのだろうか。石原都知事と都議会との関係や浜渦副知事の辞任問題など、問われるべきポイントはいくつもあったはずだ。

 東京都教育委員会による学校現場への「日の丸・君が代」強制や教員処分といった「教育問題」も、そうした争点の一つになっていいテーマだろう。教育行政のあり方と都議会議員の憲法感覚を、広く世論に訴えかける絶好の機会だった。それなのに、「日の丸・君が代」強制に反対する人たちは何もアクションを起こさず、せっかくのチャンスを黙って見ているだけ。対抗馬を立てるのは無理にしても、せめて公開質問状を出して各議員の考え方を整理するなど、公職選挙法の範囲内で問題提起するくらいのことはできなかったのか。もったいなさ過ぎる。議会で教員の管理強化を強硬に主張する議員たちは、いずれも高い得票で当選した。


7月5日(火曜日) 郵政法案が衆院で可決

 郵政民営化の関連法案が衆院本会議で可決され、参院に送付された。自民党の議員51人が反対や欠席・棄権で造反したため、賛成233票、反対228票というわずか5票差の際どさ。久しぶりにドキドキする面白いショーだった。可決後に満面に笑みを見せる小泉首相について、田中真紀子議員の「それまでは顔面蒼白だったじゃないの」とのコメントは笑えた。テレビ画面に映し出される首相の表情は、確かに顔面蒼白だった気がする。それにしても、いったい誰のために何のために郵政民営化が必要なのか、いくら考えてもいまだにさっぱり分からないよ。国鉄民営化の時と同じように、合理化と地方切り捨てが目的だとしか思えない。やはりここは「裏設定」として、宿敵である橋本派(保守本流=自民党ハト派)を徹底的につぶす企みがあるのだろう…なんて考えてしまうんだけどな。


7月6日(水曜日) 「つくる会」教科書で討論会

 夕方から東京・有楽町の日本外国特派員協会へ。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導する扶桑社の中学校歴史教科書をめぐり、支持派と反対派の公開討論会を取材する。座席確保のために討論前の夕食を予約。バイキング形式だったのは意外だった。討論会に出席したのは、秀明大学学頭の西部邁、評論家の潮匡人、ジャーナリストの西村幸祐の3氏、子どもと教科書全国ネット21事務局長の俵義文、宮崎公立大学教授の王智新、在日本大韓民国青年会の金武貴の3氏。内外の記者ら約100人が集まった。

 「つくる会」は、「特定の教科書だけを問題視して議論するのは不公平だ」などと主張して討論会への出席を拒否。さらに主催者の特派員協会に討論会の中止を申し入れていたが、同協会は「民主主義社会では意見交換こそ必要ではないか。日本は専制国家ではないのだから。つくる会の主張は全く理にかなっていない。そもそも何の権限があって討論会中止を求めるというのか」とあきれていた。ホントだよなあ。出席しないのは自由だけど、ジャーナリズムが呼びかけて提供した「議論の場」をつぶそうとするとは、まさに彼らが非難している専制国家そのものの発想ではないか。お里が知れるとはこのことだろう。中国や韓国だけでなく、「つくる会」は欧米系のメディアも敵に回したということになるのだろうか。

 討論会では双方の歴史認識の違いが鮮明になったものの、議論は全くかみ合わなかった。テーマは「日本の侵略戦争に関する教科書の記述」に絞られ、西部氏は「侵略は謝罪しなければならないが、問題は全面的侵略だったかどうかである」、西村氏は「慰安所に売春婦が集められたのは、現地の婦女子の安全を守るためだ」などと主張。これに対し、王氏は「歴史をどう記述して次世代にどのように教えるのかが大事だ」、俵氏は「侵略戦争賛美の教科書を支持する人物が文部科学大臣になるなど異常な状態になっている」と訴えた。双方の認識がただ一つ一致したのは、「日本では歴史を学ぶ上で教科書の影響はほとんどない。生徒はテレビや家族との会話から知識を得る」という点だけだった。


7月7日(木曜日) 「セカンド」に記事追加

 「セカンドインパクト」を更新。「ルポルタージュ」のページに記事を追加しました。「日の丸・君が代」強制に揺れる学校現場の検証シリーズ「石原『日の丸』教育」の第11弾。「不起立で停職処分/正門前に毎日『登校』」です。この「身辺雑記」でも何回か触れましたが、国歌斉唱の際の不起立で停職処分を受けた中学校の先生が、正門前に毎日「自主登校」する様子を追ったルポです。このほかにも、同じページに解説記事と続報を1本ずつ掲載。計3本をアップしました。


7月8日(金曜日) 延々会議

 夕方から都内の弁護士事務所。教育裁判を応援するための市民グループ立ち上げの会議。きょうは珍しく定刻より早めに到着したというのに、そういう時に限って会議開始が遅れたりする。でもその時間に、前日の記者会見に出られなかった件について、担当弁護士のレクチャーを受けることができたので、有効な時間の使い方ができてちょうどよかった。

 会議の方は案件が山積で、立ち上げ総会や連絡拠点事務所をどうするかといったことについて延々と話し合いが続き、やっぱり3時間以上の時間が費やされた。「世論の広がりがないと裁判には勝てない。そのためには活動の拠点となる場所は必要だ」との弁護団の考え方は正しいと思うが、お金の問題も絡んでくるからいろいろ難しい。次回は「この会の活動目的をどうとらえるか」という微妙なテーマが議論されるので、たぶんさらに面倒なことになりそうな予感がする。「広く世論に呼びかけよう」と考えるのなら、とりあえず、一般の市民感覚からかけ離れた難しい言葉を使うのはやめた方がいいと思うけどなあ。それにしても眠くてたまらん。

 ロンドンで起きた同時爆破テロは、主要国首脳会議(サミット)を標的にしたというよりは、やはりイラク侵略に参加する国への報復攻撃なのだろう。そうなってくると、どうしても心配されるのが日本へのテロだ。米国の顔色をうかがってイラクに自衛隊が駐留している限り、日本が標的にされる危険性は限りなく高い。しかしたぶんそれでも、小泉首相の頭の中は郵政民営化でいっぱいで、ほかのさまざまな懸案事項を考える意思などないに違いない。あの人の頭の中には郵政民営化しかないのだろうから。さっさと参院で否決して、一刻も早く解散総選挙すべきだ。


7月9日(土曜日) 感動の切れ味

 電気シェーバーが壊れて、うんともすんともまるで動かなくなってしまった。一日くらい別にいいやと、きのうは剃らないで外出した。一日剃らないと真っ黒になる人もいるが、僕はもともと濃くないし伸びるのも遅い方だから問題なし。で、ヨド◯シカメラできのう買ったばかりのシェーバーを早速使ってみた。切れ味がすごい。ちょっと感動だ。今まで使っていたのは刃の部分も古くなっていたんだなあ。ちょうど買い替え時だったのかもしれない。ちなみに、剃刀は怖くて使えません(汗)。電気シェーバー専門です。

 夕方から横浜市内。県立高校の先生たちの自主的な研究サークルに参加する。きょうのテーマは、国歌斉唱の際に起立しなかった教員に対する北九州市教委の減給処分について、処分の取り消しを命じた福岡地裁の今年4月の判決。報告者の判決分析をもとに、「思想・良心の自由」「教育行政の教育内容への支配・介入」「校長の裁量権」「教員の指導と生徒の内心の自由」などの問題点について議論した。いろいろな考え方が整理できて勉強になる。研究会が終わってから、近くの無国籍風焼き鳥居酒屋(?)で飲み会。沖縄料理フェアだとかで、幹事の先生がその手の料理を中心に注文。飲み放題コースのドリンクの種類が豊富なのはポイントが高い。

 自宅最寄り駅に着いたら土砂降りの雨。傘が役に立たないほどの激しい降り方だ。酔ってるし眠いし、ずぶ濡れになるのは嫌だったので、もったいないけどタクシーで帰宅。軟弱者。


7月11日(月曜日) 塩焼き

 某出版社の編集者に誘われて、別の出版社の書籍編集者と雑誌編集者の4人で東京・新宿で飲む。きょうの蒸し暑さはただごとではない。どこでもいいから、とにかく早く涼しいところに入りたいと思わせる空気だ。そんな時に飲む生ビールは最高だよなあ。エビの塩焼きがすごくうまかった。香ばしく焼ける臭いが路上まで漂ってきて、店に入る前から食欲をかき立たせてくれていたのだが、期待に十分こたえてくれる逸品だった。自分の興味や関心の薄い分野を扱っているマスコミ関係者と話をするのは、新しい発見があっていろいろと勉強になる。月曜日の終電は週末に比べると空いていて、余裕で座れるのでうれしい。午前1時半帰宅。


7月12日(火曜日) 旧態依然その2

 都内の弁護士事務所で、教育裁判サポーター組織の立ち上げ準備会の会議。幅広い世論を味方につけるために、東京都教育委員会による「日の丸・君が代」強制の実態を訴えようというのが趣旨なのだが、事務局メンバーの間で基本的な現状認識や問題意識のすり合わせが全くできていない気がする。というか、そうした話し合いに入らずに、またしても時間切れで散会してしまった。基本理念や目的をきちんと議論しないまま、とりあえず設立総会をやってしまおうというのでは本末転倒だと思う。それに「支援者として裁判当事者を下から支える」といった旧態依然とした発想では、世論喚起には到底つながらない。身内とその周辺だけの狭いサークルで動くこれまでの「労働運動」のパターンを繰り返すだけだろう。いわゆる「運動家」は、「幅広い世論を味方にする」ということの意味が理解できていない人が多すぎると思う。午前零時半帰宅。

【参考記事】=「旧態依然」(5月31日付「身辺雑記」)


7月13日(水曜日) つくる会の歴史・公民教科書採択

 「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆する扶桑社の歴史・公民の中学校教科書が、栃木県の大田原市教育委員会で採択された。扶桑社の教科書は現在、全国シェアは0.1%未満で、一部の私立中学校や養護学校、愛媛県立と都立の中高一貫校では使われているが、市区町村立の中学校で採択されるのは初めて。

 扶桑社の歴史教科書については、国内外から「侵略戦争を正当化している」などと批判されている。しかし実は、歴史教科書よりもさらに問題なのが公民教科書だ。民主的で自立した「市民」や「公民」を育てるための教科のはずなのに、扶桑社の公民教科書には、憲法の理念や基本的人権をないがしろにするような記述が目立ち過ぎるからだ。日本国憲法を否定する教科書だと言ってもいい。扶桑社の歴史教科書を使っている愛媛県立と都立の中高一貫校でも、さすがに公民は扶桑社の教科書を採用しなかった。

 実際のところ僕は、本当は教科書なんてどうでもいいと思っている。どんな教科書を使おうが、教室で生徒たちに教える教師がしっかりした教育技術と理念さえ持っていれば、面白くて分かりやすい授業は展開できるはずだろう。要は教師の力量次第だ。扶桑社の歴史教科書なんか突っ込みどころが満載で、授業のネタとして十分に活用できそうではないか。むしろ「反面教師」として格好の教材になると思う。もちろん、そのためには教える教師の側に研究や工夫が求められるが、教師は教育のプロなんだからそれくらいの努力はしてもらわなければ困る。たぶん多くの教師はこれまで、そういう努力を怠ってきたのだろう。現実には分かりやすくて面白い授業をする先生は決して多くないし、むしろ教科書に書いてある通りのことをそのまま教えている教師の方が多そうだ。そういう意味では、「教科書なんてどうでいい」だと困ったことになる。

 けれども、歴史教科書と違ってこと公民教科書に関しては、「教科書なんてどうでいい」などと鷹揚なことは言っていられない。中でも扶桑社の公民教科書は極めて政治的な色彩が濃く、記述内容が憲法改正の方向に大きくシフトしているからだ。一種の「プロパガンダ」(政治的意図を持った宣伝)の様相を呈している。これはもう学術的な立場による記述の違いといったレベルを限りなく逸脱していて、初等中等教育の授業で扱うには問題があり過ぎるだろう。日本国憲法を尊重し擁護するのはすべての公務員の義務だ。私立学校の授業で使うにしてもかなり問題があると思うが、ましてや公立学校で扶桑社の公民教科書を使うなんて、まさに憲法違反そのものだと思う。現場教師の力量を超越している。


7月15日(金曜日) テキパキ

 都内某学校の教室で、教育裁判サポーター組織の立ち上げ準備会の会議。冷房設備がないから暑い暑い。時おり吹き込んでくるそよ風が一服の清涼剤だ。だけど、暑さとイスの固さのせいで会議はいつもよりテキパキ進む。数人で駅前の居酒屋に飛び込んだら、ちょうど窓を開け放って空気を入れ替えているところだった。とりあえず生ビールで乾杯。自家製のポテトサラダ(大皿に山盛り)と煮物(同じく山盛り)がすごくおいしい。午前1時半帰宅。


7月16日(土曜日) 都立中高一貫校の教科書問題

 午後から東京・浅草。「都立中高一貫校の教科書問題を考える集い」に顔を出す。「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆した扶桑社の歴史教科書が今年から都立白鴎高校附属中学校で使われ、さらにほかの都立中高一貫校でも、扶桑社の教科書が採択されることに危機感を持つ白鴎高校の同窓生有志が呼びかけて、この集会を立ち上げたという。戦場カメラマンの石川文洋さんが講演で「命の大切さ」を訴えたほか、海洋ジャーナリストの小林則子さん、児童文学者の日野多香子さん、ノンフィクション作家の野村路子さんと石川さんでトークショーを披露。「扶桑社の教科書は事実に目を向けていない」「事実を隠そうとしている」などと批判した。


7月17日(日曜日) 靖国神社「遊就館」見学ツアー

 午後から東京・九段の靖国神社へ。都立高校生や保護者、学生らと一緒に、靖国神社の軍事博物館「遊就館」の見学ツアーに参加する。遊就館に入るのは初めて。とりあえず1階ロビーの茶房で「海軍カレー」の昼食。全然辛くなくて「カレーの王子様」といった感じなんだけど、まずいというわけではない。よく言えばマイルド。僕はこういう味も嫌いではない。要するに、刺激の少ないお子さま向けの味である。

 でもって料金800円を払っていざ入場。展示内容は、「欧米列強が侵食するアジアで果敢に闘う大日本帝国」「自存自衛のため、自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いに尊い命を捧げた英霊」といったトーンで全編統一されている。戦況拡大していく日本の姿と勇猛な軍人の美談を描きながら、ひたすら戦意高揚や国威発揚を図ろうとする展示説明の数々。どこかで読んだような文章だなと思っていたら、どれもこれも「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書の記述とそっくりだったことに気がつかされた。そこには、戦地での敵味方の悲惨な状況描写や、突然押し掛けられて略奪される側の視点はどこにもない。さすが展示姿勢が見事なまでに一貫している。

 しかしだからと言って、僕はこの遊就館の見学を止めさせようなどとは思わない。多様な見方を排除して、戦争を推進する側の一方的な視点と身勝手な言い分で歴史を語ると、どういう展示内容になるのか、これほどまでにはっきり見せてくれる施設はないと思うからだ。狂信的な軍国主義・全体主義の亡霊の怖さが、現代にも生き続けている現実を痛感する。まさに「反面教師」そのものだろう。そういう意味で、きちんと問題意識を持ってこの施設を見学するというのは、またとない生きた学習になるのではないだろうか。

 靖国ツアーの見学は当初3時間ほどの予定だったのが、説明役がやけに熱心で、神社境内の散策なども含めて結局5時間も。いやもうお腹いっぱいです。さすがに体力的にクタクタ、猛暑のせいでヘロヘロ、のどはカラカラ…。というわけで、大人たちは近くの居酒屋へとなだれ込んだのだった。午前零時半帰宅。


7月18日(月曜日) 村山由佳「海を抱く/BAD KIDS」

 村山由佳「海を抱く/BAD KIDS」を読み終える。真面目で優等生で通っている高校生の恵理と同級生のサーファー光秀の二人が、ひょんなことでセックスだけの関係で結びつく。感情を一切かわさずに体だけの関係を続けるはずだったのに、それぞれ抱える悩みや苦しみが次第にお互いの生活に影響をおよぼすようになる日常を描いた長編小説。同性の女子生徒・都へのかなわぬ気持ちの裏返しとして、体の欲望だけを異性で満たそうとする恵理が痛々しい。村山由佳にしては珍しく性的表現がふんだんに出てくるが、この作品にはそうした描写は不可欠な存在だ。心と体の葛藤と融合はどこへ向かうのかを問いかける作品なのだから。一方、光秀の父親の死をめぐっては、「尊厳死」が大きなテーマとして登場してくる。生きている時も死に直面した時も、尊厳を持って存在することが人間の生き方として最も大切なことではないかというのは、この作品に限らず村山作品のすべての根底を流れるメッセージなんだと思う。


7月19日(火曜日) 立場の違い

 都内の弁護士事務所で、教育裁判サポーター組織の立ち上げ準備会の会議。今週末の設立総会を前に、滑り込みで準備を終わらせたといった感じだ。そのために、会のあり方などについて、議論不足のまま見切り発車した部分もかなりあるように思う。一方、僕は記者というポジションにもいることから、どうしても当事者や支援者とは微妙な立場の違いがあって、どこまで踏み込んで意見を言ったり運営にかかわったりしていいのか、そこはずっと煮え切らないままだった。「運動家」や「評論家」ではなく、あくまでも「報道記者」なんだという立場を自分に課している限りは、微妙な綱引きを自身でしながらかかわるしかないのだろう。記者としてやっていいことといけないことは、おのずとあるはずだから。

【おことわり】7月15日付〜7月19日付の「身辺雑記」を、都合によりまとめて更新しました。


7月21日(木曜日) 「内心の自由」侵す研修

 朝から東京・水道橋の東京都総合技術教育センターへ。今春の卒業式と入学式で国歌斉唱の際に起立やピアノ伴奏を拒否し、東京都教育委員会から懲戒処分された教員に対する「服務事故再発防止研修」の会場を取材する。研修対象とされたのは、戒告・減給・停職処分を受けた都立高校と公立学校の教員延べ63人のうち、退職者らを除く51人。減給と停職の15人は9月に、さらに個別の「専門研修」を受ける。会場前は物々しい警備体制が敷かれ、研修に抗議する教員や弁護団、市民ら約200人で一時騒然となった。

 参加者によると、研修では教育公務員の服務義務や地方公務員法の規定について、都教委の管理職が約1時間講義した。「日の丸・君が代」に全く言及しなかった昨年の研修と異なり、「内心の自由と外部的行為は違う。次の卒業式・入学式では慎重な行動をお願いしたい」などと踏み込んだ発言をしたという。

 東京地裁の3つの民事部は7月15日、研修参加命令の執行停止を求めた教員側の申し立てをいずれも却下する決定をしたが、「思想・信条に反することはできないと表明するものに対して、なおも自己の非を認めさせようとするなど内心の自由に踏み込めば、権利を不当に侵害すると判断される余地がある」(民事19部・中西茂裁判長)と警告していた。 


7月22日(金曜日) 執筆

 取材のまとめ。短信原稿と少し長めのの解説原稿を執筆。解説の方がなんだかうまくまとまらず、書いては消し書いては消しの繰り返しが続く。結局徹夜になってしまった。


7月23日(土曜日) 大田尭さんの講演に感動

 午後から東京・永田町の星陵会館へ。「東京『日の丸・君が代』強制反対裁判をすすめる会」の結成総会を取材。東京都教育委員会の「日の丸・君が代」強制に異議を唱えて、都立高校教員らを原告にいくつもの裁判が東京地裁で審理されているが、そうした裁判を市民が一緒に支えて世論を盛り上げようという会である。これまで準備会の会議に顔を出して意見を述べてきたが、きょうは取材する側の一人としての参加だ。教員や市民ら約230人が出席した。

 サポートの対象は、国歌斉唱義務不存在の確認などを求める「予防訴訟」、再雇用職員などの地位確認訴訟、不起立や伴奏拒否による処分の取り消し請求訴訟…の三つ。裁判支援や一昨年の「都教委通達」の廃止を通じて、公立学校に自由と自治を取り戻すことを目的としている。

 総会の最後では、東大名誉教授の大田尭さんが記念講演。「基本的人権とは違いを認め合うこと。そのためには自分は不完全であるということを受け入れることが必要。民主主義というのは違いと不完全性を前提に成り立っているのだ」「すべての生き物は自ら変わる力を持っている。その中でも人間は『その気になって変わる』という独特の力を持っている。自己創造する人間の営みはすべてアート・芸術なのだ」「自己創造を横から支えるのが教師。主役は子どもで、先生は演出家。アーチストとしての響き合いが教室での人間関係だ」──といった話を約45分にわたってされたのだが、これがもうとにかくすごく面白い講演だった。とても87歳とは思えないかくしゃくとした口調で、しかもまるで上質の名人落語を聴いているような感じの心地よさなのだ。もちろん、話の中身も示唆に富む内容が詰まっていて、久しぶりに感動した。もっと聴きたいなあと思わせられたのなんて、ここ最近はない体験だった。

 震度5強 ぐらっと大きく揺れたのは、総会終了後、会館1階の控室で共同記者会見が始まった直後だった。左右に引っ張られるような激しい揺れがかなり長く続く。いったん収まってからも、さらにまた気持ち悪い小さな揺さぶりがきた。震度5強らしい。会見が終わってから永田町駅に行くと、駅周辺に大勢の人がたむろしている。地下鉄が全線ストップしているという。JRは動いているだろうと何人かで四谷まで歩いてみたけど、中央線も総武線もすべて点検のために止まっていた。携帯電話もつながりにくいとのこと。「仕方がないから電車が動くまで飲みましょう」ということになって、10人ほどで近くの居酒屋へ。生ビールがうまい。きのうから徹夜なのになぜか眠くならない。2時間ほど飲み食いするうちに、ダイヤは大幅に乱れたままだが一部路線は運転再開。確かに大きな地震だったとは思うけど、こんなに影響が出るとは都心の動脈のもろさにびっくりだ。いやはや、すっかり予定が狂ってしまった。


7月24日(日曜日) 保護者組織と学校

 午後から都内。某都立高校の保護者・教員の有志グループの集まりに遅れて顔を出す。学校(校長や教員)と保護者組織の関係について議論が盛り上がる。校長(都教委)が管理権を盾に、目障りな保護者の自主的サークルを排除しようとしているという。自主的なサークルの場合だと特異に見えるかもしれないけど、公認のPTAでも同じような問題を抱えている。本来は対等な関係であるべきなのに、ほとんどのPTAが学校の下請け機関と化しているのは、今に始まったことではない。そもそも学校と保護者は対等だということを意識している親が、いったいどれほどいるのかが疑わしい。自覚と主体性を持った保護者組織が校長に疎んじられるのは、そういう意味では当然の成り行きなのだろう。


7月25日(月曜日) デスクワーク

 学生から提出された課題レポートを採点し、午前中に簡易書留で大学へ郵送。レポート提出数が少ないので採点が楽だ。とても助かる。ゲラのチェックなど。


7月26日(火曜日) 拍子抜け

 台風7号は午後8時過ぎに、房総半島の鴨川付近に上陸して大平洋沿岸を北上。首都圏を直撃すると言われていたが、暴風雨に見舞われることもなく全然大したことはなかった。用心して取材予定を外し、家から出ないようにしていたんだけどな(爆)。


7月27日(水曜日) スープカレー

 午後から横浜・関内の開港記念会館へ。神奈川県立学校の教職員107人が、卒業式や入学式の国歌斉唱の際に起立・斉唱の義務不存在の確認を求めた提訴について記者会見。同様の訴訟は、都立高校の教職員らが昨年1月に提訴して東京地裁で審理されている。神奈川では東京のように不起立者への処分は出ていないが、処分が出される前に義務不存在確認を求めたという。東京の原告団は政治的には超党派だが、神奈川はその辺がどうも微妙で複雑になっているらしい。教育関係者の中には距離を置いて冷めた反応を見せる人も少なからずいて、ちょっと背景取材がやりにくかったりする。せっかくの問題提起なのにもったいない。

 関内駅前のカレーミュージアムでかなり遅い昼食。札幌発のスープカレーを食べる。ピリッとした辛さの中にトマト系ベースによるスープが独特の甘さを醸し出し、チキンと野菜もたっぷり入っていてすごくおいしい。なかなかくせになりそうな味だ。ただし値段が千円というのはどうなんだろう。気軽に食べに来るには少し抵抗感がある。あと200円ほど安ければ文句なしなんだけどなあ。夕方まで図書館で調べもの。必要文書をコピー。


7月29日(金曜日) 都庁デモ

 午後から東京・新宿。「東京都教育委員会は『日の丸・君が代』を学校現場に強制するな」と訴える市民団体や教職員組合などのデモを取材する。大内裕和・松山大学教授、三宅晶子・千葉大学教授ら約300人が、新宿駅前から都庁本庁舎まで約2キロを行進するのに同行した。集合場所となった新宿駅前の小さな公園は、なんだか異様な感じがする空間だった。一目で公安関係者と分かる私服がうじゃうじゃと約150人も取り囲んでいて、しかもそんな中にまるで囲い込まれるような形で、労組や政治団体の旗やのぼりが林立しているし…。ここだけタイムスリップしたみたいだよ。

 それにしてもうだるような暑さだ。拭っても拭っても汗が吹き出る。空気はもわもわべたべたーっと気持ち悪くて最悪だ。それでも参加者はみんな元気いっぱいで、「生徒の内心の自由を守れ」「教職員の処分を撤回しろ」などと繰り返しシュプレヒコール。また、都教委が「新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編集された扶桑社教科書を中高一貫校などで採択したことを受け、「戦争美化の教科書採択を許さないぞ」と都庁前で声を張り上げていた。


7月30日(土曜日) iPod shuffle 買ったけど

 iPod shuffle を買っちゃったよ。お気に入りの音楽をどこにでも手軽に持ち運びできていつでも楽しめる、といううたい文句についつい反応してしまって新宿西口のヨド◯シカメラでゲット。各社からいろいろな機種が出回っているから、どれがいいのかさっぱり分からなかったのだが、重さわずか22グラムという軽さから iPod shuffle にした。512MB(約120曲を読み込み)と1GB(約240曲)の2つのモデルがあって、これもまた迷うところなんだけど、店員の「120曲もあれば十分」という助言に従って、1万円という価格の安さもあって512MBにしたのだった。

 だがしか〜し。eMac 本体の横に設置されているUSBポートに、iPod shuffle が接続できないことが判明した。USBポートに差し込めなければデータ転送も充電もできないじゃないか。「デザインの問題」(要するに本体の形状)が原因だが、そんな説明は購入時には何もなかった。Appleのサポートページにも、充電の仕方の項目で分かりにくく触れてあるだけだし、さらに別の項目でも「コンピュータの一部のUSBポートに iPod shuffle を接続できないことがあります」と書いてあるだけ。もちろん製品説明書には全く何のアナウンスもないし、使い方を説明する文章そのものも実に分かりにくい。なんて消費者に対して不親切な会社なんだ。Macユーザーにしてかなり不信感を抱いたぞ。

 そもそもこれって、もう半年以上も前から問題になっていたらしいじゃないか。かなり大勢のMacユーザーが何も知らずに購入して右往左往させられたようだ。いずれにしても、「USB延長ケーブルなどを使用して高電力型のUSBポートに接続する必要があります」だとさ。あるいはさらに高いお金を出して、オプションのアクセサリを買ってUSBポートに接続するとか。まいったね。


7月31日(日曜日) iPod shuffle 稼働

 そんなわけでUSB延長ケーブルを購入。しかしここでもすんなり解決とはいかず、eMacのUSBポートの新旧バージョンの違いが接続に影響することが判明するが、僕には何のことやらさっぱり分からないので右往左往である(汗)。古いバージョンのUSBポートだと、データ転送速度が遅かったり、充電できなかったりするというのだ。いろいろ調べたり聞いたりして、純正ではない安い延長ケーブルを買ってiPod shuffle をeMac に接続。うちのは旧バージョンのUSBポートだから、データ転送に長時間かかるのかと心配していたが、十数分ほどで約140曲のデータすべてが転送された。充電も無事完了。音楽を聞いてリラックスする前に、余計なエネルギーを使ってすっかり疲れ果てちゃったよ。音質はなかなかいい。曲がランダムにシャッフルされるのも面白い。


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