身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2005年9月1日〜9月30日

●支持されなかった「つくる会」●記者冥利●国民審査●気骨●メディア問題2つ●機種変更●「全体の奉仕者」●小泉自民圧勝●カード型の保険証●止まらない阪神猛打●まずい米●油断禁物●秋の気配●教師の「思想・良心の自由」●ドラマ「女王の教室」●都立高校の現状を考える集会●授業はハイテンション●継続は文章力なり●問題の本質は「強制」だ●乗馬ダイエット?●阪神優勝!●「阪神ファン暴徒化」って何だ?●首相の靖国参拝は違憲●●●ほか


9月1日(木曜日) 支持されなかった「つくる会」

 午後から都内。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導して編集した扶桑社の歴史・公民教科書の採択結果について、「子どもと教科書全国ネット21」など15の市民団体による共同記者会見を取材する。2006年度から使われる中学校教科書の採択はきのう8月31日で終わったが、扶桑社の歴史教科書の採択率は0.38%、公民教科書は0.18%になる見込みだという。圧倒的多数の全国581の採択地区の教育委員と教育委員会は、扶桑社の教科書を「教科書としてふさわしくない」と判断して採択しなかったことになる。

 こうした採択結果に対し、市民団体は「戦争に反対して平和を求める人々の良識と、成熟した民主主義が定着していることのあかしだ。誇りを持っていい事実だと思う」と高く評価。その上で、「全国でほんのわずかしか採択されなかった扶桑社の教科書を、あえて採択した東京都杉並区、栃木県大田原市、東京都・愛媛県・滋賀県(3都県は中高一貫校など)の5つの教育委員会の異常さが、だれの目にも明らかになった」と批判した。

 扶桑社の歴史教科書は、日本の侵略戦争を「アジアを解放する戦争だった」などと肯定・美化し、南京虐殺や従軍慰安婦についても「捏造だ」と主張して加害や被害の事実を書かないなど、国家と天皇を中心にした歴史観で貫かれている。一方、同じく公民教科書は権利よりも義務を重視し、憲法改定の必要性を強調する。そんな記述内容が内外から強い反発と批判を招いていた。市民団体は「戦争国家づくりを目指す知事や市区長らの政治的介入があった。子どもや教育が政治の道具にされている。現場教師の意見を排除して教育委員会が採択するような制度になったことが問題だ」と指摘した。


9月2日(金曜日) 記者冥利

 午後から都内。某公立中学校の校長先生を取材する。多忙なので30〜40分だけという約束だったが、話が弾んで2時間も取材に応じてくれた。こちらから「そろそろこの辺で」と言わなければ、たぶんまだまだ話は続いただろう。公式コメントだけでなく、「実は…」という率直な心情も吐露してくれて、オフレコの裏話も次々に教えてくれた。ほかのマスコミには絶対に口にしないような本音を語ってくれたのは、記者冥利に尽きるといった感じだ。そもそもかなり触れにくい微妙な問題であるにもかかわらず、きちんと取材に応じてくれたこと自体が尊敬に値するのだが、人間としても教育者としても、理念と信念をしっかり持ったリベラルな方だった。残念ながらこういう校長は珍しい。生徒のためにも教員のためにも、こういう管理職こそ学校現場で頑張ってもらいたいと心から思う。


9月3日(土曜日) 意識改革

 午後から東京・青山。教育裁判を支援する市民組織の事前打ち合わせに参加。教員を除いて市民運営委員だけで議論した。「教員がまず生徒や卒業生や保護者に語りかけるなど、教員自身の意識改革が必要ではないか。そうした努力をしないと共感は得られない」といった話をしたのだが、どこまで伝わったのだろう。そもそも教員に話すべきことなんだけど、こういう話を繰り返すのも虚しさを感じる。いい加減うんざりしてきた。精神的に疲れるんだよなあ。


9月4日(日曜日) 国民審査

 衆院選と同時に行われる最高裁判所裁判官に対する国民審査について、急ぎで頼まれた解説原稿を執筆。ついでに過去の判例や経歴をおまけでまとめた。国民審査は、裁判官の人事に国民が関与できる唯一の機会だ。「憲法の番人」「人権の砦」である最高裁裁判官の任命権は内閣が独占しているため、政治的な人事が行われる危険性が多分にある。だからこそ、国民が内閣の任命を監視する唯一の手段である国民審査は、重要な意味を持つ。裁判官の憲法感覚と人権感覚を、しっかり見極めて審査しなければならない。…とまあ要約するとそんな内容の原稿である。そんなわけで皆さん、今度の日曜日には小選挙区と比例代表はもちろん、最高裁判所裁判官の国民審査についてもしっかり吟味した上で投票しましょう。これまでに罷免されたことは一度もないんだけど、「ふさわしくない」「やめさせたい」と考える裁判官は名前の上に×を記入して下さい。


9月5日(月曜日) 朝の星座占い

 朝のテレビ各局のニュース番組では、星座別の占いを必ず流しているが、たかが占いなんかどうでもいいと思いつつも、自分の星座が上位に入っていて、しかも前向きでうれしくなるような内容だったりすると気分はいい。ついつい友達などの星座まで見て、ふんふんとチェックする余裕さえも出てくる。いやあ、人間ってなかなか現金に出来ているよなあ。まあ、たかが星座占いではあっても、だれでも朝から嫌な思いはしたくないわけで、順位の低い星座はコメントで上手にフォローしてほしいものである。いや、ホントにどうでもいい話なんだけど。


9月6日(火曜日) 気骨

 都内で取材。某自治体の教育行政元トップの話を聞く。4年前にお会いしてインタビューした時もそうだったが、相変わらず気骨があって語る内容にも筋が通っていて、今回も話を聞いていてすがすがしい気持ちになる。先週金曜日にお会いした中学校の校長先生もそうだったが、こういう取材は気分がいい。心が洗われる感じだ。雑談も含めて2時間近くの取材が終わったとろこで、「飲みに行くか」と誘われて近くの焼き鳥屋へ。ビールや焼酎を飲みながら、著名作家たちと交流があったり趣味人だったりする一面なども披露してくれたのだが、懐の深さと大らかさの原点を垣間見た気がした。


9月7日(水曜日) メディア問題2つ

 総選挙報道に絡んで、朝日新聞の長野総局の記者がありもしないでっち上げの取材メモを上に報告し、虚偽の記事が掲載された事件は、取材活動に従事している記者としてはおよそ「あり得ない」お粗末な不祥事だろうと思う。取材対象者に会ってもいないのに会ったことにして、聞いてもいない話を聞いたとしてでっち上げること自体が、もちろん「事実を伝える」記者の行動として信じられないわけだけど、しかしそれよりもむしろ、「そんなすぐにバレるようなでっち上げを何でするのかな」という疑問の方が大きい。自分の取材メモが上に上がれば、統括する政治部記者がそのメモを元に原稿にすることは、朝日新聞の記者ならだれもが容易に想像できるはずだろう。そして実際には取材してもいないようなデタラメな話が活字になれば、当然「そんな事実はない」「取材も受けていない」と即座に抗議が来るのは簡単に予想できることだろうに。入社したばかりの新人記者ではあるまいし、理解に苦しむお粗末さで、ただただ呆れて失笑するしかない。

 一方、増え続ける受信料支払い拒否に頭を抱えるNHKは、督促状送付など法的手段に訴えることを検討しているという。驚くべき勘違いぶりであり、傲慢極まりないにもほどがある。本末転倒もはなはだしい。延々と続いた職員の不祥事や、政治権力と癒着した報道姿勢に対する視聴者の批判が、約117万件の受信料拒否という形になって現れているのに、NHK幹部はこの期に及んでもまだ自分たちの立場が理解できていないようだ。なぜ受信料拒否が減らずにこれほどまで増えているのか、きちんと理解して改善しようと考えているのなら、督促状送付などといった傲慢で居丈高な手段など思いつきもしないはずだろう。

 朝日記者のでっち上げメモによる虚偽報道やNHK職員の一連の不祥事は、もちろんどちらもあってはならないことだが、個人的な資質の問題と言えないこともない。これに対して、決して少なくない視聴者から「政治権力との癒着」が指摘されているNHKの報道姿勢は、個人的なものではなく組織ぐるみによるものだ。それだけに問題は深刻である。問われているのはNHKの組織のあり方だ。多くの視聴者はNHKの姿勢に反発して受信料拒否という選択をしている。それなのに、受信料拒否者に督促状を送りつけようとするなんて…。そんな発想が出てくること自体が普通じゃない。NHKの体質と姿勢が見事なまでに象徴されている気がする。


9月8日(木曜日) 機種変更

 結構長く使っているPHSが古くなってきたので、そろそろ機種変更しようかと思って売り場を眺めていたら、PHSはサンヨーと京セラしか端末を出していないことに気付いた。そもそも世間の多くは携帯電話派で、PHS派は少数だから仕方ないのだろう。それはそうと最近のPHSにはカメラも付いているんだなあ(というかもう1年以上も前からカメラ付きが発売されているらしい)。僕の場合カメラは別に持ち歩いているデジカメを使うから、そういうオマケの機能はたぶんほとんど使わないと思うけど。基本的には通話ができればいいのだ。あとは軽くて薄くて小さくて、デザインがよくて使いやすければそれでいい。

 店員からは京セラの製品を勧められた。デザイン的には京セラもなかなかいいとは思うけど、今まで使っているサンヨーの機種が慣れていて使いやすいんだよなあ。「それなら今冬あたりに新機種が出るみたいなので、それまで待った方がいいですよ」とのアドバイス。なるほど。新しいバージョンでは、ユーザーから指摘されている欠点なども改善されているかもしれない。そんなわけで、現状で困っていることもないし、もうしばらく今の機種をそのまま使うことにした。


9月9日(金曜日) 逃避

 教科書採択のルポを書くのに必要な取材は、あと2〜3人に話を聞けばおおよそ終わりというところまでたどり着いた。この原稿を早く片付けてしまわないと、並行して進めている別の取材に専念できない。実はもう一つの取材の方が内容的には格段に厄介なのだ。今月の後半以降は大学の授業も始まるし。などと言いつつ、昼寝をしたりDVDを見たり漫画を読んだりしている僕って…。これはいわゆる現実逃避というやつなのか(汗)。


9月10日(土曜日) 「全体の奉仕者」

 午後から神奈川・藤沢へ。県立高校の先生たちの自主研究サークルの学習会に参加する。この日のテーマは「服務事故研修と教師の人権」。子どもの学習権や人権を守るための研修よりも、最近はむしろ服務上の規律に関する研修の比重が大きくなってきている、との指摘があった。例えば「日の丸・君が代」をめぐる処分もその一つで、憲法で保障されている思想・信条の自由との関係からさまざまな批判があるのに、職務命令に従わなかった大勢の教師が処分され研修を命じられている。教育委員会が主張する「全体の奉仕者」とはそもそも何なのか、もっと突っ込んで議論されるべきだろう。本来は教師の体罰や破廉恥行為に対応すべきことが、教育行政による教師の管理統制にすり替えられようとしている。

 このほか、勤務時間外の交通違反まで「信用失墜行為」として処分されるのは、私生活の自由の制限ではないかとの意見も。私生活のすべてを報告させられ管理されるのは行き過ぎだと思うが、背景には公務員を見る世間の目が厳しくなっていることがある。中でも飲酒運転は重大な「信用失墜行為」で、これについては勤務時間外であっても、厳しく処分されるのは社会通念上も仕方ないのではないか。どこまでが「信用失墜行為」なのか、際限なく広げられていくのは問題があるわけで、だれもが納得できるような基準を作る必要がある。終了後、参加者全員で近くの居酒屋へ。冷えた生ビールは最高だ。B先生お薦めのおからと、牛筋の煮込みがうまい。


9月11日(日曜日) 小泉自民圧勝

 衆院選は自民党が圧勝。自民・公明両党の与党の合計では、衆院全議席の3分の2を超す320議席以上。憲法改定も可能な議席を確保したことになる。小泉首相は「郵政民営化に賛成か反対かの選挙だ」と繰り返し、選挙結果についても「国民は私の郵政民営化を正論だと判断を下した」と述べた。だとしたら小泉首相は郵政民営化以外の問題について、これからどうするつもりなのだろうか。小泉首相の論に従うならば、これはあくまでも郵政民営化の是非を国民に問う選挙だったのであって、年金や外交や靖国参拝やイラク派兵や憲法などの問題が、今回の選挙で問われたわけではないことになる。郵政民営化を実現した時点でまた解散し、きちんと争点を示して改めて民意を問うというのなら筋は通ると思うんだけど。

 AかBか、白か黒か、単純な二者択一を畳み掛けるように迫る。これほど分かりやすい言葉はない。ヒトラーの演説を思わせる見事な訴えかけで、有権者の心を引き付けた小泉自民党の勝利だった。真実でもデタラメでもはぐらかしであっても、とにかくシンプルな言い回しを繰り返すことの重要性が改めてよく分かった。


9月12日(月曜日) カード型の保険証

 市役所から新しい健康保険証が配達証明便で届いた。これまでの三つ折り保険証ではなかった。今年9月から保険証は運転免許証サイズのカードタイプにリニューアルされ、しかも1人に1枚ずつ交付されるという。かさばらないし、家族共有でなく保険証を携帯できるなんて、これはすごく便利になったと思う。ただ、カードの材質がペラペラでかなり安っぽいので、紛失しやすいという心配はあるけど。いずれにしても画期的な改革だと思うが、しかしそもそもどうしてこれまで、保険証のコンパクト化や個人交付ができなかったのだろうか。むしろそこのところが不可解だ。


9月13日(火曜日) 止まらない阪神猛打

 阪神タイガースの猛打が止まらない。総選挙前日の土曜日には球団新記録の21得点で広島をノックアウトし、さらに翌日も緩まず打線が爆発して広島に10得点で完封。そしてきょうは巨人に16対1と大勝して3試合連続2ケタ得点である。岡田阪神が大量得点で圧勝したので、岡田民主党は大敗してバランスを取ったのか、なんて冗談を言いたくなるような展開だ。一時は中日に0・5ゲーム差まで迫られて、「虎の尻尾を踏まれる」状態にかなりひやっとさせられたが、このままいけば大丈夫そうじゃないか。次の優勝はまた十年くらい先なんだろうなと思っていたのに、まじでびっくりの快進撃だよ。ここ最近唯一うっぷんが晴れる明るいニュースだ。

 夕方から都内の弁護士事務所。都立高校教員らの教育裁判を応援する市民グループの運営委員会に顔を出す。世論を味方にして幅広く理解と共感を得るためには、「分かりやすく、シンプルに」訴えることがまず大切で、現場教員が生徒や卒業生や保護者とつながることが必要であるとの認識が、ここにきてようやく少しずつ理解されてきたようだ。これまで何回も何回も、繰り返し同じような説明をしてきた成果かもしれない。特に「分かりやすく、シンプルに」伝えることの重要性は、今回の小泉総選挙で痛感したのではないかと思う。


9月14日(水曜日) まずい米

 無洗米の福島県産「ひとめぼれ」というのを初めて買って食べたんだけど、すっげーまずかった。炊きたてのご飯って普通はほかほかでモチモチしているのに、ぱさぱさで、何と言うか全然しっとり感がないんだよなあ。無洗米ではあっても一応ちゃんと軽く研いだし、水も適量だったはずだ。もちろんお米にはたっぷりと水分を吸わせた。そもそも無洗米なるものがまずいのか、福島県産の「ひとめぼれ」がおいしくないのか、その辺はよく分からないが、たぶんもう二度とこの米を買うことはないと思う。安さにつられて失敗した。やっぱりお米は「あきたこまち」か「コシヒカリ」だな。


9月15日(木曜日) 油断禁物

 阪神タイガースに優勝マジック13が点灯して、さらに2位の中日とのゲーム差が7・5に広がってマジックが11になっても、まだまだ安心できないのがいわゆる本当の阪神ファンである。どこでどんなどんでん返しが待っているのか、大きく膨らんだ期待がいつどうやって裏切られるのかと、これまでの「実績」から常にドキドキ&ヒヤヒヤして試合を眺めているのが阪神ファンなのだ。「なんだよ、またかよ、アホやなあ」などと言いながら、それでも健気に応援を続ける自虐的なファン心理。それが楽しみの一つだったりもするのだが、そういうのがなくなったりするのは少し寂しいかもしれない(なんてことを思うのは贅沢の極みだな)。


9月16日(金曜日) 秋の気配

 きのうあたりから急に秋らしくなってきた。日中はそれでもツクツクボウシが弱々しく鳴いていたり、ミンミンゼミが最後の声を振り絞っていたりして、まだまだ夏らしさも残っているが、日が落ちると途端に、秋の虫たちがそれはもううるさいくらいの大合唱を始める。昼間の暑さは完全に消え去り、虫の音色とともに秋の気配が一気に押し寄せてくる。夕暮れを境にした夏から秋への見事な季節の切り替わりは、舞台の暗転みたいでちょっと感動的だ。涼しげなそよ風が肌寒いくらいで、さらに秋の訪れを演出してみせるのが何とも心憎い。


9月17日(土曜日) 教師の「思想・良心の自由」

 午前中から都内の弁護士事務所。「日の丸・君が代」裁判を担当する弁護団の全国連絡会議(非公開)に参加させてもらう。判決報告と検討、意見交換など。「教師自身の思想・良心の自由」と「個人としての市民的自由」はどう違うのか、法律的にどのように解釈して論じればいいかについて、かなり興味深い議論が行われた。教師としての職務と主体性の問題、市民としての信念や信条と職務との境界線はどこにあるのか、そもそも「思想・良心の自由」は職業人と個人の立場で分けられるものなのか、生徒に与える影響はどうなのか、国歌斉唱時の不起立とピアノ伴奏とでは論点が違ってくるのではないか、優先すべき価値とは何なのか…などなど。「思想・良心の自由」について自分なりに分かっていたつもりだったが、議論を聞いているうちによく分からなくなってきた。弁護団も考えがまとまらず混乱しているらしい。研究者も交えてさらに論議を深めるという。とりあえず問題点と論点だけは明らかになった。

 ドラマ「女王の教室」 このところ楽しみに見ていた「菊次郎とさき」(木曜日・テレビ朝日系)、「ドラゴン桜」(金曜日・TBS系)、「女王の教室」(土曜日・日本テレビ系)の3つのテレビドラマが終わった。いずれも劣らぬ力作で面白かった。今夜が最終回だった「女王の教室」では、教育委員会から「不適格」とされた教師が一方的に担任を外され、「再教育センター」なるところに送られる話が出てくる。いわゆる「研修センター」のことだが、これを題材に取材してまとめたのが「『不適格教員』にされた『金髪先生』の言い分」の記事だ。「女王の教室」のドラマを見た方から、「再教育センターって何だろう」とネット検索してこの記事を読んだというメールをいただいた。だれが何を基準に「不適格」と判断するのか、そもそも「いい先生」とはどんな先生なのかと、テレビを見ながら疑問に思った人も多いだろう。この記事がそういうことを考えるための参考になればうれしい。


9月18日(日曜日) 都立高校の現状を考える集会

 夕方から東京・西早稲田の早稲田奉仕園へ。東京都の教育政策によって、「自主・自立」の教育理念を掲げる都立高校の伝統が壊されようとしている、と訴える都立戸山高校の卒業生や保護者ら有志が企画した集会「もうひとつの戸山祭」を取材。6月の準備段階から何回か打ち合わせに顔を出させてもらっていたので、関係者のご苦労はそれなりに理解しているつもりだが、それだけによくぞここまで練り上げて開催に漕ぎ着けたなあと感心しきりである。

 集会は、前日から始まった同校の学園祭「戸山祭」の日程に合わせて開催。卒業生や在校生、保護者、現・元教員ら約150人が参加した。2000年と今年の卒業式委員長だった卒業生2人が、卒業式に生徒の意向が反映されるように校長と話し合った経緯などを説明し、教育委員会の言いなりになって生徒の「指導」を次第に強めていく管理職の姿を紹介した。このほか保護者や教員からは、4年間で8割もの教員が異動させられて、「戸山の教育理念の継承」が著しく困難になったこと、生徒の自治活動が制約され始めたこと、校長権限が強化され職員会議の議論が消えたこと、保護者の活動に学校側が拒否反応を示すようになったこと──など「戸山が戸山でなくなっていく様子」が報告され、会場からも在校生や元教員から現状を憂慮する発言が続出した。

 ここで報告されたり話し合われているようなことは、決して戸山高校だけの問題ではない。すべての都立高校が直面しつつある共通の問題でもある。卒業式での「日の丸・君が代」強制など、都立高校に対する教育行政の介入が注目されている中、戸山関係者のこうした動きは、各校でそれぞれ問題点を議論しながら教育行政全体について考える試みの一つとして、戸山高校以外の都立高校関係者にも大いに参考になるのではないかと思う。

 終了後、関係者の一部と近くの居酒屋へ。学生街なのに、日曜日のせいかここしか店が開いていない。お腹が空いていたので僕も含めて何人かは海鮮丼を注文したのだが、なんとご飯が酢飯じゃないんだな。普通の白飯だったのだ。まあ、そもそも居酒屋でそんなものを注文して、多くを期待する方が間違っているのだろうけど。しかしモヤシナムルのお通しもべらぼうに高いし、学生街にあるまじき居酒屋だぞ。生ビールは冷えていてうまかった(そりゃどこの店でも一緒だって)。中秋の名月。夜空に白く輝く満月が美しい。


9月19日〜20日(月〜火曜日) 原稿執筆

 ひたすら原稿執筆。電話で補足取材など。取材メモや資料が散乱して、しっちゃかめっちゃか。整理してまとめながら書いているので四苦八苦。書いているのは長めのルポ原稿なんだけど、まじで追い込まれてヤバい状態だ。相変わらず要領が悪くて情けない。編集長に言い訳。まだ終わっていません(汗)。


9月21日(水曜日) 授業はハイテンション

 きょうから大学の後期授業。「現代ジャーナリズム」の1回目の講義が始まる。まだ原稿を書き上げていないのに…。ほとんど徹夜状態だが、とにかく大急ぎで学生に配るレジュメを作成。ぎりぎりまで原稿執筆に力を注いで、午後から大学へ。教務部によると、履修者名簿はまだ確定していないそうだが、現在のところ履修希望者は200人近いという。ええーーーっ。そんなに多いのか。人数が多すぎるとやりにくいんだよなあ。ちょっとショック。昨年度の成績評価を少し甘くしたのが影響したのかな。もちろん今はまだガイダンス段階だから、最終的に増減があるだろうし、実際は授業に全員が出席するわけではないと思うんだけど。そんな心配をしながら教室に入ったら、出席学生は約半数の100人ほどだった。これくらいなら許容範囲というか、まだ適正規模だ。やや安心する。

 この後、まだ徹夜で原稿を書かなければならないので、体力と気力を消耗するわけにはいかない。十分な精神力を温存しておかなければならないのだ。だがしかーし。講義を始めてしまうと、そんなことは言ってられないのがよく分かった。「伝えたいことを伝えなければならない」という思いから、話をしていると自然にテンションがどんどん上がっていくのだった。授業が終わってみれば結構へろへろ。でもまあ、授業感想を読んだ限りでは、これから半年間の「施政方針演説」を聞いた学生たちの反応は上々のようで、つかみはオッケーという感じだからよしとしよう。気持ちだけはハイテンションのまま、帰宅して再びひたすら原稿執筆。


9月22日(木曜日) 継続は文章力なり

 やっと原稿を書き上げて編集部に送信。必要な写真もピックアップして送信する。苦戦した敗因分析は自分なりにできている。たぶんこのところサボって短信原稿しか書いてなかったので、ちゃんとした原稿を書くための「刀」が錆び付いていたのだろう。先輩記者から聞いたことがあるが、毎日原稿を書いていないと文章を書く力は落ちる。まさにその話を痛感した。ピアノのレッスンなんかも、1日でも練習しないと前のレベルに戻すのは大変だというが、きっとそれと同じなのではないかと思う。確かに「エンジン」がかかるまで時間がかかった。文章のリズムやテンションや集中力を保つには、毎日それなりの原稿を書くことが大切だ。反省材料である。

 【おことわり】多忙だったため、9月18日付から9月22日付までの「身辺雑記」をまとめてアップしました。


9月23日(金曜日) 爆睡

 久々に爆睡。ご飯を炊いて夕食もきちんと食べた。しかし、またすぐに次の取材に取りかからなければならない。もちろん短信原稿や顔つなぎのための取材は、ちょこちょこと日常的にあるわけだけど、そうじゃなくて、行数の長いちゃんとしたルポ原稿のための取材だ。エンジンがかかって、ハイテンションになっているうちに素早く始動した方がいいよなあ。来週早々にも取りかかろう。


9月24日(土曜日) 問題の本質は「強制」だ

 午後から横浜市内のカトリック系お嬢様学校へ。カトリック「正義と平和」全国集会横浜大会の分科会「学校の何が問題なの?」を取材する。教育基本法改悪や「日の丸・君が代」強制の問題などが取り上げられた。この日の議論の中でどうしても気になったこと、これまでもずっと気になっていたことが一つあるので、指摘しておきたい。

 「日の丸・君が代」を強制される精神的な苦痛について、在日の人たちがしばしば問題にするが、本来ならばこれは日本人自身の問題なのだろうと思う。日本人自身がきちんと議論してけじめをつけるべき問題だ。強制されることの精神的苦痛を在日の人たちに味わわせたまま平然としているのは、確かに日本人の側に多大な怠慢があると言わざるを得ないとも感じる。それを大前提にしてあえて言うのだけれども、それでは、在日の人たちのアイデンティティーはそもそもどこにあるのだろうか。韓国や北朝鮮やあるいは中国の国旗や国歌ならば、精神的苦痛を感じないで受け入れられるのか。そんな疑問をどうしても感じてしまうのだ。

 この日は、在日の人から「アジアの人たちにとって『日の丸・君が代』は許し難い」という発言が飛び出した。しかしこれはかなり乱暴な言い方ではないか。もちろん「許し難い」と感じる人もいるだろうが、それでは、韓国や北朝鮮や中国の国旗・国歌を「許し難い」と感じるアジアの人たちはいないのか。韓国の国旗・国歌の下で侵略戦争に加担したことはないか、北朝鮮の国旗・国歌の下で人権侵害はしていないか、中国はどうだろうか…。

 よその国もひどいことをしてるから、日本もやっていいとか、そうした恥ずべき行為を正当化してもいい、などということを主張したいのではもちろんない。僕が言いたいのは、「だからこそ、問題なのは『日の丸・君が代』そのものではなく、国旗や国歌を強制すること、そういう象徴的なものでみんなを一つの同じ方向に束ねて向けることが問題なのだ。それこそが問題の本質ではないのか」ということだ。「在日だから『日の丸・君が代』は受け入れ難い。精神的苦痛がある。過去の戦争の象徴であることを伝えようとしない日本人は許し難い」などという主張や論理だけでは、「日の丸・君が代」でなければ問題はない、ということにもなりかねない。著しく説得力に欠けると強く感じるのである。

 何回でも繰り返して指摘しておくが、問題なのは「日の丸・君が代」そのものではない。「強制されること」そのものが問題なのである。ほかの旗や歌なら強制されてもいいのか、ほかの旗や歌の下なら一糸乱れずみんなで行進してもいいのか。そういうことが平然とまかり通るなんて、それこそ全体主義国家の管理であり思想統制でありファシズムそのものだろう。


9月25日(日曜日) 反省会

 午前中はゲラのチェック。8ページ分のゲラを大急ぎで点検して返送する。ギリギリになって原稿を出して編集部にご苦労をおかけしているので、出稿後に僕ができるのは、大急ぎで筆者校正をすることくらいなのである。赤字修正は、数字の誤記や助詞の間違いなど5カ所ほど。もともと筆者校正で僕は、大幅な加筆や削除というような修正は出さないので、こんなものなのだけど。

 午後から東京・早稲田。先週の日曜日にあった都立高校の保護者や卒業生有志によるイベントの総括会議(反省会)に、遅れて顔を出させていただいた。「現役在校生にどう呼びかけていくか」「在校生と卒業生は同じようには考えられないのではないか」「卒業してから見えてくるものもある」「卒業生(大人)の言うことを在校生がそのまま受け入れたらそれはそれで困る」「在校生に知ってもらうことが大切で、在校生が何を考えているのか話し合っていきたい」など、興味深い意見が交わされる。「教師は生徒に批判されてナンボのもの」という発言も面白かった。幅広い世論に訴えかけていくにはどうすればいいのか、どのように伝えていけばいいのかということに関して、少なくともこれまでのような手あかのついた自己満足的な「市民運動」のやり方ではダメだということは、この有志メンバーの皆さんは理解されている(と思われる)。そこにこれからの新しい「市民運動」のヒントがあるように感じる。

 会議終了後、夕方から高田馬場で打ち上げ。さらにその後で二次会。「ほんのちょっとお茶でも」というノリのはずだったのが、なぜか居酒屋に。皆さん話をするのが好きというか、議論するのが大好きという人たちばかりだから、そういう展開になるのが当然と言えば当然なんだけど。午前2時すぎ帰宅。


9月26日(月曜日) 乗馬ダイエット?

 テレビショッピングに頻繁に登場する「ロデオボーイ」なる商品に、ちょっと興味を引かれている(笑)。いわゆるダイエットマシンの一種で、前後左右に揺れ動くイスに座っているだけで乗馬と同じ効果があり、減量やウエストの引き締めに多大なる効果があるという。確かにイスが動けば体勢を維持しようとして、普段使わない筋肉を使うことになるという説明は分かりやすい。しかも座ってテレビを見ているだけでいいのなら、無理なく疲れもせずに続けられそうだ。動くから本や漫画を読みながらはダメだろうけど。

 テレビでは、モニターの男女4人全員に大幅なウエスト引き締め効果があったと宣伝していたが、実際はどうなのかなあ。あと、音はうるさくないのか、部屋の床や壁に伝わる振動はどうなのか、疲れたり飽きたりしないで続けられるのか、本当にテレビを視聴できる状態でイスに座っていられるのか…といったところが確認してみたい点だ。だれかダイエットや健康器具が好きな人、購入して使ってみた感想などを報告してくれませんか(笑)。


9月27日(火曜日) 食欲の秋?

 晩ご飯のおかずを作り過ぎた。食べ過ぎで苦しい。特売のナスが異様にでかくて、通常サイズの2〜3倍はあるという代物だったのだが、ザクザクと切り過ぎてしまった。そういえばピーマンも大きかった。でかけりゃいいってものでもないわけで。やっぱり何事も普通なのが一番だ。反省。


9月28日(水曜日) せっかち

 午後から授業。遅刻しそうだったので、駅から大学までタクシーを使ってしまった。余計な出費だ。大急ぎで印刷したレジュメを携えて教室に入ると、おいおい先週よりも出席者がかなり多いじゃないか。前回よりも少なめに用意したレジュメはギリギリ数が足りてほっと安心したが、教室の人口密度が高いとマイクの音声は伝わりにくいし、学生の集中力も散漫になるし、レポートを書かせた後のフォローも大変だし…という感じで、人数が多くていいことってあまりないんだよね。せめてこれ以上は増えないでほしい。

 ところで今週の講義は、先週に続いて「導入部」「基礎編」みたいな内容なので、「記者の仕事の流れ」や「記者クラブ」や「客観報道」などについて、大まかな説明と簡単な問題提起をしただけなんだけど、「先生自身はどう考えているのか意見を話してほしい」と感想を書いた学生がいた。せっかちだなあ。まず基本的な事実関係を知っておかないと話が見えてこないし、先週と今週の話が、これから後の講義内容につながってくるように組み立ててあるんだって。そんなに焦らなくても、来週から嫌というほど僕自身の見解を述べるから、楽しみに待っていなさい(笑)。


9月29日(木曜日) 阪神優勝!

 阪神タイガースが2年ぶり5回目の優勝! やったねっ、おめでとう〜! しかも何といっても巨人を叩きのめして、甲子園球場で優勝を決めたというのが、阪神ファンにとって最高にうれしいじゃないですか。甲子園に行くわけにはいかないから、テレビでゆっくり観戦させてもらったが、よくやった!感動した!(小泉風味)。ただ、実況放送の中継局が日本テレビ(よみうりテレビ)で、優勝を決めた岡田監督へのインタビューの音声が、ブチブチと途切れて放送されたのは興ざめというか実に不愉快極まりなかったぞ。読売グループの総力を挙げてのささやかな嫌がらせだったのだろうか。最後はやっぱりドキドキハラハラさせられたけど、この調子で日本シリーズも快進撃して、日本一になってほしいものです。


9月30日(金曜日) 「阪神ファン暴徒化」って何だ?

 「阪神ファンが暴徒化」って何だよ。優勝後のお祭り騒ぎの一部に行き過ぎがあったのは事実だろうけど、TBSの夕方のニュースの伝え方は、ほかの各局とは際立って執拗だった。深夜の大阪の繁華街で暴徒がタクシーを襲った事件を、長時間にわたって取り上げたのだが、しかも何回もしつこいほど「阪神ファンが」「阪神ファンが」と連呼するかなり異常な伝え方をしていた。あんなのは阪神ファンでも何でもない。だれがどう見たって、お祭り騒ぎに便乗して暴れただけのただのチンピラだろう。他局やTBSの夜のニュースでは、道頓堀川に飛び込む馬鹿を「優勝に水を差しますね」と冷静にさらっとたしなめつつ、優勝にわく大阪や東京のファンの姿を微笑ましい視線で紹介していただけに、TBSの夕方のニュース番組制作班の異様さは際立った。

 最近のTBSの夕方のニュースは、ワイドショー的なくだらない話題を延々と流すなど、明らかに「ジャーナリズム」「報道番組」とは程遠い内容ばかりだから、さもありなんという感じではあるのだが。深夜のドキュメンタリー枠にしてもTBSは最悪だ。毒にも薬にもならないようなお粗末な内容ばかりで、まるで中学生が取材したような幼稚な番組は、とてもドキュメンタリーとは言えない。フジテレビの深夜ドキュメンタリーの方が、よっぽど良心的な力作ぞろいでジャーナリスティックだったりする。「報道のTBS」は死滅寸前であると自信を持って指摘しておきたい。

 首相の靖国参拝は違憲 小泉首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとする台湾人遺族らが、国と小泉首相らに損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、大阪高裁は損害賠償請求は棄却したが、「首相の靖国参拝は憲法の禁じる宗教的活動だ」と認める判決を言い渡した。「公用車で首相秘書官を伴い、公約の実行としてなされた」「私的立場を明言せず公的立場での参拝を否定していない」ことなどから首相の職務でなされたと認定。「内外の批判にもかかわらず参拝を継続」「国が靖国神社を特別支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として違憲だと判断した。実に論理的・常識的で、憲法の番人としての司法の役割(違憲立法審査権)をしっかり果たした妥当な判決だと思う。これに対して、またしても小泉首相は詭弁を連発。「一国民としての参拝で、総理大臣の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか理解に苦しむ」のだそうだ。だったら一人で歩いて靖国神社に出向けばいいだろうし、肩書き付きの署名なんかしなければいいじゃないか。そもそもそんなに参拝したければ、首相を辞めてから好きなだけ参拝すればいいじゃないの。憲法が定めている「政教分離」の原則の重みも理解できないなんて、一国の首相として情けなさ過ぎる。


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