●換気●トレース●「嫌煙ファシズム」って何だ●詐欺師の手法●「割り箸」を考える●権威の崩壊●エレベーターの夢●NHKニュースはおかしい●取材源の秘匿・3●拾得物●憲法番外地の東京の学校●日銀の福井総裁を「激励」する●戦争とマスコミ●組織と個人●過剰反応●厚顔無恥な人たち●大人と子ども●レンタル倉庫●●●ほか
6月1日(木曜日) 換気サッシの枠や周辺にカビが大量発生したので大掃除をした。エアコンを稼動させるばかりで、窓を閉め切って換気を怠っていたのが原因らしい。寒くても暑くても換気は大切だ。これから梅雨の季節となるが、空気の入れ替えを頻繁にしなければと反省している。
6月2日(金曜日) トレース芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した洋画家の作品多数が、イタリア人画家の作品を盗作した疑いが持たれている問題は、あまりのお粗末さにあいた口がふさがらない。どこからどう見ても素人目に見ても、そっくりそのままではないか。にもかかわらず、疑惑の本人は一貫して「オリジナルだ」と主張しているという。とんでもない開き直りにびっくりだ。むしろ疑惑を指摘された後の対応に驚愕する。表現する人間としての良心はないのか。「盗作」という言葉がどうしても気に入らないのなら、模写、模倣、パクリ、コピー、トレースといった表現の方がより適切かもしれない。
「嫌煙ファシズム」なる言葉を使う人たちがいる。なんだよ、そりゃ。盗人猛々しいとはこのことだ。駅のホームから喫煙コーナーをすべて撤去するなど、「公共空間から喫煙者を排除する動き」がファシズムでケシカランのだそうだ。よく言うよ。一方的にたばこの煙を他人に吸わせて平然としている行為こそファシズムそのものではないか。個人が自分の責任でたばこを吸うのは勝手だ。健康に害があろうとなかろうと知ったことではない。好きなように吸えばいい。ただし、公共の場所で吸って他人に迷惑をかけることはやめなさい、というのが最近の世界的な流れだろう。それのどこがファシズムなんだ。馬鹿も休み休み言えよ。
たばこを吸いたい人間は自分の家や閉じられた私的な空間で、他人に迷惑がかからないように好きなだけ吸えばいいじゃん。あるいは、ビニール袋を頭からかぶって勝手に吸ってろ。「嫌煙ファシズム」なる言葉を使っている人たちが、いかに自己中心的で他人の迷惑を顧みずに開き直っているか、ある意味でその人間性がとてもよく分かる。思想の本質が透けて見えてくるとも言える。ほかの場面でどんなに立派なことを発言していたとしても、こんな言葉を平気で使う人間を僕は絶対に信用しない。
6月5日(月曜日) 詐欺師の手法村上ファンドの村上世彰代表が証券取引法違反(インサイダー取引)の疑いで逮捕された。「儲けようと思ったのではない」と言いながら、ちゃっかり株を売り抜けて莫大な利ざやを稼ぐ。要するにこの人は詐欺師だったのだろう。経営改革や収益力アップを進めるなどと、さももっともな理屈や理念を掲げながら、やってることは金儲けそのものだから始末が悪い。言動の矛盾を突かれると、「金儲けは悪いことですか」と自己の行為を正当化して開き直る。だったら最初から「金儲けが目的なんです」と言えばいいではないか。まさに詐欺師の典型的な手法だ。最近はこういう手合いが多いように思う。どこかの国の首相もそうだった。詭弁と強弁を繰り返して開き直るのを得意とする人物だ。国のトップがそんな調子なのだから、詐欺師が横行するのも当然かもしれない。
そもそも「会社は株主のもの」という考え方自体がおかしい。会社は社員のものだ。経営陣を含めた社員によって会社という組織は成り立っている。取引先や消費者(客)とよりよい関係を築きながら、社員や社会全体に利益をもたらすように発展していくのが会社の最善の姿だろう。そうした企業理念に共感して資金提供するスポンサーが株主だ。その結果として会社が生み出した利益から、提供した資金に応じた配当を受け取るのが株主であって、株主が社員や会社組織を好き勝手にしていいはずがない。村上ファンドの経営介入で一時的に株価は向上して株主は利益を得るだろうが、それはあくまでも株主の利益にすぎない。会社の利益には必ずしも結びつかないし、会社組織は「株主の金儲け」のために食い物にされてボロボロになってしまうだろう。会社は単なる「金儲けの道具」ではないはずだ。村上ファンドは決定的な勘違いをしている。そんなことは百も承知で詭弁を弄していたのかもしれないが。
6月6日(火曜日) 「割り箸」を考えるNHK総合で放送されたクローズアップ現代「割りばしに異変あり」にはちょっと驚かされた。日本で一年間に248億膳を消費している割り箸のうち97%は中国産なのだが、日本では間伐材の端材を使った廃物利用だった割り箸が、中国では森林資源を大量伐採して生産していることから社会問題化し、価格高騰や輸出規制の動きが出ているというのだ。大半が国産だった割り箸が、中国産にシフトし始めたのは1980年代だという。
そういえば学生時代、箸入れに「マイ箸」を入れていつも持ち歩いている女友達がいた。森林資源の破壊につながる割り箸を使うのは、信条に反するからというのが理由だった。「でも、割り箸は間伐材の端材で作っているのだから、むしろ資源の有効活用じゃないか」と僕は思っていたし、彼女に対してもそう主張して、僕は割り箸を使い続けてきた。確かにそのころは、日本の割り箸はまだ国産が多く、間伐材の端材を有効に使っていたわけで、その時点においての僕の考え方は決して間違ってはいなかったと言える。しかし状況は大きく変わっていた。もはや国産の割り箸は風前の灯となり、しかも廃物利用は昔の話となって、割り箸は森林破壊の原因となっている──という事実には少なからずショックを感じた。信念に基づいて堂々と割り箸を使い捨ててきたが、そういう態度は考え直さなければならない。
定時のニュース番組は与党政治家の圧力に容易に媚びへつらってしまう傾向にあるNHKだが、「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」など掘り下げたドキュメンタリーや特集番組は、現場のプロデューサーやディレクターの良心が光っていて、まだまだいい番組を作っている。NHKの職員にはいかにも小役人といった感じの人が多い気がするけれども、ぜひ毅然とした独立心と問題意識とジャーナリスティックな視点を忘れないでもらいたいと思う。
6月9日(金曜日) 加筆修正関東地方が梅雨入り。それはともかく、これまでに書いた教育現場のルポ記事を加筆修正する作業がほぼ終わって、単行本用の原稿としてようやくまとめて編集部へ送信する。まだ一部作業は残っているが、とりあえずなんとか目鼻はついたという感じだ。
6月10日(土曜日) 権威の崩壊午後から横浜市内。県立高校の先生たちの自主研究サークルに顔を出す。今回の報告担当者は僕なので、昨晩のうちに大急ぎで準備をしてレジュメを作る。慌てて一夜漬けでゼミ発表準備をした学生時代を思い出した(苦笑)。テーマは「今春の卒業式・入学式の現状」。当然のことながら「日の丸・君が代」をめぐる問題が中心になるのだが、「管理と統制」が進む学校現場の状況や、授業の進め方と評価についても活発な意見交換があって勉強になった。
これまでは教員がどんな授業をしても自由で、授業そのものが絶対視されていたが、最近は授業評価という形で生徒の側からも発言するようになってきた。学校や授業が「絶対的な権威」を持っていた時代ではなくなったということで、授業への関心が高まっているとも言える。教育行政の介入や不当な支配は警戒しなければならないが、どこから攻められても自信があるような授業をする必要と責任があるのではないか。教員の側が授業内容を構築し直す機会でもあり、プラスとマイナスの両面を考えるべきだろう──との意見はとても納得できる。授業をマスコミ(記事)という言葉に置き換えれば、メディアと市民の関係についても同じことが言えるのではないかと思った。終了後はいつものように居酒屋で懇親会(こっちがメイン)。焼き鳥と生ビールが最高にうまい。
6月11日(日曜日) エレベーターの夢安全だと信じて疑わずに利用している道具の異常な動作は、恐怖心を倍増させる。東京・港区で起きたエレベーターの死亡事故は、毎日のように使っている乗り物だけに恐ろしい。だからなのか、乗り合わせたエレベーターのドアが開いたまま動き出すという夢を見た。降りたくても降りられない恐怖。しかしそこが夢らしく支離滅裂な内容で、エレベーターは上下でなく横に移動するのだった。しかもいつの間にかエスカレーターに変わっているし…(失笑)。
それにしても、僕はこれまでもエレベーターの会社名を確認して乗ることが多かったのだが、「シンドラーエレベータ」なんて会社は全く知らなかった。日立や三菱などは記憶にあるんだけどなあ。安全管理に不安があるだけでなく、説明責任さえもきちんと果たさない会社だということは、今回の事件でしっかり把握した。
6月12日(月曜日) NHKニュースはおかしい午後から授業。総合講座の「平和研究」で、担当テーマは「戦争とマスコミ」。40人ほどの履修者に約7割の出席率だ。これくらいの人数がちょうどいい。国益や愛国心といった言葉が都合のいいように使われてきた歴史や、メディアの果たす役割について話をする。「情報の重要さがよく分かった」「愛国心という言葉は好きではありません」といった反応が多い。もともとこういう問題に関心のある学生が多く履修している科目だからなんだろうか。「次の講義も楽しみです」と感想を書いてくれたのがうれしい。
ワールドカップサッカーの日本初戦。「対戦カード」の日時を書いて店頭に張り出している飲食店が目に入る。髪の毛をカットしに行った店では、美容師さんが「きょうはミーティングを切り上げてみんな早めに帰ります」と話していた。盛り上がってるなあ。それはいいんだけど、NHKはいったい何を考えているんだ。午後10時からNHK総合テレビで日豪戦を独占中継するというのに、午後9時のニュースでも延々とサッカーの話題を放送し続けているのである。「公共放送」なんだから、そんな「番組の前宣伝」的な放送をする必要はないだろうに。シンドラーエレベータ社の幹部が来日して3時間半にわたって記者会見したとのニュースを報じたのは、午後9時20分を過ぎてからだった。しかも手短に片付けていたのには心底がっかりさせられた。ニュースの価値判断がおかしい。これこそトップ項目で詳しく伝えるべき内容だろう。
6月14日(水曜日) 取材源の秘匿・3取材源の秘匿について、東京高裁(赤塚信雄裁判長)が「報道の自由と公共の利益」の重要性と優越性を指摘し、読売新聞記者の証言拒否を認める決定をした。今年3月の東京地裁(藤下健裁判官)の決定を全面的に取り消した。「取材源の秘匿が認められなければ公権力行使を監視する報道機関の機能が十分果たせなくなる恐れがある」として、民主主義社会に果たす「報道の役割と意義」を明確に判断している。当たり前といえば当たり前の判断だが、そもそも東京地裁の藤下健裁判官の考え方が異常だったのだ(3月15日付「身辺雑記」参照)。今回の決定は今年3月の東京高裁(雛形要松裁判長)の判断(3月17日付「身辺雑記」参照)をさらに前進させて、国家公務員の守秘義務よりも「公共の利益に基づいた報道の自由」を重視している点が画期的だ。藤下裁判官は、今回の赤塚決定を500回以上熟読して、自身の愚かさと反社会性を深く反省してもらいたい。
6月15日(木曜日) 拾得物インターネット上で音楽データを拾った。前から欲しかったデータだったので、あいちゅーん(iTunes)に入れてありがたく聴かせてもらっている。しかしよく考えればこれは違法データだ。明らかに著作権を侵害している。こうしたデータをこっそりと申し訳なさそうに転送するのならまだ可愛げがあるが、堂々とやり取りしている人たち(サイト)が存在している。しかも人様の著作物を「横流し」しているに過ぎないのに、優越感に浸るようにな大きな態度で「配布」しているのがなんとも滑稽でみっともない。自分では何も生み出さず、右から左に動かしているだけなのを自覚しないで、さも自分が偉くなったかのように勘違いしているのは、どこかの守銭奴と似ている。さて拾ったものはどうすべきなんだろう。お金や物品ではないから、交番に届けるわけにもいかないしなあ。
【おことわり】6月9日付から1週間分まとめて更新しました。
6月16日(金曜日) 憲法番外地の東京の学校夕方から東京・田町へ。「憲法と教育基本法」をテーマにした地区労働組合の学習会に招かれて話をする。教育基本法の「改正」を先取りする形で、東京の学校現場では既に「教育行政の介入と不当な支配」が行き渡っている現状を説明した。1時間半ほど与えられていたのだが、ちょっと時間配分を間違えて話の一部を端折ってしまった。でもその分、学校のリアルな姿をより詳しく伝えることができたからいいか。質疑応答の中で、会場にいた先生からショッキングな現場の事件が報告された(謎)。「またか…」と言葉を失ってしまう。しかも管理職や関係者の間では着々と隠蔽工作が進んでいるという。いくら隠したって内部告発者はいくらでも出てくるのに。きちんと取材して記事にしなければと思った。終了後、主催者の皆さんや議員さんと焼き肉屋で懇親会。生ビールとマッコリを飲みながら、都議会の状況や政治情勢などを聞く。午前零時帰宅。
6月17日(土曜日) 日銀の福井総裁を「激励」する金融政策の元締めで通貨の番人である日銀総裁が、村上ファンドに1千万円も出資したり株式投資したりしてたんやってなあ。いくらなんでもそりゃアカンやろ。話を聞いてほんまかいなってえらいびっくりしたわ。公正さを疑われへんように競馬の騎手や調教師は馬券を買うのは禁じられとるし、記者が株に手を出すのも御法度やからな。そやけど福井俊彦・日銀総裁は立派なお人柄やから、疑われるようなことなんかあらへんってことなんやろ。え、どれくらい儲けたのかよう知らんのやて? またまたご冗談を。たんまり儲けてるのに決まってるやん。そんな謙遜せんでもええよ。おいしいところをしっかり押さえる才覚があるっちゅうことやんか。ただの民間人やなくなって公人中の公人になってからも、決して銭儲けを忘れへんかったなんてさすが根性が座っとると思うたで。
しかも銭儲けだけが目的なんやない、若き守銭奴の改革の志を支援するために維持し続けたっていうのも、同好の銭儲け仲間への連帯感からのことやろうしな。ええ金づるとそないに簡単に縁は切られへんもんなあ。やっぱり筋金入りの日銀マンは考えることがひと味もふた味もちゃうで。そう考えたら、さすが詐欺師の大親分の小泉首相が見込んだお人だけあると思えてきたわ。まともに説明せんとうまいことはぐらかして、職責を全うしたいやなんてことも、並の神経しとる凡人庶民にはよう言われへんもんなあ。人様から抜きん出るための態度としてこの上ないお手本や。子どもたちの道徳教育にもええ教材やね。これで日本国と日本人の未来も安泰や。
6月19日(月曜日) 戦争とマスコミ午後から授業。総合講座の「平和研究」。先週やったテーマ「戦争とマスコミ」の続き。きょうは「情報統制・情報操作とジャーナリズム」と題して、記者クラブの功罪と本来あるべき姿を説明しながら、メディアの果たす役割について考えてもらった。「公権力を監視する」という最も重要な職務を放棄し、「公権力に迫って情報開示と説明責任を果たさせる」という原点を記者が忘れていては、メディアは大本営発表を垂れ流すだけの広報機関に過ぎず、それでは有権者である市民の信頼と支持は得られない。もともと記者クラブは記者が団結して公権力に迫る場だった。事実の背景や裏側や問題点を掘り起こして提示するのが本当のジャーナリズムであって、事実を羅列するだけではジャーナリズムではない──。そんな話を熱く語ったのだが、まあ7割くらいの学生は「なるほどそうだったのか」と感じてくれたようなので、とりあえずよしとしたい。記者クラブって?」という学生も意外と多い。メディアの実態を知った上でニュースに接すると、また違った見方ができるだろう。ちなみに、配布資料はもちろん「自衛隊イラク派兵」の関連記事だ。
それにしても、きょうは蒸し暑かった。駅から学校まで15分ほど歩くだけで汗が出る。早足で歩くから余計に汗をかくわけで、おかげでシャツはびっしょりだ。こういう時にこそ、にわか雨がザッと降ってくれるとうれしいんだけどなあ。
6月20日(火曜日) 組織と個人午後から授業。週替わりで講師がリレーして、働き方や仕事の意味についていろいろ考えてもらう総合講座「仕事」。新聞社を辞めようと思ったきっかけになった経験を通じて、組織の中の個人と仕事のあり方について話をする。新聞記者時代に政治的圧力で原稿がボツになった事例や、いったいどこを向いて何のために取材しているのか、と思うような記者や編集幹部が大手を振っているマスコミの実態も具体的に紹介。垂れ流されるニュースを鵜呑みにせずに、自分で判断できる目を養うことの大切さをアドバイスした。約200人と約30人の2コマ連続の授業。大体どちらも真剣に耳を傾けてくれた。基本的に1年生対象の講座だから真面目なのかなと思ったが、なぜか今年は3年生や4年生も多いみたいだ。話す側としてはもちろん悪い気はしない。
6月21日(水曜日) 過剰反応都内の小学校に電話をかけた。電話口に出た副校長(教頭)に、ある先生の名前を告げて取り次ぎを頼むと、「そういう先生はいません」と言う。「いないってどういうことですか」と聞くと、そこでようやく副校長は「よその学校に転出した」と答えた。だったら最初から「異動したので今はいません」って言えよなと思ったが、ぐっとこらえて「どちらに異動されたのでしょうか」と尋ねる。そしたらなんと副校長は、「個人情報だから答えられません」とのたまうではないか。まじっすか。あぜん呆然である。一瞬絶句してから「個人、情報…ですか」と復唱すると、「ええ個人情報です」と繰り返す。副校長が「あなたと先生はどういう関係ですか」と質問してくるので、「友人です」と言うと、「個人情報だから本人の許可がないと教えられない」と言い張るのだった。気を取り直して、「でも教員の異動先って公開されているのではないのですか」と食い下がる。そんなやり取りを5分ほど続けた末に、ようやく異動先の学校を教えてもらうことができた。
これまで取材で何千回も学校に電話したけど、相手との関係までいちいち詮索されたのなんて初めてだ。しかも「個人情報だから異動先を教えられない」と言われたことなど一回もない。「個人情報保護」に対する過剰反応だろう。クラスの連絡網やPTA名簿、卒業アルバムの住所録を作らない学校が増えているし、役所や病院も情報を出し渋りする傾向にある。個人情報の保護は重要だが、「個人情報保護」という言葉が一人歩きしているようだ。内容をよく吟味せずに、隠さなくてもいい情報まで必要以上に隠そうとする。もしも都合の悪い情報を隠蔽するために「個人情報保護」が利用されるとしたら、「知る権利」の観点からも見過ごせない。
6月22日(木曜日) 厚顔無恥な人たちよくもまあ、いけしゃぁしゃぁと…。衆院財務金融委員会で参考人として答えた日銀の福井俊彦総裁のことだ。村上ファンドに投資した1000万円の利益総額が1473万円になることについては「少し大きな金額」と認識し、契約内容について聞かれると「本当にど素人でございまして」だとさ。なんとも驚かされる。そしてやっぱり「職責を全うしたい」と繰り返したという。普通なら恥じ入ってすぐさま職を辞すだろうに、きっと常人には理解できない感覚をお持ちなんだろう。日銀総裁の椅子にしがみついて決して離そうとしない様子は、むしろ哀れで滑稽に見える。カッコ悪い。
日米政府の米国産牛肉の輸入再開合意で、米農務省長官は「ささいな違反で牛肉輸入が全面禁止されることはない」だとさ。よく言うよ。「ささいな違反」ってなんだよ。安全性を無視したずさんな検査しかせず、一方的に「米国の牛肉は安全だから文句を言わずに食え」と押し付ける傲慢さ。そして、拙速に輸入再開を決めた日本政府と、そんな米国産牛肉にこだわる日本の外食業者(吉野家を筆頭に)の愚かさ。消費者無視の態度には恐れ入るばかりだ。
6月23日(金曜日) 大人と子どもサッカーW杯の「日本─ブラジル」戦を早朝4時からテレビ中継で見た。結果は4対1の完敗。ブラジルはパスの連係も的確で見事だし、攻撃はスピード感に溢れていて芸術的だった。まさにこれぞサッカーだという勢いがあって、見ていて気持ちいい。それに比べて日本選手のパスは素人目にも下手くそで、ボールをわざわざすぐに対戦相手に渡してしまう。攻撃面でも速攻性や瞬時の判断に欠けていて、敵陣のゴール前でもたもたしている(ように見える)。まるで大学生と小学生の戦いみたいで、圧倒的な力の差は明らかだろう。日本がよかったのは、先制ゴールとキーパーの好セーブくらいではないか。これでは勝てっこないと思った。
自宅マンション裏手に「レンタル倉庫」が出現した。駐車場だった約半分のスペースに大量のコンテナが運び込まれて、あっという間に流行りの「レンタル倉庫」が完成した。それまで駐車場があったおかげで遠くまで見渡せる空間が広がっていたのだが、コンテナが上下2段に積み上げられためにやや圧迫感を感じる。
確かに駐車スペースはかなり余っていた。だから、地主が土地の有効活用を図ろうとするのは分かるけど、それは駐車料金を月に3万5000円もふんだくっていたからだと思う。それにしても「レンタル倉庫」って最近あちこちにできているから、結構需要があるんだろうなあ。日本の住宅はどこも狭い。限られた居住空間に余計なものは置けないので、すぐに使わない荷物は家の外に保管するということなのだろうか。僕も取材資料の段ボール箱や本などを置くために、コンテナの「レンタル倉庫」を借りようかと思っているのだが、料金や安全性を考えるとまだ踏ん切りがつかない。
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