身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2007年1月1日〜1月31日

●印刷完了●ドラマ「瑠璃の島」の醜悪さ●レジュメ2本作成●強行軍?●情報統制とメディア●札幌で講演●ウザイよ迷惑メール●「自立した人格」と教育●手応え十分●アニメも面白い「のだめ」●懐かしのパックマン●当たりの年賀はがきゼロ●自覚のなさが捏造番組を作る●ポイント消滅?●答案にも格差●ポイント復活●名刺の肩書きを変更●英語学習とNOVAのCM●NHKニュースは広報だ●うす汚い国●●●ほか


1月1日(月曜日) 印刷完了

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。そんなわけで、午後から横浜駅前の家電量販店へ。元日から営業している店がそれなりにあるためか、結構にぎわっている。インクカートリッジの4色パックを購入する。4179円。プリンターのインクって本当に高いよなあ。インクで儲けないとメーカーが困るからなんだろうが、もう少しどうにかならないものかといつも思う。安い詰め替えのリサイクル商品を応援したくなるよ(本体が故障したらまずいので純正でないものは使わないけど)。

 帰宅して年賀状の裏面の印刷再開。快調である。続いて宛名の印刷をスタート。こちらは黒の単色なので、あっという間にプリントが終了する。プリンターのご機嫌がすこぶるよくて、なんと一度のトラブルもなく完璧な仕事をしてくれた。素晴らしい。今年はいい年になるかもしれない。あとは一言コメントを書き込むだけだ。あすは初詣に行って、おみくじでも引いてみようかな。


1月3日(水曜日) 今年も反省

 年賀状は一部を除いて、2日の夜に投函。3日の朝の集配車に回収されるので、近いところだとたぶん4日には届くだろう。元旦に配達されるように早めに出したいと思いつつ、新年になって投函するのがすっかり定着してしまった。反省している。でもどうやらそういうのは僕だけではなくて、年末ぎりぎりになってからとか、あるいは新年になってから年賀状を出す人は増えているようだ。社会全体の時間の観念や季節感が総じていい加減になっているのかもしれないが、しかしそうは言っても元旦に年賀状をもらうとうれしいのは事実なので、やはり「今年こそは年内投函」という努力目標だけは一応掲げておきたい。


1月4日(木曜日) 缶詰め紙面

 のんべんだらりと正月を過ごす。それにしても相変わらず新聞もテレビも、正月はどれもつまらないものばかりだ。新聞の大半は旧年中に書いたどうでもいい内容の原稿を使って、あらかじめ作っておいた紙面を印刷しているだけ。テレビも正月よりもかなり前に収録しておいた番組を流しているのがほとんどで、迫力や勢いや臨場感がまるでない。新聞ではこういうのを「缶詰め原稿」「缶詰め紙面」と言うが、テレビも「缶詰め番組」と呼んでいいのだろう。しかもどの番組も似たり寄ったりの出演者が、ありきたりのトークや演技を繰り返すのでつまらなさに拍車がかかる。だったら、過去の面白い番組を再放送で流してくれたほうがよっぽどいい。

 そういう意味では、NHK教育テレビが元日の朝から3日間、アニメ「メジャー」第1シリーズの全26話を一挙再放送したのはよかった。昨夏に続いて「またか」という声もあるかもしれないし、今週末からスタートする第3シリーズに合わせた番組宣伝かもしれないが、この第1シリーズは原作でもアニメでも実によくできた作品なので、つまらない「缶詰め番組」を延々と流すのに比べれば、はるかに有益と言えるだろう。僕はもう何回も見ているし、朝8時からの放送ということもあってさすがに全部は見なかったけど。


1月6日(土曜日) ドラマ「瑠璃の島」の醜悪さ

 日本テレビ系のドラマ「瑠璃の島スペシャル2007」を見た。ひどい内容だった。ドラマの舞台は沖縄の離島「鳩海島」。ごみ処分場の建設を受け入れれば代償に島の利便がよくなるという国の計画をめぐって、主人公の中2の女の子・瑠璃(成海璃子)が反対を訴えるシーンが物語の柱の一つになっているのだが、「この島がごみ処分場の受け入れを拒めばほかの島が受け入れなくてはならなくなる、それでいいのか」といったトーンのメッセージが終始一貫して繰り返し流されていた。さらにそうした主張を補強するかのように、瑠璃の里親である勇造(緒形拳)がかつて島への水道管の敷設計画に反対したことがあったが、今ではその水道の恩恵を受けて生活している、というエピソードまで挿入される。

 ごみ処分場の建設と水道管の敷設工事とでは、「だれのための計画なのか」という点で根本的に意味や背景がまったく異なる問題だろう。しかも、「なぜ離島にごみ処分場を持ってこなければならないのか」という根源的な疑問にはまるで触れようとせず、「この島が受け入れを拒めばよそが受け入れなくてはならない」などと登場人物に語らせるのは、あまりにも社会性が希薄で問題意識がなさ過ぎはしないか。論理のすり替えというか、ある一定の方向性を持った政治的な意図さえ疑ってしまう。そんなふうに首をかしげながらドラマを見ていたら、だめ押しのようにさらにこんなセリフが飛び出した。「お国にあれをしてくれこれをしてくれと要求ばかりするのではなく、自分たちがお国のために何ができるかを考えなければならない」。ごみ処分場は結局、よその島が名乗りを上げたために「鳩海島」には建設されないことになるのだが、ドラマでは最後で登場人物にそんなセリフまで言わせるのだ。

 自然環境だけを守りさえすればすべての問題が解決する時代ではないのは分かる。しかし、なぜごみ処分場が遠く離れた沖縄の離島に建設されなければならないのか、なぜ自然を破壊してまで遠く離れた場所に持ってこなければならないのか、そうしたことをしっかり議論しなければ問題は何も解決しないのではないか。ごみ処分場といっても、家庭ごみや産業廃棄物の処分場だけとは限らない。実際に、放射性廃棄物の埋設処分施設を離島に建設する計画まであるのだから。米軍基地が圧倒的に集中しているのも沖縄だ。なぜ、離島や過疎地や沖縄など本土から遠く離れた地域は、迷惑施設を押し付けられるのか。そもそも弱い立場の地域や人々を、迷惑施設を受け入れざるをえない状況に追いやっているのはだれなのか──。ドラマ「瑠璃の島」はそんな問題には一切触れず、「自分たちはお国のために何ができるか」といったセリフで物語を締めくくるのだった。このドラマのスタッフと脚本家は、公権力と有権者の関係をどういうふうに理解しているのだろう。

 主人公の瑠璃(成海璃子)がかわいくて、瑠璃やほかの役者も熱演していて、ドラマの舞台となっている沖縄の海や自然が美しく感動的に描かれているからこそ、なおさら問題意識の欠如した意図的なメッセージを挿入する脚本が始末に負えない。沖縄や離島の人たちを愚弄しているとしか思えないひどいドラマだった。


1月7日(日曜日) レジュメ2本作成

 今週から始まる新年最初の授業のレジュメと、頼まれている講演のレジュメを作成する。今週の授業は今期講座のまとめ的な回なので、伝えたいこと・伝えるべきことが盛りだくさんだ。講義のテーマは「戦争と情報統制と『国益』」。ジャーナリズムの役割と使命とそれを脅かすものについて語ることになる。かなり熱が入る。前年度の内容を大幅に手直しして改訂した。講演の方のテーマは、新刊タイトルと同じで「教育の自由はどこへ」。改正教育基本法の成立を受けて、こちらも伝えるべきことはたくさんあるので、ほかの講演で使ったレジュメにかなり手を加えた。上手に話ができればいいのだが。関心と問題意識を持ってくれればと祈るばかりだ。


1月8日(月曜日) 横浜は穏やか

 発達した低気圧の影響で、週末から全国的に大雨や大雪や強風などに対して注意が呼びかけられていたが、横浜はなぜか穏やかな天気だった。少し強い風が吹いて雨がぱらついたくらいだ。きょうなんか日中は天気もいいし気温もそこそこ暖かくて、台風並みの「爆弾低気圧」だとか「大荒れの天候」などの予報はまったくひと事といった感じである。100センチを超える積雪、空の便の欠航、新幹線や特急の運休、高速道路の通行止めといったニュースを聞いても別世界の話みたいだ。…と言いたいところだが、今週の水曜日に北海道に出かける予定があるので、自分とは無関係といって安心はしていられない。大荒れの天気がいつまでどこまで続くのか、交通機関への影響はどうなのかなどとても気になる。


1月9日(火曜日) 強行軍?

 あすは授業が終わったら速攻で羽田に行き、新千歳行きの飛行機に飛び乗って、午後9時から札幌で打ち合わせという予定になっている。翌日に札幌で講師を頼まれているのだが、冬の北海道は空の便がいつ欠航になるか分からないので、前日には来てほしいと主催者に言われたのである。なるほど。実際、北日本の天気は大荒れだしね。さすが北海道。低気圧は日本列島から離れつつあるみたいだから、まあなんとかなりそうだけど。それにしても、正月ぼけの怠け者には結構きついスケジュールだよなあ。

 すると横浜市内の高校の先生が、「北海道は食べ物が美味しいからご馳走を食べておいでよ」と釣り餌を投げるような一言。「だけど、北海道ならどこでも美味いってわけではないでしょう」と応じると、「例えばチェーン店の居酒屋でも、三浦半島の三崎漁港にあるチェーン店のマグロはそこらのマグロとは違うよ。地元のネタを使ってるから味はピカイチなんだよ」と解説してくれた。三崎で営業している居酒屋チェーン店は、だてにマグロの本場で店を開いてるわけじゃないんだ。となると札幌でも同じで、さほどハズレはない…かもしれない。ちょっと期待して出かけよう(笑)。


1月10日(水曜日) 情報統制とメディア

 午後から授業。新年初回のテーマは「戦争と情報統制と国益」。戦時体制下の大本営発表や検閲や規制によって、メディアが伝えるべきことを伝えなくなるとどうなるか、政府や軍部が都合のよい情報だけを流して世論誘導し、「国益」や「愛国心」の名の下で異なる意見が封じ込められていく社会の不気味さ、国民全体が一つの方向に束ねられていく怖さ、などについて説明する。こうしたことは決して遠い昔の戦前・戦中の話ではなく、今の社会とメディアが直面している問題でもある。NHKに対する放送命令や政治的圧力、タウンミーティングでのやらせ質問、イラクでの自衛隊取材の際の情報管理といった具体例を示しながら、報道への政治介入や世論操作が日常的に行われている事実を強調した。

 ジャーナリズムには、多様な意見や視点を伝えて判断材料を提供し、権力の暴走を監視する責任があること、政府や軍の方針と報道内容が一致するとは限らないこと──。そういうジャーナリズムの役割とあるべき姿をきちんと理解した上で、社会のありようについて考えさせるのが今回のポイントだ。授業の感想を読むと、ほとんどの学生は僕の話した内容をしっかり受け止めて、公権力による情報統制の危険性について自分なりの考えを築いてくれたようだが、ごく一部の学生は相変わらずピントがずれまくりだった。自分の意見を持つのはもちろんいいんだけど、話を聞いていないのか、理解力がないのか、あまりにも見当はずれの「独自の見解」を展開するのは困ったものだ。スルーしてしまうのはかわいそうなので、「講義の趣旨」の根幹にかかわってくる大切な部分については、次回の授業の中で少し時間を割いて説明してあげようと思う。

 授業が終わると、講師控え室でお茶を1杯だけ飲んでから大急ぎで羽田空港へ。新千歳行きの便で北海道へ向かう。眠くて仕方ないのに、座席は窮屈だし機体が大きく揺れるので全く眠れない。午後8時半過ぎに札幌に到着。めっちゃ寒いなあ。ホテル内のレストランで、あすの集会の主催者の皆さんと打ち合わせを兼ねた夕食会。小中学校の保健室の先生(養護教員)たちを中心とした子どもの健康を考える会に、集会の講師として招いていただいたのだが、とにかくみなさんとてもパワフルで、しかもお酒が大好きなお姉さまばかりだ。朝食を食べたきり何も食べていないので、とりあえず空腹を満たすことに専念するものの、次々に繰り出される爆笑のマシンガントークに圧倒されっぱなしである。午前零時前になって散会と思いきや、それからラーメン横丁に案内される。僕はもちろん味噌ラーメンを注文した。


1月11日(木曜日) 札幌で講演

 午前中は札幌の教育会館で基調講演。テーマは、新刊のタイトルと同じ「教育の自由はどこへ/『管理と統制』進む学校現場」。昨夜、主催者の皆さんと飲みながら話をしていて思いついたのだが、急きょ内容を少し変えることにした。あらかじめ送ったレジュメの通り、そのものズバリの内容にしようと考えていたのだけど、まず最初に「情報統制とジャーナリズムの役割」について触れることにした。ちょうど昨日の授業で学生たちに話した内容であるし、講演のテーマ「管理と統制」にも深く関係する。さらには自己紹介という側面もある。しかし何より、学校現場だけの問題ではないと問題提起するためにも、素材として適切だと思った。頭の中で大急ぎで話の構成を組み換える。1時間半の予定を15分ほどオーバーしたけど、なんとかまとまったのではないかと思う。昼食を挟んで午後は質疑応答や各地域からの報告など。東京都教育委員会の暴走ぶりは全国でも異常だが、比較的自由だと思われていた北海道もじわじわと東京化が始まっているとの報告には驚かされた。

 夕方から、教育会館の地下の居酒屋で懇親会。外はべらぼうに寒いし道路が凍っていて滑りやすいから、できるだけ歩かないようにするのは適切な判断だと思う。この日も昨夜と同じく、エネルギーに満ちあふれたお姉さまパワーは炸裂。笑いが絶えない雰囲気がとてもいい。こちらも元気を分けてもらえたような気がする。2次会はカラオケスナックへ異動。10人ほどの参加者で午前零時過ぎまで歌い続けた。その後はやっぱり札幌ラーメンの店へ。僕は今夜も味噌ラーメンを注文した。どの店に入っても味噌ラーメンが食べられるのっていいよなあ。東京や横浜のラーメン屋だと、味噌ラーメンをやっている店というのは限られるからだ。野菜たっぷりのノーマルな味噌ラーメン大好きです。参加された皆さん、主催者の皆さん、札幌では大変お世話になりました。


1月12日(金曜日) ウザイよ迷惑メール

 午後の便で帰京。やっぱり横浜は暖かいなあ。たまっていた3日分の新聞やメールを読む。毎日大量に届く(1日100通ほど来る)迷惑メールは本当にウザイ。たまると余計に鬱陶しい。援助交際やらエロビデオの勧誘だとかアヤシゲな薬の販売など、同じ文面や似たような内容のメールを懲りずに送ってくる。読まれもせず開かれもしないでゴミ箱に捨てられるのに、本当にご苦労なこった。


1月13日(土曜日) 「自立した人格」と教育

 午後から東京・霞が関。弁護士会館で開かれたシンポジウム「思想・良心の自由の現代的意義を考える」を取材する。出席者は、野田正彰(精神科医、関西学院大学教授)、西原博史(早稲田大学大学院教授)、中川明(弁護士、明治学院大学法科大学院教授)の各氏ら。サブタイトルに「学校における『日の丸・君が代』強制問題をめぐって」とあるように、卒業式や入学式で国旗と国歌が強制されることによって、教職員が精神的に追い込まれている状況が報告され、社会のあり方について分析がなされた。「外面と内面の使い分けによって人格の分裂を強いる社会がおかしいのであって、そんな抑圧社会の矛盾に敏感に反応したSOS信号を、きちんと受け止められる感受性が人々にはない」と指摘し、そんな日本社会の鈍感さに対する批判はなるほどと思った。

 その一方で、教師と子どもとの関係をめぐる議論が全くかみ合わなかったのは残念だった。社会には多様な価値観やさまざまな考え方があり、異質な考えを持つ他者の存在を学ぶことによって、自立した人格の完成を目指すのが教育で、さまざまな考え方を子どもたちに示すのが教師の役割だ。しかし、特定の考え方や一方的な考え方を示すのは自立した人格の形成の妨げになる。国家の意思に子どもたちを従属させて洗脳(コントロール)させる道具として、教師が利用されている、そもそも教師は権力性を持った存在であるという問題提起があったのだが、そのへんのことについてもっと突っ込んで、掘り下げて議論してほしかった。


1月14日(日曜日) やっぱり本屋さん?

 きのうのシンポジウム会場の弁護士会館では、出版社の社員が僕の新刊「教育の自由はどこへ」を販売していたが、結構売れたそうだ。だけどやっぱり本っていうのは目の前に置かれていて、すぐに手に取って見られる状態になければダメだよなあと、あらためて思う。新刊の発行部数は決して多くはないので、中小の書店の店頭にあまり置かれていないのは残念に思う。僕だって、買おうと思う本は書店の店頭で確認してからレジに持っていくもんなあ。ネット社会と言っても、本は書店で買うのがまだまだ一般的なのだろう。ちなみに、先日の札幌の集会では主催者が、「教育の自由はどこへ」のほかに「日の丸がある風景」の本も販売してくださったが、どちらも多くの方が買ってくれたみたいで、サインもたくさん求められた。ありがとうございました。あらためて感謝いたします。

【おことわり】1月10日付から1月14日付まで、5日分の「身辺雑記」をまとめて更新しました。


1月15日〜16日(月曜日〜火曜日) 風邪

 鼻とのどにくる風邪のようだ。取材予定があったが、外出を控えて自宅に引きこもる。電話取材と授業準備など。睡眠不足が影響しているような気がする。とりあえずたっぷり睡眠を取った。


1月17日(水曜日) 手応え十分

 午後から授業。来週は試験なので、実質的にはきょうが本年度の最後の講義だ。今回のテーマは「『伝えること』と問題意識」。これまでの「まとめ」の意味も含めて、伝えるというのは記者だけの行為ではないこと、常に問題意識を持って情報の受信と発信をすることの大切さについて説明した。授業冒頭では、不二家が期限切れの原料を使って乳製品などを製造していた問題を取り上げて、関係者全員が不正の事実を知りながら、だれも異議を唱えない組織や社会のあり方について問題提起。だれのために何のために、どこを向いて仕事をしているのか、これは不二家だけの問題ではなく、「権力の監視」という「本来やるべき仕事」をしないメディアと記者の問題と同じではないか、という点に重点をおいて話をする。

 手応えは十分で、自分でもかなり納得のいく講義ができたのではないかと思う。居眠りや私語をする学生はほとんどいなかった。それなりに準備しただけのことはあるなあ。せっかくこの講義を受講しているのだから、「自立した市民(有権者)として自分自身のモノサシ(判断基準)を持って、発言・行動できる人間になってほしい」という最低限のメッセージは受け取ってほしかったのだが、そんな僕の思いはしっかり伝わったようだ。いつも授業の終わりに書かせている感想は、「有意義で面白い授業だった」という声がほとんどだった。ちょっと感動。いやかなりうれしい。読みながら胸の奥が熱くなった。以下、約200人の受講生のうちのごく一部だが、参考までに抜粋して紹介しておく。伝える側が真摯に伝えようとすれば、きちんと受け止めてくれるものだという事実をあらためて実感する。まさにきょうの授業のテーマそのものだと思った。

◇◇◇

「ジャーナリズムとは何か、ジャーナリズムの本来のあるべき姿は何かについて考え学ぶことができ、とても有意義な内容だった。事実をしっかり把握し、背景と問題点を押さえて、自分の問題意識につなげていきたいと感じた」

「テレビや新聞の見方が変わった。今まではテレビや新聞で流されていることをただ眺めているだけだったが、授業を通して、問われている本質を見抜こうと少し考えるようになったと思う」

「この講義を通して、事実がゆがめられてしまって、それを市民が鵜呑みにしている構図を知りました。メディアは公権力に負けてはいけない。ましてや公権力側に立つことがあってはいけない。情報を与えられるだけではなく、それを手がかりにして事実を考えること、公権力の思惑に踊らされてはいけないことを学びました」

「この授業では何度も『有権者としての自覚を持つように』と言われたが、授業を受けるまでそんなことは考えもしなかった。今では少なくとも有権者の実感はある」

「私たちがしっかりと意見を言い、メディアを国(公権力)のために利用させるようなことはさせてはならないと思った。しっかりと国に対して意思表示をしていきたい」

「講義を受けて感じたのは、メディアから発信される情報を鵜呑みにするのではなく、自分で考えて時には行動するが大事だということだ。どんな職業に就いても、こういった考えを持ってやっていきたいと思う」

「他人や情報に流されるのではなく、自分の判断基準をきちんと持つことの大切さが改めて分かった。『自分一人の力では何も変わらない』と思うのはやめたい。自分が今できることをやろうと思う」

「この授業で一番印象に残っているのは、自分自身のモノサシ・判断基準を持つということです。周りに流されず、自分のスタイルを確立できるように頑張っていこうと思います。今後に生かせる授業だったのでとても満足しています」

「伝える側にしても伝えられる側にしても、まず自分自身の視点や考えをしっかり持たなければいけないと学びました。学校や日常生活での人間関係にもつながると思います。たくさんの立場や視点から考えることができるように見聞を広め、情報の真意をとらえられるようにしていきたいです」

「将来何がしたいのかまだ決めていませんが、どこへいっても問題意識を持つことを大切にしたい。自分の頭で考え何が正しいのか、どうあるべきかを自分で判断して生きていこうと思います」

「表面的なものだけではなくて、背景に何があるのかを見抜けるようにしなければならない。その積み重ねで自分の判断基準が身についていくのだと思う」

「授業を通して、自分で判断・表現・主張できることが、どれほど大切か考えさせられました。これから就職活動する時や、企業に入ってからも必要になってくるものなので、自立した人間になるためにも身につけたいことだと思いました」


1月18日(木曜日) アニメも面白い「のだめ」

 先週の木曜日からフジテレビ系でアニメ「のだめカンタービレ」が始まった。音楽大学を舞台に、指揮者を目指す自信家の千秋真一と、ひたすらマイペースで変人のピアノ科の野田恵(のだめ)が織り成すクラシックコメディー。同じフジテレビで昨年末まで放送されていたドラマ版の「のだめ」は、キャスティングと脚本・演出の絶妙さで毎回かなり楽しませてもらったが、アニメ版もドラマ版とはひと味違った出来でなかなか面白い。声優陣も納得の配役だ。マンガと違ってテレビは音声が入ってくるのでリアリティーが増す。特に「のだめ」は音楽マンガだから、実際に演奏シーンが挿入されると話にぐっと引き込まれる。ドラマ版「のだめ」の人気で、交響楽団のコンサートチケットが軒並み売り切れるなど、クラシック音楽のファン層が一気に広がったというのもさもありなんという感じがする。マンガの絵柄そのものは飛び抜けて魅力的だとは思わないのだけれど、キャラクターとストーリーがしっかりと描かれている原作の力あってこその面白さなのだろう。


1月19日(金曜日) 懐かしのパックマン

 学生時代に喫茶店でさんざん遊んだ「パックマン」と「スペースインベーダー」に、すっかりはまってしまっている。無料で遊べるゲームのサイトを見つけたのだが、内容も効果音も音楽も流行っていた当時のままで懐かしい。一定以上の得点がなかなか出せないこともあって、ついつい夢中になって何回も繰り返す。気がつけば何時間も経っているというありさまである。上下左右の動きやシューティングなどの操作は、パソコンのキーボードのキーですべて行うのだが、特にパックマンはかなり無理な指の使い方をするので、腕の筋肉が痛くて腱鞘炎になりそうだ。まさに中毒。1ゲームのプレイのたびに100円を投入する必要がないから、強い意思をもって止めないと際限がないんだよなあ。


1月20日(土曜日) シラバス登録完了

 来年度の授業のシラバスを作成。授業概要と授業計画の項目の一部を手直し。参考書に自著の新刊を追加。そのほかは、これまでとほとんど変わりはない。大学の教員専用ウエブの画面から入力して登録完了した。いちいち教務に書類などを出す必要はなく、自宅のパソコンですべて作業できてしまうのが便利だ。ただし、いったん登録を完了状態にしてしまうと再入力できなくなってしまうので、何回も見直して緊張しながら完了ボタンを押した。


1月21日(日曜日) 当たりの年賀はがきゼロ

 1週間前に発表されたお年玉付き年賀はがきの当選番号を確かめた。な、なんと当たったはがきは1枚もなし…。絶句。1等や2等なんて初めから期待していないが、3等の切手シートさえ1枚も当たらないなんて、これまでに経験したことがないんだけど。いただいた年賀状は150枚ほどで、そのうち私製はがきが約1割だったから、せめて切手シートが2〜3枚は当たってもいいはずなんだけどなあ。ショックだ。てゆーか、昨年は切手シートは4等だったじゃん。全体的に当選本数が減ってはいないか。まあ、お年玉付き年賀はがきの発行枚数そのものが少なくなっているから、それに応じて当選本数も少なくなるのは当然だと思うけど、それにしても当たりはがきがゼロ枚というのは、くじ運が悪いにもほどがある。

 そういえば、元旦に年賀状の印刷をした時に、プリンターの調子がすこぶるよくて、珍しく一度のトラブルも起こさずに印刷を完了したことを思い出した。そうか、あの時に年賀状に関する運は、すべてきれいに使い果たしてしまったということなんだな。なるほどそういうことだったのか。がっかりである。


1月22日(月曜日) 自覚のなさが捏造番組を作る

 いつも購入している納豆が近所のスーパーの売り場から突然消え失せてしまい、テレビの情報番組で「ダイエット効果がある」と紹介された影響で売り切れが続いていると聞いて閉口していたら、番組内容が実はほとんど捏造だったことが明らかになった。フジテレビ系「発掘!あるある大事典」(関西テレビ制作)で、測定や検査データもでっちあげ、研究者のコメントもウソ八百、比較映像もデタラメ。まさに一から十まですべてウソで塗り固めたインチキ番組だったという。単なるデータの取り違えやテロップのミスでなく、意図的な捏造情報の積み重ねであるところが致命的だ。悪徳商法などの手法となんら変わりがない。

 「あるある大事典」は報道とバラエティーの境界線上に位置する番組だと思うが、限りなく報道に近い番組内容であることは事実だし、報道機関が発信することによる影響力の大きさは、放送直後から納豆の品切れが相次いだことでも明らかだろう。テレビ局から制作会社へ、さらに別の制作会社へと番組制作が日常的に「外注」されている実態が、捏造の背景にあると指摘されているが、僕もそうした番組の制作体制に問題があると思う。ただし「チェック体制の甘さ」とか「責任があいまいになる」というよりは、報道の仕事をしているという「自覚」の欠如こそが最大の問題点ではないか。

 報道の基本は「事実を伝える」ことだ。そもそも、だれのために何のために、何を伝えようとしているのか。外注されている多くの報道系の番組からは、「志」や「使命感」や「問題意識」といったものがほとんど見えてこない。問題意識が持てないのなら、娯楽やバラエティーに徹すればいいのに。自覚のない奴は、報道系の番組制作に手を出すなと言いたい。そして、そんなデタラメな姿勢で制作された番組の情報を鵜呑みにして、何にでもホイホイと飛びついて踊らされている大勢の視聴者(消費者)が、さらにまたしょうもない番組を再生産させてしまうのだから始末に負えない。

 だいたい、納豆を食べるだけでダイエットなんかできるわけがないじゃないか。もうちょっと冷静に考えて行動しなよ。一連の騒動で納豆業者も振り回されて迷惑しただろうが、普通に納豆を食べていた消費者も入手が難しくなってえらく迷惑したんだからさ。スーパーの売り場が毎日からっぽになっているのを目の当たりにして、こいつら馬鹿じゃないかと思ったよ。いや、本当に。視聴者(消費者)の側にも自覚が必要だ。


1月23日(火曜日) ポイント消滅?

 いつも利用しているデパートで、買い物した金額に応じて付いてくるポイントが見事にごっそり消えていた。マジっすか。5000円以上に相当するポイントがたまっていたのでショックが大きい。どうやら期限切れのようなのだが、どうにも納得がいかない。このデパートでポイントカードの入会手続きをした時には、「ポイントに期限はない」と説明を受けたからだ。その後、規約変更があったらしいが、きちんとした説明や周知徹底もなしに、有効期限切れを理由に一方的にポイントを没収されても困る。いったいどうなっているのか、あすにでもサービスカウンターに出向いて確かめよう。


1月24日(水曜日) 答案にも格差

 午後から後期の定期試験。履修登録している学生は200人以上いるので、いつも授業をしている大教室ではなく、500人以上入る大大教室が試験会場となる。間隔を空けて通路側に1人ずつ座らせるためだ。大学が試験監督の補助員として大学院生を2人付けてくれた。とても助かる。試験は論述式。例年に比べて今年はみんな結構ぎっしり書いているような感じがするが、答案を受け取りながらパラパラと見ていると、問われていることにきちんと答えていない答案が目立つじゃないか。マジかよ。どよーんとした気持ちになる。これって試験をする側も衝撃が大きいんだけど…。

 しかしよく考えてみたら、授業にほとんど出てこないのに試験だけ受けに来た学生が大勢いるわけで、そういう学生は質問に対してまともに答えられるわけがないんだよね。そう考えたら気分が少しは楽になった。ちなみに、いつも授業に出てくる学生は6割ほどだが、きょうの試験を受けたのは約8割だった。それにしても、しっかりした文章で要点を押さえた立派な答案を書いてくる学生と、文章も内容も頭を抱えたくなるような答案しか書けない学生と、格差がものすごくあるんだよなあ。あまりの落差に驚かされる。

 ポイント復活 きのう書いたポイントカードの話の続き。さっそくサービスカウンターで苦情を申し立てた。担当者は「2年前に規約変更してポイントには有効期限が設けられた」と説明。ルールの変更はポスターなどで表示したという。しかし、それでは周知徹底したとは言えないのではないか、何の連絡もないままポイントを無効にされては困るなどと訴えると、「規約変更の説明に不手際があった」ことを認めた上で、「今回限り」ということであっさりと消滅したポイントを復活してくれた。多少のトラブルは覚悟していたんだけど、なんだ、拍子抜けするじゃないか。たぶん同じような苦情が何件もあったので、今回に限って申し出があった分については、消滅したポイントを復活させているのだろう。まあ、適切な対応ではある。泣き寝入りした人は救済されないけど。やはり言うべきことはきちんと主張しなきゃダメということだ。


1月25日(木曜日) 名刺の肩書きを変更

 名刺が残り少なくなってきたので、いつもお願いしている印刷屋さんに追加注文する。今回は版下を1カ所だけ修正してもらった。肩書きを「記者」から「ジャーナリスト」に変更することにしたのである。新聞記者時代の名刺の肩書きは「記者」あるいは「◯◯新聞記者」だったし、新聞社を辞めてフリーランスになってからも、名刺には「記者」の肩書きを一貫して使ってきた。報道記者の仕事に対する誇りや使命感みたいなものがあって、それが「記者」という呼称を使うことへのこだわりになっていたのだ。愛着と言ってもいいかもしれない。

 しかしその一方で、雑誌や新聞に書いた署名記事や単行本の奥付けは「ジャーナリスト」としてきた。取材先や講演などで自己紹介する時にも「ジャーナリスト」と名乗っている。「記者」だけにすると、どこの組織に所属する「記者」なのかと必ず聞かれるし、かといって「ジャーナリスト」なんて言い方はなんだか偉そうなのだが、ほかに適切な表現が思い付かなかったから仕方がない。まあ、苦肉の策という感じである。そんなわけで、名刺の「記者」の肩書きと整合性がとれていないなあとずっと気になっていたのだけど、これからはすべて「ジャーナリスト」で統一することにした。

 ちなみに僕は、「ライター」という呼称は好きではないので使わない。ポリシーや誇りや使命感と関係なく、エロでも未確認情報でもプライバシー侵害でも宣伝記事でも、無節操になんでも請け負って書き散らす「書き屋」といったイメージが強い。公権力を監視するジャーナリズムとはかけ離れているように思える。そこにこだわりがある僕としては、どうしてもなじめない呼称なのだ。もちろん立派な仕事をしている「ライター」もいるだろうけど、少なくとも僕は前述の理由から「ライター」とは名乗りたくないので、「ライター」という肩書きは絶対に使わないことにしている。

 夕方から、都内の弁護士事務所。「日の丸・君が代」強制に反対する教員らの裁判について、午後9時過ぎまで会議。教員の思想・良心の自由を強調するだけでなく、生徒の思想・良心の自由を守っていくという視点での運動をしないと、世論の支持は広がらないのではないかと指摘しておく。都立高校を定年退職したH先生とラーメン屋で遅い夕食。意気軒高で柔軟な先生の発想と活躍ぶりには舌を巻くばかりだ。往復の電車内で試験答案の採点。少しずつでもこなさなければ終わらない。「のだめ」の放送が始まる前に帰宅。


1月27日(土曜日) 例会と飲み会

 午後から横浜・関内。ジャーナリスト会議(JCJ)神奈川支部の例会。世話人の方に自著新刊の書評の件などでいろいろとお世話になったこともあったし、新聞記者時代の元同僚のK記者が、憲法問題の取材活動について話をするというので、少しだけ顔を出す。市民運動やマスメディアの現状や問題点について、興味深い報告と分析が聞けて面白かった。ほんの少しのつもりが1時間半も腰を落ち着けてしまう。もっと話を聞いていたかったのだが、次の予定があったので残念ながら途中退席して、西横浜の居酒屋へ。県立高校のN先生の退職を祝う会。先生のざっくばらんな人柄というか人徳というか、教員仲間や研究者ら50人近くが集まった。周囲の人たちから「本の宣伝をしておきなよ」と声をかけてもらったので、あいさつの中でしっかり新刊についてアピールさせてもらう。すでに買って読んだという方も何人もいて感謝感謝。本当にありがたいことだと思う。和気あいあいで楽しい会だった。


1月28日(日曜日) 英語学習とNOVAのCM

 テレビで流されている英会話教室のNOVAのCMを見て、最初は「なんだこりゃ」とあきれていたけど、最近は「面白いじゃないか」と思うようになってきた。というのもこのCMは実は、「英語の勉強よりもっと大切なものがあるはずだ」「そもそも英語よりもまずはコミュニケーションの力を身につけなさい」と、日本人に親切にも鋭く忠告してくれていることが分かってきたからだ。きっとそうじゃないかと思う。たぶんそうに違いない(笑)。

 NOVAのテレビCMというのは、公園でジャングルジム?の下敷きになった白人男性が「ヘルプミー」と叫んで助けを求めるのだが、高校生か大学生くらいの女の子は英語が話せないという理由でそのまま放置し、「ごめんなさい」と涙ぐんで慌てて英会話を習うためにNOVAに向かう…というあれである。英語が分からなくてもその場の状況は理解できるだろうに。というか、英語が話せなくても助けられるじゃないか。同じようなパターンで、ペンキ塗り立てでなくてクリームが塗りたくられたベンチに座ろうとしている白人男性を、同じ女の子はやっぱり英語が話せないからという理由でそのまま座らせてしまい、いつもと同じようにNOVAに向かうというCMもある。英語なんか話せなくても、ベンチに座るのを止めようと思えば止められるじゃん。

 マジでアホじゃないかと思っていたら、今度は白人男性が「タスケテクダサイ」と日本語で助けを求めているのに、英語が話せない女の子はまたまたNOVAに駆け込む…とまあそんなCMまでが登場したのには、飲んでいたお茶を思わず吹いてしまった。しかもご丁寧に、一緒にいた友達が女の子に「あれって日本語だよ」と不思議そうに声をかけるオチまでついているのだ。

 ここまでくればいくら鈍い視聴者でも、このCMが描いている光景の馬鹿馬鹿しさが分かるだろう。英語学習よりももっと大切なものがある、それはコミュニケーションの能力である。外国語が話せなくたって、身ぶり手ぶりでもなんでも相手に伝えることはできるし、相手の言いたいことも理解することはできる。そんなこともできなくて、外国語を勉強しようなんて本末転倒もはなはだしい。そういう意味では、日本語がろくに使いこなせていない小学生に英語を教えるのも本末転倒だろう。まずは日本語をしっかり勉強して、読解力や理解力や表現力を身につけて、自分の考えをきちんと伝えられるようになることこそ最優先されるべきだ。日本語でコミュニケーションできないのに、貴重な授業時間を英語学習に費やしてどうするつもりだと言いたい。というわけでNOVAのCMは、意思伝達が満足にできない日本人のお粗末さと不思議な英語学習熱を、誇張した映像表現で見せてくれたのである。たぶん。


1月29日(月曜日) NHKニュースは広報だ

 NHKの幹部とニュース部門の責任者は、「NHKと自民党政治家との距離感のなさ」が批判されていることへの自覚がまるでないんだなあ…。今夜のNHKニュースを見て改めてそう思った。そんなことは百も承知で平然とニュース番組を制作しているのだとすれば、それはもう「報道」ではなく、自民党の「広報番組」を意図的に垂れ流していると言っていいだろう。いずれにしても、NHKのニュースは腐りきっている。ジャーナリズムではない。

 従軍慰安婦をめぐる「女性国際戦犯法廷」を取り上げたNHK教育テレビの番組内容が、政治家の圧力によって放送直前に一方的に改変されたとして、法廷を主催して取材協力した市民団体がNHKと制作会社に損害賠償を求めた裁判で、東京高裁は「NHK幹部は政治家の意図を汲んで当たり障りのない内容にするように指示し、修正を繰り返した」と認め、NHKに200万円の支払いを命じる判決を言い渡した。さて、このニュースをNHKはどのように伝えたか。夜7時のニュースでは、番組が始まってから15分後に約2分間にわたって伝えた。NHKにしてみれば、全面敗訴なのであまり大きな扱いにはしたくないだろう。それでも判決内容を詳しく紹介し、市民団体の代表者が「まさに全面勝訴だ。NHKはこの高裁判決に真摯に向き合ってほしい」などと記者会見で訴えるシーンを流すとともに、NHKの「不当な判決でただちに上告した」などとするコメントを放送した。まあ、それなりに公正でバランスが取れている、と言えないことはない。

 絶句したのは、夜9時の「ニュースウオッチ9」である。番組が始まってから23分後にようやく放送したのはいいとして、市民団体の代表者が記者会見で訴えるシーンはすべて削除されていた。代わって流されたのが、「政治家から圧力があった」と報じた朝日新聞に対する批判で、しかも中川昭一政調会長と安倍晋三首相を登場させて、「自分たちこそ被害者である」などと語るシーンを延々と流し、「政治家の圧力などなかった」と強調するのだった。露骨に一方的な伝え方だなあ。7時のニュースから2時間の間に何があったのか。あまりの激変ぶりに唖然呆然である。

 NHKの番組改変問題は「放送と政治家の距離」が最大の問題点だ。それを、朝日新聞の報道内容の是非に矮小化させるのは、いかにも「論点ずらし」を企図しているとしか考えられない。そもそも放送前の番組内容に政治家があれこれ口を挟むこと自体が、十分に「圧力」だろう。そのような政治家の意を受けて、NHK幹部が制作現場に番組内容の修正を指示するなんて、独立した報道機関の幹部がする行為ではない。


1月30日(火曜日) 都内

 午後から都内。高田馬場の喫茶店で、都立高校の現役の管理職から話を聞く。都教委や学校現場の様子などについて情報交換。夕方から中野。「日の丸・君が代」の強制問題を考える集会の実行委員会に顔を出す。保護者と教員が実行委の中心メンバー。裏方スタッフの配置を決める手際が見事だなと感心する。終わってから飲み会に誘われて、駅前の居酒屋へ。午前1時前に帰宅。アニメ「デス・ノート」の放送にはぎりぎり間に合った。


1月31日(水曜日) うす汚い国

 「女性は産む機械だ」などと発言した柳沢厚生労働大臣に対する批判が広がり、罷免を求める声が日増しに強まっているが、安倍首相は「職務を全うしてほしい」とあくまでもかばい続ける姿勢を崩さない。反省したからいいという問題じゃなくて、厚労相としての資質の問題だと思うんだけど、安倍首相にはそういう認識はないようだ。「女性は産む機械だ」と公言した人物に対して「全身全霊を傾けて職務を全うしてもらいたい」と明言したのだから、安倍首相はぜひその姿勢を参院選まで貫いてほしいと思う。あなたの内閣で「美しくない日本」「うす汚い日本」を作ろうとしていることを、包み隠さずにはっきりと示し続けてください。


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