身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2008年4月1日〜4月30日

●2週遅れで確定申告●打ち合わせ●飲み会●村山由佳「聞きたい言葉」●授業準備●反応上々●「逆宣伝」の聖火リレー●国会議員の卑劣な映画介入●アニメ「図書館戦争」●校長も我慢の限界?●花粉症は一段落?●死刑判決/厳罰化を煽るマスコミ●映画「靖国」試写会とシンポ●メールサーバーがダウン●チベット便乗右翼の醜態●カッコいい伊達公子の復帰●道理が通らない●●●ほか


4月1日(火曜日) 2週遅れで確定申告

 2週間遅れで確定申告の書類を提出する。夕方から出かけたので提出会場には人はまばらだったが、税務署の職員のチェックリストをのぞいたところでは、同じように今ごろ提出に来ている人たちが1日に百数十人ほどいるようだ。最盛期にはアドバイザーとして何十人も会場に詰めている税理士は、この日は3人だけで書類作成の相談や質問に応じていた。数少ない税理士をずっと独占していたおばちゃんが、「もしも仮に将来離婚したとしたらここの数字はどうなるのかな」などと人生相談みたいな質問を始めた。こりゃ時間がかかるかなと心配になったが、あらかじめ自分で書ける部分は記入して行ったので、税理士に書類を見てもらって20分ほどで手続きは完了する。あーあ、すっきりした。


4月4日(金曜日) 打ち合わせ

 午後から都内。「冤罪ファイル」の第3号の打ち合わせ。新しく執筆陣に加わる新顔のライターさんも参加。やはり予想していたように7時間を超える会議となった。午前中から出席していた編集者たちは10時間以上だとか。夕方までの議論はそこそこ面白くて刺激があったが、その後の3時間ほどは堂々巡りで蛇足だったなあ。僕は連載を含めて3本の記事を担当することになった。終了後、新大久保のアジア屋台村で編集部員と遅い夕食。


4月5日(土曜日) 飲み会

 夕方から東京・丸の内。元警視庁の警察官で警察ジャーナリストの黒木昭雄さん、痴漢冤罪事件などに取り組むジャーナリストの池上正樹さんらと飲み会。面白くて興味深い話がたくさん聞けて、とても楽しい3時間だった。再開発された丸の内に立ち並ぶビル群の一角は実にカッコいい街に変身。センタービルの中の飲み屋もしゃれた感じで料理も美味しい。日本酒は苦手なんだけど、これもすっきりした味ですごく飲みやすかった。


4月6日(日曜日) 村山由佳「聞きたい言葉」

 電車の中で、眠くない時にちょろちょろと読んでいた村山由佳の小説「聞きたい言葉」(おいしいコーヒーのいれ方・シリーズ9)文庫版を読み終える。かれんの新しい生活がスタートする直前に、勝利との関係がほんの少しだけ進むといういつもの内容だが、1年に1冊のこのペースだと亀の歩みよりもゆっくりで、どこがどう進展したのかよくわからなくなってくる。まあ、村山ファンの一人としては、文体やら表現やら話の進め方みたいなところもそれなりに興味があるので、これはこれとして別にいいんだけど(苦笑)。


4月7日(月曜日) 授業準備

 授業準備。総合講座で「新聞記者」「仕事における組織と個人」をテーマに話をするのだが、導入部分や全体の構成をこれまでと少し変えて、レジュメをあれこれ作り直してみた。「記者に対するうさん臭いマイナスのイメージ」から話を始めることにした。マスコミへの不信感を抱いている世代には、その方が共感してもらえるだろうし、その後の話をするにしても説得力が増すのではないかと考えたのだ。あと、話がくどくなりそうな部分は、ばっさりカットすることにする。まあ、こんなところかな。


4月8日(火曜日) 反応上々

 午後から授業。発達した低気圧の影響で、ものすごい風雨が吹き荒れる悪天候の一日。突風に何回も飛ばされそうになる。傘は持っていても開けない。駅から大学までの道ばたには、壊れた傘の残骸が少なくとも20本以上は放置されていた。こんな日に外に出るのは嫌なんだけどなあ。僕が学生なら自主休講にするところだが(おいおい)、立場が違うのでさすがにそういうわけにもいかない。でもって新年度最初の授業は、働く側から仕事の意味について考える総合講座「仕事」。毎回いろいろな講師がリレー形式で登場する。今年はなぜか僕がトップバッターを務めることになった。

 あいにくの天気だというのに大勢の学生が出席。しかもほとんど私語も居眠りもなく、最後まで真剣に話を聴いてくれたのでちょっと感動する。「ジャーナリズムの本来あるべき姿」と「記者が本来やるべき仕事」について理解させた上で、しかし現実のマスメディアの現場は、「ジャーナリズムの本来あるべき姿」とはかけ離れた実態があることを生々しく話した。でもこれはメディアの世界だけの話ではなくて、同じような問題は企業や役所や学校でも起きている、というのがきょうの話のポイントだ。

 キーワードは「何のために、だれのために、どこを向いて仕事をしているのか」だ。「何のために、だれのために取材して記事を書いて新聞を作っているのか」という新聞記者への問いかけは、食品会社や自動車会社や役所で働く人たちにも同じことが言える。「読者のため」というのは「消費者のため」「納税者のため」ということ。そう考えれば、おのずと自分がどんな行動を取るべきかは見えてくるだろう。反応は上々だった。「記者に対するマイナスイメージが変わった」「誇りと責任を持って仕事をしたいと思う」「組織の中でも言うべきことは言える人間でありたい」など、期待していた以上の反応が返ってきた。話の導入部分や構成をこれまでと少し変えて組み換えたのが、よかったのかも。


4月9日(水曜日) 「逆宣伝」の聖火リレー

 中国政府のチベット政策に抗議して、北京五輪の聖火リレーへの妨害が相次いでいる。ロンドン、パリ、サンフランシスコと、聖火リレーの行く先々で抗議デモや混乱が続いているが、いったい何のために聖火リレーをやっているんだろう。聖火を手にして世界中を走れば走るほど、チベット問題が大きくクローズアップされて、チベットでの中国の「人権弾圧」が世界に向けて発信され、さらに批判や抗議の声が高まることになるわけだけど、それでもなお聖火リレーを続ける意味が分からない。北京五輪と中国の宣伝どころか、まさに逆宣伝になっている。中国のイメージダウンもはなはだしい事態だと思うが、たぶん国家の威信がかかっている大イベントなので、もはや今さら中止することはできないのだろう。

 抗議活動をしているのはチベット民族だけではない。人権問題に敏感な聖火リレー通過国の市民や文化人らも、同様にチベット問題に不快感を示している。抗議の声を上げているのは決して「一部の反中国分子の仕業」ではないのだが、こうした国際世論の高まりに対し、中国政府と中国の国民がナショナリズムを爆発させて、偏狭な愛国心から「逆ギレ」することを心配する。国内問題としてのチベット問題と国際世論について、これを機会にぜひ冷静に議論してほしい。北京五輪そのものに反対しているのではないのだから。


4月10日(木曜日) 国会議員の卑劣な映画介入

 国会議員向けの試写会をきっかけに、在日中国人監督が撮影したドキュメンタリー映画「靖国」の上映中止が広がった問題で、さらに今度は国会議員が、映画の中心的な登場人物である靖国刀の刀匠に連絡し、「刀匠が出演シーンの削除を希望している」などと国会で取り上げた。わざわざ映画の出演者に第三者がコンタクトを取って、本人に出演場面の削除を希望させるとは、これぞまさに「働きかけ」「介入」「圧力」そのものだろう。むしろまさに「マッチポンプ」ではないか。「表現の自由」などという言葉を持ち出すのさえもったいない。なんとも気持ち悪い行為だ。

 そもそもドキュメンタリーというのは、登場人物の意図や思惑と必ずしも一致するとは限らない。もちろん取材者と取材を受ける人との信頼関係は重要だが、取材を受けた人が事前に思い描いていた趣旨に沿ったものしか認められないということになったら、ドキュメンタリーなんてものは成立しない。ルポルタージュにしても同じだ。編集権や表現手法の主体はあくまでも取材者側になければ、独立したジャーナリズムとしてのメッセージは発信できない。

 ましてや、あらかじめ説明や話し合いをして了解していた登場人物が、唐突に姿勢を翻したとなれば、そこにはなんらかの「働きかけ」があったと考えざるを得ない。ドキュメンタリーの存在そのものを根底から否定する暴挙だ。なんて卑劣なんだろう。民主主義やそれを支えるジャーナリズムの意味を、かけらさえも理解していない国会議員が平然と存在することに戦慄を覚える。


4月11日(金曜日) アニメ「図書館戦争」

 昨夜から始まったフジテレビ系の木曜深夜アニメ「図書館戦争」が面白い。同名シリーズの小説が原作。「公序良俗を乱し人権を侵害する表現」を取り締まる「メディア良化法」による検閲や権限が恣意的に拡大解釈され、抵抗する者には武力の使用も認められているという近未来社会が舞台だ。表現の自由をあからさまに弾圧するこうした政府の検閲に対し、地方自治体に所属する図書館は「図書館自由法」を唯一の根拠として、自己防衛組織「図書隊」をつくって抵抗を試みる。そんな設定をベースにして、大好きな本を守りたくて志願した新人の女性隊員(主人公)の成長と図書隊の活躍が描かれる(らしい)。とは言っても基本的にはラブコメなので、話はテンポよく進んで堅苦しさはまるでない。

 原作を読んだことはないが、アニメとしてはすごく面白かった。焚書をテーマとした社会風刺のSF小説「華氏451度」や、戦前の特高警察による言論弾圧を彷佛とさせる。そうした話と考えていいのだろうが、最近の保守タカ派の政治家を中心とした言論統制や情報統制の動きを考えると、全くの絵空事であり得ない話だとも思えない。そういう意味ではタイムリーだと言える。国民の「知る権利」と表現の自由を守るために、図書館は必要不可欠な存在だ。図書館の自由を守ることは民主主義を守ることでもある。このアニメが、公共図書館のあり方や表現の自由の大切さについて考えるきっかけになれば、全国の図書館員たちも本望だろう。今後の展開に期待している。


4月12日(土曜日) 校長も我慢の限界?

 夕方から某所で都立高校の現役校長に会って、2時間半ほど話を聞く。「校長の権限と責任を尊重する」などと言いながら、不当で横暴な無理難題を押し付けてくる都教委のやり方に、そろそろ我慢の限界がきたらしい。これまでも何十回とそうした話に耳を傾けてきたが、きょうはかなり頭にきているのか、それなりに腹を決めたようでもあった。問題はどういうタイミングでいくか、だなあ。


4月15日(火曜日) 取材申し込み

 東京弁護士会がドキュメンタリー映画「靖国」の試写会とシンポジウムを開くというので、取材の申し込みをした。マスコミ各社からも問い合わせが集中しているらしい。電話とファクスでやり取りをして、とりあえず取材枠は確保。興味深い議論に期待する。


4月17日(木曜日) プレート

 午後から横浜市内。冤罪事件の支援組織から事件の概要などを取材。図書館で調べもの。館内を見回してみたけど、日本図書館教会の「図書館の自由に関する宣言」(図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る)のプレートなんてどこにも掲げられてないなあ。各図書館の姿勢で異なるのかな。きょうの深夜アニメ「図書館戦争」(フジテレビ系)も面白かった。


4月19日(土曜日) 花粉症は一段落?

 きのうまでの大雨と強風によって花粉がすっかり洗い流されてしまったのか、なぜかきょうは、鼻炎薬を飲まなくても花粉症の症状はほとんど出てこない。ひとまず小康状態だ。このまま花粉症が治まってくれたら、すごくうれしいんだけどなあ。


4月22日(火曜日) 死刑判決/厳罰化を煽るマスコミ

 山口県光市の母子殺害事件の元少年の被告に対する差し戻し控訴審で、広島高裁(楢崎康英裁判長)が死刑の判決を言い渡した。こういう判断がなされるだろうことは、最高裁が差戻した瞬間からあらかじめ分かっていたことだが、あまりにも乱暴な判決ではないかと思った。冷酷残虐で非人間的な犯行であることはその通りだろうが、供述内容や主張が途中で変わることは、必ずしも不自然だとばかりは言えないのではないか。しかし判決は「反省とはほど遠い」と断じて死刑判決の根拠とした。これで死刑に対するハードルは一気に下がったことになる。

 僕は死刑廃止論者ではないが、死刑の判断は慎重にも慎重を期して、その上で「死刑以外はない」とだれもが納得するような特別な事件に限るべきだと思っている。どんな凶悪事件の犯罪者であっても、合法的にその人間の命を抹殺するわけだから、死刑は「特段の事情」がある場合に限るべきだと思うのだ。それでは、この光市母子殺害事件のケースが「特段の事情」に該当するかというと、僕は疑問に感じてしまう。被告の元少年は犯行時は高校を卒業したばかりの18歳で、残忍な犯行だが殺したのは2人だった。過去のさまざまな事件に対する判例を比較すると、やはり最初の一審と二審が判断した無期懲役の量刑が妥当ではないだろうか。

 被告の元少年はあまりにも未熟だった。そんな未成熟な元少年をあっさりと断罪して、死刑にしてしまっていいのだろうかと不安な気持ちを抱いてしまうのだ。一昨日の深夜に放送されたTBSテレビのドキュメンタリー番組「報道の魂」(「光市母子殺害事件〜もうひとつの視点」)を見たから、余計にそんなふうに思うのかもしれない。遺族の男性が「元少年には死んでもらいたい」とテレビカメラの前で繰り返し、被告と弁護団に対する憎悪と一方的な情報がマスコミによって流される中で、厳罰化の世論が形成され、極刑が当然という制裁感情が広まっていった。そんな中で最高裁は、無期懲役とした一審と二審の判決をひっくり返して審理を差し戻したという背景がある。情報統制と群集心理の観点から見ても、これはとても怖いことだと思う。扇情的な世論を煽るマスコミの責任が問われてもいる。メディアの罪も重い。

◇◇

 午後から横浜市内。冤罪事件とその無罪判決について、担当した弁護士から話を聞く。


4月23日(水曜日) 映画「靖国」試写会とシンポ

 午前中から都内。霞が関の弁護士会館で、ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の緊急試写会とシンポジウムを取材する。初めての一般向け試写会ということだが、やはり法曹関係者が多い。知り合いの弁護士の顔もちらほら見かける。しかしそれよりも取材陣の多さにはびっくりした。内外のテレビカメラの放列がずらっと並ぶ。用意された約200席に対して1500人の応募があったそうだ。腕章を巻いた警備の職員も多数動員。ものものしい雰囲気と厳戒体制の中で試写会が始まった。

 映画の前半は、靖国神社に集う「民族派」の生態が淡々と描写されていく。高齢者の姿が目立つ。旧日本軍の軍服に身を包んだいわゆる右翼の面々が「天皇陛下万歳」と叫び、大声や奇声をあげながら行進や参拝をする様子は、さながらコスプレファッションを披露する秋葉原のオタクたちのようでもある。もちろん本人たちは大真面目で真剣そのものなのだろうが、見方によってはかなりエキセントリックで滑稽な行為としか思えない。

 そんなカオスともいえる様相の境内に、「小泉首相の靖国参拝を支持します」と書かれたプレートと星条旗を掲げた米国人男性が登場する。最初は「外国人も分かってくれている」と握手攻めにあっていたのに、そのうち「星条旗なんか掲げるな」と怒鳴られ排除されてしまう。訳が分からないといった様子で、しょんぼりと靖国神社をあとにするこの米国人の後ろ姿が衝撃的だった。「徹底した異物の排除」の論理が、靖国神社に集う人々には貫かれていることを象徴するようなシーンだった。

 このあたりから、描写はぐっと本質に迫る。境内で開かれた追悼集会で反対の声をあげて参列者から袋だたきにされる青年、靖国神社による一方的な合祀に抗議する台湾の遺族たち。靖国神社をめぐる混沌としたさまざまな状況を見せながら、カメラが繰り返し映し出すのは、靖国神社のご神体とされる日本刀を今も現役で鋳造する寡黙な刀匠の姿だ。刀匠は狂言回しとしての役回りで登場するのだが、靖国神社の原点ともいえる刀匠のところに映像が戻ってくることで、不思議なカオスの空間にとりあえず静寂さと秩序をもたらしている(ように見える)。靖国神社という存在の不思議さはさらに深まるばかりだ。

 シンポジウムでは、文化庁の助成金のあり方を問題視していた自民党の国会議員が、次第に映画の「内容そのもの」に対して介入や圧力を強めていく様子が指摘され、さらに上映する映画館側の自主規制や委縮・自粛につながっていった実態が報告された。最も問題にされるべきなのは、自分とは異なる立場の意見表明や表現を一切認めず、封殺しようとする国会議員の行為だろう。政治的圧力を加えることが、「表現の自由」にどんな結果をもたらすことになるのか、あまりにも無神経で鈍感すぎる。しかも平然とそういうことをしているのが弁護士出身の国会議員であるのが、なんともお粗末で情けない。日本社会の「表現の自由」を支える基盤の弱さと危機的状況が露呈してしまった。

◇◇

 夕方から渋谷へ。週刊D誌から企画特集の提案があったので、編集部で打ち合わせ。日程的にできるかどうか分からないけど、とりあえず検討してみることにする。


4月24日(木曜日) メールサーバーがダウン

<ご連絡> 各位

 プロバイダーのメールサーバーでトラブルがあり、22日早朝ごろから本日24日午前までの間、メールの送受信ができなくなっていました。この間にみなさまから送信していただいたメールの大半は、たぶんエラーで送信完了できずに、はねられていたと思われます。まことにご迷惑をおかけしました。

 24日午後1時現在ようやく復旧したようですので、もしもこの間に送信していただいたメールがあれば、お手数ですが再度お送りいただけますでしょうか。メールアドレスの変更はありません。どうぞよろしくお願いいたします。

池添徳明(大岡みなみ)

【追伸というか独り言】つーか、迷惑メールがあまりにも多すぎるから(1日200通〜300通)、サーバーに負荷がかかってトラブルが起きるんじゃないのか。大勢の善良な市民がものすごく迷惑していると思うんだけどな。監督官庁は迷惑メール業者に対して毅然とした態度で対応し、厳しく取り締まるべきだ。役立たずの役人が天下りするために意味不明で無意味な財団をつくって、ふざけた金額の退職金を税金からかすめ取るくらいなら、こういう対策に人とカネを使えよと言いたい。まったくもってけしからん(怒)。


4月26日(土曜日) チベット便乗右翼の醜態

 北京五輪の長野での聖火リレーをテレビで見た。北京五輪を応援する中国国旗と中国のチベット政策に抗議するチベットの旗が林立する様子が、テレビ画面に大きく映し出されていた。中国人の過剰にエキサイトした愛国心は行き過ぎだと思うし、チベット人が中国政府に抗議するのは当然だと思う。だが、コース沿道で「チベット支援」と称して中国批判を絶叫している人たちのうち、いったい何人が本物のチベット人やチベット支援者だったのだろうか。チベット問題に便乗した日本の右翼が、ここぞとばかりに中国批判の街宣活動を展開しているのは明らかだった。それなのにテレビ各局のほとんどは、「北京五輪を応援する中国人留学生と中国に抗議するチベット支援グループが大勢集まっている」「両者が対立して小競り合いをしている」といった伝え方しかしなかった。どうしてそこではっきりと「日本の右翼」の存在を報道しないのか。

 旧日本軍の旗や「日中国交断絶」などと大書したのぼり旗を振り回し、「中共(中国共産党のこと)うんぬん」などと大音量の拡声器で絶叫しているのは、どこからどう見ても右翼団体の構成員だろう。チベット支援を訴える集団の中には、そんな人物が多数見受けられた。チベット支援組織の代表としてインタビューに答えていたのは、有名な右翼団体幹部だった。長野の聖火リレーで小競り合いになったのは、中国人とチベット人(と支援グループ)だけではない。チベット問題を政治利用して罵声を浴びせ、中国への反発や憎悪を煽った日本の右翼が相当数いたはずだ。

 もちろん中国政府は、聖火リレーをめぐって世界中でなぜこんな異様な状況になっているのか、その理由をしっかりと受け止めて深く反省すべきだと思う。しかし日本の右翼がチベット問題を口実にして、不毛な民族・国家間の対立や国粋主義を煽るのは、そもそもチベットの人たちに対して失礼であるばかりか、チベット問題の解決にもなんらプラスにはならない。

 しかも冷静な言論活動に徹するならいざ知らず、挙げ句の果てには暴力行為におよぶなど、これでは日本の恥を世界中にさらすようなものではないか。日本社会の民主主義の成熟度や民度の低さ、治安の悪さをアピールするだけだ、ということさえ理解できないとは情けない。なんとも見下げ果てた「愛国者」だ。

 ちなみに今回の長野の聖火リレーでは、中国国旗とともに「日の丸」の旗も一緒に掲げる姿が沿道に少なからず見られたのでほっとした。オーストラリアなどで行われた聖火リレーの際には、大勢の中国人留学生が中国国旗で沿道を埋め尽くしていた。五輪は中国人だけのために開催されるのではない。「いったい何のためのだれのための聖火リレーなのだろう」と強い違和感を覚えたのだが、長野はそれとは若干様子が違っていた。日本の中国人留学生たちのホスト国への「気配り」に少し安心した。それだけに、右翼の執拗なまでの挑発行為が余計に際立ったとも言える。


4月29日(火曜日) カッコいい伊達公子の復帰

 1996年に引退した女子テニスの伊達公子選手が、約12年ぶりに37歳で現役復帰して、国内の大会でやや苦戦しながらも順調に勝ち進んでいる。全盛期の伊達選手はものすごくカッコよくて、それまで見ることもなかったテニスの試合を、テレビで観戦するくらい興味を持つようになったんだよなあ。だから引退のニュースを聞いた時は心から残念に思った。復帰した伊達選手は12年のブランクを感じさせない熱戦を展開しているそうだが、何よりもそのチャレンジャー精神がすごい。20歳も年下の高校生を相手に粘って逆転勝ち。さすが世界トップレベルの実力は健在だ。ピンチをひっくり返す姿を見せることで、後輩に大いに刺激を与えるなんてカッコよすぎる。常に前向きな伊達選手の姿勢を見習いたいと思う。


4月30日(水曜日) 道理が通らない

 租税特別措置法改正案が衆院本会議で与党などの3分の2以上の賛成で再可決され、ガソリン税などの暫定税率が復活する。歳入不足や道路財源確保などを理由にしているが、デタラメで無駄な税金の使い方や道路利権はそのまま放置しておいて、さらに税金だけは国民からたんまりとふんだくるというのは、どう考えても本末転倒で道理の通らない話だ。そもそも民意からかけ離れている。

 マイカーのガソリン価格だけの話ではない。燃料費の値上げはいずれすべての物価にはね返ってくる重大問題である。政府や地方自治体が、無駄遣い是正や利権解消などやるべきことをしっかりやって、それでもどうしても歳入不足だから税金が必要だというなら話は分かるが、何の対応策も講じていないのに税金はむしり取るなんて、まるで説得力がない。今すぐに衆院解散・総選挙をして国民に信を問うべきだ。


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