●不要なダム建設中止は当然だ●もう来年の手帳●東京落選おめでとう●つかみは成功●裁判員裁判と死刑●きょうから本題●松川事件「佐藤一さんを語る会」●事件報道と人権●野村監督の胴上げ●参院補選●しょっつる鍋●知的好奇心●「福岡事件」模擬法廷で無罪評決●●●ほか
10月1日(木曜日) 不要なダム建設中止は当然だ鳩山新政権が打ち出した群馬県の八ッ場(やんば)ダムの建設計画中止の方針に対して、地元自治体や地元住民が「ダム建設推進」を主張するのは明らかにおかしなもの言いだ。巨費を投じて自然破壊までして、必要のないダムをどうしてあえて建設しなければならないのか。そもそも巨大ダムの計画は自民党政府のゴリ押しで推進されてきたもので、地元住民の大半はもともとダム建設に反対していたのだから、強引に立ち退きを迫られて破壊された生活の補償を求めるのなら分かる。だが、住民が「ダム建設推進」にこだわるのはどう考えても理屈に合わない。筋が違うだろう。
治水や利水を錦の御旗に掲げているが、実際には必要のないダムを建設しようとするのは、そこに利権が絡んでいるからにほかならない。自民党の政治家や建設業者が「ダム建設の中止反対」を主張するのなら筋は通っているが、地元住民がダム建設にこだわるのはおかしな話だ。そもそもダムの建設計画そのものに無理があったわけで、必要ないダムの建設計画は中止するのが筋だろう。住民はそのために被った被害をきっちり補償するように民主党政府に要求すべきで、政府は住民の思いに誠意をもって応える責任がある。
10月2日(金曜日) もう来年の手帳2カ月ぶりに髪の毛をカット。文具売り場に2010年の手帳が並んでいたので購入。もうそんな時期なのか。来年のカレンダーの売り出しもそろそろ始まって、そうこうしているうちに、年賀状を書かなくてはならない年末もすぐに到来することに…。ああ面倒くさいなあ。時間が過ぎるのが早く感じる。
10月3日(土曜日) 東京落選おめでとう2016年のオリンピック開催地はブラジルのリオデジャネイロに決定し、東京は2回目の投票で落選した。よかったよかった。南米で初めてのオリンピック開催となるわけで、きわめて順当な結果だと思う。東京にどうして2回目のオリンピックが必要なのか、そもそもそこのところがさっぱり分からなかったし、東京招致で勝手にヒートアップしていたのは石原都知事や五輪関係者が中心だったのだから、国内世論も盛り上がりようがない。巨額の税金は使われるわ、過剰警備や渋滞で大変なことになりそうだわで、都民の多くは東京オリンピックなど望んでいなかった。そういう意味でも東京の落選は実にめでたいことだと言わざるを得ないが、石原都知事に懇願されて、この忙しい時に無理やり招致演説のため国際オリンピック委員会(IOC)総会に駆り出された鳩山首相もえらい迷惑だったろう。それにしても、これまで湯水のように費やしてきたPR費用は実に無駄だった。オリンピックの東京招致に限らず新銀行東京にしても、石原都知事は税金の使い道を間違えている。
10月5日(月曜日) 企画編集会議夕方から東京・四谷。東京都の教育行政や卒業式での「日の丸・君が代」について、高校生や大学生ら若い世代に広く議論してもらう資料作成の企画編集会議。少し前に都立高校で実際に発行された高校新聞のデータなどをもとに、高校生の意識や考え方を全面に押し出した内容で、全国紙ふうの紙面をレイアウトして提示したところ、出席していたスタッフ全員に結構おもしろがってもらえた。全体会議で正式に提案されることになる。しかし補足取材は必要になるし、なんやかんやで結局は本文記事もほとんど僕が書くことになるんだろうなあ。まあプレゼンしたからには、そうなるのは覚悟していたことだから仕方ないか。
10月7日(水曜日) つかみは成功午後から授業。大型の台風が近付いてきて風雨が徐々に強まりつつあるというのに、なぜか前回よりも学生の出席者数がぐっと増えている。多めに用意したレジュメや資料のプリントが、ほとんどなくなってしまって焦った。きょうは前回に引き続いて基本的な説明をして、これからの講義にすんなり入れるような導入を図る。同じ日付の同じ題字の新聞であっても、配られる地域によって全く違う見出しと記事に差し替えられるといった話は、みんなまるで知らないことだし考えたこともなかっただけに、多くの学生が強い興味と関心を持ってくれたようだ。具体的な紙面を並べて比較しながら解説したので、余計に新鮮な驚きを感じたらしい。その上で、新聞記者の仕事の流れや取材スタイルなどをざっと説明して、マスコミとジャーナリズムはイコールではないこと、権力を監視して国民に判断材料を伝えるのがジャーナリズムの最大の仕事であることを強調したのだが、その部分にも多くの学生が理解と共感を示してくれたのでホッとした。なかなか手ごたえありだったかも。
10月9日(金曜日) 裁判員裁判と死刑夕方から東京・霞が関。弁護士会館で開かれた日弁連の「裁判員裁判と死刑」を考える集会を取材。裁判員裁判を扱ったフジテレビのドラマ「サマヨイザクラ」の上映後、原作者の漫画家と通信社記者がディスカッションした。ドラマはテレビ放送でも見たが、最後の20分ほどがあまりにエキセントリックで、唐突に真相解明されるどんでん返しの結末になっている。この部分はいらないだろうと再び見た今回もやはりそう思った。それにしても2時間近くも延々とビデオ上映するのは、なんだかなあという感じだ。
ディスカッションでは、「弁護士の言葉が裁判員に届いていないなあと感じる。弁護士が示すべき論点を示していないので、裁判員は被害者感情でいっぱいになっていた」(記者)と弁護士の力量不足のケースを指摘し、「裁判員が全員一致で死刑に投票するのはあり得ないと思う。全員一致は非現実的だ」(漫画家)と全員一致による死刑評決の提案を疑問視する発言が印象に残った。ちなみに、「国が人の命を奪うのは戦争と同じくおかしい」と考える通信社記者は死刑反対派で、漫画家は「被害者遺族の感情をないがしろにしている被告人が死刑判決で自らの罪の重さに気付くことがある」との考えから「紙一重で死刑存置」派だという。「死刑の評決は全員一致のみにすべきだ」(記者)、「死刑判断は裁判員裁判から外してほしいと思う」(漫画家)という意見に同感。
10月14日(水曜日) きょうから本題午後から授業。最終的な履修登録者数が確定したが、結局のところ最初に聞いていた人数の約2・5倍になった。まあこのうち実際に出席するのは7割くらいだろうけど。きょうから講義はいよいよ本題に。ジャーナリズムをめぐる問題点について、さまざまな角度から具体的な説明をする。今回は「記者って何だろう」というテーマで、記者が本来やるべき仕事とは何か、何のために記者をやっているのかといった基本を解説。「権力を監視して主権者に判断材料を伝える」ことの意味に力点を置いた。その上で、伝えるべき記事が紙面に載らない実態などかなり生々しい事例も話したが、「記者がどうして存在しているのかよく分かった」といった感想がいくつも返ってきて、学生の反応はとてもよかった。
10月18日(日曜日) 松川事件「佐藤一さんを語る会」午後から東京・水道橋。「松川事件」の容疑者の一人として死刑判決を言い渡され、1963年に最高裁で逆転無罪が確定し今年6月に87歳で亡くなった佐藤一さんを語る会を取材。佐藤さんは釈放後、戦後史研究家として「下山事件」「狭山事件」など多くの冤罪事件を精力的に調査・検証し続けたことで知られる。この日の集会では第1部で、「松川事件」の担当弁護士や労働問題の研究者、心理学者が「冤罪事件と戦後史研究」について報告。第2部では研究グループの仲間やマスコミ関係者、冤罪事件関係者らが、佐藤さんの人柄と思い出を語った。
刑事事件の目撃証言や自白の真実性について研究を続けている奈良女子大教授の浜田寿美男さんは、刑事訴訟法では証拠に基づいて事実認定するのが建て前でありながら、実際には予断やごまかしで証拠が作られ事実認定されてしまう現実を指摘。「戦後は終わったと言われるが、刑事裁判の世界では戦後は終わっていない。敗戦直後に起きた事件と全く同じ構図の冤罪事件が、今も相変わらず起き続けている。不確かな技術によって証拠が集められ、想定された物語に従って自白が作られているからだ」と述べ、佐藤さんの遺志を今後も引き継いでいくことを誓った。
挨拶した関係者は一様に、やさしくきめ細かでありながら信念を曲げず、情熱的に行動した佐藤さんの人柄に言及。「基本に忠実によく調べてからものを言え、というのが研究会での佐藤さんのメッセージのポイント」「現場を歩いて検証するのが基本の人だった」「突然の訃報に愕然としている。もっと話をしたかった」」などと悼み、弁護士の一人は「司法修習生の時に集会で話をうかがったのが最初だった。事実を中心に、きちんとした事実がなくて裁判も運動もないと言われた」としみじみ振り返っていた。取材する立場の一人としても、どれも心にしみ入る深い追悼の言葉だと感じた。
会場には知り合いの編集者や研究者らの姿もちらほら。「甲山事件」で逆転無罪となった山田悦子さんもいらっしゃっていた。かつて取材でお目にかかって以来の再会だ。「甲山事件」報道については、僕の担当する授業でも毎年のように触れている。そのことを山田さんに伝えたらとても喜んでくれた。
夕方、旧知の写真家と久しぶりに東京・神田で会う。喫茶店でインターネットについて議論に。僕はインターネットをそれなりに利用して活用もしているが、ネット社会はそれほど信用も期待もしていないし、裏付けの取れない匿名の書き込みや情報に信憑性はないと考えているので、話はかみ合わず。今度はもっと笑えるバカバカしい話で盛り上がりましょう。
10月21日(水曜日) 事件報道と人権午後から授業。事件報道の現状と問題点について話をする。逮捕された容疑者がイコール犯人であるとは言えないこと、推定無罪の原則が刑事裁判の基本であることなどを説明し、「被疑者の人権」も「被害者の人権」もどちらも等しく守られなければならないと強調した。市民の側も事件を伝えるメディアの側も、そうした基本的な理解が決定的に欠けている。学生の多くも同様だが、授業終了後に集めた出席カードには、「これまでそんなことを考えたこともなかった」「深く考えさせられる講義だった」「これからはニュースの見方が変わると思う」といった感想がたくさん書かれていた。自分自身の問題として受け止めて、あれこれ一生懸命に考えているのが文面から伝わってくる。予想していた以上に反応がいい。足利事件や酒井法子被告らの裁判に注目が集まり、痴漢冤罪をテーマにしたドラマが放送されるなど、興味や関心を持ちやすい環境も影響しているのかも。「のりピー報道はやり過ぎだと思う」という意見も目についた。その通りだと思う。足利事件の再審よりも「のりピー関係」の裁判の話題に、多くの時間を使うテレビのワイドショーには呆れるばかりだ。
10月22日(木曜日) 空腹時のスーパー空腹時にスーパーの食料品売り場に立ち寄ってはいけないことは十二分に分かっていながら、なぜかついつい立ち寄って、そしてついつい余計に買い過ぎてしまう。きょうもそうだった。目の前に美味しそうなものがあると、衝動的に手が伸びてしまうのだ。いくら学習しても、懲りずに繰り返してしまうなあ。安売りのジーンズを3本購入。これは空腹とは全く関係ない。
10月24日(土曜日) 野村監督の胴上げ気温はぐっと低く、冷たい雨が強めに降り続く一日。長そでシャツの腕をまくった半そでの格好だと、さすがに少し寒い。上着の着用が欠かせない日もこれから多くなってきそうだ。
プロ野球パ・リーグの楽天が、クライマックスシリーズ(CS)第2ステージの第4戦で日本ハムに3敗目を喫して敗退。今季で引退する野村監督は試合終了後に、楽天と日本ハムの両チームの選手に胴上げされた。スポーツニュースで胴上げシーンを見たが、なかなか感動的だった。負けたチームの監督が、自軍だけでなく相手の勝ったチームの選手も一緒になって胴上げされるなんて、極めてまれなケースだろう。日本ハムはおおらかで心の広いよいチームだ。
野村監督の功績は、ほとんど寄せ集めの選手で構成されたメチャメチャ弱い楽天を、今季パ・リーグ2位にまで育て上げただけではない。試合後に発信される野村監督のぼやきコメントは、思わず耳を傾けたくなる面白さがあった。野球ファン以外にもアピールし、多くの注目が楽天に集まることになった。楽天のみならずパ・リーグ全体にも、とてつもない宣伝効果があったと思われる。僕は阪神タイガースのファンだが、ここ数年は阪神とともに楽天の勝敗もとても気になった。それほど、野村楽天は気になる存在として輝きを放っていた。それだけに野村監督の今季限りでの引退は惜しい。この日はセ・リーグでは巨人が日本シリーズ進出を決めたが、楽天と日本ハムの試合に比べたらすっかり影が薄くなってしまった。個人的にもそんなのはどうでもいいという感じだけど。日本シリーズではぜひ、日本ハムに頑張ってもらいたい。応援している。
10月25日(日曜日) 参院補選参院補選の投開票日。締め切り1時間前に投票所へ。時間が遅いせいもあって、僕のほかに投票者はだれもいない。しかし選挙期間中も、補選が盛り上がっている様子はほとんどなかったなあ。数日前に私鉄の駅前で自民党の候補者と地元代議士が、大々的に運動員を動員して演説していたのを見かけたくらいだ。選挙結果は、神奈川、静岡ともに民主党の新人が当選。とりあえず政権交代の「お試し期間」として、鳩山内閣が支持された格好だ。
10月26日(月曜日) しょっつる鍋夕方から東京・四谷で編集会議。終了後、都立高校の先生たちと近くの飲み屋街にある秋田料理の店へ。外は冷たい雨と強風でえらく寒い。温まるものをということで、しょっつる鍋を頼んだ。初めて口にする鍋だったが、地元の魚から作ったという調味料の塩魚汁(しょっつる)による味付けが、なかなかまろやかで美味しい。秋田の地酒もとても飲みやすかった。日本酒に合う鍋だった。
10月28日(水曜日) 知的好奇心午後から授業。編集局の新聞制作の中核として、ニュースの価値判断をする整理部記者の仕事について話す。限られた時間と文字数で、正確・的確で人目を引き付ける見出しを付け、読みやすいレイアウトを考えるのは、もちろん整理部記者の基本的な仕事だ。しかし、整理部記者にはもっと重要な役割がある。どの原稿をどのように扱って、原稿のどの部分を見出しに取るのかによって、訴えるものが全然違ってくることを具体的な紙面で示し、何よりも問われるのは、整理部記者の姿勢や視点や問題意識であることを説明した。前回の授業よりも、さらに食いつきがよかった気がする。授業について書いてもらう感想文は講義が進むごとに分量が増えてきているし、深くて鋭い内容が多くなっているのを実感する。ちょろっと漏らした言葉に意外と敏感に反応してくれて、知的好奇心が刺激されている様子なのがうれしい。いい感じだ。僕が学生の時もそうだったが、先生がオマケのようにポロリと話したことの方が、むしろ本題の話よりも心に残ったり影響を受けたりするのかもしれないな。
10月31日(土曜日) 「福岡事件」模擬法廷で無罪評決関東学院大学の小田原キャンパスへ。同キャンパスに行くのは初めて。小田原駅から山の中に向かって歩いて20分ほど。ミカン畑などが広がる風景を横目に緩やかな山道を登って行くと、ほとんど遠足気分のようだ。法学部の学園祭で行われた裁判員裁判の模擬構成劇を取材する。戦後初めて死刑判決が言い渡された「福岡事件」を題材に、裁判員裁判で再現する構成劇を法学部のゼミ生たちが企画した(フェリス女学院大学の学生らも協力)。この事件は強盗殺人の罪に問われて死刑が確定した2人のうち、1人は死刑が執行され、もう1人は恩赦減刑後に保釈され昨年11月に亡くなったが、現在も再審請求が続いている。
模擬構成劇は起訴状朗読から論告まで、学生の力のこもった脚本と熱演によって2時間近く続けられ、さらに裁判員による評議の様子もすべて公開された。模擬法廷の判断は6対3の評決で無罪。無罪判決が示されると、再審請求運動を支援してきた熊本県の住職が感極まって、傍聴席で思わず嗚咽を漏らす場面もあった。「(模擬裁判ではあるけれども)亡くなった2人にこの無罪判決の声を聞かせてやりたかった。大学生がこうやって福岡事件に関心を持ち続けてくれるのはとても心強いことです」と生命山シュバイツァー寺の代表・古川龍樹さんは話していた。