身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2009年8月1日〜8月31日

●「セカンド」更新●何を伝えるか●十分な審理だったのか疑問●事実を淡々と●静岡で震度6弱●裁判員裁判を早急に見直せ●暑気払い●「気骨の判決」「戦争とラジオ」●衆院選公示●「新聞と戦争」●3色ボールペンの教訓●自民党チラシに見る断末魔の叫び●選挙の話題●残暑見舞い●有権者の雪崩現象を考察●民主308議席の歴史的圧勝●●●ほか


8月1日(土曜日) 「セカンド」更新

 「セカンドインパクト」を2カ月ぶりに更新しました。「ルポルタージュ」のページに、「都立高校長の反乱」とその続編「元校長が都教委を提訴」の2本の記事(前文・小見出し・写真説明・初出のみ)を掲載。東京都教育委員会に反旗を翻した都立三鷹高校の元校長・土肥信雄さんに焦点を当て、5年前から取材してきた内容をまとめたルポで、「世界」と「創」に執筆したものです。


8月3日(月曜日) 何を伝えるか

 初めての裁判員裁判が東京地裁で始まったのを受けて、テレビ各局は熱心に法廷の様子や制度を取り上げたが、中でもNHKは朝から夕方まで相当な時間を割いて中継や解説を続けた。裁判員裁判がどういう流れで進められるかを広く国民に知ってもらうという意味では、それはそれでいいと思うけど、大事なのは「何を伝えるか」だろう。選ばれた裁判員は女性が5人で男性が1人であることだとか、法廷のどの位置に座ったとか、冒頭陳述で検察官は分かりやすい言葉で説明したとか、裁判員が法廷で発言しなかったとか、ほとんどどうでもいいようなことばかり何回も繰り返し伝えているのにはがっかりした。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の基本原則について、裁判官は裁判員に対して事前にきちんと説明したか、「推定無罪」の原則に基づいて審理されているかどうか、それこそが最も伝えるべきニュースであるはずなのに、そこがすっぽり抜け落ちていたからだ。

 今回の事件は被告人が起訴事実を認めているので、被告人が犯罪事実そのものを争ういわゆる「否認事件」とは異なる。しかしそうだとしても、被告人を最初から「悪者」として扱うのは、公正な刑事裁判の審理とは言えないだろう。他人の命を奪う行為はもちろん許されないが、事件に至るまでには何らかの事情があったかもしれないし、もしかしたら被告人にも言い分があるかもしれない。そういう観点から考えれば、被害者の遺族が法廷で被告人に尋問などをする「被害者参加」制度についても、被告人が一方的に非難されることには疑問がある。否認事件ならばなおさらだ。犯人であることを前提として、被告人が遺族から非難されるのはおかしな話ではないか。そういうことをきちんと指摘するのが、メディアの役割であり責任だと思う。


8月6日(木曜日) 十分な審理だったのか疑問

 全国初の裁判員裁判で、東京地裁は殺人罪に問われた被告人の男に懲役15年(求刑・懲役16年)の判決を言い渡した。量刑の懲役年数はともかく、検察側の主張をそのまま全面的に認めた判決理由は、裁判員の「市民感覚」なるものに少なからず懸念を感じた。殺人行為は被告人も認めている事件なので、この裁判では起訴事実そのものに争いはないという。ところが、隣人関係の日常トラブルが発展して口論になった末に起きた事件であると、被告人側が一貫して主張していたにもかかわらず、判決ではそうした被告人側の主張はすべてばっさり切り捨てられた。

 もちろんどんなトラブルがあったとしても、刃物を持ち出しての殺人が決して許される話でないのは言うまでもない。しかし日ごろからトラブルがあったのだとすれば情状として考慮する余地はあるだろうし、被害者と加害者の間でさまざまな応酬があったとしてもおかしくはないし、これまでのうっぷんがたまって暴発することも全くあり得ない話ではない。それなのに、すべて被告人の作り話として全否定する判決には、果たして本当に十分な審理をしたのだろうかという不安を感じてしまう。目撃者である近隣住民の証言のあいまいさや、調書との食い違いも気になるところだ。

 起訴事実を被告人が認めていて、量刑判断だけすればいい「単純な事件」だとされていながら、それでも裁判が始まってみれば、実は犯行の背景には吟味すべき事情がいくつもあり、目撃証言や調書の矛盾も浮かび上がってきた。わずか4日の日程で判断してしまっていいのだろうか、という素朴な疑問が生じる。そもそもあらかじめ決められたスケジュールに合わせて、とにかく審理を終わらせて判決を言い渡すことに無理があるのではないか。ましてや、被告人が起訴事実を全面的に争う否認事件や、あるいは死刑や無期懲役刑を選択するような事件なら、審理すべきことは今回の比ではないだろう。わずか4日で終わるはずもない。

 職業裁判官による裁判には、刑事にも民事にも疑問や不信感がたくさんある。だからとりあえず刑事裁判に市民が参加して「市民感覚」を入れることで、司法の現状を変えようという理念は理解できるが、今回だけでも裁判員裁判の問題点や不備はいくつも見えてきた。こうした課題を放置したまま裁判員裁判を進めれば、公正な裁判によって守られるべき被告人の利益を著しく侵害するばかりか、ずさんな審理によって事実認定や事件の背景解明をゆがめて、裁判そのものの信頼性を損なうことになりかねない。慌てて無理をせずに、慎重に立ち止まることがあってもいいのではないかと思う。試行錯誤を重ねるのはいいが、不公正な裁判で判断されたら被告人も被害者もたまったものではないだろう。


8月7日(金曜日) 事実を淡々と

 夕方から都内。学校現場への「日の丸・君が代」の強制問題について、分かりやすく説明するパンフレットの編集会議。一方的な価値観や思い入れたっぷりの解説を書き連ねるよりも、事実を淡々と述べた方が説得力があるし共感が得られるのではないか、といったことを提案する。大学の授業でも同じなのだが、都立高校の状況をありのままに説明するだけで、話を聞いた学生たちの反応はとてもいい。「日の丸・君が代」に対する考えは千差万別だし、好き嫌いの感情もみんな違うが、東京都教育委員会の強権的な姿勢に対しては、7割〜8割の学生が「いくらなんでもそれはひどい」と強い拒否反応を示す。事実を語るだけで十分に伝わるのだ。余計な解説やアジテーションはいらないし、むしろ邪魔ではないかと思う。会議終了後、暑気払いを兼ねて居酒屋へ。生ビールがうまい。


8月11日(火曜日) 静岡で震度6弱

 明け方の地震はさすがにちょっと恐怖を感じた。午前5時7分。ドンと鈍い感じがしたと思ったら、かなり強い横揺れがしばらく続いた。これがまたいつまでも長く揺れている。結構大きい地震じゃないのか。急いでテレビのニュース速報を見る。天変地異や災害などこういう時はやはりNHKだ。間もなく震源は駿河湾で、静岡の中部・西部は震度6弱と判明。横浜は震度4だった。ちなみに教育テレビも含めて、各局が地震速報の特別番組を放送している中、テレビ東京だけは延々と通販番組を流し続けていた。さすがは独自路線でわが道を行くテレビ局のことだけはある。これはこれでスゴイと思う。ただ単に人員と機材がないだけという説もあるが。


8月12日(水曜日) 裁判員裁判を早急に見直せ

 全国で2例目の裁判員裁判の判決がさいたま地裁で言い渡されたが、借金返済をめぐって知人を包丁で刺し1カ月のけがを負わせたこの殺人未遂のような事件も、裁判員裁判の対象となるのはどうも釈然としない。法律でそのように定められているのは分かるが、事前準備に大変な手間ひまがかかる割には、審理期間は大幅に制約されていて、にもかかわらずそんな調子で1年間に2000〜3000件もの裁判員裁判をこなすのは、無理があり過ぎるのではないか。法曹三者や裁判員を任される国民の負担が大きいだけでなく、被告人や被害者にとっても十分な審理が尽くされないという点では、決して納得できる裁判にはならないだろう。

 最初のうちは注目されているからいいが、1年間に3000件前後の裁判員裁判があれば、すべてをチェックするのは難しいし次第に関心も薄れて、裁判の進行や審理内容の検証がおろそかになる不安は否めない。殺人、傷害致死、強盗致傷、現住建造物等放火などが対象とされている裁判員裁判の事件を、せめて起訴の段階で被告人が否認している事件に絞り込むなど、今からでも早急に法律の見直し作業に取りかかるべきだろう。とにかく裁判を開いてしまってから、試行錯誤しながら点検すればいいというのでは、そんな制度の下で裁かれる人たちはたまらない。裁判員裁判が必ずしも悪いとは思わないが、不備や欠陥があまりにも目につくのは明らかなのだから、ある程度の問題点を是正するまでは導入を停止すべきだ。


8月13日(木曜日) 暑気払い

 夕方から東京・吉祥寺。飲み仲間の弁護士や大学教授らいつものメンバーが久しぶりに集まって、おでんと和食の創作料理の店で暑気払いをする。昨年末に忘年会で利用した同じ店だ。おでんが専門の店らしく、じっくりと煮込んである牛スジが美味しい。刑務所の処遇や裁判員裁判の問題点、アップルの携帯電話"iPhone"がいかにスグレモノかという自慢話(聞いてるうちに欲しくなってきた)など、あれこれ尽きることなく話をしていると、あっという間に4時間も経っていた。冷たいデザートを求めて、飲み会の締めは駅前のレトロな感じの喫茶店へ。吉祥寺はええところや。お盆シーズンのせいか電車は上りも下りも比較的空いている。午前1時半帰宅。


8月16日(日曜日) 「気骨の判決」「戦争とラジオ」

 NHKスペシャル「ドラマ・気骨の判決」を見た。太平洋戦争中の総選挙では、政府や軍部の意向に従わない非推薦候補者は官憲や地方有力者らの組織ぐるみの妨害を受けて落選が相次いだが、この大政翼賛選挙のやり直しを求めた民事訴訟で、選挙無効の判決を言い渡した大審院判事(現在の最高裁判事)の吉田久を描いたドラマ仕立ての番組だ。吉田判事は政府や大政翼賛会などからさまざまな脅迫や嫌がらせを受けながらも、原告の地元である鹿児島に出向いて約200人の出張尋問を行う。時局や権力におもねることなく、法律家として何をすべきかという原点に基づいて毅然とした判断をしようとするその姿勢は、合議体を構成するほかの判事たちにも影響と感銘を与えて共感を得ていく。

 ちょうどこの番組と前後して、NHK教育テレビでは「ETV特集・戦争とラジオ(1)/放送は国民に何を伝えたのか」を放送していた。戦時下のNHK職員たちが、政府や軍部に都合のいい情報だけ垂れ流す宣伝番組を、いかに「積極的」に作っていったか、そして身も心も忠君愛国精神に満ちあふれた放送局員となるための教育が、いかにNHKの組織ぐるみでなされたかを、貴重な資料に基づいて自己検証する内容だった。

 NHKスペシャルの「気骨の判決」と「ETV特集・戦争とラジオ」の2つに共通するのは、社会や組織の巨大な力・流れを前にして、個人として何ができるのか、何をするべきなのか、どのように向き合えばいいのかを問いかけている点だ。これは裁判官や放送局員だけの話ではなく、ごく普通の市民であっても同じだろう。最終的には、その人の人間としての生き方や信念そのものが問われることになる。戦争と個人の関係というテーマを大きく超えて、とても意欲的で誠実ないい番組だった。さすがだなNHK。政府与党との距離が近過ぎるニュース部門と違って、ドキュメンタリー部門はなかなかジャーナリスティックで気骨がある。


8月18日(火曜日) 衆院選公示

 衆院選が公示。解散から1カ月近くも経っていて、既にポスターやチラシやそのほか事前情報がたくさん出回っているので、今週末が投票日であっても全く違和感はない。そもそも有権者がこれほど愚弄されて、民意を反映させる機会と権利がここまで引き延ばされた怒りは大きい。一刻も早く一票を投じたい気分だ。

 有権者の権利行使ということでは、「足利事件」の無実が確定的となって17年半ぶりに釈放された菅家利和さんは、今回の衆院選の選挙権が認められないという。菅家さんは再審開始決定を受けたが、現在は無期懲役刑の執行が停止されている状態で、無罪判決が確定していないので、法律上は選挙権を有していないことになるのだという。地元の選挙管理委員会としてはそのように対応せざるを得ないのだろうが、しかしこれでは、著しく社会正義に反する事態だと言わざるを得ない。人権侵害をさらに積み重ねることになる。衆院選の投票では、同時に最高裁判所裁判官の国民審査もあるだけに、なおさら菅家さんにはぜひとも一票を投じてもらいたい。この件は、裁判所の責任において適切な判断をするべきだろう。


8月21日(金曜日) 「新聞と戦争」

 午後から東京・神保町。ジャーナリスト仲間による勉強会「越境ジャーナリストの会」に参加する。太平洋戦争に加担していった朝日新聞の責任と歴史背景について、連載企画「新聞と戦争」で検証した朝日新聞編集委員の藤森研さんが報告。朝日新聞がそれまでの反戦・非戦の社論を開戦へとかじを切っていくのは、軍や右翼勢力からの圧力や暴力、不買運動、体制と癒着する記者個人の資質などによるところが大きかっただろうが、なんといっても熱狂する国民から「孤立する恐怖感」が決定打となったのではないか。報告を聞きながら、現在の社会状況やジャーナリズムを取り巻く状況とも通じるように思えた。しかし当時と今とでは、明確に異なるものがある。それが、表現の自由や平和主義を柱とする日本国憲法の存在なのだと、藤森さんは指摘していた。同感だ。だからこそメディアは憲法を大切に守るとともに、憲法を拠り所にジャーナリズム活動を続ける責任がある。終了後、近くの居酒屋で軽く食事。


8月22日(土曜日) 3色ボールペンの教訓

 仕事の際の筆記具に最近は3色ボールペンを使っている。取材した内容をノートにメモする時は主に黒インクを使うが、もらった資料やレジュメに書き込む時は赤や青のインクにするなど、場面に応じて使い分けができて便利だからだ。

 先日、安さに釣られて3本セットの3色ボールペン(中国製)を100円ショップで買ったところ、インクの出がまるで悪くて散々な目に遭った。取材先でメモを取ろうとしても、インクがなかなか出てこないのでメモできないのだ。取材内容を道具のせいで記録できないなんて、記者としてお粗末もいいところだし大損害である。焦燥感とイライラは募って精神的にもよろしくない。購入した3本ともインクの出はどれもイマイチだった。100円ショップの商品がすべて悪いとは思わないけれど、そこはやはり安かろう悪かろうであることを、それなりに理解した上で使いこなすべきなのだろう。そもそも仕事で使う基本的な道具はケチってはいけない。今回の教訓である。使い物にならない3本はゴミ箱へ。すぐさま駅前の文具店で、国内有名メーカーの商品を315円で購入した。


8月24日(月曜日) 編集会議

 午後から東京・新宿。季刊「冤罪ファイル」の編集会議。これはという企画がなかなか出てこなくて、議論が煮詰まる。そんなこんなで堂々巡りを続けながら、いつものように夜遅くまで会議は続くのだった。終了後、編集者やスタッフと駅前のファミレスで軽い食事と生ビール。午前1時前に帰宅。


8月26日(水曜日) 自民党チラシに見る断末魔の叫び

 衆院総選挙の投開票日まであと4日。郵便受けには選挙関連のチラシが毎日たくさん入っているが、きょう投函されていた自民党のチラシ(小冊子)には絶句した。「知ってドッキリ民主党これが本性だ!」「民主党には秘密の計画がある!」と題して、8ページにわたって荒唐無稽な「電波」を飛ばし続けるといった内容なのだ。3章構成の見出しは「民主党と労働組合の革命計画」「日教組教育偏向計画」「日本人尊厳喪失進行中」という具合で、自民党員でもまともな人なら決して口にしないような「妄想」や「誹謗中傷」のたぐいが延々と書き連ねられている。この日はほかにも、前回の国政選挙の際には目にしなかった「怪文書」も入っていた。

 よほど追い詰められているのか、なり振り構わないという必死さが伝わってくる。冷静に自分たちの政策や主張を有権者に訴えかけるのが、常識的で一般的な選挙活動だが、もはやそんな悠長なことは言っていられないのだろう。報道各社の世論調査や選挙情勢分析では、民主党が300議席以上を獲得する勢いなのに対し、自民党は100議席にさえ届かない可能性も指摘されている。政権交代はまず間違いないどころか、自民党候補者の多くはがけっぷち状態だ。相当厳しい現実を前にして、妄想による誹謗中傷だろうが自爆テロだろうが、この際もうなんでもありなのかもしれない。断末魔の叫びが聞こえてくるようだ。

 テレビの政見放送や政党CMを見ても、民主党と自民党では明らかに勢いが違う。なかでも自民党の政見放送は、それぞれの選挙区の候補者がせっかくいい感じでメッセージを訴えていても、麻生首相が登場してしゃべり出すとすべてがぶち壊しになってしまうとしか思えず、なんだか気の毒にさえなってくる。しかし民意をないがしろにし続けてきたのは与党議員自身なのだから、それもこれもすべては自業自得なのだが。いずれにしても、政権交代を求めるこの流れを変えることは無理だろう。


8月27日(木曜日) 選挙の話題

 駅へ向かって歩いていると、大学生らしい男子2人が総選挙について話をしているのが耳に入ってきた。後輩らしい学生が「でもとにかく民主党にやらせてみればいいと思うんですよね」と力説すると、先輩らしい学生が「うんまあそれは分かるんだけどさあ」などと言葉を選んでいた。おっ、微妙に見方が分かれているのか。というか、そもそも選挙を話題にするのが偉い。いずれにしてもこんな話をしているということは、今回の総選挙に少なからず関心を持っているわけで、たぶん彼らも日曜日には投票所に足を運んで一票を投じるのだろう。無党派層や学生ら若い世代も他人事ではない、政治が身近な話題になっている。そんな空気を強く感じる。


8月28日(金曜日) 残暑見舞い

 残暑見舞いの版下を作って、かもめーるのはがきにプリンターで印刷する。年賀状の10分の1ほどしか出さないから、プリント設定が面倒なので宛名はいつものようにすべて手書きだ。ちゃちゃっと片付けて、ちょこちょこっと短いメッセージを書いて終了。いずれも8月初旬にいただいた暑中見舞いへの返事なのだが、今月中に投函すれば、残暑見舞いとしてはセーフだろう。


8月29日(土曜日) 有権者の雪崩現象を考察

 いよいよ総選挙の投開票だが、民意がどっと雪崩を打つように民主党へ流れている現象には、3つほど理由が考えられると思う。まず1つ目は、「いい加減にしろ」「とにかく世の中を変えてくれ」という怒りと切実な願いが吹き出ていること。小泉政権の下でさんざんだまされて酷い目にあわされ、その後も安倍・福田・麻生の3人の首相が政権をたらい回しにする茶番劇を見せられ、社会も生活もずたずたにされた状況を有権者は実感したのだ。自民党政権に対して、「ふざけるな」という憤りと不満が社会に充満している。それが「政権交代」というフレーズへの大きな期待として結びついているのだろう。

 2つ目は、そうしたうっぷんを背景に、権力者が権力の座から転落する様を見て溜飲を下げたいというブラックな感情だ。明確に意識するかしないかは別にしても、深層心理として権力者を引きずり降ろしたいと期待する気持ちである。庶民の中にはそんなドロドロした思いがマグマのようにたまっている気がする。

 そして3つ目は、4年前の「郵政選挙」に対する率直かつ素朴な反省だ。有権者は深く考えもせずに小泉首相の「郵政民営化」のかけ声にあっさり乗ってしまい、なんと300もの議席を自民党に与えた。大量議席を傘に着たデタラメな政権運営によって、日本社会も国民生活もボロボロにされてしまったが、しかしすべては「郵政選挙」でだまされた有権者自身が招いた結果だろう。その反動がここにきて噴出しているのではないかと思われる。

 庶民感情・大衆心理というのはいつどっちに転がるか分からなくて、なんとも危なっかしい存在ではあるが、人間の心なんてしょせんそんなものかもしれない。考えてみれば民主主義はとても危なっかしい仕組みとも言える。とりあえず今回の総選挙では、傍若無人で傲慢不遜な振る舞いを続けてきた自民党政権に、有権者から手痛いしっぺ返しがお見舞いされることになるのだろう。しかしそもそも先進諸国では、政権交代なんてそんな大層な話でも珍しい話でもない。民主主義がまともに機能している国なら、政権交代はごく普通に起こることなのだ。本来ならもっと気楽に考えていい。


8月30日(日曜日) 民主308議席の歴史的圧勝

 衆院総選挙の投開票日。台風11号の影響でやや強めの風雨が出始めた夕方、近くの投票所へ。横浜市は市長選もあるので、選挙区と比例区、最高裁裁判官国民審査と合わせて、計4枚の投票用紙を受け取ることになる。勘違いして誤記入する人が必ず何人かいそうだが、大丈夫なのかなと心配になってくる。

 テレビ各局の選挙特番を興味深く眺めていると、投票が締め切られた午後8時になると同時に、「民主300議席超が確実」「政権交代へ」などと盛大にテロップとアナウンスが流された。出口調査や事前取材を積み重ねた結果だから、そういう早業にもなるのだろうが、さすがに「はやっ!」と驚いてしまう勢いだ。結果としては、民主党は308議席の歴史的圧勝で、自民党はトリプルスコアに近い大惨敗となったのだが。これからは民主党の国会議員が、自民党議員に替わって権力者としての力を行使することになる。課題は山積している。どんな政権運営をしていくのか、権力監視を最大の役割とするジャーナリストとして、さらに一人の有権者として、厳しい目でしっかりウォッチングしたいと思う。

 それにしても比例区での復活当選というのは、小選挙区制の欠点を補うものだというのは分かるのだが、感覚的(感情的?)にはどうにも納得できない。こんな候補者はいらないと、選挙区選挙で有権者がノーを突き付けたというのに、ゾンビのように復活して比例区で議席を獲得されるとがっかりする。重複立候補できないようにして、選挙区なら選挙区だけ、比例区は比例区だけに限って立候補する制度にすれば、退場してほしいと願う選択が生かされることになるのにと、選挙特番を見ながら何回もそう思ってしまった。


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