●徹夜で年賀状作成●「ダイ・ハード4.0」●大失敗の駅前食堂●永眠●復帰祝い●荼毘●初校ゲラ●小沢幹事長の最低な記者会見●自立した主権者●レポート採点終了●マナーと慣習●来年度のシラバス登録●「セカンド」更新/コラム11本掲載●持ち帰り●土曜ドラマ「チャレンジド」最終回●花粉症の徴候か●4カ月ぶりに髪の毛カット●新年会●鼻炎薬●高校新聞ふうパンフ●●●ほか
1月1日(金曜日) 徹夜で年賀状作成徹夜で年賀状と寒中お見舞いを作成する。デザインとイラストを決めて、近況報告などあいさつの文章を書いてまずは裏面の版下完成。続いて住所録を整理(訂正・削除・追加)。はがき160枚の裏面と宛名のプリントがすべて終わると昼過ぎになっていた。しかし今年は何のトラブルもなく、スムーズに印刷を終えることができてほっとする。プリンターにエラーが生じると、必要以上に消耗してぐったりするからだ。とまあそんなわけでのんべんだらりと、しょうもない正月のお笑い番組を見ながら、はがきの半数くらいに一言二言のコメントを書いていく。すべての作業が完了したのは深夜。なんとか無事にポストに投函する。相変わらずの突貫作業だが、今年は段取りに無駄がなくてよかった。
1月3日(日曜日) 「ダイ・ハード4.0」テレビ朝日の日曜洋画劇場で「ダイ・ハード4.0」を見た。地上波初放送。このシリーズはスリリングな展開と迫力たっぷりのアクションシーンが面白くて、毎回とても楽しみにしているんだけど、なぜかいつも映画館でなくテレビで見るんだよなあ。今回は凄腕のハッカーが米政府機関のコンピューターを次々に乗っ取って、サイバーテロを仕掛けるという話だ。相変わらずのマクレーン刑事の不死身の超人ぶりに、いくらなんでもそりゃ死んじゃうだろう…と呆れながらも、まさにその超人的な大活躍に引き込まれて、やっぱり最後まで見入ってしまった。面白かったなあ。相手のテロ組織のボスが最後の最後で、やけに小物っぷりをさらしてしまったけど。でもこの映画は公開された時に、劇場の大きなスクリーンで見るべきだったなあ。終わってからちょっと後悔した。
1月4日(月曜日) 執筆終日、原稿執筆。
1月5日(火曜日) 徹夜引き続き原稿執筆。徹夜でようやく仕上げる。編集部に送信。
1月6日(水曜日) 大失敗の駅前食堂2時間ほど仮眠して、午後から今年最初の授業。大学ってもっとたっぷり冬休みがあったはずだよなあ。新年早々の6日から授業だなんて最近は学生も先生も大変だなと思うが、4日から授業をやっている人に比べたらはるかに恵まれているのだろう。それはともかく、果たしてどれだけの学生が来るのやらと心配していたら、かなりの人数が出席したので安心&感心する。聞くところによると、さすがに4日は人が少なかったそうだ。あとそれから、あまり寝てないので頭がしっかり働かず、グズグズの授業にならないかというのも心配だったけど、なぜか満足できる内容の話ができた。ほっと胸をなで下ろす。反応もまずまず。H教授の研究室で1時間ほど、来年度から始める「文章講座」の相談と打ち合わせ。
雑務を終えて、大学の最寄り駅の駅前食堂に初めて入った。入ってすぐに少し後悔する。隣にあるうどん屋と店の中でつながっていたからだ。なんだそりゃ。それに酔っ払い客が多くて、すぐ隣で平然とたばこの煙をふかすのにも閉口する。注文した野菜炒め定食が20分近くしてようやく出てきた。ひとくち食べて、化学調味料がふんだんに投入されているのがすごくよく分かった。おまけに味付けがものすごくしょっぱい。ああやっぱり嫌な予感は見事に的中しちゃったなあ。味噌汁も恐ろしく塩辛かった。しかもこの店って午後7時半には終わっちゃうんだよ。それでなんで酔客が宴会をやってるんだよ。訳が分からん。間違っても二度とこの店には入らないだろう。いつものように学食で食べればよかった。
1月7日(木曜日) 永眠昨年暮れから入院していた父が亡くなったと、夕方に都内の病院から連絡が入った。午後10時近くになって病院に到着して、地下の霊安室で遺体と対面した。なんだか今にも起き上がってきそうな感じで、普通に静かに眠っているようにしか見えない。印象としてかなり大柄だったはずなのに、すっかり小さくなって横たわっている父の姿になかなか実感がわいてこなかった。故人の遺志ということで、葬儀は行わず家族のみが立ち会って荼毘に付す予定だ。
1月8日(金曜日) 復帰祝い昨年末に出稿した原稿の初校ゲラが届いていたので、ざっと簡単にチェックする。新体制になった編集部による最初の初校だけど、どうするのかなあと思っていたら、やっぱりわざわざ直さなくていいところまで手を入れて改悪していた。どうせ元に戻す指示をして二度手間になるだけから、余計なことをしなくていいのになあ。
夕方から藤沢。病気療養中だった県立高校の女性教諭T先生が、全快して職場復帰したのをお祝いする会。お誘いを受けたのでご自宅にうかがう。元気な様子に安心した。まだしばらくは経過観察と追加治療が必要ということだけど、無事に職場復帰できて本当によかった。僕のほかに現職と元職の4人の先生が参集。B先生の爆笑授業ネタ話やN先生の飲み屋の武勇伝に、顰蹙と驚嘆の声が上がるなど、ずっと笑いっばなしの楽しいひとときだった。
1月10日(日曜日) 荼毘午後から都内の斎場で、父に最後のお別れをして荼毘に付す。わずか40分ほどで、きれいな白い骨になって出てきた。あっけなくはかないものだなあと、しみじみ感じた。
1月11日(月曜日) 初校ゲラ今年出稿した原稿の初校ゲラをチェックする。いつもほぼ完全原稿の状態で出稿するようにしているので、誤字脱字や変換ミスなどは別にして、初校ゲラに手を入れることはほとんどない。ゲラの段階でたくさん赤を入れるのって、あまり好きじゃないんだよね。しかし今回は美学に反して、2段落にわたって約10カ所の表現を修正した。事実関係で気になることがあったので、出稿してから念のため取材先に確認したら、僕の理解と認識が微妙に間違っていたことが判明したからだ。執筆した文章のままでは明らかにまずい。全体の字数に増減がないように工夫して、最小限の修正で済むように赤を入れた。
1月12日(火曜日) 小沢幹事長の最低な記者会見民主党の小沢一郎幹事長がようやく、資金管理団体の土地取引問題について記者会見に応じた。やり取りをテレビで見たが、いやはやなんともひどい記者会見だった。話をはぐらかす、まともに答えようとしない、質問者を恫喝する…などなど、威丈高にもほどがあるといった姿勢で終始一貫していた。この人の場合こういう態度はいつものことだろうけど、しかしおよそ主権者たる国民に対し、政権与党の幹事長として説明責任を果たしたとは到底言えない。数々の疑問について何一つとして具体的な説明はなく、どこからどう見てもお粗末さと傲慢不遜な態度だけが際立っていた。これでは同様のはぐらかしが得意中の得意だった小泉純一郎元首相と、何ら変わらないではないか。そんなふうに思わせるのに十分な最低の記者会見だった。せっかく民主党に期待して政権交代させたというのに、いったいどこまで「がっかり感」を抱かせるつもりなのかと感じた有権者も、たぶん少なくないだろう。「国民の皆様のための政治」という言葉が、ただただそらぞらしく響く。
1月13日(水曜日) 自立した主権者午後から授業。今年度の「現代ジャーナリズム」の講義はこれで最後だ。来週は定期試験となる。これまでの講義のまとめとして、「伝える」「情報発信する」「表現する」というのは記者だけの行為ではないことを説明。自立した主権者(市民)であるためには自分自身の判断材料(モノサシ)を持ち、表現力やコミュニケーション能力を磨くことが大切なのだと強調した。大学生活でも社会人になってからも、そのまま活用できるし実感できる話だと理解してくれたのか、学生の反応はかなりよかった。まあそういうメッセージが伝われば、あれこれ熱く語った甲斐があったというものだ。
1月14日(木曜日) レポート採点終了手付かずでたまっていた100通近くのレポートの採点がようやく終わった。ちゃちゃっと軽く済ませるつもりだったのに、8時間もかかってしまった。そんでもって、もう一つの別のレポートの採点結果とともに履修者名簿に転記。しかしまあとりあえずこれで、来週の定期試験までにやっておくべき作業が、なんとかすべて片付いたわけでほっとする。ああ疲れた。目がしょぼしょぼする。このあと試験の答案を読んで成績評価するのかあ…。
1月15日(金曜日) マナーと慣習父が亡くなってから、対応の仕方や振る舞い方が分からなくて何かと戸惑うことが少なくない。マナーや慣習など、知っているようで知らないことが意外とたくさんあるからだ。「おめでとう」と言うのは慎むべきだろうし、そもそもこちらから口にしたくない言葉であるのは分かる。しかしマナーやしきたりや宗教的な因習による作法は、時代や地域や考え方によって実は解釈の幅が広くて、なかなか複雑でいい加減だったりするようだ。
例えば、こちらから年賀状を出していない方から届いた場合だ。これまで僕はもちろんすぐに年賀状を出してきたが、今回のように年始早々に不幸があった場合はどのように対応すればいいのか、考えたこともなかった。そのほかにも、新年会などに出席していいかとか、取材先で会った人に年始の挨拶はすべきでないのかとか(さほど親しくない人に説明するのもはばかられるし)、今秋にはやっぱり喪中はがきを出すべきなのだろうなとか…。全く気にならないかと言えばそんなことはないので少し調べてみたら、昔とは違って最近は、因習にとらわれて杓子定規に振る舞う人ばかりではないようだ。社会常識さえわきまえていれば、ケースバイケースで人それぞれの考え方で不都合はないらしい。
「おめでとう」という言葉を使わずに挨拶すれば公的行事に出席して問題はないし、喪中の側から年始の挨拶はしなくても、先方から年賀状を受け取るのは必ずしも問題ないなど、もっともだと言えば至極もっともな見解も少なくない。そもそも「死」を穢れとみなして否定的にとらえるのもいかがなものかと思うし、仏教の中にはそのような考えを否定する宗派もある(浄土真宗など)。それに仏教のほかに神道やイスラム教やキリスト教など、宗教によって死生観はさまざまだろうし。
その一方で、昔ながらの因習に従って行動する人たちはまだまだ多い。礼儀作法やマナーを指導するサイトをのぞいてみたら、「喪中と知らずに年賀状を出したことが分かったら、すぐにおわびの手紙やはがきを出しましょう」と書かれているのには驚いた。マジっすか。さらにそこでは、喪中はがきの書き方として「日付に西暦は用いない」と指導していた。西暦を使ってはいけない根拠がさっぱり分からない。なんだかなあ。こういうのを目にすると、細かいことなんかどうでもいいやという気分になってくる。
父が永眠した翌日、病気療養中だった県立高校の先生が職場復帰した「お祝い」の会に顔を出させていただいたが、のこのこ出かけてよかったのかなあと後になって不安になった。ごく内輪の集まりだし、元気になられた先生を励ましても非常識にはならないだろうと考えて、参加者のみなさんにも何も言わなかった(僕から「おめでとう」という言葉は意識して使わなかった)けど、先方にしてみれば失礼な振る舞いだったのだろうか。もしそうなら、おわびしなければならないなあ。今でもよく分からない。
それにしても、父はなんとも絶妙なタイミングで永眠してくれたなあと思う。僕の都合だが、新年になって年賀状はすべて出した後だったし、しかも原稿の出稿を終えて慌ただしさがとりあえず一段落して、今年最初の授業で学生に新年の挨拶をしたちょうどその翌日の逝去だった。こちらから年賀状を出さなかったのに頂戴した方が十人ほどいたが、その大半には年賀の挨拶状を投函していた。もしもこれが年の瀬や三が日の不幸だったら、アップアップ状態で収拾がつかなかっただろう。それってどれも自分の都合だけじゃないか、父親の旅立ちにひどいことを考えるやつだなと思われるかもしれないが、現実的にはついそんな想像をしてしまう。申し訳ないけど、その点では少しほっとしている自分がいる。
1月18日(月曜日) 来年度のシラバス登録来年度の授業のシラバスを書き上げて、学生や関係者だけが閲覧できる学内サイト「ウェブキャンパス」上で登録確定した。「現代ジャーナリズム」の講座はこれまでと同じ内容なので、前年度のものをそのままコピぺするだけでいいのだが、4月から担当することになった「文章を書く」講座はそうはいかない。全体の構成や授業計画などを、ゼロから新しく考えなければならないので少々手間がかかる。とりあえずシラバスが確定して、授業の概要や組み立ては決まったので残る懸案事項は教材だよなあ。どんな資料を配布すれば効果的か、あれこれ思案しながら収集しているところだ。
ちなみにシラバスの一部を紹介しておくと、次のような感じになる。参考までにどうぞ。
【現代ジャーナリズム】=2〜4年生対象
<授業の到達目標及びテーマ> 報道・ジャーナリズムの役割とは何か、何のために存在しているかを理解し、その課題や問題点について考える。その上で、メディアを主体的に見る目を養うとともに、「伝える」ことの大切さと意味を学ぶ。
<授業の概要> 取材現場の実態を具体的に紹介しながら、ジャーナリズムの「あるべき姿」を考えていきます。講義をすべて聴き終わった時には、ジャーナリズムに対する「見方」や「考え方」が大きく変わっているはずです。
<授業計画> <成績評価方法・基準> などは省略。
<履修上の注意(学生への指示)> 現代社会やメディアのあり方について問題意識を持ち、新聞を読む習慣のある学生が望ましい。記者志望・マスコミ就職を希望する学生も歓迎します。第1回のガイダンスは必ず出席して下さい。授業中の私語は、ほかの学生の権利を侵害する行為なので厳禁します。
◇◇ 【文章を書く】=1年生対象(30人までの履修者制限あり)
<授業の到達目標及びテーマ> 文章を書く(表現する)ことの基本を身に付けます。文章力・文章技術の学習だけでなく、「ものの見方」や「考え方」の大切さを学んでもらいたいと思います。視点や考え方がしっかりしていなければ、まともな文章は書けないからです。「伝えたいこと」「伝えるべきこと」を、的確に伝えられる市民になる講座を目指します。
<授業の概要> 論理的で分かりやすく、説得力のある文章を書くために何が必要か、実際に書くことを通して基本的な表現力を養います。授業は、参考になると思われるワンポイントをレクチャーした上で、みなさんが書いた文章について、気になった点を講評する形で進めます。毎回テーマを決めて、800字〜1200字の作文を宿題として翌週に提出してもらいます。
<授業計画> <成績評価方法・基準> などは省略。
<履修上の注意(学生への指示)> 第1回のガイダンスは必ず出席して下さい。宿題の作文は毎回提出すること。単位認定の必須条件です。授業中の私語は、ほかの学生の権利を侵害する行為なので厳禁します。
1月19日(火曜日) 「セカンド」更新/コラム11本掲載「セカンドインパクト」を更新。「新・大岡みなみのコラム風速計」シリーズに、計11本の記事を新しく掲載しました。いずれも過去の「身辺雑記」で書いた記事の中から、コラムとして改めて掲載するのにふさわしいと判断したものをピックアップ。それぞれ「身辺雑記」の内容をベースに加筆修正しました。こまめに少しずつ更新すればいいものを、ほんの少し時間ができたので、懸案事項だったこともあってまとめて更新しました。掲載したコラムのタイトルは次の通りです。
15)「嫌煙ファシズム」って何だ (2006年6月)
16)思い込みで発言する人々 (2006年8月)
17)「命令放送」は報道への政治介入 (2006年11月)
18)「記者」の呼称への愛着 (2007年1月)
19)「まず結論ありき」の新潮取材 (2009年4月)
20)「酔って全裸」で家宅捜索とは (2009年4月)
21)「被害者証言」の検証は当然だ・前編(2009年6月)
22)「被害者証言」の検証は当然だ・後編(2009年6月)
23)フェミニズム女性の的外れな主張 (2009年11月)
24)「市橋容疑者」に飛び交う怒号 (2009年11月)
25)「ビラ配布」有罪判決は妥当だ (2009年12月)
1月20日(水曜日) 持ち帰り午後から大学。後期の定期試験。さすがは試験の日だけあって、いつもの授業では見たことのない学生が何人もいる。試験だけ受けても、論述式だからまともな答案は書けないと思うけどなあ。それはともかく、今回は過去に経験したことのない貴重な出来事に遭遇した。大学の定めた試験心得では、開始から20分を過ぎて遅刻してきた学生には試験を受けさせないことになっているが、1人の男子学生が25分過ぎに教室に入ってきた。これまでは遅刻してくる学生がいても、せいぜい5分程度だったので支障はなかった。
担当教官の裁量によって対応はさまざまだということなので、とりあえず受験させることにして座らせた。で、開始から30分を過ぎると答案を提出して退場することが認められるのだが、数人の学生がぞろぞろと席を立ってざわついているそのどさくさに紛れて、なんとさっき遅刻してきた学生が、いつの間にか退席してしまったのだ。ええーっ、マジかよ。早々とあきらめてしまったのかな…。しかも答案用紙を持ち帰っていた。断念して途中退席するのは仕方ないとして、答案用紙は持って帰ってほしくなかったなあ。来年は同じ問題を出さない方がいいだろうな、やっぱり。
それにしても今回は、試験監督の補助についてくれた大学院生のアルバイトが、痒いところに手が届くように、実にテキパキと動いてくれてとても心強かった。何年か前になるけど、とんでもない大学院生のアルバイトがいたのを思い出した。試験監督の補助なのに遅刻してきて謝りもせず、試験の間もただ突っ立っているだけだった。それで大学からバイト代をもらうというのか。使えないにもほどがある。あっけにとられて、何も言う気にならなかった。そんなのと比べるのも失礼だが、きょうの監督補助は神のようだった。
1月21日(木曜日) 土曜ドラマ「チャレンジド」最終回見逃してしまって、ずっと心に引っかかっていたテレビドラマがあったのだが、きのうの試験が終わってから学校のパソコンルームでようやく見ることができた。基本スペックがあまり高くない自宅のパソコンだと、残念ながら一部で見られない動画サイトがあるのだ。学校のパソコンはさすがハイスペックなので、実に完璧にサクサクと動く。快適な環境できれいな動画を楽しんだ。
視聴したのは、不在時の録画を失敗したNHK土曜ドラマ「チャレンジド」の最終回(昨年11月放送)。病気で全盲になって辞職した中学校の国語教師が、理解ある校長のいる別の学校で復職し、生徒たちや同僚らの心をつかんでいく話だ。「チャレンジド」とは障害者のことで、「苦難を乗り越えてチャレンジする使命を神様から与えられた人」という意味だという。全5話のうち4回まで毎回楽しみに見ていただけに、感動の結末を見ることができてとても満足した。クラスの生徒たち一人一人と言葉を交わす場面は最終回の見せ場の一つだが、「金八先生」の卒業式のシーンのような不自然さや押し付けがましさはなく、違和感なくドラマにすっと入っていける。とことん生徒を信じる有言実行の熱血教師を、佐々木蔵之介が見事に演じ切った。
見ていて思わず涙があふれてきて困った。自宅ならいざしらず、パソコンルームにはほかにも学生がたくさんいる。さすがにこんなところで、画面を見ながらボロボロと涙をこぼすのはさすがにカッコ悪いものなあ。なんとか最後までこらえて、エンディングを迎えるのにかなりの努力を必要とした。実際に全盲で活躍している教師たちの姿をベースにしているドラマだけに、絵空事ではない説得力がある。とてもいい作品だった。高校教師に転身した元プロ野球の打撃コーチが主人公のNHK土曜ドラマ「フルスイング」(2008年1月〜2月に放送)とも通じるところがあると思った。
1月22日(金曜日) 花粉症の徴候かまさか、ひょっとすると、もしかして…と思っていたら、花粉がそろそろ飛び始めているというニュースをテレビで見た。飛散量としてはまだほんのわずかだとのことだが、反応する人は反応するらしい。なんとなく痒くて少しばかり鼻がムズムズするなあと感じていたのは、やっぱり花粉症の徴候だったのだ。いやはや、またまた憂鬱な季節がやってくるのか。本格的な花粉の飛散が始まるのは、関東南部だと2月上旬くらいからだという。最悪だ。
1月23日(土曜日) 4カ月ぶりに髪の毛カット午後から藤沢。県立高校の先生たちの自主研究会に参加する。ところがきょうは参加者が極端に少なくて、メインスピーカーの報告や議論に入れず、雑談だけで終わってしまった。珍しいけどこういう回もあるんだなあ。そんなわけで恒例の飲み会もなし。夕方の早い時間に横浜に戻って来れたので、4カ月ぶりに髪の毛をカットする。いくらなんでも4カ月は間が開き過ぎだと思うが、忙しかったので仕方ない。すっきり短かめにしてもらった。
1月25日(月曜日) 新年会夕方から都内。都立高校の先生宅で、教育裁判のパンフ編集企画会議。そのまま新年会へ移行。手作りのフルコース料理でもてなしていただいた。シチューやグラタンや鯛のカルパッチョなど、どれも手間ひまかかったと思われる料理が次々と運ばれてくる。ワインと一緒にとても美味しくいただいた。ごちそうさまでした。
1月26日(火曜日) 鼻炎薬花粉症の季節の到来を前に、自宅近くのスーパーの薬局で鼻炎薬の特売をやっていた。言うまでもなく鼻炎薬は必需品だ。もちろん即座に購入。通常の価格よりもはるかに安いのでとても助かる。昨年の残りの薬と合わせて、とりあえず安心できるだけの備蓄はできたかな。どこからでもかかってこいってんだ(嘘です、冗談です、お手柔らかにお願いします=涙)。
1月31日(日曜日) 高校新聞ふうパンフ都立高校の卒業式や「日の丸・君が代」問題について、イデオロギー色の強い教員側からの主張を聞かされるのはうんざりだと思っている人は、立場や考え方の違いなどを超えて結構多いのではないかと思う。どこの集会に行っても同じ顔ぶれに似たような話の繰り返しで、チラシやパンフレットのたぐいにしても、これまたどれも同じような一本調子のアジビラばかりだ。一方的な主張を押し付けるだけで、これでは議論にも何にもなるはずがない。幅広い世論に関心を持ってもうことなど、間違ってもまずあり得ないだろう。
そこで、もっと幅広く問題提起できるようなニュートラルなパンフレットを作ろうと、一部の先生や保護者ら市民グループの皆さんと企画会議を重ねてきた。この中で僕は「そもそも学校の主役である高校生たちはどう考えているのか、実際の声を紹介しながら問題点もわかりやすく説明して、広く考えてもらう材料を作るべきだ、新聞形式で作ってはどうか」と提唱したところ、2種類のパンフを作ることに決定。教育裁判などを紹介するソフトタッチなものは保護者と教員が作成し、高校新聞と一般紙をミックスしたような体裁のものは、僕が全面的に担当することになった。
とまあそんなわけで前置きが長くなったが、ようやく新聞版パンフのすべての原稿を書き上げた。4ページ建てで、それぞれの記事は短いけど全16本。割り付け(レイアウト)は昨年のうちに出来上がっていて、本当は中身も昨年末には完成させるつもりだったんだよなあ。しかしなにぶんにもこれはボランティア原稿なので、本業をないがしろにするわけにはいかないし…。公私ともになにかと忙しくて、ズルズルと大幅に遅れて今ごろになってしまった。あとは企画会議でメンバーの皆さんに確認してもらって、印刷所に発注すれば発行となる。卒業式シーズンの前には、生徒や保護者をはじめ市民に読んでもらえるようになるはずだ。東京だけでなく、ほかの地域でも討議資料として使えるのではないかと思っている。