●リニューアルで値上がり●高新連OBの集まり●「にいがた米スターズ」はいかが●小沢氏強制起訴の議決は当然だ●取り調べの可視化「お前が言うな」●アニメ「借りぐらしのアリエッティ」●「日中とクジラ肉」質疑2連発●取材対象との距離感とNHK●ラテン系らしい?鉱山救出●往生際悪い小沢氏の姑息な戦術●ポータブルHD●臨時総会●バックアップ●検察審査会批判はお門違い●不寛容な社会●バックアップ・その2●●●ほか
10月1日(金曜日) リニューアルで値上がり自宅の最寄り駅の駅前にある食料品専門のスーパーが、リニューアルオープンした。問屋から直で仕入れているせいなのか、他店よりも群を抜いて価格の安い商品が多いので重宝している。ところがスーパーに入っている一部の店鋪が入れ替わって、リニューアル後は以前に扱っていた商品のいくつかが店頭から消えてしまった。価格も全体的にやや上がったようだ。それでも他店よりお買得の商品はまだかなりあるのだが、やっぱりちょっと残念だなあ。
10月2日(土曜日) 高新連OBの集まり午後から東京・目黒の目黒雅叙園。1970年代まで活動が続いていた全国高等学校新聞連盟(高新連)の当時のメンバーらが集まる会に、関係者からご招待を受けたので参加する。高新連は生徒だけで運営されていた全国の高校新聞部の自治的な組織で、戦後の教育史から見ても貴重な存在だったと評価されている。この日の集まりは、かつての高新連の足跡を記録しようと開設された公式ホームページの10周年を記念して開かれた。首都圏を中心に、沖縄や名古屋、和歌山などから約20人の元高校新聞部員が顔を揃えた。
僕が高校に入学したのは高新連が活動停止した後なので、直接的な関わりは全くないのだが、雑誌「新聞と教育」の編集部から連載や原稿を依頼されて執筆していたとか、高新連と深い関係のある麻布高校元教諭の山領健二先生が弟の恩師であるとか、僕自身がかつて高校新聞部員だったし、高新連の後継組織を目指した「高校生新聞編集者連絡会」に何回か顔を出したことがあるなど、間接的なつながりはないこともない。また、高新連の公式HPの開設後は運営スタッフからしばしば連絡をいただいて、僕の書いたいくつかの文章が同サイトに転載されたりもしている。そんなことから今回の集まりにお招きくださったようだ。主催者に頼まれて「教育現場の現状」をテーマに簡単な講演をさせていただいた。
記念の集まりに参加されたのはいずれも大先輩ばかりで、創立時のメンバーの方などは80歳近くになる。言うまでもなく僕が最年少の若輩者だ。最初は緊張したが、皆さん気さくなのでとても楽しい時間を過ごすことができた。どなたも年齢に関係なく元気いっぱいなのに驚かされる。さまざまな分野で多才に活躍されている方々の話が聞けて勉強になった。
10月3日(日曜日) 「にいがた米スターズ」はいかがTBSが横浜ベイスターズの売却を検討しているという。経営がかなり厳しいみたいだからまあ仕方ないだろう。本拠地が新潟になるという話もあったようだが、とりあえずは横浜にとどまる方向らしい。しかしもしも新潟に本拠地を移すことになったとしても、日本有数の米どころであることを生かして、球団の名前を「にいがた米(ベイ)スターズ」にすればいい。そうすれば新旧のファンともさほど違和感なく、そのまま応援できるのではなかろうか。そして選手は美味しいお米をたくさん食べて、万年最下位からの脱出に向けて奮起するのである。なかなかいいネーミングのような気がするのだが、いかがなものだろうか。ぜひ検討されたい。
小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体の土地取引をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会は小沢氏を起訴すべきだとする「起訴議決」をしたと公表した。検察審査会が2回目の議決をしたことで、小沢氏は強制的に起訴されることになった。
これに対して、「プロである検察が総力を挙げて捜査して不起訴にしたのに、裁判で有罪になるだろうか。素人が起訴すべきなどと判断することにどんな意味があるのか。魔女狩りになる危険性はないのか」などという批判があるが、検察審査会制度の意味をまるで分かっていないとしか言いようがない暴言だ。公訴権を独占する検察を国民がチェックし、検察が起訴すべき事件を起訴しないのであれば、その怠慢をただすのが検察審査会の役割なのだから、素人である国民の目で判断することの意味は十二分にある。検察審査会の出した結論は当然だと言っていい。
東京第5検察審査会は今回の議決の中で、「国民は裁判所に無罪か有罪かを判断してもらう権利がある。検察官が起訴を躊躇した場合に、国民の責任において刑事裁判で黒白をつけるのが検察審査会制度だ」と述べている。実にあっぱれな心意気だと思う。そうした見解に基づく判断は至極もっともで説得力がある。有罪か無罪かが問題なのではなく、裁判の場できちんと審理されること、そしてそれを国民が権利として求めることこそが重要なのだ。
推定無罪の原則はもちろん尊重されるべきで、小沢氏についても同様なのは言うまでもない。小沢氏やその周辺が無罪を主張するのは結構なことだし、起訴を理由に小沢氏が議員を辞職する必要は全くない。しかし、土地取引をめぐる資金の流れや政治資金収支報告署の虚偽記載のいきさつなど、国民の疑問に対して真摯に説明する義務はある。形式的に答えれば事足りるというのではなく、何回でも繰り返し説明するのが公人としての責任だろう。これは刑事被告人であろうがなかろうが変わらない。
◇◇ 取り調べの可視化「お前が言うな」 郵便不正事件で押収した証拠のフロッピーディスクのデータが改ざんされたとされる事件に関連し、犯人隠避の疑いで逮捕された大阪地検特捜部の前副部長・佐賀元明容疑者が、取り調べの全過程について録音・録画を最高険に求めているという。取り調べの可視化は全面的に実現されるべきでそのことに全く異論はないが、それならば、佐賀容疑者自身が指揮した厚生労働省元局長の村木厚子さんの捜査の際に、なぜ同じことを主張して、村木さんの取り調べの全過程について録音・録画をするように指示しなかったのか。
おかしいではないか。捜査する側にいた時は平然と密室で取り調べていたというのに、自分が取り調べられる時だけ声高に可視化を主張することに、矛盾や良心の呵責は感じないのか。恥ずかしくないのだろうか。ご都合主義にもほどがあるし卑劣きわまりない。佐賀元明容疑者は、まずそのことを深く反省して釈明文を公表すべきだ。その上で、自分自身の取り調べについて録音・録画するように求めるのなら筋は通る。逮捕容疑事実の真偽のほどはともかく、佐賀容疑者は恥を知るべきである。
10月6日(水曜日) 休講創立記念日ということで、授業は休講。学生たちもうれしいだろうけど、僕もゆっくり休めてとてもありがたいです(笑)。
10月8日(金曜日) アニメ「借りぐらしのアリエッティ」午前中は横浜市内の映画館。遅ればせながらジブリアニメ「借りぐらしのアリエッティ」を観る。正直なところ「もののけ姫」以降のスタジオジブリ作品には期待していないし、それでも公開されたらとりあえず「かすかな期待」を抱いて劇場に足を運び、毎回ものの見事に「かすかな期待」を裏切られてきたのだが、今回はこれまでと少し違って比較的マシな作品だった。まず話の筋が分かりやすかったし、押し付けがましい説教臭さも感じなかった。さらにこれは物語としてとても重要なことだと思うが、主人公のアリエッティに感情移入できたのがよかった。キャラクターがかわいらしくデザインされているのはもちろん、感情表現や行動についても観客が納得できるように描くのは大切だ。このところのジブリ作品にはこの点が決定的に欠けていたように思う。少なくとも最後まで退屈することなく観られたのは、よかったのではなかろうか。
そういう意味では、これまでと違ってマシな出来だったが、それはあくまでも大前提というか最低限のレベルをクリアしているに過ぎず、後半の話の盛り上がり方(山場)がなんとも物足りない。ストーリー展開が単調であっけなさ過ぎたのは残念だ。せめてあともう2つくらいは、観客をワクワクドキドキさせるエピソードが欲しかった。もう一つ。家政婦のおばあさんが実にうざく描かれているのは、筋書きを進めるための仕様だとして、アリエッティの母親の言動は鬱陶しいにもほどがある。もう少し違う性格設定にはできなかったのかなあ。もっとどっしりと頼もしさを感じさせるような、存在感のあるキャラクターの方がよかったのではないかと、最後まで違和感が払拭できなかった。しかし前作など最近のいくつかのジブリ作品と違って、論評するに値する仕上がりということで、今回が初監督作品だった米林宏昌監督には大いに期待している。
◇◇ 夕方から東京・早稲田。早大で報道実務のフォーラムに参加。鳩山由紀夫前首相の「故人献金」報道を手がけた朝日新聞記者・松田史朗さんの講演を聞く。取材記者として当たり前だけど、日ごろからの人脈の蓄積や信頼関係の積み重ねが大切だということだなあと改めて痛感する。終了後、学内の研究室で大学院生やマスコミ関係者と懇親会。2次会は近くのカラオケバー。その後、新宿ゴールデン街の店で朝まで飲む。
10月9日(土曜日) 「日中とクジラ肉」質疑2連発昼過ぎから横浜市内。日中友好神奈川県婦人連絡会の総会を取材する。このところ忙しいこともあって、招待状をいただいていながらずっと出席していなかったが、尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件をめぐる緊張関係を友好団体がどのようにとらえているのか、雰囲気を知りたいと思って久しぶりに顔を出した。総会は淡々と進行して日中の友好関係推進を参加者が確認。それはまあもっともなことだと思うが、続いて行われた記念講演では、テレビでお馴染みの東洋学園大学教授の朱建栄氏が、日本の外務省とマスコミ報道を終始批判し、「中国は法律を守らない国だという一方的なイメージがつくりあげられた」と決め付けた。うーん。いろんな意味でとても分かりやすく、立場と論法が実に明解だなと思いながら聞く。
講演後に質疑応答の時間があったので、3点を質問させてもらった。「中国人の人権活動家で作家・詩人の劉暁波氏へのノーベル平和賞授与をめぐって中国政府が圧力をかけたこと、レアアースの日本への輸出に中国政府が圧力をかけていること、東シナ海や南シナ海での中国の振る舞いにASEAN諸国が不安に感じていること──これらの行為は中国にとってもマイナスだと思うが、日中関係の今後にどのような影響があるとお考えでしょうか」という趣旨の質問である。これに対する朱教授の説明は、「露骨に圧力をかけても得することはない。民主化を促す声として期待するが、ノーベル平和賞の選考基準には偏りがある。これではノーベル平和賞の価値を落とす」「レアアースの問題は禁輸ではなく遅延だ。そもそも資源保護の観点から輸出削減は決定していてその延長線上の措置である」「中国は15の国と隣接しているが、それぞれの国との間で駆け引きがある。周辺国のすべてが中国を警戒し脅威に感じているわけではない」というものだった。
うーん。朱教授はとても丁寧に正面から答えてくれたが、この説明にはいずれも疑問を感じるし納得できないなあと個人的に思う。しかし時間がないこともあって、あえて反論というか再質問はしなかった。記者の仕事は取材対象と議論することではなく、相手の考えや意見を言葉として引き出すことが第一なので、これはこれでよしとしたい。閉会後に会場にいた議員から、「記者らしい鋭い質問でしたね」と声をかけられた。質問した意味はあったと思う。
◇◇ 夕方から東京・渋谷。司法試験予備校の伊藤塾へ。「クジラ肉裁判と国際人権法〜NGOや市民が不正を暴く権利はどこまで認められるのか」をテーマにした公開講座に顔を出す。「目的が正しければどのような行為でも正当化されるのか」については、これまでもこの「身辺雑記」で何回か触れたことがある。ジャーナリストとして関心のあるテーマなので参加した。クジラ肉裁判とは、環境保護団体のグリーンピースの職員が、調査捕鯨におけるクジラ肉の横領疑惑を追及するとして、宅配業者の配送施設に侵入し証拠のクジラ肉を持ち去った行為が窃盗・建造物侵入の罪に問われた事件(青森地裁で有罪判決、控訴中)だ。この日の公開講座では主任弁護人の海渡雄一弁護士が国際人権法の観点から解説。欧州人権条約と欧州人権裁判所の判例を紹介し、情報収集が違法性を問われない事例を挙げて調査活動行為の正当性を主張した。
質疑応答の時間があったので、次のような質問を質問票に書いて出した。
「現役のジャーナリストです。横領の実態を明らかにする目的は正しいと思いますが、目的が正しければどのような行為でも許されるものではないと考えます。『公共の利益のため』と信じれば、違法行為(他者の所有物を奪う)が正当化されることに怖さを感じます(郵便物の抜き取りなども同様)。思い込みや独善的な主張がまかり通る危険性があるからです。これは報道記者の取材の際にも同じことが言えるでしょう。読者や視聴者(市民)の共感を得られるか否かが重要ではないかと思うのですが……。私自身、悩みながら日々の取材活動を続けています」
これに対して海渡弁護士は、「ジャーナリストの取材ももちろん刑法の規制のもとにある。ジャーナリズムの倫理観や冷静な報道から外れた場合は、処罰を受けざるを得ないだろう。公共の目的があること、取材活動による被害と利益とのバランス、倫理的な基準に厳格に沿っているかどうか──この3要件が取材調査活動の正当性を判断する基準になるのではないか」との考え方を示しながら解説してくれた。なるほど。クジラ肉の持ち去りに関しては必ずしも共感できないなあという部分もあるけれど、とても考えさせられて勉強になる講座だった。終了後、主催者から懇親会(茶話会)に誘われたので参加。海渡弁護士のほか裁判関係者らも顔を揃える。こちらも興味深い集まりだった。
NHK報道局のスポーツ部の男性記者が、大相撲の野球賭博事件で警視庁が家宅捜索するという情報をメールで日本相撲協会の親方に送っていたという。呆れ果てて開いた口がふさがらない。捜査妨害や証拠隠滅幇助などの犯罪行為ではないかということ以前に、記者として論外のあり得ない行為だ。取材で知り得た情報を報道目的以外に使うとか、しかも捜査情報を捜査対象者に事前に知らせるなど、理解の範疇をはるかに超えている。
NHKには株の売買をめぐって、特ダネ情報を事前にキャッチした3人の記者がインサイダー取引をしていた前歴がある。取材情報を目的外に使って犯罪行為をするのは、NHKのお家芸なのかと思われても仕方がないではないか。ほかの記者も似たようなことを日常的にやっているのかと、疑いの目を向ける人が出てくるかもしれない。それくらいとんでもない事件だということを、NHKは組織全体で認識した上で病巣を洗い直した方がいい。
「この記者と社会部の記者との接触はない」「NHKが取材した情報ではなく他社から聞いた情報なので、伝えても構わないと思ったと記者は話している」などとNHKは説明しているそうだが、そんなことは何の言い訳にもならない。記者だからこそ知り得た情報であることに変わりはないだろう。そもそも取材相手に伝えていい話とまずい話の区別がついていないとしか思えない。
取材対象とどこまで親しくなるべきか、どんな付き合いなら許されるのか、どれくらい近付いていいのか悪いのか。そういった取材相手との距離感について、取材記者はたぶんみんな現場で毎日のように悩んでいる。明確な答えはどこにもないし、はっきりしたラインなど存在しない。みんなぎりぎりのところで自問自答している。しかしそれでも、記者として絶対にやってはいけない一線というものは明らかに存在する。何のために、だれのために取材して伝えようとしているのか、改めて問い直してほしい。
10月13日(水曜日) まだ夏日午後から授業。新聞記者は何のためにだれのために取材して、記事を書いて、新聞を作っているのかについて、僕自身の体験談を具体的に紹介しながら説明する。かなり生々しい内容なので、この話をするのは結構しんどいし精神的にも疲れるんだよなあ。でも話がリアルだと分かりやすくストレートに伝わるし、問題の本質もつかみやすくなる。学生たちの反応は上々だったのでよかった。
天気予報ではきょうは涼しくて過ごしやすくなる、という話だったのに全然違ってむしろ暑い。半そででも汗ばむくらいの陽気で横浜は夏日だった。講義で力を込めて演説なんかすると、それこそ汗が噴き出してくる。10月も中旬だというのにまだ夏日かよ。季節感が全く感じられない。
10月14日(木曜日) ラテン系らしい?鉱山救出チリ鉱山の落盤事故で地下約700メートルに閉じ込められた作業員33人が、2カ月半ぶりに無事に全員救出された。当初の見込みよりもはるかに迅速で見事な救出作業だった。ラテン系のお国柄ということから、もっとおおらかでちゃらんぽらんで大雑把な感じで作業が進められるのかと思っていたら、完全に予想を裏切られてしまった。情熱的で前向きで陽気なところはいかにもラテン系だなあという感じだけど、沈着冷静に緻密で計画的な作業が進められる様子はちょっと意外だった。しかしそもそも、落盤事故の発生直後から作業員33人を地下でまとめたと言われる指導者にしても、まさに沈着冷静に緻密で計画的な判断と指示をしていたわけで、ラテン系だからと言ってちゃらんぽらんで大雑把とは限らない。勝手な思い込みや先入観だけで、一方的に「国民性」だのなんだのと決めつけるのは愚かだよなあ。反省しなければと思った。それはともかく今回の全員救出は、みんなが心から幸せな気持ちになれる爽快なニュースだ。よかったよかった。
強制起訴されることになった民主党の小沢一郎・元代表が、検察審査会の議決を無効として、議決の取り消しや検察官役を務める指定弁護士の選任差し止めを求める行政訴訟を起こした。小沢氏は以前から「検察審査会は密室で行われている」「情報公開すべきだ」などと主張しているが、公訴権を独占してきた検察の判断を国民がチェックするという検察審査会の制度を、まるで理解していないことをまたもや露呈することになった(2010年10月4日付「身辺雑記」参照)。小沢氏の周辺にいる弁護士や国会議員、さらには弁護士出身の国会議員も同様だ。
検察審査会の審査員は、裁判員裁判の裁判員とは違う。裁判員は公開の場である法廷で有罪か無罪かを決定し、量刑についても判断して判決を言い渡す。これに対して検察審査会は、起訴するかどうかを審査して議決するだけの機関に過ぎない。起訴議決から先は検察官役の指定弁護士が起訴し、最終的な判断はすべて裁判所にゆだねられている。起訴されたらイコール悪者というわけではもちろんないし、起訴されたから有罪確定ということでもない。そんなふうに多くの国民が誤って思い込んできた(思い込まされてきた)状況こそが間違いなのであって、あくまでも最終的に有罪か無罪か判断して、刑罰を言い渡すのは裁判所である。
それをなぜか唐突に、もう何十年も続いている検察審査会の制度を、根底から否定するような主張を始めるのは理解できない。自分が審査対象になったとたんに、「密室の審査はおかしい」とか「素人が判断するのはおかしい」などと訴えるのはおかしくないか。国権の最高機関である国会議員の立場にいるのなら、もっと前から国会の場で議論して、法律を改正したり制度改革に反映させたりすればよかったのではないか。あまりにも身勝手そのもので、ご都合主義と言われても仕方のない言動にしか見えない。もっと別の言い方をすれば、往生際が悪すぎるのではないか。
言うまでもなく小沢氏にも推定無罪の原則は適用されるが、起訴するに足る疑わしい犯罪事実があると判断されたので、裁判を提起されることになった。ただそれだけのことだろう。公人なのだから公開の法廷でしっかりと説明し、正々堂々とご自分の考えを主張すればいい。それにそもそも起訴内容の追加や変更は、刑事訴訟法で認められているのだから、「審査内容の範囲を超えている」ことを理由に検察審査会の議決無効を訴えるのは、重箱の隅をほじくり返すようで、あまりにみっともない姑息な戦術ではないか。なり振り構っていられないのかもしれないが、これはかなりカッコ悪い。
10月16日(土曜日) ポータブルHD午後から神奈川・藤沢。県立高校の先生たちのグループによる自主研究会に参加する。今回は、生徒に対する頭髪(茶髪)検査や指導をめぐって、授業を受けさせずに帰宅させる措置の是非をテーマに、いわゆる「管理教育」の現状について報告があった。過去の判例や研究者のレポートなどをもとに、現場の教員からもさまざまな観点や具体的事例が紹介され、興味深い議論が聞けた。終了後、駅前の居酒屋で飲み会。生ビールが美味しい。
パソコンのデータのバックアップを取るため、近所の家電量販店でポータブル・ハードディスク(HD)を購入する。3年前に買った時は160GBのHDが2万円以上したのに、今回は3倍以上の容量の500GBのHDが半額以下。安くなったなあ。
10月17日(日曜日) 臨時総会朝からマンションの管理組合の臨時総会。管理の現状や今後に関する討議と、地デジ化の工事についての報告など。ランドマークタワーによる電波障害解消のためのケーブルが敷かれているので、地ジデ化の工事は必要ないのだとか。なーんだ。役員の方の尽力で、いくつかの懸案事項が滞りなく処理される。しかし眠い。
10月18日(月曜日) バックアップ終日、パソコンのデータのバックアップ作業に追われる。パソコン本体のハードディスク(HD)がいっぱいなので、ここで整理・削除しておかないとどうしようもないし、HDにトラブルが起きてデータが壊れたら収集がつかなくなるので、バックアップの必要に迫られたというわけだ。とりあえず最重要データはいつものようにMOに保存して、そこそこ重要なデータを含めたすべてのデータをポータブルHDにダブルで保存する。大容量なので転送にえらく時間がかかる。ほかの仕事をしながら転送作業を続けるのだが、ほかの仕事になかなか集中できない。いやはや大変だ。でもこれでパソコン本体はかなり片付いた。この調子で自宅に大量にたまっている資料や書類も、きれいに整理できたらいいんだけどなあ。
甲山(かぶとやま)事件を引き合いに出して、検察審査会制度を否定しようとする人がいるが、事実関係や背景を正確に把握することもなく、屁理屈を展開する頭の悪さには驚愕する。
検察審査会の判断に慎重さと冷静さが求められるのは言うまでもない。だからこそ審査会による2回の起訴議決を経て、初めて「強制起訴」されることになる。甲山事件の当時には「強制起訴」という制度はなかったので、2回目の審査の役割は検察が担って起訴されたのだが、一審の神戸地裁は無罪判決を言い渡した。司法はしっかりとチェック機能を働かせたのだ。それが本来の裁判所の役割であって、起訴事実(検察の主張)が妥当かどうかを審理し、有罪か無罪かを判断するのが裁判官の仕事なのである。検察審査会は役割を果たしたに過ぎない。そもそも起訴されたものがすべて有罪になるわけではない。最初から有罪確定の事件しか起訴しないのであれば、裁判所など必要ないだろう。
甲山事件の最大の問題点は、警察や検察が有罪を立証できるだけの捜査をしなかったこと、そして2度までも裁判所が無罪を言い渡しているのに、検察がしつこく控訴し続けたことにある。これについてはもう10年以上前になるが、「大岡みなみのコラム風速計」の(42)で「日本の検察はストーカー/甲山事件控訴に驚く」と題して問題点を指摘しているので参照してほしい。しかし、ここで検察審査会の判断をやり玉にあげるのはお門違いもはなはだしい。一審の裁判所が無罪判決を言い渡した時点で、事件がすべて終結しなかったことがおかしいのだ。
冤罪事件は、捜査当局の思い込みと証拠収集能力の欠如、そして捜査側の情報のみを鵜呑みにする裁判官の無能さこそが問題なのであって、冤罪事件と結び付けて検察審査会の役割と制度を否定しようとするのは、全く的外れな詭弁としか言いようがない。頭におがくずでも詰まっているのではないかとしか思えないような、本質をまるで見ない議論を繰り広げるのは、いい加減にした方がいい。時間の無駄だろう。
10月20日(水曜日) 事件報道午後から授業。「人権と報道」をテーマに「被疑者の人権、被害者の人権」について話をする。刑事司法手続きの基本的な知識がないと理解しにくいので、逮捕から裁判までの流れと「推定無罪」をなるべく分かりやすく簡潔に説明した(つもり)。それでもかなり時間がかかってしまった。その上で事件報道をめぐるメディアの抱える問題点を解説したのだが、学生たちの反応はまずまずだったのでほっとした。なるべく多面的にさまざまな視点や見解を紹介しながら、僕自身の見方や意見も述べるようにしているが、「共感できた」「気付くことが多かった」「考えさせられた」といった感想が返ってくると、安堵するしすごくうれしい。自分が書いた記事への読者の反応を聞かされる際の気持ちと似ている。
10月23日(土曜日) 不寛容な社会午後から東京・飯田橋。駅前の喫茶店で開かれたジャーナリストグループの定例の集まりに参加する。メディアを取り巻くさまざまな課題をテーマに議論。マスコミ報道に反発する人々の的を射た指摘と、全く的外れで悪意に満ちた一方的な非難について、背景や現状を分析し検討した。気になったのは、自分たちが期待する通りの報道をしない記事や番組はすべて、一刀両断に斬って捨てて排除しようとする傾向がこのところ一段と強まっていることだ。これは右翼にも左翼にも共通しているように思える。多様な視点や考え方を吸収し参考にした上で、自分自身の意見を構築しようという発想などさらさらない。とにかく自分にとって気持ちのいい情報や言論しか認めない。そういう人たちが増えているような気がする。社会全体が不寛容になりつつあるのかもしれないなあ。
この日の集まりで面白かったのは、女性ジャーナリストが携帯電話で見せてくれたツイッターの書き込みだった。どこの社の記者だか分からないが、匿名のその人物は頻繁にツイッターに登場し、◯◯新聞の社説に噛み付くなど延々と発言を繰り返していた。「こんなにずっとツイッターにへばりついて、いったいいつ取材しているんだ」「よほど暇なんだな」「そんな時間があればもっといろんな人に会って、たくさん話を聞けばいいのに」。至極もっともな疑問だよなあ。僕もそう思った。余計なお世話かもしれないけど、まず記者としての本来の仕事をしなよ。話はそれからだ。
10月27日(水曜日) 授業午後から授業。「整理部記者の仕事」が今回のテーマ。見出しやレイアウトによって、ニュースに対する読者の印象や見方がまるで違ったものになることを具体的に説明する。整理部記者はニュースの価値判断をする役割を担い、新聞社の中核的な存在であることを知って、学生たちは紙面構成やジャーナリズムのあり方に関心を深めたようだ。ちょうど新聞記事を分析するレポートを書かせたばかりだったので、よりいっそう興味を持ってくれたらしい。タイミングとしてもよかった。
10月28日(木曜日) バックアップ・その2もう一つの別のポータブルHDにデータをバックアップした。今回は先週のバックアップよりもはるかに大容量。うちのパソコンの性能がイマイチなせいだと思うが、約170GBのデータを転送するのに80時間近くかかった。いやはや。もちろん睡眠中や外出中はほったらかしで、勝手にやってくれ状態だったけど。
10月30日(土曜日) 秋はもう終わり?秋を通り越して真冬並みの冷え込みになるなど、季節はもう完全にメチャクチャ。しかも今ごろ台風がやってくるとか、いったいどうなっているんだろう。本当なら穏やかで過ごしやすい季節のはずなのに。あまりに極端すぎてついていけない。
10月31日(日曜日) 消防設備点検午前中はマンション一斉の消防設備点検と排水管清掃。たぶん十年ぶりではないか。それぞれ戸別に回ってくるので自宅待機。