身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2010年9月1日〜9月30日

●正面対決でさらけ出せ●編集会議●まったり鎌倉●ようやく書き上げる●常識的な民主党代表選の結果●つかの間の秋●菅氏の方がマシだ●「冤罪ファイル」第11号●冷静に毅然と対応するために●検事の証拠改ざんと「司法の犯罪」●後期スタート●中国経済依存の限界●「ゲゲゲの女房」最終回●軍事独裁国家・中国の本性●「ショージとタカオ」14年間の記録●国勢調査●●●ほか


9月1日(水曜日) 正面対決でさらけ出せ

 民主党の代表選は、菅直人首相と小沢一郎・前幹事長の一騎討ちで争われることにようやく決まった。一時は「挙党体制」やら「トロイカ体制」とやらで対立回避の動きが報じられたが、そんな旧態依然とした水面下での駆け引きでごにょごにょとお茶を濁すくらいなら、真正面から正々堂々と論戦を展開して、両者の政策や政治手法の違いをさらけ出した方が建設的かなあとも思っていたので、たとえどんな選挙結果になったとしても、これはこれでよかったのかもしれない。

 理想とする政策をマニフェストとして掲げるのはいいとして、財源の裏付けや緊急性がなければ、手直しや先送りをするのは当然の話で、そういう意味では菅首相のマニフェスト修正の姿勢は、大半の有権者の意思に合致していると思う。一方、「マニフェストは国民に対する約束だからあくまでも守り抜く」とする小沢氏の主張はあまりにも教条主義的で、財源の裏付けも著しく欠いているように思える。さらに、そもそも「政治とカネ」の問題で十分な説明を果たさないまま、政治の表舞台から退場したはずの小沢氏と鳩山前首相が、辞任からわずか3カ月ほどで臆面もなく堂々とステージ中央で主役を演じていること、しかも次期首相になろうとして小沢氏が代表選に出馬すること、鳩山前首相がとてもうれしそうに右往左往する滑稽さ、そしてそれを小沢・鳩山両氏それぞれの支持グループの面々が疑問に感じることなく拍手していることは、どれもこれもかなり奇異・異様に感じる。

 菅首相は不用意な発言があまりにも多いし、姿勢もブレ幅が大きいように見えてイマイチ信頼性に欠けるように思うけれども、水面下や舞台裏でフィクサーのように動いて、思わせぶりな言動で他者を威嚇する小沢氏の政治手法に比べたらまだ少しマシかなあ。しかし、表舞台でまともに説明しようとしない(例えば記者会見をまともに開かない、記者会見を開いても質問には答えないなど)といった強権的なイメージの強い小沢氏が首相になったら、これまでのように国会審議を平然と欠席して雲隠れしたり、国会や記者会見での質問に答えなかったりということは許されなくなるわけで、そう考えると、小沢氏が首相としていったいどのように振る舞うのか、それも見てみたい気がする。


9月2日(木曜日) 編集会議

 午後から都内。「冤罪ファイル」編集会議。編集者やメイン執筆者らと情報交換しながら、6時間ほどディスカッション。


9月3日(金曜日) まったり鎌倉

 午後から神奈川・湘南の県立高校へ。高校生の政治参加、司法参加などの教育計画について話を聞く。教育委員会が推進する事業なので、取材に対して校長先生もとても協力的だったりする。取材を終えてから、せっかくなのでバスで鎌倉まで足を延ばしてみた。なんとなくのんびりと、まったりした空気が漂っている。きょうも相変わらず暑いことは暑いのだが、時折、心地よい風が吹いてきて、都心や横浜の「息苦しいような気持ち悪い暑さ」とはなぜか明らかに違う。さわやかさを感じる暑さだ。緑が多いからかなあ。


9月13日(月曜日) ようやく書き上げる

 結構長めの原稿をやっと書き上げた。高校の道徳教育をめぐる報告ルポだ。ずいぶん手こずったし上出来というほどではないけど、まあまあ及第点のレベルの原稿にはなったかなあ。読み直しているうちに、思ったほど悪くないような気がしてきたぞ。締め切りをずるずると引き延ばして、予定していた日からかなり過ぎてしまい、担当者にはすっかり迷惑をかけてしまった。ごめんなさい。

 しかし一息ついてゆっくり落ち着いてる間もなく、またすぐに別の原稿と取材に取りかからなければならないのだった。せわしないにもほどがある。とほほだよ。それにしても最近は以前と違って、原稿執筆で徹夜をするとすごくきつく感じるなあ。


9月14日(火曜日) 常識的な民主党代表選の結果

 民主党の代表選は、菅直人首相が小沢一郎氏を大差で破って再選された。もっとも、「大差」というのは党員・サポーター票や地方議員票のことで、国会議員票はほぼ互角だったのだが、しかしそれでも民意と代表選の結果が食い違ったりしなくて本当によかった。もしも民意を無視する形で小沢氏が勝利していたら、さすがに民主党はもう終わりだったよなあ。政治とカネの問題の説明不足が原因で、3カ月前に幹事長を辞めたばかりの小沢氏が代表選に立候補している不思議さや、首相になってわずか3カ月しか経っていない菅首相を、いまここで引きずり降ろさなければならない理由がないことも含めて、筋が通らないことが多すぎるからだ。とりあえず常識的でまともで穏当な結果でよかったじゃないか。


9月15日(水曜日) つかの間の秋

 これまでの鬱陶しい暑さがうそのように、さわやかな秋の一日という気候でとても過ごしやすい。普通なら今の時期はこれくらいの気温が当たり前のはずなんだろうけど、今年は異常気象のせいで夏だか秋だか訳が分からない。季節感覚がすっかり麻痺している。こういう秋らしい日も今日と明日くらいで、すぐにまた猛暑が戻ってくるらしい。季節はまだ夏なのだ。なんだかなあ。


9月18日(土曜日) 菅氏の方がマシだ

 午後から東京・神保町。ジャーナリストグループの集まりに参加する。民主党代表選の話題になったが、菅氏よりも小沢氏に期待する声の方が多かったので驚いた。小沢氏が代表になった方がよかったというのである。えええーーーっ。ちょっと待った。そりゃないだろう。理解できん。菅氏が理想的で素晴らしい政治家なのかというと、決してそうは思わないけれども、しかし小沢氏よりはマシなのではないかと思う。小沢氏の主張する財政政策は根拠が薄弱だとしか思えないし、なによりも小沢氏の強引で一方的な政治手法は賛同できない。代表選の最後の演説にしても、政権交代の原点に戻ろうと訴えかけた菅氏の方が、小沢氏の演説よりもまだ心に響くものがあったけどなあ。……というような話から、テレビや新聞の代表選の取り上げ方の問題点や、メディアは一方的な小沢批判をしていないか、逆に日刊ゲンダイの一方的な小沢支持報道はどうなのか、そこからさらに、市民から嫌悪されるメディアの問題へと議論が広がっていって、なかなか面白かった。


9月19日(日曜日) 「冤罪ファイル」第11号

 今月発売された「冤罪ファイル」(第11号)の連載「裁判官の品格」シリーズでは、東京高裁刑事4部の岡田雄一裁判長を取り上げた。狭山事件や東電OL殺人事件など、冤罪の疑いがあるとされる再審請求事件が集中する同部の裁判長(部総括裁判官)だ。全国書店で発売中なので、店頭で見かけたらぜひご一読ください。


9月20日(月曜日) 冷静に毅然と対応するために

 沖縄県の尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁巡視船に衝突した事件で、中国の国内世論だけでなく中国政府の反応は、あまりにも居丈高で常軌を逸している。次第にエスカレートしていく中国政府の対応は、一方的で大人気ない「威嚇」や「制裁」や「報復」のようにしか思えないのだが、これではお互いの不信と反感を招くだけであって、双方にとって不幸な結末しか待っていないのではないかと危惧する。

 日本政府としては、客観的事実に基づいて毅然とした姿勢を貫きつつ、「国内法に則って粛々と司法手続きをやっていく」しかないだろう。もちろん先方を敵対視したり敵対関係を煽ったりすることは厳に慎むべきで、冷静さを失わないことが何よりも大切だ。しかしこれを機会に、消費生活材や原材料の輸入、観光客誘致など、中国への過度な依存体質は改めた方がいいのではないか。ありとあらゆるところで一つの国に多くを依存していると、それを「人質」のようにして「制裁」や「報復」を受けたり、理不尽な無理難題を吹きかけられたりすることになりかねないからだ。

 製造工場も食料輸入元も観光客誘致にしても、中国だけにべったり依存したりせず、多様性を確保しておくことが危機分散につながる。何ごとに対しても冷静に毅然と対応するには、日ごろから不可欠な準備と言っていい。今回の事件はその重要性を教えてくれているような気がする。今からでも早急に手を打つべきだろう。


9月21日(火曜日) 検事の証拠改ざんと「司法の犯罪」

 郵便割引制度の不正事件で、証拠として押収したフロッピーディスクのデータを改ざんした大阪地検特捜部の主任検事が、最高険に逮捕された。朝日新聞がきょうの朝刊で、「主任検事がデータを改ざんした疑いがある」と報じたその日のうちの電光石火の前代未聞の逮捕だ。この主任検事や大阪地検特捜部だけの問題でなく、検察の捜査そのものへの信頼を根底から揺さぶる最悪の事件だ、と認識する最高検の強い危機感の現れだろう。

 あらかじめ作り上げたストーリーに合うように、証拠そのものを都合のいいように作り替える(でっち上げる)などということがまかり通れば、捜査側の思い描いた通りに、だれでも犯人に仕立て上げることが可能になってしまうだろう。しかしこういう捜査当局によるでっち上げは、果たして今回の主任検事だけなのだろうか。この主任検事の事件を聞いて「狭山事件」を思い出した。

 再審請求されている「狭山事件」では、犯人として逮捕された石川一雄さんの自宅の鴨居から、被害者のものとされる万年筆が発見され有力な証拠とされた。しかし2回に及んだ徹底した家宅捜索の際にこの万年筆は見つかっておらず、石川さんが逮捕されてからなぜか発見されたのだった。しかもこの万年筆には、被害者の使っていたものとは違うインクが入っていて、被害者の指紋も石川さんの指紋も出なかった。さらに事件から20数年を経て、1回目と2回目の捜索を指揮した元刑事が、「自分の手で鴨居を触って確認したがその時に万年筆はなかった」と証言していることから、何者かが証拠をでっち上げる目的で、万年筆を置いたという不自然さが強く疑われている。

 いくつもの冤罪事件は、自供の強要だとか思い込み捜査だけでなく、証拠品の捏造や捜査資料の改ざんによって日常的にでっち上げられているのだと思われても仕方がないし、その可能性はきわめて高いと言わざるを得ない。それを法律家である検事が平然とやっていたのだとすれば、「ばれちゃったね」では済まない。検察全体はどうなのか、そして警察はどうなっているのかを徹底的に調べて明らかにすべきだ。それだけではない。検察や警察の言い分を鵜呑みにして、チェック機能を果たしていないと批判される裁判官の責任についても、しっかりと検証されなければならない。これは司法全体の問題なのだ。


9月22日(水曜日) 後期スタート

 午後から授業。後期の「現代ジャーナリズム」はきょうが最初なので、学生に授業のねらいと進め方を説明。メディアをすべて否定的にとらえるのではなく、ジャーナリズムの役割と本来あるべき姿と問題点をきちんと理解した上で、主体的に情報を取捨選択することが大事だと強調する。私語も居眠りもなくみんな熱心に話を聴いていた。こういう感じで最後まで集中してくれるといいなあ。


9月23日(木曜日) 秋分の日

 きのうは真夏日で汗が滴り落ちる一日だったのに、きょうは一転して秋らしい涼しさとなった。いかにも秋分の日らしく季節の大転換を見せてくれた。このまま平年並みの気温を維持して、ようやく本格的に秋がやってくるようだ。よかったよかった。


9月24日(金曜日) 中国経済依存の限界

 沖縄県の尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件で、那覇地検は逮捕した中国人船長の釈放を決めた。中国当局からの矢継ぎ早とも言える威嚇や制裁や脅迫じみた圧力に日本政府は屈した格好で、なんとも情けない限りだが、しかし日本としてはここまでが、粛々と司法手続きを進めて、毅然と対応できるギリギリで精いっぱいの限界だったのだろう。レアアースの対日禁輸措置など事実上の経済制裁をされたことに加え、日本のゼネコン社員4人が中国で拘束されたのがだめ押しになったのだろうか。これ以上はとてもじゃないが持ちこたえられないと判断したのかもしれない。中国からのさまざまな「嫌がらせ」を突っぱねようにも、日本にとって痛い急所ばかりを突かれ、対抗できる材料や体力がなければどうしようもない。

 「検察の政治的な判断」という言い分にはもちろん釈然としない違和感があるが、ここで「釈放は政府の判断だ」と言ってしまったら、それこそ圧力を加えれば日本政府はなんでも言うことを聞くことになってしまうので、政府としてはあくまでも「検察の判断」と言い通すしかなかったとも言える。建て前と本音の使い分けも、この場面では仕方ない気がしないでもない。

 今回の事件で中国人船長を釈放した判断など、日本政府の一連の対応がよかったとは決して思わない。中国政府の主張や行動は横暴で理不尽で一方的だと思うし、日本固有の領土である尖閣諸島が中国に領有されるような事態は断じて容認できないのは言うまでもない。だからこそ、そういう立場を貫いて冷静で毅然とした姿勢を示すためにも、外国から圧力や脅迫を受けた場合に、きちんと対抗できるだけの準備や対策をしておくことが必要なのだ。中国だけに集中して経済や資源を依存しきっていると、圧力を加えられたら何も言えずに屈服するしかないことは、今回の事件によって身にしみたはずだ(9月20日付「身辺雑記」参照)。そうした対策が何もできていないのに、「徹底的に戦え」「圧力に屈するな」「逆に中国に対して経済制裁しろ」などと勇ましいことを言っても、それはまるで意味のない絵空事に過ぎないだろう。十分な経済力の裏付けも資源もないのに、無謀な戦争に突入していった悲惨な過去の歴史からもっと学ぶべきだ。


9月25日(土曜日) 「ゲゲゲの女房」最終回

 NHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が終わった。ほぼ毎回欠かさず楽しみに見ていたので、とても残念で寂しい。水木しげるさんの強烈な個性をベースに、夫妻の波乱万丈のストーリーが何よりも面白かったけど、脇を固めるベテラン俳優陣の演技がこれまたどれもこれも見事だった。水木さん本人の努力と才能はもちろん、編集者や近所の人たち、スタッフ、家族に支えられた漫画家生活を描いたことが、幅広く共感を呼んで高視聴率を得たのだろう。小学生の時からの水木マンガのファンだっただけに感慨深い。水木さんを演じた向井理は淡々と演じているように見えたが、なかなかはまり役だったと思う。味わい深い朝ドラだった。来週からは早起きしなくてもいいかな。


9月26日(日曜日) 軍事独裁国家・中国の本性

 尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件には、中国側の挑発に乗ってエスカレートすることなく、冷静に毅然と対応するのが何よりも重要だと思う。その考えには全く変わりはないが、しかし傍若無人で理性のかけらも感じさせないあからさまな覇権主義を見せつけられて、中国というのはまともな国ではないんだなあ、と改めて認識させられた。本性を見たりという感じだ。

 そもそも中国には民主主義や言論・報道の自由はない。人権や法治主義の概念もない。資本主義を最大限に活用しながら経済活動をしているが、中国共産党の一党支配による軍事独裁国家なのだ。当たり前の理屈が通じる相手ではないことを、今さらながら痛感した日本人も少なくないのではないだろうか。日本人だけでなく、世界の国々にもその実態は少なからず伝わったはずだ。理不尽な無理難題を次々に繰り出して、国家権益のためには、筋が通らなくてもなりふりかまわず力を振り回す態度には恐怖さえ感じる。

 中国漁船衝突事件で中国側は日本に「謝罪と賠償」を要求してきたが、度し難い噴飯ものの無法ぶりだ。まさに的外れで一方的な言いがかりとしか言いようがない。厚かましいにもほどがある。これでは北朝鮮と何ら変わらないではないか。

 これほどまでに事実をねじ曲げて、高圧的で傲慢な脅しを繰り返す中国の強硬な姿勢を目の当たりにして、多くの日本人は中国に嫌悪感や反感を抱いたことだろう。付き合い方を見直そうという動きも出てくるに違いない。双方にとって不幸で残念なことだ。しかしそれでも、冷静に対話は続けなければならない。不快きわまりない相手で、まともな理屈が通じない困った相手であっても、関係や交流を全面的に断つわけにはいかないからだ。

 では、こういう無法国家と渡り合うためにどうするべきか。とりあえずはまず、共通の言語や倫理観は一切通用しない現実をしっかりと認識して、付け込まれないように覚悟した上で付き合うこと。そして、経済をはじめとする中国依存から速やかに脱却し、ほかの国々との関係を幅広く構築すること。さらに、事実と日本の主張を正確に広く伝える努力を徹底して宣伝・広報活動を進め、世界中に一人でも多くの理解者と支援者を増やすこと、といった感じだろうか。理不尽な脅しや圧力に屈せず対等に向き合うために、とにかく最低限必要なことだと思う。今までが甘過ぎたし怠慢だったのだ。これは相手が中国に限ったことではない。


9月27日(月曜日) 「ショージとタカオ」14年間の記録

 夕方から東京・田町。今夏に再審公判が始まった「布川事件」の被告人である桜井昌司さん(ショージ)と杉山卓男さん(タカオ)の2人を主人公に、1996年の仮釈放から2010年の再審開始までの14年を追ったドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」の完成プレス試写を観る。強盗殺人事件の犯人とされた2人。別件逮捕から29年間の獄中生活で、無実を訴えて書き続けた膨大な手紙や分厚い記録ノートの束が、長く壮絶な体験を物語る。社会復帰した2人は明るくひょうひょうとしている(ように見える)。しかし、実際には取り調べや獄中生活で受けた心の傷は簡単に癒されることはない。仕事や周囲との関係など悩みを抱えながら、それでも多くの壁を乗り越えて同時に再審請求の闘いを続ける。映画ではそんな2人の日常の暮らしぶりと内面の一端が描かれていく。

 いつもにこやかで温厚な2人だが、声は穏やかながらも厳しく鋭く言い放つ場面があった。「裁判官は、警察や検察はウソをつかないと思っている。これはダメだな、とんでもない奴だなと思った」(桜井さん)、「警察や検察は犯人をつくるところだが、裁判所は救ってくれるところだと信じていたのに裏切られた。明きめくらの裁判官ばかりでどうしようもない」(杉山さん)。いったい裁判官はどこを見てだれの声を聞いているのか、誠実に事件に向き合って中立公正に判断しようとしている裁判官はこの国に何人いるのか。これは多くの冤罪被害者の共通の怒りであり心の叫びだろう。

 構成・撮影・編集を1人で担当した井手洋子さんは、フリーランスの監督。仮釈放から再審開始まで14年間、2人の生活に密着してきた。撮影したフィルムは計300本になるという。信頼関係に裏打ちされているだけに、2人の心の揺れや悩みを吐露する場面がカメラのレンズを通して垣間見ることができるのだろう。カラー、158分。2時間半を超える上映時間は、ショージとタカオの2人が不当に奪われた時間の重さや、監督の思いを考えるとむしろ足りないくらいだと思うが、それでも一般向けとしてはやはりかなり長いのは否めない。作品の前半や中盤などやや冗長かなと感じる部分を再編集してもいいような気もするけれど、冤罪被害者の抱える実情を深く考えさせる力作だ。

◇◇

 試写会場で元同僚の後輩の新聞記者とばったり会ったので、近くの居酒屋へ。尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件をめぐって、記者として何を書くべきなのか、何ができるのかということが話題になった。今回の事件に限らず、一触即発のような危機的状況に直面した場合に、煽ったり一方に加担したりすることなく冷静に伝えるのは何よりも大切で、それが記者の使命でもある。だが、抽象的な観念論でなく具体的な事実を伝えるにしても、どんな立場でいかなる事実をすくい上げて問題提起するかは、実に難しい課題だ。記者の仕事に真摯に向き合おうとすればするほど悩むところだろう。そんな話題のほか、社内外の人間関係に振り回されて苦悩しつつも、「代弁者」として興味深いテーマに果敢に取り組んでいるという後輩記者の話を聞いて、僕自身もあれこれ刺激を受けた。


9月29日(水曜日) 授業

 午後から授業。「現代ジャーナリズム」の2回目。取材・出稿から印刷・配達までの時間の流れを説明しながら、同じ日の同じ新聞でも版によって内容がまるで違うことを具体的に説明する。こういう話って学生は好きなんだよなあ。毎回のことながらものすごく食いつきがいい。まあ導入としては上出来か。これで講義全体に関心を深めてくれれば、何も言うことはないんだけど。授業の終わりに質問の呼び込みをしたら、前回以上にたくさん集まった。うれしい悲鳴である。的を射たいい質問が多い。


9月30日(木曜日) 国勢調査

 編集部から送られてきた教育ルポのゲラをチェックする。基本的には出稿した原文のままで、新たに手を加えるところはない。細かい字句の訂正や修正など、9ページの本文中に10カ所ほど著者校正の赤字を書き入れた。

 続いて国勢調査の調査票に記入。これが意外と面倒くさい。自宅の延べ床面積や5年前に住んでいた場所など、こんなに書き込む内容が多かったかなあ。しかしそれよりも戸惑ったのは、「この1週間の仕事」や「仕事をしている場所」や「仕事の内容」といった項目だ。フリーランスである上に複数の仕事を抱えているので、どのように記入したらいいのかしばし考え込んだりして、ちゃちゃっと済むと思ったら予想外に時間がかかる。「記入の仕方」という冊子を何回もぺらぺらめくってみたが、そもそも本業はあくまで「自宅勤務のジャーナリスト」なので、そこのところをすべて単純化して考えれば、あれこれ思案するほどの話でもなかった。


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