●「身辺雑記」だけで手いっぱい●睡眠不足●凍えるような寒風の中●再確認●本気モード突入●テレビのない生活●重宝している「らじこ」●知らないばあちゃんありがとう●進学塾のチラシ●寒暖の差●東北大地震とテレビ映像の力●原発事故には情報公開こそ●東電の計画停電と原発事故●「無計画停電」初日の迷走●風向きが心配だ●原発事故は「人災」だ●情報がないから不安が募る●納豆が食べたい●事態を過小評価するな●スーパーフルムーン●出稿●「分かったつもり」にならない●納豆難民と暗い街と水●楽観論でなく事実が知りたい●それでも目が覚めない人たち●本質を見極める力●プチ同窓会で経済効果●新学期の授業は予定通り●鼻炎薬の服用量アップ●脱原発へチャレンジを●東京電力の記者接待●●●ほか
3月1日(火曜日) 「身辺雑記」だけで手いっぱいツイッターもフェイスブックもミクシィも、とりあえずアカウントは登録してたまに二言三言の書き込みをしているが、このところ放置しっぱなしである。とてもそんな余裕はない。四六時中ずっとつぶやいていたり更新したりしている人をたまに見かけるけど、よほど暇か時間がたっぷりなければちょっと無理だなあ。もちろん中にはなんでも器用にこなせる超人もいるとは思う。天才なんじゃないかと思う。そしてそこから得るべきものをしっかり得ているのだろう。素晴らしい。残念ながら僕にはそんな芸当はできないなあ。ほかの参加者の書き込みをほんのちょっとチラ見するのでも青息吐息で、自分のサイトの「身辺雑記」を更新するだけでもういっぱいいっぱいだ。とにかくせめてこの「身辺雑記」の駄文だけは、毎日書いてアップするようにしたい(たぶんね)。
3月2日(水曜日) 睡眠不足午後から都内。業界重鎮のアニメ監督に会って話を聞く。メールのやり取りだけで初対面だったが、ざっくばらんで気さくな面白い人物だった。「思想的には左翼的だがナショナリスト」という自己紹介がなんとなく共感できる。中堅アニメーター2人も同席。3時間ほど話し込んだ。横浜でメガネの修理。大量の書類に目を通す。睡眠不足だ。花粉症の影響も重なって目がしょぼしょぼする。
3月3日(木曜日) 凍えるような寒風の中午後から都内。霞が関周辺のお役所を取材する。えらく警戒が厳重で、しかも受付にものすごく長い行列ができていた。リクルートスーツ姿の男女は、もしかして国家公務員1種試験合格者(キャリア)の職場訪問か(確認したらやはりそのようだ)。約束していた担当官の部屋にたどり着くまでが大変だったが、1時間ほど話を聞かせてもらう。いくつか電話取材など。凍えるような寒風の中、たまたま電話がつながって路上で30分もやり取りする。あまりの寒さにボールペンのインキが固まって、取材メモが取りにくい。もちろん手もかじかんで指先がうまく動かないし、踏んだりけったリだな。まさに真冬の寒さ。そんな中、「これはちょっとお聞きしにくい質問なんですが」と切り出し、申し訳ないけれども先方にとっては触れられたくない部分に攻め込むと、「いや、それは新聞記者としては当然の疑問でしょうから」と応じてくれた。もしかしたら言われてるほどそんなに悪い人でもないのかもしれない、などと思ったりして。もちろんそれはそれ、これはこれとして分けて考えるけじめは必要だ。寒風のせいなのか、相変わらず花粉症はきつい。
3月4日(金曜日) 再確認午後から都内。親しくしていただいているベテラン弁護士の事務所を訪問。このところ取材している問題について、法律の専門家としての意見や助言をもらう。「それはおかしいね」「普通じゃないでしょう」と取材対象に対する率直な感想が返ってくる。とても参考になり勇気づけられた。ああやっぱり僕の考えている通りの問題意識で間違っていなかったんだ。取材の方向性が再確認できただけでなく、記事にする際には気をつけるようにと忠告も受けた。おっしゃる通りです。事実関係と表現には細心の注意を払って、こころして原稿を書かなければ。お忙しいところ深く感謝。きょうは昨日にくらべると少しだけ暖かい。花粉症も昨日ほどひどくはない。
3月5日(土曜日) 本気モード突入午後から都内で取材。きょうの取材を通して、完全に本気モードに突入した。最初はほかの案件と並行して軽い気持ちで調べていたのだが、調べれば調べるほど「これはまずいだろう」という素朴な正義感が募ってきて、途中からエンジンそのものはしっかりかかってはいた。次第に記者魂に火をつけられた結果、ここにきてアクセル全開になったという感じだ。これまでも公益性や社会性がある問題を取材対象にすることが多かったし、それぞれ基本的に中途半端だとか手抜きの取材はしていないつもりではある。ただそうした中にもモチベーションや追及モードの高低はやっぱりあるわけで、いま調べている取材対象はいろいろな意味でかなり問題があると確信し、放置するわけにはいかないという気持ちがぐんとアップした。あまりにもひど過ぎる。冷静に徹底追及したいと思っている。
テレビが映らなくなってちょうど1週間になる。先週の日曜日の朝にテレビ受像機がうんともすんとも言わなくなったのだが、通信回線の問題ではなくどうやら受像機が壊れたようだ。これまで家にいる時は見ていない時でもテレビはほぼつけっぱなし。実はテレビ大好き人間だったので、最初の数日は寂しくて仕方がなかったが、4〜5日ほど経つとテレビのない生活にも慣れてきた。しょうもない番組やCMをだらだらと見てしまうことはなくなったし、惰性で見ていたドラマやアニメもばっさり切ることになった。ニュース番組が見られないのが当初は耐えられなかったが、よく考えたら同じような内容と映像をどの局もしつこく繰り返し流していることが多く、無駄な時間を費やしていたのかなあとも思う。ニュースは新聞を中心に、インターネットの速報とNHKラジオの定時ニュース、さらに必要に応じてNHKオンラインなどの動画を見てフォローしている。新聞とラジオがあれば十分かなあ。
そもそもテレビなんか見ないという人や、地デジ導入でアナログ放送が見られなくなるのを機にテレビとはおさらばするという人も結構いるという話だし、学生に「テレビ」をテーマにして作文を書かせた時も、「このところずっとテレビは見ていません」と答えた学生が何人かいた。そんなことを考えれば、テレビがなくても別に不都合はないかもしれないな。もうちょっと今みたいな生活を続けてみて、これからどうするか考えてみようと思う。
ラジオ生活も、はや1週間というのはきのうの「身辺雑記」に書いたが、インターネットで民放のラジオ放送が聴ける「radiko」(らじこ)は重宝している。首都圏や関西地域の一部でしかこのサービスは受けられないそうだが、高層ビルなどの影響で電波が届きにくい地域でも、鮮明に音声が聞こえるのがいい。ただ残念なのは、首都圏エリアで聴けるのは、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、東京FMなど在京の民放ラジオ7局だけで、NHKが入っていないことだ。仕方がないのでNHKの定時ニュースなどはトランジスタラジオで聴いている。できればNHKも「らじこ」の配信ネットワークに加わってほしいものだ。ちなみにわが家は、民放ラジオ局の電波の受信状態はあまりよくないが、なぜかNHKラジオの電波は鮮明に入る。
花粉症が辛い。いよいよ本格的な花粉の襲来だ。鼻炎薬の服用量を増やして対応しているが、飲み忘れるととたんに症状が悪化する。飲むと眠くなるし、いやはや参ったなあ。
駅前のスーパーで買い物をしていたら、見ず知らずのばあちゃんから「お兄さん、ちょっとちょっと」と手招きされた。何か困ったことでもあったのかなと思って近寄ると、「これ割引シールなんだけど余ってるからあげるわ」とシールが差し出された。朝の開店時に先着順で配布される当日限り有効の割引券で、100円以上の商品に1枚ずつ自由に貼って、それをレジに持っていけば値段が安くなる仕組みになっている。ばあちゃんは朝に並んでもらって、自分で買った分にはすべて貼ったが、余ってるからあげるというのだ。それはご親切に。「ありがとうございます」とお礼を言うと、ばあちゃんはうれしそうに「これと、これも100円以上かな」と言いながらシールを貼ってくれた。よほど貧乏そうに見えたのか、のほほんと買い物をしていた様子が好ましいと思われたのか、見ず知らずの僕のどこを気に入ってくれたのか分からないけど、まあなんにせよちょっと得した気分。ばあちゃん、ありがとう。
3月9日(水曜日) 進学塾のチラシ受験シーズンもそろそろ終盤で、間もなく新しい学年を迎える時期でもあり、このところ新聞に折り込まれるチラシに進学塾関係が目立って増えている。とにかくもう千差万別といった感じでどっさり届く。目を引くのは「◯◯高校に合格おめでとう!」の大きな見出しの下に、ズラッと並んだ中学生のはち切れんばかりの笑顔の写真とメッセージだ。「先生と仲間たちのおかげ第1志望校に合格できました」「分かるまで教えてくれて部活とも両立できました」などの喜びのコメントがあふれる。悲愴感みたいなものはまったくなく、むしろ楽しい雰囲気で勉強できた様子や達成感が伝わってきて微笑ましい。うちのすぐ近所や駅前にも進学塾の教室はそこら中にあるし、夜の9時や10時になると帰宅する小中学生で道路がいっぱいになる。たぶん中学生はほとんどが塾に通っているのだろう。家庭の経済的な事情で通いたくても通えない子どもたちの存在が気になるが、もはや塾の存在抜きには受験や学校教育は語れないように思う。学校教育の価値とは、学校の教員が授業で教えることの意味や意義はどこにあるのか。いろいろ考えさせられる。
3月10日(木曜日) 寒暖の差寒暖の差が激し過ぎる。出かける際の服装をどうすればいいかの判断に困るし、激変ぶりにそもそも体がびっくりして悲鳴を上げている。もうそろそろ安定して暖かくなってほしい。それからこれは言うまでもないことだが、花粉の飛散もどうかお願いですから、いい加減にこのへんで勘弁してくだされ。たまりまへん(涙)。
東北・関東で国内観測史上最大の大地震が発生。宮城県北部で震度7、仙台で震度6強、東京都心で震度5強などを記録した。自宅がある横浜南部でも、これまでに経験したことがないような激しく長い揺れが何回もあったので本当に怖かったが、それでも震度3だという。都心や千葉、埼玉は震度5だったと聞いて、首都圏といっても地域によってかなり違うんだなあとびっくりする。僕が感じた揺れだけでも十分に危機感を抱いたのに、震度7なんて想像するのも恐ろしい。あれだけ揺れたのに、自宅の本棚の書籍や積み上げられた書類などは、全く崩れることもなく無事だった。電気、ガス、水道などのライフラインも問題なし。ただ、有線の固定電話回線は地震発生直後からずっと不通状態が続いている。
最初はラジオとインターネットで情報を得ていたが、そのうちそれに、NHKテレビのユーストリーム(ust)、さらにTBSテレビのユーストリーム(ust)のライブ配信が情報源に加わった。カウント表示を見ていると、視聴者がものすごい勢いで増えていくのが分かる。こういう災害時に頼りになるのは、やはりNHKテレビの映像だなあとしみじみ思った。地震そのものも怖いが、津波の怖さを痛感する。うちは海岸沿いから数キロ離れているし丘の上(高台)にあるので、津波の心配はなさそうだが、海や川の近くに住んでいる方は広域で注意が必要だ。押し寄せる津波の力は恐怖そのものだなと痛感する。TBSテレビでは地震直後の横浜市内の様子が映し出されていたが、ビルの壁が崩れ落ちるなど大変そうな被害映像が流れているのを見た。同じ横浜市内でも市心部と南部では状況がかなり違うようだ。
その後も大きな揺れが続いている。こんなに余震が続くなんて初めての経験で、いつまで続くのか不安だ。今回の地震で分かったことが一つ。地震発生直後のNHKラジオはテレビ音声の津波情報を流すばかりで、いったい何が起きたのかという今すぐ知りたいことはあまり伝えてくれず、むしろ民放ラジオの方が知りたい情報を的確に伝えてくれた。これは意外だった。そして改めて感じたのがテレビ映像の力だ。NHKのustのサービスはとても役立った。
もう一つ。停電による福島第一原発の冷却装置機能停止で、政府は「原子力緊急事態宣言」を発令。放射性物質の漏れはないというが本当に大丈夫なのか。その後、原子炉内の冷却水位が低下し、外部への放射能漏れのおそれがあるとして、政府は半径3キロ以内の住民に緊急避難を指示。「原子力災害非常事態宣言」を発令した。おいおい、マジで大丈夫なのかよ。原子力発電が「チャイナシンドローム」の危険性と隣り合わせであることを再認識する。
夕方になって近所のスーパーに買い物に行ったら、納豆や豆腐、パン、弁当、冷凍ご飯などの食品売り場の棚は軒並み空っぽ。都心だけの現象かと思ったら、うちの近所でも売り切れだったのでびっくりした。さらに菓子類もかなりなくなっていたし、コンビニ店も同様の状態だった。手軽に食べられるものを求めて客が買いだめしたほか、製造する側の体制や人手不足から商品そのものが入荷できないことも大きいようだ。「地震のため入荷できない商品があります」という張り紙がひときわ目を引く。
◇◇ 冷却装置の機能が停止した福島第一原発1号機で、周辺監視区域の放射性物質の測定でセシウムの検出が伝えられ、炉心溶融の可能性が指摘される。その後、1号機が入っている建物が爆発して外壁と天井が吹き飛び、東電職員らが負傷したとの報道。半径10キロ以内の住民に避難指示を出した政府は、避難指示の範囲を半径20キロに拡大。枝野官房長官からも原子力安全・保安院からも、なかなか具体的な説明がされない状態が続く。夜になって枝野官房長官は、「原子炉格納容器の爆発ではないと確認した」と説明した。
この説明が本当であるとすればとりあえず朗報なのは言うまでもないが、しかし政府には原発事故に対してもっと危機感を持って対処しろよと感じる。異常に高い放射線測定値が記録されていることや、燃料棒が冷却水から170センチも露出していたことなどを考えると、きわめて深刻な危機的状況がずっと続いていたのは間違いないのではないか。政府も原子力安全・保安院も東電も、いったい何が起きているのかという国民が知りたい(知るべき)情報を、すべて包み隠さず迅速に公開すべきだ。人命に関わる緊急事態であることを自覚すべきだろう。
原発事故に関しては,危機感を煽っても足りないということはない。むしろ広く危機意識を共有した方がいい。原発の事故は、取り返しがつかなくなる事態を招く恐れがあるからだ。近隣住民は避難することが可能であるならば、できるだけ原発から遠くへ避難した方がいいと思う。無事に問題が解決されたら笑えばいいわけで、最悪の事態になって被ばくするよりはずっとましだと考える。
【緊急速報】
東京電力の「計画停電」のグループ分けについて、こちらで詳細な地域情報が出ています(東京都の場合)。同じ市内や区内でも、グループが全然違うことがあるので注意が必要です。
→ http://www.tepco.co.jp/images/tokyo.pdf
これは東電の公式サイトですが、アクセスが集中しているトップページでなく、ダイレクトでアクセスできるページなので、比較的つながりやすいです。神奈川の場合は「tokyo」を「kanagawa」にしましょう(ほかの県の場合も同様)。
「計画停電」の情報は、東京電力によって修正・訂正されることがありますのでご注意下さい。
【第1グループ=午前6時20分〜午前10時、午後4時50分〜午後8時30分】
【第2グループ=午前9時20分〜午後1時、午後6時20分〜午後10時】
【第3グループ=午後12時20分〜午後4時】
【第4グループ=午後1時50分〜午後5時30分】
【第5グループ=午後3時20分〜午後7時】
◇◇ 東北関東大地震による発電所の停止が相次ぎ、電力の供給不足が避けられないとして、東京電力は14日から、地域ごとに3時間ずつ順番に送電を止める「計画停電」(輪番停電)を実施すると発表した。大規模停電が生じて首都機能不全に陥るといった事態を防ぐのが目的だという。
電力会社の「オール電化」キャンペーンや、原発推進CMに踊らされたツケが回ってきた感じがする。原子力発電を必ずしも全否定するわけではないが、「オール電化」なんぞ行き過ぎにもほどがあると前から苦々しく思っていた。そもそも必要以上に原発建設を進めることには疑問があるし、すべての発電に占める原子力発電の比率が次第に増えていくことにも強い不安を感じる。安全性確保をおざなりにしたままで、無批判・無防備に原発を推進するのは危険きわまりない。
東京電力の「無計画停電」には、きのうからずっと振り回されっぱなしだ。実施を見送ると発表したかと思うと実施する可能性があると言ってみたり、東電の対応は二転三転どころか四転五転の迷走ぶり。情報が錯綜したことに加えて、鉄道各社も運行本数を減らしたり運休したりと大混乱した。非常事態だから突然の停電実施や休止は分かるけど、利用者である住民に対してもっと丁寧に分かりやすく説明すべきだろう。
同じ市内や区内でも、住んでいる町によってグループが違う場合がある。自分はどのグループに入っているのかが分からなくて、戸惑っている人も少なくない。昨夜遅くに東電が慌てて出してきた停電グループ分けのリストにしても、最初のものはかなりいい加減で間違いだらけだった。そもそも「計画停電」のグループ分けのようなものは、こうした大地震などの災害が起こる事態を想定して、あらかじめ作成し周知徹底しておくべきだったのに。それが防災というものじゃないのか。どうして平常時のうちに停電地域をグループ分けして、周知徹底しておかなかったのか。これはやっぱり東電の職務怠慢だとしか言いようがない。
午後から都内で取材予定があったのだが、先方から「どうしますか」と問い合わせのメールが届く。運休しない路線を乗り継いでいけば、なんとか行けないことはないんだけどなあ。どうしようかとしばし悩む。結局、先方からの「電車が動かないから延期してほしい」との要請で取りやめ。あすになるか明後日か、それも「計画停電」と鉄道運行の状況次第である。うーん、困ったもんだ。
「計画停電」は午後5時から2時間、第5グループの一部地域で始まった。茨城と静岡の一部の約3万世帯を対象に実施するとのことで、横浜は停電の対象から外れた。とりあえずきょうは助かったが、あす以降も「計画停電」は日替わりで、グループごとに停電時間帯の順番を変えながら続くという。やれやれだ。
◇◇ 京浜急行が午後3時半に早々と全線運休を決定。東急やJRなども部分運休をしていて、結果的に都内に出かけなくてよかった。危うく帰って来られなくなるところだった。夕方にうちの最寄り駅に行くと、駅ビル全体が封鎖されていた。東西通路が通れないので大きく迂回しなくてはならないのが面倒くさい。デパートや専門店はすべて閉店。停電を理由に周辺の商店も臨時休業か、午後2時〜午後2時半に閉店するところが多い。
意外だったのは平常通りに営業している駅前のスーパー。さすがに冷凍ご飯や菓子パンや納豆は完売になっていたが、生鮮食料品や食パンやカップ麺などの商品がふんだんに揃っているので驚く。独自の流通ルートがあるのか、ふだんからの営業努力のたまものなのか。レジには長い行列ができているものの、ほとんどの客は冷静で落ち着いた様子で、カップ麺を大量に買いだめするような客はごくわずかだった。一方、大手スーパーのイトーヨーカドーは、肉と野菜はたくさん並んでいたが、米や冷凍ご飯、パン、牛乳、カップ麺などのコーナーはすべて空っぽ。もっとひどいのが系列コンビニ店のセブンイレブンで、パンや弁当やカップ麺はもちろん、ほとんどの食品がなくなっていた。納豆や豆腐や牛乳がどこの店でも品切れなのは、茨城などの生産業者から入荷されないことと、流通や配送関係がストップしていることが原因だという。ローソンの店頭には「被災地にできるだけ多くの商品を届けたいので品薄になっています」という張り紙が出ていた。納得。
◇◇ 被災地の原子力発電所は相変わらず危険な状態にあるようだ。福島第一原発2号機で燃料棒がすべて露出。海水注入でいったん水位が上がったというが、再び燃料棒が完全露出。末期的状況に絶句するばかりだ。東電は「放射線が基準値以上に漏れている」といつもの説明を繰り返しているが、これまでにどれだけダダ漏れになっているのだろう。かなりまずい。政府や東電の対応はすべて後手後手だと思う。最悪の事態を想定して政府は被災後すぐに、被災地の原発から周辺20キロの住民をすべて避難させるくらいしてよかったと思う。避難範囲をもっと広げてもいいかもしれない。最悪の事態になってからでは遅い。
それにしても、福島原発の被災事故現場で対処している作業員の方々には頭が下がる思いがする。東京電力の社員もいるだろうが、多くは下請け会社の人たちだろう。たぶん大量に被ばくしていると思われる。深刻な健康被害が心配だ。原発とはそういうものだ、そういう危険性を伴うものだということを、放射性廃棄物の処理問題も含めて、僕らはしっかり認識する必要がある。恩恵の背後に存在するものを知っておく責任がある。原発の是非はともかく。
被災地の福島原発で深刻な事態が続く。福島第一原発2号機で爆発音。原子炉格納容器につながる圧力抑制室に損傷のおそれも。所長の判断で職員が退避。最後の砦の格納容器による放射性物質の閉じ込めが機能していない可能性もあるとしたら…。一気に緊張が高まる。NHKの解説委員は「日本の原発が経験した中で最悪の事態が進行しつつあるのでは」と解説。それが本当だとしたら慄然とする。午前8時すぎから東京電力が記者会見。テレビで会見を見ていても、奥歯に物が挟まったような説明しかしない。これでは余計に不安を感じるだけじゃないか。いま何が起きているのか、起きている事実をストレートに説明してほしい。国民に不安を与えるだけの会見に唖然とする。東京本社の人間がよく分からないままの情報を間接的に伝えているだけなのかもしれないが、だとしたら分かりやすく説明できる人間が会見に出てきて対応すべきだろう。きちんと説明できる人が答えてくれないと困る。
説明になっていない説明に対して、きちんとした分かりやすい説明を求めるのは大事なこと。「素人は余計なことを言わず、専門家の説明を黙って聞いて判断に従っていればいい」という考え方はおかしい。記者ならなおさら看過できない。意味不明の説明を繰り返す相手に対して、記者が厳しい姿勢で質問し回答を迫るのは取材者として当然の職務だ。原子力発電所が重大な事態になっているのが事実なら、東電はその事実を正確に説明する責任がある。
福島第一原発では1号機から4号機までそろって、深刻な事態が同時進行しているのは間違いない。菅直人首相は「福島第一原発1号機と3号機の水素爆発に続き、4号機でも火災が発生し、周囲に漏洩している放射能の濃度がかなり高くなっている。今後さらなる放射性物質の漏洩の危険が高まっている」と述べた(朝日)。福島第一原発の半径20キロ圏内の住民全員が圏外に退避しているが、首相はこのほか、半径20キロ〜30キロ圏内の住民に屋内退避を要請した。もっと広い範囲で退避勧告してもいいように思うが、拡大するような事態にならないことを祈るのみだ。
ちなみに東京は200キロ圏内。横浜は250キロ圏内。放射性物質が風に乗って首都圏に飛散するのが怖い。風向きがとても心配になる。福島第一原発2号機の付近の放射線量が急上昇しただけでなく、関東各地でも通常よりもはるかに高い放射線量の測定値が検出されている。明らかに福島原発の影響が出ている。正確な情報が迅速に提供されることを強く望む。
朝から花粉症がひどくて辛い。きのう吹き荒れた強風の影響だろうなあ。午後10時半過ぎ、どんと突き上げるような衝撃の後、かなり激しい横揺れが長く続く。3月11日以降でもっとも大きな地震だ。静岡東部で震度6強。神奈川東部は震度4。おいおい今度は東海地震なのかよ…。勘弁してほしい。
原子力発電所は安全で安心な施設だという根拠のない「幻想」を振りまき、しかもそればかりか、「最悪の事態」を想定した対策を講じようとしなかった東京電力の無責任体質が、現在の福島原発の危機的な事態を招いている。原発事故はまさに「人災」であることが明らかになった。
それを端的に証明するのが、「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」という日本共産党福島県委員会などが東京電力に宛てた2007年7月の政策提案だ。ツイッターの書き込みで教えられたのだが、「原発の耐震性は大丈夫としてきた政府と電力会社の説明は完全に覆されている」などと述べているこの申し入れの中で、注目されるのが4番目の項目だ。
「福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちはその対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める」
まるで今回の事態を予見するかのような見事な指摘ではないか。これほどまでに的確な提言を日本共産党がしていることに驚くとともに、ここまでの指摘をされていながら、なんら対策を講じてこなかった(講じようともしなかった)東京電力に怒りを覚える。これを「人災」と言わずに何を人災と言えばいいのか。「最悪の事態」を想定して万全の対策を取る努力をしていたのならいざしらず、全く無為無策だったことを棚に上げて「想定外のことが起きた」とはあきれてものが言えない。東京電力の「不作為」によって一連の事故は起きているのだ。ふざけるのもたいがいにしろと言いたい。
一方、ツイッターでこんな発言を見た。「東電は事故を起こして対処しているのではありません!ミスがあったのでもありません!天災によって生じた非常事態に命を張って対処しているんです!皆の未来を守っているんです!かける言葉はありがとう、頑張ってくださいではありませんか?」。どこをどうしたらそんなおめでたい言葉が出てくるのか理解に苦しむ。現場で必死に作業している方たちには、もちろん頭が下がる思いでいっぱいだが、しかし原発の安全神話とやらを吹聴し、適切な対策も取らずに原発建設を推進してきた東電の責任は決して免れない。原発に対する東電のいい加減な姿勢と隠蔽体質が今回の深刻な事態を招いたと言っていい。これは「天災」などではなく明らかに「人災」である。
「今すぐ人体に影響を及ぼす数値ではない」「現段階では問題ない」「発電所は現時点で安全である」「これからも深刻な放射能物質の漏洩は決して起こらない」などと、テレビやインターネットで東電社員や政府関係者、学者、自称評論家らが、楽観論を繰り返し事態を過小評価するようなコメントを力説している。確かに「今すぐ」には影響は及ぼさないだろうし「現段階」では大丈夫かもしれないが、しかしこのまま進むとどういうことになるのか、起こりうる可能性を示すのは重要だ。大事なのは「最悪の事態」を想定してそれに備えることではないのか。「最悪の事態」が起きてから行動したのでは手遅れになって、大惨事をさらに拡散することになってしまう。「最悪の事態」を想定して早め早めに心の準備をするように訴えるのは、いたずらに不安を煽ることにはならない。
福島第一原発が深刻な事態なのは現実だ。フランス原子力安全局長は福島第一原発の事故について、国際原子力機関(IAEA)が定める国際原子力事象評価尺度(INES)で上から2番目のレベル6に当たるとの見解を示した。米民間研究機関の科学国際安全保障研究所(ISIS)も福島第一原発の事故について、レベル6または7に相当するとの見解を発表している。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は最も重いレベル7で、米スリーマイル島の原発事故はレベル5だった。過小評価するようなレベルではない。
英外務省は東京や東京以北に住む英国人に退避検討を勧告。米国防総省は米海軍の要員に福島第一原発の半径80キロ以内の立ち入りを禁止。米政府も米国人に福島第一原発から80キロ圏外への退避を勧告した。ロシア外務省は在日ロシア大使館や総領事館などに勤務する外交官の家族に日本から一時退避させることを決定。このほか欧米諸国を中心に各国が続々と、東京や首都圏からの一時退避を勧告しているという。福島第一原発から半径30キロ以内の住民に避難を求めている日本に比べて、はるかに危機意識の高い判断を示している。ここまで深刻な事態ととらえているのか、それともただ単に怖がりで慎重になっているだけなのか。
いずれにしても気持ちはよく分かるし、各国政府がこうした判断をしたことを必ずしも非難することはできない。避難できるだけの環境があって経済的にも余裕があれば、可能ならできるだけ遠くへ疎開したいと思っている日本人も少なくはないだろう。しかしそんなことがみんなにできるはずもないし、われわれ日本人にはいま住んでいる場所での日々の大切な営みがある。そう簡単に逃げ出すわけにはいかない。そもそも関東地方の住民がごっそり疎開するなんて物理的にもまず不可能だろう。
だからこそ、福島第一原発の現場では作業員らが必死の作業をしてくれているのだが、東京電力や原子力安全・保安院からは相変わらず、いま何が起きているのか、どういう事態が進行しているのかといった情報が、分かりやすく理解できるような形では伝わってこない。福島第一原発の使用済み核燃料プールの冷却機能を回復させるために、きょうは陸上自衛隊員と警視庁機動隊員らが上空と地上から、ヘリと高圧放水車などを使って放水作業を試みた。危険を覚悟しての果敢な作業には感謝するばかりだが、残念ながらあまり効果はなかったようだ(まあそうだろうなあと思って見ていた)。
現場は上空も地上も放射線量が高すぎて、作業できる時間がきわめて限られているという。福島第一原発の周囲はもはや人が容易には近付けないほどの状態になっているのか。制御できなくなっている高温の原子炉を冷やすために、これまで海水を注入していた作業はどうなっているのか。それもできない状態なのか。すべてストップしている電源を復旧させる見込みはあるのか。もしも電源が復旧できない場合はほかにどんな手立てが残されているのか。正確な情報がきちんと伝えられなければ、住民の不安は募るばかりだ。
東北関東大地震が発生して、スーパーの店頭から納豆が姿を消してしまった。いくつかの店鋪をのぞいて見たが全く見かけない。買い置きの納豆を最後に食べたのは大地震の翌日。朝食は毎日のように納豆を食べていたし、味付け海苔と納豆の相性は抜群だと思っているので、口にできないのはとても寂しい。習慣となっていた生活パターンが崩された戸惑いみたいなものもある。早く正常な状態に戻ってほしいと心から願っている。
一般的に納豆の需要はもともとかなり高い。大手スーパーの売り場には常に新しい消費期限が刻印された納豆が山のように積まれていて、またたく間に売れていく。ここからも毎日大量に消費されていることが見て取れる。安くて美味しくて面倒な調理もいらない。広く愛されている日本の伝統食品の一つだ。意外と大勢の人が食べているんだなあと、買い物に行くたびに感じていた。だから消費者からの問い合わせも多いのだろう。
「水戸の工場がみんなダメになっちゃって、商品が入ってこないんですよ。神奈川でも大山だとかほかにも工場はあるけど、注文しても割り当てが決まっていてなかなか入らなくてねえ。また入荷すると思うのでよろしくね」。個人商店のおばちゃんが申し訳なさそうに説明してくれた。しばらく我慢するしかないようだ。
肉や野菜などの生鮮食料品については、大地震の直後も店頭から消えることはなかったが、ここにきて冷凍ご飯やパンなども、近所のスーパーではわずかだけど買えるようになってきた。しかし牛乳や豆腐などはまだほとんど手に入らない。そしてコンビニのパンやカップ麺を扱う商品棚は、相変わらずからっぽのままだ。買い占めというよりも物流の問題が大きいのかもしれない。
NHK総合テレビのストリーミング放送が、きょうの午前8時をもって突然休止になった。たぶん朝ドラの「てっぱん」を放送するためだろう。通常の放送体制に戻ることはあり得る判断だし、それはそれでいいけど、緊急時の放送をインターネットで視聴している被災地の人や海外邦人も大勢いるはずだろうに。テレビがない人やテレビが映らない環境の人もいる。そういう人たちにまったく配慮しないで、突然休止というのは理解に苦しむ。
その後、ユーストリームのライブチャンネルを限定して、定時や深夜帯のニュースは断続的に流しているようだが、(著作権などの関係で)ドラマやバラェティーといったコンテンツを見せたくないにしても、やることがせこいんだよなあ。ネットのライブ中継だとどうせ画質は落ちるわけだから、いっそのこと24時間体制で世界中にユーストリームの発信を続ければいいじゃないか。さすがは災害時に頼りになる「みなさまの」NHKだと、せっかく評価が見直されてきたというのにもったいない。善処を希望したい。
◇◇ 朝から強い風が吹き荒れている。細かい砂に混じって花粉も明らかに大量に飛んでいる。花粉症の悪化が心配だが、福島第一原発から放出された放射性物質の飛散も心配だ。福島県内や周辺地域の農産物や牛乳や水道水から、基準値を超える放射性物質が検出されたことにも不安は募る。それにしてもいまだになお、「検出された放射性物質の値はただちに健康に影響を及ぼす値ではない」「今すぐに健康に被害が出ることはない」など、事態を過小評価するようなコメントを繰り返す学者や役人には愕然とする。「ただちに」「今すぐに」という言い方では、「しばらくしたら影響が出てくる」ということにはなるのではないのか。何回でも繰り返し指摘するが、「最悪の事態」になればどうなるのかを常に想定して、最善の対応を取れるように前もって対処することが重要ではないのか。「最悪の事態」が起きてから行動しても手遅れなのだから。
一方、「AERA(アエラ)」が今週号の表紙に、防護マスクをかぶった作業員の姿の写真と、「放射能がくる」と大書された見出しを掲げていることに、必死になって噛み付いている人々がいる。なんだかなあという感じだ。それって怒るようなことなのか。怒りを向ける対象がそもそも違うんじゃないか。叩くポイントがずれているとしか思えない。「放射能がくる」かもしれないという恐怖を感じている人は、たぶん日本だけでなく世界的にも圧倒的多数を占めるだろう。「そんな心配なんかないよ」「原子力発電所は安全なんだから大丈夫」などと、この期に及んでも安心しきっている人がいるならば、それはよほどおめでたい脳天気な楽観主義者か、事態を把握できていない情報弱者かのどちらかだ。
そんな不安と現状を的確に端的に表現すれば、こういう見出しに必然的になるのではないのか。恐怖を煽っているのではなく、それくらい深刻な事態にあるのだということを、今こここではっきりと示すためにも十分に意味のあるキャッチコピーだと思う。根拠のない原発の「安全神話」なる「幻想」を振りまいてきた東京電力と原子力行政、そして楽観論や過小評価を繰り返してきた(今も繰り返している)御用学者が、今回の福島第一原発の危機的事態を招いたのは明白だ。にもかかわらず適切な対応がまるで取れず、今もなお正確で迅速な情報を住民に伝えようとしない東電と行政の怠慢。この事実をしっかりと指摘する必要がある。「最悪の事態」を想定して、今まさに深刻な事態にあることをアピールして広く注意喚起するのは、決して不安を煽ることと同じではない。
3月20日(日曜日) スーパーフルムーンまんまるの満月が地球から最短距離に近付く「スーパーフルムーン」を午前2時半ごろ見た。19年ぶりの最接近だそうで、ふだんより14%大きく30%明るく見えるのだとか。確かにいつもより心持ち大きいのかな、といった程度しか違いが分からないが、雲一つない真っ暗な夜空にぽっかり浮かんで、こうこうとあたりを照らす姿は惚れ惚れするほど美しいと思った。しばらく眺めていると、なんだかすぐそこに月面があって、ほんの数時間ほどで月にたどり着けそうな気分になってきた。不思議な感覚だった。
3月21日(月曜日) 出稿きのう(一昨日も)から引き続いて、ひたすら原稿執筆。400字詰め20枚ほどを、やっと書き上げて出した。締め切りはとっくに過ぎてるけど(汗)。遅くなってごめんなさい。
きのう3月21日付の朝日新聞の文化面(東京本社発行)に掲載されていた2つの記事を読んで、東北関東大地震が起きた後、初めて心から腑に落ちて、心にすっと入ってくるような文章に出合った気がした。たまたま同じ文化面に隣り合わせに載っていたのだが、これもまた偶然の為せる技というか、あるいは必然だったのかもしれないなどと思う。
一つは、「つぶやきに耳をすます/大震災1週間 阪神の教訓生きる」と題する文章。社会経済学者の松原隆一郎氏(東大教授)の寄稿エッセイだ。松原氏は阪神大震災で実家が被災し、末妹を亡くしている。母親は「なぜ娘が死んだのに私が生き延びているのか」と自分を責め続けて、縊死(いし=首をくくって死ぬこと)してしまった。心情を汲み取れず、「がんばって残された孫を育てましょうよ」と励ましたことを悔やんでいるという。そして松原氏はこう記している。
<さらに過酷な心情を抱える被災者が多いと想像している。接することができたなら、「分かったつもりにならない」ことを肝に銘じて、問わず語りに出るつぶやきに、ただ耳を傾けたい。>
その上で、災害時に「言葉が深いところでうまく通じない」ということについて松原氏は、次のように書いている。
<マスコミに登場する原子力の専門家は、「現状では……」とか「想定を超えた……」と前置きしつつ解説している。なるほどそのように条件をつければ、手堅い表現になるのだろう。しかし素人目には同じに見える専門家が、以前は「まず安全」と太鼓判を押していたのである。専門家のつける前置きに何かが隠されていると勘ぐったとしても、責めることはできない。>
<だからこそツイッターやフェイスブックでは、外国人のものまで含めて「腑に落ちる解説探し」が真剣に行われている。「爆発が起きてもなお安全」とは納得できなかった人が、関西へ逃避したり、篭城しても耐えられるよう燃料や食料を買いだめしている。政府は買いだめを批判しているが、信頼を裏切られたと感じる人にとっては、むしろ合理的といえよう。現状では、専門家にとって分かる説明よりも、素人の腑に落ちる解説が求められている。>
まったくその通りだと感じる指摘ばかりだった。少なくとも僕は共感した。しっかり心に響いて腑に落ちる。そんな文章だった。
したリ顔でマスコミを叩き、原発事故の深刻さに警鐘を鳴らす技術者や報道を冷笑し、買いだめに走る人たちをもっともらしく非難する。その一方で、不誠実きわまりない東京電力や原子力行政の責任は問うこともなく「命がけで頑張ってくれている」と無批判に擁護する。そんな「発信」があまりにも多いことに、ずっと違和感を感じている。みんながみんな「評論家」のようになって、それぞれが抱える「思い」や「事情」や「背景」といったものに想像力を働かすことなく、十把一からげに一刀両断にする空気には恐ろしささえ感じる。
買い物かごに米やカップ麺をどっさり積み上げてレジに並んでいるおばちゃんは、もしかしたら大家族なのかもしれないし、灯油のタンクをたくさんトラックに積み込んだおっちゃんは、ひょっとすると福祉施設で使う燃料を買いに来た職員かもしれない。そうした事情がなかったとしても、買いだめに走る気持ちは分からないでもない。だからいいのだと推奨するわけではないし、僕自身は買いだめはしないが、不安に駆られる心情として無理もないかと同情はする。「分かったつもり」になって思い込みで語らない──。自戒を込めて、深く心に刻んでおきたい言葉だと思った。
◇◇ もう一つ、心に響いた文章は、松原氏の寄稿のすぐ隣に掲載されていたシンディー・ローパーの来日公演の記事(寺下真理加記者)だ。地震の影響で来日を中止する海外アーチストが相次ぐ中、米国の歌手シンディは東京・渋谷で予定通り3日間の公演を行い、「日本人はこの困難に向き合い乗り越えるでしょう」と観客にエールを送って募金活動もしたという。
開演して数曲を歌うとシンディーは、「つらい1週間を少しの間忘れてほしい」と語り始めた。「日本からインスピレーションをもらってきた。ファッション、音楽、おもちゃへの愛、ユーモア、寛容さ……。アリガトウゴザイマス」と話したという。「あなたが倒れたら私が支える、待っている、いつだって」という歌詞の「タイム・アフター・タイム」など16曲を2時間かけて歌い、公演の最後は、「真の力のありかを忘れないで。ここ(胸)とここ(頭)。考え、語り、聞くために、私たちが与えられた贈り物。私もそれを忘れないように頑張るから」と訴えて締めくくった。
地震が起きた時は日本に向かう飛行機の中だったシンディ。楽屋を訪ねた寺下記者に、「私を迎えている日本に背を向けて帰るなんて考えられなかった」「リズムに身を置く時、私たちはものすごく自由になる。音楽を必要とする限り、私は歌い続ける」と語ったそうだ。なんていい人なんだ。そしてなんてカッコいいんだろう。日本への愛だけでなく、人間と音楽への愛を感じる。この記事を読んで、いっぺんにシンディ・ローパーのファンになってしまった。これまでまったく関心がなかったけど、彼女の音楽をちょっと聴いてみようと思った。
◇◇ 締め切りをすっかり過ぎている状況で、きのうやっと書き上げて出稿した原稿のゲラが、きょうの夕方に編集部から上がってきた。あきらめることなく、僕の原稿をギリギリまで待ってくれていたようだ。たぶんデッドラインは過ぎていたんじゃないかと思う。原稿を出したことを編集部からはえらく感謝されたが、まさに突貫作業で編集してくれたのが分かる。お礼を言わなければならないのは僕の方で、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ありがとうございます。そして本当にごめんなさい。反省しています。ちなみに執筆したのは教育問題の長めのルポルタージュ。わざわざ抜き刷りも作成してくれるという。ご配慮に恐縮している。
(きょうの「身辺雑記」はちょっと長過ぎないか。でも、きのうがあまりにも短過ぎたからまあいいか。)
まさに「納豆難民」である。被災地から離れたところの品物を入荷したり、流通手段を工夫したりして、大手スーパーにも納豆が並び始めたが、それでもまだ入手困難な状態は続いている。朝一番でスーパーに行かなければ手に入らないらしい。いつも夕方に買って翌朝に食べていたのに。しかもお1人さま1つ限りだって…。どこのスーパーも、納豆コーナーにはそんな「お知らせ」が張り出されている。大家族の家庭は困るだろうなあ。
イトーヨーカドーで聞いたら、「朝に入荷しますがすぐに売り切れてしまいますね。その後、お昼ごろにも入ってくるんですが、あまり量は多くないからこれもすぐになくなります」と申し訳なさそうな顔で説明してくれた。あらら…。そんなわけで納豆いまだに確保できず。牛丼屋で朝定食を注文すれば納豆が食べられるそうだけど、そのためにわざわざ朝早くから駅前に出かけるのもなあ…。朝早いのは苦手だし(おい)。
このところ街全体が暗い。人通りが少なくて雰囲気が明るくないというか、それもあるけれども物理的に暗くなっている。駅前の地下通路は左右にあった照明の半分が消され片側だけになっていた。「計画停電」の影響が大きいのだろうが、これまで煌々と照らしていた駅ビルのホールや銀行のロビーもかなり消灯しているし、スーパーやコンビニでも、外の看板や店内の照明が落とされて薄暗いところが多い。エスカレーターもストップしているのが目立つ。
まあこれまでが無駄に明る過ぎて、電気を浪費していたとも言えるわけで、慣れればこれでも十分かもしれない。ただ、エスカレーターやエレベーターの代わりに階段を使うことを、一律に求めるようなことは慎むべきだ。外見だけでは分からないような事情が、人にはそれぞれあるかもしれないのだから。それが本当の思いやりであり、やさしさというものではないかと思う。
◇◇ 東京都葛飾区の金町浄水場で、1キログラム当たり210ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。乳児の飲用は100ベクレル以下が国の基準となっている。東京都は「福島第一原発の事故の影響であることは間違いない」とみているという。やっぱり。水が汚染されるのは時間の問題だった。地震発生して原発事故が起きてから、大量の放射性物質の駄々漏れがずっと続いているのだから、こういう事態にならない方がおかしい。予見は十分にできた。
水も空気も大地も野菜も、放射性物質に汚染され続けていると考えるのが、ごく当たり前で自然な理解だろう。「健康への影響はただちにはない」と、またいつものように行政や御用学者が繰り返している。しかし、水や野菜などの食料は毎日欠かさず摂取を継続するものだ。原発施設の周辺やレントゲンなどで瞬間的に浴びるのとは、まったく意味が違うし影響も異なる。
水俣病の有機水銀にしてもアスベストにしても、国や御用学者連中は「ただちに問題はない」といい続けて、後になってから前言を撤回している。しかしその時はもう手遅れだったのだ。大量の健康被害者が出てしまった後だった。今ではだれも、有機水銀やアスベストなどの物質が「健康に問題はない」とは考えないだろう。ほんのわずかでも体内に取り込むまいと、だれしもが最大限の手段を尽くす。行政や御用学者や悪徳企業にだまされて、取り返しのつかない体にされてしまった犠牲者の痛ましい姿を知っているからだ。
そうした過ちをまたしても繰り返すというのだろうか。それほどまでに、われわれは愚かな存在なのだろうか。先手先手を打って対応するのは、決して過剰反応などではない。不安を煽ることでもない。もし仮に結果的に問題がなければそれでいいではないか。最悪の事態を招かないように、最善の対策を講じておくことが何よりも重要なのだ。まずは十分な監視体制と情報公開。そして適切で迅速な対応が行政には求められている。被害が出てからでは遅い。
乳幼児がいるお母さんたちが基準値を超える放射性物質が検出された水道水を心配して、慌ててミネラルウォーターを買いに走る気持ちはすごくよく分かる。不安になって買いだめしようとするそうした行為を、少なくとも僕は非難することはできない。しかし乳幼児に比べて大人は影響がはるかに少ないのだから、大人がミネラルウォーターを買い占めるような真似は厳に慎むべきだろう。僕(たち)にできることは、ミネラルウォーターを買わないことくらいしかない。とりあえず(現時点では)不安だけど水道水を飲む。
心配なのは半減期が8日間のヨウ素131だけでなく、半減期が30年とはるかに長いセシウム137の検出だ。福島第一原発から40キロの土壌からは高濃度のセシウムが検出されたという。福島第一原発から放射性物質が漏れ続けている限り、水も空気も大地も野菜も汚染され続けるし、しかもそれらは蓄積されていくことになる。この事実をしっかり受け止めた上で、僕たちは何をすべきか考えたい。そのためにも、現状がどうなっているのか、そして将来にどういうことが予測されるのかを、科学者と行政と政治家にはしっかりと具体的に分かりやすく示してもらいたい。楽観論や希望的観測はいらない。事実が知りたい。
◇◇ 納豆が手に入らないとか、もう何日も食べてないとか、しょうもない愚痴をたらたら書いていたら、中学の同級生から「納豆1パック800円の夢を見た」というメッセージがきた。いくらなんでもそんなに高いとさすがに買えないよなあ。たばこじゃあるまいし、まさに悪夢だね。たばこならもっと高額でもいいと思うけど。さらに知人の主婦からは「世田谷の東急ストアでは買えますが買っておきましょうか」というメールをいただいた。実にありがたいお申し出だけど、そこまでしていただくのは恐縮してしまいます。お心遣いだけ頂戴して自力でなんとかしてみます。どうしても手に入らなかったらお世話になります(笑)。そんなわけで、ちょっと早起きして牛丼屋かイトーヨーカドーに行こうかなと考えている。
取り返しがつかないようなひどい目に遭わないと、人というのは事態の深刻さにはなかなか気付かないのかもしれない。しかしそれでもまだ目が覚めないでだまされ続ける人たちもいる。「原子力発電はクリーンで安全だ」「原発は必要な存在なんだ」と力説する人たちだ。福島第一原発からは今この瞬間も、放射性物質が大量に漏れ続けて汚染を広げている。水も空気も大地も野菜も汚染され続ける。被害がこれからますます広がるのは確実だ。
これだけひどい目に遭わされているというのに、そしてこの深刻な事態は紛れもなく、根拠のないウソ八百の安全神話を吹聴して原発を推進してきた電力会社と原子力行政による「人災」なのに、まだなお彼らを信じて、「大丈夫だ」「必要だ」と言うのだろうか。今この瞬間も日本全国でたくさんの原子力発電所が稼働している。稼働中のほかの原発の運転を止めなくても大丈夫なのだろうか。東北関東大地震と同じような、あるいはさらに大きな災害が、今すぐに起きない保障はどこにもない。その時に各地の原発は耐えられるのか。そして再び原発で大事故が起きたその時にもまた、「想定外だった」「天災だった」と説明するのだろうか。
いますぐに、日本中のすべての原発を止めるのは難しいかもしれないが、一刻も早く全面廃棄することを前提に、稼働停止のための準備を速やかに始めるべきだ。これからもっと深刻な事態になるのは避けられないだろう。取り返しがつかないことが起きる前に勇気ある撤退を。もはや猶予はない。
取材活動のかたわら、大学でジャーナリズムの授業を担当するようになって9年目になる。僕は毎年必ず講義の中で、米スリーマイル島の原発事故を予見するかのように製作された映画「チャイナシンドローム」を学生たちに見せてきた。多くの学生はショックを受けて知的好奇心を刺激されていた。福島第一原発のニュースを見ながら、彼らや彼女たちはどんなことを考えているだろう。今回の福島第一原発の事故を踏まえて、これまで講義を受講した学生たちに改めて、無責任に原発を推進してきた電力会社や国の「人災」について話をしてみたいなあと思う。
「中学生なのに」とか「中学生でも」という言い方は好きではないし、中学生をダシに使って「ほらこんな立派なことを」などと持ち上げるのは、その子に対しても失礼なので好まないが、あえて取り上げさせてもらう。アイドルタレントの藤波心さん(13歳)の聡明さと「本質を見極める力」には感心するばかりだ。藤波さんは自分自身のオフィシャルブログの中で、原子力発電所の事故で放射性物質による汚染が広がっていることを取り上げて、こんなふうに自分の意見や感想を書き綴って原発の危険性を訴えている。
◇ 「テレビでは安全性ばかり強調しているが、微量とはいえ汚染された野菜を食べ続け、汚染された水を採り続ければ……。そういう生活が1週間続くのか、1カ月なのか、1年なのか、3年なのか……。想定外だったとみんな口をそろえて言うけど、原発は事故が起きたら甚大な被害が出るから想定外はあってはならないと思うんですけど……。原発の危険性を言う人は、危険をあおっていると世の中は叩く傾向にあるようで、何かおかしな流れだと思うのは私だけでしょうか。」
「どーんと爆発したり、急にあす何万人、何十万人が死ぬということはないかもしれないけど、5年、10年の歳月を経て、じわじわ私たちを蝕むと思います。あきらかにリスクが高すぎる。でも日本ではいまだに、原発見直しの声はそれほど上がってこない。むしろ、よく聞かれるのは『原発はやっぱり必要』という声。まだ自分自身が被害に遭ってなくて、直接危険が迫ってないからそんなことが言えるのかな。」
「原発を廃止したら足らない分の電力はどうするんだって言うけど、今の原子力に頼らない生活に、社会全体のシステムを変えればいいのです。電力を絞れば変わらざるを得なくなる。初めは不便でも、やがて人間はそれに順応していく。原子力の事故で世の中がごちゃごちゃになるより、はるかにリーズナブルで経済的。」
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
◇ このような文章が、この後にもまだまだたくさん続いている。実に読みごたえがあって、言い回しや比喩など文章表現もなかなか上手い。原子力発電所の事故がほかの事故とは違って、どうしてけた違いにリスクが大きく恐ろしいのか、まさに本質的な部分をきちんと突いて、率直で的を射た感想と考えを述べている。しかし、僕がもっとも秀逸だと思ったのは次のフレーズだ。
◇ 「アイドルとしての立場の私は、賛成か反対かはあまり明確にしない方が、本当は良いのかも知れない。『ラブ&ピース がんばろう日本!』みたいなことだけ言ってた方が、アイドルとしては活動しやすいのかもしれない。私は中途半端なことは言いたくない。人にどう言われようが、叩かれようが、はっきりと自分はこう思っているんだって言うことを言いたい。その結果、ファンが減っても、私は仕方ないと思ってます。」
◇ 「ラブ&ピース がんばろう日本!」といったセリフが、実はどうでもいいようなことしか語っていなくて、このような発言の多くが、いかに上っ面だけで中身がないかという指摘だ。本質を的確にとらえていることに感心する。そして彼女の発言が、まさしく上っ面だけでなく、覚悟を決めたものだということがよく分かる。
藤波さんのブログには、最初の2日間で延べ400通ほどの書き込みがあったが、4日目には延べ6000通を超える意見が殺到した。「私が心の中でずっともやもや思い続けてた事を、すっきり書いてくれてありがとう」「世の中の多くの人が抱えている不安を代弁してくれたように思います。勇気を持って発言をしてくれてありがとう。目が覚めました」など、彼女を支持・応援するコメントが数多く書き込まれる一方、「もうちょっと自分で調べてみてくださいね」「もう少し勉強してからブログ書こうか」「文章全体から幼稚さや反抗心のようなものを感じた」「電気は極力つかわないで芸能活動と生活をしてください」などと、上から目線で一方的に罵詈雑言を浴びせかける書き込みも目立った。
このコメント欄は実に興味深い。「勉強不足」「幼い」「それなら電気を使わずタレント活動やブログをやめなさい」などと、したリ顔でコメントする人々のそれこそ稚拙で高圧的な振る舞いが、買収や脅迫などを繰り返して、強引に原発を推進してきた東京電力や原子力行政のやり口と、二重写しになって見えてくるからだ。安全でクリーンだというウソが白日の元にさらけ出されて、だまされていたことが判明してもなお、「原発は安全だ」「原発は必要だ」という言葉にすがりつく心理も、考察の対象としては面白いかもしれない。
また、ツイッターでは以下のような発言(ツイート)があった。ほかにもずいぶんな発言を散見したが、大人気ないにもほどがあるだろう。もちろん、あたたかい応援や共感のメッセージも数多く見かけたけど。
◇ 「ハッ ( ̄? ̄;) ひょっとして、あの中学生アイドルのブログ、原発反対派によるものすごく高度なパブだったりして…。なんてことはないよな(笑)」
「(なるほど、黒幕がいる可能性はある。あからさまな賛同。ツッコミに対するヒステリックな反応。その面子…)」
いずれも同一人物。某出版社の書籍編集者(自称)だとか。いい歳した大人がこんなことを平然と言い放つ情けなさ。そして真摯でささやかな表現を冷笑し小馬鹿にするような態度。呆れる。
◇ 「彼女にあれだけコメントがつくのは、皆が不安だからでしょう。私だって不安どころか毎日が辛いです。前にも書きましたが、好きなだけ叫んで、それで少しでも「ガス抜き」が出来るなら汚い言葉も絶叫も悪くはないと思います。ただデマは絶対に許さない」
大手の原子力専門技術会社の元プログラマー(自称)だとか。彼女にあれだけコメントがついたのは、原子力発電所の「安全神話」なるものの大ウソがばれて、だまされていたことに気付いたからでしょう。怒りと共感だよ。「ガス抜き」とは恐れ入る。
◇◇ 午後から都内。新宿で探していた雑誌を購入。夕方から早稲田。アニメーターや演出家らの集まりに顔を出させてもらう。寒くて風が強い一日。間違いなく大量の花粉が飛散している。横浜に帰ってきたころには症状が悪化していた。自宅に着いたとたん、目のかゆみとくしゃみと鼻のむずむずが襲ってきた。たまらん。
夕方から東京・下北沢。居酒屋で中学校のプチ同窓会。午後5時からとあらかじめメッセージをもらっていて、手帳のスケジュールにもその通りの時間と場所をしっかり記入していたのに、なぜか頭の中では「午後6時から」と思い込んでいた。大ボケである。おまけに東急東横線も京王井の頭線も終日全線で各駅停車のみの運行。結局1時間半も遅刻しちまったぜ(汗)。実際に始まったのは5時半だったそうなので、差し引きすると1時間の遅刻ということになるが、この際もう1時間半でも1時間でもどうでもいい。ボケボケであることに変わりはない。えらいすんまへんでした。
プチ同窓会には男女計7人が集まった。インターネットの大手交流サイト・ミクシィの学校登録で連絡が取れて、日ごろからマイミクシィ(友達)としてつながっている仲間が中心だ。そのうちの1人が幹事になって企画してくれた。1〜2年ごとに集まるミニ同窓会よりもずっとこじんまりしているけど、ネット上で結構頻繁にやり取りをしていることもあって、しかも少人数でもあるので話が弾む。大いに盛り上がった。地震や津波や原発に負けることなく、みんなで飲み食いして日本経済活性化に貢献するのじゃ、という大作戦は見事成功のうちに幕を閉じたのであった。
下北沢の駅前や商店街は、ふだんと変わることなく大勢の人でにぎわっていたが、居酒屋は閑古鳥が鳴いていた。もともと不況で売り上げが伸び悩んでいたところに、大地震の影響でさらに客足が遠のき、飲食関係はどこもかなり厳しい経営状態だという。ダメージを受けている飲食店の売り上げアップに貢献するためにも、できるだけ外食するのは悪くないかもしれない。ささやかながら店の手助けができて経済効果もあるはずだ。
卒業式と入学式は中止になったが、4月からの授業は予定通り始めると大学から連絡があった。学校によっては、震災の影響を考慮して、新学期のスタートを遅らせるところもあると聞く。被災地出身の学生や、慌てて帰国してしまった留学生に対する配慮も必要だろう。しかしそうなると授業計画を大幅に見直したり、夏休み中に補講したりせざるを得なくなる。これはかなりの負担だ。なかでも一番の課題になるのは、たぶん夏休み中の授業ではないか。
地震と津波に破壊された街の復興が数カ月でかたがつくとは思えないが、深刻な事態が続いている原子力発電所の事故は、それよりもっと長期の戦いになるのは確実だ。暑い夏場の電力需要は相当な量にはね上がる。電力不足への対応はどうするのか。教室のエアコンを止めて授業をするのか。学生も教員もそれに耐えられるのか。そんなあれやこれやを考えれば、予定通りに新学期を始めた方がいいかもしれないなあ。いずれにせよ学生が安心して、落ち着いて学べる環境確保が重要だ。
◇◇ ますます深刻の度合いを深める一方の福島第一原発の事故。東京電力は、福島第一原発の敷地内で採取した土壌の一部から、微量のプルトニウム3種類が検出されたと発表した。東電は「人体に問題となるものではない」と説明している。ああまたこのセリフか。しかし、もはや冗談として聞き流せない領域に達した東電の説明だ。さすがにこれは笑って済ませられない。作業員3人が被ばくした3号機の水からは、通常運転中の原子炉の冷却水の1万倍に達する高濃度の放射性物質が検出されている。「放射性物質が閉じ込められているべき場所に閉じ込められていない」のはだれの目にも明らかではないか。原子炉そのものが壊れていて、そこから放射性物質が流れ出ているとしか考えられない。
事態は本当に一進一退なのか。メチャメチャになっている原子力発電所の写真を見ると、言葉では言い表せないほどのショックを受ける。本当になんとかなるようなレベルの事故なのだろうか。もしかしたら、聞かされていることよりも本当はもっと大変な事態で、危機的状況なんじゃないかと心配になる。実際に、本来なら外に出ない(出てきてはいけない)はずのプルトニウムやセシウム、高濃度の放射性物質が検出されているのだ。恐怖を感じる。今回の原発事故に関する海外や日本の一部の報道について、「海外メディアは大げさだ」「不安を煽るな」などと言う人がいるが、決して大げさじゃないと改めて思う。むしろもっと事実を明らかにして、少しでも多くの判断材料を示すべきだと痛感する。
風が強かった先週からかなりの量の花粉が飛んでいるようで、花粉症がつらい。必然的に鼻炎薬の服用量も多くなって、ほとんど毎週のように薬を買い求めている。
僕が飲んでいる鼻炎薬は、1日2回、1回に2カプセル服用するのが定められた用法だ。前にも書いたと思うが、これだと症状の軽い時は1日1回にしたり、1回に1カプセルだけにしたりと、規定以内の用量の範囲で、症状に応じて臨機応変に服用量が調整できるのでとても便利なのだ。
過去にほかの鼻炎薬をいくつか試したこともあった。しかし薬によって用法用量は違っていて、1日1回1カプセルだけ、あるいは1日2回1カプセルずつといった用法の薬だと、症状に応じた自己調整ができない。それに、効き目はいいけど副作用として急激に眠くなるとか、逆に副作用はほとんどないけどあまり効かないとか、どれもあまり相性がよくなくて、結局はいま飲んでいる鼻炎薬に落ち着いた。そのへんは人それぞれ自分の体に合った薬があるのだろうが、僕には現在服用中の薬が合っているようだ。
とまあ鼻炎薬についての説明はそんな感じなのだが、このところずっと用法に定められた服用量を目いっぱい飲んでいるので、あっという間に薬がなくなってしまうので出費が大変だ。鼻炎薬はどれも結構高いんだよなあ。それでも僕がいま飲んでいる薬は比較的安い方で、しかもとあるスーパーの薬局では、ほかの薬局などに比べてなぜかずっと安い価格で販売してくれている。これはほかの薬についても同様で、店によって販売価格にはかなりのばらつきがあるようだ。そしてさらに、僕がいつも買っている薬局では週に1回だけ1割引で販売してくれるので、その日に購入すると格段に安く手に入るのだ。もとの価格が高いのでとても助かる。もちろん薬の有効期限が直近で製造されてから時間が経過している、などということもない。なんて良心的な薬局なんだ。
それでも1週間ごとに1500円ずつ出費するのは、なかなかつらい。今年は花粉の飛散量が多いので、症状だけでなくふところもつらい。少しでも早くこの季節が終わることを切望している。
【追記】以前は会社の近くの内科医院で、花粉症の薬を処方してもらって飲んでいた。安くて効きめもよくて副作用もほとんどなくて、絶妙の調剤バランスは言うことなしだったのに、残念ながらその医院は数年前に廃業してしまった。とてもいい先生だったんだけどなあ。その後、内科や耳鼻咽喉科をいくつか受診したが、どうも副作用がきつかったりあまり効かなかったりと、僕とは相性が悪くて、それからはあきらめて市販の薬を飲んでいる。
原子力発電が安全でもクリーンでもないことは明白になった。莫大なコストがかかる。危険性がきわめて高い。当然のことながら、稼働中のほかの原発は運転を止めなくても大丈夫なのか、再び大規模な災害が起きた時に各地の原発は耐えられるのか、といった疑問が生じる。原発をなくすことを本気で考えよう、原発に頼らない発電と生活を模索しよう、という声は少しずつ広がっている。
この「身辺雑記」でも、「日本中で稼動している原発を一刻も早く止めるために、稼働停止の準備を速やかに始めるべきだ」「取り返しがつかないことが起きる前に勇気ある撤退を」と指摘した(3月25日付「それでも目が覚めない人たち」参照)。しかしこうした原発廃止を求める考えに対し、日本の発電量の3割を原子力発電が占めることから、「すべての原発を止めてしまうと電力が足りなくなって大変なことになる」「原発をすべて廃止するのは現実的ではない」「今のような生活レベルを維持しようと思うなら原発をなくすことは不可能だ」という意見はいまだに根強い。
とりあえず今は、高濃度の放射性物質を大量に漏らし続けている福島第一原発をどうにかするのが、最優先であることは言うまでもないが、それでは福島第一以外のほかの原子力発電所は安全かというと、決してそんなことはない。むしろ危険と隣り合わせなのは、今回の福島第一原発の事故を通して多くの人が目の当たりにした通りだ。福島の深刻な惨状を見て、多くの国では原発の建設計画が凍結され、稼働中の原発についても見直しの動きを見せるなど、原発からの脱却は世界的潮流になり始めている。
福島第一原発の事故を受け、東京電力は大規模停電を避けるためだとして、一部地域で計画停電を実施している。電力需要がピークを迎える真夏には、計画停電はさらに大規模になるとも言われている。しかし計画停電は本当に必要なのか。原発がなくなると本当に電力は足りなくなるのか。
東京や横浜の夜は、東北関東大地震後はすっかり暗くなった。本当に暗い。繁華街のネオンは消え、エスカレーターやエレベーターも止まっている。それでもみんな不都合はないと言っている。たぶん今までが電力を浪費しすぎていたのだ。無駄な電気を使うのを止めれば、必ずしも電力不足にはならないのではないだろうか。ちなみに2003年4月に、東京電力の原子力発電所で検査の偽装やトラブルの隠蔽(!)が発覚して、東電管内のすべての原発プラント計17基を一斉停止したことがあった。それでも、電力不足にはならず停電することはなかった。
とは言っても、真夏の電力需要ピークの時期にはどういう事態になるのか心配になる。東電は「原発が止まると停電する」などと主張している。だがこれについては、平日の業務用需要や大規模工場の操業を調整すれば、問題はないという調査結果がある。また実際に、トヨタやホンダなどの国内メーカーでつくる日本自動車工業会が話し合い、曜日ごとに操業と停止の工場を決めるなど、業界全体で電力使用量を調整しようと検討に入ったという。
「原発を止めたら電力不足になって停電する」という東電の主張は、にわかには信じ難い。原発を止めさせないための方便のような気がする。個人のレベルでの節電と意識改革、さらに蚕業会全体での電力使用量の削減などで、いくらでも対処の方法はあるように思える。街中を照明で煌々と照らし続け、過剰で無意味な冷暖房をつけっぱなしにし、24時間ずっと喧噪が止むことのない繁華街。そもそもそれが「豊かな生活レベル」なのか。命の危険や致命的な環境破壊とひきかえにしてまで、そんな「生活レベル」を維持する必要があるだろうか。確かに多少の(あるいはかなりの)不便が生じることはあるだろう。しかし命を危険にさらしてまで、享受するほどのものではないのではないか。原発に頼らない生活に向けて、あきらめないでチャレンジする価値はある。
◇◇ 【編注】インターネットの大手交流サイト「ミクシィ」でいただいたコメントへの返信をもとに、加筆修正しました。
【おことわり】きのう3月29日付の「鼻炎薬の服用量アップ」の文末に「追記」を書きました。
新聞社に入社したばかりの駆け出し記者のころ、首都圏のとある地方都市の支局に赴任した。その街には大手の新聞各社とNHKの記者が駐在していて、みんな僕よりもはるかに年上のベテランばかりだった。
赴任してしばらくすると、東京電力の支店の人たちと記者クラブのメンバーで懇親会が開かれた。取材先と酒を酌み交わして親しくなり、人間関係を築いて取材をスムーズに進めるのはよくあることで、記者の大切な仕事の一つでもある。ただ、警察署や役所や議会というのはまだ分かるが、どうして東京電力の人たちと懇親会をするのか不思議だった。公共機関だからというのだが、NTTや東京ガスや水道局とも飲むのかというと、そういうことでもなくてなぜか東京電力だけは特別なのだ。
懇親会が終わると、料亭の2階の座敷でマージャン大会が始まった。僕はルールを知っている程度で、点数の計算もできないし上がるための役もよく分からないから最初は断ったのだが、「大丈夫、大丈夫」と言われて参加することになった。記者1人に東京電力の幹部社員3人がそれぞれつく形で1つの卓を囲んだ。いざマージャンが始まると、ほとんど何も知らないドシロウトの僕に、待ってましたとばかりに欲しい牌が次々に転がり込んでくる。何回やっても同じ。ろくに点数計算もできない僕がそんなに勝てるわけがない。さすがに10分もしないうちに、僕の父親くらいの年齢の部長や課長が「当たり牌」をわざと振り込んでいるのだと気がついて、「ああこれは接待マージャンなんだ」と理解した。
結果は当然のように僕の一人勝ち。ほかのマージャン卓でも、例外なく記者が一人勝ちしていた。こういうふうに露骨に当たり牌を振り込んでもらい、わざと勝たせてもらって楽しいのだろうか。僕はすごく居心地が悪かったのだが、ほかの先輩記者たちはみんなご満悦な様子だった。優勝したからといって豪華商品が出るわけではない。せいぜい東電マスコットキャラクターのでんこちゃんのカレンダーだとか、エプロン、東電のロゴの入った目覚まし時計が贈られるだけなので、賄賂とか利益供与にはあたらないかもしれない。だが、ご機嫌で帰っていった先輩記者たちは、精神的には東電に取り込まれてしまったことにはならないのだろうか。
翌日、記者クラブで先輩記者に聞いてみた。「あれってわざと振り込んでくれてるんですよね。そうでなければ僕が優勝なんかできるわけないですよ。あんなので楽しいんですか」。先輩たちは「いいんだよ、接待されてるんだから。そんなこといちいち気にするなんて若いなあ」と異口同音に答えて笑った。こういう緊張感のないところに何年も何十年もいると、接待されるのが当たり前だと感じるようになってしまうのだろうか。幸いなことに僕はそれから何年経っても、いま現在も、「接待される」ことへの居心地の悪さと違和感が消えることはない。
接待する側は、何かしら目的があって接待する。「悪く書かれないように」「不祥事が起きても手心を加えて書いてほしい」「自分たちに有利な記事を書いてもらいたい」。そういうことを期待している。だからこそ一生懸命に持ち上げて、ご機嫌を取って、いい気分になって帰ってもらうための努力をするのだ。目的があって接待されているということへの自覚がなく、取材する対象との緊張関係を記者が失えば、どっぷりと癒着関係にはまることになる。それでは取材すべきことが取材できなくなるし、書くべきことが書けなくなってしまう。これは東電だけに限らない。
東電はその後、原子力発電所の見学ツアーを企画した。マイクロバスを用意するなど、費用はすべて東電が負担するという条件だったが、さすがにそれに応じた記者は数人しかいなかった。
原子力発電所のない地方都市でさえ、こんな調子なのだ。実際に原発が稼働している町や、原発建設の予定地、放射性廃棄物の処分場の候補地であれば、電力会社はもっと必死なんだろうなあと想像する。そして全国各地で多くの記者が、自覚しているにせよ無自覚であるにせよ、取り込まれていったのだろう。取材現場の記者は問題意識を持って取材したとしても、編集幹部が取り込まれていれば記事は紙面には掲載されない。テレビ局も同様に、意欲的な番組が作られても電波に乗ることはない。広告やCMという形での影響力・圧力も大きいだろう。そうでなければ、原発や処分場の問題を指摘する記事や番組がなかなか表に出てこない説明がつかないではないか。福島第一原発だけが深刻な事態なのではない。原子力行政や電力会社のどうしようもなさはもちろんだが、この国のメディア自身もきわめて深刻な状態にあることを自覚する必要がある。