身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2012年10月1日〜10月31日

●勘弁してほしい政治家たち●原子力規制庁の自覚●原発による健康被害●メディアへの圧力●海水注入を止めようとした東電本店●読売記事の悪意●自民党政権になれば原発推進●メディアの役割と責任●あからさま過ぎる●「犯人視」しない●「命令に従った者」にも責任●確認と裏付けは記者の基本●お粗末すぎる読売の取材●自称研究者を吊るし上げる読売●情報の真偽を見極める●ジャーナリズムの信念●公人と私人では立場が違う●なぜ団結して抗議しない?●相手にすべきでなかった●週刊朝日バッシングは的外れだ●密室での自白強要こそ問題●橋下市長の粘着は異様●スーパーマンが新聞記者辞める●権力監視と緊張関係●朝日出版社に矢作俊彦氏が激怒●メディア不信を自覚しろ●裁判官に「それボク」視聴強制を●レポート採点終了●違和感たっぷり●プロの魂●最低の政治家と最低のメディア●●●ほか


10月1日(月曜日) 勘弁してほしい政治家たち

 安倍晋三自民党総裁が、改憲を次期衆院選の争点にする考えを示した。憲法改正の発議に衆参各議院の3分の2以上の賛成と定めた憲法96条の改正に意欲を表明。「3分の1を超える国会議員が反対すれば憲法改正発議ができない。そう思っているような横柄な国会議員には次の選挙で退場してもらいたい」「教育再生にこれからも取り組んでいきたい。そのためにも何としても政権奪還したい」と講演で語った(毎日)。

 勘弁してくれよ。いよいよ本性を剥き出しにしてきた安倍氏。権力を行使して特定の価値観を強要しようとするタカ派そのものの発想で、まさに5年前の悪夢再現としか言いようがない。時計の針が逆戻りするような既視感を覚える。

 同じく毎日から。毎日新聞の世論調査によると、自民党総裁に返り咲いた安倍氏に「期待する」との回答は40%にとどまり、「期待しない」の55%を下回ったという。毎日新聞は「期待する40%どまり」と表現しているが、むしろタカ派の安倍氏に期待する人が40%もいることが不安に感じるのだけど…。

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 腹痛を理由に首相を辞任した安倍氏。言い訳が小学生並みだと思っていたら、今度はそれを言い換えて難病だったとおっしゃる。最高権力者である首相が自分の体調維持管理も満足にできずに、重要案件の決定などできるはずがないし、生死を分けるような事態に突発的に陥ったのではないのだから、前もって対処できたはずだ。それなのに政権を放り出したのは、やはり無責任過ぎると言わざるを得ない。そもそも都合のいいように病気を言い訳に使うのは、厚顔無恥で卑怯極まりなく説得力に欠ける。辞任の際も復帰の際も。病気で苦しんでいるほかの大勢の人たちにも失礼だろう。

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 オスプレイ6機が沖縄の米軍普天間基地に配備された。仲井真知事「自分の頭に落ちてくる可能性があるものを、だれが分かりましたと言えますか」。野田首相「沖縄の負担軽減の観点から、オスプレイの本土への訓練移転を具体的に進めるなど、全国でも負担を分かち合うよう努力したい」。本土へ訓練移転って本気かよ。そういう問題じゃないだろうに。まるで何も分かっていない野田首相。

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 「ブラック・ジャック」大全集の第1巻(復刊ドットコム)。迷った末にAmazonでポチッとしちゃったよ。「雑誌原寸大のB5判フルサイズ・カラーで雑誌掲載時と同じ掲載順序」という宣伝文句はやはり魅力的だった。近所の八重洲ブックセンターで置いてないと言われて(ここは本当に品揃えが悪い)、踏ん切りがついた。


10月2日(火曜日) 原子力規制庁の自覚

 「赤旗」記者の原子力規制委員会への会見出席を、事務局の原子力規制庁が一転認めた。同庁の森本英香次長は「規制委の透明性が後退したというのは心外だ。規制委は発足したばかりで試行錯誤の段階。改善すべきは改善していきたい」(朝日)。試行錯誤じゃなく支離滅裂。「情報操作や隠蔽の糊塗」の間違いだろう。

 少なくともいったんは自分たちにとって都合のいいメディアを選別しようとして、都合の悪いメディアを排除しようとした事実は厳然と残る。そしてまさにこれこそが原子力規制委員会と原子力規制庁の正体であること、公僕であることの自覚のなさが白日のもとにさらけ出されたということだ。言い訳すればするほど墓穴を掘るだけだ。恥を知って深く反省すべし。

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 いろいろ種類が豊富にあるペットボトルのお茶の中では「伊右衛門」がすっきり飲みやすくて好きだが、「綾鷹」はさらにまろやかな味わいで一番美味しいと思う。ただ「綾鷹」は滅多に安売り販売をしてくれないのが惜しい。緑茶系ではこの2つがダントツで、ほかの銘柄は似たり寄ったりといった感じだ。


10月3日(水曜日) 原発による健康被害

 福島県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会で、福島県が事前に委員を集めて秘密準備会を開いていたことが明らかになったという(毎日)。あらかじめ決められた結論に沿って「原発事故による健康被害はない」「福島は安全」などと発表するだけなら、検討も議論も必要ないじゃないか。なんと「科学的な」健康管理調査なことか。

 この人たちのほかにも、「福島原発事故による健康への影響はない」と断言する自称科学者や自称医師や自称ジャーナリストがこの国には大勢いる。データが揃っておらず因果関係が証明されていないだけで、なぜ「健康被害はない」「影響はない」と断言できるのか。少なくとも「現段階では分からない」と言うべきなのに。

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 原発事故と原子力政策を大学の授業で取り上げて、原発再稼働をどう考えるか学生に意見を書かせている先生がいた。取り組み自体は素晴らしいと思うけど、聞けば核廃棄物処理の問題は講義で一切触れていないという。そこを説明しなければ再稼働は語れないと思うけどなあ。一番肝心な問題点なのに。

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 オスプレイの沖縄強行配備について、米ハワイ州で着陸訓練に反対し計画撤回に追い込んだハワイ住民も「それだけの住民が反対しているのに配備したり訓練したりするのはおかしい」と日米両政府の対応を疑問視している(毎日)。読み応えがあって共感できる記事だった。

 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121003-00000013-mai-soci


10月4日(木曜日) メディアへの圧力

 きのう3日付の朝日夕刊の連載コラム「原発とメディア」が、日テレの深夜番組に出演した広瀬隆への電力会社による圧力を取り上げていた。同番組司会の藤本義一は、関電からの抗議を受けたテレビ局の営業部に文句を言われた。東京12ch(現テレ東)ディレクターだった田原総一郎も、東電の意向を受けた広告会社から圧力を受けたという。

 電力会社からメディアへの圧力や抗議などないと「断言」する自称業界人が大勢いるが、それは彼らがそういう記事を書かず番組を作っていないからだろう。あるいはあまりにも感度が低いから、圧力に気付いていないだけだろうと想像せざるを得ない。

 電力会社に限らず、企業や役所や政治家からの圧力や抗議を、「これまで一回も受けたことがない」などと平然と言ってのけるマスコミ関係者を目の当たりにすると、軽蔑というよりもむしろ同情の気持ちしか起きない。よほど当たり障りのない取材しかしてこなかったんだね、と思わず口に出してしまいそうになる。

 彼らからそういう話を聞かされるたびに、自分たちの無能さや問題意識のなさを、自らわざわざ宣伝しなくてもいいのにといつも思う。まともに取材して記事を書いて番組を作っていれば、不当で納得いかない圧力や抗議や軋轢はあるんだよ。

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 来年春の花粉の飛散量は、関東や北日本では今春と比べて2〜5倍になるという。茨城と埼玉と東京は5倍。九州と四国を除いて全国的に多くなるらしい。日本気象協会の予測。マジっすか…。今から憂鬱だ。

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 「ブラック・ジャック」大全集の第1巻が届いた。段ボール箱がずっしり重い。さっそく梱包を開けてページをめくる。懐かしい。やっぱり雑誌掲載時の大きさというのは読みやすくて迫力もあっていいなあ。巻末には連載予告カット、雑誌掲載バージョンの扉絵、連載時と単行本版の違いの解説なども。じっくり読もう。3675円はちょっと高いけど買って正解だった。第2巻以降の購入についてはこれから検討したい。


10月5日(金曜日) 海水注入を止めようとした東電本店

 追加公開された福島原発事故の東電ビデオには、海水注入しようとする現場に対して、「もったいない。原子炉が使えなくなる」と繰り返し口を挟む東電本店の姿が記録されていた。大惨事が目前に迫った緊急事態だというのに、それでもなお原子炉温存を優先させようとする。こうした東電の異常さは事故直後から指摘されていたが、東電は「官邸が海水注入に待ったをかけた」などと言い訳していた。だから東電はビデオを公開したくなかったんだよな。度し難い東電の体質がよく分かる。

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 きょう5日付の朝日夕刊の連載コラム「原発とメディア」も、テレビ局への電力会社の圧力について、果敢に切り込んで読みごたえがあった。

 記事は日本テレビの元ディレクターの近著から、「電力会社の意に沿わない部分があれば、CMを引き上げるというような痛いところを突いてきて報復する。公共性を要求される大企業としては不遜な行為」「真っ当な反原発番組は視聴者が少ない深夜に、局によってはローカルのみで放送されている」といったドキュメンタリー番組の現場の声を紹介。その一方で「視聴率の高い報道・情報番組には電力会社がスポンサーに付いた」と指摘する。

 今回で250回となるこの連載は、朝日の中でも最も良心的な記事の一つだと思う。初期の記事は単行本になっている(朝日新聞出版)。オススメの一冊だ。

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 しばらくぶりに近所のインド料理店に行ったら、韓国家庭料理のチェーン店に変わっていた。えっ…。安くて美味しい本格的なインド料理が食べられるので、お気に入りの店だったのに、ショック。せっかくだから韓国料理店に入ってみた。プルコギ定食を注文。カクテキとナムルも付いて、まずまずの味だったからまあいっか。


10月6日(土曜日) 読売記事の悪意

 悪意に満ちた読売の作為的な見出しと記事に驚き呆れる。<岡田副総理、原発事故は「幸運だった」>(読売)。時事通信の記事と比較すれば一目瞭然だ。<岡田副総理、原発は慎重に検討=最悪の事態回避に「幸運」>(時事)。

 (読売)→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121006-00001002-yom-pol

 (時事)→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121006-00000071-jij-pol

 岡田氏の発言は、「最悪の場合には、福島も首都圏も最悪の事態になっていたかもしれず、それが回避できたのは不幸中の幸いだった」という趣旨だろうし、そのことは岡田氏に限らずほかのだれもが異論はないはず。だからこそ岡田氏は「原発に何かあったら極めて深刻な影響を及ぼしかねない」と述べ、「原発への慎重姿勢」を表明したのだろう。それこそがこのニュースのポイントではないのか。読売の記事と見出しは単なる言葉狩りで、本質を見ていないばかりか悪意しか感じられない。

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 ローソンオリジナルの「メープルアイスモナカ・クルミ入り」が美味しい。メープルシロップの入ったアイスにクルミの粒が散りばめられ、モナカでサンドされている。甘過ぎずあっさりすっきりした味わいで、クルミの食感がなんとも言えない。オススメ。

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 【メモ】今秋始まった中で、とりあえず続けて見てみようと思ったアニメ。△「となりの怪物くん」、◎「神様はじめました」(大地丙太郎監督)、◎「中二病でも恋がしたい」(京アニ)、△「武装神姫」、◯「とらぶるダークネス」、◯「バクマン3」の6本。◎は秀作の期待大。△は見なくなる可能性あり。


10月7日(日曜日) 自民党政権になれば原発推進

 上関原発の建設計画について、山口県の山本繁太郎知事は埋め立て免許更新を認めない方針を明らかにしたが、山本知事は「国の脱原発の方針が変われば申請許可する」と述べている。つまり次の総選挙で政権交代し、「原発ゼロ」を否定する自民党政権になれば、原発新増設は確実に進むことになる。もちろんほかの地域の原発新増設も、再稼働も同様だろう。

 再稼働を認めない姿勢が鮮明だった菅政権と違って、野田政権は「原発ゼロ」を目指すことをいったん決めながら次第に骨抜き状態になっている。しかし自民党はそれどころか「原発ゼロ」にはっきりと反対している。政権交代で政府の方針が変われば、原発の新増設や再稼働が急ピッチで進むのは明らかだ。

 福島原発事故をきれいさっぱり忘れて、再び原発を動かして原発推進するのか、取り返しがつかない事態を招く前に原発から撤退するのか、選ぶのは主権者たる国民だ。


10月8日(月曜日) メディアの役割と責任

 「野田総理と安倍総裁のどちらが総理大臣にふさわしいか」を聞いたJNN(TBS系列)の世論調査。うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらがいいかを聞く小学生を思い出す。まさに究極の選択。しかしこの質問にどれほどの意味があるのか。

 調査結果は、安倍氏が45%で野田総理の29%を上回った。しかしそれにもかかわらず、安倍氏に期待する人は38%で期待しないが59%だった。野田氏も安倍氏もどっちにも期待できないことを示している。こんな選択肢しかない日本は、本当に情けない国だと心から思う。そういうことを浮き彫りにするための質問だったのであれば、今回の世論調査をした意味はあったのかもしれない。

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 京都大学の山中伸弥教授が、今年のノーベル医学生理学賞の受賞者に選ばれた。山中教授らのiPS細胞は画期的な研究で、日本人19人目の受賞はとてもうれしい。

 このニュースを大きく伝えたNHKが、業績評価やこれまでの研究の道のり、喜びの声などとともに、安全性確保と倫理的課題について繰り返し触れたことは高く評価したい。午後7時のニュースと「ニュースウオッチ9」は珍しくいい仕事をした。

 山中教授の研究は画期的で意義があるし、ノーベル賞の受賞はもちろんうれしいニュースだが、受賞を手放しで喜ぶだけでは報道機関としての存在価値はない。iPS細胞の安全性確保と倫理的課題について、しつこく繰り返し触れること、今後もことあるごとに触れ続けることはメディアの重要な役割だと思う。

 再生医療や生殖医療について、今後の課題や問題点をきちんと伝えて、幅広く議論するための材料を提供することこそがメディアの責任だろう。山中教授をはじめ志の高い多くの研究者も、それを強く望んでいるはずだ。

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 インターネット上に犯罪予告の書き込みをしたとして、大阪と三重の男性が逮捕・起訴された事件は、第三者にパソコンが乗っ取られて遠隔操作された可能性が 高いとして釈放されたが、痴漢冤罪の被害者と同じで、だれもが同じような容疑で不当逮捕される危険性がある。いつ自宅や職場に踏み込まれて室内を引っくり返され、パソコンの中身を調べられるかもしれないわけで、たまったもんじゃないなあと恐怖を覚えた。

 大学の講義でこれまで学生に対し、「ネットの掲示板などへの書き込みは匿名ではなく、IPアドレスから個人は特定され得る。だからこそ自覚を持って責任ある言動を」などと話をしていたが、これからは、「パソコンを乗っ取られて第三者に遠隔操作される危険性」「冤罪被害者にされる危険性」「ネット犯罪と報道のあり方」についても指摘しなければならない。今週は早速この話をしよう。


10月9日(火曜日) あからさま過ぎる

 ノーベル物理学賞は米仏の2人の科学者が受賞。こっちのニュースは番組開始から40分も経ってから、わずか数十秒だけ触れるというNHK「ニュースウオッチ9」の扱いはいかがなものか。せめてトップ項目で取り上げた山中教授受賞の続報の後に、すぐに続けて伝えるくらい配慮すればいいのに。受賞者が日本人じゃないから小さく扱われるのはある程度仕方ないとは思うけど、あまりにもあからさま過ぎないか。

 自然科学の分野やノーベル物理学賞そのものに、関心を持っている日本人だって大勢いるだろうに。けっして少なくない数の外国人も日本国内で視聴しているだろうし、「世界に情報発信する公共放送」を自認しているNHKなんだろうから、ニュースの組み立てをもう少し考えた方がいいと思うよ。

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 自民党の安倍総裁と経団連の米倉会長が会談し、衆院の早期解散で両者の認識が一致したという。またまた時計の針が逆戻りした感じのデジャブ(既視感)だ。自民党と財界のべったり一心同体。それにしても露骨だなあ。これはもう政権交代した後の原発推進路線は確実ということ。原発の再稼働はもちろん、新増設も急ピッチで進められるのは間違いない。本当にそれでいいのか。


10月10日(水曜日) 「犯人視」しない

 「被疑者の人権、被害者の人権」をテーマに、事件報道の問題点について講義をした。PC乗っ取り冤罪事件を話のきっかけとしたので、学生の多くは自分自身にも関係ある問題だととらえて関心を持って聞いてくれたようだ。逮捕から起訴、裁判、判決、確定、再審までの流れも説明したため、それなりに理解してもらえたんじゃないかと思う。以下、授業後の学生の感想から(抜粋)。

 「容疑がかけられた段階では疑いでしかないため、犯人と決めつけてはいけないことがよく分かった」「逮捕されたとテレビで報道されたらイコール犯人というイメージがありました。釈放されたとか、冤罪だったと伝える報道が圧倒的に少なく、しかも大きく取り上げないせいだと思いました」

 「容疑者がフードを被った場面をテレビで目にすると犯人だと誤解してしまう。何度も同じニュースを繰り返すので、犯人だと刷り込まれてしまうと思った」「逮捕イコール犯人だと決めつけるのはよくないと分かった。連行されていく場面をニュースなどで見ると、どうしても悪いことをした犯人だとしか思えない。ニュースで連行場面を流すのは視聴者に誤った印象を植え付けることになると思った」

 「逮捕されたら犯人だと思っていたけど、◯◯容疑者と呼ばれても、まだ犯人と決まったわけではないと知って驚きました。こうした先入観もきっと一方的な報道のされ方によるのでしょう。新聞の見出しを見ただけの思い込みは怖いと思いました」

 「被疑者、被害者の人権が尊重されていないというのは、昼のワイドショーを見ていると強く感じる。ブログ、日記、ツイッターなど、本来は事件に関係ないプライベートなことまでさらけ出されてしまう。ゲームやアニメが趣味だというだけでクローズアップして問題視する。事実を歪ませていると感じる報道もある」

 「警察に逮捕される人イコール酷いことをした人だと思っていた。足利事件の菅家さんのように、無実なのに人生を台無しにされてしまうといったことを二度と起こさないためには、警察・検察・裁判所の人たちの考えを変えないとダメだと思った」

 「冤罪についていろいろな話を聞いてすごく考えさせられた。いつ自分が冤罪被害者になるか分からないことや、警察や検察や裁判官のずさんさを知った。メディアの情報を鵜呑みにしてしまいがちだが、マスコミが伝えていることが全てではないということを頭に置いて、これからニュースを見ていきたい」

 「逮捕された人は皆犯人だと思い込みがちでした。きょうの講義を聴いてメディアのあるべき姿がズレているのだと感じました。これから就活が始まるので、新聞をしっかり読もうと思います」「弁護士に対してあまりいい印象を持ったことがなかったが、今回の講義を聴いて少しだけ考えが変わった」


10月11日(木曜日) 「命令に従った者」にも責任

 きょう11日付の朝日新聞国際面の特集記事「ナチ犯罪終わらぬ追及」は示唆に富み、読みごたえがあった。過去の戦争犯罪の追及だけでなく、現代の企業・役所・官僚・警察・検察・裁判官らの行為に対しても当てはまるよなあと、深く考えさせられる。

 「命令に従った者にも責任」とドイツのナチ犯罪追及センターの所長。「上からの殺害命令に『従っただけ』の者の責任を問う一方で、命令を下した多くの者が問われていないというのは事実だ。だが、命令だったか自発的だったかは、量刑判断で考慮されるべきであり、責任を追及しない理由にはならない」

 「不法に平等はない。つまり、同じような犯罪をした他人が罪に問われないからといって、罪を逃れる理由にはならない。すべての泥棒が逮捕されないからといって、逮捕した泥棒を無罪にしないのと同じだ」

 「命令に従った者にも責任」は過去の戦争犯罪にとどまらない。現代の企業・役所・官僚・警察・検察・裁判官らの行為にも当てはまるはずだ。消費者や国民を裏切る行為、職務怠慢や冤罪への加担なども同様に、厳しく責任追及されるべきだろうと思った。

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 チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世(インドに亡命)の平和賞、作家の高行健氏(仏に亡命)の文学賞、民主活動家の劉暁波氏の平和賞に続いて、莫言氏の文学賞は中国本土出身では4人目のノーベル賞受賞となる。これまで中国政府は「反体制派支援の内政干渉だ」などとノーベル賞の授与に猛反発してきたが、今回は国威発揚になると歓迎しているらしい。

 莫言氏は中国文学界の重鎮だが、「若者の間では村上春樹氏の方が知名度が高い」(北京の知識人)とも言われる。中国のインターネット上では「莫言って誰だ」との書き込みも見られる。(現代中国社会に鋭い批判をしている)莫言氏へノーベル文学賞の授賞を決定した背景には、人権問題で揺れる中国に対して一石を投じたい選考委側の思惑も。(毎日)

 時事通信の記事も、「中国ではこれまで、政治性を帯びるノーベル平和賞や文学賞には冷淡だった。前評判が高かった村上春樹氏を押しのけての文学賞。日中関係が対立している最中だけに、中国では『歓迎』一色となった」と皮肉っぽい伝え方をする。

 また日経も、「これまでの受賞者は中国当局が好ましくないと考える人物ばかりだった。一方の莫氏は中国が抱える矛盾などを描きつつも体制を揺るがすような批判はしていないため、中国メディアも表だって称賛している」と指摘。さらに「中国国内では批判的な声も上がっている」とした上で、「莫氏は現在の中国で最も優れた作家とはいえないうえ、言論の自由が制限されている現状など社会体制に対する批判的な視点を持っていないため、受賞に値しない」と批判する四川省の雑誌編集者の声を紹介している。


10月12日(金曜日) 確認と裏付けは記者の基本

 そもそも大学や病院に事実関係を確認し、経歴や背景について調べれば、矛盾や疑問がすぐに分かると思うんだけどなあ。先走って大々的に報じた読売とそれを追いかけた共同の「iPS心筋移植報道」。つまりは裏付け取材が不十分だった(しなかった)ことが大誤報につながり、自称研究者のウソ八百を垂れ流すことになったということか。裏付けを取るのは取材の基本だ。実に残念なことだけど、「ずさんなメディア」について語るための教材が、また一つ手に入ってしまった。

 毎日やNHKや朝日など他社は、iPS心筋移植をしたと主張する自称研究者の説明に矛盾があって、大学への確認取材でも裏付けが取れないことを理由に記事にしなかった。当たり前の確認取材をしたらそうなるはずだよなあ。大学や病院に確認すればすぐに分かることを、なぜ読売や共同はしなかったのか不思議だ。

 「日本なら規制があってできなかった。日本でやっても書類の山をためるだけ」などと語る自称研究者のインタビューを、読売は紙面で大々的に報道した。しかしそもそも実験を何回も繰り返し重ねる慎重さは、臨床の大前提だと思うのだが、どうしてそんな乱暴な発言を疑いもせずに垂れ流すのだろう。しかもそんな読売の記事を引用して、したり顔で絶賛するツイートも多数見かけた。まさに誤報の拡散だ。無責任きわまりない。「十分な動物実験なしにいきなり人間というのはあり得ない」と述べる山中伸弥教授に、医師・研究者としての良心と真摯な姿勢を感じた。

 それにしても読売や共同の取材姿勢はどうにも理解に苦しむ。デスクはいったい何をしていたのだろうか。事件取材に限らず街ネタでも行事取材であっても、確認と裏付けは基本中の基本のはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。残念だ。

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 ノーベル文学賞の授与が決まった中国の莫言氏について、「体制を揺るがすような批判をした」と言う人がいるが、中国共産党の一党独裁体制を真正面から批判したら、あの国では間違いなく発禁処分になるよなあ。そもそもそんな作家を容認するだけの度量や寛容さは、残念ながら中国政府にはないと思うけど…。

 もしも莫言氏が民主活動家を擁護したり民主化支持に積極的な発言をしたりすれば、中国政府は間違いなく手の平を返したように、莫言氏とノーベル文学賞授与に対し非難を繰り返すだろう。中国政府にとっては文化や表現内容などどうでもよく、政治体制の維持こそが重要な関心事だろうから。

 作家(表現者)には「体制を揺るがす」ような言動をしてほしいと思う。作品そのものでも対外的な場面でもだ。それだけ影響力と表現力があるのだから、「もの言えぬ民衆」に代わって積極的に発信してほしいと切に願う。


10月13日(土曜日) お粗末すぎる読売の取材

 読売新聞のおわびと検証記事を読んだが、読売の取材はお粗末すぎる。臨床研究がハーバード大及び病院の倫理委員会によって承認されていないことも、ハーバード大客員講師の肩書のことも、病院在籍期間も、論文共同執筆者との関係も、論文掲載誌についても、どれも事前にちょっと確認すれば分かることばかりじゃないか。

 他社はこの件に関して、どこも最低限の事実確認(裏付け取材)をしている。その結果おかしいと思ったから他社は記事にしなかったわけで、いかに読売の記者とデスクがおかしいかは一目瞭然だ。「まともな記者ならみんな当たり前のようにやっている裏付け取材を、怠って全くやっていませんでした」「だから虚偽のニュースを垂れ流してしまいました」とはっきりと検証記事に書くべきだろうと思った。どう考えてもお粗末すぎるよなあ。

 読売のおわびと検証記事には、「なぜ当たり前の裏付け取材をしなかったのか」が全く書かれていなかったのだが、これはいったいどういうことなんだろうか。どうにも不思議な検証記事だった。

 言うまでもないことだが、無批判に何ら疑おうともせず、慌てて後追いした共同通信も同様のお粗末さだ。これでは読売の記事を書き写しただけじゃないか、と言われても仕方ないだろう。あまりのいい加減さに言葉を失ってしまう。

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 パソコン遠隔操作事件で、毎日新聞はいまだに「アニメ演出家の北村真咲被告」と、わざわざ「被告」を付けて呼称している。人権感覚と配慮があまりにもなさ過ぎるのではないか。何を考えているのだろう。冤罪であることが明らかになっているのだから、「北村真咲さん」でいいじゃないか。朝日は「逮捕・起訴後に釈放された北村真咲さん」、読売は「大阪府警に逮捕されたアニメ演出家・北村真咲さん(釈放)」と書いているというのに。

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 不二家のカントリーマアム(バニラアイス)うまっ! アイスにクラッシュしたカントリーマアム(クッキー)が入っていて、食感がすこぶるよい。不二家の製品は甘くてあまり好みではないけど、なんとこのアイスの製造者はあの赤城乳業だったりする。食べてみて初めて知ったこの事実。掘り出し物だった。

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 うろこ雲に覆われた横浜市内の秋の夕空=写真。心地よく過ごせる穏やかなこの季節が、なるべく長く続いてほしい。


10月14日(日曜日) 自称研究者を吊るし上げる読売

 「森口氏『研究者やめる』iPS移植虚偽発表」(読売)。そもそも研究者じゃなくて「自称研究者」だし。相変わらず突っ込みどころ満載の人だなあ。しかしそれよりも読売が、この人を悪者にして批判すれば自分たちの罪は免れる、と思っているかのような伝え方をしているのが解せない。

 読売新聞が虚偽のタレ込みによって騙されたとしても、そもそも確認や裏付け取材を怠った記者やデスクが無能だったわけで、いくらこの自称研究者を吊るし上げても、虚偽発表をそのまま大々的に垂れ流した読売は免罪されない。どっちもどっちの醜悪さとみっともなさを双方に感じる。

 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121014-00000528-yom-soci


10月15日(月曜日) 情報の真偽を見極める

 タレ込みや内部告発などの情報提供は、記者をやっていれば頻繁に持ち込まれる。「そんなの知ってるよ」と思うような話題や、針小棒大で眉唾ものであることがすぐに分かる胡散臭い話もあれば、「えっマジっすか」と驚くような話もあるし、心から怒りと共感を覚え記者魂を揺さぶられる話も寄せられる。

 しかしいずれにしても、記事にするにはまず事実確認と裏付け取材が必要だ。話に矛盾はないか、辻褄は合っているか、まともな記者ならみんなまず最初に確かめる。複雑で大きなニュースになりそうだと感じればなおさらのこと。必要があれば現場に足を運んだり電話をしたりして、何人もの関係者に当たるし周辺からも話を聞く。そういう作業を積み重ねて記事になることもあれば、裏付けが取れず、十分な確証が得られないことで、残念ながら原稿にするのを断念することも当然あり得る。

 新聞社の支局勤務時代に、「県警本部の警察官の不祥事を知っている」というタレ込みの電話を受けたことがあった。人の良さそうな年配女性の話は延々と1時間近くに及んだ。その段階で話の筋は通っていたし矛盾もなかったので、直接会って話が聞きたいと頼んで会うことになった。

 女性の話は詳細かつ具体的でリアリティーはあるし、関係者でなければ知らないと思われるような内容も含まれていた。でも僕の心のどこかに、何か腑に落ちない感じが引っかかっていた。その後も何度か話を聞き、女性が説明する「現場」にも足を運んで裏付け取材を試みたが、確証が得られない。

 改めてもう一度会って話を聞いていくうちに、辻褄が合わない点や矛盾が少しずつ出てきた。話の核心部分や疑問に感じた点を尋ねると、なぜか曖昧で微妙に話をはぐらかす。その後も何回かそういうことが続いたので、この話に信憑性はないと判断し、記事にするのは見送った。

 女性はそれからも何回か電話をかけてきて、さらに話を膨らませた説明を繰り返したが、その度に矛盾が広がっていくばかりだった。僕はようやく「ああこの人は妄想で話をしているんだな」と気付いた。思い込みと妄想で想像力を展開しているので、最初のうちは話にも筋が通っているが、よくよく聞いて裏付けを取って、あれこれ突っ込んだ質問をしていくと話が破綻してしまうのだ。たぶん精神障害の一種なのだろうと思われた。

 記者にとってこういうことは別に珍しくはない。最初の一報だけですぐにおかしいと判明することもあれば、裏付けを取るうちにおかしいと気付くこともある。確信犯的な詐欺師や愉快犯は別にして、多くの場合は悪意があってデタラメや嘘八百を並べ立てるのではなく、ありもしない話を現実だと思い込み善意のつもりで記者に伝えようとやってくる。たぶん何らかの心の病が原因で妄想を膨らませて連絡してくるのだろう。

 本人は自分が作り上げた架空のストーリーを、現実の出来事だと信じ込んでいるから厄介なのだが、しかし一つ一つ事実を確認し裏付けを取っていけば、辻褄の合わないことや嘘は判明する。無駄な時間を費やし徒労に終わるのは大迷惑だし大損害だが、事実でないことを記事にするわけにはいかない。

 こうした作業は取材の基本で、タレ込みに限らず役所や企業の発表であっても同じだ。検証作業を積み重ねるのは記者としては当たり前の基本動作。だからこそできるだけ迅速に裏を取って、情報の真偽を見極めることが必要になる。それも取材力の重要な要素の一つだ。

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 原発建設の是非について国民投票を実施するなんて、リトアニアは民主的だなあ。政府主導の世論調査結果さえ、なかったかのように無視するアジアのどこかの小さな島国とは大違いだ。投票結果に拘束力がないにしても、投票結果の影響は大きいはずだし。原発建設反対票が60%を超えるのは確実だとか。受注企業の日立は、原発はもうあきらめて手を引いた方がいい。


10月16日(火曜日) ジャーナリズムの信念

 オスプレイ配備に抗議する市民らが、沖縄の普天間周辺で風船や凧を揚げていることについて、琉球新報と産経新聞の伝え方が全く違うのが実に興味深い。地元首長の「強い憤り」をしっかり伝えている琉球新報に対し、妨害行為の「取り締まりの強化」に力点を置く産経。どっちの側に立ってどういう姿勢でだれのために伝えるか、報道姿勢の違いがくっきり際立っている。

(琉球新報)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121016-00000003-ryu-oki

(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121016-00000086-san-pol

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 きょう16日付の朝日「プロメテウスの罠」に登場した高知新聞がカッコいい。核廃棄物の地層処分を推進するフォーラムの主催を降りた話。「うちには部長でも役員に平気でモノを言う文化があって、だから土壇場でひっくり返った」「新聞社の目的はカネではない。経営が厳しい時こそジャーナリズムが試される」。

 「新聞社の目的はカネではない」。なかなか言えない台詞だよなあ。ジャーナリズムとしての筋を通そうとしても、カネが絡んで経営にかかわるような話になると「きれいごとを言うな」と一刀両断されてしまうことが多いのに。信念を貫いた高知新聞はえらい。


10月17日(水曜日) 公人と私人では立場が違う

 「福島原発事故、東電、結婚理由に精神的賠償打ち切り」(毎日)。東京電力の非常識さ、加害者としての自覚欠如、原発事故への反省のなさ、上から目線の体質、といったものを見事に表した対応ですね。どこまでも東電らしさがブレないのはさすがです。

 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121017-00000008-mai-soci

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 「沖縄米兵2人が女性に性的暴行、強姦致傷容疑で緊急逮捕」(毎日)。米兵の傲慢不遜さ、米軍基地を取り巻く住民感情に対する自覚欠如、過去の強姦暴行事件への反省のなさ、支配者体質、といったものを見事に表した事件ですね。どこまでも占領軍らしさがブレないのはさすがです。

 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121016-00000075-mai-soci

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 「橋下氏、朝日新聞の取材拒否へ…週刊朝日記事で」(読売)。「先祖を徹底的に調査して暴き出すことは、言論の自由の一線を越えている。身分制度を肯定するような言論機関はナチスの民族浄化主義につながる。非常に恐ろしい考え方だ」と橋下氏。あんたが言うな。そもそも公人についてバックボーンを知るのは、必要なことだろう。公人と私人とでは立場が違うと思うのだが。

 それに、週刊朝日の記事に文句があるからといって、それぞれ独立した全く別の報道機関である朝日新聞や朝日放送の取材を拒否するのは、筋違いではないか。各社の取材姿勢やポリシーはまるで違うのだから。そもそも公人である政治家が取材に応じないなんて、到底許されない。

 → http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121017-OYT1T00603.htm

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 きょうの授業の冒頭で、読売の「iPS移植虚偽報道」を取り上げた。やはり関心は高く、授業に対する学生の感想コメントでも多くの言及があった。「うちは読売を購読しているのですが、iPS虚偽報道を見て、読売を止めて別の新聞に乗り換えることになりました」とのコメントに思わずうなる。もしかして似たような現象が広がっているのだろうか。読売帝国にもいよいよ部数激減の危機到来か。まあ当然と言えば当然の帰結かもしれない。

 「読売を止めて別の新聞にする」ことを家族で決めた学生の質問に、「先生のオススメの新聞はありますか」とあった。授業で言っちゃってもいいのかな。オススメとまでは言えないにしても、マシな新聞ならあるんだけど、これまでは質問されても具体名を示したことはないんだよなあ。悩む。

 僕の講義を履修したことをきっかけに、「新聞を読むようになりました」と言う学生が増えつつあるのは喜ばしい。ぜひ問題意識を持って批判的に読んでほしい。

 このほか、「裏付けをしっかり取ることの大切さとメディアの責任」「ニュースの価値判断の重要性」「見出しや記事の扱いによって読者の印象が変わってくることの意味」などについて、的確な分析や感想がとても多かった。しっかり話を聴いてくれているようでうれしい。


10月18日(木曜日) なぜ団結して抗議しない?

 大阪市の橋下市長が、週刊朝日の連載記事を理由に朝日新聞の取材を拒否した話を聞いて、NHKに取材拒否されたことを思い出した。そのころ僕は週刊金曜日に記事を書いていたのだが、まったく別件でNHKに取材を申し込んだら、週刊金曜日がNHKと係争中であることを理由に取材を断られたのだ。

 週刊金曜日の社員でも何でもなく、しかも係争中の件とはまるで違う話についての取材なのに、同誌で記事や連載を書いていたというのを理由に、公共放送の広報から「関係者の取材には応じられません」と言われるなんて、夢にも思わなかったので仰天した。橋下氏の理屈はこれと全く同じだ。

 週刊朝日を発行する朝日新聞出版が、朝日新聞社の100%子会社であっても、週刊朝日やアエラや朝日新聞はそれぞれ独立した媒体で、いずれも別個の編集権と編集方針に基づいて取材や編集を続けている。そんなことは百も承知で、橋下氏はあえて朝日新聞に喧嘩を吹っかけたのだろう。自己アピールのために。メディアを最大限に利用して、自分の主張を大々的にぶちかまし、詭弁と話のすり替えを巧みに織り交ぜながら、自分に敵対する相手を徹底的に罵倒し続ける。そうした橋下氏のいつもながらの手法が、今回もまさにセオリー通りに展開された感がある。

 週刊朝日で始まった緊急連載「ハシシタ 奴の本性」の1回目に、「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」「自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない」と書かれているが、今回の橋下氏の反応はこの記述の通りになっている。

 だとすればやはり、「橋下徹の両親や橋下家のルーツについて、出来るだけ詳しく調べ上げる」ことは、橋下徹という公人の言動のバックボーンを知るためには必要な作業の一つではないかと思う。下品な書き方なのか上品な表現かは評価が分かれるだろうが、人物評価は読者(有権者)が判断すればいい。

 連載1回目の記事は、前半では橋下氏と彼を取り巻く周辺を皮肉と嫌みを目いっぱい詰め込んで俯瞰し、後半で父親の人物像に迫り始めるといった構成。筆者の佐野眞一氏らしいねちっこさと思い込みたっぷりの書きっぷりだが、週刊新潮や週刊文春あたりがやっておかしくない記事だなあという印象だ。1回目を読む限りでは、個人的にはさほど面白いとは思わなかったが、読み物としてこういう「作品」があってもいいだろうし、こうした追及の仕方があっても構わないだろうと思った。「身分制度を肯定する」「ナチスの民族浄化主義につながる」などと、橋下氏が拳を振り上げて大袈裟に非難するような内容だとは思えなかった。

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 朝日新聞出版が「おわび」。橋下氏のような人物は、全く無視して記事にもしないというのが一番適切な対応の仕方だと個人的には思う。週刊朝日は、最初から橋下市長の連載なんかやらずに無視すればよかったのだ。しかし橋下氏があれだけ詭弁と話のすり替えを繰り出して、「人権侵害だ」と一方的に大演説されて、週刊朝日は耐えられなかったのだろう。

 朝日を口汚く罵倒する橋下市長会見で、他社の記者からの援護射撃がなかったのが痛かったのだと思う。石原都知事の会見でもそうだが、記者を個別に非難し罵倒する権力者に対して、どうして記者たちは会社の垣根を越えて、一致団結して抗議しないのだろうと、以前からずっと疑問に感じている。半分予想していたけれど、朝日が腰砕けになって謝罪してしまったことを残念に思う。

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 広大な米軍基地を集中的に押し付けられ、オスプレイを一方的に配備されて、米兵による強姦など凶悪事件にも泣き寝入りさせられる。おまけに、尖閣諸島についてモノを言う資格があるのは沖縄だけのはずなのに、東京都や国がしゃしゃり出てきて海や漁業の安全を脅かす。まさに「正気の沙汰ではない」状況の沖縄。そんな沖縄の人たちが、日本から独立したいと考えないはずがない。

 日本政府も日本国民も、沖縄の人たちにはずいぶん無茶を強いてきたと思う。尖閣諸島で勇ましい発言を続けている自称愛国者の政治家は、今回の強姦事件をどう考えているのだろう。安倍氏は靖国参拝には熱心だが米兵の事件には沈黙。国民の生命と財産を守ると言うなら、まず沖縄の酷い状況をなんとかしろ。

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 若松孝二監督といえば、高校時代の新聞部の後輩をいつも思い出す。若松監督が大好きで映画が撮りたいと常々強く希望していた後輩を、「そのうち映画も作るから」とほらを吹いて新聞部に引き込んだからだ。結局後輩は初志貫徹して自力で見事な自主映画を1本仕上げたのだが、今はどうしてるのだろう。

 交通事故に遭った若松孝二監督急死。「命に別条ない」とされていたのに、一転して急死というのは確かに気になる。

 (報知)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121018-00000010-sph-ent


10月19日(金曜日) 相手にすべきでなかった

 朝日は見事に橋下氏の術中にはまったという感じがします。週刊朝日の記事を利用しながら、朝日新聞本体を吊るし上げて、他社の記者に対しても強烈な威嚇効果があったし、さらに何よりも、このところ霞んでいた橋下氏本人の存在感をアップさせて…。詭弁に長けた策士らしさを遺憾なく発揮した橋下氏でした。

 あんな連載記事なんか掲載せずに放置プレイを続けていたら、そのうち自然に自滅していたかもしれないのになあ。ポシャりかけていた橋下氏なのに、すっかり息を吹き返しちゃったじゃんか。これじゃあオウンゴールだよ、週刊朝日。

 それにしても、よみうりテレビのはしゃぎっぷりは異様でした。同局のワイドショー番組「ミヤネ屋」を見ましたが、iPS移植大誤報のうっぷんを晴らすかのように、スタジオも中継も「朝日新聞グループ叩き」のオンパレード。フジテレビの方がよっぽど冷静で客観的に見えました。なんだかなあ。昼のワイドショーなんか見なければよかった(自爆)。理不尽な権力者に記者が団結して対抗するなんて、夢のまた夢だな。

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 女性強姦事件の再発防止策として、在日米軍は全兵士の夜間外出禁止を実施するそうだ。こういう事件が起きると必ず繰り返されるセレモニー。代わり映えのしないいつものパターン。外出禁止で強姦が二度と起きないわけではないだろうに。結局客が減って困るのは基地周辺の飲食店の日本人だけだよ。米軍基地をなくすこと、占領軍意識を完全に消し去ること、この2点が実現しない限り米兵による強姦などの凶悪事件はなくならない。

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 ダイドーの「花畑牧場*生キャラメルミルクセーキ」=写真=が美味しい。牛乳と生キャラメルソースのマッチング。ふんわり滑らかな甘さが口いっぱいに広がる。甘過ぎない上品さがいい。初めて飲んだ時にプリンの味がすると思ったけど、キャラメルソースなんだから当たり前だよなあ。ハマってます。


10月20日(土曜日) 週刊朝日バッシングは的外れだ

 週刊朝日の佐野眞一氏の連載記事について、しつこいようだが再び書く。記事の中で被差別部落を表す地名を表記したのは行き過ぎだったが、それ以外は人権のルールを超えているとはどうしても思えない。そもそも佐野氏は在日や被差別部落の問題に理解と思い入れのある人だと聞いているし、週刊朝日の文章から差別する意図は感じなかった。

 「父親が被差別部落出身だから子どももこうなった、部落出身の子どもはダメなんだ」などと決めつけ、出自を結び付ける書き方をしていれば、それは間違いなく差別と偏見につながると思う。しかし佐野氏の連載記事を読む限り、そのような書き方はしていなかった。橋下徹という人物像を掘り下げるのであれば、父親が被差別部落の中でどんな生活や振る舞いをしていたのか、親族や周辺の描写も含め、過去にさかのぼって書くのは当たり前のことだ。ノンフィクション作品の書き方としては、むしろ基本的な手法だろう。

 「被差別部落出身だからこの人はダメなんだ」と断定するのと、「被差別部落出身であるこの人の人生とは」と描写するのとでは全く意味が違う。前者は差別と偏見を煽る悪意に満ちているが、後者はバックボーンを知るための描写の一つで、両者を混同して論じるのは間違いだ。この二つはしっかり区別しなければならない。「被差別部落」に関わることには一切触れてはいけないというのでは、単なる言葉狩りになってしまう。「被差別部落のことだから」と型通りにタブー視する行為は、問題の本質を見ようとせずに「臭いものにはふた」をすることにさえつながる。むしろそういう態度こそ差別そのものと言ってもいい。

 一昨日の「身辺雑記」にも書いたが、大事なことなので繰り返し触れておく。今回の週刊朝日の連載記事1回目には、「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」「自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない」と書かれている。そして今回の橋下氏の反応は、まさにこの記述の通りになっている。

 だとすればやはり、「橋下徹の両親や橋下家のルーツについて、出来るだけ詳しく調べ上げる」ことは、橋下徹という公人の言動のバックボーンを知るためには必要な作業の一つではないかと思う。佐野氏の書き方や表現が、上品か下品かに関しては評価が分かれるだろうが、取材対象とされた人物評価そのものについては読者(有権者)が判断すればいい。佐野氏の文章は独特の視点をベースにした思い込みたっぷりの筆致で、個人的にはあまり好みではないが、しかしそれはそれぞれの好みの問題だろう。

 それなのにさっさと謝罪して、連載の打ち切りを決めてしまった週刊朝日の対応は残念だった。連載は続けるべきだったと思う。まだ始まったばかりで、これからいよいよ背後関係や周辺に切り込んで、本質に迫っていくのだろうと思ったからだ。配慮の足りなかった地名表記について謝罪するだけでよかった。連載記事そのものは中止すべきではなかった。週刊朝日だけの問題でなく、ジャーナリズム全体にとってとても残念な結末となってしまった。

 橋下氏は公人なので、政策も人格もどちらも厳しく批判されるべきだと思う。ましてや橋下氏は、公務員の思想良心の自由や政治活動の自由を公然と弾圧し、人権抑圧を続けている人物なので、その人格の形成過程やバックボーンを追及するのはジャーナリズムの責任であり、大切な役割だと考える。

 しかも今回は取材対象である橋下氏が、朝日新聞の取材を拒否したことが問題を深刻化させた。編集権の異なる別会社の媒体を巻き込むなんて筋違いにもほどがある。そもそも政治家が報道機関の取材を拒むなど、まともに民主主義が機能している国では到底許されることではない。朝日が圧力に屈してしまったことも、詭弁を弄して恫喝を繰り返す権力者に対して、すべてのメディアが団結して反論しなかったことも、将来に禍根を残すことになったと思う。

 さらに残念なのは、もっともらしく「人権」という言葉を持ち出して、週刊朝日を激しく叩いて非難する人たちだ。昨年3月のアエラに対するバッシングが二重写しになる。防護マスク姿の作業員の写真と、「放射能がくる」というキャッチを表紙に掲載したアエラ(3月28日号)に対し、同誌のその後の原発報道も含めて、「恐怖や不安を煽る」「人権意識が低い」と非難が殺到した(2011年8月31日付「身辺雑記」ほか参照)のだ。問題の本質を見ずに表層的な部分だけでアエラを罵倒する声に驚かされたが、今回の週刊朝日バッシングにも同じような空気を感じる。

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 読みごたえがあり、冷静で的確な分析だと思った。→「佐野眞一氏と週刊朝日の『ハシシタ 奴の本性』は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない」(宮武嶺こと弁護士徳岡宏一朗さん)。

 → http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/11ad05b03d376660cff14b9d359866c8

 もう一つ。これも冷静で的確な分析だと思って読んだ。僕自身も部落差別問題を多少なりとも取材した記者の一人として、なるほどと思う内容だった。確信と信念に基づいて調べ始めたはずなのに、週刊朝日が連載中止を決定したことを大変残念に思う。→「週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった」(橘玲さん公式サイト)。

 → http://www.tachibana-akira.com/2012/10/5036


10月21日(日曜日) 密室での自白強要こそ問題

 誤認逮捕はもちろん問題だが、やってもいない犯罪行為を自白させて、本人が知りもしないような架空の話を供述させて調書にまとめることは、誤認逮捕とは比較にならない重大な問題だろう。誤認逮捕はあくまでも「誤認」だが、それに続く取り調べでの自白強要と供述調書作成は、捜査官の「作文」であり「でっち上げ」だからだ。まさに意図的な権力犯罪。悪質さの度合いが全く違う。

 だからこそ密室での取り調べは止めて、最初から最後まですべての取り調べを録画録音しておくべきなのだ。取り調べ過程の可視化は急務の課題だ。無実の人を犯人に仕立て上げた失態が、これだけ次々に白日のもとにさらけ出されたら、警察も検察もさすがにもう言い訳はできないだろう。これを機会に自白偏重の立証を改め、覚悟を決めて取り調べを可視化してほしい。捜査手法も見直した方がいい。冤罪をつくらず、真犯人を取り逃がさないためにも。


10月22日(月曜日) 橋下市長の粘着は異様

 「夜回り先生」こと水谷修氏に対する橋下市長の執拗さと粘着ぶりは異様だ。一方的な詭弁や罵倒はいつものことだとしても、常軌を逸しているとしか言いようがないし、正気の沙汰じゃない。

 そもそも夜回り先生は「学校を回ってる」んじゃないんだけど。 「夜回り先生」が夜の街を回ってることは字面からも明らかだし有名な話だ。実際に水谷氏のブログにも「だったら私と夜回りをしましょう」とはっきり書かれている。にもかかわらず橋下氏は「学校を回る」と書き続ける。水谷氏の訴えから話をそらした上に、事実と違うことを延々とツイートし続ける橋下氏って、いったい…。

 →「維新の議員に無断で写真を使われた」ことに怒った夜回り先生(水谷修氏)に対する橋下徹大阪市長のツイート」http://togetter.com/li/393641

 →「非常に困ったことになっています。夜回り先生は、今!(水谷修ブログ)」http://www.mizutaniosamu.com/blog/010diary01/post_17.html

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 パソコン遠隔操作事件の最大の「功績」は、多くの人に冤罪の恐怖を身近に感じさせてくれたこと。無実の罪で逮捕され、秘密の暴露までさせられる。特別なことではなく、それを当たり前のようにやっている警察と検察と裁判官のデタラメさを、普通の市民に教えてくれたのは最大にして唯一の収穫だった。無実の罪で逮捕された人たちは本当に気の毒だったけど。

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 ラーメン屋で隣に座った男性の食べ方がえげつなくて驚いた。表面が見えなくなるまで胡椒をふりかけたと思ったら、次にラー油をこれでもかと注ぎ込み、なぜか酢をたっぷり入れて食べ始めた。それでも足りなかったらしく、さらに豆板醤とニンニクを山のように入れるのだった。好みは人それぞれだけど、これでスープの味とか分かるのかなあ。絶句。さすがに、ものには限度があると思う。


10月23日(火曜日) スーパーマンが新聞記者辞める

 「スーパーマン『新聞記者辞める!』今後はネット発信?」(朝日)。「新聞がジャーナリズムではなく、エンターテインメントになっている」と同僚の前で抗議し、クラーク・ケントが新聞記者を辞職。今後は「より現代的なジャーナリズムの仕事」に就くことが検討されているという。

 話としては面白いしメディア批判はその通りなんだけど、そもそもスーパーマンこそこれまで社会矛盾や権力悪と闘ってこなかったじゃん(笑)。映画を見るたびにいつも、スーパーマンはあれだけの力を持っているのに、力を発揮する対象や闘う相手が違うんじゃないかなあと思っていた。まあ「エンターテインメント」だから、目くじら立てるようなことではないんだけどね。いかにもアメリカンヒーローらしい振る舞いをするスーパーマンは、時代や米国社会の空気を反映していて、あれはあれで面白いとは思う。

 → http://www.asahi.com/international/update/1023/TKY201210230127.html?tr=pc

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 鉄腕アトムを無断で使って、原発推進の漫画冊子を作って電気事業連合会などに納めた樋口信社長の言葉。「アトムって名前からして原子力なんだから、手塚さんは賛成派じゃないの?」(朝日夕刊「原発とメディア」)。無知蒙昧でデタラメで無責任な発言にもほどがある。手塚治虫先生が原発賛成のはずがないだろう。手塚先生が生前から反原発を明言し、原発PRをすべて拒んでいたのは有名な話だ。アトムを悪用した上にこの言い草。怒りを覚える。 

 同記事では、手塚先生が核兵器も含め「あらゆる核エネルギーに反対」と語ったインタビューを紹介した上で、鉄腕アトムが科学による反映を幸福に描いた漫画と誤解されることに「迷惑している」と述べた手塚先生の言葉を引用してしめくくっている。「ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無惨に傷つけていくかをも描いたつもりです」

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 電話で辞意を伝えた田中慶秋法相に対し、野田首相は「こんなことになって申し訳ない。残念でなりません」と答えたという(朝日夕刊)。えっ。主語が間違ってるんじゃないの。田中法相でなく本当に野田首相の言葉なのか。暴力団関係者との交際などを認めた田中法相が、本来なら首相に言うべき台詞だろう。いったいどっちが首相なんだか。異常な内閣だな。

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 鋭い世相評と状況喝破に同意。→「橋下徹の暴力団性 - 佐野眞一による人格批判の急所 / 世に倦む日日」http://critic5.exblog.jp/19311313/


10月24日(水曜日) 権力監視と緊張関係

 金沢八景の駅前の居酒屋で飲んだ。もつ煮込み、肉豆腐、豚キムチ、焼きそばなどを注文。どれも濃いめの味付けがこの店の特徴だが、これが不思議とビールに合う。うまっ。店に入る前は「店構えが小汚い」と難色を示していた同僚の先生も気に入った様子。店内にさりげなく掲げてある清水崑直筆の吉田茂の似顔絵がシブい。

 記者クラブとメディアの権力監視機能がきょうの講義テーマだったので、前振りとして、週刊朝日と橋下市長のバトルについて話した。学生の食い付きは極めて良好。「ニュースでは何が問題なのか分からなかったが背景が理解できた」「分かりやすい解説で考える材料になった」「権力監視の意味が理解できた」などの声が多数。メディアと権力者との緊張関係や編集権の独立について、少なからず理解が深まったのではないかと思う。

 それにしても今年の学生はまじめだなあ。「10分以上遅刻してきたら欠席扱いにすることも考えるぞ」と叱ったら、先週からほとんど遅刻がなくなった。これまでは叱ってもダラダラと遅刻が続くことが多かったのに(自分の学生時代を考えたら偉そうなことは言えないが)。例年以上に素直な学生が多い。

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 視察先の福島第一原発で、「冷却しきれずに水素爆発が(起きたことは)大きな反省点だが、人間がせっかく開発した技術体系を放り出すのは愚かだ」と石原都知事が原発推進の持論を述べたという(朝日)。なんて無責任なんだ。そこまで言うなら東京都心に原発を誘致すればいいじゃないか。

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 原子力規制委員会がまとめた原発避難指針によると、新潟の柏崎刈羽原発で過酷事故が起きれば魚沼市も避難区域に入る。あの絶品の味わいの魚沼産コシヒカリが、原発のせいで壊滅的打撃を受けるなんて信じがたい。とんでもない話だ。魚沼の水と空気と農家の努力の結晶、奇跡の米が取り返しのつかないことになる。原発再稼働は愚の骨頂だ。


10月25日(木曜日) 朝日出版社に矢作俊彦氏が激怒

 今さらながらの感もあるように思うが、朝日新聞出版と名前を間違えられて困惑していると表明した朝日出版社。しかしこれに対して、作家の矢作俊彦氏が「てめえが名前変えろ。40年前から思ってたがセコいだろ。どうかと思うよ、その社名」と怒りをぶちまけている。

 「こいつら最低だ。おれがまだ20代のころ、朝日新聞の子会社のふりをして本を出さないかと言ってきた朝日出版社。今更何だ」「この会社は朝日新聞の関連会社のふりをして半世紀利益をむさぼってきたんだ。ふざけるな」。本気で怒りモード全開の矢作俊彦氏。

 → http://togetter.com/li/395254

 「ふりをする」というところがポイントだろう。都合のいい時は子会社のふりをして、都合が悪くなると「違う会社だ」とアピールするのはずるいし、それで執筆者や読者を欺くのは卑怯だと思う。もちろん社名の事実誤認については、きちんと訂正されるべきなのは言うまでもない。

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 山中伸弥京大教授とガードンさんがノーベル賞受賞後初顔合わせ。「約10年前に初めて会って以来ずっと刺激を受けてきた。私も20年後に彼のようにありたいし、非常に尊敬している。フサフサの髪の毛も含めてすべてがうらやましい」と笑いを誘った(朝日)。さすが山中さん。面白すぎる。

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 商店街の「サラメシ」。それぞれの店同士の共存共栄の関係がいいなあ。番組ラストに登場した「原田芳雄の愛した天丼」も美味しそう。やはりNHK「中井貴一のサラメシ」は本放送の夜の時間帯に見るより、昼めし時に見る方がいいな。

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 話があっちに飛びこっちに飛び、しかも主語と述語が一致しない、石原都知事の辞職表明記者会見。ぼけ老人が床屋や銭湯でクダを巻いている情景そのままにしか見えない。

 その石原記者会見を生中継しながら、同じ画面で「石原都知事、辞職の意向表明」「石原都知事、新党結成の意向」とニュース速報を流すNHK。どうせならその後も次々に「石原都知事、横田基地について吠える」「石原都知事、文部科学省を文部省と表現」「石原都知事、ゆとり教育を批判」と速報テロップを繰り出せば笑えるのに。

 記者の質問を罵倒して威嚇し切り捨てる石原都知事の辞職会見。テレビで目にした学生も多かっただろう。ちょうど昨日の講義で橋下氏や石原氏の記者対応や恫喝の手法を例に、権力者とメディアの関係について説明したばかりだったので、理解が深まったはず。石原さん教材提供ありがとう。


10月26日(金曜日) メディア不信を自覚しろ

 「俺たち私たちって、こんなに大変で過酷な環境の中で働いてるんだぜ」って自慢してるようにしか、業界外の世界の人たちには見えないんだよね。ということが、会社の外に身を置いてようやくほんの少し実感できるようになってきたこのごろ。

 「いつも失敗だらけで苦労してるんですよ」と言いつつも、どこか誇らし気なのは新人記者にはよくあることで、僕自身にも経験があるからよく分かる。だけど、いい歳した中堅以上の記者が口にするのは鼻につくだけで、みっともないしカッコ悪い。メディアに対する風当たりが強いだけに、「ふーん、それであんたはどんな記事を書いてるの」と反問されてしまう。そんな見られ方もあることを自覚した方がいい。

 → 「涙なくして読めない『 #記者死亡かるた 』が完成 - NAVER まとめ」http://matome.naver.jp/odai/2135114386586484201

 これを読んで面白いと思うか思わないかで、その人のメディアに対する見方や姿勢、メディアに理解があるか嫌悪感を抱いているかの違いが分かる。僕は面白いと思った(似たような体験をしたなあと感慨深さを感じた)半面、同時に不快な気分にもなった。

 仲間内のクローズドな空間でこの手の愚痴をこぼす分には笑い話で済むが、不特定多数の多くの人の目に入る空間で口にするには、話はそれほど単純ではない。「メディアは伝えるべきことを伝えていないじゃないか」といった批判や不信がこれだけ厳しい中で、自分たちの置かれている状況に対してあまりにも自覚がなく、能天気に過ぎるように思える。記者として果たすべき権力監視の職務をどれだけ果たしているのか、話はまずそれからだろうと反発されかねない(実際にそういう声もある)。

 苦労話や失敗談を吐露したことに対して、「記者さんって大変なお仕事をなさってるんですね」などと、みんながみんな優しく同情して賞賛してくれるとは限らない。「社会の木鐸」として例外なく敬意を払ってくれていた昔とは違うのだ。残念ながら。

 世間から「メディアがどう見られているか」を、個々の記者が自覚しているかどうかの問題だろう。反発や反感を持たれがちな対象としては、教育界や法曹界、役人の世界についても同じことが言えるように思う。多くの人に注目されている職業の人間は、それだけ他者からの視線を意識する必要があるということだ。

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 「『日本政界の右傾化加速』警戒感あらわに韓国メディア」(時事)。全く正しい指摘だし右傾化が加速しているのはその通りだと思うが、しかし韓国や中国も石原氏に負けず劣らず、相当右傾化していると思うけどなあ。政界にしてもメディアにしても。どっちもどっち。目くそ鼻くその世界だと思う。

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 「飯塚事件DNA再検証で別の型」(NHK)。早くから冤罪が指摘されていたのに、無実の罪で死刑執行されたことになる。だとしたら本当に酷い話だよなあ。検察、裁判官、死刑執行を強行した法務省の非人間性に言葉を失う。

 → http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121025/k10013024001000.html


10月27日(土曜日) 裁判官に「それボク」視聴強制を

 正午からフジテレビに3時間チャンネルを合わせる。周防正行監督「それでもボクはやってない」。登場する刑事も検察官も裁判官も本当に酷いクズばかりで、結末も胸くそ悪いことこの上ない。何回見ても心から怒りを覚える映画だ。しかしだからこそ、腐りきった日本の司法の実態が見事に描かれている名作だと言える。裁判官には、毎年必ず見るように法律で義務化してほしいくらいだ。

 大学の講義で毎年必ず「それでもボクはやってない」について触れるが、多くの学生がテレビでこの映画を見て、冤罪事件に関心を持ったという。テレビで放送する意味はとても大きい。フジテレビはぜひ毎年放送してほしい。できればゴールデンタイムで。


10月28日(日曜日) レポート採点終了

 レポートの採点終了。「自白強要は言ってしまえば脅迫である。その結果、してもいない犯罪の容疑を認めてしまうしか道がなかったのかもしれない」。ドキッとするフレーズだった。「自白強要」などという生ぬるい表現よりも、ストレートに「脅迫」という単語を使った学生のレポート。本質を突いていると思った。


10月29日(月曜日) 違和感たっぷり

 震災前に戻ったかのような間の抜けた今夜のテレビ朝日「報道ステーション」。どうでもいい気象の話題を延々と流す悪い癖が復活した。冒頭で15分以上も米国のハリケーン上陸について放送。大統領選への影響に絡めるにしても5分で済む話だろう。所信表明演説など国政のデタラメぶりや東電OL事件の再審公判こそ、この日のトップ項目で伝えるべきニュースのはずなのに。

 ここ最近はジャーナリズム性を発揮して、鋭く突っ込んだ内容が続いていたというのに、今夜はいったいどうしたんだ。謎としか言いようがない違和感たっぷりの構成だった。

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 付属中不正入試を理由に、中央大学が理事長を解任。当然の判断だが、久野修理事長側は「突然合格が取り消された子供の人権をきちんと考えるべきだ」と話しているという(読売)。この期に及んでこの理事長が「子どもの人権」なんて言葉を口にするのか。あんたが入試に横やりを入れて、不正合格させようとしたのがそもそもの原因じゃないのか。馬鹿な理事長に大勢の人が振り回されて、迷惑し、傷ついていることだろう。いい加減にしろ。

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 地元県知事を放り出してよその知事選に出馬する無責任な男に、どうして都民は大量票を投じたんだろう。前回の都知事選で次点というのが信じられないし、今回もまた出馬するのか。まさか神奈川県知事も? そんなのばっかりだな。正気の沙汰とは思えない。


10月30日(火曜日) プロの魂

 経営が厳しかったフジオ・プロに原発PR漫画の依頼がきた。赤塚不二夫のブレーンの長谷邦夫は描きたくなかった。「政府広告的な仕事は漫画家がやるべきではない」との信念があった。漫画家団体が原発PR漫画を次々に描いていることにも疑問を感じていた。

 スポンサーから言われるままに描くのは嫌だ。そもそも子どもに悪い。そう考える長谷は、中立の立場で描いて反対意見や放射性廃棄物問題も盛り込んだという。出版の翌年にチェルノブイリ原発事故が起きる。「僕の判断は正しかった」と長谷(朝日夕刊「原発とメディア」)。さすがだ。気骨と信念の表現者だ。

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 家電量販店で軽量型デジカメを吟味。デザイン重視で陳列を見ていると、販売員の女性が「ピント合わせの時間や手ブレ機能を重視したら」とアドバイス。メーカーA社の専属なのに、ライバルのB社の機種の方が優れているとも助言してくれた。さらに「もう少し様子を見ればもっと値段が下がりますよ」。いい人だなあ。信頼感アップ。消費者目線のプロの販売員魂を感じた。

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 前からずっと思っていたのだが、石原都知事と橋下市長の笑い顔はとてもよく似ている。目付きと口元がそっくりだ。共通点は下品なこと。笑い顔の下品さに人格がそのまま反映している。障害者や弱者や少数者への冷酷さ、偏見に満ちた姿勢、独善性、記者対応など、過去の言動のすべてが下品な笑顔に表れている。…と思う。

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 近所の動物たちシリーズ・その1(笑)。このアパートの薄暗い階段には、昼夜問わずいつも猫がたむろしている。決して日当りがいいわけでもないのに。よほど居心地がいい場所なのだろうか。この日は2匹がくつろいでいた=写真。

 近所の動物たちシリーズ・その2(笑)。早朝と夕方になると電線に群がるムクドリの集団=写真。この日はざっと数えて300羽くらい。油断しているとぼたぼたと落とし物が降ってくるので、下を歩く時は細心の注意が必要だ。みんな迷惑しているが対処のしようがない。


10月31日(水曜日) 最低の政治家と最低のメディア

 安倍晋三自民党総裁の衆院代表質問。野田民主党に向かって「権力にしがみつく惨めな姿がある」。その通りだと思うけど、それは政権を投げ出しながら、しれっと自民党の頂点に復帰した安倍さんあなたも同じだと思うよ。過去の自分を振り返っての代表質問なのだろうか。あんたがよく言うよという感想しか出てこない。

 「日本人の美徳と品格」なんて言葉を安倍自民党総裁が使うこと自体がギャグとしか思えない。「私たちには未来を見据えたエネルギー政策があります」って原発推進じゃないか。この期に及んで何も学んでない人たち。いい加減にしてほしい。

 安倍氏が首相に復活したら、また同じことを繰り返すのだろうと思うと頭が痛い。原発政策も教育現場の破壊も、時代錯誤の憲法改正の企みも。悪夢再現か。

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 原発を「些細な問題」などと言う石原慎太郎と組むような人間や政治団体は、その時点で一切信用できない。原発は今の日本の最重要課題ではないか。福島原発事故はまったく何も解決しておらず、現在もなお危機的状況にあるのだから。そのことを主権者たる国民はしっかり認識するべきだ。

 石原都知事も橋下市長も同じ穴のムジナ。同類項だ。原発を「些細な問題」と言ってのける男と連携する(一緒にやりたい)と述べる時点で、橋下維新は原発容認派の正体を露呈したも同然だ。

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 都知事選の市民派候補者として、宇都宮健児さん、湯浅誠さん、坂本龍一さん、保坂展人さんらの名前が上がっている。残念ながらたぶんどの方も勝てないと思うなあ。人物や政治的立場としてどうのこうのという問題じゃなくて、都知事選はテレビ露出が左右する「人気投票」の側面が大きいから。市民派候補を担ごうとしている人たちが思っているほど、この人たちの名前は世間一般にあまり知られていない。しかしそれはともかく、東国原氏と猪瀬氏だけは勘弁してほしいと強く願う。

 NHK「ニュースウオッチ9」はやはり最低のクズ番組だと改めて思った。ロッキーのテーマに合わせて都庁を去る石原都知事の姿を「カッコよく」伝えるだけで、この男がどれくらい傲慢不遜な態度で弱者や少数者を切り捨て、思想良心の自由を踏みにじってきたかには触れず。もはや報道の体を成していない。

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 兵庫県尼崎市の連続変死事件で、角田美代子被告の顔写真を取り違え。読売、共同通信とテレビ各局が別人の写真を掲載・配信・放送した。事実確認(裏付け)が不十分だったためだという。またかよ。取材の基本中の基本。記者としてのイロハのイなのに。最近この手のいい加減な取材が多過ぎるが、それにしても酷すぎる。

 合理化による取材体制の弱体化や多忙も原因の一つだろうとは思うが、それだけではないだろう。取材力と意識が劣化しているとしか思えない。記者の資質の問題だ。そしてますますメディア不信が進む。自ら自分の首を絞めてどうする。読売、共同は猛省すべし。

 一方、NHK「ニュースウオッチ9」は尼崎市連続変死事件の顔写真取り違えについて、冒頭からずーっと後の時間になって、ドラム缶から遺体が発見されたというニュースに続ける形で、しれっとお詫びした。重大な人権侵害なんだから、まず番組冒頭で詫びるべきではないか。そもそも確認もせず被疑者の写真を出すこと自体が大いに疑問なのだが。

 渡された原稿をただ棒読みしただけの「ニュースウオッチ9」の大越健介キャスターよりは、まだ「報道ステーション」の古館伊知郎キャスターの方が、自分の言葉で経緯を説明して詫びただけマシだった。

 本来ならば、あくまでも被疑者・被告人であってまだ刑が確定していない段階なのだから、メディアは顔写真を取り違えられた別人の女性と視聴者に詫びるだけでなく、被疑者・被告人にも詫びるべきではないかと思う。「市民感情」としては納得できない人が多いかもしれないけど。しかしまあこの場合は仕方ないか。


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