●「裁判官の品格」は池本寿美子氏●まともじゃない防衛相●選挙権行使への介入だ●花粉が飛び始めた?●国家権力の恐ろしさ●「武道必修化」の背景にあるもの●この恥知らずな原子力学者たち●不愉快な記述●橋下流「教員処分」の異常さ●「都教委通達」容認した最高裁●パソコンが起動しない!●秋葉原を右往左往●「MacBookPro」を購入●試行錯誤●推定無罪を一貫せよ●データを無事確保●パソコン環境の違いに戸惑う●憲法番外地の橋下市長●eMac復活●土肥裁判報告集会●教え子が関心を示す教育裁判●厳罰化と死刑判決●eMacのHD交換を検討●全員一致でない死刑判決に違和感●日本は先進国じゃない●再会した友人と話し込む●春らしく短くカット●老人の戯言は聞き流そう●ナベツネの台詞にしびれる●「原発訴訟の最前線」●官僚の職務怠慢こそ問題●再審弁護団レク●●●ほか
雑誌「冤罪File」に連載している「裁判官の品格」シリーズ。1月28日に発売された3月号(第15号)の11回目では、東京地裁立川支部の池本寿美子裁判長を取り上げた。「足利事件」の菅家利和さんの再審請求を棄却したことで、非難轟々のブーイングを浴びた裁判長だ。池本裁判長は宇都宮地裁で、「足利事件」弁護団のDNA型の鑑定結果を「菅家さんのものであるとの裏付けがない」と一蹴し、しかも職権によるDNA型の再鑑定さえしなかった。菅家さんはその後、DNA型の再鑑定の結果、再審無罪が確定したのは言うまでもない。
ところが、池本裁判長に対する評判は必ずしも悪いものばかりではない。「被告人や弁護人の主張を熱心に聞いてくれる」と評価する刑事弁護士も少なくない。実際に、無罪判決をいくつも言い渡しているだけでなく、違法捜査による証拠能力は敢然と否定し、自白の信用性に疑いを投げかける。被告人や検察官に正面から向き合っている様子がうかがえる。
そんな池本裁判長が、どうして「足利事件」では再審請求を棄却したのだろうか。「裁判官の品格」では、過去の担当事件の判決事例や関係者への取材などをもとに、池本裁判長とはどういう人物なのかを検証した。関心のある方はぜひ、「冤罪File」を手に取ってご一読を。全国の有名書店で発売中。450円。
東京・新宿で雑誌「冤罪File」の編集会議。午後1時から午後8時まで延々と7時間。いくらなんでも長過ぎてへとへと。議論が噛み合ってないとか、基本的なところがどうなんだとか、あれやこれやで精神的にも肉体的にも疲れる。
◇◇ 田中さんちの防衛相は、そもそも人選に無理があった。いくらなんでもあれは酷すぎるだろう。就任時に官邸からの呼び出し電話を待つところから、異様に落ち着きがなくて普通じゃなかったし。国会答弁も記者会見もしどろもどろで棒読みで、本当にこれでも政治家なのかと疑うほどまともじゃないし。むしろ挙動不審ぶりが目立つ。なんでこんな人を任命したんだろ。小沢派だからか。だれがどこからどう見ても、適材適所とは言えないよなあ。
選挙権を行使するかしないかは、他者からとやかく言われるようなものではない。特定候補への投票依頼の有無に関係なく、投票の呼びかけ行為それ自体が大問題だろう。選管が不特定多数に投票をPRするのとはわけが違う。真部朗・沖縄防衛局長が特定多数の職員に行った講話は、有権者の選挙権行使に対する介入だ。
沖縄防衛局長は、特定候補を支持するような言葉や言い回しは慎重に避けたから問題ないと思っているかもしれないが、とんでもない話だ。特定多数の職員を集めて棄権すべきでないなどと呼びかけること自体が、選挙権行使への介入ではないか。投票するかしないかは個人が決めることだ。選管のPRとは違う。
◇◇ 岩波書店の縁故採用が話題になっているが、岩波はかなり以前からコネ採用してるじゃん。何を今さらという感じもするのだが。僕の担当編集者だった方々も、父上は相当なステータスの人たちだった。縁故が仕事に直結するのも事実。相当数の民間企業が、多かれ少なかれ縁故採用をやってるよなあ。
不快だったのはNHKの「ニュースウオッチ9」が、やけにエラそうに岩波縁故採用のニュースを取り上げていたことだ。今もやっているかどうかは知らないが、NHKだって大学推薦枠なんていうのを設けて、応募者数を絞り込んでいたじゃないか。必ずしもだれもが自由に応募できたわけではなかった。そもそも自分たちのところに縁故採用は一人もいないのか。そんなことはないだろう。
今週の初めあたりから鼻がむずむずして、くしゃみが頻発するようになってきた。うーん。これはやはり花粉が飛び始めたとしか思えない。いよいよ花粉症の季節の到来ということなんだろうか。憂鬱だ。とりあえず調子が悪そうな日は、備蓄してある鼻炎カプセルを1日1カプセルだけ飲んでいる。
ついつい見入ってしまうTBSの日曜劇場「運命の人」。取材手法や情報源の秘匿の点では共感も同意もできないが、国家機密漏洩のそそのかしなどといった容疑で記者を逮捕するなんて、まともな民主主義国家では到底許されない話だ。これがまかり通るならば、記者は国家権力に対する取材活動ができなくなってしまう。軍事独裁国家と変わらない無茶苦茶さだ。しかしそこに国家権力のなりふり構わない恐ろしさを感じる。
だからこそ取材の際には、どんな些細なことでも引っ張られないように、足下をすくわれないように細心の注意を払う必要がある。針小棒大にいくらでも話をつくって、でっち上げる危険があるからだ。知る権利(言論弾圧)キャンペーンを、一瞬のうちにスキャンダルにすり替えてしまうのが国家権力の恐ろしさだろう。
「密かに情を通じ」は実に見事なキャッチコピーだ。これも国家権力ならではのウルトラCと言っていい。この言葉で形勢は一気に逆転したのだから。だてに権力者をやってないということだろう。さすがに彼らは頭が切れる。繰り返しになるが、だからこそ権力に向き合おうとする側は、どんな些細なことであっても引っ掛けられないように、常に身ぎれいにしておかなければならない。取材手法についても同じだ。後ろ指を指されるような取材をすれば、どんなに正しく立派なことを書いても説得力に欠けてしまい、支持や共感が得られなくなってしまう。いろいろ考えさせられるドラマだ。
それにしても女性事務官側の弁護士はひどい奴だなあ。事実と違うことを平然と並べ立てて、事務官と記者を分断しようとする。これでは権力側のやり口と全く同じじゃないか。国会で質問した弁護士出身の国会議員もひどかったけれど。あと、女性事務官の気持ち悪い夫を、原田泰造が見事に演じている。不気味で気持ち悪い役をやらせると、彼の右に出る者はいないかもしれない(苦笑)。
◇◇ 富士山が噴火したら世界遺産どころではなくなるよなあ。世界遺産登録の話なんて文字通り吹き飛んでしまう。富士山噴火も首都直下地震もいつ起きてもおかしくないし、被害の甚大さは容易に想像できる。早急に具体的な対策が必要なはずだけど、しかし行政や関係機関に切迫感や危機感は感じられない。
いつものように、大変なことになってからあわてて動き出すんだよなあ。あらかじめ分かっているのに、予見できたことなのに…。何もかもパニック映画のセオリー通りの展開だ。繰り返しはギャグの基本!ってそれは違うか(苦笑)。そして原発もまた同じことを繰り返すんだろうな。悲しくなってくる。
NHKクローズアップ現代の「中学校で武道必修化」を見た。柔道の死亡事故多発の実態や柔道初心者による指導の危険性を取り上げたのはいいが、相変わらず結論部分が弱過ぎる。指導体制が整っていないのだから、必修化の延期を強く主張すべきだろう。今年4月から必修化なんて間に合うわけがない(2012年1月10日付「身辺雑記」参照)。
中学校での武道必修化はその背景をすっ飛ばすと、問題の本質を見失ってしまう。安倍政権による教育基本法改正を受けて、「伝統と文化を尊重して郷土愛を育むこと」を目的にした学習指導要領の改訂がベースで、国旗掲揚や国歌斉唱を強制させたい人たちの強い意思が武道必修化の背景にはある。だから生徒の安全対策は二の次なのだ。
なぜ「武道」の必修化なのか。なぜお茶や生け花やカルタではなくて「武道」なのか。なぜ文部科学省は武道にこだわるのか。安倍政権の教育基本法改正を受けて、「伝統と文化を尊重して郷土愛を育むこと」を目的にした学習指導要領の改訂がベースにあることを考えれば、武道必修化の意味はよく分かるだろう。
国旗国歌や武道そのものが悪いとか軍国主義だとは(僕は)思わない。しかし、「我が国の伝統と文化の尊重」などというもっともらしい言葉の後ろに、一律に従わせたいとか国家意識の高揚を図りたい、武道や神棚を利用して国家神道を浸透させたい、といった考えが透けて見えるように感じるのだ。そうでなければ保守系の一部の国会議員や文部科学省の役人たちが、これほどまでに「武道」必修化にこだわる理由が理解できない。
生徒の安全対策が最も重要なのは言うまでもない。もちろん僕もそう思うが、武道必修化にこだわる人たちの優先順位が、安全対策に置かれていないところが問題なのだ。本当に安全優先であれば、指導体制をおろそかにして必修化などするはずがない。そもそもなぜ「武道」なのだろうか。そこをよく考えるべきだろう。
ちなみに、フランスのように柔道指導者は国家資格の取得を必須にし、子どもたちの安全確保を最優先にする環境をしっかり整えれば、学校の授業に武道(柔道)を取り入れるのに反対はしない。ただし必修でなくても選択でいいじゃないかと思う。武道のほかにも学んだ方がいい種目はいくらでもあるのだろうから、それならばあえて必修にしなくて選択制でいいはずだ。
◇◇ <この恥知らずな原子力学者たち> 原発関連企業・団体から多額の寄付を受けていた田中知・東大教授、山口彰・阪大教授、山名元・京大教授の3人。いずれも原子力が専門で、内閣府原子力委員会の専門委員だという(2月6日付朝日)。その言い訳が噴飯ものだ。「会議での発言は寄付に左右されない」だと。「寄付で会議での発言が影響されてはいけないという意識がかえって高まる」(田中)、「癒着ではない。業界との協力は必要だ」(山名)とは笑わせる。ふざけるな。
原発業界から寄付を受けた専門委員3人は、内閣府原子力委員会の会議で、「エネルギー政策は長中期的視点で冷静に考える必要がある」(田中知・東大教授)、「福島の事故を受けて安全対策は随分とられている」「最新の炉は安全性も向上している」(山口彰・阪大教授)、「原子力は日本を支えていく大事なエネルギー」「高速炉の開発は続けるべきだ」(山名元・京大教授)などと発言。原発事故後もひたすら安全性を強調したという。この恥知らずな連中は告発されて厳しく糾弾されるべきだ。こんな輩が税金から高給を得て平然と講義をしているなんて。激しい憤りを感じる。
授業評価アンケートの詳細が送られてきた。ぱらぱらと自由記述の項目を見たら、「内職がしやすくて助かりました」「90分間無駄に話しているだけだと思う」なんて書かれちゃってるよ。ほかの何人もの先生方から「酷いことを記入された」「匿名だと思って随分なことを平気で書く学生がいる」などという話を聞かされてはいたが、僕自身はこんなことを書かれたのは初めてだ。うーん。
その一方で、「本当にためになる内容でした。友達にもすすめたいです」といった記述もあったので、不快感は少しだけ和らいだけど、多くの先生方の怒りや傷付いたという気持ちを、遅ればせながら実感させられることとなった。なんだかなあ。でもまあ、こういう学生はまともな答案は書けていないはずだ。たぶん成績は不可だろうな(と信じたい)。匿名記入だから分からないけど。
橋下徹大阪市長は、教職員の人事評価で2年連続して最低評価(全体の5%)のランクになった教員を分限免職対象とする規定を撤回したが、その替わりに、不適格教員の審査を申し立てる権限を生徒や保護者に与える方針だという。生徒や保護者らの申告や評価を反映させて、教員の分限免職を決めるというのだ。
このような制度が導入されれば、生徒や保護者らの意図的で一方的な評価をもとに、もっともらしい理由で教員が分限免職されてしまう危険性が大きくなる。実際これまでにも、「一部の生徒や保護者の声」を利用し、教育行政や保守系議員が「好ましくない」とする教員に「不適格」のレッテルを張って、学校現場から排除しようとしたことがあった。また、教員が生徒や保護者の顔色を必要以上に気にするようにもなりかねない。人事評価制度による分限免職よりも、さらに問題の多い制度と言っていいだろう。
さらに、「同じ職務命令に3回違反すれば分限免職」と強硬に主張する橋下市長は、「公務員でありながら職務命令を無視し続けることは許されない」と声を張り上げる。しかし、そもそも「憲法を超越するような職務命令」を出したりさえしなければ、職務命令を無視するといったことにはならないはずだ。思想・良心の自由を侵害する職務命令を出さなければ問題など起きないだろう。前提がおかしい。橋下詭弁術の典型だ。もっともらしい屁理屈を並べた橋下氏の論理のすり替えは、いい加減うんざりする。
【関連記事】=池添執筆記事
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/kinpatsu.html
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/kimetsuke.html
久しぶりに最高裁の法廷に傍聴取材で入ったが、相変わらず威圧的で要塞のような建物だ。もちろん判決も威圧的。職員や警備員の対応は東京地裁・高裁に比べると、はるかにスマートで威圧的ではないけど。隣の席の大学教授が「豪州の最高裁はフランクでだれでも入れるのに」と話していた。
「司法は独立して国民の権利と人権を守る」などというのは現実からかけ離れた虚構で、最高裁(裁判所)の実態は統治・支配機構の一つに過ぎないのであるなら、日本の司法も豪州を見習って、せめてフランクさや開放ムードを「装う」くらいのことをすればいいのに。なーんてことを思いながら取材した。
卒業式や入学式で国歌斉唱・起立・ピアノ伴奏の義務がないことの確認などを、都立学校の教職員が求めた訴訟の上告審。「憲法や教育基本法に違反する東京都教育委員会の通達は無効」と判断した一審の東京地裁判決(2006年9月21日付「身辺雑記」参照)を二審の東京高裁は取り消した(2011年1月28日付「身辺雑記」参照)が、この日の最高裁第一小法廷は東京高裁の逆転判決を支持し、教職員の訴えを棄却する判決を言い渡した=写真(判決言い渡し後、最高裁前で判決の不当さを訴える主任弁護人の加藤文也弁護士)。
最高裁第一小法廷の宮川光治裁判長は弁護士出身。人権感覚と問題意識に富むがいかんせん少数派。それでも宮川裁判長の書いた反対意見「思想の多様性を尊重する精神こそ、民主主義国家の存立の基盤」「(国歌斉唱の際の不起立等は)少数者の思想の自由に属することとして、許容するという寛容が求められている」は、判決文の最後の段落で光り輝いていた(ように見えた)。
◇◇ 「『大阪の先生になりません』相次ぐ辞退、条例案の影響?」。大阪府の2012年度の公立学校教員採用選考で、合格者2292人のうち284人(12・4%)が辞退した。過去最高の辞退率だという(朝日)。まあ当然だろうな。僕が教員志望か大阪の教員ならば、絶対に大阪の学校なんかでは働きたくないもんな。大阪の教育行政が東京よりもはるかにひどくなりつつあるのは、だれの目にも明らかだろう。橋下・大阪維新が掲げる教育基本条例案は教員の意欲を萎えさせるだけで、建設的な要素は何もない。
パソコンが起動しなくなった。電源を入れるとボワーンと音がして起動しようとはするのだが、モニターの画面にMacのロゴとクルクル回るギアが表示されるだけで、そこから先に進まない状態が続くのだ。再起動を繰り返しても事態は変わらない。どうやらハードディスク(HD)に何らかのエラーが生じているようだ。
パソコンもインターネットも使えない生活に…。それよりも何よりも、HDにたくさん残されているデータが心配だ。つい最近バックアップを取ったものもあるが、しばらく取っていないものも結構ある。ホームページのデータ、原稿、講議レジュメなどは、記憶によれば確か昨年3月以降は保存作業をさぼっていた。これらはお金には代えられない大切なものだ。ネット空間や紙媒体から復旧できるものもあるが、やはりオリジナルが失われてしまうのはダメージが大きい。それは非常に困る。それだけはなんとしても避けたい。しかしパソコンが起動できなければ取り出しようがない。
真っ青になりつつ、東京・霞ヶ関の東京地裁へ。とんでもない警備法廷の実態を傍聴取材しながらも、頭の中の半分は起動しないパソコンと、失われるかもしれないデータのことでいっぱいいっぱいだ。夕方、出版社の編集部へ。調査依頼や原稿料についての打ち合わせなどをしてから、パソコンに詳しい女性編集者に状況を説明して相談すると、OSソフトのDVDから強制的に起動させて、ユーティリティーでHDの修復作業をする方法があることを教えてもらう。もしかするとそれで回復するかもしれないという。
一筋の光明を見い出して期待に胸を膨らませて帰宅。さっそく教わった手順を試してみる。しかし「ボリュームがエラーのため修復できませんでした」という表示が出て、残念ながらこの方法ではどうしようもないことが判明した。うーん、参ったなあ。秋葉原の専門店にでも行ってみるか…。
パソコンの師匠である女性編集者には、データのバックアップをきちんと取っておかなかったことや、予備のパソコンをなぜ買っておかないのかといったことを、厳しく叱られた。「パソコンが使えなかったら仕事にならんだろう」。まったくもってごもっともなご指摘です。深く反省しています。いやはや参った。とほほ…。
秋葉原の専門店や家電量販店を何軒も回った。パソコンの状況を説明して、尋ねるのは2つだけだ。パソコンに残されたデータを取り出すにはどうすればいいのか、パソコンを起動させる方法と修復する方法はあるのか、ということだ。
この日に分かったこと。以前は秋葉原にいくつもあったMacのパソコン専門店は、ほとんど撤退して壊滅状態だった。理由は、多くの店鋪がiPhoneやiPadの販売に特化するようになったのが大きい。さらに、専門館ビルまでつくってMac製品に力を入れていたラオックスが中国資本に買収されて、販売戦略を転換してしまったのが決定打となったそうだ。小さな専門店よりも売り場の面積が広い家電量販店の方が、パソコン本体やソフトの品揃えはむしろはるかに充実しているのだという。
それでもどこのお店の店員さんも、ライバル店の品揃えについても教えてくれるなど、いろいろと親切だった。そうしてあれやこれやと右往左往しながらゲットしたのが、「ファイルサルベージ」というソフトだ。パソコンが起動できなくても、もしかするとパソコンの中にあるデータを救出できるかもしれない。
「ファイルサルベージ」を使って、あれこれ試しながらデータの復旧作業を続ける。使い方がよく分からないし、どの機能がどのような効果があるのかも不明で、そのうえデータの読み込み(救出)に時間がかかる。救出したデータが必要としているものなのかどうかも、まだよく分からない。とにかく試行錯誤の連続だ。そうこうしている間も、メール、公式サイト、ツイッター、フェイスブックなどの書き込みも受信も返信も一切できない状態が続いている。
いずれにしてもこのままでは仕事にならない。今のパソコンが起動するようになっても起動できなくなったにしても、もう1台を予備として持っておいた方がいいので、新しいパソコンを買うことにした。デスクトップにするかノートにするか、MacBookAirにするかMacBookProにするか。かなり迷った末にMacBookProを購入した。外に持ち運ぶより自宅で使うことが多そうだし、デスクトップよりも場所を取らず、DVDディスクが挿入できることから、少し重いけれどもMacBookProを選んだ。
起動できないパソコンの中に取り残されているデータは、まだ救出できていない。新たにMacBookProを買ったが、新しいパソコン環境にまだ慣れておらず使いこなせていないので、メールやメッセージに対して満足に返信や書き込みができていない。試行錯誤が続いている。どうなることやら。
夕方から横浜市内。元新聞記者で大学教授の定年を祝う会に顔を出す。旧知の大先輩や取材でお世話になった方々に何人も会えた。祝う会そのものはイマイチだったが、新しい出会いなんかもあったので、参加してよかったと言ってもいいかな。
◇◇ <推定無罪を一貫せよ> 覚せい剤密輸などの罪に問われ一審の裁判員裁判で無罪になり、二審で逆転有罪とされた男性に対し、最高裁が自判して無罪判決を言い渡した。逆転無罪そのものは結構な判断だが、裁判員裁判の維持・擁護が前提にありきの政治的判決だと、傍聴した記者仲間から閉廷直後に電話があった。
「最高裁の判決理由でいけば、無罪判決を言い渡すべき冤罪事件はほかにもたくさんあることになるはずだ。ほかの冤罪事件は上告を棄却し、裁判員裁判だから無罪を維持するのでは、きわめて政治的な判断としか思えない」と傍聴した記者は厳しく批判する。なるほど。冤罪事件について最高裁の今後の判断に注目したい。
疑わしい事実があれば、あるいは有罪とすべき立証が不十分であれば、どのような事件であっても一貫して無罪判決を言い渡すのなら何も問題はない。しかしそこがちぐはぐだと最高裁の判断に不信感を抱くだけで、政治的判断に過ぎないのではないかと思ってしまう。「裁判員裁判で示された判断は、有罪無罪に関わらずとにかく維持しなければならないのだ」という最高裁の強い意思が示されただけでは困るのだ。推定無罪の原則に従って、勇気と信念を持った判断を貫いてもらいたい。
起動できない状態のパソコンに取り残されているデータが、ソフト「ファイルサルベージ」を使って、なんとか取り出す(コピーする)ことに成功した。いくつか壊れて開けないデータもあるみたいだが、大切な原稿や講議のレジュメなど大半は無事だった。ああよかった。助かったあ。心からほっとしたぞ。ポータブルハードディスク(HD)に保存した。バックアップしてあった期間のデータと照合ながら補完すれば、すべてのデータが完全に手元に残ることになる。これからはマメにバックアップを取るようにしなければ。大震災と同じだ。いつ何が起きるか分からないのだから。
新たに買ったMacBookProは、OSX Lion(バージョン10.7.3)で、今まで使っていたeMacのOSX Tiger(バージョン10.4.11)から一気に何段もアップグレードしたことになる。何から何まで環境が違う。しかもノートなので使い勝手も戸惑うことばかりだ。まず操作に慣れること。指先で画面をスライドさせたり縮小拡大したりするあたりは、iPhoneやiPadと同じなのかもしれない。どちらも使ったことがないので、予行演習みたいなものだと考えてみることにする。慣れれば結構便利なような気がしてきた。サクサク動くのはなんといっても気持ちがいい。
しかしeMacと違って、MacBookProでクラシック(Mac OS9)環境が使えないのはとても不便で困る。クラリスワークスから愛用しているワープロソフトのアップルワークスや、そのほかのソフトもクラシック環境がなければ使えないし。やはりeMacは是が非でも復活させなければ。
◇◇ <憲法番外地の橋下市長> 大阪市の橋下徹市長が、労働組合活動や選挙活動について市職員に回答を求めたアンケートは、どこからどう見ても不当労働行為としか言いようがない。というよりも思想調査そのものではないか。公務員であっても街頭演説を聞きに行って、ビラを受け取って読んで、政策について同僚や知人らと語り合うといったことは、自立した市民であれば当然あり得るし、こうした行為は主権者たる市民の自由として保障されなければならないのは言うまでもない。だれに誘われたとか、いつ誘われたと答える義務など一切ない。
憲法で規定されている思想信条の自由を明らかに侵害するこのようなアンケートについて、業務命令(職務命令)としてすべての市職員に回答を義務付けている、と橋下市長は豪語するのだから、常軌を逸しているとしか言いようがない。そもそもアンケートを実施して、こうした質問を発すること自体あり得ないだろう。
「違法かどうか結論は出ていない」「法律の範囲内でやらなきゃいけない」と橋下市長は述べているというが、憲法違反なのは一目瞭然ではないか。こんなことがまかり通ることが信じられない。中学生でも分かる話だろう。まさに憲法番外地。橋下市長に憲法を教えたことのある教員と、弁護士バッジ(法曹資格)を与えた関係者は、自らの不明を深く恥じて外も歩けないでいるに違いない。
できるだけ多くの重要データをコピーしたのを確認して、eMacにOSXを再インストールする。無事に起動した。HDそのものが壊れてしまったのではなく、やっぱりシステムにトラブルが生じていたのだ。OSXを入れ直したことによって、データは全て消去され初期化されてしまったが、システムが修復されたので起動できるようになったということらしい。これでeMacは無事に復活した。
OSXをeMac版のもとのバージョンからインストールして、さらにバージョンアップする。再起動を何回も繰り返して、システムソフトウェアのアップデートを繰り返し、そのほかのソフトをダウンロードして…。などといった作業が延々と続く。無駄に時間を取られる。必要な設定もしなければならないし。ああ鬱陶しい。
しかし奮闘したおかげで、以前のようなパソコンの状態に近付いてきた。大量にたまっていたメールの受信送信データはすっかり消えてしまって、どうでもいい画像や書類などのデータもなくなったので、ディスクはきれいに整理されてスッキリした。今回のようなトラブルがなければ、思いきって捨てることはできなかっただろうから、これはこれでよしとしよう。これからeMacとMacBookProの2台を使いこなしていくぞ。それにしてもパソコンに振り回された1週間だったなあ。
【おことわり】パソコン不調だったため、2月9日付から2月17日付までの「身辺雑記」をまとめて更新しました。
夕方から東京・吉祥寺。都立三鷹高校の土肥信雄・元校長の一審判決(2012年1月30日付「身辺雑記」参照)報告集会に顔を出す。ほかにも各地で集会が開かれているとか土曜日の夜といったこともあってか、参加者はやや少なめなのが残念だったが、土肥さんは相変わらず意気軒高で、教え子や保護者らが何人もスタッフとして手伝うアットホームな集会だった=写真(得意の駄洒落を挟みながら「まさかの全面敗訴には驚いた」と話す土肥さん)。
弁護団長の吉峯啓晴弁護士のあいさつは、橋下徹・大阪市長と司法の現状をばっさり一刀両断にしてくれて溜飲が下がった。「国民の権利を守るためにあるはずの司法が機能していない。大企業の利益を守る弁護士は以前は恥ずかしそうにしていたものだが、最近はむしろ恥ずかしげもなく堂々と胸を張っている。渉外弁護士の大規模事務所の初任給は破格だ。司法制度改革によって、金持ちしか弁護士・裁判官・検察官になれなくなった。最高裁でひどい判決や意見を書いている裁判官は企業法務弁護士出身。大阪の橋下徹市長も弁護士だが、あんなファシストを国民の65%が評価するという世論調査が出ている。世の中のあり方をともに変えていくために、土肥さんの訴えている裁判はとても重要なんです」
それにしても、土肥さんの裁判が結審する直前に裁判長が交代した(させられた)のは痛かった。吉峯弁護士や土肥さんも集会の中で触れていたが、交代する前の青野洋士裁判長は、教育委員会の教職員に対する「公正評価義務違反」を認める判決を言い渡しているだけに、裁判所の何らかの政治的意図を推測せざるを得ない。
数多くの教育裁判がある中で、教え子が積極的に関わっている事例は実はきわめて少ない。つまり、いかに「子どもたち」からかけ離れたところで「教育」が論じられているかということで、これは現場の教員や教職員組合の怠慢でもあり責任でもある。子どもたちに正面から向き合うといった教育実践があれば、例えば「日の丸・君が代」の強制や理不尽な教育行政に対し、異義申し立てをするといった裁判の傍聴席や集会に、これまで送り出した卒業生が詰めかけてもおかしくないはずだ。ところが残念ながら多くの場合、教え子や保護者らからそっぽをむかれてしまっている。
都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さんの裁判は、大勢の卒業生や保護者らが強い感心を示しているばかりか、積極的に関わってもいる。生徒を中心に置いた教育を実践してきたからだろう。そういう意味で土肥さんの裁判は誠実さが感じられるし、幅広い市民の共感も得られやすいのではないかと思う。いろいろな裁判を取材していて感じるのは、独善的でない闘いかどうか、まさにそこが世論を味方につけられるかどうかのポイントだということ。もちろんそれは裁判の行方(裁判官の心証)にも少なからず影響するはずだ。
午後から最高裁へ。山口県光市の母子殺害事件で殺人や強姦致死などの罪に問われ、差し戻し後の控訴審で死刑となった当時18歳の元少年に対し、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は被告人の上告を棄却する判決を言い渡した。死刑が確定する。傍聴はできなかったが、マスコミでごった返す様子は興味深く観察できた。
そんな最高裁前で、年輩の男が「確定死刑囚100人?/法相は直ちに滞貨一掃せよ!」「光市母子殺害犯人/◯◯◯◯(実名)を処刑せよ!」と書かれた看板を手に、うろついていたのが気持ち悪かった。ここまでアクティブになれる精神構造や生育環境が知りたい。こうした厳罰化を強く求める「市民の声」をストレートに反映したのが、最高裁の意思ということなんだろうが、一審も二審も無期懲役とした判断をあえてひっくり返して死刑を言い渡すことに、どれだけ熟考され深い思想や哲学が示されたのか疑問だ。
非道で許し難い犯行であることは間違いないし、遺族が激しく憤る気持ちは当然だとは思うが、あまりにも厳罰化の風潮と大きな声に流され過ぎて、「死刑回避の事情」を丁寧に審理したように見えない。元少年の「幼さ」を指摘した宮川光治裁判官の反対意見に、誠実な心を感じてしまう。
◇◇ 無事に復活できたと思ってほっとしたeMacだったが、またもや動きが不安定になってきた。どうやらハードディスク(HD)に致命的なエラーが生じているようだ。データが開けないといった事態を避けるため、可能な限りeMacが使える環境を維持し確保したいのだが、PowerPCはもう生産されていないので、状況としてはかなり厳しいらしい。専門業者に修理を依頼してHDを交換するか、中古機種を購入するか。参ったなあ。もっと汎用性の高いソフトでデータを作っておくべきだったと深く反省する。
OS9からずっと使っているパソコンのワープロソフトは、絶滅危惧種の「クラリスワークス」→「アップルワークス」だ。このソフトはeMacのOSXの10.4.11までは問題なく開けるのだが、PowerPCでなくなったintelのMacでは開くことができない。新しく購入したMacBookProはOSXの10.7.3のintelなので、そちらでは「アップルワークス」で書いた原稿の書き込みも読み込みも一切できない。eMacに頼らざるを得ないのだ。
再び動作が不安定になったeMacのHDそのものに「致命的なエラー」が出ているとすれば、「物理的に壊れているのでHDをそっくり入れ替えるしかないだろう」と、知人や秋葉原の店員さんから言われたのだが、「外付けHDにOSをインストールして起動すれば動かすことができるのではないか」という意見をいただいた。もしそれが本当に可能だとすれば大変助かるのだが…。
しかし現時点では、なんとかまだeMacが機能している間に、できるだけ多くのデータをシンプルテキストやワードなど汎用性の高い形式で保存し直す作業を進めて、その上で専門店に持ち込むことを考えている。僕の技量ではHDの自力交換は難しそうなので、秋葉原のMac専門店に交換依頼することを検討中だ。とほほ…。
ちなみに僕のこのサイトの「身辺雑記」も「クラリスホームページ」という古いソフトを利用して作っているので、新しいノートパソコンではデータの書き込みや読み込みはできない。eMacを専門店に持ち込んでHDの交換作業を依頼する際は、無事帰還するまでの間はまたしばらく更新できなくなりそうだ。サイトの作成方法についても、抜本的な改革を検討した方がよさそうだなあ。
ほとんどの人が極刑も仕方がないと一致する事案について、死刑判断を示すのは公益性からあり得るだろうと思うが、しかしだからこそ死刑の判決言い渡しは、慎重な審理を経た結果であるべきだ。そういうことを前提にすると、光市母子殺害事件は一審も二審も無期懲役判決だったのに、あえてそれをひっくり返して死刑とした最高裁の判断はやはり釈然としない。
死刑判決には慎重な審理が重ねられなければならないし、大半の人が納得できなければならない。そう考えるならば、光市母子殺害事件を審理した最高裁第一小法廷の裁判官の中に、反対意見があったにも関わらず死刑判決を言い渡したことには強い違和感がある。究極の刑罰を言い渡すなら、少なくとも全員一致であるべきだ。裁判員裁判でも同様であるべきだと考える。
僕は必ずしも死刑制度の全廃を支持するわけではないが、国家権力が国民の命を奪う究極の刑罰を科すのであれば、死刑判決の言い渡しには慎重さが必要だと思う。被告人へのむき出しの憎悪や厳罰化を求めるといった世論に流されるのではなく、慎重にも慎重な審理をして、圧倒的多数の人々が仕方ないと納得できる形で苦渋の選択をするのであるならば、死刑という判断もあり得るかなと(現時点では)考えている。
◇◇ <日本は先進国じゃない> 「米当局、メルトダウン想定して対応」(NHKニュース)。福島第一原発事故発生直後のアメリカ原子力規制委員会のやり取りを記録した議事録が公開された。大量でしかも詳細な議事録だという。こういう話を聞くと、さすが米国だと感服せざるを得ない。たとえ米国が銃社会で、格差社会で、人種差別がいまだに根強く残っていて、自国の「正義」を信じて疑わない傲慢な国家だとしても。
福島第一原発事故に対する日米政府の危機意識と、対応のあまりの格差に慄然とする。常に最悪の事態を想定して迅速かつ冷静に状況分析し、原子力規制委員会でのやり取りをきちんと全て記録して公開する米国。一方、日本政府の無為無策と無能ぶりと隠蔽体質。しかも原発事故を過小評価して、「安全だから心配するな」と平然とウソを並べ立てる日本。この違いは絶望的だ。
米国の原発事故への対応と危機管理体制、原子力規制委の議事録など文書記録の保存・公開の姿勢を目の当たりにすると、日本が先進国で大国だなんて、独りよがりの絵空事としか思えなくなる。発展途上国そのものじゃないか。まったくもって恥ずかしい。
日本が先進国だなんて、ちゃんちゃらおかしい。井の中の蛙の妄想としか思えない。「欧米や外国に学ぶものなど何もない」だなんて、思い上がりもはなはだしい傲慢さだ。原発事故に対する対応と危機意識と文書記録の公開について、日米を比較するだけでも、日本が先進国でないことは一目瞭然だ。
大学時代の友人2人に誘われて、「文化庁メディア芸術祭受賞作品展」が開かれている東京・六本木の国立新美術館に行った。約束の時間にかなり遅れて到着したので展示内容は全く見ず、数年ぶりに再会した2人と閉館時間までカフェで話し込む。2人に会うのが主たる目的だったので、芸術祭の展示など僕にとってはどうでもよかったのだ。
編集者の友人Y君は、病気のため車椅子が必要な生活を送っているが、思ったより元気そうだった。デビュー前の原稿持ち込みの時からアドバイスしていた漫画家が、今年の小学館漫画賞を受賞したという。素晴らしい朗報に心から喝采。アーティストのK君は、ボランティアで続けている大道芸の被災地訪問が、今年になって50公演を迎えたという。震災で心に傷を負った東北の子どもたちを、さり気なく励まし続ける地道な活動に拍手。2人に負けないように僕も頑張らなければ(と前向きな決意を表明しておく)。
国立新美術館の閉館後、目黒駅前のY君宅をK君と訪問すると、奥さんと太った2匹のネコが出迎えてくれた。ケーキや鍋をごちそうになりながら、さらに延々と昔話に花が咲く。久しぶりに会えて本当に楽しかった。夜遅い時間までお邪魔しました。
【追記】 以前にツイッターで論争みたいになって不快に思った見ず知らずの相手が、友人2人と高校で親しい同級生だったと知った。「どういう人なの?」とさりげなく聞いたら、「んー、あんまり性格はよくないかな。その時々によって起伏があるかも」。ああなるほど。納得。しかし世の中狭いもんだ(汗)。2012/02/24
春バージョンで髪の毛を短めにカットしてもらった。珍しく店長さん自らシャンプーもしてくれたのだが、カットだけでなくシャンプーもめちゃめちゃうまい。過不足なく無駄なく流れるように気持ちよく洗ってくれる。さすがだ。ほかの美容師さんと比べて技術料が高いだけある。しかし今日はやけにサービスがよかったな。店長がシャンプーするなんて滅多にないんじゃないか。
◇◇ 橋下徹・大阪市長の言動や動向をいちいち伝えるニュースが、ものすごくうざく感じる。権力者の動きを監視してきっちり伝えるべきメディアの責務は、もちろん分かっているが、あんな男の土俵にのせられてしまって、いちいち相手なんかせんでもええやんか、という思いも否定できない。複雑。
と言いつつ、ちまたで流行っているという「全ては憲法9条が原因だと思っています」ごっこをやってみる。<橋下徹が司法試験に合格して弁護士になったのも、大阪市長になって違法な思想調査を強行するのも、全ては憲法9条が原因だと思っています>
元ネタはこちら「橋下徹大阪市長の『全ては憲法9条が原因だと思っています』が爆発的ブームに」(ロケットニュース24)。いろんな意味で笑える。橋下氏の論理の飛躍ぶりに呆れながら、そのバカさ加減を嘲笑するのがポイントである。
→ http://news.biglobe.ne.jp/trend/0224/rct_120224_7771476535.html
◇◇ 「『平均』の意味、大学生の24%が理解せず」(読売)。「ゆとり教育の影響のほか、少子化による大学全入時代の到来で、入試の難易度が下がったことなどが理由として指摘」されているんだってさ。まあ、日本国憲法の条文さえまともに理解できない弁護士出身の市長さんが、憲法を超越した職務命令を発して、教職員を処分したり思想調査したりするくらいの国だからね。さもありなん。
◇◇ きょうのNHK朝ドラ「カーネーション」。潔い身の引き際をわきまえた糸子のかっこよさ。どこぞの国の政治家連中は少しでいいから見習うべきだ。
糸子「ほらアホ娘、テレビ見とらんと片付けんかい」。姉2人の猛烈なけんかの最中も、そしてその後もずっとヘラヘラ笑ってる小原家の三女。相変わらずマイペース。天真爛漫でええなあ(笑)。
それにしても、糸子を演じる尾野真千子の演技力は秀逸だ。糸子はもうしっかり母親の顔・表情・仕草になっている。ほかの役者の演技もみんな味わい深い。演技のベースとなる脚本がよく書けているのだろうと想像する。長女と次女のむき出しのライバル意識や複雑な心理描写、三女がずっと内に秘めていた疎外感を吐露したシーンなど、どれも切なくて可笑しくて見入ってしまう。朝ドラはご飯を食べながら見るといった「ながら視聴」が基本だったのに。
ある集まりで某地方紙の元幹部が、「国家機密法や言論への暴力に反対する連載企画をかつて展開してJCJ賞を受賞した。最近のメディアはなってない」と得意げに演説するのを、よく言うよと失笑しながら聞いた。遠く離れた国家権力は威勢よく批判するが、身近な権力とはべったりだったからだ。
地元の行政組織を刺激しないように、経済界や広告主と波風を立てないようにと腐心し、少し突っ込んだ記事はあっさりボツにするといったことを繰り返したことは棚に上げて、「最近のメディアは権力と闘わない」「若い記者がだらしない」などと偉そうに演説する姿は、冗談としか思えない滑稽さだった。
そのあたりの事情をよく知るJCJ関係者と顔を見合わせて、思わず苦笑い。「あの人たちは全共闘世代かその上だからね。言行不一致や矛盾だらけの生き方は当たり前で、しかも下の世代を平然と弾圧するんだよね」との解説に納得。まあ、言いたいように言わせておけばいいか。どうせだれも聞いてないんだし。
老人の戯言は言いたいだけ言わせて黙って聞き流すに限る。聞いてる方も老人が圧倒的に多いし、おまけにまともに聞いてる人もほとんどいないのだから。まともに取り合うのは無駄だし損するだけだ。精神衛生上もよろしくない。自分がやるべきこと、やらなければならないことに集中しよう。
TBS日曜劇場「運命の人」の放送が終わってCMに入ったとたん、某全国紙の先輩記者から電話がかかってきた。開口一番「見てただろ。ナベツネかっこよかったな。あんないいこと言うなんて評価が変わったよ」。僕も「しびれましたね。『新聞記者はみんな真実を知るために、取材対象に事実を話すようそそのかしている。それが罪に問われるのなら記者は全員有罪にならなければならない』という台詞には感動しました」。
TBS「運命の人」は、新聞記者をはじめ業界人の多くが関心を持って見ているようだ。先輩記者や僕の周りでもそういう人は少なくない。フィクションと断りながら実在の人物を登場させて、歴史を検証しているところが興味深いからだろう。ドラマとしても面白いと思うが、しかし残念ながら視聴率は苦戦しているようだ。
先輩記者がTBSを取材した際も、関係者はドラマ「運命の人」の視聴率が伸びないことを気に病んでいたそうだ。ドラマとしては面白いんだけどなあ。どうしてだろう。先輩曰く「斜陽産業の新聞に関心がないんだよ。そんな業界が舞台になってるテレビドラマなんかみんな見ないんだよ」。なるほど。
権力と対決するような内容が嫌われているんじゃないか、という別の見方をする人もいるが、でも、そもそもストーリー自体が面白ければ注目されると思うんだけどな。もしかすると理屈っぽくて古臭いところ(僕はそういうところも好きだけど)が、視聴者には敬遠されているのかもしれない。
それはさておき、ドラマだからフィクションの部分も入っているだろうが、TBS「運命の人」でナベツネ役の読日新聞記者の法廷証言は、この日の一番の見所だった。サンデー毎日の誌上でドラマに怒っているように見せつつ、さりげなく援護射撃してみせるところなども含めて、やはりただの権力者ではない。
「このドラマが終わったら、ナベツネの話なんかも肴にして久しぶりに一杯やろうよ」。先輩記者は笑いながら電話を切った。「斜陽産業」の業界話もいろいろと聞かせてほしいです。楽しみにしています(笑)。
【追記】「運命の人」の視聴率についてフェイスブックでコメントをいただいたのだが、確かに「取材」そのものに共感が得られないというのが、視聴率低迷の一番の原因かもしれない。「何を偉そうに」と反発する空気の方が世間では強いのかも。悲しいけどそういう時代なんだろう。大阪読売の黒田軍団なんて僕らにとっては羨望の記者集団だったが、今はそういう対象として見る人も(記者志望の大学生でも)少ないだろうなあ。2012/02/27
今月発行された「司法は原発とどう向き合うべきか/原発訴訟の最前線」(現代人文社)は長くて覚えにくい書名だが、原発訴訟のあり方と司法の責任を問う良書だ。第2章「福島第一原発事故被害者の声」は被災者6人の訴えを収録。取材は僕が担当した。司法関係者向きの本ではあるが、一般読者もぜひどうぞ。全国有名書店で発売中。A5判、256ページ。定価1995円(税込み)。
◇◇ 「首相のベント指示、米では考えられない」(読売)。そりゃそうだろ。米国と違って日本は、首相がわざわざ指示をしないと、原発事故で放射性物質を含む蒸気を外部に放出する「ベント」さえ満足にできない国なんだから。そもそも東電は福島第一原発事故後、現場を放棄して逃げ出そうとしたんだぜ。
「大阪維新の会との連携に前向き=安倍元首相」(時事)。これ以上ないというほど、まさにピッタンコの相性。むしろ遅きに失したくらいだろう。なかでも、国家権力が教育内容に土足で踏み込む体制の推進なんか、瓜二つの政策だし。相思相愛だよね。よかったね(棒読み)。
福島原発事故を検証した原発民間事故調があれこれ報告しているが、日本の官僚機構(東電も含む)がサボタージュしてやるべき職務を全く果たさなかったこと、必要な情報を隠蔽して上げなかったことが、適切な対応ができず混乱を招いた諸悪の根源だろう。国民を守らない官僚の醜悪さこそ、一番に批判されなければならないはずだ。あの状況では、政治家はだれがやっても大差なかった。情報は上がってこないし、命令しても動かなかったのだから、政権政党が民主党でも自民党でも共産党であっても同じだろう。
原発民間事故調「(菅首相の細かい指示など)官邸の現場への過剰な介入は評価できない」、NHKニュースウオッチ9の大越キャスター「菅首相のトップダウン方式が現場を萎縮させた」とは笑わせる。首相がそこまで言わなければ、官僚も東電もまともに仕事をしようとしなかったのは明白ではないか。官僚はスピーディの予測結果を隠蔽し、東電は現場放棄して逃げ出そうとした。もっともどれほど言われても、彼らはサボタージュを続けたわけだけど。
原発の再稼働に向けて、邪魔な存在や阻害勢力を排除しようとする動きが、いよいよ露骨になってきたように思えてならない。
◇◇ 「治安の悪化や少年犯罪の凶悪化といった誤った印象を国民に与えて、厳罰化世論を形成させた報道機関」「最高裁は『世論』に追随したようにみえる」と河合幹雄・桐蔭横浜大法学部教授(2月28日付朝日オピニオン面)。光市事件で少年バッシングを煽るメディアの「報道」は、BPO(放送倫理・番組向上機構)から厳しく批判された。傾聴すべき厳しい指摘だ。
午後から東京・丸の内の法律事務所で、確定死刑囚の再審請求を続けている弁護団から特別レクチャーを受ける。都合のついた弁護士6人が駆けつけてくれて、その他に修習生3人も顔を揃えた。かなりの歓待だ。2割くらいまだ疑問が残る部分があるが、なぞの多い死因や証言の不自然さなどについて、弁護団の科学的な立証と説明を聞いて8割はなるほどと納得(あるいは理解)できた。
科学的な証明は十分に説得力があると思うが、再審決定を得るにはやはり、興味本位の報道で形成されてしまった世間の偏見と先入観を払拭し、いかに世論の理解を得られるかにかかってくるのだろうなと感じた。メディアの煽り報道の罪深さを改めて痛感する。3時間近くに及ぶ弁護団レクはとても勉強になった。今後も継続してくれるとのことだ。感謝。
◇◇ トイレで大きい方をしていたら、揺れ自体は大きくはないがじんわりくる嫌な横揺れ。用を足している時の地震はいろいろ焦るからマジで勘弁してほしい。それにしても千葉で震度4って、このところ千葉沖や茨城沖の地震が多くないか。不気味だ。