身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2000年5月1日〜5月31日

●続・伝えることとその反応●「身辺雑記」改編●交通違反もみ消しとマスコミ●憲法記念日●「未来少年コナン」ソフト●友人を見舞う●ドキュメンタリー「小さな留学生」●これからは「三刀流」だ!●言葉のキャッチボール●仕事中毒●組合の在り方●「昭和の日」●ウイルス感染メール●オブチ君とNHK●不得要領●時代錯誤●吉田まゆみさまっ♪●仏の顔は何度でも!●母校●強制するということ●「新しい新聞」●無罪判決なのに収監?●ブックレットの編集会議●「都立桃耳高校」を読む●ナマケモノの言い訳●言霊の国なのに●「寝ているだけで稼いだ」?●民主主義の課題●同窓会の会報●●●ほか


5月1日(月曜日) 続・伝えることとその反応

 伝えるという作業はとても難しい。先月もその前も「身辺雑記」などで、何回かこのことについて書いた。同じことを話したり書いたりしても受け取る側はいろんな反応をするし、いくら分かりやすく話したり書いたりしたつもりでも誤読や曲解されることはある。普通に直接会って話をしてもうまく伝わらないことがあるし、ましてやインターネットの世界では…。とまあ、そんな意味のことだ。

 で、こういうことを書くと「それは私のことを言っているのではないですか」と言ってくる方が必ず何人かいる。僕もよそのサイトに書かれていた文章を見てそんなことを思ったことがあるから気持ちはよく分かるけれども、でもそれは誤解である。「誤読」ではなくて「誤解」。だいたい人の話や文章をきちんと吟味することもしないで、言ってもいないことに対して見当外れの難癖をつけてくる人に限って、このような遠回しな批判を「自分のことだろうか」などと思って謙虚に受け止めてくれたりはしないものである。

 そんなわけだから、少なくとも僕のところにメールなどをくださった方々はご安心ください。あなたのことではありません。余計な心配をさせてしまってごめんなさい。う〜ん、それにしてもやっぱり伝えるという作業は本当に難しい。

 「身辺雑記」改編 今月から「身辺雑記」を少し改編した。最新版のページは「積み上げ方式」を採用して、より新しい日付のものが上にくるようにした。過去雑記のページは、これまで通りすべて「時系列方式」で掲載している。


5月2日(火曜日) 交通違反もみ消しとマスコミ

 新潟県警の交通違反もみ消し問題について、マスコミの扱い方がどうも前から気になっていた。それは「じゃあ、自分たちはいったいどうなんだよ」ということだ。すべての新聞記者や放送記者が警察と癒着関係にあって、交通違反のもみ消しをしているわけでは決してないのだが、しかし各社の記者や編集幹部がだれも一度も交通違反のもみ消しを頼んだことがないなんて、そんなことがあるだろうか。僕の見聞きしている限りではそんなことはない。警察と国会議員の馴れ合いによる交通違反もみ消しを、厳しく指摘するならするでもちろん全然構わないけれども、だったらそれと同時に自分たちの不適切な行為もきちんと自己批判して公表するべきだと思う。自分たちの身内のことにはほっかむりしておいて、よその不祥事だけをボロクソに言うのは不公平ではないか。と言うよりそれでは批判するにしても説得力に欠けるだろう。

 地方支局の記者や警察記者クラブに所属している記者は、警察といろんな意味でそれなりに親密な関係になることが多い。取材の便宜をはかってもらうこともある。地方ではマイカー取材をすることが多いので、公安委員会(実際には警察)から「駐車禁止除外指定車」の標章を交付してもらったりもする。僕も交付してもらって有効利用させてもらった。記者としてやるべき仕事を果たしているのなら、公益性があるのでこれくらいの特権は許容範囲だろう。しかし感覚が麻痺してくると、交通違反のもみ消しを当然のように依頼したり、警察とべったり馴れ合って「警察監視の役目」を放棄したりするようになるのだ。僕自身は交通違反のもみ消しをしたことはないけれども、勤務していた新聞社や同業他社の記者が、警察幹部に頼んで「なかったこと」にしてもらったという話はいくつも見聞きしている。これはとどのつまり「書く側」としての力を背景にして、記者の特権を最大限に悪用しているわけである。もっとも僕にしても違反のもみ消しこそしなかったが、取材の途中に本屋やコンビニに立ち寄った時でも「駐車禁止除外」の標章を出したまま、路上駐車したことは何回もあったわけで、そういう意味では記者の特権に甘えていたことを率直に反省しなければならないだろう。

 言うまでもないが、警察と国会議員の癒着による交通違反もみ消しは重大な問題だから徹底的に追及すべきなのは当然で、批判するなというのではない。批判をするならば自分たちの不祥事も反省して公表するべきだということが言いたいのだ。まあ、自分のことは棚に上げるのがこの業界らしいのかもしれないが。

 忘却! サラリーマンじゃないからまるで関係ないけど連休の狭間。予定が一つ入っていたのをすっかり見事に忘れていた。慌てて電話して来週に延期してもらう。う〜ん、まいったな。


5月3日(水曜日) 憲法記念日

 某出版社の編集長から出された「宿題」が、このところずっと頭にひっかっていて、気になっておちおち遊んでもいられない。その宿題とは、今年の秋(あるいは遅ければ年末)ごろに出す予定の単行本のことで、序章となるものを書くように指示されているのである。序章にどんなエピソードを持ってくれば最も効果的で、ルポルタージュ全体の意味するものを的確に伝えられるかと、寝ても覚めてもそればかり考えている。題材は確かに「日の丸・君が代」だけど、旗や歌は言わば狂言回しのようなもので、民主主義や愛国心や言論の自由といったものを考えてみたい、というところからそもそも一連の取材はスタートしたのだ。

 そう言えば、きょうは朝日新聞阪神支局が襲撃されてから十三年目だが、僕が新聞記者になって2年目の時に起きたこの事件は、全国の記者にかなりの衝撃と恐怖と動揺を与えたはずだ。この後、何となく自主規制をするようになったり、腰の引けた取材をするようになったり、そんな空気が記者たちの間にじわりと広がったように思う。それとともに新聞紙面に、当たり障りのない記事や薄っぺらな企画が増えてきたような気がする。もちろん小心者の僕も得体のしれないとてつもない怖さを感じたのを覚えている。でもそれと同時に僕はなぜか、民主主義の在り方を考える企画記事を書きたいと強く思ったのだった。この「民主主義の在り方を考える」というのは、僕の記者としての基本テーマみたいなものだ。

 う〜ん、やっぱり原点に戻って、そのへんのことを「今現在の具体的な事例」で表現するのが一番いいのかもしれないなあ。この手のルポルタージュの取材を始めた時の動機であって、基本テーマなんだから。まさに日本国憲法の根幹にかかわってくる話でもあるわけだし。憲法記念日にふさわしい結論かもしれない。

 「未来少年コナン」ソフト たまたまCS放送の「ファミリー劇場」で久しぶりに見た「未来少年コナン」最終回のシーンが、脳裏に刻み込まれていたのかもしれないが、新横浜駅前のビッ◯カメラのパソコン館で見かけた「コナン」のデスクトップアクセサリーを衝動買いする。また散財してしまったな。貧乏なのに…。


5月4日(木曜日) 友人を見舞う

 午後から、入院している友人のお見舞いに出かける。全身麻酔をかけて2時間近くの手術をしたばかりだというから、よっぽどぐったりしているのかと思って心配していたら、全然平気な顔をして寝転がって本を読んでいるのでちょっと拍子抜けした。これから少なくとも1週間は入院するという。でもまあ、とにかく手術が無事に終わってよかった。面会終了時刻を1時間半以上も超えて話し込んでしまう。もっとも友人がほとんど一方的にしゃべっていたのだけど。相変わらず「今はこんな取材をしている」とか「記者にとって一番大事なことは何か」といった話題が中心だ。記者の仕事が大好きで鋭い視点の記事を連発している友人にとっては、1週間以上も取材できないのがたぶん一番辛いだろう。

 で、最近の新聞各紙は本当につまらないということで友人と意見が一致したのだが、そもそもみんなやる気があるのかなあという話になった。採用する側に問題があるのか、記者志望者に問題があるのか。そう言えば「打てば響く」というような後輩記者や記者志望の学生もなかなかいないよなあ。しかし育てると言っても、僕らは教育者ではなくて記者なのだからまずは記者としてやるべき仕事を最優先しなければならない。自分が取材現場で心を揺さぶられて、取材相手と喜怒哀楽を共有して、そうして得た事実を消化するために精神的にぎりぎりのところまで悩んで記事にする、というのはきつい作業だ。後輩記者や学生の相手をしてあげるとすれば、そうした記者としての仕事をした後にさらに時間的余裕があるならばということになる。う〜ん、確かにそうなんだよな。時間は無制限にあるわけではないのだから、まずは記者として自分のやるべき仕事をしてから、ゆとりがあれば助言するというのでなければ本末転倒になるだろう。本気で記者活動をしていたら、本当はそんな余裕なんてほとんどないのだが。

 前にも書いたけど、自分が先輩記者に育てられた借りを返すという意味からも、後輩や記者志望者にはできる限りのことはしてあげたいと僕は考えているので、可能な限り助言できればとは思う。だけど、見当外れな自信だけ振りかざす人や、自意識過剰で身の程知らずな人の相手までするのは勘弁だ。残念ながらそこまでお人好しではないし暇もない。ついでにもう一つ言うと、僕たちは教育者ではないから、どんなレベルの人であってもみんな平等に相手をするなんてことはできない。記者として(「人間として」ではない)一定レベルにない人を相手に、貴重な時間を使って真剣に記者論を戦わす余裕なんてない。友人と話をしながらそんなことを思った。

 ところで、お見舞いの定番と言えば花束のアレンジメント。これが結構な値段だったので一気に懐具合が寂しくなった。さらに国道16号がとんでもない渋滞で、普通なら30分もあれば到着するのに2時間以上かかった。ふう〜。


5月5日(金曜日) ドキュメンタリー「小さな留学生」

 フジテレビ系「金曜エンタテイメント」枠内で放送されたドキュメンタリー「小さな留学生」を見た。中国人の元留学生の女性が、日本で暮らす中国人留学生たちの生活や喜怒哀楽を描いた。「小さな留学生」はシリーズ十本の作品の一つで、小学3年生の少女が日本の小学校に入学してからの2年間を記録する。言葉を一つ一つ覚えながら、日本の子どもたちと友達になっていく姿がなかなか感動的だ。キャラクターが魅力的であることと、次はどうなるのだろうと見ている者に思わせる物語性が備わっていること、ドキュメンタリーにはこれが大切なんだなあと改めて感じる。寝る暇を惜しむように時間をたっぷりかけて取材してこそ、心に響くようなエピソードや輝いた表情が描けるのだろう。表現したいという使命感や熱意があってこそだと思う。映像から活字が学ぶものは多い。

 シリーズ全作品は昨秋、中国本土のテレビ局で放送されて「日本人を誤解していた」などと大反響だったという。「中国を侵略した日本人には負けない。でも友好第一だってお母さんが言ってた」などと気負いながら国家を背負う感じで来日した少女が、人間として分かり合うことの大切さを自然と理解していくところが、この作品の真骨頂ではないかと思う。少女が「侵略」という言葉を口にしたら、お母さんが「そんなことを言ってはだめよ」とたしなめるのに対して、お父さんが「事実は事実なんだから言ってもいいんだよ」とやさしくフォローする。そんなやり取りをさり気なく挿入しながら、けれども国家を背負って国対国で付き合うのではなく、一人の人間対人間として付き合うことで本当の信頼関係が生まれてくることを示唆することこそが、両国の建設的な未来をつくるはずの子どもたちへ向けられた、作者からのメッセージだろう。この作品の制作をバックアップしたフジテレビの懐の深さと心意気を感じた。系列新聞の偏狭さとは大違いだなあと思う。


5月6日(土曜日) 「未来少年コナン」一挙放送

 CS放送の「ファミリー劇場」で「未来少年コナン」全26話を2日間にわたって一挙放送していたので、ついついほとんど全話を見てしまう。「ほとんど」と言うのは、途中でテレビの前を離れて外出していた時間があったからだ。番組プログラムを見た時に「結局は全部見ることになるのでは…」と心配した通りの結果になってしまったなあ。う〜ん、こんなことやっていていいのだろうかと少なからず自己嫌悪を感じてしまう。しかし、NHK総合テレビで初放映された宮崎駿監督の「未来少年コナン」は、単なる子どもだましのような冒険活劇では決してない。優れた文明批判や社会批判になっているところがこの作品の魅力である。最初のテレビ放映から22年も経った現在でも全く古さを感じさせない。イデオロギー色もそれなりに随所に感じるけれども、それはそれでまた興味深い。実を言うと自宅にビデオ録画したテープがあるのだ。だけど一挙放送でもされなければ、全話を通して見直したりはしないものなんだよなあ。そんな時間もなかなかないし。まあいっか、たまには。


5月7日(日曜日) 図書館

 横浜市立図書館はどこも祝日や月曜日が休館なので、連休中は図書館で調べものができない。もっとも最近は労働意欲がまるで起きなくて最初から調べる気もなかったのだが…(爆)。きょうはせっかくの開館日だし、調べておかなければ原稿が書けないものがあるので、愛車を繰り出して中央図書館に行く。結構混んでいてコピー機の前は行列ができていた。エレベーターもすべて満員状態でなかなか乗れない。こういうにぎわいを見るたびに、図書館は多くの市民に利用されているんだなあと実感する。再開発事業や土建行政はほどほどにして、図書購入とか司書の育成とかサービス充実とか、図書館みたいな公共施設にこそ税金をたくさん投入してもらいたいものだ。


5月8日(月曜日) これからは「三刀流」だ!

 東京・四谷の出版社で編集会議。辛かった花粉症はかなり収束に近付きつつある様子なので、このところ鼻炎の薬は飲んでいない。だから仮に退屈な会議が延々と続いたとしても、眠くなったりはしないのだ。とは言うものの、まだくしゃみは頻繁に出るし、朝起きた時はティッシュが必要不可欠である。ゆううつな季節が完全に終わるのは、まだあと少し先かもしれない。

 「月刊司法改革」編集部で新しく名刺を作ってくれた。これまでは自前の名刺に自宅を刷り込んでいたのだが、取材相手によっては自宅を教えたくないような場合もあるんだよなあ。編集部でそんな話をしたら、連絡先として出版社の住所を入れた名刺を特注で用意してくれたのである。しかも肩書きには「記者」とあるだけだ。雑誌名などは一切書かれていないので、フリージャーナリストとして自由に使えるようになっている。う〜ん、こいつは助かるなあ。さらにこれとは別に雑誌名が入ったものも作ってくれた。こっちの方は法曹関係者を取材する時には威力を発揮してくれそうだ。これからは二刀流ならず「三刀流」でいくことにしよう。


5月9日(火曜日) 夏日

 暑いっ。6月下旬から7月初旬の陽気である。西日本から首都圏にかけて「夏日」だという。京都など場所によっては「真夏日」だそうだ。シャワーを浴びたら余計に汗だくになってしまうし、冷蔵庫で冷やしてあるペットボトルのお茶は次々と空になっていく…。寒いのも嫌だけど、暑いのも苦手なのである(わがまま!)。だがしか〜し。ちょっとだけ労働意欲が出てきたので、アポ取りや取材依頼の電話をかけまくる。戦果は半々といったところだ。さてと、乗ってきたところで久しぶりに原稿でも書くかな(おいおい)。このところ「身辺雑記」や電子メールなどは書き散らかしているけれども、まともな文章はしばらく書いていないからな〜。刃物と一緒でペンも使わないと錆びてしまうのだ。

 言葉のキャッチボール ところでメールで思い出したが、人に「教えてください」だとか「相談があるのですが」などと聞いておいて、忙しい時間を割いて答えてあげてもウントモスントモとかナシノツブテの態度っつーのは、一体どういうことなんだろう。もちろんきちんと返礼のメールをくださる人が圧倒的に多いのだが、中には残念ながら何も言ってこない人も確実に一定の割合でいるんだよなあ。分かったのか分からなかったのか、結果がどうなったのかどうにもならなかったのか、役に立ったのか何の役にも立たなかったのか、そんな簡単な報告くらいしてくれてもいいと思うんだけどなあ。いくらなんでもナシノツブテとは寂しいじゃんか。まともな言葉のキャッチボールさえもできないなんて、それはインターネットの世界だからどうでもいいことだと思っているのだろうか、それとも普通の社会生活でもやっぱり同じような行動パターンを繰り返しているのだろうかなんて、余計な心配までしてしまうぞ。でも僕もどこかでお世話になっていながら、ついうっかり報告を忘れていることがあるかもしれない。反面教師としなければ。


5月10日(水曜日) 仕事中毒

 横浜・横須賀道路を時速◯◯◯キロで突っ走る。横須賀で取材。帰りがけに、借りていた資料を返すため逗子に立ち寄る。さらに近くを通りかかったついでに、入院していた友人のK記者を再び見舞いに寄ったのだが、午前中に退院したばかりでもぬけの殻だった。あれれ、あと2〜3日は入院しているはずだったのではなかったっけ…と思って友人宅に電話する。そうしたら家人が「きのう急に退院が決まってね、それで荷物だけ置いたらそのままもう仕事に出たのよ、本当に仕事が大好きなんだから」と笑いながら言うではないか。回復が順調だからこそ退院が早まったわけで、それはもちろん良かったんだけど、何と退院したその日のうちに速攻で取材に出かけたとは、正直言ってびっくりだ。う〜ん、よっぽど取材現場を十日間も空けていたことが気になっていたのかもしれない。しかし、それはかなりの仕事中毒だな(苦笑)。

 ところで、ここの病院の廊下を歩いていたら、真っ白なシーツにくるまれた遺体が、台車に乗せられてがらがらと運ばれて来るのに出くわした。一瞬、びくっとした。病院の廊下で遺体を見かけたのは実はこれが初めてだった。遺体は霊安室からこっそり外に運び出されるものだというようなイメージが思い込みとしてあったが、考えてみたら不幸にも亡くなられる患者は何人もいるはずだし、病室で亡くなられたらそこから霊安室まで運ばなければならないのは当たり前の話である。だけど人々の話し声やざわめき、明るい雰囲気の病院内の風景だけ見ていたので、ここは人が死亡する場所でもあるという厳粛な事実をすっかり忘れていたのだ。だから一瞬体が凍り付いてしまったのだろう。廊下を運ばれていく遺体の後ろには肉親だと思われる人が3人ほど付き添って歩いていた。中年女性がハンカチで目を押さえている。白いシーツの上に花束がぽつんと置かれていた。そこだけ色彩が鮮やかな分、余計に寂しさや悲しみが際立っているように感じた。


5月11日(木曜日) 組合の在り方

 神奈川県内の某地区教職員組合の定期大会を取材する。マスコミ関係者はシャットアウトだそうだが特別に傍聴させてもらった。リストラ(要するに首切り)や不当配転を連発されても、危機感を抱くこともなくヘラヘラしている企業組合の姿を見ていると、組合の存在意義って何だろうと考え込まざるを得ない。そんな不思議な状況にあるのは教職員組合も同じだ。個人や職場や分会や単組では闘いきれない限界というものがあるから、大切にしているものや権利や理念といったものを守るために組合という形で一致団結するのだろう。組合が守る対象は賃金や労働条件だけではもちろんない。それらを支える職場の理念であり憲法であり基本的人権である。そしてそれは教職員組合で言えば、苦い経験と反省に基づいた「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンだったはずだ。今のような時代だからこそむしろ、そうした歴史的スローガンが切実なものとして感じられるし輝いて見える。大会での質疑を聞いていて、組合の在り方というものを改めて考えさせられた。

 「昭和の日」 参院の文教・科学委員会で、4月29日の「みどりの日」を「昭和の日」に改める祝日法改正案が、自民、公明、保守党などの賛成多数で可決された。う〜ん、僕はこの改正案には賛成だな。この日はもともと昭和天皇の誕生日だったのだから、それを「みどりの日」なんて意味不明の言い方をして誤魔化すことの方が問題があると思うのだ。いいじゃん、この「昭和の日」というものが、天皇誕生日を背景にしたトンデモナイ日であることがはっきりして。その方が歴史の本質が明らかになってよいと思うぞ。あのお方の一貫して取った態度が、どんな災厄を多くの人たちにもたらしたかを考える日にすればいい。まあ「天長節」などと言い出さなかっただけマシだと思わなければ(爆笑)。


5月12日(金曜日) ウイルス感染メール

 ネット友達の岩手県在住の女性から、午前6時に電話がかかってきた。寝ぼけ眼で受話器を取ると「友達からウイルスに感染した電子メールが送られてきた。プリティーパークというタイトルのメールが届いたら開かないで捨ててほしい」と言う。切羽詰まったような困ったような感じだ。「プリティーパーク」というのは今問題になっている「アイラブユー」とは別種のウイルス感染メールで、昨年5月に数多く出回ったものらしい。「アイラブユー」みたいにパソコンのデータを破壊することはないが、住所録に登録してあるアドレスに30分おきにメールを送信するのだという。迷惑をかけたら大変と心配していち早く電話をくれたんだけど、幸いにも僕のところは問題なかったので安心してね。最近は明らかに怪しいメールやDMは読まずに捨てるように心がけている。要するによく分からないメールや添付ファイルは開かなければよいのだろう。しかしどうやら各種ウイルス感染メールの被害は、ウインドウズの利用者やマイクロソフト社製のメールソフト「アウトルック」を使っている場合に限られるようだ。Macintosh派にはほとんど影響がないらしい。被害に遭われた方には大変申し訳ないが、ふふ〜んという感じである。だからマイクロソフトは…(以下省略)。

 きのうに続いて地区教職員組合の定期大会を傍聴。まあ、結局は組合なり組織なりを形作っているのは個人なのだから、まずはそれぞれの個人が明確な意思と主体性を示すことからすべては始まるのだろう。2日間にわたる討議を聞かせてもらった感想はそんなところだ。大会会場で旧知の同教組本部役員OBと1年ぶりに会った。夕食に焼き肉とビールをご馳走になる。組合の在り方や組織論などについて議論しつつ、興味深い話も聞かせてもらった。


5月13日(土曜日) 風邪で無気力状態

 実はきのうから鼻水とくしゃみが止まらなくて、ええ〜っまた花粉症がぶり返したのかよ…と恐怖心を覚えながら取材や飲食を続けていたのだが、帰りの京急電車は毎度のことながら、めちゃくちゃに揺れて頭がぐるぐる回るし、そのうちだんだん頭も重くなってくる。ああ、ひょっとしたら風邪をひいたのかなと考えて、とりあえず鼻炎の薬を飲んで速攻で寝たのだった。ぐっすり眠って昼前に起きたら、まだちょっと頭は重かったが、鼻水とくしゃみは治まっていた。このところ初夏のような陽気から一転して肌寒くなったりして、気温の変化が激しいから寝冷えしたのかもしれない。一昨日は目が覚めると布団をはねのけていて、パジャマも着ないで寝転がっていたしなあ。そんなわけで急ぎの原稿を送信した後は、昼寝をしつつだらだらと過ごすだけの一日だ。本当はいくつも取材しなければいけないのがあるけれど、まるでやる気なし(爆)。だって無気力状態なんだもん…。そう言えば昼に食べた出前の中華弁当はうまかった。鳥肉とカシューナッツを炒めてあんかけにしたものが主菜で、春巻きも絶品の味だったな。あれで780円は安いと思う。


5月14日(日曜日) オブチ君とNHK

 オブチ君、とうとう死んじゃったねー。来月予定されている解散総選挙の直前までは無理やりにでも頑張らせるだろうというのが、大方の予想だったんだけどねー。どんなに高度な医療機械をもってしても、そこまでは生物学的に生かしておくことはできなかったということなのか…。肉体的にはかなり限界にきていたらしいからなあ。それにしても敬語まで使って、オブチ君の業績とやらを延々と伝えるだけのNHKニュースにはあきれ果てるばかりだ。官房長官のうそや森首相らのでたらめぶりなど、内閣の正当性(民主主義の手続き)のありようをきちんと指摘して批判できないのは、真っ当な報道・言論機関の姿とはとても言えないだろう。一体全体どこが「皆さまのNHK」なんだ。そもそも「皆さま」ってだれだ。しかも驚いたことにNHKは最近、高い広告料を使ってコミック雑誌などに実にくだらない「受信料を払ってください漫画」(笑)をフルカラーで掲載しているんだけど、これなんかまったく噴飯ものだよなー。本末転倒だ。ああ、またNHK批判になってしまった…。

 不得要領 要領の得ない受け答えをする取材相手と話をするのは、精神的にものすごく疲れる。立場上問題があってずばり話せないから禅問答のようになるというのならまだ分かるが、そうでなくて、そもそも何を言いたいのかが意味不明で、話はあっちこっちに飛ぶし、質問してもいないことを延々と繰り返す…となると、申し訳ないけれど聞いていてイライラしてくる。そしてそれが学校の先生だったりすると、はっきり言ってちょっと信じられない思いがするんだよなあ。実は今年になってからそんな先生に2人ほどお目にかかる機会があった。話の内容自体が難しいというわけではない。取材だから緊張しているというのでもたぶんない。講演という形でも分かりにくさは一緒だったからだ。大勢の人に話をして伝えるということが毎日の仕事のはずなのに、何を言いたいのかが相手に伝わらなくても授業は成立しているのだろうか、子どもたちはこの先生の話を理解できているのだろうかと心配してしまった。人様から話をうかがうのを仕事にしている記者でも内容がよく分からなくて疲れるんだから、ほかの人だったらもっと疲れるだろうな。


5月15日(月曜日) 電話取材

 電話取材をするかたわら、アポ取りや取材申し込みの電話をかけまくる。まずは電話で概要をつかんで感触を探るのも大事な取材活動なのだ。全く無意味な仕事をしてしまうのを、ある程度は避けることにもなるし。もちろんその後の直接取材こそが一番大事なんだけど。それにしても、きょうはかなり電話代がかかっただろうな。来月のNTTの請求書が怖い…。だがしか〜し。そんなことを気にしていたら真っ当な取材はできないから深く考えないのだっ。


5月16日(火曜日) 時代錯誤

 「日本は天皇を中心とする神の国」…? 森首相がきのう、神道政治連盟国会議員懇談会の結成三十周年記念祝賀会でこんなあいさつをしたんだってさ。ええ〜っ。ここはどこの国で、いったい今は西暦の何年なんだろ。時代錯誤だとか何だとか、そんなことを通り越してもう絶句するしかないなあ。しかも「国民にしっかりと承知していただくという思いで活動してきた」ときたもんだ。国民主権も政教分離も憲法の基本理念も、全部丸ごとひっくるめて無視してごみ箱にポイしちゃったんですね。森君、イッチャッテルよなあとしか言いようがないんだけど、ヒラ閣僚やその辺の議員の暴言じゃなくて、仮にも民主主義国の現役首相の発言というところがびっくりするやら情けないやらだ。でたらめもついにここまで行き着いてしまったんだな。こういう発言が許されるこの国って何なんだ。この国はどこに向かって走って行こうとしているのだろう。

 一国の首相の病状を国民には一切隠して、おまけに国の最高権力が正当な手続きもなく動いてしまい、さらにはここまででたらめな方法で政権を引き継いだ首相も官房長官も平然とうそ八百を並べ立てて…。そんな民主主義国なんて先進国のどこを探してもないぞ。そして言うに事欠いて「天皇中心の神の国」発言か。トップがこれでは、うそつき警察をただしたり、犯罪少年に正義を説いたりしても説得力なんてまるでないって。しかしここまでコケにされて有権者はみんな何とも思わないのかな。よっぽど優雅な暮らしを政府の皆様方から与えていただいているのかな。黙っておとなしくしている義理がどこにあるんだろうと不思議でならない。我慢強いと言うかおめでたいと言うか。だからこそ、言いたい放題やりたい放題なんだろうけど。

 公明党というか創価学会の対応が見モノだ。連立政権維持の是非はともかくとして、少なくとも森首相に退陣を迫らなければ、宗教団体とその支援を受けている政党しての筋は通らないはずだよね。通信傍受法(盗聴法)や国旗・国歌法への対応ぶりでその正体は見せていただいたけれど、しかしこんな発言を許すようでは、そもそも宗教団体として存在する意味がないと思う。まともな感覚だったら、ここまでナメられて黙ってはいられないよなあ…。

 「セカンドインパクト」を更新した。「司法改革」のページに、ロングインタビューなどの3本の記事をアップした。えっへん、盛りだくさんなのだ。インタビューのキーワードは「陪審制度」。大阪の地方公聴会で発言した公述人の一人に話を聞いた。新しく登場した「クローズアップ裁判」は、具体的な裁判を題材に司法の在り方を検証するおすすめの新企画だ。


5月17日(水曜日) 吉田まゆみさまっ♪

 1日1回とまでは言わないけれども、本屋さんには2〜3日に1回程度は立ち寄らないと何となく落ち着かない。この本が欲しいというはっきりした目的があって行くことももちろんあるが、ほとんどの場合は棚を眺めながら店内をぶらぶら歩き回るのだ。そして適当に立ち読みだけして店を出る…となればいいけど、ついつい何か買ってしまうんだよなあ。何だか買わないと店から出られないような強迫観念に駆られてしまうというか(爆)。

 そんなわけできょうも本屋に寄って、雑誌や本を何冊も立ち読みする。やっぱり最後には1冊だけ買ってしまった。購入したのは吉田まゆみ「ロコモーション」第1巻(中公文庫コミック版)。新刊だったのでついつい。この人の漫画を初めて読んだのは「れもん白書」という作品で高校生の時だった。描かれている舞台がちょうどうちの近くだったし、都内の高校生の実生活がテーマなので親近感を感じたのだ。そう言えば予備校の授業をサボって、世田谷にある吉田まゆみさんの自宅近くの喫茶店でご本人にインタビューしたんだよなあ。同級生の女の子と一緒に取材したんだけど、吉田さんは仕事でめちゃめちゃ忙しいはずなのに、確か2時間以上も学生の素人インタビューに付き合ってくれたのである。とても感じのいい人だった。インタビューはミニコミの特集記事にまとめたんだっけ。それ以来、全然お会いしていませんが、その節は大変お世話になりました(ぺこり)。ちなみに少女漫画専門だった吉田まゆみさんは現在「ビッグコミックスピリッツ」に、新人新聞記者を主人公にした「ペーパー・ウーマン」という作品を連載されています。僕も毎号楽しく読ませていただいています。


5月18日(木曜日) 仏の顔は何度でも!

 神がかり的な名言を残された森首相が、参院本会議で「誤解を生じたとすればおわび申し上げたい」として「陳謝」したそうだ。けれども発言を取り消すつもりは全くないそうである。そりゃあそうだよなあ。神国日本に滅私奉公する政治家としての信念に基づいて発言したんだから。発言撤回なんかしたら不敬にあたるというものだろう。さすがは森首相だ。一貫性があって一本筋が通っているよね。せっかくだから本心を隠したりなさらずに、ご自身の皇国史観をぜひとも前面に押し出して総選挙を戦っていただければと思う。この際だから遠慮しないで言いたいこと言っちゃえば?

 それ以上に、さすがだなあと感じ入ったのは公明党と支持母体の創価学会の姿勢だ。「真意についての説明があった」として首相の陳謝を素直に受け入れたそうだけど、仏法精神に基づいた懐の深さには心から感動した。創価学会には太平洋戦争前に、国家神道の強制に抵抗したために弾圧された歴史があって、初代会長や二代目会長ら幹部たちが不敬罪と治安維持法違反で逮捕・投獄され、しかも初代会長は獄死までしたと聞いている。ここまで身を持ってひどい目に遭わされながら、言うに事欠いて「天皇を中心とする神の国であることを国民に承知していただく」とまで言い切った相手に対して、なお深い理解を示すとは、なんて心の広い人たちなんだろう。キリストは左右の頬を両方とも打たれても文句を言わないというけれども、そんなものとは比較にならない寛容さだ。創価学会の皆さんは、たぶん「仏の顔も三度まで」なんてケチなことは言わないに違いない。どんなに神経を逆なでするようなひどいことをされても何度でもお許しくださるのだろう。感動的ですらある。う〜ん、これこそが「人間革命」とやらの精神なのかな。「仏の国」もすぐそこまで来ているのかもしれない。

 僕だったら、発言そのものを撤回もしない人から「誤解を与えたとしたらおわびする」なんてことを言われても、とても納得はできないが、それはやはり公明党や創価学会の皆さんのようには人間ができていないからだろう。まだまだ未熟だよなあ。まるで修行が足りないなあと深く反省している。合掌。

 母校 京王線沿線の都立高校へ取材に行った帰りに、せっかくだからわが母校にも立ち寄ってみた。時間がなかったので校舎内には入らなかったけど、う〜ん、卒業してから◯◯年ぶりで懐かしいなあ(苦笑)。旧制府立中学から続いている高校なのだが、残念ながら再来年には別の高校と統合されて学校の名前が消えてしまうのである。校舎は当時のまま変わっていなかったけれども、屈指の広さを誇る校庭は工事中で半分くらいになっていた。悲しいなあ。さらに寂しかったのは、学校の周囲の景色が大きく様変りしていたことだ。駅から高校まで歩いて十数分ほどの道の両側には、古い民家がたたずんでいるだけだったのに、こぎれいな低層マンションだとかカッコいい邸宅がいくつも立ち並び、おしゃれなブティック、アンティークショップ、コンビニ、古着屋などが出現して、何だか僕の知っている通学路ではなくなっていたんだよな〜。放課後に入り浸っていた喫茶店も消えていたし…。ここまで激変した街並みを見せられると動揺してしまうぞ。桜並木の古木が圧倒的な存在感を変わらずに残しているのを目にして、ようやく少しほっとした。


5月19日(金曜日) 強制するということ

 「日の丸・君が代」の強制に反対する市民集会に出かけた。取材を通じて感じたこととして、三点ほど問題提起みたいな話をさせてもらった。1)みんなを一つの方向に向けさせて疑問を感じさせない道具としての旗や歌というものがあって、その先に戦争があったわけで、そう考えると問題の本質はやはり「強制」ということにあるのではないでしょうか、2)いつもと変わらないメンバーで、いつもと同じような話を仲間内で繰り返すだけでは、運動としての広がりがないのではないでしょうか、3)連帯したり支援したり情報や問題意識を共有したりするのはもちろん大事だけど、その前提となるのはまず個人がそれぞれの職場や地域で議論を重ねていくことではないでしょうか、というようなことを少しだけ話した。まあ、だいたいの人は分かってくれたと思うんだけどね。

 ところがある年配の男性がこんな発言をした。「日の丸や君が代が好きだけど強制には反対する、なんて言う人の思想はインチキである。日の丸や君が代そのものに反対しなければならない」。それはそれは強い調子で、歴史的経緯や国家観などを踏まえてとうとうと述べられるのだった。確かに発言の趣旨はよく分かる。だけど僕はこの人の言うような決め付け方には、そうかなあと首をひねってしまうんだよなあ。いろんな考え方や思いがあっていいというのがまず大前提。だから「好きだけれども強制には反対する」と考える人がいてもいいわけで、それこそが民主主義の基本ではないかと思う。もちろん「日の丸・君が代そのものに反対する」と主張する人がいてもいい。「日の丸・君が代が三度の飯よりも大好きだ」と感じる人がいてもいい。いろいろな考え方を認めるんだけれども、しかしそれを他人に強制することは断じて認められない。一人一人の思想・信条・内心の自由を守り、基本的人権を大切にし、民主主義社会を維持するとは、そういうことなのではないのかなあ。「私はあなたの意見には反対だ。しかし、あなたが意見を述べる権利を私は命にかけても守る」(ボルテール)というのは僕の大好きな言葉の一つで、人間としても記者としてもとても大切にしたいと思っている考え方だ。あらゆる意味で「強制に反対」というのは極めてヒューマンな思想ではないかと僕は思う。


5月20日(土曜日) 「新しい新聞」

 東京23区内の都立高校を取材してから、新宿で新聞記者志望の青年S君に会って話を聞いた。S君は新聞記者を目指すとともに、近い将来に「新しい新聞」を作りたいという目標を持っているという。既成の新聞社が作る紙面、記者の在り方、組織としての閉塞状況に疑問を感じているので、それならばいっそのこと自分で立ち上げようというのだ。その「新しい新聞」で活躍する記者を確保する意味からも、問題意識と熱意のあるホンモノの記者と記者志望者を育てていく活動もしたいという。何回かメールをもらって話もしてみた結果、かなり本気で考えているように感じた。最低でも十年くらいはかかる息の長い構想(運動)になるだろうけど、実現するといいなあ。できる限りの協力はしたいと思う。


5月21日(日曜日) 修学旅行

 懇意にしている公立中学校のA先生から、広島に生徒を引率して帰って来たばかりだという修学旅行について興味深い話をうかがう機会があった。その学校ではいわゆる「平和教育」として広島や沖縄に行くだけではなくて、何回も事前学習を積み重ねてから出かけたそうだが、いつもは先生の話なんかてんで聞こうともしないで大騒ぎしている中学生たちが、被爆者や在日朝鮮人の老人の体験談にはシーンと静まりかえって耳を傾けていたという。早朝から夜遅くまでスケジュールはぎっしりだから相当疲れていたはずなのに、真剣なまなざしで話を聞く生徒たちを見ていて、やはり本物を見せるということの重要さを痛感したと先生はしみじみと語っていた。

 引率したほかの担任教師たちの反応がこれまた面白い。教師たちはこれまでにも広島や沖縄への修学旅行を引率した経験は何回かあるのだが、以前は語り部の人選や手配などもすべて業者任せで、単に生徒を現地に連れて行くだけだったという。しかし今回は、修学旅行を中心になって企画したA先生ともう一人の先生から徹底して仕事を割り振られた。企画運営を業者任せにしなかったことで、教師自身が修学旅行に感動して広島に出かけた意味を学習したというのだ。つまりA先生は生徒だけでなく、同僚教師たちにも学習させたのだと言える。この学年の先生たちが何年か先に異動でばらばらになったら、きっとそれぞれの学校で「本当の修学旅行」を企画運営するだろう。そう想像すると何だかとても楽しくなってきた。


5月22日(月曜日) 無罪判決なのに収監?

 東京・渋谷でK弁護士から、担当している東電OL強盗殺人事件について話を聞く。たまに一緒に飲んだりすることもあるK弁護士は、一貫して刑事事件だけを引き受けている信念の人だ。

 東電OL事件の被告のネパール人は今年4月、1審の東京地裁で無罪判決を受けた。この結果、ネパール人は国外強制退去処分になるはずだったのだが、検察側の求めに応じて、東京高裁は控訴審のために被告を職権で勾留(こうりゅう)することを決めた。つまり無罪判決を受けたにもかかわらず、ネパール人は再び身柄を拘束されて東京拘置所に収監されてしまったわけだ。高裁裁判官は「罪を犯したと疑うに足りる相当の理由がある」などと勾留の理由を説明しているが、それはおかしいよ。控訴審で審理も始まっていない段階で、被告があたかも有罪であるかのように判断するのなら、1審なんて必要ないってことになるじゃん。…とまあ、そんな話を弁護人の立場からいろいろと聞いた。

 宮崎駿「シュナの旅」、森本梢子「研修医なな子」第3巻、吉田まゆみ「ロコモーション」第2巻、の3冊を購入。すべてコミック文庫。「シュナの旅」は、チベット民話をもとに宮崎駿がオールカラーで描いた絵物語だという。初刷りは1983年6月と記されていた。こんな作品があるなんて知らなかった。

 「サード」と「セカンド」の共通ページである「このホームページと作者について」を一部修正・加筆する。好きな作家や漫画家などを付け加えてみたほか、サイト説明なども少し補足した。ついでに「ネットに関する当サイトの基準」のページも修正・加筆した。


5月23日(火曜日) ブックレットの編集会議

 東京・神保町の岩波書店で編集会議。高校の先生2人と僕とで岩波ブックレットを出すことになったのでその打ち合わせだ。「日の丸・君が代と子どもたち」(仮醍)という本で8月中旬の発行予定だという。2時間ほどの会議は順調に進み、全体の構成や執筆分担やスケジュールなどもきれいに決まった。う〜ん、こういうスムーズな会議っていうのはいいなあ。初めての単独単行本に先駆けて、ブックレットながら共著本を出してもらえるわけで、締め切りは綱渡りになりそうだけれど恵まれていると思う。打ち合わせが終わってから、懇意にしてもらっている先生の一人と軽く飲む。オランダビールと赤ワイン。すっかりご機嫌になる。午前1時帰宅。

 「都立桃耳高校」を読む 群ようこ「都立桃耳高校/神様おねがい!篇」を読み終える。都立高校生の日常生活を描いた作品だというので、同じく都立高校の卒業生として少なからず興味を抱いたので手に取った。僕よりもかなり年上の作者だけど、ラジオの深夜放送にハマる姿や、ぐうたらな学園生活などの描写は、ああなるほどと部分的に共感できないこともなかった。しかしなあ、それ以外は申し訳ないんだけど、何から何までありきたりで全く何の特異性もないエピソードが並んでいるだけで、なんというか「ん〜、それで?」とか「はあ、そうですか…」としか言いようのない内容なんだよなあ。しかも、こんなことを言うとかなり失礼かもしれないけど、文章が中学生の作文みたいなのだ。描写も表現も言葉遣いも稚拙すぎるんじゃないかと思う。いや、そんな偉そうに言うほど自分の文章が上手だとはもちろん思わないが、単なる読者としての感想なので、言いたい放題なのは許してほしいんだけど…。


5月24日(水曜日) 文明の利器

 暑くてたまらないのでクーラーのスイッチを入れた。今年になって初めてである。ん〜、やはり文明の利器は素晴らしい。まあ、本当はそういう便利な生活にどっぷり漬かったりしないといったところから節電に励まなければ、原発に反対するなんて主張を繰り出すべきではないのかもしれないが、そこは自分でも矛盾しているよなあと深く反省している。便利で快適な生活をどこまで許容して、どこまであきらめるかは重大な課題だ。そんなことを考えていると「風の谷のナウシカ」を見たくなってきた…。

 電話をかけまくって予備取材や確認作業などをする。適切でしかもさらに発展するような話を、気持ちいいように次々と聞かせてもらえることができた。なぜこんなにスムーズに取材が進むんだろ。朝のテレビで見た星占いの結果がよかったからか(笑)。

 片山隼君 きのう、交通事故で亡くなった片山隼君の判決公判があった。事故現場に花を手向けるご両親の姿をテレビで久しぶりに拝見する。メールをお送りした。

 「片山さん、こんにちは。ご無沙汰しております。隼君の裁判、ようやく裁判所の判断が出ましたね。判決内容そのものには複雑な思いもおありかもしれませんが、ここまでの長い道のり、本当にお疲れさまでした。隼君への熱い思いから始められた、ご両親である片山さんご夫妻の投げかけや問題提起は、交通事故捜査のあるべき姿や被害者としての扱われ方を考えさせる上で、日本社会に大きな足跡をしっかり残しましたよね。隼君はきっと天国で、そんなご両親の頑張りを誇りに感じていることと思います。『ぼくのお父さんとお母さんは、すごいでしょ?』。そんなふうに胸を張ってみんなに自慢しているに違いありません。改めて、隼君のご冥福をお祈りいたします。」


5月25日(木曜日) ナマケモノの言い訳

 う〜ん、はっきりしたぞっ。やっぱり僕は何事も追い込まれなければ、やる気にならないナマケモノだったのだ。まあ、今さらそんなこと言わなくても分かっているか。気付くのが遅いって。前もって滞りなく準備しておいて、余裕しゃくしゃくの状態でいるなんて到底無理なんだよなあ。締め切りと原稿の分量が設定されてからでないと動き出せない。しかしさすがに尻に火がついて、このままではいい加減やばそうになってきた。怠惰な生活とはしばらくサヨナラしなければ。まじめに取材と執筆に励まないと…(爆)。

 「HPのアドレスを変更した」という連絡が相次いでいただいていたので、修正作業をするついでに大ざっぱなリンク先の見直しをする。閉鎖されているサイトや更新を停止しているサイトなどは、この際だから削除することにした。全体の流れから残しておく必要があるサイトや思い入れがあるサイトについては、リンクは外したけれども断り書きを付けて紹介文はそのままにしてある。

 ところで、こちらからは諸般の都合でリンクしていないが、先方は僕のページをリンクしてくださっているところが結構あるんだよなあ。把握しているだけでも数えてみたら三十くらいあった(検索サイトを除く)。連絡をいただいたところもあるけれど、検索などで偶然判明したところもある。好意的な意味でリンクをしてくれているところが多いが、そうでないところも残念だけどわずかながらあったりする。だからもちろん、そうしたサイトのすべてをこちらからリンクする義理はどこにもないのだが、忙しくてリンクしていないという事情もあったりするのだ。リンクする際に僕はサイトの内容をきちんと拝見させてもらい、それなりに気を使って紹介文を書くことにしている。適当にちゃちゃっと書くということができない性格なのである。ちゃんと吟味した上で、そのうちリンク集に掲載しなければと考えている。いつになるのかは不明だけど…。これもひょっとしたら、ナマケモノの言い訳かもしれない。


5月26日(金曜日) 言霊の国なのに

 「天皇中心の神の国」発言についての、森首相の釈明会見とやらを見た。(誤解を与えたので)釈明はすれども撤回せずですか。う〜ん、そりゃまあそうだろう。忠君愛国の徒である森首相がご自身の本心や信念を率直に発言したんだから。今さらもう撤回なんかできないでしょう。しかしそれにもかかわらず、あの発言を「日本国民統合の象徴という意味だ」などと説明するなんて、神道精神からすれば「不敬」にあたるんじゃないの(爆笑)。そもそも日本は言霊の国と言われているのに、ずいぶんと日本語を馬鹿にしているよなあ。言葉を大事にしない政治家が多すぎるよ。大事にしないどころか「でたらめ」なんだけどね、特に自民党のセンセイ方は。

 午後から都内で教研集会を傍聴させてもらう。1時間ほどしか寝ていないので、眠くて仕方ない。帰りの京急で運良く座れたからうとうとしていると、目の前でずーっと携帯電話をかけ続けている馬鹿女がいた。うるさいなあ。携帯にかかってきた電話に出て数十秒やそこら応答する程度は、電車の中であっても構わないと僕は思うけど、用件だけ済ませたら後は電車を降りてかけ直すのがマナーと言うものだろう。世間話を延々とするなよな。そう言えば、この前も京急の終電車内で大きな声を張り上げて、何十分間も携帯で世間話をしている馬鹿女がいたんだ。こっちもオヤジじゃなくて女だった。京急の車内にはそんな女性客がなぜか多い。


5月27日(土曜日) 「寝ているだけで稼いだ」?

 友人のK記者宅へ遊びに行く。退院から2週間が経過してすっかり元気なのは何よりだけど、入院と手術で出費がかさんで大変だっただろうと思いきや、K記者は意外にも「逆にもうかった」と胸を張るのだった。不思議な顔をしていると、K記者が得意そうに説明を始めた。それによると、保険で入院5日目から退院までの計6日間で9万円が保障されたので、入院費用はそれで全額がカバーできただけでなく、それとは別に手術保障として何と30万円も支払われたのだという。入院期間中は休養をたっぷり取って、しかもその間は給料も全額出た上に、さらに予想もしていなかった30万円が入ってきた。つまり「寝ているだけで稼いだ」というのである。ん〜、なるほどそれは大きいな。K記者夫妻は冗談で「保険金殺人の犯人の気持ちがよく分かった」と感想を述べていたが(笑)、受け取る額がけた違いになれば、真っ当に働く気持ちなんか失せてしまうという人が出てくるのも分からないでもない。実際、わざとケガをしたり病気になったりして保険金を受け取るケースもあるそうだし。文字どおり「体を張って稼ぐ」わけだ。しかし下手すると死んじゃうわけで、実に「危険な稼ぎ方」だよなあ(爆)。ちなみにK記者の場合、治療のアフターケアにいろいろ必要なので、受け取った保障金の全額が臨時収入になるわけではないらしい。まあ、入院や手術なんて、しないに越したことはないよね。

 で、この家庭ではこのほど、デスクトップパソコンを購入してインターネットに接続できる環境を整えた。残念ながらMacintoshではなくて某富◯通なんだけど(笑)、僕の「身辺雑記」を毎日読んでくれているという。ご愛読に感謝します〜♪。早速、敬意を表して登場していただきました(おいおい)。夕方には引き上げようと思っていたのだが、夕食をご馳走になって、ついつい話し込んで午前零時まで長居してしまう。本屋に寄って午前1時半帰宅。


5月28日(日曜日) 民主主義の課題

 東京・高田馬場の早稲田大学で開かれていた教育法学会の関連シンポジウムに、パネリストとして招かれる。テーマは「国旗・国歌法と卒業式・入学式」。早大教授の西原博史さん(憲法学)、中央大教授の堀尾輝久さん(教育学)といった専門家の先生方とご一緒させていただく。会場からは、今春に都立高校や県立高校を卒業したばかりの子どもたちの発言が続いた。元気いっぱいの卒業生たちの発言はインパクトがある。パネリストはいろいろな考え方の一つを示すだけだ。で、やっぱり避けて通れないのが「少数派の意見をどう生かすか」という問題なわけで、日の丸に賛成でも反対でも、数の多さに関係なくどちらも尊重することの大切さを、子どもたちも訴えていた。僕もその考え方には共感する。これは「日の丸・君が代そのものに反対なのか、それとも強制に反対なのか」という問題とも関係してくるんだよなあ。もちろん「生徒の自主性・自立性を尊重するとはどういうことか」ということにもリンクしてくるわけで、これって民主主義の永遠のテーマかもしれない。それにしても時間が足りなくなって、パネリストの発言時間が十分ほどしかないのにはまいった。いくら何でもわずかそれだけの時間で、問題をきちんと整理して論理的に分かりやすく説明するのは難しすぎる。発言の趣旨が誤解されてしまう危険性があるよなあ。ほかのパネリストの皆さんも苦慮されていたみたいだった。

 それはともかく、議論や発言の内容はとても勉強になったし、取材のいいヒントを仕入れることができたし、多くの学者の先生たちとも知り合いになれて、なかなかの大収穫である。旧知の教授とも旧交を温めることができた。堀尾教授からはサイン入りの著書(岩波新書「現代社会と教育」)をいただく。


5月29日(月曜日) 同窓会の会報

 母校の都立高校の同窓会から、年1回発行されている会報が届いた。都内の一流ホテルで毎年開かれている同窓会の総会は、今年は母校の体育館を会場にするそうだ。都立高校の統廃合で、再来年には母校の名前は消えて新しい学校になってしまう。それに先立ち今年7月から校舎の解体作業が始まるので、卒業生に最後の姿を見てもらうために総会会場を母校にしたのだという。僕はこの手の集まりには1回も出たことがなかったけど、今年は出てみようかなあと考えている。実を言うとそれほど愛校心というものはないし、同窓会活動にも全く関わったことがない。この前、取材の帰り道に母校に立ち寄ったのは珍しい行動だ。しかしまあ、最後くらいはせめて総会参加という形で協力してもいいかな。母校の同窓生は総計2万人以上を数えるそうだ。きっと多くの先輩後輩が今年の会報を読んで、改めてそれなりに寂しさを感じているに違いない。


5月30日(火曜日) 暑いので思考停止!

 めちゃめちゃ暑い。真夏日である。だというのに、横浜の市心部を中心にあちこち歩き回ったので水分を摂取しまくりだ。マクドナルドで買ったマックシェイクを歩きながら飲んで、すぐにまた自動販売機でアイスティーを買って、昼食に入ったインド料理店では注文したラッシー(ヨーグルト飲料)を飲みつつ、さらに水を何杯もおかわりするといった具合である。でもすぐにすべて汗となって体外に出てしまうのだった…。きょうはもう、あんまり深く思考したくないな。だけど6月前半までにやるべき仕事をリストアップしたら、原稿3本と講演用レジュメが2本も…。原稿を書くためにはさらに取材しなければならないし…。頭がくらくらしてきた。


5月31日(水曜日) 生活リズム改善は難しい

 夜更かしの生活を改善しようと努力しているのだが、いったん夜型になってしまったものを朝型に変えるのは、なかなか難しいんだよなあ。一睡もしないで一日を過ごして夜は早めに寝るという方法が貫徹できれば、一挙にまともな生活に戻れそうだが、これは机上の空論であってそんなに簡単にはいかない。寝ないで一日を過ごすのはとにかく大変だ。実際にやってみたら分かるけど、学生時代なら何でもなかったのに結構へろへろになるのである。ああ、情けない。それに夜早めに寝ようと思っていても、やらなくてはならない雑用が意外にもたくさんあって、なかなか寝られなかったりするのだ。確かに眠くてたまらないんだけど。だがしか〜し。何といっても最大の敵は日中にこれでもかと襲ってくる睡魔である。取材に出ていたら眠くても我慢しなければならないが、自宅にいるとついつい昼寝をしてしまうのだった(おいおい)。どうしても楽な方へ楽な方へと流されてしまうっていうか…。そうすると元のもくあみとなってまた夜更かしをしてしまい、下手をすると体調を崩して風邪をひいたりもする。やはり地道に、毎日1時間ずつ生活リズムをずらしていくのが現実的かもしれない。


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